ゲルマンの音とは戦前のブッシュ四重奏団やフルトヴェングラー - ベルリンフィルの音色の事
これがゲルマンの音
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16895074
- 第二次世界大戦後、ゲルマン的と言われていた音がドイツの楽団から完全に失われてしまいました。
華麗なる芸術都市の光と闇 “魔の都”ウィーンに響く天才歌手グルベローヴァの美声
これがウィーンの音
http://www.asyura2.com/22/reki8/msg/126.html
の続編です。
ゲルマンの音と言われていたのは戦前のブッシュ四重奏団やフルトヴェングラー - ベルリン・フィルハーモニーの様な、如何にも意味有り気で奥深く感じさせる演奏様式の事の事です。フランス、イタリアやロシアの巨匠とは違って、音楽だけでなく、音楽 プラス アルファで勝負していたのです。
戦後のドイツからは一流の指揮者、ヴァイオリニストやピアニストが一人も出なくなり、ドイツのすべての楽団からゲルマンの音が完全に失われました。
まあ戦前のドイツでも、有名な演奏家の殆どはユダヤ系か東欧系で、ゲルマン人はオーケストラの楽員にしかなれなかったのですが。
19世紀後半から20世紀前半までのドイツ人が好んでいた、如何にも意味深で奥深く感じさせる演奏様式は戦前のドイツ製オーディオの音として聴く事ができます:
クラングフィルム
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/612.html
シーメンス
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/613.html
テレフンケン
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/616.html
ドイツのスピーカーは田舎臭く鈍重、いかにもドイツ臭く、リズム音痴
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14004083
ドイツの音楽はドイツの真空管アンプで聴こうよ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/698.html
ドイツ製ヴィンテージ・オーディオ販売 クラング・クンスト KLANG-KUNST
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/479.html
ドイツの音とは何か?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/447.html
ドイツの音楽、ドイツの音、そして世界の音
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/433.html
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ゲルマンの音というのはワーグナーが19世紀の楽団に広めた大袈裟な演奏法によって人工的に作られた音だった:
演奏法の点から言えば、ワーグナー以前とワーグナー以後、さらに、第二次世界大戦以降から現代の3つの大きな流れがある。
現代のオーケストラの演奏は、ニュース原稿を読むアナウンサーのようなもので、標準的ではあるが、非常に特徴に乏しいものである。
この他、今世紀前半の録音には、十九世紀後半以降に出現した、「ロマンティックなスタイル」を聴くことができる。
アムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の指揮者であったヴィレム・メンゲルベルクや、マーラーの作品を数多く指揮したオスカー・フリートなどはその典型的な例といえるだろう。 ここでいう「ロマンティック」は、後期ロマン派の音楽家たちが好んで用いたという意味で、現代の通常の意味とはニュアンスが違うのでご注意いただきたい。 フレーズに応じたテンポの変化や強弱記号の強調、弦楽器のポルタメントや激しいヴィヴラートなどがその代表的な特徴である。
また、ベートーベンなどの音楽に文学的な解釈をあてはめて、表現を加えていくという手法が好んで用いられたのもこうしたロマンティック・スタイルとの関連性が高い。 これらの表現法の確立は、ワーグナーの存在なしでは考えられなかっただろう。 ワーグナーは、その作品で文学と音楽の融合を試みたのみならず、指揮者としても、ベートーベン解釈などにおいて当時の音楽界に大きな影響を及ぼした。 ワーグナーは近代演奏史の大きな分岐点である。
第3のスタイルは、ワーグナー出現以前のスタイルで、最近のオリジナル楽器オーケストラやライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などに代表されるような古いスタイルである。
ノン・ヴィヴラート奏法、音符の音価の強調、すなわち、長い音符は本来よりわずかに長く、短い音符は本来よりやや短く演奏する処理や、長い音符の後ろの方で音量が強くなる後置型アクセントなどはその代表的な特徴である。
おそらく十九世紀中頃までは、世界中のすべての指揮者とオーケストラが多かれ少なかれこのスタイルに従っていたのではないかと思われる。 シャルク、ワインガルトナーに認められる意味不明なアクセントなどは、その名残りではないかと考えられるが、現代の我々が聴くと、音楽の文脈とまったく関係のない、形式的で余計な表現として受け止められるのだ。
本来、こうした古い演奏体系には、音楽の構造と結びついた明確な規則があった。
しかし、ロマンティック・スタイルの出現、その反動のノイエ・ザッハリヒカイト、さらに、現代のより洗練された演奏スタイルが普及していく過程で、古い演奏スタイルの必然性は失われ、現代の我々にはまったく理解不可能な単に形式的なものへと変化していったのではないかと思われる。
つまり、ブラームスやブルックナーが初演された状況などにおける古い演奏体系と現代の演奏体系の間には、missing link(失われた関連性)があり、シャルクやワインガルトナーの録音は、途切れてしまった鎖をつなぎあわせる重要な手がかりといえるのではないだろうか?
今世紀前半の指揮者たちの演奏を聴くためには、この3つのスタイルをきちんと聴き分ける知識と能力が必要とされるのではないだろうか。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7792/weingartner.html
ワーグナーの影響と慣例的な改変
ドイツ近代指揮者の系譜を辿っていくと、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督だったメンデルスゾーンと、地方の重要なオペラハウスを渡り歩いていたワーグナーという二人の全く異なった個性の音楽家に辿りつきます。
メンデルスゾーンの指揮は、拍子をきっちりと示して早めの一定したテンポを保ち、
ニュアンスの変化も必要最小限にとどめた、作品に忠実な客観的な指揮振りだったといわれています。
一方のワーグナーの指揮は、音楽の流れに応じてテンポの緩急を大胆につけ、過剰なまでに抑揚をつけたロマンティックなものだったそうです。作品を再創造する芸術家であることがワーグナーの理想とする指揮者像でした。この流れは後にマーラーやビューロー、ニキシュ、フルトヴェングラーといった指揮者たちに受け継がれました。
第9の作曲された時代は、管楽器が急速な発展を遂げつつある時期でした。
そのためワーグナーは、ベートーヴェンがもし改良された現代の楽器を使用することができるならば、必ずやこのように演奏させたであろうという前提に立って、オーケストレーションの変更を行いました。その影響は絶大なものがあり、それを受けて20世紀前半の名指揮者ワインガルトナーがテンポやデユナーミクも含めた具体的な提言を行い、著書「ベートーヴェンの交響曲の演奏への助言」の中で理論化しています。
以後ベートーヴェンのスコアを近代の大編成オーケストラ向けに手を加えて演奏するのが、つい最近までごく普通のごとく行われてきました。
代表的なものとして、
・ 第4楽章冒頭のファンファーレ部分のトランペットをクラリネットと
同じ旋律を吹かせる。
・ 第4楽章の二重フーガで、自然倍音の記譜のみのトランペットパートに
旋律の欠落部分を加えたり、アルトトロンボーンに最初の2音(D音)を加える。
・ 第2楽章の第二主題に木管だけでなくホルンを重ねる。
・ 当時の楽器の制約のため、不自然な跳躍を強いられていた、木管楽器の
セカンドパートの 低音部分を加える。(第1楽章の第2ファゴットの扱いなど)
などですが、
スコア片手に真剣に聞き直すと、トスカニーニのようにやたらとティンパニを加えたり、セルのようにホルンに数多くの旋律を吹かせたりなどと、現実には指揮者によって千差万別、定評のある名盤の多くが独自の改竄の手が入り、同じものは全くないという状況です。
http://www.numakyo.org/c_daiku/2.html
古典の磁場の中で:番外 ワーグナーがもたらしたもの(MUSE2018年12月号)
ここまで「スコットランド」の演奏の変遷について書き連ねてきたわけですが、前回に触れた2000年代の最初の10年間に出た録音が一つの解釈に収斂していく傾向が強かったのに対し、今日に至る次の10年間についてはそれがばらけ始めているように感じています。現時点で手元にあるのは我が国初のメンデルスゾーンの交響曲全集となった沼尻盤をはじめとするガーディナーおよびネゼ=セガンによる3つの全集に、単発のものでは村中と古楽のレパートリーでの活躍が長かった有田、つい先ごろ来日が伝えられた現代作曲家ヴィトマンなどですが、この範囲で見れば海外勢が最初の10年に打ち立てられた解釈をベースにしているのに対し、日本勢にはむしろそれらに背を向けるかのような後期ロマン派的な解釈への回帰が多かれ少なかれ見て取れるようにも映るのです。とはいえ全集録音だけでもまだファイ/ハイデルベルク響やマナコルダ/ポツダムチェンバーアカデミー、マンゼ/ハノーファー北ドイツ放送フィルなどが未聴ですので、できればそれらも聴いて確かめたいと考えています。
ともあれバロック音楽から古典派やロマン派初期の音楽が後期ロマン派の時代に従来よりぐんと遅いテンポで演奏されるようになったということは、どうやらヨーロッパにおいては定説と化しつつあるようです。少なくともベートーヴェンにおいて、それを始めたのはおそらくワーグナーだったのではと僕は思うのです。なぜなら彼は古き音楽に忠誠を捧げていたメンデルスゾーンの演奏をテンポが速すぎると罵る一方、自らの楽劇をベートーヴェンの「合唱」の発展型であると主張していたのですから、実生活でも他人を利用することを全くためらわなかった彼なら十分ありえたことだと思われます。なにしろ人格面はともかく、こと音楽においてワーグナーは本物の天才であり、彼は他人が書いた音楽をとことん自分の色に染め上げたばかりか、それに新たな説得力を持たせるだけの力を持っていました。もしワーグナーにそこまでの力量がなかったら百年後の20世紀後半に我々が耳にしていたベートーヴェン演奏はあれほど重厚壮大なものではなかったのではとさえ思います。ともあれワーグナーの才能のありかたが既存のものを全て呑み込み自分の意図に合わせて変容させるものだったからこそ、彼は音楽で物語を語るあらゆる技法を体系化させることができ、それが今の我々が知る映画音楽の分野における洗練された語法の直接の母胎になったのだと思うのです。
そしてワーグナーがその反ユダヤ主義的な考えゆえメンデルスゾーンを悪し様に罵った際、メンデルスゾーンのベートーヴェンについてテンポが速すぎると書き残していることは重要です。それは録音の形で残されなかったワーグナー以前のベートーヴェン演奏がそれ以後よりもテンポが速かったことを示す状況証拠にはなりえるものですし、それがワーグナーにとっては不都合だったからこそメンデルスゾーンを貶めることで自分のベートーヴェンこそが正しいのだと強弁する必要を感じていたことを滲ませてもいる資料でもあるのですから。だからこそワーグナーはそれまでラテン系の作曲家の後塵を拝していた歌劇の分野で成功するためにも、自らをドイツ音楽の分野における最初の歌劇の巨匠に祭り上げる必要があり、そのためには歌劇の分野においてはそれほど成功をおさめていなかったベートーヴェンを無理やりにでも接ぎ木しなければならなかった。だからベートーヴェンの音楽をより忠実な形で受け継ごうとしていたメンデルスゾーンが正当性を獲得しきらないうちに彼がユダヤ人であったことを理由に引きずり落とし、ベートーヴェンの音楽を自分の音楽により近い形になるようにして演奏した。それがワーグナーの時代に蔓延しつつあった空気に合致するものであったからこそより重厚さを増したそのベートーヴェン演奏は多くの支持者や模倣者を生み、古い音楽は新たな時代に合わせてスタイルを変えてこそその命が保たれるという考え方ともども後に巨匠時代と呼ばれる一大ムーブメントの礎になったのでしょう。
そしてそのドイツ至上主義や反ユダヤ主義、音楽を宗教的なまでに荘重なものとして民族的な結束の要に置くことなどを受け継いだ第三帝国が絶対悪とみなされたとき、ワーグナーを源とする流れも欧米ではいったん全否定されねばならなくなった。それが巨匠時代が終焉を迎え、入れ替わるように前衛音楽がそれまでの音楽のありかたを一斉に壊しにかかった現象が意味したはずの事態で、ベルリンフィルの演奏スタイルが一貫してワーグナー的な考え方から遠ざかる形で変遷してきたのも当然のことだったとも思えます。なによりロマン派以外のレパートリーへの関心に端を発し21世紀への変わり目において一つの徹底ないし完成へとたどり着いた楽曲への学究的なアプローチもまた、そんな状況とは無縁たりえなかった現象ではないかとも。そして日本の我々がナチスを生み出したドイツ人ほどそれまでの自分たちを強く否定してこなかったとの以前からなされてきた指摘を思えば、この国で巨匠時代の音楽のありかたが未だに根強く信奉されていることの少なくとも説明の一つとみなせることかもしれません。なにしろヨーロッパはたとえそれが世界における政治経済上の力というか発言力を求めてのことであれ多様な民族や文化を持つ国々をEUという共同体に再編する歴史的実験に至った地域であり、ここが最も先端的な前衛音楽の牙城であったことやアメリカなどに比してさらに過激なオペラ演出のメッカでもあることも同じ根を持つことだと思えば、戦後ひたすらコスモポリタンな性格の団体へと変貌してきたベルリンフィルの軌跡も、同じ動きの一例だったと思えてしまうものですから。
それだけに世界が再びナショナリズムにも似た空気へと急速に接近し始めた近年、たとえばメンデルスゾーンの、それも日本における演奏が率先するかのように巨匠様式と似たものへと変貌し始めているのはなにやら不気味でさえある光景です。これが移民問題を前にやおら右傾化し始めたヨーロッパや、限りなく帝国主義へと回帰しつつあるような諸大国における演奏スタイルにまで波及してゆくのか否か、単に興味深いとの言葉では追いつかない心持ちで見守っているところです。
なぜそんなに気にするのかとおっしゃる方もおられるかもしれませんが、2つある理由の1つは絵画や造形、著作などと異なり音楽は作者が創ったままの形を留めることが難しく、説得力ある演奏であればあるほどそれがいかに元の姿からかけ離れていても受け入れられてしまうのではという危惧を覚えてしまう点。もう1つは巨匠時代のような音楽のありかたは不幸な時代でなければ出てこないのではないかと感じるからです。かつて神経を病んでおられた時にフルトヴェングラーのベートーヴェン演奏に救われた体験から、ベートーヴェンの音楽やフルトヴェングラーの演奏には神を感じると力説するようになられた方を知っていますが、確かにそんなことができる境地は凄いと思います。けれどそれは古い音楽は新たな時代に合わせて仕立て直してこそ価値があるというワーグナーの主張の果てに成り立つものであり、その感動の質が宗教的な法悦の近みにあることを思えば、そういうものに救われねばならぬ人が多数を占めるほど強い危機感に満ちた時代は幸せとは言い難いのではともやはり感じてしまうのです。
https://note.com/mohito_fushijiro/n/n67ab1620c470
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アドルフ・ヒトラーとニーチェはワーグナーの作り出した大袈裟なゲルマンの音の愛好家だった。
ワーグナーの手紙、イスラエルで競売へ ユダヤ人の「腐食的影響」に言及
2018年4月23日 12:13 発信地:エルサレム/中東・アフリカ
反ユダヤ的な内容が記されたドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーの手紙。エルサレムで
(2018年4月16日撮影)。
【4月23日 AFP】ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)がユダヤ人による文化への悪影響を危惧した内容の手紙が24日、イスラエルで競売に掛けられる。反ユダヤ主義者だったワーグナーの作品はイスラエルでは公の場での演奏が実質的に禁じられているが、これを機に国内で議論が再燃しそうだ。
ワーグナーが19世紀に作曲した壮大で国粋主義的な作品は、反ユダヤ主義やミソジニー(女性への嫌悪や蔑視)、民族純化思想に満ちている。
民族純化は後にナチス・ドイツ(Nazi)が大々的に掲げ、その指導者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)はワーグナーの愛好家だった。
出品される1869年4月25日付の手紙は、ワーグナーがフランス人の哲学者エドゥアール・シュレー(Edouard Schure)に宛てたもの。その中では、ユダヤ人がフランス社会に同化すれば「ユダヤ精神による近代社会への腐食的影響」を観察できなくなるとし、フランス人はユダヤ人について「ほとんど何も」知らないなどとも記している。
イスラエルにはワーグナー作品の演奏を禁止した法律はないが、過去に演奏が試みられた際に国民から強い反発が起き、騒ぎになった経緯があることから、オーケストラや会場が演奏や上演を自粛している。
ワーグナーは1850年、偽名で「音楽におけるユダヤ性」と題した論文を発表し、激烈な反ユダヤ批判を展開。1869年にはこの論文を実名で出している。(c)AFP
アドルフ・ヒトラーの世界
アドルフ・ヒトラーが愛したワーグナーのゲルマン神話の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html
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ニーチェとナチス~レニの意志の勝利~
■ワーグナーの信奉者
神は死んだ ・・・ ニーチェは自著「ツァラトゥストラはかく語りき」でかく語った。
この不用意な一言が、キリスト教徒の心情を逆なでにし、反キリストの烙印を押されたことは想像に難くない。大哲学者ニーチェも、熱心なキリスト教徒からみれば、ただの背信者なのだ。つまり、20億人が敵!?
さらに ・・・
ニーチェは「ナチスのシンパ(賛同者)」の嫌疑もかかっている。もし、それが本当なら、全人類が敵!?
歴史的名声をえているニーチェ像も、じつは薄氷の上にあり、いつ水没してもおかしくないわけだ。
では、本当のところはどうなのだろう?
第一の疑惑はワーグナーがからんでいる。
ワーグナーは、言わずと知れたドイツの大音楽家である。19世紀ロマン派歌劇の王様で、「ニーベルングの指環」、「トリスタンとイゾルデ」など、荘厳かつ芝居がかった楽曲で名声をえている。
そのワーグナーの熱烈な信奉者がニーチェだったのである。ニーチェは、学生時代にワーグナーの楽曲に感銘をうけ、個人的な交流が始まった。その後、ワーグナーを讃える書を書いて、インテリからひんしゅくを買った。
そして ・・・
ヒトラーも熱心なワーグナー信奉者だった。ヒトラーは、17歳のとき、シュタイアー実科中学校を放校処分になり、ウィーンに旅行したが、そのとき、友人のアウグスト・クビツェクに絵葉書を送っている。そこにはこう書かれていた。
「僕は今、ワーグナーに夢中だ。明日は『トリスタン』を、明後日には『さまよえるオランダ人』を観るつもりだ」
ヒトラーは、その後、ドイツの総統にまで上りつめるが、ワーグナー熱が冷めることはなかった。定期的に劇場に出かけ、ワーグナーの荘厳な歌劇に酔いしれたのである。
ということで、ニーチェはワーグナーをハブに、ヒトラー(ナチス)のお仲間とみられたわけだ。とはいえ、音楽の趣味が同じだからといって、ナチスシンパ呼ばわりされてはたまらない。
ところが ・・・
ワーグナーは偉大な音楽家にみえるが、うさん臭いところもあった。天上天下唯我独尊で傲慢不遜、しかも、金遣いがあらく、年中金欠だったが、問題はそこではない。
彼の代表作「ニーベルングの指環」は、天界と人間界をまたぐ、壮大な戦争叙事詩だが、モチーフは北欧神話。つまり、神々と北欧ゲルマン人を讃える物語なのだ。
北欧ゲルマン?
じつは、ワーグナーは、北欧ゲルマン人至上を信じる偏屈な反ユダヤ主義者だった。しかも、彼の2度目の妻コージマも反ユダヤ主義者で、夫婦そろって人種差別主義者だったのである。
ゲルマン人最高&ユダヤ人最低?
ナチスの教義そのままではないか。
じゃあ、ワーグナー夫婦はナチス信奉者だった?
ノー!
この二人がナチス信奉者であるはずがない。ナチスが創設される前に死んでいるから。
それに、17歳のヒトラーがワーグナーに魅せられたのは音楽であって、偏屈な人種差別ではない。この頃、ヒトラーのユダヤ人に対する差別意識は、ヨーロッパ人としては平均的なものだった。驚くべきことに、21歳の時、ヒトラーには、ヨーゼフ ノイマンというハンガリー系ユダヤ人の親友がいた。彼に自分の描いた絵を売ってもらっていたのである。
ニーチェもしかり。はじめに、ワーグナーの楽曲に感動し、個人的なつき合いが始まり、彼の知性に魅了されたのである。
そもそも、ニーチェは人種差別主義者ではなかった。彼は「ユダヤ教」を嫌っていたが(厳密には一神教)、「ユダヤ人」を差別していたわけではない。
というわけで、ワーグナーをからめて、ニーチェを「ナチスシンパ」呼ばわりするのは正しくない。
ところが ・・・
やっかいなことに、そう思われてもしかたがない事実があるのだ。ニーチェは著書の中でこう書いている。
「ちっぽけな美徳やつまらぬ分別(道徳)、惨めな安らぎ(宗教)を求めることなかれ、強固な意志と不屈の精神で成し遂げるのだ」
つまり、「道徳」と「宗教」を否定し、内なる声に従い、雄々しく生きよと鼓舞したのである。
これがニーチェ哲学の根幹をなす概念「力への意志」である。そして、この勇ましい思想が、ナチスに利用されたのである。
ニーチェが耽溺したワーグナー トリスタンとイゾルデの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/375.html
フリードリヒ・ニーチェ(1844 - 1900) 音楽家としての顔
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/821.html
フリードリヒ・ニーチェ ヴァイオリンソナタ『大晦日』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/823.html
フリードリヒ・ニーチェ『マンフレッド瞑想曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/822.html
ワーグナーの名曲
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『オペラ さまよえるオランダ人』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/613.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『タンホイザー序曲とヴェーヌスベルクの音楽』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/382.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『3幕からなるロマン的オペラ タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/619.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ロマンティック・オペラ ローエングリン』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/612.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー 前奏曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/377.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー 楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/611.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『舞台祝典劇 ニーベルングの指輪』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/386.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 ラインの黄金』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/618.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ワルキューレ 第1幕』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/371.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ワルキューレの騎行』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/372.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ヴォータンの告別と魔の炎の音楽』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/373.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 ワルキューレ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/617.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『トリスタンとイゾルデ 第1幕への前奏曲とイゾルデの愛の死』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/378.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 トリスタンとイゾルデ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/387.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ヴェーゼンドンク歌曲集』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/614.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 ジークフリート』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/616.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『神々の黄昏 夜明けとジークフリートのラインへの旅』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/374.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『神々の黄昏 ジークフリートの死と葬送行進曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/375.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『神々のたそがれ 第3幕 ブリュンヒルデの自己犠牲とフィナーレ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/376.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 神々の黄昏』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/615.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ジークフリート牧歌』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/194.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『パルジファル 第1幕前奏曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/384.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『パルジファル 聖金曜日の音楽』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/383.html
最美の音楽は何か? _ ワーグナー『舞台神聖祝典劇 パルジファル』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/385.html
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週刊スモールトーク (第280話) 超人エリーザベト~ニーチェを売った妹~
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-280/
超人エリーザベト~ニーチェを売った妹~
■哲学者ニーチェの妹
哲学者ニーチェの人生は波瀾万丈である ・・・ 皮肉に満ちて。
正気の時代は無名で、気が触れると「狂気の哲学者」で有名になり、死して後、「ナチスの予言者」となった。
天才画家ゴッホを彷彿させる切ない人生だが、ゴッホ同様、ニーチェに責任があるわけではない。じつは、ニーチェの名声は彼が正気を失った後、偽造されたものなのである。しかも、偽造したのがニーチェの妹だというから、皮肉な話だ。
とはいえ、偽造されなければ、ニーチェは無名で終わっていた。
偽りの名声か、ありのままの無名か?
まさに、究極の選択だが、ニーチェが生きていたら、きっと、後者を望んだだろう。プラトンなみに理想論と抽象論を愛した人物だから。
では、「ニーチェ」はいかにして偽造されたのか?
ニーチェは、発狂した時点で、哲学者としての寿命は尽きていた。しかも、原稿の多くは未発表だった。このままでは、ニーチェが世に出る術はない。
ところが、その術を提供した人物がいた。ニーチェの実の妹、エリザーベト・ニーチェである。彼女は、兄ニーチェの価値を見抜き、一山当てようともくろんだのである。
エリザーベトは、兄ニーチェの2歳年下で、目がクリっとした愛くるしい女性だった。だが、問題はそこではない。彼女は羊の皮をかぶった怪物だったのである。
■天才プロデューサー
エリザーベトは、商売の天才、まれにみる辣腕プロデューサーだった。しかも、その小さな身体の中には、「鉄の心臓」と「小型原子炉」が秘められていた。それが、揺るぎない信念と無尽蔵のエネルギーを発生し、とてつもない大業を成し遂げたのである。
彼女がプロデュースしたプロジェクトは3つ。
1.哲学の至宝「ニーチェ・ブランド」を確立したこと。
2.南米パラグアイにドイツ人植民地「新ゲルマニア」を建設したこと。
3.ニーチェをナチスのプロパガンダに利用し、ナチスを正当化し、「ナチスの予言者」に仕立て上げたこと。
一目して、AKB48、テーマパーク、村おこしとは一線を画すことがわかる。すべて、歴史を変えた大プロジェクトなのだから。そのすべてが、愛くるしい一人の女性によって成し遂げられたことに驚かされる。
エリーザベト恐るべし ・・・
そもそも、エリーザベトには、尋常ではない信念があった。人の道にはずれ、利にさとく、日和見的ではあったが、その時々で迷いがみじんもないのだ。
それは信念ではなく、思い込みでは?
ノー!
単純な思い込みではない。
エリーザベトの「望み」は、たいてい、「真実」や「正義」に反するものだったが、彼女の中では完全に一体化していた。つまり、「望み=真実=神の摂理」だから、みんな私に従って当然、と本気で信じていたのである。彼女の「望み」が「真実」なら、変わるはずがないのだが、目先の利益にしたがってコロコロ変わった。ところが、彼女がそれに気付いた形跡はない。自己実現への熱い思いが、真っ当な論理を溶解したのである。
だから、エリーザベトの信念は思い込みではない。本人も気付かないほど巧みに偽装された「真実=信念」なのである。これほどタチの悪い”信念”はないだろう。
とはいえ、「鉄の心臓」が生んだ信念と、「小型原子炉」が発生する無限のエネルギーは、とてつもないものを生み出した。発狂した無名の学者から、哲学史に残る「ニーチェ・ブランド」を創造し、ナチスのプロパガンダに利用し、「ナチスの予言者」に仕立て上げたのだから。
なるほど ・・・
ニーチェ・ブランドとナチスの予言者はつながった。では、南米パラグアイのドイツ人植民地は?
じつは、この3つには共通項がある。
エリーザベトには3つの信念があった。人の道にはずれた「人種差別(反ユダヤ主義)」と「国粋主義」と「全体主義」である。この3つは、言わずと知れたナチスのテーゼ、だから、エリーザベトがナチスに加担したのも無理はない。
でも、それと、ドイツ人植民地とどんな関係が?
じつは、最初にこの植民地計画を立案したのは、エリーザベトの夫ベルンハルト・フェルスターだった。彼は、狂信的な反ユダヤ主義者で、ユダヤ人に汚染されたドイツを捨てて、南米パラグアイに新天地を求めたのである。それに、心から賛同し、率先して計画を推進したのが妻エリーザベトだった。
というわけで、ニーチェ・ブランド、ドイツ人植民地、ナチスの予言者は、すべて、エリーザベトの信念にもとづいている。
話をナチスとニーチェにもどそう。
エリーザベトが、ニーチェ・ブランドをナチスのプロパガンダに利用したのは、ナチスに心酔したからだが、理由はそれだけではない。彼女は利にさとく、商売上手だった。つまり、ソロバンをはじいたのである。
具体的には ・・・
ナチス政権に加担し、その見返りとして、国から資金を引き出し、ニーチェ・ブランドの諸経費にあてる。あっと驚く厚かましいソロバンだが、それが現実に成功したのだから、仰天ものである。
ということで、エリーザベトは、ナチスのイデオロギーをニーチェ哲学で理論武装しようとした。
ところが、一つ問題があった。
ニーチェは、人種差別、国粋主義、全体主義を嫌悪していたのである。つまり、ナチスのイデオロギーとは真逆。
■ニーチェとナチス
ニーチェは人種差別主義者ではなかった。
当時、ドイツのみならず、ヨーロッパ中が反ユダヤ主義に染まっていたが(デンマークは除く)、ニーチェはそれを嫌っていた。
一方、ニーチェがユダヤ教を批判したことは事実である。ただし、彼が批判したのはユダヤ教の教義であって、信者のユダヤ人ではない。実際、ニーチェはユダヤ教だけではなく、キリスト教も同じ論理で批判している。つまり、人種とは何の関係もないのだ。
では、ニーチェはなぜそれほどユダヤ教・キリスト教を嫌ったのか?
ユダヤ教もキリスト教も、現実世界で国家権力に敗北したが、その恨みを晴らすために、精神世界をでっちあげたと考えたのだ。
具体的には ・・・
われわれは国家権力に迫害され、虐殺されたけど、本当に負けたわけじゃない。精神世界、つまり、道徳の観点でみれば、暴力をふるった方が負け。つまり、われわれは本当は勝者なのだ。
負けを素直に認めればいいものを、卑屈な話ではないか?
そこで、ニーチェはこれを「奴隷道徳」とよんで、さげすんだ。弱者を救済するための方便と考えたのである。詭弁を弄して、正当化しようが、根本はひがみとねたみではないか。ニーチェは、このような価値観を「ルサンチマン(フランス語で「ひがみ・ねたみ」)」とよんで、忌み嫌った。
つまり、ニーチェは、ユダヤ教とキリスト教の道徳的価値観を否定したのであって、ユダヤ人を差別したわけではない。
さらに、ニーチェは、国粋主義も全体主義も嫌悪していた。
国粋主義は民族主義のお仲間である。自分の国や民族は最高で、自分たちさえ良ければ、他はどうなってもいい。たとえ、我々に滅ぼされようとも(いますよね、こんな国や民族)。
一方、全体主義は、個人より国家の利益を優先する。国が戦争が勝つためには国民が何十万、何百万人死のうが関係ない!
ヒドイ ・・・ やっぱり、全体主義は「悪」?
じつはそうでもない。現実は複雑なのだ。
たとえば、戦争は勝ってなんぼ。負けたら「個人」の不幸度は極大化するから。第二次世界大戦で、原爆を落とされ、領土を割譲され、戦後70年経っても悪者呼ばわりされる哀れな日本をみれば、明々白々。
つまり、戦争をやるからには絶対に勝たねばならない。そのためには、全体主義が必要なのである。君どうしたの?体調悪いんなら敵前逃亡してもいいよ、など、個人の都合を優先して、戦争に勝てるわけがないではないか。
しかし、プラトン主義的な理想と抽象の世界にハマったニーチェは、現実世界で有効な全体主義を理解できなかった。というか、国家や組織のような「集合」の力を考えようともしなかった。「個」の力の偉大さを神話のように語り続けたのである。
ニーチェは、民主主義、社会主義、全体主義、国粋主義、民族主義 ・・・ イデオロギーと名のつくものは、すべて否定した。イデオロギーは「大衆=マス=集合」を支配する概念で、「個」の力を削ぐと考えたのだろう。
ニーチェは、人間はかくあるべしと考えた ・・・
健全な欲望、たとえば、権力欲、金銭欲、名誉欲、欲望を押し殺してはならない。それは自然の摂理に反するから。ニーチェは、このような純粋な欲望を「力への意志」とよび、それを秘めた人間を「超人(オーヴァーマン)」とよんで讃えた。
さらに、ニーチェは「超人」と「ルサンチマン」がせめぎ合う未来も予言した。
ルサンチマンは、信仰によって骨抜きにされ、自分の欲望を直視することができない。さらに、自分というものがなく、「群れ」でしか生きられない。だから、本当は弱虫。ところが、それを認めず、道徳をでっちあげて、自分は上等だと言い張る。こんな独りよがりの妄想が、長続きするわけがないと。
その結果 ・・・
誰も神を信じなくなる。信じてもらえない神は、神ではない。ゆえに、神は死んだのだと。
その瞬間、道徳も崩壊する。
なぜか?
一神教の信者が道徳を守るのは、神罰を恐れるから。ところが、神がいなくなれば、神罰もなくなる。つまり、「神が死んだ」瞬間、道徳も崩壊するのだ。
神が死んで、道徳が崩壊すれば、よりどころを失ったルサンチマンは滅ぶ。しかし、超人は生きのびる。何事にも束縛されない「自由」と、自己実現の「意志」で、新しい価値観を生み出せるから。
これが、ニーチェの「超人思想」である。
こんな粗野で、暴力的で、背神的な思想をぶち上げ、大胆にも「アルコールとユダヤ教・キリスト教を二大麻薬」と言い切ったのである。
一方、ヒトラーは、第9回ナチス全国党大会で、「ボリシェヴィキ(ロシア共産主義)とキリスト教は二大麻薬」と宣言した。
なんか似ている?
似ているどころではない。
ニーチェの教義は、「力への意志」、「超人」、「背神」 ・・・
「力への意志」は、女流映画監督レニ リーフェンシュタールが撮ったナチスのプロパガンダ映画「意志の勝利」を彷彿させる。さらに、「超人」も「背神」も、ナチスの理念そのもの。力強く、斬新で、カッコイイ、でも、暴力的で危険だ。根っこにあるのは「力への賛美」、「反宗教」 ・・・ ナチスまんまではないか!
エリーザベトはココを突いた。
ニーチェの原稿から、文脈を無視して、大衆を惹きつける威勢のいい語句をピックアップし、断片的に散りばめて、ナチスのイデオロギーを正当化したのである。
つまり、エリーザベトにとって、ニーチェの創作物は便利な宣伝の道具にすぎなかった。もちろん、ナチスにとっても。
とはいえ、エリーザベトに悪意はない。彼女の名誉のために一言付け加えなければならない。
エリーザベトは、自己実現のために兄とナチスを利用したが、それに負い目も引け目も感じていなかった。神経が太いのではない。考えがおよばなかったのだ。エリーザベトは、兄ニーチェの哲理を心から崇拝し、それが、ナチスのイデオロギーと一致していると信じ、それを融合させようと真剣にプロデュースしたのである。ニーチェと違い信心深かったエリーザベトは、それが神の摂理だと、信じて疑わなかった。
この世で、もっとも恐ろしいのはこの手の錯覚である。
私利私欲ではなく、立派な大義があり、神の助けがあると信じているから、一切の迷いがなく、無敵なのだ。歴史に残る大業は、この手の錯覚から生まれたものが多い。そもそも、ふつうの信念、ふつうの努力、ふつうのやり方で、大業がなせるわけがないではないか。
というわけで、ニーチェは死して後、ナチスのシンパにされてしまった。それどころか、ナチスのイデオロギーの理論付けに加担させられたのである。ナチスは全体主義、ニーチェは個人主義という、決定的かつ相容れない矛盾があるにもかかわらず。
だからこそ、エリーザベトは偉大なのである(皮肉ではなく)。誰も成し遂げられない難事業を一人でやってのけたのだから。たとえ、それが人の道に反していたとしても。
プロデューサーとは無から有を生み出す魔術師である。場末のステージで歌っていたパッとしないユニットも、名プロデューサーにかかれば、国民的大スターにのしあがる。捏造(ねつぞう)だろうが、でっち上げだろうが、成功して価値を生むようになれば、ホンモノである。これが、プロデューサーの醍醐味だろう。
では、エリーザベトは、いかにして大業を成し遂げたのか?
まずは、原点「ニーチェ・ブランドの確立」から。
■ニーチェ・ブランド
大哲学者フリードリヒ・ニーチェは、勇ましい「超人思想」をぶちあげ、自ら「超人(オーヴァーマン)」たらんとしたが、行き着いたのは狂気の世界だった。
1889年1月3日、トリノの街を散歩中に、老馬が御者に鞭打たれるのをみて、泣き崩れ、そのまま気が触れたのである。
ところが、このとき、ニーチェはまだ無名で、原稿の多くは未発表だった。このままでは、ニーチェは歴史年表から消える。
さて、ここで、名プロデューサー、エリーザベトの登場である。
ニーチェは、発狂後、精神病院に入れられたが、たった半年で医者に見放された。その後、ナウムブルクの実家にもどって自宅療養したが、その頃から名が知られるようになった。新聞が、「ナウムブルクの狂気の哲学者」として書き立てたからである。
ナウムブルクに巣くう精神異常の天才哲学者 ・・・ 大衆の野卑な好奇心を惹き付けるにはうってつけのネタである。次に何が起こるか?
エリーザベトはこのチャンスを見逃さなかった。
まず、彼女が目をつけたのがニーチェの未発表の原稿である。
ナウムブルクの狂気の哲学者、未発表の原稿が発見される!
ブレイク間違いなし ・・・
事実、ニーチェは、発狂した時、膨大な未発表の原稿を残していた。ところが、それは原稿というより、思いつきやアイデアのたぐいで、メモ用紙に殴り書きされていた。何の脈絡もない、断片的な語句 ・・・ これでは出版はおぼつかない。
では、エリーザベトはどうしたのか?
エリーザベトにとって、兄の原稿はチンプンカンプンだった。哲学の素養以前に、思考力に問題があったのだ。のちに、エリーザベトが創設したニーチェ館のメンバーのルドルフ・シュタイナーは、こう言っている。
「(エリーザベトは)兄上の学説に関してはまったく門外漢だ ・・・ 細かな差異を、いや、大ざっぱであれ、論理的であれ、差異というものを把握する感覚が一切欠けているのだ。あの人の考え方には論理的一貫性がこれっぽちもない。そして、客観性というものについての感覚も持ち合わせていない ・・・ どんなことでも、自分の言ったことが完全に正しいと思っている。昨日は間違いなく赤かったものが、今日は青かったと確信しているのだ」(※1)
見込みなし ・・・
ところが、エリーザベトは典型的な問題解決型人間だった。問題の難しさなどどこ吹く風、問題解決にまっしぐら、解決のためなら手段を選ばず。自分ができなければ、できる人間にやらせればいいのだ。
ニーチェの落書き原稿は、手に負えないものだったが、それを解読できる者が一人だけいた。ニーチェの友人ペーター・ガストである。エリーザベトは、ガストを雇い、ただちに、原稿の編集を命じた。
一方、ナウムブルクの実家に移されたニーチェは、母フランツィスカが面倒を見ることになった。
エリーザベトの凄いのは、この二つを完全に自分の管理下においたことである。
原稿の編集をガストに、ニーチェの身の回りの世話を母フランツィスカに任せ、注意深く管理したのである。
エリーザベトは、
1.未発表の原稿を出版する。
2.ナウムブルクの狂気の哲学者の”悲劇ぶり”を継続的にアピールする。
この二つが、「ニーチェ・ブランド」の両輪であることを見抜いていたのである。
ところが、このような多忙な時期に、エリーザベトはもう一つのプロジェクトをスタートさせる。
南米パラグアイのドイツ人植民地である。
しかも、このプロジェクトは、プロデュースしただけではない。あろうことか、夫と連れだって、自ら辺境の地パラグアイに旅立ったのである。
歴史的大プロジェクトを3つ同時進行させる?
このようなパワーは一体どこから生まれるのか?
「鉄の心臓」と「小型原子炉」 ・・・
兄ニーチェは「超人」を目指して破綻したが、妹のエリーザベトは正真正銘の「超人・オーヴァーマン」だったのである。
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-280/
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週刊スモールトーク (第281話) アーリア人植民地計画Ⅰ~人種の純化~
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-281/
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週刊スモールトーク (第282話) アーリア人植民地計画Ⅱ~ヴァーグナー神話~
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-282/
アーリア人植民地計画Ⅱ~ヴァーグナー神話~
■優生学の時代
アーリア人の神話は強力である。
最強の人種にして、文明を担う者、そして、地球の支配者、それがアーリア人 ・・・ だったはずなのに、今では、カスピ海周辺からイランやインドに流れ着いた集団、で落ち着いている。
ではなぜ、それが神話にまで登り詰めたのか?
ことの発端は、19世紀、フランスで出版された書「人種の不平等論」までさかのぼる。この中で、著者アルテュール・ゴビノーは、白人が最も優秀で、とりわけアーリア人が一番で、「支配人種」とまで持ち上げたのである。
さらに、ゴビノーは恐るべき警告を発している。
「黒、黄、白の肌の色の違いは、自然が設定した人種の『壁』、だから温血は禁じるべきである。混血で人種の『壁』が崩壊し、文明が退化するから」
混血で、なぜ文明が退化するかわからないが、「黒、黄」側にしてみれば、心穏やかではない。ところが、これを正当化したのが「優生学」だった。
「優生学」は、19世紀、フランシス・ゴルトンを起源とする気味の悪い学問である。一言でいうと「人間の品種改良」。
本来なら、倫理的な非難をあびてしかるべきなのだが、当時、世を騒がせていた「ダーウィンの進化論」に後押しされた。結果、20世紀初頭に大きな成功をおさめるのである。
というのも ・・・
ダーウィンの進化論のキモは「自然淘汰と適者生存」 ・・・ 弱者が滅び、強者が生き残る、つまり、自然による生物改良。
一方、優生学のキモは「生殖による人間改良」 ・・・ 優秀な人間同士が結婚し、優秀な子孫を残す。つまり、人為的な人間改良。
というわけで、優生学の「人間改良」は進化論の「生物改良」によって理論付けされたのである。こうして、優生学はヨーロッパで広く認知されていく。ところが、その結末は恐ろしいものだった。ナチスドイツが、優生学を盾に、ゲルマン人至上主義、ジェノサイド(民族絶滅)を正当化し、歴史上最大のユダヤ人迫害を引き起こしたのである。
ところが、それも長く続くかなかった。
第二次世界大戦後、アウシュヴィッツをはじめナチスの強制収容所の蛮行が明らかになると、世界は震撼した。結果、優生学はナチスのお仲間にされ、「疑似科学」の烙印までおされたのである。
しかし ・・・
遺伝子とDNAが解明された今、優生学は疑似科学とは言えない。そもそも、優生学のキモ「生殖による人間の品種改良」は古くから行われてきた。支配者や成功者が、自分の娘に頭の良い婿を迎え、優秀な子孫をのこそうとしたのは、その一例である。
実際、IQの高い両親からは、80%の確率で、IQの高い子供が生まれるというデータもある。身長はもっとわかりやすい。突出して背の高い両親からは、ほぼ間違いなく背の高い子供がうまれる。この相関関係は統計学で、因果関係は遺伝学で説明できるので、真実といっていいだろう。
というわけで、人間も生物なのだから、「農作物の品種改良」がアリなら、「人間の品種改良」もアリ ・・・ 倫理的な問題はさておいて。
ただし、優生学が成立したからといって、「ユダヤ人が劣等で、アーリア人が優等」とは限らない。この二つは別の話だから。それどころか、ノーベル賞受賞者とお金持ちにユダヤ人が多いのだから、「ユダヤ人が優等」かもですよ。
ところが、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、優生学と反ユダヤ主義はいっしょくたにされた。それを真に受けたのが、哲学者ニーチェの妹エリーザベトと夫のフェルスターである。この二人は極めつけの反ユダヤ主義者で、ドイツ本国がユダヤ人に汚染されたと考えて、南米パラグアイで植民地「新ゲルマニア」の建設をもくろんだのである。
■ヴァーグナーの世界
そもそも、エリーザベトとフェルスターを結びつけたのは、他ならぬ「反ユダヤ主義」だった。しかも、その仲介者というのが、大哲学者ニーチェと大音楽ヴァーグナーというから驚きだ。しかし、断じて言うが、ニーチェは人種差別主義者ではない。
では、ヴァーグナーは?
夫婦そろって反ユダヤ主義者(フェルスターほどではないが)。
リヒャルト・ヴァーグナーは、19世紀ドイツの大音楽家で、ロマン派歌劇の王様である。「トリスタンとイゾルデ」や「ニーベルングの指輪」などの作品で知られるが、輝かしい名声の裏側に、アーリア人至上主義、国粋主義者という闇の部分がある。とはいえ、自ら、台本を書き、作曲、歌劇の構成、指揮まで手がけるのだから、万能型の天才だったのだろう。
さらに、ヴァーグナーには尋常ならざるカリスマがあった。この頃、ヴァーグナーはスイスのルツェルン湖畔にあるトリプシェンを拠点にしていたが、そこに、ヴァーグナー信奉者がおしかけたのである。トリプシェンの邸宅は、さながら「ヴァーグナー・ワールド」のメッカだった。
そのヴァーグナーの取り巻きの一人が、若き日のフリードリヒ・ニーチェだった。彼は、自著「この人を見よ」のなかで、こう書いている。
「ほかの人間関係ならば全部安く売り払ってもいい。しかし、あのトリプシェンの日々だけはたとえどんなに積まれても、私の人生から引き離して手放すつもりはない。信頼と解決と崇高な偶然の日々、深遠な瞬間に満たされた日々だった」
さらに、ニーチェは著書「悲劇の誕生」の中で、公然とヴァーグナーと賛美した。その卑屈な論調に、大きな批判が巻き起こった。一方、ヴァーグナーは大喜びで、「こんな美しい書物は読んだことがない」と絶賛した(あたりまえですね)。
そんなこんなで、ニーチェのヴァーグナーへの入れ込みようはハンパではなかった。1870年7月には、妹のエリーザベトまでトリプシェンの邸宅に引き入れている。しかも、ヴァーグナー家の子供達のベビーシッターとして。なんと、卑屈な!
ところが、エリーザベトは、たちまち、ヴァーグナー・ワールドのとりこになった。
一方、ニーチェのヴァーグナー熱はだんだん冷めていく。その時期、ニーチェは不眠症、頭痛、嘔吐感に悩まされたが、それが原因だったかはわからない。
ではなぜ、ニーチェはヴァーグナーに失望したのか?
エリザーベトは、トリプシェンの邸宅の様子をこう書いている。
「大広間をのぞいてみると、そこには少なくとも40人ほどの楽長、若い音楽家、文筆家たちがヴァーグナーとの面会を待っていた。年配の人たちは低く抑えたような声で語り、若い人々は美しい畏敬の表情で耳を傾けていた」(※1)
卑屈な追従者に囲まれ、それにご満悦のヴァーグナー ・・・ そんな世界が、ニーチェには安っぽく見えたのである。彼はこう書いている。
「まさに身の毛もよだつ人間たちの集まりだ。出来そこないは一人とて欠けてはいない。反ユダヤ主義者さえもだ。哀れなヴァーグナー、なんという境遇に陥ってしまったことか!豚に囲まれている方がまだましだ!」
一方、エリザーベトはこの安っぽい世界がお気に入りだった。
それにしても、ヴァーグナーのカリスマには驚くばかりだ。音楽を解さない者まで虜にするのだから。じつは、そんな門外漢の取り巻きがもう一人いた。のちにエリザーベトと結婚するベルンハルト・フェルスターである。
■フェルスターの企て
フェルスターは、この頃、ベルリンの学校教師をしていたが、トリプシェンのヴァーグナー・ワールドに入り浸りだった。
ヴァーグナーに取り入って、反ユダヤの援助をとりつけようとしていたのである。ところが、ゼンゼン相手にされない。そこで、ヴァーグナーお気に入りのニーチェ兄妹の妹エリーザベトに近づいたのである。
フェルスターはエリーザベトに「反ユダヤ主義とドイツ人の魂の復活」を熱く語った。彼女はすぐに賛同した。似た者夫婦だったのだろう。ところが、兄ニーチェはそれが気に入らなかった。フェルスターが信奉する人種差別と国粋主義を嫌悪していたから。
ニーチェは、人種と国家を超えた個人主義を尊んだ。なかでも、健全な欲望を実現しようとする人間を「超人(オーヴァーマン)」とよんで讃えた。これがニーチェの超人思想である。
フェルスターはエリーザベトという同志を得て、ますます自信を深めた。そして、反ユダヤ主義を加速させていく。
1880年11月8日、フェルスターは、ベルリンで事件を起こした。仲間たちと「反ユダヤ」で盛り上がったあと、ユダヤ人と乱闘騒ぎをおこしたのである。フェルスターは逮捕され、90マルクの罰金を払ったが、人種差別主義者たちの間で、大いに株を上げた。
フェルスターの主張は単純だった。
「ユダヤ人はあこぎな商売をして、ドイツ文化を破壊しようとしている」
そして、東ゴート族の法典の一節を付けくわえるのだった。
「祖国を裏切った者は、みな裸の木に吊されるのだ」
フェルスターは、ユダヤ人をおとしめるのに労を惜しまなかった。学校教師をしながら、時間をどうやりくりしたのかわからないが、「反ユダヤ」署名を26万7000もかき集め、嘆願書を添えて首相官邸に持ち込んだのである。
ところが、反応はゼロ。というのも、このとき、ドイツ帝国の首相は名宰相ビスマルク。彼のような合理主義者・現実主義者が、浮ついたイデオロギーに賛同するはずがない。というわけで、フェルスターの努力はムダに終わった。
一方、ニーチェの方は、病状が悪化し、バーゼル大学を辞職せざるをえなくなった。その後、ヨーロッパを放浪しながら、在野の哲学者として活動を続けた。
しかし、ニーチェの哲学は自らを破滅に追い込んだ。彼の哲理は、粗野で暴力的で、神をも怖れない、しかも、水も漏らさぬ論理で、一寸のスキもなくたたみ込んでいく。一瞬の安らぎも許さないのだ。
このような救いのない哲理は、ニーチェの女性観にも反映されている。37歳のとき、彼はこう書いている。
「真の男が求めるものは2つある。危険と遊びだ。それで真の男は女性を求めるのだ、もっとも危険な遊びとして」
ニーチェは街の女と遊んで梅毒に感染したが、もちろん、それを言っているのではない。とすれば、皮肉な話ではないか。
また、このような女性観はニーチェの感情的未熟さをあらわしている。万華鏡のような女性の多様性、多面性を見ようともしないのだから。
話をフェルスターにもどそう。
乱闘騒ぎを起こした2年後の1882年、フェルスターは度を超した人種差別主義が祟って学校を追放される。一方、エリーザベトとの関係は良好だった。人の道に外れた反ユダヤ主義で盛り上がったのだろう。
そして、1880年、フェルスター夫妻にとって決定的な出来事が起こる。二人が信奉するヴァーグナーが「宗教と芸術」のなかで、もってまわった言い方で、こう主張したのである。
「高貴な人種と高貴ならざる人種との混合が、人類最高の特質を損ないつつある。アーリア人種の純粋さを保つことによってのみ、人種の復活は成し遂げられる ・・・ 食糧を供給するのに十分肥沃な『南アメリカ大陸』に人々を移住させることを阻むものは一つもない」
フェルスターはこれに飛びついた。
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-282/
週刊スモールトーク (第283話) アーリア人植民地計画Ⅲ~パラグアイ移住~
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週刊スモールトーク (第284話) アーリア人植民地計画Ⅳ~新ゲルマニア伝説~
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週刊スモールトーク (第285話) エリーザベト伝説Ⅰ~ニーチェブランドの創作者~
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エリーザベト伝説Ⅰ~ニーチェブランドの創作者~
■第二の人生
パラグアイのドイツ人植民地「新ゲルマニア」は崩壊寸前だった。
植民地の悲惨な状況が暴露され、入植する者がいなくなり、創設者のフェルスター夫妻でさえ植民地を去ったのだから。妻のエリーザベトは故郷のドイツへ、夫のベルンハルトは黄泉の国へと。もっとも、エリーザベトの場合は、去ったのではなく、追放されたのだが。
ところが、エリーザベトは落ち込まなかった。第二の人生を見つけたのである。兄ニーチェの著書を独占販売して金儲け!
兄の名声で金儲け? このバチ当たりが!
・・・ ではなく、事実はその逆。
じつは、現在に到るニーチェの名声は、妹エリーザベトのおかげだったのである。もし、エリーザベトがいなかったら、ニーチェは無名の学者で終わっていただろう。ニーチェが発狂した時点で、主要な著書はまだ発表されていなかったから。もっとも、その場合、「ナチスの協力者」という汚名を着せられることもなかったが。
それにしても、エリーザベトの頭の切りかえの早さ、変わり身の早さはどうだろう。
人生をかけたプロジェクトが失敗し、夫が自殺したのに、落ち込むこともなく、新しいプロジェクトに、打ち込めるのだから。一体どんな神経をしているのだ?
と、悪口をいう前に、彼女を見習うべし!
彼女の辞書には、後悔、悩み、ストレスなど、金にならない単語は登録されていないのだから、と、誉めているのか、けなしているのか、自分でもわからない。
というわけで、エリーザベトは、第二の人生に胸を膨らませて、ドイツに帰国した。彼女が、ナウムブルクの実家に帰ると、ニーチェは以前より大人しくなっていた。大声をあげることも、暴れたりすることもない。一日中、黙って、宙を見すえているのだ。
ところが、エリーザベトは、この”痛ましい姿”をお金に替えることを思いついた。
兄の心の病で金儲け?
あさましい! と責める前に、一体どうやって?
天才哲学者、狂気の世界へ、波瀾万丈の人生 ・・・
でも、そんなベタなやり方でうまくいく?
同情で気を惹いても、一過性の話題で終わるのは見えている。大衆は、飛びつきやすく、飽きやすいものだから。
ところが、エリーザベトはこの難儀なプロジェクトを成功させた。驚くべき手法で。
■ニーチェ・ブランド
エリーザベトの兄ニーチェは優れた哲学者だったが、自分が構築した哲理に押し潰されてしまった。勇ましい「超人思想」をぶち上げ、自ら実践した結果、心の病にとりつかれたのである。しかも、最も重い統合失調症に。老馬が御者に鞭打たれるのをみて、泣き崩れ、そのまま発狂したというから、ことは深刻だ。
ところが、エリーザベトはその「痛ましい姿」を「超人」に昇華させたのである。
どうやって?
「狂人=弱者」→「狂人=普通じゃない=超越的存在=超人」
目の覚めるようなコペルニクス的転回だ ・・・
でも、そんなカンタンにいく?
それが、うまくいくのだ。
じつは、狂人を超人にすり替えるのは難しいことではない。常識と論理を捨てればいいのだ。そもそも、正攻法で考えても、答えは見つからないから。
ではどうすればいい?
「神話」にすればいい。神話なら、なんでもアリだから。
ただ、エリーザベトが、論理的に考えて、この手法にたどり着いたとは思えない。そもそも、「自分が神話を作っている」ことにも気付かなかっただろう。彼女は筋道立てて考えるということができない。つまり、行動した結果、「ニーチェ神話」ができあがっていたのである。バカにしているのではない。天才だと言っているのだ。
じつは、天才エリーザベトには協力者がいた。彼女の側近のルドルフ・シュタイナーである。彼は詩人であり、詐欺師でもあったが、その才能を用いて、ニーチェをこう讃えた。
「ニーチェが、ひだのある白い部屋着に身を包んで横たわり、濃い眉の下の深くくぼんだ目を見開いて、バラモンのように凝視し、問いかけるような謎に満ちた顔をして、思索家らしい頭を獅子のように威厳に満ちて傾けるのを見れば、だれしも、この男が死ぬなどということはなありえない、この男の目は永遠に人類の上に注がれることだろう、という感じがするのだった」(※1)
だまされていはいけない。ここに書かれているのは、自分の身の回りの世話さえできない廃人なのだ。それが、シュタイナーの呪文にかかると、バラモン、獅子 ・・・ 超人?!
これほど見事に人をだませるのは、詐欺師しかいないだろう。
これが、言葉の力、宣伝の力、プロデュースというものなのである。
ところが、詐欺師、いや、協力者は他にもいたのだ。ニーチェの信奉者、ハリー・ケスラー伯爵である。彼は、慎重に言葉を選びながら、シュタイナーの主張を増幅させた。いわく、
「彼はソファーで眠っていた。その巨大な頭を右に傾けて垂れ、胸に沈めていた。まるで、重すぎて首では支えきれないかのようだった ・・・ 病人とか狂人というよりも死人のようだ」
そして、驚くべきことに、協力者は音楽界にもいたのである。
1896年、音楽家リヒャルト・シュトラウスが、ニーチェの著書「ツァラトゥストラはかく語りき」をモチーフに交響曲を書いたのである。曲名もそのまま、「ツァラトゥストラはかく語りき」。この楽曲は、スタンリー・キューブリックのSF映画のカリスマ「2001年宇宙の旅」に使われ、一躍有名になった。
こうして、ニーチェは正気を失った後、急速に名声を得ていく。もちろん、すべて、エリーザベトのおかげ。ニーチェは自分の身の回りのことさえできないのだから。
ここで、エリーザベトの名誉のため少しフォローしておこう。このままでは腹黒い守銭奴で終わりそうなので。
じつは、エリーザベトは腹黒い守銭奴ではなかった。彼女は、兄ニーチェが有名になるのを心底望んでいたのである。兄ニーチェを心から尊敬し、偉大な哲学者、預言者だとかたく信じていたから。だから、複雑な守銭奴なのである(フォローになったかな)。
とはいえ、エリーザベトは自分を有名にすることも忘れなかった。彼女はこう言い切っている。
「フリッツ(フリードリヒ・ニーチェのこと)には、どこかたぐいまれなところがあることを幼いときから見て取り、その確信を口にした、たった一人の女の肉親が、妹のこの私なのである」(※1)
さらに ・・・
エリーザベトは、ニーチェ本の編集にまで口を出した。
ちょっと待った、彼女は哲学を理解できるの?
ムリ。
エリーザベトの側近のルドルフ・シュタイナーによれば、
「(エリーザベトは)兄上の学説に関してはまったく門外漢だ ・・・ 細かな差異を、いや、大ざっぱであれ、論理的であれ、差異というものを把握する感覚が一切欠けているのだ。あの人の考え方には論理的一貫性がこれっぽちもない。そして、客観性というものについての感覚も持ち合わせていない ・・・ どんなことでも、自分の言ったことが完全に正しいと思っている」(※1)
やっぱり、ムリ。
ところが、エリーザベトの編集付きのニーチェ本は評判がよかった。というか、飛ぶように売れたのである。エリーザベトは哲学の素養も論理的思考も持ち合わせていなかったが、セリフのセンスだけは抜群だったのだ。
たとえば ・・・
新ゲルマニアはまがいもので、それを喧伝するフェルスター夫妻はペテン師だと、非難されたとき、エリーザベトは反論したが、返す刀で、反ユダヤ同盟を一刀両断にしている。反ユダヤ同盟は、夫のフェルスターと同じ反ユダヤ主義なのに、夫に資金援助をしなかったからである。
そのときのエリーザベトのセリフがふるっている。
「おお、反ユダヤ主義のみなさん、恥知らずにも、あなた方のもっとも理想的な指導者の一人を見捨てることが、あなた方の誠実さですか、勇敢さですか ・・・」(※1)
エリーザベトは哲学や論理は苦手でも、大衆をたぶらかす言霊(ことだま)には精通していたのである。
■エリーザベトの野望
狂人を超人に仕立て上げ、話題性を高め、本の販売数を増やして一儲けする ・・・ エリーザベトの野望はそんなものではなかった。もっと、大きな野望があったのである。
「ニーチェ・ブランド」の確立。
そのための最初のステップが「ニーチェ資料館」の設立だった。この資料館をニーチェ・ブランドの象徴にすえて、露出を増やし、有名にして、書籍以外の商売をもくろんだのである。
具体的には、ニーチェの著作(ワンソース)を、多角的に活用して、書籍以外の形態で収入を得る。これは、現在のデジタルコンテンツの最先端手法で、「ワンソース・マルチ展開」とよばれている。
つまり、エリーザベトは、100年未来の最先端手法を駆使していたのである。プロデューサーの訓練も受けていないのに、どうやって閃いたのだろう。
1894年2月2日、ナウムブルクの実家で「ニーチェ資料館」が開館した。ニーチェの著書、手紙、そのほか、ニーチェにまつわるあらゆるものが詰め込まれた。ここに来れば、ニーチェ・ワールドが堪能できるわけだ。
1897年4月20日、ニーチェの身の回りの世話をしていた母フランツィスカが他界した。エリーザベトは、これを機に、兄とニーチェ資料館をヴァイマルに移そうと考えた。ヴァイマルは、ドイツ古典研究の中心であり、ゲーテー、シラー、リストなど著名な文化人を輩出している。だから、ニーチェにふさわしい町だと考えたのである。
とはいえ、ヴァイマルで新しい資料館を開館するには大金が必要だ。それはどうしたのか?
ニーチェを崇拝する友人で、お金持ちのメータ・フォン・ザーリスが出した。そのお金で、ヴァイマルを見渡す丘の上にある豪壮なジルバーブリック館を買い取り、資料館に改造したのである。一階には、ニーチェの著書、手紙、日記、絵画が展示された ・・・ ところが、その横に、パラグアイ時代のエリーザベトにまつわる品々、ベルハンルト・フェルスターの胸像まで展示された。ニーチェ資料館、それとも、エリーザベト資料館?
ヴァイマルに新しいニーチェ資料館(ジルバーブリック館)が開館すると、ヨーロッパ中の知識人が押しかけた。悲劇の天才哲学者ニーチェの世界を堪能しようと。こうして、ニーチェの知名度は増し、著書は難解な哲学書にもかかわらず、売れ続けた。ニーチェの健康が悪化すると、さらに名声は高まり、本の販売数もうなぎのぼりだった。すべて、エリーザベトの思惑通り。
そして、いよいよ「ワンソース・マルチ展開」の大攻勢が始まる。
1898年10月に、アルノルト・クラーマーが「椅子にすわる病めるニーチェ」と題する彫像を製作した。もちろん、アートとして。それを見たエリーザベトは閃いた。これで一儲けできる!
クラーマーの彫像をテンプレートにして、サイズの違うレプリカを製造・販売したのである。居間や書斎に飾れば、最強の知的オブジェになるし、いっぱしの哲学者気分にもひたれる。実際、このレプリカは飛ぶように売れた。エリーザベトの商売上手には脱帽だ。
1900年8月25日、ニーチェは風邪をこじらせて、あっけなく死んだ、まだ、55歳だった。
エリーザベトはこの機会を逃さなかった。「ニーチェの死」が下火になる前に、ジルバーブリック館を大改装し、「ヴァイマルにニーチェあり!」を大々的にPRしたのである。
ところが、エリーザベトの野望はこんなものではなかった。
この頃、毎年、バイロイトでワーグナー歌劇祭(バイロイト音楽祭)が開催され、多くの知識人が訪れていた。そのため、バイロイトはドイツ文化の中心の感があった。
そこで、エリーザベトは「ニーチェのヴァイマル」を得意の宣伝でピカピカに飾り立て、「ワーグナーのバイロイト」を蹴落として、ドイツ文化の中心にすえようとしたのである。
■力への意志
さらに ・・・
エリーザベトは、ニーチェの著書を売るだけでは満足しなかった。なんと、ニーチェの未完の書まで出版したのである。
ニーチェは死んでいるのに、どうやって?
じつは、ニーチェのメモを理解できる人物が一人だけいた。ニーチェの信奉者で、親友のペーター・ガストである。そこで、エリーザベトはガストを再雇用した。
ガストは、ニーチェが書いたり、棄てたりした、試行錯誤の産物を継ぎはぎして、一冊の本を創りあげた(恐ろしいことにエリーザベトの指示に従って)。この怪しげな本は「権力への意志」と命名され、1901年にドイツで出版された。そして、ニーチェの代表作の一つになったのである。
しかし、忘れてはいけない。ニーチェは「権力への意志」という本は書いていない。書いたのはエリーザベトとその仲間なのだ。
とはいえ、この本がニーチェの哲理から大きく逸脱しているとは思えない。
なぜなら、エリーザベトにそんな創造力はないから。
この本に登場する「力への意志」は、ニーチェ哲学の根本をなす概念で、人間が高みを目指す力の源を意味している。この言葉は、ニーチェの代表作「ツァラトゥストラはかく語りき」に初めて登場し、超人思想やルサンチマンの土台となった。
というわけで、エリーザベトは、ニーチェの未完の書までお金に替えたのである。まるで、ギリシア神話のミダース王ではないか。触ったものすべてを黄金に変えるのだから!
こうして、ニーチェが死んだ後も、エリーザベトはこの世の春だった。ニーチェの著作で実入りはいいし、寄付を申し出る奇特な金持ちも後を絶たなかったから。
その中の一人が、スウェーデンの銀行家エルネスト・ティールだった。ある日、彼からエリーザベトに一通の手紙が届いた。寄付の申し出なのだが、金額がハンパではない。彼はニーチェの熱烈な崇拝者だったのである。
エリーザベトにとって、願ったり叶ったり、ところが、一つ問題があった。エルネスト・ティールはユダヤ人だったのである。エリーザベトは極めつけの反ユダヤ主義者で、ドイツ本国がユダヤ人に汚染されたからと、わざわざ、遠路パラグアイまで行って、アーリア人植民地を建設したのだから。
そんなわけで、ユダヤ人から寄付は受け取れません! ・・・ なら、いさぎよかったのだが、そうはならなかった。1907年9月、エリーザベトは30万ライヒスマルクを受け取ったのである。その後も、エリーザベトは、お金が必要になると、ティールに無心するのだった。それでも、ティールは文句一つ言わず、お金を出し続けた。30年間の寄付の総額は数十万マルク。もちろん、エリーザベトは、気がとがめることもなく、すべてを使い切った。
なんという女 ・・・ いや、待てよ、むしろ、いさぎよいのではないか?
「ニーチェ・ブランド」という大義ために、偏屈な人種差別を我慢したのだから。
ノンノン、そうではない。
エリーザベトの反ユダヤ主義は、単に日和見的なものだったのだ。後に、エリーザベトはこのユダヤ人富豪が大好きになり、家族ぐるみで付き合うようになったのだから。
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週刊スモールトーク (第286話) エリーザベト伝説Ⅱ~ドイツ革命~
カテゴリ : 人物歴史2015.05.09
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エリーザベト伝説Ⅱ~ドイツ革命~
■第一次世界大戦
1914年7月28日、第一次世界大戦が始まった。
アーリア人至上主義、国粋主義、菜食主義に凝り固まったエリーザベトは血をたぎらせた。さっそく、気合いの入った論文を新聞に寄稿している。
「ツァラトゥストラは立ち上がれ、戦えという、ドイツ人への大いなる呼びかけである。すべてのドイツ人の中に、戦士が息づいている」
「ツァラトゥストラ」は、哲学者ニーチェの著書「ツァラトゥストラはかく語りき」に登場する主人公で、「超人」の象徴である。
つまり、
1.ツァラトゥストラは超人である。
2.ツァラトゥストラはドイツ人に宿る。
3.ゆえに、ドイツ人は超人である。
こんなベタな三段論法で、国民をそそのかしたのである。とはいえ、このような煽動は、ドイツ政府にとっても好都合だった。超人が戦争に負けるはずがない、たとえ、それが信じられなくても、国民の戦意ベクトルは増大するだろうから。
そこで、ドイツ政府はニーチェの著書「ツァラトゥストラはかく語りき」を前線の兵士に配布することにした。結果、「ツァラトゥストラはかく語りき」は大ベストセラーになり、版元のエリーザベトは大儲けだった。さすがはエリーザベト、商売上手ですね!
とはいえ、「ツァラトゥストラはかく語りき」を著した本人のニーチェは、草葉の陰で泣いていたことだろう。
ニーチェの高邁な哲理が、戦争のプロパガンダと金儲けに利用されたのだから。実際、このプロパガンダ本は、1914年から1919年にかけて16万5000部も売れた。今の日本で、3万部売れればベストセラーなので、「爆買い」ならぬ「爆売れ」である。
戦争まで商売に利用するとは、一体どういう性根なのだ!と憤慨する前に ・・・ じつは、エリーザベトは、本気で戦争に興奮していたのである。金儲けと戦争のどっちが大事だったかは、今となっては知る由もないが、この場合、大した問題ではないだろう。
戦争によほど興奮したのだろう、エリーザベトはこんな寄稿もしている ・・・
「神の正義とドイツ国民の優れた力とは、この巨大で邪悪な嵐に打ち勝つことを我々に許すのだ。かくして、我々は多大の痛ましい犠牲は払ったものの、ドイツが伝説の英雄にして勝者となって、このまことに困難な時を乗り切るであろうことを、神とともに確信することができるのである」(※1)
何が言いたいのかサッパリだが、
「戦って死んでね、きっと、いいことあるから」
ぐらいの話だろう。
ところが、ドイツ兵がいくら死んでも、いいことはなかった。
ドイツは戦争に負けたのである。
■背後からの一突き
1918年11月10日早朝、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、全財産を特別列車に詰め込んで、オランダにトンズラした。国の最高指導者がイの一番に逃亡するのはいかがかと思うが、もっと大きな問題があった。残されたドイツである。上を下への大混乱に陥ったのである。
戦後のドイツは、君主制から共和制に移行し、国名も「ドイツ帝国」から「ヴァイマル共和国」に変わった。初代大統領は社会民主党のフリードリヒ・エーベルト、つまり、「社会主義革命」が起こったのである。この政変は「ドイツ革命(11月革命)」とよばれるが、日本では意外に知られていない。「フランス革命」は有名なのに、不思議な話だ。
ちなみに、エーベルトは元馬具職人だった。これに驚愕したのがドイツ国民である。ドイツ帝国の輝けるホーエンツォレルン王朝が一夜にして消滅し、馬具職人あがりの社会主義者が政権をとったのだ!
さらに、驚愕を超えて憤怒したのが、エリーザベトだった。彼女は、極めつけの保守主義者で、どこの馬の骨ともわかない馬具職人(かけことば?)が国家元首になるのが我慢ならなかったのである。
エリーザベトは、ドイツ国民にむかってこう訴えた。
「社会主義者が、勇敢なドイツ兵士たちを背後から刺したのだ!」
さらに、首相のマックス・フォン・バーデン公に戦争続行を訴える手紙を書き送った。ヴェルサイユ条約のような屈辱を受け容れればドイツは二度と立ち上がれないと。
とはいえ、ドイツ革命の引き金は、キール軍港のドイツ水兵の反乱である。戦争が嫌で反乱を起こしたドイツ兵を、どうやって戦場にもどすのだ?
こんなエリーザベトの行状を憂いだ人物がいた。ニーチェの崇拝者、ハリー・ケスラー伯爵である。彼は日記にこう書いている。
「この老婦人(エリーザベト)は、70代になってもなおハイティーン娘で、あの男にこの男にと、17才の少女のようにお熱をあげてしまうのだ」(※1)
ちなみに、「背後の一突き」は、歴史的名文句となった。つまり、エリーザベトの言い分は、あながち的外れというわけではなかったのだ。
事実、この時代、大多数のドイツ国民はこう考えていた ・・・
ドイツは戦いに負けたのではない。社会主義の連中とユダヤ人どもが、卑怯にも背後からとどめを刺したのだ!
さらに、社会主義者たちはもう一つの汚名も着せられた。
「11月の犯罪者たち」。
1918年11月11日、パリのコンピエーニュの森で、第一次世界大戦の休戦条約が締結された。「休戦条約」とは聞こえはいいが、ドイツの「敗戦条約」である。しかし、問題はそこでははない。条約に署名したドイツ側の代表は、社会主義ドイツ「ヴァイマル共和国」のマティアス・エルツベルガーだったのである。つまり、「背後の一突き」の主犯。そこで、社会主義者たちは調印式の「11月11日」をとって、「11月の犯罪者たち」とよばれたのである。
皇帝の戦争の後始末をさせられた挙げ句、これでは浮かばれない。
■エリーザベトの破産
こうして、エリーザベトはムカツク毎日を送っていたが、1923年、さらにムカツク事件がおこる。この頃、ドイツはハイパーインフレが進行し、マルクが通貨としての用をなさなくなっていた。
1923年の為替レートを見てみよう。
・6月:1ドル=100万マルク
・8月:1ドル=500万マルク
・10月:1ドル=10億マルク
・11月:1ドル=4兆2000億マルク
マルクがドルに対し大暴落しているのがわかる(5ヶ月で42万分の1)。輸入物価が暴騰するのはあたりまえ。1ドルの輸入品を買うのに支払うマルクが、
「100万マルク→500万マルク→10億マルク」
とつり上がっていくのだから。
じつは、2015年の日本も、同じトレンドにある。政府が円安に誘導し、輸入物価が上がり、国内品の物価も上昇基調にあるのだ。
もっとも、日本の場合は、
・2011年10月:1ドル=75円
・2015年5月:1ドル=120円
4年間で「40%」の下落なので、大したことはない。1923年のドイツの「42万分の1」にくらべれば。
ちょっと待った!大事なことを忘れている。
1923年のドイツがどうであれ、ドルベース(世界基準)で円資産が40%も目減りしているのだ!インフレと円安から財産を守る手を打たないと、気が付いたら、財産が半減していたなんてことになりますよ。
話を1923年のマルクにもどそう。
11月15日、ドイツ政府は無価値になった「マルク」を廃止し、新通貨「レンテンマルク」を採用した。
これに仰天したのがエリーザベトである。それはそうだろう。80万ゴールドマルクにのぼるニーチェ基金が紙切れになったのだから。しかし、究極のプラス志向人間、エリーザベトはこう考えた ・・・ お金なんか、どこかのカモに、貢がせればいいのだ、ドンマイ、ドンマイ。
カモ?
ニーチェの崇拝者のこと。
事実、エリーザベトは「カモ」を取っ替え引っ替え、たくましく生き抜いたのである。
その中の一人が、ガブリエーレ・ダンヌンツィオだった。
ダンヌンツィオは、イタリア・ファシズムの先駆者で、独裁者ムッソリーニにも影響を与えた出来物である。もっとも、本業は詩を書くことで、ニーチェを讃える詩を書いてエリーザベトに捧げた。
さらに ・・・
1908年、先のムッソリーニが、ニーチェの「権力への意志」を読んで感銘をうけ、エッセイ「力の哲学」の中で大いに讃えた。いわく、
「ニーチェは、19世紀最後の4半世紀で最も意気投合できる心の持ち主だ」
エリーザベトの照準がムッソリーニに向けられたことは想像に難くない。あとは、実弾を発射するのみ。その機会は20年後に訪れた。ムッソリーニが大出世したのである。
1929年2月11日、すでに、イタリアの政権をとっていたムッソリーニが、ローマ教皇とラテラノ条約を締結したのである。この条約の締結は、ムッソリーニの名声とカリスマをいやが上にも高めた。イタリア王国とローマ教皇庁の69年続いた対立「ローマ問題」を解決したからである。
ラテラノ条約により、ローマ教皇庁のあるエリアが「バチカン市国」としてイタリアから独立した。さらに、カトリックがイタリアで特別の宗教であることも認められた。そのかわり、ローマ教皇庁は対外的には中立であること、イタリア国内の政治に口出ししないことが定められた。
エリーザベトはこの機を逃さなかった。さっそく、ベルリンのイタリア大使に宛てて、こんな手紙を書いている。
「私は、もはや、閣下にムッソリーニ首相への私の全身全霊からの賞賛の意を表さずにはいられません ・・・ 首相閣下はヨーロッパばかりでなく全世界の卓越した政治家であられますが、その尊敬すべき偉大な首相の行動力のうちに、いくばくかのニーチェ哲学が潜んでいることを見いだすことができましたことを、私はまことに誇りに存じております」(※1)
なんとも卑屈な文面だが、「ニーチェ哲学が潜んでいる」と手前ミソな文言を混入することは忘れていない。さすがはエリーザベト。
とはいえ、先のケスラー伯爵に言わせれば ・・・ 「また、新しい男を見つけてお熱を上げた」。
つまり、詩人であれ、ファシストであれ、聖人あれ、悪党であれ、ニーチェを讃える者は、すべて、エリーザベトのカモなのだ。
ちょっと言い過ぎたカモ。
くだらないシャレはさておき、エリーザベトの財政難はどうなったのだろう?
マルクが紙切れになり、ニーチェ基金が空になったのだから、ジルバーブリック館(ニーチェ資料館)の維持はムリだし、贅沢な暮らしもおしまい。というのも、これまでの大スポンサー(大カモ)のエルネスト・ティールが破産寸前だったのである。
■新たなスポンサー
エリーザベトは痛感した。
どんな金持ちでも、個人には限界がある。長期間、安定して、資金援助できるのは巨大な組織のみ、たとえば政党、できるなら政権政党がいい。国家権力の保護を受けるのだから、これに優るものはない。
そこで、エリーザベトが目を付けたのが ・・・ なんと、ナチスだった。
悪魔に魂を売った老婆!と弾劾されそうだが、事実は少し違う。
元々、ナチスとエリーザベトは似た者同士だったのである。
ナチスの教義は、反ユダヤ主義、アーリア人至上主義、全体主義、侵略主義 ・・・ どれをとっても人の道にはずれたものだが、エリーザベトもその熱烈な信奉者だったのである(日和見的ではあったが)。つまり、ナチスを悪魔というなら、エリーザベトも同類で、断じて、魂を売ったわけではない。
誉めているのか、けなしているのか ・・・ まぁ、どっちでもいいだろう。
ところが、この頃のナチス(ナチ党)は、政党の体をなしていなかった。演説も、ビヤホールで、酔っぱらい相手に、共和国政府と外国(特にフランス)を口汚くののしるだけ。
さらに、驚くなかれ、この頃、ナチ党の党首アドルフ・ヒトラーはムショ暮らしだった。クーデター(ミュンヘン一揆)に失敗し、刑務所に拘置されていたのである。
ナチ党は、与太者やゴロツキの集まりで、いわゆる烏合の衆だった。そこへ、親分のヒトラーが戦線離脱したものだから、党は大混乱。内部分裂をおこし、権力闘争にあけくれていた。1925年、ヒトラーが釈放されて、ナチ党を再結成したものの、国会の議席数は「14」。一方、第一党の社会民主党は「150」。これで、どうやって政権をとるというのだ?
ところが、1929年10月24日、ウォール街で株が大暴落すると、世界大恐慌が発生した。世界にとっては災難だったが、ナチ党には恵みの雨だった。ナチ党が大躍進し、ヒトラー内閣が誕生する原動力になったのだから。
じつは、世界大恐慌で最もダメージをうけたのはドイツだった。すでに、ハイパーインフレと大量失業で国は破綻寸前だったのに、未曾有の大不況が襲いかかったのだ。弱り目に祟り目とはこのことだろう。
こんな食うや食わずの状況で、平和や協調を訴えたところで、カエルの面にションベン。そこで、ナチ党は、敵をでっちあげて、猛攻撃し、大衆の怒りに火をつけたのである。「怒り」はどん底で生き抜く最良の栄養源なのである。
そんなナチ党の成長を、エリーザベトは注意深く見守っていた。
ナチ党は信条的には、エリーザベトのお仲間である。だから、ナチ党に取り入れば、資金援助を引き出せるかもしれない。そうなれば、昔のように、ジルバーブリック館をピカピカに飾り立て、エリーザベト自身も贅沢な暮らしができるというわけだ。
そのための条件は二つ。ヒトラー内閣が成立すること、政権内部にコネをつくること。
それを、エリザーベトは虎視眈々と狙っていたのである。
そして、そのときが、ついに来る。ヒトラーが政権をとったのである。しかも、合法的に。
それは、歴史の方程式が創り出した必然ではなかった。俗物図鑑から抜け出てきたような俗物どもが、私利私欲をぶつけ合ってできた産物、つまり、予測不可能な歴史だったのである。
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週刊スモールトーク (第287話) エリーザベト伝説Ⅲ~ヒトラー内閣誕生の謎~
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エリーザベト伝説Ⅲ~ヒトラー内閣誕生の謎~
■世界大恐慌とナチス
ナチ党(ナチス)が政権をとって、ヒトラー内閣が誕生する ・・・ などというのは荒唐無稽のSF小説のようなものだった。少なくとも、1932年までは。
1928年5月20日、第4回国会総選挙の結果を見ると、
1.社会民主党(153):穏健な左派
2.国家人民党(78):保守的な右派
3.中央党(61):カトリック系の中道派
4.共産党(54):過激な左派(ナチ党と社会民主党の天敵)
5.人民党(45):リベラルな右派
6.民主党(25):リベラルな左派
7.ナチ党(12):国家社会主義(民族主義×全体主義×侵略主義)
※()内は議席数。
ナチ党は第7位で議席数は「12」、第一党の社会民主党は「153」。これで、どうやって政権をとるのというだ?
このまま、世界が推移していれば、ナチ党は過激な発言で世間を騒がすゴロツキ政党で終わっていただろう。その場合、「ヒトラー内閣」は誕生しないので、第二次世界大戦が勃発する確率は激減する。
ところが、1929年の世界大恐慌がすべてを台無しにした。
この頃、ドイツは第一次世界大戦の敗戦で、莫大な賠償金を課せられ、マルクが暴落し、輸入物価は暴騰していた。しかも、深刻な物不足でハイパーインフレが発生し、コーヒーを注文して飲み終わると値段が2倍!というウソのような世界だった。
さらに、10年続いた大不況で、企業や農場が次々に閉鎖され、国中に失業者があふれていた。
そこへ、世界大恐慌が直撃したのである。インフレに持ちこたえていた唯一の金融資産「株」が暴落し、経済は完全に破綻した。異次元の大不況が発生し、1928年に「130万人」だった失業者は、1932年末には「600万人」に膨れ上がった。このときの失業率は「40%」、労働者の半分が失業したのである。
ところが、政府の失業対策は雀の涙のようなものだった。失業手当がもらえるのは、申請者の10人に1人、それもわずか6週間だった。それが過ぎると、福祉団体のスープ配給所に行くよう指示されたのである。この頃、ドイツの国民食は「塩漬けのニシンに家庭菜園のジャガイモ」というつつましいものだった。
そんな中、ナチ党が掲げたのが「ヴェルサイユ条約の破棄」だったのである。ところが、初めから、ドイツ国民が諸手を挙げて賛同したわけではない。
「ヴェルサイユ条約」は、ドイツの植民地をすべて取り上げ、莫大な賠償金を課し、軍備まで制限していた。屈辱的だが、条約を破棄すれば、連合国との協調が壊れ、国際的に孤立する。それを怖れたのである。
とはいえ ・・・
2人に1人が失業しているのに、協調や孤立やら悠長なことを言っていられない。こうして、ドイツ全体が「ヴェルサイユ条約の破棄」に傾いていく。もちろん、それはナチ党の躍進を意味していた。
それに拍車をかけたのが、ヒトラーの巧みな演説だった。彼の演説は独善的で教条的だが、カンタンで分かりやすい。しかも、核心を突く。
たとえば ・・・
1935年5月1日、テンペルホーフ飛行場でのヒトラーの演説 ・・・
「我々は一体何をもっているか?一平方キロに137人の人口がある。しかも、植民地はまったくない。原料もない。外国為替も資本もない。あるものといえば、過重な負担、犠牲、課税、そして低賃金ではないか。我々は何をもっているか?ただ一つのものしかもっていないのである。それは我が国民である」(※2)
ヴェルサイユ条約が我々を破滅に追い込んでいる。だが、私にはドイツ国民がいる ・・・ 国民がどう思うかは明らかだ。
そもそも ・・
ドイツ国民は、「第一次世界大戦の全責任はドイツにある」というヴェルサイユ条約の前提に反発していた。しかも、この条約で、ドイツ陸軍は10万人に制限され、飛行機も戦車も持てないのだ。警察に毛が生えた程度の兵団では、敵軍に攻め込まれたらひとたまりもない。デモ隊ぐらいならなんとかなるだろうが。
だから、「ヴェルサイユ条約破棄」が国民に支持されるのはあたえりまえ。
さらに、ヒトラーは、国民が最も望んでいることも約束した。失業をなくすこと。実際、ヒトラーは「失業ゼロ」を最大の公約にしていた。
1929年9月28日、国家人民党のフーゲンベルクは、「解放案」を政府に提出した。国家人民党は保守派の代表格で、社会民主党に次ぐ大政党である。
ところが、内容は小野党のように過激で挑発的だった。
1.ヴェルサイユ条約の戦争責任および一切の賠償金支払い義務を撤廃すること。
2.ドイツの披占領地区から、連合軍は即時撤退すること。
3.諸条約に署名したドイツ政府の大臣もしくは代表者を、反逆罪で処罰すること。
ナチ党が言い出しそうなことではないか!
ところが ・・・
この案を起草したのはナチ党のヴィルヘルム・フリックだった。というのも、国家人民党は反リベラル、反社会主義という点でナチ党のお仲間だったのだ。ちなみに、国家人民党は後にナチ党に吸収されている(国家人民党首フーゲンベルクはためらっていたが)。
こうして、1929年の世界大恐慌を境に、ナチ党の支持者が急増していく。この年の12月末には、ナチ党員は17万6426人、ナチ党の私兵「SA(突撃隊)」は10万人に達した。
ナチ党の私兵? SA(突撃隊)?
SA(突撃隊)は、ナチ党の政治集会を警備する目的で創設されたが、実質は党の軍隊だった。
それが、10万人?
ここで、先のヴェルサイユ条約を思いだそう。ドイツに許された陸軍は10万人。つまり、ナチ党の私兵団はドイツ陸軍と同数だったのである(装備は国軍が上だったが)。さすがはナチス、政府やライバル政党に無言の圧力をかけるため、武力まで用意していた?
そうではない。
当時のドイツは、政党が私兵団をもつのは”普通”だったのである。
たとえば、
・ナチ党:SA(突撃隊)
・国家人民党:鉄兜団
・社会民主党:国旗団
・共産党:赤色戦線闘争団
ちなみに、SA(ナチ党)と赤色戦線闘争団(共産党)の路上の乱闘騒ぎも”普通”だった。
■ナチス12議席から第一党へ
1929年の世界大恐慌に始まり、1931年のドイツの金融恐慌を経て、1932年末の「失業率40%」で、失業者はこぞってナチ党の支持に回った。
ところが、ナチ党に加担したのは失業者だけではなかった。大企業の社員や公務員までがナチスに票を入れたのである。彼らは職を得ていたが、至る所で「失業」と「貧窮」を目にしていた。そこで、明日は我が身かも ・・・ と不安に駆られたのである。その漠然とした不安がナチ党の躍進を後押ししていた。
ヒトラーは、それを見逃さなかった。
彼は、国難にあって、無為無策の共和国政府、ドイツの富を奪い、名誉を踏みにじった冷酷な連合国、この二つの忌まわしい災厄を、一刀両断にしたのである。彼はいつでもどこでも、国民の側に立っていた。上から目線ではなく国民の目線で訴えたのである。彼は、高みに立つ皇帝でも大統領でもない、国民と同じ場所に立つ頼れる護民官なのだ。
そして、その護民官が目指したのは「大ドイツ帝国」の復興だった。ドイツ国民はそれに賭けたのである。
その結果 ・・・
ナチ党は、1928年の「12議席」から、4年後に「230議席」を獲得し、第一党に上りつめた。そして、翌年には、ヒトラー内閣が誕生したのである。
2015年の日本に当てはめると、4年後に、社民党や共産党が政権をとるようなもの。もちろん、このようなイベントが、歴史の方程式に従って、理路整然と生まれたわけではない。
では、どうやって生まれたのか?
これまで、歴史学では、歴史はいかにして作られるかが論じられてきた。原因と結果の因果律が作るという「決定論」。そして、「個人と偶然」が作るという「偶然論」である。本来、この二つは異質なロジックなので、どっちが正しいか論じることは不毛。とはいえ、歴史学では「決定論」が優勢である。たとえば、「歴史の必然性」を著したイギリスのアイザイア・パーリンは「決定論」を「個人の力」で変えることはできないと言い切っている。
とはいえ、「ヒトラー内閣」のようなレアなイベントは、「個人と偶然」で説明するのが手っ取り早い。実際、この歴史は、超がつくほど個性的なキーマンの産物だった。あのヒトラーでさえ影が薄くなるような ・・・
ニーチェの言う「超人」?
ノー、俗物。
ではさっそく、その俗物キーマンを紹介しよう。
第一のキーマンは、ドイツのヒンデンブルク大統領。ドイツ(ヴァイマル共和国)の国政の最高責任者は首相だが、首相の任命権は大統領にあった。しかも、大統領は、閣僚の任命権、国会の解散の決定権を有し、内乱などの非常時には国民的諸権利を停止し、軍を動員することができた。
帝政とどこが違うのだ?
皇帝がいないこと。
もっとも、大統領は疑似皇帝のようなものだが。
じつは、ヒンデンブルクは生粋の政治家ではない。軍人出身で、第一次世界大戦でロシア軍を破った英雄である。しかも、生まれも育ちも貴族。であれば、ガチガチの保守主義者、権威主義者をイメージするが ・・・ ビンゴ。実際、ヒンデンブルクは、民主主義も平和主義も大嫌いだった。信じがたいことに、彼は国民も政治家も信用せず、軍だけを信頼していたのである。
第二のキーマンは、クルト・フォン・シュライヒャー。軍人出身だが、政治的陰謀が大好きで、「政治将軍」の異名をとった。ヒンデンブルク大統領の信任が厚いのをいいことに、やりたい放題。自分が出世することしか頭になく、ドイツの未来など二の次という超俗物だった。しかも、偏屈で、根に持つタイプで、やり方がエゲツなかった。そのため、支持者といえるのはヒンデンブルクと軍人時代の部下ぐらいだった。
第三のキーマンは、フランツ・フォン・パーペン。彼も軍人出身だが、特技は乗馬だけという、何の取り柄もない男だった。じつは、特技以前に、知能の低さが取り沙汰されるほどだった。しかも、不誠実で野心家というから、極めつけの俗物である。
ではなぜ、こんな男が、混乱の時代にキーマンになれたのか?
貴族出身で、金持ちの娘と結婚したから。それに、ヒンデンブルク大統領の覚えもめでたかった。では、英雄ヒンデンブルクが、なぜ、こんな小者をひいきにしたのか?
パーペンが仲間を裏切って、ヒンデンブルクについたから。
パーペンは、中央党に属していたが、1925年の大統領選挙で、中央党の候補マルクスではなく、ヒンデンブルクを支持したのである。あまりの無節操さに、中央党から除名されそうになったが、カネにものいわせて、難をまぬがれていた。
ここで、ヒトラーもキーマンに入れるべきなのだが ・・・ 入れていいものやら。というのも、この物語の主役はシュライヒャーとパーペンなのである。この二人の個性の強さはどん引きもので、ヒトラーの影が薄くなるほど。しかも、彼らは犬猿の仲、かつ天敵で、熾烈な権力闘争を繰り広げたのである。その結果 ・・・ ひょうたんから駒、それが「ヒトラー内閣誕生」だった。
そこに至る歴史は、ドンデン返しに次ぐドンデン返し、まさに、真実は小説より奇なり。
では、その驚くべき歴史を紹介しよう。
■パーペン内閣
世界大恐慌が始まって、3年後 ・・・
ドイツ(ヴァイマル共和国)は混乱の極みにあった。経済システムは破壊され、国民生活は破綻し、政権は目まぐるしく交代した。
当時のドイツの有力な政党は、
1.社会民主党(左派)
2.国家人民党(右派)
3.中央党(中道)
の3党だったが、いずれも単独過半数にはとどかず、合従連衡をくりかえしていた。
1932年5月30日、中央党を核とするブリューニング内閣が瓦解した。世界大恐慌の対応に失敗したのである。じつは、ブリューニング内閣の仕掛人は第二のキーマン、シュライヒャーだった。彼は次期内閣も自分が取り仕切ろうと画策していた。首相の任命権はヒンデンブルク大統領が握っていたが、シュライヒャーはその側近中の側近だったのである。
ブリューニング内閣崩壊後、シュライヒャーが首相に推した人物は ・・・ なんと、パーペンだった。なぜ、犬猿の仲、天敵のパーペンなのか?
この頃、シュライヒャーは、パーペンは頭が弱いのでカンタンに操れると考えていたのだ。実際、シュライヒャーの周囲からはこんな声が上がった。
「パーペンは人の上に立つ器ではない。どうして、あんな者を推すのか?」
これに対し、シュライヒャーはこう答えたという。
「そんなことは百も承知だ。あいつに人の上に立たれては困るんだ。彼は帽子みたいなもんだからね」
こんな身もフタもない理由で、1932年6月1日、パーペン内閣が成立したのである。ただし、すべてシュライヒャーの力というわけではない。ヒンデンブルク大統領が個人的にパーペンを気に入っていたのである。保守主義、貴族主義、権威主義のお仲間だったから。
一方、黒幕のシュライヒャーは国防相に就任した。フィクサーとして、パーペン内閣を影から操ろうというのだ。ちなみに、この内閣は、閣僚9人のうち7人が貴族出身者だった。メディアからは「男爵内閣」と揶揄され、国民の人気も最低だった。口の悪いナチ党のゲッベルスに言わせれば、
「ブルジョア的な与太者内閣」
言い得て妙、さすがナチ党の宣伝担当。
さらに、他の政党からは、嫌われるか、バカにされるか、無視されるか、支持者は皆無で、世にも希な不人気内閣だった。
ところで、パーペンの所属する中央党はどうしたのだ?
じつは、数々の裏切り行為によって、パーペンは中央党から除名されていたのである。
ところが ・・・
ヒトラー率いるナチ党だけは、内閣批判を控えていた(支持はしていない)。
なぜか?
ヒトラーとパーペンは裏取引をしていたのである。ナチ党はパーペン内閣を批判しない、そのかわり、パーペンはナチ党に2つの便宜を図る。
一つ目は、当時、ナチ党のSA(突撃隊)が数々の暴力沙汰で、禁止命令を受けていたが、それを解除する。二つ目は、国会を解散する。ヒトラーは、今、国会を解散し、総選挙に持ち込めば、第一党になれると踏んでいたのである。
とはいえ、ヒトラーはパーペンにベッタリというわけではなかった。彼はパーペンから入閣を要請されたが、拒否している。不人気なパーペン内閣に与し、ナチ党のイメージが悪化するのを怖れたのである。つまり、つかず離れず。一方、ナチ党のゲッベルスは、この「ブルジョア的な与太者内閣」と一刻も早く手を切るべきだと考えていた。
1932年6月2日、パーペンは、首相就任宣誓で国会解散を要求した。6月4日、ヒンデンブルク大統領は議会に解散を命じ、総選挙が決まった。さらに、SA(突撃隊)の禁止命令も解除された。パーペンはヒトラーとの約束を守ったのである。
1932年7月31日、総選挙の結果、ナチ党は第一党にのぼりつめた。改選前の107議席から230議席と急伸したのである。得票率は37.4%で、過半数にはおよばなかったものの、正真正銘の第一党。これで、ヒトラー内閣誕生!?
そうはならなかった。
首相を任命するヒンデンブルク大統領がヒトラーが嫌いだったから。
ヒンデンブルクは貴族主義と権威主義と保守主義の権化で、ヒトラーのような、出の悪い、学のない、成り上がり者を蔑んでいた。だから、初めから、ヒトラー内閣の芽はなかったのである。とはいえ、国民が選んだ第一党のナチス党から入閣させないと、国民が不満をもつ。
そこで、パーペンはナチ党に閣僚のポストを提供することにした。ところが、ヒトラーはこの申し出を断った。首相以外は受けない、と言い放ったのである。
1932年8月5日、今度は、シュライヒャーがヒトラーと面会し、副首相として入閣するよう求めた。しかし、結果は同じだった。そこで、シュライヒャーはヒトラーを首相にするようヒンデンブルクに提言したが拒否された。
8月13日、このドタバタに業を煮やしたヒンデンブルクは、ヒトラーと会談し、副首相になるよう求めた。ところが、ヒトラーは「首相以外は受けない」を繰り返すばかりだった。
そこで、パーペンは大きなニンジンをぶら下げた。もし、ヒトラーが副首相として入閣するなら、その後に首相の地位を譲ってもいい ・・・ ところが、それでもヒトラーは首を縦に振らなかった。
普通の政治家なら、乗ってしかるべき譲歩案なのに、ヒトラーはなぜ拒否したのか?
副首相という「ナンバー2」に甘んじたら最後、国民は、ナチ党を妥協的で日和見的とみなすだろう。だから、完全無欠の「ナンバー1」か、それとも、「ゼロ」かの二択。
芝居がかった美学を好むヒトラーの考えそうなことだ。
こうして、政府首脳とナチ党の会談は決裂した。
ところが、ここで、ナチ党内部で不満の声があがる。
ナチ党が第一党なのに、なぜ、ヒトラー内閣ではなく、パーペン内閣なのだ?
とくに、ナチ党のSA(突撃隊)の不満は大きく、武装蜂起を求める声まであがった。SAは、軍事訓練は受けていたが、ドイツ正規軍のような「しつけ」はされていない。しかも、隊員のほとんどは、20歳前後と若く、仕事にあぶれた、粗暴で無教養な集団なのだ。
ところが、狡猾なヒトラーはこれを利用した。
「荒くれどものSAが武装蜂起をたくらんでいる」という情報をそこら中に流し、パーペンにプレッシャーをかけたのである。パーペンは縮み上がり、ヒトラーを首相にすることも考えたが、ヒンデンブルクに拒否された。
1932年9月12日に国会が召集され、パーペンが所信表明演説をしようとしたとき、異変が起きる。共産党議員がパーペン内閣不信任の緊急動議を提出したのである。議会は大混乱に陥り、一旦、休会することになった。
パーペン内閣は貴族主義・保守主義の権化なので、共産党は天敵である。だから、共産党がこんな挙に出ても不思議ではない。とはいえ、共産党だけでこの動議を通すことはできない。
ところが ・・・
共産党の天敵のナチ党がこの動議に賛成したのである。結果、不信任決議案は512対42の大差で可決された。
追い込まれたのがパーペンである。残された道は一つ、議会を解散するしかない。さっそく、ヒンデンブルク大統領に泣きつき、解散に持ち込んだのである。ところが、それを狙っていたのがヒトラーだった。「内閣不信任 → 議会解散 → 総選挙」で議席数をさらに伸ばす。たとえ、過半数はとれなくても、議席が増えれば、偏屈なヒンデンブルクもヒトラー内閣を認めざるをえないだろう。
ところが ・・・
1932年11月6日、総選挙の結果、第一党のナチ党は前回の「230議席」から「196議席」へ大きく議席数を減らした。さらに、第二党の社会民主党も「121議席」に後退する。
では、どの党が増えたのか?
共産党。「100議席」を獲得し、第二党の社会民主党に肉薄したのである。
これを見て震え上がったのがパーペンだった。右派の権化のパーペンにとって、左派の権化、共産党は天敵だから。これで、ナチ党の協力が欠かせなくなった。
11月9日、パーペンは、ヒトラーに副首相就任を再度要請した。ナチ党も議席数を減らしたので、今度は乗ってくるかもしれないと考えたのだ。ところが、ヒトラーは強気だった。「首相以外は受けない」を繰り返したのである。
これに業を煮やしたのがシュライヒャーだった。
パーペンの体たらく、無能ぶりに腹を立て、パーペンに総辞職を求めたのである。ヒンデンブルクもこれに同意し、11月17日、パーペン内閣は総辞職した。
■シュライヒャー内閣
一方、ヒンデンブルクは、日替わり定食のような政権交代にウンザリしていた。彼の望みは、議会の第一党が過半数をとり、安定政権を樹立すること。但し、保守派に限られるのだが。
1932年12月1日、ヒンデンブルク大統領は、混乱した事態を収拾するため、パーペンとシュライヒャーを招集した。追い詰められたパーペンは、恐るべき提案をする。国軍を出動させて、議会を停止し、憲法を変えて、大統領権限を強化するというのだ。早い話が軍事クーデター。
ところが、シュライヒャーはこれに反対した。
国軍を使ってクーデターを起こすなんて、政治家としての信義にもとる、と考えたわけではない。これを機に、パーペンを失脚させ、自分が首相になろうとしたのだ。
シュライヒャーの提案は、「政治将軍」の名に恥じないものだった。頭のてっぺんから足のつま先まで陰謀、陰謀、陰謀。
その陰謀、いや、提案というのが ・・・
まず、シュライヒャーが首相に就任し、その後、ナチ党の一部を取り込んで分裂させる。これで、ナチ党のリスクは軽減されるはずだ。さらに、シュライヒャーは閣僚にこう言って恫喝した。
「ぐずぐずしていると、ナチがSAを使って内乱を起こすかもしれない。そうなれば、国軍が鎮圧するのは不可能」
国の正規軍が、党の私兵に負ける?
その可能性はあった。ヴェルサイユ条約によって、ドイツ陸軍は「10万人」に制限されていた。しかも、戦車も航空機もない、警察予備隊のようなもの。一方、SAは私軍なので、ヴェルサイユ条約の効力がおよばない。実際、この時期、SAの兵数は国軍より多かった。しかも、2年後の1934年には、兵数「300万人」というからどっちが国軍かわからない。
というわけで、「SAの軍事クーデター」は閣僚を脅すには十分だった。結果、シュライヒャーを支持する声が大勢を占め、パーペンに退陣を求めたのである。パーペンはヒンデンブルク大統領に泣きついたが、事がここに及んでは是非もない。パーペンの泣き言は却下された。
12月2日、パーペン内閣は瓦解し、シュライヒャーが首相に就任した。
どんでん返しにつぐどんでん返し、恐ろしい権力闘争である。
首相に就任したシュライヒャーは、さっそく、ナチ党の分裂をはかった。彼が目を付けたのは、ナチ党の有力幹部グレゴール・シュトラッサーである。この頃、ナチ党内部には、首相に執着し、入閣を拒否するヒトラーに不満を抱く一派があった。このままでは、いつまでたっても野党のままだから。そして、この不満分子が、シュトラッサーの周辺に集結していたのである。
だから、シュトラッサーとヒトラー離反させれば、ナチ党は分裂し、脅威は半減する、とシュライヒャーは読んだわけだ。
ところが ・・・
このシュライヒャーとシュトラッサーの接触を嗅ぎつけた人物がいた。パーペンである。パーペンは自分の内閣を崩壊させたシュライヒャーに恨み骨髄で、シュライヒャーの失脚を虎視眈々と狙っていた。
そんなとき、シュライヒャーとシュトラッサーが密談したというから、飛んで火に入る夏の虫、パーペンはさっそくヒトラーにちくった。
当然、ヒトラーは激怒した。党員が、党首をさしおいて首相と密会したのだから。シュトラッサーは党の役職を解任され、完全に影響力を失った。シュライヒャーの計画は失敗したのである。
これで、パーペンの腹の虫が治まったわけではない。シュライヒャーへの復讐はまだまだ続く。
1932年12月16日、紳士クラブの席上、パーペンはシュライヒャーの退陣とヒトラーの入閣を声高に説いた。その後も、ことあるごとに、シュライヒャーに噛みつくのだった。
こうして、慌ただしい1932年が終わろうとしていた。
年が明けて、元旦、風刺誌「ジンプリチシムス」1933年1月1日号に、こんな記事がのった。
「確かに言えることは一つだけ、俺たちはそれで万々歳さ、ヒトラーはおしまいだ、この総統の時代は過ぎた」(※3)
国内外のほとんどの新聞の年末年始のコメントも、この見解で一致していた。というのも、ナチ党は議席数を減らしつつあり、そもそも、第一党になっても組閣の見込みがないのだから。だから、ドイツの民主主義は守られた、ヒトラーはもうおしまいだ、と。
ところが、その真逆の予言をした者がいた。ベルリンの有名な占星術師ハヌンセンである。
1933年1月1日、ハヌンセンは、ヒトラーのオーバーザルツベルクの山荘に訪ねて、1月30日の首相就任を予言したのである。
さて、どっちが的中したのか?
現実は、不吉な方に向かっていた。
1933年1月4日、大銀行家クルト・フォン・シュレーダーの邸宅で、ヒトラーとパーペンの会談が行われた。
そこで、5つの合意が成立する。
1.シュライヒャー内閣を倒すこと。
2.ヒトラーとパーペンの対等の内閣を樹立すること。
3.ヒトラーが首相に就任すること。
4.社会民主党、共産党、ユダヤ人を国家中枢から追放すること。
5.ナチ党の債務を解消すること(銀行家シュレーダーが莫大な資金援助を約束)。
この会談は、ヒトラーとパーペンにとって実りのあるものだった。ヒトラーにしてみれば、党の深刻な資金難が解消され、首相への足掛かりができる。一方、パーペンは宿敵シュライヒャーを首相の座から引きずり下ろせる。メデタシ、メデタシ ・・・
これを聞き知ったシュライヒャーは激怒した。さっそく、ヒンデンブルクのもとに飛んで行って、自分が同席しない限りパーペンと会わないようクギを刺したのである。ところが、この時すでに、ヒンデンブルクの腹は決まっていた。シュライヒャーに替えて、パーペンを首相にしようと ・・・ その前は、パーペンに替えてシュライヒャーを首相にすえたのにね。
1933年1月22日、ナチスの幹部リッベントロップの自宅で、重大な会談が行われた。出席者は、ヒトラーとパーペン、さらに、ヒンデンブルク大統領の息子オスカー・フォン・ヒンデンブルク。オスカーはヒンデンブルクの息子で、大統領の信任が厚かった。
この会談の6日後、1月28日、パーペンとオスカーは、口をそろえて、ヒンデンブルクにこう進言した。
「ヒトラーを首相に指名しても、何の問題ありません」
これで、ヒンデンブルクの腹は決まった。ヒトラーは気に入らないが、この政治的難局を乗り切るには、第一党の党首を首相にするしかない。それにお気に入りのパーペンと息子のオスカーも問題ないと言っていることだし。
仰天したのがシュライヒャーである。劣勢を挽回するには、ヒトラーを寝返らせるしかない。
そこで ・・・
1月29日、シュライヒャーは、腹心の陸軍統帥部長クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルトをヒトラーの下へ送り込んだ。そして、パーペンの悪口を山ほど吹き込んだあげく、寝返るよう説得したのである。しかし、ヒトラーの気持ちは変わらなかった。首相の任命権はヒンデンブルク大統領にあり、その息子オスカーがパーペン側についている。なんでわざわざ、負け犬と手を組む必要があるのだ?
シュライヒャーの敗北は決定的だった。
そこで、シュライヒャーの腹心、陸軍統帥部長ハンマーシュタインは恐るべき提案をする。それは ・・・ 起死回生の軍事クーデター。ハンマーシュタインは、そこまでして、ヒトラー内閣を阻止したかったのである。というのも、彼はヒトラーが大嫌いで、ヒンデンブルク大統領に、
「何があっても、ヒトラーを首相にしてはいけません」
と再三訴えていた。
ところが、肝心のシュライヒャーが、土壇場でクーデターに反対したのである。
なぜか?
クーデターを起こせば、ヒトラーとパーペンを抹殺し、恩あるヒンデンブルク大統領の顔に泥を塗ることになる。それに、万一失敗したら、ただではすまない。反逆者として銃殺されるだろう。そのプレッシャーに耐えられなかったのだ。こうして、シュライヒャー派の軍事クーデターは歴史年表から消えた。
ここで、歴史のIF ・・・ もし、このとき、国軍のクーデターが起こっていたら?
不意を突かれたヒトラーは落命していた可能性が高い。そうなれば、歴史は大きく変わっていただろう。その後のヒトラーの独裁もなく、第二次世界大戦も起こらないから(たぶん)。-
- ■ヒトラー内閣誕生
1933年1月30日午前11時15分、アドルフ・ヒトラーが首相に任命された。ヒトラー内閣が誕生したのである。黒幕のパーペンはナンバー2として、副首相に就任した。
ここで、思い出し欲しい。
1933年1月1日、占星術師ハヌンセンが、1月30日ヒトラーの首相就任を予言したことを。怪しい八卦占いの類が、理論に基づく予想に勝ったのである。
意気消沈したシュライヒャーは、これを機に、政治の第一線から退いた。ところが、腹の虫が治まらなかったのか、その後、ヒトラー批判を始める。心配した友人は、控えるよう警告したが、シュライヒャーは止めなかった。偏屈で、根に持つ性格がそうさせたのである。
いつの世でも、このような性癖は災厄を招く。
翌1934年6月30日、ナチ党内部で大規模な粛清が行われた。「長いナイフの夜」事件である。ヒトラーに批判的だったSA(突撃隊)トップのエルンスト・レームが逮捕されたのである(後に銃殺)。ところが、同日、シュライヒャーが妻とともに、ゲシュタボに射殺された。シュライヒャーはSA(突撃隊)とは何の関係もなかったのに。つまり、シュライヒャー夫妻は”ついでに”殺されたのである。
冷静に考えれば、この事件は重大である。軍の最高幹部が夫婦で射殺されたのだから。しかも、誰がやったかも分かっている。
ところが、軍部はこれを一切追求しなかった。新しい指導者ヒトラーに遠慮したこともあるが、シュライヒャーの人望がなかったのも一因だろう。
「偏屈と恨み」は、時として身を滅ぼすことがある。
これは肝に銘じておくべきだろう。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶというが、このような経験からは学べない。後がないから ・・・
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-287/
▲△▽▼
週刊スモールトーク (第288話) エリーザベト伝説Ⅳ~ナチスを利用した女~
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-288/
エリーザベト伝説Ⅳ~ナチスを利用した女~
■エリーザベトの標的
ヒトラー内閣が誕生して、最も恩恵をうけたのは、言うまでもない、エリーザベト・ニーチェである。
お仲間のナチ党が政権をとったのだから、うまく取り入れば、「国の資金援助」も夢ではない。そうなれば、ルバーブリック館(ニーチェ資料館)は安泰だし、エリーザベトも贅沢な暮らしができる、メデタシ、メデタシ ・・・
ところが、一つ問題があった。ナチスの誰に取り入ればいいのか?
党首のヒトラー、大幹部のゲーリングやゲッベルスは最高なのだが、敷居も最高。というのも、エリーザベトは有名といっても、虎(兄ニーチェ)の威を借るキツネにすぎないから。とはいえ、下っ端相手では「資金援助」など夢のまた夢。やはり、閣僚ではなくては ・・・
この時、ヒトラーをのぞけば、入閣したナチ党員は二人いた。ナチ党のナンバー2のゲーリング無任相と、ヴィルヘルム・フリック内相である。ゲーリングは第一次世界大戦のドイツ空軍の撃墜王で、愛想がよく、雄弁なので、経済界と国民に人気があった。ところが、何でも欲しがる「クレクレタコラ」で、とくに絵画には目がなかった。
一方のフリックは、法学博士で弁護士、司法の専門家だった。そんな経歴を見込まれて、ドイツの司法のナチ化を担当していた。ところが、司法の独立にこだわったり、ゲシュタポの無法な捜査に憤慨したり、ブレまくりだった。それが災いして、党内の出世街道からはずれていく。特に、権力の亡者、ヒムラーとの権力闘争に敗れたのは致命的だった。
とはいえ、ヒトラー内閣が誕生した時点では、フリックはナチ党の有力な幹部で、内相(内務大臣)という要職にあった。しかも、ナチ党員のゴロツキや、ほら吹きの中にあって、ピカピカのインテリ。それは風貌にも表れている。
ここに、1923年のミュンヘン一揆の裁判の際に撮られた写真がある。眼光鋭いヒトラーや、胸を張った勇ましい将官に混じって、途方にくれたような紳士が立っている。物憂げで、遠くを見つめる目は、うだつのあがらない会計士だ。ところが、エリーザベトが標的に定めたのがこのフリックだった。
フリックが内相に就任すると、エリーザベトは、すぐに歯の浮くような祝辞を送っている。すると、フリックからさらに歯の浮くような返事が返ってきた。
「奥様、私は、奥様もいつの日か、尊敬する兄上(ニーチェ)のような戦士として、ドイツ国民の自由を求める運動に身を捧げてくださる、と信じております」
もちろん、フリックは本気でそう思ったわけではない。
エリーザベトにヨイショして、ニーチェの超人哲学を、ナチスの教義に利用しようとしたのである。
事実、フリックは、エリーザベトのご機嫌取りに奔走した。まず、ニーチェの著作権の期間を延長する法案を議会に提出した。それが棄却されると、今度は、ジルバーブリック館の公的助成金の交付を約束した。もちろん、エリーザベトは大喜びだった。
そのときのエリーザベトの礼状が面白い。
「私は、ヒトラー氏がニーチェのなかに見出したものが理解できます。それは、私たちに必要不可欠な英雄的タイプです。国家社会主義とニーチェを結ぶものは、両者に宿るこの英雄的精神なのです」
うまいこと言うが、だまされてはいけない。
たしかに、国家社会主義とニーチェは英雄的精神を包含するが、だからといって、この二つが「つながっている」ことにはならない。むしろ、現実はその逆。というのも、ニーチェは国家社会主義を忌み嫌っていたから。つまり、「国家社会主義とニーチェを結ぶもの」は何もないのだ。というわけで、ニーチェは、エリーザベトとナチスから利用されていたのである。
■第一のカモ、ヴァーグナー
じつは、ナチスに利用されたのは、ニーチェだけではなかった。19世紀ドイツの大音楽家リヒャルト・ヴァーグナーもしかり。
ヴァーグナーは、ロマン派オペラの王様で、楽曲は荘厳で、英雄崇拝、力への信仰を彷彿させる。気分を高揚させて、若者を戦場に送り込むにはうってつけだ。さらに、ヴァーグナー自身、反ユダヤ主義、アーリア人至上主義、国粋主義の信奉者だった。ヒトラーのお仲間がここにもいたのである。
ヒトラーは、1923年5月の青年時代からヴァーグナー家に出入りしていたが、首相になってからも続いた。また、ヴァーグナーの歌劇・楽劇を演目とするバイロイト音楽祭には必ず出席していた。
1933年7月のバイロイト音楽祭にも、ヒトラーはヴァーグナー家を訪ねている。この頃、大音楽家リヒャルト・ワーグナーはこの世になく、ヴァーグナー家は代替わりしていた。ただし、代替わりといっても、ワーグナーの血統ではない。息子のジークフリートの妻ヴィニフレート・ヴァーグナーである。ジークフリートが死去し、妻のヴィニフレートがヴァーグナー家を取り仕切っていたのである。
ではなぜ、ヒトラーは、ヴァーグナーと血のつながりもないヴィニフレートを訪ねたのか?
ヴィニフレートに惹かれていたから。
彼女は36歳と若く、しかも、熱烈なヒトラー賛美者だった。そんなこともあり、二人は相思相愛、再婚のウワサまであった。では、二人はどの程度の関係だったのだろう。
1942年3月10日夜、ヒトラーは気を許した部下にこう言っている。
「若い頃の私には、多少の孤独癖があって、人とつきあわずにいられた。しかし、私はずいぶん変わった。今は孤独には耐えられない。何よりも好きなのは綺麗な女性と一緒に食事をすることだ」(※2)
ヒトラーは女好きだった?
一方、極端にストイックなところもあった。だから、関係の深度は、今となっては知る由もない。とはいえ、スキャンダラスな話は残っていないので、ストイックが優勢だったのだろう。
こうして、「ヴァーグナー」はヒトラーにとって至高のブランドとなった。彼は、ナチスの曲にヴァーグナーの音楽を多用し、バイロイトをナチスの音楽の聖地にしようとした。さらに、バイロイト音楽祭とヴァーグナー家を援助し、ヴィニフレートをバイロイト音楽祭の総監督に就任させたのである。
そして ・・・
1933年、ナチスが政権を取ると、ヒトラーのヴァーグナーびいきは加速した。バイロイト音楽祭には、ヒトラーだけでなく、ナチス首脳全員を出席させたのである。
エリーザベトは、それが羨ましかった。
そこで、彼女は、「バイロイト音楽祭 & ヴァーグナー家」に対抗して、「ヴァイマルのジルバーブリック館 & ニーチェ家」を目論んだ。バイロイトが「音楽の聖地」なら、ヴァイマルは「哲学の聖地」というわけだ。そうなれば、ジルバーブリック館とエリーザベトはヒトラーの援助が受けられる。それはドイツ帝国の庇護を意味するのだ。
■第二のカモ、ニーチェ
1933年2月2日、エリーザベトはドイツの内相フリックに手紙を書き送った。
「喜びあふれる熱狂の大波が、全ドイツに打ち寄せています。愛するべき総統アドルフ・ヒトラーが、今やドイツ帝国の頂点に立たれたからです。その歓喜の奔流の中には、国家人民党と鉄兜団が入っています。これは心に愛国的な感性をもつ人々が夢見てきた状況であり、国家人民党と鉄兜団(国家人民党の党軍)を帝国内閣に受け容れたときの総統の立派な行動が与えた深い感銘は、言葉ではとても言い表わすことができません」(*1)
何が言いたいのかよくわからないが、
1.ヒトラーがドイツの政権を取ったことは喜ばしい。
2.国家人民党を受け容れたヒトラーは寛大である。
ぐらいの話だろう。
文面から、ヒトラーへの熱い思いが感じられるが、じつのところ、エリーザベトのナチズム支持は日和見的なものだった。ただし、日和見を意識したわけではない。その瞬間は本気だったのである。
エリーザベトは、フリック内相を口説き落とすと、いよいよ、本丸攻略にかかった。言わずと知れたヒトラー総統である。
エリーザベトはヒトラーに歯の浮くような賛美の手紙を書き、ジルバーブリック館を訪れるよう催促した。ヒトラーが来訪すれば、ジルバーブリック館とエリーザベトに箔がつく。そうなれば、ニーチェブランドの価値は急上昇し、彼女の実入りも増えるというわけだ。
で、ヒトラーはどうしたのか?
驚くなかれ、7回もジルバーブリック館を訪れている。
しかも、ヒトラーはパーフォーマンスも忘れなかった。感慨深げにニーチェの胸像を眺めたり、ニーチェの著作を熱心に読むフリをしたり。そして、最後にエリーザベトに敬意を表するのだった。エリーザベトが狂喜乱舞したのは言うまでもない。
では、ヒトラーはなぜそこまでして、エリーザベトに気を遣ったのか?
ヴァーグナーの楽曲同様に、ニーチェの哲学に感動したから?
ノー!
そもそも、ヒトラーはニーチェの著作は読まなかった。彼の読書は、歴史、地理、戦記に偏っていたのである。第一次世界大戦中、戦場でショーペンハウアーを読んだという記録もあるが、たぶん、つまみ食いだろう。
しかし ・・・
ヒトラーは著作は読まなくても、ニーチェの何が利用できるかを知っていた。
ヒトラーが目を付けたのは、ニーチェの哲理ではなく、「言霊(ことだま)」。つまり、文言のロジックではなく、エモーション、つまり、人間の意識を高揚させる「霊力」である。
たとえば ・・・
「力への意志」、「超人」のような勇ましい言葉や、神話を彷彿させる芝居がかった言い回し。それらはすべて「力の賛美」であり、若者を戦場に送り出すための方便だった。そして、そのような文言が、何の脈絡もなく抽出され、断片的に引用されて、ナチスの教義に利用されたのである。
しかし ・・・
ニーチェは、民族主義、国粋主義、民主主義、ありとあらゆるイデオロギーを毛嫌いしていた。さらに、彼は盲目的に力を賛美したわけではない。既存のイデオロギーに左右されず、自分の内なる声に従って、自己実現せよ、と説いたのである。つまり、ニーチェの力の賛美は「個人主義」であって、ナチスの「全体主義」ではない。つまり、主義主張が真逆なのだ。
では、ヒトラーはそれに気付いていた?
そこは重要ではないだろう。ニーチェの哲理が真逆のロジックで適用されたことが問題なのだ。
そして、これに加担したのはヒトラーだけではなかった。エリーザベトも同罪である。
彼女は、ニーチェの著作から、文脈を無視した引用や、一部分だけの引用によって、反ユダヤ主義をほのめかしたのだから。
たとえば ・・・
「ニーチェはつねにはっきりと見ていた、ユダヤ人の振る舞いがドイツにおいてはいかに相容れないものかを」
ニーチェがこのような曖昧で不正確な主張をするはずがない。ところが、それが本当かもしれないと思えてくるから不思議だ。これは、核心部分を抽象化し、黙示的に物語る、手の込んだ引用なのである。
そもそも、ニーチェはユダヤ人を差別しなかった。ユダヤ教は批判したが、キリスト教と同じロジックで、一神教の教義を非難したのである。
ニーチェの宗教観は道徳に向けられていた ・・・
ユダヤ教もキリスト教も世俗の支配者に迫害されたが、力で反撃することはできない。そこで、「道徳」という概念を作り上げ、力に訴える者は「悪」、それを享受する者を「善」としたのである。つまり、現実世界の敗北を、概念世界で復讐したわけだ。ところが、ニーチェはこのような者を「ルサンチマン(ひねくれ者)」とよんで蔑んだ。
つまり、ニーチェはユダヤ教やキリスト教の「道徳」を非難したのであって、ユダヤ人を差別したわけではない。
早い話、ニーチェは妹の金儲けとナチスの教義に利用されていたのだ。ところが、不思議なことに、彼はそれを予言していた。彼の著書にこんな一文があるのだ。
「最悪の読者は、略奪団のような真似をする。彼らは利用できるあれこれのものを持ち去るのである」
ニーチェは自分の未来の予言者でもあったわけだ。
■崩壊するニーチェ・ブランド
ニーチェとナチスが一体化するにつれ、ドイツ国外でのニーチェの価値は下落する一方だった。
たとえば、ノーベル文学賞を受賞した哲学者バートランド・ラッセルは、
「ニーチェは、ただの誇大妄想狂で、丘の上のリヤ王、不能者で危険分子で、警察国家の予言者である」(※1)
当たらずとも遠からず。でも、ちょっと言い過ぎ。
さらに、ナチスが大嫌いで、ドイツを脱出した社会学者ジョージ・リヒトハイムによれば、
「もし、ニーチェがいなかったら、SS(ナチス親衛隊)は東ヨーロッパにおける大量殺人計画を遂行しようというインスピレーションを欠いていたといっても過言ではない」(※1)
こちらは、「過言」どころか「暴言」。
というのも、SSは「大量殺人」のインスピレーションをニーチェから得たわけではない。単に、ヒトラーに命令されたのである。事実、ヒトラーは、東ヨーロッパに生存圏を拡大することが、ドイツが生き残る唯一の道と信じていた。
その証拠もある。
1939年8月22日朝、外相のリッベントロプは、ソ連との不可侵条約をまとめるためモスクワに向かった。そのとき、ヒトラーはリッベントロプにこう言っている。
「ソ連との条約は締結されるだろう。ポーランド戦はまもなく起こる。ポーランドとの戦争目的は『ポーランドの絶滅』にある」
ポーランドの絶滅!?
そう、ヒトラーはポーランド人を支配しようとしていたのでない。ポーランド人を抹殺して、ドイツ人を入植させるつもりだったのである。
つまり ・・・
ヒトラーはニーチェに感銘を受けたわけではない。彼のブランドと著書を利用しただけなのである。そして、ニーチェの資料館「ジルバーブリック館」は、「ナチの予言者」としての宣伝効果は絶大だった。だから、ヒトラーはジルバーブリック館に足を運んだのである。
「ヒトラーのジルバーブリック館訪問」は、ヒトラーにとってはナチズムのため、エリーザベトにとってはニーチェブランドと自分の贅沢な生活を維持するため、つまり、ヒトラーとエリーザベトはお互いに利用していたのである。ニーチェを媒体にして。
哀れなのはニーチェ、きっと、草葉の陰で泣いていただろうが、嘆き悲しむ人物がもう一人いた。ニーチェの崇拝者ハリー・ケスラー伯爵である。彼は、ニーチェがこれ以上ひどい目にあうのを見ていられないと言い残し、パリに亡命した。
1934年、エリーザベトはヒトラーの秘書ハンス・ハインリヒ・ラマースから一通の手紙を受け取った。
「兄上の仕事の普及につとめておられるあなたの奉仕に対し、月額300ライヒスマルクの名誉終身恩給を給付いたします」
エリーザベトの計略は、まんまと成功したのである。ところが、それも長くは続かなかった。
■エリーザベトの死
1935年11月初め、エリーザベトはインフルエンザに感染した。それでも、元気に口述筆記を続けていたが、11月8日、突然ベッドに倒れ込んだ。そして、二度と立ち上がらなかった。享年89歳、鉄の心臓と小型原子炉がついに停止したのである。
11月11日、エリーザベトの追悼式が営まれた。午後1時、ナチスのSS(親衛隊)、SA(突撃隊)、ヒトラーユーゲントがジルバーブリック館への道筋に整列した。午後3時、ヒトラーが到着。ヒトラーは、自ら、月桂樹をエリーザベトの柩の上においた。さらに、ニーチェ家の墓のある小さな教会には鉤十字が飾られた。それは、ニーチェとナチスの蜜月時代の終着駅でもあった。
それから4年後、第二次世界大戦が始まった。ドイツ軍は、航空機と戦車を連携させる画期的な「電撃戦」により、イギリス大陸軍を本国に追い返し、ヨーロッパの大半を征服した。ところが、ソ連侵攻でつまづき、アメリカが参戦すると状況は一変した。西方から米英軍、東方からソ連軍に挟み撃ちにされ崩壊、1945年5月7日、ドイツは無条件降伏した。
1946年12月、ソ連軍はヴァイマルに侵攻した。ナチスに加担したジルバーブリック館は閉鎖され、職員は逮捕されるか、殺害された。ニーチェ財団は解体され、ニーチェの名声も地に落ちた。
それから45年経った、1991年 ・・・
東西ドイツが統一され、ジルバーブリック館は博物館として蘇った。
博物館?
そう、ジルバーブリック館は、超人の象徴から、超人たちの夢の跡に成り果てたのである。
参考文献:
(※1)「エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女」 ベン マッキンタイアー (著), Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳)
(※2)「ヒトラー全記録 20645日の軌跡」 阿部良男 (著) 出版社: 柏書房
(※3)ヒトラー権力掌握の20ヵ月 グイド クノップ (著), 高木 玲 (翻訳) 中央公論新社
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-288/
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ニーチェの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/335.html
ニーチェ ツァラトゥストラ
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/899.html
超人エリーザベト~ニーチェを売った妹~
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1753.html
ニーチェやドストエフスキーはエドヴァルド・ムンクにどんな影響を与えたか
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007256
社会の底辺の人間のルサンチマン・奴隷道徳は醜い
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/612.html
若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 精神病の感染 フォリ・ア・ドゥ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/810.html
内田樹 「なぜ人を殺してはいけないのか?」
2020-03-02 20世紀の倫理-ニーチェ、オルテガ、カミュ - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/520.html
- ■ヒトラー内閣誕生
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- 戦後、ドイツからゲルマンの音や古来のゲルマン文化が失われた理由
ナチスの亡霊で苦しむ西歐人 / 「血と土」の哲学
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68786228.html
自分の人種を自慢してよい権利
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(左: アドルフ・ヒトラー / 中央 : ドイツ人の家族 / 右 : ユダヤ人の男性 )
敗戦後、ドイツ人はナチスの「戦争犯罪」を糾弾され、ユダヤ人を虐殺した“極悪人”との烙印を額に押されてしまい、その罪科を贖うために、歐洲で一番の「人権国家」になろうとした。英米から去勢された、このゲルマン人国家は、どんなに厭な種族であれ、一旦“移民”として受け容れてしまえば、貴重な「ドイツ国民」の身分を与え、至れり尽くせりの“おもてなし”をしようとする。こうした手厚い福祉を聞きつけた別のアフリカ人やアジア人は、「ドイツこそ夢に見た黄金のエルドラドなんだ!」と思い込み、「難民」を装って雪崩れ込んだ。リベラル思想に洗脳されたゲルマン人は、当初、「外人労働者なんて所詮“臨時労務者”だろう」と高を括っていたが、それは致命的な誤りだった。トルコ人やアラブ人、アフリカ人は図々しいから遠慮なくドイツ各地に押し寄せてくるし、福祉にタカるどころか、故郷から家族や親戚まで呼び寄せる始末。最初は渺(びょう)とした小川でも、黒や褐色の盲流が合流すれば、それは徐々に大きな濁流となり、最終的には手が付けられない程の津波となる。この水害に飲み込まれるのは“お人好し”のドイツ人で、生き残るのは人権を利用する移民や難民だ。ドイツ人って、まるでノアの箱船に乗り損ねたネズミのようだ。
10月下旬、ドイツでは地方選挙があって、ヨーロッパではちょっと話題になった。何と、チューリンゲン州の選挙では、“極右”と呼ばれる「ドイツのための選択肢(AfD)」が大躍進。日本でも「右派勢力」と呼ばれるAfDだが、実際はドイツ国民を第一に考える保守派政党だ。その証拠に、投票箱の蓋を開けてみると、23.8%の得票率であったという。これは第二位の得票率になるそうで、アンゲラ・メルケル率いる「キリスト教民衆党(CDU)」は顔面蒼白。というのも、CDUの得票率はAfDよりも低く、22.5%であったからだ。しかし、もっと悲惨なのは「社会民衆党(SPD)」で、こちらの得票率はたったの8パーセント。社民党の凋落は日本だけじゃなかった。で、気になる第一位は? これまたドイツらしく、極左政党の「リンケ党(Die Linke)」ときている。人権教育で頭がおかしくなった国民は救いようがない。
Bjorn Hocke 5Alexander Gauland 1Jerome Boateng 2
(左 : ビョルン・ホッケ / 中央 : アレグザンダー・ガウランド / 右 : ジェローム・ボアテング )
メルケル首相のプライドをズタズタにしたAfDだが、今回の地方選挙で特筆すべき候補者は、なんと言ってもビョルン・ホッケ(Björn Höcke)である。真っ赤な頭の人物が「良心的」とされるドイツでは、ゲルマン系ドイツ人の生活を一番に考え、ドイツ国家の利益と文化を優先する政治家なんか、レイシストの「極右」である。AfDの幹部もマスコミから吊し上げを喰らっていた。党首のアレグザンダー・ガウランド(Alexander Gauland)は、かつて黒人系サッカー選手のジェローム・ボアテング(Jérôme Boateng)について失言をしたことで責められた。曰わく、「みんな彼のことを好きだが、隣人にしたいとは思わない」、と。(彼の母親はドイツ人だが、父親はガーナ人であるという。) そりゃそうだろう。黒い「ドイツ人」なんて本当のドイツ人じゃない。また、離党した元代表のフラウケ・ペトリー(Frauke Petry)は、国境警備の強化と移民規制を訴え、フェミニストにも反対したから、相当なバッシングを受けたらしい。(現在、彼女は創設した「青の党」の党首になっている。) アリス・ワイダル(Alice Weidel)も「PC(政治的に正しい言葉使い)」に嫌気が差し、「あんなのは歴史のゴミ箱に葬るべき」と発言したから、マスコミの標的にされてしまった。ベアトリックス・フォン・ストーチ(Beatrix von Storch)も、BBCの番組に出演したとき、キャスターから吊し上げを食っていた。
Frauke Petry 1Alice Weidel 3Beatrice Storch 1
( 左 : フラウケ・ペトリー / 中央 : アリス・ワイダル /右 : ベアトリックス・フォン・ストーチ )
他の党員と同じく、ホッケもマスコミの「タブー・コード(禁忌規則)」に叛旗を翻し、ドイツ人が心の底で思っている事を口にした。左翼ジャーナリストは彼をコテンパンに叩いていたが、ホッケはゲルマン人の男らしい德を備えており、リベラル派やユダヤ人の批判に屈しなかった。例えば、彼はドイツに建設されたホロコースト記念館を「恥ずべき遺物」と評していた。(Justin Huggler, "germany's new Hitler poised to lead AfD to regional elections gain", The Daily Telegraph, 27 October 2019.) ドイツや歐米のメディアは非難囂々だったけど、ホッケの見解は正しい。少なくとも、ユダヤ人の脅しに屈服するCDUの政治家と比べれば、遙かに立派じゃないか。ユダヤ人のシナゴーグ(礼拝の会堂)があるだけでも不愉快なのに、迫害されたことを大々的に宣伝する記念館なんて目障りだ。街の景観を損ねるばかりか、子供達の生育にも有害である。だいたい、なんでユダヤ人は“他国”に自分たちの記念物を設置しようとするのか。
Edouard Drumont 1(左 / エドワルド・デュルモン)
そもそも、「ユダヤ人迫害」の原因はユダヤ人側にあって、異教徒のユダヤ人が昆虫みたいにドイツへ寄生したことが元兇だ。もし、ユダヤ人がロシアのポグロムを恐れて、外国に逃亡したいなら、逃避先はドイツやオーストリアじゃなく、イェルサレムがあるパレスチナに向かうべきだった。それなのに、ガリシア地方の賤民ときたら、“より良き生活”を求めて、西歐世界へと雪崩れ込んだ。これなら西歐各地で、根強い反ユダヤ主義が沸き起こったのも当然である。フランス人などは戦後、「ナチスに抵抗した善人」のフリをしていたが、彼らは昔からユダヤ人が大嫌いで、エドワルド・デュルモン(Édouard Drumont)が書いた『ユダヤ人ノフランス(Le France juive)』はベストセラーだったじゃないか。フランスの庶民はドイツ軍が忌々しいユダヤ人を排除してくれたら万々歳だった。「協力者(コラボ)」が多かったのも不思議じゃない。とにかく、ユダヤ人はヨーロッパから立ち去って、懐かしい中東アジアに戻り、アラブ人と“共生”しながら、適当に殺し合っていればいい。ユダヤ人は同類と喧嘩しながら暮らすのが自然である。
今回の選挙で「台風の目」となったホッケは、演説集会に現れる度に、リベラル思想に抑圧されたドイツ国民を励まし、民族意識を鼓舞することで勝利を得た。選挙中、彼は聴衆に向かい「我々は我々なんだ ! (つまり、ゲルマン系ドイツ人という意味 / Wir sind Wir !)」とか、「我々は同じ民族なんだぞ ! (Wir sind das Volk !)、「私は自らが属する民族を愛する ! (Ich liebe mein Volk !)」と述べていた。こうしたキャッチフレーズを聞けば、集まったドイツ人が熱狂したのも納得が行く。ドイツは先祖代々「祖父の土地」に住むゲルマン民族の国家であり、人格と容姿が卑しいユダヤ人やアラブ人、何のゆかりも無いアフリカ黒人の国じゃない。一つの国家、一つの民族、一つの運命がドイツ人のモットーで、異人種との雑居と混淆、イスラム教やユダヤ教徒の共存なんて真っ平御免だ。ドイツ人にはドイツ人だけで楽しく暮らす権利がある。「永遠の放浪者」であるユダヤ人は、ドイツ人のナショナリズムに不満なら、さっさと荷物をまとめて故郷のイスラエルに“帰還”すればいい。イスラエル政府は世界各地に離散した「同胞」の帰りを待っているんだから。
民族の血と国家の大地
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(左 : ナチスが称讃したゲルマン系女性 / 右 : ナチスが増やそうとしたアーリア人の赤ん坊)
鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクは、1888年2月6日の帝国議会で演説を行い、「我々ドイツ人は、天主以外の何者をも懼れない (Wir Deutsche fürchten Gott, aber sonst nichts in der Welt) 」と豪語た。しかし、現在のドイツ人はどうか? 懼れないのは天主の裁きだけで、自己批判を繰り返す左翼陣営や、歐米諸国の主要メディア、レイシズムを糾弾する人権屋からの抗議に遭えば、膝から崩れ落ちて土下座する。もっと情けないのは、隠然たる勢力を誇るユダヤ人から「仕置き」された時で、皇帝ハインリッヒ4世よりも卑屈な態度になってしまう。もし、民族派のドイツ人が「我々ははユダヤ人よりも遙かに美しく、何千倍も気高く、勇敢である !」なんて口にしたら、たちどころにユダヤ人から袋叩きだ。まるで、針の筵(むしろ)というより、釘で串刺しになる「鋼鉄の処女(中世の拷問器具 / Eiserne Jungfrau)」の中に閉じ込められたような状態になってしまうだろう。実際に殺されなくても、社会的地位(職業)と名声を一瞬で失うから、ドイツ人はどんなに愛国者でも決して本音を吐かないよう注意している。言論の自由があるのは日本だけだ。
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(左 : 陽気なユダヤ人青年 / 中央 : ユダヤ人の美女 / 右 : 敬虔なユダヤ人 )
ドイツのみならず、ブリテン、フランス、デンマーク、ネーデルラント、スウェーデンでも保守的な国民の間でナショナリズムが芽生えているが、西歐人が滅多に口にできないのは、国家と結びついた人種についてである。基本的に西歐人は各地をうろつく遊牧民ではない。農業を基盤とする定住民族だ。交通機関が発達する前なら、結婚相手は近場の異性で、同じ種族の者同士で子孫を残すのが普通だった。今とは異なり、ユトランド半島の片田舎に住むデイン人の娘が、パキスタン出身のイスラム教徒や北アフリカ出身のアラブ人、あるいは西インド諸島からやって来たジャマイカ人と結婚するなんて想像できなかった。もしあったら一大事。両親はおろか、祖父母や親戚、友人、隣人がびっくりするし、親兄弟の誰もが「やめてくれ !」と号泣するに違いない。こうした「国際結婚」は衝撃的だから、「何があったのか?」と地元の新聞に載ってしまう程だ。
Winston Churchill 1(左 / ユダヤ人好きのウィンストン・チャーチル)
昔のヨーロッパ人なら家系を重んじ、自分と同じような容姿の子孫を残そうとしたし、それが当たり前の「常識」だった。とりわけ、王侯貴族にとって血統は最重要課題で、黒人やアジア人との婚姻なんて御法度。たとえ、白人系のユダヤ人だって忌み嫌われていたんだから。一緒にディナーを取ることだって穢らわしく、ワインを片手に談笑というのも滅多に無かった。となれば、息子や娘の婚約相手なんか論外だ。しかし、イングランドの名門貴族、マールバラ公爵のチャーチル家は別だった。ランドルフとウィンストンはユダの金貨が大好き。失業中だったウィンストンはユダヤ人のパトロンから養われていたから、首相になった時、昔の恩返しをすべく、ヒトラーの和平交渉を一蹴り。ドイツのユダヤ人を救うためなら、同胞のイギリス兵を何十万も犠牲にしようが平気だった。(チャーチルの正体を説明すると長くなるので省略する。) この裏を知らないイギリス人は今でもチャーチル首相を「英雄」と思っている。どこの国にも馬鹿はいるものだ。
ちなみに、ユダヤ人はアーリア人と結婚するのが大好きで、白人の女をモノにするのは一種のステータスになっている。例えば、不動産屋の倅(せがれ)であるジャレッド・クシュナー(jared Kushner)は、トランプ大統領の娘であるイヴァンカと結婚した。ベンジャミン・ネタニヤフ首相の息子であるヤイル・ネタニヤフ(Yair Netanyahu)も白人娘が大好き。2014年にはキリスト教徒の家庭で育ったノルウェー人女性のサンドラ・レイカンガー(Sandra Leikanger)と付き合ったし、翌年にはユダヤ系デンマーク人モデルのリー・レヴィー(Lee Levi)と交際していた。ユダヤ人は社会的に成功したり、裕福な家庭に生まれると、無性にヨーロッパ系白人女性と接近したがる。イスラエルの保守的ユダヤ教徒は口々に、「どうしてビビ(ベンジャミン)の倅は非ユダヤ人と付き合うんだ?」と不満を漏らしていたけど、ユダヤ人青年にとったらブロンドの「上等な女」を恋人にしただけだ。ハリウッドのユダヤ系女優を見渡せば分かるけど、人気藝人となるのは矢鱈と「歐洲系」が多い。ユダヤ人の男はユダヤ的容姿の女性に興味が無いらしい。
Yair Netanyahu 2Lee Levi 1Yair Netanyahu & Sandra Leikanger
(左 : ヤイル・ネタニヤフ / 中央 : リー・レヴィー / 右 : ネタニヤフとサンドラ・レイカンガー )
敗戦後、ドイツ人はユダヤ人から悪魔の如く糾弾されたが、それは単に虐殺の対象にされたからではない。ユダヤ人が心の底からドイツ人を憎むのは、このゲルマン民族がセム種族の“肉体”を槍玉に挙げたからだ。優生学や人種衛生学を重視するナチスの理論家たちは、優秀なアーリア人が持つ遺伝子プールに、穢らわしい遺伝子が混入する事を恐れた。ドイツ人にとって、金髪碧眼の北方種族が「理想的な人間」である。だから、この容姿を醜くする、ユダヤ人の精子や卵子が赦せなかったのだ。ナチスを批判するフランス人だって、発言とは別に本音があって、白いケルト人の遺伝子を守りたいと思っているし、イギリス人も腹の中ではアングロ・サクソン人の容姿を保存したいと願っている。
現在のヨーロッパ人やアメリカ人、および彼らの主張を鵜呑みにする日本人は、無意識のレイシストになっている。リヘラル派はアフリカ人やアラブ人、あるいはインド人やベンガル人などに同情しているが、これらの非ヨーロッパ人が持つ独自の美意識を決して認めようとしないのだ。彼らは無意識的に有色人種の容姿は醜いと思っている。例えば、ウガンダ人が大きな尻や太い腰を持つ女性を「綺麗」と思うことに違和感を感じているが、現地の黒人にしたら、艶のある黒い肌と脂肪が詰まった頑丈なボディーは魅力的なのだ。ホッテントットの女性は自分の性器を自慢して、他人に見せびらかしていた。一方、インド人女性はイギリス人のような白い肌に憧れ、高価な「美白クリーム」を買っているが、歐米の左翼がこれに触れないのは欺瞞だ。イスラエルの東歐系ユダヤ人は、「俺達は洗練された白人なんだ !」と自慢し、パレスチナ系ユダヤ人を褐色の田舎者と馬鹿にしていたけど、何故か、これは大きなニュースにならなかった。
ヨーロッパのリベラル派や人権派というのは、「良心」を売り物にしているが、実際は、偽善的な差別主義者である。地球上には様々な種族が存在しているから、「絶対的な美」というものはない。あるのは、「相対的な美」くらいで、「別嬪」や「男前」というのは十人十色。ヨーロッパ人の基準や評価で他国の美意識を否定するのは間違っている。したがって、ドイツ人が自らの肉体を自慢しようが、そんなのは「手前味噌」にすぎず、目くじらを立てる程のものではない。品川や新橋で飲んでいるオヤジが「俺の娘は江戸一番の美女」と自慢したって、そんなのは親馬鹿の戯言(たわごと)だ。もし、こんな自慢を本気にして、「何だとぉぉ~、それは外見差別になるぞ !」と噛みつくのは野暮天しかいないだろう。まともな大人は、「そうかい。良かったねぇ~。確かに、娘さんはアンタと似ていないや!」と笑ってお終いである。これが解らないのは、大学でクルクルパーにされた優等生だけ。
ドイツ人にとっては素晴らしかった理論
Walther Darre 1( 左 / ヴァルター・ダレ)
歐米諸国でも似たり寄ったりかも知れないが、日本の書店ではナチス時代のドイツを暗く描いた翻訳書や歴史書ばかり。北方種族のアーリア人を増やすべく、「生命の泉(Lebensborn)」計画を実行したハインリッヒ・ヒムラーや、「血と土」を強調したヴァルター・ダレ(Walther Darré)は評判が悪く、非人道的な政策を行った極悪人にされている。しかし、どうしてゲルマン系ドイツ人を増やすことが悪いのか? 日本政府は少子化を懸念し、若い女性に「もっと子供を産んで下さい !」と呼びかけ、出産手当とか育児手当、保育所の増設に教育の無償化などを実行している。しかし、誰もこれをネオ・ナチ政策とは言わないだろう。また、日本人が日本の国土を愛し、日本人の子孫を残しても異論は無いはずだ。日本に住み着く支那人や朝鮮人は「排外主義だ !」と激怒するが、そもそも日本は日本人の国で、アジア人が幸せになる為の国ではない。もし、優秀な支那人や朝鮮人がいるのであれば、彼らこそ真っ先に祖国へ戻り、国家の発展に寄与すべきだ。我々は下品な支那人とかヤクザの在日鮮人なんて要らないぞ。
Heinrich Himmler 1Heinrich Himmler 2Alfred Rosenberg 1
(左 : ハインリッヒ・ヒムラー / 中央 : ドイツ人少女とヒムラー / 右 : アルフレート・ローゼンベルク)
現在、大学やマスコミでは「多文化主義」や「多民族共生思想」が真っ盛りだが、ドイツの文化はドイツ人が維持・継承すべきで、移民労働者として居着いたトルコ人や、紛争を逃れて潜り込んだシリア人が担うものじゃない。ドイツ人を糾弾するイギリス人やオランダ人でも、自国の文化は先祖代々の子孫が受け継ぐべし、と考えているはずだ。ところが、中流階級はおろか、上流階級のドイツ人でも、左翼やユダヤ人の前では腰砕けとなり、ドイツ人の遺伝子プールを守るのは駄目、街から異邦人を追放することも厳禁、非西歐人との混血なら称讃、と悉く非ドイツ化政策が取られている。良識的な公民さえ、ドイツらしいドイツを存続させようとしないのだ。ところが、ユダヤ人は同胞の為なら何でもする。彼らはドイツに寄生するため、あるいは外国からやって来る仲間のため、民族主義に基づいて多文化主義とか人種的多様性を大宣伝。しかし、彼ら自身はアラブ人やアフリカ人と混血したがらないし、イスラエルはユダヤ人とユダヤ教のために建てられた民族国家であると断言してはばからない。テレビ局、新聞社、教育界、藝能界に陣取るユダヤ人は、示し合わせたかのように協力し合っているから、ある意味、立派というか狡猾である。
Nazi Germany 17Nazi Germany 8Nazi Germany girls 5
(左 : ドイツ人の軍人 / 中央 : 軍服を着たドイツ人少女 / 右 : ナチス時代のドイツ人女性 )
それなら、ドイツ人が自国をアーリア種族だけの国、つまり北方種族だけが幸せに暮らせる楽園にしたい、と考えてもいいんじゃないか。元々、ドイツ人が主体のゲルマン国家なんだから。サウジ・アラビアなんてサウド家の所有物だし、イランはシーア派のイスラム教で疑問を持たない。日本の歴史家は馬鹿の一つ覚えみたいにナチスを糾弾するが、もし、モザンビークやコンゴが黒人だらけの国家になったら、彼らはアフリカに渡って抗議デモを起こすのか? 日本の学者は日本国内に留まって、反抗する日本人を批判するだけだ。譬えて言えば、弱い後輩だけに威張り散らす不良と同じである。彼らは朝鮮高校の兇暴な不良の前だと、借りてきた仔猫のように「おとなしく」なり、因縁を付けられても「ニャンとも言えない」とばかりに無抵抗主義を貫く。情けないけど、これが和製知識人の実態である。
日本の保守派は西歐人にペコペコしているが、白人のほとんどは「ハッタリ」が得意なだけの弱虫だ。だいたい、どうして西歐人は正直に「白人だらけの国がいい」と言えないのか? 自分の国なら、嫌いなユダヤ人やジプシーを叩き出してもいいはずだ。例えば、日本人の高校生が自分の部屋にアイドル歌手のポスターを貼ろうが、デス・メタルの音楽を聴こうが、ワンピースのフィギュア人形を飾ろうが、隣人は一向に構わない。なぜなら、自分の邸宅や敷地にある部屋じゃないからだ。ドイツ人はドイツ国内で、イギリス人はイングランド国内で、同胞だけと一緒に暮らす権利がある。そして、今を生きるドイツ人やイギリス人には、先祖から継承する血統を損なわず、きちんと子孫へ手渡す義務があるんじゃないか。祖父母と容姿が違う子孫なんて悲しすぎる。
Franz Boas 1Ashley Montagu 1(左 : フランツ・ボアズ / 右 : アシュリー・モンタギュー )
西歐人は愛国心を尊び、国防を担う軍人は命に代えても祖国を護ると言い張る。が、丸腰の移民が来ると腑抜けになってしまうから、「見かけ倒しじゃないか」と軽蔑したくなる。民族の血筋や文化、国土を守ってこそ、真の国防だ。異人種との混血を許し、伝統文化の劣化を奨励し、さらに国境までも開放するなんて馬鹿げている。リベラル教育で洗脳されてしまったからしょうがないが、愛国者であれば日本の戦国武将のように鋼鉄の意志を持つべきだ。フランツ・ボアズ(Franz Boas)やアシュリー・モンタギュー(Ashley Montagu)のような文化人類学者は、「人種なんて社会的に構築されたもの」と宣伝するが、現実的には「人間の種類」は存在する。(ボアズとモンタギューは共にユダヤ人。
ちなみに、「モンタギュー」は偽名で、本名は「イスラエル・エレンバーグ」である。) 日本人ならせせら笑ってしまうが、ユダヤ人にはオーストラリアの「アボリジニ(原住民)」とアングロ・サクソン系の白人が“似たり寄ったり”の人種に見えるのか? 左翼学者は熱心に平等思想を宣伝するが、一般人は同族の者と一緒に暮らしたいと考えている。何よりも、祖国で気持ちよく生活できるなら「非科学的」でも「人工的」でもいいじゃないか。
Herdegarde Neff 02Catherine Dea 1Jew Betty Friedan 3Jewish girl in Israel 3
(左 : ドイツ人女優のヒルデガルト・クネフ / ナチスが理想としたアーリア系女性 / ユダヤ人フェミニストのベティー・フリーダン / 右 : イスラエルに住むユダヤ人女性 )
Arthur Gutt 01 (左 /アルトゥール・グート )
今では、ヴァルター・ダレやアルフレート・ローゼンベルク(Alfred Rosenberg)の主張は全面的に否定され、悪魔の思想となっているが、国家運営や国民の統合には非合理的な神話(宗教)や科学では解明できない国民の絆が必要なのだ。例えば、SS少将のアルトゥール・グート(Arthur Gütt)は、人種文化および遺伝担当の大臣アドヴァイザーを務めていて、ドイツ人の人種的遺伝が如何に神聖であるかを述べていた。
ゲルマン貴族は自らの遺産を神聖な祖先の種から得ている。その血(生殖用の物質)は最も純粋な形で子孫に継承されねばならない。(Arthur Gütt, "Die Bedeutung von Blut und Boden für das deutsche Volk", Schriftenreihe des Reichsausschusses für Volksgesundheitsdienst, Vol. 4, Berlin : Reichsdruckerei, p.4.)
また、『第20世紀の神話』で有名なローゼンベルクも、ゲルマン民族の血統に関して持論を述べていた。
こんにち、新たな信仰、すなわち血の神話が勃興した。これは血を通して人間の神聖なる本質を守る信念である。(Alfred Rosenberg, Der Mythus des 20. Jahrhunderts, Munich, Hoheneichen Verlag, 1935,p.114.)
親衛隊上級大佐のカール・モッツ(Karl Motz)も、「血と土」を強調する文章を書いていた。
如何なる民族主義があろうとも、その基盤となるのは、我々の祖国にある聖なる地と血の関係である。(Karl Motz, Blut und Boden : die Grundlagen der deuschen Zukunft, Berlin, Zeitgeschichte Verlag, 1934, p.7.)
Hitler & kids 1Nazi Germany girls 001
(写真 / ドイツ人少女の歓迎を受けるヒトラー)
これらの理論家よりも、さらに激しく糾弾されるのがドイツ総統のアドルフ・ヒトラーである。もちろん、この独裁者は戦争末期、自らの地位に固執し、多くのドイツ兵を無駄死にさせたから、徹底的に批判されねばならない。しかし、ナチスが行った人種政策はドイツ国民にとって、本当にマイナスであったのか? ヒトラーはゲルマン人らしいドイツ人を保存したいと望み、国家が必要とする健全な青少年を育成しようとした。また、ドイツ社会を破壊する共産主義を執拗に攻撃したが、これは本当に「悪い事」なのか? ヨーロッパ人は認めたくないだろうが、優生学はドイツ人のみならず、ブリテン、フランス、ネーデルラント、スウェーデンなどでも盛んで、当時としては国家のプラスになったはずだ。ヒトラーの『我が闘争』を読んでみると、意外にも「まっとうなこと」が書かれており、戦前のヨーロッパ人が持っていた本音を語っている。例えば、次のような箇所はイギリス人やアメリカ人でも賛同する人が多いはずだ。
自然は雑種を好まない。特に、第三、第四、第五世代あたりの雑交の初期に生まれてくるものは、はなはだしく苦しまねばならない。かれらは本来最高の成分のもっている価値を、雑交によって失ってしまうのみならず、血の統一を欠いているために、生存一般のための意志力や決断力の統一をも欠いているのである。(アドルフ・ヒトラー 『わが闘争』 (下) 平野一郎・将積茂 訳 角川文庫 p.49)
また、ヒトラーは優越人種が劣等種族と交わった場合の危険性についても述べていた。
・・・・その結果はまず、水準自体が低下するだろうが、さらに子孫が人種的に混血していない周囲のものに比して虚弱化するだろう。最もすぐれた人種の側からの血がそれ以上混入することを完全にさまたげられるならば、お互いに雑種同士の雑交をつづけることによって、雑種は自然によって抵抗力が低下させられるために死滅するか、あるいは幾千年かの間には種々雑多な雑交によって、本来の単一的な要素が完全に混合し、したがってその単一な要素がもはや認められないような新混血物が形成されるであろう。(上掲書 p.50)
・・・・最も神聖な人権はただ一つあるだけである。そして、この権利は同時に最も神聖な義務である。すなわち、それは最もすぐれた人類を保持することによって、人類のより尊い可能性を与えるために、血を純粋に保つよう配慮することである。それとともに民族主義国家は、人間と猿との間の生まれぞこないではなく、神の似姿を生むことを任務としている結婚に神聖さを与えるために、まず第一に、結婚を絶え間ない人種汚染の水準から高めてやらねばならない。(上掲書 pp.52-53.)
戦前から1960年代まで、アメリカ社会において白人が黒人と結婚することは忌み嫌われていた。特に、南部だと一層顕著で、現在とは違い、民衆党の大物が熱烈な人種差別主義者であったことは周知の事実。例えば、リベラル派の長老だったロバート・バード(Robert Byrd)上院議員は、若い頃、KKKのウェスト・ヴァージニア支局に属していたし、ジョージア州の知事を務めたクリフォード・ウォーカー(Clifford Walker)とユージン・タルマッジ(Eugene Talmadge)は、黒人が大嫌いで、黒人の政治参加に猛烈な反対を示していた。アラバマ州にも沢山の白人至上主義者がいて、デイヴッド・グレイヴス(David Bibb Graves)知事や連邦最高裁のヒューゴ・ブラック(Hugo Black)判事は有名だ。彼らは共にKKKを支持。もちろん、こうした「レイシスト」はユダヤ人も大嫌い。アイヴィー・リーグの大学は、なるべくユダヤ人の学生を排除しようと様々な対策を講じていたものだ。
Claude Lanzmann 1(左 / クロード・ランズマン )
ところが、日本の歴史学者は悉くユダヤ人や黒人の味方で、ドイツ史について論文を書けば、決まって追放されたユダヤ人に同情を寄せてしまう。蛸壺型の思考しかないから仕方がないが、別の角度、すなわち「ドイツ人の視点」でドイツ史を見ることができないのだ。要するに、彼らはユダヤ人学者の言説を繰り返しているだけ。そもそも、「ホロコースト」なる用語が、どのように定義されているのかよく解らない。日本の歴史学者は検死報告書や物的証拠も示さずに、都市伝説でしかない「ガス室殺人」を頭から信じている。フランスのユダヤ人で映画監督のクロード・ランズマン(Claude Lanzmann)が、様々なホロコースト生存者を集め、その証言を映像に収めて『ショアー(Shoah)』というドキュメンタリー・フィルムを制作したが、これらの証言はどれも「証拠」とはならない。なぜなら、法廷での宣誓証言でもなければ、反対尋問を受けた証言でもないからだ。偽証罪に問われず、気楽に話せる噂話を「真実」と称しているんだから、日本の学者は脳天気である。こんなヨタ話が信用されるなら、『週刊実話』の記事だって、みんな「真相」になってしまうじゃないか。
まぁ、迫害や虐殺に遭ったユダヤ人は気の毒だが、久々にユダヤ人が消え去ったヨーロッパというのは結構気持ちがいい。ユダヤ人やクルクル左翼が記す歴史本には、「可哀想なユダヤ人」という“お涙頂戴”話が満ちあふれているけど、当時のドイツ人からすれば、「あの穢らわしい賤民が居なくなってせいせいした」という気分であった。それに、当時のドイツ人労働者はヒトラーの経済政策により、惨めだった生活水準が向上したし、ゲルマン人だけが暮らす住宅地も建設されて大喜び。イギリス人だって羨むほどだ。現在、戦勝国になったはずのブリテンには、ユダヤ人が政財界にウジャウジャいて、アングル系やケルト系の国民は密かに嘆いたり、憤慨したりと気分が優れない。したがって、「こんな風になるなら、ナチ・ドイツに占領された方がマシだ」と言いたくなるイギリス人の“ぼやき”も分かる。
Michael Levy 2Jack Straw 3Ed Miliband 1David Miliband
(左 : マイケル・レヴィー / ジャック・ストロー / エド・ミリバンド / 右 : デイヴィッド・ミリバンド )
ブリテンの政界はユダヤ・マネーに汚染され、誰も彼もが親イスラエル派だ。多民族共存が実現したブリテン島には、「イギリス人」の振りをするユダヤ人議員が普通にいて、中には「愛国者」を演じることで国民を騙そうとする奴がいる。保守党を見てもユダヤ人が多いし、労働党を見回してもユダヤ人が目につく。例えば、トニー・ブレアのパトロンはマケイル・レヴィー(Michael Levy)だし、外務大臣のジャック・ストロー(Jack Straw)は移民賛成派で、バーバラ・ロッシュ(Barbara Roche)に至っては確信犯的移民推進派であった。労働党の代表になったエドワード・ミリバンドと兄のデイヴィッドは親譲りのマルキスト極左ときている。一方、保守党にはマイケル・ハワード(Michael Howard)やマイケル・リフキンド(Michael Rifkind)のようなユダヤ人が多い。でも、一番腹立たしいのは、下院議長席に腐敗の帝王、ジョン・バーコウ(John Bercow)が坐っていることだ。 焼肉屋じゃあるまいし、あっちでジュージュー、こっちでジュウジュウの状態なんだから、イギリス人だと目眩がしてくる。
Barbara Roche 11John Bercow 1Michael Howard 2Michael Rifkind 1
(左 : バーバラ・ロッシュ / ジョン・バーコウ / マイケル・ハワード / 右 : マイケル・リフキンド )
ドイツ内外にヒトラーのユダヤ人迫害を非難するドイツ人がいるのは分かるが、彼らは北方種族のゲルマン人を増やした廉でヒトラーを譴責するのか? 現在、ブリテンやフランス、ネーデルラント、スウェーデンでは、移民や難民の有色人種が雪崩れ込んでしまい、深刻な「多民族社会」となっている。そこで、もしも、イングランドやデンマークからアジア人やアフリカ人が一掃され、白人だらけの国家となったら、どのような現象が起きるのか? まさか、リベラル派の白人が大量に逃げ出し、各地で不動産価格が下落するとは考えにくいし、一般国民が嘔吐を催すとも思えない。むしろ、人気の移住先となるんじゃないか。例えば、アメリカやカナダからこぞって白人が流入し、国籍取得を希望するかも知れないぞ。西歐人は決して口にしないが、ユダヤ人はお金の臭いに敏感だから、イスラエルからも不動産業者が参入し、猛烈な「土地転がし」が発生する可能性だってある。白人用の高級住宅地となれば結構な儲けになるし、建築業者や開発業者になればもっと儲かるから、このチャンスを見逃す手はない。巨額の資金を調達できるユダヤ人だと、ライバルを蹴落とすことが出来るから、かなり有利だ。
German boy 11German girl 1Nordic woman 43
(左 : ナチス時代のドイツ人少年 / 中央 : ナチス時代のドイツ人少女 / 右 : 現代のゲルマン系西歐人女性)
とにかく、ドイツを破滅に陥れたヒトラーを批判するのは構わない。しかし、ヒトラーがしたことを全て否定することは間違いだ。例えば、もしヒトラーがキリスト教を保護したり、「ヨーロッパの文化だから大切にせよ」と発言したら、アメリカ人はキリスト教を邪教と考え、「ネオ・ナチ好みの宗教だ」と毛嫌いするのか? また、もしも、ナチ党が軍人魂を称讃し、「祖国のために命を懸けることは崇高な行為だ !」と宣伝したら、ヨーロッパ人は尚武の精神をゴミ箱に捨てるのか? キリスト教や勇敢な行為はナチスがなんと言おうとも尊い。「善いもの」は誰が口にしても「善いもの」だし、悪事はイギリス人やアメリカ人が行っても正当化されるものではない。
Hitler with girlNazi Germany girls 004
(左 : ドイツ人少女と面会するヒトラー / 右 : 健全なドイツ人少女たち)
自国の生活環境を良くするためなら、タカリ賤民のユダヤ人や、不愉快な移民・難民を追放しても非難されるべきことではないだろう。第一、ユダヤ人には同胞が暮らすイスラエルがあるじゃないか。アフリカ難民は元々「避難民」なんだから、永住せずにさっさとアフリカへ戻り、どこかの国で農作業でもすればいい。あれだけ広大な地域なら、ブッシュマンみたいに暮らせるはずだ。もし、それが厭なら、パプア・ニューギニアとかフィリピンに移住する選択肢もあるじゃないか。ヨーロッパの左翼は自国の保守派ばかり責めているが、「上等な先進国」を意図的に目指す移民や難民を批判しないのはおかしい。アフリカ難民は他のアフリカ諸国が受け容れるべきだし、シリア難民とかイラク難民は、イスラム教国のサウジ・アラビアとかヨルダン、イランなどが率先して保護すべきである。異邦人を排斥したい保守派は、もっと強靱な精神を持つべきだ。先祖から受け継いだ国家と将来を担う子孫を考えれば、左翼からの苦情・罵声など「ウサギの糞」程度じゃないか。左翼分子は敵の弱点を突くのが上手い。真の愛国者は「ネオナチ」とか「極右」といったレッテルを恐れず、自分の血統をなるべく純粋に保ち、生まれ育った郷土を「自分たちの国」とすべきである。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68786228.html
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ドイツの「罪の克服」とは何だったのか
続壺齋閑話 (2024年9月10日 08:14)
https://blog2.hix05.com/2024/09/post-7982.html#more
雑誌「世界」の最新号(2024年10月号)に、「ドイツ『罪の克服』とはなんだったのか」と題する駒林歩美の小文が掲載されている。これは「イスラエルへの『偏愛』が生むレイシズム」という副題がついており、ドイツの異常なイスラエル贔屓の歴史的な背景について論じている。いま世界中を震撼させているイスラエルによるパレスチナ人の大虐殺(ジェノサイド)について、ドイツはアメリカと並んでイスラエルを支持し、パレスチナ人を殺すための兵器の提供を続けている。何がドイツをそれほどまでにイスラエル贔屓にするのか。
ドイツのイスラエル贔屓の異常さについては、ドイツの知性を代表するといわれるハーバーマスのような学者までが、今般の問題についてイスラエルの味方をしていることからもうかがわれる。とにかくドイツでは、国民あげてイスラエルを支持しており、イスラエルのユダヤ人がパレスチナ人の子どもを殺すことになんらの問題意識ももっていない。パレスチナ人をあたかも殺すべき害虫のように見ているのではないか。
ドイツは、イスラエルの安全保障を国是だと主張し、ハマスとの対立が始まって以来、前年比10倍の武器の提供をして、イスラエルのパレスチナ人虐殺に大きく貢献している。ドイツがなぜイスラエルの安全保障を国是としているのか。それはナチスによるユダヤ人迫害への反省の表れだといえるそうだ。その反省が極端なユダヤ人保護政策をもたらし、そのユダヤ人とイスラエル国家を同一視することから、無条件のイスラエル支持につながった。いまやドイツでは、イスラエルを批判することはタブーである。ユダヤ人の中には、イスラエルを批判する人もいるが、そういうユダヤ人も迫害の対象となる。なにしろ内務大臣自らが、イスラエルを批判するものは反ユダヤ主義を広める危険人物として逮捕するとうそぶいているというのである。
この小論は、ベルリン在住のユダヤ人精神分析家イリス・ヘフェッツ女史へのインタビューを踏まえているものだが、そのヘフェッツ女史はイスラエル国家の行為を批判し、イスラエルを無条件に支持するドイツに疑問を投げかけている。ごくあたりまえの行為だと思うが、そんな彼女でも、ドイツ政府の迫害を身近に感じるほど、いまのドイツはおかしくなっているという。
ヘフェッツ女史によれば、今のドイツがやっていることは、 すべてのドイツ人に同じように行動する、つまりイスラエルを支持するように求めることだ。同じように行動しなければ切り捨てる。だがそれはかつてナチスがやったことである。ドイツ政府はナチスのやったことを反省すると言いながら、実はナチスと全く異ならないことをやっていると女史は批判するのである。
小生も女史の主張に同感である。ドイツ人は頭がおかしくなっている、としか思えない。その頭のおかしくなったドイツ人が、またぞろナチスと同じようなことをしている。実に不気味なことではないか。
https://blog2.hix05.com/2024/09/post-7982.html#more
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【山崎行太郎チャンネル】ハイデッガーとナチズムについて。
森哲子事務所 2024/05/15
https://www.youtube.com/watch?v=FY1DCBPhygU
【山崎行太郎チャンネル】ナチズムからシオニズムへ。パレスチナの《ガザ地区》こそ現代の《ガス室》ではないか。
森哲子事務所 2023/10/22
https://www.youtube.com/watch?v=nbzbWFdqtb0
【山崎行太郎チャンネル】ネタニヤフかヒットラーか、どちらが最高のワルか。
森哲子事務所 2023/11/12
https://www.youtube.com/watch?v=AmgthBZMdWg
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ユダヤ人や支那人・朝鮮人は執念深い、恨みを何百倍にして返す
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14090574
川口マーン惠美 _ 凋落していくドイツ。なぜドイツはこうなってしまったのか
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16841284
【絶望の現地報告】移民・難民に乗っ取られた「ドイツ」の惨状【川口マーン惠美✕山根真=デイリーWiLL】
デイリーWiLL 2024/06/22
https://www.youtube.com/watch?v=1Wfw8wTtR_A
ドイツ政府は農民や羊飼いよりも「オオカミの生存権」を大事にしている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14121211
ドイツの幸福な時代の終わり、知られざる欠点
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14130978
ドイツの正体 _ 中国の人権侵害に加担しているドイツ
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14062897
「メルケルとロシア」広がる波紋 ドイツで何が?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14116433
バトルヒストリー _ 独ソ戦
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16878510
アウシュヴィッツ 探訪記
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14128816
ナチスの「人間牧場」 選別した男女に性交渉させ、アーリア人を産ませる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14027543
ナチスのユダヤ人に対する不妊作戦
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14047960
独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html
ヒトラーの共産主義との戦い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html
アフター・ヒトラー
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/405.html
- 戦後、ドイツからゲルマンの音や古来のゲルマン文化が失われた理由
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- ゲルマンの音とは何か?
クリングラー弦楽四重奏団 _ カール・クリングラー(1879年12月7日- 1971年3月18日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024560
フレッシュ先生曰く、
クリングラー
訓練の仕方が悪かったため、才能を十分に伸ばせなかった
運弓技術は右肘を下げ手を手首において左右に動かすという誤った理論に基づいていた
大げさで癖のあるポルタメント
曲の解釈は立派
しかし技術的にも音の面でもボヘミア四重奏団やカペーの方が優れていた
戦前のドイツでも、有名な演奏家の殆どはユダヤ系か東欧系で、ゲルマン人はオーケストラの楽員にしかなれませんでした。
演奏家としてはゲルマン人はユダヤ人や東欧人には到底敵わなかったのです。
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ベートーヴェンの時代の音を伝えるクリングラー四重奏団
カール・クリングラー(Karl Klingler, 1879.12.7 - 1971.3.18)
ストラスブール音楽院教授だった父にバイオリンを学び、5歳から演奏活動を始めた。1897年からベルリンでヨアヒムに師事し、同時にブルッフに作曲を学んだ。1903-35年ベルリン音楽院教授。1905年には自身の名の弦楽四重奏団、1906年からはヨアヒム弦楽四重奏団のビオラ奏者、ヨアヒム死後はバイオリンパートを演奏した。
Klingler Quartet, Beethoven, Op.18 No.5 (Historical Recording, 1911)
https://www.youtube.com/watch?v=pile0upUa50
Karl Klingler, 1st violin
Josef Rywkind, 2nd violin
Fridolin Klingler, viola
Arthur Williams, cello
Rec. 1911
ODEON 7267 - xxB 5547, xxB 5548, xxB 5549
Beethoven String Quartet No. 5 ~Menuetto & Andante cantabile~(rec1911)
https://www.youtube.com/watch?v=bjrp8Jb5EPU
2nd movement Menuetto
3rd movementAndante cantabile
date 1911
1st violin Karl Klingler
2nd violin Josef Rywkind
viola Fridolin Klingler
cello Arthur Williams
Klingler Quartet
Klingler Quartet | Beethoven: Op.130, "Alla danza tedesca" (1912)
https://www.youtube.com/watch?v=c6qOplMXWio
Karl Klingler, 1st violin
Josef Rywkind, 2nd violin
Fridolin Klingler, viola
Arthur Williams, cello
Historical Recording: 1912
Klingler Quartet plays Mozart K428 Menuetto
https://www.youtube.com/watch?v=lfG-LVZxWIA
Recorded for Odeon, 1912/13.
Beethoven String Quartet No. 12 (rec1935)
https://www.youtube.com/watch?v=6XhzEtcMWSA
date 1935
1st violin Karl Klingler
2nd violin Richard Heber
viola Fridolin Klingler
cello Ernst Silberstein
Klingler Quartet
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クリングラー四重奏団のベートーヴェン
写真は伝説的ヴァイオリニスト、ヨゼフ・ヨアヒムである。ヨゼフ・ヨアヒムはベートーヴェンによって絶賛されたヨゼフ・べームの高弟であり、そのべームと肩を並べて四重奏を行なった経験を持つという。
ヨアヒムはベートーヴェン直伝の奏法を体現した人物の一人であり、ウィーン・ヴァイオリン楽派の開祖である。ヨアヒムのカルテットにはヴィオラ奏者としてカール・クリングラーなる人物がいた。ヨアヒムからベートーヴェン直伝の奏法を汲み取った数少ない演奏家のひとりであり、世界最古のベートーヴェン録音を残すことになる。
カール・クリングラーはクリングラー四重奏団を結成し、1911年に機械録音で作品18-5の二楽章と三楽章を録音した。ベートーヴェンが没して84年後の録音であり、ヨアヒムはこの録音の4年前に世を去っている。
この録音は現在Testamentが発売している「クリングラーSQアンソロジー」の中には収録されていない。何ということだ!聴きたい!と地団駄を踏んでいたのだが、偶然入ったレコード店(CDショップではない)で、隅のほうに埃をかぶっている新星堂盤を見つけた。そこにはこの二曲のほか、1912年に録音された作品130の四楽章、そして1935年に録音された作品127の全楽章が収録されている。
音質は覚悟していたのだが(ふにゃふにゃの音だろうと)、思った以上に生々しく鮮明だ。竹やぶの燃える音の中から妙なる楽音が響く。SP初期であるから仕方がない。しかし、この高貴な音はどうだろう。ぴんと張り詰めた高音のきらめきに、繊細なポルタメントがかかる。大時代的な演奏ではなく、あくまで端正に演奏されている。「これがベートーヴェンに一番近い録音だ」と思うと感慨が深い。
作品127になると、もうSPの録音も完成されているために、凄く良い音がする。一楽章は何の思い入れも劇的表情もつけず、あっさりと速いテンポで導入。端正にきびきびと運ぶかと思えば、ぐっと旋律の終りでリタルダンドし、寄せては返す波のような心地よい流れを生む。格調高い高雅な響きにしっとりとしたポルタメントをかけ、何ともいえない風情を残す。
二楽章は、この演奏ではじめてこの楽章の素晴らしさがわかった!何という神々しさだろう。脱俗の境地そのものの音空間が広がる。クリングラーのヴァイオリンの美しさ!作品132の長大な緩徐楽章よりも洗練され、磨き上げられた音楽だと思わせるほどだ。
三楽章冒頭のピッチカートからして他の演奏と全く違う。別世界が現出するのだ。天の世界で天使達と遊ぶような気持ちになるや、高雅な響きだけではなく、ずっしりとした音のドラマが展開されていく。雄弁この上ないベートーヴェンの音楽が最高に美しく奏されている。
終楽章の主題が面白い。ここでも途中でテンポを波立たせるのだ。個人的な好みで言えば、ここはすっきりと演奏するほうが良いように思うのだが、これがクリングラーの味なのだろう。
参考までに演奏時間を載せておく。
1st 7'20'' 2nd 16'31'' 3rd 7'17'' 4th 7'34''
私はこれまで作品127がそれほど好きではなかった。第9の後に書かれた弦楽四重奏といえども、なぜ13番以降の傑作と同じ高みにあるものとして扱われるのかと不思議でならなかった。しかし、今は違う。クリングラー四重奏団の二楽章を聴いてしびれてしまった。こりゃあ、すごい。
昔のカルテットを聴くと、くつろいだ気持ちになるのはどういうわけなんだろう。SPやLPを気軽に聴くことができれば、私はどんどんこの道にはまりそうだ(泣)。
http://kitakentobeethoven.blog.so-net.ne.jp/2007-12-15
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クリングラー弦楽四重奏団/録音集(1912年~1936年)/グスタヴ・シェック(fl) [TESTAMENT SBT 2136]
ヨアヒムと弦楽四重奏を組んだクリングラー―当時はヴィオラを担当―はヨアヒムSQの伝統を継承する生き証人であり、19世紀の弦楽四重奏団の姿を伝へる貴重な記録なのだ。
録音は3種類に分類出来る。1912年と13年のオデオン録音と1922年と23年のヴォックス録音は、全て楽章単位の録音である。真摯なメンデルスゾーンやシューマンの演奏には聴くべきものがある。侘びたモーツァルトやケルビーニにも面白みがある。
しかし、録音としての価値は電気録音である1935年と36年のエレクトローラ録音にある。ベートーヴェンとレーガーのセレナードの全曲録音で、両曲ともフルートを伴ふ三重奏だ。滋味豊かで気品のある演奏はドイツ・ロマンティシズムの粋を聴かせる。(2008.4.11)
クリングラー弦楽四重奏団/録音集(1912年~1936年) [TESTAMENT SBT 2136]
再びクリングラーSQを聴く。2枚組の2枚目。最後期の録音であるエレクロトーラへの録音より、レーガーの弦楽三重奏曲とベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番が聴け、クリングラーSQの真価を確認出来る。
クリングラーSQはスラー・ボウイングを用ゐず短いブレーズによるアンサンブルを優先してゐるのが特徴だ。トーンの均一性を重視し、高貴なロマンティシズムを醸し出すヴィブラートは練り込むやうにゆるりとした速度で掛けられ、ブッシュSQとの類似点を感じさせる。
レーガーは晦渋さと幻想性を融合させた極上の名演で、渋みのある語り口が見事だ。大曲ベートーヴェンにおける老巧で深みのある表現はブッシュSQと比べても遜色ない。余白に収録されたハイドンのラルゴはクリングラーSQの禅定の境地を聴かせて呉れる絶品だ。(2008.5.17)
http://www.h6.dion.ne.jp/~socrates/chamber.html
▲△▽▼
なんと1904年のティボーのものだという音源がネット上にありました。
この盤、普通の蓄音機ではかかりません。どうやって再生したんだろう。
ところで、パルテータ3番のプレリュード。
あなたの演奏はエネスコのように シ ミ 強調 (あってるかな?)
で弾いていましたね。
いろいろな音源からエネスコが気に入ったのでしょうか?
ガボットとかほかの曲はまだ個性的というところまでは達してはいませんでした。
これはいろんな版や日本とドイツでの教育の誤差なんかで混乱してるという発言もあって、どうしたらいいのかなぁ。の段階なんでしょう。
秘数術の話も出て、バッハの隠しメッセージを知らないで演奏することへの抵抗もあるんでしょうね。
実は日本でも八卦の占いの方が「日本書紀」を八卦で読み解く。という記事を書いています。
http://www.maroon.dti.ne.jp/uqmk/k_e/index.html
古事記となっていますがテキストは日本書紀のようです。
わたしはこれはかなり当たってるところとそうでないところが混在してると思いますが大変面白い記事です。
世界中に秘数術はある…いや元々は八卦なんでしょうね。
でも、秘数術を極めなくても自分なりに演奏してみてはどうでしょうか?
いつぞや名古屋でちょっとやってみたように。
あれはかなり面白かったですョ。
たとえば、このあいだ載せたヨアヒムのバッハは決して単旋律志向の演奏ではありませんがそんな批評をしてる人がいます。
今のバッハ演奏はポリフォニーだからヨアヒムのは駄目だというんですね。
あの曲は大体ほとんどが単旋律だからあたりまえなのに…。
ブラームスは「バッハは旋律がひとつに繋がるからすごい。」と言っています
まあ美しいメロディが続かないブラームスらしい発言ですが…。
こんな批評が目立ってヨアヒムについて誤解されると困るなぁ…。
ロゼーの頃からほとんど今の演奏様式と変わらないと思います。
ロゼーより古い世代は ヨアヒム イザイ クリングラーなどでしょう。
イザイは当時の今風のヴィブラートも取り入れていますがノンビブラートでなんでも弾けたでしょうし地味なグラッベリみたいな指ビブラートをかけてますね。
私はミルシティンのバッハが好きですが、いまや聴く人少ないのかなぁ。
会場もシェリングかハーンあるいはマルツィ…(笑)
シェリングからハーンは同じ系統です。すべての音をひとしなみに出す。
いかにも技が冴えたように聴こえやすい。
ハーンは技巧は素晴らしいが解釈ではラクをしてると思うな。
ミルシティンはもっと繊細に必要な音を選んで少しだけ優遇してます(笑)
(あなたの名古屋のバッハはとても面白い声部を優遇してましたね。)
コンクールでシェリング冷遇は審査委員の大人の事情でしょう。
演奏の歴史なんかは学ばないといけませんが知識は知識として、自分なりに読んで自分なりに演奏すればいいと思いますよ。
エネスコが気に入ったのでしたら、そのままコピーではなくエネスコがなぜそんなふうに演奏したのかを考えて自分なりに演奏する。
残念ながらもうエネスコに習うことは出来ませんから。
G線上のアリアはフラウタンドですか?
なかなかいい音がしてました。あとはどこをシャキッっとしめてフーベルマンのように端然とした演奏とするかですね。
これもレコードにするに足りる人は現代にはなかなかいません。
私にとっては大変な曲ですがプロは簡単に弾いちゃうと思います。
秋のロンドンデリー。ポルタメント楽しみにしています。
http://teokuredesu.seesaa.net/article/218036136.html
ヨーゼフ・ヨアヒム(1831年6月28日 - 1907年8月15日)ヴァイオリニスト
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024414
パブロ・デ・サラサーテ(1844年3月10日 - 1908年9月20日)ヴァイオリニスト・作曲家
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レオポルト・アウアー(1845年6月7日 - 1930年7月15日)ヴァイオリン教育者
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ウジェーヌ・イザイ(1858年7月16日 - 1931年5月12日)ヴァイオリニスト・作曲家
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024479
イェネー・フバイ(1858年9月15日 – 1937年3月12日)ヴァイオリン教育者
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024619
ロゼ弦楽四重奏団 _ アルノルト・ロゼ(1863年10月24日 - 1946年8月25日)
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カペー弦楽四重奏団 _ リュシアン・カペー (1873年1月8日 – 1928年12月18日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14010458
カール・フレッシュ (1873年10月9日 - 1944年11月14日)ヴァイオリン教育者
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024572
フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler, 1875年2月2日 - 1962年1月29日) ヴァイオリニスト・作曲家
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024421
ジュール・ブーシェリ(1877年3月29日 - 1962年4月1日) ヴァイオリニスト
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024485
クリングラー弦楽四重奏団 _ カール・クリングラー(1879年12月7日- 1971年3月18日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024560
ジャック・ティボー(1880年9月27日 - 1953年9月1日)ヴァイオリニスト
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024763
ジョルジェ・エネスク(1881年8月19日 - 1955年5月4日) ヴァイオリニスト・作曲家
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14011036
ブロニスラフ・フーベルマン(1882年12月19日 - 1947年6月15日)ヴァイオリニスト
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14011093
エフレム・ジンバリスト(1889年4月9日 - 1985年2月22日)ヴァイオリニスト
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024637
ミッシャ・エルマン(1891年1月20日 - 1967年4月5日)ヴァイオリニスト
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14011094
ブッシュ弦楽四重奏団 _ アドルフ・ブッシュ(1891年8月8日 - 1952年6月9日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14010460
ヨーゼフ・シゲティ(1892年9月5日 - 1973年2月19日)ヴァイオリニスト
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14011384
レナー弦楽四重奏団 _ イェノ・レナー (1894年6月24日 - 1948年11月4日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024765
プロ・アルテ弦楽四重奏団 _ ルドルフ・コーリッシュ(1896年7月20日 - 1978年8月1日)ヴァイオリニスト
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16864491
ゲオルク・クーレンカンプ(1898年1月23日 - 1948年10月5日)ヴァイオリニスト
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024622
トーシャ・ザイデル (1899年11月17日 - 1962年11月15日)ヴァイオリニスト
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024639
ヤッシャ・ハイフェッツ (Yasha Heifetz、1901年2月2日 - 1987年12月10日)ヴァイオリニスト
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14024634
- ゲルマンの音とは何か?
-
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オットリーノ・レスピーギ
Ancient Airs and Dances Suite No. 2, P. 138 (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=DusXciw1bkQ
https://www.youtube.com/watch?v=ZlIN5v2v-JA
https://www.youtube.com/watch?v=hU2nA0f2OVw
https://www.youtube.com/watch?v=OgLEmksjybA
Orchestra: Munich Philharmonic
Conductor: Hans Knappertsbusch
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マックス・トラップ
Max Trapp Concerto for Orchestra No.3 - Hans Knappertsbusch 1954
https://www.youtube.com/watch?v=usv1JNV5zuU&t=8s
Hans Knappertsbusch
Bayerisches Staatsorchester
München Deutsches Museum 11,October 1954
Trapp, Max - Concerto for Orchestra n3
https://www.youtube.com/watch?v=WUxb8CXfma8
Bayerisches Staatsorchester
dir. Hans Knappertsbusch
1954
Max Trapp (1887-1971): Concerto for orchestra No. 3 (1946)
https://www.youtube.com/watch?v=hOH1BnAL-mM
Dir : Hans Knappertsbusch-
ゲルマンの音とは何か?
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー (1886年1月25日 - 1954年11月30日) 指揮者
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14010877
クラシックの核心: バッハからグールドまで 片山 杜秀 (著)
「1970年代以降、マーラーの人気を押し上げた要因の一つは音響機器の発展があずかって大きいが、フルトヴェングラーに限っては解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』聴こえることが重要だ。
フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音ではなくて分離不能な有機的な音、いわばオーケストラのすべての楽器が溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、いわばドイツの森のような鬱蒼としたサウンドだ。
したがって彼にはSP時代の音質が合っている。」
作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか?_宇野功芳 樂に寄す
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html
ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/639.html
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 交響曲 第2番 ホ短調
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/690.html
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バッハ
Bach: Orchestral Suite No. 3, Furtwängler & BPO (1948) バッハ 管弦楽組曲第3番 フルトヴェングラー
https://www.youtube.com/watch?v=xnii5-Sf3p4
https://www.youtube.com/watch?v=2f3OpnH0NAM
https://www.youtube.com/watch?v=ZxuaCfY6usA
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra
Rec. 22 October 1948, at Gemeindehaus, in Dahlem (Berlin)
J.S.Bach - Orchestral Suite No.3 Furtwangler Berliner live
https://www.youtube.com/watch?v=GFtk1N8lO-U
1948年10月24日
Furtwängler & BPO - J.S.Bach: Air from the Suite in D Major, BWV1068 (1929)
https://www.youtube.com/watch?v=qsaTGGQtlgc
https://www.youtube.com/watch?v=qjXuQ7rqy5Y
https://www.youtube.com/watch?v=9uNEBWt1yNc
https://www.youtube.com/watch?v=y_X1l2P3LBQ
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1929年6月13日、ベルリン高等音楽院ホール
独Polydor 95470 78回転盤より収録
Furtwängler & BPO - J.S. Bach: Brandenburg Concerto No.3 in G major, BWV 1048 (1930)
https://www.youtube.com/watch?v=3CSUr8NWsjc
https://www.youtube.com/watch?v=-Pwyusvz53Q
https://www.youtube.com/watch?v=PRVUgx71uFI
https://www.youtube.com/watch?v=fti-DIjxWNw
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1930年、ベルリン高等音楽院ホール
仏Polydor 95417/8 78回転盤より収録
ヘンデル
Handel - Concerto grosso Op.6 no.5 Furtwangler Berliner
https://www.youtube.com/watch?v=GUk726FnbV8
https://www.youtube.com/watch?v=PRNAVbL_OeM
https://www.youtube.com/watch?v=6yftN8yj-xk
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー
1954年4月27日
Handel - Concerto grosso Op.6 no.10 Furtwangler Berliner
https://www.youtube.com/watch?v=Ulca16-1Qg8
https://www.youtube.com/watch?v=1WOtc2pQ_AI&list=OLAK5uy_l2XU7mQr8svXR_ZUQsniiWNSSGEaB3jqw
https://www.youtube.com/watch?v=LSCBXdaqZkE
https://www.youtube.com/watch?v=_47imJkK9bI
https://www.youtube.com/watch?v=_lHnGlmmAGs
https://www.youtube.com/watch?v=OyiJ_OVF0_M
https://www.youtube.com/watch?v=JYimdZE7SIQ
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1950年6月20日
グルック
Gluck: Alceste Overture, Furtwängler & BPO (1951)
https://www.youtube.com/watch?v=IkdDrI2YUYA
https://www.youtube.com/watch?v=5gRiwFD1Nvk
https://www.youtube.com/watch?v=UCycH8v17oU
https://www.youtube.com/watch?v=m6H9E4nLZyc
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra
Rec. 5 September 1951, at Schiller Theater, in Berlin (Live Recording)
Gluck, Ouvertüre zu 'Alceste', Furtwängler(pseudo-stereo)
https://www.youtube.com/watch?v=ygozzemRhO4
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwangler
Gluck - Alceste Overture - Berlin / Furtwängler 1942
https://www.youtube.com/watch?v=wJffRrsBbYQ
https://www.youtube.com/watch?v=dbvs8n1f-Cc
https://www.youtube.com/watch?v=QlWXmvxi_aQ
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Studio recording, Berlin, 28.X.1942
ハイドン
Haydn: Symphony No.88 - Furtwängler & BPO (1951)
https://www.youtube.com/watch?v=cpzdnCdYwYo
https://www.youtube.com/watch?v=QLapRFj8y-s&t=13s
https://www.youtube.com/watch?v=lFOYpQGEbh4&t=184s
https://www.youtube.com/watch?v=e1EY5FVti1M&t=7s
Orchestra: Berliner Philharmoniker
1951年12月4, 5日、ベルリン、イエス・キリスト教会でのセッション録音。
Mozart - Symphony No 39 - Furtwängler, BPO (1944 Live)
https://www.youtube.com/watch?v=WWr_QZAkeHo
https://www.youtube.com/watch?v=WWr_QZAkeHo&list=RDWWr_QZAkeHo&start_radio=1
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded: 8 February 1944, State Opera House, Berlin (Live)
モーツァルト
MOZART, Symphony No 39 1942,43 Berlin ,Furtwangler
https://www.youtube.com/watch?v=rEn8zZkyHeA
Berliner Philharmoniker, Wilhelm Furtwängler
Mozart - Symphony n°40 - Berlin / Furtwängler
https://www.youtube.com/watch?v=Dss2CQNTgh8
https://www.youtube.com/watch?v=KW7XMpSB-Jk
https://www.youtube.com/watch?v=65Fqa3Z366w
Wilhelm Furtwängler, conductor
The Berlin Philharmonic Orchestra
Recorded Live on June 10, 1949
in Wiesbaden, Germany
Furtwängler & BPO - Mozart: Le nozze di Figaro, K.492 Overture (1933)
https://www.youtube.com/watch?v=O8DwERO0qAI
https://www.youtube.com/watch?v=wPRs74b5GgA
https://www.youtube.com/watch?v=q1J3uJOGOdg
モーツァルト:歌劇《フィガロの結婚》K.492 序曲
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1933年、ベルリン高等音楽院ホール
独Polydor 35013A 78回転盤より収録
Furtwängler & BPO - Mozart: Serenade No.13 in G major, K.525 'Eine kleine Nachtmusik' (1936)
https://www.youtube.com/watch?v=Qqjd-nWqd3Q
https://www.youtube.com/watch?v=f9JgIKwLO7U
https://www.youtube.com/watch?v=pTllSluVktI
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1936年12月28日&1937年6月、ベルリン高等音楽院ホール
独Grammophon 67182/4 78回転盤より収録
[HQ sound] Yvonne Lefébure, Furtwängler & BPO - Mozart: Piano Concerto No.20 in D Minor K.466 (1954)
https://www.youtube.com/watch?v=idX9c58bdZE
https://www.youtube.com/watch?v=E00wzrTBCkY
イヴォンヌ・ルフェビュール(ピアノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1954年5月15日、ルガーノ、テアトロ・アポロでのライブ録音
プライベート・アーカイブより復刻
ベートーヴェン
Beethoven: Egmont Overture, Furtwängler & BPO (1947) ベートーヴェン エグモント序曲 フルトヴェングラー
https://www.youtube.com/watch?v=wOuOAVm6ikM
https://www.youtube.com/watch?v=fFwrzdOtM2Q
https://www.youtube.com/watch?v=zNCQrwvqRk0
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra
Rec. 27 May 1947, at Titania-Plast, in Berlin
Furtwängler - Beethoven : Egmont - Overture Op.84 (1933) 再復刻
https://www.youtube.com/watch?v=yh2fSWycQN4
https://www.youtube.com/watch?v=0D-hvWriat4
https://www.youtube.com/watch?v=sxwqKQR31LI
Berlin Philharmonic Orch.
recorded in November 1933
transferred from Jpn POLYDOR- 45105(735)
【RRG録音】Furtwängler & BPO - Beethoven: Coriolan Overture, , Op.62 (1943.6.27-30)
https://www.youtube.com/watch?v=xq4MXSYlNZA
https://www.youtube.com/watch?v=wSghlxIZicU
https://www.youtube.com/watch?v=ebH-gAzpB94
https://www.youtube.com/watch?v=0uWJR_oV94w
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年6月27-30日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
プライベート・アーカイブより復刻
Furtwängler & BPO - Beethoven: Leonore Overture No.2, Op.72a (1954) - FALP transfer
https://www.youtube.com/watch?v=pwTfcUPIZog
https://www.youtube.com/watch?v=faz3XvLexpQ
https://www.youtube.com/watch?v=6M258pIZBMg
Transferred from a French La Voix De Son Maître 33rpm disc (FALP 419).
1954年4月4-5日、ベルリン高等音楽院奏楽堂でのセッション録音。仏La Voix De Son Maître FALP-419より復刻。
Beethoven: Leonore Overture No. 2, Op. 72a (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=dztcoZIIM3o
https://www.youtube.com/watch?v=NcKZRuc8pvE&t=42s
Berliner Philharmoniker · Wilhelm Furtwängler
Leonora Overture No. 2 in C Major, Op. 72a
https://www.youtube.com/watch?v=bdx_l2Tmjng
Hamburg Philharmonic Orchestra · Wilhelm Furtwängler
Fidelio: Ouvertüre
https://www.youtube.com/watch?v=9cDBUb7fhi0
Wilhelm Furtwängler · The Philharmonia Orchestra Of Berlin
Beethoven - Symphony No 1 - Furtwängler, BPO (1954)
https://www.youtube.com/watch?v=7LQTnhyTHxM
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded 19 September 1954, Titania-Palast, Berlin
Beethoven "Symphony No 1" Wilhelm Furtwängler
https://www.youtube.com/watch?v=3akamikQXbo
Stuttgart Radio Symphony Orchestra
Wilhelm Furtwängler, Conductor
Stuttgart, 30.III.1954
Furtwängler Eroica most lively! Special transfer of Beethoven 3, Berlin Philharmonic Dec. 8, 1952
https://www.youtube.com/watch?v=NANV4CvrkAo
https://www.youtube.com/watch?v=voz8NTrNUT0
https://www.youtube.com/watch?v=sNgohcWQAJs
live by Furtwängler in the Titania-Palast, Berlin on 8 December 1952. MORE below.
[JPN RVC 33rpm] Furtwängler & BPO - Beethoven: Symphony No.3 in E-flat major, Op.55 (1950)
https://www.youtube.com/watch?v=WccVdKPm4HQ
https://www.youtube.com/watch?v=jM5y0zIquS8
https://www.youtube.com/watch?v=EIuNhge7jyE
https://www.youtube.com/watch?v=SPU4RZLwNV0
https://www.youtube.com/watch?v=ghCk_Qfv5OA
https://www.youtube.com/watch?v=4Hs1j-RzXo4
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1950年6月20日 ベルリン、ティタニア・パラスト
[HQ Sound] Furtwängler & BPO - Beethoven: Symphony No.4 (1943.6.27-30 Live)
https://www.youtube.com/watch?v=m23dWMSX_88&t=31s
https://www.youtube.com/watch?v=MeX3RtvTZTM&t=1s
https://www.youtube.com/watch?v=MeX3RtvTZTM&t=8s
https://www.youtube.com/watch?v=vHOghgV2q9g
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded live at Alte Philharmonie, Berlin, 30th June, 1943
旧ベルリン・フィルハーモニーでの演奏会ライブ録音
[HQ Sound] Furtwängler & BPO - Beethoven: Symphony No.4 (1943.6.27-30 without audience)
https://www.youtube.com/watch?v=ymEMxcUid90
https://www.youtube.com/watch?v=ERuqWsFghSQ
https://www.youtube.com/watch?v=Hh1ec7mKYTs
https://www.youtube.com/watch?v=4OPFnI_6q70
https://www.youtube.com/watch?v=m23dWMSX_88
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年6月27-30日、旧ベルリン・フィルハーモニー*
*聴衆なしの放送用セッション
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
Beethoven - Symphony No 5 - Furtwängler, BPO (1943)
https://www.youtube.com/watch?v=GJG5A-klfgE
https://www.youtube.com/watch?v=GJG5A-klfgE&list=RDGJG5A-klfgE&start_radio=1
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded live at Alte Philharmonie, Berlin, 30th June, 1943
【RRG録音】Furtwängler & BPO - Beethoven: Symphony No.5 in C minor, Op.67 (1943.6.27-30)
https://www.youtube.com/watch?v=cXjptERV0c4
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年6月27-30日、旧ベルリン・フィルハーモニー*
*聴衆なしの放送用セッション
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
フルトヴェングラー, BPO/ベートーヴェン《運命》(1943年録音) 露AKKORD盤復刻
https://www.youtube.com/watch?v=9PlJlwo4Q-c
露AKKORD (レニングラード工場製) 33D-05800/1, GOST 5289-56 最初期スタンパー盤より復刻。(Matrix: 33D-05800/1-1, 05801/1-1)
1943年6月27-30日、旧ベルリン・フィルハーモニーでの放送用セッション録音。
Furtwängler - Beethoven : Symphony No.5 c-moll op.67(1937) 再復刻
https://www.youtube.com/watch?v=6RJfeJ9DXR0
https://www.youtube.com/watch?v=VsrfP8qdaBA
https://www.youtube.com/watch?v=sj9AXt-2NB4
https://www.youtube.com/watch?v=EIw0TzpqDMQ
https://www.youtube.com/watch?v=_XM4olgJM0U
https://www.youtube.com/watch?v=GtxuCa_PQwU
Wilhelm Furtwängler, conductor
The Berlin Philharmonic Orchestra
Recorded on October 10/November 3, 1937
at the Beethovensaal, Berlin
transferred from Jpn Columbia 78s /JS-3~5 (2RA-2340-2343)
[Legendary 1947 live] Furtwängler & BPO - Beethoven Symphony No.5 in C Minor, Op.67
https://www.youtube.com/watch?v=4m1fKj5ZhwQ
https://www.youtube.com/watch?v=aacV7XqTo-E
ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調《運命》作品67
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1947年5月25日、ベルリン、ティタニア・パラストにおける歴史的な復帰コンサートより
Beethoven: Symphony No. 5, Furtwängler & BPO (1947) ベートーヴェン 交響曲第5番 フルトヴェングラー
https://www.youtube.com/watch?v=xQuFOfEaWzI
https://www.youtube.com/watch?v=9XWmGe-k1lM
https://www.youtube.com/watch?v=jljiL-0yKVY
https://www.youtube.com/watch?v=LeZP3oBH808
https://www.youtube.com/watch?v=AGl_TJFzEG4
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1947年5月27日 ベルリン英国占領区ソ連放送局スタジオ (実況録音)
[1954 Paris live] Furtwängler & BPO - Beethoven Symphony No.5 - most HQ sound version ever
https://www.youtube.com/watch?v=O-f52YjhzaM
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1954年5月4日、パリ、オペラ座でのコンサート録音
フルベン最後の「運命」1954年(放送用録音) 優秀リマスター版 Furtwängler 1954 (broadcast recording)
https://www.youtube.com/watch?v=0SoGkoDIaOA
https://www.youtube.com/watch?v=3mhp3PJKpoU
https://www.youtube.com/watch?v=ZU4JhPgA5EM&t=38s
https://www.youtube.com/watch?v=gcTuDKmZV4A
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮: ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
1954年、5月23日、ベルリン・ティタニア・パラストでの放送用録音
Beethoven, Sinfonie Nr.6 'Pastorale', Furtwängler 1944
https://www.youtube.com/watch?v=pmEcaNG9iiY
https://www.youtube.com/watch?v=3gV7t9XmQn8&list=PL23AAF097B6C91191&index=1
https://www.youtube.com/watch?v=wmVC2-zl3GM&list=PL23AAF097B6C91191&index=2
https://www.youtube.com/watch?v=cGeyatzGmBE&list=PL23AAF097B6C91191&index=3
https://www.youtube.com/watch?v=NXRzCFy6aaI&list=PL23AAF097B6C91191&index=4
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler 1944(pseudo-stereo)
Beethoven - Symphony No.6 “Pastoral” Furtwangler Berliner
https://www.youtube.com/watch?v=cau3_B7qxOc
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1947年5月25日
【RR盤復刻】Furtwängler & BPO - Beethoven: Sym. No.6 in F major, Op.68 "Pastorale" (1954.5.15 Live)
https://www.youtube.com/watch?v=W2wrec4nQdY
https://www.youtube.com/watch?v=6013ktar2Gg
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1954年5月15日
スイス、ルガーノでのライブ録音
米Discocorp RR-477より収録
[HQ sound] Furtwängler & BPO - Beethoven: Symphony No.6 `Pastoral` (1954.5.23)
https://www.youtube.com/watch?v=3BLbDVv37-M
https://www.youtube.com/watch?v=l8U_-xGgreY&t=25s
https://www.youtube.com/watch?v=q_DjQjdld40
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1954年5月23日
ベルリン、ティタニアパラストでのライブ録音
Beethoven - Symphony No.7 Furtwangler Berliner
https://www.youtube.com/watch?v=b3Wfk5m_Jhg
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1943年10月31日
【RRG録音】Furtwängler & BPO - Beethoven: Symphony No.7 in A major, Op.92 (1943.11.3)
https://www.youtube.com/watch?v=FoshA2Q5EzU
https://www.youtube.com/watch?v=7NDnaoUlMm0
https://www.youtube.com/watch?v=d5dOswDppRU
https://www.youtube.com/watch?v=g8oQptdWSz8&t=92s
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年11月3日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
Wilhelm FURTWÄNGLER conducts Beethoven - Symphony No. 7 LIVE (1953)
https://www.youtube.com/watch?v=lQpe61WZyfM
https://www.youtube.com/watch?v=lQpe61WZyfM&list=RDlQpe61WZyfM&start_radio=1
https://www.youtube.com/watch?v=nTmrR91HIWo
April 14, 1953 live at Titania-Palast
Orchestra: Berliner Philharmoniker
Beethoven - Symphony No 8 - Furtwängler, BPO (1953)
https://www.youtube.com/watch?v=F0748ccEZYc
https://www.youtube.com/watch?v=6cshSLjS6tQ&t=28s
https://www.youtube.com/watch?v=6cshSLjS6tQ
https://www.youtube.com/watch?v=IcaNoOZjeQw
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded 14 April 1953, live at Titania-Palast, Berlin
Beethoven "Symphony No 9" Wilhelm Furtwängler 1937
https://www.youtube.com/watch?v=kqMftHJFfow
Erna Berger Soprano
Gertrud Pitzinger Alto
Walther Ludwig Tenor
Rudolf Watzke Bass
The Philharmonia Choir
Charles kennedy-Scott, Chorusmaster
Wilhelm Furtwängler, Conductor
Live concert 1 May 1937 in London,
Quenn's Hall
▲△▽▼
【RRG録音】Furtwängler & BPO - Beethoven: Symphony No.9 in D minor, Op.125 (1942.3.22-24)
https://www.youtube.com/watch?v=C7omWTmTRSw
https://www.youtube.com/watch?v=qGJVIKVVk9Y&list=PLnMoiTcqtO7VwGfjeQ4vdjMxluj5M9EpU
https://www.youtube.com/watch?v=D0RSHq4UF4k
https://www.youtube.com/watch?v=dt4pYI87JeI
https://www.youtube.com/watch?v=jl4mW2Mc9is&t=14s
https://www.youtube.com/watch?v=_AI9kp02eq0
https://www.youtube.com/watch?v=b67EWtEXnUk&t=31s
https://www.youtube.com/watch?v=j2aJ5rQXYtQ
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ティラ・ブリーム(ソプラノ)
エリーザベト・ヘンゲン(アルト)
ペーター・アンダース(テノール)
ルドルフ・ヴァッケ(バス)
ブルーノ・キッテル合唱団
合唱指揮:ブルーノ・キッテル
録音:1942年3月22-24日、ベルリン、旧フィルハーモニーホールでのライブ録音
Beethoven - Symphony No 9 'Choral' - Furtwängler, BPO (19 April 1942)
https://www.youtube.com/watch?v=IgwRtknwI8k&t=134s
https://www.youtube.com/watch?v=IgwRtknwI8k&t=231s
Erna Berger, soprano
Gertrude Pitzinger, contralto
Helge Rosvaenge, tenor
Rudolf Watzke, bass
Berlin Philharmonic Orchestra
Wilhelm Furtwängler
Live performance: 19 April 1942 at the Philharmonie in Berlin, RRG Broadcast
ヒトラー生誕記念前夜祭の第九 指揮フルトヴェングラー (日本語翻訳付き) 映像:1942年4月19日、 演奏音声:同年3月22~24日ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=zAOKkUnpTac
https://www.youtube.com/watch?v=cUCkoxOW_5s
ベートーヴェン 第9 第3楽章 フルトヴェングラー
https://www.youtube.com/watch?v=yxjFCMaJXGQ
1942年4月19日 ライヴ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベートーヴェン 交響曲第9番《合唱つき》から、第3楽章
Beethoven - Symphony No 9 'Choral' - Furtwängler, BPO (19 April 1942)
https://www.youtube.com/watch?v=IgwRtknwI8k&t=96s
https://www.youtube.com/watch?v=IgwRtknwI8k
Erna Berger, soprano, Gertrude Pitzinger, contralto, Helge Rosvaenge, tenor, Rudolf Watzke, bass,
Berlin Philharmonic Orchestra
Wilhelm Furtwängler
Live performance: 19 April 1942 at the Philharmonie in Berlin, RRG Broadcast
Private off-the-air recording, complete with radio announcement.
Beethoven Symphony No.9 Furtwangler BPO 1937
https://www.youtube.com/watch?v=oh2wmCXMx74
https://www.youtube.com/watch?v=kqMftHJFfow&t=41s
エルナ・ベルガー(ソプラノ)
ゲルトレーデ・ピッツィンガー(アルト)
ヴァルター・ルートヴィヒ(テノール)
ルドルフ・ヴァツケ(バス)
ブルーノ・キッテル合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)
録音時期:1937年5月1日
録音場所:ロンドン、クイーンズ・ホール
録音方式:モノラル(ライヴ)
フルトヴェングラー バイロイトの第九(EMI版)
Furtwängler at Bayreuth - Beethoven: Symphony No.9 in D Minor, Op 125 (1951.7.29)
https://www.youtube.com/watch?v=zuepr3L9ypQ
https://www.youtube.com/watch?v=gjmL6X128Ls
https://www.youtube.com/watch?v=fn0X_3AQzcs&list=PLZgDvxgjzgXa0THpFvNkEFn0Ti4PMLbWX
https://www.youtube.com/watch?v=TQTXrrQyJHk
https://www.youtube.com/watch?v=lOdvFGpflJY
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
エリーザベト・シュヴァルツコプフ(S)
エリーザベト・ヘンゲン(A)
ハンス・ホプフ(T)
オットー・エーデルマン(BS)
合唱指揮:ヴィルヘルム・ピッツ
バイロイト祝祭合唱団
録音:1951年7月29日、バイロイト祝祭劇場でのゲネプロおよび演奏会より収録
仏La Voix De Son Maître FALP-381/82より復刻
【大迫力】 フルトヴェングラー バイロイトの第九(EMI版)
https://www.youtube.com/watch?v=8juaJ9lITdU&t=89s
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
エリーザベト・ヘンゲン(アルト)
ハンス・ホップ(テノール)
オットー・エーデルマン(バス)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)
バイロイト祝祭管弦楽団、同合唱団
【録音】
1951年7月29日
バイロイト祝祭劇場
(ライヴ)
Furtwangler: Beethoven Symphony no. 9 "Choral" (Bayreuth 1951, Alternative version)
https://www.youtube.com/watch?v=95Wl6SxPKtQ&list=RD95Wl6SxPKtQ&start_radio=1
https://www.youtube.com/watch?v=-6x_HzAxkoM
https://www.youtube.com/watch?v=bgAI-en631c
https://www.youtube.com/watch?v=Fjr3OiIARYA
https://www.youtube.com/watch?v=kRST1GaToYE
https://www.youtube.com/watch?v=nCXLWH1wSMY
https://www.youtube.com/watch?v=kMsPaxTXxvk
https://www.youtube.com/watch?v=670cxAkXp3Q
https://www.youtube.com/watch?v=kCfTrWiDgCY
This is of course from Bayreuth's reopening concert on July 29, 1951, conducted by Wilhelm Furtwangler. This is not EMI's recording of it, however, which contains takes from rehearsals. Instead, this has been taken from the Bavarian Radio tapes that the record label Orfeo used in its issue of the concert. The orchestral playing here is rather better, and the performance is more exciting. The trade-off is in the sonics, which are decidedly rougher- but the chorus is recorded with more presence. Take your pick.
Bayreuth Festival Orchestra, Wilhelm Furtwangler
Live Recording, July 29, 1951
【STEREO】バイエルン盤 バイロイトの第九
https://www.youtube.com/watch?v=dkl8-ULCCT4
Bayreuth Festival Orchestra, Wilhelm Furtwangler
Recorded live on July 29. 1951
Soloists:
Elisabeth Schwarzkopf, soprano
Elisabeth Höngen, alto
Hans Hopf, tenor
Otto Edelmann, bass
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【最終結論】『バイロイトの第九』総まとめ EMI盤とセンター盤・編集痕跡バッチリ聴く Furtwängler Bayreuth【ATM音楽解説 Vol.163】話:徳岡直樹 Naoki Tokuoka
徳岡直樹 Naoki Tokuoka Music Life 2025/02/07
https://www.youtube.com/watch?v=PEI3wFUCJ80
フルトヴェングラーが亡くなったためについに録音されなかったベートーヴェンの交響曲第9番『合唱』。ところがフルトヴェングラーの没後一年、突然EMIが1951年、戦後初めて再開されたバイロイト音楽祭の開幕前夜にフルトヴェングラーが指揮した第九のライブ収録のレコードを発売した。以後、世界的ベストセラーとして「第九の代名詞」と言われるほどファンに親しまれ続けたが、発売以来半世紀を経た2007年、日本のフルトヴェングラーセンターがバイエルン州立放送局から、1951年の音楽祭のライブテープを発掘、会員むけにCD化した。ところがそれは従来のEMI盤で聞くことのできた『バイロイトの第九』ではなかった。たった一回行われたコンサートで、なぜ別テイクの演奏が存在するのか?『バイロイトの第九』の謎を完全解析!(話:徳岡直樹)
00:00 イントロ
02:39 ❶ 前史・フルトヴェングラーの死
09:44 ❷ ファンが憧れ続けたフルトヴェングラーの第九
15:12 ❸ 明らかになったEMI盤の制作事情
21:09 ❹ EMI盤とセンター盤の違いは?
27:31 ❺ EMI盤・第三楽章の編集痕跡を聴く
31:35 ❻ さらにややこしい『足音』
34:38 ATMチャンネル・まとめ
フルトヴェングラー バイロイトの第9 1954年
Beethoven: Symphony No. 9, "Choral" (1954)
https://www.youtube.com/watch?v=hxCLdM-b2xs&list=OLAK5uy_lGrNrm0iv1XvEQF1d0yBKiSy9Jr7KMRnU
https://www.youtube.com/watch?v=2V58cw4iIi8&list=OLAK5uy_lGrNrm0iv1XvEQF1d0yBKiSy9Jr7KMRnU&index=2
https://www.youtube.com/watch?v=_WBgEMnKFzE&list=OLAK5uy_lGrNrm0iv1XvEQF1d0yBKiSy9Jr7KMRnU&index=3
https://www.youtube.com/watch?v=QgesOH21WDI&list=OLAK5uy_lGrNrm0iv1XvEQF1d0yBKiSy9Jr7KMRnU&index=4
Choir: Bayreuth Festival Chorus
Conductor: Wilhelm Furtwangler
Orchestra: Bayreuth Festival Orchestra
Beethoven - Symphony No.9 “Choral” Furtwangler Bayreuth 1954
https://www.youtube.com/watch?v=RbcfPLi7OQ0
(S) グレ・ブロウエンスティーン (A) イーラ・マラニウク (T) ヴォルフガング・ヴィントガッセン
(B) ルートヴィヒ・ヴェーバー
フルトヴェングラー 指揮
バイロイト祝祭 管弦楽団&合唱団 1954年8月9日
バイロイト祝祭 '54 ベートーヴェン第9 - 第3楽章 / フルトヴェングラー指揮 / 1954年8月9日
https://www.youtube.com/watch?v=bNvhbV5hsO0
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 作品125 から
第3楽章 アダージョ・モルト・エ・カンタービレ.
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
ライヴ収録:1954年8月9日、バイロイト祝祭劇場
Furtwangler rehearsal Beethoven Symphony n.9 (Bayreuth,1954)
https://www.youtube.com/watch?v=bOmeI966u9Y
もうひとつのバイロイトの第九〜フルトヴェングラー、アッ!と驚く新譜CD登場【ヒストリカル解説 Vol.101】Furtwängler お話:徳岡直樹 Naoki Tokuoka
徳岡直樹 Naoki Tokuoka Music Life 2023/08/25
https://www.youtube.com/watch?v=vXTIcAvlksE
02:43 今日のキーワード・そしてバイロイトと1954年の第九周辺
09:18 まず1951年のバイロイトの第九について
16:52 1954年のバイロイトの第九
21:46 これまで登場したディスク比較
26:22 リハサール風景の録音
28:43 1951年演奏のレコード化・EMI盤の実態
33:44 10月発売のキング盤CD!
1954年8月9日 二回目のバイロイトの第九 :
https://www.hmv.co.jp/en/news/article/230821130/
Facebook「フルトヴェングラー研究」:
https://www.facebook.com/people/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E7%A0%94%E7%A9%B6/100067305830858/
フルトヴェングラーセンターHP:
http://www.furt-centre.com/centre_issue/centre_issue.htm
【RRG録音】Conrad Hansen, Furtwängler & BPO - Beethoven: Piano Concerto No.4 in G, Op.58 (1943.11.03)
https://www.youtube.com/watch?v=HrvNM-Lr3oE
https://www.youtube.com/watch?v=_Med0mCDTbA
https://www.youtube.com/watch?v=0XNFR0uaMDc
https://www.youtube.com/watch?v=0XNFR0uaMDc&t=88s
https://www.youtube.com/watch?v=a1dRFnBPzIs
https://www.youtube.com/watch?v=0RjYJFBrO0o
https://www.youtube.com/watch?v=jFB429L26h8
コンラート・ハンゼン (pf)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年11月3日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
[Melodiya 33rpm] Erich Röhn, Furtwängler & BPO - Beethoven: Violin Concerto in D, Op.61 (1944)
https://www.youtube.com/watch?v=nUzWWFusV-I
https://www.youtube.com/watch?v=75fZ65CBeJU
https://www.youtube.com/watch?v=JdRrMXKRgNA&t=10s
https://www.youtube.com/watch?v=JdRrMXKRgNA&list=RDJdRrMXKRgNA&start_radio=1
エーリッヒ・レーン (Vn)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1944年1月9-12日、旧ベルリン・フィルハーモニーでのライブ録音
メロディア盤 M10 40929-40930より復刻
Beethoven - Violin Concerto - Röhn, Furtwängler, BPO (1944)
https://www.youtube.com/watch?v=JdRrMXKRgNA&t=54s
Erich Röhn, violin
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded live at Alte Philharmonie, Berlin, 12th January, 1944
BEETHOVEN: Violin Concerto in D major op. 61 / Schneiderhan · Furtwängler·Berliner Philharmoniker
https://www.youtube.com/watch?v=zRICIQDapIc
Berliner Philharmoniker
1953/05/18 Mono, Titania-Palast, Berlin
Beethoven - Cavatina - Furtwängler, BPO (1940)
https://www.youtube.com/watch?v=9wEl0aYqCt4
https://www.youtube.com/watch?v=Swrx7hther4
https://www.youtube.com/watch?v=ThJHxxH_kGE
Ludwig van Beethoven - String Quartet No. 13, 5th movement, Cavatina
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded at the Philharmonie, Berlin, on 15th October 1940
Beethoven: Grosse Fuge in B-Flat Major, Op. 133 - Große Fuge in B-Flat Major, Op. 133
https://www.youtube.com/watch?v=Cc0ABnEotG0
Beethoven: Grosse Fuge in B-Flat Major, Op. 133 - Große Fuge in B-Flat Major, Op. 133 · Berliner Philharmoniker · Wilhelm Furtwängler
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ウェーバー
Furtwängler: Freischütz Overture most lively! 8-12-1952 Berlin Philharmonic
https://www.youtube.com/watch?v=QtBl5X3SmcI
Furtwängler: Freischütz Overture, 8-12-1952 Berlin Philharmonic Orchestra, Titaniapalast.
Weber: Overture Der Freischütz - Adagio - Molto vivace (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=KdbbqOjq6O8
https://www.youtube.com/watch?v=KpSbngXINME
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra
Rec. 20-22 March 1944, at Berlin State Opera (Live Recording)
Furtwängler & BPO - Weber: "Der Freischütz" Overture & Entr'acte (1935)
https://www.youtube.com/watch?v=wsW1pbRI_F8
https://www.youtube.com/watch?v=Z3_INa5MYu8
https://www.youtube.com/watch?v=qkt3Af8IPYw
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1935年、ベルリン高等音楽院ホール
Furtwängler's Historic First Recording in 1926 - Weber: "Der Freischütz" Overture
https://www.youtube.com/watch?v=ObwiOfoH1YA
https://www.youtube.com/watch?v=ObwiOfoH1YA&t=60s
https://www.youtube.com/watch?v=R0pUmsRDhgM
The VERY FIRST commercial recording of Wilhelm Furtwängler on 16th October, 1926 with the Berlin Philharmonic Orchestra. A private archive originally transferred from a ultra rare 78rpm shellac of Polydor 66466 (matrix no.: 172/173bm). Recorded at the Hochschule fur Musik, Berlin.
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
プライベート・アーカイブ(独 Polydor 66466 【172/173bm】 78回転盤より収録)
録音:1926年10月16日、ベルリン高等音楽院
Weber: Overture Euryanthe, Op. 81 (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=JFy--PyviY8&t=6s
https://www.youtube.com/watch?v=tHEg2t21aFI&t=4s
Berliner Philharmoniker · Wilhelm Furtwängler
Furtwängler & BPO - Weber: Invitation to the Dance, Op.65 (1932)
https://www.youtube.com/watch?v=JBpkL7nIE1s
https://www.youtube.com/watch?v=dYoAmshCu_c
https://www.youtube.com/watch?v=qZQPf6XdEkU
https://www.youtube.com/watch?v=CNMUaBLjnz0
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1932年、ベルリン高等音楽院ホール
独Polydor 67056 78回転盤より収録
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ロッシーニ
Furtwängler - Rossini : Barber of Seville - Overture セヴィリアの理髪師ー序曲 (1935)
https://www.youtube.com/watch?v=C4gZusuJsMA
https://www.youtube.com/watch?v=5rXLRcTrfhU
https://www.youtube.com/watch?v=Fvycn405vDI
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1935年、ベルリン高等音楽院ホール
独Grammophon 35028 78回転盤より収録
Furtwängler - Rossini : La gazza ladra 泥棒かささぎ - Overture (1930)
https://www.youtube.com/watch?v=6dcu_Tit8u4
https://www.youtube.com/watch?v=DZaMwZtJE8w
https://www.youtube.com/watch?v=zx2Rz-hoWbM
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1930年、ベルリン高等音楽院ホール
独Polydor 95427 78回転盤より収録
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シューベルト
[US VOX 33rpm] Furtwängler & BPO - Schubert: Sym. No.7(8) in B minor, D.759 `Unfinished` (1948)
https://www.youtube.com/watch?v=-37NS01v3s8
https://www.youtube.com/watch?v=C7vVIWVdlfc
https://www.youtube.com/watch?v=lfaudEfY6a0
https://www.youtube.com/watch?v=pElTyweamjo
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1948年10月24日、ベルリン、ティタニア・パラストでのライブ録音
米VOX社製 Turnabout TV-S 34478より収録
Schubert "Symphony No 8 in B minor" Wilhelm Furtwängler 1954
https://www.youtube.com/watch?v=AOQA2Kq8hMM
BPO (Paris Opera)
Wilhelm Furtwängler, conductor
Paris, 04.V.1954
Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Berlin / Furtwängler 1953
https://www.youtube.com/watch?v=EuN1xnv7Ogg&t=8s
https://www.youtube.com/watch?v=EuN1xnv7Ogg&t=59s
https://www.youtube.com/watch?v=iIkSZzSh8W4
Berlin Philharmonic Orchestra
Wilhelm Furtwängler
Live recording: Titania Palast, Berlin, 15th September 1953
Furtwängler Schubert Symphony No8 Unfinished Berlin Phil Feb 10 1952
https://www.youtube.com/watch?v=ITgV3zwPrk8
https://www.youtube.com/watch?v=S7Z0O6OxEpo
https://www.youtube.com/watch?v=9eNc6rZ5sxM
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
10.02.1952 live in Berlin
Schubert: Symphony No. 7(8) `Unfinished`, Furtwängler & BPO (1952)
https://www.youtube.com/watch?v=VBJoSky3ZS0
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1952年2月20日 ティタニア・パラスト (ベルリン) (実況録音)
【RRG録音】Furtwängler & BPO - Schubert: Symphony No.9 in C major, D.944 "The Great" (1942.12.6-8)
https://www.youtube.com/watch?v=sWjCPNYOmfU
https://www.youtube.com/watch?v=Lyn17ZFduAI
https://www.youtube.com/watch?v=I8PKrCPTX8w
https://www.youtube.com/watch?v=8YxDXgmJdQU
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1942年12月6-8日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
Schubert symphony No,9 Furtwängler BPO '51
https://www.youtube.com/watch?v=OmVWYCJvEsU
https://www.youtube.com/watch?v=TUYp5IJWbME
https://www.youtube.com/watch?v=6-fdwu0D5NE
Wilhelm Furtwängler (conductor)
Berliner Philharmoniker
1951年11月27-28日, 12月2, 4日、ベルリン、イエス・キリスト教会でのセッション録音。
Schubert - Symphony n°9 - Berlin / Furtwängler 1953
https://www.youtube.com/watch?v=xNTva5JCHuM
https://www.youtube.com/watch?v=uJTFaKe1HbM
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Recorded Live on September 15, 1953
at Pallast-Berlin
Furtwängler & BPO - Schubert: Rosamunde - Overture (1930)
https://www.youtube.com/watch?v=7Fj1eNNHWXk
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1930年、ベルリン高等音楽院ホール
米Brunswick 90147 78回転盤より収録
Schubert: Rosamunde Overture (Furtwangler)
https://www.youtube.com/watch?v=GlbPgRDoSkc
https://www.youtube.com/watch?v=m5rq_vFdGgk
https://www.youtube.com/watch?v=9oV4DCu2z2o
Berlin Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Live Recording, September 15, 1953
Furtwängler & BPO - Schubert: Entr'acte No.3 in B-flat major from "Rosamunde" (1929)
https://www.youtube.com/watch?v=iGlHGe87mew
https://www.youtube.com/watch?v=SXUsA62HbqA
https://www.youtube.com/watch?v=h3nejzY2tHk
https://www.youtube.com/watch?v=8wE457zNjf0
https://www.youtube.com/watch?v=WIKqwTUhL6A
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1929年6月13日、ベルリン高等音楽院ホール
仏Polydor 95418 78回転盤より収録
Schubert - Rosamunde - Berlin / Furtwängler 1929/30
https://www.youtube.com/watch?v=5aigiJg9HTk&list=PLMZbGa3BiAooPfm2j2LRq5SskyX7V6Ggl
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Studio recording, Berlin, 13.VI.1929 (Ballet Music) & 1930 (Overture & Entr'acte)
Furtwängler & BPO - Schubert: Rosamunde - Ballet Music No. 2 in G Major (1929)
https://www.youtube.com/watch?v=ZYKWj8tT1Qk
https://www.youtube.com/watch?v=pDS7VSU3ALs
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1929年6月13日、ベルリン高等音楽院ホール
英Decca CA.8098A 78回転盤より収録
▲△▽▼
ベルリオーズ
ベルリオーズ:『ファウストの劫罰』作品24よりラコッツィ行進曲
https://www.youtube.com/watch?v=OB-jfa-wFYk
https://www.youtube.com/watch?v=IipiCA6Ddu0
https://www.youtube.com/watch?v=F6NOEQJy_UE
https://www.youtube.com/watch?v=mqxbUWd-vzY
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1930年、ベルリン高等音楽院ホール
独Grammophon 95411B 78回転盤より収録
▲△▽▼
メンデルスゾーン
Furtwängler & BPO - Mendelssohn: "The Hebrides" (Fingal's Cave) Overture, Op.26 (1930)
https://www.youtube.com/watch?v=HXPHkbKRL8w&t=47s
https://www.youtube.com/watch?v=HXPHkbKRL8w
https://www.youtube.com/watch?v=j1OV5Omci9k
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1930年、ベルリン高等音楽院ホール
独Polydor 95470 78回転盤より収録
Furtwängler & BPO - Mendelssohn: "A Midsummer Night's Dream" Overture, Op.21 (1929)
https://www.youtube.com/watch?v=RfC0IRqe5bw
https://www.youtube.com/watch?v=YZ0OWndutW4
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1929年6月13日、ベルリン高等音楽院ホール
独Polydor 95470 78回転盤より収録
Mendelssohn: A Midsummer Night's Dream Overture, Furtwängler & BPO (1947)
https://www.youtube.com/watch?v=ZEs9xJ_x0wo
https://www.youtube.com/watch?v=ZEs9xJ_x0wo&t=23s
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra
Rec. 28 September 1947, at Titania-Palast, in Berlin (Live Recording)
Mendelssohn - Violin concerto - Menuhin / Berlin / Furtwängler
https://www.youtube.com/watch?v=344w5UFq2dE
https://www.youtube.com/watch?v=Phvhnjpi_KQ
https://www.youtube.com/watch?v=Xzo5AAyzVzk
https://www.youtube.com/watch?v=Q-BBXIpJlrk
Yehudi Menuhin
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Recorded 26 May of 1952, at Jesus-Christus-Kirche, Dahlem, Berlin, Germany.
▲△▽▼
シューマン
Schumann: Manfred Overture, Furtwängler & BPO (1949) シューマン マンフレッド序曲 フルトヴェングラー
https://www.youtube.com/watch?v=mOONxqIYcnc
https://www.youtube.com/watch?v=55L6qVveVqk
https://www.youtube.com/watch?v=lZdM_P_lB3o
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra
Rec. 18 December 1949, in Berlin
Schumann: Symphony No 4 (1953) Furtwängler/Berlin New Mastering
https://www.youtube.com/watch?v=-ZWWl_j3dJI
https://www.youtube.com/watch?v=LbyEiplksn0&t=6s
https://www.youtube.com/watch?v=h2lCdMFetv8
https://www.youtube.com/watch?v=PYz088ZcQSQ
https://www.youtube.com/watch?v=xJvMhdbjNBg
Wilhelm Furtwängler, conductor
Berlin Philharmonic Orchestra
Recorded on May 14, 1953
at Jesus Christus Kirch, Berlin-Dahlem
【RRG録音】Walter Gieseking, Furtwängler & BPO - Schumann: Piano Concerto in A Minor, Op.54 (1942.3.1-3)
https://www.youtube.com/watch?v=raX0IG4buH4
https://www.youtube.com/watch?v=l_nRRdaHIbc
https://www.youtube.com/watch?v=XBZtsKvXnpM
https://www.youtube.com/watch?v=kENMuyHJNHo
ワルター・ギーゼキング (pf)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1942年3月1-3日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
【RRG録音】Tibor de Machula, Furtwängler & BPO - Schumann: Cello Concerto in A minor (1942.10.25-28)
https://www.youtube.com/watch?v=Yne-S3GNYMg
https://www.youtube.com/watch?v=0z_M6PeTUKk
https://www.youtube.com/watch?v=KWdyRp9LlSc
ティボール・デ・マヒュラ(vc)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1942年10月25-28日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
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ワーグナー
Wagner: Tannhäuser Overture, Furtwängler & BPO (1951)
https://www.youtube.com/watch?v=Yi_mCQlZi3w
https://www.youtube.com/watch?v=0KmbCYbh91Q
https://www.youtube.com/watch?v=-luflht3NmQ
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra
Rec. 1 May 1951, in Rome (Live Recording)
Wagner:"Lohengrin" Prelude to Act I / Wilhelm Furtwängler & Berliner Philharmoniker 1930
https://www.youtube.com/watch?v=x7Ql7VI05iU
https://www.youtube.com/watch?v=ZlrM9ML8xGk
https://www.youtube.com/watch?v=LMmLfMcXiuo
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler (cond)
rec.1930
Wagner - Lohengrin Prelude - Wilhelm Furtwängler, 1936
https://www.youtube.com/watch?v=I_m7PN5sn1U
Richard Wagner, Prelude to Lohengrin, Wilhelm Furtwängler, Bayreuth Festival Orchestra, Live Recording, 19 July 1936
Wagner: Lohengrin - Prelude act III, Bridal Chorus - Wilhelm Furtwangler, direttore
https://www.youtube.com/watch?v=rJbyv3_R_dQ
https://www.youtube.com/watch?v=yBL9Q1pCD2U
https://www.youtube.com/watch?v=0cWAuKhLTE0
Treulich geführt (Bridal Chorus)
Wilhelm Furtwangler, direttore
Chor und Orchester des Bayreuther Festspiele
Bayreuth, 1936
Richard Wagner - Die Meistersinger - Prelude (BPO / Furtwangler / 1942)
https://www.youtube.com/watch?v=yQMzYp4v1E0
https://www.youtube.com/watch?v=mt6DSyb7k8Q
https://www.youtube.com/watch?v=3rM96_RS1Os
https://www.youtube.com/watch?v=pCubJhD3CZY
Berliner Philharmoniker / Berlin Philharmonic
Conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded at the AEG Factory in February 1942
Wagner:"Die Meistersinger von Nürnberg "Prelude to Act I/W.Furtwängler & Bayreuth Festival Orchestra
https://www.youtube.com/watch?v=VNMHyqVBHuQ
Bayreuth Festival Orchestra
Wilhelm Furtwängler (cond)
rec.6/1943
Wagner - Die Meistersinger von Nürnberg Prelude - Berlin / Furtwängler 1949
https://www.youtube.com/watch?v=Msxwl0y2nWI
https://www.youtube.com/watch?v=fqYov9WHD8s
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Berlin, 19.XII.1949
Furtwangler conducts Wagner Die Meistersinger in 1951
https://www.youtube.com/watch?v=0SIJIMkFTS8
Wagner - Tristan und Isolde Vorspiel - Berlin / Furtwängler 1930
https://www.youtube.com/watch?v=-o_AWuvn4B0
https://www.youtube.com/watch?v=4o142b5plHc
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Studio recording, Berlin, 1930
Isoldes Liebestod. Wilhelm Furtwängler. Berlin 1930
https://www.youtube.com/watch?v=r9a68NjLKTw
https://www.youtube.com/watch?v=16wg0-RupOM
Wilhelm Furtwängler
und das Philharmonische Orchester, Berlin.
Berlin 1930.
Wagner: "Tristan und Isolde" Prelude and Liebestod (1938) Furtwängler/BPO
https://www.youtube.com/watch?v=rH8Whua4fho
https://www.youtube.com/watch?v=UyfafmUbKfY
https://www.youtube.com/watch?v=ooeuApSZ2tw
https://www.youtube.com/watch?v=JAg0uKJVsYg
https://www.youtube.com/watch?v=CBIWa4GFPC0
Wilhelm Furtwängler, conductor
The Berlin Philharmonic Orchestra
Recorded on February 11, 1938
at Beethovensaal, Berlin
【RRG録音】Furtwängler & BPO - Wagner: Tristan und Isolde, Prelude & Isodes Liebestod (1942.11.8-9)
https://www.youtube.com/watch?v=i9ncWXyFE-A
https://www.youtube.com/watch?v=LQbORNavtbk
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1942年11月8-9日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
Wagner - Tristan und Isolde - Liebestod - Erna Schlüter - Furtwängler (1947)
https://www.youtube.com/watch?v=x9m-lQeSz_s
Isolde - Erna Schlüter
Staatskapelle Berlin
Wilhelm Furtwängler, conductor
Berlin, October 03, 1947
Wagner - Tristan und Isolde Vorspiel - Berlin / Furtwängler 1954
https://www.youtube.com/watch?v=aqA2Z3LdIag
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Berlin, 27.IV.1954
Tristan und Isolde. Dritter Aufzug: Vorspiel
https://www.youtube.com/watch?v=V_EEl0iAFo4
Staatskapelle Berlin
Wilhelm Furtwängler, conductor
Berlin, October 03, 1947
Wagner:"Götterdämmerung" Trauermarsch / Wilhelm Furtwängler & Bayreuth Festival Orchestra 1943.6
https://www.youtube.com/watch?v=iXA5oczXvG8
Bayreuth Festival Orchestra
Wilhelm Furtwängler (cond)
rec.6/1943
Wagner - Götterdämmerung - Siegfried's Funeral March - Furtwängler - 1933
https://www.youtube.com/watch?v=I0ANIlI_wnk
https://www.youtube.com/watch?v=6BobSnzJL60
https://www.youtube.com/watch?v=imQBN2a53oI
https://www.youtube.com/watch?v=b1ul0_87f2c
BPO, Furtwängler, Berlin, 1933
Grammophon-Polydor 67054
matr.: 733 BE1 & 734 1/2 BE1
フルトヴェングラー - ワーグナー:「パルシファル」- 前奏曲 (1938)
https://www.youtube.com/watch?v=fb1GUW5N9ck
https://www.youtube.com/watch?v=iuUqGnbIUYM
https://www.youtube.com/watch?v=K5Fp8d2jZ8E
https://www.youtube.com/watch?v=ciQ5xQOE8N4
https://www.youtube.com/watch?v=duwkucLVhtI
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年3月15日、ベルリン、ベートーヴェンザール
Furtwängler - Wagner : Parsifal - Good Friday Music (1938)
https://www.youtube.com/watch?v=Rsea2mYc4Uk
https://www.youtube.com/watch?v=WmJ1A-UcW18
https://www.youtube.com/watch?v=_B1ZcOyeQ7U
Berlin Phiharmonic Orch.
recorded 3/15, 1938
transfer from Jpn Columbia 78s / JS-48/9(2RA-2744/6)
Wagner's Parsifal: Good Friday Music -- Furtwängler
https://www.youtube.com/watch?v=lB5OrgydzIA
https://www.youtube.com/watch?v=trpnH5awYbw
https://www.youtube.com/watch?v=Krx8er6Htcc
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler (1886-1954)
Live recording, 1951
Lohengrin Bayreuth 1936 / Fürtwangler-Tietjen CD
https://www.youtube.com/watch?v=klG7Bb-EQyg&t=684s
https://www.youtube.com/watch?v=klG7Bb-EQyg&t=760s
Lohengrin Furtwängler Highlights 1936
https://www.youtube.com/watch?v=npDOpo2TXyQ
Maria Müller -- Elsa von Brabant
Margarete Klose -- Ortrud
Franz Völker -- Lohengrin
Jaro Prohaska -- Telramund
Josef von Manowarda -- Konig Heinrich
Wilhelm Furtwängler
Chor & Orchester der Bayreuther Festspiele
20, 24 & 29 Aug 1936
Wagner "Lohengrin-Act III Excerpts" Wilhelm Furtwängler
https://www.youtube.com/watch?v=PKm_CvBDIAw
Joseph von Manowarda (König Heinrich)
Franz Völker (Lohengrin)
Maria Müller (Elsa)
Margarete Klose (Ortrud)
Chorus & Orchestra of the Bayreuth Festival
Wilhelm Furtwängler, Conductor
Bayreuth 1931
1943. Die Meistersinger von Nürnberg - Prohaska, Lorenz, Müller (Wilhelm Furtwängler, Bayreuth)
https://www.youtube.com/watch?v=MAokG9BrvPo&t=1s
[Missing end of Act III scene 4: Sachs "Ein Kind...", and Quintet "Selig..."]
Jaro Prohaska -- Hans Sachs, Schuster
Max Lorenz -- Walther von Stolzing
Maria Müller -- Eva, Pogners Tochter
Eugen Fuchs -- Sixtus Beckmesser, Stadtschreiber
Josef Greindl -- Veit Pogner, Goldschmied
Erich Zimmermann -- David, Sachsens Lehrbube
Wilhelm Furtwängler
Chor & Orchester der Bayreuther Festspiele
1 Aug 1943
Re-pitched DIE MEISTERSINGER VON NÜRNBERG Müller, Prohaska, Lorenz - Furtwängler - Bayreuth 15VII43
https://www.youtube.com/watch?v=REgZHTqBfv8
Hans Sachs, Schuster: Jaro Prohaska
Veit Pogner, Goldschmied: Josef Greindl
Kunz Vogelsang, Kürschner: Benno Arnold
Konrad Nachtigall, Spengler: Helmut Fehn
Sixtus Beckmesser, Stadtschreiber: Eugen Fuchs
Fritz Kothner, Bäcker: Fritz Krenn
Balthasar Zorn, Zinngießer: Gerhard Witting
Ulrich Eißlinger, Würzkrämer: Gustav Rödin
Augustin Moser, Schneider: Karl Krollmann
Hermann Ortel, Seifensieder: Herbert Gosebruch
Hans Schwarz, Strumpfwirker: Franz Sauer
Hans Foltz, Kupferschmied: Alfred Dome
Walther von Stolzing, ein junger Ritter: Max Lorenz
David, Sachsens Lehrbube: Erich Zimmermann
Eva, Pogners Tochter: Maria Müller
Magdalena, Evas Amme: Camilla Kallab
Ein Nachtwächter: Erich Pina
Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele
Wilhelm Furtwängler
Bayreuth, Festspielhaus, 15. Juli 1943
Wilhelm Furtwängler Tristan und Isolde - 1947(Acts 2 & 3;LE)
Erna Schluter and Ludwig Suthaus in Tristan und Isolde (1947 live excerpts)
https://www.youtube.com/watch?v=JeJUAX1DyaE
Staatskapelle Berlin
Wilhelm Furtwängler, conductor
Berlin, October 03, 1947
Chorus - Berliner Staatsoper
Tristan - Ludwig Suthaus
Isolde - Erna Schlüter
Brangaene - Margarete Klose
Marke - Gottlob Frick
Kurwenal - Jaro Prohaska
Melot - Kurt Rehm
Hirt - Gerhard Witting
Steuerman - Hasso Eschert
Stimme eines jungen Seemanns - Paul Schmidtmann
"Tristan und Isolde" Berlin 1947 / Wilhelm Furtwangler CD
ACTS 2 - 3
https://www.youtube.com/watch?v=kG6w5jchVXo&t=40s
Wagner - Tristan und Isolde - Liebestod - Erna Schlüter - Furtwängler (1947)
https://www.youtube.com/watch?v=x9m-lQeSz_s
▲△▽▼
ブルックナー
Furtwangler conducts Bruckner Symphony 4 (1941, fragment)
https://www.youtube.com/watch?v=2UMp3kjopaY
Berlin Philharmonic Orchestra, December 1941
【RRG録音】Furtwängler & BPO - Bruckner: Symphony No.5 in B-Flat Major (1942.10.25-28 Live)
https://www.youtube.com/watch?v=0dD_F4MfJGU
https://www.youtube.com/watch?v=6bqGBGAQC8M
https://www.youtube.com/watch?v=RXvAWTNb-Vs
https://www.youtube.com/watch?v=mlr8KUH3Cbs
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1942年10月25-28日
ベルリン、旧フィルハーモニーでのライブ録音
【RRG録音】Furtwängler & BPO - Bruckner: Symphony No.6 in A major - 2nd-4th mov. (1943.11.13-16)
https://www.youtube.com/watch?v=6E0Z6VX_3Wk
https://www.youtube.com/watch?v=Yc3lUJRxAqY
https://www.youtube.com/watch?v=Id97lg26yjk
https://www.youtube.com/watch?v=iZRnmbR_9V8
https://www.youtube.com/watch?v=sQmnYt_i63Q
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年11月13-16日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
Bruckner - Symphony No 7 - Furtwängler, BPO (1949)
https://www.youtube.com/watch?v=3-Mp092drcA
https://www.youtube.com/watch?v=_tKUzAAkgrw
https://www.youtube.com/watch?v=lEZRAUqbOqg
Berlin Philharmonic Orchestra
Wilhelm Furtwängler
Recorded live at Gemeindehaus, Berlin-Dahlem, 18th October, 1949
Bruckner - Symphony No 7 - Adagio - Furtwängler, BPO (1942)
https://www.youtube.com/watch?v=u6N_QlYmIlo
https://www.youtube.com/watch?v=A_1PA2lq4_g
https://www.youtube.com/watch?v=jnK_BhuCcdc
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded Alte Philharmonie, Berlin, 1 April, 1942
Bruckner - Symphony No 7 - Furtwängler, BPO (1949)
https://www.youtube.com/watch?v=3-Mp092drcA
https://www.youtube.com/watch?v=_tKUzAAkgrw
https://www.youtube.com/watch?v=lEZRAUqbOqg
Berlin Philharmonic Orchestra
Wilhelm Furtwängler
Recorded live at Gemeindehaus, Berlin-Dahlem, 18th October, 1949
Bruckner - Symphony No 7 - Adagio - Furtwängler, BPO (1942)
https://www.youtube.com/watch?v=u6N_QlYmIlo
https://www.youtube.com/watch?v=A_1PA2lq4_g
https://www.youtube.com/watch?v=jnK_BhuCcdc
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded Alte Philharmonie, Berlin, 1 April, 1942
Bruckner: Symphony No. 8, Furtwängler & BPO (1949) ブルックナー 交響曲第8番 フルトヴェングラー
https://www.youtube.com/watch?v=UfZn8_9NTts&t=183s
https://www.youtube.com/watch?v=7aDNxyFgLXQ
https://www.youtube.com/watch?v=UtAbyL4krzY
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra
Rec. 15 March 1949, at Titania Palast, in Berlin
Bruckner - Symphony No 9 - Furtwängler, BPO (1944)
https://www.youtube.com/watch?v=tOfTE-vbKDc&t=11s
https://www.youtube.com/watch?v=EbNiS0u-B9k
https://www.youtube.com/watch?v=zU3a0P7TIo0
Wilhelm Furtwängler (1886-1954), Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra
Rec. 7 October 1944 (Live Recording)
▲△▽▼
ヨハン・シュトラウス
Furtwängler - J.Strauss : Fledermauss-Overture こうもりー序曲 (1936)
https://www.youtube.com/watch?v=CihLfEjR6mY
https://www.youtube.com/watch?v=CqiM981gF8A
https://www.youtube.com/watch?v=iI-UKvQAKeE
https://www.youtube.com/watch?v=l1ERuV4uJxI
https://www.youtube.com/watch?v=1d-e0EU8h2E
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1936年12月28日、ベルリン高等音楽院ホール
独Polydor 67121 78回転盤より収録
ブラームス
Furtwängler & BPO - Brahms: Hungarian Dance No.1 & 10 (1930)
https://www.youtube.com/watch?v=KygDVw1vRCQ
https://www.youtube.com/watch?v=kfdiUdpEzCw
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1930年、ベルリン高等音楽院ホール
米Brunswick 85034 78回転盤より収録
Brahms - Hungarian Dance No 1 - Furtwängler, BPO (1930)
https://www.youtube.com/watch?v=pyz6Xx3cEVg
https://www.youtube.com/watch?v=yOhJDLMxkp8
https://www.youtube.com/watch?v=ClS_xcZFGZQ
https://www.youtube.com/watch?v=6dyGpFOiPLE
Berlin Philharmonic Orchestra
Wilhelm Furtwängler
DGG studio recording, Hochschule für Musik, Berlin, 1930
Brahms - Hungarian Dance No 10 - Furtwängler, BPO (1930)
https://www.youtube.com/watch?v=SH08dmlNBSU
https://www.youtube.com/watch?v=g-QUeJP-jHo
Berlin Philharmonic Orchestra
Wilhelm Furtwängler
DGG studio recording, Hochschule für Musik, Berlin, 1930
【RRG録音】Furtwängler & BPO - Brahms: Variations on a theme by Haydn Op.56a (1943.12.12-15)
https://www.youtube.com/watch?v=WGWpcBw7nu0
https://www.youtube.com/watch?v=SKu_2W8Rlwc&t=145s
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年12月12-15日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
Brahms - Haydn Variations - Furtwängler, BPO (1950)
https://www.youtube.com/watch?v=dsAhOBZde8g
https://www.youtube.com/watch?v=Mt4U0l_AdoQ
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Live recording: 20 June 1950, Titania-Palast, Berlin
Brahms, Variations on a Theme by Haydn, Op.56a / Wilhelm Furtwangler ( 1951 )
https://www.youtube.com/watch?v=A9eKIiwOY2o
Wilhelm Furtwangler, conductor
NDR Symphonieorchester
27. X. 1951 ( Tahra / Remastered )
Brahms - Haydn Variations - Berlin / Furtwängler 1954
https://www.youtube.com/watch?v=Z8aTv-NAUyo
https://www.youtube.com/watch?v=Yz6sMjBOTIU
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Paris, Théâtre National de l'Opéra, 4.V.1954
Brahms - Haydn Variations - Furtwängler, SDNR (1951)
https://www.youtube.com/watch?v=RZUFmoTYl6g
https://www.youtube.com/watch?v=lyZHXMzJH2I
https://www.youtube.com/watch?v=A9eKIiwOY2o
https://www.youtube.com/watch?v=Wt-7_WXWwM4
Sinfonieorchester des NDR
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Hamburg, 27.X.1951
45年伝説の戦時下ライヴ【ブラームス交響曲第1番: 終楽章】/ フルトヴェングラー&ベルリンフィル wartime live [Brahms No.1 ] /
https://www.youtube.com/watch?v=M2D6ou9aGM8
https://www.youtube.com/watch?v=-H6S9Yue7E8
https://www.youtube.com/watch?v=6l9ZkM-9LsU
https://www.youtube.com/watch?v=jqCNDIdcl5k
Wilhelm Furtwangler, conductor
Berliner Philharmoniker
Rec : January 23, 1945 at Admiralspalast Berlin
徳岡直樹 フルトヴェングラー1945年1月のブラームス第一番の演奏データが間違いだった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14127013
Brahms:Symphony No.1 in C minor Op.68 / Wilhelm Furtwängler & Berliner Philharmoniker 1947.11
https://www.youtube.com/watch?v=Fy2TdkmwkRI
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler (cond)
rec.17-20/11/1947
[HQ sound] Furtwängler & BPO - Brahms: Symphony No.1 in C minor Op.68 (1952.2.10)
https://www.youtube.com/watch?v=wV522KzM96E
https://www.youtube.com/watch?v=uGexRHe2iBk&t=5s
https://www.youtube.com/watch?v=-HCz9gMTPpk
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1952年2月10日
ベルリン、ティタニア・パラストでのライブ録音
[HQ sound] Furtwängler & BPO - Brahms: Symphony No.1 in C minor Op.68 (1953.5.18)
https://www.youtube.com/watch?v=frSd6ueWQAg&t=2s
https://www.youtube.com/watch?v=t-ArTmxN06w
https://www.youtube.com/watch?v=QRi5SuFeAuw
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1953年5月18日
ベルリン、ティタニアパラストでのライブ録音
[HQ sound] Furtwängler & NDR - Brahms: Symphony No.1 in C minor Op.68 (1951.10.27)
https://www.youtube.com/watch?v=gFPD-N6CTRM
https://www.youtube.com/watch?v=Ll3qYS-Wz4M
https://www.youtube.com/watch?v=Bw266Ox-N8k
https://www.youtube.com/watch?v=u1-MKn_vdFk
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
北西ドイツ放送交響楽団
録音:1951年10月27日
ハンブルク、ムジークハレでのライブ録音
Brahms - Symphony No 2 - Furtwängler, BPO (1952)
https://www.youtube.com/watch?v=0gbAZPp6eSw&t=19s
https://www.youtube.com/watch?v=oq1etWFmEew
https://www.youtube.com/watch?v=Do_gi9qVJsQ
https://www.youtube.com/watch?v=nC8aqrI7O8E
https://www.youtube.com/watch?v=f0RhLW7No08
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Live recording: 7 May 1952, Deutsches Museum, Munich
Brahms - Symphony No 3 - Furtwängler, BPO (1949)
https://www.youtube.com/watch?v=YegLNgHIWhA
https://www.youtube.com/watch?v=N1G3SdiEPOw
https://www.youtube.com/watch?v=ipRW4KTlR2E
https://www.youtube.com/watch?v=fZVM8ID54ho
https://www.youtube.com/watch?v=EyJIRjcKps4
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Live recording: 18 December 1949, Titania Palast, Berlin
Brahms - Symphony No 3 - Furtwängler, BPO (1954)
https://www.youtube.com/watch?v=g6kIXj8amQs
https://www.youtube.com/watch?v=y30Sp-hoKsg
https://www.youtube.com/watch?v=u5mREug5Ht0
https://www.youtube.com/watch?v=KFCYCn7BFoQ
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1954年4月27日
Furtwängler conducts Berliner Philharmoniker in Turin / Brahms Symphony No. 3
https://www.youtube.com/watch?v=7BeEAdUmrmw
Conductor: Wilhelm Furtwängler
Berliner Philharmoniker
Rec 14.5.1954 /turin
Brahms - Symphony No 4 - Furtwängler, BPO (1948)
https://www.youtube.com/watch?v=LoH1KKDwXtw
https://www.youtube.com/watch?v=Lkypqp1ZbSg
https://www.youtube.com/watch?v=f8KKY-GuFSk
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Live recording: 24 October 1948, Titania Palast, Berlin
[Rare] Furtwängler & BPO - Brahms: Symphony No.4 in E minor, Op. 98 (1948.10.22)
https://www.youtube.com/watch?v=g_yyocSwBz0
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1948年10月22日、ダーレム・ゲマインデハウスでの放送用セッション録音
【メロディア聖火盤復刻】Furtwängler & BPO - Brahms: Symphony No.4 in E minor Op.98 (1943.12.12-15 live)
https://www.youtube.com/watch?v=CUqXNRwasAo
https://www.youtube.com/watch?v=AssHnyMLbVk
https://www.youtube.com/watch?v=ia6S8X_natM
https://www.youtube.com/watch?v=Pb_gxpLY_y0
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年12月12-15日
ベルリン、旧フィルハーモニーでのライブ録音
メロディア水色聖火盤/33D-09867/8 (GOST 5289-56) より復刻
[HQ sound] Furtwängler & BPO - Brahms: Symphony No.4 in E minor, Op. 98 (1949.6.10)
https://www.youtube.com/watch?v=c4ezlF-G7FY
https://www.youtube.com/watch?v=U-IqMshK30Y
https://www.youtube.com/watch?v=zlaTYaQP8IM
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1949年6月10日、ヴィースバーデン国立歌劇場でのライブ録音
【RRG録音】Edwin Fischer, Furtwängler & BPO - Brahms: Piano Concerto No.2, Op.83 (1942.11.8-9)
https://www.youtube.com/watch?v=1Zw8IhR0qrs
https://www.youtube.com/watch?v=Juc0mVRGkpw
https://www.youtube.com/watch?v=-Jbzf-n4LqQ
https://www.youtube.com/watch?v=gZ_vvgmCNMg
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1942年11月8-9日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
【RRG録音】Adrian Aeschbacher, Furtwängler & BPO - Brahms: Piano Concerto No.2, Op.83 (1943.12.12-15)
https://www.youtube.com/watch?v=ZoGDojUyiz4
アドリアン・エッシュバッヒャー(ピアノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年12月12-15日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
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チャイコフスキー
Furtwängler & BPO - Tchaikovsky: Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" (1938)
https://www.youtube.com/watch?v=3gvZwtMyzr4
https://www.youtube.com/watch?v=aYxIP-YXDNE
https://www.youtube.com/watch?v=wEHB2zpSfB4
https://www.youtube.com/watch?v=K5AdQrG9BJ0
https://www.youtube.com/watch?v=XPDIlmIl7X0
https://www.youtube.com/watch?v=JrowvvOIjgU&t=6s
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1938年10月25, 27日 ベルリン、ベートーヴェン・ザール
仏Disque Gramophone DB 4609-14 78回転盤より収録
Furtwängler & BPO - Tchaikovsky: Symphony No.6 in B minor, Op.74 "Pathetique" (1951 Cairo live)
https://www.youtube.com/watch?v=HgxIAuM_Ods
https://www.youtube.com/watch?v=6u11Haz69SE
https://www.youtube.com/watch?v=AtyKknjyh2Y
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音時期:1951年4月19日または22日
録音場所:カイロ
録音方式:モノラル(放送録音)
▲△▽▼
ドヴォルザーク
Dvořák: 8 Slavonic Dances, Op. 46 - No. 3 in A-Flat
https://www.youtube.com/watch?v=kM2guODps6Y
https://www.youtube.com/watch?v=TUvi0A2w60g
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Wilhelm Furtwängler: Early Polydor Recordings
▲△▽▼
グリーグ
Grieg: Piano Concerto in A Minor, Op. 16 (30.07.1944 - Digitally remastered...
https://www.youtube.com/watch?v=ArH7-S_QcDs
https://www.youtube.com/watch?v=cC_DxMkY0zg
https://www.youtube.com/watch?v=cW-EJZRlPXE
https://www.youtube.com/watch?v=3veMu_lKh1A
Berlin, 30.07.1944
Wilhelm Furtwängler
Berlin Philharmonic Orchestra
Walter Gieseking
Wilhelm FURTWÄNGLER and Walter GIESEKING play Grieg - Piano Concerto 1942
https://www.youtube.com/watch?v=8arE8UjD5mo
https://www.youtube.com/watch?v=PCjEvgGgg4U
Piano: Walter Gieseking
Conductor: Wilhelm Furtwängler
Orchestra: Berlin Philharmonic Orchestra
1942
▲△▽▼
クロード・ドビュッシー
Nocturnes: No. 1. Nuages
https://www.youtube.com/watch?v=wgAJ6sr0h08
https://www.youtube.com/watch?v=JP078HFRtmI
https://www.youtube.com/watch?v=SW5qQ3ytkLI
Nocturnes: No. 2. Fetes
https://www.youtube.com/watch?v=I85veL2fw-4
https://www.youtube.com/watch?v=pE-942ddeEg
https://www.youtube.com/watch?v=t33hc5HOZtw
Conductor: Wilhelm Furtwangler
Orchestra: Berlin Philharmonic Orchestra
▲△▽▼
リヒャルト・シュトラウス
R. Strauss: Symphonia Domestica, Furtwängler & BPO (1944) R. シュトラウス 家庭交響曲 フルトヴェングラー
https://www.youtube.com/watch?v=wWkWlun1Qp0
https://www.youtube.com/watch?v=58y8ig8E060
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1944年1月9日 ベルリン (実況録音) [チェトラ]
R. Strauss: Don Juan, Furtwängler & BPO (1954) R. シュトラウス「ドン・ファン」フルトヴェングラー
https://www.youtube.com/watch?v=y9eZYYQa5vY
https://www.youtube.com/watch?v=lXQl_Hx2Ue4
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1954年4月27日 ベルリン
R.Strauss:Symphonic Poem "Don Juan" Op.20 / Wilhelm Furtwängler & Berliner Philharmoniker 1942.2.17
https://www.youtube.com/watch?v=9pHGsRn2Te8
https://www.youtube.com/watch?v=0fGZ8O_ZFjA
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler(cond)
rec.17/2/1942
【Cetra盤復刻】Furtwängler & BPO - R. Strauss: Till Eurenspiegel's Merry Pranks (1954.5.15 Live)
https://www.youtube.com/watch?v=s0TNBst4Mzs
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1954年5月15日
スイス、ルガーノ、テアトロ・アポロでのライブ録音
日本Cetra SLF 5017/8 (製造:キングレコード)より収録
R. Strauss: Till Eulenspiegel's Merry Pranks Furtwängler (1953) ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら
https://www.youtube.com/watch?v=D61bTsGIIfM
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1953年4月14日 ベルリン
Wilhelm FURTWÄNGLER conducts Richard Strauß - Till Eulenspiegel 1950 (Video)
https://www.youtube.com/watch?v=m1XGgF6xVqc
Berlin Titania Palast, 1950
Orchestra: Berlin Philharmonic Orchestra
Conductor: Wilhelm Furtwängler
R. Strauss: Death and Transfiguration, Furtwängler & HamburgPO (1947) R. シュトラウス「死と変容」フルトヴェングラー
https://www.youtube.com/watch?v=3VgccbfAdMI
https://www.youtube.com/watch?v=SwVgNqUdPZA
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1947年6月9日
R. Strauss: Metamorphosen, Furtwängler & BPO (1947) R. シュトラウス メタモルフォーゼン フルトヴェングラー
https://www.youtube.com/watch?v=GEqd2Bp7ntE·
https://www.youtube.com/watch?v=25Oo2rx8oX8
https://www.youtube.com/watch?v=LopB77W4gbg
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1947年10年27月 (実況録音)
【RRG録音】Peter Anders, Furtwängler & BPO - R. Strauss: Four Songs (1942.2.15-17)
https://www.youtube.com/watch?v=fHdC5Sd3roA
https://www.youtube.com/watch?v=rsMOki-F4hM
ペーター・アンデルス (テノール)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1942年2月15-17日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
▲△▽▼
ジャン・シベリウス
Sibelius: En saga, Furtwängler & BPO (1943) シベリウス「エン・サガ(伝説)」フルトヴェングラー
https://www.youtube.com/watch?v=efT7FQq8PjM
https://www.youtube.com/watch?v=U1fNLhxqZns
https://www.youtube.com/watch?v=UWyB9i-oUgs&t=134s
https://www.youtube.com/watch?v=Hy-oZaA3f8w
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年2月7-8日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
【RRG録音】Georg Kulenkampff, Furtwängler & BPO - Sibelius: Violin Concerto in D minor (1943.2.7-8)
https://www.youtube.com/watch?v=CcnvHTIUID8
https://www.youtube.com/watch?v=eF7cnlrNmhY
https://www.youtube.com/watch?v=4Qg9Dn7OMdw
https://www.youtube.com/watch?v=RoQ_pvyvVfU
ゲオルク・クーレンカンプフ (Vn)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1943年2月7-8日、旧ベルリン・フィルハーモニー
RRG(帝国放送局)によるマグネトフォン録音
▲△▽▼
モーリス・ラヴェル
Valses nobles et sentimentales, M. 61 (Version for Orchestra) (Excerpts) (Rehearsal Recording)
https://www.youtube.com/watch?v=Isiq8T0xB4A
https://www.youtube.com/watch?v=Isiq8T0xB4A&list=PLY-2ki314SChToFJOP88ZgZFr3G3Txxiu&index=8&t=427s
https://www.youtube.com/watch?v=ij2KDrADBWw&list=PLY-2ki314SChToFJOP88ZgZFr3G3Txxiu&index=9
Orchestra: Berlin Philharmonic
Conductor: Wilhelm Furtwängler
Ravel: Daphnis et Chloé Suite No. 2, Furtwängler & BPO (1944) ラヴェル ダフニスとクロエ フルトヴェングラー
https://www.youtube.com/watch?v=v1xYUt7VoKY
https://www.youtube.com/watch?v=EXiH86tO_7c
https://www.youtube.com/watch?v=N_JeEncce50
https://www.youtube.com/watch?v=Q8xgVzIr2zs&list=PLY-2ki314SChToFJOP88ZgZFr3G3Txxiu&index=3
指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1944年3月20~22日 ベルリン国立歌劇場 (実況録音)
▲△▽▼
ハンス・エーリヒ・プフィッツナー
Pfitzner - “Palestrina” Preludes Acts 1・2・3 Furtwangler Berliner
https://www.youtube.com/watch?v=T13kfHy7Hm0&t=9s
https://www.youtube.com/watch?v=qzp0Vge4zHU
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー
1949年6月10日
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イーゴリ・ストラヴィンスキー
ストラヴィンスキー 妖精の口づけ フルトヴェングラー(指揮)ベルリン・フィル 1953
https://www.youtube.com/watch?v=K2939xPZvXc&t=28s
https://www.youtube.com/watch?v=LzxO_0JO1O8
フルトヴェングラー(指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
18.III.1953
▲△▽▼
パウル・ヒンデミット
Hindemith: Symphonic Metamorphosis of Themes by Carl Maria von Weber - 1. Allegro (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=0rbeAhPYVjM
https://www.youtube.com/watch?v=P3qiN7Taey0
https://www.youtube.com/watch?v=Z0PKAiYx5mE
https://www.youtube.com/watch?v=yzU7wujtVIk
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Wilhelm Furtwängler: Post-war Radio Recordings
Hindemith: Concerto for Orchestra, Op. 38
https://www.youtube.com/watch?v=JpXeAKn_JBc
https://www.youtube.com/watch?v=AvHMxlMl0mA&list=OLAK5uy_n1Txdqm5cEuGKNTQ4WpDnsP26g0Ypo3KI
Conductor: Wilhelm Furtwangler
Orchestra: Berlin Philharmonic Orchestra
Symphony, "Die Harmonie der Welt"
https://www.youtube.com/watch?v=oq8jUf_pb5c
https://www.youtube.com/watch?v=iTxqlsK5380
https://www.youtube.com/watch?v=4Zwfwrlm9Oc
https://www.youtube.com/watch?v=9RwG1wHqChg
https://www.youtube.com/watch?v=GIa7GqjORa4
https://www.youtube.com/watch?v=Iv9NXqzz4cw
Conductor: Wilhelm Furtwangler
Orchestra: Berlin Philharmonic Orchestra
▲△▽▼
アルテュール・オネゲル
交響的断章 第 3 番 (BPO; 10.02.1952)
Furtwängler, condutor CD095 Honegger Movement Symphonique #3
https://www.youtube.com/watch?v=ePDmOmYtchU&t=20s
https://www.youtube.com/watch?v=wm45Mpc82uc
https://www.youtube.com/watch?v=ySx4DM2dcYQ
Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
▲△▽▼
フルトヴェングラーのピアノ演奏
Elisabeth Schwarzkopf & Wilhelm Furtwängler: Salzburg Recital: Wolf: Lieder (12-08-1953)
https://www.youtube.com/watch?v=FguRzAB9cbU
https://www.youtube.com/watch?v=evsVUXNS2qs
https://www.youtube.com/watch?v=B49LjhfT_r8
Elisabeth Schwarzkopf, soprano
Wilhelm Furtwängler, piano
Recorded @ Salzburg, Mozarteum, 12 August 1953
▲△▽▼
フルトヴェングラー自作自演
Furtwängler - Symphonic Concerto for Piano and Orchestra in B minor (1939) (Remastered 2012)
https://www.youtube.com/watch?v=WhwrwQLY6NU
Edwin Fischer, piano
Berlin Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded 19 January 1939
Symphonic Concerto for Piano and Orchestra in B Minor: II. Adagio solenne
Wilhelm Furtwängler · Edwin Fischer
https://www.youtube.com/watch?v=gXZc8HHsVM8
Furtwängler: Symphony No.2 - Furtwängler & BPO (1951)
https://www.youtube.com/watch?v=va32lWXNzBc
1951年11月22日-12月4日、ベルリン、イエス・キリスト教会でのセッション録音。
Furtwangler: Symphony No.2 (rec1954)
https://www.youtube.com/watch?v=_4YW-AxbWM4
date 1954
orch SDR Symphonieorchester
cond Wilhelm Furtwängler (25 January 1886 – 30 November 1954)
Furtwängler "Symphony No 2" Wilhelm Furtwängler
https://www.youtube.com/watch?v=CqeE0CZpX0I
Stuttgart Radio Symphony Orchestra
Wilhelm Furtwängler, Conductor
Stuttgart, 30.III.1954
▲△▽▼
▲△▽▼
- フルトヴェングラーが大嫌いだったカラヤンの反ゲルマン的な演奏
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908年4月5日 - 1989年7月16日)指揮者
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14011290
【裏話】大指揮者カラヤンVSフルトヴェングラー!嫉妬と憎悪!この2大巨匠にまつわる裏話、エピソードを紹介!!
車田和寿‐音楽に寄せて 2022/05/24
https://www.youtube.com/watch?v=QxXK1G3XuWk
目次
0:00 オープニング
1:05 共通する時代
2:44 カラヤンを嫌うフルトヴェングラー
4:22 奇跡のカラヤン
7:03 ユダヤ人音楽家の亡命
8:15 終戦
10:23 レッグの登場
13:19 シュトラッサーの回想
14:22 おわりに
16:40 おまけ
【演奏家紹介】幻の指揮者チェリビダッケ!カラヤン対フルトヴェングラーの歴史に大きく関わった人物!その音楽の魅力を紹介!
車田和寿‐音楽に寄せて 2022/08/17
https://www.youtube.com/watch?v=lOCp_I-PFEc
0:00 オープニング
1:07 その生涯①
3:26 その生涯②
5:48 音と音の結びつき
11:24 ゆっくりなテンポ
13:16 声楽曲は苦手
18:14 おまけ
フルトヴェングラーの様に 音楽 プラス アルファ ではなく、純粋に音だけで勝負したアルメニア人のヘルベルト・フォン・カラヤン - ベルリンフィルの名盤
モーツァルト - アダージョとフーガ ハ短調 K.546 カラヤン ベルリンフィル
https://www.youtube.com/watch?v=E0c7Lp1aZQo&feature=emb_title
https://www.youtube.com/watch?v=De1nv9CwTjI
https://www.youtube.com/watch?v=sCIamsQFCQ8
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
1969年8月
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ベートーヴェン
Beethoven - Triple Concerto (Richter - Oïstrakh - Rostropovitch) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cmpjXrS6ekk
00:00 - Allegro
17:53 - Largo
23:28 - Rondo alla polacca
Recording : 1969 in Berlin, Jesus Christus Kirche
EMI Classics
Sviatoslav Richter : Piano
David Oïstrakh : Violon
Mstislav Rostropovitch : Violoncelle
Berlin Philharmonic Orchestra
Herbert von Karajan
Mstislav Rostropovich, David Oistrakh, Sviatoslav Richter, Berliner Philharmoniker & Herbert von Karajan の「Triple Concerto for Violin, Cello and Piano in C Major, Op. 56: II. Largo」
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ブラームス
Cycle 1983 - Brahms Symphony No. 1 - Karajan, BPO, Salzburg
https://www.youtube.com/watch?v=3PzYi98PUno
Herbert von Karajan
Berliner Philharmoniker
Live, Salzburg, Festspielhaus, August 27, 1983.
Brahms Double Concerto for Violin, Violoncello and Orchestra in A minor Op. 102 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UVAbIC7dugE
ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 Op. 102
アンネ=ゾフィー・ムター - Anne-Sophie Mutter (ヴァイオリン)
アントニオ・メネセス - Antonio Meneses (チェロ)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 - Berlin Philharmonic Orchestra
ヘルベルト・フォン・カラヤン - Herbert von Karajan (指揮)
録音: February 1983, Philharmonie, Berlin, Germany
ブラームス
brahms Violin Concerto (Anne-Sophie Mutter – Karajan) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NTaNqM1HCeU
ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 77
アンネ=ゾフィー・ムター - Anne-Sophie Mutter (ヴァイオリン)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 - Berlin Philharmonic Orchestra
ヘルベルト・フォン・カラヤン - Herbert von Karajan (指揮)
録音: September 1981, Philharmonie, Berlin, Germany
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲Op.77
https://www.youtube.com/watch?v=-yGGngD8gIw
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
録音:1964年5月
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チャイコフスキー
Tchaikovsky : Violin Concerto In D, Op.35 - Anne-Sophie Mutter
https://www.youtube.com/watch?v=Iaao0KMfolY
Anne-Sophie Mutter
Herbert von Karajan
Berliner Philharmoniker
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グリーグ
e.grieg piano concerto complete K.Zimerman - E.V.Karajan (3202) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8uglsrxy-_Q
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調 op.16
クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
録音時期:1981年9月、1982年1月
録音場所:ベルリン、フィルハーモニー
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)
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シベリウス
Sibelius Tapiola ( Full ) - BPO - Karajan ( 1984) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nrk6oMm2T-Y
Sibelius “Karelia Suite” Herbert von Karajan • Berliner Philharmoniker, 1981 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DDIxFaycsio
Herbert von Karajan の「Karelia Suite Op. 11: III. Alla marcia」
シベリウス - 悲しきワルツ Op.44 カラヤン ベルリンフィル 1984 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PoI7iCFZXXA
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
1984年2月
ベルリン フィルハーモニーホール
悲しきワルツ(シベリウス) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=u7TNiZmdpzk
1983年12月31日 ベルリンフィルハーモニーホール ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 (NewYear'sEve 1983)
シベリウス - トゥオネラの白鳥 Op.22-2 カラヤン ベルリンフィル 1984 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=p7GTBXOsYW4
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
ゲルハルト・シュテンプニク(イングリッシュ・ホルン)
1984年2月
ベルリン フィルハーモニーホール
シベリウス - ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 Op.47 カラヤン ベルリンフィル - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sJFdqTiP6Is
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
1964年10月
ベルリン イエス・キリスト教会
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マーラー
マーラー:9番/カラヤン/ベルリンフィル1982ベルリンフィル創立100周年記念ライヴ
https://www.youtube.com/watch?v=hQ8AYtST8s8
Herbert von Karajan
Berliner Philharmoniker
May.1.1982 Berlin Live
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シェーンベルク
Arnold Schoenberg Verklärte Nacht Herbert Von Karajan BPO [1974/2018]
https://www.youtube.com/watch?v=-sCdkuuarhU&t=34s
Schoenberg: Pelleas and Melisande, Op. 5 (Herbert von Karajan)
https://www.youtube.com/watch?v=3lnFwwO4sHE
Schonberg “Variations for Orchestra, op 31” Herbert von Karajan & Berliner Philharmoniker, 1974 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=U7E71qNXEJc
Berliner Philharmoniker
Herbert von Karajan (conductor)
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リヒャルト・シュトラウス
Strauss: 4 last songs, TrV 296 (Herbert von Karajan)
https://www.youtube.com/watch?v=kTIshW3jFgw
Berliner Philharmoniker
Herbert von Karajan (conductor)
Gundula Janowitz (soprano)
1973.
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参考
カラヤン - ウィーン・フィルの名盤
カラヤンはベルリン・フィルよりもウィーン・フィルとの方が遥かに相性がいいです。
管弦楽曲よりもオペラの方が遥かに名演が多いです。
カラヤンがドイツの管弦楽曲を指揮するとムード音楽になってしまうのですね。
ブルックナー
Anton Bruckner – Symphony No.8 in C minor – Herbert von Karajan, Wiener Philharmoniker, 1988
https://www.youtube.com/watch?v=ZrO9NUTb298
Wiener Philharmoniker
Herbert von Karajan, conductor
Studio recording, 1988 (Remastered)
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チャイコフスキー
Tchaikovsky - Symphony No.4 Karajan Wiener
https://www.youtube.com/watch?v=5qwCuvxosUc
ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ウィーン・フィルハーモニー 管弦楽団
1984年9月
ライヴ録音 1984 チャイコフスキー 交響曲第4番 WPO&カラヤン
https://www.youtube.com/watch?v=CCNkF_5f0S8
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン
ザルツブルク音楽祭 1984
Tchaikovsky - Symphony No.5 Karajan Wiener
https://www.youtube.com/watch?v=3Yso42lErwA
https://www.youtube.com/watch?v=ZQkoGHPlV8I
ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮 ウィーン・フィルハーモニー 管弦楽団
1984年3月
チャイコフスキー - 交響曲 第6番 ロ短調 Op.74 《悲愴》 カラヤン ウィーンフィル 1984
https://www.youtube.com/watch?v=HKNQJVbNexc&list=PLonJ33YXT-YNDo6aHXXF2v1OqeVBz1RYf
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
ウィーン ムジークフェラインザール
1984年1月10~16日
Tchaikovsky: Swan Lake Suite, Karajan & VPO (1965) チャイコフスキー 白鳥の湖組曲 カラヤン
https://www.youtube.com/watch?v=rvOyRbZiwbs
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1965年3月19日 ゾフィエンザール (ウィーン) [デッカ]
Tchaikovsky: The Nutcracker / Karajan /Wiener Ph チャイコフスキー「くるみ割り人形」組曲 カラヤン ウィーンフィル
https://www.youtube.com/watch?v=bpOr5oZnElY
https://www.youtube.com/watch?v=EuxI-6J1EvU
ヘルベルト・フォン・カラヤン
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
録音 1961年9月 ゾフィエンザール ウィーン
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35/ムター/カラヤン/ウイーンフィル(ザルツブルク音楽祭 1985 8 15)
https://www.youtube.com/watch?v=ilZhnypWD9I
チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 リヒテル / カラヤン Tchaikovsky Piano Concert No.1 b-Moll
https://www.youtube.com/watch?v=DGHHW5e_yR0
https://www.youtube.com/watch?v=fVuGQeFfF3M
P:スヴャトスラフ・リヒテル Sviatoslav Richter
Cond:ヘルベルト・フォン・カラヤン Herbert von Karajan
ウィーン交響楽団 Vienna Symphony Orchestra
1962 REC
ホルスト
ホルスト :組曲「惑星」 カラヤン / The Planets : Karajan/
https://www.youtube.com/watch?v=jKtJX1EG7o8
作品32 カラヤン指揮 ウィーンフィル 1961年9月5日~22日録音
ビゼー
ビゼー《カルメン》全曲 プライス/カラヤン指揮/ウィーン・フィル
https://www.youtube.com/watch?v=xrhyqFbR3ic
対訳字幕付き。ジョルジュ・ビゼー《カルメン》全曲。いわゆるカラヤン旧盤です。
ヴェルディ
ヴェルディ《アイーダ》全曲 カラヤン指揮/ウィーン・フィル
https://www.youtube.com/watch?v=FFQ5hXm25zM
歌詞対訳字幕付き。ジュゼッペ・ヴェルディ《アイーダ》全幕。いわゆるカラヤン旧盤(デッカ)です。
ヴェルディ《オテロ》全曲 カラヤン指揮/ウィーン・フィル
https://www.youtube.com/watch?v=rm8tK0um1Io
https://www.youtube.com/watch?v=cS-aW6OdPTA
オペラ対訳プロジェクトよりジュゼッペ・ヴェルディ 《オテロ》第1幕/第2幕(全曲)をイタリア語日本語対訳字幕付きでお届けします。マリオ・デル・モナコのオテロ、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団です。
プッチーニ
プッチーニ《トスカ》全曲 プライス/カラヤン指揮/ウィーン・フィル
https://www.youtube.com/watch?v=2z87sDWzbac
歌詞対訳字幕付き。ジャコモ・プッチーニ《トスカ》全曲。いわゆるカラヤン旧盤。レオンティン・プライスのソプラノです。
プッチーニ《蝶々夫人》全曲カラス/カラヤン指揮
https://www.youtube.com/watch?v=7V_OddoeWaY&t=11s
https://www.youtube.com/watch?v=j72TZwoUCkM
オペラ対訳プロジェクトよりジャコモ・プッチーニ 《蝶々夫人》 第1幕をイタリア語日本語対訳字幕付きでお届けします。マリア・カラスの蝶々さん、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/ミラノ・スカラ座管弦楽団です。
ミレッラ・フレーニ(蝶々さん/ソプラノ)
ルチアーノ・パヴァロッティ(ピンカートン/テノール)
クリスタ・ルートヴィヒ(スズキ/メゾ・ソプラノ)
ロバート・カーンズ(シャープレス/バリトン)
ミシェル・セネシャル(ゴロー/テノール)
マリウス・リンツラー(ボンゾ/バス)、他
ウィーン国立歌劇場合唱団
ノルベルト・バラッチュ(合唱指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
録音時期:1974年1月
録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)
カラヤン Herbert von Karajan ―音楽が脳を育てる 茂木健一郎
クラシック界の帝王と呼ばれた男、指揮者・ヘルベルト・フォン・カラヤン。
生誕100周年、没後20周年を迎え、今も世界を魅了してやまないその音の秘密を、脳科学者・茂木健一郎氏が読み解きます。
ザルツブルク・ベルリン・ウイーン。カラヤンゆかりの三都を旅し、茂木氏が辿り着いたキイワードは「レガート」。
音楽用語で「なめらかにつなげる」を意味するこの言葉こそ、カラヤンを成功に導き、現代日本に生きる我々に最も必要なことと喝破する。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3-Herbert-Karajan-%E2%80%95%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%8C%E8%84%B3%E3%82%92%E8%82%B2%E3%81%A6%E3%82%8B-CD%E4%BB%98%E3%81%8D/dp/4418092234
小節の縦線が聴こえない、レガートの響き。
美とは一点の曇りもない美しい表面を持っていなければいけない。
カラヤンのレガートへの拘りは異常なほどだったという。
http://renoncule.exblog.jp/11491231/
その頃のフルトヴェングラーはベルリンでの非ナチ化法廷での審理の最中であり、1946年12月に無罪となった後も米国を中心とする西側メディアからの追求と批判をあびていた。 その時期にカラヤンは、戦中時代からの行き違い(勿論、芸術性における解釈には違いがあるが)について、フルトヴェングラーとの和解を試みている。
1946年初冬、フルトヴェングラーが列車でチューリッヒに行く途中、カラヤンの滞在先であるザンクトアントンで途中下車し会いたいというカラヤンの願いに同意し、二人はアールベルクで対面をした。
対談自体は、フルトヴェングラーのカラヤン嫌いがあまりにも強く、修復の余地はなく失敗に終わった。しかし、後年、フルトヴェングラーはカラヤンのレガート表現の資質について、こだわりも悪意も捨ててカラヤンをほめ妻に語っている。
「カラヤンはほんもののレガートが使いこなせる。自分で学んだに違いない。
教えられて出来ることではないからな」と。
歌うようなオーケストラ的レガートを正しく理解し、使いこなさなければ、第九交響曲や19世紀から20世紀初頭の多くのドイツ作品を指揮することが不可能であることをフルトヴェングラーはよく心得ていたからである。
http://www16.plala.or.jp/annys-house/karajan.htm
チェリダッケが、カラヤンのことを
「音は美しいが中身がない」
と言って、インタビューアーが
「でもカラヤンは世界中で知られていますよ」
と言ったら
「コカ・コーラだって世界中で知られているさ」
と言った話は有名です。
チェリビダッケは他にも
「トスカニーニは一流の演奏家だが音楽家として二流だ」
「オーマンディのような凡庸な指揮者がよくストコフスキーの後を継いでフィラデルフィア管の常任指揮者になれたものだ」
「人は水だけでもしばらくは生きていけるが、アバドの退屈な演奏を2時間聴いたら心筋梗塞を起こすだろう」
「ムーティは素晴らしい才能の持ち主だが、トスカニーニと同じで無学だ」
「ベームは音楽の解らないジャガイモ袋」
等、マスコミが喜びそうなことを言ってました
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1377955283
クナッパーツブッシュ
「(私がカラヤンみたいに暗譜で指揮をしないのはカラヤンと違って)楽譜が読めるからだ」
__________
カラヤンがモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を演奏していたときのこと。その上演になぜか立ち会っていたクレンペラーが突然大音声を発した。
「いいぞ カラヤン、いいぞ、決して皆が言うほど悪くない!」
カラヤンは、それ以後決してクレンペラーを許さなかった、という。
http://nyhanako.exblog.jp/10641334
川口マーン惠美 『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』
カラヤンについては、共にその黄金期を過ごしたベルリンフィルのコントラバス奏者だったハルトマン氏は、次のように語っている。
カラヤンは素晴らしい業績を残した。しかし、亡くなって、まだ二十年も経たないのに、もうすでに忘れられつつあるような気がする。
ところが、フルトヴェングラーは、没後五十年以上経つのに、いまだに偉大で傑出している。あなただって、フルトヴェングラーのために、ここまで来たのでしょう。
あなたの求めている『フルトヴェングラーかカラヤンか』という問への答えは、おのずと決まっていくかもしれませんよ。
http://blog.livedoor.jp/weidows95/tag/%E3%83%AC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%88
405 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 16:05:35.14 ID:7ySo7EVD
カラヤンが子供騙しな指揮者だったって事は本当ですか?
406 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 16:35:44.59 ID:ij4qrj9g
三分の一くらい本当です。
407 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 16:55:44.92 ID:n6gAFbdL
子ども騙しの最右翼はフルヴェン。
初心者のおれが「ここでこうやったらカッコイイ~」
という解釈でやってくれるからわかりやすかった。
でもいずれネタがわかってしまい飽きてしまった。
それになにをやっても芝居がかってて鬱陶しくなった。
時代物として聞くならいいだろう。
シゲティとかカザルスとかコルトーもそう。
409 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 17:10:23.49 ID:jU7IpzTY
大衆化路線をそんなにバカにしちゃいかんよw。
カラヤンが早くからメディアの可能性に着目して、大量にレコードを出したから、批評家にも仕事のチャンスがたくさん回って、手厚く稼がせてやったわけだ。
その上アンチ批評家がフルヴェンやクナを聴け!と読者を説教したものだから、そちらのレコードもよく売れて、レコード会社は更にウマーw。
結果として俺たちは、氾濫したメディアのおかげで何時でも何処でも好きなように音楽を聴けるようになったんだし、評論家ごっこまでして遊べるようにもなったわけw。
感謝しなくちゃ。
410 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 19:04:43.55 ID:iZCOeSva
クラシック鑑賞は高尚な趣味で敷居が高い、という時代が短からず確かにあったんだよ。 それを居酒屋でオッサンが談義できるレベルまで降ろしてくれたのがカラヤン。
411 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 20:23:11.71 ID:bGTHVZUa
>>410
>>それを居酒屋でオッサンが談義できるレベルまで降ろしてくれたのがカラヤン。
いや、カラヤンではなく、宇野功芳などの俗悪音楽物書きのお陰で、クラシックが、居酒屋で呑んでるオヤジや、電車内でスポーツ新聞を広げてるようなオッサンでも語れるような庶民の文化となったのだよ。
少なくとも日本では確実にそうだと思う。
413 :名無しの笛の踊り:2012/11/06(火) 20:36:05.66 ID:cmXB50aQ
フルベンやクナなんか聴いてるの世界中で日本人だけらしい
同じ日本人として恥ずかしい
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1347016336/
岡本太郎
「きれいであってはならない。うまくあってはならない。心地よくあってはならない。
ほんとうの美とは、きれいとか、うまいとか、心地よいなどとは反対のものなのです。」
宇野功芳
「その本物の美しさと正反対なのが、カラヤンの演奏だと思う。」
http://www.geocities.jp/descanso_sabatical/music/classical/bruckner/conductor/karajan/karajan9bpo75.html
宇野功芳
現在、“帝王”と呼ばれる指揮者にカラヤンがいます。その人気はすばらしく、まさにスターですが、それはカラヤンの美男ぶりや洗練された指揮姿によるもので、音楽的な実力は明らかにベームのほうが上なのです。
芸術というものは芸術家の心が正直に反映します。カラヤンの演奏は音が美しくて、角がなくて、実にスマートですが、いささか表面的で聴く人の心を打ちのめすような内容の深さに欠けています。
彼がオペラを好み、ベートーヴェンをあまり得意にしていないのはそのためでしょう。ところがベームは違います。華やかなオペラよりは、内容できかせるモーツァルトとベートーヴェンを最も得意にしているのです
http://www.tokai-med.ac.jp/staffs/obara/sb/log/eid250.html
宇野功芳
エロイカ 朝比奈盤
カラヤン/ベルリン・フィルなど、オーケストラは数段上だが、いくら技術的に優れていても、本当に魂のこもった迫力において大阪フィルより落ちる。それはカラヤンの指揮が外面的だからであろう。
http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/50856054.html
指揮者の中には、実演第一主義とでも言いましょうか、コンサートでの演奏が全てであって、録音用の設備を整えたスタジオで、何回も取り直しを繰り返し、果てはテープの継ぎはぎ迄して、出来上がりの完成度を高める様な、そんな録音は絶対に取らないと言う、言わば硬派のご意見の方も多く居そうです。
その言葉が批難している対象は実はカラヤンなのです。
彼の完成させた録音はですから、プロが楽譜と突き合わせれば、恐ろしく楽譜に忠実な事に驚くのでは無いかと思われます。また、彼程耳の良い人も珍しかった様で、楽隊の鳴らす和音の中の、単一の楽器の音のずれを聞き逃さなかったと言われます。
加えて、記憶力抜群の指揮者でして、殆どの曲を暗譜で演奏したらしいのです。これは長大な時間の掛る膨大な楽譜のオペラでもそうだったと言われます。彼の残した映像を見て居ますと、協奏曲の伴奏オーケストラの指揮も原則的には暗譜で指揮して居ます。この事からも彼の暗譜力の素晴らしさが伺えます。
http://koten.kaiteki-jinsei.jp/080619.html
「売れる」演奏とは?
カラヤンとリヒテル相容れない巨匠と名録音の知られざる裏側
ベートーヴェン作曲の三重協奏曲。
この曲、ピアノがリヒテル、ヴァイオリンがオイストラフ、チェロがロストロポーヴィチ、そしてカラヤン指揮でベルリン・フィルという、これ以上考えられない夢のような豪華な顔ぶれの録音があります。
BEETHOVEN - The Triple Concerto in C Major, Op. 56 - Oistrakh/Rostropovich/Richter/Von Karajan
http://www.youtube.com/watch?v=gbXiCaf0H9Y
http://www.youtube.com/watch?v=TpO0xqCIzwE
そのレコーディングについて、リヒテルがドキュメンタリーフィルム「リヒテル(謎>」の中で知られざる裏について語っています。
・・・・・(以下引用)・・・・・
三重協奏曲のレコーディングが悪夢だった。カラヤンとロストロポーヴィチ、オイストラフと私。2対2の戦争だった。カラヤンは私の不満顔に首を傾げた。
私はうわべだけの演奏が嫌だった。
オイストラフも失望してしょげかえっている。
一方、ロストロポーヴィチはただ目立とうとする。
私とオイストラフが不満だったのは第2楽章のテンポの遅さだ。だが、ロストロポーヴィチはすぐカラヤンに追随した。カラヤンが"これでよし"と終わろうとするから、私がやり直しを頼むと
"一番大事な仕事がある!"
・・・・写真撮影さ。
我々はバカみたいにヘラヘラ笑ってる。おぞましい写真だ。見るに耐えない。
・・・・・(以上引用)・・・・・
それにしても、一触即発の緊張感の中でのぶつかり合いだったということが想像できます。
ロストロポーヴィチのチェロは、録音を聴く限り、気迫十分、間違いなく全盛期の演奏そのもの。実際は、ロストロポーヴィチもカラヤンと対立し、席を立って出て行ったという穏やかではない一場面もあったようです。
問題の2楽章、レガート奏法を多用し、艶やかで美しい音楽を追求するカラヤンからすると、やはりテンポは上げられなかったのかな、と思います。
カラヤンは、どうすれば「売れるか」ということをよく分かっていた人だと思います。
超有名演奏家を一同に集め、カラヤン美学で音楽を作り上げれば必ずヒットする。
そこが、生涯をただ純粋に音楽だけに捧げた孤高の芸術家リヒテルとは相容れなかったところだったのでしょう。
しかし、カラヤンのおかげで、本物のクラッシック音楽がある特定のファンのものだけではなく、一般の人々にまで受け入れられるようになったのです。そういう意味ではカラヤンの功績は大きいと思います。裏で何があろうとも、一筋縄ではいかない巨匠たちに、ここまですごい演奏をさせたカラヤンの手腕も見事。この名演奏から感じられる異常なまでの緊張感を生み出したのは、またしてもカラヤンの仕掛け?とふと思ってしまうのです。
http://blogs.itmedia.co.jp/nagaichika/2010/09/post-7296.html
“カラヤンの第1回目の「チャイ5」セッション録音”
チャイコフスキー 交響曲第5番 カラヤン&フィルハーモニア管
録音年:1952年5月ー6月、1953年6月 ロンドン、キングスウェイ・ホール
第2楽章ホルン・ソロ: デニス・ブレイン
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%881840-1893%EF%BC%89_000000000018904/item_%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA%E3%80%81%E3%81%8F%E3%82%8B%E3%81%BF%E5%89%B2%E3%82%8A%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%86%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%AE%A1%E3%80%81%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3_1231305
参考
Tchaikovsky - Symphony No. 5 in E minor, Op. 64
Wiener Philharmoniker Orchestra, Herbert von Karajan
http://www.youtube.com/watch?v=lRr9QaTi9lg
アナログ本来の持ち味を生かした復刻で定評のあるOPUS蔵のリリースだけに大いに期待したのですが、かつて発売されたEMI盤(7364602)よりも、音の伸び、ハリ、スケール感、各楽器の輪郭が明らかに劣ります。フーベルマンのチャイコフスキーなど、生々しい訴えかけを再現した復刻を知っている者にとっては、この結果は全く意外です。EMI盤をお持ちの方は、買い替える必要は全くありません。
演奏そのものに生命感が漲っていないものはアナログで聴いても同じ…とは決して思いませんが、少なくとも音の粒子が宿している微妙なニュアンスや深みを追及するタイプでないカラヤンの演奏は、ライヴ録音は別として、録音の美しさを前提にしなければ厳しいものがあるのでは…、と改めて考えさせる結果となりました。
演奏自体は、後年のカラヤンの基本形がここですでに完成していたことが確認できます。全体的に大人しいイメージですが、細かく聴くと例のカラヤン・レガートが後年の録音ほど練れていない分だけ露骨な形で表出されるので、その意図があからさまになりすぎて、音楽の流れを寸断する結果にも繋がっています。
時代掛かったルバートが控えめに盛り込まれているのも特徴的ですが、それがいかにも中途半端。よく揶揄される「表面的」というイメージを決定付けてしまいかねない演奏と言えましょう。
第2楽章のブレインのソロも、他の録音と聴き比べるまでもなく、彼だけが持ち得る閃きがまるで感じられない(EMI盤でも同様)のが信じられないほどで、それこそライナーに書かれている「スケール豊かなふくらみ」が抑え込まれているのですから痛恨の極みです。真に本領を発揮したときのブレインがいかに素晴らしいかを痛感していれば、「このブレインが素晴らしい」などと軽々しく言えないはずです!
第3楽章はカラヤンに相応しい楽曲のはずですが、綺麗に整えようとする意図ばかりが先走り、「ほら、こんなに素敵ですよ」と語りかけてくる箇所が見当たりません。勢いに任せた演奏=生命感のある良い演奏、とは言えませんが、人間的な自然な律動を抑えて音楽を組み立てようとすることの無理が表面化してしまい、いたたまれません。
終楽章も、展開部冒頭の8分休符がゲネラル・パウゼになっている珍妙さ以外は、後年の録音とスタイルは同じ。しかし、音自体に輝きと自信がなく、スケールも小さく、個々の奏者のセンスも封じ込まれているようなもどかしさが終始付きまとうので、当時のフィルハーモニア管の魅力を味わうとしても、肩透かしを食らいます。
しかしこの録音の後、オケの個人芸が自分より注目されることがないように徹底的に意識すること以外は熟考を重ね、1975年に(DG)に比類なき金字塔を築くのですから、この録音こそがその理想に向けての第一歩だったと言えるかもしれません。
第1楽章のツボ
後年の録音で顕著となる独特のぬめりを持つレガートがここでも出現。
メンゲルベルクほどではないが、73小節でわずかにテンポを落として19世紀的なニュアンスを漂わせるが、香りが立ち上ってこない。
活気付くことなく、媚を売るようななよなよとした進行。
まったく非の打ち所のない美しいフレージングで、響き極めて均整が取れているが、心に直に訴えかけるものに乏しい。
第2楽章のツボ
スコアを忠実に再現しているが、イメージを喚起させるニュアンスには乏しい。
注目のD・ブレインのソロも、ここでの演奏は何度聴いても彼本来の音楽性を発揮しているとは思えない。カラヤンが自分よりも彼が注目されてしまうことを恐れて何らかの操作をしたのだろうか?と勘ぐってしまう。
血の気が失せた顔で何やらワーッと叫んでいるだけのような感じ。
まるで心ここにあらず。
各小節の第1音は、縦の線をあえてずらして響きに広がりを持たせようとしているが、その全てが機械的。オケもその必然性を感じ取りながら弾いているとは感じられない。
スコアに書かれたとおりのスケール感は表出しているが、最後のぎりぎりのところで足を引っ張るような力が作用し、フォルテ4つの箇所に至っても、音楽が突き抜けないのは実にもどかしい。その原因は録音の古さだけではない。オケの弾きにくそうな顔が目に浮かぶ。
第3楽章のツボ
リズムがいかにも鈍く、楽想の持ち味が生かされていない。靴底にガムをつけたまま踊らされている感じ。
214小節からの終結部は音量を落とし、カラヤン特有のレガート節を徹底尾的に盛り込んでいるのは、後年の録音では影を潜める表現。場面転換にメリハリを与えるという点では大いに功を奏している。
http://www.wakuwakudo.net/review_chai5/karajan_opk7029.html
カラヤンの「大地の歌」をデジタルマスターリングLPで聴く
カラヤンには個性がないのではないだろうか。
それとも時代に応じて演奏スタイルを変えてきたから、統一された特徴や演奏スタイルというものが無いように見えるのか。
演奏を聴いて、それがカラヤンの指揮によるものだと特定できるものは、音響的にはあっても、音楽的には余りないことが経験的なことだ。
カラヤンはゲルマン的なところとラテン的な所を併せ持つが、逆に言えば無国籍のグローバルさ・・・インターナショナルテイックなものをもっている、というよりそうなってしまったのは・・・カラヤンの美学によって楽曲の持つローカルエリア的風土を排除したことにその要因があるような気がする。
言い換えれば、母国語があるのに、エスペラント語に置き換えてしゃべって表現するようなところがあるので、万人に理解されるようで、主観的すぎる翻訳が必ずしも上手く行ってないから、誤解を産むとが多いような気がする。
初期~中期のカラヤンは、ザッハリヒな演奏スタイルだったが、カラヤンレガートが象徴するように、超メジャーになってからのカラヤンの演奏の特徴は、楽曲の解釈はあくまでもカラヤン自身の美学の帰結であり、誰がどこでどのような経緯で作ったのかなどは眼中にないようで、あくまでも楽譜とカラヤン自身の美学で音楽が成立する。
中期以降のカラヤンは、カラヤンレガートがあらわす如く、自分の美学に基づいて、音楽をソフティフィケートすることに専念するようになった。
注目すべきは、基本的にはザッハリヒな演奏スタイルなのだが、レガート、フェルマータなどを多用することでロマン主義的な演奏スタイルに思わせるような所があることだ。
万人に好まれるがコアなクラシックファンから嫌われるのは、カラヤンの美しさを追求する没個性の美学にあるのではないか。
マーラーの曲に内包されるものは、ドイツ辺境や周辺の地の民謡や踊りのメロディとリズムの引用、近代的和声とのシナジーを高めること、それらによって、音楽に新たな生命を宿らせた事なのではないか。
しかも楽曲には合唱やソロが登場するものが多く、つまり人間の声とオーケストラの調和と非調和、融合と拡散、協調と離反が合いまみえる曲であるといえる。
「大地の歌」では、意識しない宗教性と民族性、東洋思想、ペンタトニックスケール、現世否定と死への恐怖と憧憬、刹那的快楽主義、不条理、自己矛盾といったものが塗り込められているように思われる。
どうしても揚げておかなくてはならないのは、カラヤンは大体において、合唱を人間の声としてではなく、楽器のように扱っているということであるが、果たして合唱無しソロオンリーの大地の歌の場合はいかにしたのか。
例えばモツレクのキリエの終わりのキリエエレイソーンのフェルマ-タは、息が続くギリギリまで合唱を引っ張るが、このようなやり方は随所に見られ、声は楽器であるというカラヤンの考え方の表れであると思う。
ソロの声をも、楽器として扱うような気配があるや否やも、大事なチェックポイントである。
以上の観点を踏まえた、カラヤンの「大地の歌」、果たして如何なるものだったか。
音楽が美しい、いや美しすぎるぐらいだから、全曲をいとも簡単に聴けてしまった。
美しさの要因は、ここでもやはりレガートそしてフェルマータの乱用に近い使用である。
ソロの歌唱においてもそれは同様で、このためにソロ歌手の息が苦しそうな気配が、とくにはテナーのルネコロに著しい。
しかしマーラーを表現するテクニックとして、ひたすら美しい音楽づくりが果たして相応しいだろうか。
カラヤンはいつもたいていそうなのだが、「再生音響」に強いこだわりを持っているようで、この演奏録音では普段聴こえない音がハッキリクッキリ聴こえてくる。
ライブ映像で見る光景として、普段は中央よりやや下向きに吹く管楽器群が、一斉に楽器を上方前にして吹く事があるが、これは作曲家の指示かそれとも指揮者の指示なのか、マーラー演奏にそれが多いように思うが果たしてどうなのだろうか。
カラヤンの良いところ、それは再生装置で聞く人のことをも慮っていて、ホールの位置によってライブでは掻き消されてしまう楽器の音を、きちんと聞こえるようにしていることだ。
終楽章琵琶の音を模倣するためなのか、マンドリンの音色が今まで聴いたどれよりもよく出ており、マンドリンなどは使用してないと思うような録音がある中、音響を重視したカラヤンはマイク技術あるいはマスターリングで、それを再生装置で聞く聴衆のため、克復したとみてよいだろう。
1楽章に出てくるフルートのタンギングは、クレンペラー盤が最もよく表出していたが、カラヤン盤もよく聴こえてくる。
先日録画したアバド/BPOライブでは、フルートのタンギングが埋もれてしまいがちになったが、実際はそんなものなのであろう。
マーラーの曲は、押しなべて管楽器がハイライトされるものが多く、ホルンは勿論、特にイングリッシュホルン(コールアングレ)に活躍の場が多いが、それも含めた管楽器の音の表情付けだが、カラヤンは管楽器のソロにまで、たっぷりのレガートを要求する場面が多いから、弦が加わった暁には、滑らかに美しく聞こえるが音楽が甘ったるい蜜のようになるから、ひと舐めするには良いが、たくさん舐めると、その諄さが勝ってしまい、たちまち嫌気が襲ってくる。
確かにマーラーには、神秘主義的陶酔の感覚があるとは思うが、音楽は決して甘ったるくは無いはずだ。
ポルタメントを多用したメンゲルベルクよりさらに甘ったるくロマンティックに聴こえる。
アダージョ楽章では、ストイックで病的なものを感じることさえあるマーラーであるが、カラヤンはひたすら美しさを追求し、陶酔に導こうとするかのような演奏をする。
ソロ歌手のコロとルートビッヒだが、いずれもバックのオケとのマッチングがよくないのか、コロは神経質な歌唱が随所に見られるし、ルートビッヒも、クレンペラー盤であれだけの歌唱をしながら、カラヤン盤では楽曲の・・・詩の内容の深堀が出来てないのか、心なしか自信なさげに聴こえる。
クレンペラー盤よりも新しいカラヤン盤だから、どうもカラヤンの声も楽器という仕業のような気がしてならないが、ソロの歌唱にも無機質さを要求したのだろうか。
デジタルリマスターによるLPレコードは、確かに耳触りはよいのだが、リマスターで倍音成分まで除去してしまった結果なのか、本来持っているオケの音のエネルギーまでそぎ落としてしまったように聴こえる。従ってオケがBPOであるか否かの判断がつきにくいが、それを無視すれば、実に上手な演奏であることは間違いないことだと思われる。
カラヤンはなおさらに、録音によっても大きく評価は変わるから、今回聴いたLPのデジタルリマスターは、技術水準の問題、エンジニアの耳、商業的勇み足のいずれか、あるいはそれらの複合の産物のように小生は想っている。
http://sawyer.exblog.jp/14085204/
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カラヤンがゲルマン的でない理由
ヘルベルト・フォン・カラヤン
(Herbert von Karajan, 1908年4月5日 - 1989年7月16日)
アルメニアの姓で、「黒い肌の息子」という意味。アルメニア人は、国民の九割近くが -ian、もしくは -yan で終わる姓をもっている。
カラヤンの四代前の先祖は、ギリシア領マケドニアの生まれで、カラヤンニスというギリシア人的な語尾の姓をもっていたという。さらに、もともとは、アルメニア人であり、カラヤンのカラはトルコ語で「黒い」を意味するとある。
時間順に見ると以下のようになる。
カラ トルコ語(テュルク語) 「黒」
↓
カラ アルメニア人の個人名になる。
↓
カラヤン アルメニア人の姓になる。
↓
カラヤンニス(Karaiannis, Caragianni) ビザンティン帝国に仕えたギリシャ人で、ギリシャ風の姓になる。
↓
フォン・カラヤン(von Karajan) 高祖父のゲオルク・ヨハネス・カラヤニスは、現在のギリシャ共和国のコザニで誕生。1767年にウィーンへ向けて出発して最終的にはザクセン地方のケムニッツに定住。兄弟と共にザクセンの服飾産業の世界で成功してフリードリヒ・アウグスト3世に仕えて1792年6月1日に爵位を受け貴族の称号である von を添えた。
http://blog.livedoor.jp/namepower/archives/1336057.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2
1908年にザルツブルクで貴族の子として生まれた。兄のヴォルフガング(1906年-1987年)も後に音楽家になっている。
ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院とウィーン音楽院で学んだ後、親の買い上げたオーケストラによりザルツブルクでデビュー。
ドイツのウルム市立歌劇場の総監督から誘いが来て、1929年に『フィガロの結婚』でオペラ指揮者として脚光を浴び、1934年には同国アーヘン市立歌劇場で音楽監督に就任した。
1938年のベルリン国立歌劇場におけるヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の指揮で国際的にも認められ、これにより、翌1939年にはベルリン国立歌劇場およびベルリン国立管弦楽団の指揮者の地位を得るとともに、イタリアのミラノ・スカラ座でオペラを指揮することとなった。
1954年、フルトヴェングラーが急逝したことで、翌1955年にベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督の地位に登りつめ、1989年まで34年もの長期間この地位にとどまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3
■カラヤンはアルメニア系か?
祖先はアルメニア系とも言われているが、ギリシャ・マケドニア系のカラヨアンネス家の子孫の説が有力と私は考えている。
1)カラヤン本人が否定していること、アイデンティティが存在しない(アルメニア系なら肯定する)、
2)カラヤンはローマンカトリック、アルメニア系ならばアルメニア使徒教会となる、
3)カラヤニスから-nesを取ってカラヤンへ改名した事実があり、最初から-ian、-yanではなかった。
それから、大アルメニア王国(それ以前のウラルトゥ王国(BC247-228)は現在のアルメニアと地理的に重なるがアルメニアなのか疑問)が存在したのは紀元前190-66年の間、その後ペルシャ、ローマの支配を受け、離散している。
2000年以上も前に日本へ渡来した朝鮮半島の人は朝鮮系とは言わない。万が一、カラヤンの先祖が古代アルメニアから移住していたとしても、そのアイデンティティがないのではアルメニア系とは言えない。
以上、私の結論ではカラヤンはギリシャ・マケドニア系のオーストリア人である。
ちなみにHerbert von Karajanの「von」は貴族を表す。「von Karajan」、高祖父のゲオルク・ヨハネス・カラヤニスは、現在のギリシャ・コザニで生まれ、1767年にウィーンへ移住、最終的にはザクセン地方のケムニッツに定住し兄弟と共にザクセンの服飾産業で成功した。この功績により神聖ローマ帝国フリードリヒ・アウグスト3世より1792年6月1日に爵位を受け貴族の称号である「von」の使用を許されている。
しかし、第一次世界大戦によりオーストリア帝国は消滅し、1919年4月に制定されたオーストリア共和国憲法によって貴族制が廃止されたことから、正式な氏名は「ヘルベルト・カラヤン」、パスポートにはこのように記されている。
「ヘルベルト・フォン・カラヤン」は芸名とも言える。
http://worldcity-mm.blogspot.jp/search?q=%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3
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A. mahler_no_2さん
♪レガート奏法はお嫌いですか?
私はカラヤンのレガート奏法が好きなんですが、お嫌いな方にお尋ねしますね!
《どんなところがお嫌いですか?》
Q1. makitabadaisukiさん
例えばモーツァルトの音楽でもフレーズが「トリスタン」の無限旋律のようにベタベタになってしまうところです。 私は、衣に油が残ってベタベタした天ぷらより、カラッと揚がっている天ぷらの方が好きです。
つまり、モーツァルトは「カラヤンときらめくストリングス」的な演奏より、虚飾がなく颯爽とした演奏の方が好き、てことです。これは好き嫌いの問題であって優劣の問題ではないことをご理解下さい。
ちなみに私は、ベタベタした「トリスタン」(をはじめ、他のワーグナー作品やマーラーなどの後期ロマン派の音楽)も好きです。
Q2.kurbane_2001さん
『春の祭典』については、作曲者に「あれは冗談だろう」と評価されたのにカラヤンはショックを受けましたが。
旧式レガード奏方自体が死んでしまった代物ですからどうしましょう?
俺的にはジュリーニが具体的に指示する細やかな指定、そこから生まれる自然なレガートが凄いと思うんですが(また贔屓の音楽に対する太鼓持ち)
カラヤンは単に流すだけ。一見するとあまりに無策なベートーヴェン。
しかしその深層?
無策通り。
ジュリーニの場合、自然なカンタービレから必然的に生まれるレガート奏法
カラヤンの場合はフォルムを整えるためのレガート。
単発録音ではそういう態度があからさまに分かってしまいます。
それはそれで楽しい時間を満喫できますが、後には何も残りません。
Q3.roland_gr1さん
簡単にシンセや打ち込みで再現できるので(嘘)有り難みが無いので嫌いです(嘘)。サンプリングの機械やソフトでもそれが売りになっています(笑)。
本当のレガートは生と録音では違う、パート分けなんかの技術的に神経を尖らせている部分が、録音の再生では消え失せるのが気持ち悪いです。
生は凄かったらしいですが、どうも、プラスチックみたいな不自然さを感じて落ち着きません。音を聴く前から生理的に受け付けませんから、たちが悪いです。聞く前から、、、
カラヤン以外にレガート奏法が得意な人の名演が聞きたいです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1228628522
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カラヤン 音楽を語る
『カラヤン、音楽を語る』ききて:アーヴィング・コロディン、訳:萩原秋彦)
にこんなことが書かれていました。
「ハ短調の第1楽章では、どうなさいますか。例のバスーンの使用について」。
「使いますとも」とカラヤンはあっさり答えた。
「もちろん、いま私たちは、バスーンを重ねて、ホルンを吹かせています。」
「あなたは、スコアに書かれたとおり忠実に従われるのですか」
「だいたいはそうです」と彼(=カラヤン、ゆきのじょう注)は言った。
「テンポやメトロノーム記号・・・などについては必ずしもそうではありません。メトロノーム記号について言えば、私たちは、それに忠実に従おうとしてきました。しかし、時々、うまく行かないことがあるのです。
『エロイカ』の第1楽章には、多くの人たちがショックを受けるでしょうね。じっさい速いのです。ハ短調については、メトロノームの指示どおりに出来ると思いますよ。スケルツォでさえ96で、そんなに速くない・・・(中略)
もうひとつ、それまでずっとやられていた旧式な解釈ではなく演奏しているところは、第九のスケルツォのリタルダンドです。しかし、今度の録音で、私は楽章全体をひとつのテンポで通しました。」
これらのカラヤンの話が私にはとても意外に思えました。カラヤンはどちらかというと自己主張の強い指揮者だと思っていたからです。
例えば第7番の第二楽章などは連綿たるレガート奏法で始まるので、正直ぎょっとしました。また提示部の繰り返しをやっていないことも多く、田園の第三楽章でもリピートせずに演奏することもあったはずですから、ベートーヴェンの楽譜を忠実に演奏するなどということとは無縁だと思っていましたのです。それがベートーヴェンの楽譜や指定を尊重しながら録音を行っていたというのです。
そういう視点で聴き直してみると、「第九」で畳み掛けるようだと思ったのは、実はカラヤンが楽譜通りの演奏をしようとしたからだと気が付きました。
第一楽章の冒頭、混沌とした序奏から第一主題が奏でられるところは、曲想が変わるので一旦一呼吸おいてから演奏されるのが多いように思います。しかし、楽譜には休符がないので間を置くことは「楽譜通り」ではありません。そこでカラヤンは序奏の最後をややテンポを緩めてクレッシェンドすることで違和感を与えずに、間を置かないで第一主題につながるようにしていると感じました。
また第四楽章の冒頭も同様で、残響を利用して少しリタルダントしたかのように見せかけてつながるように工夫していると思ったのです。バリトンの歌い出しも効果を狙っただけではなく、実際に楽譜には休符がないから行った、しかもそれを逆手にとって劇的にして見せたということなのだな、と想いました。
これらは、あの即物的と言われたトスカニーニも慣習的に「間」を空けて処理していた部分でした。
カラヤンのベートーヴェンの全集での目指した姿勢は、カラヤンの死後1990年に発表されたベーレンライター版のような、学術的な視点からではないことは明白です。
使用楽譜はおそらくはブライコプフ慣行版であろうことは想像に難くはありませんし、私は何の曲の何処の部分をどうやっているかという細部を逐一検証するだけの耳も学も持ち合わせてはおりませんから、慣行版に従っているところが沢山あるだろうという想像をするだけです。
さらに前述の反復の実行の問題にしても、第九の第二楽章の反復をすべてしていないというのは慣行版の指定にすら従っていないではないか、その意味では使用楽譜通りではないだろう、という反論も当然あると思います。
ただ、私が注目しているのは、カラヤンはただ何も考えずに、伝統的(旧来の)解釈のまま録音に供しているのではなかったということです。再録音が多かったカラヤンですが、再録音するだけの意味を常に考えていたのだと思うのです。
http://www.kapelle.jp/classic/yukinojou/karajan_bach_beethoven.html
基本に忠実
カラヤンの音楽は一般に現代的、スピーディーといわれていましたが、実は大変オーソドックスな音楽の作り方をしています。多くの指揮者があまり根拠もなくテンポを変化させたり、ルバートをするところ、カラヤンは基本的に楽譜に忠実に音楽を作っていました。楽譜に書いてあることをする・・・このごく当たり前のことを再び耳にしたのは、帰国後ラジオのインタビューで朝比奈隆さんのお話を聞いたときでした。
馬の手綱さばき
カラヤンは指揮のこつを、馬の手綱さばきによく例えていました。馬が行きたい方に行く・・オーケストラでいうと、楽員の音楽性を尊重して、その流れをつかむことにすばらしい才能がありました。
最後のばらの騎士
リヒャルト・シュトラウスのオペラばらの騎士のオーケストラ練習中、有名なワルツのところで、ウィーンフィルを前に・・・
「私にとって人生最後のばらの騎士ですが、あなた方は確かにこの曲にかけては世界一です・・みなさんが生まれたままの音楽をして下さい。ただ、本番前はワインは飲み過ぎないように!!」
ここでカラヤンはみごとにウィーンフィルの心をつかまえ、両者の間にはすがすがしい空気が流れました。演奏があっというまに生き生きとなり、ウィーンフィルの弦がポルタメントをたっぷり使い、歌い上げていきました。
ツィメルマンとリハーサル
ベルリンフィルとピアニストのツィメルマンとの初練習で。ショパンコンクールを優勝して、いよいよ初めてカラヤン&ベルリンフィルとの共演、曲はお得意のショパンの第2番、ツィメルマンの気負いに対してカラヤンはちょっと不勉強、さらっと通し、今日はおしまいといったところで・・・
ツィメルマンはスコアー片手にすくっと立ち上がり、カラヤンに対しオーケストラが合わないところがあるから、もう一回やってくれといいました・・・
楽器を仕舞いはじめていた楽員の手が一瞬止まり、それならやろうというカラヤンの一言で、ベルリンフィルがツィメルマンから指摘された場所を再び演奏しました。
今度の演奏は完璧でした・・
カラヤン 「どうですか?」
ツィメルマン「結構です」
カラヤン 「音楽は言葉を使うと、どんどん悪くなる!」
カラヤンのこの言葉はとても印象的でした。
たしかにすばらしい音楽は、説明がいらない。私も指揮をしていて、気に入らなくて何度もくりかえし、いろいろ注文をつけると、かえって悪くなってしまうという経験をよくします。
http://www.music-tel.com/maestro/Maestro/Karajan.html
カラヤンが好きになった
友人の家で、結構前にBSでやったらしいカラヤン生誕100年だか90年だかの記念番組の録画を見せてもらった。そこで、噂に聞いていた恐竜のような声という(ひどいしゃがれ声なのだ)のを初めて聞いたのだが、そんなことよりも内容がえらく気に入った。最初に、内藤町にあったNHKのスタジオでベルリンフィルと録画したマイスタージンガー前奏曲を見せてもらった。
「つまらんだろう?」と訊かれたが、いやすさまじくおもしろい、と答えた。すべての楽器の音色がきわめて明瞭に聞こえてくる。ヴァグナーはこんな響きの音楽を作っていたのか。これは不思議だ。(1958年ころの録画だ)
その次に、ヴィーン交響楽団とのシューマンの交響曲4番のリハーサルを見た。これが抜群だった。
たとえばこんな感じのことを言う。
「そこは、本来ピアノでの演奏を意識していたはずのフレーズです。ターンタターですからね。でもそれを弦でやろうとしているせいですごく難しいのです。弦楽器固有の撥音を抑えて演奏する必要がありますね。
余談ですがリヒャルトシュトラウスが指揮をしていたらフレーズを変えてしまうはずです。でもそうはいかないからもっとレガートにもう一度やってみましょう」
おーなるほど。カラヤンレガートというのはこういうのに由来するのかというくらい、レガートを連発する。
「ちょっと待ってください。ここでは第一ヴァイオリンとフルートが同じフレーズを演奏するわけですが、君たち、今フルートが聞こえましたか?
(楽団員首を振る)
ヴァイオリンはもっと指板に近いところを押さえて演奏してください。それによって倍音が抑えられてフルートの音が入ってくるはずです。ではもう一度やってみましょう」
おー、確かにフルートの音色が混ざって聞こえる。これは素晴らしい。
「そうです。今度はフルートの音が聞こえましたね(楽団員うなずく)」
このリハーサル風景を見て一発でカラヤンが好きになった。そしていろいろな情報が整理されて腑に落ちた。
カラヤンは位置としては新古典主義(楽譜に忠実)の完成者なのだ。しかも、それまでの指揮者ががーっとやってぱーっとやってそこでがんがん、ここでさわさわみたいなやり方をしていたのに対して、どう演奏すればどう聞こえるからここではどうすべきかということを理詰めで説明し、かつフィードバックをきちんと与えることができる。
楽団員はプロフェッショナルだから、技術に落とし込まれて説明されればそれを再現できるし、その効果が明らかならその正しさを理解できる。論理と実証が常にペアで廻って音楽を構成する。
逆に、このリハーサル風景を見て、なんか理屈をこねくりまわす技術屋(=芸術をないがしろにしている)と捉えた連中がカラヤンを悪く言っていたわけだ。
カラヤンとフルトヴェングラー (幻冬舎新書) 中川 右介
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E5%B7%9D-%E5%8F%B3%E4%BB%8B/dp/4344980212)
(この本にも、とにかくリハーサルを繰り返すだけのチェリビダッケに対して、カラヤンのリハーサルはボウイングについての的確な指示を出すものだったことが書かれていた)
するとその後のどたばたもある程度は見えてくる。
おそらくカラヤンは1950〜60年代までは(特にヴィーン交響楽団は2流なので細かく指示をしているのだろうし、録画されていることを意識しているはずだが、それでも普段とそれほどは違わないと仮定して)、ベルリンを含めて、楽団員にとっては理論的な説明によってきわめて斬新的でモダンでありながら、伝統的な(ということが実は新古典主義の目標であるわけだし)音楽を引き出す指揮者としてありがたかったのだろうし、お互いにドイツ零年以降の音楽を作り出す同志であったのだろう。
だが、いつまでもそういうスタイルのリハーサルはできないはずだ。というのは、オーケストラは組織である以上、メンバーの入れ替わりはゆっくりだ。だが、すでに同志として結ばれた楽団員が多勢を占めている間はうまくやれる。すでに知っていることをさらに教えても意味がないし、かっては斬新であったものは普通の伝統芸になっているわけだ。
それが1970年代以降になると、音楽学校で最新の技術を習得して入団してくる演奏家が増えてきて、当然、同志たちは退団していく。そうなったとき、技術的指導者として君臨してきたカラヤンの王座が揺らぎ始めてきて……ということなのだな。
カラヤンの傑作に新ヴィーン学派の作品集がある。
新ウィーン楽派管弦楽曲集
シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」作品5
シェーンベルク:管弦楽のための変奏曲作品31
シェーンベルク:「浄められた夜」作品4
ベルク:管弦楽のための3つの小品 作品6
ベルク:叙情組曲からの3つの楽章
ウェーベルン:管弦楽のためのパッサカリア作品1
ウェーベルン:弦楽四重奏のための5つの楽章 作品5(弦楽合奏版)
ウェーベルン:6つの管弦楽曲作品6
ウェーベルン:交響曲作品21
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー
http://www.hmv.co.jp/artist_-%E6%96%B0%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%A5%BD%E6%B4%BE%E3%82%AA%E3%83%A0%E3%83%8B%E3%83%90%E3%82%B9_000000000035192/item_%E6%96%B0%E3%82%A6%E3%82%A3%E2%88%92%E3%83%B3%E6%A5%BD%E6%B4%BE%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E9%9B%86%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%8F%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%A3_296642
Arnold Schoenberg, Transfigured Night Op. 4 (1899)
http://www.youtube.com/watch?v=U7a36rTZdX8
http://www.youtube.com/watch?v=F9XeQQikNGs
Schoenberg : Variationen für Orchester
http://www.youtube.com/watch?v=0mrhmaHv4ZQ
Alban Berg : Lyric Suite - Karajan*
http://www.youtube.com/watch?v=RF9urI6Z6Bk
Berg 3 Pieces for Orchestra, Op.6 Praeludium (Prelude)
http://www.youtube.com/watch?v=D7ET51t8kVQ
http://www.youtube.com/watch?v=cAy9VmXTi-o
http://www.youtube.com/watch?v=u4weF0FSoiE
Webern : Passacaglia Opus 1 - Karajan*
http://www.youtube.com/watch?v=9VMIhkU_XpQ
Webern: 3 movements op 5 - Karajan
http://www.youtube.com/watch?v=QNkinnKcURU
Webern : 6 pieces for orchestra: no 4 - Karajan*
http://www.youtube.com/watch?v=zWT6XdJ-tnc
これは本当に玄妙にして明解、あー、ヴィーン学派はおもしろいなぁと感じる作品だが、これを作ったときは、久々にかってやったような指導ができたのだろう。それまではばらばらでつながりも脈絡もない音が意味を持ち、つながりを持ち、音楽として構成される、そういうおもしろさを楽団員は堪能したと思う。
同じように、カラヤンの耳と演奏技術や音響についての知識が、録音技術にどれだけ貢献したかについても想像できる。また、それが音楽の技術的側面を無視する愚かな連中の憎悪を駆り立てることになったかも想像できる。
というわけで、まったく間違いなく20世紀中期においてカラヤンは偉大だったのだ。少なくともおれは技術屋だからカラヤンの偉大さを認める必要はある。
でも、田園を聴くとしたらフルトヴェングラーとウィーンなんだけどね。
http://www.artonx.org/diary/20111106.html
うーん、要するにカラヤンは自分では楽譜を忠実に音化していると思い込んでいたんですね。 惜しむらくはアルメニア人だったカラヤンはゲルマンの伝統を何一つ知らなかったし、ドイツ精神もドイツ音楽も全く理解できなかった。
ただカラヤンはピアノ調律師的な聴感と音のセンスだけは掛け値なしの天才だったので音楽がわからない楽員を驚嘆させて高い地位と人気を得た。さらに容貌もドイツ人とは全く違ってエキゾチックでスマートだったので、ミーハー女性に人気を博した。
しかしドイツ音楽の伝統を完全に無視したカラヤンのスタイルで楽譜に書かれた音符だけを忠実に音化すると、どんな深い曲でもみんなムード音楽になってしまうんですね。そして当然の事ながら本物がわかる音楽ファンからはそっぽを向かれてしまった。 そういう事でしょう。
何れにしろ、カラヤンが真剣に努力すればする程 音楽の本質から離れていくというのは間違い無いですね。
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吉田秀和、菅野沖彦、カラヤンや B&W のスピーカーを高く評価する人は宇野功芳に拒絶反応を示す様な気がしますがどうでしょうか?
バッハ:マタイ受難曲、チャイコフスキー『悲愴』 メンゲルベルク
suuukami | 福岡県 | 50代 | 2011年01月06日
この演奏は、今までLP、フィリップスの輸入盤で聴いてきました。現在は両方とも手元にないので、記憶に頼るしかありませんが、このオーパス蔵盤が一番音が鮮明と感じました。評価点は見事な仕事をしたスタッフの方に対するものです。
本当に久しぶりに聴いたのですが、私の歳の所為か、以前程感動できませんでした。その異様に古めかしい表現(特にアリアの歌唱法)には、途中でついてゆけなくなりました。貴重な記録には違いないのですが。41年版の「悲愴」はノイズは多いですが、違和感は無く、名演と思います。
あと問題点はライナーを書いているのが、私の嫌いな宇野功芳氏で、一応読みましたが、相変わらずの文章には嫌悪感すら覚えました。
この方の文章は、海外の著名な評論家の評論と比較すると、学校の読書感想文並のレベルとしか思えません。相変わらず意味不明の紋切り型の表現で、個人の好き嫌いのレベルです。
困るのは、特定のアーティストや作曲家のライナーには必ずこの方が登場する事です。まあクナやアーベントロートを日本に紹介した功績を認めるにやぶさかではないのですけど。
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%EF%BC%881685-1750%EF%BC%89_000000000002339/item_%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%EF%BC%9A%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%8F%97%E9%9B%A3%E6%9B%B2%E3%80%81%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%80%8E%E6%82%B2%E6%84%B4%E3%80%8F%E3%80%80%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF_1371954
パーヴォ・ヤルヴィ指揮シンシナティ交響樂團 小川榮太郎
(於NHKホール・2009年10月26日)
ヤルヴィは3つのオケを振つた生を何度も聽いてきたが、二流の指揮者と云ふ他はないと思つてゐる。殘念ながら、今日もまことに退屈な演奏會だつた。以下はヤルヴィと、この度公演チラシでヤルヴィを絶讚してゐる批評家宇野功芳氏への酷評とならざるを得ない。書きたくはないが、批評家には俗を正すといふ役割がある。感じた率直なところを書く。兩氏のファンはお讀みにならぬやうに。
どうも、最近の日本では音樂批評を書くのが劒呑だ。私には當り前と思はれる事を、他のどの批評家もはつきり書かないので、力んで云はなければならない、それがひどく居心地が惡いのである。60年前、フルトヴェングラーやトスカニーニが如何に偉大かなど、力んで書いたら、分りきつた事を云ふなと笑はれただらう。サージェントやカバスタが二流だと、わざわざ力説するなぞ餘計な話で、本人も一流と思つてゐないのだから、氣の毒なだけの話だつたらう。
ところがどうだ。價値規範がまるで無茶な最近の日本では、バレンボイムやティーレマンが偉大だといふ事は、餘程力んで云はねば、誰の耳にもとゞかない。凡庸な批評家共は、誰一人、彼らの歴史的な偉大さを指摘しようとせず、相變らず、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュやらバーンスタイン、カラヤンの名前を出しては、昔は良かつたを繰り返すばかりである。無論、これが日本だけの例外なのは云ふまでもない。
私自身の體驗した生演奏の印象でもレコードでも、バレンボイム、ティーレマンは、カラヤン、バーンスタインの指揮者としての音樂的力量を、既に上囘つてゐる。バレンボイムのトリスタンは、フルトヴェングラー以上の瞬間さへ多く含んでゐた。ティーレマンのブルックナーはチェリビダッケを超えたかとさへ思はれる場合が多々ある。彼らに駄演があるかどうかは問題ではない。偉大さに達する瞬間があるといふ事を指摘するのは、批評の最も名譽ある任務である筈なのだ。
逆も同樣だ。ポリーニの力量はがた落ちだ、小澤のオペラはまるで基本がなつてゐないと云ふ、どんな驢馬の耳にも屆きさうな單純な事實さへ、云へば言葉に力みが這入つてしまふ。日本の音樂批評界では、ポリーニは、相變らず歴史上最高のピアニストに決まつてをり、出すレコードは全て同曲のベストレコードなのだし、ウィーン國立の音樂監督である世界の小澤が、オペラ振りの基本的な力量にさへ達してゐない事は、見て見ぬ振りをする慣行らしい。
餘りに無考へ無節操に横行する通念に、ブログの隅で異を唱へるのは、日本晴の日にお天道樣の下で、誰もゐない觀客相手に、「今日は素晴しい天氣であります!」と力み返つて演説してゐるやうな、滑稽と空虚を覺える。價値の中身を巡つて意味のある言葉を生み出したい、それが批評家としての、私のさゝやかな希望なのだが。
本題に這入る。
ヤルヴィの事だ。例によつて、宇野功芳氏の再三の絶讚のお蔭で、凄い指揮者だと勘違ひしてゐる向があるやうだが、飛んでもない話だ。宇野氏が長年にわたつて日本の聽衆をミスリードしてきた水準の低さには、率直のところ、大變な義憤を覺える。
無論、氏には立派な功績もある。玉蟲色に何でも適度に襃める日本の批評家の中で、判斷を鮮明にする姿勢は、卑しくなく、私は好感を持つてゐる。大昔、日本ではまだ五大指揮者――ヴァインガルトナー、トスカニーニ、メンゲルベルク、ヴァルター、フルトヴェングラー――といふ基準が健在だつた頃、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、クレンペラーらの價値を逸早く評價したのは、氏の慧眼だつた。朝比奈隆の價値を早くから認めたのも宇野さんである。
だが、この20年と云ふもの、氏が發見し、激賞する音樂家は、殆どが水準以下の駄馬ばかりである。批評家が判斷を誤るのは致し方ない。私も多數のミスを犯してきたであらう。だが、程度といふものはある。程度を超えたミスを犯すまいとするのは、批評家の最低限の、讀者へのマナーに屬する。
例を出さう。以前、宇野氏はハインツ・レーグナーといふ指揮者を絶讚してゐた。ある年、確か高校生だつた私は、その年の來日公演の中から、カラヤンとケンプとレーグナーとを選び、聽きに行きたいと父にねだつたものである。全部は無理だと云はれた。普通のサラリーマンの家庭だつたから當然だらう。交渉の結果、カラヤンなら1公演だが、レーグナーならば2公演でも構はないと云はれた私は、驚くなかれ、何と後者を選んだのである。宇野氏のアジテートを愚かにも信じ込んだ爲だつたのは云ふまでもない。
氏は、當時、レーグナーの音を「羽二重の音」と評してゐた、恥かしい事に、そんな事さへ覺えてゐる程、氏の絶讚は、子供の私を醉はせたのである。だが私は、耳まで宇野氏に騙される程馬鹿ではなかつた。聽きに行つたレーグナーの音は、羽二重どころか、煎餠蒲團のやうにしか聞えず、それは疑ひやうもなかつたのである。レーグナーがどの程度の指揮者だつたかは、今更私が力みかへらずとも、歴史が證明してゐる。當の宇野氏の口からさへ、その名を聽く事は最早殆どない。
無論、私は恨みから、こんな事を書いてゐるのではない。幸ひにも私は別の機會にカラヤンを生で聽いたし、批評家の判斷など當てにならないといふ實地教育を早くに受けられたのもいゝ藥だつたのだらう。
だが、これは私事ではない、笑つて濟ませる譯にはゆかない理由がある、それはかういふ事だ。
……宇野氏のカラヤン批判は分る。私は、フルトヴェングラー、チェリビダッケ、バレンボイムといふ血脈の側の一員であり、カラヤンを必ずしも高く評價はしてゐない。しかし、讀み手に、選りに選つて、カラヤンのコンサートを逃してでも、レーグナー如き水準の音樂家を聽きに行くやうに促す批評は、笑ひ話の域を超えて、犯罪的だと私は思ふ。音樂會の體驗は一期一會で、後からは取返しがつかないからだ。宇野氏のレーグナー絶讚に、實際に聽いて共感する人が出る事は構はない。人の判斷は樣々だ。だが、獨善的で判斷の基本を誤つてゐるとしか思へぬ批評によつて、多くの讀者から、カラヤンのやうな水準の藝術家を生で聽くと云ふ經驗を奪ふ事は、許されていゝ事だと思はない。
60年前に、有力な批評家が、フルトヴェングラーを糞味噌に云ひ、今聽くべきはサージェントの羽二重の音だ、と熱辯してゐたと想像したまへ。或るフランスかオランダ邊りの田舍の高校生が、親の貧しい嚢中から、或いは乏しい自分の小遣ひから、フルトヴェングラーの《第九》の代りに、サージェント指揮のモーツァルトやら《惑星》か何かの公演チケットを買つたと想像してみたまへ。その直後にフルトヴェングラーは死んでしまつたと想像してみたまへ。これは、批評家の音樂的判斷のミスと云へる水準を越えてゐる。彼の輕薄な思ひ込みとアジテートが、或る一人の音樂好きな若者から、人生で決定的に重要な體驗となり得る何かを永遠に奪つた事になるからだ。
さて、今囘に限り、特に宇野氏にしつこく絡むのは、チラシに次のやうなヤルヴィ評を見て、本當に腹が立つて仕方ないたからだ。ヤルヴィ指揮シンシナティ交響樂團の《幻想交響曲》をサントリーホールで聽いた感想として書かれた宇野氏のチラシ文面である。
「~まるで魔法だ。ぼくはあんな響きを今まで耳にしたことがなく ~略~耳のよい指揮者、統率力のある指揮者は他にもたくさん居る。セル、ブーレーズ、マゼールなど。~略~ヤルヴィの魔法はそれをはるかに超えてゐる。」
今まで、ヤルヴィを聽いて、魔法どころか、耳の良い指揮者だと云へる痕跡は皆無だつたので、この批評は始めから、論外だと思つてはゐたが、おそらく、これに釣られて「魔法」を聽きにやつてきた聽衆は多かつたらう。さう、宇野氏から「しねば直ぐに忘れられるだらう」とさへ書かれたバレンボイムのチケットなど見向きもせずに。そして、宇野氏に「ドイツの田舍者」と罵られたティーレマンの來春のブルックナーのチケットも買はずに。
私は、先入觀で耳を汚す事はしたくないので、當然ながら豫斷は持たずに、今日のヤルヴィを聽いた。その程度の心の修養が出來なければ、批評など出來るものではない。その結果はどうであつたか。退屈極まる凡庸な演奏だ。セル、マゼールのオーケストラマジックを罵倒して、これを持上げるとは、幾ら何でも恐れ入る。さすがは、かつてレーグナーに羽二重の美音を聽き取つた宇野さんの耳だけはある。
ヤルヴィ=シンシテナティに魔法を聽けるとは、途轍もない聽力だ。どんな醜女も美人に見える眼を持つた人のやうなものだ。羨ましい。お多福を引つ掛けても最高の氣分になれるのだから、氏の耳の中は、地上の極樂かと思はれる。多分、宇野さんに魔法をかけたのはヤルヴィではなく、プロスペローだつたのだ。最近の宇野さんの耳は、キャリバンやトリンキュロー達宜しく、プロスペローの魔法によつて、恒常的に醉つ拂つてゐるのであらう。本當の醉生夢死だ。最近飮んでもなかなか醉へぬ私には、これ又羨ましい限りである。
私の聽いたのは NHKホールだが、もしヤルヴィがサントリーホールで魔法を掛けられる程の人ならば、NHKホールは充分に鳴らせる。かつてのベーム=ウィーンフィルの大名演もNHKホールだつた。先日バレンボイムの、やゝ手拔のヴェルディ《レクイエム》でさへ、易々と、實に豐饒でメロウな音が、和聲的な緊密の度合を正確に傳へながら、あのホールを滿たしてゐた。物理的な音量の問題ではない。響きと心理の關係への經驗と洞察が生む、これは技術上の奇跡なのである。宇野氏が名前を出してゐたセルやマゼールは、無論、さうした技倆の點で、最高度の指揮者達に屬する。ヤルヴィの音樂を氏が好むのは構はない。
だが、セルらの名前を持ち出して、響きの點でヤルヴィを上位を置くのが、よりによつて第一線の音樂批評家だといふのは、正直云つて信じ難い話である。カローラをフェラーリより好むのは構はない。だが、カローラの方が加速能力が高く、スピードも出ると云つたら、それは嘘だ。セル、マゼール以上にヤルヴィ=シンシナティが響きの魔法を驅使してゐるとするのは、それと同じやうな、批評の判斷の許容外の「嘘」としか、私には思へない。
冒頭のコープランド《庶民のファンファーレ》で、私は魔法から眞つ先に見放される思ひがした。固い音だ。融け合はない。胸をときめかす指揮者固有の文體がない。NHKのアナウンサーの朗讀のやうだ。マゼールならニューヨークフィルから、こんな貧しくニュアンスのない音は出さないに違ひない、たとひ、空疎極まる『エロイカ』やブラームスを指揮する事はあつたとしても。
2曲目、バーバーの弦樂の爲のレクイエムは、ファンファーレとの對照の妙。心の籠つた演奏だが、それ以上に胸を撃つ特別な時間にはならなかつた。
3曲目、バーンスタインの《シンフォニックダンス》は、圖らずも先日、バレンボイムのCD評を書くので聽き込んでゐたが、今日のヤルヴィの演奏は、豫想をはるかに下囘る駄演である。プロローグの、ジャズ風のリズムから冱えない。投げやりで、リズムが上滑りしてゐる。物語が始まる豫感もまるでない。デリカシーのかけらすらない。だが、この音樂は、デリカシーの塊ではないのか。
バーンスタインはブリリアントな自作自演を殘してゐるし、バレンボイム盤は、交響詩のやうな雄大な流れを作るが、いづれも音樂の生彩の次元が、今日のヤルヴィとはまるで違ふ。このやうな曲では、ヤルヴィは切れ味のいゝ指揮だけはするだらうと思つてゐたので、冱えないダルな雰圍氣のまゝ、見通しも惡く、クライマックスの疉み込みさへ決まらぬ演奏に、私は心底驚いた。サムフォアはそれなりに美しいが、スケルツォからマンボに雪崩込む邊りは、何とも響きはごちやつき、音樂の方向感覺も漠然としてゐる。終曲も丁寧な演奏だが、印象に殘る程ではない。
後半の『新世界』は、ヤルヴィが文體も音も持たない指揮者だといふ事の再確認のやうなものだつた。例へば、管のバランスに目新しさがあるとか、第2主題で物凄く大きくテンポを落して、地面に落ちてしまひさうなリズムを掬ひ上げるやうな優しさを見せる、さうした事はそこここにある。だが、《新世界》では、その手の新機軸はあらかたやり盡くされてゐるし、そもそも、優れた指揮者は、何も特別な事をやつてゐない場所で、音樂の豐かさにより聽き手を滿たすものだ。さうした魅力がこの指揮者にはまるでない。
例へば、出出しからティンパニの突然の爆發までを、ストコフスキーやチェリビダッケが、のめり込ませるやうな魅力で始める樣を聽いてみるがいゝ。それにしてもヤルヴィの主題のリズムはどうだ。何とパンチがないんだ。音はどうだ。今書きながらまるで思ひ出せない程、印象に殘つてゐないではないか。第一主題のホルン一つで、優れた指揮者ならどれだけの夢を聽き手に見せる事が出來るか。ヤルヴィの演奏が、さうしたディテールで何と貧相である事か。
だが、2樂章は美しかつた。夢見がちな木管群から夢見がちな音とバランスを引出してゐて、今日一番良質であつた。プログラム全般を通じて、當面、抒情的な靜かな部分は、惡口を云はずに聽ける水準だと云ふ譯だらうか。
3樂章になると、やはりリズムも音も冱えない。4樂章でも、私は、もうあり餘る退屈を持て餘してしまふ。音樂的仕掛の面白さが幾らでも試みられる所なのに。その上、最後まで音樂的なクライマックスがまるで見えてこない。音量ではなく、音壓と云はうか、時間の累積によつて、音樂が高潮してゆく滿足がまるでない。
焦つても仕方なからうが、早く、バレンボイム、ティーレマン、パッパーノ、ナガノ、ドゥダメルらが基準となり、指揮者の質が、カラヤン=チェリビダッケ時代以前に戻らん事を、願ふのみである。
http://blog.livedoor.jp/theclassic/archives/1498161.html
チャイコフスキー作曲交響曲第6番ロ短調《悲愴》 小川榮太郎
『悲愴』カラヤン&ベルリン・フィル(1988年東京ライヴ)
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%881840-1893%EF%BC%89_000000000018904/item_%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%9A%E3%80%8E%E6%82%B2%E6%84%B4%E3%80%8F%E3%80%81%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%EF%BC%9A%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC%EF%BC%92%EF%BC%99%E7%95%AA%E3%80%80%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%EF%BC%86%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%99%EF%BC%98%EF%BC%98%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B4%EF%BC%89_2719028
カラヤン最後の来日-Tchaikovsky Symphony No.6 [HQ SOUND]
http://www.youtube.com/watch?v=HsFmvbqaRic
1938年、まだ30才だつたカラヤンが、ベルリンフィルとの最初のレコーディングに選んだのが《悲愴》だつた。半年前に、當時の樂壇の帝王、フルトヴェングラーがベルリンフィルと《悲愴》を入れたばかりだつたから、手袋を顏にぢかに叩きつけるやうなカラヤンの遣り口に、フルトヴェングラーがどれ程腹を立てたかは、想像が付く。
今日でもラトルがEMIにブラームスの第4交響曲を輯録した半年後、同じベルリンフィルを起用してティーレマンがグラムフォンからブラームスの第4番を出したりすれば、スキャンダルのにほひは否定しようもなからう。まして、レコードそのものが稀な時代である。カラヤンの鼻つ柱の強さには、さういふ言ひ方では被ひ切れない不遜さが付纏ふ。フルトヴェングラーのカラヤン症候群、又はカラヤンへの異常な嫉妬と言はれる生涯の心の傷の原點は、私は、ベルリンでの《トリスタン》の成功と竝び、この《悲愴》レコーディングにあつたのではないかと推測してゐる。
それはともかく、以後、カラヤンが節目節目でこの曲を演奏し續け、レコーディング囘數も最も多く、レコード毎の演奏スタイルにも變化が著しいのは、よく知られてゐる。今囘選んだのは、そのカラヤン生涯最後の《悲愴》、偶然にもサントリーホールでの公演となつたものを、生誕100年を記念して、グラムフォンが正規盤として出したレコードである。
一方のチェリビダッケにとつても《悲愴》は最も重要なレパートリーの一つである。戰後、無名のルーマニア人が突如ベルリンフィルの指揮臺に立ち、たちどころにベルリンの聽衆を魅了した奇蹟はよく知られてゐるだらうが、彼が決定的に名聲を確立したのは、1945年の12月の《悲愴》の公演だつたといふ證言がある。演奏終了後、熱狂した聽衆は我を忘れて指揮臺に殺到し、未曾有の混亂が生じたと言ふのである。
20世紀後半のドイツ樂壇最大の巨匠二人が、ベートーヴェンやブラームス、ヴァグナーではなく、チャイコフスキーで搖ぎない名聲を確立した事は、ドイツ文化論の主題となるだらう。第1次大戰敗戰後の、新古典主義以後、ヒトラーのアーリア至上主義の時代が插まつてゐるにも拘らず、時代全體の美意識は、ドイツ囘歸よりも、機能主義的なインターナショナリズムへと傾斜し續けた、20世紀のドイツ文化史は、總じてさう評していゝ筈である。それはナチス時代の映畫を見れば一目瞭然で、1930年代から40年代のハリウッド映畫がアメリカンヒューマニズムの野暮な迄の信念に貫かれてゐるのに較べれば、ナチスの美意識は、遙かに洗煉された機能主義によつて、ゲーテ、ベートーヴェン、ヘーゲル、ニーチェ、ヴァグナーらの鬱蒼たるドイツ的風采からは、寧ろ無限に遠い。
思へば、ヒトラーが愛したのはクナッパーツブッシュではなく、フルトヴェングラーだつたのである。フルトヴェングラーは、ドイツ至上主義者であつたが、彼自身の教養と美意識は明らかに、大戰間の美學の洗禮を受けてゐる。洗禮を受けたゲルマニズムである。だが、それならば、今、再び、バレンボイム、そしてとりわけティーレマンによつて、恢復し始めてゐるドイツ的傳統とは何だらう。底力か。新しさか。復古か。復古に見える民族的活力の創造なのか。
ところで、カラヤン、チェリビダッケ共に、最晩年の上演記録であるこの2枚は、いづれも、《悲愴》の最高の名盤と斷言するに足る至高の演奏だ。深刻激越で、樂曲の内面に限りなく降立つ事に成功した點、メンゲルベルク、フルトヴェングラー以後、ムラヴィンスキー、フリッチャイ、マルケヴィッチ、バーンスタイン、カラヤン自身のセッション録音、ゲルギエフらの歴代名盤全てを、遙かに拔くと言つても、さして極論ではあるまい。そのどちらかを採り、一方を捨てる、極めて難しい作業である。
さて、まづ、カラヤンのラスト《悲愴》である。
1樂章冒頭のファゴットから波打つやうな強弱を付けて歌ひ始める。そして呼應する低弦の凄じい絶望に滿ちた暗い音色、だが、その暗い音色は單色ではなく、輝ける黒、無限に深みがある多彩な光澤を放つ黒である。早くも身體に震へが走る程に人を魅了して止まない絶望、それがカラヤンがこゝで成し遂げてゐる事の、最も簡潔な要約である。
序奏全體が、歌ひ、動搖して止まぬ流動だが、節度はある。こゝでのカラヤンは、告白と悔恨を湛へた殆ど個人的な發言として、この音樂をとらへてゐるやうに聽こえるが、にもかかはらず、アゴーギグの上での自由は避けられてゐる。間違ひなく、インテンポの感覺は、カラヤンの音樂的な感性の中核にあつたといふ事であらう。だからこそ、同じ目盛を刻む音樂の進行の中に籠められた思ひの強さは、音の飛沫となつて迸散する。その意味で、この演奏は、インテンポの音樂が、どこまで激越な感情を歌へるかの、極限的な實例である。
アレグロにはひつても滑らず、格調高い。實に彫の深い演奏である。何をやつてゐるといふ譯ではないのだが、全てが際立つて魅惑的だ。ミューズが直かに降り立ち、魔法のつゑを振つてゐるのでないとしたら、これは一體誰の仕業なのだらう。
ふとした表情の翳に、ロシア的な、と私にはどうしても感じられるやうな、一種痛切に重い憂愁がさつと射す。プーシキンがオネーギンに造形して以來、ゴーゴリにも、トルストイにも、ドストエフスキーにも、チェーホフにもある、人生への冷え冷えとした突然の無感動といふやうな、あの鈍く重たい苦痛を、こゝでのカラヤンは、折節、強く私に感じさせる。最もさうした世界から遠いと思はれてゐた、あのカラヤンが。
65小節からのトゥッティは、全く何といふ音だ。クライバーが黒魔術と評したカラヤン・トーンの奇蹟は、この演奏では至る處で炸裂してゐて、それを聽くだけでも耳の喜びである。
それにしても、その奇蹟が、カラヤン自らがプロデュースした正規録音からは殆ど掻き消えてしまつてゐるのは、何故なのだらう。人工的に誇張され、單に音樂的な空疎さを一層印象付けるだけの、あの無數のカラヤン制作のレコードのプラスチックな美麗さ! レコードプロデューサーとしてのカラヤン、オペラの演出家としてのカラヤン、映像監督としてのカラヤン…………何にでもでしやばる才人カラヤン。だが、何とまあ、この人は指揮者でしかなかつた事か。そして、その生涯は、何と才能を別の方角に浪費し續ける人生だつた事か。
指揮者としてのカラヤンは、帝王などではなく、本當は、フルトヴェングラーと同格と言へるだけの、壓倒的な天才だつたのかもしれない。天才を別のジャンルやビジネスへの野心に切り賣りしながら、晩年の彼が、たゞ自分の爲だけに音樂するといふ原點にやうやく戻つてきた時の、この《悲愴》は、その最良の證言とすべきだらう。この演奏は、フルトヴェングラーのヴァグナーやブラームスがしばしばさうであるやうに、最も赤裸々な絶唱であり、絶唱である事で、チャイコフスキーが晩年に至つて、危機の最中で、自分の音樂的な發言に、やはり個人の本當の告白を恢復した《悲愴》の創意と、絶妙の共振をしてゐるのである。
それにしても、ラスト《悲愴》でのカラヤンの、第2主題のむせぶやうな歌、憧憬と啜り泣きはどうだらう。それでゐて、音樂には崩れの影さへなく、品格はどこまでも高い。展開部は、冒頭からのバスの刻みの強烈な表現力に驚かされる。激越で雄辯なバス、透明でどこまでも伸びやかに廣がる壯大な高弦と、深みある輝かしさが天日の使者のやうに響く金管が、ぶつかり合ひ、融け合ふ。容赦ないティンパニさへ、弦の餘裕のある最強奏を妨げる事は出來ない。生き物のやうな色彩の亂舞であり、亂舞の中に信じ難い美の秩序が確立されてゐる。その點では、このオーケストラの色彩の奇蹟は、トスカニーニ、フルトヴェングラー、チェリビダッケ、現役のバレンボイム、ティーレマンらさへも敵はないのではあるまいか。
後半、第1主題再現で、ティンパニに猛烈な追込みを效かせて、ホールの鳴動するやうなクライマックスの後、第2主題は優しい華やかさの中で、夢見るやうに微笑する。邪氣を知らぬ子供の、恐怖の去つた後の喜びのやうに混じり氣のない歌である。勿論、音樂的にはこの上なく堂々たる終結である。
2樂章も冒頭からむせぶやうな歌に驚かされる。こゝまで強い感情を歌ひ込んだ2樂章は始めて聽く。1樂章と3樂章の谷間の優美な舞踏會の幻想では決してない。今、確かに生々しく實感されてゐる歎きの歌である。それでゐて、氣品は高い。繰返し記號のある樂節の區切、あゝした處での、リタルランドが何と優美で輕やかなことだらう。中間部のティンパニと低弦の刻みは、喘ぎであり呻きである。支へ切れぬ重荷を背負つた者の、辛い吐息のやうに、思はず嘆息がもらされる。戻つてきたワルツは、一層切實に響く。あの中間部での鼓動が、そのまゝ背後に流れてゐて、最早私たちは、運命の支配のやうに、あの鼓動の強制力から逃れる術はないのである。ふと、どうした聯想からか、私は思はず呟いた、小林秀雄譯のランボウの詩句を。「そして俺は、架空のオペラになつた。」…………
3樂章のマーチの生きたリズム、あらゆる瞬間が雄辯に沸立ち、絶えず波立ちきらめく。あらゆる音の細胞の沸騰! 弦の刻みは彫り深く、吹拔けるやうな金管の最強奏のさはやかさはどうだらう。決めどころでは、ティンパニが猛烈なクレッシェンドとアタックでここぞと打込み、音樂は波打つやうに、大きな山に向つて怒濤のやうに昂揚する。61小節からの、主題リズムを刻むティンパニのクレッシェンドの、それだけで激越な感情表現はどうだ。81小節からの弦の刻みの豫感に滿ちた緊張、あらゆるパートの雄辯さはどうだ。 これがあの無表情なスコアのコピーでしかない無數のレコードを世に送り出し續けた男の、最後の生演奏だとは、何といふ驚きだらう
しかし、カラヤンは單に感情を剥出しに、オーケストラをあふつてゐるのではない。この音樂は、3連符の呟くやうな刻みが、地底から沸上がり、徐々にマーチのリズムへと形成され、絶えず沸立つやうなリズムの、兇暴な、さう歡喜以前の原初的な感情によつて、止めどない昂揚に至る。それが、何度となく繰返され、呼吸も出來ない程の狂亂で、幕を閉ぢるのは、誰でも知つてゐるが、これは、「音樂」の側からの、作者チャイコフスキーの理不盡なエネルギーの蕩盡への、抗議の息切れではあるまいか。ストラヴィンスキーが言つてゐる、「チャイコフスキー程ロシア的な作曲家を私は知らない。」と。この音樂には、西歐に妥協したウィスキーボンボンのやうな中途半端な甘さは、影だにない。
この耐へざる衝動が、本當には、どこに向ふのか、誰も知らない、作者自身が一番解つてゐなかつた。それこそが、恐らく、ストラヴィンスキーの言ふロシア的なるもの、ドストエフスキー、トルストイの蟒蛇のやうな底知れぬ衝動と根を一にしたチャイコフスキーの創作力の源泉である。恐ろしく暴力的だが、恐ろしく上機嫌な音樂、音樂といふより、生命力が殆ど破壞的な歡喜にまで狂ひ咲きをした衝動の記録。この音樂に決定的な表現を與へるには、まづ、再弱音で始まる刻みに、激甚なエネルギーを吹込まねばならない。しかも、そのエネルギーは絶えず内側から自らを喰ひ破る衝動である。その衝動を極限まで呼びさましながら、それに任せて滑走してしまはないやう、最後の一歩で踏みとゞまり續けねばならない。
80才の病躯の老人カラヤンが、このやうな限界的な運動神經と、強烈な暴發とのぎりぎりの折衝を、指揮し切つてゐるのは、驚きと言ふ外はない。トスカニーニ晩年の指揮も、やはり巨大なエネルギーによるダイナミックな音樂を聽かせるが、それはいつも塑像のやうに安定してゐた。流動的で不安定な要因は排除された世界である。こゝでのカラヤンは、一歩誤れば、音樂が空中分解し兼ねない限界まで、運動そのものを生きてゐる。ベルリンフィルといふ猛獸の群を、ロシアの宏大な原野に解き放つたやうである。どのやうな指揮者も後半の興奮を掻きたてる事に、情熱をそゝぐが、こゝでのカラヤンは、身體を張つて、寧ろ昂揚を制止してゐる。そしてそれゆゑにこそ、音樂は、かつて聽いた事もないやうな、身體を突拔ける異常な興奮へと高まり續けるのだ。
それが、4樂章での慟哭の深さでの、深い搖さぶりに繋がる。3樂章の興奮によつて解放された聽き手の感情は、この慟哭に突き落とされて、もみくちやにされてしまふ。カラヤンの3樂章での昂揚は、狂亂の果て、殆ど晴朗なまでに、聽き手の心を開け放ち、無防備にする。だから、4樂章が始つた途端、この無防備な心は、今度は、深刻な情感に啜り泣く手放しの歌の前に、たゞ涙する外はなくなるのである。
4樂章冒頭の歎きは、その中に甘い慰謝を含むが、5小節から、音樂はまるで救ひのない暗い淵に沈み込む。オーケストラのトーンは、瞬時に漆黒の闇に聽き手を閉ざす。そして、又、歌を取り戻して……といふ繰返し。その間、絶えず啜り泣きながらも、清潔な透明感を失はない弦は、とりわけ見事だ。
そして、37小節からのアンダンテの、甘い夢見がちな歌は、カラヤンによる生涯の囘想であらうか。これ程甘く、しかし眞實な慟哭を、人は、自分の魂の内からしか汲み出す事は出來まい。しかも、これ程までに感情の大波のただ中に沒頭しながら、演奏は、息長いフレージングによるあの長い長大なクレッシェンドを、寸分の狂ひもなく歌ひきつてゐる!
後半でのクライマックスは、沈默の底から沸上がるやうに、限りない悲歌が、殘照の後の闇のやうに、流れてゆく。絶望は餘りにも深い。感傷は洗ひ流されて微塵の名殘もない。だが、漆黒の闇の中で、生のやはらかい温さは信じられてゐるやうだ。末尾では、音達の一つ一つが、うち顫へてゐる。が、絶望の爲ではないやうだ。ならば、この顫へは、慰謝の力の確かさを知る事が出來た、喜びのそれであらうか。
當日の聽衆によると、あのカラヤンが、泣きながら指揮をしてゐたといふ。涙は祈りの中に融けてゆくやうだ。救濟は信じられてをり、この結末は餘りに美しい。批評は沈默せざるを得ないのである
http://blog.livedoor.jp/theclassic/archives/cat_24972.html
一方、こっちがカラヤンの「悲愴」に対する聴覚が鈍い人の評価:
カラヤン/VPO チャイコフスキー「悲愴」
カラヤン&ウィーンフィルのチャイコ「悲愴」
レコ芸だと天まで持ち上げられた演奏なので、一度聞いてみたらどこがいいのかわからない・
チャイコの6番「悲愴」をカラヤン&ウィーンフィルの80年代の演奏でお届け。各誌で絶賛されながらも、うp主はどこがいいのか分かりませんでした^^;
個人的にはマルティノン&VPOが好きですね。ムラヴィンスキーは厳粛に過ぎますし、カラヤンほど飾り立ててもいないので。あと録音も生々しいし。他はフルトヴェングラーもなかなかいい演奏なんですよね。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9635017
http://www.nicovideo.jp/watch/nm9633961
http://www.nicovideo.jp/watch/nm9634097
http://www.nicovideo.jp/watch/nm9634311
________
191 :中川隆:2010/10/04(月) 00:13:04 ID:aJwK12JL
ここにアホ・カラヤンファンが沢山居るから教えといてやるけど、
カラヤンの凄さは stax の静電型ヘッドフォン(最上級機)で聴かないと絶対にわからない。
カラヤンは聴覚能力が異常に発達していたから、凡人とは音の聞こえ方が全然違うのさ。
超高音が練り絹の様にレガートで繋がっていくのを再現できる装置でないと、カラヤンの意図は再現できない。
ここのアホファンにはカラヤンの本当の凄さはわからないのさ。
まあ、これ買ってからカラヤンの評価しようね:
STAX Earspeakers SR-009 \349,600
STAXイヤースピーカーのフラグシップ機。
http://www.stax.co.jp/Japan/SR009_JP.html
http://kakaku.com/item/K0000236482/
http://vaiopocket.seesaa.net/article/192511901.html
http://www.ippinkan.co.jp/DM_2002_06/h_stax/page_1.htm
音は凶器 _ 僕が STAX を薦めない理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/205.html
194 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 10:28:16 ID:isR28n0L
売れないメーカーの必死の宣伝か。。。
こんなの使ったら難聴になるのにな。
あ、そうか、難聴の爺さん向けの宣伝だったか。
でもなんだか哀れで同情を誘うぜ。 ま、がんばれや。
195 :中川隆:2010/10/04(月) 11:18:55 ID:aJwK12JL
良く知ってんね(感心)
俺は stax を使ってて耳痛くなったからカラヤンを聴くの止めたのさ。
カラヤンは確かに凄いんだけど、それは音楽としての凄さではなく、
音そのものの生理的な快感なんだよね。
197 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 12:42:06 ID:omalygRl
>>196
生理的な快感を起こせる指揮者ってすごいよな。
aJwK12JLとは親友になれそうだ。
198 :名無しの笛の踊り:2010/10/04(月) 13:02:02 ID:UGA8ddCn
カラヤンの凄さはスピーカーでは再現できないのか、ヘッドホンて嫌いなんだよね。
199 :中川隆:2010/10/04(月) 13:29:07 ID:aJwK12JL
Quad ESL57 か ESL63プロにチェロかゴールドムントの超高級アンプを使えば Stax に近くはなるみたいだけど。
ESLは振動板が3年で劣化するし、交換に何十万円もかかる。
100万円以下のアンプではいい音にならない
安いのもあるけど振動板が劣化してるとあの音にならない:
QUAD ESL57(3ペアー在庫あり、金、黒、ベージュ) ペアー¥18万
QUAD ESL63(3ペアー在庫あり、茶、黒) ペアー¥25万
QUAD ESL63PRO ペアー¥28万
ESLは全て整備済み。
http://homepage2.nifty.com/soundpoint55/newpage3.html
サウンドボックス
ESL57 22+II ESL63の復刻・再生品 新発売
http://www.soundbox.co.jp/quad.htm
5 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/06/24(日) 13:01
チェロはオーディオスィート、パレット、パフォーマンスが圧倒的に良くて、他はそれ程でもないと思う。アンコールシリーズは日本では売れたけど、音は今三。
61 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2001/08/08(水) 22:47
>>60
チェロはアンコールはそんなに良く無いよ。
スィートとは較べものにならないと思う。
どうせ買うなら、スィートだ。今ならヴィオラオーディオでアップグレードも出来る。
中古で見掛けたら即ゲットだね。
3 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/04/07 12:20 ID:8J/ZIr7M
リモコンは使えないが、スィートの音は今でも最高だろ。
アンコールは駄目だが。
39 :AI ◆4wBVGeQHPA :03/04/26 00:41 ID:???
>>38
何度も言っているけど、チェロの場合スィート以外のプリはダメだよ。
チェロの神髄はスィートを聴いて語ってね。
http://mimizun.com/log/2ch/pav/1049683747/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/classical/1267347548
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参考に宇野功芳が大好きな1937年版のメンゲルベルクの「悲愴」の評価も
メンゲルベルクのチャイコフスキー/交響曲第6番ロ短調 作品74「悲愴」
ウィレム・メンゲルベルク指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
1937年12月21日 アムステルダム(SP録音)
OPUS KURA OPK2011 (オーパス蔵制作、2001年6月発売)
マトリックス番号/テレフンケン1022666~75(広川陽一氏コレクション)
http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%881840-1893%EF%BC%89_000000000018904/item_%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%9A%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC%EF%BC%96%E7%95%AA%E3%80%8E%E6%82%B2%E6%84%B4%E3%80%8F%E3%80%81%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%EF%BC%9A%EF%BC%A7%E7%B7%9A%E4%B8%8A%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%80%81%E4%BB%96%E3%80%80%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%EF%BC%86%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%98%E3%83%9C%E3%82%A6%E7%AE%A1_404321
(参考)メンゲルベルク指揮 1941年4月22日版
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17772427
今回は、「すすり泣きの名演」と称される甘く切ない悲しさをたたえたメンゲルベルク指揮の1937年録音のSPからの復刻盤で、チャイコフスキーの「悲愴」を聴く。
チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は名曲であるが故にディスクの数が多く、すでに100種類を超えている。この中で最も古い録音であるメンゲルベルクのテレフンケン盤は、1938年録音のフルトヴェングラーによるHMV盤と並んで評価の高い名盤とされている。とくにメンゲルベルク盤は、宇野功芳氏(音楽評論家)がライナーノートの中で次のように紹介している。
「この『悲愴』はメンゲルベルクのもっとも得意としたレパートリーであり、ステレオ、モノーラルを通じての最高と絶賛したい世紀の名演である。そのロマンティックな甘美さにおいてこれ以上を望むことは不可能といえよう」
(MX9047、キングレコード、1978年)
今回のオーパス蔵による復刻CDは、岡山県牛窓町にあるもと造り酒屋のレコード蔵で保存されている20万枚を超えるレコードを出所とする「板おこし」盤である。これまでのSPの復刻は、ノイズを著しくカットして、溝に刻まれた音楽まで犠牲にしていることから、このレーベルでは、音楽と音質を最優先に考えてスクラッチノイズを敢えて残し、暖かみがあり、生々しい迫力のある音を取り出すことを基本方針としている。
筆者も金沢の蓄音器館で昔の蓄音機によってSP盤を実際に聴かせてもらったが、本来SPの持つ、暖かく、やわらかく、そしてほのかな甘い香りの音色は今でも忘れることが出来ない。
このCDはザラザラと雑音が耳に付くが、針の音以外に、オリジナルの独テレフンケン原盤に存在するハム音が含まれているとのことである。これはSPを電気的に再生する時に発生するノイズではなく、録音時にコンデンサマイクの不安定さに起因する雑音である。これまでの復刻盤はこのハム音と同時に低音が大幅にカットされているために、痩せた物足りない音になっていたが、今回のオーパス盤は宣伝の通り、低音が実に豊かに力強く鳴り、コンセルトヘボウ管の本来の響きが見事に再現されている。
ジャケットの解説には
「ここに聴かれる響きは構成もがっちりとしたシンフォニックな演奏になっている。特に低音のクリアーな響きと力強い音、確固たるリズムは、甘ったるい音楽には無縁の音のバランスを与えている。第1楽章の第2主題あの甘美なメロディも透明感のある響きである。決してお涙頂戴の甘い旋律あるいは涙を誘う演奏ではない」
とテレフンケンの持つ透明感のある響きを強調している。
じつはこのメンゲルベルクの「悲愴」には大きな問題がある。このオーパス盤は純粋に1937年録音とされるものだが、メンゲルベルクの「悲愴」はもう1種、1941年4月22日の録音が存在し、NAXOSヒストリカルで入手可能である。
これまでメンゲルベルクの「悲愴」として発売されたものは、独テレフンケン社がマスターテープを作る過程で誤って2種の録音を混ぜて1937年盤として制作し、1988年頃まで発売していたらしい。第1楽章後半と第3楽章が1941年録音で、それ以外は1937年録音を使用しているというのだ。
以上のことは、郡修彦氏が世界で最初に発見、指摘し、『レコード芸術』誌上に発表して騒然となった。とすれば、筆者が昔、キング盤のLPで聴いていたものは、この合成盤だったということになるのだろうか。参考までにLPの演奏時間を( )で併記して比較したが、第4楽章を除いて10秒以上の差異があり、演奏時間だけからは判断は不可能である。
画像 TELEFUNKEN MX9047(1978年発売)
このディスクについては、宇野功芳氏が端的に説明している著作から引かせて頂く。
「『悲愴』のファンならば、この極上の美酒のような演奏に一度は接して欲しい。僕の若い頃、チャイコフスキーをこよなく愛する友人に本盤を聴かせたところ、あまりの美しさに泣き出してしまったのを思い出す。それは第1楽章と第4楽章の第2主題、および第2楽章の中間主題である。
メンゲルベルクの独特の甘美なポルタメント!
それに追い打ちをかけるヴァイオリンのヴィブラート!
本当に体がとけてしまいそうだ。これこそ、19世紀末のチャイコフスキーといえよう。」
( 『宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版』、講談社、2007年)
レトロな演奏には一家言を持つ宇野氏ならではの文章であるが、さっそく聴いてみることにしよう。大きなノイズが耳に付くが、これは始めだけのことで、曲を聴き入るにつれてこのノイズはあまり気にならなくなるのが不思議である。
第1楽章 アダージオ、アレグロ・ノン・トロッポ
バスにのってファゴットのソロで始まるが、続くヴィオラの2小節目のスフォルツァンドがことのほか強く、分厚い音にまず驚く。フォルティシモに入った70小節目のあたりで音が割れている。さて、アダージォでヴィオラが音階を上った次に、いよいよアンダンテの第2主題が来る。
コン・ソルディーノ( con sord.)の指定があるのでヴァイオリンとチェロはミュートを装着するが、2、4、5、6小節目に大きくポルタメントをかけて旋律が歌われている。歌うというよりは揺れるという感じだ。細かいヴィブラートがかかっているために、哀切の主題に独特の甘い香りを漂わせている。
130小節からのアンダンテも同様のポルタメントが聴かれ、ここは大きくテンポ・ルバートがかけられて振幅が大きい。201小節目のトロンボーンのコラールではテンポを極端に遅く取り、211小節目の弦楽器のシンコペーションで加速するのに驚かされる。
極めつけは279小節目のセンプレ・フォルテ。弦楽器はえぐるように深く弾き、ここは思わず体が震えて鳥肌が立つ思いだ。トロンボーンのパッセージもとても遅く、劇的な効果によって大きく盛り上げている。305小節目からも徹底したポルタメントが再現されていることを付け加えておきたい。
第2楽章 アレグロ・コン・グラツィア
この楽章はテンポの伸び縮みがとくに激しい。チェロのグリッサンドは強く、マルティノンのような洒落っ気は無いが、ここでも弦楽器のつややかな甘い香りがたまらない魅力である。強く弾いたピツィカートが降りる40小節目からテンポが大きく落ちるのには一瞬「ぎょっ」とする。
中間部の主題から音楽は俄然個性的になる。テンポの伸縮が自在で、感傷を込めた重苦しい哀歌が濃厚に演出されている。特徴的なのは各フレーズの終わり目でリタルダンドをこまめにかけて力を抜くやり方で、この微妙な味わいはメンゲルベルクの至芸の極みである。
宇野氏は第1楽章と第2楽章について、LPのライナーノートの中で次のように絶賛している。 「第2楽章の中間主題や、ことに第1楽章第2主題の美しさはいかばかりであろう。この世のものとは思えないポルタメント、濃厚な情熱、てんめんたる小きざみなルバート、まことに甘美なあこがれとすすり泣きだ。美しすぎるくらい美しい。」
第3楽章アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ
勇壮な行進曲のテーマにも弦楽器の潤いある響きがはっきりと聴き取れるのが驚きだ。まず221小節の1発目のヤマ場はインテンポを守ってガッチリと演奏する。コンセルトヘボウ管の強靱なアンサンブルには驚くほかはない。キラリとした美しさも兼ね備えた鋼のような音である。続く282小節の2発目のヤマ場で大きくリタルダンドをかけて期待通りの大ワザを見せてくる!
アーベントロートをはじめとするレトロな巨匠たちは、みなここでテンポを落とす。現代のスマートな演奏を聴き慣れている人には、思わず「ぎょっ」とすることだろう。筆者も指揮者ならば是非ここで一発リタルダンドをきめてみたい。300小節あたりからテンポが戻り、最後の3連符を突如どっしりと落として決めるところも吃驚仰天である。
第4楽章 フィナーレ、アダージオ・ラメントーソ
終楽章は何かに取り憑かれたような恐ろしいものを感じるほど、気迫のこもった演奏である。最初の和音が異常に力強い。弦楽器はすべての音に圧力をかけて弓をえぐるように強奏する。そしてファゴットの音は地の底から響くような慟哭の調べである。アンダンテの旋律はものすごいポルタメントをかけ(特に45小節目)、徹底的に揺れて歌いぬかれている。これを夜中に一人で聴くと、おそらく妙な気持ちに陥るほどの非常に危険な音楽にみちている。
テンポプリモからテンポが非常に早くなるが、弦楽器が72、74、76小節目の下降において音を大きく切るのが特徴的である。あたかも心臓がえぐられるような錯覚にとらわれる。89小節目の最後の2つの16分音符に大きなアクセントを入れる大ワザも見逃せない。
126小節目のアンダンテも壮絶である。8分音符のスラーを無視して音を切っている。極めつけはヴァイオリンがスルGで奏する147小節以降だ。異常とも思える早いテンポで終わる。収録時間の関係で最後は急がざるを得なかったという話であるが、このテンポもまたメンゲルベルクの至芸の1つと考えられまいか。
この1937年の録音は、最後のテンポが早過ぎた問題以外に、例のハム音の問題があって1941年に再度録音したとされている。このCDには悲愴の他にバッハのアリアとヴィヴァルディの合奏協奏曲が収録されているが、これも悲愴に負けず劣らず、極めて濃厚なこってりした演奏で、これを聴くとバロック音楽ではなく、後期ロマン派の曲ではないかと錯覚をおぼえるほどだ。しかし歌うべきところは、相変わらず纏綿とかなで、世紀末的な儚くも美しい色香が漂っている。
宇野功芳氏のライナーノートで締め括りたい。
「メンゲルベルクの『悲愴』は夢だ。精神よりは情ちょだ。消えてなくなりそうなはかなさとあふれるような香り、それは悲しみへの思い出であり、あこがれでもあろうか。」
http://musikfreund.blog64.fc2.com/?mode=m&no=14
結論として、カラヤンや菅野沖彦は音楽は全然わからないけれども耳や音感が超人的に優れているという事みたいですね。 ピアノ調律師と同じ才能ですね。
カラヤン、菅野沖彦や B&W のスピーカーを高く評価する人もやはりカラヤンと同じ様にピアノ調律師的な意味で耳が良いのでしょうね。少なくとも音が揺れて歪みが多く周波数特性も滅茶苦茶なSP復刻版や真空管アンプなんかとても聞けないという所でしょうか。
普通の人でもSTAXの静電型ヘッドフォンでカラヤンの CDを聴けば、フルトヴェングラーに衝撃を与えたカラヤンの超能力が体感できます。(B&W の様なダイナミック型スピーカーではカラヤンの真価は絶対にわかりません)
しかし、耳や音感が良過ぎるとかえって音楽の本質がわからなくなってしまうんでしょうね。
終わってみればカラヤンはムード音楽的演奏の大御所にしかなれませんでした。 カラヤンよりは本物のムード音楽を定着させたポール・モーリアの方が音楽史での存在価値は上でしょう。
音は凶器 _ 僕が STAX を薦めない理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/205.html
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- チェリビダッケ語録
セルジュ・チェリビダッケ(1912年7月11日 - 1996年8月14日)指揮者
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14025569
22名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:02:29.46ID:aioiL07Q
チェリダッケが、カラヤンのことを
「音は美しいが中身がない」
と言って、インタビューアーが
「でもカラヤンは世界中で知られていますよ」
と言ったら
「コカ・コーラだって世界中で知られているさ」
と言った話は有名です。
チェリビダッケは他にも
「トスカニーニは一流の演奏家だが音楽家として二流だ」
「オーマンディのような凡庸な指揮者がよくストコフスキーの後を継いでフィラデルフィア管の常任指揮者になれたものだ」
「人は水だけでもしばらくは生きていけるが、アバドの退屈な演奏を2時間聴いたら心筋梗塞を起こすだろう」
「ムーティは素晴らしい才能の持ち主だが、トスカニーニと同じで無学だ」
「ベームは音楽の解らないジャガイモ袋」
等、マスコミが喜びそうなことを言ってました
クナッパーツブッシュ
「(私がカラヤンみたいに暗譜で指揮をしないのはカラヤンと違って)楽譜が読めるからだ」
カラヤンがモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を演奏していたときのこと。その上演になぜか立ち会っていたクレンペラーが突然大音声を発した。
「いいぞ カラヤン、いいぞ、決して皆が言うほど悪くない!」
カラヤンは、それ以後決してクレンペラーを許さなかった、という。
23名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:06:11.55ID:aioiL07Q
チェリビダッケ語録
「(マゼールは)カントについて語る二歳児」
「(クナッパーツブッシュは)スキャンダルそのもの」
「(ムーティは)才能はある、おそろしく無知だが」
「(アドルノは)世界史のなかでいちばんの大言壮語野郎」
「(ムターは)彼女は自分の弾き方に自信を持っている。だが彼女のやること全てには真に偉大な音楽性はない。彼女には視野がない」
「シェーンベルクはまったくどうしようもない愚鈍な作曲家である」
「イーゴリ・ストラヴィンスキーはディレッタントの天才に過ぎない。彼は生まれつき忍耐力に欠けていた。そしてこの欠陥をいつも、
新しい様式で補った。だから彼の音楽は様式感に欠けるところもあるわけだ」
「私の見るところ、サヴァリッシュは高校の校長といったところ。彼は音楽家ではない。メゾフォルテの男だ」
「リズムが機械的なものと理解すれば、それがブーレーズだ」
「(ムターに対して)さてと、あなたがヘルベルト・フォン・カラヤン氏のところで学んだことをすべて忘れなさい」
(とあるマスタークラスにて、若き日のインバルに向って)
「ちゃんと勉強しないと、バーンスタインみたいな指揮者になってしまうぞ!」
24名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:06:21.09ID:aioiL07Q
「ハイフェッツは哀れな楽譜運搬業者だ」
「人間は何も食わずとも3週間くらいは生きられる。だがアバドのコンサートを3時間聴いたら心筋梗塞を起こす」
「ベートーヴェンの交響曲第5番は失敗作、特に終楽章は」
「(カルロス・クライバーは)あんな常軌を逸したテンポでは何も分からない。
彼は音楽がなんであるか、 経験したことがない」
私が独裁者だって?モーツァルトこそ独裁者だ!」
評論家など寄生虫だ」
「フランス人くらいドビュッシーやラヴェルを下手糞に演奏する連中はいない」
「(ショルティは)ピアニストとしては傑出している。指揮者としては凡庸な耳しかない。テクニックはお粗末」
「チャイコフスキーは、真の交響曲作曲家であり、ドイツでは未知の偉大な男である」
「ベートーヴェンの《第九》の終楽章の合唱もサラダ以外のなにものでもない。ぞっとするサラダだ」
「(カラヤン時代の)ベルリンフィルには、世界最高のコントラバス奏者がいます。だから、ベルリンフィルのコンサートは、今、すべてがオーケストラ伴奏付きのコントラバス協奏曲なのです」
「(ハスキルは)すばらしいコンサート・ピアニスト。機知に富み、魅力的で、徹頭徹尾、音楽的。 ユーモアと生きる歓びに充ちている」
25名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:13:04.12ID:aioiL07Q
指揮者チェリビダッケの音楽語録~ 2008年04月15日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c2454e666c6de0a509d1ca7dcd889015
先日(4月5日)、我が家での試聴にjmc音楽研究所長のO君が持ってきたCD盤の「シェラザード」がすっかり気に入って、いまのところ愛聴盤として活躍中。(4月8日付けのブログで紹介)
オーケストラの音の響かせ方やテンポ、調和のとれたハーモニー、独奏ヴァイオリンの歌わせ方などによく練りこまれた独特の味わいが感じられる。
こうなると自然にその指揮者に関心が向く。
セルジュ・チェリビダッケ(1912~1996:ルーマニア)
「私が独裁者?モーツァルトこそ!~チェリビダッケ音楽語録~」(シュテファン・ピーンドルほか著、音楽の友社刊)に略歴や人となり、音楽の考え方などが詳しく記載されている。
哲学と数学を専攻する中、音楽に目覚め24歳のときにベルリンに移住して作曲、指揮、音楽学を修めた。1945年にはベルリン放送交響楽団の指揮者コンクールに入賞。
当時、ベルリン・フィルハーモニーの常任指揮者だったフルトヴェングラーが非ナチ化裁判のため指揮を許されなかった1945年から1947年にかけてベルリン・フィルを任されたほどの逸材。
フルトヴェングラー死去後、誰もが世界の名門オーケストラのベルリン・フィル常任指揮者に就任するものと思ったが、楽団員達が択んだのはなんとヘルベルト・フォン・カラヤンだった。
以後、チェリビダッケは国際的な指揮活動に集中せざるを得なくなり、イタリア、デンマーク、スウェーデン、フランスなどで指揮棒を振るが、晩年はミュンヘン・フィルハーモニーの音楽総監督として12年間に亘り蜜月時代が続く。
彼がとくに関心を抱いていたのが、若い指揮者を育てることで、自由になる時間のほとんどすべてを後輩の育成に捧げた。
彼がカラヤンに代わって当時のベルリン・フィルの常任指揮者に納まっていたら、その後、世界のクラシック音楽の動向も変わっていただろうといわれるほどの超大物指揮者だ。
26名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:13:39.94ID:aioiL07Q
チェリビダッケは言う。
「わたしがベルリン・フィルをさらに指揮し続けたら、このオーケストラは別の道を歩んだことだろう。カラヤンはアメリカ流に艶っぽく磨きぬかれたオーケストラに変えてしまった。わたしならそれをドイツ的なひびきを持つオーケストラに育て、その結果フルトヴェングラーの伝統を受け継いだことだろう。」
彼には指揮者から演奏者までさまざまな「歯に衣をきせない」発言がなかなか面白い。ここでは指揮者に限定して抜粋してみよう。
☆フルトヴェングラー
師として仰いだので次のように賞賛の言葉が続く。
「私はフルトヴェングラーの後継者になることを望まなかった。彼の後継者になれるものなどいない」
『私は彼にこう訊ねたことがある。「先生、ここのテンポはどうすればよいのでしょう。」答えは「そうだね、それがどんなひびきを出すかによるね」。まさに啓示だった。テンポとはメトロノームで測れるような物理的なものではない。結局、テンポが豊かなひびきを出し、多様性を十分に得るのに私はかなりの期間を必要とした。』
※通常、作曲家は楽譜にいかなるテンポで演奏するかを指定していないという。つまり、これは完全に指揮者任せということで、テンポ次第で音楽から受ける印象がすっかり変わる。しかし、速いテンポでも遅いテンポでも違和感がなく自然に聴ける唯一の音楽がベートーヴェンの作品!
☆クラウディオ・アバド
「まったく才能のない男。災厄だね。私は3週間何も食べなくても生きていける。だが演奏会に3時間もいれば~心臓発作を起こしかねない。その相手が彼なら怒り心頭」
☆カール・ベーム
「彼の演奏を聴けば聴くほど、彼が心の中で音楽と思い込んでいるものと、彼という人間のあいだの距離が目に見えてどんどん開いてゆくばかりだ。」
「ベーム・・・・・、これまでのキャリアのなかで、まだ一小節たりとも音楽というものを指揮したことのない男」
27名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:13:59.76ID:aioiL07Q
☆ヘルベルト・フォン・カラヤン
「彼は天才ではない。すべての若い音楽家にとってひどい毒となる実例である」
「彼は大衆を夢中にさせるやり方を知っている。コカ・コーラもしかり。」
☆ユージン・オーマンディ
「あんな凡庸な楽長がどうしてストコフスキーの後継者になることができたのか」
☆ヴォルフガング・サバリッシュ
「私の見るところ、彼は高校の校長といったところ。彼は音楽家ではない。メゾフォルテの男だ。イタリアでは長距離専門アスリートをメゾフォルテと呼ぶ」
☆ゲオルグ・ショルティ
「ピアニストとしては傑出している。指揮者としては凡庸な耳しかない。テクニックはお粗末。」
☆アルトゥーロ・トスカニーニ
「トスカニーニは楽譜どおりに演奏した唯一の指揮者だといわれてきた。といっても彼はそもそも音楽などまったくひびかせず、音符だけを鳴らした唯一の指揮者だった。彼は純粋な音符工場だった。」
以上、かっての名指揮者たちもチェリビダッケにかかってはかたなしというところ。
最後に、最近HMVから取り寄せた3枚のチェリブダッケが指揮するCD盤を試聴してみた。
28名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:14:26.37ID:aioiL07Q
☆ベートーヴェン交響曲第6番「田園」
以前、このブログで田園の11枚の試聴を行って、およその演奏レベルを把握しているつもりだが、これは、ベストだったマリナー、ワルター指揮と十分比肩しうる名盤。
嵐のあとの感謝の歌の神々しいまでの荘厳さといい、全体的に細かいところに手を抜かず、重厚かつ深々としたひびきに”チェリビダッケは凄い”と感心した。
☆ベートーヴェン交響曲「第九番」
何だかフルトヴェングラーの最新ステレオ録音を聴いている思いがした。第一楽章から第四楽章まで時を忘れて聴き耽った。
☆シューマン交響曲「第2番」
仲間のMさんによるとチェリビダッケはシューマンとかブルックナーといったあまり陽のあたらない作品に光を当てて、見直させるのが得意な指揮者だという。たしかにこのひびきは人を飽きさせず作品に没入させる何かを持っている。
以上3曲(ライブ録音)についてとにかく重厚なひびきに圧倒された。これがドイツ的なひびきというものだろうか。ミュンヘン・フィルでこのくらいだから、彼がベルリン・フィルを引き継いでいたらもの凄かっただろう。本人が言うようにフルトヴェングラーの伝統を引き継ぐ資格に太鼓判を押したい。
ただし、自分が思うところフルトヴェングラー、チェリビダッケともにひびきを重視していることに変わりはないが、前者はいったん演奏に入るとひびきを忘れて演奏に深く没入するが、後者は常にひびきを念頭において(そのひびきを)冷静に第三者の目で観察しているところに違いがある。
29名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:24:23.73ID:aioiL07Q
チェリビダッケがどんな言葉を放ったか?価値観をよく表しているものとして、例えば、
あなたが音楽で美しいものを体験しようとしても無理なのである。音楽では真実が問題なのだ。美は疑似餌にすぎない
テンポについては、
音楽に接して長すぎるとか、短すぎるといった感じを抱けば、その人は音楽のなかに入っていない。音楽はその意味で長い短いの問題ではない
フルトヴェングラーはどんなテンポでも、間違ったテンポでさえ、納得させることのできた唯一の指揮者である
他にも、テンポについては幾つも言葉が出て来ます。
同僚に対しては、褒め言葉もあるのですが、概して口が悪いのです!!
(ピエール・ブーレーズについて)リズムが機械的なものの作動と理解すれば、それがブーレーズだ
(カラヤンについて)わたしは彼のなしたことの全部は評価しない。彼にはエゴがありすぎる。そんなエゴが働くときには彼の自由な精神はひどく濁ったものになりやすい。
(カルロス・クライバーについて)彼はわたしにとって我慢のならない指揮者だ。彼の気違いじみたテンポでは音楽的な体験などできはしない。
もっとひどいものもあって、これが笑ってしまうのですが、ぜひ本書でお確かめを。。。
この最後にやり玉に挙げられているカルロス・クライバーが実はチェリビダッケのファンだったそうで、あまりに暴言が多いのをこらしめ半分、ふざけ半分になした投書が嬉しいことに全文載っております。
30名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:26:58.57ID:aioiL07Q
チェリビダッケ語録
7月25日(月)
„Hugendubel“(書店)で、チェリビダッケの『語録集』を買った。(Hg. von S. Piendl u. Th. Otto; „Stenographische Umarmung - Sergiu Celibidache beim Wort genommen“, ConBrio, 2002 )。
ちょっとした一言に、音楽に対する考えかたが現れていて、とても興味深い。
私は、この指揮者の日本公演にいくことができた。最初に聴いたのは、たしか、東京文化会館。このとき、ミュンヘン・フィルというオーケストラも知った。合計で、3回か4回の実演に接することができたが、いずれも、私の音楽観を根本から揺るがすものだった。
「藝術とはなにか?」と聴かれると、多くの人は、おそらく、「美をもとめる行為」と答えるだろう。古来、藝術と美は密接に結びついている。だが、チェリビダッケにとって、藝術は単に美しさに奉仕するものではない。もし、藝術が美だけを追究するなら、「美しければなんでもよい」ということにもなりかねない。極端なことをいえば、「嘘で固めた世界であっても、美しければかまわない」という人だって出てくる。美しいけれど倫理的には最悪、ということだってありうるのだ。
「Musik ist nicht schön, Musik ist wahr. (S. 20) 音楽は美しいのではない。音楽は真理なのだ」(以下、原文に適当訳をそえる。カッコ内 S. = Seite はページ数)
チェリビダッケの音楽は真理をめざす。単に美しいだけでは不充分。美に甘んじていてはいけない。感覚的に心地よいだけなら、藝術とはいえないのだ。
「Der Klang bringt die Schönheit zur Wahrheit(S. 79) 響きは美を真理へともたらす」
真理という言葉で、チェリビダッケがなにを考えていたのか、いまひとつはっきりしないが、真理は、ふつう、「なにかほんとうのこと」を意味する。真理と嘘は相容れない。さらに、嘘が「実際にはないこと」であるのに対し、真理のほうは、「現実にあること」だろう。つまり、チェリビダッケのめざしていた藝術というのは、「『これこそ現実』といえるなにか」ということになる。
31名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:27:48.24ID:aioiL07Q
「Ich bin sehr gegen diese Idee, daß Kunst Genuß sei. Kunst ist auch Genuß, sonst würden die Menschen das gar nicht machen. Aber das Wesen der Kunst ist nicht der Genuß. Es ist das Erleben(S. 21) 私は、藝術が享楽であるという考えに断固反対する。たしかに藝術は享楽でもある。そうでなければ、人間は藝術活動などしないだろう。しかし、藝術の本質は享楽ではない。藝術の本質は体験することである」
これ以外にはありえないなにかを「体験すること」。いいかえると、真理にふれること、人生や世界、あるいは宇宙の真相を垣間見ること、これこそが、藝術なのだ。私は、チェリビダッケの演奏に接したとき、ある種、宗教的な催しに参加したような錯覚を覚えたが、あの経験は、こうした考えと無縁ではあるまい。
そんなチェリビダッケが他の音楽家を観る目はきびしい。
たとえば、カラヤンについてはこう。
「Ich weiß, er begeistert die Massen. Coca Cola auch(S. 40) かれが大衆を興奮させることは知っている。コカ・コーラのように」
そういわれてみると、カラヤンの音楽はたしかにコカ・コーラに似ている。レガートを多用し、オーケストラの心地よい響きで、多くの人に歓迎された。まるで喉ごしのよいコーラのよう。クラシック音楽をひとつの産業としたのもかれ。世界企業となったコカ・コーラと、カラヤン・ブランドは似ている。カラヤンがクラシック音楽の大衆化にはたした功績はみとめられなければならない。だが、その音楽に、はたして真理を開示する力があったかどうか・・・。「響きの流麗さ、かっこよさ以上のなにかがあるのか? 」と、チェリビダッケはいっている。
マゼールについてはこう。
「Ein zweijähriges Kind, das von Kant redet.(S.42) カントについて語る二歳児」
難しいことを器用にこなすが、まだまだ子どもだといいたいのだろうか。わかるようでわからない。でも、マゼールの本質をいいあてているような気がする。
32名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:28:08.87ID:aioiL07Q
おなじ時期にミュンヘンで人気を二分したクライバーに対しても手厳しい。
「Er ist für mich ein unmöglicher Dirigent. Kein Mensch kann bei seinem wahnsinnigen Tempo etwas erfahren. Kleiber geht vorbei am heiligen Klang. Das finde ich tragisch. Er hat niemals erfahren, was Musik sei(S. 41) クライバーは私にとってはとんでもない指揮者だ。あんな常軌を逸したテンポでなにかを経験できる人なんていない。クライバーは聖なる響きのかたわらを通りすぎている。これは悲劇だ。かれは、音楽がなんであるか、経験したことがない」
毒舌だが、これもまたクライバーの性格にせまっている。というか、私には、クライバー評よりも、チェリビダッケにとって、「響き」がいかに重要なものだったかがわかって、興味深かった。音楽をどのように響かせるかということこそが、この指揮者にとっては、いちばん大事だったのだ。
33名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:32:24.66ID:aioiL07Q
「後年チェリビダッケはフルトヴェングラーから音楽の深遠な洞察のすべてを学んだと語っている。
あるとき指揮者がフルトヴェングラーにある曲のテンポ設定について質問したところ、フルトヴェングラーは「それは音がどう響くかによる」と答え、ホールなどの音響を無視してメトロノームの数字だけを元に決められたようなテンポ設定は無意味だということを悟ったという」。
はたして、フルトヴェングラーの回答が、彼の思った通りの回答だったかは、少々疑問が残るものだ。
フルトヴェングラーの音楽に対する根本的な関心は、即興の法則なるものの獲得に集中(だからいつも即興の源泉であろう作曲家の精神の話ばかりしているのである)していて、音について詳しい話は稀であるから、この回答はむしろ、チェリビダッケの頭の中で勝手に噴出した思想だったのかもしれないのである。
曖昧な回答をしたところ、チェリビダッケの合点の言った顔があらわれて、フルトヴェングラーは心ひそかに驚いていたのかも知れない。
天才は、天才らしく間違えるものである。テンポに対する疑問は、音がどう響くかという問題にすり替わり、彼の生涯の問題となった。
天才は問題を解決するのではない、むしろ問題を創造するのである。
34名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:36:55.64ID:aioiL07Q
セルジュ・チェリビダッケ(1912~1996)
晩年の彼はもはや伝説の指揮者などではなかったことが白日の下に晒された。
自分のために大金を積んでくれる日本へ毎年のように演奏旅行へ出かけ、自らの恍惚とした表情をせっせと映像に残す様は、彼がカラヤンを軽蔑する際に使う「金の亡者」そのものの姿であった。当時の日本の聴衆は愚かだった。
それでもこの老巨匠が他の指揮者を罵れば歓喜し、その極端に遅いテンポからは忘れられたドイツ・ロマン派の香りがする本物だと広言した。
かなり毒のある書き方をしたが、チェリビダッケが雄弁に物事を語るときは常にこのような感じである。
そもそもフルトヴェングラーは自らの後継者にはルーマニア出身のセルジュ・チェリビダッケをと考え、非ナチ化の影響により多くの指揮者がその演奏機会を失ってる中、四百を超えるベルリン・フィルの公演を任されていた。
彼はカラヤンと違いフルトヴェングラーのために汗を流し、そしてまたその恩恵を受けていた。一方のカラヤンは録音や演奏旅行等を通じてウィ-ン、ロンドン、ミラノ、ルツェルン、バイロイト等で高い評価を得ていた。
この間ベルリン・フィルはフルトヴェングラーの妨害によりわずか10回の公演程度であったが、聴衆や批評家には高い評価を得ていた。この頃のベルリンにとってはむしろカラヤンの方が伝説の人物だったのである。
そしてカラヤンは、-彼は後に事ある度に巧みにそれを利用するのであるが、ベルリンの人間にとってスカラ座や楽友協会に取られるのは耐え難い存在であった。
両者の違いはそのプローベからも明らかである。
35名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:37:05.90ID:aioiL07Q
カラヤンは効率を求め、特に難しいと思われる箇所を各パートに別け練習するのに対し、チェリビダッケは指揮台で激高し楽団員を無能と罵り、解雇を匂わせ脅した。
(しかし何もこれはチェリビダッケだけに言えたことではなく、一昔前の指揮者は殆ど皆がそうであった。)
こうしてチェリビダッケは楽団員と聴衆の支持を失った。
彼はここで大きく見誤っていた。確かにチェリビダッケの後ろには絶対なるフルトヴェングラーが存在したが、彼がオーケストラと決定的に対立した数日後にフルトヴェングラーは深い眠りについたのである。
その後、ハイデルベルクにあるフルトヴェングラーの墓のそばに寄り添ったチェリビダッケは次のように述べた。
「フルトヴェングラーはよい時に死んだ、耳が聞こえなくなっていたのだから」
36名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:37:52.56ID:aioiL07Q
彼はそれでも連邦功労大十字勲章を授与したこともあり、呼び出しが掛かるのを待っていた。しかし呼び出しが掛かったのはカラヤンの方でありチェリビダッケを多いに失望させた。その後チェリビダッケは再三に渡りカラヤンとベルリン・フィルを口撃することになる。
チェリビダッケ「カラヤン?身の毛がよだつ。彼は才能ある商売人、でなければ耳が聞こえないんだ。」「ハンス・クナッパーツブッシュ?スキャンダルだ。非音楽か、それ以下だ。」「アルトゥーロ・トスカニーニ?あれはただの楽譜工場。」「カール・ベーム?あれはただのジャガイモ袋。生きている間に、ただの一小節も音楽を指揮なんかしていない。」「レナード・バーンスタイン?ズビン・メータ?私の世界ではそんな名は聞いたことない。」「リッカルド・ムーティ?才能はあるが、途方もなく無知なやつ。」「クラウディオ・アバド?全く才能のないやつだ。三週間くらい何も食べなくても私は生きのびられるが、彼のコンサートに三時間でも付き合わされた日にゃ、心筋梗塞だ。」
37名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:39:19.26ID:aioiL07Q
天国のトスカニーニ(クライバー)「ジャガイモ袋のカーリはぶつぶつ文句をいってました。
でもクナと私が、あの批難は間違っている。おまえさんが音楽的だったのは事実だ、といったのでやっと文句をいうのをやめました。
ヴィルヘルムが突然言い出すには、あなたの名前はこれまで聞いたこともないそうです。
またヨーゼフ、ヴィルフガング、ルートヴィッヒ、ヨハネス、それにアントンがいうには、第二ヴァイオリンは右側のほうがよいそうです。
また、あなたのテンポは全て間違っているそうです…。
私の住まいの隣には禅の老師が住んでいますが、彼がいうには、あなたは禅を全く間違って理解しているそうです。
ブルーノはあなたの私たちのこきおろし記事を読んで、死ぬほど笑い転げていました。
私は、私とカーリにたいするあなたの批判の出所はブルーノではないかと疑っています。
…こんなことをお伝えするのは、お言葉を返すようですが、実はここ天国に住むもの皆がヘルベルトに首ったけなのです。
指揮者だったものには、嫉妬心もおぼえる程の存在です。
でも彼があと15年か20年後にここに来て、私達が歓迎の挨拶ができるなど、殆ど誰も信じていません。
あなたがその場に居合わせられないのは残念です。
でも聞くところによりますと、あなたの行くところでは煮炊きもずっとうまくできると言いますし、オーケストラは永遠にリハーサルに付き合ってくれるといいます。
それどころかオーケストラは小さなミスを故意にしてくれて、あなたに永遠にやり直しをさせてくれるそうです。
ここ天国ではエンジェルが直接作曲者の眼から読み取って演奏してくれ、私達指揮者は、ただそれを聴いていればよいのです。
どうやって私がここへ来られたのか、それは神様だけが知っていることです…」
38名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:53:35.18ID:aioiL07Q
という事で、日本のクラシックファンが大指揮者だと信じていた二流指揮者のリスト
1.カール・ベーム
2.カラヤン
3.バーンスタイン
4.ヴァント
5.マタチッチ
6.朝比奈隆
特にヴァントと朝比奈隆とバーンスタインは酷かった
指揮者というより宇野功芳に騙されたんだね
41名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 20:56:22.90ID:s4QGfL8c
フルトヴェングラーの振った現代曲なんて
メニューヒンとのバルトークVn協を聞く限りダメだと思ってたら
RIAS録音集のフォルトナー、ブラッハー、ヒンデミットなど聴くと
しっかりザッハリッヒに決めている。
同じ日の演目が、ブラ3、ベト3といずれも名演ぞろいなので
フルヴェンらしくないなんて断じるのは間違ってる。
42名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 21:27:19.22ID:P8LAMRde
R.シュトラウスも当時の現代曲だよ
ブルックナーやブラームスやシベリウスも若い時は現代曲だよ
43名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 21:52:10.40ID:P8LAMRde
無調音楽や十二音階に馴染めなかっただけだろ、頭が古いから
44名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 22:04:06.31ID:P8LAMRde
ベルクやウェーベルンは今でも現代音楽だからね
フルトヴェングラーには現代音楽は理解できなかったんだ
45名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 22:24:50.94ID:kxhMV9hc
21世紀の聴衆からしたら20世紀の一部楽派の曲がレパートリーにあったかどうかなんてどうでもいい
47名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 06:18:40.90ID:ypZ0L9o3
チャップリンと撮ったフルトヴェングラーの写真(1929)
すごいね。
48名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 06:28:35.08ID:ypZ0L9o3
55CDのリマスター箱に入ってる本に出ている写真。イギリスからオランダまで旅行したとあります。(フェースブックの同じ写真の記事より)
49名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 07:28:18.44ID:GMBeMPiP
どう凄い
50名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 08:05:31.88ID:GnowKPQA
チャップリンとルーズベルトは共産主義者で反ウォール街、反ファシズム、反ヒトラーでスターリンや毛沢東の支援者
フルトヴェングラーはゲルマン主義、反共、親ナチス、反ユダヤだからロマ(ジプシー)出身の共産主義者のチャップリンと合う訳ないんだよ
51名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 08:18:42.58ID:GMBeMPiP
お前はマッカーシーか
52名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 08:35:46.25ID:GnowKPQA
ドイツ人は全員 反ユダヤ、反共、親ナチス
ウォール街は反共、親ファシズム、でヒトラーを支援していたんだ
ロックフェラーやフォードはヒトラーに多額の援助をしていた。
ナチスの優生思想はロックフェラーの優生思想をそのまま実行しただけだ。
ナチス残党を南米に亡命させて支援したのもウォール街だよ
ウォール街はなんとかチャップリンとルーズベルトを潰そうと画策していたんだ
ルーズベルトのニューディール政策はスターリンの五か年計画を真似した共産主義計画経済だよ。
フルトヴェングラーはチャップリンと敵対する人間なんだ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1643251651/
- チェリビダッケ語録
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- ドイツにいたころ、チャイコフスキーの音楽というとどうもあんまり上等と思われてない気がした。部下の通にきいてみるとやっぱりそのようだ。
もっと言えば、ショパンやグリーグもだめなのだ。
彼はバイエルン人で年上だ。「そうかなあ、R・シュトラウスよりいいと思うよ」などというと真っ向から否定されてしまう。
彼とはミュンヘンに出張してバイエルン放送響でベートーベンのコンチェルトをきいた(チョン・キョン・ファだ)。素晴らしい演奏だった。「韓国人はいいのか?」と聞いたら、「なに、彼女、日本人じゃないの?」ときた。演奏家はいいよと取ってつけたが、そのころ、博士号を持って日本企業に勤めるインテリでも東洋人の認識はそんなものだった。
ドイツ人が音楽で覇権主義なのは仕方ないと思う。自分もそうだし。イタリア、フランスは別種であり存在ぐらいは認めるがスペイン、ポルトガルは未開地、東欧は格下の親類と思ってる。ロシアや北欧は辺境であって英米などは最果ての地で無きに等しい。クラシックに浸かっていたからこういう差別的世界観は元からあったが、ドイツで彼と意気投合してさらに鉄壁となってしまったから後でずいぶん困った。
というのは米国でMBAを取ったインベストメント・バンカーにとって、世界はその真逆であって英米以外は辺境の未開国だ。ユニバーサル・バンク方式という銀行支配型のドイツの田舎くさい金融など前世紀の遺物であった。野村のなかでドイツ人の言うことなど通る風土はかけらもない。文化と言えばきこえはいいし、根はたしかに文化にあることはあるのだが、人種差別とはこうやって知らず知らず心に巣食ってくるものなのだ。
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/06/02/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%ef%bd%a5%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6/
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宇野功芳の音盤棚 unauの無能日記 ①
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000015.shtml
日本のクラシック・ファンはまずドイツ音楽が好きになる。とくにモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなど、ウィーンに住んだ作曲家が大好きだ。
ぼくもご多分にもれず、その道をたどり、今でも好きな作曲家ベスト・スリーはモーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナーである。初めてヨーロッパの土を踏んだのは1971年だが、もちろんドイツ、オーストリアが中心だった。そして人間も含め、ドイツとの親近感を持ちつづけて来たのだが、90年頃、ちょうど15年ぐらい前からフランス以外には行かなくなってしまった。自分は今までドイツ一辺倒だったが、日本のクラシック音楽家の常として、そのように刷込まれてしまったのではないか。ドイツ人気質に近いと思っていた自分が、実はラテン人気質(とくにフランス人)に近かったのではないか、と突然気がついたのである。
そのころからドイツ・ロマン派の音楽がうっとうしくなり(ブルックナーはドイツ・ロマン派ではない)、ラヴェルの「ピアノ協奏曲」や「マ・メール・ロワ」、ドビュッシーの「ノクチュルヌ」や「子供の領分」、その他プーランク、ミヨーなどの音楽に著しく魅かれるようになった。ヨーロッパの町でも、いちばん飽き飽きしたのがウィーン、ほとんど恋をするようになったのがパリ。第一、ドイツ、オーストリアの食事のまずさは、味覚がますます敏感になるにつれて受けつけなくなってしまった。
パリに通いつづけた15年間がなんと幸せだったことだろう。もちろん、フランス国内は移動する。コート・ダジュール、鷲の巣村、プロヴァンスのような南の地方にはとくに憧れた。昔はヨーロッパの北。ドイツはもちろんとして、ノルウェーにも足をのばしたというのに。フランスではとくにブルゴーニュ・ファンになり、その中心地ボーヌには毎年泊りがけで、あるいは日帰りで出かけた。
フランスを愛するのは、もちろんあの風景の明るさやフランス人気質のせいもあるが、最高の魅力はなんといっても料理とワインのすばらしさだ。このことについてはいずれ本シリーズのエッセイで詳述するつもりである。フランス好きが高じて、植民地のニュー・カレドニアやタヒチもしばしば訪れているのだから、このフランス病は本物というほかはない。
▲△▽▼
世界の旅 _ ドイツ・オーストリア
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830099
ウィーン休日散歩
http://www.op316.com/musik/viennahol.htm
ドイツ人はお腹がいっぱいになれば食べる物は何でもいい
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/767.html
日本ではありえない!ドイツ人の食事!
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/432.html
Oddyドイツ暮らし - YouTube
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日本人は知らない!ドイツの現実5選。日本人と違いすぎるドイツの国民性
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LTブログ _ ドイツのビール、食べ物と文化
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ドイツはイスラエルのどんな行為に対しても、 無条件で支持してしまう
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ドイツではイスラエルに絶対服従しイスラエルが何をしても無条件に支援するのが「良い人」
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16836173
ドイツ人、ナチスに続きイスラエルのジェノサイドも正当化
2024年1月14日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/43416
ナチスの亡霊で苦しむ西歐人 / 「血と土」の哲学
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68786228.html
ドイツの「罪の克服」とは何だったのか
続壺齋閑話 (2024年9月10日)
https://blog2.hix05.com/2024/09/post-7982.html#more
ウィーン・フィルはナチスに迎合してきた歴史をずっと隠し続けている
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/642.html - この続きの名盤編は
ウィーン・オーストリア系演奏家の名盤
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16895481
ゲルマン系指揮者の名盤
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16895320
ゲルマン系ピアニスト・オルガニストの名盤
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16895392
ゲルマン系声楽家の名盤
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16895393
の四つに分けました。
ウィーン・オーストリア系指揮者のワインガルトナー、ブルーノ・ワルター 及び ヴァイオリニストのクライスラーの名盤は
華麗なる芸術都市の光と闇 “魔の都”ウィーンに響く天才歌手グルベローヴァの美声
http://www.asyura2.com/22/reki8/msg/126.html
に収録しました。
ゲルマン系指揮者のクナッパーツブッシュ、フルトヴェングラーとカラヤン 及び ゲルマン系ヴァイオリニストの名盤は
ゲルマンの音とはワーグナーが広めた如何にも意味有り気で奥深く感じさせる演奏様式の事
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16895074
に収録しました。
- ドイツにいたころ、チャイコフスキーの音楽というとどうもあんまり上等と思われてない気がした。部下の通にきいてみるとやっぱりそのようだ。
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- ブラームス交響曲の演奏史『レコード録音の歴史をふりかえる』台湾 MUZIK 掲載記事を音楽講座形式で!【ATM音楽解説 Vol.169】Brahms 話:徳岡直樹
徳岡直樹 Naoki Tokuoka Music Life
https://www.youtube.com/watch?v=BXHymtFxxb8
ブラームスの交響曲の演奏史、 レコード録音史をふりかえります。ブラームス自身が指揮をして自分の交響曲演奏を指導し、同時代の指揮者によるブラームス演奏にどのような感想を残したのか。世界最古のブラームス交響曲録音は誰の指揮したものなのか? それぞれの交響曲の代表的演奏CDやエピソード… 台湾唯一のクラシック音楽月刊誌 ”MUZIK" に執筆、掲載されたものを『講座・講義』スタイルで皆さんにのんびり聞いていただきます。ただし名盤紹介…というものではないです(話:徳岡直樹)
- ブラームス交響曲の演奏史『レコード録音の歴史をふりかえる』台湾 MUZIK 掲載記事を音楽講座形式で!【ATM音楽解説 Vol.169】Brahms 話:徳岡直樹
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- ヘルマン・アーベントロート(1883年1月19日 - 1956年5月29日)指揮者
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14025710
今聴いてみると、アーベントロートもベーム、ヴァントもフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュに比べると 2ランクか3ランク落ちますが、それはワーグナー系の鬼気迫る凄絶な演奏とブラームス系の内省的でいぶし銀の様な演奏の差が出ているのです。
指揮者と「ブラームス・シュタインバッハの伝統」について
http://sakaiyama.html.xdomain.jp/conduct_brahms.html
■指揮者アーベントロートについて
このところ、「爆演指揮者」という形容がつくことの多いアーベントロートですが、資料によっては
「楽譜の代弁者」
「作曲家の書いたスコア・作曲家の意図に対し忠実、温かみのある表現」
という説明がされています。
(アーベントロート70歳の誕生日に寄せて文章を書いているProf.Dr. カール・ラウクス [ LP・ET-1514の解説書に日本語訳が載っている ]によると、 アーベントロートという指揮者は以下の様な表現になっている。)
>「彼は多くの指揮者がするように楽譜を勝手に独自の解釈で演奏するのではなく、楽譜に書かれた内容を 作曲家の意思の伝達道具であることに常に敬意を払い、偉大なエネルギーと精神的熱慮をもって 実際の音に移し変えていった。」
>「ドイツ古典派のモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス(フリッツ・シュタインバッハの真の意味の後継者として!)、 そしてブルックナーが特に彼の心のよりどころであったが、外国の芸術に対しても決して拒否反応は 示さなかった。いや、まったくその逆で、世界の音楽史上で有名な曲の多くが彼によってドイツで 初演された・・・・・」
■指揮者と「ブラームス・シュタインバッハの伝統」について
(1)「ブラームス・シュタインバッハの伝統」に基づいた演奏
次の太字の部分は、ブラームス演奏における「ブラームス・シュタインバッハの伝統」と指揮者に関することで色々伺った話をまとめたもの。
「『ブラームス・シュタインバッハの伝統』とは、テンポを自在に変え、シュタインバッハの楽譜への書き込みに基づいたブラームス演奏のこと。
この伝統に忠実なのはアーベントロート。
ヴァント、サヴァリッシュ、ベームのブラームスは楽譜の範囲内で『ブラームス・シュタインバッハの伝統』を解釈している。
(よくアーベントロートの指揮を19世紀的と言う人がいるが、実際にはそうではない、とのこと。)
ブラームスの演奏における『ブラームス・シュタインバッハの伝統』をシュタインバッハから継いだのは、ライナー、ストラヴィンスキー、アーベントロート。 アーベントロートから教わったのが、ヴァント。
なお、サヴァリッシュ・ベームは誰から教わったのかははっきりとは分からないが、サヴァリッシュ・ベームの振るブラームスも『ブラームス・シュタインバッハの伝統』の系統の演奏と考えられる。」
「ムラヴィンスキーのブラームスも『ブラームス・シュタインバッハの伝統』に基づいていて(誰から教わったのかは不明)、振り方そのものは大変近代的、モダンである。」
「ノリントン、マッケラスはシュタインバッハの楽譜への書き込みを意識してはいる。しかしその演奏そのものは『ブラームス・シュタインバッハの伝統』の再現というのとは少し違うようだ。」
「一方、クナッパーツブッシュの振るブラームスは『ブラームス・シュタインバッハの伝統』とは、異なる。クナッパーツブッシュはブラームスが楽譜に書いた通りにやろうとしていて、テンポを途中で変えないやり方。R.シュトラウスやセル、チェリビダッケの指揮するブラームスも同じ系統。」
「なお、トスカニーニはシュタインバッハのブラームス演奏を大変意識してはいたが、トスカニーニの演奏は「歌う」部分が強いので、この2つの系統とはまた異なるブラームス演奏と考えられる。」
(2)次に、「(1)以外」の点について以下に補足しておきます。
(1)の内容に関して思ったのですが、ブラームスの演奏をする時に楽譜通りにやるか、あるいはプラスアルファの要素としてシュタインバッハのやり方を取り入れるかどうか、その辺が指揮者自身の考え方により違うのだろうか、と思います。
ブラームスの演奏解釈を研究されている方などが、現在では
「ブラームス・シュタインバッハの伝統」
「マイニンゲンの伝統 ( Meiningen Tradition )」
というキーワードを度々使われることがあります。
しかし、アーベントロートやヴァント、サヴァリッシュなど、実際にシュタインバッハの楽譜への書き込みに基づいたブラームス演奏をしている指揮者達は、こうしたキーワードを使って説明したりすることはなかったのだそうです。
アーベントロートは
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
という感じで説明をしていたらしいです。
また、アーベントロートから教わった方も
「シュタインバッハ先生が言ってたこと」
「シュタインバッハ先生から教わったことを、アーベントロート先生はこう言っていた」
という感じで説明していたそうです。
「マイニンゲンの伝統」とは、シュタインバッハに師事したことのあるヴァルター・ブルーメという人物が最初に呼んだものだそうですが、その後、ブラームス研究をする方のうち「シュタインバッハの楽譜への書き込み」に着目した人々(ウォルター・フリッシュなど)がこの「マイニンゲンの伝統」というキーワードを使うようになっています。
一方、アーベントロートが教えた指揮者、音楽家など、演奏する側の人々は
「シュタインバッハ先生が言ってたこと」
そういう言い方をされている。
この「シュタインバッハの書き込み」に関し研究者が本に書いたり論文で検証している内容というのは、演奏をしている現場でのやり取り、 指揮者や音楽家達の直接の伝承とはイロイロ異なる点などあるかもしれませんので、重く考え過ぎてはいけないのかもしれません。 (私、境山の個人的な感想ですが。)
また、「**の伝統」というキーワードが独り歩きすることも、余り好ましくないことなのかもしれません。
(シュタインバッハとトスカニーニは、どういうつながりがあったかは分からないのですが)
シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた経験のあるトスカニーニは
ニューヨークのある社交の場で、その演奏を聴いた時のことを
「それは素晴らしかった。音楽が難なくそう進んでいったのだ」
と語った、という話が伝わっているのだそうです。
ヴァントは、正しいテンポとは何か、という問いに対して
「・・ブラームスの交響曲や、ムソルグスキー/ラヴェルの『展覧会の絵』のような 管弦楽作品で大事なのは、むしろ、演奏のテンポが全体として納得できるものであること、 つまり『正しい』と感じられることなのである。」
ということを語っており、その際にこの、シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた トスカニーニの話に触れています。
「ギュンター・ヴァント」
ヴォルフガンフ・ザイフェルト( Wolfgang Seifert )著、根岸一美訳
(音楽之友社)
P.291-P.297 参照
「 Performing Brahms 」
アメリカのコロンビア大学音楽科の教授、ウォルター・フリッシュ(Walter Frisch)はこの本「 Performing Brahms 」の
Chapter 10
In search of Brahms's First Symphony :
Steinbach, the Meiningen tradition, and the recordings of Hermann Abendroth
ここで、
「アーベントロートのブラームス解釈がシュタインバッハの書き込みに一番近く、
ビューロー・シュタインバッハからの生きた伝統をアーベントロートは継承した」
と述べています。
「 Performing Brahms 」に関わった
ベルナルド・D・シェルマン( Bernard D. Sherman ) 氏、
私はこの方のサイトは2002年頃に気付いたのですが、
http://homepages.kdsi.net/~sherman/performingbrahms.htm
http://www.bsherman.org/mack.html
シェルマン自身がサイトでも書いていましたが、「シュタインバッハの楽譜への書き込み」を ノリントン、マッケラスも参考にして Meiningen Tradition のブラームス演奏を試みているけれども、 例えばマッケラスの演奏はシュタインバッハの書き込みとは異なる部分もある、等述べており、 シェルマンも、シュタインバッハのブラームス演奏については Meiningen Tradition に直接の接点が 有ったアーベントロートの演奏に注目しています。
(3)以下は 「 Performing Brahms 」が出版される前に
2003年01月時点で私が自分なりに調べてまとめた中からの転記。
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは、 1914~1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855~1916)に師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだもの。 ( Brahms in der Meininger Tradition )
ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると 「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、相互協力の関係にあった」
とのこと。
1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を引継いだのがシュタインバッハ。マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラ。シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していたブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していた。
シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。
音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいが、マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を 継いでブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そしてケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートからヴァントへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのこと。
なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていない。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。
なお、アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)とイコールということでは「無い」。
アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えてテンポが変わることがある、ということなんですが、 しかしそれでも結果として「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのこと。
http://sakaiyama.html.xdomain.jp/conduct_brahms.html
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ブラームス交響曲の演奏史『レコード録音の歴史をふりかえる』台湾 MUZIK 掲載記事を音楽講座形式で!【ATM音楽解説 Vol.169】Brahms 話:徳岡直樹
徳岡直樹 Naoki Tokuoka Music Life
https://www.youtube.com/watch?v=BXHymtFxxb8
ブラームスの交響曲の演奏史、レコード録音史をふりかえります。ブラームス自身が指揮をして自分の交響曲演奏を指導し、同時代の指揮者によるブラームス演奏にどのような感想を残したのか。世界最古のブラームス交響曲録音は誰の指揮したものなのか? それぞれの交響曲の代表的演奏CDやエピソード… 台湾唯一のクラシック音楽月刊誌 ”MUZIK" に執筆、掲載されたものを『講座・講義』スタイルで皆さんにのんびり聞いていただきます。ただし名盤紹介…というものではないです(話:徳岡直樹)
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名ピアニストだったブラームスはテンポが極端に揺れる超ロマンティックな演奏スタイルだった
Brahms: The 1889 recordings (& Joachim 1903 recording)
https://www.youtube.com/watch?v=H31q7Qrjjo0
An audio aid to deciphering the famous 1889 Brahms recordings.
On 2 December 1889 Brahms recorded two pieces on an Edison cylinder: a short version of his Hungarian Dance no.1 and an extract from Josef Strauss's Polka-Mazurka 'Die Libelle' ('The Dragonfly') Op.204. The voices of both Brahms and the engineer, Theo Wangemann, can be heard at the beginning of these recordings (as later documented by the son of Dr Fellinger, at whose Viennese house the recording session took place).
エジソンによる蓄音器の発明は1877年(実際にはエジソンの発明の数ヶ月前に現在ACCディスク大賞として名を残しているフランス人シャルル・クロが蓄音機の原理を論文化し、エジソンに実用化を依頼)。
この画期的な発明によっていくつかの歴史的な記録が残されることとなりました。
ブラームス自身の録音もそのひとつで、ウィーンで蓄音器の実演を始めて耳にしたブラームスは、シューマン夫人のクララ宛にその発明の先進性を手紙に書いているほどです。
ブラームスの演奏が録音されたのは1889年12月2日、場所はブラームスの友人であるシーメンス社オーストリア総支配人リヒャルト・フェリンガーのウィーンの自宅。
曲はハンガリー舞曲第1番の後半部分とヨゼフ・シュトラウスのポルカ・マズルカ「とんぼ」の2曲でした。
この録音に立ち会ったフェリンガーの手記によると、この日のブラームスは異常な興奮状態で、当初ラプソディ第2番を録音するつもりでやってきたのに、録音の準備の最中に冗談を連発していたブラームスが突然ハンガリー舞曲を弾き始めたのだそうです。
結局録音の準備が整わないままに演奏が始まったために、ハンガリー舞曲の初めの部分が欠落することになりました。
当時は円盤のレコード盤が発明される以前のことで、エジソンが発明した茶筒のような蝋管レコードです。円盤状のレコードがプレスによって大量の複製が容易なのに比べ、筒状の蝋管は複製に向かず、初期の蝋管の多くは直接録音されたオリジナルの一つしか存在しません。
実際失われたものも多く、ハンス・フォン・ビューローの「英雄」がライヴ録音されたとされていますが、今に至るも発見されていません。
このディスクは、「ブラームス博士による演奏!」と誰かが叫ぶ声に続くハンガリー舞曲第1番の途中から記録されていますが、続くポルカ「とんぼ」は1935年当時すでに再生不能の状態となっていたようで、こちらは収録されていません。
名ピアニストとして鳴らし、リストとならび称せられたブラームスですが、この演奏はテンポのゆれが極端で、まるでよっぱらいが演奏しているかのようでした。
ブラームスの友人で、数々のヴァイオリン協奏曲の初演者として著名な大ヴァイオリニストのヨアヒムが残した比較的良好な状態のハンガリー舞曲の演奏が残されていますが、こちらもポルタメントたっぷりの大揺れの演奏でした。案外この演奏スタイルが当時の一般的なものだったのかもしれません。
http://www.numakyo.org/cgi-bin/bra3.cgi?vew=62
「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 その一 私のブラームス回想録(1905年) フローレンス・メイ」
フローレンス・メイは、ロンドンでクララ・シューマンのレッスンを受けた後、ドイツのバーデンバーデン近郊にあるリヒテンタールの別荘で、クララのレッスンを受けるようになった。クララが演奏活動でスイスへ行っている間、メイはブラームスのレッスンを受けることになる。
ブラームスのひととなり
当時、ブラームスは38歳。身長はやや低めで体格はがっしり。後年の肥満の傾向は全くなし。
理知的な額を有する堂々たる頭部と頭脳の明晰さを表わす青い瞳。挙動には気取りがなく、社交性と慎み深さが同居する、親しみのもてる人という印象だった。
ブラームスは自分について話すのを極端に嫌っており、自分の作品について話すことはめったになく、集まりではどんなに頼んでも、絶対に演奏しなかった。
ブラームスは極端な気分屋で、演奏しろといわれるのが嫌いなうえに、演奏する彼自身のムードと演奏される側、つまり作品の雰囲気がぴったり合わないと、全くだめだった。
ご機嫌なのは先生(クララ・シューマン)たちと一緒の時で、彼女にはいつも下僕のように使え、態度には尊敬の念が表れていた。それは息子が母に持つ愛情と、芸術家同士の共感とがないまぜになったような感覚-弟子のメイにはそう思えた。
ブラームスは大の散歩好きで、自然への愛着もひとしお。夏の間は4時か5時には起き、自分でコーヒーをいれ、それから朝のおいしい空気と鳥の歌を満喫しに、森へ出かけるのが日課だったという。
ブラームスのピアノ指導法
クララは「ブラームスは最高のピアノ教師」だと言っていた。実際、メイがブラームスのレッスンを受けると、「何一つ欠点のない、全ての資質を備えた理想的なピアノ教師」だった。
ブラームスの頭の中には、技術的な修練方法が、細かなことまで全て入っており、しかもそれをきわめて短時間で教えることができた。
メイがテクニックの弱点を説明して、クレメンティの《グラドゥス・アド・パルナッスム》を弾き始めると、その指をほぐして均等にする作業に取り掛かった。
レッスン初日から、目的に達するにはどうするのが一番なのかの解説付きで、音階、分散和音、トリル、重音奏法、オクターヴといった技術訓練を次々と与えていった。
レッスン中ブラームスは椅子に腰かけ、弟子の指を見ながら、誤った動きを指摘し、自分の手の動きで正しい形を見せながら、夢中で指導していたという。
ブラームスは、通常行われる五本指のエクセサイズがメイに有効だとは思わず、もっぱら一般の作品や練習曲を使い、自ら習得した、困難なパッセージを克服するための練習法をメイにも教えた。
メイの手首も、聞いたこともないブラームス独自の方法で、ほとんど苦労しないまま二週間ですっかりほぐれ、指の付け根の固い出っぱりが、大方消え失せた。
ブラームスは、指づかいには特にうるさかった。特定の指に頼らず、全ての指をできるかぎり均等に働かせるよう注意した。
バッハの楽譜はメイがイギリスから持ち込んだもの。指使いが書かれていなかったので、ブラームスはツェルニー版の運指を使うように(それ以外の書き込みには従わないように)指導した。
当初、レッスンの大半はバッハの《平均律》か《イギリス組曲》。メイの技術が向上すると、レパートリーも音楽の本質を学ぶ時間も少しづつ増えていった。
ブラームスは、曲の細部に至るまで厳しく気を配れと注意する一方、「フレージング」はできるだけゆったりととるように言った。繊細な詩集の外側を縫い進み、飾り付けていくように、フレーズのアウトラインを大きく一筆書きするのである。音楽の陰影を使って、フレーズをつなげたりもした。
音色、フレーズ、感覚など、ブラームスのイメージが音になるまで、バッハの一部分を十回でも二十回でも演奏させた。
ブラームスは些細なことまで信じられないほど誠実で、生徒に向かって物知りぶったり、イライラしたり貶したりしなかった。趣味はほめることで、どんな曲でもまず好みどおりに演奏すると「いいねえ、言うことなし」で、「そこはこう変えて」とはならなかった。
ブラームスのピアノ演奏法
レッスンの終わりに、メイに頼まれてブラームスが自らピアノを弾くようになったが、一番多く取り上げたのはバッハ。
《48の前奏曲とフーガ》(平均律)を解説付きで、1曲か2曲、暗譜で弾き、その後は気分によって楽譜集から曲を選んで弾き続けた。
ブラームスは、著名なバッハ信奉者達のように、「バッハはただ流れるように演奏すべし」などとは思っておらず、彼のバッハ解釈は型破りで、伝統的な理論に捉われていない。
ブラームスが弾く《前奏曲》は躍動感溢れる力強い演奏で、濃淡と明確なコントラストがついて、まるで詩のようだったという。
バッハの音符一つ一つは感性あふれるメロディを作ってゆく。たとえば深い哀感、気楽なお遊び、浮かれ騒ぎ、爆発するエネルギー、えもいわれぬ優美さ。しかし、情緒は欠けておらず、決して無味乾燥ではない。情緒(センチメント)と感傷(センチメンタリズム)は別物なのだ。組曲では、音色とタッチを様々に変え、テンポも伸縮自在だった。
彼はバッハの掛留音をこよなく愛していた。「絶対にきこえなければならんのはここだ」と言いながら、タイのかかった音符を指し、「その後ろの音符で最高の不協和音効果が得られるように[前の音符を]打鍵すべし、でも、準備音が強くならないように」と強調した。
激しさも要求する一方、「もっとやさしく、もっと柔らかく」が、レッスン中のブラームスの口癖だった。
ブラームスは、バッハ、スカルラッティ、モーツァルトなどの「小奇麗な演奏」を認めなかった。巧みで均一で、正確かつ完全な指づかいは求めたが、多様で繊細な表現が絶対条件、いうならば呼吸のようなものだった。
作曲家が何世紀の人間であろうが、聴く人に作品を伝えるために、ブラームスはモダン・ピアノの力をためらうことなく利用した。
ブラームスは「安手の表情」をつけるのを好まず、特に嫌がったのは、作曲家の指示がないのに和音を分散させること。
メイがそんなことをすると必ず「アルペッジョじゃない。」と注意した。
ブラームスは音の強弱に関係なく、スラーのかかった二つの音符の醸しだす効果に重きを置き、それを強調したため、メイは、「こういった記譜部分は、彼自身の作品でこそ特別な意味を持つことが飲み込めた」と書いている。[※これは、ブラームスが多用していたヘミオラのこと?]
メイが聴いたブラームスの演奏は、「刺激的かつ独特で、到底忘れることはできない。名人芸を自由に操るといっても、それはいわゆるヴィルトゥオーゾ的演奏ではなかった。どんな作品でも、うわべの効果は決して狙わず、細部を明らかにし、深い部分を表現しながら、音楽の内部に入り込んでいるようだった。」
メイが、ブラームスの作品を練習させてほしいと頼むと、「僕の曲は、強い筋力と手の強い掴みが必要なので、今の君には向かないだろう」。自分が書いたピアノ曲は、女性には向いていないと思っていたらしい。
「どうしてピアノ用に、とんでもなく難しい曲ばかり作曲なさるのですか」とメイが詰め寄ると、ブラームスが言うには「(そういう音楽が)勝手にこちらにやってくるんだ。さもなきゃ、作曲なんかできないよ(I kann nicht anders)。」
「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 そのニ 私のブラームス回想録(1905年) アデリーナ・デ・ララ」
クララ・シューマンのレッスンで、ブラームスの《スケルツォOp.4》の一部分を弾き終えたとき、ブラームスが突然部屋に入ってきて、「今弾いた所をもう一度」。
最初のフレーズを弾き終わると、「違う違う、はやすぎる。ここはがっちり提示するんだ。ゆっくりと、このように」。
ブラームスが自ら演奏。鍵盤の上でゆったりとくつろいでいるようにしか見えないのに、それが豊かで深みのある音を、そして雲の上にいるようなデリケートなppを紡ぎだす。あのスケルツォのオクターブを一つも外さず、ものすごいリズム感で演奏するのだ。
ブラームスは生徒が自分の作品の低音(ベース・ライン)を弱く弾こうものなら、烈火のごとく怒った。その作品はきわめて深い音で、そして左手は決然と弾かなくてはならない。ブラームスは先生[クララ・シューマン]と同じで感傷的な演奏を嫌い、「決してセンチメンタルにならず、ガイスティック(精神的)でなくてはならない。」
日常生活では全く飾らず、ユーモアの感覚にあふれ、冗談を飛ばす。こんな人が真に偉大な巨匠だなんて、思い出すのも難しいほど。最初に会ったとき、ブラームスは40歳だったと思う。
「クララ・シューマンの弟子たちの回想録 その三 ブラームスはこう弾いた ファニー・デイヴィス」
ブラームスの演奏を文字で書き表すことは、非常に難しい。それは孤高の天才が、作品を作ってゆく過程を論じるようなものだからだ。
巨匠の演奏に向かう姿勢は自由かつしなやかで、余裕があり、しかもつねにバランスがとれていた。たとえば耳に聞こえてくるリズムの下には、いつでも基本となるリズムがあった。特筆すべきは、彼が叙情的なパッセージで見せるフレージングだ。そこでブラームスがメトロノームどおりに演奏することはありえず、反対に堅牢なリズムで表現すべきパッセージで、焦ったり走ったりすることも考えられなかった。下書きのようなザッとした演奏をするときも、その背後には楽派的奏法がはっきり見てとれた。推進力、力強く幻想的な浮遊感、堂々たる静けさ、感傷を拝した深みのある優しさ、デリカシー、気まぐれなユーモア、誠実さ、気高い情熱、ブラームスが演奏すれば、作曲家が何を伝えたいのか、聴き手は正確に知ることになったのだ。
タッチは温かく深く豊かだった。フォルテは雄大で、フォルティシモでも棘々しくならない。ピアノにもつねに力感と丸みがあり、一滴の露のごとく透明で、レガートは筆舌に尽くしがたかった。
"良いフレーズに始まり良いフレーズに終る"-ドイツ/オーストリア楽派に根ざした奏法だ。(アーティキュレーションによって生じる)前のフレーズの終わりと、次のフレーズの間の大きなスペースが、隙間なしにつながるのだ。演奏からは、ブラームスが内声部のハーモニーを聴かせようとしていること、そして、もちろん、低音部をがっちり強調していることがよくわかった。
ブラームスはベートーヴェンのように、非常に制限された表情記号で、音楽の内面の意味を伝えようとした。誠実さや温かさを表現したいときに使う <> は、音だけでなくリズムにも応用された。ブラームスは音楽の美しさから去りがたいかのごとく、楽想全体にたたずむ。しかし一個の音符でのんびりすることはなかった。また、彼は、メトロノーム的拍節でフレーズ感を台なしにするのを避けるために、小節やフレーズを長くとるのも好きだった。
若きブラームスが完璧なピアノ・テクニックを象徴する有名な逸話。
巡業先で半音高く調律されたピアノに遭遇したヴァイオリニストのレメーニは、弦が切れるのを怖れて調弦を上げられない。そこでブラームスは、《クロイチェル・ソナタ》のピアノ・パートを公開演奏の場で、瞬時に半音低く移調して弾いた。[※半音高くと移調したという説もある]
移調できるとかできないという次元の問題ではなく、《クロイチェル・ソナタイ長調》とは全く異なる《クロイチェル・ソナタ変イ長調》用に、指の準備が即刻できてしまう能力を持っていた。
この他に、メイの伝記中、ハ短調を半音上げて弾いた話があり、こちらの方が有名。さらにこの回想録シリーズの第2巻でも、似たような移調演奏のエピソードがある。
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ブラームスはベートーヴェンやベルリオーズたちと同じように、自ら指揮台に立ち自作を紹介しています。
ブラームスの演奏について、「テンポ、リズム、フレージングが柔軟なことを好み、自分もそのように演奏をした。」(ボストン交響楽団初代指揮者、ジョージ・ヘンシェルの言葉)という証言が残っています。
ブラームスは自分の書いた曲にメトロノーム指示を残しておらず、一つの曲がいつも同じテンポで演奏されることを嫌っていました。
自作自演のハンガリー舞曲第1番のピアノ演奏も、初めて経験する録音という特殊な状況下の演奏とはいえ、かなり自由な演奏のように聞こえます。
第二次世界大戦前のウィーンには、「ハイドンの主題による変奏曲」の初演に参加したとか、ブラームスの指揮で演奏したという人達がまだ生き残っていて、ブラームスの指揮ぶりについて貴重な証言を残しています。
この証言によると、テンポは楽譜の指定にとらわれないものであったということですが、ブラームスの指揮は極めてぶっきらぼうで、遠慮がちな単純な動きのために自分の意図したことが演奏者に正確に伝わりにくかったそうです。
「ハイドン変奏曲」で、ヴィヴァーチェとプレストの変奏曲を明瞭に対比させることができなくて焦っていたのが目に見えていた。という証言もあり、ブラームス自身絶えず悩んでいて、現実に棒のテクニック不足のためオーケストラのメンバーに自分の意図が正確に伝わらない場合が多く、ハンス・リヒターやワインガルトナーらの職業指揮者に比べ演奏しにくい棒であったようです。
「ハンス・リヒターが振った交響曲第3番の初演のころになると、オケのメンバーもブラームスの語法に慣れてきていて演奏についてしだいに確信を持つようになってきた」というウィーンフィルの名クラリネット奏者ウラッハの証言もあり、独特なブラームスの作曲の技法がわかりにくさの原因となったこともあるようです。
この時代は、ハンス・フォン・ビューロー、やハンス・リヒターといった専門の職業指揮者たちがその地位を確立した時期でもありました。
ウィーンフィルを指揮して第2番、第3番を初演したリヒターや、マイニンゲンの宮廷管弦楽団を指揮して第4番の初演をおこなったビューローたちには、録音は残されていませんが、当時のヨーロッパにおいて、この二人による演奏が最も権威のあるものでした。
自由奔放なビューローと楽譜通りにきっちりとやるリヒター、この二人は対照的な芸風な持ち主でしたが、ブラームス自身はより柔軟なビューローの解釈を好んだようで、ウィーンで、リヒターが交響曲第1番を指揮するのを聞いていたブラームスが、「あいつを放り出せ!」と隣の友人に言ったエピソードが残されています。
一方のビューローには「君は僕の作品を好きなように指揮して良いよ」とある種のお墨付きを与えていましたが、海千山千のビューローはその言葉を拡大解釈して、かなり極端な解釈の演奏をおこない、ブラームスを閉口させたそうです。
ビューローの死後ベルリンフィルの指揮者となったアルトゥール・ニキシュがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管を指揮した交響曲第4番を聴いたブラームスがその演奏を聴いて絶賛したとか、ワインガルトナー、R.シュトラウス、モットルがベルリンフィルを率いてウィーンでブラームスチクルスを行った時に、ブラームスはワインガルトナーの演奏を最も高く評価したという話もありますが、ブラームスが自作の指揮者として、最も信頼を置いていた指揮者はフリッツ・シュタインバッハ(1855 - 1916)でした。
シュタインバッハは、ビューローからマイニンゲン宮廷管弦楽団を受けつぎ、後にケルン・ギュルツニヒ管弦楽団の指揮者も務めています。
シュタインバッハの弟子ヴォルター・ブルーメによれば、シュタインバッハは、楽譜に書かれていないブラームスが意図していたテンポやフレージング、楽器のバランスについて直接ブラームスから教えを受け、スコアに書きこんだものを使って演奏したそうです。
ビューロー、シュタインバッハからブルーメに連なる系譜について「マイニンゲンの伝統」と呼ばれる言葉があります。これはブラームスの正統な演奏の系譜として、シュタインバッハから教えを受けたアーベントロートやトスカニーニ、ボールト、そしてアーベントロートからケルン・ギュルツニッヒ管の指揮者であったギュンター・ヴァントへと伝わりました。
フリッツ・シュタインバッハのブラームス演奏について、晩年のトスカニーニが「シュタインバッハのブラームスは、音楽があるべきテンポで自由に流れ、実に素晴らしいものであった」と語り残しています。(ウオルフガング・ザイフェルト著 「ギュンター・ヴァント」より)
http://www.numakyo.org/cgi-bin/bra3.cgi?vew=57
- ヘルマン・アーベントロート(1883年1月19日 - 1956年5月29日)指揮者
- 続きは
ゲルマンの音とは戦前のブッシュ四重奏団やフルトヴェングラー - ベルリンフィルの音色の事
これがゲルマンの音
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