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米国公文書館HPに公表されている日本帝国政府関係者のCIAエージェントリストに昭和天皇裕仁を含む29名の日本人が載っている!
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茂木誠 _ 瀬島龍三、統制派、ソ連の対日参戦 2019/09/02
日本陸軍と瀬島龍三は日本で共産革命を起こそうとしていた
抗日戦争中、中共軍は日本軍と水面下で「不可侵条約」を結んでいた
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/09/03/222557
大東亜戦争 / 隠された真の目的|小田真嘉×茂木誠
LIMIT BREAKER 2025/08/10
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内田樹氏出演!『権藤成卿論-なぜ日本の極右思想に惹かれるのか?-』(2025年8月28日20:00~生配信)
ゲスト:内田樹氏 テーマ:マルクス!(2023年7月6 日放送)
エアレボリューション
ゲストに哲学者・内田樹氏を迎え、テーマ『マルクス』でお送りします。
そもそも、なぜ今でもマルクスを学ぶべきなのか?マルクスって何がそんなにすごいのか?そんな素朴な疑問からスタートし、マルクスに関して(思想背景、共産党宣言、資本論など)の初歩的な解説から、最終テーマは…<資本主義の行方>まで。
内田樹×島田雅彦×白井聡で徹底的に語ります。
近年の“マルクス読み替えブーム”の中、これぞマルクス論、資本論、資本主義論の決定版!?
是非ご覧ください。
内田樹 『甦る「資本論」』出版記念イベント
2023/10/29
「資本主義に替わる社会の実現可能性」をテーマに、内田樹、石川康宏、斎藤幸平が語り尽くす。
内田樹氏様出演!『天皇論』(2025年5月2日21:00~生配信)
エアレボリューション
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パリ・コミューンについて - 内田樹の研究室 2019-03-05
http://blog.tatsuru.com/2019/03/05_1542.html
石川康宏さんとの『若者よマルクスを読もう』の三巻目は「フランスにおける内乱」をめぐっての往復書簡だった。
『反抗的人間』を読んでいたら、ぜひ引用したいカミュの言葉が出て来たので、それを数行加筆することにした。
それを含む、パリ・コミューン論を採録する。
『フランスの内乱』、読み返してみました。この本を読むのは、学生時代以来50年ぶりくらいです。同じテクストでも、さすがに半世紀をおいて読み返すと、印象がずいぶん違うものですね。
パリ・コミューンの歴史的な意義や、このテクストの重要性については、もう石川先生がきちんと書いてくださっていますので、僕は例によって、個人的にこだわりのあるところについて感想を語ってゆきたいと思います。
「コミューン」というのは、そもそもどういう意味なんでしょう。「コミューン」という言葉を学生だった僕はこの本で最初に知りました。そして、たぶん半世紀前も次の箇所に赤線を引いたはずです。
「コミューンは本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級に対する生産者階級の闘争の所産であり、労働者階級の経済的解放を実現するために、ついに発見された政治形態である。」(『フランスの内乱』、辰巳伸知訳、マルクスコレクションVI, 筑摩書房、2005年、36頁、強調は内田)
「ついに発見された政治形態」であると断定された以上、それは前代未聞のものであるはずです。僕は素直にそう読みました。なるほど、パリ・コミューンは歴史上はじめて登場した政治形態だったのか。すごいな。それなのに反動的なブルジョワたちから暴力的な弾圧を受けて、徹底的に殲滅されて、多くのコミューン戦士は英雄的な死を遂げた。気の毒なことをしたなあ・・・。そう思いました。それくらいしか思いませんでした。でも、さすがにそれから半世紀経つと感想もずいぶん違うものになります。
僕が気になったのは、パリ・コミューンがマルクスの時代において「ついに発見された」前代未聞のものであったことはわかるのですが、それに続くものがなかったということです。
パリ・コミューンからすでに150年を閲しましたけれど、パリ・コミューンのような政治形態はそれを最後に二度と再び地上に現れることはありませんでした。それはなぜなのでしょう。
もし、パリ・コミューンがマルクスの言うように、1870年時点での革命的実践の頂点であったのだとしたら、その後も、パリ・コミューンを範とした革命的実践が(かりに失敗したとしても)世界各地で、次々と試みられてよかったはずです。でも、管見の及ぶ限りで「この政治形態はパリ・コミューンの甦りである」とか「この政治形態はパリ・コミューンが別の歴史的条件の下でいささか相貌を変えて実現したものである」というふうに名乗る事例を僕は一つも知りません。「われわれの戦いはパリ・コミューンを理想としてしている」と綱領的文書に掲げた政治運動や政治組織も僕は見たことがありません。
変な話だと思いませんか?
かのマルクスが、「ついに発見された政治形態である」と絶賛した究極の事例について、それを継承しようとした人たちも、未完・未済のものであったがゆえにその完成をこそ自らの歴史的召命として引き受けようとした人たちも、1871年から後いなかった。どうして、パリ・コミューンという政治的理想をそれからのちも全力で追求しようとした人たちは出てこなかったのか?
少なくともそれ以後フランスには「パリ・コミューン的なもの」は二度と登場しません。フランスでは、1789年、1830年、1848年、1871年と、比較的短いインターバルで革命的争乱が継起しました。いずれも、その前に行われた革命的な企てを引き継ぐものとして、あるいは先行した革命の不徹底性を乗り越えるものとしてなされました。でも、1871年のパリ・コミューンから後、パリ・コミューンを引き継ぎ、その不徹底性を批判的に乗り越える革命的な企てを構想した人は一人もいなかった。
1944年8月25日のパリ解放の時、進軍してきた自由フランス軍に中にも、レジスタンスの闘士たちの中にも、誰も「抑圧者が去った今こそ市民たちの自治政府を」と叫ぶ人はいませんでした。1968年には「パリ五月革命」と呼ばれたラディカルな政治闘争がありましたが、その時に街頭を埋め尽くしたデモの隊列からも「今こそ第五共和政を倒して、パリ・コミューンを」と訴える声は聴こえませんでした。少しはいたかも知れませんが(どんなことでも口走る人はいますから)、誰も取り合わなかった。
今も「パリ・コミューン派」を名乗っていて、少なからぬ力量を誇っている政治組織が世界のどこかにはあるかも知れませんけれど、寡聞にして僕は知りません(知っている人がいたらぜひご教示ください)。
これはどういうことなのでしょう。なぜ「ついに発見された政治形態」は後継者を持ちえなかったのか?
以下はそれについての僕の暴走的思弁です。
「マルクスとアメリカ」でも同じ考え方をご披露しましたけれど、僕が歴史について考える時にしばしば採用するアプローチは「どうして、ある出来事は起きたのに、それとは別の『起きてもよかった出来事』は起きなかったのか?」という問いを立てることです。
このやり方を僕はシャーロック・ホームズから学びました。「起きたこと」からではなくて、「起きてもよかったはずのことが起きなかった」という事実に基づいて事件の真相に迫るのです。「白銀号事件」でホームズは「なぜあの夜、犬は吠えなかったのか?」というところからその推理を開始します。なぜ起きてもよいことが起きなかったのか?
(...)
なぜパリ・コミューンはマルクスによって理想的な政治形態と高く評価されたにもかかわらず、それから後、当のマルクス主義者たちによってさえ企てられなかったのか?
それに対する僕の仮説的回答はこうです。
パリ・コミューンはまさに「ついに発見された政治形態」であったにもかかわらずではなく、そうであったがゆえに血なまぐさい弾圧を呼び寄せ、破壊し尽くされ、二度と「あんなこと」は試みない方がよいという歴史的教訓を残したというものです。
パリ・コミューン以後の革命家たち(レーニンもその一人です)がこの歴史的事実から引き出したのは次のような教訓でした。
パリ・コミューンのような政治形態は不可能だ。やるならもっと違うやり方でやるしかない。
パリ・コミューンは理想的に過ぎたのでした。
それは『フランスの内乱』の中でマルクスが引いているいくつもの事例から知ることができます。マルクスが引いている事実はすべてがヴェルサイユ側の忌まわしいほどの不道徳性と暴力的非寛容と薄汚れた現実主義とコミューン側の道徳的清廉さ、寛大さ、感動的なまでの政治的無垢をありありと対比させています。どちらが「グッドガイ」で、どちらが「バッドガイ」か、これほど善悪の対比がはっきりした歴史的出来事は例外的です。少なくともマルクスは 読者たちにそういう印象を与えようとしていました。
ティエールは国民軍の寄付で調達されたパリの大砲を「国家の財産である」と嘘をついてパリに対して戦争をしかけ、寄せ集めのヴェルサイユ兵を「世界の称賛の的、フランスがこれまで持った最もすばらしい軍隊」と持ち上げ、パリを砲撃した後も「自分たちは砲撃していない、それは叛徒たちの仕業である」と言い抜け、ヴェルサイユ軍の犯した処刑や報復を「すべて戯言である」と言い切りました。一方、「コミューンは、自らの言動を公表し、自らの欠陥をすべて公衆に知らせた」(同書、44頁)のです。
マルクスの言葉を信じるならまさに「パリではすべてが真実であり、ヴェルサイユではすべてが嘘だった」(同書、46頁)のでした。パリ・コミューンは政治的にも道徳的にも正しい革命だった。マルクスはそれを讃えた。
でも、マルクス以後の革命家たちはそうしなかった。彼らはパリ・コミューンはまさにそのせいで敗北したと考えた。確かに、レーニンがパリ・コミューンから教訓として引き出したのは、パリ・コミューンはもっと暴力的で、強権的であってもよかった、政治的にも道徳的にも、あれほど「正しい」ものである必要はなかった、ということだったからです。レーニンはこう書いています。
「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧することは、依然として必要である。そして、コンミューンにとっては、このことはとくに必要であった。そして、コンミューンの敗因の一つは、コンミューンがこのことを十分に断固として行わなかった点にある。」(レーニン、『国家と革命』、大崎平八郎訳、角川文庫、1966年、67頁)
レーニンが「十分に、断固として行うべき」としたのは「ブルジョワジーと彼らの反抗を抑圧すること」です。ヴェルサイユ軍がコミューン派の市民に加えたのと同質の暴力をコミューン派市民はブルジョワ共和主義者や王党派や帝政派に加えるべきだった、レーニンはそう考えました。コミューン派の暴力が正義であるのは、コミューン派が「住民の多数派」だからです。
「ひとたび人民の多数者自身が自分の抑圧者を抑圧する段になると、抑圧のための『特殊な権力』は、もはや必要ではなくなる!国家は死滅し始める。特権的な少数者の特殊な制度(特権官僚、常備軍主脳部)に代わって、多数者自身がこれを直接に遂行することができる。」(同書、67-8頁、強調はレーニン)
少数派がコントロールしている「特殊な権力」がふるう暴力は悪だけれど、国家権力を媒介とせずに人民が抑圧者に向けて直接ふるう暴力は善である。マルクスは『フランスの内乱』のどこにもそんなことは書いていません。でも、レーニンはそのことをパリ・コミューンの「敗因」から学んだ。
レーニンがパリ・コミューンの敗北から引き出したもう一つの教訓は、石川先生もご指摘されていた「国家機構」の問題です。これについて、石川先生は、レーニンは「国家機構の粉砕」を主張し、マルクスはそれとは違って、革命の平和的・非強力的な展開の可能性にもチャンスを認めていたという指摘をされています。でも、僕はちょっとそれとは違う解釈も可能なのではないかと思います。レーニンの方がむしろ「できあいの国家機構」を効率的に用いることを認めていたのではないでしょうか。レーニンはこう書いています。
「コンミューンは、ブルジョワ社会の賄賂のきく、腐敗しきった議会制度を、意見と討論の自由が欺瞞に堕することのないような制度とおき替える。なぜなら、コンミューンの代議員たちは、みずから活動し、自分がつくった法律をみずから執行し、執行にあたって生じた結果をみずから点検し、自分の選挙人にたいしてみずから直接責任を負わなければならないからである。代議制度はのこるが、しかし、特殊な制度としての、立法活動と執行活動の分業としての、代議員のための特権的地位を保障するものとしての、議会制度は、ここにはない。(...)議会制度なしの民主主義を考えることができるし、また考えなければならない。」(同書、74-75頁、強調はレーニン)
法の制定者と法の執行者を分業させた政体のことを共和制と呼び、法の制定者と執行者が同一機関である政体のことを独裁制と呼びます。パリ・コミューンは「議会制度なしの民主主義」、独裁的な民主主義の達成だったとして、その点をレーニンは評価します。
この文章を読むときに、代議制度は「のこる」という方を重く見るか、立法と行政の分業としての共和的な制度は「ない」という方を重く見るかで、解釈にずれが生じます。僕はレーニンは制度そのものの継続性をむしろ強調したかったのではないかという気がします。レーニンは何か新しい、人道的で、理想的な統治形態を夢見ていたのではなく、今ある統治システムを換骨奪胎することを目指していた。そして、マルクスもまた既存の制度との継続を目指したしたるのだと主張します。
「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない。そうではなくて、彼は、古い社会からの新しい社会の誕生、前者から後者への過渡的諸形態を、自然史的過程として研究しているのだ。」(同書、75頁、強調はレーニン)
ここで目立つのは「からの」を強調していることです。旧体制と新体制の間には連続性がある。だから、「過渡的諸形態」においては「ありもの」の統治システムを使い回す必要がある。レーニンはそう言いたかったようです。そのためにマルクスも「そう言っている」という無理な読解を行った。
「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない。プロレタリアートの独裁の任務についての無理解にもとづくこうした無政府主義的夢想は、マルクス主義とは根本的に無縁なものであり、実際には、人間が今とは違ったものになるときまで社会主義革命を引き延ばすことに役だつだけである。ところがそうではなくて、われわれは、社会主義革命をば現在のままの人間で、つまり服従なしには、統制なしには、『監督、簿記係』なしにはやってゆけない、そのような人間によって遂行しようと望んでいるのだ。」(同書、76―77頁、強調はレーニン)
レーニンが「監督、簿記係」と嘲弄的に呼んでいるのは官僚機構のことです。プロレタリアート独裁は「服従」と「統制」と「官僚機構」を通じて行われることになるだろうとレーニンはここで言っているのです。「すべての被搾取勤労者の武装した前衛であるプロレタリアートには、服従しなければならない。」(77頁)という命題には「誰が」という主語が言い落とされていますが、これは「プロレタリアート以外の全員」のことです。
これはどう贔屓目に読んでも、マルクスの『フランスの内乱』の解釈としては受け入れがたいものです。
マルクスがパリ・コミューンにおいて最も高く評価したのは、そこでは「服従」や「統制」や「官僚機構」が効率的に働いていたことではなく、逆に、労働者たちが「できあいの国家機構をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない」と考えたからです。新しいものを手作りしなければならないというコミューンの未決性、開放性をマルクスは評価した。誰も服従しない、誰も統制しない、誰もが進んで公的使命を果たすという点がパリ・コミューンの最大の美点だとマルクスは考えていたからです。
「コミューンが多種多様に解釈されてきたこと、自分たちの都合のいいように多種多様な党派がコミューンを解釈したこと、このことは、過去のあらゆる統治形態がまさに抑圧的であり続けてきたのに対して、コミューンが徹頭徹尾開放的な政府形態であったということを示している。」(マルクス、前掲書、36頁)
マルクスの見るところ、パリ・コミューンの最大の美点はその道徳的なインテグリティーにありました。自らの無謬性を誇らず、「自らの言動を公表し、自らの欠陥のすべてを公衆に知らせた」ことです。それがもたらした劇的な変化についてマルクスは感動的な筆致でこう書いています。
「実際すばらしかったのは、コミューンがパリにもたらした変化である! 第二帝政のみだらなパリは、もはやあとかたもなかった。パリはもはや、イギリスの地主やアイルランドの不在地主、アメリカのもと奴隷所有者や成金、ロシアのもと農奴所有者やワラキアの大貴族のたまり場ではなくなった。死体公示所にはもはや身元不明の死体はなく、夜盗もなくなり、強盗もほとんどなくなった。1848年二月期以来、はじめてパリの街路は安全になった。しかも、いかなる類の警察もなしに。(・・・)労働し、考え、闘い、血を流しているパリは、―新たな社会を生み出そうとするなかで、(・・・)自らが歴史を創始することの熱情に輝いていたのである。」(同書、45―46頁、強調は内田)
「新しい社会を生み出そうとするなかで」とマルクスは書いています。この文言と「マルクスには『新しい』社会を考えついたり夢想したりするという意味でのユートピア主義など、ひとかけらもない」というレーニンの断定の間には、埋めることのできないほどの断絶があると僕は思います。
でも、パリ・コミューンの総括において「パリ・コミューンは理想主義的過ぎた」という印象を抱いたのはレーニン一人ではありません。ほとんどすべての革命家たちがそう思った。だからこそ、パリ・コミューンはひとり孤絶した歴史的経験にとどまり、以後150年、その「アヴァター」は再び地上に顕現することがなかった。そういうことではないかと思います。
勘違いして欲しくないのですが、僕はレーニンの革命論が「間違っている」と言っているのではありません。現にロシア革命を「成功」させたくらいですから、実践によってみごとに裏書きされたすぐれた革命論だと思います。でも、マルクスの『フランスの内乱』の祖述としては不正確です。
ただし、レーニンのこの「不正確な祖述」は彼の知性が不調なせいでも悪意のせいでもありません。レーニンは彼なりにパリ・コミューンの悲劇的な結末から学ぶべきことを学んだのです。そして、パリ・コミューンはすばらしい歴史的実験だったし、めざしたものは崇高だったかも知れないけれど、あのような「新しい社会」を志向する、開放的な革命運動は政治的には無効だと考えたのです。革命闘争に勝利するためには、それとはまったく正反対の、服従と統制と官僚機構を最大限に活用した運動と組織が必要だと考えた。
レーニンのこのパリ・コミューン解釈がそれ以後のパリ・コミューンについて支配的な解釈として定着しました。ですから、仮にそれから後、「パリ・コミューンのような政治形態」をめざす政治運動が試みられたことがあったとしても、それは「われわれは空想家ではない。われわれは、どうやって一挙に、いっさいの統治なしに、いっさいの服従なしに、やっていくかなどと『夢想』はしない」と断定する鉄のレーニン主義者たちから「空想家」「夢想家」と決めつけられて、舞台から荒っぽく引きずりおろされただろうと思います。
アルベール・カミュは『国家と革命』におけるレーニンのパリ・コミューン評価をこんなふうに要言しています。僕はカミュのこの評言に対して同意の一票を投じたいと思います。
「レーニンは、生産手段の社会化が達成されるとともに、搾取階級は廃滅され、国家は死滅するという明確で断固たる原則から出発する。しかし、同じ文書の中で、彼は生産手段の社会化の後も、革命的フラクションによる自余の人民に対する独裁が、期限をあらかじめ区切られることなしに継続されることは正当化されるという結論に達している。コミューンの経験を繰り返し参照していながら、このパンフレットは、コミューンを生み出した連邦主義的、反権威主義的な思潮と絶対的に対立するのである。マルクスとエンゲルスのコミュ―ンについての楽観的な記述にさえ反対する。理由は明らかである。レーニンはコミューンが失敗したことを忘れなかったのである。」(Albert Camus, L'homme révolté, in Essais, Gallimard, 1965, p.633)
僕はできたら読者の皆さんには『フランスの内乱』と『国家と革命』を併せて読んでくれることをお願いしたいと思います。そして、そこに石川先生がこの間言われたような「マルクス」と「マルクス主義」の違いを感じてくれたらいいなと思います。マルクスを読むこととマルクス主義を勉強することは別の営みです。まったく別の営みだと申し上げてもよいと思います。そして、僕は「マルクス主義を勉強すること」にはもうあまり興味がありませんけれど、「マルクスを読む楽しみ」はこれからもずっと手離さないだろうと思います
http://blog.tatsuru.com/2019/03/05_1542.html
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内田樹 - これから「米中露すべて衰退し、世界が多極化する」 カオス化社会が到来する
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内田樹:全面的な対米従属、アメリカの企業に対する市場開放と、日本の公共財の切り売りさえしておけば政権は延命できる
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中国最新事情 - 内田樹の研究室
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上海の近況 - 内田樹の研究室
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生産性の高い社会のゆくすえ - 内田樹の研究室
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格差について - 内田樹の研究室
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「人口減少社会の病弊」 - 内田樹の研究室
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内田樹 事大主義 権力者を批判したければ、まず自分が権力者になれ
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内田樹 「なぜ人を殺してはいけないのか?」
20世紀の倫理-ニーチェ、オルテガ、カミュ - 内田樹の研究室
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「歴史戦」という欺瞞 「関東大震災と朝鮮人虐殺、南京大虐殺」- 内田樹の研究室
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格差について - 内田樹の研究室
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国民国家 対 グローバル資本主義
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内田樹 - これから「米中露すべて衰退し、世界が多極化する」カオス化社会が到来する
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内田樹の研究室 :有権者たちは「勝ち馬に乗る」ことを最優先して投票行動を行っている
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内田樹 嫌韓の構造
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内田樹:全面的な対米従属、アメリカの企業に対する市場開放と、日本の公共財の切り売りさえしておけば政権は延命できる
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比較敗戦論のために - 内田樹の研究室
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民主主義をめざさない社会 - 内田樹の研究室
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内田樹 生きづらさについて考える
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内田樹 事大主義 権力者を批判したければ、まず自分が権力者になれ
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内田樹 パンデミックをめぐるインタビュー
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内田樹 聖者とは何も考えないアホの事
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「恥の文化」の力
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内田樹「日本の没落」
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内田樹 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E6%A8%B9
内田 樹(うちだ たつる、1950年9月30日 - )は、日本のフランス文学者・武道家(合気道凱風館館長。合気道七段、居合道三段、杖道三段[1])・翻訳家・思想家[2]・エッセイスト。元学生運動家[3]。神戸女学院大学名誉教授。学位は修士(旧東京都立大学・1980年、フランス文学専攻)。専門はフランス現代思想[4]。立憲民主党パートナー[5]。
東京大学文学部卒業。旧東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。
高校を中退したが、大学入学資格検定を経て東大に入学、文学部仏文科卒。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。フランス現代思想を専門とし、大学で教鞭を執る。
『ためらいの倫理学』(2001年)以来、エマニュエル・レヴィナスをはじめ思想の簡明な解説や、知的エッセイを数多く執筆。少子高齢化、成熟した資本主義経済の末路への予測から、消費を基盤とした経済システムが終焉を迎えつつあるとし、今後は共同体による相互扶助、共生的な考え方を基盤とした社会を目指すべきだとしている。ネットにおける匿名性の危険性についても、警告を発しており、著書の多くはブログから発信した文章がもとになっている。
映画や武道に関する批評活動でも知られ、自身も合気道や居合道の有段者である。合気道については、大学を退職後、道場兼能舞台である「凱風館」を完成させて、そこで師範として合気道の指導を行っている。
「内田樹の研究室」というブログを運営している[6]。『ためらいの倫理学』は、冬弓舎の内浦亨が内田のサイトのテキストを発見したことから刊行された[7]。書くことの目的が生計を立てるではなく、一人でも多くの人に自分の考えや感じ方を共有してもらうこと」との考えから、ネット上で公開した自身のテクストについては「著作権放棄」の考えを示しており、他人が剽窃によって収入を得ることも容認すると2009年に述べている[8]。一方、講演については謝礼が必要(ノーギャラは仕事のクオリティを認めていない)としている[9]。
来歴
東京都大田区下丸子に生まれ育つ[注 1]。父方の祖母のいとこに、参謀本部作戦課長、陸軍大臣秘書官として東條英機の側近だった服部卓四郎がいる[12][13]。
1963年に大田区立東調布第三小学校を卒業。1966年に大田区立矢口中学校を卒業。1966年、東京都立日比谷高等学校に入学[14]。高校2年で成績が学年最下位になり、のち品行不良を理由に退学処分を受けた[15]。家出してジャズ喫茶でアルバイトをするが、生活できなくなり、数か月後に親に謝罪し家に戻った[16]。
1968年10月、大学入学資格検定に合格。1969年、東京大学入試中止の年に京都大学法学部を受験し不合格。駿台予備校を経て、1970年4月、東京大学文科三類に入学。この頃、三里塚闘争に参加する[17]。東大生となってから学習塾のバイトをしだした。バイト代が時給500円(当時)で国立大学の授業料が月額1000円(当時)だったので一日2時間労働するだけで月謝が払えていた。そのため、月謝以外の稼ぎは両親からの自由を求めて借りたアパートの賃貸費用に充てていた。内田が働いていた学習塾は大学生70人で回してたが25%が過激派の大学生だったとしている[18]。
1970年代初頭に学生運動から離脱[3]。1975年3月、文学部仏文科卒業。1975年12月、合気道自由が丘道場に入門し多田宏に師事(大本教教主輔の出口王仁三郎の曾孫弟子に当たる[19])。1976年に4歳年上の女優と結婚している。妻の父親(岳父)は平野三郎。1977年1月、平川克美と共に翻訳会社「アーバン・トランスレーション」を設立[14][20]。
1977年4月、東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程(フランス文学専攻)に入学。入学後も会社経営を続けた。修士論文はモーリス・ブランショ、指導教官は足立和浩。1980年4月、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程に進学。ブランショと影響関係のある哲学者として、エマニュエル・レヴィナスの名を初めて知る。たまたま手にとった『困難な自由』の最初のテクスト「倫理と精神」を読んで衝撃を受け、「この人についてゆこう」と決心する[14]。
1982年4月、東京都立大学人文科学研究科博士課程を中退。東京都立大学人文学部助手(フランス文学専攻)となる[14]。1985年9月、エマニュエル・レヴィナスの訳書『困難な自由』を国文社から刊行。1987年9月、レヴィナスに面会[14]。1989年に離婚[21]、娘の内田るんと父子家庭になる[22][23][注 2]。
1990年、神戸女学院大学文学部総合文化学科助教授となる[14]。1997年2月、観世流能楽師の下川宜長に入門、仕舞と謡を習い始める。2001年3月、初めての単著となる『ためらいの倫理学』(冬弓舎)を刊行。2009年、能楽師小鼓方大倉流の高橋奈王子[24]と再婚[25]。同年11月、『日本辺境論』(新潮新書)を刊行[注 3]。
2010年7月に平松邦夫大阪市長のもとで市長特別顧問を務める[28]。2011年3月、神戸女学院大学教授を退職[29]。同大学名誉教授[30]。同大学の合気道部顧問を継続して務める[31]。同年4月、第3回伊丹十三賞を受賞[32][33]。同年11月、神戸市東灘区住吉本町に道場兼能舞台の「凱風館」が完成[34][35][注 4]、館長を務める[36]。
2015年4月、京都精華大学人文学部客員教授に就任[37][4]。
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日本陸軍の士官の殆どは共産主義者だった。
日本陸軍による共産革命を心配した昭和天皇はアメリカと八百長戦争をやって日本をアメリカ軍に占領して貰った。関東軍の陸軍兵士の大半は武器・食料無しで南太平洋の最前線へ送られ餓死させられた。
近衛文麿の「陸軍統制派アカ論」
近衛上奏文 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E6%96%87
近衛上奏文は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、近衛文麿が昭和天皇に対して早期終戦を上奏した文書。
近衛上奏文には近衛の他、吉田茂が関わった[1]。近衛は上奏文の草稿を執筆した後、上奏の前夜に吉田茂宅に一泊し、内容について意見交換した[2]。
1945年2月14日の朝、木戸内大臣が侍従長室に姿を見せ、藤田尚徳侍従長に、
「藤田さん、今日の近衛公の参内は、私に侍立させてほしい。近衛公は、あなたをよく存じあげていない。それで侍従長の侍立を気にして、話が十分にできないと困る。ひとつ御前で近衛公の思う通りに話をさせてみたい」
と要請した。藤田侍従長は快諾し、木戸と近衛の二人が昭和天皇に拝謁し、以下の上奏文を捧呈した[10]。
戦局の見透しにつき考ふるに、最悪なる事態は遺憾ながら最早必至なりと存ぜらる。以下前提の下に申上ぐ。最悪なる事態に立至ることは我国体の一大瑕瑾たるべきも、英米の與論は今日迄の所未だ国体の変更と迄は進み居らず(勿論一部には過激論あり。又、将来如何に変化するやは測断し難し)随って最悪なる事態丈なれば国体上はさまで憂ふる要なしと存ず。国体護持の立場より最も憂ふべきは、最悪なる事態よりも之に伴うて起ることあるべき共産革命なり。
つらつら思うに我国内外の情勢は今や共産革命に向って急速に進行しつつありと存ず。即ち国外に於ては蘇聯の異常なる進出に之なり。我国民は蘇聯の意図を的確に把握し居らず。彼の一九三五年人民戦線戦術即ち二段革命戦術採用以来、殊に最近コミンテルン解散以来、赤化の危険を軽視する傾向顕著なるが、これは皮相且つ安易なる視方なり。蘇聯は究極に於て世界赤化を捨てざることは、最近欧州諸国に対する露骨なる策動により明瞭となりつつある次第なり。
蘇聯は欧州に於て其周辺諸国にはソビエット的政権を、爾余の諸国には少くとも親蘇容共政権を樹立せんとして着々其の工作を進め、現に大部分成功を見つつある現状なり。
ユーゴーのチトー政権は其の最典型的なる具体表現なり。波蘭に対しては予めソ聯内に準備せる波蘭愛国者聯盟を中心に新政権を樹立し、在英亡命政権を問題とせず押切りたり。羅馬尼、勃牙利、芬蘭に対する休戦条件を見るに、内政不干渉の原則に立ちつつもヒットラー支持団体の解散を要求し、実際上ソビエット政権にあらざれば存在し得ざるが如く強要す。イランに対しては石油権利の要求に応ぜざるの故を以て内閣の総辞職を強要せり。瑞西がソ聯との国交開始を提議せるに対し、ソ聯は瑞西政府を以て親枢軸的なりとて一蹴し、之が為め外相の辞職を余儀なくせしめたり。
米・英占領下のフランス、ベルギー、オランダに於ては、対独戦に利用せる武装蜂起団と政府との間に深刻なる闘争続けられ、是等諸国は何れも政治的危機に見舞われつつあり。而して之等武装団を指揮しつつあるものは主として共産党なり。 独逸に対しては波蘭に於けると同じく、巳に準備せる自由独逸委員会を中心に新政権を樹立せんとする意図たるべく、之は英米にとり今は頭痛の種なりと思はる。
ソ聯はかくの如く欧洲諸国に対し、表面は内政不干渉の立場を取るも、事実に於ては極度の内政干渉をなし、国内政治を親ソ的方向に引摺らんとしつつあり。ソ聯の此の意図は東亜に対しても亦同様にして、現に延安にはモスコーより来れる岡野[11]を中心に日本解放聯盟組織せられ、朝鮮独立同盟・朝鮮義勇軍・台湾先(一字欠)隊等と連携し日本に呼びかけ居れり。斯くの如き形勢より推して考ふるに、ソ聯はやがて日本の内政に干渉し来れる危険十分ありと思はる(即共産党公認、共産主義者入閣-ドゴール政府、バドリオ政府に要求せる如く-、治安維持法及防共協定の廃止等)。
飜て国内を見るに共産革命達成のあらゆる条件日々具備せられ行く観あり。即ち生活の窮乏、労働者発言権の増大、英米に対する敵愾心昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、之に便乗する所謂新官僚の運動、及、之を背後より操る左翼分子の暗躍等なり。
少壮軍人の多数は我国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦ここにあり。皇族方の中にも此主張に耳を傾けらるる方ありと仄聞す。
職業軍人の大部分は中以下の家庭出身者にして其の多くは共産的主張を受入れ易き境遇にあり。只彼等は軍隊教育に於て国体観念丈は徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子は国体と共産主義の両立論を以て彼等を引摺らんとしつつあるものと思はる。
抑々満洲事変・支那事変を起し、之を拡大し、遂に大東亜戦争に迄導き来れるは、是等軍部内一味の意識的計画なりしこと今や明瞭なりと思はる。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは有名なる事実なり。
支那事変当時「事変は永引くが宜し。事変解決せば国内革新は出来なくなる」と公言せしは此の一味の中心的人物なりき。
是等軍部内一味の革新論の狙ひは必ずしも共産革命に非ずとするも、これをとり巻く一部官僚及民間有志(之を右翼と云うも可、左翼と云うも可、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は意識的に共産革命に迄引きづらんとする意図を包蔵し居り、無智単純なる軍人之に踊らされたりと見て大過なしと存ず。此の事は過去十年間、軍部・官僚・右翼・左翼の多方面に亙り交友を有せし不肖が最近静かに反省して到達したる結論にして、此の結論鏡にかけて過去十年間の動きを照し見るとき、そこに思ひ当る節々頗る多きを感ずる次第なり。
不肖は此の間二度迄組閣の大命を拝したるが、国内の相剋摩擦を避けんが為出来る丈け是等革新者の主張も採り入れて挙国一致の実を挙げんと焦慮せる結果、彼等の背後に潜める意図を充分看取する能はざりしは、全く不明の致す所にして、何とも申訳なく深く責任を感ずる次第で御座います。
昨今戦局の危急を告ぐると共に一億玉砕を叫ぶの声次第に勢力を加へつつあり。かかる主張をなす者は所謂右翼者流なるも、背後より之を煽動しつつあるは、之によりて国内を混乱に陥れ、遂に革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨み居れり。
一方に於て徹底的英米撃滅を唱ふる反面、親ソ空気は次第に濃厚になりつつある様に思はる。軍部の一部にはいかなる犠牲を払ひてもソ聯と手を握るべしとさへ論ずるものあり。又延安との提携を考え居る者もありとのことなり。
以上の如く国の内外を通じ共産革命に進むべきあらゆる好条件が日一日と成長しつつあり。今後戦局益々不利ともならば此形勢は急速に進展致すべし。
戦局の前途につき何等か一縷でも打開の理ありと云ふならば格別なれど、最悪の事態必至の前提の下に論ずれば、勝利の見込なき戦争を之以上継続することは全く共産党の手に乗るものと云ふべく、従って国体護持の立場よりすれば、一日も速に戦争終結の方途を講ずべきものなりと確信す。戦争終結に対する最大の障害は満洲事変以来今日の事態に迄時局を推進し来りし軍部内の彼の一味の存在なりと存ぜらる。彼等は已に戦争遂行の自信を失ひ居るも、今迄の面目上アク迄抵抗を続くるものと思はる。若し此の一味を一掃せずして早急に戦争終結の手を打つ時は、右翼左翼の民間有志一味と響応して国内に大混乱を惹起し、所期の目的を達成すること能はざるに至る處れあり。従って戦争を終結せんとせば、先ず其の前提として此の一味の一掃が肝要なり。此の一味さへ一掃せらるれば、便乗の官僚・右翼・左翼の民間分子も影を潜むるならん。蓋し彼等は未だ大なる勢力を結成し居らず、軍部を利用して野望を達せんとする者に外ならざるが故なり。故に其本を絶てば枝葉は自ら枯るるものなりと思ふ。
尚之は少々希望的観測かは知れざれども、もし是等一味が一掃さるる時は、軍部の相貌は一変し、英米及重慶の空気は或は緩和するに非ざるか。元来英米及重慶の目標は、日本軍閥の打倒にありと申し居るも、軍部の性格が変り、其の政策が改まらば、彼等としても戦争継続につき考慮する様になりはせずやと思はる。
それは兎も角として、此の一味を一掃し軍部の建直を実行することは、共産革命より日本を救ふ前提先決条件なれば、非常の御勇断をこそ望ましく存じ奉る。
以上申しげたる点につき間違えたる点あらば何卒御叱りを願度し。— 近衛文麿、[12]
近衛は、会談劈頭に陸軍中堅層が抱懐するという以下の『国家革新の陰謀』[注釈 1]を打ち明け、小林大将に、後継首班を引き受け「赤に魅せられた」陸軍の革新派を速やかに粛清することを要請した。
満州事変発生以前より石原莞爾はソ連の復仇乃至共産主義の南下を恐れ早きに於いて之に痛撃を加えざるべからずと考えていた。之が為には我が国の軍需生産増加を必要とするのみならず国内体制も亦更新を要すとし、彼の影の人たる宮崎正義をして産業五カ年計画之に伴う国内革新案[注釈 2]を作らしめた。この二案は池田成彬、結城豊太郎君も一読し両君共納得出来る議論だとして居た。
石原は満洲事変には其の対ソ連観から大いに努めたけれ共、之を拡大し支那事変に導くが如き考え方には反対した。之が為に追われて晩年不振であったが、彼の作らしめた産業五カ年計画及び国内革新案は其の儘軍に保管されて居た。之を軍の新進気鋭の徒が読んで大いに之に共鳴し、世の所謂新人乃至革新派の連中に近付き之が実現の方策を練らしめた、所が此の新人の内に共産主義者が居り、彼等は軍を利用して其の理想を具現せんと決意し切りに軍の新進に取り入った。何しろ新人は頭がよく其の理論も一応条理整然として居るので軍の新進は何時の間にか之に魅せられ、国内革新を目標に、而して其の手段として長期戦争を企てるに至ったのである。
この魅せられた連中は参謀本部よりも陸軍省内に多く、現に北支事変の起った時も、参謀本部は常に政府の局地解決に同意し、この方針で指令したのだが、陸軍省に蟠踞する革新派が出先の軍と通謀しドンドン事変を拡大した。之には立派な証拠がある。今、企画院に居る秋永少将の如きも支那事変を早く治められては困ると云って来た事もある。要するに陸軍の新人は作戦上の必要に藉口し、独断で戦争を拡大し、之に依って国家改造を余儀なくせしめんと計画したのである(中略)。
要するに陸軍の赤に魅せられた連中は、政府や軍首脳部の指示を無視し、無暗に戦線を拡大し英、米との衝突をも憚らず遂に大東亜戦争にまで追い込んで仕舞った。しかも其の目的は戦争遂行上の必要に藉口し、我が国の国風、旧慣を破壊し、革新を具現せんとするのである。此の一派の率いる陸軍に庶政を牛耳られては国家の前途深憂に堪えない。
翻って所謂革新派の中核となってる陸軍の連中を調べて見ると、所謂統制派に属する者が多く荒木、真崎等の皇道派の連中は手荒い所はあるが所謂皇道派で国体の破壊等は考えて居らず又其の云う所が終始一貫してる。之に反し統制派は目的の為に手段を選ばず、しかも次々に後継者を養っている。速かに之を粛清しないと国家危うしである。
小林大将は、自分の微力は総理の任にあらざる旨を答えたが、かねてより岡田啓介海軍大将から陸軍内に斯くの如き恐るべき動きのある事を薄々聞いており]、近衛から改めて「陸軍統制派アカ論」を聞かされ、とにかく早く戦争を止めねばならないと痛感したのであった[19]。
同年4月、中野正剛と共に東條首相を批判していた三田村武夫代議士が荻外荘を訪問し近衛と会談した。三田村は1928年(昭和3年)6月から内務省警保局、拓務省管理局に勤務し、左翼運動の取締に従事しながら国際共産主義運動の調査研究に没頭した後、衆議院代議士となり、第七十六回帝国議会衆議院の国防保安法案委員会(昭和16年2月3日)では、日本の上層部が戦時防諜体制の大きな抜け穴になっていることを問題視して近衛首相を叱咤し、世間から危険視されても国家の為に徹底的に、第三国の思想謀略、経済謀略、外交謀略、政治謀略、中でも最も恐ろしい、無意識中に乃至は第三者の謀略の線に踊らされた意識せざる諜報行為に対する警戒と取締を強化するように政府(第二次近衛内閣)に要求していた[20]。
荻外荘の近衛を訪問した三田村は、戦局と政局の諸問題について率直な意見を述べ、「この戦争は必ず敗ける。そして敗戦の次に来るものは共産主義革命だ。日本をこんな状態に追い込んできた公爵の責任は重大だ!」と近衛を詰問したところ、近衛は珍しくしみじみとした調子で、第一次第二次近衛内閣当時のことを回想し、「なにもかも自分の考えていたことと逆な結果になってしまった。ことここに至って静かに考えてみると、何者か眼に見えない力に操られていたような気がする-」と述懐した[21]。
近衛文麿が小林躋造と三田村武夫に告白したこと及び三田村と警視庁特高第一課長の秦重徳から聴取したことと同じ趣旨の警告と反省が昭和20年2月14日には近衛から昭和天皇に上奏された。
三田村は、近衛上奏文を「近衛が自分の経験と反省を述べ、自分が革命主義者のロボットとして躍らされたのだと告白するもの」と評し[23]、敗戦後に長年にわたる自分の調査研究と政治経験、そして自分が入手した企画院事件、近衛文麿のブレーントラスト昭和研究会に結集していた企画院革新官僚および朝日新聞社出身のソ連スパイ尾崎秀実や三木清ら共産主義者の戦時中の好戦的な言動と思想、ゾルゲ事件、ソ連およびコミンテルンの世界戦略に関する多数の証拠資料に依拠して、近衛上奏文に該当する具体的事実を解剖し、近衛内閣の軍事外交内政政策の背後にソ連の対日諜報謀略活動があったことを指摘した[24][注釈 5]。三田村の資料と論究は1950年3月に「戦争と共産主義-昭和政治秘録」(民主制度普及会)として出版され、馬場恒吾(読売新聞社長)、南原繁(東大総長)、島田孝一(早稲田大総長)、小泉信三(元慶応義塾大学塾長)、田中耕太郎(最高裁判所長官)、飯塚敏夫(元大審院判事)の賛辞と支持を得た。これは後に遠山景久によって復刊され、晩年の岸信介(元首相)に大きな衝撃を与えた。
なお、2013年8月12日の産経新聞の報道によると、近衛が「軍部の一部にはいかなる犠牲を払ひてもソ聯と手を握るべしとさへ論ずるものあり。又延安との提携を考え居る者もありとのことなり」と警告した通り、統制派を中心とする陸軍中枢の一部(首相秘書官を務めた松谷誠大佐や参謀本部戦争指導班長の種村佐孝大佐など)は、ソ連に接近し、天皇制存続を条件に戦後、ソ連や中国共産党と同盟を結び、「天皇制と共産主義を両立した国家」の創設を目指す「米国ではなくソ連主導による終戦構想」を持っていたという。また、1945年6月に、駐スイス中国国民政府(蒋介石政権)の陸軍武官(国共合作をしていたため中国共産党員の可能性がある)が、米国のアレン・ダレス(CIAの前身組織である戦略情報局(OSS)欧州総局長)からの最高機密情報として「日本政府が共産主義者たちに降伏している」と重慶に機密電報で報告していたことが、ロンドンの英国立公文書館所蔵の最高機密文書によって判明したという[27]。
評価・解釈
日本国との平和条約発効後の日本では、近衛上奏文に対する様々な見解が発表されている。近衛は二・二六事件など1930年代中期のテロやクーデターの観察により軍部内の共産化を憂慮しており、1940年(昭和15年)には日中戦争の長期化で革命必至との認識を持っており、この認識は軍部の革新派が満州事変以後の戦争を計画したとする陰謀論へと転換されたという見解[28]、1941年(昭和16年)9月から翌年4月にかけて発覚したゾルゲ事件が近衛の対共産党政策への影響を与えたという見解[29]、「マルクス主義者であった近衛文麿がマルクス主義者ではないとの偽イメージを作る自己弁護の文書[30]」がある。
平間洋一は、日本政府がソ連を仲介役とした和平策に拘り米英との和平交渉を避け貴重な時間を空費しアメリカ軍に数十の都市を焼かれ原爆まで投下されてしまった理由として「近衛の言うように共産主義国家体制を戦後の政体と考える陸軍統制派、官僚や学者などがいたからである」と述べ、近衛上奏文を事実の暴露と解説し、レーニンの敗戦革命論に沿った彼らの終戦構想として、昭和二十年四月二十九日に種村佐孝大佐によって起案された「対ソ外交交渉要綱」や昭和十九年八月八日に種村大佐をはじめ参謀本部戦争指導班と陸軍省軍務課によって協議された「今後採るべき戦争指導の大綱に基く対外政略指導要領案」など陸軍の戦争指導に関する第一次史料を挙げている[30]。
塩崎弘明は近衛上奏文の内容は当時の皇道派、統制派など諸勢力の間での「党派的」な性格が強く、敗戦についての責任を統制派に着せようとしたものだと考える[31]。
鶴見俊輔によれば、近衛は戦争の進行を憂慮し日本の民衆に共産主義が浸透しているという危機感を強くしていたが、その懸念に反して太平洋戦争末期の当時の時点で実際に日本で投獄を免れて活動を続けられていた共産主義者(「偽装転向者」)が少なかったことは「終戦時の完全な静けさを見ても明らか」である[32]。
猪木正道は近衛は「深く信頼していた尾崎秀実がリヒャルト・ゾルゲと組んだソ連のスパイであったという深刻な個人的体験」に左右されていたのではないかとした上で、「何もかも共産革命の陰謀のせいにする近衛上奏文は、まことにグロテスクな文書」・「近衛の被害妄想」「"陰謀理論"の典型」であり、その結論は「全く現実から"解放"された夢の世界の考え方」と評する(ただし日本は戦争終結を目指すべきとした論点だけは正しかったとする)[33]。
秦郁彦は近衛上奏文の内容を日中戦争・太平洋戦争にまつわる一連のコミンテルン陰謀説の中に位置付ける[34]。秦は近衛がこのような言説を用いた理由について、戦争を食い止めるための方便とも考えられるが、藤田侍従長の手記の記述を踏まえると、近衛は本心からこの陰謀説を信じていたのだろうと推測する[34]。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E6%96%87
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林千勝の陰謀論を考える _ 日米戦争を策謀したのは昭和天皇か、近衛文麿か?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/457.html
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・明治維新は田布施の朝鮮人による日本の乗っ取りで、明治以降の日本政府は英米の傀儡政権だった。
・戦前の英米は日本の軍隊を使って中国を占領し、英米の植民地にしようとしていてた。日清・日露戦争、朝鮮併合、満州占領も宗主国の英米の指示通りに行ったものだった。
・日本政府は関東大震災で JPモルガンやウォール街の支援を受けて以降、アメリカ金融資本の手先となり、極端な新自由主義の緊縮財政を行ったので、日本経済は大不況になり民間人は食べていけなくなった。
・日本陸軍将校は反米、反自由主義の共産主義者ばかりになった。 2・26事件は共産革命だった。
・日本陸軍将校だけでなく。政界とマスコミにも共産主義者が沢山居て、コミンテルンの指示で、ソ連との戦争を回避し、その代わりに中国や東南アジアへの侵略を煽った。
・昭和天皇はヒトラー同様、 JPモルガンやアメリカ金融資本のエージェントで極端な反共ファシストだった。
・日中戦争が勝てそうもなくなったので、日本陸軍が共産革命を起こさない様にアメリカと八百長戦争をして、米軍に日本を占領してもらった。
・敗戦後に日本人が共産革命を起こすと困るので、米軍に日本の民間人を徹底殺戮してもらった。
・日本陸軍将校は共産主義者ばかりだったので、満州軍の兵士を武器・食料無しに太平洋戦争の最前線に送り餓死させた。
【昭和天皇の衝撃的発言】「原爆投下はやむを得なかった」 - YouTube
この記者会見の場で、
「エ・・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・、エ・・・・こういう戦争中で、あることですから、どうも、エー、広島・・・・市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」
と昭和天皇はコメントし、いきなり話題を変えて、「テレビは観ておりますが、放送会社の競争が激しく・・・」という意味不明のコメントを発して、原爆コメントを吹っ飛ばしている。
鬼塚英昭氏は、昭和天皇と同じカテゴリに、いわゆる「吉田反戦グループ」(ヨハンセン・グループ)や海軍大臣の米内光政を入れて、宮中グループとヨハンセン・グループとして理解する。米内は、原爆投下を「天佑」だとはっきり述べている。「しょうがない」という思いは、昭和天皇が1975年に発する前に、そして、思想的に複雑骨折を経ている戦後の久間大臣が誤解される形で、宮中グループとは別の意味で「しょうがない」と発言したよりも遙か前、戦争終結直前に米内によって表明されていた。
このグループが、皇室の財産保全のために、日本赤十字や、スイス銀行を使った資金の移し替えを行っている傍ら、終戦工作に乗り出していた。
さらに、このヨハンセンはグルーやスティムソン陸軍長官から、何らかの形で広島に原爆を投下するという情報を察知していた。
この根拠として、広島には陸軍の元帥・畑俊六がおり、畑元帥は原爆投下時に「松本俊一(外務次官)父君の別荘」にいて、司令部には出勤していなかったために、難を逃れた不自然さを挙げている。
広島に原爆を落としたのは、抗戦派の陸軍の第二総軍を壊滅状態に置くという狙いがあったという。
http://www.asyura2.com/07/senkyo40/msg/744.html
東京裁判での東條の証言「開戦は天皇が決定しました!」 - YouTube
【最終結論】結局、近衛と東條はどっちが悪いのか?
戦史研究会 2025/07/02
戦史研究会 - YouTube
https://www.youtube.com/@%E6%88%A6%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A/videos
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日本のアカデミズムや大学の研究者が絶対に言えない日本の歴史のタブー
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/29/182520
故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
2017/07/18
日本の真相・鬼塚英昭 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLjmXniq3us8SyiWkZDM2QN06SeJHNnSXQ
戦争はすべて八百長(00:38:51)
熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
殊にユダヤを中心とする国際金融マフィアが知り、天皇一族を操っている。(00:13:26)
秦郁彦(いくひこ)(00:13:40)
仕組まれた戦争 (00:15:35)
皇室スキャンダル (00:18:21)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)
死ぬまで侍従として息子(昭和天皇)のそばにいた (00:22:23)
住友と天皇家は、血族 (00:23:04)
秩父宮は、東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)の子供 (00:23:29)
天皇のための戦争(00:25:02)
戦争というものは、必ずどこかで企みがあるものなんです (00:25:04)
昭和天皇だけが、日本のストーリを全部知っていた (0:26:01)
真珠湾攻撃も大事なところで手をぬく (00:26:28)
海軍は、2年分しか石油をもってない(00:27:24)
パナマ国籍の船ならば、攻撃できない (00:28:34)
天皇が内通していた(00:31:38)
スターリンに発したい情報をつたえる (00:32:45)
天皇一族は、ゾルゲを野放しにする (00:33:15)
終戦工作と白州次郎 (00:33:39)
ヨハンセングループ (00:34:17)
日本の最高機密が、翌日には電報で全部流れていく (00:35:16)
日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると全て矛盾がなく納得ができるんです。 (00:35:30)
弟の公一に機密情報を流してソビエトに渡せと、ソビエトを安心させて南方政策を取る訳です。 (00:35:45)
火事場泥棒なんです。(00:36:15)
こじつけ無罪論(00:36:19)
明治天皇作とされる歌の真意 (00:37:05)
第二次世界大戦の総括をやっている(00:38:21)
戦争はすべて八百長(00:38:51)
戦争は継続しなければいけない (00:40:48)
天皇が被爆に加担した(00:42:23)
白洲次郎の秘密(00:44:17)
吉田茂の秘密(00:46:20)
こころの痛みを感じない者が日本のリーダーになる これを正さなければ未来はない(00:49:21)
キッシンジャーと中曽根(00:57:00)
使い捨て人形(コンプラドール)からの反乱(01:08:35)
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昭和天皇は JP モルガンのエージェントで極端な反共だった
鬼塚英昭 日本の真相 天皇のための戦争・天皇は内通していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/761.html
鬼塚英昭『海の門』に学ぶ
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/274.html
明治維新と太平洋戦争の真相
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html
みんな大好きな 白洲次郎さんの正体
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14103660
ヨハンセンと呼ばれた男 戦後最大の裏切り者 吉田茂と白洲次郎
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1049.html
原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A
昭和天皇の戦争犯罪問題が再燃すると困るから天皇一族は靖国神社に参拝できなくなった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/128.html
【昭和天皇】太平洋戦争との関わりは?意外なエピソード?その功績と罪を紐解く
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14150098
ディビット・バーガミニ _ 天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/760.html
天皇の戦争責任を暴いたバーガミニをアメリカが抹殺した理由は?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/751.html
明治維新以降、日本はイギリスやアメリカの手先として 動いてきた。
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14058621
漢民族系朝鮮人の天皇一族による極悪非道の世界侵略の歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003198
君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html
昭和天皇が戦争狂になった訳
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html
戦前の日本陸軍軍人は共産主義者ばかりだった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016765
太平洋戦争は共産革命を恐れた昭和天皇が英米支配層と組んで起こした八百長戦争だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016737
昭和天皇を震え上がらせた共産主義の恐怖とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/754.html
関東軍の中枢は共産主義者の巣窟であった。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1055.html
2・26事件は共産主義者の青年将校が起こしたクーデターだった
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/222.html
鈴木貞美『満洲国 交錯するナショナリズム』
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14104501
昭和東京カラー映像
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/781.html
馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html
米軍は何故日本に駐留しているのか? 日本は何故軍隊が持てないのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/575.html
「昭和恐慌」招いた井上準之助の愚行
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/883.html
昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/578.html
日本のアホ右翼は太平洋戦争はアジアを植民地支配から解放する為にやったというデマを流しているが…
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/157.html
太平洋戦争
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/764.html
ドキュメント沖縄戦
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/763.html
神風特攻隊~青年たち永遠の飛行
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/421.html
神風特攻は太平洋戦争が八百長だと見破られない為に昭和天皇が命令してやらせた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/564.html
「私たちがいま生きているのは特攻隊のおかげ」とかいう妄想
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/799.html
こんな女に誰がした (天皇陛下を恨んでね)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/332.html
昭和天皇はルーズベルト、マッカーサーとグルだった
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/731.html
戦争犯罪の証拠になる公文書を米軍の占領前にすべて焼却させた元法相 奥野誠亮
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/413.html
山本五十六はアメリカのスパイではない、昭和天皇の命令通りに動いただけだった
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/731.html
(書評) 東條由布子 (著)「 祖父東條英機「一切語るなかれ」 」(文春文庫)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/730.html
東條英機が語る天皇陛下
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/778.html
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戦前日本の軍国化は昭和天皇が主導していた
2.26事件は天皇兄弟の謀略
山本五十六の真実⑤鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密-2・26事件
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/700.html
DVD『鬼塚英昭氏が発見した日本の秘密』成甲書房より転載。
以下本文。
これからは2・26事件について語ろうと思います。2・26を追究して、いくらかでもその真実に近づけば、日本のこれからの未来のためにも役立ちます。2・26事件というのは若い将校たちが叛乱を起したと。で、その将校たちの叛乱を気に入らないというので天皇が怒り、数多くの将校たちが処刑されました。しかし、これには裏があります。今、私が秩父宮と昭和天皇は父親が違うということを喋りましたが、これは東久邇が喋ったことなんですね。
笠原和夫は広島のジャンク映画『仁義なき闘い』を初め、色々な芝居の脚本を書いて、それでなお昭和秘録というようなものに挑戦して、2・26にも挑戦します。しかし「2・26は映画になりきれなかった。書けなかった」と、彼は本の中で断念していますが、それはそうなんです。あれを追究すると映画にはなり得ないんです。なぜなら、あれは秩父宮が最初に仕掛けたクーデター劇なんです。これはもう他の人もみなさんご存知なんです。ところが真相は、秩父宮がある時点で若き将校たちを裏切るんです。それで彼らは行き場を失うわけです。
秩父宮が安藤輝三(てるぞう)という大尉に話を持ちかけます。これはまちがいない事実です。そして安藤は非常に冷静な男だったので断ります。しかし秩父宮は懐から懐中時計を出して「俺の真意を汲んでくれ」と言います。それで彼がリーダー格となり、若い将校たちを仲間に入れます。そして革命を起したときに、秩父宮は弘前に逃げます。そして安藤に言います「弘前で軍人たちを募ってやって来るから」と。それで安藤と仲間たちの将校は、秩父宮の言葉を信じて革命を起します。しかしその革命はみなさんがご存知のように失敗します。なぜ失敗したか?彼は途中で天皇の味方につくわけです。私はそう思ってます。それで失敗します。その結果どうなったのか?
結局2・26事件を起した連中は-それとその指導者たちは皇統派と呼ばれています。で、もう一つ統制派というのがあります。統制派というのあは陸軍16期生というのがありまして、陸士ですね、その中で1921年だと思いますが、10月にドイツのバーデンバーデンというところにある4人の男たちが集まります。そういう連中がドイツに集まった所に、東久邇が裏で緒を引いて、結局そこから統制派というのが生まれてくるんです。リーダーは暗殺された永田鉄山という男ですが、永田鉄山は途中で暗殺される。これが一番優秀な男だったわけでありますが、その連中が東久邇と秩父宮にそそのかされて、結局、日本をおかしな方向に持っていくわけです。で、日本はアメリカとソ連を敵対国とするんですが、統制派というのはアメリカを打倒しなければダメだという。まあこれは大体のストーリイですけど。で、皇統派というのはアメリカと戦っちゃいけないと、あくまで日本は敵を想定するならソヴィエトだということなんです。
これは大まかなストーリイですけど、そうした中で、みなさんご存知のようにゾルゲという男がいます。ソ連のスパイをやった男です。そのゾルゲを尾崎秀実(ほつみ)というのと、さっいいました西園寺八郎の息子の公一(きんかず)というのが、ゾルゲに秘密情報を流したというわけです。どんな本を読んでもそういうストーリイです。しかしこれは西園寺公一と昭和天皇が兄弟であったと私は申しました。西園寺八郎が妻に産ませたのが公一です。でその公一と昭和天皇は兄弟です。昭和天皇は木戸幸一を通すんですけど、自分の弟の公一に、ソ連のスターリンに向けて発したい情報を伝えるわけです。それを尾崎秀実という朝日新聞の記者が一緒になって、ゾルゲを却って誘惑するわけです。ゾルゲにおべらかしやインテリ女を与えて、ゾルゲを懐柔します。ゾルゲは女遊びをしてオートバイを乗り回してフザケた男ですけど、で、公安はぜんぶゾルゲをチェックしますけど、天皇一族はゾルゲを野放しにします。
ゾルゲは日本の一番重要な情報をぜんぶ手に入れて、スターリンに渡します。スターリンはそれを信じるわけです。だからスターリンは、日本がソヴィエトを攻めてこないということを知るわけです。天皇を初め統制派の連中ですね、永田鉄山が殺されましたから東条英機が首相になって、アメリカを攻めるストーリイは最初から作られたということなんです。戦争というものは必ずどこかで企みがあるものなんです。昭和天皇が、1938年12月ですから大戦が一年前、これは木戸幸一の日記に出てきます。木戸幸一にこういうことを言っています「もう世界大戦は始まる。そして最後に勝つのはソ連とアメリカで、他の国は全部潰される。日本も同じように潰される。だけど日本人は臥薪嘗胆して質実剛健を維持すれば、10年後には復活する」と。
これは見事に予言的中しているわけですよ。その一年後に第二次世界大戦が始まります。真珠湾攻撃をちょうど一年後にやります。10年後というのはちょうど講和条約の時です。だから考えようによっては、昭和天皇だけが日本のストーリイを全部知っていたんじゃないか、ということになりませんか? 僕はそう思います。で、戦争が始まる一年前に近衛が天皇に面会を申し込みます。天皇は拒否します。それで近衛が木戸に会います。これもまた木戸日記にちゃんと書いてます。近衛はどういうことを言ったかと。
「お前は天皇に言え。いいか。海軍は二年しか石油がない、戦争をすれば一年半持てばいいけど、まあ一年で終わる。陸軍は石油を一年分しか持ってない。この状態で戦争が出来るわけはない」と嘆いて木戸の許を去ります。木戸日記に書いてあります「俺もそう思う。戦争すれば負けるワイ」。これは木戸日記にはっきり書いてあります。
ところが実際は戦争は4年も5年も続いたじゃないですか。石油のない時代は、最後の一年間くらいは石油が尽きたけど、石油はあったんですよある程度。みなさんもご存知のように、ガダルカナルや何とかでいっぱい負けますけど、やっぱりあれは石油があったんですよ。なぜ石油があったか考えてみたことありますか。これはですね、戦争の時にアメリカが「日本には石油は売らない」。ところが「パナマ国籍の船ならば油を積んでいって日本に売っても、これは自分たちは攻撃できない」という理屈で、日本に石油を間接的に売るわけです。本当なんです。三菱が作った『昭和通商』という会社がそれを引き受ける。『昭和通商』と三菱は同じです。それではマズイというので『日本水産』(注 白洲次郎は取締役)という会社が代行するわけです。魚を運ぶということではなくて、魚の代わりに石油をパナマ国籍からもらって持って帰るので、戦争は長びくわけです。
◎鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』より該当箇所抜粋。
『多くの資料がソヴィエト連邦解体とともにクレムリンから出てきた。その資料から、野坂参三の過去がかなり暴かれた。世に言ういう二重スパイ説である。しかし、野坂参三が天皇のためのスパイであった、とする文書は闇に消えている。野坂参三が天皇のスパイ、アメリカのスパイ、クレムリンのスパイのみならず、国際金融同盟、すなわち、闇の支配勢力のスパイであったことは間違いのない事実である。』
『野坂参三は天皇のスパイから出発し、ついにクレムリン、アメリカ、そして国際金融同盟のスパイに仕上げられ、次に中国共産党の内部深くに侵入していくのである。その国際金融同盟がつくった太平洋問題調査会の第六回国際会議がアメリカのヨセミテで、1936年8月14日から29日の間に開かれている。この会議にゾルゲ機関の一味の尾崎秀実が日本側委員として出席している。』
『私は太平洋問題調査会の第六回国際会議に出席した尾崎秀実とのコネクションを野坂参三が手配していたと考える。太平洋問題調査会はロックフェラー一味、ロスチャイルド財閥、そしてソヴィエトの謀略機関であった。南進策がこの会議では討論されていない。しかし、「北進策を日本がとるべきではない」ことが討議されたのである。尾崎は帰国後、満州の軍事会社にいた日本共産党員に資料を作らせる。この背後にも間違いなく野坂参三がいたと思われる。この年の六月頃から年末にかけて野坂参三の行方は不明となる。私は尾崎と行動を共にシ、日本に帰国後、秘密裡に満州に入り、モスクワに帰った、とみる。』
◎私見では尾崎秀実を破滅に引き込んだのは吉田茂&白洲次郎である。
次郎のコネクションである牛場友彦と松本次郎が仲介役である。
『白洲次郎の幼馴染の牛場友彦(東大卒業後、オックスフォード大学入学、その後太平洋問題調査会IPRに入っていた)が近衛文麿に従い、二ヶ月のアメリカ旅行を行った。その旅には樺山愛輔(注 白洲の岳父)の国際通信社の取締役であった岩永祐吉も同行した。岩永の推挙もあったようだが、この旅で昭和12年に近衛の組閣に際して、牛場は近衛の秘書官となるのである。
牛場の証言によると、白洲次郎とは昔から”ジロー””トモ”と呼び合う仲であったが、昭和12年以降(注 白洲が日本水産の取締役になった年)その親密さは増し、白洲の近衛の政策ブレーン-後藤隆之助、西園寺公一、あるいは尾崎秀実など-との交渉も頻繁になっていった。』(青柳恵介『風の男 白洲次郎』新潮社より)
この牛場と松本重治次郎が白洲次郎の汚れ仕事の仲間である。
尾崎秀実を朝飯会に入れた牛場友彦・松本重治・白洲次郎は、
近衛文麿を排除すべく秘密工作もしている。
占領期になると三人は近衛を追い詰める工作をあれこれやる。
近衛の自殺は自殺という形の暗殺である。
前夜二人は白洲次郎に渡された青酸カリを持って近衛を訪問、
二時間余りも脅し強要して自殺させたのである。
『私は(通説とは)逆に、西園寺公一と原田熊雄たちが、天皇と木戸、近衛に踊らされていた、とみるのである。ゾルゲ・ルートで一方的に数万点の機密資料を垂れ流した天皇、木戸、近衛は、一方でソ連に日米和平の仲介を依頼すべく闇のルート(たぶん野坂参三のルート)で知らせ、その情報を讀賣新聞に流したのだろう。南進策こそはアメリカとイギリスとの戦争そのものを意味した。』
『私たち平成の世に住む人々は、あの時代の貧乏を理解できない。農村は働き手を兵隊にとられ、娘たちの多くは売春婦になっていった過去を知ろうとしない。天皇とその一族が優雅な生活を続ける一方で、日本人のほとんどは、どん底の生活に落とされていた。どん底に生きる人々を恐れている神の一族は、たえず何かを仕掛けなければ生きていけない。そこに暴力性が要求される。』
『2・26事件を私は、天皇と秩父宮が密かに練った偽装クーデターとの説をとる。秩父宮は密かに仙台から遠回りの鉄道を使い東京に出て来て、高松宮と会談し、その後で二人で天皇と会っている。この事件をいかに収拾するかについて話している。8月15日のあの事件と2・26事件は共通する。前者は三笠宮が策を練り、後者は秩父宮が策を練ったのである。天皇教はたえず暴力装置を作っては、それを策動して生きながらえてきた。どん底の人々は、大きく二つに分かれた。天皇教の側に立って共にその暴力装置に加担する一派と、その逆の立場の人々である。
統制派は天皇側について南進論を推し進めた人々である。皇統派はその暴力装置に対抗すべく日蓮宗に救いを求めた。軍人のほとんどが、軍人たちの一部(天皇教の暴力装置に組み込まれた軍人たち)を除き、アメリカと戦争する拙劣きわまりない行為を知っていた。それでも天皇とその一族は戦争を仕掛けるのである。その謎を徹底的に追究しようとして私は書いてきた。』
『ねずまさしは「天皇昭和紀(上)大日本帝国の崩壊」の中で「2月26日午前4時、第一師団の歩兵および第三連隊の営門から、部隊は堂々と市内へ出発した・・・・かくて彼らは、目ざす重臣五人を殺した、と信じて陸軍省などに引き揚げた・・・牧野は早くも旅館からのがれていたため、護衛の警察官が射殺され、旅館は焼かれた。西園寺ももちろん、ねらわれたが・・・襲撃直前になって突然中止した。」と書かれていることに注目したい。
牧野は数多くのテロの標的となってきた。しかしそのつど、直前にいつも逃亡に成功した。これは何を意味するのか。彼が背後でこれらのテロを操っていた黒幕であることを意味する。岡田啓介首相も難を逃れた。事前に彼の娘婿の迫水久常(終戦時の鈴木内閣書記官長)が岡田首相を連れ出すのである。迫水久恒は、皇統派と見られていた。実際は岡田のスパイだった。』
『このクーデターの首謀が秩父宮であることを書いた。このクーデターを、天皇、高松宮、三笠宮、牧野伸顕、岡田首相らが事前に知っていたのである。天皇は彼ら将校を「暴徒」と決めつける。天皇が最初から「暴徒」と断定しえたのは、密かに秩父宮と共同歩調を取ったからだと私は書いた。しかし、政府要人が数名殺されたり、傷を負ったから、2・26事件は本物のクーデターとして位置づけられ、誰も疑わない。ねずまさしも、である。』
『このクーデターと酷似するのが、あの8・15の「日本のいちばん醜い日」である。将校と兵隊のかわりに、将校と近衛兵を使った。リアリテイを見せるために、一人とはいえ、森近衛師団長を惨殺した。石原莞爾がいみじくも指摘した放送局を占拠するというマネまでもしたのである。この二つの偽装クーデターは、秩父宮と三笠宮の暗躍がなければ決して実行されなかったのである。真の首謀者の二人は未だに闇の中に消えているのである。』
『この事件の結果、どのように変化したのかを書いておきたい。北進策をとる皇統派の将軍・将校たちが主流からはずれ、東条一派-あのバーデンバーデンで密約した一派、東久邇宮と結ばれた一派-の統制派が軍の要職を占めるのである。統制派は南進策を主張する人々である。秩父宮は、自らが天皇になろうとしてクーデターを起させた可能性大である。笠原和夫もその説をとる。しかし、私は天皇と秩父宮が密かに結びつき、2・26事件を若手将校に起させ、南進論一本にすべく行動したのではないかと思っている。』
『この1936年が日本のターニング・ポイントになるのである。1936年、ゾルゲと西園寺公一と原田熊雄、尾崎秀実の暗躍。もう一つは日本共産党の野坂参三の動き。これらと2・26事件が糸のようにもつれあって連動したことは間違いないのである。2・26事件以降、天皇により軍紀がひきしめられる。天皇はその役を東条英機に命じ、陸軍大臣から首相に任命する。東条英機は佐藤賢了中将を軍務局の要職につけ南進策を推進させる。太平洋戦争への道である。』
『天皇は皇統派を一掃し、統制派を参謀本部に配し、ついに自らの住む御文庫の中に彼らを入れて太平洋戦争に突入するべく机上演習を始める。誰ひとり天皇に逆らえる者ない、であった。この机上演習の中から、真珠湾攻撃とシンガポール攻撃が登場してくる。そのために一番役立ったのがヴェルサイユ会議で日本に与えられた、委任統治権であった。天皇は太平洋戦争の前から、闇の権力者たちが創作した、世界のグランド・デザインをどうやら知っていたらしい。近々日本が「非常に苦心せざるべからざる環境に置かれる」とは、戦争以外のなにものでもない。大戦後に、まさしくアメリカとソ連が世界を二分する大帝国となることも知っていたらしい。それにもまして「十年を覚悟し」さえすれば、「有終の美を挙ぐる」とは、敗戦後五年で、1950年に講和条約ができ、日本は再び独立国となる、ということであろう。そのために、一年後に戦争に入るべく努力をしているのだ、と天皇は語っているように思える。』
『その裏に見え隠れするのは、「木戸よ、このようにして日本を導かなければ、天皇一族の運命が風前の灯となるのだよ。お前も協力してくれ」との天皇の哀訴である。大室寅之祐の代から天皇ニス変えた木戸孝允の孫の木戸幸一は、「天皇と一蓮托生の命である」と答えたのではないのか。天皇はあるルートから、一枚の極秘文書を渡されたと私は考える。その文書に木戸に語っていた内容が書かれていた。「有終の美を挙ぐるは困難ならず」とは、「敗北しても、天皇の命は保証され、国体は護持する」との確証を得たとのことではないのか。日本の国民の民草に天皇が思いを馳せる素振りをするのは、「終戦の詔書」の中だけである。それも見せかけ以外のなにものでもない。』
『天皇が脅されてなんかいなかったと思っている人が多いであろう。私はルーズヴェルト大統領も、チャーチル首相も、スターリンも、闇の支配者たる国際金融資本家たちのグループに脅され続けていた、と書く。天皇においておや、である。まことに日本は国際決済銀行(BIS)により、利益追求システムの中に組み込まれ、ついに必然的に戦争状態の中に入っていく。戦争は巨大なマネー・ゲームである。ヒトラーもスターリンも、それを知り尽くしていた。ルーズヴェルトとチャーチルはマネー・ゲームをさせられていたのである。天皇が仕掛けた南進策は、巨大なマネー・ゲームの創造であった。この面を考察しないから、私たちの日本史は欺瞞だらけのエセ日本史となっている。』
『天皇と祖の一族は、三井、三菱、住友らの財閥と組んでマネー・ゲームをしていたのである。それゆえ、国際決済銀行に日本銀行と横浜正金銀行が参加したわけである。ひと度、この銀行組織に加入してから天皇とその一族は、国際金融のグループ、主としてロスチャイルド財閥の手の内に落ちていったのである。ドイツのアフリカでの敗北を見こして、日本の役員たちも、スイスという黒い貴族たちの巣窟でマネー・ゲームに興じ、天皇のために金を稼ぐのである。戦争がいちんばん金のもうかるゲームであることを天皇ヒロヒトほど知り尽くした人物は日本にはいなかったし、これからも登場しないであろう。』
『第二次世界大戦はどのように仕掛けられたか。その第一はヴェルサイユ講和条約にあった。日本は統治諸島を手に入れた。ドイツの賠償金を受け取るとの名目で、国際決済銀行ができ、ドイツに秘密裡に多額のドルを貸し与えた。そしてナチス・ドイツを育てた。共産主義の恐怖を煽る一方で彼らは太平洋問題調査会をつくり、中国を共産主義にすべく動いた。日本の天皇の野坂参三を使い、共産党国家中国の援助をした。これらはすべて、マネー・ゲームの面を持っている。これらの動きに国際決済銀行がからんでいるからである。彼ら、この国際決済銀行を実質ッ的に支配する国際金融同盟は、次々と日本に甘い汁を与え続けた。青島の中国銀行の倉庫に大量のヘロインがあった。これから軍人たちはヘロインやアヘンの売買をやって大金を稼ぐ。すべては彼らユダヤの国際金融資本家たちが考えた、日本を戦争に導くための甘い汁だった。満州国建設の金は麻薬によったと認めるべき時がきているのだ。』
『1945年10月にGHQが発表した皇室財産は37億2千万円。日銀物価価格で計算すると311倍となり、7912億円。東条の10億とか15億がいかに天文学的数字であるかが分る。今の貨幣価値で数千億円の金を、東条はアヘン取引で稼いでいたことになる。これが戦争なのである。国民の大半が飢餓線上にあり、住む家も焼かれていたとき、天皇から首相に任命された男は天文学的な利益を上げていたのである。三井と三菱はペルシャから年ごとに船を出し、アヘンを仕入れ、朝鮮に送った。それをアヘンかヘロインにして中国人に売りつけた。その金の大半は天皇と三井、三菱の懐に入った。その一部で国際決済銀行を通じてアメリカから必要な軍需物資を仕入れた。戦争を長引かせるよう、国際決済銀行を実質的に支配する国際金融同盟が天皇を指導したのだ。天皇とその忠実な部下である東条英機首相は、戦争を長引かせることで天文学的は利益を上げた。麻薬を売りつけ、その上がりで軍人たちはメシを食っていたのに、何が大東亜構想なのだ。』
『木戸は警察関係の連中と三日に一回ほどの頻度で会っている。これらはすべて天皇に上奏され、また天皇から伝送される。平和運動を抑圧し、終戦工作を妨害しつづけたのは、天皇ヒロヒトその人であったことを理解しないと、戦争の本当の意味が分らない。日本人だけが、昭和天皇を「無私の人』だち思っている。真実はまったく違う人間であったことは、ほぼ間違いのない事実である。戦争がマネー・ゲームであることが理解できたであろうか。田布施のこのグループにやがて、吉田茂が一族として加わってくる。上海にいたサッスーン、ジャーデイン・マセソンというロスチャイルド財閥から援助され財をなした吉田健三は、ある長崎の女郎が生んだ子どもを養子にする。吉田茂その人である。その子が長じて東大法科に裏口入学し、牧野伸顕の娘と結婚する。満州利権を守るため、田布施村の一族と血の契りを結ぶ。のちにヨハンセン・グループを作り、天皇の承認のもとに、アメリカ大使のジョセフ・グルーに極秘情報を流し続ける。こうして、、マネー・ゲームは続くのである。』
再び鬼塚氏のDVDの続き。
そしてある時になって、「石油はやらない」という時になって、天皇は気がつくわけです「ああ。ついに終わりが来たか」と。ね。これが真相なんですよ。近衛とか木戸はその辺を知らなかったんです。天皇と一部の大本営、『御文庫』といって、天皇の宮殿内の地下深くに『御文庫』をつくり、そこに大本営を置いて、毎日毎日「今度はここ行け」「ここ行け」指図した。それを指図が出来ると、東条に渡すわけです。東条は御文庫の中に入れない。そういうシステムで戦争が進んでいる訳です。最後に天皇も「もう尽きるところまで来たな」って、天皇も終戦工作に入る。終戦工作に入るのはロシアを通して入ろうと、ロシアを通して終戦工作に入りますけど、上手く行きません。
終戦工作は白洲次郎という男が全部絡んできますけれど、これが終戦工作をやります。ヨハンセン・グループというのがやります。ヨハンセン・グループというのは、吉田反戦グループといいます。それでヨハンセンとなります。アメリカ人の暗号名です。「ヨハンセンから連絡があったか?」。ヨハンセンというのは吉田と樺山愛輔という貴族と、その中に連絡係りの白洲次郎がいます。彼らがグルーからも貰うし、別のルートからもデータを貰い、まだ御前会議で戦争を遣る最後の会議の時にも、御前会議が始まると次の日にはもう、グルーを通してアメリカの上層部に日本の最高機密が流れていくわけですよ。これが日本の現実なんです。ね。
で、白洲次郎が『カントリー・ジェントルマン』とかいって、戦争のときは鶴川の山の奥で農業をやっていたというのは全部デタラメです。これは『日本水産』の社長であった有馬というやつがいますが、これも貴族ですが、『日本水産』のトップですが、この男の日記にダーッと出ている。「また白洲が来た。とんでもないニュースを持って来た。アメリカがどうのこうの。何で彼はこんなことを知ってるんだろう」ずーっと出てきます。そういう事なんです。で、結局ですね、最初から日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると、すべて矛盾がなく納得できるんです。だからゾルゲを使って、天皇は弟の公一に機密情報を流してソヴィエトに渡せと、で、ソヴィエトを安心させて南進策を取るわけです。で南進政策を取ッとる時に、木戸が日記に書いてますよ。「おい、火事場泥棒をしたな」「へい」と木戸が言うわけですよ。「火事場泥棒も時によってはしょうがねえなあ」と天皇が木戸に言ってんです。火事場泥棒なんです。ね。
あのおとなしいような天皇は非常に頭が良くてですね、昭和天皇はズル賢くてすべて計算してたわけです。だから日本をアメリカとの戦争に持っていくよう仕組まれたら、それに応えるよう敢えて真珠湾攻撃の大事なところで手を抜くわけなんです。だからあれは山本五十六に命じますけど、山本五十六は言ってんじゃないですか。「一年くらいは持つ。勝った勝ったと言うだろう。だけど後はもう知らん」。そしたら天皇はそれでもいいからやれというわけですよ。やらないと自分の身が危ない。スキャンダルをみなバラされて、全部失う。スイスに貯めた金も失うと。
もう一つ、石油を買うお金は何処から来たかということですが、日本は南方に攻め込みます。中国はもちろん、ビルマからタイからダーッツと行きます。あすこにある金銀財宝をカッさらいます。そして日本に持ち帰ります。それを金を溶かして丸福といいます。丸に福が書いた名前の金貨をつくり、それを持ってフィリピンとかに行って、農家の人に渡して食料を得る。アメリカ軍は自分の国から大きな船で食料を運ぶんですけど、日本はそんな余裕はないわけで、現地調達をやります。フィリピンで現地調達をするのに軍票というのが、こんなの受け入れません、フィリピンの百姓たちは。それで金貨をやります。「そんならしょうがない」って言って、米をもらったり野菜をもらったりして、何万人の兵隊たちがフィリピンの農民から肉や魚を買います。これが戦争なんです。
で、もう一つ、その金貨を黄金をインゴットにしてスイスに送ります。スイスでスイスフランかドルに換えます。そのスイスフランかドルを・・・国際決済銀行というのが出来るわけです。第一次世界大戦の後に出来ます。その決済銀行を通して、日本はアメリカにパナマ国籍で金を払い石油を貰うと。で、アメリカとその石油で戦争をします。太平洋でいっぱい戦争をしました。あれはアメリカの石油をもらって、アメリカの石油を使った軍隊と戦争ごっこをやったということですよ。ドイツも同じです。戦争するのにドイツは分るように石油は出ません。石炭は出ます。で、ドイツのヒトラーが言います。「戦争をしろというけど石油が無い」って。ロイヤル・ダッチッシェルというところのデイターデイングというユダヤ人がヒトラーに言います。「石油は渡す。やれ」って。「誰が持ってくる?」「オナシスというやつのタンカーが来る」「戦争してたら沈没したらどうするんだ?」「オナシスの船は絶対沈没しないから心配するな」。で、戦争中ずっともらいます。
じゃあヒトラーはどうしてスターリンの所に攻め込んだんだ?というと、途中で言われます。「もうやらない」って。じゃあヒトラーはどうしたらいい?スターリンのところへ行って石油を取ばいい。それでヒトラーはロシアを攻め込んで、石油基地を奪おうとして行く過程で滅ぼされます。日本も同じです。イタリヤはどうか?ムソリーニはヒトラーに言われます「一緒に戦おうよ」。ムソリーニは言います「オレは石油がない」。ヒトラー「俺はシェルからもらえるけどお前はシェルからもらえないのか?」ムソリーニ「シェルはオレにくれるといわない」。それでもヒトラーとムソリーニは協定を結んでたから、ヒトラーが戦争を始めた以上、ムソリーニもやらざるを得ません。すぐムソリーニのイタリヤは潰されます。これは石油がないからすぐ潰されます。
戦争というものの実態は「物事はすべて必然性がある」んです。大きな出来事は偶然性で発生するものは何もありません。第一次世界大戦も今いった第二次世界大戦も、ぜんぶ八百長なんです。八百長システムが見事に働けば戦争は長引くんです。戦争は長引くんです。だからノルマンデイー上陸作戦というのがあります。あれは第二次世界大戦が始まって、すぐルーズヴェルトが「勝利の計画」というのを立てます。ウエデマイヤーという優秀な男がいまして、これが計画を立てます。ウエデマイヤーは戦争が始まって一年後に、ルーズヴェルトやステイムソンやらマーシャルやらみんなを説得します。「戦争はこれで終わりです。ヒトラーを、ナチスらを、やっつけましょう」。ね、一年後ですよ。
それがなぜ延びたか?上層部の連中が「No」と言います。誰が「No」と言ったか。スターリンもチャーチルに「これで戦争は終わりやなあ」と。モロトフもチャーチルに会って確約をもらい、ルーズヴェルトに会って「戦争は終わり。終わらせないとみんな可哀そうやな」。でも最後にチャーチルがみんなに言います「戦争は継続しないといけない」。でルーズヴェルトは魂消ます「なぜだ?」って。
チャーチル「戦争は継続しないといけない。継続しないと金儲けに繋がらない。それでアフリカ作戦に切り換えよう」って。アメリカ人は分りません。そこでアイザンハワーという男が登場します。これがウダツの上がらん男です。フィリピンでマッカーサーの下でずーっと中佐であった男です。この男が呼び出されるわけです。で、ヨーロッパに派遣されて、一気に中佐、大佐、少将、中将、大将、元帥と一年足らずの間に元帥になって総指揮官になります。完全なユダヤ人です。ルーズヴェルトがヨーロッパに行った時に、アイゼンハワーに会います。アイゼンハワーの顔を初めて見たといいます。大元帥の顔をね。で、アイゼンハワーはイギリスの連中に応じます。イギリスの貴族たちが(戦争終了に)反対するわけです。
僕はこれを『20世紀のファウスト』に書いたんですけど、何と悲しいことよと。人間の命なんかどうでも良い連中が、ゴロゴロいるわけですよ。ルーズヴェルトでさえ嘆いているんですよ「戦争が終わるのになぜ終わらせないのか?」。そうこうしているうちに、まあ後で話しますけど原子爆弾ですね、原子爆弾が完成しなかったんですよ。予定通り。これが完成間際になってヒトラーも手を挙げます。で終わります。で日本は「まあ~だだよ」とステイムソンが言うわけです。「まだガマンしとけ」。そして原爆が完成して、同時にスケジュールが出来た。と同時に何が起きたかというと、天皇は広島に第二総軍を作って、畑という男を入れます。ね。怖い話じゃないですか。
それで戦争を始めるように仕組まれてるわけですよ。僕がいちばん日本人の作家たちが書いた本を読んで情けないと思ったのは、御前会議ですけど、次の日にはもうアメリカは内容を全部知ってます、これは吉田茂が樺山愛輔に流し、樺山愛輔がグルーのところに持って行って、グルーが電報で打って全部次の日には・・・グルーも『回想十年』で書いてます。「ヨハンセン・グループにもらって全部やった」て。まあ後に翻訳されますけどね。まあ僕は昭和史を読んでて「悲しいなあ」て思ったのは、昭和天皇が御前会議の席上、戦争をやれというとき「分った」と。で、杉山元(はじめ)という参謀長に言います「勝てるか?」。「勝てるかどうかはやって見ないと分りません」。すると天皇はみんながシーンとしている時に「四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思う世になど波風の立ち騒ぐらん」と読んだ。で、それが戦後になって昭和天皇が戦争に反対した証しだとか、昭和天皇は戦争に責任がないという一番の証拠にされるわけです。この歌を以って反戦の歴史学者もみな賛成するわけです。
井上清やら『人間の条件』を書いた五味川純平もその歌を以って、天皇はやっぱり反戦主義者であったことは認めるということになるわけです。五味川純平の書いた『御前会議』という本があります。『人間の条件』を書いた男が『御前会議』というのを書いてね、その時僕は思いました(彼らは何とダマされやすい歴史学者なんだ・・・)と。これはちょっと歴史の勉強すれば分るんですけど、この歌は戦意高揚のためにずうっと歌われてきたんです。日露戦争の時に天皇が詠んだとされて、ずうっと戦争高揚の歌でやってたのが、突然、戦後になって一部の天皇の周辺の者が「あれは天皇が反戦の意を伝えた」と言ったら、みんな(以下)同文なんです。何て情けないんだ。なぜ歴史を勉強しないのか。
この歌は井沢匡(ただし)というドラマの脚本化が書いたり小説書いたりするのがおりまして、この人は『維新・明治天皇伝』というのを書いています。この中でこの歌は、西南戦争の時に天皇が西郷隆盛を偲んで詠んだ歌だとされてんですよ。飛鳥井雅道(あすかいまさみち)という歴史学者も、井沢説と同じなんですよ。まあ一部は違いますけど。『日露戦争』というのがあるんですけど、これは西南戦争の時に「やっとこの世の中で幸せが来ると思ったのに、自分を助けてくれた西郷は死んでしまった。何と悲しいことだ」という歌なんですよ。「四方の海みな同胞」というのは、「四方の海」は四つの海で四海、「同胞(はらから)」というのは「同胞(どうほう)」なんですよ。「四海同胞(しかいどうほう)」ということなんで、「四海同胞」とは僕たちは簡単に言いますけど、これはずい分前から「同胞(どうほう)」というのは結局、部落民を指す言葉なんです。あんまり良い言葉じゃないんです。天皇のような貴きお方が喋る、歌にするような文句じゃないんです。
足利尊氏が室町幕府を作りますが、その時に負けた楠とか新田の一族が「散所(さんしょ)」「別所(べっしょ)」というんですが、閉じ込められるんですよ。一定の場所に。もう反乱を起さないように。で、それで彼らは部落民になるわけですよ。楠一族とか新田一族は部落民になるわけです。その時に四海同胞衆というのが、彼らの世界から生まれてくるわけですよ。閉じ込められた人間が解放されたと言って、で、そこから坊主になって解放される道があると言って、坊主が沢山生まれてきます。そういう意味なんです。だから明治天皇がこういう風に「俺たちは部落民としてガマンしてきた。四海同胞市民として生まれてきたけど、やっと迎えられたのに西郷は死んでしまった」という歌なんですよ。それを「日露戦争の時に明治天皇が作った」という歌にして、それはそれでいい。戦意高揚の歌だんですよ。八紘一宇の代表的な歌として、ずーっと歌われてきた。で、戦争前まではそれで筋が通ってきた。色んな人がこの歌を、子どもたちの教科書に載っている歌でさえ(戦意高揚の歌として歌ってきた)。
戦争が終わって一部の軍人たちが「反戦の歌を詠んだ」となると(今度は)ずーっとそうなるわけです。何と情けない話じゃないですか。今でも、そのさっき言いました秦とか、そういう連中はみな、この歌を以って「昭和天皇は反戦の意を唱えたけれど、軍人たちは天皇の意に反して戦争をしたんだ、軍人たちがけしからん」ということで、第二次世界大戦の総括をやっているわけですよ。で、その意に逆らう歴史家は未だにいません。私は一人だけ逆らってますけど。どうかみなさんも真実を知って、簡単に人の言うことを、権威者の言うことを信じないでください。これは大事なことなんですよ。
以上転載。
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幸徳秋水、堺利彦、荒畑寒村 、神近市子 等の人物については以下のスレを見て下さい:
栗原康『大杉栄伝 永遠のアナキズム』、『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』
https://a111111.hatenablog.com/entry/2026/05/26/023812
映画 吉田喜重『エロス+虐殺』(日本アート・シアター・ギルド 1969年)
https://a111111.hatenablog.com/entry/2026/05/23/143034
目次
1. 映画 吉田喜重『エロス+虐殺』(日本アート・シアター・ギルド 1969年)
2. 大杉栄
3. 幸徳秋水 - Wikipedia
4. 堺利彦 - Wikipedia
5. 荒畑寒村 - Wikipedia
6. 堀保子 - Wikipedia
7. 伊藤野枝 - Wikipedia
8. 辻潤 - Wikipedia
9. 青鞜 - Wikipedia
10. 神近市子 - Wikipedia
11. 日蔭茶屋事件 - Wikipedia
12. アナキズム
「エロス+虐殺」について

「エロス+虐殺」(1970)は、かなり面倒くさい映画である。性格も関係もこじらせまくった登場人物たち、3時間半にも及ぶ尺の長さ、観念的かつ哲学的な台詞回し、露光オーバーの強烈な映像美、ATGの最盛期を誇るような実験的な演出、本当に何から何まで面倒くさい。しかし同時に、こんなに高品質に磨き上げられた完成度の高い映画は、日本ではもう二度と作られないだろう、と誰をもうならせるパワーがある。一柳慧によって前衛的に加工されたクラシカルな音楽と、「エイプリルフール」によるサイケデリック・ロックも、この作品の値打ちを底上げしている。観ておいて損はない作品である。
これは吉田喜重監督によって、大正時代に実在したアナキストの大杉栄と、その愛人であり、婦人解放運動のアクティビストであった伊藤野枝のスキャンダラスな愛と最期を、史実に忠実に描かれたセミフィクションである。二部構成になっており、前半は「甘粕事件」(憲兵による主人公らの虐殺)に至るまでを描き、短いインターバルを挟んで、後半は「葉山日蔭の茶屋事件」(痴情のもつれによる刃傷沙汰)に至るまでの過程を描いている。冒頭において、伊藤野枝のバックグラウンドや、辻潤との生活、平賀哀鳥(平塚らいてう)や大杉栄との関係性などについて、説明的な台詞で明らかにされるが、あまりに事情が込み入っているため、あらかじめ史実を把握して観ないことには、ただの面倒くさい映画である。
この大正時代のセミフィクションと並行するように、現代(1969年当時)の若い男女の実態に迫るエピソードが度々挟まれ、二重のストーリーラインが交互に描かれる構図となっている。大正時代を生きた二十歳の伊藤野枝と、現代を生きる二十歳の束帯永子の、二人の生き様や環境の対比は非常に面白いのだが、大正時代の部分は普通のドラマとして表現されているのに対し、現代劇の部分だけが何故か、ATGの真骨頂である前衛芸術と観念論がフル回転で展開していくので、観ているだけでかなりのエネルギーを消耗する。実際、現代劇を織り込んだ意味がわからない、大正時代の愛憎劇のみで良かったのでは、という批判的な声が多く上がっているようだが、やはり、大正時代の部分のみでは、何の変哲もない映画になってしまって、もったいないような気がしてしまうのである。
まず冒頭から、観る者の気持ちを挫くような、大いに観念的で面倒くさい文章が表示される(下記)。
「春三月縊り残され花に舞う と吟じた大杉栄と乱調の美の生涯を生きた伊藤野枝の叛逆とエロトロジーについての若きわれわれ・私それともあなたのアンビバランスな加担に至る頽廃の歓びのあるトーキング」
と、まぁ読むのも面倒くさい文章である。しかし、タイトルバックに流れる一柳慧の音楽が、鳥肌が立つほど素晴らしく、ぐいぐい引き込まれてしまうので、もうその悪文の意味を読み解くしか仕方ないのである。私の独断と偏見で翻訳を試みたが、これが精一杯にこねた屁理屈である(下記)。
「『春、三月。幸い獄中にいた為、大逆事件の検挙を免れて、絞首刑にされる事もなかった自分だが、出獄し、幸徳秋水ら我が同志たちの刑死を知り、私の心は砕け散り、風に舞う桜の花びらとともに、吹かれ消えゆく』という哀悼の歌を詠んだ大杉栄と、
時代の「新しい女」として、従来の隷属的な女性像に挑み、美しく破天荒な人生を送った伊藤野枝、
そんな二人の革命と性愛の追求について、
現代に生きる全ての人々には、
相反感情を与えつつも理解と共感を呼ぶ、
破綻していく自堕落な悦楽を描いた物語り」
現代劇の部分の音楽を提供した「エイプリルフール」とは、後にYMOなどでも活躍した細野晴臣氏も所属していた、当時人気のプログレ・ロックバンドである。雰囲気たっぷりなブルースのようなジャズのような、サイケデリックな音楽をオファーしている。しかし、何より素晴らしいのは一柳慧によるテーマ曲である。バイオリン2挺、ピアノ、チェロの四重奏による憂いのあるクラシカルな楽曲の上に、打楽器の鈍い金属製の音、きつく張りすぎた弦を爪引くような音が響くのだが、そのリズムを外した不協和音のような音は、耳障りと心地よさの間に丁度良いゆらぎを生み出していて、癖になる。タイトルバックで喜重監督の名前が出るあたりで、クラシカルな楽曲のエンディングに数拍遅れて、張りつめた弦の「ラシドレミソ#ラ」が、楽曲といきなり調和するのである。その絶妙のタイミングには、聴くたびに鳥肌が立ってしまう。こういった映画音楽も、日本ではもう二度と作られないかも知れない。ちなみに、この一柳慧氏はオノ・ヨーコの最初の結婚相手である。
さて、アナキストもしくは無政府主義者というと、完全な自由を目指し、人間を統制する政府や権威を拒絶し、故に国家転覆を目論むテロリストといった、不穏な輩のイメージである。私有財産を無くし、資本家による「支配」と無産階級の「被支配」という体系を解体し、つまりは貧富の格差を無くすことを理想とする点においては、その政治思想は社会主義と似て非なるものか。現に北欧は社会主義国家として機能しているし、無政府状態の下にすべてを共有するコミューンも過去には世界にいくつか存在した訳で、決して奇想天外で非現実的な思想ではない。むしろ、国家権力に盲目的に従属するだけの大衆を主体とする時代の大きなうねりの中で、こういった批判の声をあげる、つまり独自の思想を持った人々が日本にいたことは特筆すべき点である。
ナショナリズムに沸き、戦争に傾いていく政府を批判し、非戦論および反戦論を掲げた彼らは、後の太平洋戦争を阻止できたかも知れなかった、唯一の歯止め的存在であっただろう。しかし、政府の思想弾圧および言論封殺に加え、大逆事件や甘粕事件などのように、特高警察や憲兵隊によって、邪魔者は早い段階で抹殺、根絶されてしまった。
しかし皮肉なことに、彼らの理想は、敗戦によってある程度叶えられてしまうのである。戦勝国の持ち込んだ民主主義に基づき、新しい憲法が作られ、女性に選挙権が与えられ、財閥が解体させられ、農地改革により私有財産(土地)が富める者から貧しい者たちへ分配され、儲けた者から税金を多く取って貧しい者たちへ分配されるようになった。そんな現代社会で安穏と生きる私たちには、明治時代、大正時代のアナキストや社会主義者たちの、生死をかけるほどの情熱を想像することは難しい。そんな彼らの一面を、本作は垣間見せてくれる。
本作で登場するのは実在した人物たちだが、公開時にまだ存命であった方々の名前は一部変更されている。平塚らいてうは「平賀哀鳥」、荒畑寒村は「荒谷来村」、神近市子は「正岡逸子」となっているが、すでに鬼籍に入っていた大杉栄、伊藤野枝、辻潤、堀保子、堺利彦は本名のまま登場する。
大正時代の前半部分については、脚本が意外と史実に忠実に書かれていて驚かされる。当事者たちによる暴露本をはじめ、新聞記事や著名な友人たちのメモなど、資料が多いのが一因だろう。冒頭で、大杉栄が伊藤野枝の手紙の返事を書かなかった件、伊藤野枝とキスをしたことを大杉が愛人の神近市子にわざわざ伝える件、伊藤野枝の夫である辻潤が野枝の従姉妹(千代)と浮気をする件、そのことを知った野枝が烈火の如く怒る件、大杉の自由恋愛主義を認めない荒畑寒村と決別してしまう件、野枝が一旦は日蔭茶屋を去るも「鍵を失くした」などと言って戻ってきてしまう件、事件の夜の大杉は風邪で熱っぽかった件、大杉が刺された後も卒倒するまで神近を追い回す件、などどこかで読んだことのあるエピソードばかりである。
現代と大正時代が交錯するフィールドの場面で、ラグビー選手らと着流しのアナキストたちが、大杉栄の遺骨を取り合いしているが、これも大杉栄遺骨奪取事件という実話にインスパイアされたものだろう。甘粕事件発覚後、アナキストの仲間たちが、大杉の死を悼む通夜の場を設けたところ、甘粕大尉を支持する右翼団体の者たちがまぎれ込み、哀悼の場を邪魔するために、お焼香を装って大杉の遺骨を盗み出してしまった、というハプニングである。
また、野枝が大杉と別れると散々豪語しておきながら、大杉が数人の刺客たちに襲われているシーンが、現代の高速道路のような空間で描かれたあと、あっさり身を引くことを撤回してしまう展開となっている。これは、野枝の夢であり、孤立無援で戦う大杉のイメージではないだろうか。こんな場面を見てしまっては、大杉を切り捨てることは出来なくなってしまい、結局野枝は辻のもとから大杉へ走った、と世間に揶揄されるようになってしまうのである。
大杉が回想する牢獄のシーンは、男子寮のような空間で、優雅に思想討議をしているようにしか見えないのだが、これは実際に「赤旗事件」で投獄されていた大杉、堺利彦、荒畑寒村の獄中での様子を描いたものだと思われる。大杉の妻の保子が、頻繁に本などを差し入れしていたことも史実であり、堺がいち早く保子の訪問に気づくのも、何かの記録で読んだことがある。
「甘粕事件」については、大杉、野枝、大杉の甥の橘宗一(二人の子供だと間違えられて拉致された)の三名が殺される場面が、ドラマとして再現されるのではなく、舞台演出のように観念的に表現されている。一柳慧のテーマ曲をバックに、現代劇の部分に登場する若い男性が、内田魯庵著「最後の大杉」の一節を朗読するのである。その一節とは、大杉と野枝の死を、二人の長女魔子の目を通して綴られた箇所である。(内田魯庵の「最後の大杉」も青空文庫にて閲覧可能)
「葉山日蔭の茶屋事件」については、まず正岡逸子(神近市子)が大杉の首元を刺す、史実に沿ったバージョン。その後、大杉が短刀を手にして自ら腹を刺すバージョン。そしてさらに、伊藤野枝が大杉の首に短刀を突き刺し、殺してしまうバージョンの、3つのバリエーションで描かれる。これは芥川的「藪の中」効果を狙ったもの、と言うよりは、三人の関係はそれほど煩雑化し煮詰まっていたため、いつ後者の2つのバージョンが起こってもおかしくなかった、という趣旨としても取れるのではないか。つまり全員が同罪であるということか。
荒畑寒村が大杉の自由恋愛主義に反発するのは、寒村自身が痛い目に遭っているからではないか、と私は考える。寒村らが赤旗事件で二年ほど獄中生活を送っているうちに、寒村の妻、管野スガは寒村を裏切り、幸徳秋水と密通してしまうのである。皮肉なことに、管野スガが考案した「明治天皇暗殺計画」のせいで、大逆事件は起こり、幸徳秋水は死刑になってしまったのである。出獄後、寒村は女郎上がりの女性を妻に娶るが、二人は大変仲睦まじく、大杉の一夫多妻制を正当化するフリーラブ論には反発しかなかったのだろう。
葉山日蔭の茶屋事件については、当事者たちの告白的なエッセイも発表されており、それぞれの立場や言い分が明らかにされているが、諸悪の根源はやはり大杉栄ではないか、と私は思っている。大杉は何よりも個人の自由を主張し、一夫一婦制のような家族システムの抑圧を否定し、自由恋愛主義をかざして実践したが、日蔭の茶屋事件は、彼の理論が机上の空論であったこと、そのフリーラブの限界と破綻を公然と証明してしまったのである。
大杉は野枝に強く惹かれていく一方、キャリアウーマンである神近市子の財力に頼り、自分と正妻(保子)の生活費をもらっていたにもかかわらず、最後には神近をただの金ヅルのようにぞんざいに扱っている。大杉は恋愛に関しては、ダダイストの辻潤にも負けないダメ男ぶりなのだ。刺されても文句は言えない状況である。
いずれの登場人物たちも魅力的で、それぞれ興味を惹かれる要素があるが、私は中でも辻潤が群を抜いて面白いと思っている。この人はダダイストとして知られているが、仕事は何をやっているか良くわからない、いわゆる思想家であり、食うためだけの文筆家である。ダダイズムとは、「根底に虚無があり、規制の秩序や常識を否定したり破壊したりする思想」なのだそうだが、そんなダダイストである辻潤の、やる気のなさと根暗ダメ人間ぶりが突き抜けていて、逆に新鮮なのである。以下は青空文庫で拝読したものの抜粋である。
「僕の生活はまことに浮遊で、自分では生まれてからまだなに一つ社会のためにも人類のためにも尽したことがない位にバイ菌でもある(略)たまには僕のような厄介な人間一匹位にムダ飯を食わしておいたとて、天下国家のさして害にはなるまい。」(ふもれすく)
「自分はなによりもまず無精者だ。面倒くさがりやである。常に「無為無作」を夢みている。(浮浪漫語)
「生きていくことの面倒くさいことは今に始まったことではない。 (略)もし自分に『理想』というようなものがあればそれは『無理想』であり、人間が『動物』の自覚を持ってもっと無邪気に、屁理屈をいわず相互に自由に跳ねまわる世界を望むこと位のことだ。」(のつどる・ぬうどる)
「が、聴くところによると、乞食にも色々な集団があって、繩張を争うようなことがあるそうだ。 こうなると、無人島へでも一人で移住するより仕方がなくなるかも知れない。そして無人島で「無為無作」を続けることになると、その当然の結果として、餓死してしまうだろう。」(浮浪漫語)
そして、辻の最期は、本当に餓死なのであった。餓死するほど、何もしたくない人なのである。こんな無気力男の辻潤に、伊藤野枝のようなアッパーな熱量に満ちた肉食女子が手に負えるはずもない。ろくに働きもせず、野枝の収入で生活していながら、ダウナーでネガティブな文章ばかり書いていては、野枝が出て行ってしまっても仕方ないように思えてくる。しかし元を正せば、野枝が辻に惚れ込んで押しかけてきたのである。ぼんやりとしていた辻は、野枝という台風の目のような女の人生に、不可抗力的に巻き込まれてしまった、一被害者であるようにも見えてくる。辻は妻の出奔を下記のように表現しているが、辻の文章には、一貫して見栄も外聞も虚勢もなく、どこまでも謙虚で根暗である。それは逆に潔くて格好いいのかも知れない。
「野枝さんは至極有名になって、僕は一向ふるわない生活をして、碌々と暮らしていた。(略)野枝さんはメキメキと成長してきた。僕とわかれるべき雰囲気が充分形造られていたのだ。そこへ大杉君が現われてきた。一代の風雲児が現われてきた。とてもたまったものではない。(略)加うるに僕はわがままで無能でとても一家の主人たるだけの資格のない人間になってしまった。酒の味を次第に覚えた。野枝さんの従妹に惚れたりした。」(ふもれすく)
田舎から出てきたばかりの野枝は、洗練された辻の「マイ・フェア・レディ」となったが、いつしか辻を卒業し、巣立って行ってしまったのであった。そして、今度は現在の自分にふさわしい男、大杉と出会うのである。よくある話である。しかし、子供を棄てて別の男のもとへ走る行為は、現代においても、薄情で非道という醜聞のイメージが付きまとうのだから、当時、心のままに行動することは、よほどの勇気を要したことだろう。
「私がようやく一人前の人間として彼に相対しはじめた時、二人がまるで違った人間だという事がはっきりしてきたのです。(略)私は子供が少しずつ育ってくるにつれて、彼にはとうてい頼れないと思ったのでした。(略)しかし子供を持った三十を越した男が、今もまだ、自分が何をしていいか分らないといって手をこまねいているのを見ると情なくもなりましたが(略)」(成長が生んだ私の恋愛破綻)
このような当事者たちによる赤裸々な告白的エッセイは、青空文庫にて閲覧可能である。辻潤の「ふもれすく」、大杉栄の「自叙伝」、伊藤野枝の「成長が生んだ私の恋愛破綻」、「別居について」、神近市子の「豚に投げた真珠」、「引かれものの唄」など、これこそ「藪の中」といったそれぞれの主張と見解を知ることが出来て面白い。大杉の正妻、堀保子の手記も発表されたことがあるらしいが、海外にいる私にとしては、その入手には断念せざるを得なかった。
また、辻潤が「ふもれすく」の中で下記のように語るほど、当事者以外の多数の作家たちにより小説家されている。
「僕はこれまで度々小説のモデルになったりダシに使われたりしているが、未だ一回たりともモデル料にありついたことがない程不しあわせな人間である。野枝さんのことや、だが僕のことやそんな風のことが知りたい人は、僕のこんなつまらぬ話など読むよりも立派な芸術品になっているそれらの創作を読まれた方が遙かに興味がある。生田春月君の『相寄る魂』、宮崎資夫の『仮想者の恋』、野上弥生女史の『或る女』、大杉君の『死灰の中より』、谷崎潤一郎の『鮫人』――その他まだ色々とある。」(ふもれすく)
また、脚本に当事者たちの使った「言葉」がちりばめられている。冒頭、桜並木を大杉栄と伊藤野枝が歩きながら話すシーンで、「かくて窮鳥を懐に入れた辻君は恋妻としてこれを育てたが・・・(略)」という大杉の台詞があるが、実際、辻潤はエッセイ「ふもれすく」の中で「野枝さんが窮鳥でないまでも・・・(略)」と、野枝を「窮鳥」と表現している箇所がある。
また、日蔭茶屋にて「殺すしかありません」と迫る神近市子に対し、大杉は「そうか、ならいっそ馴染み甲斐に一思いにやってもらいたいな」と返答するが、これも大杉の著書「自叙伝」では、「私、あなたを殺すことに決心しましたから。」と言われ、「うん、それもよかろう。が、殺すんなら、今までのお馴染甲斐に、せめては一息で死ぬように殺してくれ。」と返している。本作では、「お馴染み甲斐」という聞きなれない言葉をあえて使っていて、芸が細かい。
また、現代劇の部分では、束帯永が子私服刑事に「五千円って言おうとしたの、そしたら吃っちゃって。吃るとカ行の発音が出来なくなるのよ。ガギグゲゴ。だから三百円って言っちゃった」と語るが、これは大杉が、後藤新平内務大臣に借金を願い出た際、本当は「五百円」と言いたかったのに、カ行の発音が苦手なので、思わず「三百円」と言ってしまった、という逸話に基づいたシーンである。
私服刑事が束帯永子に対して言う「苦悩する人間、彼らはすでに牢獄にいる」という台詞は、辻潤のエッセイ「にひる・にる・あどみらり」の中の一文、「人間は牢獄のようなものだ。」にインスパイアされたものではないだろうか。他にもこの刑事が饒舌に語る哲学は、まるで辻潤のダダイズムそのものである。
ちなみに冒頭の文章に出てくる「乱調の美」とは、大江栄のエッセイ「生の拡充」の中に登場する「美は乱調にあり、階調に偽りあり」という一文を取ったもので、カオスの中に美を見出し、つまらない予定調和に不信を抱くものである。伊藤野枝の半生を描いた瀬戸内寂聴の著書のタイトルも、この大杉栄の言葉に由来するものである。
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鬼塚英昭 日本の真相 天皇のための戦争・天皇は内通していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/761.html
鬼塚英昭『海の門』に学ぶ
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/274.html
明治維新と太平洋戦争の真相
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html
ヨハンセンと呼ばれた男 戦後最大の裏切り者 吉田茂と白洲次郎
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1049.html
日本の真相・鬼塚英昭
戦争はすべて八百長
https://www.youtube.com/playlist?list=PLqmTJzrn9P1LiaIrumDHgCaHQHU1OGj8x
https://www.youtube.com/playlist?list=PLjmXniq3us8SyiWkZDM2QN06SeJHNnSXQ
鬼塚英昭 日本の真相 天皇のための戦争・天皇は内通していた
日本の真相1 明治天皇すりかえ
日本の真相2 仕組まれる戦争・皇室スキャンダル
日本の真相3 天皇のための戦争・天皇は内通していた
日本の真相4 こじつけの天皇無罪論
日本の真相5 すべての戦争は八百長である
日本の真相6 操り人形がリーダーをする日本
日本の真相7 超天才の悪魔
日本の真相8 中曽根、正力工作員の原発
日本の真相9 原発・使い捨て人形からの反乱
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鬼塚英昭 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%A1%9A%E8%8B%B1%E6%98%AD
鬼塚 英昭(おにづか ひであき、1938年〈昭和13年〉[2] - 2016年〈平成28年〉1月25日[3])は、日本の著作家、竹細工職人、郷土史家。
家業の傍ら、自費出版で歴史書などの執筆を始める。菊タブーや国際金融、国際情勢分野を執筆し、タブーに切り込むことを好むノンフィクション作家として知られる[3][4][5]。
経歴
大分県別府市生まれ[3]。大分県立別府鶴見丘高等学校卒業[4]。別府鶴見丘高校は地元名門校として知られ、同校出身の著名人の一人としても名前が挙がる[4]。
卒後は、上京して中央大学法学部に入学する。働きながら大学で学んでいたが学費が払えず中退。故郷の別府にて家業の竹細工職人となる[4][2]。作家デビューは遅く、2002年になってからであった[3]。最初は自費出版であったが、執筆のスピードが速く、しかも著書の多くが上下巻分冊の大作であった[3]。
一方の竹細工でも、別府市内でギャラリーで個展を開催するなどしている[6]。竹の技を絵に生かした珍しい作風であったとされる[6]。竹細工の分野でも「豊の国の竹の文化史」という著書を出版している[7]。著書は、大分県内の合計170人もの細工職人や業界関係者に取材を行って纏め上げられ、竹細工や竹宵の祭りなど「大分県民」と「竹」の歴史的関わり合いを紹介したもので[7]、ここでも「現代の竹細工の源流をたどれば、この箕作りの世界に行き着く」との分析を記した[7]。2004年には別府市実相寺に居住していた[6]。
著書
- 『海の門 別府劇場哀愁編』(2002年10月20日、自費出版)
- 『石井一郎の生涯 別府劇場任侠編』(2003年3月、自費出版)
- 『豊の国の竹の文化史』(2003年12月、自費出版)
- 『天皇のロザリオ』
- 上巻「日本キリスト教国化の策謀」(2006年7月8日、成甲書房)ISBN 9784880862019
- 下巻「皇室に封印された聖書」(2006年7月8日、成甲書房)ISBN 9784880862002
- 『日本のいちばん醜い日』(2007年7月21日、成甲書房)ISBN 9784880862163
- 『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない 金の値段の裏のウラ』 (2007年11月20日、成甲書房)ISBN 9784880862224
- 『原爆の秘密』
- 国内篇「昭和天皇は知っていた」(2008年7月19日、成甲書房)ISBN 9784880862330
- 国外篇「殺人兵器と狂気の錬金術」(2008年7月19日、成甲書房)ISBN 9784880862323
- 『八百長恐慌!「サブプライム=国際ネズミ講」を仕掛けたのは誰だ』(2008年11月8日、成甲書房)ISBN 9784880862385
- 『トヨタが消える日 利益2兆円企業・貪欲生産主義の末路』(2009年3月11日、成甲書房)ISBN 9784880862439
- 『ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する』(2009年11月6日、成甲書房)ISBN 9784880862552
- 『20世紀のファウスト』
- 上巻「黒い貴族がつくる欺瞞の歴史」(2010年3月11日、成甲書房)ISBN 9784880862606
- 下巻「美しい戦争に飢えた世界権力」(2010年3月11日、成甲書房)ISBN 9784880862613
- 『金は暴落する!2011年の衝撃 ロスチャイルド黄金支配のシナリオを読み解く』(2010年8月21日、成甲書房)ISBN 9784880862668
- 『黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア』(2011年5月21日、成甲書房)ISBN 9784880862774
- 『鬼塚英昭が発見した日本の秘密』[DVD] (2011年7月15日、成甲書房)ISBN 9784880869018
- 『世界最終恐慌への3000年史 時間とマネーを支配する怪物の正体』(2011年11月24日、成甲書房) ISBN 9784880862835
- 『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』(2012年3月29日、成甲書房)ISBN 9784880862880
- 『八百長クライシス』あらかじめ決められた恐慌(2012年8月22日、成甲書房)ISBN 9784880862927
- 『日本の本当の黒幕』
- 上巻 龍馬暗殺と明治維新の闇(2013年7月6日、成甲書房)ISBN 9784880863023
- 下巻 帝国の秘密とテロルの嵐(2013年7月6日、成甲書房)ISBN 9784880863030
- 『白洲次郎の嘘』日本の属国化を背負った「売国者ジョン」(2013年12月10日、成甲書房)ISBN 9784880863092
- 『海の門 別府劇場哀愁編』(2014年5月9日、成甲書房)ISBN 9784880863146
- 『「反日」の秘密』朝鮮半島をめぐる巨大な謀略(2014年8月1日、成甲書房)ISBN 9784880863177
- 『天皇種族・池田勇人』知るのは危険すぎる昭和史(2014年12月12日、成甲書房)ISBN 9784880863221
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%A1%9A%E8%8B%B1%E6%98%AD