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the能ドットコム:入門・能の世界
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能「井筒」

 

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能楽と弱い家父長 - 内田樹の研究室  2026-02-12 jeudi
http://blog.tatsuru.com/2026/02/12_0900.html

 

 観世流の能楽を30年近く稽古している。居合と杖道を稽古し始めた頃に、中世発祥の武芸の術理を理解するためには中世人の身体運用を学ぶ必要があると思ったのがきっかけである。禅か茶の湯か能楽か、三つから選ぶことにした。どれでもよかったのだが、身近に能楽を稽古しているゼミ生が何人かいて、彼女たちからチケットをもらって時折能楽堂に通うようになっていた。
 小津安二郎の『晩春』の影響も大きかった。当時娘と二人で、海の見える街の高台に暮らし、大学で教え、時々誰も読んでくれない研究論文を書き、古い映画を観て、古い音楽を聴き、日曜日には能楽堂に通う男になっていた。気づいたら『晩春』の曾宮周吉(笠智衆)みたいな中年男になっていたのである。それで、意を決して、観世流の下川宜長先生に就いて仕舞と謡を習うことにした。
 中世日本人の身体運用の理を学ぶという目的はどこまで達成されたかわからない。でも、凱風館の門人たちから何人もが私に続いて入門しているところを見ると、能を稽古すると合気道がうまくなるという信憑はそこそこ広がっているようである。
 それより、私が能楽の思いがけない功徳だと思うのは、これが「ジェンダーロール」の学習機会だったということである。 
 先日社中の練習会が凱風館であり、私も九曲に参加した。そして、気がついたのは女性が主人公という曲が能楽にはほんとうに多いということであった(今頃気がつくのもどうかと思うが)。昨日の番組では『熊野(ゆや)』、『花筐(はながたみ)』、『井筒』、『吉野天人』、『江口』、『杜若(かきつばた)』、『野宮(ののみや)』、『山姥(やまんば)』、『松風』、『羽衣』、『安達原』なんと、全17曲のうち11曲が「女性主人公」の能だった。
 出てくるのは恋をする女、恨みを遺して死んだ女、執着を去って成仏する女、山に棲む魔女、殺人鬼、天女...ほとんど「女のカタログ」である。別に先生が作為的に作ったわけではないと思う。曲の難度やポピュラリティや全体のバランスを考えてできた番組に違いない。
 私は『野宮』で六条御息所の幽霊として舞い、『井筒』では紀有常の娘の気持ちになって在原業平を慕い、『山姥』と『安達原』で魔女の悲哀と激怒を謡った。謡えばどうしても感情移入してしまう。幽霊になった女たちも、山廻りする山姥も、安達原の鬼女も、それぞれ哀しい事情があってそのような身の上になったのであろう。なんだか気の毒である。
 そしてはたと気がついた。能楽は武家の式楽である。柳生宗矩の『兵法家伝書』は新陰流の極意の書だけれど、能の比喩を駆使しているので、能楽を嗜まない人間には意味が分からない箇所が多い。つまり、ひとかどの武士であろうとするなら、前近代の侍たちは「女の気持ち」になる稽古を制度的に強制されていたのである。なんと。
 考えてみると能楽には「男の気持ち」を切々と謡ったものがあまりない。多少はあるが、多くは修羅物で、要するに戦って死んだ(のでつらかった)というだけの話である。それ以外に私が稽古した中で「男の気持ち」を謡ったのは『戀之重荷』と『卒都婆小町』(男が出るのは一瞬だけど)くらいしか思い出せない。どちらも欲望剥き出しで、さっぱり共感できない男たちである。 
 日本の家父長制は「弱い家父長」を理想とする制度であるということを前から論じている。誰も相手にしてくれないけれど、最古の伝統芸能の一つが「女の気持ちに共感すること」を男たちに求めるものであったことは私の持論を多少補強してくれるかも知れない。
(週刊金曜日2月3日)

http://blog.tatsuru.com/2026/02/12_0900.html

 

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 世阿弥 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E9%98%BF%E5%BC%A5

 

世阿弥(ぜあみ、世阿彌陀佛、正平18年/貞治2年(1363年)? - 嘉吉3年8月8日1443年9月1日)?)は、日本室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽を大成し、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。

幼名は鬼夜叉(おにやしゃ)、そして二条良基から藤若の名を賜る。通称は三郎。実名は元清。父の死後、観世大夫を継ぐ。40代以降に時宗の法名(時宗の男の法名〈戒名〉は阿弥陀仏〈阿彌陀佛〉号。ちなみに世は観世に由来)である世阿弥陀仏が略されて世阿弥と称されるようになった。世の字の発音が濁るのは、足利義満の指示によるもの。正しくは「世阿彌」。

生涯

世阿弥が生まれたとき、父である観阿弥は31歳で、大和猿楽の有力な役者であった。観阿弥がひきいる一座は興福寺の庇護を受けていたが、京都へ進出し、醍醐寺の7日間興行などで名をとどろかせた。世阿弥は幼少のころから父の一座に出演し、大和国十市郡の補巌寺[1] [2]で竹窓智厳に師事し、参学した[3][4]

1374年または1375年、観阿弥が新熊野神社で催した猿楽能に12歳の世阿弥が出演したとき、室町将軍足利義満の目にとまった。以後、義満は観阿弥・世阿弥親子を庇護するようになった。1378年の祇園会では将軍義満の桟敷に世阿弥が近侍し、公家の批判をあびている(「後愚昧記」)。1384年に観阿弥が没して世阿弥は観世太夫を継ぐ。

当時の貴族武家社会には、幽玄を尊ぶ気風があった。世阿弥は観客である彼らの好みに合わせ、言葉、所作、歌舞、物語に幽玄美を漂わせる能の形式「夢幻能」を大成させていったと考えられる。一般に猿楽者の教養は低いものだったが、世阿弥は将軍や貴族の保護を受け、教養を身に付けていた。特に摂政二条良基には連歌を習い、これは後々世阿弥の書く能や能芸論に影響を及ぼしている。

義満の死後、将軍が足利義持の代になっても、世阿弥はさらに猿楽を深化させていった。『風姿花伝』(1400年ごろ成立か)『至花道』が著されたのもこのころである。義持は猿楽よりも田楽好みであったため、義満のころほどは恩恵を受けられなくなる。

義持が没し足利義教の代になると、弾圧が加えられるようになる。1422年、観世大夫の座を長男の観世元雅に譲り、自身は出家した。しかし将軍足利義教は、元雅の従兄弟にあたる観世三郎元重(音阿弥)を重用する。一方、仙洞御所への出入り禁止(1429年)、醍醐清滝宮の楽頭職罷免(1430年)など、世阿弥・元雅親子は地位と興行地盤を着実に奪われていった。

1432年、長男の観世元雅伊勢安濃津にて客死した。失意の中、世阿弥も1434年佐渡国流刑される。1436年永享8年)には『金島書』を著す。公的記録に佐渡への流罪の記録は見つからず[5]、流罪の原因は不明で、世阿弥自身は『金島書』で無実の罪としている[6]。娘婿の金春禅竹が世阿弥の妻の面倒をみるとともに、佐渡にものを送り届け生活にさほど不便でなかったらしい[6]。同地で亡くなったという説が有力である[5]が、後に赦免されて帰洛したともいわれ、幼少時に参学した補巌寺に帰依し、世阿弥夫妻は至翁禅門・寿椿禅尼と呼ばれ、田地各一寄進したとの能帳も残るとされ、大徳寺に分骨されたのではないかといわれている。「観世小次郎画像賛」によれば嘉吉3年(1443年)に没したことになっている[7]

業績

世阿弥の作品とされるものには、『高砂』『井筒』『実盛』など50曲近くがあり、現在も能舞台で上演されている。また、『風姿花伝』などの芸論も史料価値だけではなく、文学的価値も高いとされている。

芸道論

著書『風姿花伝』(『風姿華傳』、『花伝書』)では、観客に感動を与える力を「花」として表現している。少年は美しい声と姿をもつが、それは「時分の花」に過ぎない。能の奥義である「まことの花」は心の工夫公案から生まれると説く。「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」として『風姿花伝』の内容は長らく秘伝とされてきた。

世阿弥が述べた「離見の見」とは、演者が自らの身体を離れた客観的な目線をもつことである[8]

後世の評価

著書『十六部集』が1883年に発見され、能の大成者として高い評価を受けるようになったが、現在の観世家が音阿弥につながる流れとなったこともあって、一般のみならず能楽師の間でもほとんど忘れられていた[5]

2000年平成12年)に朝日新聞社が実施した識者5人(荒俣宏岸田秀ドナルド・キーン堺屋太一杉本苑子)が選んだ西暦1000年から1999年までの「日本の顔10人」において、世阿弥は徳川家康織田信長に次いで得票数で3位を獲得した[9]

代表作

ウィキクォート世阿弥に関する引用句集があります。

世阿弥は数多くの謡曲を残している。

  • 弓八幡
  • 高砂
  • 老松
  • 実盛
  • 頼政(平家物語)
  • 忠度(平家物語)
  • 清経(平家物語)
  • 敦盛(平家物語)
  • 八島(平家物語)
  • 井筒(伊勢物語)
  • 恋重荷
  • 錦木
  • 当麻
  • 野守(万葉集の歌が典拠)
  • 鍾馗
  • (ぬえ:平家物語)
  • 桜川
  • 花筐(はながたみ)
  • 葦刈(あしかり)
  • 春栄
  • 西行桜(さいぎょうざくら)
  • 檜垣(ひがき)
  • 木賊(とくさ)
  • 松浦佐用姫

著作

世阿弥は父の遺訓、また自ら会得した芸術論を、「道のため、家のため」(『風姿花伝』)多数書き遺した。

その伝書は秘伝とされ、世阿弥の血筋を承けた越智観世家、そして観世宗家、また女婿禅竹を通じて金春家などが多く所蔵した。室町後期に越智観世家が絶え、観世宗家から入った養子が再興したことで、越智観世が最も多く有していたといわれる伝書はあらかた観世宗家に渡った。またそれとは別に、越智観世から複数の伝書が能を愛好した徳川家康に献上され、家康を通じて細川幽斎織田信忠がこれを手に入れている。

近世にも能楽関係者や一部大名家を除いて、出回ることはほとんどなかった。数少ない例外として、14代大夫の観世清親とともに世阿弥伝書の収集に尽力した15代大夫の観世元章が、1772年に『習道書』に注釈を加えて出版し、座衆の一部に配布したこと、元章の後援者であった田安宗武が観世大夫が所蔵する本の一部を書写したこと、そして1818年柳亭種彦が家康の蔵書であった『申楽談儀』を手に入れ、周囲の文人数名が写本を作ったことが挙げられるが、これ以外に目立った形で世阿弥の著作が表に出ることはなかった。

20世紀に入り、吉田東伍が『世阿弥十六部集』を出版し、当時知られていた世阿弥の伝書を一挙刊行した。以後研究が進み、現在では世阿弥の伝書として二十一種が認められている。

世阿弥の伝書一覧

  • 風姿花伝
  • 『花習内抜書』
  • 『音曲口伝』
  • 花鏡』(かきょう)
  • 『至花道』
  • 『二曲三体人形図』
  • 『三道』
  • 『曲付次第』
  • 『風曲集』
  • 『遊楽習道風見』
  • 『五位』
  • 九位』 - 河合隼雄日本語には「人間ができている」という表現があるが、これはをつかむような話なのだが、『九位』は幸いに大変参考になり、心理療法家修行にも役立つと述べている[10]
  • 『六義』
  • 『拾玉得花』
  • 『五音曲条々』
  • 『五音』
  • 『習道書』
  • 『夢跡一紙』
  • 『却来華』
  • 『金島書』
  • 世子六十以後申楽談儀
  • 『金春大夫宛書状』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E9%98%BF%E5%BC%A5

 

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能の世界


いい日旅立ち _ 山の向こう側にいるのは…

01. 中川隆 2011年8月05日 能「井筒」
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/191.html#ctop

02. 中川隆 2013年7月15日 能は本来、修善寺あさば旅館の池に浮かぶ能舞台「月桂殿」の様に川や池を隔てて、遠くから見るものだった
http://www.asyura2.com/10/yoi1/msg/191.html#c2


修善寺温泉「あさば」 にはもう泊まってはいけない
60. 中川隆 2014年9月01日 『雪国』の国境の長いトンネルは あさば旅館の池に浮かぶ能舞台『月桂殿』の橋掛かりと全く同じ意味を持っている
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/514.html#c60