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動画
https://www.youtube.com/watch?v=W-N2h-q4Rl0
キャスト
杉田藻奈美・直子 - 広末涼子
杉田平介 - 小林薫
杉田直子(入れ替わり前まで) - 岸本加世子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E5%AF%86_(%E6%9D%B1%E9%87%8E%E5%9C%AD%E5%90%BE)
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テレビドラマ 志田未来・佐々木蔵之介『秘密 』 (テレビ朝日 2010年)
原作 東野圭吾
脚本 吉田紀子
放送期間 2010年10月15日 - 12月10日(9回)
動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%A7%98%E5%AF%86++%E5%B0%8F%E8%81%B0+
キャスト
杉田藻奈美・直子 - 志田未来
杉田平介 - 佐々木蔵之介
橋本多恵子 - 本仮屋ユイカ
小坂洋太郎 - 橋本さとし
吉本和子 - 池津祥子
第1話 2010年10月15日 東野圭吾!! 伝説のベストセラー 心は38歳、体は16歳の妻
第2話 2010年10月22日 東野圭吾原作〜今夜16才の妻を抱く!!
第3話 2010年10月29日 東野圭吾原作〜16才の妻、同窓会へ!!
第4話 2010年11月5日 東野圭吾原作〜私の記憶が消える日!!
第5話 2010年11月12日 東野圭吾原作〜妊娠!! 唐木希浩
第6話 2010年11月19日 東野圭吾原作〜許されない恋の始まり
第7話 2010年11月26日 東野圭吾原作〜妻の恋人
第8話 2010年12月3日 最終章〜妻との永遠の別れ…
最終話 2010年12月10日 運命は妻を二度奪う…そして驚愕最終回!!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E5%AF%86_(%E6%9D%B1%E9%87%8E%E5%9C%AD%E5%90%BE)
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秘密 (文春文庫) – 2001/5/1 東野 圭吾 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%98%E5%AF%86-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9D%B1%E9%87%8E-%E5%9C%AD%E5%90%BE/dp/4167110067
妻・直子と小学5年生の娘・藻奈美を乗せたバスが崖から転落。妻の葬儀の夜、意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだはずの妻だった。その日から杉田家の切なく奇妙な“秘密”の生活が始まった。
映画「秘密」の原作であり、98年度のベストミステリーとして話題をさらった長篇
運命は、愛する人を二度奪っていく。
自動車部品メーカーで働く39歳の杉田平介は妻・直子と小学5年生の娘・藻奈美と暮らしていた。
長野の実家に行く妻と娘を乗せたスキーバスが崖から転落してしまう。
妻の葬儀の夜、意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだはずの妻だった。
その日から杉田家の切なく奇妙な“秘密"の生活が始まった。
外見は小学生ながら今までどおり家事をこなす妻は、やがて藻奈美の代わりに 新しい人生を送りたいと決意し、私立中学を受験、その後は医学部を目指して共学の高校を受験する。
年頃になった彼女の周囲には男性の影がちらつき、 平介は妻であって娘でもある彼女への関係に苦しむようになる。
98年度ベストミステリーとして話題をさらい、広末涼子主演で映画化、志田未来主演で連続ドラマ化もされた東野圭吾の出世作。累計200万部突破の伝説のベストセラー。
「秘密/滝田洋二郎;1999年劇場公開作品」
雪山でバスの転落事故に遭った直子(岸本加世子)とその娘の藻菜美(広末涼子)は救急病院に収容されるが、直子は手当ての甲斐なく死亡し、藻菜美だけがかろうじて生き残る。しかし、昏睡から目覚めたとき、鏡を覗き込んだ直子の目に映ったのは藻菜美の顔だった。つまり、藻菜美が意識を取り戻したとき、その意識は直子のものだったのだ。夫の平介(小林薫)は事実を知って混乱するが、やがて直子は藻菜美としてその人生を全うすることを決意する・・・。
登場人物の人格が入れ替わってしまうという設定の作品はけっこうある。代表的なものは大林宣彦の「転校生」だが、二人の人間の意識がそっくりそのまま入れ替わる、などという現象はさすがにフィクションの中だけに起こるものであるものの、一人の人間の意識が別の人格に取って代わられる、という現象は現実に起こりうる。解離性同一性障害、つまり俗に言う「多重人格」である。
ある人間の「魂」が別の人間に乗り移り、その人を支配してしまう現象をオカルトの世界では「憑依」と呼ぶのだが、それも一種の解離性同一性障害として捉えることができる。通常の多重人格では、新たな人格は独自に創り出されることが多いが、当人が自らを他に実在する人物である、と思い込んでいれば、その人格が実は創作か否か判断することは難しい。現実に、ジョン・レノンを殺したマーク・チャップマンは一説によると自らをジョン・レノンであると思い込んでおり、殺害事件はその延長線上にあった(本物を殺害することで自らが世界に唯一のジョン・レノンになろうとした)とも言われている。
基本的にファンタジー作品なので、登場人物はありえない話をあっさり信じてしまう。現実に自分の娘がこんなことを言い始めれば、普通ならまず統合失調症を疑って精神科医に診せるところだが、それでは物語が成り立たない。藻菜美(の中にいる直子)が話す二人の結婚前のエピソードを聞かされ、平介はいとも簡単にそれが直子だと確信するのだが、よく考えればそんな話は平介がいないところで母子の会話として話されていたかも知れず、藻菜美が母の話を自らの記憶だと誤認している可能性もなくはない。
そう思いながら本編を観続けていると、広末の演技力の限界もあるのだろうが、やはりこの話はファンタジーとしてよりも、一種の解離性同一性障害の症例として観るべきではなかろうか、という気分が抜け切れなかった。
娘の体内に宿る妻に触れられないジレンマに悩む平介を見かねて、直子がある決意をする中盤から物語は急展開を見せる。この手の「憑依」ものの定番は、憑依した何者かが結局は宿主に体を返し、自らは消え去っていくというものだが、本編もまた表面上はその通りの展開を見せる。ある日突然藻菜美は「藻菜美」本人として目覚めるのだ。藻菜美の人格は直子の人格と交互に現れ、やがて藻菜美の方が優位に立って直子の影は次第に薄くなっていく。
やがて、完全にもとに戻った藻菜美はバス事故を起こした運転手の遺児である文也(金子賢)と結婚するのだが、このあたりの展開はやや唐突で、しかも結婚指輪を封入したぬいぐるみを唐突に伏線として登場させるなど、かなり無理のある話になってしまった。結局のところ直子は消え去ってなどおらず、元に戻った藻菜美はすべて直子の演技であり、それが表題の意味するところであったわけだが、正直言ってこのあたりの演出はあまりうまいとは思えず、定番の展開に酔いしれていた観客に冷水を浴びせるような結末になってしまった。
原作ではこのあたりを映画ほど断定的に描いてはおらず、主人公の夫は憑依という現象それ自体をも完全には信じていないようなのだが、こうした曖昧さを受け入れる余地は、映画という何でも光と影で表現しなければならないジャンルには、存在しづらいのかもしれない。・・・
http://sky.ap.teacup.com/kasatosi/169.html
東野圭吾 秘密 のあらすじ 妻が娘で娘が…???
2016年6月25日 [文学/あらすじ, 東野圭吾]
http://rhinoos.xyz/archives/20387.html
今回は現代日本屈指の人気作家、
東野圭吾さんのミリオンセラー
『秘密』(1998)で行ってみます。
もちろんこれ、2010年のテレビドラマ
(佐々木蔵之介、志田未来主演)の
原作ですし、その前には広末涼子さん、
小林薫さん出演、滝田洋二郎監督で
映画化もされています(1999)。
さて、一口に「あらすじ」を、といっても、
話の骨子だけでいいという場合から、
読書感想文を書くんだから分析・解説
つきの詳しいものがほしいという
場合まで、千差万別でしょう。
そこで出血大サービス((((((ノ゚⊿゚)ノ
「ごく簡単なあらすじ」と
「やや詳しいあらすじ」の
2ヴァージョンを用意しましたよ~~(^^)у
ごく簡単なあらすじ(要約)
まずはぎゅっと要約した
「ごく簡単なあらすじ」。
杉田平介の妻・直子はバスの転落事故で
死亡するが、その意識は身体だけ
生き残った11歳の娘・藻奈美の中で
生き続ける。
世間的には娘になりすます直子は、
成績優秀で私立中学を経て有名進学校へ
と進むが、男子との交際のことなどで
平介との間に波風が立つ。
やがて藻奈美の身体に藻奈美の
意識が復活し、直子の意識と交替
する「二重人格」の状態になる。
藻奈美と直子の2人格は交換日記の
ようなノートで意思を伝え合うが、
直子の意識は徐々に弱まる。
藻奈美は直子の指示通り、二人の
最初のデートの場所へ平介を誘い、
そこで……
どうでしょう?
え? これだけじゃ意味ない?
ハハハ、まあそうでしょうね。
本当は父娘以外にも多くの個性的な
登場人物が絡み合って進む本格的な
長編小説をムリヤリ凝縮し、
しかも一応、ネタバレを避けてますしね。
では、様子見にちょっとだけ
テレビドラマの方を覗いてみて
もらいましょうか。
ん? やっぱりよくわからん?
そういうわけでやはり「やや詳しい」
ヴァージョンのあらす」を読んでいただく
ことになるわけですね、ハイ;^^💦
やや詳しいあらすじ
では始めましょう。
わかりやすさのため「起承転結」の4部に分け、
もちろんラストまで包み隠さず完全ネタバレありで
参りますので、結末を知りたくない人は
読まないでくださいね;^^💦
ひっかかるかもしれない部分には【CHECK!】印で
注釈を入れていますが、うるさいと思う人は
飛ばしてください。
なお「 」内及び「”」印のグレーの
囲みは原文(上記文庫本)からの引用です。
🌓【起】
自動車部品メーカー社員、39歳の
杉田平介は愛妻・直子と11歳の娘・
藻奈美との3人で暮らしていた。
1985年冬、長野の実家に向かう
直子と藻奈美の2人が乗った
スキーバスが崖から転落。
2人は病院に運ばれたものの、
直子は死亡し、藻奈美は一時は
回復不能といわれながらも、
奇跡的に助かる。
が、意識を回復した藻奈美のその
意識は実は直子のものとわかる。
「あたしがあの子の
身体を奪っちゃった。
あの子の魂を追い出して……」
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この信じがたい事態に戸惑いながら、
平介と直子(身体は藻奈美)は、
世間にはあくまで父娘と見せかけて
生活していくことにする。
直子は仏壇の引き出しに入れてあった
結婚指輪を、かつて自分が作り
藻奈美が大切にしていた
テディベアの頭の後ろに縫い込む。
「正体は二人だけの秘密ね」
🌓【承】
直子は小学校に通い始め、平介は
バス事故の「被害者の会」に出席。
会には死亡した運転手の妻である
梶川征子が現れて謝罪するが、
相手にされない。
会の終了後、平介は新宿駅で征子を
見かけ、階段で彼女が倒れたので、
タクシーで自宅まで送る。
その後、連絡を取り合うようになり、
亡夫(梶川幸広)の超過労働や、
札幌にいる前妻とその子に仕送りを
していたことなどを知っていく。
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やがて直子に初潮があり、
「あっちのほう」どうする?
「我慢していられる?」と尋ねる。
「そんな……じつの娘と。
しかも小学生の」
「じゃあほかの女の人と
するってこと?」といった
微妙な会話が交わされる。
藻奈美に自分のようなただの
専業主婦になってほしくないと
思う直子は私立中学受験を目指し、
担任の若い美人教師、橋本多恵子と
平介との接触が増える。
その橋本に気があるのではと
直子はからかうが、それは事実で
平介は欲求不満のとき多恵子を妄想。
橋本の側でも運動会の日に弁当を
用意してくれるなど好意を示す。
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遺族会が一周忌に企画した事故現場への
慰霊旅行のあと、梶川征子が病死。
その葬儀に出た平介は娘の逸美から
父の遺品として古い懐中時計を
渡される。
蓋が開かないので専門店で開けて
もらうと、蓋の裏に幸広の子らしい
5歳くらいの男児の写真。
札幌出張の際に梶川の前妻、
根岸典子を訪ねるが、息子の
大学生、文也によって拒絶される。
🌓【転】
有名私立女子中学に進学した直子は
そこでも成績優秀で、医学部に
入りたいから、高校は共学の
進学校を目指すと宣言。
その動機には男への欲求も?
と平介は疑うが、ともかく
猛勉強して有名進学校へ進学。
高校では体力も必要だからと
テニス部に入り、練習で遅く帰って
食事の支度もするという多忙な生活。
不満がたまった平介はつい「男と
玉遊びをしてる」などと悪態をつき、
二人の間は気まずくなる。
お盆休み、十年ぶりに直子の実家に
帰省した平介は、義父の三郎に再婚
すればいいと言われ、直子自身にも
聞かれて「いいんだ」と答える。
テニス部の一年先輩、相馬春樹から
直子への電話が繁くなり、心穏やかで
なくなった平介はついに電話盗聴
セットを仕掛け、二人の仲を探る。
クリスマスツリーkids_dragging_Christmas_tree_1914
クリスマスイブ、平介は盗聴で探知
した待ち合わせ場所にが姿を現し、
直子と相馬を驚かす。
「なぜだめなんですか」と問う相馬に
「世界が違うんだよ」と平介。
「私や娘が生きている世界と、
君のいる世界は、全く別物なんだ」
帰宅後、「あたしはふつうにしてた
だけよ」と訴える直子に、妻である
以上「ふつうにする権利なんかない」
と平介は言い放つ。
「若い身体を手に入れて、もう一度
人生をやり直せるような気に
なっているようだけど、それは
あくまで俺の許せる範囲内
だってことを忘れるな」
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俺は今でも浮気もしていないし、
再婚のことも考えてない。
小学校の橋本先生が好きで
「交際したい」とも思ったが、結局
電話すらしなかったのは「おまえを
裏切りたくなかったからだ」
一月半ば、クラスで行くスキーの
チラシを破り捨ててみせた直子に
「俺のこと、憎んでるのか」と平介。
そうではなく「途方に暮れてるだけ」
「そうだな。俺もだよ」という会話の
あと、「ねえ、あれしようか」と直子。
二人はベッドでふれ合い「あれ」を
試みるが、平介の中の何かが拒否し、
「やめよう」…「そうね」…。
🌓【結】
別用で上京した根岸典子と会った平介は、
梶川は自分が実父ではないことを知り
ながら文也を愛し、大学進学後は毎月
必ず10万円を仕送りするように
なっていたのだと知る。
家族の幸せが自分の幸せだと語っていた
という梶川の生き様に打たれ、平介は
自分も、直子が藻奈美として生きて
いくことの幸せを願う気持ちになる。
帰宅して「長い間、苦しめて悪かった」
と詫びると、直子は泣いて自室へ。
眠って目覚めると、パジャマ姿で
庭を見下ろしていた直子が
「お父さん、あたし、〔中略〕
どうしてここにいるのかな」
藻奈美の意識が戻ったのだ。
その後、彼女の身体には直子の意識と
藻奈美のそれとが交互に出入りする。
「二重人格」の状態となったのだが、
直子の人格は出現頻度が徐々に減り、
二人の人格は交換日記のような
ノートで意思を伝え合う。
七月、就活で平介の会社に来た大学院
生の根岸文也が、平介に面会を求め、
以前の非礼を詫びる。
平介が是非にと誘って、夕食を家で
一緒にということなり、藻奈美に電話。
二人で帰宅し挨拶すると、文也と
藻奈美の「視線が空中で絡んだ」。
097778
勉強も見てくれた文也を見送ってから、
藻奈美は、明日の土曜日、横浜の
山下公園に連れて行ってと頼む。
平介と直子が最初にデートしたこの
場所へというノートでの指示という。
その日、山下公園のベンチで海を
見ながら松任谷由実の曲を流すと、
直子の人格が現れ、「ありがとう。
さようなら。忘れないでね」。
数年後、25歳になった大学助手、
藻奈美と文也との結婚式。
梶川幸広の形見の懐中時計が動かないので
松野時計店へ行った平介は、9年前、
直子がテディベアに縫い込んだ指輪を
藻奈美が取り出して自分用に
作りかえさせたことを知る。
二人の「秘密」を知っていたことから、
直子は実は消えておらず、藻奈美の
演技を続けているだけなのでは
ないかと平介は考え始める。
文也を控え室に連れて行った平介は
「殴らせてくれ」「二発だ」と
拳を固めるが、振り上げる前に
涙があふれ、声がかれるほど泣く。
まとめ
さあ、いかがでした?
さすがによく出来たミステリーで、
しかも主題は夫婦愛。
さらにそこに父娘間の情愛が微妙に
絡むので、これはもうグッと来て
しまう読者が多いのも頷けます。
直子の意識がほんとうはまだ生きて
いるのか…と匂わせて謎のまま閉じる
オープン・エンデイングもよい。
ただ私個人の感想として言わせてもらえば、
むしろそこ(45章)で終わってしまった
方がよかったのでして、ラストの
46章は蛇足の感が大きいですね。
なぜって、主人公が花婿に言う
「殴らせろ」ってのは、
あまりにも通俗的で古臭い
クリッシェ(決まり文句)。
これを使ってまとめようとしたことで、
作品全体の品性を下げてしまったのでは?
と東野氏のために憂える次第です。
いや、そこでこそ泣ける…という
意見もあるでしょうし、それは
それで結構なんですけどね。
さて、読書感想文を書こうという場合も
ネタはすでに十分ご覧に入れたと思います。
考えさせられる名言やポイントも
泣かされる展開も、いくつも
拾うことが出来ますよね。
http://rhinoos.xyz/archives/20387.html
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日本の伝統的な結婚式に中国人はびっくり!「まるで葬式だな」―中国ネット 2017年1月5日
http://www.recordchina.co.jp/a159976.html
4日、中国のポータルサイト・今日頭条が、日本の伝統的な結婚式について紹介する記事を掲載した。これに対し、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。写真は白無垢。
2017年1月4日、中国のポータルサイト・今日頭条が、日本の伝統的な結婚式について紹介する記事を掲載した。
中国の伝統的な結婚式といえば、新郎新婦が共に赤い衣装を身にまとう。赤色はおめでたい色とされているからだ。記事は、日本の伝統的な結婚式では、花嫁が真っ白な服を着ると紹介。これは白無垢(むく)のことだが、中国では葬式の時に真っ白な服を着るため、中国人からすると非常に違和感があるようだ。
これに対し、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。
「まるで葬式だな」
「これって結婚式なのか?それとも葬式?」
「結婚はおめでたいことだが、結婚式で喪服を着るのを初めて見た」
「結婚はおめでたいことで、葬式の時にのみ全身真っ白な服を着るものだろ。日本人の世界は全く理解できないな」
「日本人にとっては白黒がおめでたい色なんじゃないか?」
「だったら日本人は葬式で何を着るんだ?」
「日本人は結婚式で白を着るなら、葬式で赤を着るのか?」
「これはだめだ。やはりわれわれの赤色の方がいい」
「まるで中国人は西洋のウエディングドレスを着ないかのような言い方だな」
「でも現代の結婚式では中国人も白いウエディングドレスを着るだろ」
「中国では赤はめでたい色、白は葬式、緑は浮気された男を表すが、日本では赤は血なまぐささ、白は純潔、緑は平和を表すんだな。観念が全然違う」(翻訳・編集/山中)
http://www.recordchina.co.jp/a159976.html
死と再生というテーマ
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/4875/kangae/kangae_02.htm
ユング心理学の本を読んでいて「死と再生」というテーマにたびたび出会うことに気がつきました。
ここでいう「死」は肉体的な死を意味するのではなく、象徴的な「死」のことです。
それは、「ひとつの世界から他の世界への変容を意味し、古い世界の秩序や組織の破壊を意味」しています。
象徴の世界の「死」は肉体の死と直接結びついているものではなく、ある人が象徴的な死を繰り返し体験しても、肉体的生命は生き続けていることが多いのだそうです。
ユング心理学では、たとえば「結婚」は娘にとっては処女性が失われるという死の体験であり、両親にとっては娘が失われる死の体験という、2重の死が含まれていると考えます。
肉体的な死と象徴的な死はかならず結びつくものではないですが、微妙なかかわりを持つものでもあるといいます。
生死をさまよう体験をしたときに、それを転機としてそれ以降の人生が大きく変わるようなことがそうです。
これは特別新しい考え方ではないですよね。夏目漱石が生死をさまよう大病をわずらったあとでその後の作品が変わっていった例、また精神科医であった神谷美恵子さんが若い頃結核になったが自分が死ななかったことが心の中で大きな部分を占めていたこと、作家の辻邦生さんも生死に関わる病気をしていたことがその後の作品に影響を与えていると思います。
このような死と再生のテーマを、河合隼雄さんが自殺との関わりについて述べたものがありました。
自殺しようとする人が、象徴的な意味での死の体験を求めていることについてです。
人は深い意味での死の体験によって、次の次元に生まれ変わることができる。
このような体験を求めたが、しきれなかった(死の体験をしそこなった)ために自殺未遂を繰り返すことになるというものでした。
深い意味での死の体験には充分な自我の力が必要になるといいます。自我の力がそのときに充分強いかどうかで、ひとりでその体験を行ったり、セラピストの力が必要であったり、または今はそのときではないとして、それが肉体的な死の体験へつながってしまうことを予防するのだそうです。
死の体験はいちどすれば終わるのではなく、その体験を繰り返しながら長い成長の過程をたどっていくものでもあるそうです。
自殺が精神の再生や新生を願って行われることもあるという考え方は、自殺がすべてそのようなものと考えるのではないですし、自殺をすすめるものでもありません。ここで私が伝えたかったのは
象徴的な死の体験が、次の次元へ生まれ変わる意味をもっていること、
そう考えることで自分自身の「死」についての考えに何かが加わったように感じたことです。
死と再生についてのテーマは私にはまだよくわかっていなくて説明できない部分も多いです。また、みなさんそれぞれのとらえかたもあると思います。このテーマについてもっとよく知りたい方は、ユング心理学やその他死と再生に関する本を読んでみてください。
私が参考にした本は、少し古い本ですが、
「絵本と童話のユング心理学」(朝日カルチャーブックス)山中康裕/大阪書籍/1986年
https://www.amazon.co.jp/%E7%B5%B5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E7%AB%A5%E8%A9%B1%E3%81%AE%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%B1%B1%E4%B8%AD-%E5%BA%B7%E8%A3%95/dp/4754810678
「カウンセリングと人間性」河合隼雄/創元社/1975年
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%A8%E4%BA%BA%E9%96%93%E6%80%A7-%E6%B2%B3%E5%90%88-%E9%9A%BC%E9%9B%84/dp/4422110209
です。[10.Mar.2002]
葬式の夢の心理学的な意味3つ 2017年2月7日
https://yumesirube.com/funeral-ceremony
葬式の夢を見ると、悲しい気持ちになったり不安になったりするのですが、基本的に吉夢です。というのも、ユング心理学的には、死は常に再生とセットですので、葬式が行われているということは、同時に新しい何かが生み出せたり、始められるサインです。
具体的なケース毎に意味合いを解説します。
葬式に出てきた人が、実際に危ないケース
夢の中で葬式をあげられていた人が、現実でも入院していたり、危篤な状況の場合は、その人が亡くなりそうな今の状況に対する「悲しさ」を夢の中で浄化しようとしている現れです。ひょっとしたら看病で忙しく、悲しさを感じるどころではない状況かもしれません。
自分の中の悲しさをクリアにした上で、生きているうちに出来る事をやっておきたいという自分から自分へのメッセージ。
自分の葬式の夢
葬式の夢の中で、最も多いのが自分の葬式に自分が出席しているケースです。
意味合いとしてはシンプルに死=再生で、これまでの自分を変えて、新しい自分を作っていきたい思いの現れです。自分自身の考え方や状況、価値観、人との関わり方等を一旦ゼロにして、新しいやり方を築いていきたいというメッセージ。転職を考えていたり、恋人・配偶者との関係を変えたいと感じている時に見やすいです。
通常自分を変化させる時には抵抗感や葛藤が強いのですが、自分の葬式に出席出来ていますので、そんな変化しようとしている自分を、客観的に落ち着いて見れている状態です。
自分以外の人の葬式の夢
意味合いとしては2つあって、1つ目はその人と自分との関係性を新しくしていきたいという思いの現れです。それまでの恋人や好きな人、父や母との関係性や付き合い方を終わらせて(=死)、新しい関係性を築いていきたい、いけるというメッセージ。
2つ目は、自分自身のその人のような所が変化しつつあるという意味合いです。どちらかというと、関係性の薄い人の葬式を見た場合は、こちらの意味合いの事が多いです。もしその人のイメージが、「堅実な人」であれば、ご自身の中の堅実な部分が強くなっているのかもしれませんし、逆にチャレンジ性が高まっている事もあります。
よくあるケース毎に解説します。
父親、親戚の葬式
この場合は、自分自身と父親や親戚との関係性を変えていきたい場合に見る事が多いです。例えば、それまでは父親に決めてもらったり、父親に対して言いたい事を抑える事が多かったけれど、それはもう嫌なのでこれからは自分で選択・決断したり、思った事を出来るだけ言うようにしたいという心理状態の時等に見やすいです。
それまでの関わり方・関係性を一旦ゼロにして、新しい関係性を築いていきたいという自分から自分へのメッセージですね。そのイメージが葬式となって夢に現れています。
恋人や元彼、好きな人、片思いの人の葬式
この場合も上に同じく、その人と自分自身の関係性を新しくしていきたい、新しく変えられる時期という自分から自分へのメッセージです。ヤフー知恵袋で相談されていたケースを紹介します。
片思いの彼のお葬式の夢をみました。私は遺影をみて死んだのが彼だと確信した瞬間泣きわめきました。
今その彼との関係は色々あってあまりよくはなく、連絡もとってなく、私は大好きなのに諦めなければいけない状態です。この状況でなぜ彼のお葬式の夢を見たのでしょうか(´・_・`)
引用元:ヤフー知恵袋
好きな人の事を諦めなければならない悲しさを、夢でクリアにしようとしている状態だと感じます。今までの好きな気持ちを諦めて(=葬式)、新しく切り替えられる時期という自分から自分へのメッセージではないでしょうか。その上で、彼に対して悔いの残らないように、今出来る事を何かやっておきたい思いが強いのかもしれません。
既に亡くなっている人の葬式(葬式から数日後に、故人が夢に出てくる)
この場合は、その人が亡くなった悲しさを抑えていて、その悲しさが夢で葬式となって現れている場合があります。
特に亡くなってすぐの時は、実際の葬式や手続きで忙しく悲しさを感じる隙もない事が多いです。誰かにその人との思い出をしっかりと話して、いなくなった悲しさをクリアにして欲しいという自分から自分へのメッセージ。
もしくは、自分自身の中のその人のような部分が、何らかの変化を起こしている場合もあります。
知り合い程度の人の葬式
この場合は、例えば知り合い程度の人が学校の先生であれば、「先生のようなイメージの人と新しい関係性を築いていきたい」という思いの現れの事もありますし、ご自身の中のその人のような部分が変わってきている場合もあります。
知らない人の葬式の夢
この場合は、ご自身の大きな変化を現しています。
というのもユング心理学では、知らない人は自分自身の中の認められない・受け入れられない思いを現すからです。例えばもの凄く真面目な人は、休んだりゆっくりすると罪悪感が強く、無意識のうちに「常に一生懸命でなければならない」といった思いが強くなっている事があります。
本音では「休みたい、休む必要がある」と思っていても、「常に一生懸命でならなければならない」という思いがそれを打ち消していて、自分の中の「休みたい」という思いが受け入れられていない状態です。
これが度を過ぎると過労死にも繋がるのですが、そういった部分を変えていきたいという自分から自分へのメッセージです。
まとめ
葬式というと良いイメージが無いので、この夢をみると不安になりやすいのですが、全般的に吉夢です。新しいステップアップの時の区切り(儀式)として出てきやすい夢です。
https://yumesirube.com/funeral-ceremony
「死と再生と、象徴と/考える人 河合隼雄さん」 2008/01/12
大晦日だったか、元旦だったか、
新聞の広告に、大きな笑顔があった。
親しんだ、名前があった。
「さようなら、こんにちは 河合隼雄さん」
(新潮社 考える人 2008年冬号)
☆
その中で、こんな話が出てきます――
今増えてきているのは、抑鬱症(デプレッション)ですね。それはわりと説明が可能なんです、人生が長くなったこととか、社会の変動が速くなったことで。つまり自分の獲得したパターンというのが、意味を持たなくなることが多いんですね。
今まで大丈夫だったものとか、
今まで大切にしてきたものとか、
もっというと、今までそうやって生きてきたものが、<意味を持たなくなる>。
あるいは、通用しなくなる。
たとえば、私が算盤(そろばん)のすごい名人になったとします。算盤さえあれば、と思っているときにコンピューターが出てきますね。そこで自分の持っていたシステムそのものが、まさに行き詰るわけです。そうすると、これはもう抑鬱症になりますね。
自分の大切にしてきたものが、突然、価値を持たなくなる。
いい悪いではなくて、ともかく、そうなる。
それではどうしようもなくなる。
(大丈夫だと思いたい、でも、現実、大丈夫じゃない)
(一部をとったら大丈夫、でも、総体として、危うくなる)
(大丈夫だといえば大丈夫、危ういといえば危うい)
状態というか、環境というか、
取り巻く状況が変化しているのに、
自分というものが取り残されてしまう。
(もちろん、それはいい悪いの問題ではない)
それは、例えば(ヘンテコリンな例だけど)、
厚着をしているうちに、春になり、夏になったようなもので、
薄着をしているうちに、秋になり、冬になったようなもので、
冬に厚着をするのは間違ってないのだけれど、
暖かくなったのに厚着のままでいると、さすがに暑い。
真夏となると、なおさら。
夏に薄着をするのはその通りなんだけれど、
寒くなったのに薄着のままでいると、さすがにつらい。
真冬となると、なおさら。
身体も壊す。
壊す前に、つらい。
ファッションだとか、生き様だとか、
それはその通りで、ある意味、個人の聖域だけど、
だけど、実際問題、
凍えたり、汗だくになったり、
困ったことになってしまう。
気温は測定できて、温度計とか、天気予報とかで、
それを確認できるけれど、
時代の流れとか、社会の流れとか、
己を取り巻く状況とか、
そういうものは、なかなか数字として測定できません。
人生観でもそうでしょう。たとえば節約は第一なんて考えているうちに、息子は全然節約せんで無茶苦茶やっているのに、あれはいい子だ、なんて言われる。そうなると自分の人生観をいっぺんつくり変えなきゃいかんわけです。
☆
こういうことが、14歳(思春期)とか、中年の時期に問題化するのかもしれません。
思春期には、思春期なりの、<今まで積み重ねてきたもの>があって、
でも、それが行き詰ってしまう。
中年期には、中年期なりの、<今まで積み重ねてきたもの>があって、
でも、それが行き詰ってしまう。
いいとか悪いとかじゃなくて、
ともかく行き詰ってしまう。(*1
(理由なんかない。ないことはなくても、明確ではない)
(言葉を持たないから、納得も表現も、伝えることもできない)
(つまり、なかなか意識化できない)
(そういう風になっている)
ともかく、通用しなくなってしまう。
こうなると、壊すしかなくなる。
そこをうまく突破した人はすごく伸びていく人が多いんです。突破し損なった場合は、極端な場合は、死んでしまう、自殺するわけです。もう生きていても仕方ないと。抑鬱症というのは、常に自殺の危険性があります。それがわれわれとしても非常に大変なんです。
☆
ここが難しいところで、
根本的な崩壊を防ぎながら、いかに壊すかということが、突破するための必然になるのだと思います。
言葉をかえると、
いかにうまく壊すか、ということになる。
もっと奥に突っ込むと、
いかに生命としての死を避けながら、象徴的な死を経験するか、ということになる。
我々は破壊や死を避けるあまり、<そこを突破すること>まで拒否してしまう。
それは一方で正しく、もっともでありながら、
もう一方では、それだけでは語れない部分がある。
何を壊し、何を殺すか、
生命としては壊さず、殺さず、
(むしろ、生かし、残し)
どうやって、壊し、変革させていくか。
そのために、互いにつながった、深い部分にある、内なるものを、
どう壊し、変容させていくか。
それには、どうしても悲しみというものと付き合わなければならない。
そして、象徴ということが、非常に意味を持ってくる。
☆
実際には壊さず、実際には死なず、殺さず、
それでいて、殆どそれに近い、
それでしか語れぬもの、
それでしか代替が利かないものを、
経験し、経ねばならない。
(ここに象徴の魔法がある)
しかし、そのものは見えず、
(また、見たくないものである場合が多いし)
実際と同じくらいの、悲しみも経験する。
(ギリギリ、皮一枚を隔てて、あちらとこちらが隣接する)
ここに、象徴の意味が出てくる。
実際にはそうでなくて、
しかし、ほぼ実際に近く、
深いところでつながっていて、
実際と同等の悲しみを経験する。
そして、最終的に、実際に変容する。
これをうまく表現するには、
もっと言葉が熟さねばならないのだろうな…。
実際にやらずに、実際にやるというのは、
たいへん意味深い。
(それは安易な代替では行えんことだ)
(*1
環境の変化や、身体の変化が、
生じやすい時期でもありますね。
https://jungknight.blog.fc2.com/blog-entry-819.html
ユングは、「死後の生」のような神秘的な考えがもつ意味について、次のようにも述べます。
彼は母親が死ぬ前日に彼女が死ぬ夢を見ます。
悪魔のようなものが彼女を死の世界へとさらっていったのです。
しかし彼女をさらった悪魔は、じつは高ドイツの祖先の神・ヴォータンでした。ヴォータンはユングの母を、彼女の祖先たちの中に加えようとしていました。
この高ドイツの神・ヴォータンはユングによれば「重要な神」「自然の霊」であり、あるいは錬金術師たちが探し求めた秘密である「マーキュリー(ローマ神話の神)の精神」として、「われわれの文明」の中に再び生を取り戻す存在でした。しかしその「マーキュリーの精神」は歴史的にキリスト教の宣教師たちにより悪魔と認定されていました。
ユングにとってこの夢は、彼の母の魂が、「キリスト教の道徳をこえたところにある自己のより偉大な領域に迎えられたこと」を、そして「葛藤や矛盾が解消された自然と精神との全体性の中に迎えられたこと」を物語っていました。
母の死の通知を受け取った日の夜、ユングは深い悲しみに沈みつつも、心の底の方では悲しむことはできなかったと言います。
なぜなら彼は、結婚式のときに聞くようなダンス音楽や笑いや陽気な話し声を聴き続けていたからです。
彼は一方では暖かさと喜びを感じ、他方では恐れと悲しみを感じていました。
母の死を自我の観点から見たとき、それは悲しみになり、「心全体」からみたとき、それは暖かさや喜びを感じさせるものになります。
ユングは「自我」の観点からみた死を、「邪悪で非情な力が人間の生命を終らしめるものであるようにかんじられるもの」と述べます。
「死とは実際、残忍性の恐ろしい魂である。…それは身体的に残忍なことであるのみならず、心にとってもより残忍な出来事である。一人の人間がわれわれから引き裂かれてゆき、残されたものは死の冷たい静寂である。そこには、もはや関係への何らの希望も存在しない。すべての橋は一撃のもとに砕かれてしまったのだから。長寿に価する人が壮年期に命を断たれ、穀つぶしがのうのうと長生きする。これが、われわれの避けることのできない残酷な現実なのである。われわれは、死の残忍性と気まぐれの実際的な経験にあまりにも苦しめられるので、慈悲深い神も、正義も親切も、この世にはないと結論する」(下p.158)。
しかし同時に夢は、母をヴォータンの神が死を通じて祖先たち下へつれていったと教えます。死は、母にとって、またユングにとって、喜ばしいものであると夢は教えます。
「永遠性の光のもとにおいては、死は結婚であり、結合の神秘である。魂は失われた半分を得、全体性を達成するかのように思われる」(下p.158)。
https://blog.goo.ne.jp/vergebung/e/eea5611531d7f83630a078b001261c2c
憑依・降霊現象
イタコの口寄せ
恐山
http://www.youtube.com/watch?v=-WUGBMDBC2E&feature=related
イタコおろし
http://www.nicovideo.jp/tag/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%81%8A%E3%82%8D%E3%81%97
死者の名前や命日などの手がかりを元に、動物の牙や骨のついた数珠を鳴らしながら行う儀式。
1回あたり約20分。謝礼として数千円を払う。
神社で働く巫女とは区別され、口寄せ巫女や村巫女と呼ばれる。起源は不明だが、江戸時代後期に東北を旅した紀行家・菅江真澄の日記に登場する。イタコの語源は「神の委託(いたく)」とも、アイヌ語の「イタク(言うの意味)」とも言われる。
「イタコ」にはどこで会える
当地域(むつ・下北)では、
恐山大祭(毎年7月20日~24日)と恐山秋詣り(毎年10月、体育の日を最終日とする土、日、月の3日間)の年2回、
恐山境内の中にいるので、入山料を支払って恐山へ入る。
時間は、恐山開山時間(6:00~18:00)。
予約等はなく、順番待ちとなる。また、最近ではこの期間以外にも恐山にいる場合があるらしい。
料金には特に決まりはなく、”気持ち”や”志(こころざし)” で金額や品物を渡すそうだが、目安として一口(一人降ろして、一人につき)3,000円位からといわれている。
”口寄せ”の雰囲気
サウンドFILE1(386K)35秒
サウンドFILE2(276K)24秒
http://www.mutsucci.or.jp/kanko/itako-03.htm
消えゆくイタコ 修行を敬遠・高齢で廃業…今や十数人
盲目の女性が死者を呼び寄せる。「口寄せ」と呼ばれる儀式を受け継いできた東北地方の巫女(みこ)が姿を消そうとしている。厳しい修行が敬遠され、福祉政策の充実で生計を立てる手段としての意味も薄れている。
目の不自由な巫女は、青森県の「イタコ」が有名だが、それ以外の東北各地にも存在していた。
秋田「イタコ」、岩手と宮城が「オガミサマ」、山形「オナカマ」、福島「ミコサマ」。近親者を亡くした人たちからの要請で「死者の霊を体に乗り移らせ、言葉を伝える」という儀式が「口寄せ」だ。依頼者のタイプに合わせて定型の口上を使い分けているとの見方もあるが、健康や縁談、商売などのよろず相談にも応じている。いずれも国の無形民俗文化財に選ばれている。
かつて東北には500人以上いたが戦後、廃業が相次ぎ、秋田、山形、福島県では途絶えたとされる。いまは青森、岩手、宮城県に十数人残っているだけだ。
遠洋漁業の基地である宮城県気仙沼市の唐桑町で「オガミサマ」をしている小野寺さつきさん(85)は14歳の時、病気で視力を失った。20歳から岩手県の巫女の家に住み込みで修行をした後、独立した。この半世紀、海難事故と隣り合わせの漁師町で、「口寄せ」や行方不明者捜しの相談に乗ってきた。多い時には1日に十数人の訪問者があったが、最近は体調を崩し寝たきりになった。
戦後の一時期まで20~30代の若い女性も珍しくなかった巫女は今、高齢化が進み平均年齢が70歳を超えている。
日本三大霊山の一つ、青森県下北半島の恐山では年数回の祭事の際、北東北各地から「イタコ」が集まってくる。かつては40人近くが参加していたが、近年は4人だけだ。大半の女性が高齢化で足腰が弱くなり、外出が難しくなってきた。
■視覚障害者の環境、変化
青森県八戸市で63年間、「イタコ」を続けている中村タケさん(78)は「厳しい修行が敬遠され、後継者がいなくなった」と話す。
巫女は少女期から師匠役の先輩巫女の家に住み込み、家事をこなしながら技術を習得する。すべてが口伝えで、断食の一種である「穀断ち」や水ごりもある。修行は3~5年かかり、師匠への「お礼奉公」も義務だ。
文化庁伝統文化課の石垣悟調査官は「目の不自由な女性を取り巻く環境が大きく変わった」と分析する。巫女は戦前まで、三味線と歌で各地を巡り歩いた「瞽女(ごぜ)」などとともに視覚障害者が社会で生きるための重要な仕事だった。ところが、戦後は盲学校への就学が義務化され、修行を支える徒弟関係が成り立たなくなった。音声ソフトの普及でパソコンへの入力作業が簡単になり、視覚障害者の職業選択の幅も広がってきた。眼科医療の進歩で幼少期の失明も減っている。
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青森の恐山のイタコについて
1 名前: こわい 投稿日: 2000/07/16(日) 11:58
青森の恐山のイタコと呼ばれる霊媒師達は本当に死者の霊を自分の体に落として遺族に
話が出来るのでしょうか?知ってる人教えてください。
2 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/07/16(日) 13:12
本当に出来る人も居る・・と聞いた事があります。
まあ・・あくまで噂ですけどね。
3 名前: いたろう 投稿日: 2000/07/16(日) 14:19
ある男が恐山のイタコに死んだ女房の口よせをしてもらった。 女房が降りてきて、
「私は、あなたより○○さんの方が好きで、関係もっていた」
というような内容を話した。 男は、イタコを死んだ女房だとマジで思いこみ、逆上してその場でイタコを絞め殺した。
恐山で本当にあった話です。
5 名前: 名無しさん@おっぱいがいっぱい 投稿日: 2000/07/16(日) 17:50
「すいません友人の○○を呼んで貰えますか?」
「仏さんの没年月日は?」
「昭和○○年○月○日、交通事故で死んでます」
ジャラジャラと数珠を鳴らすと経を唱えしばらくすると何かが降りてきたようで歌うように話し始めた・・・・・
実は呼んで貰った友人の○○は今でもピンピンと生きておりイタコが本物かどうか試したのです、
9割方のイタコは偽物でその能力はかなり低い物です、でも中には
「これ仏さんでねぇ、悪戯は止めてくれ」
とズバリ言い当てるイタコも居ます。
12 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/07/18(火) 22:32
ホンモノのイタコにあいたけりゃ、冬、行け。
籠もってるイタコがそうだ。見つけだせるかな?
閉山されてるから、途中で凍死するかも知れないし、間違いなく幽霊に会える。 それでも行くなら、止めはしないが。
ホンモノのイタコはすごいよ。
当人しか知らない事、例えば銀行の暗証番号を当てたもん。誕生日とか、簡単な数字じゃないぞ。 俺と、死んだ人の体重をあわせた数字だったから。
それがビンゴだったのは驚いた。それに、メッセージを聞く事も出来て、すっきりした。
ホンモノのイタコに間違いなく会いたかったら、冬、行け。 ただし、命の保証はないぞ。
36 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2000/09/10(日) 02:24
家では毎月お払い行ってるけど(あおもりにいないおでしさん)
その人は新聞にも載った行方不明者のいどこを突き止めたよ。
新聞は汚いからその辺を伝えなかった(作りと思われたくないから)。 みんなメディアで知ったのはうそだよ。
ほんとにあった話はメディアに載らないから。
39 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 投稿日: 2000/09/10(日) 02:35
入院先の病院名をあてたイタコが一人います。調べようはなかったって話。
千葉の旅館の女将から聞きました。
http://piza.2ch.net/occult/kako/963/963716325.html
イダコ祭り
去年亡くなった義母をおろしてもらいに親戚と一緒に、青森県おいらせ町のイダコ祭りに向った。普通はイタコだがここではなまってタが濁音のダになって「イダコ」とよぶ。イダコ祭りは午後1時からと聞いていたので、途中、八戸で昼食をとり午後1時過ぎた頃においらせ町の法運寺に到着した。一人200円の入場料(下足代)を支払い、入り口で手渡されたビニール袋に履物を入れて手に持ち、およそ100畳近い本堂の中に足を踏み入れると、すでにイタコの口寄せを聞く為に集まった人々で一杯だった。中年のカッチャ(おかあさん)もいるが見た所ほとんどがバッチャ(お婆さん)である。横になって仮眠をとったり、お菓子をたべたり、それぞれ畳の上でイタコを囲み自由な姿でくつろぎ順番待ちをしている。バッチャ(お婆さん)の住む霊界に迷いこんだような一種独特な非日常的な風景である。
近くのバッチャ(お婆さん)に話を聞こうとしたらどうも様子がおかしい。素性のはっきりしない者にいきなり話しかけられたのでバッチャ(お婆さん)は驚いて引いてしまったらしい。それと長髪の男を身近で見かけることがなかったのか私を男か女か判別できなかったらしい。目もそうとう悪いのかイルカのTシャツのお陰なのか50過ぎの中年男を20歳の大学生と思ってくれた。それでも思いっきり地元の訛りをいれて話すと安心したのか口を開いてくれた。
イタコの順番待ち
「早朝4時から来て待っていた。」という。すでになんと8時間も経過している。それでも誰かに先を越されたらしい。
「1年に一度は先祖の声を聞かないと落ち着かないので、毎年欠かさず来ている。」
「ほとんどの人が死んだ旦那や両親、兄弟姉妹、子どもと次々におろす。」
「ほとけを一人おろす度に千円をはらう。」
恐山では一霊三千円なので何故か法運寺は二千円も安い。昔は二十銭、百円だった。
おそらく恐山は全国からバスで大挙してやってくる観光客を相手にしているので値上げしても客足は落ちず、恐山と違って法運寺はどちらも地元なので口寄せもリピーターが多いからではないかと思われる。それでも大抵5~6人も降ろすのでバッチャ(お婆さん)達にとっては結構な金額になり、さらに値上げすればかなりの金銭的な負担になってしまう。
「一人で何人もほとけを降ろす人が多いので待つ人ごとに30分以上かかるのがざらだ。今からだとあんたたちは夜になるのではないか。」という。
イタコが何人いるか数えてみると6名いてそれぞれ膝元にメモ帳が置いてある。順番を待つ人が多いのでそこに名前を記入することになっている。すでに名前が20名ほど記入済みである。
衰退するイタコ祭り
イタコは恐山が有名だが、恐山にイタコが住んでいるのではなく、普段は青森に散らばって住んでいる。イタコが恐山の大祭の時だけ各地から集まって来るのである。
青森県は昔、右側は南部藩で左側は津軽藩に分かれていた。以前は盛んだったイタコの市も最近では恐山の他に津軽の川倉地蔵堂と南部の法運寺の三カ所だけだという。法運寺の本堂は明治14年に建立され翌年の15年よりイタコの口寄せがはじまり、その歴史は昭和10年頃から始った恐山よりも古い。
法運寺に集まったイタコの人数は最盛期80人もいたが昭和29年には50人、昭和40年に31人で今年は6人である。イタコはあきらかに衰退の一路をたどっている。
シャーマニズムの形態
最も古い日本の宗教の形態はと問えば仏教でも神道でもなく、それはシャーマニズムである。シャーマニズムはおそらく数十万年も遡ることができる人類最古の宗教的伝統でもある。世界中の狩猟採集民族にはあらゆる事物には精霊が宿るというアニミズムの信仰がほぼ共通して見受けられる。そして霊的存在と交流する人々をシャーマンと呼ぶ。
エリアーデによるとシャーマンにはトランス状態になって肉体から抜け出して霊的存在と交流して帰還するエクスタシー(脱魂型)と霊がシャーマンの肉体に憑依するポゼッション(憑依型)がありイタコは憑依型である。
東北地方におけるシャーマンが誕生するプロセスには2つのタイプがありイタコ系とカミサマ系に分かれる。
カミサマ系はある日、突発的に神懸かり、シャーマンの病とよばれる変容をへて、祈祷師としてデビューする。信者を持つ新興宗教の教祖タイプである。南部では屋号をつけて○○のカミサマと呼ばれる。津軽ではゴミソと呼びカミサマ系は死者の口寄せをせず予言や託宣、占い、災難を祓う祈祷を主に行なう。
イタコ系はほとんどが盲目の女性でイタコの師匠に弟子入りして一定期間修行して、死んだ人の霊をおろさせる口寄せの技術を学んで自立する。
イタコの口寄せ
イタコの順番待ちが22番で遅くなるのは明らかなので、夕方まで外に出て海に行くなり、ゆっくり温泉につかるなりすることにして法運寺を後にした。三沢市内の200円の温泉につかり、さっぱりした所でとりあえず5時頃戻ってみると待っているのはちょうど後一人で、次にはあっけなく順番が回って来てしまった。順番待ちのメモ帳を見るとかなりの人がキャンセルしている。どうやら待つことを嫌って、あきらめたのか、すぐに口寄せ可能なほかのイタコに移動したようだ。
中村タケ
私たちが口寄せを依頼したのは中村タケ巫女である。
現在75歳、3歳の時に麻疹で失明して、13歳のころイタコの修行に入り、15歳で法運寺でデビューした、この道約60年のベテランである。
CD「日本語を歌・唄・謡う」(アド・ポポロ企画、制作)では人間国宝の中村鴈治郎や桂米朝とともに中村タケ巫女の口寄せも収録されている。マスコミに登場することもあるが、かといって尊大なところはなく人柄はいたって純朴で謙虚だ。
昔の口寄せ
昔の口寄せには決まりがあり「百日過ぎているかどうか?」をイタコは問題にした。
百日すぎなければ霊はよんでも答えず、別な霊を呼んでしまうからだという。
しかし厳格に定められていたこの決まりも守られなくなり最近はなんでもかんでも降ろすイタコもいるようだ。
明治以前の仏おろしは一回の口寄せで話が出来なくなるくらい消耗し、1日に1~2回が精一杯だったらしい。
特に恐山はあまりにも有名になったために、商売目当てにイタコのほかにカミサマやゴミソも参加するようになった
短時間で現金収入が得られるので、口寄せの時間も2~3分と短くなり、本来の地元のイタコによる死者の巫儀の意義はすたれ、観光客相手に簡単な口寄せで済ましてしまうお粗末なものになってしまった。
イタコはかつては地元の人々との繋がりの中で部落のオシラサマの儀礼や正月の恵比寿まわり、農作物の作柄を占ったりと濃密な関係を保っていた。
口寄せには死口(しにくち)といって行方不明になった死者の霊を憑依させ「ワ(私)のからだはどこそこにある。」と遺体の場所を遺族に告げることもあった。
ほかに生口(いきくち)といって行方不明の生霊(いきりょう)を憑依させ居場所をつげることさえあった。生口(いきくち)は最も辛く3時間も汗だくになりながら全国の神さん稲荷さんにお願いして四方八方手を尽くして探してから魂を抜きイタコの身体に寄せる、
そうしてタコ部屋に監禁させられていた行方不明者をあてたイタコ(三浦かしの)もいた。
昔の東北は津々浦々までイタコが大勢いた。かつては生者と死者の境界が分たれてはおらず生と死は連続していた。その名残りをイタコは今に伝えている。
形骸化した口寄せ
間山タカ(1988年恐山)
嘘のほとけでも降ろすからイタコはインチキだといわれるがイタコにもピンからキリまであり、よく当たると評判がたつイタコには長蛇の列ができた。
特に最も評判が高かったのは伝説のイタコ間山タカだった。
しかし優れたイタコもよる年波には勝てず次々と他界しイタコの数はかなり激減した。真性のシャーマニズムを期待して出かけても恐山でのほとけおろしは型にはまった口寄せしかみられないのが現状である。
恐山の口寄せパターン
イタコが数珠を鳴らしながら仏おろしの祭文を歌う。
「あーいーやーあー」
「今日は呼んでくれてうれしい。」
「本当は死にたくなかった。」
「家族の健康を願っている。」
「夫婦、兄弟、親子、仲良く暮らしてくれ。」
「某月某日、喜びあり。良いことがある。」
「某月某日、交通事故に気をつけろ。戸締まりに気をつけろ。」
「今日はおまえに会えて良かった。喜んで帰る。」
イタコが数珠をじゃらじゃら鳴らす。
はい3000円です。
イタコの修行
昔の全盲の女性はイタコになるしか生活の道はなかった。盲目の娘は特に霊能力がなくとも、まわりの勧めにより、しかたなく、イタコの師匠のもとに弟子入りするのである。入門は早いほど良いとされる。
J・ピアスによると7歳くらいまでの子どもは透視、テレパシー、予知能力がありESPも多数報告されるという。そして7歳から14歳 ころまでの子ども達は暗示にかかりやすく、8歳から11歳がその頂点だといわれる。子供は大人の様に世界と自我との境界がはっきりと確立されてはいない。自我がまだ未発達の方がイタコの世界感を受け入れやすいのである。
師匠も弟子も盲目なので般若心経や観音経などのほか三十から四十のイタコの巫歌を口うつしでおぼえる。様々な仏教、神道、修験道、民間宗教の神々、権現、大明神、菩薩、諸天善神の名前とダラニ、祝詞をおぼえなくてはならず、おぼえが悪く10年もかかったイタコもいたという。
イタコの入魂儀礼
仕上げの入魂儀礼は「大事ゆるし」と呼ばれる。祭壇が祀られている行場で弟子に神懸かりが訪れるまでおこなわれる。食事は精進で塩断ち、穀断ちをして干し柿、干し栗、などの果実で餓えをしのぐ。水垢離の行場にはしめ縄がはられ、師匠も弟子も真新しい白装束に5尺のはちまき、白足袋を身につけ、冬でも暖をとらずに食事前に日に三度、毎日水を三十三杯かぶる。マントラを唱えながら右回りにぐるぐる旋回したり、気合術師を呼んで気合いをかけることもあったらしい。イタコの弟子は極度の疲労と緊張の中ではげしく身体を震わせて失神する。師匠はその時に「何がついたか?」と問いかける。そうして答えた神仏の名がイタコの生涯の守護霊になるのである。
最後に「師匠上がり」といって商売道具の数珠を譲り受けて師匠から独立するのである。イタコの数珠はイラタカ数珠と呼ばれ普通の数珠と違い独特である。珠は無患子(むくろじ)の実で子安貝、熊の爪、獣の牙と角が使われている。イタコはこのイラタカ数珠をじゃらじゃらならしながら「仏おろしの祭文」を語って仏に来てもらうのである。
シャーマンの病
イタコの入魂儀礼も時代と場所によって多様であるが、いずれにしても神懸かりになる為に大変な苦行をする。寒い冬の水垢離は冷気に耐えかねて逆に身体に熱を発生させる。下半身に発生した熱が背骨を通って頭まで達成して変化が生じるのである。蛇や龍はこの熱エネルギーの象徴である。不動明王が右手にもつ、倶利伽藍(くりから)の剣に蛇が巻きついているのは、このことを表しているように思える。正常な意識では耐えられないので思考から切り離すため祝詞や祭文といったマントラを延々と唱え続ける。イタコは変成意識状態の中で神や仏と出会うのである。
右耳の上にある大脳の右側頭葉は魂の座と呼ばれている。自己と意識の接点があり、右側頭葉を刺激するとテレパシー、光のヴィジョン、音の幻聴、人格の変容、体外離脱体験が起きることが解っている。この領域に脳の損傷がおきると魂の抜けた自動機械の状態になり、さながら生きる屍のようになる。
イタコの入魂儀礼は堪え難い疲労と緊張によるストレスが引き金になり大脳の右側頭葉の回路にスイッチが入るのだ。儀礼はスイッチが入るまで続く。
そうして右脳の中から声が聞こえるようになって、はじめてイタコが誕生するのだ。
イタコ系は人為的だがカミサマ系の教祖達は人生の中で極端な不幸、災難、困難を経験して発狂寸前まで追い込まれる。病気や苦悩の頂点でカミサマと出会うのである。
日常を超えたこのような体験はシャーマンの病と呼ばれる。
意識の成長・進化
体験を否定して自我の崩壊、分裂が起こることもある。自我がある程度発達していないと恐怖のあまり退行してしまうのだ。閉じこもってそこから出て来ようとしなくなる。退行してしまうと、自我を越えることも社会にも適応できない状態に置かれてしまう。
体験が肥大化すると、自分は凄い人間なんだとうぬぼれてしまう。教祖が信徒に攻撃的になったり人に対して抑圧的、支配的になってしまうのは抑圧された無意識のエネルギーに巻き込まれてしまっているからである。カルトや新興宗教の教祖にこのようなタイプがいるので注意が必要だ。
私たちは自分の思考や感情を波動として周囲に放射しているので自我の境界が薄くなった人は気をつけなくてはいけない。霊能や特殊な能力をえて人に認めてもらいたいというのは自己評価欲求が満たされていない段階なので、問題を生じやすいのである。
不思議なヴィジョンを見たり、異常な肉体の感覚を経験したり、このような普通では考えられない体験を大いなる自己に統合できれば意識の成長・進化がおこる可能性がある。
それには抑圧されたエネルギーを解放し、体験を否定も肯定もせずただあるがままに見てゆく観察的な自我を育てることが必要だ。
http://homepage.mac.com/iihatobu/work/itako.html#anchor11
憑依・降霊現象 2
シャーマンのイニシエーション
イニシェーションは宗教用語で、入会儀礼と訳されている。
仏教の出家もフリーメーソンの入会もこのイニシェーションを通して確実なものとなる。
この儀礼の重要な要素は個人として「死と再生」を象徴的に体験することである。
キリスト教では洗礼をすることで、これまでの自分を清算し、キリスト者として再生する重要な儀礼となる。
この洗礼はもともと川に行き、頭まで水の中に沈めてしまうという力強いものであった。
スタインベックの小説『怒りの葡萄』にも川での洗礼の場面が出てくる。
この水をかける儀礼は、インドの場合には王様の即位儀礼と関係がある。
これを仏教では潅頂といい、王の資格を持つ者の頭頂に頭から水をそそぎかけた。
この水は聖なる力の象徴であり、この水をかけられた瞬間、彼は個人ではなく天国の代理人となるのである。
残酷な風習と考えられる割礼も、イニシェーションのひとつである。
正式に割礼を受けた者は、それまで母親の所有物であった関係を断ち切り、その象徴である血を出すことで、初めて男の世界の仲間に入るという象徴行為であった。
しかしこうしたイニシェーションの伝統は、地縁、血縁の結びつきが生きている時には効果的に働いていたが、現在ではイニシェーションの伝統そのものが失われ、また維持されているところでもその効果は疑わしい。
それは時代の要請によって、新しく生まれた宗教団体の閉鎖的な空間のなかでしか力を持ちえないのかもしれない。
http://www.s-net.ne.jp/benri/institut/dw/199606.html
イニシエーションとは、入社式または加入礼とも呼ばれる、通過儀礼の一つである。
外部の人間が新たに共同体に加入する時、しばしば苦痛を伴う儀式の洗礼を受けなければならない。
こうしたイニシエーションがなぜ必要なのかをシステム論的に考えてみよう
① イニシエーションとしての成人式
代表的なイニシエーションは、男の子(場合によっては女の子)が、母親との甘えた関係を断ち切り、成人の仲間入りをするときに受ける割礼である。
割礼とは性器の一部を「断ち切る」儀式で、男の子の割礼の場合には陰茎包皮を切除し、女の子の割礼の場合には陰核の全体あるいは一部を切除する。
割礼は、イスラム教圏、ユダヤ教圏、アフリカ、アジア、オーストラリア等で行われ、全世界の割礼人口は10億人と推定されている。
日本の成人式では、割礼は行われないが、縄文時代では、上顎の両犬歯と、下顎の前歯2本を左右対称に抜き取る抜歯が、成人となるためのイニシエーションとして行われていた。
今でもオーストラリアでは、抜歯をしている民族がいる。
この他、小指や耳たぶの切断、鼻の隔膜や処女膜の穿孔、頭蓋変形、唇や首の伸長、瘢痕文身など、痛々しい身体毀損と暴力がイニシエーションとして世界各地で行われている。
② イニシエーションとしての入学式
暴力を伴うイニシエーションは、遠い過去のあるいは未開の社会で行われている野蛮な習慣というわけではない。
現代の日本でも、イニシエーションを目にすることができる。
個人的な体験談で恐縮だが、応援団の先輩が一年生全員をしごく歌唱指導という行事は、私が高校に入学した時に経験したイニシエーションだった。
一週間にわたって、新入生は二種類の校歌に寮歌を加えた三種類の歌と応援を練習する。
歌や振り付けを間違えたり、たるんでいると受け取られたりすると、応援団員に「ふらふらしてんな!」と怒鳴られ、ど突かれる。
こうしたバンカラなセレモニーは、創立が古い田舎の高校によく見られる。
そうした練習が、その後何かの行事で本番を迎えたことはなかったし、大体、寮など廃止されてなくなっていたから、寮歌を覚えることなど無意味である。
歌唱指導は、それがイニシエーションであることを除けば、正当化する理由は何もない。
すなわち、歌唱指導の本当のねらいは、応援団員という最も愛校心の強い先輩たちが、校歌という集団との自己同一の象徴を新入生に叩き込むことによって、彼らに集団の一員としての自覚を持たせるところにある。
一般的に言って、日本の大学や高校は、海外の学校とは異なって、卒業よりも入学の方が難しい。
このことは、日本の学校が、機能的・手段的性格よりも、共同体的性格を強く帯びていることを示している。
入学試験に合格するために、受験勉強という苦難を経ることも、一種のイニシエーションである。
③ イニシエーションとしての入社研修
学校だけでなく、会社に入る時にも、似たような、苦痛を伴うイニシエーションを受けなければならない場合がある。
最近では、企業も、定年までの人生をそこで過ごす共同体ではなくなりつつあり、機能的・手段的になっているから、しごき型の研修は減ってきているが、かつては、次のような研修がよく行われていた。
「仕事は男の戦場だ」
「気力は体力に先行する」
1969年(昭和44年)、都内の電機メーカーの社員だった男性は、箱根山中の研修所で、大きな声を張り上げた。
天井からは、黒墨で書かれたげき文がつるされていた。
2泊3日のスケジュールで、テーマごとの討論会は、相手を論破するまで延々続く。
討論というよりは、ば声の飛ばし合いに近い。
中には、精神的に追い詰められ、泣きだす社員もいた。
睡眠をほとんど取れないのに、早朝からは2キロのマラソンも強制され、講師がムチのようなものを持って追いかけてきたという。
現在、50代になるこの男性は研修を振り返り、
「参加しつつどこか冷ややかに見ていた。今も酒の席で話題になったりするが、あの研修が仕事で役に立ったとは思わない」
と語った。 この男性は、研修の意味をあまり理解していないようだ。
しごき型の研修が実用的でないのは、私が受けた歌唱指導が実用的でないのと同じことである。
何十年も経った後でも、酒の席で話題になるのなら、この研修は、本来の目的を達成しているということができる。
もしも、入社の時、社長の退屈な話を聞くだけだったならば、それも一種のイニシエーションではあるが、決して、これほど記憶に残ることはなかっただろう。
④ イニシエーションとスケープゴートとの関係
通過儀礼の原型は、出産である。
子宮から、狭い隘路を経て、この世に生まれ出る過程は、死ぬときと同様に、大変に苦痛に満ちたものなのだそうだ。
成人になるなど、新たな生まれ変わりをするとき、擬似的に出産のプロセスが反復される。
しかし、イニシエーションとしての通過儀礼には、システム論的観点からすると、別の機能もある。
入所式としてのイニシエーションとスケープゴートは、方向は反対だが、機能は同じである。
すなわち、自分たちと異質であるにもかかわらず、自分たちと同じ共同体に属する中間的存在を完全に排除することにより、共同体の境界(システムと環境の差異)を明確にすることがスケープゴートであるのに対して、外部から自分たちと同質のメンバーとなる中間的存在者に、境界を意識させることにより、共同体の境界(システムと環境の差異)を明確にすることがイニシエーションなのである。
どちらのケースでも、中間的存在者が境界を通過する時、暴力がふるわれるという現象が起きることが多い。
通過儀礼一般には、暴力は必ずしも必要ではない。
例えば、結婚式は、イニシエーションとしての性格がない通過儀礼であるから、既存のメンバーから暴力を振るわれるということは、まずない。
しかし、既存のメンバーがいる集団に入る時には、境界を通過する新参者に何らかの苦痛を味合わせることによって、境界をはっきりさせ、システムと環境との差異である、システムの秩序を維持しなければならないわけである。
http://www.nagaitosiya.com/a/initiation.html
部族社会では危機が訪れるとシャーマンが変成意識状態の中で啓示を受け部族を導き、部族を危機から救おうとする。
シャーマンのイニシエーションには「シャーマンの病」と呼ばれる精神的な危機がある事が知られている。
その構造は神話の構造と共通している。
1、セパレーション(分離・旅立ち)
地下世界 天上界 異界への長く苦しい旅立ち
2、イニシエーション (通過儀礼)
異界で神々、悪霊、祖先霊、動物の霊と遭遇する。
精霊に出会ったシャーマンは苦痛の中で象徴的にバラバラに引き裂かれる。
死と再生のプロセスを通過して シャーマンは深い人格変容をとげる。
3、リターン(帰還)
シャーマンは宇宙の智慧と癒しの力を得て共同体の一員として再統合する。
現代の、拝み屋、新興宗教の教祖などの霊媒体質のシャーマンに共通するのは人生の中で突然、極端な不幸、災難、困難に出会い、発狂寸前まで追い込まれることだ。
病気や苦悩の頂点でカミサマと出会うのである。
危機状態を通過したのち霊能力を活かし、相談事を請け負う拝み屋になるのである。
ただし祈祷師、拝み屋、今風にいえばスピリチュアル・カウンセラーにもピンキリがあり、無意識が浄化されていないと物質的な現世利益に走り精神を病んだり、体調を崩したりする者がいる。
シャーマンの危機は現代医学では重度の精神病と診断されている。
精神的な危機に陥った住民を経験豊富なシャーマンは歌や踊り、祈りによって適切な処置を施し共同体の中に着地させる。
精神的な危機を理解できる指導者がいない文化では精神病の患者は共同体から隔離され誰からも相手にされない。
薬づけにされ、病室に閉じ込められる。
シャーマンがいない共同体では危機状態に陥った者の精神の苦しみはより増すばかりである。
神話に表れる英雄、シャーマン、神秘家の体験、精神分裂病患者(統合失調症)の旅には共通の構造がが見られる。
自我の境界を超えると様々な無意識のイメージやヴィジョンの洪水に襲われる。
同じ無意識の海に飛び込んでも神秘家やシャーマンは泳ぎ、精神分裂病患者は溺れてしまうのである。
20世紀の初頭イヌイットのシャーマンはデンマークの探検家に偉大な精霊シラについて話した。
「宇宙の霊であるシラは、目には見えない。声が聞こえるだけだ。
わたしらが知っているのは、シラが女のようにやさしい声をしているということだ。
とても上品でやさしい声なので、子どもでさえこわがらない。
そしてシラはこう言う。『宇宙を恐れるな。』」 と
シャーマニズムの研究によるとシャーマンになるには二つのパターンがある。
召命型と探求型である。
沖縄と奄美には「カンカカリャ(神懸かり)」「ムンスイ(物知り)」「カンヌプトゥ(神の人)」と地域によって呼び名がことなるユタが存在する。
ユタはほとんどが女性であるがカミグルイ、カンブレ、カミダーリィと呼ばれるイニシエーションを経験する。
ある日、結婚生活を送っていた主婦の心身に異常が起きる。
夢や日常の中に神々が表れたりして精神状態が不安定になり、様々な体の不調を訴えるのである。
そのうちに神の歌を歌い一日中踊り続けたりするようになる。
当然、「モノグルイだ」「神グルイだ。」と近所で噂になる。
シャーマニズムの伝統が生きづいている地域ではこれが「聖なる病」であることが理解され家族は精神病院ではなくユタを訪れる。
やはり、カミダーリィとわかり一人前のユタを目指す。
ただしカミダーリィが起きた人が全員ユタになる訳ではないようだ。
「精霊から何代か前の先祖の葬られた場所を探し当てて供養しなければいけない。」
といわれ何年も探し歩いて彷徨しているユタもいる。
精霊にもやり残した仕事があるのだろう。
又、精霊と交流するうちに自分は特別な存在としてエゴがますます強化することもある。
無意識の抑圧に無自覚な人が妄想の中で神社巡りをつづけることもあるのである。
無意識に抑圧や緊張がある者が霊的な能力を得るとその能力故に自滅するケースもある。
突発的に神懸かりになる召命型のユタには人生でさまざまな災難が降りかかり、病気、貧乏、友人、家族、兄弟の死、夫の浮気、離婚などの苦悩と極端な不幸な経験をつむものが多い。
絶望しても死ねないことは普通の人では耐えきれない人生である。
しかし3次元の世界では不幸だがのちに神様の世界から見れば素晴らしい経験だという事を知るのである。
そして超自然的な出来事の中で思考が落ち、神に選ばれた自分の運命を受け入れ自覚した人がユタになるのである。
生まれながらのユタとして人々は「ウマレユタ」と呼び神と直接交流出来る人として特別視する。
ユタには人々をカミンチュ(神の人)に導くことを使命と自覚している人もいる。
カミダーリィを経ないでユタのもとに通っているうちに、ユタのシステムをおぼえていつのまにかユタ稼業を始める者を「ナライユタ」と呼ぶ。
探求、修行型は東北のイタコに相当する。
カミダーリィをシャーマンの病とも呼ぶが召命型のイニシエーションは世界中の先住民の文化に共通してみられる。
変成意識状態の中でシャーマンの今までの肉体は完全に解体される。
頭は切り離され手足と骨盤、関節はバラバラに分解される。
心臓や内蔵が生きたままとりだされる。
筋肉が奇麗にそぎ落とされ目がくり抜かれたりする。
体液が抜き取られ、そして釜で煮込まれたりする。
シャーマンはその間ほとんど息をせず臥せっているのである。
最後に骨が拾い集められ、肉がかぶせられる。
解体と再生は3日から7日続きイニシエーションは終了する。
これらはLSDやメスカリン、アヤワスカなどの向精神物質の摂取でも同様な報告がある。
シャーマンの病とはまさしく跳ぶ前に屈むことなのである。
http://homepage.mac.com/iihatobu/index.html
うつとシャーマニズム
以前このブログで、私のうつ体験について書いたとき、インディアンのシャーマニズム(呪術的民間信仰)について詳しいある人が、
「先生の体験って、シャーマンのイニシエーション(呪術師になるための通過儀礼)そのものですね」
と話してくれた。
そう言われてみれば、自分ばかりでなく、うつの人のカウンセリングをしていても、自然とシャーマニズムについて話すことが少なくない。
どうやら私の目には、うつの人々とシャーマンとが、重なって見えることが多々あるらしい。
一体なぜそうなるのか、話の流れなどを具体的に思い出し、考えてみた。
シャーマンは、世界各地、特に古くから続く文化を踏襲している地域において、より多く存在し、日本語では「呪術師」あるいは「巫師(かんなぎ)」と訳される。
多くはトランス状態に入り、神の言葉を伝えるという職能の人々のことである。
日本で代表的なものとしては、巫女があげられるが、現在なお実質的な影響力を持つ人々として知られるのは、沖縄周辺の「ユタ」や青森県の「イタコ」が有名である。
青森県の「イタコ」の場合、視力障害を持つ人などが、その職能を身につけるために厳しい修行を行い、その立場を得る。
しかし、沖縄地方の「ユタ」の場合、一部の例外を除き、それまで一般人として生活していた人が、何らかのきっかけで一種の精神病様状態「カミダーリ(神障り)」に陥り、それを克服する中で、自らの「ユタ」としての能力と天命に目覚めていくという経緯をたどる。
イニシエーションにおいてシャーマンがたどるプロセスについて、井上亮(故人)という心理学者から聞いた話がある。
井上氏は大学に助教授として在任中、海外留学先を決める際、周囲の驚愕をよそに、さっさとアフリカはカメルーンの呪術師のもとに留学することを決め、1年を経て、実際に呪術師の資格を得て帰国した人で、さほど口数は多くないが非常に魅力的な人物であった。
シャーマンになるためのプロセスの中では、いくつかの課題を克服せねばならないという。
中でも、特に私の記憶に強く残っているのは、「孤独」と「恐怖」の克服である。
氏自身も、「恐怖」の克服こそがもっとも大きな課題であるとして、通過儀礼の中心に位置づけておられたように思う。
シャーマンの通過儀礼においては、「恐怖」の対象は、単なる観念ではない。
戸のない小屋で、夜一人で睡眠をとることを命じられ、ベッドに横たわっていると、黒豹が小屋の中に入ってくるというのである。
この黒豹は、たしかに実体ではあるが、ある大きな存在の化身らしく、普通に自然の中で生活している生きた黒豹とは違うようだ。
通過儀礼を受ける者は、これから逃げてはならないし、起き上がってもならない。
氏が儀礼を受けていた際も、確かにこの黒豹が、小屋に侵入してきた気配があったということである。
これまで自分が生活していた日常の世界から、未知の異世界へと通路が開かれていくとき、夢や物語の中では、異世界を象徴する存在は、しばしば獰猛な動物的性格を帯びる。
以前、このブログで『こぶとり爺さん』の解釈を試みたことがあったが、爺さんが最初に見た異世界の姿もまた、異形の鬼(妖怪)どもの宴であった。
そして、やはりこの爺さんも、「鬼に食われてもよい、わしは踊るのだ」という形で、恐怖を克服したのである。
ごく普通の人の場合でも、外部からの圧力によって表現することを妨げられた感情は、「怒り」という様相を帯びる。
それは、檻に閉じ込められた、あるいは鎖につながれた獣が、怒りのためにより凶暴になるというイメージに似ている。
異世界も異世界への通路も、潜在的にはとっくに存在していたのだが、ただ人の側にそれを受け入れる準備ができていなかったために、意識の向こう側に閉じ込められていたに過ぎない。
かなり前の放送だが、NHKスペシャル『脳と心』の最終章「無意識と創造性」に、宮古島のユタである、根間ツル子さんという女性が出演しておられた。
先に述べたユタの例に漏れず、彼女もまた離婚という節目をきっかけに精神病様状態となり、他のユタのもとを訪れて、「この人はユタになる人だ」と見抜かれたのだという。
都会であれば、「精神病」あるいは「人格障害」で片付けられてしまう状態だ。
根間さんに初めて神がかりが起きた頃、ある一つのことが強く訴えられた。
番組では、当時の神がかり中の根間さんの肉声が放送されていたが、まさに壮絶なまでの叫びであった。
「ああ私が悪かったぁー!…………
何としてもこの井戸を、これだけは、これだけは頼みます……!」
と、すでに使われなくなり、埋もれてしまっていたある井戸を再び掘りなおすことに、強く執着したのである。
根間さんは実際にこれを実現し、そしてユタとなった。
万物の根底にある地下水脈、地下世界という異界と、この世とをつなぐ通路。
根間さんの魂、あるいは宮古島の人々や自然の魂にとっては、それがその井戸だったと言えるだろう。
この場合、「井戸は、単に象徴に過ぎない」と言うことはできない。
心理的に大きな何かを乗り越えるというのは、単に「心の持ちようを変える」というのとは、まったく次元を異にする。
うつという病を乗り越えるにも、まず例外なく、ある現実との実際の闘いなくして、遂げられることはない。
だから根間さんも、実際に井戸を開通させねばならなかったのだ。
万物の根底にある地下世界のイメージによって表現される領域を、ユング心理学では「普遍的無意識」と呼ぶが、ユング自身もまた、当時ヨーロッパを席巻していたフロイト心理学と袂を分かった後、精神病様状態をともなう極度のうつを経験している。
そののち、ユングはこの考えを体系化するに至るのだが、彼もまた、フロイトとの決別という苦難に満ちた過程を経ることで、普遍的無意識に達する井戸を開通させたのだと言える。
うつの人々の特徴は、一言でいうならば、ものごとの本質・本筋・矛盾を見抜く目に、曇りがないことである。
だから、まわりの雰囲気や、慣習や、馴れ合いに流されず、いつも本当のことが見えてしまう。
要するに、非常にシャーマン的なのだ。
こういった人々の割合は、どれほど多く見積もっても1パーセントくらいではないかと、私は考えている。
はっきり言って、特殊と言わざるを得ない。
そして、そこにこそうつの人々の苦悩と劣等感がある。
一般の人々は、自力では大きな存在とは繋がれない。
それを導き、繋げてやるのがシャーマンである。
本来の姿のままに自然と人間とが有機的に絡み合い、人間性が生き生きとした文化の中であるならば、シャーマンのような立場となるべき人が、うつになるタイプの人々の中には少なくないのではないかと思うのである。
本来ならば、常に真実を見、正しい言葉を語り、尊敬を集めてこそしかるべき人々が、踏みつけにされ、もがき苦しまねばならない社会。
一体われわれは(というよりも私は)、これをどうすればいいのだろうか。
http://kohocounsel.blog95.fc2.com/blog-entry-55.html
■カミンチュ(ユタ)とは
沖縄本島・離島・奄美諸島に古来から存在する民間の巫女・シャーマンのことを一般にユタと呼ぶ。
運勢の吉凶を見たり、死者の口寄せ、先祖事などの霊的相談に応じる。
昔からカウンセラーや精神科医の役割も果たしていた。
他の地方のシャーマンたちと同様、ほとんどのユタは女性である。
カミンチュになった動機を聞くと、ほとんどが「好きでなったのではない」と言う。
他の地方の霊能者と違い、沖縄や奄美のユタは、ユタになることを運命づけられていると思われる人が多い。
そういう人々のことを「サーダカウマリ(性高生まれ)」とか「カンダカウマリ(神高生まれ)」などと言う。
■ユカミンチュの成巫(せいふ)過程
カミンチュの多くは人生のあるときに、離婚や親族との死別などの不幸な体験をきっかけに神懸かりになり、「カンダーリィ(神ダーリィ)」と呼ばれる巫病を患う。
この期間中は精神状態が不安定になり、人によっては不眠、拒食、意識喪失、大声で歌い騒ぐ、身体が震えるなどの状態が続き、精神病者と紙一重になる。
しかし、これはほとんどのカミンチュが経験する「関門」なのだ。
この間、彼らは自分に憑いた神霊や先祖霊に命じられるままに、いろいろな御嶽を回って祈らされたりする。
こうして彼らは自分と関係が深い神霊や先祖霊によって祖先の道を悟る。
するとカミダーリが収まり、霊感が得られる。
この状態をチヂアキという。
そして、ユタと神霊との関係ができ、判示をする存在ができる。
こういう存在のことを「ジヂブン(守護霊)」などと呼ぶ。
カミンチュになった後でも、病気、貧乏、身近な人の死、離婚などの不幸な体験を何度も経験する。
また、幼少時から病弱な人が多い。
ユタのほとんどを占める女性のユタは、ほとんどといって良いほど離婚歴がある。
こうして、ユタになることを拒む彼らにさまざまな災難が降りかかり、けっきょくイヤイヤながらカミンチュに招命されることを承諾するのだ。
■カミンチュの分類
カミンチュには2つのタイプがあり、宮古では天ヌザーを扱う者と、グソー(あの世)ザー
を扱う者にわかれる。
前者は、主に神や遠い先祖に向けた儀式を行う。
後者は死に関連した儀式を専門とし、宮古ではグソーザスとかスンガンカカリャと呼ばれたりする。
沖縄では死者が出ると一族揃ってユタのところへ行き、ユタは死者の胸の内を家族に語り聞かせる
「生まれユタ」と「習いユタ」という区別をする場合もある。
生まれユタは生まれつき神懸かり能力をもっていたり神事を直接神から習った人で、習いユタは、そういうことを他のシャーマンから習ったという違いがある。
■カミンチュの役割
沖縄文化圏では古くから、ユタ禁止、ユタ征伐、ユタ狩りなど、琉球王国時代から明治政府、戦時体制下まで幾度もユタを禁圧した歴史がある。
だが、民衆の要求に支えられて潜伏し、いままで生き続けてきた。
青森のイタコなどは絶滅寸前のようだが、沖縄・奄美のユタは、民衆の必要性に応じて、その数は増える一方であるようだ。
ユタの存在に対して否定的な見解をもつ人々の多くは、祖先の祟(たた)りをことさらに強調し、人の心を畏怖(いふ)させることを問題とする。
だが近年は学者の間でもユタに対する肯定的な意見が多くなってきつつある。
たとえば1997年の多文化間精神医学会のシンポジウム「癒しと文化-土着の中の普遍」では、沖縄土着の癒しの三つのキーワードの一つにユタの「判じ」を挙げ、ユタはある意味で地域の精神保健を担っていたという意見も出ていた。
専門家の間にも、ユタによって「精神的安定」が得られ、それが沖縄人の長寿の秘けつの一つとする見解さえあるようだ。
ユタに見てもらうことを「ユタ買い」という表現をする。
沖縄の精神科医は、患者さんにユタを薦めることもあるという。
こういう習慣を「医者半分、ユタ半分」という。
お医者さんも、その効果をある程度認めているからこそ薦めるのだろう。
多くの人は「カミンチュ=霊能者」と思うだろうが、まったくイコールだとは言えない部分があるように思われる。
カミンチュの多くは先祖ごとを主として行い、人々に「癒し」を与える。
だが、社会や人間を罪から救うというもっと普遍的な目的のために、カミンチュとして立つ者も存在する。
私(百瀬)が会ったある女性カンカカリャは、自分の使命は皆を公平に扱い、神の教えを広め、新しいカンヌプトゥ(神の人)を産み出すことにあると信じている。
だからこそ、われわれはユタの存在を無視できないのだ。
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TG/mikoclub/yuta01.html
神人(カミンチュ)=ユタへの道先日、伊良部島でお会いした女性から、お電話をいただきました。
その内容は、沖縄の神人(カミンチュ)から、
「あなたは、神さまから、神人(カミンチュウ)にならなければいけない時期に来ています」
と告げられたので、そのことを受け入れて宣言した後、今、毎日、拝所(ウガンジョ)を回っているんですが、何か、アドバイスはありますか?ということでした。
神人になるということは、最終的に、
自分の神を持つ = 神につながる = 神の役目として生きる道
のことを言います。
これは、決して、なまはんかな気持ちではできないことです。
今年の3月の宮古島・伊良部神事のときに、伊良部島に住んでいる方で、現在、神人修行中という女性に逢いました。
その方の苦しさがよくわかりますので、これからのアドバイスをしましたが、神の声と、自分の気持ちをどうバランスよく調和をとるかが、とても難しい期間なのです。
この神人になる道は、普通は、”三年修行”と呼ばれていて、三年間は何をさしおいても、最優先のテーマとして、神の言葉に素直に動かなければいけません。
特に、沖縄以南の神人と呼ばれる人たちは、昔からこのこの期間の苦しさを経験していますので、よく知っています。
でも、周りの人に頭がおかしくなったと思われたり、変な人になったと敬遠されたりするので、この苦しさから逃げ出そうとして、家族の命をとらえたり、大きな事故が起きたり、想像を絶する経験をしている神人も少なくありません。
だから、ほとんどの神人は、自分の三年修行の話はしません。普通の方には、理解できない苦しみがあるからです。
この期間がどんな感じかというと、まず、自分のしたいことは、ほとんでできません。
すべての意思は、神にあるからです。
自我を完全に消すための修行期間ですので、自我と神のいうこととのはざまに陥る苦しい時期なのです。
そして沖縄地方独特の神さまごとに手をあわせる祈りには、必要なものを買い揃えたりもしますので、祈るたびに、お金もかかります。
さらに、祈る時間は、朝も夕も夜中も関係ありません。
神が必要とするときに、動けなくてはいけませんから、ほとんどの方は、仕事ができなくなってしまいます。
こういう経済的な問題や生活パターンの変化は、家族の問題を引き起こしたり、夫婦関係や親戚関係にも、大きな影響がでてきます。
皆さんが、普通だと思っている日常の現実世界での優先事項が、一切できないこともよくあるからです。
神に使え、神の一部となり、神の役目をする神人(カミンチュウ)とは、そういう役目の方たちなのです。
伊良部の神人と話しているときに、”大和の国の人”と私たち日本人のことを呼んでいましたが、現在の日本で活躍しているセラピストやヒーラー、また、スピリチュアルカウンセラーよ呼ばれる人たちとは、まったく違う存在くらいに、ものすごい経験をしなければできない仕事だと理解してください。
私も昔は、自分のことを”霊媒師”としか説明できなかった時代がありますが、今は、癒しの時代のおかげで、世間で受け入れられていることに感謝しています。
しかし、神人は、土地を守り、先祖を守り、すべての御霊のふるさとの神さまの伝言を正しく伝える役として、一生、働らかなければいけない役目の人なのです。
私も実は、大和の人間ではめずらしく、”三年修行”を経験しています。
だから、沖縄や伊良部島の神人に逢っても、互いの歩んできた道の苦しさを理解しあえますし、その結果で得られたお互いの”霊格”を尊重しあえるのです。
お電話いただいた60代の女性は、琉球地方に最初に神が降りた場所と呼ばれる久米島出身ですし、さらに、現在、沖縄本島でも、自分なりに祈ることをずっと続けていた方ですが、それまでの祈りとは、桁はずれの修行の道に入ったことになります。
守るべきところを守る方がいない場所が多くなってきているのも、沖縄以南の島々の現在の大きな問題です。実は、そういう方たちがいないと、天災や災いから、守る霊力や神さまの力が弱まってしまうからです。
現代の風潮の面倒なことはなるべくしないで楽をしようとする一方で、こういう苦難の道へ進んでも、みなさんの土地や日本や地球を守ろうとする方もいらっしゃることを知っておいてください。
だから、皆さんにお願いしたいのは、ウタキや拝所のルールを正しく知り、神人(カミンチュウ)の方たちとの付き合い方も覚えて、その大切なルールを誰かに伝えていかなければ、この日本を守る大きな霊力バランスが、崩れてしまうことになることを知っておいてほしいのです。
現在、それぞれの土地を守っている神人たちと、これから神人(カミンチュウになられる方たちへのご理解と、大切にすることの意味を知り、これからもさらなるご理解とご支援をよろしくお願いいたします。
すべての過去を司る神々たち、そして、その役目を果たす神人たちに、心からの感謝と愛をこめて。
http://heartland.ti-da.net/e979275.html
ノロ神様に会いに行く
蝉のシャワーを浴びながら、緑の森の中を登っていきます。
どこへ向かうかというと…
ノロ神様という生き神様に会いに行こうと山を登っていきました。
奄美大島には「ノロ神様」とか「ユタ神様」といった生き神様がいらっしゃる。
見てもらったという友達が「すごいよ~。」と言っていた。
何がすごいって、例えば電話で話をしていたら
「テレビの上に赤ちゃんの写真を飾ってあるわね。やめた方がいいわよ」
と見てもないのにぴたりとあてるんだそうだ。
実は奄美に来てから病気やケガばかり、いいことがないなあと思う今日この頃。
今後の指針のために見てもらおうと思って以前から考えていて、やっと実現したわけ。
「卯年の子供がいるね」
「馬がいるね~。男の子みたいに活発な女の子」
などなど、不思議にピタリと何年かを当ててくる。
「何に気をつけなさいね」など注意した方がいいこととか、色々お話ししてくださった。
最後に持ってきた焼酎に何やら唱えてくださってから
「これを家の水回りに全部流してお清めをしてね。
それから外に塩を撒きなさいね。それで家の状態が良くなるから」
「あなたは下をよく見て気をつけて歩きなさいね」
ハハハそういえば、何もないところで転ぶのは私の特技。
実は男の子が欲しいと切望してはいたのでちょっと聞いてみたのだが、
「二番目は男の子みたいに活発でしっかりしてるから男の子だと思ってその子に期待なさいな」
と笑顔で言われてしまった。
それにしても、生き神様。
そこまでみることができるとは。結構すごいのではないかな?
うなずきながら、また道を下っていった。高く昇った太陽が眩しい……。
____________
ユタ神様の所へ行かれたんですね!
島の皆さんもユタとノロを混同してノロ神と言うことが多いのですが、ノロは那覇ン世の時代琉球王朝から辞令を受けて政を担った神女のことでもちろん制度としても今は残っていません。
tokorineさんが行かれたのは奄美の土着信仰のユタ神様です。
同様の例に青森むつのイタコがありますね。
よく当たると言われるユタ神様が島内には二人か三人いらっしゃいますね。
一般の人が普段の生活で意識することはまずありませんし、話題にすることもありませんが、人をみることの出来るユタ神まで昇華できた方はほんの一握り氷山の一角です。
それは過酷な修錬(奇怪な言動を伴なう心身分裂状態)を乗り越えられた稀有な方です。
突然の天命に打たれその道に踏み込んだ殆ど大多数の人たちは心身分裂の迷路を抜け出すことなくその状態のままひっそりと各シマの家々で半隔離状態のまま忘れ去られたように生涯を終わります。
その数はかなり多いようです。またその状態から元の健全な状態に戻ったという例は殆ど聞きません。
普通人からすれば怪しい幻聴の天声に操られ彷徨い行った修行祈念の跡(人知れず夜中に徘徊して行った呪術の跡)を、(少しだけ霊場を感じとれる)私は泉や林や山中の随所でみかけます。
奄美の土にしみ込んだこの霊力が島の闇にぶきみな奥深さを与えているのかも知れません。
投稿: tokorin | 2006/07/13 17:36
ユタ神様に会われたのですか?
私も奄美時代にユタ神様体験あります。
本当にいろいろぴったり当てるので、びっくりしてしまいます。
私はユタ神様のような自然から力を授かった人たちを尊敬します。
だって、その力を悪い方向で使わず、私たちを助けようという良い方向で使ってくださるから・・・。
投稿: patinha | 2006/07/13 19:57
http://tokorin.cocolog-nifty.com/sky/2006/07/post_83da.html
こんにちは…私は沖縄県に移住して、10年になる男性です。
人間は、二つの人がいます。
1つは、無宗教・無関心・信じない人
もう1つの人は、信じる人
以前は、正直前者でした…
何が、霊だ?はぁ~?って感じでした。
しかし、災いや、女性関係のもつれや、事故に不幸、まるで、映画の中にいる気分でした。
ある日突然呼吸が出来なくなり、首を締め付けられ、耳元では何やらゴチャゴチャ…
頭がおかしいのか? それとも、アルコール中毒か?
おっかしい自分がいました。
精神科はチョット抵抗があったので、うつかな?と思い、心療内科へ行く。
しかし、処方された薬は効果なし。
7つの心療内科に出向いたが、薬の副作用が…
おかしい…おかしい…あ゛ーーーーーーって感じでしたが、ある日友人が、
お前変やね。
さっきから、水ばかり飲んでるよ。
ん?
それと炭水化物ばかり採る。
?????
友人は、私のことを心配してくれて、ユタと呼ばれる人や神人と呼ばれる人に、僕の写真を持って
相当相談に行ってくれたのですが、
どれもこれも、偽者で、3万円5万円のお金がドンドン出て行きました。
ホームページを調べては、出向き、偽者。
新聞読んでは出向き、偽者。
自分も動ける時は、ネットで調べて、東京へ行ってみたりしましたが、最後には、壷買えとか
供養するには、100万円かかるとか、ほんと、偽者しかいない…。
ある日の事、もうこうなったら、ヤケくそで、適当に会えそうな霊能者に予約を入れ、言われた
10万円を封筒に入れて、ICレコーダー(録音機)をポケットに入れて、大阪まで出向いてみました。
話をしている最中に、色々試してみようと思った。
結局話し上手なただのオッサンだった。
ホテルで、再生すると会話は全て、聞きだした情報から、もっともらしい事を言っているだけ。
あきれたもんだ…
そうこうしている間、ドンドン調子が悪くなり、病院へ。
お医者様から、あなたの場合、私たちの領域では何も出来ない。
と言われたり、原因不明の病気(症状は当てはまるが病名はつけれない)などに、6ヶ月間苦しみ
続け、
総合病院のMRIや血液あらゆる観点から4ヶ月もかけて入退院、
挙句の果てには心臓にカテーテルをグサリさして、全ての検査を沖縄で二つの病院で行ったが、原因は解からず、
結局、実家に逃げ帰り、皆さんも知っている程の大病院で検査しましたが、何の回答も無い。
戻った時に友人からの電話 → いたいた! 本物!!
慌てて飛行機に飛び乗り、向かうは沖縄。
着陸した瞬間に、ドーンと重たい。
ロビーを出て、友達の車へ飛び乗った。
彼は無言で、見知らぬ山へ…
で、友達に本物?
まず、間違いない。
何で?
金いらんらしい…
そんなん、後で壷か?
…
行けば解かる…
そうこうしてると、到着。
ん?
敷地に入った瞬間、軽い…? 何で?
友達もニヤリ?
お邪魔したのは、だだっ広いフローリングの25畳はある小屋。
座布団も無い。
ひんやりしたお寺みたいな空間だった。
鏡がでっかくて、自分が写った。
んー確かに、死人みたいな色してる。
待つ事10分。
きったない、軽自動車で、オバサンがお待たせ♪
って、大丈夫か?
どう見ても、ただのオバサンで、時計もしていないし、化粧も無い。
貧乏臭い…
でも、近くで目を合わせた瞬間!!!!
眼光の鋭さに、びびった。
何一つ会話せず、膝を突き合わせて、じーーーーーーっとこっちを伺う。
ドンドンずけずけズバズバ、人の過去喋る喋る。
全て当たり。
そして、今度は、質問した瞬間に、涙がポロポロでて(男なのに恥ずかしい)号泣した。
それから、しばらくして、私の側面から出てきた、(誰か知らん)に、文句と罵声を浴びせ
この子に構うな!!
離れろ!!
さもなくば…
って言う、対決をしてくれました。
オバサンは、取り除いてくれた。
苦痛も1週間ほどでウソみたいに無くなった。
http://blogs.yahoo.co.jp/okinaha001/1121743.html
憑依・降霊現象 3
アイヌのシャーマンの治療分野として大きく以下のジャンルがある。
1.ウェインカラ(透視・千里眼)
霊的障害(サイキック・アタックなど)、心的要因、具体的要因を透視して呪術を施したり、その障害の具体的な治療方法で対応するもの。「空」の境地に入るといわれる。
2.トゥス
治療師のトレンカムイ(憑き神)や患者の先祖などを降ろし、トゥスクル(トゥスする人)の肉体をそれらに支配させ、病因や治療の方法を託宣いただくもの。 いわゆる「トランス状態」に持っていくため、トゥスクルの神憑りの間の記憶はないらしい。
3.ウェポタラ
祈祷師による呪術に準すると考えられる。魔実的要素が濃い。
4.フッサラ
悪霊の嫌う薬草や植物などをを用いて祈りと共に病人に憑く悪霊を追い払うもの。 ウェンカムイ(悪霊)払い。
6.薬物療法(単品・複数のアレンジの治療法)
多くは、民間伝承によるが、霊的なアドバイスにより薬草は個別性に応じて配合するらしい。 筋骨格系、神経系に働きかけ、歪みの矯正、身体のバランス保持やリラクセーションをはかる。 カイロ、整体、指圧、マッサージなどのボディワークの概念を含むとされる。
9.テクマウ(手当て療法)
カムイへ祈り、行う手当て療法。外気功に対応するらしい。
これらの秘儀の継承は家系的に受け継がれるのもと、臨死体験し、魂が持っている要素を引き出し秘儀を授かることが多い。
REF034 二風谷アイヌのウェポタラ 1 Ainu
Exorcism Rites Uepotara in Nibutani, Hokkaido: 1 N.G.Munro D-2
13'00" 1933 白黒サイレント
94011001 (ORG・RETAKE)(Hi8), 92090202 93052603 (AGFA版・字幕無・チセノミと混)(Hi8), 96030801 (非復元版・日本語字幕・チセノミ混)(β-CAM)
帰化スコットランド人医師N.G.マンローは、第二次大戦前、二風谷アイヌへの医療と健康改善につくしながらアイヌ研究を続けた。その中で撮影され、生前未完成に終った悪霊払いの儀礼の記録、オリジナル版その1(原版16mm)。エカシの祈祷(アッツシ、イナウ)、儀礼(庭先、家の脇:樹の枝)、治療(庭先・川岸、数種類のイナウ)、樹に祈祷(刀、着物を治療に使用)、火のついた草束を患者がくぐる、エカシの踊り(イナウ、刀の使用)、女性の踊り
REF048 二風谷アイヌのウェポタラ 2 Ainu
Exorcism Rites Uepotara in Nibutani, Hokkaido: 2 N.G.Munro D-2
15'00" 1934 白黒 サイレント
92090202 93052603 (チセノミと混じっている)(Hi8)
N.G.マンローの悪霊払いの儀礼の記録、オリジナル版その2(原版35mm)
川辺での治療、家の脇での呪い・治療、織物(糸紡ぎ、アットゥシを織る)、揺り篭の子供をあやす、赤ん坊を背負う、頭にのせたものを運ぶ、炉端の周りに集まり食事をする、女性の踊り、輪舞(男女)
http://tokyocinema.net/far-eastlist.htm
不思議なアイヌの超能力
アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56)を取り上げたいと思います。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E9%9C%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E5%89%B5%E9%80%A0%E9%81%B8%E6%9B%B8-56-%E8%97%A4%E6%9D%91-%E4%B9%85%E5%92%8C/dp/4098200562
著者の藤村さんは、アイヌ研究の第一人者で、
現在は北海学園大学の名誉教授ですが、
以前、開拓記念館の研究員をなさっていたときに
主に道東各地のアイヌ文化に関してフィールドワークを実施し、
さまざまな長老の方々と語り合う中で徐々に受け入れられ、
その本質に触れていくことができるようになったということでした。
この本の中で「憑き神」について述べられているところを要約しますと、
・誰にでも憑き神は憑いている。
・憑き神は人が生まれるとともにこの世にやってきて、
その人が死ぬとその霊共々あの世に返っていく。
・先天的に憑いて来る霊には2種類あり、1人から最大3人で-ある。
・後天的に憑く霊は4種類ある。
非常事態(たとえば病気)などのときに助けに来たりする霊もいれば、わるさする霊もいる。
・個人以外に人間の集団に憑く神もある。家系や村などの集団組織ごとにいる。
・同じ憑き神が複数の人を渡り歩くことはない。
・その人の動きやしぐさを観察すると、その人の憑き神がわかったりする。
・憑き神を知るためには「トゥス(シャーマン)」のところへ言ってみてもらうと判明する。
・その個人が成長するとともに憑き神も成長し、老化する。
…などなど、という感じですね。
現代スピリチュアリズムで言うところ「守護霊」とは同じ雰囲気のところもあれば、
そうでないところもありますが、大きな差異が見られるわけではない、とも思います。
「わるさする神もいる」、ということですから、それは「憑依霊」として分類されますね。
「守護霊」というと、なんでもかんでも守ってくれるもの、と勘違いしそうですが、
「その人(集団)の成長を助けてくれる見えない存在・神さま」と考えるほうがあっているようですね。
そして、それらの憑き神などの存在を、
普段は意識できないように、この世界もできているわけですが、
どうもこれはちゃんといるんだなーと感じる体験ができるのが、
上記にもあったシャーマン的な特異能力を発揮するような人に出会ったときですね。
http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/023/
本の中に「不思議なアイヌの超能力」という章があり、
そこには巫術行為(トゥス)の系統について述べられています。
・トゥスは世代世襲制である。家系をはずれてトゥスができるようになる人はいない。
・母親がトゥスをする人であって、子供が誰もできない場合、
母方の兄弟の子供にできる人が現れたりする。
・例えば、姉がトゥスをよくする人で、その姉が急死した場合、
ぜんぜんできなかった弟が代行する場合などもある。
ということで、霊能力には家系が非常に大切と言うことも分かります。
そういえば有名な霊能者さんのお話を聞くと、ご先祖様が霊能者をやっていた方もいらっしゃいますし、
そのままでなくても、お医者さんだったり神主さんお坊さんだったり、という方が多いような気も致します。
そうするとその方の拝む対象や、浄化の仕方なども自然とその系統を受け継いでいくようです。
また「ノイポロイクシ」と呼ばれる能力もあるそうで、
著者の藤村さんがご存知でそれができるという方はお二人いて、まずある古老の方は、
・あるときに「頭痛」がして、そうすると五分以内に来客が来ることがわかる。
・その来客も遠方から来る見知らぬ人に限って起こる。
・必ず頭痛する部位が、頭の右か左に偏り、
左の場合は位の高いような大切なお客であるし、右の場合は並の人である。
・「はげしい頭痛」がある場合は、とてつもなく偉い人の来客である。
ということであり、もう一人のおばあさんの場合は、
・来客する1時間か30分くらい前に頭痛が走る。
・荒々しい頭痛の場合は女性の来客で、緩やかなときは男性の来客である。
・訪問理由の概略と来客の年齢まで分かる。
という感じで、来客に関して分かるという共通点はあるものの、
細部の情報の伝わり方はそれぞれ違うようなのですね。
それで、「どうして分かり方がちがうのか?」というのは、
私の考えでは、おそらく頭痛が走るようなやり方で、その方々の「憑き神」、
つまり「守護霊」さんたちが教えているのからなのではー?と思うわけですね。
つまり、憑き神さんたちとその受け取る人の能力差によって、
サインの受け渡し方法が違うのだろうと思うのです。
ですから、いろいろ便利そうだからと
若い人などが興味本位で超能力を伸ばそうとしてもそうならないのは、
きちんとそれぞれの憑き神さんが受け取る人の能力や人格を配慮して、
受け取る準備ができている人のみに、お知らせを送っているためと思われます。
ちなみに後のおばあさんの場合は、嫁いだ先のお姑さんがそういう能力があった方で、
離婚した後、自分の故郷に帰ってからご自分にも能力が出てきた、ということですから、
霊能力には実際の血のつながりだけでなく、さまざまなご縁も非常に大切なのかもしれませんね。
そのほか、この本にはカラスの鳴き方でもって来客や死別、
向かいの家でご馳走がある、それが自分の家に回ってくるか、こないか(笑)、
天気のよしあし、豊漁の有無などもわかる、ということですから、
カラスさんもいろいろ考えておしゃべりしているものなのだなーとも思いますが、
今ではすっかり忘れられている以心伝心的なコミュニケーションがあったおかげで、
昔の人々も厳しい自然の中で生き延びて来られたのかもしれないと思いましたね。
http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/024/
アイヌ文化の中のスピリチュアル的な行為の代表としては、
ツス(降霊現象)とウエインカラクル(観自在・千里眼能力)が挙げられるかと思います。
要するに、恐山のイタコさんのような力のある方が村の中にいて、
何か問題が起こるとお伺いを立ててことなきをえた、ということですね、
いわゆる「シャーマン」がいたわけです。
具体的にはどのような感じだったかということで、
今でも活躍中の方がいらっしゃればよいのですが、
なかなか「アイヌ式」などと謳っておやりになっていらっしゃる方は居ないようなので、参考文献として
『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録』
青木愛子 述 長井博 記録
樹心社 1983年 新版2001年 ¥2000+税
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4795224803/reborn0a-22/250-1298541-7861852
の記述をお借りしますね。
『ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。
対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。
これは目の前にいる相手でなければならないということはなく、
電話に出ている1千キロ離れた相手であってもかまわないし、
今どこに居るかわからない人のことであってもかまわない。
想うと見えてしまうのである。
…病人が来て愛子の治療を受ける。
治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。
開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。
貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。
こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。
牧場主が1~2ヶ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。
生まれる時の様子が見えるので、雄か雌かわかる。
商売の運勢を見てもらいに人が来る。
その商売で動くおかねの様子が見える。
ついでにその人の浮気の様子まで見えてしまう。』
…ということで、この本に出て来る青木さんも、
なかなかお見通しな方だったようですねー。
見たくなくても見えてきてしまう、とのことですから、
とても霊感がおありの方だったようです。
それで、そのような能力というのも、
青木さんの場合は、若い頃に死の淵を彷徨ったことから始まったようですね。
臨死体験をして、あちらの世界へ行きかけたのだが、
「お前はまだやりのこしたことがある!」とかなんとか
守護天使さんのような方に言われて舞い戻ってきたら、
いつのまにかそのような能力が付いていた、という体験談も良く聞きますよね。
また強制的に臨死体験をするようなことをして霊感を高める修行は、
各地の伝統宗教などにも良く見られますね。
ネイティブアメリカンの方などでは
呪術師見習いがひとりで少しだけの食糧を持って荒野をさまよい、
精霊の声の導きを待つ、といういわゆる「ヴィジョンクエスト」などもあり、
ほんとに命がけで行なったようです。
ただ共通しているのは、「見える」ようになるということは、
自分ひとりの力で行なっているわけではないと言うことですね。
ただ、聴きに来る方は「その人自体がエライ先生」と言う風に祭り上げやすくなってしまうので、
霊能者自身も勘違いしやすい、道を誤りやすい、という弱点もあるようです。
そのような能力があっても青木さんのようにずっと謙虚な姿勢を保つというのは
霊能者自身にとっても難しいでしょうから、様々な人にできるだけ救いの手を差し伸べると言う事と共に、人間的にバランスを保つというのは、この世に学びにきている大きなテーマかもしれません。
http://www.donavi.com/contents/column/spiritual_nonaka/020/
アイヌ最後のシャーマン_青木愛子フチは「ウエインカラ」ができたそうです。
それは何かというと「千里眼」ですね。
「陰部まで見える」って書いてありましたから、よっぽど見えたそうです、でも見たくない人のも見えて困ったと思いますが。それはがんばってようやっと女湯覗けたらおばあちゃんだらけだった(小6の修学旅行にて)、という感じでしょうか?(^^;)
まぁつまり彼女は数少ない本物のアイヌ霊能者「ウエインカラクル」だったのですね。
たとえばある方が見てもらいに来て、封筒にお金をいただく、そうするとあける前に金額がわかる、そしてそのお金は借金したものだということが見える、だとするとなかなか受け取れない、というような感じだったそうです。
この方は10年位前までご存命だったそうですから、なかなか現代の神人のようだったんだなぁーって思いますね。
あとは「ツス」といって神がかりになることですね、イタコさんのようになることがおできになったようです。
それでその「イタコ」という言葉の語源もアイヌ語にあるようで「イタック(言葉)オイナ(宣託)」の変化だそうです。
それでははー出てきました、アイヌ語で「守護霊さん」というのは「トレンペヘ」って言ったそうです、「憑き神」っていうことですね。
だいたいどんなに凡人でも3人くらい憑いていて、守っているようです。自分の子供の憑き神は大体見ていれば親がわかったそうですが、わからん場合はこういう人に頼んでみてもらったそうです。ご先祖様がどうとかもですね、沖縄ではユタさんがそうですね。
そして書いてあります。
『一人ひとりが持っている光(注:オーラ?)が見える。
明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。
何も見えないほど暗い人もある。
暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚せい剤、物欲の強い様子等が見える。
ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。
現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。』
ということですね。自分なんかは細かいことは見えないですが、おそらくこの光の量というのは良くわかるんだと思うんですね、ですから、自分が遠くから見ていてもそれは結構良くわかるので占いができるんだと思いますし、あまりはずさないのかな?って思うんです。でももっとはっきりわからないとあかんなぁーっては思いますね(^^)。
http://blogs.yahoo.co.jp/fy3on3/6770078.html
ウテキアニ(育みわかちあう愛) 青木愛子ババの一周忌に思う
1989年の秋、日本列島の「気の文化」を考える上で、また日本人の生き方を見つめ直す上でも国内の先住民族・アイヌの伝統文化を学ぶことが最も重要なことだと考えた津村喬さんから、「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修名で私と連れ合いにコーディネートをしてほしいという要請があった。
その前年、私は一年近くアイヌの人達と仕事をしたおかげで、道内のかなりの数のアイヌの人達と知り合っていた。とりわけアイヌ語でカムイノミ(神事)のできるエカシ(長老)や伝統的な女の手仕事を身に付けているフチ(おばあさんの尊敬語)との出会いは強烈で、北海道で生まれ育ってはいたものの今まで実際には知る機会がなかった目に見えない世界・魂の領域を私が意識するようになれたのもこの頃からだった。
ぜひ年内に第一回目を実施したいという津村さんからの要請を引き受けてはみたものの具体的な提案はなく、全てこちらにおまかせ方式。これは大変な課題を背負ってしまったと悩みつつも、自分が出会い感動したアイヌのコスモロジーをなんとか他の人達にも伝えたいという気持ちがいわば私のエネルギーになっていた。
アイヌの伝統文化の根幹に学ぼうとするならばシャーマニズムは不可欠なものだが、沢山出会ったアイヌの人達から今もシャーマンがいるという話は一度も聞いたことがなかった。よく考えてみれば、和人がいっきにおしよせた明治以降、厳しい同化政策が一方的に進む中でアイヌの信仰やシャーマニズムの世界は特に差別の対象にされてきたのだから、私が知り合ったアイヌの年輩者達がそれらの事を今でもそう簡単に口にすることはできなかったのだろう。
はたして薬草や呪術的な世界に精通したシャーマンは今も存在しているのだろうか。
どういう組み立て方にしようかと考えあぐねた私は、「アイヌ自然医学」というテーマの研修をするならばやはりこの本しかないと思ったのが『アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ(樹心社)』だった。
これは札幌在住の写真家で伝承医学研究家の長井博さんが記録した本で、アイヌの伝統医術の世界、とりわけ人間の誕生・出産に関するコスモロジーが青木愛子ババを通して驚くほど豊かに語られていた。
アイヌに関する書籍は次々出版されていたが、この本のように一人の実在するシャーマンの口から伝承医術が具体的に語られている内容のものは当時これ一冊といってよかった。
表紙の言葉をそのまま紹介すると
「青木愛子はアイヌコタンに代々続いた産婆の家に生まれ、古代から継承されて来た産婆術(イコインカル)、診察・治療のための特殊な掌(テケイヌ)、薬草(クスリ)、整体手技、あるいはシャーマンとしての技量をも駆使して(ウエインカラ ツス ウエポタラ)、地域住民の心身健康の守り役、相談役として活躍している。
本書は十年にわたって愛子の施療の実際を見、その言葉の一つ一つを丹念に記録して、アイヌの信仰と文化の実態に迫った伝承の知恵の書。」
と書かれていた。
研修の核となりうる存在はこの人だと思ったもののいっさいの噂を耳にしたことがなかった当時の私は、もしかしたら亡くなっているのではという不安をいだきながら大急ぎで愛子ババ探しを始めた。しかし、意外にも出会いは短距離で実現した。ババは二風谷に健在で、親しくしていた樺さんの母方の叔母さんにあたるというのだ。
「連れては行くが、それから先の話は自力でやるように。」と樺さんに念をおされながら私達が訪ねて行ったのは研修実施一ヶ月前の事だった。
初めて訪ねて行った時の愛子ババは、すでに産婆としての現役時代を終えてはいたものの、鋭い眼光でいきなり「アイヌのモンキー見物に来たのか!」と煙草をふかしながら言った。
参ったなあと思うほどこちらを見透かすような強い眼力と迫力で、こういう人には素直にしなくてはと思った途端、
「なしてそんな青っちょろい顔してる。」とババは連れ合いに向かって言いながら自分の近くに手招きした。
私達がそばににじりよるとババはポイと煙草をほおってよこした。
「いいから二回吸ったらババさよこせ。」。
連れ合いが言われるままに煙草を吸いババに戻すと、今度はババがまたその煙草を一口大きく吸い、薪ストーブの焚き口を開けて火の神様にアイヌ語でなにやら祈りはじめた。私達にはアイヌ語は解からなかったが、何か連れ合いのために神々にお願いしてくれているということはよく伝わりありがたい気持ちになった。
この時、愛子ババは私達と初めて会ったのにもかかわらず、連れ合いが帝王切開かつ仮死状態で生まれ、決して丈夫とはいえない体で育ち、一ヶ月前に母親を癌で亡くしたせいで身も心も疲れており、父親も病弱で心配の種であることなどを瞬時にして感じとっていた。
質問などいっさいなしで、ババの心の中には連れ合いのことが色々観えてしまっていた。ババはこういうふうにいろいろ観えてしまうことを“胸の知らせ”と言っていたが、初対面で私達はいきなりシャーマンが持つウエインカラ(千里眼)の力を思い知らされた。
祈り終わるとババはすぐに
「ババのこと信じるか。」
とたずね、私達が信じますと心からそう思って答えると、
「ババのことを信じてこの薬草がなくなるまで煎じて飲めば丈夫になる。間違いないから。」
と言いながら部屋中にぶら下がっている薬草の中から連れ合いに必要なものを選び、無造作に渡してよこした。そして何度も
「あんたのためにやる薬だから他の人には絶対やるんじゃないよ。信じて飲めば効くんだから。」
と言った。
その時ババが連れ合いのために選んだ薬草は、ヤマニンジンとシケレベ(きはだの木の実)、キトピロ(行者ニンニク)だった。
この日、私達はアイヌのシャーマンがウエインカラ(千里眼)と薬草術によって人を癒やすことを身をもって体験した。そしてババは一ヶ月後に研修で訪ねて来る人達にも会うことを約束してくれた。
再び二風谷を訪れるまでの間、連れ合いはババの薬草を毎日煎じて飲み、どのくらいからか記憶はさだかではないが一ヶ月後には慢性的な下痢が止まり、血色の良い顔になっていた。
生まれつき胃腸が弱いせいか下痢状態の便があたりまえだった彼にとってこれは画期的なことで、どんなに沢山食べても痩せていた体に少しづつ肉がつきはじめていた。
■89年12月、慌ただしい師走の隙間をぬうようにして「アイヌ自然医学を訪ねて」の第一回研修ツアーは実施され、冬~夏~秋~春と季節を変えながら4年続き、5年目は京都気功会の企画として、さらに翌年は春なお寒い道北の白樺樹液採集の森を訪ねつつ通算6年間行なわれ、延べ120人余りの人達が参加した。
研修内容は毎回かならず二風谷を訪ねて愛子ババと歓談することをはじめ、大長老の葛野エカシや亡くなった織田フチ、木幡エカシ、当時まだ国会議員ではなかった萱野茂さん、杉村京子フチ、千歳コタンのフチ達、その他多くのアイヌの人達の様々な協力に支えられた。チプサンケ(舟おろしの祭り)やラォマップ・カムイノミ(伝統漁法による鮭迎えの儀式)にも参列させてもらった。
また、不治の病いを愛子ババに助けられ、それ以後伝承医学の研究をライフワークにされている長井博さんには、ほとんど毎回お話を聞かせていただいた。
しかしなんといってもこの研修の核となったのは愛子ババである。回を重ねるごとに急速に体調を崩していったババは、入退院を繰り返し、こんどは無理かなと思っていても不思議に研修ツアーの時は自宅に戻っていて皆に会い続けてくれ、毎回参加者とババとの間にはなにかしらのドラマが生まれた。
ババはウエインカラでその人の不幸や心の傷を観てとると、「かぁわいそうにぃ~。」と独特の言い方と眼差しでその人を包んだ。いきなりとも言えるその愛の癒しに沢山涙を流した人達がいた。
「いつまでも空家(独身)にしとかないで、もっと素直になれ。幸せになんないばだめだ。」と言われた人。
「真っ直ぐいけ。真っ直ぐいってどんとぶつかれ。」と言われた人。
「あとはここ(胸のチャクラを指差して)、ここの窓を開けばいいだけ。すぐそこまできてるんだから。」と言われた人。
「今のこの人と一緒になれば幸せになるから。」と言われて翌朝すぐに相手の所に行って結婚を決めた人。
ババは終始一貫して皆に最愛の人を見つけ、結婚して幸せな家庭を育むようにと言っていたが、大宇宙の法則からしてそれが自然な営みなのだから自然に逆らわずに生きることが一番だと説いていた。
また、ババは参加者の何人かの手を握り、ほんの少し手相を観てはその人の不幸や具合の悪さをいったん自分に引き受けその人を癒した。
「なんともない。だいじょうぶだから頑張って。」とババに言われた人は、手を握られている間に悪い手相が消えていた。不思議な話だが本当だ。
ババの説明によるとその人を癒そうとする時、その人の病いや悩みをババはいったん我身に引き受け、その後自力あるいは自分の憑き神様達の力で、引き受けた悪いものを自分の外に祓い落とすのだそうだ。
皆と歓談しているうちにフゥーフゥーと肩で大きく息を吐きながら、水をがぶがぶ飲むこともしばしばで、
「憑いてた悪いもん引き受けてやったしょ。したから火照って、火照ってどうもなんないしょ。」
と私に耳打ちしながら着ている物を次々脱いで肌着一枚になったこともあった。
こうした“いったん我身に引き受ける癒し”の行為にはものすごいエネルギーを必要とし、歳をとり体が弱ってきたババにはだんだんそれがしんどくなっていた。それにもかかわらずババは自分に助けを求める人が傍らにいれば、たとえ相手が無意識でもつい手を差し伸べ悪いものを引き受けてしまっていた。
愛子ババは、優れたイコインカラクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、薬草や整体を含める各種療術師であった。カムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)も行ない、さらにはウェプンキネ(看取り)も行なっていた。その人がさわやかにあの世へと旅立つことができるようにその人のトゥレンペヘ(憑き神)と話し合ったりしながら臨終に立ち会うこともしていた。
これについては昨年9月に出版された『女と男の時空: /ヒメとヒコの時代(藤原書店)』という本の中で、旭川医科大学助教授の松岡悦子さんが「魂を見守る人」というタイトルで愛子ババのことを書いている。84年から88年までの4年間に松岡さんが愛子ババのもとに通って話を聞いたもので、これを読むと愛子ババを通して知るアイヌのシャーマンの役割とは、総じて「魂を見守る」ということなのがよく解る。
助産を意味するイコインカルは見守るという意味であり、臨終を看取るウェプンキネということばも見守るという意味なのだそうだ。
つまり愛子ババは直接的には生まれてくる赤ちゃんや死にゆく人を見守りながら、この世とあの世とを行き来する魂を見守る役目をはたしてきた。そしてこれまでアイヌのコタン(共同体)には、愛子ババのようなシャーマンがかならずいて人々の健康と生と死を見守ってきたのだ。
■私達が「アイヌ自然医学を訪ねて」という研修ツアーをきっかけにして愛子ババと出会った時、ババはすでに現役時代を終えて少しづつあの世へ旅立つ準備を始めていたともいえる。八人の子宝に恵まれ、皆無事に成人してはいたものの私と同じくらい歳の末の娘さんは不治の病いで病院生活が長く、どんなに他人を癒すことができても我が子にその力は効かないのだとババは時々シャーマンの運命を悲しそうに語った。
私達は6年間、ババと一緒に食事をし、歓談し、研究者のような質問をさけ、ただただ一年に一度皆でババに会うのを楽しみとした。「たまげたなあ。皆、心のきれいな人ばっかしでないの。」とババは大きな目を見開いて言い、かならず皆のためにアイヌ語で祈ってくれた。津村さんが愉気をしてあげるととても気持ちが良いと喜び、「先生こんどいつ来る?。ババの生きてるうちにもう来ないっしょっ。」とわざとだだっ子のように言うのが口癖だった。
そんなババが第4回目春の時には一緒に山に入り、子供の時よく遊んだというカンカンの沢まで行った。途中茂みの中に生まれてまもなく亡くなったお父さんの霊が姿を現わし、ババはうわさ通りの立派な風貌だとすごく喜んだ。その日の夕方、ババは今まで自分が祝い事の儀式の際、神々と交信するために用いてきたトゥキ(お椀)とトゥキパスイ(捧酒箸)を参加者全員の前で津村さんに贈った。
唐突にお祈りを始め「このトゥキをシサムのツムラに贈るのでカムイよどうかそれを許して祝ってください。」というような内容の祈りが終わると、なんの説明もなしにいきなり津村さんにあげるから持って帰れと言った。津村さんが驚いて「こんな大事なものはいただけない。」と断わると、「甥っこや娘らが持つよりも先生んとこさいくほうが生きる(トゥキが)から。祝い事にしか使ってこなかったんだよ。なしてさっさとしまわない。」とババは相変わらず乱暴な口のききかたをし、隣りにいる私になぜ津村は受け取らないのかと目で言った。ババは津村さんを代表にこうして自分のもとに集い、自分からの一方的な愛だけでなくお互いに癒し合う交わりを本当に喜んでくれていたのだ。
そしてこれから先も手渡した神器が愛と幸せを祝う働きをなしていくようにとババは願っていた。恐縮している津村さんをうながしてババからの贈り物を受け取ってもらいながら、私は全員がこの神器と共に大事な心をババから託されたという実感を抱いた。
■ババがあの世へ旅立ってからも、時々私にはあの独特な話し声が聞こえてくる。
「自分が今までこうして生きてこれたのも、愛のおかげさ。こんな田舎の、それもうんと昔に、なしてババに愛子なんて名前ついたのさ。“愛”でしょ。愛のために生きる人になれって、愛をみんなさ伝える人になれって、どっか上の方(神様)でババの親にそういう名前をつけさせたのさ。
アイヌもシャモ(和人)も全国世界中、神の道は一つなんだよ。“ウテキアニ(註:ウ・互いに テク・手 イ・それを アニ・執る)”さ。解かるかい。
こうやって(自分の両脇にすわった人の手を握り)あんたもあんたも(目で一同に手をつなぎ合うよううながす)ほらこうすれば伝わってくるっしょ。これがウテキアニ。これが愛でしょ。」。研修ツアーで遠くから訪ねて来た皆にババが一番伝えたかった話だ。
癒しにおいて大切なのは超能力や技術よりもむしろ愛だということは、愛子ババだけでなく多くのヒーラーが語っていることで、気功でもそれは同じことだろう。世界が健康でなければ個人の健康もないという立場も愛を基にしてこそ成り立つものだ。
自分では何も書き残すことのなかった愛子ババは直接触れ合った私達に、大切なものの伝え方、遺し方を教えてくれた。ババの愛に包まれた者は、また自分が出会った人にその愛を手渡していけば良いのだと思う。今は神戸で暮らすババの神器が、協会のこれからの活動の中で、津村さんのそして私達の人生の中で、愛と幸せを祝うことができるようにと祈りたい。
http://www2.comco.ne.jp/~micabox/grugru/aiko1.html
青木愛子の人となりを簡単に紹介するならば、収入になるかどうかの問題は置くとして、アイヌ世界のプロフェッショナルとしてのイコインカルクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、クスリや生体を含める各種療術師であるといえよう。
…巫女の側面としては、ツス(降霊現象)とウエインカラ(千里眼)がある。ツスは昭和二十一年五月(三十二歳)に始まり、ウエインカラは章は三十年(四十一歳)、癌の手術で死にかけた時から始まっている。
例えば人生相談のものが来て、すでに他界している先祖の霊にお伺いしたいというようなことで、愛子の肉体に死者の霊を降ろして語らせる現象をツスと呼ぶ。
ウエインカラ、いわゆる千里眼で何でも見えるようになると、人生相談の者が来てもツスをする必要がなくなり、もっぱらウエインカラして見るようになる。巫女として、他の種々のカムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)等も行う。
というわけで、愛子さんも小さいころから能力があってということではなく、途中からよくわかるようになって来た方のようですね、さらに、女系の方は代々そのような能力をお持ちの方のようです。
では実際にはどのような感じでわかったかというと、
距離と時間を越えて見える
ウエインカラをするためのカムイノミ等の儀式形式は何もない。対座する相手と話をしながら、相手の過去や未来のことが見えてしまうのである。
これは目の前に居る相手ではなければならないということはなく、電話に出ている一千キロ離れた相手であってもかまわないし、今どこに居るかわからないある人のことであってもかまわない。想うと見えてしまうのである。
…病人が来て愛子の治療を受ける。治療の謝礼として金子(きんす)を包みに入れて差し出す。開封せずに中の金額がわかる。その金子を借金してきたこともわかる。貧しい家庭の様子まで見える。財布の金額もわかってしまう。こうなると貧しい人からは謝礼を受け取れないということになる。
牧場主が1~2ヵ月後に出産予定の子馬の性別を知りたがる。生まれるときの様子が見えるのでオスかメスかわかる。
商売の運勢を見てもらいに人が来る。その商売で動くお金の様子が見える。ついでにその人の浮気の様子まで見えてしまう。
…例えば、一緒に居る人たちには見えないのだが、愛子にだけは大蛇が沼に居るのが見える。
死者の霊が見える。例えば愛子の親しい友人が交通事故で死亡した。死亡してから四十九日目の間は、その友人の例が愛子のところに遊びに来るのが見えて、対話する。愛子にとっては日常的なことなので恐ろしいという気持ちは起きない。
四十九日が来ると、すでに死亡しているその友人の親族の霊が友人の霊と一緒に現われて歌をうたったりする様子が見え、その声も聞こえる。これは四十九日で終わる場合である。
またオーラはこのように見えていたようで、大変興味深いですねー。
一人一人が持っている光が見える。明るい人、非常に明るい人はごく少なく、暗く見える人が多い。何も見えないほど暗い人もある。
暗い人の過去現在をウエインカラしてみると、詐欺、泥棒、異性関係の乱れている様子、売春や覚醒剤、物欲の強い様子等が見える。
明るく見える人をウエインカラしてみると、他人に対して尽くしている様子が見える。ウテキアニ(愛)の精神で生きようとしている人は明るく、無慈悲な人、愛のない人は暗く見えると解釈している。現在財宝をたくさん所有しているかどうかということとは関係なく、その光の量が見えてしまう。
と、なるほど、私も光の量が違うということは良くわかるようで、くすみが内ない人ほど良い人ですよね、しかし、もともと心が温かい人でも、さまざまなストレスがたまっているとその周りにくすみがたまっていってしまって、そのストレスを発散できていない状態が長い間続くと、もともと明るい朗らかな方もふさぎ込むようになってしまったり、ガンコになってお酒に走ったりというわけで、オーラの明るさというのはまず非常に重要かつわかり易いその方の性格、状況の指標になったりしますよねー(^-^)。
ですので、まずスピリチュアルなこと学び、またそれを人生上で活用していくときに、オーラがわかるのとわからないのでは結構差がつくような感じも、実は致しますね。
「そんなオーラなんて普通の人がわかるようになるはずがな~い!レインボーブリッジも封鎖できませ~ん!」
とあきらめてしまうのは簡単なのですが、まぁ自分としては自分が一応わかるようになったということは、もっと霊感体質で、かつ慈善的な活動なさっているような人はたくさんいらっしゃるわけですから、そのような方もうまくその能力を特に難しいことを学ばなくても活用できるようになる時代が来ると思うのですね。
http://www.uranaiblog.net/user/fy3on3/fy3on3/62550.html
歴代継承者について 本書より引用
この本の原稿締めきり間近になって、愛子からこれまでになかった伝承記憶を思い出して語られ、また筆者が再度フィリピンを訪れて確認した事実により、これまでの原稿をそのままにした上で、更に歴代継承者の項を設けたい。この部分を加えることによって歴代の輪郭がよりはっきりしてくるかと思う。
初代の産婆は1756年(宝暦6年)頃、現在のフィリピン共和国・バギオシティー、ラクナムの地、ルソン島北部山岳地方を支配したイゴロット族の聖地アシュラムで生を享けている。
この初代に産婆や薬草等の治療の技術、及び信仰について授けたのは、アシュラムの開祖である
ティエンチンイー(天静一)という名前の男性であった。ツスの中で初代の霊が名乗っている
天静一の名は、実は初代その人の名前ではないことがはっきりした。初代は降霊現象(ツス)の中で、自分の名前を名乗っていないというのが事実である。
天静一は、中国人名のようだが、現在までの筆者の調査によっても、その出身地は不明のままになっている。現在までに判明していることは、船でルソン島に渡りついた異国人である。
薬草その他の治療の技術にすぐれた男で、彼が瞑想の地と定めて住みついた場所が、後にアシュラムと呼ばれるようになったようだ。この地方はイゴロット族の居住域で、天静一はイゴロット族を中心にして周辺の少数民族の畏敬を集めた人物であったようだ。
初代の産婆はそのアシュラムから北海道まで渡って、シトシというアイヌレヘ(アイヌ語名)のシャモと結婚している。シトシはコタン(村)の人々をトバットミ(強盗集団)から護る役目等を持ち、初代の方は産婆や子育ての技術、薬草等の治療術を生かしながら、夫婦で北海道各地のアイヌコタン(村)を巡回した。
初代81歳の時に訪れたヤマモンベツコタン(現・沙流郡門別町庫富)が最後の地となる。初代は、アトイサムという名のシャモの老婦人のチセ(家)に身を寄せている内に急に容体が変化し、おせわになったその老婦人にテケイヌ(診療・治療のための特殊な能力を持つ掌)を継承して他界した。
この時、初代を追って来ることになっていた夫のシトシは、まだコタンに到着していな
かった。この時の老婦人、シャモの女性が二代目継承者になるのであるが、初代との間には血縁関係のないことを、念を押しておきたい。
この二代目アトイサムは出生地不明、1775年頃に生を享け、1855年頃に他界したようだ。
初代からの教育的伝承はほとんど受けておらず、カムイノミ(神儀)の儀式的な継承のみであった。アトイサムは自分の子供に継承せずに、1851年頃に生れたまだ幼ない孫に三代目するカムイノミを行ない、他界している。やはり実践教育的な継承の期間が、ほぼなかったといえる。
三代目ハイネレの夫はアイヌ語名・門別アンリケチュウという名で、比較的若くて他界したと伝えられている。シャモであったようだ。
四代目は、三代目ハイネレの第二子長女・ウコチャテクが継承して、20歳頃に13歳年上の貝沢ウトレントクと結婚している。ウトレントクの父親はウカリクン、母親はシュトラン、祖母カシテクン、二風谷地方の古いニシバの家系であったようだ。
五代目継承者の愛子は父ウトレントク、母ウコチャテクの第七子四女である。以上を簡単に整理すると、青木愛子に伝わるアイヌイコインカル(助産術)やテケイヌ等は、ルソン島のイゴロット族のアシュラム(聖地)から運ばれていることになる。
アシュラムの方にはヒーリング(心霊技術)が歴代継承され、既に他界したが、トニー・アグパオアが現れて、その手術の真偽が世界的な話題になったようだ。
真偽の問題を論ずる趣味は筆者にはないが、聴診器も注射もメスも使わずに手当てを
行なう特殊な掌をアイヌ語でテケイヌと呼ぶことを報告しておきたい。
二代目、三代目はヤマモンベツコタンに、四代目、五代目は二風谷に定住した。初代以降五代目まで、アイヌの信仰と文化の中で人生を送っている。
しかし、アイヌと結婚した者は、現在までの調査では四代目ウコチャテク一人が判明しているだけである。
http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeWorld/Books/Upashikuma.html
青木愛子さんについては
アイヌ民族 (朝日文庫) (文庫)
本多 勝一 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E6%B0%91%E6%97%8F-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%9C%AC%E5%A4%9A-%E5%8B%9D%E4%B8%80/dp/4022613572
でも詳細に紹介されています。
輪廻転生とシャーマニズム
われわれには自我があり、それは脳などの有機的な組織に依拠しておらず、ゆえに死後も存在し続けると仮定してみよう。
では、その次にはどうなるのか?
一つの可能性として、霊魂は死した身体を離れた後ただちに、あるいは間隔をおいて生まれ変わり、別の身体に入って新たな人生を始めるという考え方がある。
実際、太古から特定の信仰を持った人々は死後の生まれ変わり、すなわち『輪廻転生』を疑わざる事実として受け入れてきた。
世界の主要宗教のうちヒンドゥー教と仏教の二つはとりわけそういった思想の中核を成しており、初期のケルト人のキリスト教会でも積極的に輪廻転生を教義として導入していた。
近代科学の登場以前、人間には霊魂が存在するということ、そして死後の世界の存在は疑問を差し挟む余地もない“事実”であって、その存在を疑う者などほとんどいなかったのである。
世界宗教の教えはそれぞれ、独特の死後の世界観を持っていて、それは基底となる精神風土あるいは文化潮流によって大きく異なっている。前述したヒンズー教や仏教の教えでは、人は最終的に現世の苦しみを逃れ、最高原理である梵天との神秘的で至福に満ちた合体に至るか、涅槃に入るとされる。また古代ギリシア人、ローマ人、ヘブライ人は、死後の霊魂は暗いハデスや冥土に向かって旅立つものと信じられてきた。
肉体は滅んでも霊魂は永遠に消えず、再びこの世に生まれ変わる――催眠術での『過去生』への退行、子供が突然思い出す他人の経験、あるいは大人の中にある『遠い記憶』、デジャ・ビュ(既視体験)の経験――生まれ変わりの証拠であるとされるこれらの体験を徹底的に収集かつ分析するため、中国国際生命科学院が大規模な調査を実施した。
同院の性現象研究室の科学者、賈天全(カーテンゼン)、張建佛(チョウケンウェイ)両教授はその調査結果から、輪廻転生の存在を確信している。調査では6人の転生が確認され、分析の結果、中国で起こった転生には次のような特徴があることが分かった。
転生は都市部では起こらない。中国の転生事例は辺鄙な山奥の小村に多く、人口の多い都市部には一例もない。
前世から今世への転生時間は一定しない。
収集した事例では4時間、4ヶ月、11年あるいは18年と“再生”に要した時間はバラバラであった。
前世の記憶は、3~7歳くらいまで残る。
言葉を話せない2歳以前は不明だが、7歳以降は前世の記憶よりも今世の生活の比重が重くなるため、前世の記憶は薄れるか、時には完全に消滅してしまう。
転生した人間は、超能力を持つ人が多い。
調査では千里眼、予知能力、念力を持つ人や、心霊能力(死後の霊を実体として見る能力)を持つ人が確認されている。
前世と今世の性は同じとは限らない。
前世で男性だった人が女性に生まれ変わる場合もあるし、その逆もある。
生活習慣や趣味嗜好には前世の影響力があるとされる。前世で煙草好きだった人は、今世でも三歳の頃から煙草を吸っていたとか(オイ…)。
前世を思い出すのは、肉体的負担を伴う。前世のことを連日話したあと2、3日間、思い風邪のような症状になる人もいる。
前世を覚えていると主張する人は世界中に数多く存在する。
しかし、よく耳にする批判の一つとして、有名な歴史上の人物の生まれ変わりと称する人があまりにも多すぎるというものがある。
1930年代には、ジョアン・グラントというイギリス人女性が、古代エジプト(ギリシアと並んで前世の話によく出る行き先)の華やかな人生の思い出を続けざまに脚色してみせて名声を得た。
他にも、スコットランド王ジェームズ四世としての前世を思い出した女性や、チャールズ二世の愛妾ネル・グウィンだったと称する女性などがいる。
しかし、アメリカにおける188件もの事例を対象とした最近の調査では、大半の被験者が矛盾だらけのお粗末な前世を思い出していることが分かっている。
◆逆行催眠と前世
逆行催眠というものがある。
催眠術を使うことで、人を青春時代や子供時代、幼児期へと年齢退行させ、忘却の彼方にある過去の記憶を取り戻そうというものだ。
この逆行催眠を徹底すると、胎児の状態を超えて前世にまで遡ることができるという。
輪廻転生の研究においては、当初、意識的に前世を思い出すケースが対象となる事例の中で大部分を占めていたが、1950年代初めに催眠術の被験者が誕生の瞬間からさらに前世まで逆行することで、輪廻の証拠となる比類ないほど大量の情報を採集できることが発見され、この分野の研究は飛躍的に進歩した。俗に『前世逆行』と呼ばれる初の重要な事例は、1952年コロラド州で行なわれている。
モーリー・バーンスタインという名のアマチュア催眠術師が、ヴァージニア・タイという若い女性に催眠術をかけ、精神を前世まで逆行した結果、彼女が1798年から1864年まで中流階級のアイルランド女性ブライディー・マーフィーとして生活していたことが分かったというものだ。
その時、タイは中西部アクセントからアイルランドなまりにすっかり切り替わると、19世紀前半のコークやベルファストでの日常生活について、説得力ある細かい内容をとうとうと述べたという。
バーン・スタインが1956年にこの事例の記録を出版すると、たちまち大評判となり、彼に倣って催眠術による前世逆行実験を行おうとする者が雨後の筍のように続出した。
もっとも当時のアイルランドに関する記録はほとんど残っておらずタイの話を確認することは難しいことから、バーンの実験に疑問を呈する人も少なくない。
結局、逆行催眠で得られた記憶が本当に前世の記憶なのかどうかは、歴史的にも確認できる詳細な前世記録を収集し、その中に時代錯誤と思われるものを探すことでしか証明され得ないのだ。
催眠術によって極めて暗示にかかりやすい状態にある被験者が、催眠術師の誘導的な尋問によってヒントを得たか、あるいは知っている歴史記録をもとに空想を作り上げただけという可能性を完全に除外することはできないだろう。
例えば、ハリー・ハーストという被験者は、前世逆行によってラムセス三世時代のエジプトに古代都市テーベが存在したことを記憶していた。
その他にも、彼はローマで広く使用されたセステルティウス硬貨を持っていたと述べた。
しかし、ハートの証言の細部を確認するように依頼されたエジプト学者は、そこに明らかな矛盾点を数多く見出した。
ラムセス時代のエジプト人なら、この都市を“オン”とは呼んでも“テーベ”とは言わない。テーベとは後代のギリシャ人作家たちがつけた地名なのだ。
さらに、エジプト人は歴代のファラオに番号をつけたりはせず、誕生や王位や治世の名前を複雑に大系立てて、同名異人の支配者を区別していた。
当時のエジプト人がラムセス“三世”などという現代的な称号を知ってるはずがないのだ。
また、セステルティウス硬貨が初めて流通したのは、ラムセスの治世から1千年後のことだった。
しかし、このような決定的な矛盾点にさえ、逆行催眠による前世の記憶の妥当性が完全に否定されるわけではないと主張する研究者もいる。前世の記憶が現世の体験にどの程度ふるいにかけられるかの問題にしかならないと言うのだ。
研究者たちがこうした前提を認める以上、前世でイタリア人だった人がその記憶を英語で述べたとしても、被験者が空想にふけっているという決定的証拠にはならないということになる。
一方で、被験者が異国語を話した数少ない事例を調べれば、前世の記憶の信憑性をより確実に評価することができるという主張も確かであろう。
心理学者イアン・スティーヴンソンは、逆行催眠の被験者がノルウェー語を的確に交えながら当時のスウェーデン語を流暢に話したという事例を紹介している。
しかし、こうした事例に対して心理学的な立場から有力な批判・反駁を行おうという研究者も存在する。その一人イアン・ウィルソンは人間の驚異的な記憶力を証明するある事例を挙げている。
ジャンというマージサイト出身の若い被験者は、1556年にチェルムズフォードで行なわれた巡回裁判で魔女として裁かれたジョアン・ウォーターハウスという少女の劇的な前世を思い出したと言う。
ウィルソンは古い記録を徹底的に捜索し、確かに同名の女性がこのときの巡回裁判で魔女として裁かれたことを確認した。
では、ジャンの事例は輪廻転生の確固たる証拠になり得たのかというと、それとは逆だったのである。
当時の資料によれば、実際に裁判があったのはジャンが述べた日時から10年後の、1566年7月だったことが分かったのだ。
この混乱の元凶と思われる情報源は巷に流布していた巡回裁判に関する書籍であった。
ジャンの語った1556年とは植字工が犯した致命的な写植ミスであったのだ。
ジャンが、どこからその記憶を仕入れたのかは正確には指摘できなかったが、安っぽいラジオ・ドラマか少女漫画、あるいは図書館で隣の人が開いていたページから偶然的に拾った記憶だったのかもしれない。
ウィルソンは自分の研究結果をまとめて、次ぎのような結論を下している。
催眠術下で得られる前世の記憶は、実際は、脳が記憶とは認識しない内容を想起するときに起こる無意識の剽窃、つまり“隠された記憶”という心理学的現象の例である。
ウィルソンはさらに、催眠術下でさまざまな人生を思い起こすのは、一般的には子供時代の精神的外傷(トラウマ)の結果として、一部の精神病患者に現われる多重人格になぞらえることができるとも示唆している。
生まれ変わり現象に対して、多重人格障害を理由に持ち出したウィルソンの主張は物議をかもしたが、1950年代以降、多重人格障害は催眠逆行療法と並行して増加傾向にあり今や世界的な広がりを見せている以上、彼の論点は軽視されるべきものではないであろう。
◆シャーマニズムと人格分裂
興味深いことに、多重人格症の患者の中には分裂した人格のほかに不可解な人格、例えば死んだ人間の“魂”の人格が存在する例があり、『悪魔憑き』や『憑依現象』と勘違いされることがある。
また交代人格が、自分は複数の人間に乗り移っていた『霊』だと主張したケースもあり興味深い。
当然、そのような死者の記録を調査して、実際に該当する人物が見つかった例は皆無に等しく、被験者が潜在意識の奥で作り上げた空想上の“魂”であることは歴然としている。
このように近年、退行催眠で“思い出した”記憶には多分に被験者の空想が混在することが分かったため、すでに欧米では退行催眠の妥当性に対する信頼は大きく後退している。
確かに被験者に催眠術かけ、記憶を遡って昔の自分に戻させることで、顕在意識の上では忘れてしまった潜在的記憶を呼び起こす退行催眠は、現在でも幼少時のトラウマをさぐる目的で心理カウンセリングなどで活用され、また宇宙人に連れ去られ記憶を消されたと主張する人たちの記憶を取り戻す目的で用いられることがある。
しかしその一方で、催眠術師あるいは心理療法師の誘導の仕方如何によって、退行催眠が偽の記憶を作り出してしまう可能性も警告されている。
カールトン大学のニコラス・スパノスと共同研究者は、このことに関する興味深い実験を行っている。
スパノスらは被験者に、「自分の眼球運動と視覚探索能力がよく連動している」と信じさせ、それはベビーベッドの上で揺れるモービルのある病院で生まれたからと説明した。
そして、被験者の半数には「実際にそう確かめる」という名目で退行催眠をかけ、半分には幼児期の体験をイメージするようにという“記憶再構成誘導”を施した。
すると、催眠をかけられた人の56%、誘導を受けた人の46%が、実際にはなかった揺れるモービルの病院の様子を思い出したのだ。
あるいは退行催眠に依って前世を思い出したという事例は古来から存在したシャーマニズム、ないしシャーマンによる憑霊現象などと比較することができるかもしれない。
多くの部族社会で重要な地位を占めるシャーマンは宗教や呪術を司る特殊技能者で、シベリア、中央アジア、北アメリカ、オセアニアなどの狩猟採集文化に広く見られる。
シャーマニズムは、シャーマンを中心とする宗教形態で、通常、そこでは精霊や冥界や霊の世界が一般的に信じられている。
シャーマンは恍惚状態に入ることで自己の魂を霊の世界に送り込み、霊と意思を通じ合わせる特殊な存在であるとされる。
その際シャーマンはしばしば幻覚や幻聴を引き起こす――彼らに言わせれば“神聖な薬物”を使用する。
例えばシベリアのシャーマンは、トランス状態や幻覚を起させる薬として、ベニテングタケやカラカサタケなどのキノコを煎じた液を飲む。
多数の人類学者や古代宗教の研究者によれば、このように意識の変革を起させるためにキノコなどの幻覚性物質を用いるのは極めて古い時代、おそらく人類の歴史と同じくらい古いのではないか、と述べている。
古代ギリシアでは、エレウシスの神秘宗教の新入会員に“女神の姿が見えるようにするため”、特殊な菌類を飲ませた。
同じように、古代インドでは、ソーマというものが“神々の食物”であると同時に、神々の顕現に接したいと考える人々のために選ばれた食物でもあると言われていた。このソマの正体が、シャーマンが飲んだ何らかの幻覚性物質のようなものであろうことは現在では異論がない。
さらにスペインの年代記作家ゴンサロ・ドビエドによれば、ネイティブ・アメリカンのシャーマンたちは、霊と意思を通じ合わせることができる秘密の手段を持っていたという。
「シャーマンは恍惚状態にあるように見え、また不思議な苦痛を感じているようでもあった。……
彼は意識もなく地面に横たわり、族長やその他の人々が自分たちの知りたいと思うことを尋ねると、霊がシャーマンの口を通して、きわめて正確な答えを与えた」
と彼は書いている。しかし、古代のシャーマンたちと同様、トランス状態に入る現代の霊媒師たちは幻覚性物質など用いていない。彼らが霊を憑依させる(厳密にはそう信じ込む)ための主要な手段はおそらく“自己催眠”であろう。
先に多重人格障害について述べたが、シャーマンや霊媒師が“支配霊”とか“霊の導き”と呼んでいるものの大半は、この多重人格症の一例に過ぎないのではないか、という解釈である。
この場合“別の自我”は、表面に現われると本来の人格を完全に乗っ取ってしまうため、当人には別の人格になっていたときの記憶はまったくない。
こういうと、通常の多重人障害のパターンと、シャーマニズムの憑霊あるいは交霊会で霊媒が支配霊を呼び出すときの様子はあまりにも違いすぎる、という反論もあるだろう。
しかし、シャーマンや霊媒師は霊魂を呼び出す際に、ほぼ例外なくトランス状態に入る。とすれば、トランス状態の下で、霊媒が自分でも気付かないうちに別の人格を出現させたと考えることも可能なのだ。
実際、この現象は精神病歴のない正常な人に催眠術をかけた際にも、不意に起こる場合があることが知られている。
ではこの場合、霊媒の出現させた“第二の人格”が特定の限られた人しか知り得ない情報を知っているのはなぜだろう。
これを説明するには、人間の心に潜む驚異的な力、俗に『神話作成』として知られる能力を引き合いに出さねばならない。神話作成とは、誰かが催眠術にかけられてトランス状態にあるときに、よく“過去生”という形で語られるものだ。
これは非常に説得力のある詳細な話や、神話を創作する能力を伴っており、その結果が一部の霊媒に“潜在意識の偽造”の能力を与え、死者の声や生前の癖や筆跡、さらには作曲やデッサンのスタイルまで真似る力を与えるという。
実際に、催眠術にかかった被験者が、突然、通常の生活では気付いてもいなかった才能を示す場合があることはよく知られており、ある人は催眠状態で見事な絵を描き、またある人は巧みな歌を歌う。
人間は通常、脳細胞の1割しか使っていないといわれ、残りの9割の部分は無意識状態で普段は意識できない領域である。
催眠中に失われていた記憶を呼び戻したり、あるいは非常に重たいものを軽々と運んだりするなど、催眠術には脳細胞の残りの9割を活性化させる働きがあると言えるのだ。
潜在意識の偽造は、交霊会の霊媒師や恐山のイタコなどに特有の心理現象というわけではない。意識的であれ無意識的であれ、おそらくは死人の生まれ変わりを称する多くの人々に適用できると言わなければならないだろう。
いわゆる前世を記憶していると主張する人々は、宗教的に輪廻転生が認められてるインドやスリランカ、その他アジア地域などで出生している場合が多い。
ヴァージニア大学の朝心理学者、イアンスティーヴンソンがインドで収集した事例の3件のうち2件は、貧しい境遇の子供が上位カーストの一員として前世を記憶していたという。
この場合、子供の側に願望的思考が窺えるだけでなく、生まれ変わった人格が元の家族に財産の所有権を主張する可能性も認められる。
実際、ヴィア・シンという子供が、前世での父親ラクシュミ・チャンドに財産の三分の一の分与を公然と要求したが、チャンドが不運にみまわれて新しい父親より貧しくなってしまうと、元の家族への関心を失ってしまったという妙に現実的な事例まである。
スティーヴンソンが収集した有力な事例には、前世で負った傷跡に相当するアザを持った子供たちが数多く含まれている。
その一例がラヴィ・シャンカールというインド人少年の場合で、この少年は前世で惨殺されて首をはねられたアショーク・クマーという少年だったと主張した。
実際、スティーヴンソンはシャンカールの顎の下にナイフの傷跡に似た、細長いアザがあるのを発見している。しかし、アザは生まれ変わりが実在する決定的証拠にはとてもなり得ないのが実状である。
むしろ、このようなアザに合理的な説明をつけるために、わざわざ前世の記憶を作り上げたというのが本当のところだろう。とはいえ、多くの事例の中には、虚言や精神分裂症そして催眠による神話作成だけでは説明できない事例があることも確かである。
http://www.fitweb.or.jp/~entity/shinrei/rinnetensei.html
「神々の糧」:トリプタミン幻覚剤と意識のビッグバーン
ホモ・サピエンスは5万年前に知性が爆発的に急成長し、アフリカから脱出した150人程度のグループが現在のすべての人類の祖先となったとされている。アフリカで意識のビッグバーンを引き起こしたものは何だったのか。
『神々の糧(Food of the Gods)』のテレンス・マッケナは、強いエクスタシー感覚をもたらす世界中の向精神性植物を比較検討し、アフリカ中部で幅広く植生し、人類祖先の食糧となった可能性があるのはトリプタミン幻覚剤を含有する植物・キノコ類ではないか、と推理する。
トリプタミン系のシロシビンを摂取すると視覚が鋭敏になり、性的な興奮を誘発するという実験を引き合いにしながら、マッケナは5万年前の激変を以下の3点から考察している。
■ 1. 鋭敏な視力は狩猟や採集を大幅に向上させ、食糧の大量確保が可能になった。
■ 2. 性的な興奮を引き起こし、人類の急速な繁殖に役に立った。
■ 3. シャーマン的なエクスタシーを経験し、超自然的な判断力・予知能力・問題解決力をもつ指導者が現れた。
視力向上によって「狩猟される側」から「狩猟する側」に転換したともいえる。裸眼視力が3.0~5.0に上がっただけではなく、心の目による察知能力も高まり、安全な住み家や集落を確保したうえで、生めよ殖やせよ、が起こったのかもしれない。
やがて超自然との交流を専門にするシャーマンの家系が生まれ、神秘世界や生命現象が徐々にコトバで表現されるようになり、ここから宗教や文字社会へと発展した、と想像できる。
わたしが主張したいのは、初期人類の食物に含まれていた突然変異を起こさせる向精神性化学化合物が、脳の情報処理能力の急速な再編成に直接影響を与えたということである。
植物中のアルカロイド、とくにシロシビン、ジメチルトリプタミン(DMT)、ハルマリンといった幻覚誘発物質は、原人の食物の中で、内省能力の出現の媒介を果たす化学的要素となり得るものだった。<中略>
この過程のもっと後の段階で、幻覚誘発物質は想像力の発達を促し、人間の内部にさまざまな戦略や願望をさかんに生み出し、そしてそれらが言語と宗教の出現を助けたのかもしれない。(p41)
著者はエクスタシー感の高い“ドラッグ”を以下の4つに分類する。
2. トリプタミン幻覚剤・・・DMT、シロシン、シロシビン(豆類など)
3. ベータ・カルボリン系ドラッグ・・・ハルミン、ハルマリン(アワヤスカのベース)
4. イボガイン科の物質・・・アフリカと南米に存在
余談だが、本書では『神々の果実(Magic Mushroom)』にも登場するベニテングダケについては、若干の向精神性はあるものの、安定的なエクスタシーはもたらさないとして除外されている。
私も『神々の果実』を読んでみたが、インドのソーマ(Soma)に関しては文献学的に説得力があるが、飲尿習慣を絶対の前提とするところが難点だ。また、神話学やユダヤ・キリスト教に関しては、拡大解釈が甚だしい。
ともあれ、人類の祖先がアフリカのトリプタミン幻覚剤で意識のビッグバーンを経験したと仮定すると、その後の放浪地では良質の幻覚剤に恵まれなかったということか。
エジプト脱出のモーゼは麦角(LSD)の知識が豊富だったという説もある。エレウシスの秘儀は麦角ビールのような特殊大麦飲料を使っていたという考察もある。だが、麦角は一歩間違うと大量の死者を出す猛毒物質でもあるため、扱いが困難だ。
アヘンは中国を攻略する薬物となり、“スピリット(精神)”と呼ばれるようになった蒸留アルコール飲料も、大量の中毒者を出して社会不安を広げた。
アヤワスカは現在注目されているものの、これを使っていた中南米の民族が戦略的な優位に立てていたかどうか。
砂糖・コーヒー・茶・チョコレートは、医薬品や催淫剤としては期待倒れだった。現代社会が抱えるタバコの害についてはすでに周知の通りだ。
現代社会では草原で狩猟をするような視力は不要であり、人類全体の視力は低下する一方だ。生めよ殖やせよの効果が効き過ぎたせいなのか、地球上の人口がこれだけ増えても年中型の発情は続き、それでも満足できず、「もっともっと」とドラッグを求めている。
残された快感と英知の世界は、シャーマン型のエクスタシーの世界だ。このエクスタシーを一般庶民が常時体験するような革命の日々は、果たして訪れるのだろうか。
モーゼが視たヘルメス蛇の幻想 ― 龍神イエスを導くマトリックス
ヘブライ大学の認知心理学の教授がモーゼ研究で面白いことを言っている。
◆AFP:十戒を受けたときモーゼはハイだった、イスラエル研究報告(2008/3/6) 旧約聖書に登場するモーゼ(Moses)はシナイ山(Mount Sinai)で神から10の戒律を授かったとされているが、それは麻薬の影響による幻覚経験だった――イスラエルの研究者によるこのような論文が今週、心理学の学術誌「Time and Mind」に発表された。
ヘブライ大学(Hebrew University)のベニー・シャノン(Benny Shanon)教授(認知心理学)は、旧約聖書に記されている「モーゼが十戒を授かる」という現象に関し、超常現象、伝説のいずれの説も否定。
モーゼもイスラエルの民も麻薬で「ハイになっていた」可能性が極めて高いとしている。
モーゼが「燃える柴」を見たり、聖書によく出てくる「声を見た」という表現も、麻薬の影響を示しているという。
教授自身も麻薬を使用して同様の感覚を味わったことがあるという。
1991年、ブラジルのアマゾンの森林で行われた宗教儀式で、「音楽を見る」ための強力な向精神薬、アヤフアスカを服用。精神と宗教のつながりを視覚的に体験したと言う。
アヤフアスカには、聖書の中でも言及されているアカシアの樹皮でつくる調合薬と同程度の幻覚作用があるという。
「アヤフアスカ」はアヤワスカとも呼ばれる幻覚調合剤で、エハン・デラヴィやグラハム・ハンコックなど意識の冒険家たちが何度も服用している。
このアヤワスカを飲むと大蛇の幻覚を例外なく見ると言われているが、シャーマンとしてのモーゼがアカシア樹脂を使って同様の幻覚作用を得ていたとすると、モーゼの「蛇の杖」や「炎の蛇」や「青銅の蛇」も説明がつく。
蛇信仰は世界中で普遍的に存在するが、旧約聖書の創世記では蛇はサタンの化身であり、イブをけしかけて知恵の実を食べさせた。
一方、エジプト脱出のモーゼは杖を蛇に変えたり、堕落した民を炎の蛇で殺してしまうという“蛇使い”だ。
◆旧約聖書 『民数記(Numbers)』 21:4-9 (新共同訳)
彼らは、ホル山を旅立ち、エドムの領土を迂回し、葦の海を通って行った。
しかし、民は途中で耐え切れなくなって、神とモーセに逆らって言った。
「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」
主は炎の蛇を民に向かって送られた。
蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。
民はモーセのもとに来て言った。
「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」
「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者ががそれを見上げれば、命を得る。」
モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。
最も不思議なのは、ユダヤの民が許してくださいと哀願したときに、蛇にかまれても死ぬことのない“解毒装置”として、「青銅の蛇」を用意したことだ。蛇にかまれても、この青銅の蛇を見ると命を得るという。
偶像を拝んではいけない、他の神を拝んではいけないといいながら、チャッカリ蛇の偶像を用意したことになる。
みんな死ぬのが怖いので、この青銅の蛇をありがたや、ありがたやと拝むに決まっている。どうして蛇の天敵である「鷲」や「鷹」の像を使わないのか。あるいは「ヤウェ、ヤウェと10回繰り返せば直る」という言葉のパワーを使わないのか。
◆旧約聖書 『列王記 下(II Kings)』 18:1-4 (新共同訳)
イスラエルの王、エラの子ホシュアの治世第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。
彼は二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。
その母の名はアビといい、ゼカルヤの娘であった。
彼は父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。
イスラエルの人々は、このころまでにこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである。
時代が下ってヒゼキヤ王の時代になると、モーゼの造った青銅の蛇は打ち砕かれてしまう。
蛇神は拝んではいけませんよ、何度注意しても、人々は蛇を拝んでしまっていたということだろう。
しかしながら、この蛇拝みの元を造ったのはユダヤ教の開祖モーゼなのだ。
蛇神というとおどろおどろしいが、いわゆる地の神の象徴であり、龍神さまと言ってもいい。龍神の側に立って、旧約聖書にある「ヤウェ vs 龍神」の対立構造を読み取ると以下のようになる。
ヤウェがこの世を創造したけれど、ロクなもんじゃないよ、この世界は。
アダムとイブを救うべく、知恵の実を食べさせる龍神さまの電撃作戦がついに決行!
ところがヤウェが「原罪」と恐怖政治の手法を使って闇の人間支配を継続。
これに反撃すべく、モーゼが登場。ヤウェだけを拝むように見せかけて、「青銅の蛇」を拝まざるを得ない仕組みを構築。
ヤウェの化身ヒゼキヤ王がこの工作に気づき、龍神の通信機「青銅の蛇」を破壊。
互角の戦いといったところか。
で、この後にユダヤの律法主義を批判しながら登場するイエスは、さて、どちら側の化身なのか。
正統派のキリスト教会は口先でユダヤ教を否定・超克したと言いながら、<ユダヤの神=キリストの神>という路線を選択。
一方、キリスト教の異端であるグノーシス派は<ユダヤの神=サタン、キリストの神=龍神>を選択している。
ユダヤ教の神ヤウェがサタンであるとすると、アダムとイブに知恵づけをした蛇が本当の神さま(龍神さま)だったということになる。
また、イエスこそが龍神の化身であり、ヤウェが仕組んだ「原罪」を浄化するために、あえて十字架に掛かって犠牲になったという解釈や、スキをついてサタンをコブラツイストで締め上げたという解釈も成り立つ。
中世のキリスト教では、旧約の神様が偶像崇拝はいけないと何度も警告したにもかかわらず、イエスの磔刑や聖母マリアを偶像にしてしまう。
一方、東欧で栄えたグノーシスのボゴミール派は、龍神イエスを処刑した十字架を拝むなんてトンでもないということで、十字架を含めいっさいの偶像を否定した。
ルネサンスになると、エジプトのヘルメス主義やギリシャの秘儀、ユダヤ教のカバラなどを融合した新プラトン主義が台頭する中で、「十字架に架かる蛇」(フラメル紋章)も現れる。
反カトリックの神秘主義者は<蛇神=イエス>をほのめかし、詭弁のキリスト教徒は<これはモーゼの青銅の蛇を意味し、イエスの磔刑を予言したもの>とうそぶいて、“旧約は新約の予表”という預型論(タイポロジー)に溺れる。
いずれにせよ、一方が神で他方はサタンであるという善悪二元論を超越しない限り、旧約を“聖”書に仕立て上げたバイブルであれ、旧約を全面的に否定したグノーシスであれ、英知に至ることは不可能であろうね。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1714647
引用が長くなりましたが、結局 滝田洋二郎 秘密 は
直子自体は完全に死んでいて、藻奈美の無意識内の直子の記憶が人格化されて憑依状態になっていた
という設定なんですね。
詳細は
滝田洋二郎 秘密 1999年 東宝
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/861.html
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『私という他人 ~多重人格の精神病理~』を読んで その① — 幻聴が聞こえたら
http://www.gennchougakikoetara.com/index.php?id=watasi
2005年1月8日
最近、
H・M・クレックレー、C・H・セグペン[著]川口正吉[訳]『私という他人 ~多重人格の精神病理~』(講談社プラスアルファ文庫)
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/406256145X/
を読みました。この本は1973年に邦訳・発行されたハードカバーの文庫版なのですが、著者の患者であったイブ・ホワイトという名の女性の、多重人格症状の発症から回復までの過程について書かれています。精神的な分野の書籍であり、今回は、この本の内容について触れていくことにします。
一連の出来事は、彼女がひどい頭痛に悩まされはじめ、町の診療所に行くことにより始まります。その診療所の医者にクレックレー・セグペン精神科クリニックを紹介されるのですが、実は、そのクリニックの治療者が著者であるクレックレーとセグペンの両博士であり、彼女に対しての精神療法による治療が始まることとなるのです。そして、その治療の過程で著者は、当時、非常に珍しい症状であった多重人格症状の症例に接することとなったのでした。
治療者である著者は、面接を行うことによりイブ・ホワイトの話(症状)を聞いてきます。彼女は、夫婦生活をする中で、度々、夫に腹を立てられ、時には平手で打たれる事があると告白し、自分では何故そういうことを夫にされるのか理解できないと言います。著者も、この小さな女性と接した感触では、性格が大人しく、腹を立てられるようなことをするとは想像できない。夫が尋常な男ではないのか、それとも、他に何か原因があるのか。問題の原因を探りはじめることになります。
(本書、第1章「それは偏頭痛からはじまった」17頁より)
彼女はしばしば、「目がくらむような」頭痛と形容した。どんな意味でこの形容詞を使っているのか、なかなか正確にはわからなかった。どうも字義どおりに視覚を失う、あるいはまったく見えなくなるということではなさそうであった。ただ、偏頭痛の患者によく見られるような視覚障害があったことだけは事実のようであった。彼女はまた、頭痛発作のあとに意識喪失があるともいった。彼女が意識的に説明を避けたというのではないが、こうした発作期間にいったい何が起こったというのか、診療者ははっきりとした意味合いをつかむことがむずかしかった。
ときに、彼女のいう言葉から、ただの卒倒だったのではないかと思われるフシもなくはなかった。たるいは彼女のいうのが、もっと悪質な記憶喪失を意味しているのではないかと疑われることもあった。しかし、神経病学検査では、脳腫瘍の徴候は見られず、意識喪失を起こすような他の器質障害の徴候も見られなかった。また痙攣症の病歴も彼女にはなかった。
[中略]
彼女のパーソナリティ(人格)は誰が見ても、異常とか強烈とかの特徴の全く欠けた、どんな驚くべき可能性もありようのない、ごく陳腐なものであった。
治療を始めて数週間で彼女はかなり良くなり、もう意識喪失の発作を訴えなくなったので、事態は好転したかに思われました。しかし、安心したのもつかの間、その後、彼女は夫であるラルフ・ホワイトに連れ添われて再度診療所にやって来ます。ラルフが語るには、妻の気質が時々奇妙に変化し、それが原因で彼が癇癪を起こすことがある、とのこと。また、そういう事件があったにもかかわらず、彼は妻のことを、そういう病的な面を除いては大体において魅力的な女性、非常に貞淑で、辛抱強く、子供に対して献身的な、良い母親であると見ています。
(同、第2章「幻聴を聞く」23頁より)
「先生、こんなやさしいしっかりした女が人を怒らせるなんて、とても信じられないでしょう。ですがそれは事実なんです。僕が悪いのかもしれません。いや、妻はあまりに善良すぎて、そのために時々、僕は癇癪を起こすのかもしれません……先生は妻のいいところばかり見ていらして、それに慣れきっていられるのです。もし先生も……それとは全然ちがった反面……それが出たとすれば……どう解釈すると当惑されると思います」
もっと詳しく話してくれと私たちは頼んだ。イブはときとすると、いつもの辛抱強さと冷静さとは似ても似つかない様子で、別人のように振る舞うことがあるという。
その後、治療者の症状を解決させようという努力の効果が表れたのか、夫婦の間柄はかなりよくなったように察せられました。しかし、再度ラルフから期待を裏切る手紙が来ます。ひどい頭痛がぶり返したので、なるべく早く面接をお願いしたいとのこと。診察室でイブ・ホワイトに会うと、ひどい頭痛が続いて、生活が極めて惨めだったと訴えられます。そして、彼女は、何度も繰り返し同じ不思議な夢を見ると告白します。
(同26頁より)
医師は、催眠術をかけてみようかといった。
彼女は別にいやな顔もせずに承諾した。何度もすぐさめて、うまくいかなかったが、最後にやっと催眠状態になった。医師は、眠っている彼女に、そのままもう一度夢を語ってくれるよう命じた。そして目が覚めてからその夢が現実の経験とどの部分で一致しているのか、よく考えてみるのだとよといいふくめた。
催眠状態からさめたあとで、彼女は、夢のその部屋が彼女の存在全体を意味しているらしいこと、よどんだ汚水は夫がカトリック教会のメンバーだという意味らしいことを、きわめてスラスラと申したてた。こう見ると、夢と現実とはまったく一致しているのであって~[中略]。
[中略]
この夢の解釈で新しい事実が発見されたわけではない。
彼女がこれまで意識的には、そしてはっきりとは気づいていないことが、一つでもこの夢の解釈で明らかになったというものではなかった。だが夢の解釈を医師と話しあうことは、彼女がこれまでの面接でふれることを避けていた重要な意味を持つある部分の感情を、明瞭に彼女に意識させるには役だったようである。
事実、彼女自身も驚いたように、頭痛は突如として消え去った。彼女はすっかり元気を回復して診療室を辞していった。精神治療医(セグペン)がこれまでの面接で見たこともないほど彼女の気持ちはほぐれ、明るくはればれとしていた。
それから約1年間、イブ・ホワイトの状態はかなり良好な状態を保ちます。しかし、ある日、治療者の元に彼女から一通の手紙が来るのでした。夫と、とり返しのつかない争いを起こしてしまった、という内容の手紙です。催眠術による治療は有効であったが、このケースでは、約1年間しか効果が続かなかったようです。
(同27頁より)
大変な喧嘩、そのあと夫も妻も逆上して、もはや二人の関係もこれまでだと宣言しあった。ラルフはすぐ一人で家に帰り、妻があとで衣類や自分の品物をとりにくるのを待った。
彼女がもどってくると、態度がまるで変わっていた。夫は、妻のほほえみ、やさして声のちょうしにびっくりしてしまった。彼女は、何事もなかったかのように、夫の頬に軽く接吻し、いつものとおり家の中の仕事をやりだした。彼女の行動に当惑をおぼえながらも、夫は妻の態度に心がやわらぎ、妻が、あの時のはげしい憎悪と破局的な意向を何かの考えでひるがえしたのだろうと思って気をやすめた。今さらあの喧嘩のことを持ち出して危機をおしすすめるべきではないと考えた。それからの数日、家庭は平和にあふれ、夫婦の間柄はこれまでにないようなものであった。
するとある日の夕方、旅行に出かけるつもりか、スーツケースに物をつめている妻を見つけた。彼女は冷静で、事務的で、そして軽く微笑していた。夫は何気なく、なぜ旅行の支度をするのかと妻に聞いた。
「なぜ……?私、フローのところへ出かけるのでしょ?」
彼女は、夫の質問にびっくりしたような表情で答えた。夫がなぜそんなわかりきったことを聞くのか彼女はとまどっている様子であった。悲劇的な終わり方をした先ほどの旅行は、じつはこのフローのところを訪ねたことであった。
[中略]
「おい、何をバカいっているんだ。君のフローを訪ねる旅行はもうすんだじゃないか!」と夫は声を荒げて妻をなじった。彼女はただ呆然とするだけであった。
治療者との面接でも彼女は、納得がいかない、フロー夫妻を訪ねて数日を過ごしたことも、あとから夫が来たことも、全然覚えていない、と言いました。これはひどい記憶喪失だと思った医師は、再度彼女に催眠術をかけることにします。すると、フロー(従姉妹)と仲良く数日を過ごしたことを明瞭に思い出すことができるのでした。しかし、 夫との口論の原因については、なぜか曖昧なことしか言えず、おかしなフシも見られました。
治療者は、面接をしているときの彼女の穏やかな態度と、夫の述べる、喧嘩の際の彼女のはげしい行動との間に辻褄の合わないものを感じ取ります(夫の証言は、その口論の場に居合わせたフローの夫に会うことにより誇張でないことが証明されていました)。その後、治療者との面接により少し自信を取り戻した彼女は夫に伴われて帰っていくのですが、直後に手紙が届きます。それも、未完の手紙であり、途中で突然、筆跡と内容が変わっている手紙なのです。その変わり様は、子供がイタズラ書きしたように、同一人物が書いたとは、とうてい思えないようなものなのでした。この手紙を受け取り、医師は様々な可能性を模索します。
(同36頁より)
これまでイブ・ホワイトはいつも変わりなく慎重で実直な人柄であって、几帳面なくらい誠実な女であった。その真面目な彼女が、正気でこんないたずらをするとは、とうてい考えられない。とすれば、コロンビア市の従姉妹を訪問したときの健忘発作という事実と考えあわせて、この場合も、それに似たようなごく短時間の夢遊病、あるいは遁走(フユーグ)が発生したのかもしれない。それが医師のいちおうの説明であった。
この手紙の一件から一週間もせず、著者は、今度は夫であるラルフから連絡を受けることになります。彼女が、今度は夫に相談なしに町に行き、非常に高価なドレスをたくさん買い込んできたという。それで急遽、翌日に面接することになるのですが、会うと、また彼女はそのことについて何も知らないと言います。彼女は、夫の怒りを(誤解を?)解けずにいる、子供も失うかもしれない、そういう不安により地獄にいるように苦しめられている、そう察せられるのでした。
自分を救って欲しいとすがるような目で医師の方をまじまじと見る彼女。治療者である医師との間に、緊迫した沈黙の時間が生まれます。その時、医師は深い呼吸をし、自分でも何故そうしたかわからないのですが、微かにほほえみます。すると、彼女の意識の中で何かの変化が起きたのか、初めて幻聴の体験を告白するのでした。それまで、彼女の性格もあり告白できないでいたのです。彼女も、幻聴という異常現象から統合失調症(精神分裂病)という重い精神病をイメージし、精神病院に入れられて、二度と外に出られないことを恐れていたのでした。
(同41頁より)
「もう、何ヶ月にもなります。あの声が聞こえだしてから。めったにしかないのですけれども……」
ところが、ここ数日はそれがとても頻繁になってきて、いまではどうしても避けることができなくなってきた。聞こえるのはいつも女の声である。誰の声だかどうしてもわからない。が、聞き慣れた声のように思われることが時々ある。その声は軽快な調子のしゃべり方で、時どき下品な言葉を使う-と彼女はいった。
[中略]
精神病者の幻聴というものは、通例こんなにはっきりした声を聞くものではない。精神病者は、聞きなれぬ声がしゃべるその内容に恐怖を覚えはするが、異常な知覚そのものをとくに恐ろしいと思うことはめったにない。幻聴を聞く精神病者はほとんど一様に、自分の聞く声が現実にある声だと考えている。彼らはラジオとか、レーダーとか、あるいは無限の距離に音波を発射する放射性物質、さらには霊能者の内部に潜む心霊体に、目には見えぬ波動が作用してそうした声が聞こえてくるのだ、と絶対に信じている。
精神分裂病の患者は、幻聴が精神病の一つの証拠だとはけっして思っていない。幻聴の声が現実のものでないと、いくら説明してやっても、とうてい彼らを納得させることはできないのである。
これに反して、イブ・ホワイトの反応の仕方はまことに奇妙なものであった。すなわち、彼女は、精神病学の理論としては重症の精神病者にだけしか起こらないはずの幻聴を感じると同時に、それに対して正気で健康な通常人のするような反応を示しているのであった。
今回は、ここまでの内容で筆を置かせていただきます。全29章の中の、はじめの2章についてのみ触れていったのですが、それだけの内容の中にも、有益な情報が多くあるように私には感じられました。最初は激しい頭痛、そして、意識の喪失を訴えるイブ・ホワイト嬢。脳に問題があるのかというと、脳腫瘍などの異常はないという。そして、夫による証言では、妻の気質が変わり別人のように振る舞うことがあるとのこと。病院にかかるほどの問題を抱えていなくても、気分屋であったり、時として別人のように振る舞う人は、現在の日本にも多く見られるのではないでしょうか。
その後、頭痛がひどく、日常が惨めで、不思議な夢を繰り返し見るという彼女の訴えにより著者は催眠術という方法よる治療を試みます。その結果、一年間ほど症状は好転するのでした。催眠術というと、私はブライアン・L・ワイズ[著]『前世療法』を連想しますが、ワイズ氏のケースでは、退行催眠により患者の病気の原因になった時期まで記憶を遡ることを試みたところ、患者の生前にまで記憶が遡ってしまい、そこから新しい事態が展開されていくのでした。
話を元に戻します。治療から約一年後、再び彼女に事件が起こりはじめます。夫からの視点によると、彼女は気質が変わることがあり、癇癪を起こしたり、そうかと思うと、そのことをすっかり忘れていたりする。彼女にしてみたら、頭痛で悩まされる上に、自分がしてもいないことで夫に激しく怒られ不条理に感じるし、気分は沈む。不安にもなる。解決することがむずかしい状態に、彼女たちはおかれているように察せられます。
著者が再度催眠術による治療を行うと、彼女は忘れていた記憶を大部分思い出すのですが、問題の核心については何故か曖昧なことしか言えません。そして、後になって、彼女が幻聴の体験をしていながら告白できないでいたことが発覚するのでした。彼女は、幻聴が聞こえることにより自分は統合失調症であるのかと疑うのですが、私の場合と同じく、幻聴という症状により統合失調症と診断され、精神病院に入院、二度と外の世界に出られないことをイメージし、彼女はクリニックの治療者である著者にも言えないでいたのです。しかし、ある切っ掛けにより治療者との信頼関係が気づかれることにより、、遂に彼女は告白することになるのでした。
著者によると、精神病患者の幻聴と、彼女の幻聴との間には明確な差異があります。それは、精神病患者は現実の声と幻聴との区別をすることができないのですが、彼女は幻聴を幻聴だと認識し、現実の声と区別することができるということです。ともかく、彼女のこの幻聴の告白により、治療に関しても新しい展開を迎えることになるのでした。
http://www.gennchougakikoetara.com/index.php?id=watasi
『私という他人 ~多重人格の精神病理~』を読んで その② — 幻聴が聞こえたら
http://www.gennchougakikoetara.com/index.php?id=watasi2
今回も、前回に引き続き『私という他人 ~多重人格の精神病理~』の内容について触れていきたいと思います。前回、イブ・ホワイト夫人は幻聴の体験についての告白をしました。その後、彼女は精神病と診断されていないことに安心しながらも、娘を手放すことに対する恐れ、夫との問題、などにより神経をすり減らし続けます。そして、頭痛の回数は増え、激しくなり、意識が喪失することも多くなっていくのでした。
そんなある日、医師が彼女と面接している最中に、信じられないような事件が起こります。彼女に聞こえる「女性の声」が話題であり、その声のことをうまく説明しようとして、彼女が考えあぐねていたときでした。
(本書、第3章「もう一人の女」44頁より)
彼女の考え込んでいる目の表情が、ほとんど凝視の形をおびてきた。イブは、瞬間、眩暈を感じたらしかった。突然、彼女の姿勢が変化しはじめた。彼女の体はおもむろにこわばっていき、ついに硬直したまっすぐな座り方になった。と、見なれない、わけのわからない表情が彼女の顔をサッとかすめた。が、次の瞬間にはそれも消えて、完全な無表情となった。容ぼうのあらゆる線が、ほとんど認められないくらいの、さざ波が立つような変化で移っていくように思われた。しばらくのあいだ、何かひじょうに計り知れぬ神秘的な表情がそこにただよっていた。両目を閉じ、彼女は両手をコメカミにやり、そこを強く押さえ、急激な痛みと闘うように交互に上下へひねりながら、顔をしかめた。かすかな震えが彼女の体全体を通り過ぎた。
それから-両手は軽くおろされた。そして彼女の姿勢は、医師がこれまでこの患者について目撃したことのないゆったりとしたものに、たわいなくほぐれていった。青い目がぽっかりと見開いた。すばやい大胆なほほえみ……。
「ハイ!……そこなの、先生(ドック)!」
人格が交代する瞬間の描写についての記述になります。イブ・ブラックという未知の人格が、イブ・ホワイト人格と交代して医師の前に初めて現れたのでした。記述から、喋り方が変わっているだけではなく、姿勢なども変化していることが理解できます。
(本書、第3章「もう一人の女」49頁より)
ここでもうすこしくわしく、この新しい幽霊の女と、消えさったイブ・ホワイトとの外見上のちがいを説明しておこう。あの平凡なイブ・ホワイトが、内気な稀に見るしとやかさと節度とをわきまえた女性であるのにたいし、新しく出現したこの女は、子供のようにものおじしない気質、エロチックでいたずらっぽい流し目、滾々と湧き出るような活力、遊びを求める貪婪な意欲などが特徴であった。このまるで屈託のない女は、イブ・ホワイトとその悩みを、人ごとのように口にし、イブ・ホワイトを指すのに「彼女」という三人称を用い、自分自身とのあいだにはっきりとした境界線をもうけていた。
(中略)
二人の女性のあいだの数えきれないほどのちがい-態度、物腰、表情、姿勢、反射の度合い、視線、眉のかたむけ方、目の動き、そういったもののすべては、たしかにこの女が全く別人であることを主張しているかに見えた。だが、そうした差異が実際何であるかと正面きって問われると、まったくどう返答していいかわからなくなるのであった。
二つの人格の間には数多くの異なる特徴があり、例え同じ肉体を共有しているにしても、同一人物であるようには感じられないし、その差異をうまく解釈することができない、ということです。つまり、ある人が二重人格者と会い両人格と接した場合、それぞれ別の人と会ったように感じるのですが、それが何であるのかよく理解できない、そういう状態です。二重人格という症例は、精神科医もめったにお目にかかるものではなく、その解釈に著者自身が非常に困らされるのでした。
(本書、第5章「二重人格-その人格交代に直面して」87頁より)
多重人格はしばしば、ヒステリーの一形態だといわれる。これまでに報告されたケースでは、たしかに、意識の分裂を示すとともに、転換ヒステリーの古典的なまちがいのない症候を示しているものが少なくはなかった。誰でも知っているように、ヒステリー患者はひじょうに暗示にかかりやすく、芝居がかった行動をする。こうしたヒステリー患者が、自分はいますばらしいものを発見しつつあると思いこんでいる医師の熱心な呼びかけに答えて、凝りに凝った、信じられないくらいの仕草をやってのけ、観察者の期待にそうような、いや観察者の想定を上まわるような変貌を見せるであろうことは、想像にかたくない。
読者も見聞きされただろうが、およそ薄気味のわるい怪奇な現象-たとえば空中浮遊だとか、死者との通信だとか、物理的な力が働いていないのに物が動くとか、遠隔の人と会話をするとかいう現象-は、むかしは「騒ぐ霊(ポルターガイスト)」の仕業だと思われていたのだが、今日でも、相当の学識ある人でさえ、これを死者の心霊によるものだと信じているようである。ところがよく調べてみると、術者はたいてい、じつは悪意のないヒステリー症の少女か何かなのであって、彼女をあやつる黒幕の人物の命令するままに、無意識のうちに行動し、演技が度重なるにつれてますます芝居がかり、神秘性をおび、ついには信じがたいまでの「奇跡」をやってのけるにすぎないのである。
多重人格の解釈について書かれていますが、ヒステリー症の一形態だといわれることが多いのだそうです(本書が執筆されたのは1958年です)。また、著者は、ポルターガイスト現象について、黒幕の人物に操られたヒステリー症の少女か何かが引き起こしている、との解釈をされています。
私は、そういうことも多くあるのかなと感じます。もう、心霊的な世界には怪しげな山師が多数潜んでおり、詐欺的な行為を多くしてきたために信頼性を失っているという現状があるように感じるからです。そのことも一因となり、学識ある人々の多くは心霊的な世界について語ることを嫌がるのではないでしょうか。つまり、物欲に囚われているような人間は、精神的な世界について語ってはいけないということです。特に、金儲けや虚栄心のために精神世界・心霊的なものを利用してきた人々が少なからずおり、結局は、そういった行為が心霊的なものの信頼性を低めてきたのでした。
(本書、第6章「孤独な魂の記憶」99頁より)
だが、いま直面している患者は、ありきたりの精神障害とはまったくちがう。私たちは二十年近く、共同で精神科クリニックを経営してきたのだが、イブ・ホワイトのようなユニークなケースに出会ったのは、これがはじめてである。この患者は無数のむずかしい問題を提起し、いかなる不測の可能性を秘めているかもわからない希有のケースである。
精神医学の教科書ではしばしば、二重人格はヒステリーという周知の名称のもとに、他の意識分離症といっしょに分類されている。だが私たちには、この患者をはたしてヒステリーの分類に入れていいかどうか自信がなかった。彼女がはたしてヒステリーに共通なありきたりの反応を示すかどうか疑わしく思った。この患者には、私たちの知識の限界をはっきりと自覚させる何かがあった。人間という統一体あるいは人間の生命という小さな核的事実をとりまいて、そこに広がる無限の神秘性についてわれわれの知識がいかに乏しいか、そしてまた精緻な精神病理学の諸理論がいかに疑わしく、頼りないかを思い知らしめる何ものかがあった。
著者は、このイブ・ホワイトのケースを、ヒステリー症として分類していいかどうか悩みます。著者の知識を超えるものが現状としてあり、自分たちの力の限界を自覚させられたからでした。
心霊的な知識からは、このケースを霊魂の交代だと解釈しすることができます。霊魂が交代する。だから、肉体以外の部分は全て交代する。そういう解釈になりますし、著者は、それを無限の神秘性として感じられているのではないでしょうか。また、心霊的な精神病の解決方法として、霊媒に霊を憑依させて解決していく、というやり方があり、そのことについては後述します。
(本書、第6章「孤独な魂の記憶」110頁より)
観察期間中、彼女には多い隠された、あるいはごく初期の、精神分裂病の徴候はなかった。また分裂病質傾向すら全然見られなかったということを、とくにここで強調しておきたい。よく、一件常人であって、行動も言語も非の打ちどころのない合理性をもっていながら、その内側の奥深い個所にきわめてかすかな分裂病的な異常さが隠されており、何かのはずみに察しても、彼女の動作、姿勢、その他いっさいの外部に現れる部面で、おかしな気味のわるい徴候などは毛筋ほども見られなかったのである。
彼女には、多重人格といわれる人格の交代は起こっていたが、現実と幻覚を混合するといったような一般的に統合失調症患者に見られる傾向はなかった、ということです。
(本書、第7章「意識がとぎれた間」131頁より)
イブ・ホワイトと対座しながら、治療者は静かに、イブ・ブラックの名を呼んだ。そして、何も知らないこの患者に、直接に話しかけてくれと、医師は要求した。
反応はただちに、しかも印象的に表れた。イブ・ホワイトの顔は、突如として表情を失い、中略。すべての表情と感情とをはぎとられた空白の一瞬がすぎて、その顔には、原始の驚きともいうべきむきだしの感情が表れた。そして寸時の沈黙ののち、彼女の相貌は、またいつもの静かな落ち着きをとりもどした。かすかな、聞き取れぬほどのため息を一つもらし、彼女はおもむろに、ささやくようにいった。
「……ありえないことですわ」
患者の心は深部から揺すぶれ、乱された。彼女の医師はその午後ずっと彼女につきそってやらなければならないと思った。彼女の感情が、この不気味な、恐ろしい自己了解に順応していくように、できるだけ彼女を力づけてやらなければならないと思った。
これは、著者とイブ・ブラックがあらかじめ話しあい、イブ・ホワイトにもう一つの人格(イブ・ブラック)の存在を知らせるため、彼女にその声をわざと聞かせたのでした。それは、イブ・ホワイトにもあらかじめ説明してから、意識の奥の方からイブ・ブラックが語りかけたわけです。
イブ・ブラックの方は、イブ・ホワイトの考えていることがわかるといい、その存在を以前から知っていました。しかし、イブ・ホワイトの方は、それまでイブ・ブラックの存在を全く知らなかったので、著者は、その存在を知らせることが治療の役に立つと考え、彼女に幻聴(イブ・ブラックの声)を聞かせたのでした。
(本書、第9章「第二の人格はいつできたか」160頁より)
私たちは、イブ・ブラックとの対談で、彼女がイブ・ホワイトの幼少期からずっと独立の生活をもっていたと聞かされて、驚くとともに、その真実を疑った。イブ・ブラックなるものが、患者のここ数年経験した破壊的な情動ストレスから生まれた産物らしいと推測していた私たちは、これをまた例のイブの誇大な作り話の一つではないかと思っていた。彼女は、二十年前、あるいはそれ以前の挿話を、隠しだてせずに語った。みんな、彼女が出現した話で、いたずらをしたり、両親のいいつけに従わなかったというような話ばかりであった。
(中略)
私たちが両親と面談するにおよんで、イブ・ブラックの語った挿話のあるものは、両親その他の家族の証言で、これを裏づけることができた。(中略)。両親ともイブ・ブラックが私たちに話したことのあるいくつかの事件を記憶していた。
イブ・ブラックは二十年前から記憶をもっており、その記憶が両親の証言で裏づけられた、とのことです。これはイブ・ホワイトにとっては、信じられないような、恐ろしいことではないでしょうか。自分の知らないところで、自分のことを知っていて、考えていることもわかる人格(霊魂)がいたのですから。しかも、イブ・ブラックの場合は、時どき肉体に表面化しては問題を引き起こし、後始末はイブ・ホワイトにとばかりに、責任は取らずにまた奥に引っ込んでいくのでした。こうなってくると、興味は、どうしてこのような事態になったのか、どうしたら問題が解決するのか、という方に移ります。
(本書、第10章「自殺願望」176頁より)
ごくはじめのころの面接で、イブ・ブラックはこういうことがあった。彼女の中のイブ・ホワイトの記憶(memory)が、ごくわずかの時間ではあるが、ひどく妨げられることがあった。それは、イブ・ブラックの支配がなおつづいていながら、しかも彼女の交代人格が必死にもがきでようとするので、意識にありつこうとする両者の争いがはげしくなり、いっときどちらが勝ちをしめるかわからないようなきわどい一時期に、そのような記憶の妨げが起こるということができる。いつもできるとはかぎらないが、時々はできる、といった。しかし、これをするには、かなり不快な努力がいるので、めったにそうはしないのだという。
恐ろしいことに、イブ・ブラックにはイブ・ホワイトの記憶を妨げる能力があるのでした。イブ・ブラックの場合は、滅多にそういうことはしないとのことでしたが、もしも、そういう行為ばかりするとなると、「『霊感者スウェデンボルグ』にみる幻覚の心霊的解釈」における、憑依霊と同様の行為をしている、より悪質な霊であるということになるのではないでしょうか。
(本書、第11章「誰にも本当のことは言えない」188頁より)
「偽善者」という言葉がある。その人の主張、自負が、実際の行動とあまりにくいちがっている場合、彼は「偽善者」といわれるのだが、そのくいちがいが極端な場合は、彼は「二重の人生を送っている」といわれる。
このように、意識からしりぞけられシャットアウトされた傾向、態度、性質が、その人の心の内奥に、気づかれぬまま一つの潜在能力として存在し続けるという説は、けっして根拠のないものではない。かく、意識からしりぞけられ分離されたものが、何かのきっかけで動員され組織化され、ついには一つの目に見えるものとして表面に表れてくる-それがいわゆる二重人格の中の第二の人格であると説明されているわけである。
この考えにもとづけば、治療の道はおのずから明らかであろう。すなわち、二つの人格相互認知をすすめてゆき、最終的な再統合へもってゆくということである。かくて、数十ヶ月にわたり、おのおののイブを一歩一歩その幼児期までたどっていかせるという努力がつづけられた。
何らかの原因により、一つの肉体に二つの人格が宿るという状態になり、片方は真面目で、もう片方は不真面目なのでした。そして、時どき、不真面目な方の人格が肉体を支配しトラブルが起こる、という構図になります。著者は、人格が分離した幼児期まで記憶をたどること、そして、二つの人格の相互認知をすすめることが、この問題を解決する治療方法であるといいます。
「C.A.ウィックランド著『精神科医ウィックランド博士の迷える霊との対話』」にみられるように、精神病の心霊的な治療方法として、精神病患者に取り憑いている憑依霊を霊媒に憑依させ、霊能者(この場合は精神科医)がその憑依霊と対話することにより、解決を探る(病気を治していく)というやり方があります。実は、このイブ・ホワイトとイブ・ブラックのケースについても、これら心霊的なケースとの類似性が見られるのでした。肉体を支配している主人格(この場合は、イブ・ホワイト)に対して、非協力的(この場合は、イブ・ブラック)であったり、攻撃的な他人格がおり、主人格が苦しめられるという構図がそうです。そして、そういった不満分子の理解を得ることが、問題解決のポイントであると考えられています。
(本書、第13章「内向を深める性格、外向に走る性格」217頁より)
しかしながら、ミス・ブラックのロールシャッハ・テストが、私たちが依頼した臨床心理学者によって、「ホワイト夫人のそれよりはるかに健全である」と解釈されたことは注目に値する。この臨床心理学者によれば、イブ・ブラックの記録はヒステリー傾向が顕著であるのに対して、ホワイト夫人には、「しめつけられている感じ、不安状態、強迫神経症傾向」が見られるという。(後略)。
これは、現代人の生き方の違いにも通じる両人格の間の差異になります。抑制的で大人しい性格のイブ・ホワイトよりも、開けっぴろげで我慢を知らないイブ・ブラックの方が、精神的には健康であるということです。
現代の日本にも、流行を追い、クラブに踊りに行き、乱痴気騒ぎが大好きで、大した向上心もなく日々を生きているA君と、本を多く読み、勉学に打ち込み、倫理・道徳的な生活規範で自分を縛り、目標を持ち日々生きているB君がいます。私は大体はB君でありたいと思っていますが、実は、精神的にはA君の方が健康的であるといわれています。A君はストレスを感じない生き方をしているのに対して、B君は、自分をより向上させるためにストレスを溜める生活をしているからです。
では、みんなA君のような生き方をするのがいいかというと、私は決していいとは思いません。B君のように目標を持ち努力し、時には、人の道に外れない範囲内で羽目を外し、ストレスをうまく処理して生きていくことが、最良の方法ではないのでしょうか。つまり、バランス良く生きていくことが大事であるように感じます。
(本書、第13章「内向を深める性格、外向に走る性格」219頁より)
イブ・ホワイト
つつしみぶかく、控えめで、ある点では聖女に近い。
顔は静かな甘美さを示す。休んでいるときの表情は悲しみをじっと噛みしめているといったふうである。
声にはいつもやわらかでなだらかな抑揚があり、つねに、ひときわ女性的な抑制に支配されている。
(中略)
過酷な環境に苦しみ、悲劇に恐れおののき、そうした中でわが子を守りぬこうとする健気な努力は非常に印象的であるが、本質的には破れやすいものであるだけに、いいようのない悲壮感を誘う。はたから見て、いまの環境にやがて圧しつぶされるのではないかと、ハラハラさせられる。
ナイロンに対するアレルギーはない。
イブ・ブラック
どう見ても、パーティ・ガールで、抜け目がなく、子供のように見栄っぱりで、自己中心的である。
顔はピクシーのようで、目は、いたずら小僧が瞳の奥からのぞいているように、躍っている。
表情は変化しやすく、いつも何かおもしろいことがしたくてたまらないといった衝動的な光をただよわす。目つきはカゼのごとく移りやすい。顔には悲壮のかげがまったくない。時どき子供のあどけなさを見せるが、ほんとうは、それは表面だけの無邪気さである。
声はすこししわがれている"ディスカルチュアな"(本人の住む文化的枠組みから逸脱した)ところがあり、陽気さと、相手をなぶるひびきがある。
(中略)
およそ思索的などではない。真剣になることは、彼女にとっては、退屈なバカバカしいことである。男はこの女を見るとすぐおもしろい女だと感じ、人好きのする女だと思うだろう、そういう魅力がある。つまらぬ日常経験の細かいことまで、異常な好奇心で観察しようとする。そして不思議にも、「じわじわとくる外部世界の汚濁が伝染してこない安全地帯に引っこんでおり」、あらゆる精神的苦悩と悲哀とから離れて安泰である。
彼女の皮膚は時どきナイロンによってジンマシンを起こすと本人がこぼしている。だから「出ている」ときは、靴下を長時間はかないようにしている。
イブ・ホワイトとイブ・ブラック、両者の性格の違いについての記述になりますが、これはもう、完全な別人だということがわかります。そして、イブ・ブラックは20年前からの記憶があるといいます。それでは、なぜ、その時からの記憶があるのか、ということが疑問として生まれてくるのです。そして、両人格の間の相互理解がこの症例の解決策になると著者は考え、その方向での治療が行われていきます。この、両人格の相互理解が達成されたら、症状は好転するのか、どういう結果を招くのか、非常に気になるところです。
わたしは、この両人格を心霊的に霊魂であると考えていますが、何らかの事件が二十年前に起こり、それまでは一つであった人格なり魂が、二つに分かれたのではないかと考えている点において、精神科医である著者の解釈と何も異なるところはありません。
丁度、太陽のように一つの丸い球体が、ヒョウタンのような形状を経て、二つの球体に分かれるような感じに分かれたのではないかとイメージしています。そして、片方の真面目で責任感のある霊魂(人格)が普段は肉体を支配し、もう片方の不真面目な方の霊魂(人格)が奥の方に引っ込んでいたということになります。両者は分裂する前はバランスのよい人格であったが、分裂時に、「真面目で病的な人格」と「不真面目で生き生きとした人格」とに分かれた、と考えることができます。
また、別の話になりますが、この本の内容について考えていて、クローン人間を連想することがありました。クローン人間とは、ある人間と遺伝子配列が全く同一の複製人間のことです。一人の人間にさえ、複数の人格が存在することがあるというのに、それが、クローン人間ではどうなるのか。イブ・ホワイトの肉体のクローンを作成したら、そのクローン人間にもイブ・ホワイトとイブ・ブラックという二つの人格が宿るのでしょうか。非常に興味深い点だと思います。
それでは、今回は以上の内容で筆を置かせていただきます。
http://www.gennchougakikoetara.com/index.php?id=watasi2
『私という他人 ~多重人格の精神病理~』を読んで その③ — 幻聴が聞こえたら
http://www.gennchougakikoetara.com/index.php?id=watasi3
今回も、前回からの続きを書いていきたいと思いますが、少々お伝えしておかなければならないことがあります。題名にある通り、H・M・クレックレー著『私という他人 ~多重人格の精神病理~』を読んだことが、今回の連載を書き始めるきっかとなっています。
しかし、現在、たった一冊の本を読んだことにより多くのことを理解したと考えることは浅はかであった、と実感している次第です。どういうことかといいますと、先日、酒井和夫著『分析・多重人格のすべて』l(リヨン社)という著書を読んだのですが、これが非常に勉強になる本でした。そして、『私という他人』についても多くの頁数が割かれており、私の認識が改められるとともに、今回の連載の締めくくり方に関してかなりの路線変更が必要であることが判明したのでした。そのことをご了承いただけますよう、お願いいたします。
以下、『分析・多重人格のすべて』内、「私という他人の要約」の一部からなります。
本書「多重人格のはじまりの物語」67頁より
面接を進めるにつれて、イブ・ブラックは患者が流産した時からではなく、患者の幼児期からすでに時々出現していたことが明らかになった。そして、記憶の奥に眠る<陶器の青いコップ>のことが語られるようになった。
ところが、今度はイブ・ホワイトの頭痛が再び悪化し、第三の人格であるジェーンが出現したのである。
ジェーンは、二人のイブの中間物というべき人格で、円熟した、奥行きのある人格であった。ジェーンは以前の記憶はなく、まさにゼロからの出発であったが、どんどんと奥を自分のものとし、三人の人格の中で大きな地位を占めていった、そして一人の肉体をこの三人が共有する混乱のなかで、患者は夫との離婚を決意したのだった。
くり返される面接のなかで、セグペン博士が催眠下で<青いコップ>のことについて探索するにつれて、あの見栄っぱりのイブ・ブラックが涙を流し、「私の形見に赤いドレスを持っていて」と懇願した。そしてイブ・ホワイト、ジェーンが出現したところで患者は両手でこめかみをおさえ、いきなりバンシー(恐ろしい泣き声で家人の死を予言する女妖精)のような悲鳴をあげる。
そして第四の人格であるエブリン・ホワイトが誕生したのである。
エブリンは幼児期に<青い陶器のコップ>で遊んでいた時に母に呼ばれ、祖母の葬儀に参列し、祖母の死顔に触るという儀式を強要されたことを思い出した。
そして、この瞬間に一つの新しい人格が溶接されたのである。
その後の変化は、「分裂していた人格が融合してしまったあと、彼女自身が見いだした個性を形成していく過程」であり、やがてエブリン・ホワイトはアール・ランカスターという男性と結婚し、ようやく幸福な人生を手に入れるのである。
このようにこの物語は、三人の人格が一つの肉体を共有するという混乱した状況から、人格の分裂の根本的な原因である、祖母の葬儀での外傷体験を想起することによって人格の統合が得られたというハッピーエンドなのであるが、現実は少し違っていた。
以上。要約より。イブ・ホワイトの症状について、やはり幼児期に原因があったのでした。解離性同一性障害(多重人格障害)の発症の原因の多くは幼児期の性的虐待による心の傷であり、退行催眠により原因となった事件までさかのぼり、再体験することが治療に有効だといわれています。イブ・ホワイトのケースでは、葬儀の際に祖母の死に顔に触ることを強要されたこと、それが発症の原因であり、治療の過程で退行催眠を行い事件を再体験することにより、人格が統合してハッピーエンドになった、と『私という他人』においては記述されています。
しかし、後になってから、『私という他人』の内容は、実際の現実とは違っていたことが明らかにされました。それは、イブ(クリス)自身と、彼女のよき理解者である従姉妹・そして心理学者でもあるエレン、による共著『私は多重人格だった(私はイブ-ある多重人格者の自伝)』によって明かされるのでした。本書は、イブの真実の姿を正確に描こうとしたものであり、彼女は良くなっていなかったのです。実際は、第三の人格であるジェーンが自分が消えゆく危機に際して自殺を図り、盲目のレディが登場したのでした。そして、再度、頭痛と人格変換の日々が始まります。このような過程のなかで、イブは少しずつ自分自身を統合していったのでした。
つまり、治療者であるセグペン博士とクレックレー博士は、無意識のうちに中立性を失い、その著作は少なからず主観的な内容になってしまっていたということです。イブは著作の最後で「48年もして初めて私は自由になった」と宣言しますが、『私という他人』の内容(ハッピーエンド)とは全く矛盾した宣言です。
セグペン・クレックレーの両博士は、イブの人格を統合させて、それで治療が終わった、問題は解決されたとしたのですが、実際の彼女は、その後も苦しみ続けたわけです。では、どうすれば解離性同一性障害(多重人格障害)は解決するのか?治療するためのプロセスについて、『分析・多重人格のすべて』から抜粋して見ていきます。
本書「多重人格の治療」215頁より抜粋(箇条書き)
①多重人格の治療には、二つの異なった側面からのアプローチがある。
②一つは精神分析療法だが、その治療効果は疑わしい。
③もう一つは催眠法であり、数年にわたる根気よい治療が必要である。
④催眠とは解離状態を作り出す技術であり、解離することは否定的な側面ばかりではない。自己の痛みを解離することにより、生存の役に立つ。解離状態は、無意識の扉を開くための重要な鍵なのである。
⑤多重人格の原因は、幼児期からの無数のトラウマになっている出来事に対する、本人が知らずに行っている防衛のメカニズムにある。
⑥それに対して、催眠は解離状態を人為的にコントロールする技術。
⑦マッピングとは、さまざまな人格が個性と悩みを抱えているが、それぞれの人格と人格の関係、人格の特性を、あたかも地図を作るように配置し、一望できるようにすること。複雑な関係を整理する作業は、精神内界の探求の糸口になる。
⑧マッピングが可能になる条件は、催眠なしで出現する人格たちと良好な関係を築く、それらの人格をあるがままに認め受け入れる、このことにより、各人格は安心して治療者と接触できるようになる。各人格に対して、普通のカウンセリングの技法で接して治療を行うことも可能であり、それは望ましいことだ。
⑨患者の許可がない限り、決して入ってはいけない部屋を心の中に創り、確実なものにしていく。
⑩マッピング以降、患者は幼児期から思春期迄のつらい体験の再体験が求めれるが、そんなときにも、心の中に安全な部屋を持っていれば、「いつも安心して帰っていける場所」として、新たな傷を受ける可能性を最小限にできる。
⑪全人格に「自己催眠」を学んでもらい「自分をリラックスさせる技法」を会得してもらう。それは、ある人格から別の人格にスイッチすることを自分の意志で出来るようになる基礎的な訓練になる。このような心を守る方法を身につけてから、本格的な治療をはじめる。
⑫感情の再体験をする。ありありと当時の状況を想い出して、その時の感情をその時のままに感じ取る経験をすること。心の古傷をリアルに、現実のものとして再体験することは、その傷を取り除く上で、とても重要になる。傷を更に深くすることを避けるため、最初は催眠下で比較的強い人格に軽度のトラウマを再体験するように試みる。催眠下の想起で歯の治療を想い出させれば、現実に痛みを伴って想い出すことが可能。同じように、催眠下で、思春期に出会った不快な記憶を想起させると、実際にその時の不快-苦痛な感情を経験し「解放」される。
⑬多重人格の成因の仮説によれば、幼児期の性的虐待のような避けることのできなかった、自分の力ではどうすることもできないような経験を直接感じなくてすむように、人格を解離させて、自分を守ってきたのである。しかも各人格はそれらのつらい出来事を忘れている。そこで、人格のなかで比較的自己のコントロールをする力の強い者を選んで、治療の出発点にし、その人格を鍵として治療を行う。
⑭人格同士の友好関係を強化し、多くの記憶を共有させるように、催眠法を用いて変えさせる。どのようにマッピングを変化させたら、最も安全で本来の自己に近くなるかを洞察し、治療に協力する人格を選び、協力させ、それぞれの人格に記憶体験をさせて、それをできるだけ多くの人格が共有するように方向づける。
⑮人格を融合させようとしてはいけない。多重人格障害を単一の人格とすることは、現実に無理なだけでなく、非倫理的とさえ言える。多重人格であることが問題なのではなく、問題は、それぞれの人格が不幸であり、何らかの傷を持っていて、回復できていない点にある。
以上、非常に有益な情報であるように感じます。とても印象に残ったのは、治療の目的が分裂した人格の統合ではないということです。そうではなく、分裂してしる各人格の心のケアを行い、お互いの人格相互の理解を深め、治療者に対しても協力的になっていくように促す。そうして、心の中でしこりになっているものを徐々に取り除いて、精神的な健康を取り戻していく、それが目的だということです。
ところで、病気の治療を霊的に行う場合、大きく分けて二つのやり方があります。一つは、取り憑いている霊を追い払うというやり方です。その霊が障害を引き起こしているので、その場から排除してしまえばいい。そういう考え方によります。そして、もう一つは、取り憑いている霊を諭して、理解・協力を得るというやり方です。治療者である霊能者が、霊と直接話をすることにより、霊を納得させ問題を解決するのです。現在、前者より後者の方が、より高度であり正しい治療の仕方だといわれています。
それは、悪い影響を与えている霊を追い払っても、なにも根本的な解決にはならないからです。その場から居なくなっても存在していることに代わりはないので、いつ戻ってくるかもしれない。それに対して、霊を納得させるということは、問題が根本から解決されたことになります。
そして、そういった心霊的な治療のプロセスと本書「多重人格の治療」における治療プロセスの間には、類似性を感じずにはいられないのでした。人格であれ霊魂であれ、治療者に対して協力してもらう、そして、それぞれの人格(霊魂)に相互理解を深めてもらい、しこりになっている問題を解決していく、そういうプロセスを経るという点において非常に似ている点があるのではないでしょうか。
最後に、私は今回、自分にとっては全く関係のない病気だとばかり考えていた多重人格を扱い、とてもよかったと感じています。それは、非常に勉強になったということです。幻聴とは関係がない話だと思ったら、イブ・ホワイトは幻聴体験をしており、その告白が重要なポイントになっていました。そして、いくつもの人格が登場することにより、心霊的な世界とのつながりを感じさせられました。何より、治療法に関する記述(『分析・多重人格のすべて』)は非常に勉強になるもののように感じます。やはり、本を読むことに得られるものは、非常に多くあるようです。
それでは、今回で『私という他人 ~多重人格の精神病理~』についての連載を終わります。
http://www.gennchougakikoetara.com/index.php?id=watasi3
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女性は放っておくとみんな多重人格になりますけどね:
2018-05-21
広末涼子の関東連合灰皿プレイ事件、薬、枕営業に驚愕【黒歴史】
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広末涼子(37)が「CHINTAI」のCMで20年ぶりに女子高生姿を披露。でも、その透明感、清潔感には実は裏の顔がある・・?S〇X依存症、ヤク、関東連合との灰皿プレイ・・。広末涼子の過去の奇行の数々を紹介します。
CMがかわいい広末涼子には裏の顔があった?過去の奇行の数々
透明感があって、清純なイメージの広末涼子ですが、その見た目からは想像がつかない真っ黒な裏の顔があるという噂です……。
表向きはかなり素直な感じなのにすごくもったいないですよね。でもそれが広末涼子の黒歴史で真実。
広末涼子2001年あたりから見られる奇行の噂の数々を見ていきましょう。
①関東連合との灰皿プレイ
広末涼子がこれまでに交際していた人物、俳優の金子賢と元旦那の岡沢高宏の両者とも関東連合との繋がりがあります。
特に元旦那は関東連合といっても過言ではありません。
そのため広末涼子は関東連合との関わりがあることは間違いありませんね!
そんな広末涼子の有名な話しといえば「灰皿プレイ」。みなさんはご存知でしょうか?事の発端は広末涼子が金子賢と交際している間にメディシンに手を出した事。
噂によると、メディシンを追加するためにクラブへ行った時、金子賢や関東連合のメンバーから
「メディシンが欲しければ灰皿にう◯こしろ!」
と命じられ、その言いなりになってしまったようです。
広末涼子は言われるがままテーブルの上に置かれた灰皿にう◯をして、メディシンを懇願していたとあります。
一般人でもそんなことできないのに、広末涼子はよく承諾したものです。それほど薬が欲しかったのでしょう……。
@aoi_i.xさんの投稿
広末涼子が過去の痴漢被害を告白!お尻を触った犯人に激怒!?
②麻薬
当時付き合っていた金子賢が覚せい剤の使用疑惑のある人物でした。関東連合と関わる時点でかなり怪しい感じですよね。
金子賢との関わりが深かった広末涼子は、番組の収録後にフラフラになって現れたと言うこともあります。
まあ、もしかしたら麻薬ではなく酔っ払っていただけなのかもしれませんが。
③タクシー無賃乗車疑惑
都内のクラブで朝まで騒いでいた広末涼子は150キロ先の千葉にある撮影現場までタクシーで出勤!でも、かなり酔っ払っていたのでしょう。財布がない状態でタクシーに乗り、支払い4万が払えなかったという話しもかなり有名です。
しかしこれはガセで、スタッフが支払ったとも、財布をすられて支払えなかったともいろいろな噂があります。
④枕営業疑惑
中尾彬にご飯に誘われた広末涼子は「今日、生理でできないですけどそれでもいいですか?」と第一声。そのつもりが全くなかった中尾彬は驚き、広末涼子に怒ったとも言われています。
普通に枕営業をしていることに腹が立ったのでしょう。しかし、これもガセでは?という声が多いです。
⑤映画の制作発表で泣く
1999年に日仏合作映画『WASABI』でジャン・レノと共演して、国際派女優デビューと話題になりました。
広末涼子はこの映画の制作発表で号泣してましたね。一時期おかしかったがきっかけはリュックベッソンのせいだという人もいます。
リュックベッソンに上記のように言われ、簡単に電話番号を教えた広末。当初よくデートしていたが、映画のオファーがないことに焦りを覚え、事務所に言わずフランスにGO! 半同棲したのち、「WASAB」出演に結びつけました。
ヒットはしたものの、リュックは広末に飽きたこともあり、メガホンを捨て他が監督したと言われています。
制作発表で号泣したのはそれが原因だったとか。
⑥広末涼子の男性遍歴
早稲田時代に振られた伊勢谷友介を始め、最近では佐藤健に至るまで結婚後もお盛ん。
金子賢や真剣交際だった、永井大など恋多き人生だったようです。最近では不倫疑惑の、佐藤健などが耳に新しいですね。
⑦S〇X依存症
広末涼子は合体依存症(要するにヤリマン)で有名だと有吉ジャポンで暴露されてしまいました。
クラブで「私と合体したい人~」って挙手させて、別室へ行ってパコパコ、またフロアに戻ってきて「したい人~」別室行ってパコパコを永遠と繰り返しおこなっていたようです。
ただのヤリマンですよね……。清純派の見た目でこんなにもひどいとは誰も想像がつかないでしょう。
原美優がニコ生の番組で同じ話をしているようなので、このヤリマン疑惑は間違いないと考えられます。ちなみにこれも関東連合絡みだろうってと言われています。
広末涼子は「仕事を辞めたかった」
早稲田大学中退し、その後2ヶ月で結婚。当時売れっ子だったので、芸能界から離れるにはでき婚しかなかったと広末が当時を回想しています。
@kumarei_02)さんの投稿
しかし、金銭面で困窮していたのか1年後には仕事復帰。実際、当時旦那様だった岡田さんはデザイナーで、セレクトショップなども展開したが上手くいっておらず、常に金欠状態だった模様。
広末涼子が告白した辛かった過去
運動も得意だった聡明な子が奇行をする……若い時に成功してしまった不運なのでしょうか。実際、奇行が行われたかどうかは別として、相当20代は苦しんだようです。
彼女自身がこんなコメントをしています。
「もうしんどすぎて、これ以上頑張れないなって――。いつも気づいたら高い所にいって、誰か背中を押してくれないかな――っていう感じだった」
広末の20代といえば、育休から女優業へ復帰、離婚の発表と大きな出来事が重なった時期です。
20代前半の頃は「『いい子だ』って言われるのがイヤでイヤで」と“優等生イメージ”に苦悩し「仕事を辞めたくて仕方なかった」と明かす。その後、結婚をしますが・・「あの時点でフェードアウトしないと壊れていたと思うし、女優業は続けていられなかったと思う」「私の人生において、すごく大切」なものだったと振り返る。
いろいろあったかもしれませんが、時代を駆け抜けてきた彼女をもう少し見届けてあげたくなりますね。
確かに火がないところに煙は立たないと言いますが奇行話が多すぎるのは確かです。
が、実は全て真相は定かではありません。
広末涼子が女子高生を演じたCMって?かわいい過去画像と比較!
そんな奇行を繰り返す広末涼子ですが、芸能界から消えないのは破壊力のある美しさ。
2018年1月、37歳の広末涼子がなんと10代の女子高生役でCMに出演。「かわいすぎる!」「全く違和感がない!」と話題になりました。
広末涼子が女子高生役で出演したのは、賃貸物件情報を提供する企業「CHINTAI」のCM。大学進学を機に一人暮らしをしようとする女子高生、遠距離恋愛をしている20代の女性、そしてバリバリ働く30代の女性という3人を、広末涼子が一人で演じ分けています。
制服を着た広末涼子は透明感たっぷりで、本物の女子高生と言われても素直に信じてしまう若々しさです。
とても37歳とは思えません。
ちなみに、こちらは広末涼子が本当に女子高生だった頃の過去の画像。
端正な顔立ちでかなりの美少女です。さすがにこの当時のほうが若い感じはしますが、「CHINTAI」CMの広末涼子も衰えていないですよね。
CMでは大学進学をひかえた女子高校生役でしたが、広末涼子本人も高校卒業後は早稲田大学に進学。初登校の際には大学中がパニックになっていました。
広末涼子を一目見ようと学生だけでなくファンもやってきて、合計3,000人もの人が集まったそうですよ。
CMの広末涼子(37)のかわいい女子高生姿に対するネットの声
広末涼子が20年ぶりに演じた女子高生姿について、ネットでは以下のようなコメントが上がっていました。
37歳の広末涼子が披露した女子高生姿のあまりの若々しさとかわいさに、驚きの声が多数でした!
15歳でデビューしてからずっと芸能界のトップを走り続けてきた広末涼子。今回のCMは、その美貌のレベルの高さを再認識させてくれたかもしれませんね。
CMの女子高生姿がかわいいと話題!広末涼子のプロフィール
高知県出身の広末涼子。中学校時代は陸上部で走り高跳びをしており、県大会2位になるほどの実力だったそうです。
15歳の時にクレアラシルのCMで芸能界デビューしました。
@tamachan760)さんの投稿
生年月日:1980年7月18日(35歳)
出身地:高知県高知市
身長:161㎝
血液型:O型
兄弟:妹(4歳下)
学歴:高知市立城北中学校、品川女子学院高等部卒業、早稲田大学教育学部国語国文学科中退
広末涼子は過去に2回結婚しています。2003年に、モデルの岡沢高宏との結婚。このとき妊娠5か月でした。
しかし2008年3月13日、公式ホームページで離婚を発表。
2010年にはキャンドルアーティストのCandle Juneと再婚。
当初、妊娠はしていないということでしたが、2010年11月中旬、週刊誌に腹がかなり膨らんだ姿を撮られ、妊娠16週目と発表。再婚時(発表通りなら妊娠3か月時点)は妊娠に気づいていなかったそうです。
この厳しい芸能界に第一線でまだ生き残っている点や実は賞も数多くとっており(演技が下手という話もありますが)、スタッフの中では定評があるようです。
これからも、旦那様であるキャンドル・ジュンさんと共に子供3人育てながら、噂に負けず、これからも我が道を邁進して欲しいと思います。
まとめ:広末涼子の裏の顔(素顔)はヤリマンだった
どんなに可愛くても美人でも、さすがに裏の顔がわかると引いてしまいますよね……。
灰皿プレイやら関東連合との関わりやら、かなり鬼畜な行動をしているとなると、どうしても見る目が変わってしまいます。
ようやく最近テレビで見るようにはなったものの、この黒い噂が出始めてからは、広末涼子の印象は変わってしまいました。一時は干されたという噂もありましたし。
表の顔が良くとも、裏を知るとすぐに広まってしまうから芸能界ってすごく怖い世界なのです。
https://vipper-trendy.net/hirosue-ashtray
広末涼子の枕営業や灰皿に排便した噂!写真があるとかないとか…。
http://magocsi-news.net/5746.html
広末涼子さんと言えば!
1995年にデビューし瞬く間に人気を博した女優、タレント、歌手です!
今回はネット話題の枕、灰皿、写真、排便など凄いワードに迫ります。(笑)
広末涼子さん、デビュー2~3年は、歌も大ヒットし!
一世を風靡していたと言って良いでしょう。
ですが、恋愛関連のスキャンダルから様子がおかしくなり…。
奇行や仕事に穴を空けることが目立ち、表舞台から消えていました。
結婚などを機に、再び表舞台に復活した際は!
アイドル的要素を一切排し、本格的女優として活動するようになりました。
それでも色々と危ない噂が絶えない女優…。
広末涼子さんにスポットを当てていきたいと思います!
→広末涼子が太った劣化したと話題のスターマン!結婚や離婚についても!
→藤原紀香の宗教は誠成公倫と言う噂!枕営業と言われているがガチ!?
広末涼子に枕の噂が?
広末涼子 枕営業 灰皿 排便 写真
出典:http://www.crank-in.net/
デビュー当初から、大きな特徴もなく…。
現在の「ごり押し」的に活躍していた為に、大衆から
「何故?」
と疑問を抱かれていたことが始まりでしょう。
広末涼子さんの場合、人気が出る要素がゼロであった為!
何故歌手デビューや多くのCM出演、ドラマや映画出演が出来るのか?
と不思議に思われていたのです。
そこで、出てきたのが枕営業の噂なのです。
更には、大した実績もないのに、リュック・ベッソン監督の
フランス映画「WASABI」
に抜擢されたり!
広末涼子 枕営業 灰皿 排便 写真
出典:http://www.ss.co.jp
その記者会見では
意味無く泣き始めたり
と奇行が噂に拍車をかけました。(笑)
ありとあらゆる要求をされていたようです。
しかし、撮影が終わるとアッサリと捨てられただけではなく!
映画自体も誰の記憶にも残っていないほど駄作であり。(笑)
出演は評価を下げただけだったのです。
その後も、男性関係の噂は絶えず、非常に派手で隠すこともなく!
衆目の中での奇行が継続していたのです…。
枕営業が過ぎて、精神的に病んでしまったせいではないか?
ともずっと噂されていました。
女優として消えていた広末涼子さんが復活できたのも…。
演技力から推察すればこれもまた、枕営業によるものと考えることは!
不自然とは言えません。(笑)
広末涼子が灰皿に排便した?写真があるとか?
広末涼子 枕営業 灰皿 排便 写真
出典:http://livedoor.blogimg.jp/
広末涼子さんの奇行については充分世間を騒がしたので!
衆知のことでしょうが、流石にクラブで衆目の中
灰皿に脱糞した
と言う話は広まっていません。
ですので、ネットで広末涼子さんを検索すると排便などのワードが…。
とは言っても、この奇行は10年ほど前の話ですが!
ネット社会では根強く伝わっている話です。
・道のど真ん中で寝てしまったり
・無銭でタクシーに乗ったり
・町中で暴れたり
と、異常なほど奇行が目立った時期と符合しますので!
ただの噂とも片付けられません。
これは、目撃証言もいくつかある話ですので…。
事実であった可能性は極めて高いと言えるでしょう。
ですが、写真は存在しません。(笑)
広末涼子 枕営業 灰皿 排便 写真
出典:https://c2.staticflickr.com/
関東連合と言えば…。
俳優の押尾学元受刑者の麻薬がらみの事件!
歌舞伎役者の海老蔵への暴行事件などで有名になった集団です。
大物芸能人とのつながりはほとんどありませんが…。
下っ端から中堅処の芸能人とのつながりはかなり深いと言われています。
そんな関東連合と、広末涼子さんとの繋がりは長い間噂されていました。
元々は2001年に広末涼子さんが交際していた俳優の金子謙さんが…。
見た目や性質通り、関東連合とのつながりが強く!
そのラインで広末涼子さんも関係を持つに至ったのです。
広末涼子 枕営業 灰皿 排便 写真
出典:http://29.media.tumblr.com/
ちょうど、この時期から奇行が目立ったために!
関東連合絡みで、広末涼子さんが麻薬にも手を出しているのでは?
とまで言われていました。
また、2003年に広末涼子さんが結婚したモデルの岡沢高宏さんも…。
関東連合との繋がりが深いとされ…。
広末涼子さんもスッカリ手を引けない状況に陥ったのでしょう。
まとめ
いかがでしたか。
今回は女優の広末涼子さんの黒い噂などについて掘り下げてみました。
枕、灰皿、写真、排便など…。(笑)
いつまで経っても、広末涼子さんの黒い噂は消え去りません。
真相は藪の中ですが、火のないところに煙が立たないことも事実です。
広末涼子さんの交友関係に黒い関係者が、多いこともまた事実です。
これからは、そういった闇の噂で世間を騒がすのではなく!
本業での活躍に期待したいものです。(笑)
この記事をまとめると!
・広末涼子の枕営業の疑惑は昔からあるが、無いとは言えないくらい疑問がある。
・灰皿に排便した噂は今やネット上を騒がせているが、これまでの奇行を見ると無いとは言えない。
・関東連合との繋がりも噂されているが、ほかにも黒い関係が浮上しており、今後の行く末が気になる。
と言う結果になりました!
http://magocsi-news.net/5746.html
広末はやっぱり枕営業していた!
同じ事務所に所属していた元タレントが証言!
https://matome.naver.jp/odai/2139401448389523701
キャンドル・ジュン氏と結婚し、2児の母親となり、佐藤健との不倫が話題になった広末涼子。
関東連合との「灰皿うんこ事件」の噂も有名ですが、中尾彬に食事に誘われた際、「今日生理なんですけどいいですか?」と聞き、中尾彬が怒ったという話や、リュックベッソンと半同棲してフランス映画WASABIを勝ち取ったとか。
数々の奇行伝説
広末涼子 - 芸能人麻薬ルート - アットウィキ
https://www21.atwiki.jp/drughunter/sp/pages/18.html
広末涼子 プッツン奇行癖の“真相”
http://www.geocities.jp/keisukeinoue2001jp/uwashin2/ いしだ壱成御用達 西麻布「クラブM」潜入レポート http://megalodon.jp/2008-1219-1755-38/gendai.net/?m=view&g=&c=050…
川奈毅(川名毅) - 芸能人麻薬ルート - アットウィキ
https://www21.atwiki.jp/drughunter/sp/pages/13.html
メニュー 芸能人麻薬ルート
川奈毅(川名毅) 【関東連合・川名毅】朝青龍暴行事件の被害者 暴走族元リーダー 傷害で逮捕
http://www.youtube.com/watch?v=lWOuwKkKAkc
クラブから朝帰り後に路上で泣きわめく奇行も
402 :名無しでいいとも!:2009/01/06(火) 12:48:47.83 ID:SSdEnVce
広末は5年前くらいクラブに行くと、いつも酩酊状態で踊ってたな
連れの男になんか言われて、テーブルの上で灰皿にうんこしてるのをよく見た
うんこは灰皿に入るんだけど、同時に出た小便は床にビシューって垂れて、
時間が経つとすごく臭かった記憶がある
266. 匿名 2014/03/06(木) 15:25:49
私トランスが(トランスって言ってもハイパーではない大人しか来ない所)好きで昔よくクラブに通ってたけど
広末は時々VIPで見かけたよ
後はもっと昔にのりピーはよく目撃情報があった(イメージと違ってタバコふかしてビッチ風でびっくりしたけど)
他にも芸能人は見たけど(確実にドラッグでキマってて大丈夫?ってのもちらほら)
クラブ行くの止めたのは、ドラッグ問題
私はやらないので(当たり前だけど)、VIPやスタッフルームでは暗黙の了解になってて、通って知り合いが増えるほどこいつの前ではやっても大丈夫!みないな馴れ合いみたいなのが出来て、巻き込まれたくないのでスッパリ止めた
堅いかも知れないけど、違法は違法なんだよね
やましい気持ちもって遊びたくないし、ストレス発散にならない
自分語りしちゃったけど、まあ、広末はさもありなんって感じです
上手く遊んでるとは思うけど
「伊勢谷に続き岡沢も……!」関東連合暴露本で広末涼子 vs 長澤まさみの“一触即発バトル”が勃発!? - エキサイトニュース(1/2)
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20130708/Cyzo_201307_post_785.html
6月末に発売された、関東連合の元最高幹部・工藤明男氏(仮名)の『いびつな絆関東連合の真実』(宝島社)が、一部で話題になっている。同書では、市川海老蔵殴打事件や六本木襲撃事件で世間を震え上がらせた関東連...(1/2)
159. 匿名 2014/03/04(火) 22:16:20 [通報]
友達が、昔この人と同じ事務所でタレントだったんだけど、当時から「あいつはまじ枕で仕事とってるからなー。あんだけ枕できれば売れるよ!
あそこまでの男好きは尊敬するわ」
って言ってたので、やっぱりねーとしか思わないな。
200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 14:08:23
8年ぐらい前?中尾彬と親しい映画監督がテレビで暴露。
中尾彬がたまたま共演した広末涼子を何の気なしに食事に誘ったら
広末は「今生理中で出来ないんですけどそれでもいいですか?」と言い出した。
中尾彬は「枕営業しているのか」と怒っていたらしいね
広末はそんなことどうとも思っていなかったみたいだ
たしかに一時のテレビの露出度は田舎顔のアイドルにしてはありえないものだった
●広末涼子が記者会見で泣いたワケ 4/8
おすぎがトークショーで暴露した話です。なんでも、2年前の東京映画祭でロリコンの
リュック・ベッソンが広末涼子の携帯の番号を聞きだして、主演映画に出してやるって話を
口実に東京やフランスで何度もデートしていたそうです。んでもって、いつまでたっても
実際の話が出ないので、あせった広末涼子が事務所に内緒でフランスに行っちゃって、
リュック・ベッソンの知り合いの家にホームステイしてフランス語の学校に行ったり、
リュック・ベッソンと半同棲みたいなことまでして、やっと「WASABI」にありついたと。
その時、広末涼子はリュック・ベッソンにSM的行為も受けていたそうです。
でも、フランス語は結局ダメで、リュック・ベッソンがテープに吹き込んだ台詞を
覚えるという形で撮影したんだけれども、演技が全然で、リュック・ベッソンが
撮影開始直後からメガホンを他の人に渡してしまって、自分は参加しなくなって、
広末涼子にもあきてしまったそうで、記者会見の時、広末涼子が泣いたのは、
捨てられたことのショックだそうです。撮影もほとんど東京で行われて、
「あんなのフランス映画じゃないわよ!!!」って言ってました。
何でも広末涼子って偉い人と寝ると、いい仕事をもらえるってやり方で
来てたんで、それがフランスでも、アメリカでも通用すると思っていたらしく、
「あの子は世間知らずのかわいそうなバカな子なのよ。女優は女に優れる
って書くんだから、女優じゃないわ!!!!!」とおすぎさん力説していました。
87. 匿名 2014/02/27(木) 08:53:27 [通報]
広末涼子はセックス依存症で有名だって有吉ジャポンで暴露されてた。
店内で「私とセックスしたい人~」って挙手させて、別室へ行ってパコパコ、また店内に戻ってきて、「したい人~」別室行ってパコパコ、
を繰り返してたとか。
上原美優がニコ生の番組で、同じ話してたから間違いないって。関東連合がらみだろうって。
有吉ジャポン「怪しいウワサ話SP」
2013年1月11日 130111
内容:巷の怪しいウワサ話を大特集!禁断整形、ゲイ疑惑芸能人など
出演:有吉弘行、田中みな実、逸見太郎、太田光代、鈴木正文、西川史子
915 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/01/12(土) 16:07:15.34 ID:q4qsGbsd0
セックス依存症の女ってやっぱり〇原〇〇み?
932 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/01/12(土) 19:00:54.98 ID:maBnNyt30
セックス依存症の女優と整形グラビアアイドルだれ?
936 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/01/12(土) 19:16:14.48 ID:4lO74qGEP
>>915
早朝の道路にベタと座って泣き喚いてるような写真とられるような人だから
広◯涼◯かなと思ってググったら。そうみたい。
整形は手◯なんとかとか知らない人
940 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/01/12(土) 19:22:11.48 ID:2K1ly0Qh0
>>915
>>936
うわ、軽くショックだ
そういえば芸人達と飲み歩いてる写真撮られてたけど
まさかその席で・・・?
941 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/01/12(土) 19:37:40.38 ID:4lO74qGEP
>>940
灰皿にうん◯とか2chで書かれてるから半信半疑だったけど
西川センセと有吉の相槌からやっぱり・・ホント?って感じw
950 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/01/12(土) 21:18:51.30 ID:q4qsGbsd0
>早朝の道路にベタと座って泣き喚いてるような写真とられるような人だから
>広◯涼◯かなと思ってググったら。そうみたい。
>整形は手◯なんとかとか知らない人
そうなんか!あのとき丁度ちゃんと見てなくて、
口元を隠した吹き出しが「女優」なのか「アイドル」なのか分からなかった‥
「私とセックスしたい人~」と店内で手を挙げさせて別室へ行ってパコパコ
また戻ってきて「したい人~」また別室でパコパコ‥という所は観たw
978 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2013/01/18(金) 16:35:07.02 ID:lnOdiVQS0
そういやセックス依存症の女優の話だけど石原さとみじゃなくて広末涼子だと思う。
以前ダウンタウン浜田がニコ生でやった番組でその当時まだ存命だった上原美優が全く同じ話をしてた。
関東連合繋がりの話だと思うんだよな。
有吉自身も広末が「ヤリ○ン伝説」で有名なため「ヤリ○ン」と思っていたと語っていた
https://matome.naver.jp/odai/2139401448389523701
2025/04/18
https://www.youtube.com/watch?v=Xq9nJvfpVzs&list=PLkq9naOi7X-MPtRuiPdokmM20Cky3q7cS&index=1
2025/04/09
https://www.youtube.com/watch?v=3z3jj-2FtMo
2025/4/8
https://www.youtube.com/watch?v=TePeizPsMRU
この動画は、2024年1月に投稿したものですが、この段階で既に 広末涼子が「ドーパミン中毒」「快楽主義者」であり 「大麻・カ●●い剤などとゆかりのある「依存性の強い」男性達と恋愛遍歴があった ことを分析しています。 そして本日4/8、交通事故→検査拒否でパニックで看護師に暴行→現行犯逮捕 これは・・・恋愛依存だけではなかったということでしょうか。 悲しいですが、また脳科学による分析が的中してしまったのかもしれません
↓↓↓↓↓【騒動概要】↓↓↓↓↓ 「広末涼子さん W不倫騒動」 2023年6月「文春オンライン」が広末涼子さんの不倫 個人的な手紙(ラブレター)のやりとりなどが流出したこと注目を集めたが、 不倫相手である鳥羽周作氏もまた既婚で、W不倫であることが発覚した。 また、広末さんの夫(当時)であるキャンドルジュンさんの異様な風貌や涙の会見も話題を呼んだ。 その会見では、広末さんの過去の不倫疑惑について目をつむってきたことなども触れられた。 さらに、騒動は不倫批判だけで終わらず、なんと、 不倫した側である鳥羽氏がキャンドルジュン氏を批判するという驚きの展開もあった。 既に双方が離婚し、2024年、再婚秒読みと報じられているが、 広末さんは過去にも素行に大きな問題があると何度も報じられており、数々の浮気疑惑があった女性。 現在も不倫騒動で生じた賠償金に対して支払を拒否しているなど、果たしてこのまま穏便に再婚が進むのか?疑問が残る。
▲△▽▼
▲△▽▼
異常に嫉妬深い彼女に別れ話を持ちかけた。
やさしい人だったが妙にネガティブでさびしがり屋だった。 本格的に付き合いだしてはじめて彼女の異常さに気付いた。
俺の携帯がなるたびに誰からなのか何の話だったか執拗に問い詰める。 休日には必ず自分と一緒にいるように強制。 やむをえない仕事などの理由で一緒にいられない特はそれこそ十分おきに連絡が来る。とにかく俺の行動のすべてを管理したがった。
また自分以外の女性と俺が会話するのを一切認めない。近所の人に挨拶もさせない。 レストランとかでも店員が女性のときは必ず彼女が注文をとった。 仲のよかった姉が急に連絡してこなくなったのも彼女がさまざまな嫌がらせをしていたからだと知った。
さすがにやばいと思って彼女の実家に相談してみたが
「うちの子は前の男にふられてからだんだんおかしくなった。あなたと付き合うようになって(あれでも)だいぶ落ち着いた。
少々変なところもあるがかわいそうだから見逃してほしい」
言外にこれ以上娘がおかしくなるようなことをするな(別れるな)といってきた。
警察にいる友人にも相談してみたが、警察は色恋沙汰には死人でも出ない限り関わろうとしないらしい。 しかしさすがにこれ以上面倒も見切れない。話し合うにも言葉が尽きた。 これ以上一緒にいると俺が狂う。
彼女のマンションに行き、できる限り穏やかに遠回りに別れ話を持ち出してみた。
とたんに人とは思えぬ形相でめちゃくちゃに俺につかみかかる彼女。 必死で抑えつつ説得を試みるも執拗に俺の眼球を引っかこうとするさまに恐怖をおぼえ突き飛ばす。 思いっきり転んだ彼女は飛び起きながら台所に走りこむ。 今までに感じたこともない悪寒を覚え彼女が台所にいるうちに靴を残して彼女の部屋を飛び出した。
エレベーターをそわそわしながら待ってると彼女がドアをぶち破るように部屋から出てきた。 裸足で、手には包丁を持っている。それだけ確認して、来ないエレベーターを見限り階段に走る。 マンションの階段を転がり落ちるようなスピードで駆け下りるが追いすがる彼女の声を引き離せない。
一階正面ゲートから駐車場に着くより早く彼女が追いついてくる。 必死で走っている耳に彼女の荒い息が聞こえてくる。 逃げ切れないと判断してぎりぎりまで彼女が追いすがってきたところで急にしゃがみこんで足を払った。
彼女は俺につまづく形で勢いよく顔面からアスファルトに突っ込む。包丁を落としたので柄を蹴って遠くに飛ばした。 彼女が起き上がるより早く自分の車に駆け寄りながらポケットを探りカギを取り出す。 カギを開けてドアを開け中に滑り込むのをほとんど同時にやってのけエンジンをかける。
バックして方向転換、駐車場の外に向かってアクセルを踏もうとしたとき運転席ががばっと開いた。
息を吸った弾みに「ひいっ」とかぼそい情けない悲鳴がこぼれる。彼女を正視できない。 ゴミ処理用の焼却炉を稼動中にのぞいて猛烈な熱気に顔を背けたことがあるが
今の彼女はあれに似ている。
ほとんど反射的にアクセルを踏み込んで車を走らせた。 彼女はドアにつかまって併走しながら俺の名前を絶叫していたがスピードが上がってついに手を離した。爪がはがれたようで運転席側のドアの内には血の線が残った。
夜の街を制限無視で走りながら俺は泣きじゃくっていた。その日のうちに荷物をまとめて実家に逃げ込んだがその日から二度と彼女を見ることはなかった。 彼女からも彼女の実家からもまったく音沙汰がないので自殺でもしたのかとおびえていたが件の友人がさりげなく見てきたところ何事もなく普通に暮らしていたという。
時間がたって楽観的になった俺はまた自分のアパートに帰った。 夕食でも作ろうと冷蔵庫を開けると小包が出てきた。 いやな予感がしたがあけてみると中からは手紙らしい封筒と、あの日マンションにおいてきた靴が短冊状にずたずたにされた物がでてきた。
それを見たとたんあの日の恐怖がよみがえった。 心臓が急に暴れだし、口の中がが干上っていやな味がしてきた。 ひゅーひゅーと荒い呼吸をなだめながら恐る恐る同封されていた封筒を開けてみる。
予想した手紙ではなく、硬い花びらのようなものが手のひらに散らばった。 それが根元からはがれた十枚の爪だとわかったとたんに声を上げて手の平から払い落とす。
慌てて友人に連絡を取ろうとするが家の電話機が動かない。よく見ると電話線がちぎられていた。 喉から変なうめき声をもらしながら充電中の携帯を手に取るのと同時に着信。彼女から。さっきの爪の時のように携帯を放り出してへたり込んだ。
腰が抜けて座り込んでいる俺の後ろから玄関の鍵を開けてドアを開く音がした。
「早くでてよ」
http://syarecowa.moo.jp/114/40.htm
多重人格者だった恋人の話
http://an.to/haru/
僕が実際に体験した不思議な恋愛についてお話します。
三年程前、僕はある一人の女性と付き合っていました。
彼女は僕よりもいくつか年上だったのですが、子供っぽい雰囲気を持つ人でした。
容姿から喋り方、仕草まで全てが幼い子供のような人でした。
今思うと、彼女は本当に子供だったのかも知れません。
付き合い始めた切っ掛けは、偶然にもお互いに一目惚れだったのです。
もちろん、初めて会った日から交際を始めたのでは無く、それから随分経ってから交際が始まりました。
最初はお互いに容姿から好きになったのですが、喋ってみると趣味などの共通点も多く、気が付くと彼女の全てを好きになっていました。
共通の友達がいたのですが、彼女の事を好きな友人がいた為、仲間内では内緒で交際をしていました。
友人に隠し事をするのはいい事ではありませんが、共有する秘密を持つ事でより親密な関係になっていったのだと思います。
極々普通のカップルで相思相愛、何の不満も無くお互いに幸せな日々を過ごしていました。
しかし、ある日を境に信じられない展開になります。
話の始まりは、彼女と付き合って半年ほど経ったある日の事です。
いつものように彼女が夕飯の支度を、僕はその横でお手伝いをしていました。
料理を作りながら二人で仲良く話をしていると…
何が切っ掛けか分かりませんが、突然、彼女は僕の事を忘れてしまったのです。
半年付き合っていて、今の今まで話していて、喧嘩したワケでも無く、唐突に
「あなた誰?」
と真顔で言われたのです。
僕には何が起きたのか理解できませんでした。
何を話しても僕の事を思い出してくれないのです。
何故、自分がここにいるのか?
何故、知らない貴方と料理を作っているのか?
彼女は僕に質問をマシンガンのように浴びせました。
しかし、状況を理解できず混乱している僕に彼女の問いに答える余裕はありませんでした。
最初はイタズラかと思いましたが、少し落ち着いてから順を追って話をしてみると、どうやら本当に僕の事を知らないみたいなのです。
そして、彼女の喋り方や仕草は明らかに僕の知っている彼女では無かったのです。
言うなれば完全に別人でした。
事態を把握できないまま、僕は自分自身の事や僕の知っている彼女の事などを彼女に話す事から始めました。
そして彼女の話を聞いている内に彼女が多重人格である事が分かりました。
今、話をしている彼女は僕の知らない人格の彼女だったのです。
つまり、彼女からしても僕とは初対面なので、まったく知らない人だったのです。
しかし、僕の事を知ったもう一つの人格の彼女はその後も頻繁に僕の前に出てくるようになりました。
これを境にごく普通の幸せな恋愛から現実離れした特異な恋愛に変わっていったのです。
後になって知った事なのですが、彼女は幼い頃に家族から受けた虐待が原因で人格が分離してしまったようです。
本当に極一部の人にしか当てはまらない事なのですが、そういった虐待などの経験を持つ人の中には、通常の思い出を記憶する場所とは別のところに辛い思い出を記憶してしまう人がいるのです。
簡単に言うと辛い事を記憶する場所が別に用意されているのです。
人の人格は経験…、つまり記憶から作られていると言っても過言ではありません。
辛い事を別の場所に記憶すると、その記憶が溜まるにつれて一つの別人格が生まれてくるのです。
言わば同じ一つの身体の中にまったく違う過去を持った二人の人間が存在するようになるのです。
一つの人格は普通の生活を送ってきた記憶しかないので、とても純粋な子供のような性格です。
社会に出すのが怖いほど純粋過ぎる性格でした。
もう一つの人格は、家族からの虐待など辛い事だけを味わってきた人格です。
精神的にはとても強いのですが、やはり辛い現実ばかりを見てきた為に、考え方が曲がった部分も多く、性格はツンツンしていて突っ張った印象を受ける人格でした。
しかし、彼女は自分が辛い思いをしてまで、もう一人の純粋な自分をずっと守ってきたのです。
気の強い人格の彼女は口調もきつく、多少接し辛いところもありましたが、今まで辛い思いをしてきたのだと思うと、僕は彼女のきつい性格を嫌いになる事はできませんでした。
元々はもう一人の自分を守る為に生まれてきた人格なので、きつい口調の中にたまに優しさを垣間見ることもあり、次第にその人格の彼女の事も好きになり始めました。
純粋な人格が妹だとすると、気の強い人格の彼女はまるでお姉さんのようでした。
知識も豊富なので、もしかしたら今まで殆どの時間は気の強い彼女が過ごしてきたのかも知れません。
それほどに辛い時間が多かったと言う事でしょうか…。
出会った頃の僕は、純粋な人格の彼女を好きだったのです。
気の強い彼女は付き合い始めの頃は、僕の前に出てくる事も無かったからです。
次第に僕は両方の人格を好きになっていたのですが、そこで問題が起きたのです。
気の強い人格の彼女が純粋な性格の彼女に対して嫉妬をし始めたのです。
それは僕が純粋な性格の人格の彼女をも好きだったからです。
それに対し気の強い人格の彼女は強く嫉妬しました。
僕にはどっちか一方の人格だけを好きになる事なんてできませんでした。
人格は二人であれ、身体は一つしかない一人の女性なのですから。
その一人の女性を人格によって好き・嫌いと別ける事など僕にはできません。
ただ僕自身もまるで二人の女性を愛しているような、そんな錯覚に陥っていたのも事実です。
そこで僕が導いた答えは二つの人格を一つにする、つまり多重人格を治すという事でした。
ここまで極端に違う性格を一つにしたらどういう人格になるかなんて想像できません。
しかし、一つにする事は今後の彼女の為を考えても必要な事だと思いました。
僕なりに色々と調べたのですが、多重人格と言うのは一度かかると癖になるらしいのです。
最初は辛い事だけを別の場所に記憶する事から始まるのですが、それに慣れてしまうと無意識に辛い事以外の思い出も複雑に記憶する場所を別けてしまうのです。
その場所が増えれば増えるほど人格も増えていきます。
それは彼女にとって日常で差し支えになる事は言うまでもありません。
僕は彼女の人格を一つに統一させる事を決意したのです。
人格を一つにするのに必要なのは、別々に別れた全ての記憶を繋げるという事です。
それぞれの人格から彼女の記憶を聞き出す事から始まりました。
彼女の記憶をたどって行くと、小学生の頃の親の離婚が原因で母親が暴力を振るうようになった事から人格が別れ始めた事が分かりました。
この時期を境に彼女の兄も暴力を振るい始めました。
背後を蹴られ階段から突き落とされたり、沸騰した鍋の中の湯に顔を突っ込まれそうになったりなど…
殺されてもおかしく無い程の酷い虐待だったようです。
本来ならば守ってもらえるはずの家族に殺されそうになるという、とても残酷な話でした。
頼れる相手のいない彼女は鏡の中の自分に相談して自分自身を慰めるようになっていったのです。
そして、鏡の中の自分が今の自分とはまったく違う人格だと信じ込み、その人格に憧れを抱くようになったのです。
当時、小学生であった彼女にはあまりに過酷な環境だったのでしょう。
行き場を無くした彼女は、自分を守る為に徐々に新しい人格を作っていったのです。
まるで鏡の中の自分を現実の存在にするように…。
この話は気の強い人格の彼女から聞いたものです。
純粋な人格の彼女はまったく知らない事実です。
しかし、その事実を彼女に話さなくては症状は改善されません。
純粋な人格の彼女は家族を愛していました。
家族にも優しかった時期があるのです。
それは両親が離婚する前でした。
全ての歯車は両親の離婚を境にずれ始めたのです。
離婚の事や女手一つで子供二人を養って行く厳しさが原因で、母の精神状態はストレスで限界に達していたのでしょう。
優しかった母は子供に暴力を奮うようになり、それまで仲良く遊んでくれていた兄も次第に彼女に対し暴力を奮うようになり、彼女は孤立していったのです。
純粋な人格の彼女はそんな虐待の記憶は無く、優しいお母さん、頼りになるお父さん、一緒に遊んでくれるお兄さんの記憶しかありません。
そんな彼女に真実を語る事は、家族との綺麗な思い出を壊してしまう事になるのだろうと思いました。
しかし、真実を知らないままでは彼女の症状は改善されないでしょう。
彼女の悲しむ顔を見るのは僕もとても辛かったのですが、ありのままを話す事にしました。
家族による虐待があった事から、中には第三者による性的な虐待を受けた話もありました。
その話を聞いた僕も辛かったですが、事実を知った彼女はもっと辛かった事でしょう。
それを物語るかのように、純粋な彼女は気の強い彼女に何度も入れ替わろうとしていました。
気の強い彼女が出てくる度に、僕は純粋な人格の彼女を出すように頼みました。
そういった事を繰り返しながら、ゆっくりとゆっくりと真実を彼女に伝えて言ったのです。
最初は僕の話を信じず、ただ泣くだけだった彼女も次第に信じ始めました。
時間はかかりましたが、最後には全ての事実を彼女は受け止める事ができました。
せめてもの救いが、家族と彼女は既に離縁しているので二度と虐待を受ける事は無いと言う事です。
彼女には身内がいません。
家族と離縁してからは、付き合っていた彼氏と同棲するなどして暮らしていました。
幸いにも彼女はかなりの美貌の持ち主であった為に、男性には困った様子も無く、恋人と別れたとしてもすぐに新しい彼氏を見つけ同棲をする事ができたようです。
中には多重人格の症状に気付いた彼氏もいたようですが、彼女のあまりの変貌振りについていけずに別れた人も多いようです。
治そうと試みた彼氏もいたのですが、結果的には失敗に終わり、精神的な辛さから別れてしまうケースが殆どでした。
その度に彼女は自分の居場所を探さなくてはいけないかったのです。
そういった不安定な生活が彼女を苦しめたのは言うまでもありません。
記憶の糸を繋げていくにつれて彼女に変化が表れ始めました。
今までは一人の人格が出ている時はもう一人の人格は暗闇の中に閉じ込められて身動きが取れないような状態であったようですが、症状が改善するにつれてその暗闇が無くなっていったのです。
暗闇が晴れる事によって、一人の人格が今何処にいて何をしているか、もう一人の人格が認識できる状態になったのです。
少なくともこれからは、それぞれの人格で記憶が違ってくる事は無くなったのです。
それから毎日のように彼女の記憶が分離しないように、一日の終わりに今日は何をしたかなど詳しく聞くようにしました。
普通の人には簡単な事でも彼女のように記憶障害を持つ人にとっては、一日全ての行動を正確に思い出す事は容易な事では無いのです。
それでも日が経つに連れ、彼女の症状が次第に良くなっていくのが分かりました。
そして、暫く経ったある日…。
ついに彼女の中の二つの人格が一つになる時が来たのです。
これほど突然に多重人格の症状に終止符を打たれるなど思ってもいませんでした。
もしかしたら、彼女の中の暗闇が取り除かれた時から、いつでも多重人格を治せる状態にあったのかも知れません。
あとは彼女の決意次第だったのでしょう。
彼女の話によると、多重人格を治すにはどちらかの人格が今後の人格のベースになる必要があるようなのです。
つまり、どちらか一方の人格は完全に消えてしまうという事です…。
もちろん、僕にはそれを選ぶ事はできません。
もし選ぶ事ができたとしても、僕には答えは出せなかったでしょう。
消えてしまう人格にとっては、それは永遠の眠りなのです…。
僕は二つの人格を共に同じくらいに好きでした。
二人の人格を愛していた僕にとって、どちらが選ばれるにせよ、それを受け入れる事ができそうにありませんでした。
僕の心の準備も出来ていない内に
「消えるのは私の方だよ。」
と、気の強い彼女が言いました。
気の強い彼女が今まで見せた事のないくらいに悲しい顔をしていました。
今思うと、彼女自身、どちらの人格がベースになるかなど選ぶ事はできなかったのでしょう。
ただ、僕に気を使って…、まるで彼女自身の意思で消える事を決意したかのように…
そう演じようとしていたのではないでしょうか…。
元々、彼女は純粋な人格を守る為に生まれてきた人格です。
自分の存在意義から残るのは自分じゃない…、そう自覚していたと思います。
僕は彼女との思い出など絶え間なく話し、最後の時間を過ごしました。
絶え間なく話しをした事は、彼女の気を紛らわす為でもありましたが…
何よりも、話を止めたら、すぐに彼女が消えていなくなってしまいそうだったからです。
彼女は何も言わずに話す僕の顔を見つめていました。
彼女に僕の声が届いているのか、それさえも分かりませんでした。
それでも僕は話を続けました。
しかし、彼女の意識が薄れていくのがはっきりと分かりました。
意識の限界を感じたのか、彼女は少し笑みを浮かべて
「ありがとう…。」
と、呟きました。
それが彼女の最後の言葉です。
彼女は小さな体を震わせ、大粒の涙を流していました。
気の強い彼女が見せた最初で最後の涙です。
僕は震える彼女の体を包み込む様に抱きしめました。
もっと話をしたかったけど言葉にする事もできず、そのまま静かに抱きしめていました。
本当にこれで良かったのか?
と、僕は何度も何度も自分の胸に問い掛けました。
そんな僕の想いとは裏腹に、彼女は苦しみから解放されたかのよう、まるで生まれたての赤ちゃんの様な表情を浮かべていました。
彼女を苦しめてきた全ての物を心の底から憎みました。
家族から愛を与えられず、虐待を受け、性的な暴行など受け、幼い心に深い傷を負い…。
何が起きているのか、誰に助けを求めてもいいかも分からない。
とても言葉では表せない程に、辛く悲しい体験をしてきたのでしょう。
「もう何も辛い事は無いよ…。」
せめて今だけでも気持ちよく眠りについて欲しいと願いました。
彼女が消えた後、彼女が存在した事を証明するものは何も残りません。
人の死は記録に残りますが、彼女のように人格だけの存在では何一つ記録には残りません。
彼女にとって、それは言い表せない程の孤独感だったと思います。
「体が二つあったらいいのにね。」
時折、彼女が言っていた言葉の意味の深さを改めて感じさせられました。
暫くすると、彼女の体の震えも収まり、彼女は深い眠りについた様でした。
僕は眠る彼女を静かに見つめていました。
このまま目を覚まさないかと思う程に静かに眠っていました。
それからどのくらいの時間が流れたのか、僕には分かりません。
ふと、彼女の体が動いたかと思うと、彼女は目をゆっくりと開けました。
その眼差しは、今まで僕と話していた彼女のものではありませんでした。
目を覚ました彼女は、幼さは残っているものの何処か垢抜けたような、そんな印象を受けました。
気の強い彼女とまではいきませんが、何処と無く大人っぽく見えました。
二つの人格が一つになったようです。
僕も彼女も望んだ結果です。
彼女が生きていく為、そして、僕と彼女が一緒にいる為。
そう信じてやまなかったから、二人で困難を乗り越える事ができたのです。
しかし、人格の統合は想像もしない結末を招いたのです。
一見、今までで言う純粋な人格の彼女なのですが…。
記憶が繋がり全てを知った彼女は、今までの彼女とは大きく違うところもありました。
記憶が繋がる事で人を知り、人を疑う事を覚えました。
人を疑う事は時には必要な事です。
しかし、僕は疑う事を知らない純粋な彼女に惹かれていたのも事実です。
望んだ結果であるはずなのに…、僕は不安を感じ始めていました。
彼女は、僕を含めたこの世の中に対する見方が変わりました。
疑う事を知った彼女が、僕だけ疑わないなどと都合の良い事はありません。
彼女には今まで経験してきた全ての記憶があるのです。
幼い頃にあのような辛い経験をした彼女が、そう簡単に人の事を信じれるはずは無いのです。
二つの人格を一つにすると言う事は二つの人格を失う事…。
そう気付いたのは僕と彼女の関係に終焉が迫っていた頃でした。
僕は彼女の多重人格を治す事に二人の未来があると盲目的に信じるあまり、一つになった彼女にどのような変化が起きるかなど考えもしなかったのです。
一時期は結婚という話も出ていたのですが、次第にそういった話をする機会も無くなってきていました。
そして時は経ち、僕と彼女は別れる事になりました。
別れた事は辛かったのですが、それでも月日が経つにつれ精神的にも落ち着きを取り戻し始めました。
あの時の状況の変化に耐えれる程に、もう少し僕に精神的な強さがあればと悔やみました。
しかし、多重人格が治った事で彼女の為になったのならそれは満足です。
あれから数年の月日が経ちました。
彼女が受けた幼い頃の心の傷は一生背負い続ける事でしょう。
だけど、せめて今は幸せな生活を送っている、そう信じ願います。
http://an.to/haru/
_____
僕の実際に経験した変わった恋愛についてお話します。
http://an.to/haru/i/
2年程前に僕はある一人の女性と付き合っていました。
彼女は僕よりもいくつか年上だったのですが子供っぽい雰囲気を持つ人でした。
見た目も僕の方が断然年上に見られる事が多かったです。
容姿から喋り方や仕草まで全てが幼い感じでした。
よく真夜中に寝ている僕を強引に起こしてコンビニに一緒にアイスを買いに行こうと誘うなど少しワガママな面もありました。
都内でも近くにコンビニの無いところに住んでいるのでバイクに乗って一番近いコンビニまで行ってました。
寝ぼけた頭で二人乗りはちょっと怖かったですが…。(^^;
何だかんだ言っても彼女の事が好きだったのでどんな形であれ一緒に過ごす時間はとても幸せでした。
ワガママな面も含めて僕は彼女の事を愛していました。
最初は偶然にもお互いに一目惚れだったのです。
悪い言い方をすれば顔だけで好きになってしまったのですが喋ってみると趣味などの共通点も多く気が付いたら彼女の全てを好きになっていました。
ごく普通のカップルでお互いに幸せだったのですが,ある事を切っ掛けに意外な方向へ急展開するのです。
その話をする前に言ってしまうのですが最終的には彼女とは別れる事になります。
この事が無ければ彼女と別れる事は無かっただろうとまで言い切る事はできませんが少なくともその要因にはなった事は確かです。
それではその話をしていきます。
話の始まりは彼女と付き合って半年ほど経ったある日の事です。
二人で一緒にいる時に何が原因か分からないのですが、彼女はいきなり僕の事を忘れてしまったのです。
半年付き合っていて今の今まで話していて喧嘩したワケでも無く、いきなり「あなたは誰?」と彼女は言い出したのです。
僕には何が起きたのか理解できませんでした。
何を話しても僕の事を思い出してくれないのです。
最初はイタズラかと思いましたがどうやら本当に僕の事を知らないみたいなのです。
そして彼女の喋り方や仕草は明らかに僕の知っている彼女では無かったのです。
言うなれば完全に別人でした。
事態を把握できないまま僕は自分自身の事や僕の知っている彼女の事などを彼女に話す事から始めました。
そして彼女の話を聞いている内に彼女が多重人格だという事が分かりました。
今、話をしている彼女は僕の知らない人格の彼女だったのです。
つまり彼女からしても僕とは初対面なのでまったく知らない人だったのです。
この事を切っ掛けに僕の事を知ったその人格の彼女はその後も頻繁に僕の前に出てくるようになりました。
これを境にごく普通の幸せだった恋愛から特異な恋愛に変わっていったのです。
後になって知った事なのですが彼女は幼い頃に家族から受けた虐待が原因で人格が分離してしまったようです。
本当に極一部の人にしか当てはまらない事なのですが、そういった虐待などの経験を持つ人の中には通常の思い出を記憶する場所とは別のところに辛い思い出を記憶してしまう人がいるのです。
簡単に言うと辛い事を記憶する場所が別に用意されているのです。
人の人格は経験…つまり記憶から作られていると言っても過言ではありません。
辛い事を別の場所に記憶してその記憶が溜まるにつれて一つの別人格が生まれてくるのです。
言わば同じ一つの身体の中にまったく違う過去を持った二人の人間が存在するようになるのです。
一つの人格は普通の生活を送ってきた記憶しかないので純粋な普通の性格です。
無知すぎる程の純粋な性格でした。
もう一つの人格は家族からの虐待など辛い事のみを味わってきた人格です。
精神的にはとても強いのですが、やはり辛い現実ばかりを見てきた為に考え方が曲がった部分も多く性格はきつい印象を受ける人格でした。
しかし彼女は自分が辛い思いをしてまでもう一人の純粋な自分をずっと守ってきたのです。
気の強い人格の彼女は口調もきつく多少接し辛いところもありましたが、今まで辛い思いをしてきたのだと思うと僕は彼女のきつい性格を嫌いになる事はできませんでした。
元々はもう一人の自分を守る為に生まれてきた人格なのできつい口調の中にたまに優しさを垣間見ることもあり、次第にその人格の彼女の事も好きになり始めました。
純粋な人格が妹だとすると気の強い人格の彼女はまるでお姉さんのようでした。
知識も豊富なのでもしかしたら今まで殆どの時間は気の強い彼女が過ごしてきたのかも知れません。
それほどに辛い時間が多かったと言う事でしょうか…。
出会った頃の僕は純粋な人格の彼女を好きだったのです。
気の強い彼女は付き合い始めの頃は僕の前に出てくる事も無かったからです。
次第に僕は両方の人格を好きになっていたのですがそこで問題が起きたのです。
気の強い人格の彼女が純粋な性格の彼女に対して嫉妬をしはじめたのです。
それは僕が純粋な性格の人格の彼女をも好きだったからです。それに対し気の強い人格の彼女は強く嫉妬しました。
僕にはどっちか一方の人格だけを好きになる事なんてできませんでした。
人格は二人であれ身体は一つしかない一人の女性なのですから。
その一人の女性を人格によって好き、嫌いと別ける事は僕にはできません。
ただ僕自身もまるで二人の女性を愛しているような錯覚に陥っていたのも事実です。
そこで僕が導いた答えは二つの人格を一つにする、つまり多重人格を治すという事でした。
ここまで極端に違う性格を一つにしたらどういう人格になるかなんて想像できません。
しかし一つにする事は今後の彼女の為を考えても必要な事だと思いました。
僕なりに色々と調べたのですが多重人格と言うのは一度かかると癖になるらしいのです。
最初は辛い事だけを別の場所に記憶する事から始まるのですが、それに慣れてしまうと無意識に辛い事以外の思い出も複雑に記憶する場所を別けてしまうのです。
その場所が増えれば増えるほど人格も増えていきます。
それは彼女にとって日常で差し支えになる事は言うまでもありません。
ですから僕は彼女の人格を一つにまとめる事を決意したのです。
人格を一つにするのに必要なのは別々に別れた全ての記憶を繋げるという事です。
それぞれの人格から彼女の記憶を聞き出す事から始まりました。
彼女の記憶をたどって行くと小学生の頃の親の離婚が原因で母親が暴力を振るうようになった事から人格が別れ始めた事が分かりました。
この時期を境に彼女の兄も暴力を振るい始めました。
背後を蹴られ階段から突き落とされたり、沸騰した鍋の中の湯に顔を突っ込まれそうになったりなど…殺されてもおかしく無い程の酷い虐待だったようです。
本来ならば守ってもらえるはずの家族に殺されそうになるというとても残酷な話でした。
頼れる相手のいない彼女は鏡の中の自分に相談して自分自身を慰めるようになっていったのです。
そして鏡の中の自分が今の自分とはまったく違う人格だと信じ込みその人格に憧れを抱くようになったのです。
当時、小学生であった彼女にはあまりに過酷な環境だったのでしょう。
行き場を無くした彼女は自分を守る為に徐々に新しい人格を作っていったのです。
まるで鏡の中の自分を現実の存在にするように…。
この話は気の強い人格の彼女から聞いたものです。
純粋な人格の彼女はまったく知らない事実です。
しかしその事実を彼女に話さなくては症状は改善されません。
純粋な人格の彼女は家族を愛していました。
家族にも優しかった時期があるのです。
それは両親が離婚する前でした。
全ての歯車は両親の離婚を境にずれ始めたのです。
離婚の事や女手一つで子供二人を養って行く厳しさが原因で母の精神状態はストレスで限界に達していたのでしょう。
優しかった母は子供に暴力を奮うようになり、それまで仲良く遊んでくれていた兄も次第に彼女に対し暴力を奮うようになり彼女は孤立していったのです。
純粋な人格の彼女はそんな虐待の記憶は無く優しいお母さん、お父さん、お兄さんの記憶しかありません。
そんな彼女に真実を語る事は家族との綺麗な思い出を壊してしまう事になるのだろうと思いました。
しかし真実を知らないままでは彼女の症状は改善されないでしょう。
彼女の悲しむ顔を見るのは僕としても辛かったのですがありのままを話す事にしました。
家族による虐待があった事から、中には第三者による性的な虐待を受けた話もありました。
その話を聞いた僕も辛かったですが事実を知った彼女はもっと辛かった事でしょう。
それを物語るかのように純粋な彼女は気の強い彼女に何度も入れ替わろうとしていました。
気の強い彼女が出てくる度に僕は純粋な人格の彼女を出すように頼みました。
そういった事を繰り返しながらゆっくりとゆっくりと事実を彼女に伝えて言ったのです。
最初は僕の話を信じずにただ泣くだけだった彼女も次第に信じ始めました。
時間はかかりましたが最後には全ての事実を彼女は受け止める事ができました。
せめてもの救いが家族と彼女は既に離縁しているので二度と虐待を受ける事は無いと言う事です。
彼女には身内がいません。
家族と離縁してからは付き合っていた彼氏と同棲するなどして暮らしていました。
幸いにも彼女はかなりの美貌の持ち主であった為に男性には困った様子も無く恋人と別れたとしてもすぐに新しい彼氏を見つけ同棲をする事ができたようです。
中には多重人格の症状に気付いた彼氏もいたようですが彼女のあまりの変貌振りについていけずに別れた人も多いようです。
治そうと試みた彼氏もいたのですが結果的には失敗に終わり精神的な辛さから別れてしまうケースが殆どでした。
その度に彼女は自分の居場所を探さなくてはいけないかったのです。
そういった不安定な生活が彼女を苦しめたのは言うまでもありません。
記憶の糸を繋げていくにつれて彼女の症状が目に見えて改善されて行くのが分かりました。
今までは一人の人格が出ている時はもう一人の人格は暗闇の中に閉じ込められて身動きが取れない状態であったようですが、症状が改善するにつれてその暗闇と言うのが無くなっていったのです。
つまり暗闇が晴れる事によって一人の人格が今、何処にいて何をしているのかがもう一人の人格が認識できる状態になったのです。
これで今後はそれぞれの人格で記憶が違ってくる事は無くなったのです。
暗闇が取り除かれてから数日後、ついに彼女の中の二つの人格が一つになる時がきました。
想像では少しずつ症状が改善されていくものと思っていたのですがある日突然、多重人格の症状に終止符を打たれるとは思ってもいませんでした。
もしかしたら彼女の中の暗闇が取り除かれた時からいつでも一つになれる状態だったの知れません。
あとは彼女の決意次第だったのでしょう。
彼女の話によると多重人格を治すにはどちらかの人格が今後の人格のベースになる必要があったのです。
それはどちらか一方の人格が完全に消えてしまうという事らしいのです。
もちろん僕には選ぶ事はできません。答えは彼女自身の中で決められる事なのです。
もし選ぶ権利があったとしても僕には答えは出せなかったでしょう。
何故なら僕は二つの人格を共に同じくらいに好きだったわけですし、消えてしまう方の人格にとってはそれは永遠の眠りなのですから…。
二人の人格を愛していた僕にとってはどちらが選ばれるにせよ辛く悲しい事です。
僕の心の準備も出来ていない内に気の強い彼女が「消えるのは私の方だよ。」と言いました。
気の強い彼女は今まで見せた事のないくらいに悲しい顔をしていました。
元々彼女は純粋な人格を守る為に生まれてきた人格です。
自分の存在理由から残るのは自分じゃないと判断したのでしょう。
僕は彼女との思い出など絶え間なく話しました。
それは彼女の気を紛らわすためでもありましたが、話を止めたらすぐにでも彼女が消えていなくなってしまいそうだったからかも知れません。
彼女は何も言わずに話す僕の顔を見つめていました。
彼女の耳に僕の言葉が聞こえているのかも分かりませんでしたがそれでも僕は話し続けました。
しかし彼女の意識が薄れていくのがはっきりと分かりました。
意識の限界を感じたのか彼女は少し笑みを浮かべて
「ありがとう…」
とつぶやきました。
それが彼女の最後の言葉です。
彼女は小さな体を震わせ涙を流していました。
気の強い彼女が見せた最初で最後の涙です。
僕は震える彼女の体を包み込むように抱きしめました。
もっと話をしたかったけど言葉にする事もできずにそのまま静かに抱きしめていました。
本当にこれで良かったのか?と僕は何度も自分の胸に問い掛けました。
そんな僕の想いとは裏腹に彼女は苦しみから解放されたかのようにまるで生まれたての赤ちゃんの様な表情を浮かべていました。
彼女を苦しめてきた全ての物を心より憎みました。
家族から愛を与えられずに虐待を受け、性的な暴行なども受けた人生。
誰に助けを求めてもいいか分からない。
言葉では表せない程に辛かったのでしょう。
「もう何も辛い事は無いよ…」
せめて今だけでも気持ちよく眠りについて欲しいと心から願いました。
間もなく体の震えも収まり彼女は眠りについた様でした。
僕は横に眠る彼女をずっと見つめていました。
このまま目を覚まさないかと思うほどに静かに眠っていました。
暫くして彼女の体が少し動いたかと思うと彼女は目をゆっくりと開けました。
それは今まで僕と話していた彼女ではありません。
目を覚ました彼女は純粋な性格の人格を少しあか抜けさせたような雰囲気でした。
気の強い彼女とまではいきませんが、純粋な性格の彼女は何処となく見た目も大人っぽくなっていました。
どうやら二つの人格が一つになったようです。
もちろんそれは僕も彼女も願っていた事なのですが、僕にとっては失ったものも大きかったようです。
一見、今までで言う純粋な人格の彼女なのですが記憶が繋がり全てを知った彼女は今までの彼女とは大きく違うところもありました。
記憶が繋がる事で人を知り人を疑う事を覚えました。
確かに多少は人を疑う事も必要です。
しかし疑う事を知らない純粋な彼女を僕は好きだったのも事実です。
望んだ結果であるはずなのに何処か僕と彼女の歯車が噛み合わなくなっていました。
一時期は結婚の話もしていたのですが次第にそういった話をする機会も無くなっていました。
それから暫くして僕と彼女は別れる事になりました。
結局、最後まで僕は彼女に馴染む事ができなかったのです。
僕自身、精神力を使い果たしていた事もあり人格が一つになった彼女を見る気力も残っていなかったのです。
僕の精神的な弱さが仇になった別れでした。
最後の最後に僕自身で彼女を幸せにする事ができなかったのが悔やまれます。
せめて彼女が今、幸せな生活を送っている事を願います。
そして虐待で苦しむ人達が少しでも減ってくれる事を願います。
http://an.to/haru/i/
▲△▽▼
▲△▽▼
インセスト・タブーができた理由
39 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/03/29(土) 23:02:34
>家庭環境は娘の母親が勝手に出て行って
母親が父親を捨てて出て行って後に、父と娘に関係ができたと。
体験告白系でよくあるパターンですが、作り話ばかりではないんですね。
40 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/03/30(日) 11:18:10
父娘家庭で相姦になるというのは体験告白の王道パターンでその時点で信憑性を疑う(苦笑)。
ファザコン娘が母に捨てられた(又は亡くなった)父に同情して関係するという投稿を何回読んだことか。
ただ、このパターンの妄想で書く人が多いということは、そういう妄想を生み出す元となる事実があったのではとも思えるのです。
35 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/12/09(日) 01:01:30
告白系の妊娠話は99%は妄想か釣りだけど、残り1%はガチなのかもしれない。
ま、頭が悪い俺にはどれが嘘でどれが真実かなんてわからないけど。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/108/1180642354/
____________
[33789] おとうさん 投稿者:娘 投稿日:2010/10/11(Mon) 23:47
私のお尻の穴は、おとうさんのち×ぽ専用です。
お父さんは変態議員なので、おま×こには興味が無く、お尻の穴ばかりかわいがってくれます。
最初にお尻にち×ぽをいれられたのは、小学3年生の夏休みでした。
そのときは、おねいちゃんも妹も全員お尻にち×ぽを入れられました。
妹はまだ幼稚園だったので、お尻の穴が切れて血だらけになり大変でした。
おねいちゃんはチ×ポをぬくとうんこをしてしまい、お父さんにしかられました。
わたしのおしりの穴は切れなかったし、うんこもでなかったので、おとうさんにほめられました。
おかあさんも最初はお尻の穴でかわいがられたそうです。
おかあさんが子供が欲しいとお願いして、ようやくま×こに入れてもらったのよといっていました。
そうしたら、最初の子供が女の子だったので、おとうさんは、子供のお尻の穴をいじめることができると大喜びで、次々と子供を生ませるためにま×こにち×ぽ汁を注ぎ込んだそうです。
そうして生まれたのが、私たち三姉妹です。
おねいちゃんも妹も、もちろん私も、大学入学で家を離れるまで毎日のようにお尻の穴でち×ぽを喰わえてました。
おとうさんはお尻を可愛がるために、そんなにお金もないのにお風呂場をアナルプレー専用に改造してまで、私たちのお尻の穴をいじめました。
私たちが、お尻の穴にち×ぽを入れられても泣かなくなると、今度は浣腸や、拡張バルーンなどを使って、私たちが泣きわめくようにしました。
一度、マヨネーズとワインビネガーの連続浣腸で、おねいちゃんが意識不明になったことがあります。
妹はお尻の穴が緩くなり、おむつをして通学していた事もありました。その後はアナルプラグにかわりました。
私のお尻の穴は柔軟なのか、おとうさんのむちゃくちゃなプレーにもなんとか耐えることができました。
大学を卒業して家に戻ったのですが、おとうさんはまだ処女だった私を犯し、中だししました。
そうです、おとうさんは私を妊娠させて、女の子を生ませようとしているのです。
もう一週間毎夜おとうさんに犯されています。
妊娠するのは時間の問題です。
http://www.erotown.com/toupara/bbs/b04_2/index.cgi
パパとお風呂で…。
実は12歳になった今でもパパとお風呂に一緒に入ってるんです。
ママが病気で亡くなったその日の夜も、一緒にお風呂場へ。
パパと入るとあそこを指で丁寧に丁寧に洗ってくれて、気持ちいいんです。
まず指で私のクリクリした所をいじりながら、まだ洗ってない私のおしっこが出る所をペロペロ舐めるんです。
私が『パパ汚いよぉ』って言うと、パパは
『こんなに綺麗なピンク色をして汚いわけないだろう。
他の男には見せたらダメだぞ。』
と言ってハァハァ言いながら舐め続けるんです。
最初はくすぐったかっただけなのに私もだんだん気持ち良くなってきて、よく分からない気持ちになるんです。
パパが
『ほら、お前のおまんこからお汁が出てきたぞ。
まだ12歳なのにいやらしい娘だなぁ。』
って言って自分のおちんちんを触らせるんです。
パパのおちんちんはいつもと違って大きく硬くなってて、舐めてと言われるのでペロペロしました。
『パパはお前の事が好きだからこうするんだよ』
って言われて、私のあそこをパパのおちんちんでこすりつけるんです。
すでに私のあそこはすごく濡れていて、外側はヌルヌル。
思わず『パパ気持ちいいよぉっ』って言うと、パパが
『今まではお前のあそこにこするだけだったけど、もっと気持ちいいことをしようか。
お前がもう少し大きくなってからするつもりだったけど、パパはもう我慢できないよ』
って言われて、私は意味が分からなくて返事が出来ないでいると、私の中に急にパパのおちんちんが入ってきたんです。
『パパっ、何するの?』
訳が分からず聞くと、
『少しだけ我慢すれば良くなるよ』
って言われて私の中でおちんちんを出し入れするんです。
すでにヌルヌルだから、ちょっと痛かったけど気持ち良くて
『パパぁっ!パパぁっ!』
って叫んじゃいました。パパは何度も
『やらしい娘だ、やらしい娘だ』
って言っていつもは私の体にかける精子を中に出しました。
私のあそこからパパの出した精子がいっぱい垂れてきて、いつもより気持ち良くてびっくりしました。
それからと言うもの、お風呂場以外でもパパは私のあそこに夢中なんです。
夜お布団に入ってきては…。
http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201008310040/
父に抱かれてしまいました。なんだか笑えてきます。…
嬉しそうに実の娘を相手にセックスしていた父が。
そして、そんな父にまったく抵抗する事無く抱かれていた私が。
高校を卒業して3年。
何もする事無く、無意味に近い生活をしてきた。
ひきこもりと言っても良いのかもしれない。
そんな私を、父は文句言う事無く保護してくれた。
もう二十歳を過ぎて、こんなことじゃいけないのに。
私の面倒をみてくれているんだ。
父には私を自由にする権利がある。
私が父のために出来る事は、父の望むことをすることくらい。
最初は、お風呂で背中を流してあげるくらいだった。
お互い照れあってた。慣れてきた頃、父が私の裸を見るようになった。
そして父の股間が男として立った。
かなり戸惑いました。
まさか実の父娘でそういう事があるなんて思ってなかった。
だけど私は、逃げませんでした。
そのうち父が、暑いから外で涼もうと言って私を外へ連れ出した。
外へ出たところで、私は父にキスされた。
生まれて初めてのキス。
ベッドへ連れて行かれ、色んな生まれて初めてのことをされた。
そして、生まれて初めてセックスを経験した。
少し悲しかった。
でも今は全然平気。
父が望んだんだから仕方ない。
私と父は、恋人になります。
人生が始まった。
お父さん、好きです。 (2010年06月27日)
http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201006270007/
あの日から・・・私はオナる時、部屋で飼ってる小型犬のチェリーにアソコを舐めさせてます。
その日も、下半身裸になり舐め舐めさせていて、あまりの気持ちよさにバックの体勢で声を押し殺して感じていました。
その時です。ドアが開く音がしたかと思うと、いきなりパパが乱入してきて、
「お前はなんてことをしてるんだ!!なんでチェリーと・・・」
と取り乱し泣いていました。
私が布団で下半身を隠そうとした時、パパが信じられない行動に・・・。
パパは私のアソコにむしゃぶりついてきたのです。
そんなに気持ちよくなりたいならパパがやってやる!!と・・・。
指と舌の激しい動きに、ビクンッといってしまったのを確認すると、今度は執拗におっぱいを舐めたり揉んだり・・・。
もうだめ!!やめてーー!
と叫んだ瞬間、あっという間にパパが中に入ってきたのです。
それからは、すごい腰使いで、何度もいかされてしまいました。
ママが夜勤でいなかったから、朝まで3回も犯され続けて・・・。
後で聞いたら、以前からチェリーとのオナを覗いていたそうです。
ドアの向こうでパパもオナっていたんだと思うと変な感じですよね・・・。
今ではチェリーにアソコを舐めさせながら、パパのをフェラしたり、変態セックスを楽しんでいます。
ママには罪悪感があるけど・・・。
今度、ママをベッドに縛り付けて、アソコをチェリーに舐め舐めさせながら、私とパパがつながってるところを見せて、ママが我慢できなくなったところで一緒に犯してやろうと計画中です。
受け入れてくれるかな・・・。
http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201009050001/
父と兄に私は昔、父と兄にやられてました。
父は私が小学生の頃から体を触ってきたりしてました。
最初はスキンシップぐらいの感じだったけど、中1の時私の寝てるベッドによく入ってきて ももとか撫で回してきました。
いつもは太ももくらいしか触ってこなかったけどある日私のアソコを撫で回し始めてそのま父はズボンを脱いで入れてきました。
処女は父に奪われました。父は
「俺は若い頃の母さんが大好きだった。
おまえは若い頃の母さんにそっくりだから我慢きなかった。ごめんな。」
と言われた。あの時の父の荒い息づかいは今でも忘れません。
ちょうど同じ時期に二つ上の兄は性に目覚めた頃で、押し入れになぜか2人で入って兄が大くなったアレを触ってみてと言って触らされたことがあった。
その時は触らされただけだったけど、それから数日後しばらく兄とセックスする日が続いた。
兄は付き合ってる彼女がいたのになんで私とするのか分からなかったけど、多分彼女の前で恥をかかないように?
私を練習にしてたっぽいです。
ちょうど兄としてる時に母親に見つかってしまい、もちろん母親は激怒しました。
その後父と母は離婚。
私は母親と2人で生活することになりました。
たまに父と会うとその都度体を求められました。
勿論断るんだけど、お小遣いをあげるからとお金でつってくるのです。
当時高校生だった私は色々買いたい物があったし、ついお金につられてやってしまいました。
親子で援交なんて今考えたらかなりヤバいことしてたなと思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201009050004/
母似の私1ヶ月前、一人暮らししている私のマンションへ、田舎から父が突然やってきました。
私26歳、父51歳で、一人暮らしして4年が経っていました。
何でも父は出張だったらしく、2晩泊めてくれと言うんです。
私の彼氏も出張で、夜中やって来なかったのはよかったのですが、彼氏のシャツを見つかり父は激怒、私は「男物の服を干しておくと、泥棒や痴漢に入れないの。」と説明をし、何とか納得してもらいました。
しかしその夜、私が寝ているベッドに父がやって来て、
「本当に男はいないんだな。」と言い、私が「いないよ。」と言うと、
「だったら、寂しいだろ。」と言い、ベッドに入ってきたのです。
私も必死に抵抗しましたが、父の力には勝てず犯されてしまいました。
父は抵抗に疲れた私に覆いかぶさり、私の体を好き勝手にするのです。
私の体中を愛撫すると、正上位で繋がり、それに飽きるとバックから。
最後は何とか外に出してくれたんですが、私が泣いていると
「すまなかった。お前が死んだお母さんに似ていたから。」
と言って、部屋を出て行きました。
しかし、次の晩も私のベットにやって来たのです。
私はもう抵抗をする気にもなれず、父に背中を向けじっとしていました。
すると父は私を後ろから抱き、パジャマとショーツを脱がすと私の胸を揉みながら後ろから入ってきたのです。
「お前のお母さんもこの格好が好きだった。
この格好で一晩中繋がっていたこともあったよ。」
と言いながら、ペニスを出し入れするんです。
実は私も好きで、彼によくこの格好で抱かれながら寝るんです。
私もだんだん気持ちよくなってきて、いきそうになるのを必死に我慢していました。
しかしそれも父に分かってしまい、そうなると父の言うとおりにされてしまうんです。
父は私にペニスを咥えさせながら父の顔を跨げと言うんです。
私がしぶしぶ言う通りすると、今まで父のペニスが入っていてまんこを舐めてくるんです。
私はそれだけで父のペニスを離し、「いくうう、」と叫んでしまいました。
その後はもう何がなにやら分からず、父に身を任せてしまいました。
気が付くと朝になっていて、父が後ろから私を抱き、ペニスが私の中に入っているんです。
私は父を起こさないようにお尻を振り、ペニスを出し入れするのですがうまくいかず父を起こしてしまいました。
「お母さんと同じだ。お母さんもよくそうしてお尻を振っていたっけ。」
と言いながら、今度は勢いよくピストンしてくるんです。
その後お昼前まで、私は何度も何度も父にいかされ、最後には
「私の中に出して。」
と、叫んでいました。
今は彼とも別れ、お正月休みを実家で過ごしています。
実家には父だけなので、朝も昼も夜も関係なく毎日父と抱き合っています。
夕べは紅白と面白いテレビ番組があるので、夕方までに食事を済ませ、父と一緒にお風呂に入り、父の部屋で後ろから抱かれながらテレビを見ていました。
母の位牌もあるので気が引けますが、気が付くとテレビの事を忘れ、父に抱きついたりペニスを咥えていたり、父の腰に跨ってお尻を振っていたこともありました。
今、父は大きな鼾をかいて、私の隣で眠っています。
当然私も父も裸のまま。父のペニスに手を伸ばすと、だんだん硬くなってくるのが分かるんです。
実家に帰ってきて、私の気持ちに変化がありました。
それは、一人暮らしをやめて実家に帰ってこようかなと思っているんです。
父のペニスは挿入可能な堅さになって来ました。
父を起こさないように、いただきます。
http://plaza.rakuten.co.jp/reirei1988/diary/201009050008/
1 お父さんと関係 [えみか]
お父さんと関係を持っています。
お母さんは離婚して家出ていきお父さんと二人暮らしです。
ある日お父さんがオナニーしている所を目撃してしまい私もしばらくしてなかったし我慢出来なかったのでお父さんに告白しました。
するとお父さんは私をベットに押し倒してきました。
二人で全裸になり深いディープキスをしました。
お父さんは私のアソコ舐め私はお父さんのチンコ舐め一時間位舐めたり指マンされて何度もイカされました。
そして挿入の時ゴムはあったけど私はゴムが嫌いなのでそのまま生で挿入しました。
最後は中出しでした。
それから毎日お父さんとお風呂に入って寝るのも一緒で生理以外は毎晩愛し合ってました。
そして二年後女の子を産みました。
その子も今年で私がお父さんと関係を持った年になりました。
昨日お父さんはその子と関係を持ちました。
今日は3Pする予定です。
早く夜にならないかなぁ。
まてないからお父さん帰ってきたら襲ってしまうかなぁ。
子供は二人下の子も女の子です。
http://incest.ebo.jp/thread/79.html
1父と姉が目の前で [こう]
これは、私が小6の時に体験した話です。
とは言っても私自身の体験ではないのですが。
私が小4の時、父と母は離婚していて、当時中2の姉と三人の父子家庭でした。
夜寝る時、父の寝室で親子三人で寝ていました。
子供部屋もあったのですが、なんか父と一緒にいると落ち着くので私も姉も なんら抵抗もありませんでした。
ところがこの寝室で父と姉のとんでもない行為を目の当たりにする事になったのです。
ちょうど夏休みに入って間もない頃だったので今頃になります。
ある日の夜、隣の布団から異様な雰囲気が漂ってきました。
なんかが擦れるような音と共に、
『パパ、パパ、私ね…』
『優子、本当にかわいいぞ、パパは優子の事、大好きだぞ』
『私もパパが大好き…』…
それからは姉の子猫がなきじゃくるような、なんとも言えない喘ぎ声が低く聞こえてきました。
もちろん私には二人がどんな行為をしているのか充分理解していました。
目を凝らすと、薄明かりが点いているので二人の様子がはっきり見えました。
父の布団の中で二人は変な動きがしているのがはっきり見えました。
『ねえ、パパ暑いよ』
『そうだな、タオルケットをとるか』
そう言うとタオルケットを剥ぎ取り、枕もとの扇風機のスイッチを入れました。
私はそんな二人を布団を被った状態で観察していました。
『なあ、こう○は寝てるよな』
『うん、大丈夫よ』
そう言うと二人は下着姿で抱き合い始めました。
姉は白のスポーツブラに白黒のボーダー柄のパンティー、父は股間がモッコリと膨れあがっている、真っ黒のビキニを履いていました。
父と姉は、横向きに抱き合いながら、激しく足を絡ませていました。
私の視界には、姉のヒップをパンティーの上からマッサージするように愛撫する父の手がはっきりと見えました。
やがて、二人は正常位で重なると、お互いの下着をちょっと下にずらし、ガチでセックスを始めました。
二人は声はあまり出さずに、ディープキスをする音と、ピストンするたびに聞こえる『ギュッギュッギュッ』と言う音だけがテンポよく響いていました。
時折、姉の低くなきじゃくるような喘ぎ声も響いて来ました。
私自身もすごく興奮していました。
二人のセックスを直に見て、その場で初射精したくらいでしたから。
二人はセックスが終了すると何事もなかったかのように眠りについていました。
二人はその後も定期的にセックスを重ねていました。
この話には続きがありますので、また書きたいと思います。
約20年近く前の話でした。
http://incest.ebo.jp/thread/87.html
りみ [初投稿]
私の初体験は10歳です。 相手は父です。
夜中寝ていると体を触る手にきづきましたが、「体をなでられて気持ちいいな・・・」と思いました。
数日するとすべてを脱がされました。
股間を撫でられているうちに今までと違う気持ちよさが襲ってきて無意識に父にしがみつきいってしましました。
それからは、毎晩のように愛撫されました。
指だったのが唇で吸われ毎晩のように気持ちよくしてもらいました。
3週間もしたころでした。
「もっと気持ちよくなれる。最初は痛いけど我慢してごらん。」といわれました。
「うん」と頷くとすぐに父のおちんちんが入ってきました。
痛くて泣きそうになりました。
それでも股間を舐められるのが好きで毎晩父を待ちました。
たくさん舐めてもらって気持ちよくなった頃おちんちんが入ってきます。
痛みがなくなるとそれはそれで気持ちのいいものでした。
そして小学校を卒業する頃には愛撫され挿入されることが大好きになっていました。
成長するに従っていろいろなことをためしました。
中学入学式の晩は、おちんちんを舐めることを覚えさせられました。
「舌を出してごらん。」といわれて・・・
おちんちんが近づいてきた時はおどろきましたがソフトクリームを舐めることをすぐに覚えました。
「上手だ、いい娘だ。」とほめられ嬉しくなりました。
数週間の間、父が帰ってくるのを待っていてズボンを脱ぐとすぐに父のものをしゃぶりました。
「りみのおしゃぶりはパパのおちんちん。」と言いながら喜んでしゃぶりました。
うちは父子家庭なので誰の目も気にせずSEXできるのです。
気分のいい日は全裸で帰宅を待っていたりします。
誰に見せるわけでもないので、あそこの毛は剃ってもらっています。
そのほうが可愛い気がして・・・。
お尻の穴も少しずつ、刺激されて指が1本入り・・・2本はいるようになり気持ちよくなった頃おちんちんを挿入されました。
もちろん今はおまんこもお尻も両方気持ちよくなっています。
SEX大好き。気持ちいいこと大好き。毎日したいのです。
まだまだ父との生活は続くのですが・・・もっと刺激的なことがあれば試していきたいと思っている18歳です。
http://www.hi-ho.ne.jp/attsu/kindan/kindan412.html
1 :早苗:2007/06/01(金) 05:12:34
中2から、お父さんとセックスしてます。
お母さんが家を出て行ってから、関係が始まりました。
もう6年になります。これまでに、4回妊娠して、今回初めて産みます。
後悔はしてません。
これからも、お父さんの赤ちゃんを産んであげて、本当の家族を作りたいと思ってます。
信じられないでしょうが、本当のことです。
5 :早苗:2007/06/08(金) 09:10:01
お父さんは、38歳です。 若いでしょ?
8 :早苗:2007/07/24(火) 13:21:38
な、なんと、双子ちゃんでしたぁ。
一気に二児のママです。
女の子だろうって。
メッチャ嬉しいです。
9 :名無しさん@近親相姦が大好き:2007/08/01(水) 22:47:00
お父さんとsexする経緯なんて聞きたいなぁ
10 :名無しさん@近親相姦が大好き:2007/08/11(土) 00:41:16
お風呂で洗ってもらって気持ちよくなったから。
11 :名無し3:2007/09/08(土) 21:18:59
早苗ちゃん、その後の経過はどうなったのでしょうか?
最近のSEXの状況などを交えて、教えてください。
15 :早苗:2007/10/16(火) 23:51:46
10月1日無事生まれました~!!!
双子の女の子ちゃんです。
パパもめちゃくちゃ喜んでくれて、生んでよかった~。
今名前考え中なんです。
18 :早苗:2007/10/25(木) 14:46:58
・色々ありがとうございます。1日じゃなくて、10日って打ったつもりが間違ってました。
名前、私とパパが一人ずつ決めました。
19 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/10/26(金) 11:51:00
これからは避妊するんだよ。君のためにも。
早苗さんにとって理想の男性が父親であっただけ・・・
それと早苗さんの体が父親のペニスと精液を求めていた。
これって一種の運命かな?
けど4回妊娠は危なかったよ。子宮がだめになって不妊や後遺症が残るからね。
健康で清潔な精液は女性のホルモン増進効能があるけど妊娠は別だよ。
お父さんにもきつく言っておいてね。
20 :早苗:2007/10/27(土) 15:56:40
・これから相談しようと思います。
ありがとうです。「家族と~」さん
21 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/11/04(日) 13:06:22
パイプカットでもすれば良いと思う。
22 :SATIKO:2007/11/25(日) 22:52:01
早苗さん元気な赤ん坊、お誕生おめでとうございます。
これからは、お父さんと娘さん達と幸せに過ごして下さい。
私は、20代ときに、弟との間に子供が出来ましたが、結局堕胎することになりました。
お互い家庭があり、妊娠の発覚による家庭崩壊を防ぐ意味もありました。
しかし、今ではその事を少し、後悔しています。
それは、それ以降まったく私に妊娠の兆候がなく、今日まで何十年も過ごして来ました。
その間、夫は女を作り出て行き、弟は若くして交通事故で死んでしまいました。
もしあの時の子供が生まれていれば、と思います。
是非、早苗さんは愛する人と子供に囲まれて、元気に生きてください。
24 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/11/29(木) 16:49:03
>>20
>>19だけど、パイプカットもよいかも? 女性にとって性交痛って嫌ですよ。
>>22
難しいですね。 私は25歳と19歳で自ら父親の子を産んだ女性を知っています。
兄の子2人産んだ女性も知っているけど弟の子を産んだ女性って少ないね。
25 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/11/30(金) 07:22:05
>>24
>私は25歳と19歳で自ら父親の子を産んだ女性を知っています。
>兄の子2人産んだ女性も知っている
実話なら話を詳しく話してくれませんか。
その女性の方々が産んだ子供は障害はなかったんですか??
26 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/12/06(木) 16:51:15
>>25
兄の子を産んだ女性の子供2人とも男性だけど遺伝性のてんかんで入退院繰り返している。
25歳で父の子を産んだ女性の子供は女の子で健康児、21才で産んだ女性の子供は生後2才で死亡。
27 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/12/06(木) 16:53:49
そうそう19歳で父親の子を産んだ女性の子は健康児。男の子だった。
俺が出会った近親出産で一番多いのは、父娘姦だね。
33 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/12/08(土) 14:01:42
叔父が産婦人科、同級生が精神病院と介護施設の理事
その関係で近親相姦の実態を聞くことがあった。
実際にあった事もある。
21歳で父親の子を生んだ女性はちょっと苦手って言うか恐かったね。。。
やはり差別表現かもしれないけど、表に出にくいが養護及び介護施設や精神病院に行くと近親相姦で生まれた子供から施設生活50年以上の寝たきり老人まで本当にいるんだ。
しかし一般と変わらない生活をしている人まで色々いる。
無責任な妊娠出産は生まれてくる子供がかわいそうだ。
最後まで育てる責任感があれば別だけど。
35 :家族とエッチしまくりたいさん:2007/12/09(日) 01:01:30
>>33
なるほど。合点がいきました。
あなたの言うことは信じますよ。
告白系の妊娠話は99%は妄想か釣りだけど、残り1%はガチなのかもしれない。
ま、頭が悪い俺にはどれが嘘でどれが真実かなんてわからないけど。
望んで性倒錯をしている側すれば責任をもって子作りするのはいいだろというだろうね。
必ず障害児が産まれるわけでないし、障害児だから産んではいけないわけではないし。
37 :匿名子:2007/12/29(土) 00:25:51
お母さんには悪いけど、たくましい父に抱かれたい
父の子供を妊娠したい
38 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/03/27(木) 19:26:28
上記で書いた19才で父親の子を合意で産んだ女性だけど、二人目を数年前に生んでいたらしい。
まあちょっと理解できない世界だけどね。
家庭環境は娘の母親が勝手に出て行って十数年行方不明。
父との関係は高校生からだって。
39 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/03/29(土) 23:02:34
>家庭環境は娘の母親が勝手に出て行って
母親が父親を捨てて出て行って後に、父と娘に関係ができたと。
体験告白系でよくあるパターンですが、作り話ばかりではないんですね。
40 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/03/30(日) 11:18:10
父子家庭で相姦になるというのは体験告白の王道パターンでその時点で信憑性を疑う(苦笑)。
ファザコン娘が母に捨てられた(又は亡くなった)父に同情して関係するという投稿を何回読んだことか。
ただ、このパターンの妄想で書く人が多いということは、
そういう妄想を生み出す元となる事実があったのではとも思えるのです。
38さん、その19歳で産んだ女性は現在では何歳なのでしょうか?
41 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/01(火) 12:58:18
>>40
どうもどうも。 どうなんでしょうね。。。?作話なのかどうかは本人達のみが知る事でしょう。
まだ三十にはなっていないと思います。
現実にどれだけの近親相姦による出産があるのか存じませんが存在するのも事実。
結局永遠の謎かもね?
42 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/01(火) 13:01:37
産科から精神科に紹介されてわかった事実。
紹介された精神科医師は俺の高校時代の同級生。
やはり近親相姦がばれたら精神科受診するみたいだね。
43 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/03(木) 22:00:05
>>42
>産科から精神科に紹介
前に某巨大掲示板で産婦人科医が語るスレみたいのが立って、そこで自称“産婦人科医”が実際に近親姦による妊娠はあるよとコメしたことがありました。
本当かどうかはわかりませんが、体験告白でも産婦人科にちょくちょく近親相姦による妊娠の相談があるという話はでてきますね。
告白に書かれていることによると、医師は本人が出産を望んでいる場合はDNAと羊水検査をするだけで、強いて出産を止めることはないそうですが。
某掲示板の自称医師も同じことを言っていました。
だからって、それが本当かどうかは素人の僕にはわからないのですが。
44 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/03(木) 23:52:30
前に本サイトで投稿していた和子さんという方は現実話ですよ。
話が具体的で、女性しかまず使わない単語など書いていたのでネカマでは無い・
母子手帳やレントゲン撮影などを行い、出産までの経緯など医学的に見ても極めて正確な話をしてました。
母性本能がエスカレートして母と子の近親相姦に行き着くのが一番多いそうです。
45 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/04(金) 21:27:57
>>44
Blog「父に抱かれて 近親相姦」も妄想ではなく実話の可能性が高いように見えますよ。
父親の子供を妊娠していく過程がリアルすぎるんですよ。
46 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/08(火) 10:06:59
>>43
オ―ストラリアで父娘相姦の子が生まれて社会問題になっているらしい。
http://blog.goo.ne.jp/cheguerrilla/e/dd1b13af91917599bca5a1e670b2b99d
47 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/08(火) 16:37:05
>>46
読んだ。オーストラリアの田舎ならありそうな話だ。
48 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/08(火) 21:35:41
>オ―ストラリアで父娘相姦の子
一人目は心臓疾患があって死に、二人目は異常なしですか・・・。
49 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/10(木) 22:39:27
>>48
上記で紹介した21才で父親の子を産んだ女性の長女も2才で先天性心疾患で亡くなられましたね。
遺伝病はリスクが高いのでしょうね。
彼女は確か知り合いの話ですと流産も数度繰り返して結局は子供が出来ない体になったとか?
彼女は父親との関係を自ら受け入れているので後悔は無いかも?????
私は彼女に会った事があります。なかなかスタイルの良い女性でした。
が何か?普通と違う。
自分達の関係を否定される事に過敏になっていて恐かったです。
もう30代ですね。
父親は知りません。父親の年齢は50代でしょうね?
50 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/11(金) 12:37:50
>遺伝病はリスクが高い
それでも異常がない子供が産まれる可能性もあるので、一部の女性は出産に踏み切るのでしょう。
>自分達の関係を否定される事に過敏
オーストラリアの父子相姦で妊娠した女性も父と関係を結んだことに過剰に肯定的ですね。
あの記事を読むと、体験告白の近親妊娠に関する投稿も実話が混じっているんじゃないかと思いました。
たまに妊娠を告白した投稿で真に迫っているのがあり、そういうのってオーストラリアの女性のように相姦に対して過剰に肯定的なんです。
マザコンや父子家庭に相姦が起こりやすいというのはよく言われているのでネカマやオタクをからかうのが好きな女性がそういう話を元にネタを書いて釣っているのもあるでしょう。
でも、オーストラリアの事件は実話を加工して投稿したのもあるんじゃないかと思わせました。
57 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/28(月) 14:26:47
>>50
お久しぶりです。
今日ネットで自分の娘を自宅の地下室の閉じ込めて子供を生ませていた父親がオ―ストリアで逮捕されたニュ―スを見ましたよ。
強要いかんね! 合意の無いセックスや出産は犯罪。
58 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/29(火) 14:43:32
>57
24年間監禁して7人の子供を産ませたそうですね。
こんな変態系掲示板にきておいてこんなことを言うのは偽善的ですが。
Fという父親がやった行為は鬼畜の所業としか思えません。
中絶させずに産ませたというのは何だかキリスト教社会独特の歪みを感じる。
アメリカのド田舎は近親相姦の問題が多いというのはよく聞く話ですが、オーストラリアの田舎も同じようですね。
59 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/29(火) 23:06:23
>>58
まあ合意があればすべてOKでもないですね。
生まれた子供が正常児でも、その子供は大きくなって自分の出生の秘密を知った時 問題がでる事もある。
結婚できない現実もあって、近親相姦は合意があろうが無かろうが生まれた子供の人生にも悪影響がある。
止めて無難だね。
61 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/30(水) 19:37:43
私の友人の病院に兄と妹の間に生まれた男の子が二人とも先天性てんかんで通院及び入院している。
やはり劣性遺伝が出やすいからね。
日本の正確な現状は??? 作話ばかりで信憑性が薄いですね。
まともな資料がありません。
62 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/30(水) 20:39:59
>>59>>61
同意の場合ですが、僕は本人たちが望んでいるのなら妊娠は止めようがないと意見は違うのですが、産んだ後の問題が問われるのは仕方がないですね。
>日本の正確な現状は???作話ばかりで信憑性が薄いですね
NHKだったかで日本の性的虐待で明るみなったのは氷山の一角だみたいな報道を目にしたことがあります。
それに日本は近親による結婚は禁止していても、性交や妊娠は罪にならないので意外と実話もあるかもしれません。
日本の田舎なんか近親妊娠なんてありそうだなぁ。
まあ、ネット上に公開されている体験告白は作話が殆どだよね(苦笑)。
たまにディティールがリアルで「実話?」とどっきりする話がありますが。
63 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/30(水) 20:45:29
つけたしですが、日本の近親妊娠の実例は実話誌で度々取り上げられる娘が父を○害した事件がありますよね。
64 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/04/30(水) 20:56:25
>>62
個人的には警察や精神科医師より産婦人科医師が一番近親相姦の実態を把握していると思います。
がしかし患者の守秘義務と人権があって表に出ない。
65 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/05/01(木) 08:49:18
>>58
御存知ですか???アメリカの白人中産階級及び上流階級で意外と獣姦も行われています。
私達の印象評価では(精神異常の複雑な家庭環境で育った身なりの悪い男)が馬小屋や豚小屋に浸入して獣姦を行うと思い浮かべますが、
実はハイソで郊外の豪邸に住む身なりの良い独身白人女性及び夫婦が自宅で飼っている犬との獣姦を楽しんでいる実態もあるのです。
室内で大型犬を飼う家も珍しくも無い。アメリカってゲイも近親相姦も獣姦も日本より比率的に多いのは確実。
カトリック信者が日本の数倍で本来信仰に敬虔であるはずの韓国が日本の数倍の強姦発生率であるのもアメリカと同様何か社会の歪みと矛盾を感じます。
これは私の想像で表に出ませんが、中国の農村部や辺境及び少数民族社会における
近親相姦及び出産率もきっと高いと思います。
66 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/05/01(木) 16:22:18
>>58
根拠を出せと突っ込まれたら困りますが、合意及び強要虐待どちらであれ私の知り合いの病院でもネットのニュ―スでも、父娘相姦が一番多い???
と私は思っています。
その次が兄弟姦? 最後に母息子姦?
どうでしょ? 調査資料が無いので想像の域を越えません。
67 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/05/01(木) 19:41:04
>>66
日本はマザコンが多いので母子姦が多いという俗説がありますが。
ほら、ココや他の体験告白掲示板も母子姦ネタが多いし(笑)
68 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/05/03(土) 23:16:17
大型犬を室内に入れて足袋をはかせて・・・、日本では都市部で結構あるみたいだし。
近親姦、特に母子相姦がハイソに多いのは日本も同じだよ。
マザコンもあるけど、子離れしたくない欲求不満の母親におもちゃにされてるって感じだけど。
69 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/05/05(月) 13:05:52
>>67
ここも他も作話だらけです。w
>>68
貧しく複雑な家庭環境に性的犯罪及び変態行為多いと言う神話が、実は綺麗でハイソな世界における変態行為を見落としますよね。
自分の娘を監禁して子供を生ませていたオーストリア男性も綺麗な住宅街に住む中産階級でしたし。
70 :家族とエッチしまくりたいさん:2008/05/06(火) 14:02:25
>69
>ここも他も作話だらけ
ははは、わかっていますって。
でも、絶賛休業中の「近親相姦研究所」ですが。
あそこの父子相姦に関する投稿の一部は父親と関係をもった理由が筋が通っていて妙なリアリティがあったな。
実話を元にしたフィクションじゃないかと思えるぐらい。
かすみ、リンコ、YUYUYU、大猫熊の投稿がそう。
あと、母親が実父に強姦されて産まれた子供の投稿もリアリティがあった。
73 :連続コピペ投稿スマソ:2008/09/08(月) 23:07:28
No.6769 2008-06-06
近親相姦、孫娘にも毒牙の手
嘉義県で中年の男が17年前から娘にセックスを求め、妊娠させて2人の孫娘を出産させ、さらにこの孫娘(7歳、娘でもある)にも手を出そうとしたことが分かった。
現在27歳のこの女性は今までじっと我慢していたが、孫娘にまで猥褻行為を働いたため、支援者団体に事実を公開した。
父親は現在、姿をくらませている。警察はDNA鑑定をして事実関係を調べる。
http://www.naruhodo.com.tw/news/search.php?page_num=0&no=6769
74 :孫娘への嫉妬かも:2008/09/09(火) 06:48:53
嘉義県っていうのは台湾の中部あたりの地域です。
この娘さんはお父さんが孫娘に手を出したことがきっかけで事実を公開したということになっていますが、もしかしたらホントはじっとガマンしていたのではなく実はお父さんのことを娘妻としてちゃんと愛していたかも知れません。
お父さんの子供を2人も妊娠して出産してるんですから。
ホントにお父さんのことを嫌いだったら27歳になるまで一緒に住んでいないですぐに逃げ出しているのではないかと思います。
10歳のころから17年間もお父さんの性愛を受けて開発されているんですから父娘夫婦としての情愛はきっとあるでしょう。
このお父さんがさらにエッチしようとしたのは7歳の孫娘ということですから娘さんが20歳の時に産んだ子ですよね。
はたして20歳になった女性が無理やりに犯されて子供を産むまでじっとしているでしょうか。
妊娠して出産するまでに1年近くあるんですから、その期間には妊婦検診にも行くでしょうし病院のお医者さんの検診や保健所の保健師さんの訪問とか母親学級なんかもあるでしょうから。
どこか未開の地ならともかく台湾ならば日本国内とかわらない状況のはずです。
もしかしたらこれまで自分にそそがれてきたお父さんの愛情が孫娘にうつってしまうことを嫉妬したのかも知れませんね。
でもこのニュースは今年6月のことなんですけど続報とか何もないのでしょうかね。
娘さんのその後とか、失踪したお父さんのその後のことだとか…。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/108/1180642354/
父に抱かれて・・・
2005年05月31日
いまさら
父がSEXを求めてきたのを拒んだ。
何を今更とも思うけど。
別に嫌いになった訳じゃない。
最初は全然こわくなかったのに、今になって怖くなってきた。
お父さんは我慢してくれてる。
2005年05月27日
父は私を女としてしか見てない
私は内向的すぎた。
男の人とセックスすることで、何か変われれば良いなんて気持ちもあった。
そして一番身近にいたのが父。
っていうか私のまわりには父以外には男なんていなかったし。
いろいろ考えたけど、ちょっとでもタイミングとか意識の持ち方が違ってたら、近親相姦していなかったかも。
それとも、いずれこうなってた運命だった?
それなら諦めもつきやすいんだけどね。
もう父は私を女としてしか見れないらしいよ。
やっぱり私とセックスをやっちゃったからなんだろうね。
お父さんも被害者なんだよね。
2005年05月24日
距離をおこう
しばらく父とは距離をおこうと思う。
何か変だ。
父とはセックスするだけで、他は何もかわらないと思っていた。
でもそんなことはなくて、何もかもが変わってきてる。
全然落ち着けないよ。
父のいない時間が、なんとなく落ち着ける。
2005年05月22日
長かった
やっと朝になった。
すごく恥かしいおもいをした夜だったよ・・・。
裸をいっぱい調べられた。
さわられ、なめられ。
アソコも・・・中まで。
恥かしすぎて気絶したかもしんない。
あんまり長いこと調べてるんで、もうセックスしないのかと思ったら、挿入もされた。
すごくゆっくり入ってきて、ゆっくりと中で動いてた。
気持ちよかった・・・。
そして、だんだんはやくなっていって・・・。
これが今の現実ってことか。
私と父は、もう男と女なんだ。
こういうことをする関係なんだなって考えさせられた。
2005年05月19日
さいきん早いね
だんだん父が早く帰ってくるようになった。
それだけ私といる時間が長くなるんだけど。
そしてキスしたがるのよね。
キスはダメっていってるのに。
お父さんは恋人じゃなくて、やっぱり父親。
セックスは許しても、キスは許せないってやっぱり変?
確かにセックスのほうがすごいことなんだろうね。
だけど私の気持ち的なもんだから。
キスは本当に好きな人とするね。
・・・・って、そんな人、できるかな?
このまま、ずっと父と・・・っていう可能性のほうが高いかも(^_^;)
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-05.html
2005年06月27日
鏡の中の私
お風呂から上がって、なんとなく鏡を見た。
そこに映っているのは、裸の私。
父にすごく良い体だって言われた体・・・。
どうなんだろう?
自分では普通なんじゃないかなって思うんだけど。
太ってはいないけど痩せてもない。
胸は一応あるけど、巨乳でもない。
もうちょっと痩せたいって思ってるけれど、父は今のままで最高だからって言う。
きっと父好みの体なんだろうね。
これも父を私と本当に近親相姦させてしまった原因の一つなのかもしれない。
父好みじゃなかったのなら、こうならなかったのかも。
鏡に映ってるのは、血の繋がった父親とセックスを経験した女の体。
そして父親の性器を挿入された部分もある。
姿だけ見てたら、そんなことわからないのに。
人間って表面だけじゃわからないもんだよね。
2005年06月26日
すがしがしい朝
昨夜はあれほど暑かったのに、すがすがしい朝だ。
裸のまま、何もかけずに仰向けで朝を迎えた。
となりには、私の体を楽しんだ父がいた。
どうやら私の体をたっぷり鑑賞してたみたい。
すごく良い体だって言われた。
もう手放せないって。
嬉しいけど、素直に喜べないね。
2005年06月22日
父もまだ若い
父はまだまだ若い。
今は44歳だしオジサンなんだけど。
すごいパワーを感じる。
そのパワーが私を圧倒する。
セックスで私は圧倒されまくってる・・・。
普通にセックスしてても、とても気持ち良くされてる。
父以外とはセックスしたことないから、他の男性と比較は無理。
でもこんなに気持ち良いってことは・・・。
少なくとも相性は良いんだろうね。
父娘が体の相性良いなんて、超変なことだけど。
2005年06月19日
誓い
約束してもらおうと思った。
遊びじゃなく、本気で愛し続けることを誓うって。
もし誓うのなら唇にキスをして、遊びだから誓えないっていうならキスをしないでって言った。
もちろん、誓えないのなら近親相姦も終わり。
すると父の方からも、私に約束を求めてきたんです。
ずっとお父さんの女になって、他の男を好きになって離れていったら絶対にダメだって。
約束させるつもりが、逆に約束を返されるなんて思わなかった。
自分の首を絞めちゃったかな・・・?
でも自分から言い出したことだから、今更は引っ込められない。
私、まっすぐに立って目を閉じたよ。
イメージ的には結婚式でのキスを思い浮かべてた。
愛を誓わせるっていうのも、そんなイメージがあったから出たのかな。
目を閉じてるとき、父に言われた。
ずっと2人で暮らしていくんだぞ。わかったね。・・・って。
そして・・・・
唇と唇が重なった。
2人とも誓ってしまったんですね・・・。
なんだか本当に結婚してしまったみたいなキスだったよ。
キスの後、父に見つめられて緊張した。
そして再びキスされて、舌を入れられた。
もう誓ったんだからいいよね・・・ディープキス。
少しはそういうのあったけど、本当に解禁ってところかな。
こういうキスってなんだかエロいよね。
約束したから、セックスもなんだか安心して任せられた。
今まで相手がお父さんだったから、声を出すのも恥かしいし、ためらっていたけど、なんだか自然と声が出たよ。
お父さんにも言われてしまった。
今夜はすごく気持ち良さそうに声出してたねって(^_^;)
もう眠いから寝るけど・・・。
私、誓ってしまったんだね・・・。
2005年06月17日
考えてた
色々と今後のことを考えた。
父の女になるのを認めたといっても、実父と近親相姦をしている以上は不安は消えないし。
自分のひきこもり的な性格や今までの生活を考えたら、他の男性と出会って結ばれるなんて無いと思う。
今の状況から考えてもね。
たぶんこのまま父の女として関係が続いていくんでしょう。
そして今はまだ関係は浅いんだろうけど、どんどん深く深くなっていくんだろうね。
親子で愛し合っちゃいけないとは思わない。
父が私を女として愛するのなら、もうそれでかまわない。
ただ父娘同士だから、余計に冗談じゃ済まないんだよね。
冗談や遊びじゃ、近親相姦なんてやっちゃいけない。
だから私を愛するっていうんなら、父にもそういう気持ちじゃないとね。
私が欲しいなら、本気で愛してほしい。
安心してお父さんにセックスを許したいから・・・。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-06.html
2005年07月31日
諦めろって・・・
父に愛撫されてるときに言われた。
もう諦めろって。
諦めるって何を?
私はもう父の女になってるのに。
こんなに・・・父親相手にSEXをする女になってるのに。
でも父から見たら、まだまだなんだね。
確かにそうかも。
私は、まだ父の女だって思い込もうとしてる段階なんだね。
それに、父のことを男としてはまだ愛してない。
それって体は許してても、心をガードしてるってことかも。
父はそれを見抜いてるんだ。
やっぱりすごいよ。
セックスをしているんだから、やっぱり父のことは愛するようにならなきゃいけないんだとは思うよ。
相手に失礼だもんね。
父に出入りされながら、私が父のことを愛するようになってくのを想像してた。
もし想像通りになったら、もう今の私はいなくなるね。
その代わり、私のお腹には父との赤ちゃんが出来るよ・・・。
2005年07月29日
油断すると写される
ちょっと油断したら写される。
お風呂から上がったところを狙われた。
なんか嫌だ。
いくら想い出になるからっていっても。
そりゃ確かに私も10年後とかに今の自分を見たら、いろいろと思うんだろうけど。
この体が、父に愛されてセックスを許し始めたときの体なんだな・・・とか。
でもやっぱり裸とか、セックスしてるところが残るのって不安だよ。
Hなビデオとか撮影されてる人って、恥かしくないのかしらねぇ・・・。
2005年07月26日
父がパソコン使ってた
今まで父はあまりパソコンとか使うこと少なくて、ほとんど私が使ってた。
だけど父がパソコン使ってたよ。
なんかデジカメの画像とか扱うのにパソコンを使ったらしい。
ドキッとしたよ・・・。
これを書いてるのが父にバレるんじゃないかって。
これからは注意しなきゃいけないなぁ。
父がパソコンで見てた?画像がどんなものかは私もまだ知らない。
見せてっていったけど、まだ編集してないからって拒否された。
なんかコッソリとしてるなぁ・・・。
まあ見たい気持ちもあるけど、見るのも怖いから、気持ちは半々かな。
2005年07月25日
隠してるし
カメラの本体はあるけど中身がない!
さすがはお父さんだよ。
これじゃ何を写されたのかわからない。
こまったな・・・。
お酒のまされた
父にお酒を飲まされた。
まだ残ってて、なんか頭痛い。
昨夜はほんとフラフラ~ってなったよ。
そしたらお父さん、カメラを準備しようとするし。
すごくやばいと思った。
だから撮影したいならキスシーンにしとこうよって言ったよ。
それから間もなく、ビデオカメラの前で、私は父に抱き寄せられキスをしたの。
これでも十分に父娘同士が愛し合ってる証拠になるね。
いっきに頭がクラッとしてきて、睡魔に襲われた。
キスしながら目を閉じてるのに、なんだか体全体がグルグルと回るみたいだったし。
キスが終わって、もう眠いからって寝させてもらった。
だけで気がついたら私、父に服を脱がされてた。
デジカメで撮られてる音もしてた。
ダメっていったけど抵抗力まったくなし。
父にゆっくりと股を広げられてくのに、それをなんとなく許してしまった。
撮影されてる音が聞こえてたよ・・・。
その後、セックスもされた。
私は、もう寝てるだけで、父のやりたい放題だったんだけど。
たぶんずっと正常位だったんじゃないかな。
たぶんセックスシーンも撮影されてしまったんだと思う。
父は近親相姦の証拠を自分で残してどーすんの?
見つかったら、むしろお父さんがヤバイんじゃないの?
私もヤバイけど。
お父さんのお宝ができちゃったな。
何を写したのか調べないといけないかな。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-07.html
2005年08月28日
父は迷っている
もうセックスは、以前のように戻った。
あれから父は、私に膣内射精をしていない。
あの旅行の時だけだったんだ。
もちろん、それが当たり前。
私も、理解している。
だけど私の記憶には残っている。
父と子作りをしたことが。
私は本気だった。
そして、今でも父がその気になったら受け入れるつもりでいる。
私は子供を作るとしたら、やっぱり早いほうが良いと思ってるから。
だけど、今は父の気持ちを尊重しよう。
父はまだ迷っているようだ。
気持ち的には、私を妊娠させたいらしい。
だけど、やはり近親相姦ということが、父を止めてる。
最近は子供の話をするようになって、父も戸惑い気味。
私が、そんなことを考えるなんて思ってもみなかったみたい。
それはそうでしょうね。
私自身も、子供が欲しいとこんなに思うなんてちょっとビックリ。
まだ先は長いし、どうなるかもわからない。
2005年08月21日
夢じゃない
どうしても思い出してしまう。
なんだか夢でも見ていたような。
だけど夢じゃないんだよね。
私、おとうさんとあんなすごいことしたんだ。
ぎゅっと抱きかかえられて、たぶん逃げようとしてもダメだったんじゃないかな?
事故なんかじゃなくて、お父さんが最初からやる気だったってことに意味があるよ。
口じゃいえないから、ここでこっそり書くね。
私、お父さんの子を産んでもいい。
たぶん安全日だったから、お父さんは私と子供作るようなことしたんだろうけど。
もう危険日でもいいよ。
なんだか、一気に私の中で盛り上がった。
今、本当にお父さんと子供作っていい気分なの。
2005年08月19日
超近親相姦
父と旅行しました。
そして私と父は、すごい世界に足を踏み入れたよ・・・。
出かける前に、墓参りもした。
そこで父は、お墓に謝った。
先祖に申し訳ないことをしてしまったって。
私も謝ったよ。
そして父は言ったよ。
もう本当に裏切ります。すみませんって。
すごい父の本気度が伝わった。
そして、この時、私は直感したよ。
その直感は当たった。
ほんと、私ってすごいと思ったよ。
これが女の感ってやつ?
すぐに旅行に出かけて、その宿泊先での最初の夜。
私と父は、そこで近親相姦をすることになります。
ただ今までと違ったのは、父がコンドームを付けなかったこと。
すぐに気付いたよ。
っていうか、付けないんじゃないかって思ってたら、本当につけなかったから。
私、そのまま続けさせた。
そして父に、運命を任せた。
すごい緊張したよ。ドキドキしたよ。
そして私の体に、永遠に残る記憶が刻み込まれました・・・。
忘れない。
どんどん私の中に入ってくる、あの暖かな感触・・・。
それが私の父親の精子だなんて。
ついにされてしまった膣内射精。
父は謝ったけれど、私は責めることなんてしなかった。
そして、すごかった2日目の夜・・・。
今夜も中で出すのかって聞いたら、出すって父はいうの。
だから、子作りするんだねって私は言ったんだ。
父は・・・そうだね。子作りしようねって・・・。
言葉だけでも、すごく動揺したよ・・・。
安全な日とかは父も知ってるし、そのへんは任せてるので、たぶん大丈夫な日を選んでるんだろうとは思う。
だけど、そんなこと関係なくなるくらい、あの言葉は強烈だった。
私、本気だったよ。
本当に子作りしてるつもりで、セックスしてた。
もちろん怖いって気持ちもあったよ。
でも、私は・・・お父さんの子供を産んで良いって気持ちになってた。
だから私のなかではすごいセックスだったよ。
また父に中出しされて、子供が出来たんだなって思えたよ。
今は、落ち着いてる。
すごいセックスしたんだなって、冷静に考えてるよ。
超近親相姦ってところかな?
だけど、お父さんもそのときは覚悟してるって言ってたけど、本当に子供が出来るかもしれない。
それほどのことをしたんだ。
そして、ひとつだけ確かなこと。
私達は、子作りしたんだ。
子供を作るつもりで、セックスしたんだ。
少なくとも、私はそう思ってるから。
2005年08月06日
おじさんの臭いをとろう
父の加齢臭ってのを、できるだけなくしてあげる。
夏は汗かくから、とくに気をつけないと。
ゴシゴシ洗い過ぎて、痛いって言われた~。
そして反撃された。
よく泡立つタオルで、しっかりと洗われたよ。
すっきりした。
足を大きく広げられて、あそこもしっかりと洗われたけど。
その後、すごくなめられた・・・。
綺麗になってるから、たっぷり味わったんだね・・・。
石鹸の味しなかったかな?
2005年08月01日
パートナー
私達、いつもセックスばかりしてる訳じゃないんだよ。
確かに親子でセックスをするってことは、生活の全てに影響してるけどさ。
だけど一緒に生活していくことで大切なのは、心と心の繋がりなんじゃないかな。
気持ちが離れたらパートナーとしては終わるよね。
その点は、私達は繋がってると思う。
そのへんの夫婦に比べたらね。
ずっと暮らしてる親子なんだし。
たぶん父との関係を、夫婦として考えたら、良好なんじゃないかな。
私は元々はひきこもりぎみな、世間からちょっと離れた女。
これから父以上の相手と出会う可能性なんて、無いって思ってる。
お父さん・・・・これからももっとセックスしようね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-08.html
2005年09月09日
将来
将来のことを考えてみる。
私はひきこもりニートのようなもの。
こんなんじゃダメだとは思う。
だけど父が私を守ってくれてる。
父の専業主婦に就職すれば、私はやっていける。
父もそれを望んでる。
その道は、永遠に父とセックスをし続ける道。
じゃ子供はどうする?
父とセックスをし続けるなら、やっぱり考えないといけないよね。
父がいらないっていうのなら、仕方ないって思う。
近親相姦で子供作るんだからね。
だけど、もし将来的には作りたいっていう気持ちがあるのなら・・・。
作るなら出来るだけ早く産みたい。
お父さんだっていつまでも若くないんだから。
子供のことを考えたら、お父さんは1つでも若いほうがいいよね。
でも母親になるなら、私ももっと頑張らないと。
社会勉強しなきゃ。
それためには、パートでもして仕事しようかな。
お父さんは心配するけど。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-09.html
2005年11月21日
好き
私の気持ちが、どんどん父の方へと流れていく。
以前よりも、もっと好きになってると思う。
もう近親相姦だっていい。
父に何回でもセックスしてもらいたい。
もう何をされてもいい。
2005年11月06日
やはり私は父の女
簡単な仕事だけど働きはじめて、だいぶ慣れてきていた。
まわりの人達も親切だし。
父と子供を作るってことも、非常識すぎるのが冷静になって思えてきてたし、父が決断しなかったのも理解できる。
近親相姦することも、だいぶ減っていた。
このまま普通の生活に戻っていくんだろうなって思うようになってた。
そしていつか、父以外の男性とセックスして、子供を作ることになるのかなって。
働きはじめてから、そういうのが感じられるようになってきていた。
だけど、やはり後戻りなんて出来ないみたい。
父も私を手放すつもりになってたらしいけど、やっぱりそれは無理なんだって。
とうとう父も我慢できなくなって、私を押し倒した。
そして近親相姦・・・。
セックスすれば、やっぱり私は父の女なんだって感じる。
父がその気なら、私は拒否することは出来ない。
前に誓ったとおりに、ずっと一緒だと言われた。
膣内射精もされた。
私にとっての現実は、他人とは逆なんだ。
父と近親相姦して暮らしてくのが私の運命なんだ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-11.html
2005年12月25日
聖夜
とても素敵な夜だった。
こんなに愛してもらえるなんて・・・。
お父さんが私の体を優しく包み込み、とろけるようにしてくれた。
父娘だって、ここまでできるんだ。
これで、もう妊娠したかもしれないね。
私を愛してくれてありがろう。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2005-12.html
2007年11月26日
不安
私達はどうなるんだろうか?
漠然とした不安に包まれます。
見えない未来。
想像はする。
その想像がさらに不安を呼ぶこともある。
何も考えないほうが良いのだろうか?
久しぶりに自分で書いた過去を読んだ。
私達が初めて結ばれた日からずいぶん経ったんだね・・・。
やはり大変なことです。
子供を育てるということは。
父は今が一番大変な時期だからという。
もちろん私も頑張る。
母親なんだから。
むしろそれに加えて襲ってくる精神的なプレッシャーが、私を悩ますんだろう。
将来、父のことをどう説明すればいいのか・・・とか。
色々と・・・。
私は強くならなきゃいけない。
昔のような甘えは許されない。
だけどお父さん・・・私を安心させてください・・・。
いつお父さんがSEXを求めても受け入れるから。
なんでも許すから。
だから冷たくしないで。
私はお父さんだけが頼りだから。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2007-11.html
2007年12月31日
年越しですね
もう親戚付き合いとか無いんだろう。
私達は社会からは認められない家族なんだから。
でも、それはそれで良いね。
めんどくさいし。
だから、お正月は家族だけでのんびり。
父も仕事にいかないもんね。
3人で暮らしていこう。
後悔なんてないからさ。
それとも私をまた妊娠させて4人にしちゃう?
今度は、お父さんが欲しかった女の子かもしれないよ?
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2007-12.html
2008年01月28日
変化
父と私の関係は、以前とは変わってきたように思う。
悪化しているわけじゃない。
微妙な雰囲気の変化です。
子供が出来たからなんだろうね。
以前は男女としての関係。
今は父親と母親としての関係なんだろう。
近親相姦をしてしまう前の親子関係にも似てるね。
でもセックスはまだしてる。
やはり私達の関係を象徴しているのはセックス・・・。
結局、夫婦=セックスなのかな?
それなら私達は父娘でありながらやっぱり夫婦ですよね。
2008年01月17日
予言?の続き
父の予言は不思議と良く当たるんです。
だからちょっと考えてしまいました。
どれくらいでそういうことになる可能性が出てくるのかな?
男の子は何才くらいからセックスしたくなるんだろう?
中学生くらいになったら、もう出来るんだろう。
だけどはっきりいって中学生なんてまだ子供!
私のほうがなんとなく嫌だ。
実際には高校生くらいからだろうね。
父がこんなことも言うんです。
この子が相手というのなら許すって。
許すってのはセックスを含めて結ばれるということです。
冗談で言ってるのかも。
でも、そうなる頃には約15年ほどだし、父もそれだけ年齢を重ねてます。
自分が老いた時、私を託そうという気持ちがあるのでしょうか?
父に言われると、なぜかそうなってしまいそうな気がしてくる・・・。
確かにありえない。
でも、ありえないことを今まで父は何度も予言して当ててきた。
今の私達の存在そのものがありえない。
この子が成長した姿は想像できない。
だけど考えてしまいました。
この子とセックスしてしまっている自分を・・・。
2008年01月15日
予言?
父がこんなことを言った。
「この子とお前は、将来セックスすることになるかもな。」
私とあの子がセックス?
ふと、あの子の顔を見た。
現在の直感としては、まずあり得ないことですよ。
確かに私はこの子を愛してます。
だけど、この子の前で裸になり足を広げられ、父にされてるようなことするなんて・・・。
それに私は結婚できないとはいえ父と結ばれた関係なんですから。
でもまったく想像出来ない訳じゃない。
だって私達は、近親相姦で成り立った家族なんです。
普通の人達にはまったくないでしょうけど、私達の頭の中には常に近親相姦という意識がある。
もう感覚そのものが違うんですね。
する、しない、というのは別として、どうしても考えてしまう避けて通れないことなんだろう。
むしろ、まったく想像すらしないほうが不自然に思えるよね。
妊娠中は、私と父の関係をこの子にどう説明すれば良いのかということを考えてた。
その答えは今も出てない。
これからも、いろんな問題が出てくるんだろう。
もし、あの子が女の子だったとしたら、父とどうなってたの?
これから、また女の子が生まれたとしたら?
兄と妹で・・・ということもあり得るよね。
そして、この問題でもっとも重要なことがある。
それは私達は近親相姦を否定してはいけないということ。
近親相姦を否定することは、この子の存在をも否定することになるから。
もし将来、この子が私を望んだとしたら?
妹がいたとして、その妹と結ばれることを望んだら?
少なくとも近親相姦はダメだという理由で拒むことは出来ないのです。
もちろん、今は想像の話。
実際にこうなるなんてことはないかもしれません。
だけど親子で結ばれた現実もある以上、考えておかないといけないんでしょう。
かなり遠い話だろうけど。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-01.html
2008年02月28日
子
一人目の子の時は、お互いが求め合って本気で子作りをしてた。
私も当時は父にメロメロになってたし。
すぐに出来るもんだと思ってたけど、案外すぐには出来なかった。
そのぶん父にたくさん愛されたけど。
あの頃は本当にいけないことしてるんだなって気分でした。
そして、そのぶん父に出された時の刺激も凄かったよね。
今回はちょっと違うね。
個人的には子作りに関してそんなに乗り気じゃなかった。
あくまで父任せだったんだけど、避妊してセックスもしてた。
不思議なもんだ。
頑張ってたときは案外あたらなくて、そうでないときはすぐにあたるなんてね。
父の考えは違うかもしれないよ?
確かにあの時は父の希望で膣内射精を許した。
あの時のセックスは、父にしてみれば子作りだったのかも。
これも運命なのかな。
もちろん産むつもりです。
2008年02月26日
予想通り
検査へ行って来た。
やっぱり予想通り。
妊娠8週目。
私は父以外とはセックスしたことがない。
父との子供です。
さて・・・。
2008年02月22日
ほんとにヤバそう
前から感じてはいたけど・・・
体調がやっぱりおかしい。
もしかしたら?
ってゆうか、たぶんそうだろうね。
近いうちに検査にいってこなきゃ・・・。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-02.html
2008年03月30日
きもちわるい
ずっと気持ち悪いの続いてる・・・。
仕方ないけど、前と違ってもう一人の世話しなきゃならないから・・・。
ボールドのTVコマーシャル見てたら笑えてくる。
「いい香り」
「気持ちいい」
あの香り嗅ぐと、めちゃ気持ち悪いんですけど;
2008年03月12日
大切に
父は喜んでたよ。
それと、やっぱり妊娠させるつもりで出したんだって。
それで妊娠したのには驚いてたけど、よく考えれば驚くことじゃないんだよね。
男が女の中に出すってことは、そういうことなんだし。
しばらくは父とセックスしないよ。
それで流産とか嫌だもんね。
生まれたらいけない子だからとか思わない。
私の子供なんだから。
大切にしたいのね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-03.html
2008年05月10日
久しぶりに
お腹がちょっと出てきた。
胎盤も出来たみたいで安心。
それで久しぶりに父とセックスした。
とうとう許したね。
ゆっくり・・・ゆっくりとしてもらった。
心地よかったよ。
お父さんはどうだんたんだろうね?
妊婦とのセックスはどんな感じなんだろう?
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-05.html
2008年07月30日
女の子です
かなりお腹が大きくなった。
女の子は確実なようです。
元気な子ならそれでいいです。
障害とかないか心配・・・・。
二人も子供を育てていくことが出来るんだろうか?
不安ばかりですよ最近は。
私と息子がいずれセックスする運命なんじゃないかとか、
娘が息子か父とセックスすることになるんじゃないか
とかは、大きく育ってからの話です。
今はこの子達をしっかり育てることが大事。
子供達がしっかり育ってくれさえすれば、息子とセックスしてしまう運命だとしても諦めもつく・・・そんな気分にすらなるよ。
まあね、まだわからないけど。
頑張って育てないと。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-07.html
2008年10月06日
産まれた
産んだよ。
女の子です。
お父さんとの事が心配?
今はそうでもないかな。
むしろ、これから二人も育てていく事を考えたら、そちらの方が心配です。
育児は大変だ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2008-10.html
2009年01月09日
これでいい
やっぱり私は父の女。
これからもそうして続いていくんだろう。
それを嘆く必要もない。
自分で選んだ道だ。
子供もいる。
そこに幸せは存在する。
私は、実の父親とセックスしてしまった。
そして妻となった。
そして子供を設けた。
その事実は永遠に消えることはない。
悩んでも無駄なんだ。
父はこれからも私とセックスを続ける。
私はそれを許す。
それで良い。
私達の生活は、それでうまく行くんだ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-01.html
2009年03月26日
生理
母乳をやってるので出産してからも生理はこなかったけれど、とうとう生理がやってきてしまった。
また痛い思いすることになるのか。
そして、また父に決められちゃうのかな・・・。
嬉々としながら私の中で出してさ。
父がそう望むのなら、それは運命と思って受け止めるしかない。
私達は、そのへんの夫婦以上に強く結びついた関係なんだから。
母乳やってるから、胸がパンパンに膨らんでる。
父は、その胸を喜んでる。
赤ちゃんのためのものなのにね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-03.html
2009年04月09日
避妊
さすがに父も3人目となると躊躇っているようだ。
ちゃんとコンドームをつけてる。
これでしばらくは安心ですかね。
あとは子育てに専念といきますか。
子供が寝ている隣で、実の父親に抱かれる私・・・。
なんともいえませんね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-04.html
2009年09月22日
仕事
仕事をする事を考えてる。
永遠に父に頼れる訳じゃないから。
これから、何が起きるのか分からない。
その時、子供達は守らなきゃいけない。
私は、変わらなければいけない。
母親になったんだから。
私は、社会から逃げていた。
そして、父の女になった・・・。
その先にあったものは、今の家庭。
それを後悔にしてはいけない。
間違いじゃなかったと言いたい。
この子供達の存在は、間違いじゃない。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-09.html
2009年10月12日
いつか・・・
子供の成長なんて早いものですね。
あっという間に大きくなる。
私も少しは成長してるのかな?
親として、妻として、一人の人間として・・・。
そうだよ。
近親相姦をしたって人間なんだから。
だから子供達も人間。
最近、よく考える。
このまま成長していけば、いずれ父親の事を聞く時がくるんです。
その時、何て答えるの?
正直に言うなら早い方が良いの?
それとも大人になってからの方が良いの?
誰にもわからないよね。
前例だってほとんどないしね。
もし怒るのなら、償いはする。
私に出来ることなら何でも。
もし償いとして、息子が私の体を求めたとしたら?
ふふっ・・・・。
許すよ。
そうなったら、好きなだけ私の体を奪えばいい。
気の済むまでね。
妊娠させられるのかな?
でも、それも仕方ないよね・・・。
そんなネガティブな事を考えてしまった。
私は近親相姦をした女。
その呪縛からは、もう逃げられないから。
逃げられないんだから逃げないよ。
今は、一番近くにいるのは父。
何もかも覚悟の上でこうなったんだよね?
お父さん・・・。
父は、当たり前の行為のように私を抱く。
強い人だ。
実の娘とのセックスに、何の迷いもないみたい。
頼りにしてるよ。
父であり、夫でもあるんだからね。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-10.html
2009年11月09日
悪
実の娘に子供を産ませる。
世間からすれば、そんな父親は悪なのだろう。
妊娠させるだけでも常識外。(まだ堕胎する道がある)
父娘でのセックスだって、あってはいけない話。
父娘が唇を重ねてキスすることだって変態的なことなんです。
私達は、もう戻ることが出来ない。
産んだのだから。
父も悪なら、私も悪ね。
子供は悪じゃないけど。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2009-11.html
2010年01月07日
幸せ
子供の存在は、やっぱり幸せ。
笑顔を見るだけで元気になる。
産んで良かった。
誰もが近親相姦を間違いだと言うのでしょう。
でも、幸せはあった。
間違いなんかじゃないよ。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2010-01.html
2010年05月29日
仕事
仕事をすることにした。
その間、子供は保育園で預かってもらうことに。
将来の事を考えたら、私も今のままじゃダメだし。
父は最初は反対していました。
でも納得してくれたんで。
これから頑張らないと。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2010-05.html
2011年01月26日
汚れた
お父さん、ごめんなさい。
仕事先の人に、食事に誘われた。
そして、お酒飲まされました。
何なんだろう・・・。
気がついたら知らない部屋のベッドの上。
服は全部脱がされてた。
その人とセックスしていました。
私は人とは違う人生を歩いている。
なんでいまさら・・・。
近親相姦以外したくなかった。
知ってしまった。
他の人を。
泣いても「泣き顔も可愛い」と唇にキスされてしまうだけだった。
汚れました。
身体の隅々まで・・・。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-01.html
2011年02月26日
ダメ
ダメぇ・・・。
本当に堕ちちゃうよ・・・。
このままだと、あの人のものになるのを承諾しちゃう。
何も出来ない。
逆らえない。
ダメよ。
ダメなのに・・・。
puyopuyo_2 at 23:26|Permalink│
.
2011年02月19日
洗脳の儀式
許してしまったディープキスの代償はやっぱり大きかった。
もう止められない。
彼の求めるまま、唇を重ねる私・・・。
これは私にとって、まるで洗脳の儀式のよう。
分かってたんだ。
だから最後まで許さなかった。
「洗脳されちゃうよ・・・。」
ふと言ってしまった。
彼は「それじゃ洗脳してやる」とキスを続けた。
何度もしつこく・・・。
身体の力が抜けていったよ。
本当に洗脳されてるみたいだった。
もし、あのままセックスしていたら、私は本当の意味で彼のものにされていたかもしれない。
危ない所でした。
反省もこめて、父に抱いてもらおう。
私を元に戻して・・・。
puyopuyo_2 at 23:29|Permalink│
2011年02月17日
心が折れそう
このままだと心が折れてしまいそうです。
仕事中でもあの人にキスされる。
諦めてしまいました・・・。
大切なものを失った。
ディープキスを許してしまったんです。
何を今更と思うでしょうね。
もう何度もセックスを許してるのにと。
でも私にとっては違う。
セックスはしてしまってるけど、これは守りたかったの。
でも許してしまった。
なぜ?
わからない。
気が付くと彼の舌が入ってきてた。
終わったと思った。
諦めてそのままディープキスしてしまったよ。
あの人は喜んだよ。
嬉しそうに何度も私にキスをした。
仕事中なのに。
また放心状態になった。
弱い私。
仕事が終わると彼に連れていかれた。
そしてセックス・・・。
お父さん、許して・・・。
puyopuyo_2 at 23:45|Permalink│
2011年02月14日
やばい
近親相姦しかしたくなかった。
だけど私は、それ以外を経験してしまった。
もう取り返しの効かないものが、私の身体に残り続けるのね。
そのショックが今も尾を引いている。
無気力状態。
呆然としてばかり。
そんな私を彼は逃さない。
仕事中でも平気で唇を奪う。
もう抵抗する気力もない。
そして休日。
私は彼に身体を奪い尽くされた。
残念ながら父以外でも気持ち良い。
油断した時、あっという間にセックスにのみこまれる。
このままだと彼の女にされちゃう。
puyopuyo_2 at 00:39|Permalink│
2011年02月10日
どうなるの?
私はどうなるのだろう?
自分の弱さでこうなってしまった。
なんとかしないといけないのに。
私の体が汚れていく・・・。
あの人を止める事が出来ない。
応じてしまった私も悪いのね。
体を売ったようなものだし。
せめて父以外で気持ち良くされたくなかった。
ごめんねお父さん。
私も普通の女でした。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-02.html
2011年03月10日
ついに・・・
まさか、この私が・・・。
近親相姦しか興味なかったのに。
信じられないよ。
でも、これが現実なんだね。
私、とうとう堕ちました。
あの人のものになることを承諾してしまった。
その瞬間、私の気持ちを守っていた壁が溶けてなくなり、一気にあの人が私の気持ちを侵食した。
服従の証として、中に注ぎこまれました。
承諾してしまった以上は、彼に従うしかない。
全てをあの人に与えます。
あの人はどこまで求めるのだろう?
子供が2人もいる私を。
あの人のものになり、セックスが変わった。
今まで父に気を使って抱かれてた。
だけど遠慮なく抱かれたの。
あの人を求めて、大きい声で叫びながらイッちゃった。
すごかった・・・。
ごめんなさい、お父さん。
守れなかった。
堕ちてしまったの。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-03.html
2011年04月03日
父の決断
父に、母親としての自覚を持てと言われた。
子供の事を一番に考えるようにと。
まったくその通りだと思う。
そして子供の面倒をしっかり見れるのならば、私の好きにすれば良いと言った。
父にしても苦渋の決断だったでしょう。
全ては私次第。
puyopuyo_2 at 22:33|Permalink│
.
2011年04月01日
気づかれた
ついに父に気付かれた。
いずれバレるとは思っていたけれど。
父は、あんな男を相手にしたらロクなことにならないからやめておけと言う。
父親を相手にしてる方がロクなもんじゃないでしょ!と言い返してやった。
父を怒らせるつもりじゃなかった。
追い詰める気もなかった。
悪いのは私。
父は怒りながら私を抱いた。
私は従った。
父は私の中に出しました・・・。
夢を見ていました。
あの人と結婚して、子供を授かる夢を。
でも、これが現実。
私は、また父との子を身籠る事になるのかもしれない。
父が怒るのは当然。
私は受け入れなければいけない。
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-04.html
2011年08月29日
戻っていく私
戻っていく・・・。
私が父のところに・・・。
まだ気持ちは全部整理出来ていない。
でもこれで良いのだろう。
子供達の母親にも戻れる。
私的には、正直、父との間に三人目の子供を作ろうとは思わない。
あの人との子供なら作りたいと思ったけれど。
その気持ちを父に見透かされている。
だから父は、必要以上に私を愛し、取り戻そうとする。
父も傷ついたのだ。
まだ怒っているのね。
父に私の本音を正直に伝えた。
彼への未練と、三人目は望んでいないことを。
ただ父の望み通りにするとも伝えた。
それから間もなく、父は私を妊娠させようとしました。
それを私は受け入れました。
父に愛される私。
ちょっと前のことなのに、随分懐かしい。
父との近親相姦、気持ち良かったよ。
少しづつ戻っていった。
昔の私に。
父が、あの人から私を奪い返しているんだね。
puyopuyo_2 at 23:47|Permalink│
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2011年08月20日
捨てられた
彼に捨てられました。
遊ばれただけだったんですね。
一番愛したのは君?
それも嘘にしか聞こえない。
悲しい・・・。
結局、私が戻る場所は父。
やはり運命みたい。
父は、本当に良いんだな?と私に尋ねた。
そして、覚悟を見せてもらうと言って、父は私に子作りセックスをした。
仕方ないです。
これも罰ね。
私は受け入れた。
そして膣内へ出されました。
父はこれからも続けるのだろうか?
もしそうなら、私は再び父の子を身籠ることになる。
父が望むのなら、それも受け入れよう。
puyopuyo_2 at 22:36|Permalink│
http://blog.livedoor.jp/puyopuyo_2/archives/2011-08.html
女性は父親と顔が似た男性を選ぶ【NewScientist】
この度行われた研究によると、女性は恋愛、結婚の対象として父親の顔に似た男性を選ぶ傾向があるということが明らかになった。
今回の研究を行ったハンガリー大学教授タマス・ベレシュキ氏によると、女性は男性を選ぶ際に、自身の父親の外見をそのひな形として男性を見る、「性的刷り込み(sexual imprinting)」と呼ばれるプロセスを経て男性を選んでいることが明らかになったという。
研究に参加したウェイン州大学人類行動学者のグレン・ワイズフェルド氏は、この発見が男女関係における顔などの類似性を説明するかもしかもしれないと話している。
それは例えば、しばしば夫婦や恋人同士で顔が似ているという現象があるが、博士によれば、こうした現象は人間のみならず動物全般で見られる現象であるという。
またこのように顔などが似ているという事は、そのままその恋人/夫婦間で類似性の高い遺伝子を有している可能性を示唆している為、その類似性が夫婦や恋人の仲をより良いものにするのではないかと推測するのである。
「遺伝的に似ている者同士が惹かれ合うのは動物にとって何かしらアドバンテージがあるのかもしれません。」
「ひとつの試論としては、例えばそれぞれ男女の両親が似ている場合、二人は共に似通った遺伝子の組み合わせを持っているという事は考えられるかもしれません。
また人間においてはそうした関係の方が流産の確率が低くなるというデータも存在しています。」
しかしまた、博士は遺伝的に近い者同士の結婚、即ち同系交配が遺伝的に良くない結果を生む事も考慮に入れ、そのバランスが問題であると指摘している。
「おそらく理想的なポイントが存在すると思います。
それはおそらく従兄弟、あるいは又従兄弟程度の関係なのではないかと思います。」
刷り込みか、遺伝か
「刷り込み」は動物が生まれて早い段階で行われる、いわば本能的な学習である。
最も分かりやすい例としては生まれたばかりのアヒルが初めてみたものにくっついて行くという現象がある。
しかし今回、研究チームは果たして女性が本当にこの「性的刷り込み」効果によって父親に似た男性を選ぶかどうかという事を確かめるため、26組の養子家族の写真を用いて実験を行った。
この実験の意味するところは即ち、この「性的刷り込み」が必ずしも実父実娘の関係以外、即ち遺伝的な影響によるものではないことを確かめるためのものである。
テストには凡そ250人の学生が参加し、26組の養子家族の写真から三種類の組写真を用意し、それぞれ外見上の判断から似ている人を指摘させる形で、女性の夫がどの男性であるかを予想させた。
写真のセットは以下のような構成である。
セット1:女性の写真1枚 / それぞれ異なる男性の写真4枚(うち1人は本当の夫である)
セット2:女性が2歳から8歳だった頃の義父の写真1枚 / それぞれ異なる男性の写真4枚
セット3:女性が2歳から8歳だった頃の義母の写真1枚 / それぞれ異なる男性の写真4枚
そして実験の結果、セット2、即ち女性の義父と男性の写真を見せた場合の正解率が最も高く、38%という正解率を示したのである。
また更にセット1、女性の写真と男性の写真の組み合わせが続いて高い正解率を示したものの、セット3、義母と男性の写真の場合は非常に低い正解率を示したのである。
幼年期の愛着
博士は今回の実験から、女性が遺伝的な繋がりを持つ実父のみならず、養父の「外見」に心情的な愛着を感じ、夫選びの基準にしているという結果が示されたことは予想外の発見であったと話している。
「今回の実験結果は、幼年期の心情的な愛着がその後の婚姻相手選びに影響を与えるという説をより確なものとするものだと思います。」
また博士は実験の結果から、幼年期の異性の親の外見が、その人が後に異性を選ぶ「心的概念(メンタルモデル)」を形成するとして結論している。
しかしまた、ワイスフェルド博士は、人間の婚姻相手選びは非常に複雑な要素 - 社会的、生物学的な要素が絡み合うものであることも指摘している。
ある実験においては、それぞれの持つ人間の匂いが婚姻相手選びに潜在的に作用しているという説も示されているのである。
http://x51.org/x/04/04/2928.php
幼児虐待が脳に及ぼす影響 _ 7歳児ザッカリー君の経験
ザッカリー君が2歳の頃、左の目の下にタバコを押しつけた火傷が発見されて、病院の緊急処置室に運び込まれた。
6ヶ月後今度は右前腕の火傷で病院に運び込まれた。
幼児虐待が疑われて、政府は彼を家から引き取る事を決定して、里親を探したが、3ヶ所転々として2000年の7月にやっと里親が現れた。
3歳になっていたが、既にザッカリー君は精神的ダメージを負っていて、表現する能力は2歳の幼児にも満たなかった。
目を合わそうとはせず、部屋の隅でもじもじしていて、泣いて不満を訴えた。
しかしザッカリー君を引きうけた家族は、暖かい愛情を差し伸べ、更に充分な地域サービスを受け、彼は新しい人生を歩む事になった。
「今日は楽しく学校でやっているようです」とマールボロに住む里親であるキャスリン・リゾッティさんは言う。
今までは、臨床精神科医は幼児虐待、無視が発達期にある幼児の脳に、どのような影響があるかは想像するしか無かった。
しかし、最近の10年、その方面の神経科学的研究は大いに前進し、このような精神的衝撃が子供の脳にどのような影響、変化を及ぼすか、詳しい部分にまで分かるようになった。
これらの研究結果によると、肉体的、性的虐待、無視は発達期の脳に構造的にも化学的にも重大な影響を与える事が分かった。
児童福祉施設に入っている子供達の4分の3に行動的、学習的問題が生じているのが判明した。
ハーバード大学の精神科教授であり、ベルモントにあるマックリーン病院の生物精神医学研究室主任であるマーチン・チーチャー氏は虐待が引き起こす脳波異常を報告した。
ある子供若者専門の精神病院の入院記録を調べて、虐待の経験を持つ患者には54%の割合で脳波異常が見つかった。
それに対して虐待を経験していないグループでは脳波異常は27%の割合であった。
特に肉体的、性的虐待を受けた患者ではその割合が72%にも上昇していた。
「一般的に、虐待の度合いが激しい程、脳に加わる衝撃も大きい。
被害者と加害者の関係も重要であり、加害者が家族である場合は、神父とかベイビイシッターによるものよりダメージが大きい」
とチーチャー氏は言う。
研究によると、虐待は合理的思考をつかさどる脳皮質、あるいは記憶と感情の中枢である海馬にダメージを与える。
両分野は学習にも重要な役割をしている。
1998年に発表されたチーチャー等による論文によると、15人の重大な虐待を受けた子供と15人の健康なボランティアに対してブレインスキャンを実施し調べた。
結果は、虐待グループの左脳皮質に成長停滞が見られた。
又、イェール大学のダグラス・ブレムナー氏とカリフォルニア大学サンディエゴのマリー・スタイン氏の研究では、虐待被害者では左の海馬が健康な人に比べて小さいと報告している。
虐待は海馬ばかりでなく、感情の中心である扁桃体をも重大な影響を与える。
扁桃体とは、例えば急に曲がってきた車を避ける動作を命令するのが扁桃体である。
しかし虐待が重なると、危険が迫っているわけでもないのに、扁桃体は危険を知らせるシグナルを出すようになる。
「扁桃体に問題が生じている虐待児童では、ちょっとした事で恐怖を感じて後ずさりをする」
とヒューストンにある子供トロウマ研究所(非営利団体)の神経科学者であるブルース・ペリー氏は言う。
発達期の脳に対する強い精神的衝撃は、脳の化学物質の分泌にも影響を与える。
例えば、ストレスを調節するホルモンであるコルチゾルや重要な神経伝達物質であるエピネフィリン、ドーパミン、セロトニン等に変化が生じる。
これら物質のバランスに問題が生じると、障害が起きる。
例えば、虐待はセロトニンのレベルを下げる効果があるが、それは鬱や衝動的攻撃の原因になる。
オールストンにあるトロウマセンターで医学部長をしていて国際的にもトロウマの権威でもある、ベッセル・バンデルコルク氏は、プロザックのようなSSRIと呼ばれる抗鬱剤が、虐待児の治療に有効である事を認める。
しかし、薬は部分的に効果があるだけだとも言う。
「虐待と言うマイナスの経験に対して、プラスの経験を子供にさせる事が重要。
例えば、その子供に対して
『悲しい経験をしたね。おじさんもとても悲しんでいる』
と言うだけで、衝撃を受けた脳を回復させる事が出来る」とバンデルコルク氏は言う。
トロウマセンターで児童福祉の責任者であるアレキサンダー・クック氏はサリーと言う名の5歳の少女の治療を開始した。
彼女の父は彼女を性的虐待をした疑いで逮捕され、一家はマサチューセッツに引越しした。
サリーちゃんは気分の変化が激しく癇癪を起こしたり、1日3時間も泣いている事があった。
「サリーちゃんの受けた虐待、裁判で父親が彼女に性的虐待をしたと自分で証言したショック、引越し等が彼女の脳と体の神経伝達物質のバランスを変化させたのでは、と私は推論します。
彼女の扁桃体はシグナルを出しっぱなしになったのです」
とクック氏は言う。
クック氏はサリーちゃんの情緒を安定させる為に、癇癪を上手く爆発させる方法を教えてやった。
例えば、クック氏の事務所のテーブルの回りを走り回る時には、そのままやらせた。
そして、サリーちゃんにに紙の上にぬたくるような、めちゃめちゃな絵を書かせた。毎週面接をしながら4ヶ月経過した後、サリーちゃんは大分落ち着きを取り戻し、彼女の脳は安定から記憶処理向上へと移った。
サリーちゃんはその後激しい心の動揺を見せないから、彼女の脳回路は大分修復したとクック氏は見ている。
「動物実験では、新しい経験は新しい脳細胞を作り出すと報告がある。しかし、人間では未だ分かっていない」とボストン医科大学の小児精神科医であるグレン・サックス氏は言う。
残念だが、ザッカリー君やサリーちゃんのように特別な治療を受けるのは希であり、100万人の子供が毎年虐待を受けているにも関わらず、その10%以下の子供しか適当な治療を受けていないと、アメリカ健康福祉省が推測している。
「虐待を受けて大人になった人の脳は、壊れたコンピューターのハードドライブのように虫食い状態になっている」
とグリーンフィールドにある、虐待かけ込み相談所の責任者であるストロング・オーク氏は言う。
http://saito-therapy.org/new_finding/abuse_damage_brain.htm
【参考】■心理学講座「エディプス/エレクトラコンプレックス」 | 精神分析基礎1より
女児が父親に強い性的愛着を感じ,母親に嫉妬するのは「エレクトラコンプレックス」と呼ばれる。
男児の場合は,愛情の対象が母親のまま変化しないが,女児の場合は,はじめ母親に向けていた愛情がこの時に父親に移る。
女児は自分にペニスがないことを発見し,男児と比べて劣っていると感じる。(ペニスは力の象徴)
ペニスがないのは母親も同じであることを知って失望し,自分もペニスを持ちたいと願う。(男根羨望)
男児の場合は去勢不安からエディプスコンプレックスが終結するのに対し,女児の場合は男根羨望からエレクトラコンプレックスが生起する点で大きな違いがある。
http://x51.org/x/04/04/2928.php
エディプスコンプレックスには批判も多く、有名なものとしては
「それは外向的な人間に限ったもので内向的な人間においてはそれに限らない」
実際、エディプスコンプレックス理論は父性的な社会である西欧ではよく利用される理論であったが、母性的な社会である日本ではさほど感覚的に合わなかった。
また、エディプスコンプレックスは父親が強いという事が前提であり、ブロニスワフ・マリノフスキの「母権性社会」の話は、こういった事の反証として用いられる。
多くの学者が指摘しているが、強い近親相姦的欲望が多くの人にあるとフロイトが主張したのは、フロイト自身が母親との近親相姦的願望と父親への憎悪を自己分析によって発見したという点も見逃せない。
シングルマザーやワーキングマザーが多くなり、父親不在となった現代の社会では、エディプスコンプレックスの存在に懐疑を抱くようになった者も多い。
1980年代にはアメリカで記憶論争が相次いだ。
両親に性的被害を受けたなどの訴えが中心であり、フロイトの無意識の理論を忠実に掘り起こして行った問題の出来事と言われた。
1980年頃にアメリカでは、催眠などを用いた回復記憶セラピーにより、偽りの性的虐待の記憶(虚偽記憶/false memory)を植え付けられ、家族関係が崩壊し、それに加えて甚大な精神的苦痛を受けたとして、多くのセラピストやカウンセラーが訴えられ敗訴した。
これは精神分析への批判というよりも、フロイトの初期の理論を援用したある種の心理療法への批判である。
この時にもエディプスコンプレックスは実際の近親相姦などと比較されたが、患者の訴えと違い、実際にそのようなことが行われている例は少なかったと言われる。
しかし当時においては実際に多くの人が記憶回復によって、「性的な虐待をされた!」と親を非難したり、またそれによって家族が崩壊するような事が続発したため、精神分析自体に対する批判へとつながった。
このように実際の事件においてエディプスコンプレックスや近親相姦を元にする考え方は危険視された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%97%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
過誤記憶
精神分析の創成期にフロイトは、ヒステリー患者の心的現実(mental reality)に着目したが、やがて近親姦の記憶などを訴えるクライエントが彼の予想をはるかに上回って増えてきたために、「こんなに近親姦が多いわけがない」とフロイトの中で理論の撤退が起こり、かつて彼が心的現実と呼んだものは幻想(fantasy)へと変化していった。
このプロセスと似たようなことが、1980年代以降のアメリカにおいて繰り返される。
家庭内暴力や近親姦の被害を訴えるクライエントたちに、一部のカウンセラーがアミタールなどの催眠系薬物を使用する催眠療法である回復記憶療法(RMT:Recovered Memory Therapy)を用いて、無意識の中から抑圧された記憶(Repressed Memory)を引き出し、意識の上に回復された記憶(Recovered Memory)として置きなおすことによって諸症状を治療しようと試みた。
1988年、エレン・バスとローラ・デイビスの共著『The Courage to Heal』(邦題『生きる勇気と癒す力』)のなかで、女性の原因不明の鬱は幼少期に受けた性的虐待の記憶を抑圧しているからである可能性が高いから、虐待されたと感じているなら虐待されていると主張するべきである、ということが述べられた。
これが発端となって、アメリカでは多くの女性クライエントが、引き出された記憶をもとに、加害者である家族(近親姦をおこなった父など)を被告に相手どって法廷闘争をくりひろげるようになる。
『Trauma and Recovery』(邦題『心的外傷と回復』)の著者として名高い精神科医ジュディス・ハーマン(Judith Herman)なども原告側の立場に立ったが、司法の場は彼女たちに冷たいとあるていど予見していた。
これに対して被告側の弁護に立った認知心理学者エリザベス・ロフタス(Elizabeth Loftus)が、「ショッピングモールの迷子」という実験をおこない、クライエントの訴える近親姦の記憶は、セラピストやカウンセラーが捏造した事件をクライエントに植え込んだものであると主張し、原告たちの一連の訴えを偽記憶症候群(にせきおくしょうこうぐん:FMS:False Memory Syndrome)と名づけた。
また、虐待加害者として訴えられた親たちも、このロフタスと連動して、症候群の名前に基づいて1992年、偽記憶症候群財団(FMSF:False Memory Syndrome Foundation)を設立し、財源的にも裁判を有利に闘っていく体勢をととのえた。
ロフタスの実験
実験「ショッピングモールの迷子」とは、家族から聞いたほんとうのエピソード3つに、ショッピングモールで迷子になったという虚偽のエピソードを1つ加えて、被験者がその4つともほんとうの話だと思い込むようになるかどうかを試すものである。
その結果、被験者の4分の1が、植え込まれた記憶もほんとうの自分の体験だと思い込んでいることを示した。
しかも、偽りであるはずの記憶は非常に詳細であり、のちにこれが偽りであった事を知らされた被験者たちは皆驚いたという。
この実験に基づいて、家族という密室で起こった虐待などの犯罪を、司法の場で追及しようとした原告たちは敗訴し、原告たちから抑圧された記憶を引き出したセラピストやカウンセラーは莫大な賠償金を払わされることになった。
また、これによって回復記憶療法も用いられなくなり、2000年までに完全に行なわれなくなってしまった。
現在の評価
法廷での実験のように、治療者がクライエントに捏造した事件を過去の外傷として植え込むことはできないとしても、クライエントが診察室で語ることすべてが、物証主義的観点から事実であるかといえば、そうではない。
限りある診察時間で治療者の理解を得ようとするあまり、自らが受けた被害を象徴化したり、簡略化したり、ときには拡大・誇張して述べることはあるであろう。
また、語っているうちに事件の脈絡を変えて、自分を気の毒な被害者として扱ってもらおうと努力することもあるであろう。
稀なケースとして、健忘(amnesia)の対極にある過剰記憶(hypermnesia)や作話(confabulation)が起こる場合もある。
しかし、これらは何ら、クライエントが過去に受けた外傷を「否定」するものではない。
むしろ、なぜ記憶の叙述に関して、そのクライエントがわざわざ労力を使って、それら誇張や作話を行なっているのかに、臨床的な関心は向けられるべきであるとされる。
もっとも、誇張や作話が行なわれるときには、クライエントの意識状態の変化や、神経系統の随伴症状が伴うので、臨床家がそれを見逃すことは現実的にあまりないが、それでもなお事実関係の審理は司法の仕事であって、臨床家は叙述の真偽を見極めるのが仕事ではない。
以上のような現在の評価がありながらも、前述したように回復記憶療法は停止されている。
外傷性のある出来事による記憶障害は精神障害の診断と統計の手引きのPTSDの診断マニュアルでは確認されるが、FMSのような症状は認められていない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E8%AA%A4%E8%A8%98%E6%86%B6
今も生きるフロイトの影響
今も、アメリカには40位の精神分析医を養成する機関があるが、それ以外の一般社会では、フロイトは科学と言うより文学の人物として取り扱われている。
去年、ニューズウィークはある特集で、ダーウィンは今でも科学的妥当性を保っているのに対して、フロイトとカール・マルクスはその世紀は終わったと述べた。
フロイトの評価が最低にまで落ち込んだのは、多分1990年代の始めではないであろうか。
その当時、女性はテレビのトークショーに出て、子供時分に受けた性的虐待をしゃべったものだ。
子供時分の性的虐待とは、フロイト的手法により無意識から探り当てたものであったが、これがフロイトを窮地に陥れた。
このような場合、彼は何時も両方の立場支持するような言い方をする。
性的虐待をしたと非難を受けた親や兄弟の側に立つ人達は、フロイトが抑圧された性的虐待の記憶が神経症の原因になると言う、デタラメな理論を打ち立てたからとフロイトを非難した。
一方、性的虐待を受けた人達の側は、フロイトが臆病にも社会の圧力に負けて、幼児期の性的虐待の記憶は単なる子供時代の空想であると前言を翻したと非難した。
「フロイト派の精神分析医に女性を送るのはナチにユダヤ人を手渡すのとあまり違わない」
とグロリア・シュタイネム氏が当時言っていた。
フロイトの評価は未だ少しも改善していない。
抑圧された記憶をめぐる論争の結果、何十年も封印さえていたアメリカ議会図書館の中にある膨大なフロイトに関する文献が、専門家に公開された。
それにより、フロイトの嘘を裏付ける文献が次第に出てきている。
彼がしたとされる治療例の殆どが、希望的観測と意識的作り話の所産であり、彼の理論は循環論法の汚水溜めの上に成り立っているのが証明されつつあるのだ。
フロイトの理論を裏付ける為の、脳スキャンを含む各種の科学実験は、未だ始まったばかりであり、結果は出ていない。
「残念ながらフロイトが言った事は全て嘘であった。
こんな事を言うと裏切りになるが、エディプスコンプレックスからペニス願望、幼児期のセックス等、全てが間違っていた」
とフロイトの伝記を執筆しているピーター・クレイマー氏は言う。
一体どれほどの嘘曝露にフロイトは持ちこたえるであろうか。
シカゴ大学のジョナサン・リア-は、フロイト理論の中心コンセプトである、人間は基本的に葛藤していると言う考えが今の社会にも影響力を持っていると指摘する。
この葛藤は、欲望やら本能から出で来るものだから、水面下に隠されている。
欲望が親とのセックスを意味しているとは考えたく無いであろう。
何故なら我々はそんな欲望を認めるわけには行かないからである。
精神分析とは、この葛藤が何か別のシンボルの形を取って出現してきた時にそれを指摘して、解消するのが仕事であるとリアーは言う。
例えば、エンドルフィンと言えば沈静を意味し、性急な人を”frontal”と呼ぶが如くで、ちなみにfrontalとは前頭前野皮質を意味し、衝動を抑える重要な脳の部分である。
http://saito-therapy.org/new_finding/freud_inour_midst.htm
精神分析は死んだ
恐らく歴史上の著名人でフロイトほど自分の言った事が全て誤りであった人物はいないであろう。
フロイトファンにとっては1990年代は最も屈辱的な時代であった。
タイム誌はその表紙で「フロイトは死んだか」と大見出しを掲げた。
以前精神分析の本拠地であった”ニューヨーク書評”でさえフロイトを単なる思想家と酷評した。
1990年代はフロイト戦争の時代であり、精神分析運動の終焉でもあった。
2000年はどうなったか。
2000年はフロイトの”夢分析”が出版されてから100周年にあたり、フロイト派の人には勝利の年になるはずであったが、事実は祝賀どころか敗北であり葬式となった。
だから精神分析は21世紀になる前に終わっていたのであり、このタイム誌の問いかけに対する答えは
「そう、精神分析は実際に死んだ」
なのである。
知識人の中に莫大なお金と時間を使い、エゴ追求に身を費やした人が沢山いた。
これだけの努力を費やすと、おいそれと精神分析から身を引けない。
何故なら彼らは精神分析やその本の出版で名声を得ているからである。
今までに精神分析関連の膨大な書籍が出版され批評、論評、レクチャーも行われた。
しかしどれ一つとしてフロイトの限界を指摘したものは無い。
もちろんフロイト支持者も精神分析を止める気持ちは毛頭無いから、フロイト産業はそのまま生存し続けた。
フロイトは彼独特の世界にいる。
恐らく歴史の中で彼ほど自分の言った事の全てが間違っていたのは彼を置いていないはずである。
彼に幸いであったのは、精神分析の専門家が今もってフロイトの間違いを取り繕おうとしている事である。
しかし門外漢である一般読者は既にフロイトの築き上げた壮大な嘘に驚愕しているのだ。
フロイトの間違いの中で、20世紀中には分らなかったが21世紀には発見できるのは何であろうか。
フロイトは明らかに事実をでっちあげている。
例えば彼のコカイン使用を擁護する態度とその変遷や、患者アンナOに関する日和見主義的意見、誘惑理論に関する考え方の急変、彼の患者について語る時に毎回言っている事が変わる事実等、枚挙にいとまが無い。
例えばフロイトの患者の1人である狼男ことセルギウス・パンケジェフを調べると良い。
フロイトは彼を治したことにしているが、実際は彼はその後も60年間、精神分析を繰り返している。
当然ながらパンケジェフはフロイトに人生を駄目にさせられたと言っている。
又、フロイトは”暗示”を頻繁に言うがその割には暗示を真剣に扱って無い。
それ故に彼の臨床の報告の信憑世が怪しくなり、結果的に彼の理論を疑わしいものにした。
1890年の時点で既にこの”暗示”が多くの人に疑われていた。
暗示とは彼にとって都合の良い言葉であるが、暗示を受けるのはその体質的傾向がある人だけであり、彼の考えはおかしい。
このような疑いが既に存在していたにも関わらず、フロイトの言葉巧みな否定とその後の彼の名声の前に埋もれてしまった。
そして今、我々はもう一度出発点に戻った。
もう我々は過去の記憶だとか自由連想などを信用しない。大体こんなものは心理分析医と患者の馴れ合いの合作なのである。
そしてもう一つ、無意識理論がある。
無意識はフロイト全盛期には頻繁に使われた言葉でありフロイトが発見した事になっているが、これは嘘だ。
彼を溯る事かなり前に無意識が既に語られている。
キリスト教徒に乗り移った悪魔、分裂を引き起こす催眠術、18~19世紀の二重、三重人格者、ビクトリア時代の文学作品に取り入れられた「二重」テーマ、今日ではくだらないハリウッドの映画の筋書きにあるいは心理療法にと皆無意識が取り上げられている。
この一連の流れを見ると、精神分析の霊媒(この場合は牧師、分析家、あるいは怪しい医者)が無意識を調べて心の暗い秘密の部分に到達できると主張しているのが分る。
そうだろう、貴重な代価を払えば我々の心の悪魔を追い出してくれるかも知れない。
しかし精神分析による治癒なんて言うものは悪魔払いの祈祷と大して違わなく、無意識世界と言う不確かな実体を信じ込む作業に過ぎない。
信じるの信じないのと言う議論になると、それは又暗示の世界に戻る。
現在での暗示効果は医療で良く使うプラセボ(偽薬)でありそれ以上のものでは無い。
しかし精神分析はカルトのようなものだから、人間の被暗示性を治療の為に利用するべきと強く我々に迫る。
カール・クラウスが随分前に述べているように、精神分析とは心の病を治すと言いながら、実際はそれ自身が毒になっている。
言わば欧米の魂を女性の男性器願望、エディプスコンプレックス、死の衝動等で汚染したのは精神分析そのものなのである。
このような精神分析流の考え方は何処かにあったものでは無いし、世界で何処にも存在しない。
正にフロイトの創作であった。
http://saito-therapy.org/new_finding/psychoanalysis_dead.htm
まあ、エディプスコンプレックスはデタラメだったけど、近親相姦の話は殆ど本当だと考えた方がいいですね。
■フロイトの罪~セクシャル・アビューズ~
ヴィクトリア朝時代に「精神分析」を提唱したジグムント・フロイトは、「勇気ある先駆者」だと思います。
この時代は、厳重なキリスト教的・社会通念により、性的な話題を出すことが禁忌でした。
そんな風潮のなか、フロイトは性的欲望に関する学問への切り口を与えました。
性的嗜好に関して初めて分類したのも、彼です。
彼は人間の意識には
「超自我」と「自我」、
「エロス(生に対する欲求)」と「タナトス(死に対する欲求)」、
「リビドー(欲動)」
などがある、と説いています。
フロイトはヒステリー(解離性障害・PTSD・パニック障害などの神経症)の原因が、抑圧と性的原因にある、と提唱しました。
が、彼の言は、後に性的虐待(sexual abuse セクシャル・アビューズ)を子供の願望によるものとし、20世紀後半になるまで、虐待を受けた子供達を苦しめることになります。
ヒステリーのある女性には幼児期に性的な体験があり、これを引き起こすのが「エディプス・コンプレックス」だとはフロイト言いました。
「エディプス・コンプレックス」はギリシャ神話のオイディプス神話が由来です。
__________
テバイの王ライオスは息子に殺されると予言を受け、妻・イオカステが無理矢理生んだ息子――つまりオイディプス――を山の中に捨てます。
オイディプスはコリントの王に拾われ、成長しました。
が、オイディプスは「父を殺して母と結ばれる」と託宣を受け、両親(育ての親)を殺したくないとコリントから出奔します。
道中、ある老人に出会い、道を譲る譲らないで喧嘩になってしまい、オイディプスは老人を殺してしまいます。
実はこれが、実父のライオスでした。
オイディプスがテバイにやってきた時、丁度テバイはスフィンクスに苦しめられていました。
オイディプスはスフィンクスを退治し、王として迎えられ実母・イオカステと結婚してしまします。
ところが数年後に疫病が流行り、オイディプスは「ライオスを殺した者を探し出し追放せよ」という託宣を授かります。
ライオス殺しの犯人を探そうとするオイディプスに対し、預言者・ライオスが「おまえがライオスの息子」と告げられ、知らず知らずのうちに父殺しと母子相姦を起こしていたことを知りました。
オイディプスは両目を潰してテバイを去り、イオカステは自害してしまいます。
_________
フロイトは、最初は心的外傷(トラウマ)が女性をヒステリーに陥らせているのだと思いました。
が、親の罪――ひいては、男の罪――を認めたくないのか、オイディプス神話が人間の普遍的に抱いている願望だと感じ、その幻想が娘に実父や義父・親戚などを誘惑させたのだと論破しました。
彼は、幻想は人間の無意識が造り上げるのだと説き、幼児には親と近親姦をしたい欲動があるから、親との情事の幻想をつくるのだと説きました。
つまり、娘が無意識の欲動により、父親を誘ったと言いたいわけです。
この発想は、うつ病者にカウンセラーが
「うつ病ではなく、それはあんたのわがままではないのか」
とか
「あんたはうつ病ではない」
と言うのと同じです。
これは、ドクターハラスメントです。
二次虐待を受けた女性は、傷を深くします。
現に、フロイトの診察を受けて治っていない人がいます。
「自分が悪いから、あんなことになったんだ」
と女性のなかの子供は自分を責めていたでしょう。
幼い子供は親に支配されるものです。
子供にとって親しか頼れる人はおらず、親元が安全な場所なのです。
だから、親から虐待を受ければ、深い傷を受け、居場所を無くしてしまいます。
性的虐待を犯す父親は大人として未熟です。
幼児性愛やストレスなどにより、力でもって子供を踏み躙ります。
それに対して母親は弱い人間で、何も言えない母親は夫と娘の関係を見守るだけです。
娘を女だと思って嫉妬したりする母親は、娘を罵り父親とともにさらに傷つけます。
父親などの絶対者に
「これは夢だからね」
とか
「お母さんや他のひとに言っちゃだめだよ」
などといわれたら、子供は従わずにはおれません。
こうして虐待は繰り返され、子供の傷は深く、潜在化していきます。
幼い頃に受けた心的外傷はその人の人生を崩壊させます。
被害者(サバイバー)は人間不信に陥ってアダルトチルドレンとなってしまい、酷い場合だと自殺してしまう可能性もあります。
また、幼い頃に受けてしまった傷を、人間は知らず知らずのうちに繰り返してしまったりします。
虐待の現場が夢となって何度も現われ、またずっと続く現実に子供自身が順応してしまい、まるで愛人のような慣れた様相を見せてしまうこともあります。
傷がトラウマになった事象を人生に再現させたりします。
が、傷が子供の自我をねじれさせてしまったために起こったことで、子供の真実の本意ではないのです。
性的虐待は未熟な大人が起こすものです。
子供は被害者です。
どうか、そのことを忘れないで下さい。
そして、被害を受けたひとは、なにも汚れていないです。
自分を責める必要はありません。
また、過剰な精神分析は危険です。
信頼できるカウンセラーの力を借り、ありのままの自分を取り戻すため、嘆きと癒しの仕事を行なってみてください。
フロイトが提唱したことは真実を得ているところもあります。
性的虐待と心的外傷の関連性を発見したことも、彼の抜きんでたところでしょう。
が、彼が性的虐待だと気付きながらも、目を反らしたのは、過ちだというほかありません。
http://d.hatena.ne.jp/toyouke/20050427/1114594274
9 名前:きち 投稿日: 2004/05/07(金) 23:18
すごいといえば、30年代の名張ぶどう酒事件の村のようなフリーセックスとかもすごいですね。
10年ほど前、仕事で3年ほど住んでいた僻地の村では近親相姦やら夜這いもどきやらで全校50人ほどの中学に知的障害の生徒が8人もいました。
でもこの事件も周りの人が何時間も待っていたというのが笑えますね。
12 名前:あんず 投稿日: 2004/05/08(土) 23:17
日本は近親相姦(父→娘)が多いのはどうしてだ?
と外国人に聞かれたことがあります。なんでも彼の周りだけでも
4人の日本人の女性がそういう過去があるそうです。
そういう話を聞くと病的で嫌悪感を感じますが、もしかしたら日本は昔そういう奇習が普通(と言ったら語弊がありますが)だったのかもしれないですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1073909229/
奇習! 嫁も娘も父親の性奴隷になる近親相姦村 ― あまりに無慈悲な“男尊女卑”の習慣とは?
http://tocana.jp/2017/12/post_15260_entry.html
本人の意思を無視した状態で、親兄弟の命ずるがままに、政略結婚をはじめとする女性の“望まない結婚”がしばしば行われてきたことからもわかるように、日本ではいわゆる“男尊女卑”の時代が長らく続いていた。無論、そうした時代においては、女性の人権を無視しているとしか思えない理不尽極まりない習慣も、少なからず存在していたのである。
「なにせ、女は一生、その家の家長の奴隷のようなものだったからね。今じゃとても考えられない状態だよ」
かつて、甲信越地方のとある地域にのみ存在していたという、その奇妙な習慣について語るのは、同地域の出身だという辺見健三郎さん(仮名・82)。辺見さんの話によると、当地では男性の発言力があまりに強大で、女性たちはその生涯を通して、男性に命じられるがままに理不尽極まりない要求を受け入れるだけの人生を強いられていたのだという。
「まず、あのあたりじゃ、女房たちはひたすら旦那に傅く人生を送るのだけれども、それは家事や労働といったことだけじゃなくてね、夜の営みもそうでさ。全部、旦那が決めた通りにやらされてね、文句ひとつ言うことすら許されない。いかも旦那を満足させられなかったら、その場で平手打ちにされるっていう。本当に酷い話だよ」
身の回りの世話はもちろんのこと、夜になれば夫の性奴隷のように扱われ、ひたすら奉仕を求められるという当地の人妻たち。夫はそんな妻を虐げ、ただひたすらに自分勝手なセックスを繰り返すだけだという。だが、こうした災難に見舞われるのは、なにも妻だけではない。その妻との間にできた娘たちもまた、同様の憂き目に苛まれ続けるのだ。
「嫁さんだけならばまだしもね、娘たちにも手をつけるんだよ、あのあたりの男は。あの、なんていうの?“親子どんぶり”っていうのかな。娘もその母親もとっかえひっかえ自分の営みにつきあわされるっていう。それこそね、亭主を真ん中にして川の字になって、とっかえひっかえ楽しむだなんていう鬼畜も珍しくないわけ。だからあの当時、世間一般じゃ男の子の方がね、跡継ぎになるっていって喜ばれたもんだけど、あのあたりじゃ逆でね。娘が生まれた方が喜ぶんだよな」
妻を自らの性奴隷とするだけでなく、その娘でさえも、理不尽極まりない性交渉の相手にしてしまうという、当地の男たち。辺見さんの話によると、それが“古くから続く習慣”であったがゆえに、誰一人文句を言うことはなかったというが、当地の女性たちの胸のうちを思うと、なんともやりきれないところだ。
(取材・文/戸叶和男)
近親相姦タブーと性的境界
人間の性行動の調査をするときには、「性の秘密」という厚い壁に阻まれてしまい、その実態をつかむことが非常に困難であります。そこで、近親相姦タブーの問題を考えるにあたって、そもそも人間はなぜ隠れて性交するのかという問題から考えてみたいと思います。
人間に近い動物であるサルは、堂々とみんなの見ている前で性交するのですが、最近、野性のチンパンジーの観察で非常に興味深いケースが報告されています。これは、極めてまれなことなのですが、群れの中で地位の低いオスが隠れてメスと性交していたというのです。観察によると、どうやらみんなのいる所で性交していると、地位の高いオスが割り込んできて、メスを横取りされることがあることから、それを避けるために隠れて性交しているらしいのです。これは、人間の性行動を考えるうえで、非常に示唆に富んでいると言えましょう。つまり、隠れて性交するということは、地位の低いサルであっても、子孫を残すチャンスが得られるということです。サルの観察でも、弱い者同士が群れを離れて別の群れを作るというケースも観察されています。ですので、おそらく人間もこれと同じように、弱い者同士が集まって、なるべく平等な集団を作ろうとしていく過程のなかで、性交もお互いに隠れてすることによって、子孫を残す機会を平等に分け合うようになったのではないか、というふうに私は推測しています。そして、隠れて性交することによって、メスとの継続的な夫婦関係や、夫婦の持ち物としての「家族の財産」といった観念が発達していったのではないかと思われます。つまり、性は公開すべきものではなくて、プライベートなものであり、隠すべきものであるというふうに位置づけることによって、そこから個人の所有の観念や、夫婦や家族などの観念が発達していったのではないかと思います。
人間の社会にも、かつて二百数十年くらい前までは、乱交社会というのが現実に存在していまして、あの大航海時代にキャプテン・クックが初めてタヒチ島に上陸したときには、そのあまりのありさまに、ビックリ仰天しているのであります。そして、彼等が島に上陸したときに非常に困ったことは、露骨な誘惑もさることながら、島民には「所有」という観念が希薄だったということです。ですから、個人の所有物であろうと何であろうと、みんな勝手に持っていってしまい、それで島民との間でトラブルが多発することになったのです。西洋から来た人たちにとって、これはまさに泥棒行為そのものなのですが、島民にとっては何でもないことだったのです。このような所有の観念があまり発達しなかった背景には、やはり乱交による性の共有というのがあるのではないかと思われます。集団のしきたりとして、特定の異性とだけ性交することが許されず、頻繁に相手を変えて性交しなければならなかったのです。しかし、このような乱交社会であっても、若いうちはいいのですが、歳をとってくるとやはり特定の異性に愛着を持つようになるようでして、なかでも地位の高い人たちには夫婦のような関係になることも黙認されていたようです。このような乱交社会というのは、現代の我々の社会と比較すると、興味深い事がたくさんありますので、これはまた別の機会に書くことにします。
さて、このような所有という観念も、発達の仕方がいろいろとありまして、それが性的な関係にも色濃く反映されることになるのです。たとえば、その最たるものに、家族の財産を誰が引き継ぐのかということがあります。男が代々財産を引き継いでいくのが父系社会であり、女が引き継いでいく場合が母系社会となるのです。この、両者の間には、性関係のあり方にも大きな違いがあるのです。たとえば、父系社会では、男が家の財産を継いでいきますので、生まれてくる子供は間違いなく父親の子どもでなければならないのです。妻が浮気をして作った他人の息子では困るのです。そこで、間違いなく妻に自分の子どもを産ませるために、いわゆる純潔だとか貞操観念だとかいった性道徳が発達することになるのです。そして、たとえば、結婚するまでは処女でなければならないとか、女は男を産んでこそ一人前の女であるとか、性的に活発な女はふしだらな女であるとか、そういったさまざまな価値観が、父系社会を支えるために発達していくのです。
しかし、母系社会では様子がだいぶ違ってくるのです。女性の場合には、自分の子どもというのは、当然のことながら自分自身が産むわけですので、父系社会の父親ように、本当に自分の子どもなのかというような疑いを持つ必要はまったくないのです。ですので、子どもの父親がどこの誰であろうと、自分で産んだ子は、疑いもなく自分の子どもなわけです。このようなことから、母系社会では性に関しては全体的に開放的な傾向が見られるのです。そして、女が財産を継いでいきますので、産んだ子が男ですと「ハズレ」ということになってしまうのです。そして、女は女を産んでこそ一人前の女となるのです。
このようなことは、民族によって風習やしきたりなどがさまざまなのでありすが、おおざっぱに言いますと、父系社会と母系社会にはこのような違いがあるのです。しかし、母系社会だからといってかならずしも女が威張っているわけではなくて、なかには、女は男の前を横切るときには四つん這いにならなければならないというような、非常に変わったしきたりのある母系社会もあるのです。
さて、このようにして人間はさまざまな文化や性道徳を発達させていったのですが、では次に家族内での性関係はどうなのかという事について考えてみたいと思います。なぜ近親者の間では性行為や、婚姻関係を結ぶことが禁止されるのかという、いわゆる近親相姦タブーの問題です。これにはいろいろな説がありまして、だいたいみなさんは、すぐに遺伝の問題を思い浮かべると思いますが、どうもこの説にはあまり説得力がないのです。たしかに近親婚を繰り返すことによって、遺伝的に問題を持った子供が生まれる確率は高くなるとは思われますが、それは統計を取ってみて初めて分かることでして、乳幼児の死亡率が非常に高かった時代においては、死亡の原因が近親姦によるものなのか、病気などによるものなのかを区別することが不可能だったからです。では、現在では、近親姦による遺伝の問題はどうなっているのかというと、研究者によって非常に大きなバラツキがありまして、現在においても確かな事は分かっていないのです。たしかに、両親が最初から遺伝的な問題を抱えている場合には、それが子どもに遺伝していくことになりますが、そういう場合を除けば、おそらく今の高齢出産の危険率と同じくらいではないかという人もいますし、いや、もっと高いはずだという人もいます。相手が人間ですので、実際に交配して実験してみるわけにも行きませんので、おそらく危険率は高くなるだろうとは思われますが、それがどれくらいの数字になるのかということはまだよく分かっていないのです。しかし、歴史を振り返ってみますと、たとえば古代のエジプトでは、きょうだい婚による王位の継承が何代にもわたって続けられて、かのクレオパトラもそのようにして生まれてきたわけですし、クレオパトラ自身も実の弟であるトレミーと結婚しているのです。そして、遺伝的には何の問題もないのです。インカ帝国においても14代にわたってきょうだい婚が繰り返されましたが、健康上の問題は起きていません。その一方で、ヨーロッパの王家は、近親婚による血友病という遺伝的な問題を抱えていて苦しんだようです。
では近親相姦タブーはなぜ存在するのかというと、いろいろな説がある中で、「社会化」説が一番説得力があるのではないかと思われます。これはどういうことなのかといいますと、家族の外部の人と結婚することで、親戚が増えることになりますので、このような社会化によって、たとえば農作業などの人手が必要な時に、親戚同士で助け合うことが出来ますし、食べ物やお金に困っているようなときには、お互いに融通し合うことも出来るのです。このように血の繋がりを家族の外部の人たちに解放することによって、みんなから社会の一員として受け入れられることになるのです。しかし、これを拒否して閉鎖的な近親姦をしていますと、それは社会化への拒絶となりますので、このような反社会的な行為は忌み嫌われることになるのです。しかし、これとはまったく逆に、強大な権力や莫大な財産を持っている人のような場合には、親戚が増えれば権力や財産が分散してしまいますので、古代エジプトのファラオのように、近親婚を繰り返すことで、自分たちの独占的な利権を守ろうとするのです。そして、近親婚を、王に許された神聖な婚姻であるとして、それを正当化したりするのです。
このように、社会化がタブーの背景にあることから、そのタブーの範囲をどこまでとするのかということも、その社会の文化や価値観によって違ってくることになるのです。そこで、まず日本の現在の状況について言いますと、法律によって、直系の血族と、傍系の血族で三親等以内の人との結婚は禁止されているのです(備考欄に条文掲載)。ここで直系というのは、たとえば自分の両親、祖父母、曾祖父母というふうに、親をさかのぼって行ったり、あるいは自分の子ども、孫、ひ孫というふうに子どもをたどっていったりする、上下の垂直の血の繋がりのことで、これは何親等であろうと禁止されています。さて、ちょっとゴチャゴチャしてきますが、次の傍系というのは、直系の人たちの兄弟姉妹や、そこからさらに先に伸びていく血の繋がりのことを言います。たとえば、自分自身の兄弟姉妹との関係はどうなるのかと言いますと、これは直系ではなくて傍系ということになるのです。そして、何親等になるかと言いますと、親等の数え方は、私-親-私の兄弟姉妹、というふうに血の繋がりをたどるときに、一度親のところに戻って、それから兄弟姉妹のところに行くという数え方をしますので、2親等ということになります。そして、法律ではこの傍系の血の繋がりについて、3親等以内が禁止の対象になっているのです。
私 ------------ 0親等
私の両親 --------- 1親等(直系)禁止
私の兄弟姉妹 ------- 2親等(傍系)禁止
兄弟姉妹の子である甥や姪 3親等(傍系)禁止
さらにその甥や姪の子ども 4親等(傍系)結婚可能
ということになりますが、いくら法律上は結婚可能であるとは言っても、その年齢差を考えてみるとどうなんでしょかね。そこで、自分の年齢に近い線を探るのであれば、親のルートをたどることになります。
私 ------------- 0親等
私の両親 ---------- 1親等(直系)禁止
私の祖父母 --------- 2親等(直系)禁止
その子、つまり両親の兄弟姉妹 3親等(傍系)禁止
さらにその子、つまり私のいとこ 4親等(傍系)結婚可能
ということで、いとことなら結婚できることになるのです。もしも、自分に配偶者がいるときには、配偶者の両親などは、血族ではなくて「姻族」というふうに呼ばれ、姻族については、直系についてだけが禁止の対象になっています。ですので、たとえば妻が亡くなった時は、夫は妻の妹と結婚することもできるのです。しかし、妻の母親、つまり義母は直系の姻族ということになりますので、結婚はできないのです。こういった、結婚できるかどうかという問題については、その他にも離婚や再婚をした場合とか、養子をもらった場合とかに、いろいろと複雑な組み合わせが発生してきますが、そこまで突っ込んで調べていくと、私も疲れてしまいますので、このへんでやめときます。
さて、このような、何親等までの結婚を禁止するかということは、それぞれの国によって違いがありますし、時代によっても結婚できる範囲が揺れ動いたりすることもあるのです。なかには、非常にまれなケースではありますが、近親婚や近親姦が社会的に容認されているところもあるのです。たとえば、シエラ・マドレ山脈に住むインディアンの間では、農作業の事情と経済的な理由から、今でも父と娘の近親姦が普通に行なわれているそうですし、ジャワのカグラン族では母親との近親姦は繁栄をもたらすとされ、カシス族では母と息子の間以外であれば問題なく結婚でき、東アフリカのタイタ族では、経済上の理由から、息子が母や姉妹と結婚することがよくあったそうです。しかし、これらはあくまでも例外的なものでありまして、ほとんどの社会では、近親婚や近親姦はタブー視されているのです。
この近親婚を禁止しようとする圧力の源となっているのが、先に書きましたように社会化という事なのですが、このことは個人レベルについても言えることでして、個人の社会化、つまり個人が精神的に成長していって、社会的な自立を達成するということでもあるのです。もしも、近親者の間で性行為が行なわれたりしますと、親離れや、子離れが非常に困難になってしまい、それが子どもの精神的な成長を妨げることにもなるのです。ですので、ほとんどの社会では、近親者の間に、何らかの境界を設定して、性の秩序を維持しようとしているのです。昔は性の秩序がルーズだった社会であっても、いわゆる「近代化」の波が押し寄せると共に、性の境界が明確にされる傾向があります。そして、このような性の境界の明確化は、同時に近代的な自我の確立を目指すものでもあるのです。
たとえば、最近の日本では、性の乱れが指摘されることがよくあるのですが、近代化以前の性風俗を見てみますと、今の若い人たちには信じられないようなことが、ごく普通に行なわれていたのです。なかでも特に有名なのが、「夜這い」と言われる風習ですが、知らない人もいるかと思いますので、簡単に説明しておきます。これはおもに農村部で全国的に広く行なわれていたことなのですが、年頃になった娘のいる家に、夜中になると村の若い男が忍び込んでいって娘と交わるのです。昔の農村の家の作りは、ごく簡単なものであり、とくに戸締まりもしていませんので、そっと忍び込んでいって、真っ暗やみの中で娘の寝ている布団を探し出して、そこに入り込むのです。若い娘のいる家では、自分の娘の性を村の男たちに解放しなければならなくなるわけですが、もしも拒否したりしますと、村八分ということになって除け者にされてしまい、村に住んでいられなくなってしまうのです。このような夜這いは、嫁選びという意味もありますし、過酷な農作業の合間におこなわれる楽しみのひとつでもあったのです。このような村社会における女の性というのは、男たちの共有財産のように位置づけをされていたのでが、こうすることによって村の連帯感強め、水争いや百姓一揆のときなどに、団結して行動できるようにするという意味もあったのです。しかし、ここには当然のことながら、人権とか、性の自己決定権とかいうものはありません。たとえば、各地にいろんな風習があったのですが、新潟県の三条市の周辺では、明治のはじめころまで「盆かか」という風習が残っていたそうでして、お盆の三日間だけの妻になる人を、くじ引きで決めるのです。男たちは、組み合わせが気に入らないときには、男同士で互いの相手を交換する交渉をしていたそうなのですが、女性には変更する権利は、一切認められていませんでした。
他にも、地方によってはフンドシ祝とか、腰巻き祝とかいうのがあって、親戚の年長者が若者に性の手ほどきをするとかいうのもありますし、あるいは、若い男たちが夜這に行って恥をかかないようにということで、年配の女性たちが神社などに集まって、若者に性交の実施教育をするというようなことも、地方によっては行なわれていたようです。あるいは、結婚していても、厄落としと称して、祭りの時などに夫も婦も見知らぬ人と交わったりするような風習もあったようです。ほかにもいろいろな風習があるのですが、農村部でのこのような性的にゆるんだ環境下では、おそらく近親姦もそれなりに行なわれていたのではないかと思います。全体的に言えば、子供の父親が誰なのかということにあまりこだわらないような、母系社会的な雰囲気が背景にあって、もしも父親の子どもでないことがはっきりしているときには、「祭りの子」などと言って済ませていたようです。しかし、このような淫靡な風習は、明治時代から始まる近代化の波が押し寄せるて来るに従って、しだいに消滅していったのです。
そして、近代化と共に、「近代的な自我」の確立が求められるようになっていくのですが、これはつまり、人間としての、あるいは個人としての、自立した精神の確立が求められるようになって行くということなのです。社会においても、家庭の中においても、性の境界が設定され、性のプライバシーが尊重され、性の自己決定権が尊重され、そして個人の人権が尊重され、精神的な自立が促されるようになっていくのです。しかし、これは一つの理想でありまして、人間の心の中には、暗いドロドロとした欲望が渦巻いていたりしますので、時には歪んで屈折した心が、陽の当たらない場所で、毒々しい悪の花を咲かせたりすることもあるのです。
しかし、1970年代にアメリカで「性革命」と呼ばれる性の解放運動が起こり、それと共に、今まで家族の秘密として厳重に隠され続けて来た近親姦の問題も、その暗いベールが剥がされて、社会の表舞台に登場することになったのです。そして、虐待的な近親姦の悲惨な実体も、世間に知られるようになっていったのです。
http://homepage1.nifty.com/eggs/jitai/incest/2taboo.html
奇祭、奇習、世の中には沢山ありまして、面白半分という部分はあるのですが、実際に知っていくとですね。口が段々重くなります。近親相姦、精神疾患、遺伝病の発症の理由、村の中での奇習を隠すための排他主義。私もちょっと見てみたんですが、何といいますかね。今まだ残る人に対して、困ることになるんじゃないかと。
私は特に、幼い頃から、「えたひにん」と呼ばれる人たちの生い立ちや生き様、「部落」と呼ばれるところの部落からどう脱していくか、そして、現在、口が裂けても言われないけれど、ある施設の近所の子供に対する「差別」を追っていった事がありました。それを専門に勉強したかったんですが、あまりに、悲しい事実があるので、私も知りうることに関して、口が重いことがあります。けれど、実地でそういう人たちの話を聞いて周った(はじめた当時の私はまだ、8歳くらいでしたかね)ので、口も重くなります。
どうしてここに、社が建つのか。どうしてここに、こんなものがあるのか。どうしてここにこんな施設があるのか。
紐解いていけば紐解けるのですが、だからと言って、残された人たちが、すっきりはっきり白状できない理由も、あるのです。
何度でも話に上がっては来ると思いますが、触ってはいけない問題もあるということで、やったやってないは関係ない世界があるんです。それを、個だけを尊重して尊んで美談にしようとすると、村全体が悪くなって、誰も嫁に来なくなってしまったり、後を取る人もいなくなったり、廃村に持ち込まれたりします。あなたは、掘り下げようと思うとき、全ての人の利益を考えて発言してください。
どさくさにまぎれて行ったことは、全て、美談にならない洒落にならないものばかりなんです。
http://blog.goo.ne.jp/nekotech/e/ff1deb2cfcd8c62ed0dced78d7521f04
38 :本当にあった怖い名無し:2012/05/25(金) 22:29:31.57 ID:izmPJ9ba0
おれの出身は軒数20くらいの山間地。苗字全部一緒だった。本家とかあったし。 母さん(違う地区から嫁いできた)が
「ここらは近親相姦してたところだから、あんたらが障害を持ってたり奇形児じゃないか心配だった」
っておれが大人になって教えてくれた。 昔はうちの地区はみんな苗字一緒なんだぜって変な自慢してたけど、それ聞いて背筋が寒くなった。
そこかしこに無縁仏はあるし、葬式の時変な儀式してるし・・・
今思えば不気味だな。
93 :本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 01:52:54.80 ID:KAZVh3tz0
東北の父の実家で、知り合いはみんな意味を知らない謎の風習があるんだけど…。
お盆の頃になると赤い布でぐるぐる巻きにされて布に風車をいっぱい刺したボロボロの小さめのお地蔵さん?を設置する文化がある。
お地蔵さんは本当年期入っててボロボロだけど、かろうじて表情はわかる。優しそうな感じで笑ってる。多分女性。
お盆の頃になると道を挟んだ村の墓地の目の前にある、ため池みたいな場所にでかい慰霊碑があるんだけど、お地蔵さんはその前に設置される。 お地蔵さんは道を挟んだ向こうのお墓の方を向いている。
慰霊碑にはとある戦没者の名前が書いてある。石碑の前にはお地蔵さん以外にも小さな石碑?が5,6個ある。 小さな石碑は季節関係なくある。梵字みたいなのが読めるけど意味はわかんない。これはお地蔵さん位古くて字が読めない。
ため池前の戦没者石碑の前にある梵字石碑の中に布ぐるぐる巻きのお地蔵さんを置く。これがお盆の光景。
で、このお地蔵さんはお盆が終わると山奥の川に流すらしい。流したらどっかに保管するらしい。どこに、誰が保管してるかは知らない。
お地蔵さんは父の実家では”ミズコ”と呼ばれてる。他の家ではなんと呼ばれてるか知らない。
なんで布を巻いて風車を刺して慰霊碑と梵字の中に置いて、どうして川に流してどこに誰が保管するのか、この風習に何の意味があるのか、こういう風習は他の所でもやってるのか。誰か心当たりがあったら情報おねがいします。
97 :本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 02:20:52.11 ID:BNdhvcKO0
>>93-96
一般に「水子」と言えば、死産・流産などでこの世に生れなかった子供のこと。
赤い布は産着、風車は子供の玩具だから(恐山の賽の河原でも見る光景)、
普通に考えると水子を供養する儀式なのかなと思うけど……。
「地蔵を川に流す」というのがちょっと引っかかる。
土地の由来を知らずにうっかりしたことは言えないけど、 明治ぐらいまで、貧しい地域にはいろんな風習があったからね。
98 :本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 11:08:13.64 ID:Zn97AIuu0
石の地蔵様が川に流れるというのはよほど地蔵が小さいのか
川が急流なのか
ドボンと沈むイメージから離れられんな
99 :本当にあった怖い名無し:2012/08/17(金) 14:29:01.63 ID:TpDgFTby0
古事記でもなり損ないの子は(葦舟にのせてだけど)、流し去られたよね。
101 :本当にあった怖い名無し:2012/08/18(土) 13:59:59.32 ID:kel8ZOeO0
「日本書紀」に弟橘姫の入水という話があって、弟橘姫は日本武尊の后で海神の怒りにあって波が荒れ船が進めないときに海に身を投げてその怒りを鎮めた場所は走水の海で現在の浦賀水道
面白いことに三浦半島の大浦山洞窟遺跡で弥生時代中期の人骨が発見されたが
骨には刃物で肉をそいだ跡があり、人肉食の風習があったことが疑われている
もしかしたら荒波を鎮めるための儀式的なものである可能性もあるかも
「三浦洞窟人バラバラ死体のミステリー」
http://homepage2.nifty.com/raputar/kansama1-4.htm
102 :本当にあった怖い名無し:2012/08/18(土) 14:18:28.46 ID:Pzw4Mv+N0
ヒルコはイザナギとイザナミの国産みで最初に生まれた子で出来が悪いとして流された
これは女神であるイザナミが最初に声をかけて子をなしたためと「古事記」にはあるけど
この男尊女卑的な神話は後代の中国の影響を受けているという説もある
ヒルコが流れ着いた場合はエビス神に変質したりする
祝福された漂着物といった意味合いか またエビス神は漁業の大漁を象徴したりもする
ただエビス神の性格は複雑で素性をたどるのは難しい
殺生を嫌う仏教の影響は少ないのではないかな
103 :本当にあった怖い名無し:2012/08/18(土) 14:21:14.82 ID:XHLHC4nn0
>>98
お地蔵様は30cm、梵字は20cm位です。川は一部の人しか知らない川らしいです。
>>99
父が水難事故の子供の供養かもとも言ってました…。
本当に古い土地だから謎の場所とか言い伝えが多いので、分かる方がいて安心しました…
104 :本当にあった怖い名無し:2012/08/18(土) 15:27:39.14 ID:tLucQCE00
水子は民俗学のほうでだいぶ研究があるな
現在のような水子供養の概念というのは人工妊娠中絶が盛んになってからのものでかなり新しい 特定宗教が新手の金集めのために始めたという話もあるくらい
昔の間引きや、石を抱いたりしての子堕ろしと現代の妊娠中絶が最も異なる点は、間引きなどは集落において容認されていたという点かな
ある程度の年齢の子がある日を境にいなくなったとなれば、集落内でははあやったか、とすぐにわかる
それに対して現代の妊娠中絶は人に知られぬ個人的な行為だから、どうしても罪悪感を個人で引き受けるしかない
「現代日本の水子供養」
http://www.ne.jp/asahi/time/saman/index.htm
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1333464457/
2005/3/4 東北地方の方に質問です。
東北地方は近親相姦が多いって本当ですか?
近親相姦で産まれたって人います?
なるべく方言で答えて下さい。
ベストアンサーに選ばれた回答
ま、聞いた話だけど…
たげにちゅーふうふがいて、そこのわらはんどがたげやべーったかんじらしくて、
まわりのふとだばみな、あそこのふうふだっきゃきょうだいでねーんずなってへってらったってや~
というのはありました。
ID非公開さん
私の地元は漁師町ですが近親相姦の話は結構聞きます。
実際、異性との出会いが少なくて ついつい船小屋でやっちゃったとかね。
殆ど、身内同士で船に乗って作業しているところが多いし、個人の漁師は。
近親相姦で生まれた子供は、色素が薄く白人のように、髪の毛も白に近い金髪です。
私の同級生にいました。
12535640さん、津軽人?もしくは平内あたり?
実は、わーも津軽だよ。
___
ID非公開さん
事実多いですね。
一昔前の話ですが、群馬 、新潟、山形、福島など山奥の集落が有名です。
アメリカほどではないですが。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q103245165
65 名前:ロキ 投稿日:2006/01/06(金) 18:36:53
今日は僕は都内に住む30代の会社員です。現在結婚し子供もいます。
カズさんのHP見てビックリしました。 実を言うと私の実家も先祖代々近親相姦をしている家系だからです。秋田県の場所は勘弁してほしいのですが某村大字何某には今でもそういった風習が残っています。
何故その集落に近親相姦が風習として存在してるのか?というのは昔平家の落人の兄妹が先祖で、追っ手から逃れる為に隠れ近親相姦によって子孫を増やしたからです。その兄妹は集落の祠に奉られています。それから私の実家の村は標高がかなり高くその為稲作が出来ない程寒い為、裸でお互いに暖めあって夜を過ごす事もあり、今でも麓まで冬の燃料を買いに行く事は大変で、その風習は続いているようです。
私自身姉と母との近親相姦を経験していますが、私自身は自分の家族と同じ様に近親相姦をする気はありません。ただこの様な近親相姦がその土地の文化として又生活として残っている事実を知って頂きたくて此処に書きました。
私の実家は現在姉が家を継いでいます。姉には現在男の子二人と女の子が居ますが、長男の父は実父です。姉の旦那は同じ集落の男でその事も知っています。その村は15軒ほどの小さな集落で血がとても濃く、姉の旦那も又従兄弟になります。
村の人間は結構地所を持っているので今でも結婚して他所の家が入るのを嫌う傾向にあるのです。ですが色んな人間が言うほど奇形児や遺伝子病はないです。甥っ子も親子の子ですが全く普通です。唯昔から子の出来ない夫婦は全く出来ず。私の居た頃は少なくとも半数がそういった夫婦でした。そういった場合は村の男が種付けをしに行くのです。又未婚の女性が腹を貸しに行くこともします。
近親相姦や乱交では常識のある人から見たらとんでもない事ですが、今思うとその社会の中には其れなりの情や雰囲気があったと思います。
今年の正月にですね。田舎に家族つれて遊びに行った時のことです。家の小2の娘がですね。
「おばさんとお兄ちゃんが裸で抱っこしてた。」
って言うんですよ。朝六時頃娘が遊んで欲しくて小6の甥っ子探しにいったんですね。さすがにその時は私も戸惑いましたが、姉に話したら少し反省していましたが。妻には私の事は話してますので少し困惑していたようです。
現在私の実家には小学生の子供が5人中学生が2人高校生が3人しかいないそうです。そういったなかでする相手も少ないというのが理由の一つだと思います。私も大学に進んだのが切欠で村を出たのですが、矢張り女性がいっぱいいれば其方に興味を持つのが普通だと思います。事実私も大学を出てからは、母や姉との行為はしていません。姉や母も不思議とそれを受け入れてくれてます。
近親者や村の人間との行為は、その村の持つ雰囲気や情が関係あるのでしょう。今田舎に帰っても私とその家族は部外者であるように思えます。昔の友達と酒を飲んだときも私の昔の事についてはあまり触れなかったし、又今の事も語ろうとはしませんでした。唯結婚の話は別で友達は現在39歳ですが新しい嫁さんを貰ったと紹介してくれました。17歳でした。世間体があるのでまだ籍には入れてないそうですが、彼にとっては二度目の結婚で最初は19歳で農協の職員をしている時に36歳の未婚の母と結婚しています。実父の子供だったと思います。
世間では淫行ですが私の村では人が少ない故に結構こういう事が普通にあり、むしろ近い世代で結ばれることの方がラッキーなのです。姉の長男は現在15歳ですが23歳の娘とお付き合いしているそうです。
田舎ってすることないから子どもたちがみな早熟で、初体験を済ませる年齢が低いっていいますよね。暇をもてあまして、身近にいる親兄弟とセックスをしだす、っていう現象もあるんですかね。ですが、さすがに全部の田舎という事は無いと思います。私自身聞いたことはありません。
唯この様な事は普通外部には話しませんのでもしかしたらとは思いますが。もし性的にオープンな村で世代を超えた性交流があり、人数の少ない隔離された集落があれば、可能性はありますね。なんとも言えませんが家の村もそうでしたから
私の村はどちらかと言うと「家族でザーメンを楽しもう」というより、「家族で暖まる」といった感じでした。実際私の村では性行為を「燃す」と言います。心の中の嫌な物を燃やし元気な気持ちを燃え上がらせると言った感じですか。
「えのぎだなぁ」
と言う言葉がうちの村ではよく使いますが、意味は家が暑いという意味で
夜中喘ぎ声が多く聞こえる家は多く燃える=暑い=景気が好い。
という意味から金銭的に豊かな事もさし、近親相姦がけっして世間で言う悪いイメージではなかったように思えます。
「おがはんおじげあねがっこおめさままだね」
と言う言葉がありますが、味噌汁、漬物に身内を例え好きな子を主食であるご飯に例え、近親者との肉交よりお前の方が良いと言うある意味恋人への最高のほめ言葉になっています。
「ひながのばっち」
これは悪い意味で使われることが多く例えばお酒が止めれない人が「酒はひながのばっちだ」と言うようにやめようと思っても中々止められない時に使う事です。婚期を逃してしまうほど両親と末っ子の情交は凄まじくそれを比喩しているのでしょう。
76 名前:ピス・メンス 投稿日:2006/02/12(日) 20:04:15
ロキさんの話を読んでいて、最近の大雪のニュースで、孤立した村落が話題になりましたが、もしかすると、あの村落や周辺でも近親相姦をやっているのでは?と思いました。 実際には、どうなんでしょうね? あの辺りは
77 名前:ロキ 投稿日:2006/02/14(火) 19:52:31
うーんどうでしょうかね。あの辺の地理は確かにわが村に似ていますが・・・
例えば交通事情とかがですが。私の場合既に村を出ていますのでたとえ匿名でもカミングアウトできたのかもしれません。私の経験では実際に近親相姦をしている人は、独特の恥ずかしさがあり中々外部の人には話したがらないのです。
分かり易くいうと、身近に手ごろな異性がいない為自分の身内や年の離れた異性と性行為をしているのですから、交通事情が発達したとしてもバスで30分以上町から離れていれば友達も、ましてや恋人もでき難いものです。又高校進学時に村を離れ下宿する子も少なくありませんが。その頃には村の人情や性が身に付いてしまい、多少不便でも通えるのであれば村に帰ってくる子も多いです。
そんな中で普通に恋愛してセックスする子に引け目を感じたりするのでしょうか。大人もやはり犯罪行為になるような事や一般人から見れば倫理観からかけ離れた事をしている訳ですから自ずと口はかたくなるのでしょうか。
ピス・メンスさんももし娘さんと体験する様になれば分ると思います。
78 名前:ピス・メンス 投稿日:2006/02/17(金) 00:29:51
もし、娘ができ、近親相姦を行うに当たって、色々心配なことがあります。
まず、そもそも、娘が体を許してくれるかどうか。
もし、許してくれても、その後、精神に影響を与えないのかどうか。
中には、精神分裂症に陥ってしまうのではとかですね。
ロキさんの村では、いかがだったでしょうか?
80 名前:ロキ 投稿日:2006/02/18(土) 20:37:04
そうですね。近親相姦というのはやはり雰囲気が大事かと思います。ピス・メンスさんのご家庭が何より性に対してオープンである事が必要かと。いきなり襲うのは娘さんも嫌がるでしょう。
私の場合は横で両親がセックスしていた事で興奮したのを覚えています。私の姉の場合もそうだったと思います。精神的な影響は私の村では無かったと思います。たとえ親子でも普通の異性と同じ感覚なのでしょう。外部に隠したり引け目を感じたりするのは世間の倫理観とのギャップの問題だけだと思います。
私も叔母との経験があります。34歳の叔父が亡くなった時当時42歳の叔母の所へ行き。父と一緒に叔母を抱きました。私の村では後家さんや奥さんをなくした旦那を親族が身体で慰める風習があるのです。叔母は私の身体の上で叔父の名前を呼んでいました。懐かしくも悲しい話です。
叔父はとても優しく幼い時は可愛がってもらいました。村の中では近親相姦といってもアッケラカンですよ。そんなに問題はないです。
http://jbbs.livedoor.jp/movie/108/storage/1013361373.html
みんな隠しているけど部落では父娘相姦が基本
裏には裏の道があり 2011/2/25(金)
たまたま1月に新年のご挨拶ということで、工藤会系の事務所へ足を運んだ時、いろんな人と出会って話をさせてもらいました。その中にA氏はいました。
A氏は田川市の出身。部落差別の中で気が付いたら893のご職業をされているということだった。
残念ながら筑豊地方や北九州市内というのは無数の部落が存在している。15歳になって中学を卒業すると当たり前のように働きに出るのだが、もちろん仕事が無い。
部落出身ということを隠してうまく就職できても結局、後からバレてクビになる。
男性の場合はかなり働き口が狭いので、多くの人間が余ってしまう。それでしょうがないから裏社会へと入ることになる。
そちらのことはまた追々。今回は女の子の方の話。
とりあえず15歳になって中学を卒業したらお水商売の世界へ入るのが半ば、常識のようになってしまっている。在日の経営するパチンコ店などに働きに出るのもいいが、正直、稼ぎが段違いなのですぐに辞めてしまうという。
そのA氏は斡旋をする仕事をしてる。
中洲がもちろんメインではあるが、大阪の飛田新地、名古屋、札幌、東京などにも顔が広く通じていて、15歳になった女の子を広く斡旋しているということを話してくれた。
部落の地域だと常識なんて無い。 我々の考える常識とはかけ離れた世界がそこには存在している。暗く・・・絶望と悲観と・・・
A氏が、15歳になった少女と出会い、話を聞いてみると、
初体験は小学生の時で、部落の中でも何度も何度もレイプされたり、
時には父親にレイプされたり、祖父にレイプ、義父にレイプされたり、
さらにその全員に順番にレイプされたりして育つ。
ちょっとキレイめで可愛らしい子になると、15歳の時にすでに男性経験は500人というとんでもないのもいるのだそうな。
だから、中学を卒業したばかりの女の子に声をかけると、喜んでお水で働きたいと言うらしい。今までは襲われてもただ快楽を得るだけで、お金にはならなかったが、これからはセックスが金になると知って喜ぶのだそうだ。 私にはまったく信じられないが、それが部落の世界なのだそうだ。
15歳でいきなりソープデビュー。15歳という若さで本番ありということだから、料金は8万でも10万円にも設定しても客は殺到するという。ほとんど中学生のような少女と金を払えば合法的(?)にセックス出来ると聞いて金の使い道に困っている男達は群がる。1回10万円でも1週間に30回の予約を入れた強者もいたらしい。凄過ぎる。
本人の取り分は半額。それでも、中学を卒業したばかりの少女が1年でもの凄い金額を稼ぎ出す。
さすがにまだ本番までは抵抗があるという少女の場合はお触りだけのピンサロやキャバクラで働く。ソープにはかなわないが、やはり中学卒業したばかりの女の子がってことで固定客はいっぱい付くからなかなかの収入になるという。
入った金で整形をして綺麗にして、うまくいけばAVにでも出てまたそれなりのお金を稼いで部落出身の男と結婚してはすぐ離婚、また結婚してはすぐ離婚を繰り返す人生を送る。
娘が生まれると金になるってことで、金が欲しい父親は娘をレイプして子どもを産ませたりする。男の子だとガッカリし、女の子だと大喜びする。
私が出会ったことがある女性は、祖父との子どもを産み、義父との子どもを産んだことがあるって平気な顔で話してくれたから、驚いたことがありました。
精神病を患っている人も部落にはたくさんいて、産まれてくる子どももまた精神病に。
A氏が話してくれた悲惨な女の子の話。
産まれてすぐに精神病と分かり、父親が育児放棄。母親は自殺。
その後、祖父母が育てたが、小学校に行く頃からさらにおかしくなり、いつも下着姿でその辺を徘徊したりしてどうしようもなかったという。
で、部落の大人の男性たちが毎日レイプ。
集団で次から次へとレイプ。
中学生ぐらいの年齢の頃には2人の子どもがいたという。
そんな年齢でも服を着ないでその辺を徘徊しているものだから、男性が寄ってきては普通に道端でレイプされているとのこと。誰も止めないし、いつもの光景といった感じ。それで次から次へと精神病を患った子どもが出来たという話を聴いた。
A氏が言うには、その少女は部落の人間に毎日レイプされるためだけに生きている、とのこと。
なんだろうね・・・・悲惨を通り越して、言葉が出なかった。
A氏が言うには、そんな精神病患者でも植物を言われた通りに育てることぐらいは出来るのだそうだ。だから、大麻を育てさせては、少ない生活費を渡すということが行われているのも普通のことなんだそうな。たぶん、それが大麻だと知らずに育てるんだろう。育てるとお金がもらえるから一生懸命育てる。普通だったらおかしいと思うが、残念ながらそう思う回路を持っていない。
そんなことを繰り返しては、A氏は少女と大麻で組の中でものし上がっていったそうな。
やはり経済力を持った893は上からも当然重宝されるし、金を山ほど持ってる構成員は出世も早い。
「にいちゃん、金に困った時はいつでも電話ちょうだいな。金ならいくらでもあるからいつでも助けてやるわ」
って、にやっとしながら話してくれた。
「大丈夫、金には困ってないから」
そう伝えると、またにやっと笑いながら奥の部屋へ入っていった。
http://blogs.yahoo.co.jp/canon_beginner/64016850.html
俺の住む地域では近親相姦は珍しい事じゃない
少し昔では夜ばいもあったそうだ
しかし近親相姦といってもイトコ程度でキョウダイや親子での関係は珍しい
やはり子供が出来てしまい血が濃くなる事が心配だからだ
しかし俺は娘達と・・・
長女が中二の時から今、高校一年で次女が今年中二になり長女の目を盗み短い時間ながら次女とも交わる様になった
そして長女に目撃されてしまった 風呂に入っていると思っていたが突然 扉が開き次女の胸を舐めている姿を見られてしまった
長女はそのまま黙って自分の部屋に
俺は慌てて長女の部屋に行き言い訳をするが泣いている
しばらく長女を抱きしめていると次女も部屋に
その日から昔の様に三人で風呂に入り三人で寝る様になった
嫁が死んで5年なんとか子供達と仲良く出来ている
部落の中で新しく嫁を世話をしようとするが俺は今の生活が気に入っている
http://nan-net.com/kinshin/bbs/res/1/BV-5_Mm/
1 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 04/01/06 20:23 ID:1jTpa9z0 [1/2]
昔の部落では近親相姦はあたりまえだったらしいが
どのあたりまでの近親と結婚(妊娠出産)してたのかな?
46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/05(水) 06:00:37 ID:aSvyzTk9O
部落では今でも父娘相姦は多いらしい。父が娘を無理矢理…みたいな。
ソースは近所の部落民(37歳男性・公務員)からの酔った勢いでのカミングアウト。
http://mimizun.com/log/2ch/rights/1142686940/
159 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/15 00:18 ID:o2R4oq5j[1/1]
部落のものは親子が基本。
父親が娘を犯して子供が生まれ
その子を父親の私生児扱いにする例がけっこうあったそうだ。
110 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/22 16:38 ID:qgsZGHnG[1/1]
俺の父親の集落では近親相姦ともいえるような複雑な結婚が行われている(た?)。
叔父と姪が結婚したり、叔母と甥が結婚したり。
実際に障碍者も生まれているし。
本当に山奥の集落だから昔からそういうことが行われているのかもしれないけど(信号機が一つしかないw)
周りを見渡せばほぼ全戸が夫婦の親戚という恐ろしい所があります。
113 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/22 19:58 ID:aIeCyok0[1/1]
狭いバラックに大人数が暮らしていたため
嫁が妊娠しても誰の子供かわからなかったらしい
旦那が留守のときは平気で親父や兄弟、近所の男がまぐわっていた
http://logsoku.com/thread/tmp2.2ch.net/rights/1073388229/
61 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 09:04:27.48 0
児童虐待の報告書みたいなの読んだんだが
地方(部落?)によっては祖父や父親が小中学の娘とやるのがあたりまえの所があるんだよね
子供もそれが普通と思わされてるし
54 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 08:45:56.29 0
近親相姦があると遺伝子的に病気に弱くなる
近親との性交を好む遺伝子を持った人は死滅したから近親との性交を好まない人が増えたんじゃないかな
56 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 08:57:20.54 0
>>55
田舎特に古い家柄だといとこ同士なんてあたりまえ
田畑財産流出させないためにな
おれの実家もそうだが確かに障害リスクはある
57 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 08:58:08.01 0
むしろ田舎の方がそういう近親相姦婚多いよ
63 名前: 名無し募集中。。。 投稿日: 2012/05/03(木) 09:05:53.96 0
村社会だと女の子が生まれた時点でまんこは村の共有財産って考えあるからね
http://blog.livedoor.jp/samplems-bakufu/archives/51344448.html
サンカ生活体験記 11
行き帰りに色んな事を聞いてしまったので、姉娘に上にかぶさってこられ、自分のラッキョウを入れられてオシッコをジャッとやってしまった私は、もうすっかりおどおそしきっていた。 すると、五銭玉を一つとっている手前か、年下の私が脅えたみたいにすくんでいるのに、
「女ごはな、初潮(サソヒ)があるまでは、まんだ子供で、女ではないから、兄妹でもママゴトにはする」
娘は慰めるつもりか、父親が名古屋へ下駄の歯入れ屋をしに行き、母は津島へ注文の箕を届けに小さな子を二人連れていって、誰もいなくなった日。私を山陰へ連れてゆくと、そこで、「マグモノリ」とよぶ、謝国権の「LOVE」みたいな事を、人形の画でなく実地に教えた。
「タチ・クラ・ネ」という言葉は今でも、はっきり覚えている。「オタチ」というのは、今はレズビアン用語だが、その時は娘が下になって片脚を私の左右の肩に担がせるみたいに置き、そして抱えて持ち上げるみたいなやり方。
とてもラッキョではそれでは挿入できず、あてがえるぐらいだったので、次はクラだった。これは私が下になって、娘が上からおおいかぶさる前と同じ型で、またオシッコをかけられてはと、娘はこれは恰好だけで次は「ネ」だった。
私は左を下に叢に寝かしつけられ、娘は右を下にして、今言う横行位で、これはそのままで一回転して背向位と変わるのだが、これを繰り返して十回ぐらいは、ずっと続けねばゆかぬというのである。
「マスラ」と呼ぶのが正常位だが、これは男が疲れるから仕事に差し支えるゆえ、女からは求めてはならぬし、三十から五十歳までといった掟まであって、殆ど女上位体勢が一般的だったらしい。
向こうはオシッコの洗礼で懲りていたろうし、私は、もし見つかったらという心配から、その時もあてがうきりで挿入まではしてなかった。というのは、その前日の事だった。娘のすぐ下の弟と、その下の妹が、玩具もなく遊ぶ事もなくなったせいでの真似だった。
「天道(アノ)さんは、天(アマ)から見てるぞ。両親(カドイロ)の真似をしたら、生命がないぞ!」
母親のガナリ声がした。 運悪く現場を見つかってしまって、二人は厭という程まで叱られ、木太刀で打たれていた。 したがって、子供は絶対に両親の真似などしない事になっている。また、それは一人立ちして暮らしている親の特権であって、セブリを持たない者は決して誰も真似などしてはならない事として、厳しく教えこまれているのである。だから、私はとても恐ろしかったのである。
ゆえに、いつ母親が戻って来て見つかって、自分も箕作りの木太刀で叩かれるかと気が気でなかった。まだ五銭玉を私が持っているのを知っている娘は、あわよくばもう一枚せしめるつもりか、すっかり恐怖からその気を喪失して縮こまっているものを手に持ちそえて挿入しようとするのだが、私としては、その時はとてもそれどころではなかった。
娘の話では、初潮がある以前なら差し支えないから、父親が実地に性教育するセブリもあるそうである。今、ヨーロッパで父娘相姦が流行しているそうだが、その点はこちらが先進国である。他人と違って、父なら無理のないように優しく性教育もできるというものである。
なにしろ、週に一度は娘も伜も親達から徹底的に奥の奥まで調べられる。もし、発育不全で婚礼が駄目になってはクズシリ様にも申し訳がないし、核家族の先鞭をつけ、セブリは夫婦だけという暮らしでは、もしも「行かず後家」となってしまった娘を背負い込んではどうにもならない。
だから、一度縁づけたら万事そつなくやってゆけるように、差し障りのない初潮前に、タチ、ニ、ネから始まって四十八手をみな教えこんでおくのが親の責任でもある。だが、子供どうしでは遊びで終わってしまって学習にはならぬから固く厳禁されているのであるらしい。
他に娯楽はないから雨天や仕事のない日は、日に十回も繰り返す夫婦も多いが、別に恥ずかしい事ではないので、客が来ても子供に見られても、途中で止めるという事は、まぁ絶対にない。
私も姉娘も並んで、ヨシ夫婦の実演を何十回も、組んでほぐれるところを見てしまったか判らないほどである。テレビもない時代だし、夫婦は他にする事が別になかったせいだろう。
http://www.rekishi.info/library/yagiri/scrn2.cgi?n=1012
俺は62才同居の兄貴は64才兄貴の嫁は48才、といっても俺と兄貴の共通の嫁で俺が34才の時に20才で兄貴に嫁いできた。
俺の部落は全部で17世帯で全部姓は同じ、皆親戚になってる。 熊本県と大分県の県堺の町で最近三つの町が合併した、山奥深い部落なので昔から親戚同士の結婚でよそ者はいない。 昔から女は少なく男は多くてあぶれた男のために夜這いは普通に行われてきた、村の全員が黙認してきたので生まれてくる子供も誰の子かよく分からない。 村全体の授かり子として大切に育てられた、当時兄貴が嫁をもらった時も俺の嫁でもあった。
嫁は少し頭が弱かったけど働き者で兄貴と俺の嫁として この年まで頑張ってる。 子供は直ぐに続けて3人産まれたがその頃の夜這いの男も数人いたから本当は誰の子供か分かっていない。 3番目に女の子が産まれたが3人共母親の血を引いて頭が弱かった。 頭が弱くても村では仕事はなんぼでもあって差別なく生きていけた。
3人の子供が成長して大人の仲間入りしたが、それほど広くない家で兄貴と俺と嫁の行為を自然に見てきた子供達にとって家族同士で行うセックスに問題など感じなかったのはしかたのないことだった。
夏の夜、上の二人の男の子が母親にのしかかっているのを見て兄貴も俺も黙って許した。 狂ったように大声上げて腰を使いながら射精を繰り返す子供達に嫁も又狂ってしまい狂乱の声を上げ続けた。
隣りの部屋をふと見ると、娘が全裸でトロンとした目で母親と兄たちの行為を見ながら 右指を膣に入れて出し入れしていた。
俺は兄貴の顔を見ると兄貴の形相が変わり娘をジッと見ている、あっ兄貴は犯るかなっと思った。 俺も変になりかかってた、兄貴と顔が合った 引きずった顔でニャっと笑った。 俺も下卑た顔でうなずいた、兄貴が俺の前を通って娘に近づいた。 目の前を兄貴の太く長いチンポが揺れながら過ぎると俺も頭が白くはじけた。
娘に兄貴が被い被さると娘は甲高い声を上げた、俺が近づくと兄貴のチンポが娘を貫いているのが見えた。 そのままギシギシと攻めて膣から流れる愛液で兄貴のチンポがテラテラと光った やがて娘がウーンと唸って失神した。
兄貴がチンポを抜いて俺と交代した、俺もたまらず娘の膣にぶち込んだ。 あったけー 気持ちえー 娘が再び声を上げだした、俺はあらんかぎりの力で腰をぶつけ続けた。
その頃になってやっと娘が処女でなかったことに気が付いた、そうか兄弟妹でオメコしてたんだ それで兄貴と俺が入れたら失神したんだ そう思うと納得した。
その晩 明け方まで父娘 母息子の乱痴気騒ぎは続いた。 その夜を堺に親子兄弟の縁はなくなった、雄と雌の関係になった もう止まらない。 初めて 俺と兄貴が娘を犯してからは毎晩親子 兄弟妹で破廉恥な淫虐プレーが続いた。
俺も兄貴も久し振りの若い女体に狂ってしまい年を忘れてチンポが疼いた。
今晩はもう無理だと自重しても目の前で兄妹 母と子供のセックスを見せられるとつい三便宝を仕込み俺も兄貴もチンポが勃起してきて、いつの間にか俺も兄貴も嫁や娘にのしかかっていた。
俺も兄貴も太く長いチンポしていたが息子達はもっと凄いチンポを持っている。
二人の息子は生まれつき頭が弱かったが嫁と兄貴と俺のセックスを子供の頃から見ていた所為か早熟でセンズリも早く覚えチンポはもの凄く大きかった。
その太く長いチンポで貫かれる嫁も娘も歓喜の声を上げ続けた。
朝起きて仕事に行く時は普通の家庭なんだが、夜になると皆 淫乱獣に変身した。 嫁も娘も俺 兄貴 二人の息子が代わる代わる射精する精液で種壺状態でトロトロ垂れ流し乾く間もなく次々にチンポを刺し貫かれた。
嫁と娘が上げるよがり声 呻き声 男達が上げる歓喜の声、接合部が発する淫乱音 部屋中に漂う精液の臭いで頭は痺れ口からは涎が垂れて このまま死んでもいいやと思えるほど気持ちが良かった。
数ケ月後 娘が妊娠した、誰の子が分からないが たぶん二人の息子のどちらかだろう。 その年 娘が男の子を出産した、訳ありの子なので近くの親戚が男の子を引き取ってくれた。 村の誰もが知っていたが 非難するものは一人もいなかった、むしろ貴重な子供の出生を喜んでくれた。
流石に嫁は妊娠しないが 俺達男は娘に二人目の子供を宿すため 今晩も喜々として種壺に仕込むだろう。
http://dokusin.art.coocan.jp/cgi-bin/coocan/dokusin/new-incest-dokusin-0202/new/yybbs.cgi?list=pickup&num=477#477
http://dokusin.art.coocan.jp/cgi-bin/coocan/dokusin/new-incest-dokusin-0202/new/yybbs.cgi?list=pickup&num=482#482
昔の風習で初体験パート 2010/09/11
両親が相次いで泣くなり、僕は叔母に引き取られた。
叔母には僕と同い年の高校生の娘と中学生の妹がいた。
亭主は浮気して女と一緒に暮らしている。
叔母に引き取られて驚いたのは、僕が入浴するときは必ず叔母も一緒だということだ。
叔母に言い含められているのか従姉妹達もなにも言わない。
毎日脱衣所で二人服を脱いで全裸になって浴室で身を清める。
叔母が僕の全身を洗ってくれる代わりに、僕も叔母の裸体全身を洗わなければならない。
僕は石鹸を付けたタオルで叔母の乳房を触りながら洗っていく、叔母の巨乳を合法的に触れるので、揉み捲くり石鹸の泡だらけの乳房の谷間に顔を埋め、大きい乳輪の真ん中にある乳首をすい続けた。叔母は拒否すらせず双方の乳房を揉ませ僕のエロ行為を受け入れていた。
僕が興奮して
「叔母さん、やらせて!」
と言うと、ローションを肉棒に塗りしごきだす、ヌルヌル感で僕は気持ちよくなり白いザーメンを叔母の肉体にかけてフィニッシュ。
風呂から上がると従姉妹たちから
「お母さんに抜いてもらったの?」
と聞いてくる。もう習慣になり普通の出来事なのだ。
叔母は僕の前でM字開脚しクリトリスを舐めるように促す。
おばの指示通りに舐めていくと、叔母が気持ちよくなっていった。
「弘司、女は此処を舐められると気持ちよくなるんだよ。
今度は穴の中に指を入れてごらん。」
膣の中に指を入れると叔母が一瞬痙攣した。
「それを前後に動かして・・」
膣の中で指をズコズコと動かすと叔母は激しく興奮し悶絶した。
「おばさん、やらせて。」
と僕が言うと叔母は勃起した肉棒を口に銜えフェラチオをして僕の精液を飲み干した。
僕は叔母に
「なぜこんなことをするの?」
と聞いたことがある。叔母は
「男になるための儀式よ。」
と言うのみ。高校生も3年になると叔母と一緒に寝るように言われ、数々の性的行為を二人でして、僕は叔母の愛人のようになって近親相姦寸前の関係を続けて、叔母からSEXについて教わっていた。
僕は高校生の従姉妹と海水浴に行った。
泳ぎ疲れて日陰で休んでいたとき、彼女から真相を聞きだした。
僕が生まれ育った町は、昔から男を大切にする。
だから初体験の相手にと頼まれたら女は嫌とは言えず童貞卒業の手伝いをすることが多い。
童貞を卒業した者は一人前の男として見られるからだ。
僕もその風習は知っていたので、僕はこの従姉妹と初体験を済ませ童貞を卒業させようと思っていたのだ。ところが僕の部落では少し違う、男が年頃になると近所の年増に頼み初体験の相手をしてもらう。
相手をする年増は大抵後家か亭主が出稼ぎに行った女房だ、男は童貞を捧げた年増に結婚するまで面倒見てもらう、詰まる話が性教育をしてもらうのだ。経験豊富な年増の女から色々と教わった男は結婚してから嫁との夫婦生活が円満になり家が栄えたケースが多かったという。
だから僕の部落では母親みたいなおばさんと初体験する例が多い、我が一族では当主の跡取りに適当な年増が近くにいなければ親戚の年増が相手をすることになっていたらしい。血が遠い程いいのだが大抵は叔母が努めた。
今よりも避妊に対しての意識も技術も低かったので、当然妊娠する場合がある、そのときは産むしかない。甥の子を叔母が産むのである。しかしその子は里子に出された。
だから僕は当主の跡取りになるので、当家の風習に則り叔母が初体験の相手になり結婚するまで僕と肉体関係を結ぶのだ。
僕は推薦入試で大学進学が決まった、年の暮れに叔母が僕を居間に呼び、初体験の儀式を行うと告げた。
冬休みの期間正月まで、両親が死んで不在となった僕の実家で二人だけで行うと言う、雪の積もった中を二人は実家へ、布団を敷き二人は全裸になりその中へ潜り込む。
二人はキスを交わす、舌を絡め禁断の情事の開始を告げる。
叔母に今まで教わったとおり豊満な乳房を揉みほぐし乳輪から乳首へ愛撫を施す。叔母も負けずに僕の裸体を嘗め尽くし、若い男の肉体をむしゃぶりつくす。
叔母が肉棒を銜えフェラチオをし甥の肉棒をしゃぶる。叔母は当時まだ40代の半ば、従姉妹たちにはない豊かな乳房を始めとして、美しい裸体に僕は酔いしれる。
「弘司、弘司、私と結婚したいでしょ、私の裸綺麗でしょ、弘司は私のことが好きでしょ。」
叔母はもう僕を甥ではなく男としてみてるらしい。
僕は叔母の美脚を広げさせM字開脚の状態で僕は顔を埋め、クリトリスを舐めクンニを始めた。叔母は余りの気持ち良さに喘ぎ声を漏らし、
「ひろーーーーしーーーーー好きーーーーーー」
と叫び僕を求めた。しばらく続けると潮を吹きシーツが濡れてしまった。
「弘司、弘司に対する気持ちが潮を吹かせたのよ、弘司は誰にも渡したくない、私の男にしたい。」
叔母は僕を抱きしめ僕に深い愛を示した。叔母は勃起している肉棒を膣の中に挿入し
「コンドームはいらないから、この中で出して。」
と妊娠覚悟で僕を迎え入れる。叔母の子宮目掛け僕は腰を振り肉棒をズボズボさせる。叔母に教わったようにFUCKモーションに強弱を付け時間を持たせる。
「叔母さん、そろそろ行くよ。叔母さんと一緒に居たい。叔母さんが好きだよ」
そう言いつつ激しく腰を振って肉棒を膨張させ頭が真っ白になると
「どぴゅ~~~~~~~」と膣の中で多量の精液が注がれていった。
正月まで実家に篭り、叔母と性の儀式を行い初体験は無事終了し叔母と肉体関係を続けることになった。
http://www.erotown.com/toupara/bbs/b01_1/index.cgi?mode=thr&no=2076
珍しくもない東北地方の近親相姦(フィクション)
○○家の秘密 投稿者:近親相姦 投稿日:2009/03/21(Sat) 19:08
私は東北地方の人里離れた部落に暮らす、30代後半の男です。
農協で働く妻恵美子と10年程前見合結婚し、婿養子に入りました。
隣に家を建ててもらい、金銭的には何不自由なく暮らしていますが、この地方地域部落の風土仕来たり、特に○○家の奇行には驚かされるばかりです。
近親相姦など珍しくもありません。性欲の強い男は暇さえあれば女を見つけ、己の欲望をみたしています。義理の父は60になりましたが、未だに性欲絶倫で、義理の母幸代50代を毎日容赦なく犯しています。男尊女卑。ここは未だ戦前の日本の名残、この部落は今でも女は男の奴隷です。
妻も近寄らない開かずの間に全裸で緊縛された義母
私はこの家に入り1週間でこの異常に出くわしました。義母は気立ての優しい働き者です。小柄ですが胸は大きくふくよかで、色気漂う熟女です。そんな義母は私にメイドのように振る舞い、初めはこんな山奥に婿に来てくことに恐縮しての態度だと思っていましたが、この家では女は男に尽くすことが何よりの喜びと教育され、家の仕来たりだったのです。
私はこの家に来た時から義母を異性として気にしていました。妻もあり新婚です。義理の父もいます。初めは良い夫を決めていたのですが、この家に入り1週間も経たぬ間に理性は吹っ飛び、義母を犯してしまったのです。
当時私たち夫婦は広い2階を、義理の姉がいるのですが、引き籠りの彼女が南側の1部屋を、大広間に台所客間、日の当りの悪い北側奥2部屋を義母夫婦が寝室に使っていました。
家は古いのですが田舎ですから部屋は広く、義母夫婦の寝室も2部屋を引き戸で仕切り、手前の和室だけでも20畳はあったと思います。この家に来て間もない私は分からなかったのです。
その日私は義母に用があり、義母を捜すうちに妻も近寄らない開かずの間を開けてしまったのです。雨戸の閉まった薄暗い部屋には、裸電球が灯され中央には大きな三角木馬が置かれ、奥を見渡すと古木で作られた十字の磔台が、その横には鉄格子の牢が設けられ、中には全裸で緊縛された女が放り込まれていました。
その一糸纏わぬ全裸の姿は、女の秘肉こそ見えない状態でしたが、大きく垂れた乳房は縄で縛られ熟女を強調していました。義母のあられもない姿です。よく義父は義母を弄び、そのまま部屋を閉めて山に入ってしまうのです。きっと帰ってきてからまた義母をいたぶるのでしょう。
縄で片足を大きく開かされ、オマンコは丸見え
数日後、私は義父が出掛けた隙に妻の目を盗み、義父の寝室に忍び込みました。薄暗い部屋の中で義母は全裸で後ろ手に縛られ、目隠しをされ、天井の梁から吊られていました。排尿を我慢し切れなかったのでしょうか、尿は垂れ流されていました。梁からさがった縄で片足を大きく開かされ、オマンコは丸見えでした。犯って下さいと言わんばかりに、熟れたオマンコが曝け出されているのです。
その日を境に私の理性は吹っ飛び、義母を犯し続けています。数ヶ月が経ち義父も気づいたのでしょうか、普通なら殴られたり嗜(たしな)めたりたいへんなことになるはずなのですが、義父の奇行はエスカレートし、酒が入ると平気で私の前でも義母を罵り、その場で服を剥ぎ取り陵辱するようになりました。義母のおろおろする怯えた姿が、責める人間にはたまらない快楽なのでしょう。
引き籠りの義姉は、肉汁を垂れ流してイキ果てる
妻恵美子には5歳年上の姉で洋子がいます。40になるのですが嫁にも行かず、小学校を卒業してから引き籠りだそうです。魂の抜けた人形のような女で、部屋の外に出ることはありません。こちらから何か話しかけると「ハイ」と頷く程度で、反応があまりない女です。
キスしても抱きしめて、下着の中に手を入れオマンコをいじりまわしても、拒否することなく黙って従う従順ないい女です。私はそれをいいことに、洋子を性処理奴隷として使っています。洋子は仕事もせず家事もせず、いつも部屋にいるので犯したい時何時でもセックスできる都合のいいダッチワイフなのです。
色白で細い腕に細い脚。痩せこけた胸を弄っても、女肉の楽しみはありませんが
「服を脱げ、股を開け」
と命令すると素直に従い、勃起した肉棒をオマンコに突っ込んでやると、普段無表情で反応しない女が、苦痛なのか感じてるのかうめき声をあげながらバタバタと暴れ、更に強引に押さえつけ膣奥の子宮にチンコをぶちあててやると、こんな人形のような女でも、肉汁を垂れ流してイキ果てるのです。
洋子のオマンコは義父も使っています。義母のように私の目の前で陵辱こそしませんが、家から出ない女が妊娠し子供を堕したのです。
義父は義母を私に与えて、妻を性処理に使っている
妻も私と結婚した時には処女ではありませんでした。もの心のつくころには母親と父親のセックスを目の当たりにし、母親からは、女は男に尽くすことを、何よりの喜びと教え込まれて育ったと聞いています。男根の咥え方に男の喜ばせ方、義母から教わったそうです。
私と一緒になる前、妻は義父の玩具のひとつだったのでしょう。私も義母や義理の姉を奴隷にしてる以上、妻を義父の欲望から救うことは出来ません。義父は義母幸代を与えて私に提供し、未だ恵美子を性処理に使っているのです。私には娘がひとりいます。6歳になる愛らしい女の子です。私たち夫婦のセックスも見させています。
妻を横に娘に肉棒を舐めさせ、上手くできた褒美に、娘の小さなオマンコを舐めてあげています。女にする日もそう遠くはないでしょう。
http://s.webry.info/sp/26624724.at.webry.info/201304/article_21.html
2011年05月16日21:00
私の生まれた地域に今でも残る風習です。
女子は初◯を迎えた段階で二つのうちから一つを選択しなければなりません。
・一つは、父親もしくは5歳以上年の離れた兄に処女を捧げる。
これを選択した場合、処女喪失以降は自由恋愛が認めれれます。
・もう一つは、結婚するまで純潔を守ることができますが、結婚相手は親が決めます。
簡単に言うと人身売買のような形になります。男性が娘の「家」から「処女の娘」を大金を以て買うということです。
注意点として、男性の配偶者になれるとは必ずしも限りません。
有力者の愛人になるというケースもありえます。
「夫」との間に年齢差があって、「夫」が早くに亡くなった場合、実家に帰される場合があります。
この場合、子供は「夫」の家に取られます。
私の場合、許嫁とか愛人とかは考えられなかったので一つ目を選択しました。
上に書いた文の通りの説明を受けるわけではありません。
「これからお父さんに女にしてもらうのですよ」
といった感じです。かといって、生理が終わった途端に父親に挿入されるというわけではありません。
渡しの場合は一人部屋で寝ていたので、風呂で母親から大人の女の嗜みとしての
体の洗い方を教えてもらい、自室で母と一緒に父親が訪れるのを待ちました。
ノックなどして父が部屋に入ってきました。トランクスだけの姿です。
父の登場を合図に母親が私を裸にし、立膝の角度まで仕込んでから退室。
退室時に母親が部屋を真っ暗にしました。
何をされるのかとドキドキしていたら、両膝を掴まれて、ほぼ同時にアソコに何かが触れる感覚がきました。クンニでした。
父の舌は正確にクリトリスと包皮の境目を愛撫してから私のワレメの始まりにまで舌を這わせ まだわずかにしか生えていない恥毛を確かめるるように撫で付けました。 あとは同じことの繰り返し。
クリトリスの快感に関しては、ふろに入った時に母から
「女はね、ここを触られると男の人を受け入れる準備ができるのよ」
といった感じに言われ、実際に触られもして、もう快感をしっていました。
けれども舌による快感は群を抜いていて、私は何度も腰をくねらせて抗いました。
その夜はそこまで。
私はその日のうちに処女を散らすものだとばかり思っていたので少し拍子抜けしました。
こんな日が毎日続くと思っていましたが、そうでもありませんでした。
父の「夜這い」はほぼ週一のペースで、事前に母親から伝えられます。
「今日はお父さんが来るからキレイにしておくのよ」
といった感じです。 父の愛撫はクリトリスから小陰唇に至り、やがては極度に慎重に膣の入口にまで来るようになりました。
何回目かからは灯りを暗くしなくなり、父が私のアソコを眺めている時間も長く
なりましたが、実際に父が何をしていたのか具体的には私にはわかりません。
母親が付き添いっぱなしのこともあって、私への父の愛撫が終わった途端に父が母に挿入して・・・ということもありました。
フェラチオの手ほどきもほぼ一から十まで父から受けました。
もう口に出してくれてもいいのにと私は思っていましたが、父はいつも寸前に口から抜いて、 主に自分の手の上に出していました。
父がいよいよ挿入してきたのは初めての日から半年ぐらいだったでしょうか。
コンドームを見せられて悟り、そして覚悟しました。
もう私の膣は父の指(一本?二本かも)を簡単に受け入れていたころもあり、恐怖は ありませんでした。
この日も母が横にいてくれて私の手を握ってくれていました。
痛みはありましたが、意外なほどにあっけなくて、それと父は正に処女膜を貫通させる仕事だけをしてペニスを抜き母の体で射精したのですが、それを見た私はちょっと悔しい気分でいました。
その日以降、父は夜這いこそすれ、私の下半身を裸にしてアソコを見つめるだけで
触れられることはなくなりました。(私は眠ったふりをしていました)
やがてはそれもなくなりました。
あれから10年以上が経って、私はまだ嫁にも行かずに両親に世話をかけているのですが年に数回は母親の目を盗んで父の入浴に突入してます。
母親の目を盗む必要はないとも思うのですが、女としての意地かな?
とにかく父が私をまぶしそうに目を細めて見て、アソコを元気にしてくれるのを見るのは幸せです。
口で抜いてあげようかと誘うのですが、それはいつも赤面して辞退されます。
父に処女を捧げてよかったなと今も思ってます。
・・・彼氏には絶対打ち明けられない秘密ですがw http://blog.livedoor.jp/erocopype/archives/4768834.html
1 :天之御名無主:2001/06/23(土) 23:05
祭りのときは乱交OK
処女膜破りの儀式
異性または同性の成人から性の手ほどきを受ける思春期の子供
などなど教えてください
14 :天之御名無主:2001/06/29(金) 08:44
高知のヨサコイ祭りは乱交しほうだいって聞きましたが本当ですか?
30 :Six ◆aTOy5bfc:2001/08/15(水) 14:12
東北・甲州・信州の夜這いの風習は有名ですし
瀬名秀明の「ブレイン・ヴァレー」に出てきた夜伽専門の村巫女(白拍子の類?)なんかもそうですね。
33 :天之御名無主:2001/08/16(木) 02:04
>>30
信州では諏訪地区(だったかな?)の「足入れ婚」も比較的近年まで残っていたと聞いてます。
46 :天之御名無主:01/08/28 09:49 ID:sLqx1aZ場所はいえませんが、私の田舎はいまだに祭夜の夜這いの風習があります。
私は18のときに、30代半ばのバツイチ女性のところに夜這いに行き、みごと筆おろしを済ませました。
52 :天之御名無主:02/02/08 06:17
15年ぐらい前にNHKで見たレポートで、瀬戸内海のとある島ではいまだにある風習が
続いていて、それはその島の子供が16歳になると、絶対にセックスをしなくては
ならないものでした。
ルールはこう。
その祭りは一定期間内に行われるもので、祭りになると男・女それぞれ3~4人
同士でとある家に集まり、3日ぐらい共同生活を続けます。
そこで気の合う同士で事を行うのですが、選択権があるのは男子だけで、指名を
受けた女子には拒否権がありません。
可愛い1番人気の子には、当然、バッティングもあり得るのですが、そうなると
親同士の話し合いで、決着を付けなければなりません。
引き下がった男子は、他の女子を指名しなくてはなりません。
例え相手が凄いブサイクでもセックスしなくては一家の恥なのですから。
すなわち、何が何でもペアにならなくてはならないのです。
セックスする順番にもルールがあったはずなのですが、忘れてしまいました。
ペアになると両家の親同士があつまり、隣の部屋でセックスする自分たちの
子供の様子を伺うそうです。
親たちは伺いながら興奮するどころか、上手く仲良くなれるかが心配で仕方ない
とかなんとか言ってたことを覚えています。
勿論、TVではセックスの場面などは映すわけが無く、家に集まった子供たちが
ダベリあってる場面とか、親たちの顔を写してるだけでしたが、この放送を
見た当時はまじでショックでした。
どうしてこの島に生まれなかったのだろうかと。
だれかこの話に心当たりがある人、見てないかな?
56 :天之御名無主:02/04/13 21:16
>>52
十年くらい前に似た話し聞いたなぁ…
結論から言うとデマ
正確にはかなり昔の話。
たぶん、再現した映像を勘違いしたのでは?
もしくは風習と言うか、たんに集まってた風景とか…
あんま大きくない島だと何処かの家に集まる事って良く有るよ。
108 :天之御名無主:03/01/21 23:51
少し田舎に行くと、秋祭りの夜とかみんな異様にギラギラしてる。
日本人の中には乱交の文化は生き長らえているよ。
114 :天之御名無主:03/03/09 16:33
宮城の某村では、維新の頃まで、新婚初夜は花婿の父親が花嫁とセックスする因習
があったらしい。
封建時代の名残らしく、父権の威信を保つためだったとか。
惚れあった者どうしの若い二人なら、辛い一幕だったろう。
和歌山の有田は太平洋戦際、全国での徴兵検査の成績が最低だった地域だ。
理由はこの徴兵検査でヒューマンテイルの者が一村に3名もいたことが判明した
からだ。
紀伊半島の海浜地域は古くから近親婚の多い地域だ。それは地理上の理由がある
ためだが、当時の有田の「尻っ尾者」は、女も含めると実際は調査以上の潜伏数
がいたと推測できる。
147 :天之御名無主:03/12/09 21:08
茨城県の八○町の某部落で今でも18歳になると夜這いの風習が残っている
その為か結婚も早いが離婚も多い
そこの部落は、平家の落中人伝説のあるところで一族の家系を守る為に風習が残っています。
ただ、外との交流が少なく血縁関係で部落を編成している為、血が濃くなる為か障害者や天才が多い
172 :天之御名無主:04/02/20 04:54
>>59
愛知県某所出身ですが、そこでバイトしてた時にちょっと離れた所から車で通っている子が、
「今だに嫁貸しのしきたりとかあるんだよ~早く出たい」
とか言ってたなぁ…。たしか客に嫁を貸すって聞いたような。
173 :天之御名無主:04/02/20 21:28
>>172
是非その村に遊びに行きたい、ってゆか
村の中だけで嫁の貸し借りをやってるんだろうか?
239 :天之御名無主:04/12/31 21:36:03
沖縄県の某島では代々近親相姦で筆おろしをすませる風習があるらしい。
男の子が思春期迎えたときの母親(或は姉)の仕事とか
少年→一人前の男になるための儀式は世界各地にあることからも信憑性はある。
具志堅が初体験は?との雑誌インタビューに「思い出したくない」とはぐらかしたのも証拠になろう
330 :天之御名無主:2005/04/02(土) 22:52:54
本島ではなく○○島(離島)での風習らしい。
男が16歳を迎えると、父親は黙って家を空け母親が筆おろしをするとか。
(稀に姉のケースもあり)
332 :天之御名無主:2005/04/02(土) 23:26:44
日本の関西に母親が筆をおろす近親相姦のの風習があるって聞いたことがあるよ
333 :天之御名無主:2005/04/02(土) 23:31:02
聞いたことある。
たしか、京都の近く、、、
382 :天之御名無主:2005/05/15(日) 14:12:51
雪国で寒くて家から出たら凍死するような、北の日本海側の場所で山間に囲まれた地方なら近親相姦みたいのがありそうだね。
情報きぼん
384 :天之御名無主:2005/05/24(火) 16:58:52
東北地方にはそういう風習多いな
390 :天之御名無主:2005/06/07(火) 22:36:51
東北の温泉入ったら、洞窟の中で巨根像に締め縄という荒ぶる神が鎮座されてました。
その地方では美少女たちがチンポ像を抱え顔を真っ赤にし練り歩く風習があると聞きます。
391 :天之御名無主:2005/06/08(水) 00:08:40
>>390
顔を真っ赤にてのはあんたの希望だろ。
俺が見たのは東北じゃないが、普通の顔してにこにこ歩いてたぞ。
実物を見た事がないと、木彫りの置物と同じであまり抵抗がないらしい。
397 :天之御名無主:2005/06/21(火) 20:50:34
もう昔のことだけど、全裸の女がお面をつけて盆踊りをしてたという地域なら聞いたことがある。
なんで裸なのかまでは教えてくれなかったけれど。
398 :天之御名無主:2005/06/23(木) 15:50:26
>>397
俺も聞いたことがある。
なんでもそのあと乱交に至ってたようだけど。
俺が聞いたのは盆踊りじゃなくて、それに似た神事だったけれどね。
406 :山形南部:2005/07/08(金) 17:34:48
平家の落人の隠れ里だったといわれる某所では近代になっても村の女性は
「みんなの物」でほぼ自由にセークス可能だったそうな。
そこは今はダムの底になったが、昔、そこを訪れた人の話では、
近親相姦が多いので出産の際に「奇形やダメポー」は即座に絞めるのだが
判別出来ずに生きた人間が成長したのが度々目についたと・・
事実、現存している。
可哀想でキーボードに涙が
408 :天之御名無主:2005/07/10(日) 03:31:58 ?
先々月までアフリカを旅行してました。モロッコでのことです。モロッコの南端は
サハラ砂漠と一部接しているのですが、周辺の砂漠への前線基地的なオアシスの街にしばらく滞在してました。遊牧や隊商的な生活をしている砂漠の民は少なくなったけれども今でもちゃんと存在していて彼らがオアシス近郊に立ち寄ると必ず市が立つので楽しかったです。
夜になると女奴隷が卑猥な見世物を見せたりするのですが、若い日本人の子が一人いましたね。
体中にヘンナと呼ばれる染料で模様を書き込んだ全裸の日本人の娘が男達の輪の中で腰を振ったり、触られたりしてました。
彼女と日本語で話をしたので間違いないです。諦めの境地にあるようなことを
言っていましたが、どうやら彼女のショーを見るかぎり、男達の喝采を買って彼女自身すっかりはまっているような、恍惚とした様子でした。
彼女はその地域では結構有名で、もとは女子大生で砂漠まで来て輪姦されたあげく、ある金持ちの後宮にしばらく監禁されていた娘らしいです。
それで飽きられたうえで売られたと。まるでボウルズの小説の世界。
人間って案外簡単に壊れちゃうものなんですね。
455 :天之御名無主:2005/09/17(土) 20:29:48
日本人って近親相姦(関西)とかホモ(武田信玄)とか自殺(切腹)とかあんまり
タブーが無い民俗なんだね。
456 :天之御名無主:2005/09/17(土) 21:00:00
奈良時代以前の皇族・貴族は異母兄弟姉妹間の結婚を常としており、皇族女性でなければ皇后とはなり得なかった。
日本神話においてもイザナギとイザナミは兄妹であり、ウガヤフキアエズは叔母であり育ての母である玉依姫と結婚する。
日本と近親相姦で調べたら、いっぱい出るは出るは。
日本ってすごい国だよね。
458 :天之御名無主:2005/09/19(月) 16:13:06
北陸の漁村での話し(伝聞だからね)
戦前までは毎年旧暦の6月の新月の夜、奇祭が行われたと聞いた。
その年元服を迎える男女が秘密裏に村内から選ばれ、7日間神社に篭って禊を行う。
新月の夜、二人は神主や巫女、村の長や網元の前で海岸にふんどし一丁で立って海に飛び込み、100mくらい沖合いの小島まで泳ぐ。
神主たちは小船で二人を追う。小島には小さな祠があり、神の目の前でふんどしを外した二人は愛し合う。その後、少女の膣から流れ出る精液を曼荼羅模様の神紙で受け止め、その年の漁を占う、というもの。
461 : ◆arPoYs0ON. :2005/09/24(土) 20:24:39
京都伏見区のとある地域は異常に同姓の多い地域が有ります。
80代の方に伺ってみた。
「夜這いってあったんですかね、○○さん」
「さーねー。ははは」
とはぐらかされてしまいました。ますます興味が湧いてくる!
462 :天之御名無主:2005/09/24(土) 21:09:47
夜ばいはスレがあるけど、システム化されたものとしてかなり最近まで全国各地に「あった」のは事実みたいですね
466 : ◆arPoYs0ON. :2005/09/25(日) 09:39:50
>>463
けれどもその地域の人は本当に障害を持つ親族の家庭がおおく、座敷牢の存在を認める方もいらっしゃいます。なのでどうしても色々な想像をしてしまいます。
472 :天之御名無主:2005/10/21(金) 00:03:21
関東と東海地方の貞操観念が割合強く他の地方はおおらかな様な気がします。
青森ではだいたいが中三か高一で初体験を済ます様です。
チャンスが無い子は焦って誰かに相手を紹介してもらうそうです。
援助交際の相場は「いちご」で結構あっけらかんとおじさんとエッチを楽しむ。
東京だと嫌々お金の為にマグロ状態でセックスすると言う感じ。
関西方面の女と話をしていると「良くしてくれたお礼にしてあげた」とか「落ち込んでいたのでしてもらった」と言う話を聞く。実際どうなんでしょうか?
485 :天之御名無主:2006/05/01(月) 02:14:10
ネタ1 ある田舎の風習
18歳に達した少女達は祭りで神社の境内で神男に処女を捧げなければならない。
この行事を行って初めて大人の女性として認められるんだと。
486 :天之御名無主:2006/05/01(月) 02:35:10
ネタ2 ある田舎への婿入り
この地方へ婿入りする男は嫁の親類に挨拶しなければいけない。
夕方から嫁の親類たちと盛大な宴会が行われ、その後寝室に通される。
そして、その場に集まる嫁の親類(女性のみ)と一晩過ごし
婿入りの許しを得なければならない。
これは村の存続をかけ子孫を繁栄させるため、生殖能力の高い男であるかチェックする仕組みと思われる。
評価する女性は嫁の母、祖母、姉妹、すべての親戚で手技によって精液の濃さ、量も批評される。またその晩に限り婿と性交することも許される。
まぁ。逆輪姦みたいな感じになるようですね。
490 :天之御名無主:2006/06/08(木) 00:58:54
新潟の山間部にいまだに夜ばいやカガイっぽい盆踊りやってるところがあるって聞くけど、
508 :天之御名無主:2006/09/11(月) 02:49:54
某混浴温泉には裸合コンたる風習が残っている。
地方からくる若い男女客参加もOK
その日晩 男女入り乱れのセックスがある。
旅の恥は掻き捨て
彼彼女いる貴方もOK!
516 :天之御名無主:2006/10/19(木) 19:45:29
10年くらい前、母方の祖父の家にいったはずが、離婚したはずの祖母と同じ苗字の家に世話になっていた。よくわからず母に聞いたところ、代々2つの家系で婚姻しているとのこと。
本家には座敷牢があって精薄で生まれた子などはそこで暮らしていたらしい。
(その数年前の台風で流されて今はもうないです)
その時会った従姉妹?は高校生なのに親戚との婚姻が決まっていて、本人はおかしいともなんとも思っていない様子でびっくりしたけど何も言えなかった。
多分兄弟でとかはないと思うけど十分疑問。
526 :天之御名無主:2006/11/15(水) 18:58:11
昔読んだ本のコラムかなんかに書いてあったけど
ある村では女ばかりの家(女系家族)だと跡取りがなくなってしまう。
そこで相談してくじ引きで半年に1回、その村の長男以外の男性が泊まりにいく。
で、その女系家族の娘たちと性行為して子供ができたら婿入りしてその家を継ぐのが決まりなんだと。
村存続のための掟なんだろう。
534 :天之御名無主:2006/12/28(木) 17:27:58
長野県の一部では、今でも祭りの後に童貞や処女を捨てる儀式があります。
というか、15年前ほど前には確実にありました。(私自身、それが初体験ですから)
このスレに書かれている事と違っているのは、実際にはコンドームを使う事くらいでしょうか
548 :天之御名無主:2007/01/12(金) 11:32:04
昔 親類の叔父が地域に伝わる言い伝えとして教えてくれた
元服を迎える男と同い年の女が村から一組選ばれて神主の前で性交したそうだ
神事らしいけど何が目的かよくわからん
588 :天之御名無主:2007/09/29(土) 22:29:10
青森県は弘前市の南西に10kmほど入った山間部に「かこ村(かっこ村?)」
という小さな盆地状の村があり(地図には地名なし)今では廃村状態の所がある。
その村はかつて十二年に一度、凶作や飢饉に見舞われることの無いように悲惨な祭りが行われていた。
祭りの年には村の中で未婚の女性が選ばれ、人身御供として神社に奉納するという。
人身御供といっても命を奪うわけではなく、選ばれた女性(少女10~16歳くらい)
(基準不明)が三日三晩すごす。同時に選ばれた8人の村人が「神のお面」をかぶり日没から日の出まで代わる代わる少女と性交することにより、神々に生贄をささげ、五穀豊穣をねがったそうです。
長時間の性交に絶えられず失神したり逃げだそうと試みる娘もいたそうですが、神罰を恐れる村人に厳しく監視されていたそうです。犠牲となった娘はその後村によって特別な待遇下におかれた。
601 :北海道民:2008/01/13(日) 23:36:52
本州は耽美の宝庫だね。
近親姦の風習とか、もう完全にファンタジーの世界だよ。
644 :天之御名無主:2009/01/15(木) 19:47:08 245 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:04/11/01 06:48:07 ID:h0Yp+Mkn
続き
村の合併前に、私の村の二十歳前の男性が、隣村の女性に夜這いをかけたことがあったらしい
もちろん、両者合意の上だったそうで、本人間の間では問題はなかった。
一度目の夜這いのあと、二度、三度繰り返しているうちに、相手の村の男衆にしられ夜這いの後、村境で捕まり、散々殴られて返されてきた。
当時の私の村の男衆は、怒り喧嘩直前までいったらしいが、両村の大人が中に入って、夜這いをかけた男性の母親が夜這いを受けた女性の夫の夜這いを受けるということで手打ちになった話があります。
村の合併後、新村になってから、新しい村域内でのその種のトラブルはなくなりましたが今合併後の新村の隣村との間には、掟は存在します。
>>230
そのような話ではありませんが、何年か前、その年18歳になった一組の双子を含む
男の子達の希望を聞きまわった時、当時27歳の新婚の地元出身の地元中学校の教師を務めている女性に希望が集中して、かなり村で話題になったことがあります。
毎晩一人ずつする掟なので、その女性が八月中のある週に毎晩、白装束で鎮守さんに夜出かけていきました。結局、彼女を相手に八月中に童貞を失った男子が双子をふくめいっぱい生れたことになります。
双子の場合、どちらを先に優先させるかでもめました。戸籍上の兄弟はあるのですが、その家の教育方針で一年おきに兄弟の序列を変化させていたので二人がどちらが先に、女性を抱くかでもめて、結局若衆の前で籤をひくことで解決しました。
恐ろしい連中
http://syarecowa.moo.jp/108/31.html
シリーズ・関連 呪い系
http://syarecowa.moo.jp/kanren/noroi.html
死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?
http://syarecowa.moo.jp/
651 :天之御名無主:2009/03/25(水) 04:38:20
>>644
それ、たぶん、親父の田舎だと思う。
俺も、18のときに、親父の実家に夏休みの間、帰郷して同じ体験をした。
今、首都圏の大学に通ってるけど、将来は祖父を継いで田舎に暮らすことになると思う。
相手の女性は、三十前後の美人のバツイチの女性だった。
最初、騎上位で挿入してもらって、おっぱいを揉んだり乳首を吸ったりしてる間に
しらないうちに射精してた。
654 :天之御名無主:2009/04/15(水) 18:16:53
小学生の女の子だけの祭りがあったな。
露出の高い服装にさせて(ブルマTシャツだった)集団で家を回る祭り。
女の子達は家ごとにお菓子を貰う。全員でなく、先頭のリーダーの女の子にお菓子がたくさん入った袋をあげる。
公民館から出発して村の家を全部回ると祭りが終わるんだが、大抵、公民館に戻るころは人が少なくなっていた。
昔は可愛い子がいなくなってたってよく噂になってた。
寂しい老人が女の子を引き止めて家で話し相手にさせられるらしい。
当時はそんな祭り興味なかったし、男だから参加しなくてよかったと思ってたが、普通に売春とかしてたらしい。
681 :天之御名無主:2009/07/01(水) 00:51:36
母親が言っていたんだけど、
母親がいた村では、15、6歳になると同じ年の女の子&母親達が集まって
一晩性について勉強したんだって。
それも、学校で習うような文献だけのやつではなく、母親達が裸になって
結構な所まで教えてくれたんだって。
ちなみに母親は山形の村出身
http://desktop2ch.tv/min/993305147/
http://hentai4u.blog12.fc2.com/blog-entry-86.html
178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2000/11/18(土) 10:59
近親婚を重ねた家族に生まれた人を知ってる。
彼も含めて、その家に子供は七人。
聴覚障害者が三人(!)。
能障害が一人。
まったく正常だったのは彼と弟さんの二人きり。
その上、三人が二十歳になる前に亡くなっている。
貧しい地域だから栄養失調で亡くなったのかも知れないが、それにしても・・・。
354 :藤村:2001/03/02(金) 23:38
近親相姦はかなり寿命が短いです。
50才まで生きることができればいい方。
http://mimizun.com/log/2ch/uwasa/971693212/
133 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 投稿日:2005/12/12 21:34:36ID:CJ3oj11hO [3/3]
屠殺行為をしてきた民の近親相姦による異常遺伝子の民、
それを同和運動により解放された訳だろ。
同和により野放しになり、現在異常犯罪が増えている。
血統が問題で差別になるのは必然なのでは???
http://logsoku.com/thread/tmp5.2ch.net/rights/1128839447/
144 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/04 23:35 ID:dqB5C2Vc[1/2]
N県では死んだ娘を父親が犯して成仏させるという風習があったそうな。
もちろん部落での話だが。
部落では父親が娘を犯すという風習があった可能性がある。
http://logsoku.com/thread/tmp2.2ch.net/rights/1073388229/
777 : (^-`)夢商 [Gotenyama] : 投稿日:2010/05/29 18:27:52ID:A+Ncr2F00
枹の部落では
性交前で亡くなった娘を慰めるために
父親が開通してから
棺桶に納めるところがあった
今はやってないと思うがのぅ
778 : 本当にあった怖い名無し : 投稿日:2010/05/29 19:12:34ID:aQQyEwJb0 [1/2]
>>777
幼女でもそれやるの?www
779 : 本当にあった怖い名無し [] : 投稿日:2010/05/29 19:40:03ID:xy1l7W/20 [1/1]
死姦を風習にしなくてもな、、、
780 : 本当にあった怖い名無し [sage] : 投稿日:2010/05/29 20:14:06ID:DAlIyxMu0 [1/2]
>>777
枹てなに?地名?
読みは「ばち」でいいの?
781 : (^-`)夢商 [Gotenyama] : 投稿日:2010/05/29 20:29:58ID:A+Ncr2F00 [2/3]
>>780
県名
詳しい場所は書けないよ
しかし目のつけどころの良いスレじゃのう
物の怪や猟奇的、変質者などの類いは部落にルーツあり
日本のオカルトの源流は部落と差別と穢れだと思う
http://logsoku.com/thread/anchorage.2ch.net/occult/1265477106/#804
日本に実在した恐ろしい風習とかしきたり
36:本当にあった怖い名無し:2009/01/13(火) 23:07:13 ID:J0exCnF50
おれも昔証券会社で働いてた頃いろんな所に行ったわ。
血とか骨とかが付いた地名からして凄いとこ。
特に何も無かったけどね。
ただ一度だけ部落のはずれの道端で白痴っぽい若い女を見た。
白いスリップとパンツだけでケラケラ笑ってるのよ。
横で小さい子供がフリチンで遊んでたかな?
車止めて見てたら通りがかりの親父に睨まれたので、そそくさとその場を去った。
帰り道で思ったんだけどね、その若い女って部落の男の公衆便所なのかなって?
なんの確証も無いけどそんな気がした。かれこれ10年前。
15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水)
地元のしきたり
十二年に一度本家か分家から赤ん坊と食べ物を山の神社に奉納する
まだやってる
翌日行くと赤ん坊、食べ物は消えてる
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 00:05:50.71 ID:4cwhA+zH0
>>15
大まかでいいから地方おしえて
31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 00:13:42.25 ID:Sw6vRLo30
>>21
東日本とだけ
奉納する前は山に入れば八つ裂きにされたとか
129 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:37:01.03 ID:Sw6vRLo30
で俺の体験
子どもの頃よく言われるのが大きくなるまではその神社にいくなと言われる
そう言われてもたまに友達と行ってしまってたが奉納のための赤ん坊は産まれても公表しない
その時の子供は本家の子供
地主で本家の子供なら村はけっこう大騒ぎするはずだが何もなかった
俺は赤ん坊をみてみたかったが婆ちゃんや父親に止められてた
一週間かそこらかな?奉納が行われる
村人が食べ物を持って来て、その整理や車に載せるのを手伝わされてたのもあって忙しかったのは覚えてる
食べ物を車に載せて神社の入るための山道にいく
子供は神社に入っちゃいけないから俺は車から食べ物を下ろすのを手伝わされた
軽トラに載せたりもしてたしすげー量で色んな匂いが混ざってた
全部下ろしたら車で帰った
その日の夕飯はすげー豪華だったけど静かだったと思う
翌日神社に友達といってみた
もちろん食べ物のためだ
魚や肉はダメでも果物はいけるだろと思ってた
神社に行って中をみると何もなかった
軽トラや車で運んだ食べ物がない
運んだのはここじゃないのかもと思ったが果物や魚の匂いが扉を開けた時少し残ってた
こんな話
85 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:11:33.47 ID:Sw6vRLo30
地元はすげー田舎なところ
赤ん坊を奉納する家は元々そこの地主
森にはいって生活するわけだが奥に入りすぎると上でも書いたように八つ裂きにされた
社も建てて毎年食べものを奉納するがそれでも被害はでる
それで地主が自分の家の赤ん坊と一緒に神社に入りひたすらもう襲わないようお願いをした
けど眠ってしまい夢の中で声を聞いた
赤ん坊はうまい。おまえの家の赤ん坊を捧げるなら襲わないでおくと
起きると扉は閉めていたのに赤ん坊はいなくなってた
それから山に入っても襲われなくなった
これが婆ちゃんから聞いた話
65 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 00:56:37.42 ID:RkYjO6AmO
子供の墓は基本的に大人とは一緒にされない。
床下や庭などにトロ箱やミカン箱に入れて埋められることも多かった。
古い家の庭にお稲荷さんとかじゃない塚があったりするが、あれは無縁仏と子供の墓だったりする。
4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/12(火) 23:54:26.53 ID:gV14b2+/0
奇形はごく潰しなのでキュッ
5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/12(火) 23:55:01.88 ID:/gEAURTL0
人工的神隠し
92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:14:51.98 ID:FHX1fQw40
地蔵盆の時にその一年で死んだ人と同じ数の提灯を飾って最後に子供が提灯を破く
76 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:03:17.00 ID:C7WEk85Q0
赤ん坊を一度捨てる風習は結構あるのよ
なぜかというと拾った子供はよく育つという俗信があったから
自分の子供を一度捨てて近所の人に拾ってもらいそのあと返してもらうことで擬似的な拾い子とする風習
157. 名も無き哲学者 2012年10月23日 07:23
現代の常識では酷いとか人権がとか言って忌み嫌われる風習とか因習とかは大事だったんだよ…
姥捨ても、お産婆さんがキュッってするのも決して大きな声では言えないけど必要な事だったんだよ。老人ホームやら、優性保護法なんて言い訳作って誤魔化すのは良くないよな
6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/12(火) 23:55:08.51 ID:LCHumACv0
ある地域の屋根裏には牢屋があった
近親婚が多く、近親相姦で生まれる障害者を閉じ込めておくために
【閲覧注意】あなたの家の開かずの間『開かずのトイレの痕跡』
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4215369.html
27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 00:09:46.72 ID:f5zNDHWl0
明治のころまでは地下に牢屋などを作って精神的な疾患などを抱えた家族を監禁してた
147:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 01:54:08.57 ID:yF5K3ouQO
重い病気、ボケ老人を姥捨て。
障害持ちを幽閉や産まれた直後〆る
見合いや許嫁による半強制結婚
なんて風習は実は理に叶っていて村や地域社会が効率よく回る為に必要だったのかもしれないな
現代が抱える医療費の増大や未婚晩婚少子化もこういった風習がなくなってしまったが故かもしれない
156:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/06/13(水) 02:01:30.22 ID:xeLUaf8l0
>>147
障害持ちを〆るのは普通にやってるだろ
高齢出産だと何も言わんでもチェックされるぞ
あと、安楽死は絶対早く合法化すべきだな
自殺の原因の半分は病気
かわいそう
419 名前:名無しさん@涙目です。 (空)[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 14:45:37.10 ID:zV2yCDi70
畑の隅に必ず果樹が植わってて、人が死ぬとその木から少し離れた処に土葬される。 そうすると2,3年先に例年になくワッと果実 の成る年が来るから、その実を漬けて酒にする。 盆や命日がくる度に、故人の話しをしながら、それをチビチビと親戚一同で呑み交わす。
一度、止める様に指導があったけれど、うちの地域が今も土葬を認められているのは この習慣があるから。
82. あ 2012年10月22日 09:58
女とおし
村の有力者に初夜権と称して新婚初夜の嫁を掘られる
この処女膜をやぶる行為から女とおしと呼ぶ
気持ち悪いな~
162. 名も無き哲学者 2012年10月23日 11:53
新婚の新妻は初夜に村の長老が味見をする、処女膜開通は長老の特権であった。
74. 名も無き哲学者 2012年10月22日 08:31
うちの実家岡山の山奥なんだが、昭和30年ごろまでは夜這いの習慣があったぞ。実際多くのお爺さんが若い頃経験したって話を経験者から聞いた。戦争で夫を失った後家さんに、若い衆が夜這して筆おろししてもらうんだそう。逆の場合もあって(やもめのおじさん×若い娘)そっちは子づくり目的な。
あと、昭和の中ごろくらいまでは田舎の山奥に歌垣の夜みたいな風習が残ってて、地区の祭りの後気に入った人と寝て、その結果できた子供は福の神と言われて大事に育てられたんだとか。でも解せないのが、夜這いや乱交祭りという風習に則った結果できた子供は大事にされるのに、強姦や不倫の子は母親ともども差別されて村八分にされるとか。
風習かな。うちの実家周辺では一般的にお盆に迎え火焚かない。でも最終日にお供えと故人の戒名の書いてある薄い木の板持って、鈴や鐘、家によっては小さい太鼓を絶え間なく鳴らしながら川まで行って、お供え流して板を燃やす。
その後帰宅するのだけど………帰宅途中決して後ろを振り返ってはならず、声を立ててもいけない。鳴り物すら懐にくるんで足跡も消して歩く。
そうしないと音にひかれて死人が返ってくるからって言われた。死人に気が付かれないように懐中電灯とかも消すから、途中田んぼに落ちたり側溝に落ちたりして怪我をする(笑)昔肥溜めに落ちた人もいたらしいが、誰も助けに行けなくって自力で這い出たらしい。
20. m9(^Д^) 2012年10月22日 01:12
神様同士が交じり合う儀式があって それを若い女性がチンコの形した棒もって見てるっていうのなかったっけ?
交じり合っている儀式はお面かぶった男同士だがそのまわりを若い女性が見ているってシュールだなぁって思った。 処女を守るって西洋から来た考えで日本ではむしろ嫁入り前に不吉な血の出る膜は破って嫁入りさせていたんだよなぁ。
地元ではもう残ってないけど 14前の女は稲荷の前で薪を3日焚き、その間、夜は稲荷の裏から鬼が出てきて 掛けていたらしい。
「掛ける」というのはもちろん「交わる」事。
鬼はどういう方法で選ばれてたかまでは 聞かなかったな。 無事、鬼に掛けられた女は、その次の日から夜ばいを受ける事を許され、兄弟以外の一番近い血縁から順番に紹介で次の男へと権利が渡っていく。 一巡し、もし身ごもっていたらいとこ婚だった。 身ごもっていなければ、他の男と結婚。
細かいルールまでは知らんが財産を守る知恵だったらしい。
43. 名無しさん 2012年10月22日 02:56
今と違って昔は処女性重要視されて無かったからな
それより今と違って性関係の情報無さ過ぎて
いきなり初夜迎えても出来ない事の方が深刻だった
52. あ 2012年10月22日 04:09
風習というか、嫁は家に嫁いできたものとして、兄が戦死したから弟が兄嫁と結婚とかならあるわな
あとは西武グループの初代の女癖みてると、息子の嫁と当たり前のようにやってるし、出身地ではそんな習慣があったんじゃないかとも思ってはしまうが
嫁と親父の子供を養育する息子とかなにが楽しかったのかね
216. 名も無き哲学者 2012年10月26日 00:21
シベリア抑留して帰って来た近所の爺さんは、 戻ってきたら後家扱いになってた新婚ほやほやの嫁が村の若衆の夜這いですっかり熟れてたのでショックで村を出たと言ってたよ。 それでも体面上、その後数年は法律上結婚し続けてたんだと。
後家は若衆のもの、という風習が残っていた地域の場合 同じように自分が苦労してる合間に嫁さんが公衆便所になっちゃって 涙飲んだ人は多々いただろうな。
どっちにせよ、人口の少ない村では若い人間はそれなりに貴重だし 一人に操を立てて生涯寡婦だと子供が生まれず村が栄えない。 だからこその風習なんだろう。
江戸から戦前戦後にかけて、それなりに人口が多く、移住者や旅客も多かった都市部はともかく、山間の村なんて自分の村と周囲の村くらいが世界の全て。
だからこその再婚・早婚システムといえなくもない。
無論、こうした風習や歌垣のシステムと、通常の不倫はまったく別。
寡婦を含む独身者は結婚が大きな仕事だし、歌垣は晴れの日の祭りだから許されたのであって、ケの日において秩序や和、信頼を乱す行為は御法度、ってことなんだろうな。
188. 名も無き哲学者 2012年10月24日 00:07
死後婚とはちょっと違うけど、アジアの一部やアフリカでは処女のまま死んだ娘は悪霊と結婚してしまうから、破瓜を済ましてから埋葬する習慣があったそうだ。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4318420.html
http://blog.livedoor.jp/isther_s/archives/8698294.html