日本語の「神(カミ)」の語源はどこから?アイヌ語・韓国語との意外な関係と3000年前の「接触」の謎

ウェブブラウザに Brave を使うと、広告なしで youtube を視聴することができます
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14131432

スマホやノートパソコンを使っていると失明する
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/342.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/903.html

Windows 10・11】ブルーライトカットの設定方法!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16832096

 

民族の起源・DNA解析
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14037548

原始宗教、アニミズム・トーテミズムとシャーマニズム
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16835417

日本史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14038454

 

▲△▽▼
▲△▽▼

 

やよい&こふんの古代トーク! - YouTube
https://www.youtube.com/@YayoiKofun/videos

 

【ゆっくり解説】日本語の「神(カミ)」の語源はどこから?アイヌ語・韓国語との意外な関係と3000年前の「接触」の謎
やよい&こふんの古代トーク! 2025/12/20


私たちが普段何気なく使っている「神(カミ)」という言葉。
実は、海の向こうの言葉と驚くべき繋がりがあることをご存知でしょうか?

アイヌ語の「カムイ」、古代朝鮮語の「カム」、そして中央アジアの「カム」。
これらは偶然の一致なのか、それとも同じ祖先を持つ親戚なのか?

今回は、言語学者アレクサンダー・ボビン氏の説をもとに、ユーラシア大陸をまたぐ壮大な「言葉の旅」を追跡します。
済州島の村に残された「地名の化石」が語る、日本語のルーツとは?
そして、なぜツングース語族だけ「神」の言葉が違うのか?

古代の地図を広げて、3000年前のミステリーを一緒に解き明かしていきましょう!

【チャプター】
0:00 導入:「神」の語源はどこにある?
0:29 タイトルコール:アジアを巻き込む大捜査
0:48 アイヌ語「カムイ」との類似は偶然か?
1:52 古代朝鮮語にもある「カム」
2:30 済州島に残る日本語の痕跡「柑山」の謎
5:11 テュルク語にもある「カム」
5:47 比較:4つの言語に共通する謎と「壁」
6:56 3000年前、西遼河流域で起きた「接触」
8:21 アイヌ語は借用?それとも…
9:36 結論:拡散ルートのまとめ
10:38 今後の展望:言語学文化人類学の融合
11:14 エンディング

【参考文献】
松村正樹 (1985)「トルコと日本:世界史における『導入』の例」『教育学年報』第26号, pp.27-35, 奈良女子大学教育学会.
朴相圭 (1993)「巫俗語彙の語源探索」『比較民俗研究』第7号, pp.37-47, 筑波大学比較民俗研究会.
中川裕 (2003)「日本語とアイヌ語の史的関係」Alexander Vovin・長田俊樹(編)『日本語系統論の現在』(日文研叢書31), pp.209-220, 国際日本文化研究センター.
Alexander Vovin (2009) Koreo-Japonica: A re-evaluation of a common genetic origin . Honolulu, HI: University of Hawai'i Press.
崎山理 (2012)「日本語の混合的特徴:オーストロネシア祖語から古代日本語へ音法則と意味変化」『国立民族学博物館研究報告』36巻3号, pp.353-393, 国立民族学博物館.
국립국어원 표준국어대사전

 

▲△▽▼
▲△▽▼

 

梅原猛のアイヌ民族論

https://takase.hatenablog.jp/entry/20190120


 梅原猛さん(哲学者、国際日本文化研究センター日文研)初代所長)が、1月12日に93歳で亡くなった。アカデミズムでの活動以外にも、スーパー歌舞伎の台本を書いたり、臓器移植に反対したりと広く活躍した。「梅原日本学」と呼ばれる独特な歴史、文化の解釈は多くの論争を呼んだ。
 私は梅原さんに影響を受けたことはないが、尊敬する渡辺京二さんの著作で梅原さんのアイヌを「原日本人」とする説に触れた箇所が刺激的だったので印象に残っている。

《自然人類学の知見はアイヌも日本人ももとは縄文人として同一のルーツをもつという事実を示すにすぎないが、一歩進めてアイヌと日本人は神観念を初めとする精神文化を共有するのではないか、いい換えればアイヌ文化には、日本の精神文化の原型がとどめられているのではないかという問題を提起したのは梅原猛である。(略)
 日本人というのは民族概念であって、日本人という人種は存在しない。(略)民族(エトノス)とは言語を中核とする文化の共有によって成り立つ歴史的概念で、日本人という民族が成立するのは7、8世紀である。アイヌもあまり遅れずに、日本人から異族とみなされる一民族として自己を形成したのだろう。縄文時代には日本人もアイヌも存在しない。その前身としての縄文人の存在が認められるだけである。だからアイヌが原日本人だというのは、ナンセンスでなければデマゴギーなのだ。今日に通じるような日本文化が形成されたのは室町後期である。同じ意味でのアイヌ文化の成立もほぼ同時代と認められる。だから、アイヌ文化が日本文化の基層をなすこともありえない。アイヌを原日本人とし、アイヌ文化を日本文化の基層とするのは、アイヌとその文化を日本の領域にとりこんでしまうことを意味する。それはけっして日本人や日本文化の領域に、原型あるいは基層としてとりこまれるべき存在ではない。
 しかし梅原説は、このような不用意な言辞にこだわらなければ、示唆と妥当性に富む有益な仮設でありうる。梅原説の大筋は縄文人を日本人とアイヌの共通ルーツとし、アイヌ文化が縄文文化の骨格を保ちつつ進化したのに対して、日本文化が大陸の影響によって縄文的性格をかなり失ったとする点にある。だとすると、アイヌの宗教的儀礼や習俗に、日本文化の最古層を読解する鍵を求めようとするのは正当な試みであって、梅原の真意は、日本では衰弱して基底に隠れてしまった縄文的伝統が、アイヌにあってはかなりよく保存されているのを強調することにあったのではなかろうか。梅原の仮説はアイヌを日本にとりこもうとするものではなく、むしろ既成の「日本」像を解体して新しい可能性を望見するものといってよかろう。》(渡辺京二『黒船前夜』洋泉社P132〜)
 つまり、同じ縄文人が日本人とアイヌとに民族形成が分かれたので、どっちが「先住民」というわけではないが、弥生以降の大陸からの影響を強く受けた「日本人」よりもアイヌの方が縄文的なものをより強く残しているというのだ。ここからいろんなイメージが広がっていく。
 日本人とは何ものかという問題は、ナショナリズムの根幹であり、天皇制やヘイトスピーチ、沖縄といったテーマにつながってくる。アイヌについても勉強しなくては。

https://takase.hatenablog.jp/entry/20190120

 

▲△▽▼

 

2006年03月23日

梅原猛氏の日本語・アイヌ語同系説

http://yeemar.seesaa.net/article/15363039.html

朝日新聞」2006.02.21 p.22、梅原猛氏の「反時代的密語」を読んで、ちょっと驚きました。梅原氏は、「アイヌ語が日本語の祖語、縄文語を残す言語であることは間違いない」、つまり、日本語とアイヌ語とは同系の言語であると断言しています。

梅原氏は、たとえば、アイヌ語の「アン」(有ル)は日本語の「ある」(有る)に当たるなどいうふうに、アイヌ語・日本語の動詞を20語ほど取り出して、語形と意味を比較しています。その上で、「アイヌ語の動詞はほとんど日本語に受け継がれており、日本語の動詞はアイヌ語起源で説明できることが分かる」と述べます。

はて、アイヌ語と日本語との関係は証明されていないはずだが、と不審に思いました。今に反論なり何なり、反響があるかと待っていましたが、紙面には何の文章も載りません。しかし、このように大胆な発言があったからには、続けて「その通りだ」とか、「違います」とかいう、他の人の意見が載ってもいいはずです。

しかたがないので、自分で調べることにしました。といっても、私はアイヌ語にはまるで素人なので、概説書を見るのが精一杯です。まずは、『講座言語6 世界の言語』(大修館書店)および『岩波講座日本語12 日本語の系統と歴史』(岩波書店)で、田村すゞ子氏のアイヌ語についての解説を読みました。

田村氏はアイヌ語の権威で、私も学生時代に授業を受けたことがあります。上記『岩波講座』の「アイヌ語と日本語」で田村氏は、
アイヌ語の構造は、チェンバレンが認めているように、日本語とそうひどく違わないのである。(p.224)
と述べます。しかし、続けて、
日本語もアイヌ語も(そしてエスキモー語も)音韻体系や形態素の音韻構造の非常に簡単な言語である。したがって、〔単語などに〕偶然の一致の起こる確率が当然高い。それにまた基礎語彙といえども借用を免れ得るものではない。〔略〕これらの言語の語形と意味の少しでも似た語をたくさん集めてただちに音韻法則を立て共通基語を再構しようとすることなどは、意味のないことと言わなければならない。(p.224-225)
と、非科学的な比較に陥ることを戒めています。

こうした説明を読んでから、もう一度梅原氏の挙げた語例に立ち戻ってみると、いろいろ不審な点があります。

萱野茂アイヌ語辞典』(三省堂)を参照しながら、梅原氏の挙げた例を点検してみると、たしかに、両言語で語形・意味の似ているものもあります。しかし、それは共通の祖先から分かれたものか、偶然の一致か、それとも、どちらかが他方のことばを借用しているにすぎないのか(ちょうど日本語で英語の「ペン」や「ノート」という単語を借用しているように)、ということは分かりません。

また、梅原氏の挙げた例の中には、「カル」(為ス)→「かる」(刈る、駆る)、「キル」(転覆スル)→「きる」(斬る)というように、大きく意味が変わっているものが混じっています。両者に関連があるということを、個別的な推論以上の証拠によって裏付けなければ、場当たり的だとそしられることになるでしょう。

梅原氏の紹介する内容で、もう一つ注意を引かれるのは、アイヌ語の助詞です。「京都を発って東京へ行く」は、アイヌ語では「オ京都、エ東京」になるというのです。まさに日本語の助詞「を」「へ」と発音が一致しています。これは本当でしょうか。

中川裕・中本ムツ子『エクスプレスアイヌ語』(白水社)を見ると、「登別へ(行く)」は「ヌプルペッ オルン」、「札幌に(行く)」は「サッポロ オルン」と書いてあります。とすれば、日本語の「(地名)へ」に当たるアイヌ語は「オルン」です。「(地名)を(発って)」の「を」はどう言うのか、これも調べましたが、ちょっと分かりませんでした。萱野氏の辞書には「を」に当たる語として「オルン、シノ、ネ、パ、ヒ、ペカ」が挙げてありますが、「オ」はありません。梅原氏の紹介する「オ京都、エ東京」のような言い方は、いったい、どういう状況で使われる、いつの時代のアイヌ語なのでしょうか。

以上は、アイヌ語に素人の学生が、教室で「先生、質問です」と尋ねているようなものだとお考えください。先生である梅原氏は、今後の研究でそれに答えてくださるのかどうか。

『エクスプレスアイヌ語』の著者でもある中川裕氏は、すでに1993年に、梅原氏をやんわりと批判する文章を書いています。その文章は、アイヌ民族博物館ホームページの中の「アイヌ文化入門」の一部として公開されています(初出はアイヌ民族博物館編『アイヌ文化の基礎知識』草風館、1993)。
ただの語呂合わせでなくまじめに系統論をやろうとすると、たいへんな問題が山積みしているために、なかなか取り組む人がでてこないというのが現状なのです。正直な話、これからアイヌ語の系統論をやろうという人にどんどん出てきてもらいたいものです。ただし、かならず比較言語学の勉強をしてからとりかかってくださるよう、お願いします。
どうやら、梅原氏の主張は今に始まったものでなく、専門の方面では、すでに知られていたもののようです。
 

▲△▽▼
 

通俗日本論の研究⑧:梅原猛『怨霊と縄文』『日本の深層』

呉座 勇一    2022.11.18 

https://agora-web.jp/archives/221117040633.html

 

哲学者梅原猛氏の「梅原日本学」には2本の大きな柱がある。1つはこれまでの連載で紹介してきた怨霊史観であり、もう1つは縄文文化への独自の考察である。

梅原氏は日本文化の淵源にはエコロジカルな縄文文化があると主張し、自然と共生した縄文の思想によって、自然の征服という欲望に取りつかれた近代を乗り越えようとした。そうした発想の萌芽は、『怨霊と縄文』(朝日出版社、1979年)に見出すことができる。

『神々の流竄』から始まった梅原氏の古代史探究は、6世紀後半の「聖徳太子論」までさかのぼったが、その時代は中国の思想の影響を受けて開明化された時代であり、「それ以前の日本についてはさっぱりわからない」。「もっと古い日本」、いわば外国文化の影響を受ける以前の“原日本”を追い求めて、梅原氏は縄文文化に着目する。

むろん、日本文化の起源としての縄文文化に注目したのは梅原氏が最初ではない。有名なところでは、哲学者の谷川徹三は「仏教と仏教芸術以前に、日本がまだ歴史時代にはいらぬ遠い昔からすでに日本にあった原始土器」、つまり縄文土器に示されている美の形が「後の日本の造形芸術の発展の諸相の中にも見てとれる」と主張し、狩猟生活の中から生まれた動的・装飾的・有機的で複雑怪奇な美の形を「縄文的原型」と呼び、農耕生活の中から生まれた静的・機能的・無機的で簡素優美な美の形である「弥生的原型」と対置した。

そして谷川は、この2つを日本の美の原型と捉え、「弥生的系譜が日本の美の正系である」としつつ、桃山の障壁画や茶陶、日光東照宮葛飾北斎などに見られる「縄文的系譜を軽視すべきでない」と論じている(「日本の美の系譜について―縄文的原型と弥生的原型」『世界』286、1969年)。

しかし梅原氏の縄文論のユニークなところは、単に美術の問題ではなく、思想として捉えた点、そして「縄文の思想を解く鍵」としてアイヌ文化に目をつけた点にある。

梅原氏は、前掲書で「原日本人がアイヌと同じか、それに似た狩猟民族であり、縄文土器を使っていた」「そこへ朝鮮半島から弥生系民族が入ってきて、狩猟世界が農耕中心の世界に代わる。当然侵略者と土着民の混血が起こる。それが日本人となる。いっぽうあくまで反抗して東北の方へ逃げていったのが蝦夷である」という仮説を立てた。

さらに梅原氏は『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る』(佼成出版社、1983年)では「古い日本の文化、いってみれば日本の深層を知るには、縄文文化を知らねばならない」「縄文時代の文化が日本の基本文化になっている」という確信の下、さらに思索を深めていく。

もちろん「文献時代を遠く遡って特に縄文時代となれば、その言葉もわからず、その宗教は見当がつかない。ただの考古学的な遺品だけでは、とても縄文時代の文化の本質を知ることはできない」。けれども「アイヌは最近まで狩猟採集生活を続けていた。とすれば、彼らは縄文人と同じ生活形態を最近まで保存していたのではないか。日本列島の中で狩猟採集生活を続けていたアイヌは、縄文の遺民であるとしか考えられないのではないか」と推測し、アイヌ文化の研究から縄文文化に接近するという方法論を提示する。

さて、梅原氏に代表されるような縄文=基層(深層)文化論に対しては考古学者などから様々な批判が行われ、アカデミズムの世界では「俗流文化論」と位置付けられている(坂野徹『縄文人弥生人 「日本人の起源」論争』中公新書、2022年)。ただし、本稿ではその問題には立ち入らず、梅原氏が縄文文化アイヌ文化を結びつける着想をどこから得たのか、少し考えてみたい。

考古学者の山田康弘氏が指摘するように、戦前の歴史教育においては、石器時代の東日本には「日本人種」ではなく「蝦夷人種」(アイヌ)が住んでいた、と教えられた(「梅原と縄文、そしてアイヌ」『ユリイカ』2019年4月臨時増刊号、青土社)。

1925年生まれの梅原氏が、戦前の教育の影響を強く受けていたであろうことは想像に難くない。だが梅原氏は、アイヌと古代日本人という「二つの民族はひとつの元から生じているのではないか。その言語も、その文化も、同じ起源をもつのではないか」と考えており(『日本の深層』)、この点では戦前のアイヌ蔑視的な歴史観と一線を画している。

もう一つ可能性として想定できるのは、岡本太郎の影響だろう。縄文土器の美をいち早く発見し、その魅力を啓蒙普及したのが芸術家の岡本太郎であったことは良く知られている(「四次元との対話-縄文土器論」『みずゑ』1952年2月号)。梅原氏も著作で岡本太郎の功績に言及しており、縄文文化について対談を行ったこともある(梅原猛岡本太郎小松左京「忘れられた縄文の文化」、1974年)。

だが岡本太郎は、縄文土器土偶の芸術性を評価するに留まらず、縄文文化アイヌ文化の親和性についても語っている。太郎は1957年に岩手を旅した際、特に2つのものに感銘を受けた。1つは、中尊寺の讃衡蔵で見つけた鹿角の護り刀の飾りであり、もう1つは、花巻で見た鹿踊りである。

前者について太郎は次のように評する。「激しいエゾ紋様だ。アイヌ的であり、またまさに縄文文化の気配でもある」。後者についても、「鹿踊りについては、私ははじめから、かつての縄文文化人が鹿の肉を常食にしていた時代の呪術的儀礼からの伝統だとにらんでいた。ちょうどアイヌの熊祭りと同じように」と語っている(『日本再発見 芸術風土記』新潮社、1958年)。

ただし「民族独自の明朗で逞しい美観、民衆のエネルギー」に注目した岡本太郎と異なり、梅原氏は縄文文化アイヌ文化を近代批判に用いている。そこには1970年代という時代性が刻印されている。

それはさておき、「蝦夷の子孫であることが、蝦夷の後裔であることが、なぜわるいのであろう。アイヌと同血であり、同文化であるということを、なぜ恥としなくてはならないのか」(『日本の深層』)という梅原氏の訴えは、当時としては先進的な考えだったと言える。

しかしながら、現在では、アイヌは「日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族」と定義されている(内閣官房アイヌ総合政策室)。アイヌ文化を縄文文化と結びつけ、日本文化の基盤とみなすことは、ことによると「文化盗用」と批判されかねない。この点でも梅原説、そして同説を起点とする昨今の「縄文ブーム」を相対化していく姿勢が求められよう。

https://agora-web.jp/archives/221117040633.html

 

▲△▽▼
▲△▽▼

 

朝鮮語、日本語と琉球語の起源は南満州か華南、アイヌ語縄文人が話していた言葉だった。
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/11/03/143346

古代東北「蝦夷」はアイヌ語を話していた
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/12/13/103433

 

朝鮮の無文土器時代人が縄文人を絶滅させて日本を乗っ取った
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007681

被差別同和部落民の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人弥生人をエタ地域に隔離した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007586

アイヌ人は北海道縄文人の直系の子孫、アイヌ語縄文人が話していた言葉
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007570

オホーツク文化人の起源とアイヌ人との関係
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007585

アイヌ民族の歴史から世界を見る 加藤博文
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14091952

近世アイヌ集団のmtDNA解析: 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html

アイヌ民族が12世紀ごろ樺太から北海道に渡来した: 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_20.html

縄文人」とアイヌ琉球・「本土」集団との関係
https://sicambre.at.webry.info/201907/article_32.html

オホーツク文化人のハプログループY遺伝子
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_5.html

大西秀之「アイヌ民族・文化形成における異系統集団の混淆―二重波モデルを理解するための民族史事例の検討」
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_24.html

石田肇「北から移動してきた人たち」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第4節: 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/201406/article_29.html

アイヌの歴史】差別と迫害の苦難の歴史…誕生から現在のアイヌ問題まで
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14150106

アイヌの食文化、狩猟採集民・原始農耕民の料理
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14017000