交響曲の名曲を聴こう _ ブルックナー 交響曲 第4番『ロマンティック』

ブルックナー(Josef Anton Bruckner, 1824 - 1896)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830371


ブルックナーの『交響曲』の評価

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC

 

人間的感情に欠けるので聴き始めても最初はどこがいいのか分からない。長い全曲を何度も聴いて覚えて大自然の必然に身を置くように曲の流れに身を任せられるようになると、気持ち良くてやめられなくなる。一見禁欲的なようでいて、個人的には実は快楽的な音楽であると思う。

 

  • 交響曲ヘ短調
    • 3.0点
初期の交響曲。もっと普通の曲かと思ったが既にブルックナーらしい世界である。まだ未熟で書法が単純であると感じるところはあるが、とはいっても十分な複雑さがありブルックナーが好きなら飽きずに楽しめるもの。茫洋とした雰囲気は0番などに似ている。曲がコンパクトで聞きやすく、各楽章を楽しめる。ブルックナーの作った世界の生い立ちを知る上でヒントを得られる点で興味深い。

 

  • 交響曲第1番ハ短調
    • 3.3点
ブルックナー生来の音は既に鳴っているが、まだオーケストラの使い方に荒削りさが気になるし、構成もブルックナー独特のものに固定されておるず発展中である。アダージョとスケルツォは特に魅力がある。初期であり完成度は後年のものには及ばないが、雰囲気に若い新鮮さもあり、案外聴きがいがある作品。

 

  • 交響曲第0番ニ短調
    • 3.5点
番号カウントに入っていない作品であり、後日改訂されていない作品である。しかしブルックナーらしい音はしっかりある。まあ、若い作品といっても45歳だから、いろいろ確立しているのは当然かもしれないが。茫洋とした雰囲気と、独特の力強さと不思議な世界観を見せている。なにより若々しい生命感と活力と感受性の発露があり、爺さんになってから書いた曲とは違った素敵さがある。2楽章の薄暗い曙光と冬の空気の雰囲気はロマンティック。3楽章のスケルツォはかなり秀逸で、霊感にあふれた巨匠的な内容のもの。4楽章は威勢が良くて、もったいぶってないのが爽快。

 

  • 交響曲第2番ハ短調
    • 3.5点
初期の作品であり、まだ精神の深い所に沈んでいく感じはなく、浅い。しかし、ブルックナーらしさは完成されてきており、構成が固まってきている。アダージョに感動的な魅力があるし、他の楽章もバランスがよく、既に大交響曲作曲家の一歩を踏み出している。

 

  • 交響曲第3番ニ短調(『ワーグナー交響曲』)
    • 4.5点
この作品は作品番号は若いが、晩年に改訂されているため、晩年のような充実感もある。冒頭のメロディーから強く心を奪われる魅力があり、曲の全体の随所に非常に魅力的な旋律や場面がある。交響曲の中では規模が大きすぎずバランスも良いため、ブルックナーの中では正統派な構成になっていて、活力に溢れつつも、魅力にブルックナーならではロマンティックさとも言える突き詰めた魅力が溢れている。非常に魅力的な交響曲の一つだと感じている。8番を巨大すぎない大きさにして若々しいインスピレーションを取り入れて演出的な欠点を取り除いた感じとまで思うようになった。ただしブルックナーで頻発する場繋ぎの部分は弱さがある気はする。

 

  • 交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』(Romantische)
    • 3.8点
ブルックナーの中では短くて分かりやすいため入門に良い。全体にメロディーが良く、バランスも良く、長すぎないため曲を把握しやすい。明るく適度な開放感のある雰囲気は、聴いていて素直に楽しいと思わせるものがある。しかしながら、私は3番以降の中でもっとも苦手である。おそらく中庸さとかプルックナーらしい壮大さを抑えていること、なんだか旋律がもっさりしているのが気になる。彼の作品の中でこの曲が一番有名というのは、分かりやすさを考えれぱ仕方ないと思う一方で、自分は苦手なので残念である。「ロマンティック」という副題であるが、ロマン派音楽の感覚でいえば全然ロマンティックではないし、ブルックナーの交響曲の中でもロマンティックさは少ないと思う。単に旋律にロマンティックと形容したい節回しがところどころあるだけかと思う。

 

  • 交響曲第5番変ロ長調
    • 5.0点
最初は、冒頭から聞いていくとブルックナーが感じさせるある種の快感がこの曲には少なく、聞いた後の疲れが多くて、とっつきにくくて幻想的かつ思弁的という印象だった。第一楽章の第一主題に自分としてはあまり魅力を感じず、それの使い回しが多いのを残念に感じていた。しかし、この曲を理解してからは、ブルックナーで最も優れた作品の一つであると思うようになった。やはり最大の魅力は最後のコーダにあるだろう。これほどまでに壮大な高揚感をたっぷりと時間をかけて味合わせてくれる作品を他に知らない。また冒頭の前奏からのコラールは心躍るし、2楽章は無茶苦茶良い曲である。4楽章の対位法的部分は、晦渋さもあるがこれを再現部からのコーダに向かう部分へのエネルギー補充のように聞けるようになってからは楽しめるようになった。

 

  • 交響曲第6番イ長調
    • 4.5点
演奏回数が少ないが、作品のできの良さから言えば他の交響曲と全く引けを取らない。ブルックナー休止がなく規模もやや小さいことから、少し異質な作品ではある。2楽章はブルックナーの曲の中では珍しく人間的な愛情のようなものが感じられる。何度も繰り返されるメロディーや、しなやかな深さをもって心をゆり動かす魅力は素晴らしい。また1楽章はリズム感が珍しく行進曲のような勇壮であり骨太なゴツさがあり、最後のスターウォーズのような場面でド派手に締めくくる場面まで濃密でかなり出来が良いと思う。後半の楽章もそれぞれに魅力があって、楽しめる作品である。

 

  • 交響曲第7番ホ長調
    • 4.5点
1楽章は冒頭からメロディーが分かりやすくブルックナーにしては珍しく初聴で感動できるため最初の入り口には良いと思う。壮大な光に包まれるような、田園的な心地よさと包み込むような柔らかさに満ちている冒頭には心を奪われるだろう。2楽章は葬送のような悲しみと思い出の重みが見事に音にされた作品であり、個人的には自分の父が重い病気になった時の悲しみの中でずっと聴いて泣いていた作品である。前半2楽章は素晴らしいのだが、少し長すぎるため、他の曲のような複雑さが少なく旋律に頼ったことで冗長になってしまった感がある。後半の2つの楽章も楽しめるし、最後の楽章が軽すぎるという批判を見るが個人的にはウキウキとする楽しい音楽である。

 

  • 交響曲第8番ハ短調
    • 5.0点
圧倒的なスケールの正統派で雄大な作品。明るくポジティブな推進力があり、何度でも楽しめる。すべての楽章の完成度が高い。1楽章はあまりメロディーが無く、動機を使った運動的な曲。巨大な曲でありながら、全曲の中では序章に過ぎないのが凄い。個人的には大好きである。2楽章はそれを展開するが、まだ序章その2という感じだ。この楽章は旋律の魅力が足りないと思う。3楽章からが本編である。精神世界の深い部分を逍遥するようなすばらしさ。特に第2主題の絶妙さは驚異的。コーダが最高である。4楽章の大自然の満点の星空のような雄大さと、アルプスの巨峰のような存在感の、稀にみる巨大スケールの曲。しかしながら、ブルックナーの他の曲を聴いていくうちに、この曲に若干の演奏会受けを狙った聴衆への分かりやすい演出が気になるようになった。また、2楽章の旋律の魅力のなさ、4楽章は壮大だがそれが目的になってしまっていること、最後は主調の和音が延々と続くことなどの欠点が目につくようになってきた。

 

  • 交響曲第9番ニ短調
    • 5.5点
4楽章が未完成。この曲はブルックナーの曲の中で密度の高さが大きく異なる。他の曲は曲の流れに身を委ねるのが気持ち良くて、聞き終わったらもう一度聴きたくなるが、この曲は胸が一杯になって満足感でしばらく動けなくなるような感じである。3つの楽章とも、8番の同じ楽章と比較するとより優れていると思う。この交響曲は人間的な愛情や信仰心といった感情をかなり強く感じさせる点が、ブルックナーの中で異質である。またピアノで音を出してみると、音づかいがそれまでとは違い前衛的であり、かなり違う作りになっていることがわかる。年齢的にかなり歳を取ってから、このような世界に足を踏み込んだブルックナーに驚いた。8番のような聴衆を意識した演出的なものはない。特に3楽章は何かの神秘的なものの顕現をそのまま音楽にしたようなもので、ちょっと類を見ないような異次元な境地に到達している。
 
▲△▽▼
 
ブルックナー論

ブルックナーの音楽は、精神的に禁欲的でありながら、一方で楽しみ方としては快楽主義的な音楽であり、その点で矛盾を内包している音楽である考えている。


ブルックナーの音楽は直接的な肌感覚や華やかさや直接的な感動に欠ける音楽である。まったく女性に受けそうにない。


しかしながら、若い時に書かれた曲を聴くと、晩年の作品ほど地味で超然とした世界ではなく、もっとずっと人間的である。

確かに考えみれば、あまりに特殊な音楽感覚しか持っていなかったら、オルガニストとして高名になることは出来なかったであろう。

直接的な感覚的刺激にあふれたワーグナーの楽劇の熱烈な信者であったわけだから、音楽鑑賞者としては超然としたものを極端に好むわけではなかったと推測できる。


やはり、長年の積み重ねの中で特異な方向性をガラパゴス的に伸ばしていき、個別的な特殊進化をしたことでたどり着いた音楽世界なのだろう。


ブルックナーの音楽は、豊富で繊細な色とりどりのニュアンスを聞かせる音楽ではないため、一見するとシンプルで素朴な音楽に聞こえる場合が多い。

しかし、実は内部的にはかなり複雑な和声の動きを見せている。


後期ロマン派らしい、落ち着かない複雑な転調が、漂う霧のようなあいまいな雰囲気を作っているともいえる。

逆に霧の深さが転調の複雑さを見えにくくしている面もあると思う。

ブルックナーの音楽は、細かいことを気にしないおおらかさで聴くものであるため、内部構造の複雑さに着目する必要はないのである。


ブルックナーの音楽は、超越的で宇宙的な感覚によるものである。

なにより、ゆったりとして、人間的な肌感覚に訴えるものが希薄なフレーズを積み重ねて構成されている。

その最たる例が、ブルックナー・リズムによる5つの音の繰り返しである。

たいていの場合、繰り返される5つの音に精神に訴える明確な意味が感じられない。

次のメロディー演奏に向かうためのつなぎである場合が多い。


しかし、同じ音形を執拗に積み重ねながら、次にどの方向に音楽が向かおうとしているかが重要なのである。

エネルギーを溜め込んで爆発に向かっているのか、エネルギーを吐き出して力を緩めているのかといったことである。


変容と積み重ねにより、通常の音楽の数倍に引き伸ばされて希薄化された時間間隔の中で音楽は書かれている。

大曲であることはその必然的帰結となっている。

ラフマニノフの音楽が感情の力学に基づいているとするなら、ブルックナーの音楽はエネルギーの蓄積や放出といった力学に基づいてかかれている。

その結果生み出される巨大エネルギーのダイナミクスこそが最大の魅力だ。

特に、圧倒的な大管弦楽のユニゾンや、ブルックナー休止は、かっこいい。

音形が優れたセンスであるとは限らないが、聞き手を激しく翻弄するには効果的なものである場合がほとんどだ。

長い時間をかけてエネルギーを溜め込み、圧倒的な迫力でもって爆発的に放出することである。


普通の作曲家がサッカーボールがポンポン動くような音楽とするなら、ブルックナーはボーリング玉のようである。

質量が大きいゆえに慣性が働くため、動き出すのに時間がかかるが、動き始めると強いエネルギーを保持し、何かにぶつかれば激しい衝突を起こすのである。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E5%AE%B6%E8%AB%96

 

▲△▽▼

▲△▽▼

 

チェリビダッケ    ブルックナー交響曲集
Bruckner Symphony conducted by Sergiu Celibidache
https://www.youtube.com/playlist?list=PLDHp-dZKD6X1LXD3NMrEZ0rRjp6Q827vX

 

▲△▽▼

 

オイゲン・ヨッフム ブルックナー交響曲全集

Eugen Jochum • Staatskapelle Dresden • Bruckner - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLpT0iJjEyPDVlZdMABOzWZuhhvs8ZvgsC


Bruckner - Symphony No.6-9, Eugen Jochum, Staatskapelle Dresden

 

▲△▽▼

 

朝比奈 隆 指揮 ブルックナー交響曲集 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLICYffFKl336YMNT9swXXUHvSMHXZ_2qz

 

▲△▽▼

 

朝比奈隆のブルックナー(Bruckner/Asahina) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLo2mDjLkMtM-tbylMIAMdbg7EFtdjK7Th

ヨッフムのブルックナー(Bruckner/Eugen Jochum) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLo2mDjLkMtM8wQTeB05q9F8jIknruQqyS

マタチッチのブルックナー(Bruckner/Matacic) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLo2mDjLkMtM-CwFJCVwivEmlW1LBx0wuy

ヴァントのブルックナー(Bruckner/Want) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLo2mDjLkMtM-F723S9zlPHqmGo8x4pr73

クナッパーツブッシュのブルックナー(Knappertsbusch/Bruckner) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLo2mDjLkMtM-OzNL3b6iM64Hk7dgylt02

シューリヒトのブルックナー(Bruckner/Schuricht) - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLo2mDjLkMtM8tFETDeZUmaoEEJX7N--Jf

 

▲△▽▼

▲△▽▼

 

ブルックナー『交響曲第4番 変ホ長調 ロマンティック』

 

ハンス・クナッパーツブッシュ(1888年3月12日 - 1965年10月25日)指揮者
全録音への youtube リンク
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14010878


Bruckner Symphony No.4 in E♭ - Hans Knappertsbusch / BPO(08.09.1944)

 



Hans Knappertsbusch
Berliner Philharmoniker.
Baden-Baden on 8th September 1944.

 

【高音質復刻】Knappertsbusch & VPO - Bruckner: Sym No.4 in E flat `Romantic` (1955.3.29-31) (Schalk & Löwe Version)

 



ハンス・クナッパーツブッシュ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1955年3月29~31日、ウィーン、ムジークフェラインザールでの英Deccaセッション録音

 


Bruckner Symphony No. 4 「Romantic」 (rec1964 /mono /Live)

 

 

Hans Knappertsbusch
Vienna Philharmonic Orchestra


April 12, 1964

 

▲△▽▼

▲△▽▼

 

カール・シューリヒト

Bruckner: Symphony No. 4, Schuricht & StuttgartRSO (1955)
(1878/80 ver., ed. Haas 1936)





Carl Adolph Schuricht (1880-1967), Conductor
Stuttgart Radio Symphony Orchestra (Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR)

Rec. 5 April 1955, in Stuttgart=Degerloch, Waldheim (Live Recording)



Bruckner Symphony No. 4 (rec1961)


date 1961

orch:Orchestre de la Suisse Romande
cond:Carl Schuricht

 

▲△▽▼

▲△▽▼

 

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー (1886年1月25日 - 1954年11月30日) 指揮者
全録音への youtube リンク
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14010877

Bruckner - Symphony No 4 'Romantic' - Furtwängler, VPO (29 October 1951)





Vienna Philharmonic Orchestra conducted by Wilhelm Furtwängler
Recorded 29 October 1951, Deutsches Museum, Munich


Bruckner - Symphony No 4 ‘Romantic’ - Furtwängler, VPO (22 October 1951)








Wiener Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler, conductor
Stuttgart, 22.X.1951

 

▲△▽▼

▲△▽▼

 

ブルーノ・ワルター(1876年9月15日 - 1962年2月17日)指揮者
全録音への youtube リンク
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14010876

Bruckner - Symphony No 4 ‘Romantic’ - Walter, NBC Symphony (1940)


NBC Symphony Orchestra
Bruno Walter
Live broadcast recording: 10 February 1940
NBC Studio 8H, Radio City, New York


Bruckner: Symphony No. 4, Walter & ColumbiaSO (1960) (Haas edition)







Bruno Walter (1876-1962), Conductor
Columbia Symphony Orchestra

Rec. 13, 15, 17, 25 February 1960, at American Region Hall, in Hollywood [Columbia]

 

▲△▽▼

▲△▽▼

 

ヴァント

Bruckner - Symphony No. 4 "Romantic" (Günter Wand/Berlin Philharmonic)




ギュンター・ヴァント 指揮  
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1998年1月30日~ 2月1日


Gunter Wand Bruckner - Symphony No.4 (2001) MPO


Günter Wand
Münchner Philharmoniker

September 13-15, 2001

 

▲△▽▼

▲△▽▼

 

欧米でブルックナーの音楽が敬遠された理由

 

宗教的な音楽を書く作曲家は必ず脳のどこかに欠陥が有るんですね。

クルクルパーの天才の代表は勿論この人:

1824年。楽聖ベートーヴェンの第九が初演されたこの年に、この大交響曲の発展継承者として交響曲史上に残る巨大作を次々と完成させた”大建築家”ブルックナーは生まれた。今では彼の作品で名演を聴かせる事が出来れば、その指揮者は大指揮者の列に加えられる位、巨大な存在を誇る彼の作品群だが、逆にそれ故に生前に成功を収めた例は少ない。

音楽史上に聳え立つ巨大な作品群を遺したこの大建築家、間違いなく”奇人変人”に分類される。

少女に異常な迄の興味を示し求婚迄してしまう、今で言うところの”ロリコン”。

人間の死に異常な迄の関心を示し、死傷事故が発生する度、遺体を観察しにいった今で言うところの”死体マニア”。

何かにつけて、他愛がない事でも一々証明書の発行を要求した”証明書マニア”。

敬虔なクリスチャンとしても知られながら、高潔というよりは如何にも世慣れぬ不器用な小市民的性格。その彼が一度オルガンに向えば、古今無双の圧倒的感銘を与え、楽譜に向えば、空前絶後の大建築群を打建てる。正に「天才と気狂いは紙一重」を地でいった人物だったと言えよう。

この大建築家が楽聖の到達した境地を発展継承せんと交響曲を初めて書き上げたのは1863年、39歳の時の事だとされる。この年齢には神童モーツァルトや歌曲王シューベルトは既に世を去っている。

大建築家は前年に初めてソナタや管弦楽作品に進出したのだった。それ迄の彼は教会でオルガン奏者や合唱指揮者を務めつつ、作曲を行っていた。その殆どは教会音楽であり、”修業時代”の物として認識されている。

というのも、彼はゼヒターら著名な音楽教育者の許でひたすら様々な作曲技法を習得中だったからである。しかも、例の”証明書マニア”ぶりは此処でも発揮され、大建築家は一つの技巧をマスターする度に師から証明書を発行して貰っている。

この時期生み出された作品としては『アヴェ・マリア』等がある。


さて、「こうして私の作曲家としての時代が始まった」と大建築家自身が公言した1863年に書かれた2曲の交響曲。1曲は交響曲ヘ短調だが、これは後にブルックナー自身によって破棄された。

もう1曲は”第0番”という交響曲史上類を見ない番号が与えられたニ短調の交響曲である。この第0番は大建築家の史料的存在として今でも時折録音されているものの、大建築家自身もあまり評価していない。

また、この年大建築家にとって非常に重要な転換点となる作品と出会っている。

怪物ワーグナーである。

この時期まだ大建築家の作風はベルリオーズやメンデルスゾーン、リスト、シューマンら初期ロマン派の影響が濃かったとされている。造型においてはゼヒターと並ぶ重要な模範、キッツラーの理論を独自に発展させようとしたブルックナーだが、ワーグナーの和声や対位法、管弦楽は正にその後の大建築家に絶大な影響を及ぼしていく。

翌1864年は再び”修業時代”の集大成的大作、ミサ曲1番ニ短調を完成。
大建築家は先ずは宗教曲の大家として認知される事になる。

翌1865年には2人の人物と会見している。

一人は言う間でもなく尊敬するワーグナーであり、もう一人は評論家のハンスリックである。

後にはブルックナーにとって最大の仇敵となり、時のオーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフに何か要望はあるかと訊かれ、

「陛下、ハンスリックに私の事を悪く言うのを止めさせて下さい」

と大建築家に懇願させる事になるハンスリックだが、この時はまだブルックナーをバッハ以来の宗教曲の大家として絶賛していた。

彼が”敵”に回るのは、大建築家が親ワーグナーの姿勢を全面的に打ち出したからだとも、大批評家の娘との縁談を大建築家が断ったからだとも言われている。

因みに、ワーグナーとの会見時、既に大建築家は交響曲第1番を作曲中で、ハンス・フォン・ビューローはこれを賞賛したというが、神格化する怪物ワーグナーを前にしたブルックナーは、気後れして結局スコアを見せる事が出来なかったらしい。

1866年、交響曲1番、完成。同じ年にミサ曲2番ホ短調も書かれている。

そして、この大作2曲を書き上げた翌1867年、ブルックナーは極度のノイローゼに陥り、静養を余儀なくされる。

窓や紙、星、砂粒等視界に入る物の数を数えなければ気が済まないという病癖もこの頃から始まったとされる。

因みに、第一は大建築家自身が後に「小生意気な娘」と呼び、愛した様に、後年の巨大なスケールは持たないものの、快活でワーグナーの管弦楽の影響も随所に採り入れた意欲作である。

ミサ曲2番はア・カペラの多い難曲だが、傑作として知られている。

1868年、完治はしなかったが、復帰した大建築家はミサ曲3番ヘ短調を完成させる。

また、ウィーン音楽院からの和声法、対位法の教授として赴任する事を受諾。
住み慣れたリンツの地から愈々”音楽の都”ウィーンを主戦場にする事になる。

それから暫くはミサ曲2番や3番の初演準備、ロンドン公演、交響曲0番の改訂等を行い、大作らしい大作は書かれなかった。

彼が交響曲の世界に戻ったのは1872年。第二番ハ短調である。

第一より熟達した内容を具え、ブルックナー特有の休止符の多さや緩徐楽章の美しさで知られるこの交響曲の完成の年、ミサ曲3番が初演され、成功を収めている。


翌1873年、大建築家は怪物の許を訪れている。

第二か、作曲中だった第三の献呈を申し入れる為である。

怪物は第三を選んだ。実はこの時期バイロイト祝祭劇場建設で多忙だった怪物は、最初時間がないからと献呈を断ったらしい。しかし、大建築家の熱意に負け、取敢えず2つの交響曲の総譜を預かり、検討する事にしたのである。

ハンス・リヒターらとブルックナーの作品を検討したワーグナーが、第三の冒頭のトランペットに特に強い興味を示しているという事を伝え聞いた大建築家は、怪物に献呈の返答を貰う際、

「トランペットの方ですか?」

と訊いた。怪物は

「その通りです」

と応え、かくして第三が献呈される事になった。同じ年、大建築家はウィーンのワーグナー協会に入会している。また、デソフによって第二の初演も行われたが、これは成功とは言えず、後に改訂する事になる。

翌1874年、大建築家は前年暮れに完成した第三を”神”ワーグナーに献呈する。
この交響曲が『ワーグナー』の通称で知られるのもそれ故だ。

しかし、初演はデソフらの拒否に遭い、中々実現しなかった。

その為ブルックナーはこの年に第四『ロマンティック』の初稿を完成。

1875年は第二の改訂。1876年、第五初稿完成。

そして、1877年。一部手直しした第三の第二稿が漸く初演の運びとなる。

指揮は大建築家の佳き理解者とされるヘルベックだったが、彼は急逝。

誰もこの大作の指揮を引き受けようとしなかった為、ブルックナー自身がこれを振る事になる。

初演は音楽史上に残る大失敗だった。ブルックナーは指揮者としても優秀であったが、栄光のウィーン・フィルを前に、思う所を中々伝える事は出来ず、オーケストラの連中はこの大建築家を馬鹿にしていた。そうした状態で立派な演奏が行える筈もなく、聴衆達は次々に帰り始め、終楽章が終わった時には僅か20数人しか残っていなかったという。

その殆どは音楽院における大建築家の熱心な信奉者達で、マーラーやクルジジャノスキー、デチェイ、ヨーゼフ・シャルクらだった。彼らは師を慰めようと、月桂冠を渡そうとしたが、気落ちした大建築家にそれを受け取る気力はなかった。しかし、それでも出版業者、レティヒの好意的な申し出があり、総譜とピアノ譜が出版の運びとなった。

因みに、この時ピアノ譜を担当したのはマーラーだったが、大建築家はその出来を気に入り、大事な初稿を彼に献呈したという。

その為、後にヒトラーがこの初稿を入手せんとマーラー未亡人アルマらに圧力をかけたのは有名な話だ。


第三の歴史的失敗は、大建築家に類を見ない”改訂癖”を身に付けさせる。

1888年、大建築家は第三の改訂を行う事を決意する。

それを知ったマーラーの説得で、一度は改訂を中止しようと考えた大建築家だったが、シャルク兄弟らの説得で、結局それは敢行された。

現在演奏されるのは、この最終稿による物が多い。
http://homepage3.nifty.com/mahdes/myckb8a.htm

 

▲△▽▼

 

欧米でブルックナーの音楽が敬遠された理由 _ 2


ブルックナーの遺言(前編)

ブルックナーの全交響曲の中で1曲だけ選ぶとしたら、何といっても『第9番』である。 これまでブルックナーのさまざまな作品を聴いて、それぞれに深い感銘を受けているのだが、やはり『第9番』の魅力には敵わないと思う。

今回は、ブルックナーの死によって絶筆となった第4楽章フィナーレについて取り上げてみたい。

長らくこの第4楽章は、スケッチのみが現存すると伝えられてきた。

事実、『クラシック音楽作品名辞典』(三省堂刊)には、昨年発売の改訂版にも、そう記載されている。要するに「取るに足りないもの」というわけだ。ブルックナーを愛好する人でさえ、かつては、その程度の認識だったと思う。事実は、大きく違っていたのだが…。

また、残された3つの楽章の出来が素晴らしいことも、続く第4楽章に対して興味が向かない要因だったとも考えられる。緊張度が高く悪魔的な第1、第2楽章。ようやく第3楽章の終盤になって、その緊張から開放され、彼岸のような穏やかな調べとなる。

事実、第3楽章の最後の部分では、これまでの自作の旋律が次々と回想され、いかにも全曲の締めくくりのようにも聴こえる。そこには3楽章で終わることによる不足感や疎外感はなく、シューベルトの『未完成交響曲』と同様、「残された楽章だけで完結している」と思えても不思議ではない。現在でも、そう考える人は少なくないのではないか。だがそれは、決してブルックナーの意思ではない。彼は、あくまでも4つの楽章から成る交響曲を意図していたのである。死が訪れるその日まで…。

1980年代になって、アメリカの音楽学者ウィリアム・キャラガン校訂に基づくヨアフ・タルミ指揮&オスロ・フィルによるCD(シャンドス)が発売され、そうした認識に風穴が空いた。このフィナーレが取るに足らないスケッチなどではなく、実は復元が可能なくらい相当数の総譜や草稿が残されていることが、一般にも知られることになったからだ。

その後も、『第3番』や『第8番』などのオリジナル第1稿の録音で評判が高かったエリアフ・インバルによる録音が現れたりしたが、何といっても決定的な評価を得ることになったのは、1993年に発売されたクルト・アイヒホルン指揮、リンツ・ブルックナー管弦楽団による2枚組みのCDであろう。※現在は、「交響曲選集」に含まれる。

この演奏は、音楽学者・指揮者・作曲家のニコーラ・サマーレ、ジョン・A・フィリップス、ジュゼッペ・マッツーカの3人にベンジャミン=グンナル・コールスが協力し、現存する手稿に基づいて行われた自筆スコア復元の試みで、1992年12月に発表された。彼らの頭文字を取り、通称「SPCM版」と呼ばれる演奏会ヴァージョンである。

この版に基づき、いち早く録音されたアイヒホルン盤の演奏が、フィナーレ付き『第9番』の普及に果たした功績は大きい。それ以前の復元版は、CDで聴く限り、あの偉大な3つの楽章に続く役割を担うには全くの役不足で、それに相応しい規模と内容を備えているとはいえないものだった。また、復元版が複数出回り、その違いの大きさやブルックナーらしくない展開に、失望と諦めが広まっていたのも事実であろう。

しかし、ブルックナーの演奏に定評のあるアイヒホルンによる渾身の演奏は、前半の3つの楽章ともども大変素晴らしいもので、決定版とは断言できないかもしれないが、高い評価を得ることになったことは間違いない。また、80ページにわたる付属の解説書も、たいへん読み応えのあるものだった。

その後も改訂が加わり、CD録音がいくつも発売されたが、取り立てて大きな違いは感じられなかった。ただ、アーノンクールが、2002年にウィーン・フィルと録音したCDは、第4楽章の断片資料に関する詳しい説明と演奏がワークショップ形式で収められていて、興味をそそられた。

僕自身、2010年1月9日に、愛知県芸術劇場コンサートホールで開催されたオストメール・フィルハーモニカーの演奏会で、このSPCM版に接するなど、ブルックナーの「4楽章完成版」は、すっかり日常?の作品になっていた。だが今回、サイモン・ラトルが今年2月のベルリン・フィルの定期で、この4楽章版を指揮すると知って、久しぶりに心を揺り動かされた。それは、来日時のインタビューの中で述べた「これまでの復元版とは大きく異なる」「これこそが決定版」という発言を聞いたからだ。

その後、今回、ラトルが取り上げるのは、新たに校訂されたSPCM版と知り、上記の発言は、あまりに大げさではないかとも思ったが、近年、研究が進み、新たに発見された草稿も取り入れながら、どのような姿に変わったのか興味があった。CDも発売されるとアナウンスされていたが、待ちきれず、ベルリン・フィルの定期演奏会のライブ中継を見るために、今まで躊躇していたデジタル・コンサートホールに入会することにした。

2月9日、日本時間の早朝4時ころから始まる演奏を見るために、眠い目をこすりながらパソコンのモニターに向かう。地球の反対側で行われている演奏会のライブが、インターネットを通してリアルタイムで鑑賞できるという事実に、改めて感動をおぼえた。

演奏会は、大成功のうちに終了。聴衆の大歓声に、満足そうに応える指揮者や団員の姿が印象的だった。2012年校訂版は、ラトルがアナウンスしたような「これまでとは大きく異なる」というほどの違いもなく、いささか拍子抜けしたが、それは、今までの校訂作業が、確かなものであったという証拠であろう。

ただ一点驚いたのは、コーダの最後の箇所だ。アイヒホルン盤など、これまでの演奏では、4つの楽章の主要主題が積み重なって壮大なクライマックスが築かれた後、いったん全部の楽器が静まり返り(ブルックナー休止)、弦楽器が静かにトレモロのパッセージを奏でる中、金管楽器による「ハレルヤ」の主題が登場し、それが繰り返されながらクレッシェンドしていく流れだった。

しかし、今回の演奏では、クライマックスの後、間髪を入れずに全楽器がフォルティッシモでニ長調の主和音を鳴らし、一気に終結に向かうという点だ。
弦楽器の刻みも、『テ・デウム』の動機に変えられている。

今までの演奏に馴染んできた者としては、かなり戸惑ったが、そのアーカイブ放送を聴き込むにつれて、新しい版の方が曲の説得力が増し、より効果的だと思えるようになったし、アイヒホルン盤など既存の版で唯一不満な点だった「終結部の印象の弱さ」が大きく改善される結果となった。

今回、ラトルとベルリン・フィルが取り上げたことで、この「4楽章完成版」に対する認知度は、いっそう増すことだろう。

思い起こしてもらいたい。1980年、サイモン・ラトルのデビューアルバム(LPレコード)が、ボーンマス交響楽団と録音したマーラーの『交響曲第10番嬰ヘ長調(デリック・クックによる全曲版)』だったことを…。


マーラー 交響曲第10番[クック全曲版](EMI)
From the grave to Farewell to Life.
Simon Rattle, Berliner PhilarmonikerMahler - Symphony No. 10 i. Adagio
http://www.youtube.com/watch?v=7P8POin5prE

Mahler, 10. Symphonie, II. Satz
http://www.youtube.com/watch?v=ZxSHPufzi10

Mahler, 10. Symphonie, III. Satz
http://www.youtube.com/watch?v=w-r9lwom1Uk

Mahler, 10. Symphonie, IV. Satz
http://www.youtube.com/watch?v=HYMcIrF9wJ4

Mahler, 10. Symphonie, V. Satz: Finale
http://www.youtube.com/watch?v=sQwe6FX_9BM


それ以前は、数えるほどしか録音がなく珍しい存在だったこのクック全曲版が、この録音を前後して一気に広まっていった。そして2002年、クラウディオ・アバドの後任としてベルリン・フィルの首席指揮者兼芸術監督に就任したラトルが、真っ先に取り上げたマーラー作品が、この「クック全曲版」だった。これがマーラーの『交響曲第10番』を、全5楽章の作品として当たり前のように聴かれることとなる決定的出来事となった。もちろん今でも、かたくなに「第1楽章のアダージョしか認めない」という指揮者や評論家がいることを知っているが、このクック全曲版を「キワモノ」とみなす人は、さすがにいないであろう。

そして今回、ラトルはベルリン・フィルとともに、このブルックナーの未完の交響曲の補筆完成版を取り上げた。状況は、まさに10年前のマーラーの「それ」を思い起こさせる。

ラトルは、かねてよりこの4楽章版に興味を示しながらも、その完成度に疑問を持っていたと伝えられるが、幾度かの校訂を経て、ようやく納得のいくものになったと思われる。昨年、ベルリン・フィルのシンガポールや日本における公演では、今までどおり3楽章形式で演奏していたが、来日時の記者会見で、次のシーズン・プログラムとともに、この計画を発表したときの彼は、きわめて饒舌であったという。そして、満を持して披露される運びとなった今回の演奏…。

定期演奏会に合わせて録音されたCDも、5月に発売が控えている。これを契機に、この「4楽章完成版」が多くの人の耳に届き、やがては「全曲版」と呼ばれるようになり、広く普及していくことを、心から願っている。


【参考映像】
サイモン・ラトル来日記者会見『ブルックナーの交響曲第9番について』
http://www.youtube.com/watch?v=omv8_EqtK9c&feature=player_embedded

http://mydisc.cocolog-nifty.com/favorite/2012/04/

 

ブルックナーの遺言(後編)

まもなく私は神様の前に立つことになるが、一生懸命やらなければ神様の前に行けないだろう。
年老いたブルックナーは、マーラーにこう語ったという。

ブルックナーの『交響曲第9番ニ短調』は、「神に捧げるため」に作曲された。信仰心の篤(あつ)かった彼にとって、作曲した作品全てが愛すべき神のためのものだったともいえるが、この交響曲の完成にかける想いはひとしおだったようだ。だが結局、それを遂げることなくブルックナーは生涯を終える。

前回でも述べたとおり、この『第9番』の第4楽章は、一般には少しのスケッチしか残されていないと伝えられてきた。しかし、関係者による研究が進むにつれ、実際は多くの総譜や略譜等がつくられ、すでに全体の構成は出来上がっていたことが明らかになる。

※かつては、フィナーレにとりかかった時期は死の前年(1895年)とされ、「わずかなスケッチしか残されていない」という説の根拠となった。

ブルックナーが亡くなった時、彼の部屋には通し番号が記された「ボーゲン」と呼ばれる2つ折り4面の五線譜が約40枚残されていたが、その半分近くが散逸し、いくつかは現在も失われたままである。

ブルックナーの遺産管理人であったフランツ・シャルクやフェルディナンド・レーヴェ(この交響曲の初版を作成、初演した人物)らの故意あるいは不注意によって多くの自筆譜が売却されたり、友人たちが記念品として持ち帰ったという。その結果、フィナーレの貴重な楽譜も、世界中に散らばってしまった。

レーヴェは、フィナーレに関して口を閉ざしているが、こうした不手際が世間に広まり、非難を受けることを避けたかったためと思われる。

1887年8月、『交響曲第8番ハ短調』作曲中に『第9番』のスケッチが開始されるが、『第8番』の初演をめぐるトラブルが発生し作曲が中断。その影響で、初期の交響曲やミサ曲など大幅な改訂作業に追われることになる。1891年、ようやく作曲が再開されたが、同年11月のウィーン大学における最終講義では、

「もしこの交響曲が未完に終わった場合は、フィナーレのかわりに自作の『テ・デウム』を演奏してほしい」

と語った。前年、激しい呼吸困難の発作を起こし、健康上の不安を抱えていたため、こうした発言が出たのであろう。

当時のブルックナーは、ウィーン大学を辞め、ウィーン音楽院からの年金に加え、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の計らいで名誉年金が支給されることになり、十分に作曲に集中できる環境が整っていたはずで、全ドイツ音楽連盟の音楽祭の委嘱を受けて『詩篇第150番』を作曲したり、ウィーン男声合唱協会のために『ヘルゴラント』を作曲したりという日々が続く。

そして1894年末の段階で、第1楽章から第3楽章が「ひとまず」完成され、フィナーレについても「大部分」を書き終えていたといわれている。

その後もフィナーレの作曲は断続的に続けられたが、健康状態は悪化の一途を辿り、ついには自力で階段を上り下りできなくなってしまう。それを知った皇帝の計らいで、1895年7月、ベルヴェデーレ宮殿内の管理人用住居を間借りし移り住む。弟のイグナーツや妹のカティらは、身体の不自由な兄を献身的に支えた。

1996年10月11日。この日は朝から、爽やかな秋晴れだった。ブルックナーは体調も良かったため、朝食を取り、ピアノに向かってフィナーレの楽譜に手を入れていたところ午後3時ころ容態が急変、そのまま静かに息を引き取った。そしてこの交響曲は、未完のまま残されることになった。

誠に残念なことといわざるを得ないが、しかし、少々腑(ふ)に落ちない点もある…。

『交響曲第7番ホ長調』は完成まで約2年、続く『第8番』は(初稿の完成まで)約3年である。

一方、『第9番』は、作曲に着手してから彼の死まで約10年。

次々と問題が彼の身に降りかかり、作曲の筆が遅々として進まなかったとはいえ、残りの人生をかけて完成に力を注いできたという割には、いささか作曲の筆が遅すぎはしないか…。

こんなに時間をかけても最後まで書き終えられることができなかったのはなぜか。ブルックナーの演奏に定評のある大指揮者ギュンター・ヴァントは、

「ブルックナーは、フィナーレを完成させる自信がなかったのだ」

と語っているが、今となっては真相は闇の中だ。

さて、今回の本題である未完の第4楽章に話を移そう。
このフィナーレについては、残された草稿を基に、今までいくつかの補筆完成版が登場している。代表的なものは「キャラガン版」と「SPCM版」の2つ。

前者は、ブルックナー研究家のウィリアム・キャラガンによる補筆完成版で、これまで東京ニューシティ管弦楽団をはじめ、いくつかの演奏がCD化されていて、先ごろもゲルト・シャラー指揮&フィルハーモニー・フェスティヴァによる2010年改訂版のCDが発売されたばかりである。

それらの演奏を聴いた限りでは、楽想の性急な展開や深みのないオーケストレーションなど、ブルックナーらしからぬ箇所が多いと感じた。純粋に補筆者の創作となる終結部は、『第8番』のフィナーレに倣ってアダージョ楽章の主題を引用するアイデアは良いとしても、あまりにも楽天的な楽想(たとえばトランペット)には、強い違和感を覚えざるを得ない。僕は、キャラガンのアメリカ人気質が裏目に出てしまった結果だと考えている。

その点、今回、サイモン・ラトルが取り上げたSPCM版は、4人の音楽家、研究者によって、ブルックナーが残した資料を最大限に尊重した改訂が進められたプロジェクトで、ラトルによると、

このフィナーレの奇妙な箇所は全てブルックナー自身の手によるものだという。

多用される不協和音は、作曲当時、彼を取り巻いていた様々な出来事が反映されていて、いかにもブルックナーの心の葛藤を表しているように聞こえる。

この版は、オーケストレーションをはじめ、補筆の割合が増える展開部以降の音楽の流れも違和感が少ない。全くの創作となる終結部については、どの補筆版においても、いかに完結させるかが大きな問題となる。「愛すべき神に捧げる」この交響曲をニ長調(神を表すDeus)で終えることは、おそらく作曲者も望んでいたことだろうが、この版では、なかなか説得力のある手法が採られている。

第2楽章の…ハレルヤをフィナーレにも力強く持ってくる。そうすれば、この交響曲は愛する神さまをほめたたえる賛歌で終わることになる。

ブルックナー最晩年の医師リヒャルト・ヘラーが語ったところによると、ブルックナーはフィナーレの終結部をピアノで演奏して、そう語ったとされる。
では、この「第2楽章のハレルヤ」とはいったい何を指すのか? 

ヘラーの回想だけでは特定できないが、SPCM版の校訂者の一人であるジョン・アラン・フィリップスは、それを『第8番』の第2楽章トリオ部の25小節目で登場するパッセージであると解釈した。

それは、この『第9番』の第3楽章アダージョの主要主題の5小節目にも(ニ長調で!)登場する。

この旋律に含まれる「Fis→A→D→E→Fis(ニ長調のミ・ソ・ド・レ・ミ)」という音型は『ミサ曲第1番』や『テ・デウム』に現れるし、『第9番』と同時期に作曲された『詩篇第150番』でも「ハレルヤ」の歌詞に乗って歌われる。

いわばブルックナーが神をたたえる場面で象徴的に登場する旋律であり、この壮大な交響曲の締めくくりにふさわしいものとして用いられることになった。

SPCM版2012年改訂稿の終結部では、前3楽章の主題が積み重なるように再現(かなり衝撃的!)され、ドミナント和音(11の和音)により究極の緊張がもたらされた後、弦楽器群で奏される『テ・デウム』の4音動機に乗って、金管楽器の「ハレルヤ」が高らかに鳴り響く。

最後は『ヘルゴラント』の終結部を応用し、神をたたえながら曲が閉じられる。(ただし、ようやくニ長調に転調して輝かしい響きに包まれたと思った途端、あっけなく曲が終わってしまう点は少々物足りないが…) 

もちろん、ブルックナー自身の手によって完成されていたならば、より緻密で説得力のある作品になったに違いないという思いは残るが、1984年の初刊以来26年、幾度もの改訂を経て「最終完成版」として発表された今回のSPCM版のフィナーレは、演奏の素晴らしさと相まって、前の3つの楽章と遜色のない作品に仕上がっていると感じた。

【参考映像】
サイモン・ラトル『ブルックナー:交響曲第9番(第4楽章­付)』特別映像
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=3p7H2sHMXmw

http://mydisc.cocolog-nifty.com/favorite/2012/06/post-388d.html


ブルックナー 交響曲第9番(SPCM完成版)
ダニエル・ハーディング指揮スウェーデン放送交響楽団
http://www.youtube.com/watch?v=9sbonyfZcHQ

 

▲△▽▼

 

欧米でブルックナーの音楽が敬遠された理由 _ 3


「神が現れる」と感じる音楽はそう多くない。

作曲者を感じたり、音楽に感動することはあっても、「そこに神がいる」と感じることは、ベートーヴェンでもブラームスでも、あれほど神々しいマーラーの音楽でも、まったくと言っていいほどない。

バッハやヘンデルやハイドンも同様で、たとえ宗教曲であってもそれは「神をたたえる人間の音楽」なのだ。

そこには神は現れない。

しかし、ブルックナーの交響曲には、ウソではなく、神が現れる瞬間がある。

7番までは1度現れるかどうかだが、最晩年の大作8番と未完に終わった9番には、しばしばと言っていいくらい現れる。

ブルックナーの演奏は、彼の交響曲の細部に宿っている神を、どれだけ現前させうるかで決まる。

交響曲第8番アダージョの第3楽章は、時間がとまり永遠が現出する奇跡の音楽。天国というものがあるとしたら、それはこういう世界ではないだろうか。

交響曲第8番フィナーレのラスト3分を聴くと、いつも臨死体験とはこういうものではないかと思う。

人が死ぬとき、一瞬のうちに人生のすべてを回顧するという。

無限に続くと思われる宇宙の断崖がこの曲の最後の1小節であり、その響きの余韻の中に神が現れる。
http://plaza.rakuten.co.jp/rzanpaku/diary/200502260000/

 

ブルックナーとマーラー

ちょっとブルックナーとマーラーの、主に人間像について書いてみたくなった。
よく並べて書かれることが多い二人だが、そもそも彼らは音楽面でも人間面でもまったく違う人間である。

ブルックナーの音楽はひたすら美しいものを追求し続け、結果、誰をも寄せ付けない最高の交響曲を創り上げた。自己満足の極致とでも言おうか。したがってそこには人生の苦しみなどは感じられない。ひたすら自然への賞賛、美しいものへの賛美・感動が続く。

マーラーの音楽はまったく違う。常に「人生」というものが彼の大きなテーマであったに違いない。マーラーの人生は苦労に満ちた波乱のものであった。そういった日常生活が彼の作品に多大な影響を及ぼしている。

彼の作品の中には、不安・絶望・怒り、そして歓喜や安らぎ、あらゆる人間感情が渦巻いている。しかし最後には人間の生命力が打ち勝ち、肯定的に終わるのが彼の交響曲だ(6番を除く)。


一般に思われているような師弟関係は二人の間にはなかった。

ブルックナーがウィーン大学で講義を開講していたとき、登録学生の中にマーラーがいた、というのがそもそものキッカケであったらしい。それでどういうイキサツでか、ブルックナーが自作の第3交響曲のピアノ編曲をマーラーに頼み、その出来に非常に満足したので、以来師弟関係というよりは親しい友人関係のようなものが続いたらしかった。


ブルックナーの人柄は?? 

写真を見るとよぼよぼの爺さんのようなイメージを受けるが、数少ないアップの写真を見ると、意外とやさしい目をしているのが分かる。小心者であったとはよく言われるが、講義でユーモアを交えて学生を笑わせたり、子供にお菓子を配ったりと、意外とけっこう気さくな人であったらしい。パーティーに出席するのも大好きだったようだ。

ブルックナーで気の毒であったのは、72歳で没するまで結局良い女性にめぐり合えなかったことだ。結婚の直前までいった女性は何人かいたようだが、いずれも実現しなかった。

しかしブルックナーが身近な女性に想いを馳せながら作曲したことは間違いないことのようだ。

よく「ブルックナーはロリコン」とか言われるが、60ぐらいのオッサンが、本当にロリコンでは困るが、20歳ぐらいの女性に真剣に恋しているって私はとてもカッコイイと思うのだが。


一方のマーラーは相当気難しい人であったようだ。

本当にささいなことやわけの分からないことで不機嫌になっていたらしい。
そのため、常に周りと衝突し続けていた。家族に対しても同様である。

マーラーが家で作曲するときは、妻も娘も身動きできないぐらいほどビクついていないといけないらしかった。まあ、それも無理はない。あれほどの曲を作曲する人だ。ただの「いい人」であるわけないじゃないか。。。。 

正直ブルックナーとは友達になれてもマーラーとはなれそうにない。
妻アルマはなんとかいう画家と不倫してマーラーを苦しめたが(マーラーの死後彼と再婚したが、また離婚した)、まあマーラーにも責任は大いにあるという気がした。

あんな旦那じゃたまりませんでー。

グスタフ・マーラー―愛と苦悩の回想 アルマ マーラー (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%95%E6%84%9B%E3%81%A8%E8%8B%A6%E6%82%A9%E3%81%AE%E5%9B%9E%E6%83%B3-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9E-%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4122014484


は彼女の文才も手伝って大変面白い読み物になっている。マーラー好きな方には是非読んでもらいたい本だ。
http://music-piano.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_0cdb.html

 


以下の作曲家たちは強迫性障害に罹患していたと推察されている。


 ■ベートーヴェン
   強迫行為が多く、それを妨げられたりしての癇癪も多かったようだ。
   ベートーヴェンの音楽は荘厳で迫力があるものも多いが、執拗に主題を何度も何度も繰り返すソナタ形式など、作曲面でも強迫性障害が影響を与えた可能性はある。

   難聴の進行と老化が、元からの性格に更に影響を与え、オーケストラ曲に関しては晩年は寡作になる。交響曲第8番以後、10年近くオーケストラ曲は作曲せず、のちにミサ・ソレニムス(作品123)と第九(作品125)を続けざまに発表してオーケストラよりも弦楽四重奏曲の大曲にのみ没頭する。それらの弦楽四重奏曲は晦渋である面は否めない。(それ故に後期弦楽四重奏曲群のファンも多い)


 ■ヤクプ・シモン・ヤン・リバ
   教会で働く傍ら作曲をしていた。物事を難解に、または悲観的に捉えて離れないような性格だったようだ。うつ病を患っていたが、強迫性障害による二次障害でのうつ病なのかもしれない。几帳面。のちに森林で自殺している。
   強迫性障害からうつ病を発症なのか、うつ病が先なのか……。


 ■ブラームス
   徹底的な強迫的完璧主義者。自己批判的であり、自分に厳しい。完璧を求めるあまりに遅筆になり、そして寡作になった。一旦ペンを折る。


 ■ブルックナー
  行動様式も音楽も強迫観念が強かったようだ。ジンクスなどを異様に拘る面も。

  作風でも強迫的な面はあり、巨大で自由なソナタ形式などが多く、幾つもの主題が何度も繰り返されたりする。それ故に荘厳さが増したり、ドイツの黒い森のような深さを表現も出来ている。出版した作品は殆どが改訂を何度も繰り返し、作品そのものを大規模に変更するほどの改訂をしたこともある。

  交響曲と幾つかの宗教曲以外は目立つ作品は少ないが、9曲の交響曲(さらに若い頃の習作の0番と00番もある)の熱烈なファンは多い。

  ブルックナーの音楽は、ブルックナー開始、ブルックナー休止、コーダと休止など幾つかの際だった特徴があり、ブルックナー開始は第1楽章が弦楽器のトレモロで開始され、これを多くの曲で採用している。

  ブルックナー休止は楽想が変わるときに、オーケストラの演奏を一時的に全休止させてしまうこと。殆ど全ての曲で採用している。

  コーダと休止は、コーダの前にタメの休止があり、そこから新しい動機などが出現して徹底的に、扇動的にさえ思えるほどに上昇させ頂上に到達させる。
  これらの他にも幾つかの特徴を殆ど全ての音楽で踏襲させている。

  ちなみにブルックナーはロリコンでもある。

  
 ■マーラー
  妻に対する確認強迫が激しかった。また、作曲中に閃いた秀逸な旋律が、俗っぽい旋律で頭の中を埋められてしまって、作曲に度々支障を来していた。

  音楽自体も異様に騒々しい演奏部分がしばしば登場する。長大な作品が多い。
  フロイトの診察により改善したが、直後に敗血症で死亡している。
  

 ■サティ
  外見は身だしなみがしっかりしており、清潔感がある人物であったが、自宅が汚部屋だった。綺麗にしなければいけないという強迫観念が強すぎて疲れてしまい自宅では掃除が出来なかったようだ。

  また、潔癖性の強迫観念が強すぎて、掃除そのものが手が汚れるとして出来なかった。
  潔癖性の人も度が過ぎれば、反対に汚部屋の住人になることもある。


 ■シベリウス
  早くから才能を開花させ、様々なジャンルの曲を数多く作曲したが、長命だったにも関わらず、管弦楽曲のタピオラを作曲以後は人生の半分が一気に寡作になった。
  途中から強迫性障害になった作曲家であり、ブラームスのような徹底的すぎる完璧主義者になってしまい、何度も書いては訂正を繰り返し、自ら衰弱して作品を仕上げられなくなっていった。交響曲第7番が最後であるが、交響曲第8番は何度何度も取りかかってはボツにしたり、訂正に訂正を繰り返してダメにしていた。

  完成させたものの、交響曲第8番は厳しく管理されていて、結局は燃やしてしまって世に出なかった。

 

ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチなどは、その執拗さや独自の規則性、独特の際だつ様式、長大作品が多いことなどから、作曲家を神格化するコアなファンが多い。そしてファンもそういう傾向がある人が相対的に多い気はする。
純粋に音楽として考えた場合、エポックメイキングだったり衝撃的な新しい解釈を導入したり、音楽性は高い。この3人は男性の熱烈なファンが多いのも有名。


芸術家の例に漏れず、作曲家も強迫性障害だけでなく、気分障害や統合失調症がわりといる。創作と障害の親和性ってなんだろうね……。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~greenclover/Nikki/Diary2012_04/D2012_04_16_3.html

 

ブルックナーという男は実に地味ーな男である。コリンウイルソン氏はブルックナーに関して面白いことを云っている

「彼は不思議なほど不幸な男で、いわゆるチャーリーチャップリン的人間であったことがわかる。大工が椅子の上から落とすペンキ缶は決まってこういう男にふりかかるのだ」

何かわかるような気がする(^^;)

  実はブルックナーは自分に極めて自信がない男だった。

彼の交響曲は当時の観客の好みに合わず初演が不評に終わることが多かった。
そのため彼は曲を発表する度に書き直している。
それも手直し程度のものではない。殆ど全く作り直しといってよい。

かくして同じ曲でありながら複数の楽譜が存在するというややこしい事態が生じる。

それをさらにややこしくしたのは、ブルックナーの熱烈な支持者だった指揮者、ヨーセフ・シャルク、フェルデイナンド・レーヴェ等が作品を「わかりやすく」するために更に楽譜に手を加えたためにブルックナーの演奏をするのにどの楽譜を使って良いのかわからないということになってしまった。

これも自分の作風、音楽そのものに自信をもつことができなかったブルックナーの性格が原因である。

ブルックナーの自信のなさは私生活でも出ている。
彼は女性遍歴らしいものが殆どなく女性とまともに会話することすらできなかったようである。(72才まで生きたが一生童貞だったという話もある)

心理学者の富田隆氏によればこういう自分に自信のない男はロリコンになりやすいと云っていたが、果たせるかなブルックナーは初めて会った十代の女性に結婚を申し込んだりといった常軌を逸したことをしている。

非常に不幸でアブないオッサンである。
http://homepage1.nifty.com/hyb-music/composer.htm


ブルックナーの音楽関係以外の愛読書はごくわずかで、

「メキシコ戦史」、
「北極探検の世界」、
「ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンの絵入り伝記」

の3冊だけらしい。他に仮綴じ本「ルルドのマリアの奇跡論」。

愛用していたピアノはベーゼンドルファー。
まじめ一徹な田舎の教会学校の先生、
オルガンの名手でかつ即興演奏の達人で、オルガンで音楽を考えるタイプの作曲家だった。
頭の中は教会音楽の古典的知識で占められていながら、ベトーヴェンやワグナーの当時の現代音楽をとらえ込んだ感性とは一体何だったのだろう。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/bru-page413/bruckner_page.htm


 ブルックナーは敬虔なカトリック信者であり、オルガン奏者で即興演奏の天才であり、大酒飲みであった。

服装にはまったく無頓着で、左足は尖がった靴で右足は先の丸い靴を履いていたという。

学校で音楽を教えていた時、授業中でも教会の鐘が鳴ると授業を中断し、その鐘がキンコンと鳴る方向にひざまずいて、お辞儀を始めるのだった。あまりにそれがひどいものだから、評判が悪くなって、女学校をクビになってしまった。

 ブルックナーは自分に極めて自信がない男だった。彼の交響曲は当時の観客の好みに合わず初演が不評に終わることが多かった。そのため彼は曲を発表する度に書き直している。それも手直し程度のものではない。殆ど全く作り直しといってよい。かくして同じ曲でありながら複数の楽譜が存在するというややこしい事態が生じる。これも自分の作風、音楽そのものに自信をもつことができなかったブルックナーの性格が原因である。

 ブルックナーの自信のなさは私生活でも出ている。
彼は女性遍歴らしいものが殆どなく女性とまともに会話することすらできなかったようである。いわゆるロリコンであったといわれている。

ブルックナーは生涯に何度も十代後半から二十代初めの女性に求婚しているが、1886年には21歳のマリー・デマールに求婚して断られている。この後も若い娘に求婚しては断られるということを晩年の1894年まで繰り返していた。

学校で生徒の女の子に「あたしの大好きなかわいこちゃん」と気軽に呼びかけたのを、隣の女教員に告発されて大騒ぎになったこともある。演奏会で気に入った女性を見つけると必ず声をかけてしつこく住所を尋ねたり、教会の前を若い女性が通るとこれまた必ず声をかけたりした。結局彼は生涯独身を通した(独身に終わった)。
   
 1867年に数字に対するこだわりが増えて、集合したものや並んでいるものの数を数えずにはおられないという強迫症状が生じている。真珠のネックレスをした婦人が近づいてきた際に

「これ以上あなたが近づくと私はその真珠の数を数えなければならない」

と警告を発した。

 1881年にブルックナーの住まいの向こう側にあったリング劇場が火災にあった。この時から火災への恐怖も目立つようになったが、同時にブルックナーは、

死体を見に行くという、死への異常な関心を示す行動もとっていた。

ウィーンの中央墓地の移転に際してベートーヴェンの墓が掘り起こされる時、死体を一目見ようと作業に立ち会った。

死刑囚の裁判をみるのが大好きで、飽きずにずっと見に行っていた。
しかし、ついに最後死刑判決が出てしまうと、死刑囚のために一晩中お祈りをひたすら続けたのである。

 ブルックナーは深い信仰、謙虚さと、官能という相容れないものが同居した野人、「才能のない天才」といわれている。
http://tockng.blogspot.jp/2007/08/blog-post_14.html

 

大作曲家・ブルックナーはロリコンだったのか

 ブルックナーのエピソードとしては、ロリコン疑惑がよく取り上げられる。

 27歳の時、ルイーゼという16歳の少女に一目惚れしてただちにプロポーズし、断られたという逸話が残っている。そして、20代から壮年まで浮いた話も見かけない。ところが、地位も名声も得た67歳の時、19歳とか18歳といった、孫ほども年の離れた少女に立て続けにアプローチしている。これでは「ロリコンのブルックナー」と思われてもまったく根拠のない話とはいえないかもしれない。

 しかし、年下の少女に求愛したからといって、ただちにロリコンと決めつけるのは短絡的すぎよう。

 最初のケースのように、27歳の青年が10歳ほど年下の少女に告白するようなことは珍しくない。年の差もさほど気にするほどではない。

 問題の壮年になってからのケースだが、本当に気合の入ったロリコンが、18歳とか19歳といった、かなり成熟度が進んだ女性に向かうかという疑問がわく。その少女たちがどんな外見と体型だったのかは不明だが、18歳といえば、欧米ならすでに成人女性の体格になっていてもおかしくはないし、その年齢で結婚するケースも稀ではない。

 本当にブルックナーは、ロリータ・コンプレックスだったのだろうか。

 彼に関する数々の資料を読んでみると、彼の性格や行動についての興味深い記述がいくつも見つかる。たとえば、

ブルックナーは物に対する関心が非常に強く、何事についてもいちいちメモしていたというし、
ある時には河原の小石の数が気になるあまり、自ら川岸で数えていた

というエピソードまで残っている。ほかにも、

火事などが起きると現場を確認せずにはいられず、何時間も焼け跡を見てまわったらしい。そのため「ブルックナーは死体愛好趣味」という噂まである。

 しかしその半面、彼は生身の人間はとても苦手だったらしい。たとえば、作品の評価をめぐって評論家や他の作曲家などと言い合いになるケースはよくある話だ。実際にケンカはしなくとも、反論を書いて雑誌に載せるとか、そういうやり方が正攻法である。

 ところが、ブルックナーの場合は何とも奇妙な、何より情けない自己防衛をとっている。知り合いの音楽批評家エドゥアルト・ハンスリックから作品を酷評された際など、ブルックナーは何とオーストリア皇帝に泣きついて、

「ハンスリック先生があまり激しいご意見を私に向けないよう、お願い申し上げたく存じます」

などと嘆願する始末である。ハンスリックはブルックナーの才能の理解者であり、親しい友人でもあったにもかかわらず、こういう行動に出ているのだ。こうしたケースはいくつもみられる。

 そうなると、ブルックナーはむしろ極度の対人恐怖症と考えるのが妥当ではないかと考えられる。

そんなブルックナーが、成人の女性にプロポーズするなど至難の技、いや不可能に近かったのだろう。とすれば、臆病な童貞男としては、自分よりもずっと人生経験の浅い、知識の点でも優位に立つことができるかもしれない、10代の少女にターゲットを定めたという可能性は否定できなかろう。

 だが、結果的にブルックナーは、すべてのプロポーズをことごとく断られ、ついに一度も結婚することもなく、生涯独身のまま72歳でこの世を去った。

ブルックナーの曲の演奏会では、男性の聴衆が圧倒的に多いのだという。
ブルックナーは女性には好まれないのだ。
http://www.menscyzo.com/2013/04/post_5730.html

 


152 :名無しの笛の踊り:2012/10/01(月) 22:15:59.10 ID:qFQcZorg

ブルックナーって生涯童貞だったんですか?


153 :名無しの笛の踊り:2012/10/02(火) 09:05:05.61 ID:9fJ3crRB
>>152
過去のブルスレで何度かあった質問ってことで、とりあえず前スレから


53 名前:名無しの笛の踊り[] 投稿日:2010/09/05(日) 01:22:48 ID:bxQpWAPs

ブルックナーってロリコンで童貞のまま死んだんですか?


54 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 02:06:20 ID:wzxOZvqh
>>53
・ロリコンとは言っても、伝えられるところではその対象は10代後半(ただし、晩年までその世代に執着し続ける)。
・晩年にベルリンでホテルのメイドさんとやっちゃった噂あり
(彼女とは結婚寸前まで行くも、結局破談)。


55 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 04:09:28 ID:B0hrqyJO

ブル8の成功以降は結構モテたらしいな


56 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 04:10:39 ID:B0hrqyJO

あれ?7番の成功だったっけか?


57 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 05:31:00 ID:nW0XPAa2
>>54
メイドも10代だったのかな?


155 :名無しの笛の踊り:2012/10/02(火) 15:43:59.55 ID:B/V9s6hU
>>152
アルマ・マーラーの自伝によると
ブルックナーが酔っ払ってメイドに手出しして結婚迫られて困ってるところをマーラーが女に金握らせてカタをつけた話が載ってるが・・・

例によってアルマのホラだろうなw


156 :名無しの笛の踊り:2012/10/03(水) 05:35:26.10 ID:RTi+FebL
>>152
そのメイド(イーダ・ブーツ)はブルックナーへの手紙で、

「結婚するとしても、それは教授や博士ではなく、ただ私の大切なブルックナーさんと結婚するということ」

と書いた

ブルックナーは1891年の「テ・デウム」ベルリン初演に出席した際に宿泊先でイーダと知り合い、 文通を始め、94年の再演時の訪問で婚約したという

「テ・デウム」の指揮者ジークフリート・オックスは、 楽屋でブルックナーから

「イーダを連れてきたい」

と言われ、 カール・ムックからブルックナーがイーダと婚約したと事情を聞かされた
この時ブルックナーは方々で婚約したことを触れ回っていたらしい
なお、そのオックスによると、ブルックナーはこの話の直後に別の女性を見初め、その両親のもとへ押しかけて求婚したとか
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1338095701/

 


作曲家 人と作品 ブルックナーの感想・レビュー

うな坊
「晩学」で「評価が遅れた」人だと思っていたが、早くから作曲をはじめ、生前にかなりの評価を得ていたことがわかった。「作品篇」の解説がありがたい。
朴訥とした人だと思っていたが、これまた、かなり、ギラギラした部分もあり、私が抱いていた人物像がかなり変わった。


antoinette
やっぱりブルックナーは天然だった。あと、20代女性に求婚したりしてたのは知ってたが、10代の少女にピアノ曲を献呈しまくったりとか、本物のロリコンだったとはw 


バカハツ五郎
ブルックナーは他人の評判を気にする気の小さい音楽家だとばかり思っていたが、実は出世欲満々の野心家だったらしい。かなり翻訳も読みやすい
http://book.akahoshitakuya.com/b/4276221838

 

▲△▽▼

 

欧米でブルックナーの音楽が敬遠された理由 _ 4


85 :名無しの笛の踊り:2001/06/05(火) 00:30

カール・リヒター
ミュンヘンの高級ホテル、フィアヤーレスツァイテンの客室で腹上死。
お相手はミュンヘン・バッハ合唱団員だったとか。
http://mimizun.com/log/2ch/classical/989994219/


要するに、殆どの人は外向的性格なので、ブルックナーの様に極端に内向的性格の人間が全く理解できないんですね。

「ユングの性格論」

まず、大きく、内向型、外向型と分けられます。
が....一般的に言う、内向型、外向型とは、これもまた違うんですね~。

一般的なイメージでは


○外向型 =明るく正直、常に他人のことを考えていてみんなの人気者。行動的。

○内向型 =暗く引き籠もり自分中心で非協力的。他人から敬遠されがちで、ちょっと困った人


こんなイメージで捉えられてるように思うけど..これは一般的な「見た目判断」なんですね。心理学的な外向・内向は、まったく違った定義になります。

外向・内向とは、関心が外側に向くか内側に向くかということです。ユングの定義をそのまま言うと、

「もっぱら客体や客観的な既成事実を基準にして自らを方向付け、そこから、頻繁になされる重要な決断や行動が、主観的な意見ではなく、客観的な状況に左右される場合」

が外向的構え、これが習慣的になったのが外向性タイプと呼びます。

またこれの客観と主観が逆転する構えを内向的と呼びます。(林道義訳・みすず書房刊『タイプ論』より引用)


まず、外向型の困った点(悪い部分として現れた場合)は「周囲に簡単に同調してしまう」点と「自分自身で自分を確立できない」って事ですね。周囲が正しいとすることなら何も考えずに正しいと認識しがち。(一応、本人は考えてるつもりでも無意識的に流されている..という事も含まれます。)

例えば、きのうまで「戦争反対」と唱えていた人が、今日、周囲の多くの人が「この戦争は、国家を守るために、受けてたつべきだ!」なーんて言い出すと..「そうなのだ!この戦争はすべきだ!」・・・なーんて具合にすぐに思想転換してしまい、主体ってものが無いんじゃないの?って人、いますよね。。。

第二の点は、主体が地についていない為、常に他者からの保証を必要としてしまう、という事です。

誰かに褒められないと自分に自身が持てない人とか、常に、周囲の人の目や慣習を気にしてしまうタイプですね。

それ故、他人の価値観に容易に流されてしまい、結果的にまた主体を疎かにしてしまう……という悪循環を続けていくことにもなりがちです。

こういった外向型が、精神状態が乱れてきた場合、どんな病気になりやすいか?...というと、 ヒステリーなどの神経症を引き起こしやすい。

神経症、特にヒステリーの力動は「他人に対して自分をアピールする」ことを無意識に行っている故の障害なんですね。

分かり易い例として、他人の気を引きたくて注目されたくて、自殺未遂や離婚騒動を起こす落ち目の芸能人とか...かな。

こういった人々は、常に他人から注目されないと不安なので、他人を巻き込んで騒動を起こしやすいって傾向があります。

逆に、内向型は他者に、根本的に、強い関心を持たないので、もしも精神状態が乱れても、他人へ威力を発揮しようとは考えません。

しかし、その不安や攻撃は自分自身へ向けられ、自分自身が消耗してしまう..て事になりがちです。またそうなると、さらに追い打ちをかけて、客体(外界)と隔絶した方向に行ってしまうことから、ユングは神経衰弱になりやすいとしています。

ここで、ネガティブ傾向に陥ったときの、それぞれのタイプの心の動きを、まとめてみましょう。


内向型
上手く行かない出来事→なぜなんだろう?→これは自分の問題なのだ
→自分が悪いのだ...という方向で自分自身を追いつめてしまう


外向型
上手く行かない出来事→認めてくれない周囲が悪いのだ
...と他人のせい世の中のせいにする


神経衰弱 ヒステリーなどの神経症

外向型の人は他人に影響を与えなければ気が済まず、内向型の人は他人が関わってくると過干渉だと感じて居心地が悪くなる。

つまり、精神的な病に陥った場合、通常、迷惑が激しいのは当然、外向型で、内向型は、迷惑かけるのもするのも自分一人、ということですね。

こうやって説明していくと、なんだか、外向型の方が悪いじゃないか!..とも思われがちですが、良い悪い、という事ではなく、あくまでも気質の違いを述べているだけなのでお間違いなく。ただ、圧倒的に、人を巻き込んで困ったヤツになりやすいのは、確かに、外向型と言えますね。

しかし、内向型もひどくなると、サイコ犯罪に陥るし、もっと怖い事件を引き起こす可能性もあります。

通常、迷惑をかけるのは外向型、数は少ないけど怖い犯罪をおかすのは内向型。
さらに外向型と比べて、内向型は治癒はしにくい。困ったタイプです。

そりゃそうでしょう。常に世間に関心を持ち、他人の言葉に左右されやすい外向性は、立派な医者の言葉には、耳を貸す可能性は大きいですからね。治療しやすくもなりますよ。

ところで..なんで、世間一般では、内向型の方が、悪いイメージなんでしょうね?
理由のひとつに「実は外向型の情報操作」とも言われます(^o^)

他人からどう見られてもあまり気にしない内向型に対して、
外向型は自分が良く見られないと気が済まない上に、外に向かって働きかける力動が強いわけです。

外向型は自分の正当化のため世間的イメージを都合のいいように加工したがる癖があり、それが暴走すると自分を優良人種としたり人種偏見や差別に繋がり、独裁者や怪しい教祖様なんかになろうとしたり・・

ああ!思いあたる人、いそうですね~(^o^)


さて、ここで、ちょっと「同一視」という専門的な言葉を出しますが...外向型 取り入れ的同一視
内向型 投影的同一視

外向型も内向型も、この世に生きている以上、世間一般と、それぞれ関わる必要はあるわけです。いくら、内向型でも、世捨て人や仙人にならない限り、ちゃんと世間、社会と関わらなければ生きていけませんからね~。

簡単に言っちゃうと、同一視って事は、「関わろうとする意識そのもの」かもしれません。「世間、社会と関わる、他人と関わる」..という事は、つまりは、「人間が、まず自分自身を安定させる手段」でもあるわけです。どんなに正論を言っても、周りすべてが反対で、一人で孤立しているよりも、他人に共感してもらって認めてもらった方が、心も安らぎ、安定感を覚えることは確かでしょう。「僕らは一緒だ~!」って思いたいのは、内向型といえど、心の奥底では望んでいるって事なんですね~。

じゃあ、どうやって関わるのか、安定させるのか?・・その方法として、

外向型は客体を取り入れることによって自体を安定させようとし、
内向型は主体の不安を、客体に理解させ賛同してもらう、または、押し付けることによって安定を得ようとします。

つまり、外向型は「外から発せられたものを自分の中に取り込み」、
内向型は「自分の中から発せられたものを外に投影していこうとする事」で安定をはかるわけです。


当然、

流行に敏感で世の中の流れを掴んで、時流にのってビジネスを起こせるのは外向型で

研究、分析したりクリエイティブなものを作って、世に発表するのが内向型。


面白いでしょ? だからこそ、それぞれに特色があるわけです。ところが、そんな簡単には行かないのが世の常ですね~。

外向型も内向型も、それぞれ「取り入れ的同一視」または「投影的同一視」をし続け、そこで壁にぶつかり、自分で道を開いて成長し、次の高みに登れたものだけが、本当の精神の安定をはかれるようになるわけです。 どちらの型だとしても、その試練は同じです。

内向型を例にとってみると・・自分の内部を、なんとか外部の人に押し付けようとしても、相手だって主体を持っているものでだし、いつも賛同してもらえるとは限らないし、なかなか思い通にはならない。その結果、

→「外界は自分の思い通りにならないものだ」と深く反省・認識 → 干渉を諦め、内部処理で済ますことに全力を注ぐ。

その訓練が熟達した者は、内部の不安は内部のみで処理できるようになり、さらなる不安が外部から来ないようにオンとオフを上手に使いこなせるようになる。 これは外部と同一化することによって不安を無くそうとする外向型とは全く逆の政策ですね。

熟達した内向型は「自分は自分」「他人は他人」ときっぱり割り切ることによって、かえって、時代の風潮を超えた客観的視点に立つことも可能になってきます。

逆に外向型は、流行に上手く乗ることに長けているので、現実世界で成功し易いです。確かに、成功してる実業家のタイプに多いような気がしますね。ただし、自分というものがないので常に不安に苛まれ、とくに、他人から注目されていないと気が済まないという点がウィークポイントでもあり、それによって、自分の首を絞めてしまう傾向もあります。 自分の不安の正体を認識し、他人から注目を集めなければ不安になる心の弱さを克服すると、外向型は、次のステップへ大きく飛躍できます。

そう、つまり、どちらのタイプであっても、試練を乗り越え精神的に熟達していく事は可能だって事なんですね。
http://sedona10silvermoon.web.fc2.com/jung.html


ユング性格学概説 「二つの態度と四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚”“思考”“感情”“直観”と呼びました。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。


思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。


感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。


直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


我々は、これらの機能のどれかを用い、内外のものを知覚し、判断します。目の前の事象に対処し、方針を決定する。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1874.html


ブルックナーは典型的な内向直観型

内向型はホトンドといっていいほど、他人からは理解されづらいのですが、その中でも『内向的直観タイプ』は他の内向型の中でも、もっとも他人から理解されづらいでしょう。とにかくこの『内向的直観タイプ』の言うことは他人と比べるとかなりズレているのです。

『外向的直観タイプ』がころころと追いかける対象を変えるのを『飽きっぽい』と他人が見て判断するのに対して、この『内向的直観タイプ』は未来に浮かび上がる直観がころころと変わってるのですが、これはホトンド自分の内側に起こってるので他人からは見えないし、また本人もこれを他人に言ったりはしないんです。考え方が次々と変わったり発展したりするから、今こんなことを考えているかと思うと、次はまったく違う世界に飛躍してたりもします。でもこんなに湧き上がってくる素晴らしい直観は他人からは見えないんですが・・・

だからこのタイプの人達は未来へのメッセージを伝える占い師や、シャーマン・呪術者・新しい宗教の教祖などに多いタイプです。あと、漠然とした芸術家や、詩人にも向いてます。

食事とか服装にはほとんど無関心で、発想を持っていても、それが独創的すぎてるのと、本人それを発表する気持ちもないんですね。この他人から見ると社会に適応できないような『内向的直観タイプ』ですが、彼らの直観はけっこうずば抜けてるものも持ってるんです。彼らの後押しをしてくれる正反対の『外向的感覚タイプ』の人との出会いがあったら、彼らは自分の能力をかなり発揮できるでしょう。
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Lynx/1401/naikotyokan.htm

直観型には、外向直観型、内向直観型の2タイプありますが、今回はその中でも特に理解されにくい「よ~わからん性格」の内向直観型についてです。

「直観」型というのは、ひとことでいうと、原始的な太古的な「未開」の人の思惟の構造や心性に近い……ということです。

(太古性とは、ユングによると、心に太古の時代の遺物として残っている古い内容と機能のことです)

人類の長い歴史から見ると、意識優位の考えはごく最近のこと。かつて意識の領野が限られていた時代は、無意識のイメージが、心の外の宇宙空間や呪術的な力として生者に投影されていましたから、占星術や神々、妖精や魔法使いや魔女たち(日本ではおきつね様など)が次々生み出されていたんですよね。

星占いにしても、神々や妖精にしても、何もないところから人間が妄想したり考えてこねくりだしたものではなくて、

心の働きの意識の諸過程以外の部分……
つまり無意識が意識とは関係なく自律的に……

つまり心の持ち主とは関係なく自分勝手に自己活動をする様子を何らかの形で記述しようとつとめたものと思われます。

たとえば、私たちは筋肉を動かして物を動かしたりするとき、それは意識してしている活動ですが、「さあ、血液を流そう」「さあ、ホルモンの分泌を増やそう」と考えてそうした身体内の活動が起こっているわけではないですよね。自分の体内の活動であっても意識できる部分と、意識と無関係に自律的に動いている部分があるものです。

意識される部分は真実、
意識されない部分は存在しない

という考えは、慎重にしていかないとならないのです。心にしても、自分の思いとして、心として意識できる部分と、自分の預かりしらない活動を繰り広げ、夢を生み出したり、生き方を方向つけたりする無意識の領域があるということは、さまざまな分野の研究で説明されています。 ユングは、

無意識は単に個人的に願望するだけの存在ではなく、現実のかなたに意識が持つ別の目標を持ち、その実現を目指して、内容の編成と再編成に取り組んでいる存在だと捉えました。

内向直観型という性格タイプは、そうした自分の内面の得体のしれないものの目的をかぎつける能力が優れているといっていいのかもしれません。(外向直観型の方も同じように、無意識の集合的な目的を把握して、それを広める能力が優れていると思います)

無意識の目的というのは、「お金持ちになりたい」とか「成功したい」とかいう個人的な目的とは異なる社会集団とか人類とかもっと大きな枠組みの集団がより良い状態で生き残っていくことを目的としています。 集合的な無意識が夢想する世界の行く末やこれから歩むべき道は、心の底の底にある根源的な「元型」というイメージを通して、意識のもとに伝わってきます。

ちょっとわかりにくいですよね。かつてゲーテは「時代の才」という言葉で、深く隠された無意識的なものが時代とその時代を生きる人々に
およぼす作用を考察していたそうです。ゲーテは、真の芸術家の創造的能力に関して

時代がそれ自身の才を多く持つほど、(ユングの言葉を借りると、時代が元型を生起させそれを布置させるほど)芸術家の天賦の才はうながされると言いました。

心の中には、そうした諸民族、諸文化の生命をひそかに変革する心の持つ原動力が存在する。それを本能的に把握するのが「直観」といわれています。「直観」とは、状況の中に存在するなんらかの可能性を知覚する能力といっていいものだと思います。私自身は、

育った環境が家族として機能しておらず……将来にむけて、
子どもが必要な技術をバランスよく身につけさせてあげられるという家庭ではなく……サバイバル感のある毎日を過していたため、
自分のサブ機能や苦手を伸ばす間がなく、全てを得意な直観だけに頼って育ったところがあるので、かなり「内向直観型」そのもの~という性質です。

でも、身近な内向直観型の人々の暮らしっぷりを見ていると、現代、直観を使う場があまりないので、サブ機能の感情や思考を伸ばすことばかりしてきて、優勢機能の直観の働きで神秘的なことに惹かれるものの特定の宗教には無関心という方が多いです。


内向直観型の幼児は、目覚めている時間と起きている時間の中間とも言える意識の状態でいることが多いので、ぼんやりしていて退行しているように見えるときと夢中になって激しく動いているときがとても極端です。

ADHDやADDを持っているようにも見えます。
そう誤診されるということもあるでしょうが、そうした脳を持っているからこのタイプということもありえるので、どちらかはわかりません。
創造的で物に執着せずに、外が求める決まりに従えない面白くて大人をてこずらせることも多い子どもたちです。
http://blog.goo.ne.jp/nijiirokyouiku3/e/cbfb0199f4426a41fcceb94805fb0cf6

 

◆「集合的無意識」
これは、ユングを有名にした研究のひとつです。 集合意識とは、無意識の中でも一番、奥底にあるもの。

たとえば、水面下から顔を出している岩が、それぞれの顕在意識(自覚している意識)だとして、水の中の岩は、「元型」と呼ばれる無意識の自分。そして、さらに下の、川底では、岩どうしが繋がってる部分がある。 人と人は無意識の奥底でつながっている部分がある。それが、集合的無意識というわけです。

遠く離れた恋人に会いたい、無事を確かめたいって強く思ってたら電話がかかってきたとか・・

10年ぶりに、ある友達を思い出して、また会いたいと思っていたら、ばったり、とんでも無いところで出会っちゃったとか、

これは怖い例だけど・・
強い憎しみのあまり、夜中に呪いの藁人形に釘を打ったら、相手が本当に病気になったとか・・・。

ええ?それじゃあ、まるでオカルトか、・・第六感とか虫の知らせって呼ぶもんじゃないの~?と思われるかもしれませんね。(^o^)

ユングは、こういった、一見、非科学的な出来事や第六感についても、かなりの症例をもとに分析し研究し、ちゃんと結論に導いた人でした。


彼は、この集合的無意識のヒントを、ある日突然、思いついたそうです。それは、ある精神分裂症の患者と対談している時に、この「集合的無意識」のヒントが、ぴぴん!ときたようです。

精神分裂症とは、自我が極めて元型に近いコンプレックスに飲み込まれて起こる障害のこと

*ただし、ここで言う「心理学上でのコンプレックス」は、世間一般に言われるような、「私って足が太いのがコンプレックスなんだ~。」なんて言う、劣等感意識のコンプレックスとは違いますよ。

さて、「集合的無意識」に話を戻します。これを簡単に定義をしてしまうと...「すべて、人の想念は繋がっていて互いに影響しあっている」

ということになります。 たとえば、あなたが、水面から顔を出してる1つの岩だとして、あなたの表面の強い思い(顕在意識)が、下に流れて無意識下に落ちていく(潜在意識)。そして、それは水面下を流れ出して、その強い思いが別の岩にも届く...というイメージをするとわかりやすいと思います。(強い思いってのは、もちろん、愛や信頼といったようなものだけでなく恨みや怒りといったネガティブ感情まで含みますよ!)それが、集合的無意識というものであり、また後述する、もう一つのユングの有名な研究、「シンクロニシティー(共時性)」にも発展していきます。

ここで・・ちょっと気がつく事がありませんか?

精神分析医が退行睡眠によって、患者の前世を語らせる事や、精神病患者に太古の記憶や別の記憶があったりすること。

また、テレパシーで人の思いをキャッチすること、霊能者と呼ばれる人たちが、これから起こる出来事や過去を読んでしまうこと、などなど。

潜在意識の中の集合的無意識にまで到達すれば、こういった事も可能である...とも言えそうです。
http://blog.goo.ne.jp/nijiirokyouiku3/e/cbfb0199f4426a41fcceb94805fb0cf6


つまり、ブルックナーの音楽が表現しているのは「集合的無意識」のイメージなのですね。

知恵遅れに近かったブルックナーが作った音楽が非常に精神的で奥深い世界として感じられるのは、それが集合的無意識の属性そのものだからなのです。