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ハンス・プフィッツナー Hans Erich Pfitzner(ロシア モスクワ 1869年5月5日 – 1949年5月22日)
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オペラの名曲を聴こう _ プフィッツナー 3幕の音楽的伝説『パレストリーナ WoO 17』 - 777ブログ
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最美の音楽は何か? _ ハンス・プフィッツナー『パレストリーナ WoO.17 第1幕前奏曲』
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ハンス・エーリヒ・プフィッツナー オペラ 3幕の音楽的伝説《パレストリーナ》WoO 17
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ハンス・エーリヒ・プフィッツナー 小交響曲 作品44
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ハンス・エーリヒ・プフィッツナー独唱と合唱、管弦楽、オルガンのためのロマン主義的カンタータ《ドイツ精神について》 作品28
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プフィッツナーの協奏曲
- ヴァイオリン、チェロ、小オーケストラのための二重奏曲(Duo für Violine, Violoncello und kleines Orchester)作品43(作曲:1937年、初演:1937年12月3日フランクフルト、献呈:マックス・シュトループとルートヴィヒ・ヘルシャー)
- チェロ協奏曲 イ短調 (Cellokonzert a-moll) (作品番号なし、1888年作曲、1977年初演(チェロ独奏:エステル・ニッフェンエッガー))
- 単一楽章のチェロ協奏曲 ト長調 (Konzert G-Dur in einem Satz für Violoncello und Orchester) 作品42 (作曲:1935年、1942年9月27日フランクフルト初演、献呈:ガスパル・カサド)
- チェロ協奏曲 イ短調 (Cellokonzert a-moll) 作品52(1944年、初演:1944年3月23日ゾーリンゲン、献呈:ルートヴィヒ・ヘルシャー)
- ピアノ協奏曲 変ホ長調 (Klavierkonzert Es-Dur) 作品31(作曲:1922年、初演:1923年3月16日ドレスデン(ピアノ独奏:ワルター・ギーゼキング、指揮:フリッツ・ブッシュ)、献呈:フリッツ・ブッシュ)
- ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 (Violinkonzert h-moll) 作品34 (作曲:1923年、1924年6月4日ニュルンベルク(ヴァイオリン独奏:アルマ・モーディ)、献呈:アルマ・ムーディ)
プフィッツナーの弦楽作品
- チェロ・ソナタ嬰ヘ短調(Sonate fis-moll für Violoncello und Klavier, „Das Lied soll schauern und beben…“)作品1(作曲:1890年、1891年1月21日フランクフルト初演、献呈:ハインリヒ・キーファー)
- ヴァイオリン・ソナタ ホ短調(Sonate e-moll für Violine und Klavier) 作品27 (作曲:1918年、初演:1918年9月25日ミュンヘン、献呈:王立スウェーデン音楽院)
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プフィッツナーの室内楽作品
もう一人、室内楽を比較的多く書いたドイツ後期ロマン派の作曲家を挙げるとすれば、ハンス・プフィッツナーということになるでしょうか。
彼の代表作はなんといってもオペラ『パレストリーナ』であり(あと大作としては、カンタータ『ドイツ精神について』というのもありますね)、それに次いで重要な作品としては(前にも触れた)数々の歌曲があげられるでしょう。
そして室内楽は、彼にとって歌曲と並んで質量共に重要なジャンルだった、という評価ができるように思われます*1。
レーガーはちょっと、という人でも、どこまでも「ロマン主義」にこだわった筋金入りの保守派、プフィッツナーの作品は問題なく聴けるのではないでしょうか。
理論的であることを拒否したこの人の作品からは、ブラームスが時にみせる自省と懐疑の響きはあまり感じられず、ロマン的な純粋さを保とうとする姿勢には、むしろシューマンを思わせるものがあります。
彼の室内楽で筆頭にあげたいのは、分かりやすさと無駄のない美しさという点で傑出しているヴァイオリンソナタ ホ短調(op.27)。
冒頭の美しい主題がコーダで情熱的に高まる第1楽章、内側に向かって広がっていく全くロマンティックな第2楽章、そして、プフィッツナーとしては珍しいほどに、きらめく光をまばゆく反映した輝かしい終楽章が続きます。
プフィッツナーは彼のとった政治的姿勢によって、いまなお敬遠されているのかもしれませんが、この作品の音楽の出来だけを純粋にみれば、少なくとも偉大な同時代者、R・シュトラウスのヴァイオリンソナタと同じくらいの評価は受けてもいいのではないかと思うのですが。
このCDには、その他にピアノ三重奏曲(op.8)が収録されています。こちらは屈折した(ヘ長調で始まり、ヘ短調に終わる)規模の大きい作品で、「ユーゲントシュティール」の複雑な植物模様を思い起こさせるような感じ。ヴァイオリンソナタ以上の内向的な暗さがあって、万人に好まれる・・・・・・とはいいかねますが、なかなかの味がある作品ではあります(私は好きです)。
管弦楽を用いた作品では、3曲ある『交響曲』は(うち1曲は、弦楽四重奏曲からの編曲)今一つ魅力に乏しく、その一方、協奏曲(ヴァイオリンやチェロ、ピアノのための)は個性ある作品です。
Hans Pfitzner - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=PLH7uKkZ274vWy5Bg-IqmcRCUHj9XpAT1d
Pfitzner Violin Concerto & String Quartet - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_kTWLZF1pCGhl74cNSZwI0CWa_DQqCulOg
Pfitzner: Complete Piano Works & Violin Sonata in E Minor, Op. 27 - YouTube
https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_l2Of0VUvoM0c0CMQb6v-0KNo3ouz504qw
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ハンス・プフィッツナー ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 作品34
「日陰の大作曲家」プフィッツナーの「ヴァイオリン協奏曲」は明らかにブラ-ムスの協奏曲を意識した大曲です。2楽章後半の甘美さは一級品!。「二重協奏曲」も同様ですが、残念ながらエッチさに欠けるところが曲の雰囲気を淡泊にしており、ハッタリで生き残ったR・シュトラウスと比べるといい意味でも悪い意味でも対照的です。ロマン派オタク向け!
ゲルハルト・タシュナー、ケンペ
Pfitzner "Violin Concerto" Gerhard Taschner/Rudolf Kempe
Gerhard Taschner, violin
RIAS Symphony Orchestra
Rudolf Kempe, conductor
17.04.1955
Pfitzner Violin Concerto in B Minor, Op. 34 (Live)
Rudolf Kempe and Gerhard Taschner (Live)
Rias Sinfonieorchester
℗ 2007 Archipel
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- スザンネ・ラウテンバッハー - Susanne Lautenbacher (ヴァイオリン)
- フィルハーモニア・フンガリカ - Philharmonia Hungarica
- ギュンター・ヴィッヒ - Günther Wich (指揮)
Pfitzner, Hartmann & Zimmermann: Violin Concertos & String Quartets
℗ 1994 Vox Box
Artist: Susanne Lautenbacher
Conductor: Günther Wich
Orchestra: Philharmonia Hungarica
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Pfitzner "Violin Concerto" Erich Röhn
Violin Concerto in B minor op 34 by Hans Pfitzner
Erich Röhn, Violin
Rundfunkorchester Hannover des NDR
Willy Steiner, Conductor
Hans Pfitzner Violinkonzert - Thomas Christian
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単一楽章のチェロ協奏曲 ト長調 作品42
メンゲルベルク
Pfitzner: Cello Concerto in G major, Op. 42 (1940rec?)
1940年録音?
ガスパール・カサド
ウィレム・メンゲルベルク
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
Koninklijk Concertgebouworkest
Pfitzner "Cello Concerto in G Major" Gaspar Cassadó/Willem Mengelberg
Cello Concerto in G major, Op. 42
by Hans Pfitzner
Gaspar Cassadó, Cello
Concertgebouw Orkest Amsterdam
Willem Mengelberg, Conductor
1940?
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Pfitzner "Cello Concerto op 42" Siegfried Palm
Cello Concerto in G Major op 42 by Hans Pfitzner
Siegfried Palm, cello
Symphony Orchestra of the NWDR Hamburg
Wilhelm Schüchter, conductor
18.07.1953
Pfitzner "Cello Concerto op 42" Siegfried Palm
Cello Concerto in G Major op 42 by Hans Pfitzner
Siegfried Palm, cello
Symphony Orchestra of the NWDR Hamburg
Wilhelm Schüchter, conductor
18.07.1953
Hans Pfitzner cello concerto in G major
Peter Tilling Dir. Éric-Maria Couturier cello. Musik Kollegium Winterthur Live recording January 2023 Suiss Radio SRF 2 Kultur
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チェロ協奏曲 イ短調 作品52
Cello Concerto in A minor op posth by Hans Pfitzner
Pfitzner "Cello Concerto" Wolfgang Boettcher
Wolfgang Boettcher, Cello
Radio Symphonie-Orchester Berlin
Christoph Prick, Conductor
Hans Pfitzner – Cello Concerto in A minor, Op.52
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ヴァイオリン、チェロ、小オーケストラのための二重奏曲
Pfitzner: Duo for violin, cello & Small Orchestra op.43 - Max Strub, Ludwig Hoelsche, Hans Pfitzner
Max Strub, violino
Ludwig Hoelscher, cello
Hans Pfitzner, direttore
Orchester der Staatsoper
Berlin, 1938
Hans Pfitzner – Duo for Violin, Cello and Orchestra in A minor, Op.43
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ハンス・プフィッツナー ヴァイオリンソナタ ホ短調 作品27
Hans Pfitzner: Violin Sonata in E minor, Op. 27 (1918)
Benjamin Schmid (violin)
Claudius Tanski (piano)
Hans Pfitzner: Violin Sonata in E Minor, Op.27 (1918)
Ulf Wallin (Violin)
Roland Pöntinen (Piano)
Michael Goldstein, Evelinde Trenkner - Hans Pfitzner Violin Sonata Sonata Op 2
Pfitzner, Hans - Violin sonata in E minor op. 27 (1918)
Performers: Michael Goldstein (Violin), Galina Kowal (piano), s.f.
Hans Pfitzner: Violin Sonata in E minor, Op. 27 (1918)
Performers: Benjamin Schmid (violin) Claudius Tanski (piano)
00:00 I. Movement: Bewegt, mit Empfindung – Allegro espressivo
11:48 II. Movement: Sehr breit und ausdrucksvoll – Adagio, quasi fantasia
20:48 III. Movement: Äußerst schwungvoll und feurig
Pfitzner: Complete Piano Works & Violin Sonata in E Minor, Op. 27
℗ 2002 CPO
Artist: Ulf Wallin
Artist: Roland Pöntinen
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ハンス・プフィッツナー (1869~1949) 生誕150年記念特集
「最後の後期ロマン派」、「インスピレーションの作曲家」と呼ばれたドイツの作曲家、指揮者、ピアニストのハンス・プフィッツナー(1869年5月5日、モスクワ – 1949年5月22日、ザルツブルク)の特集です。
プフィッツナーはフランクフルト・ホッホ音楽院で作曲をイヴァン・クノールに、ピアノをジェームス・クヴァストに学び、1894年にマインツ市営劇場で無給の指揮者見習いとして音楽家生活をスタート。1897年にベルリンのシュテルン音楽院に教師として赴任し、1903年にはベルリン西部劇場の初代楽長に就任。1904年以降はストラスブールの音楽院、同市の劇場、ベルリン芸術アカデミー、ミュンヘン音楽院などの指揮者、作曲教授などを歴任。 シューマン、ワーグナーらのロマン派の伝統を基盤に、オペラ、管弦楽曲、室内楽曲、カンタータなどを作曲しました。
主要作品はオペラ《哀れなハインリヒ》 (1895) 、《パレストリーナ》 (1917) 、カンタータ《ドイツの精神》 (1921) ほか、100曲以上の歌曲。音楽美学について『著作集』(3巻、1926~29) があるなど、評論家としても活動しました。
1934年(65歳)ミュンヘン音楽院を退職して年金生活に入りましたが、ナチス政権とはつかず離れずで、年金を打ち切られたり、生誕祭を許されたりと、終始微妙な関係にありました。戦後はナチス協力容疑をかけられ、生活が困窮しましたが無罪となり、晩年はウィーン・フィルからの援助を受けていたと言われています。1949年、旅行先のザルツブルクで脳卒中のため亡くなりました。80歳でした。
ここではプフィッツナーの代表的なCD、映像作品をご紹介いたします。
※ 参考文献 「ドイツ音楽の一断面」 道下京子、高橋明子共著 芸術現代社
(タワーレコード)
交響曲/管弦楽曲
【参考音源】《ハイルブロンのケートヒェン》序曲
カール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
最初に挙げたティーレマンの盤には、プフィッツナーの最も美しい管弦楽作品が集められており、真っ先にお勧めできるものです。シュワルツ指揮のナクソス盤に含まれた交響曲ハ長調(1940年)もプフィッツナーの代表作の一つ。輝かしいファンファーレあり、もの悲しい緩徐楽章あり、フィナーレでの主題回帰あり、演奏時間約17分の分かりやすい作品です。シューリヒトの盤には《ハイルブロンのケートヒェン》序曲が1曲入っているだけですが、これが上掲したように素晴らしい快演です。最後の1枚はプフィッツナーと同時代を生きた巨匠フルトヴェングラーが、彼の死を悼んで演奏した歴史的ライヴ録音です。
協奏曲
【参考音源】ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 Op.34
ゲルハルト・タシュナー(ヴァイオリン)
ルドルフ・ケンペ指揮ベルリンRIAS交響楽団
プフィッツナーの協奏曲は何れも当時のドイツの名ソリストのために書かれた聴きごたえ十分の作品です。ピアノ協奏曲は1923年にヴァルター・ギーゼキングが初演、ヴァイオリン協奏曲は1924年にアルマ・ムーディーが初演、チェロ協奏曲(作品52)は1944年にルートヴィヒ・ヘルシャーが初演しています。
室内楽曲
【参考音源】ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 Op.27~第1楽章
ベンヤミン・シュミット(ヴァイオリン)
クラウディウス・タンスキー(ピアノ)
プフィッツナーの室内楽曲は何れもメロディが美しく、ロマンティックな雰囲気に満ち、ファンタジーに溢れた名作揃いです。それぞれの楽器の特性を良く生かした曲作りがなされているので、名手が弾くとその良さが際立ちます。キュッヒルによるヴァイオリン・ソナタの新録音など、その意味で強くおすすめできます。
オペラ《パレストリーナ》全曲
【参考映像】歌劇《パレストリーナ》より
シモーネ・ヤング指揮
バイエルン国立歌劇場2009年公演のトレーラー
1917年にミュンヘン摂政宮劇場においてブルーノ・ワルターの指揮により初演され大成功を収めたオペラです。この成功によりプフィッツナーは作曲家としての名声が確固としたものになりました。
他のオペラ
【参考音源】歌劇《愛の園のばら》より葬送行進曲
ハンス・プフィッツナー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団
何れもプフィッツナーが《パレストリーナ》で成功を収める前の作品ですが、既に作曲家としての個性は確立していて、同時代の評価を待つだけの状態だったことが判ります。
歌曲集
【参考音源】だから春の空はそんなに青いの? Op.2-2
クリスティアーネ・カルク (ソプラノ)
ブルクハルト・ケーリング (ピアノ)
プフィッツナーは生涯のほぼ全般に渡り、その時々の心象風景を映した愛らしい歌を作曲しました。彼の現存する最も初期の歌は1884年から1887年頃の「若き日の6つの歌曲」とされています。ナクソスが現在「歌曲全集」を録音中で、2019年5月23日には第3集が発売されます。
管弦楽付きの声楽曲
【参考音源】カンタータ《ドイツの精神》より第2部冒頭部分
ヨーゼフ・カイルベルト指揮バイエルン放送交響楽団、同合唱団
プフィッツナーの管弦楽付きの歌曲は、美しいメロディを色彩豊かなオーケストラが彩るもので、聴きごたえのあるものが揃っています。《ドイツの精神》はアイヒェンドルフの詩による壮大なるカンタータです。崇高なるドイツの精神を表すために書かれたと言われますが、音楽には全く政治的イデオロギーは反映されておらず「ロマンティックなカンタータ」という副題がついています。
指揮者プフィッツナー
【参考音源】シューマン:交響曲第2番より第3楽章
ハンス・プフィッツナー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団
プフィッツナーは指揮者としても当代一流の存在で、ベルリン・フィルやウィーン・フィル、ベルリン国立歌劇場などを指揮して戦前、ベートーヴェンやシューマンの交響曲、そして自作などを録音しました。以前かなりあった復刻盤がほとんど廃盤となっているのが残念です。
ハンス・プフィッツナー - Wikipedia
ハンス・プフィッツナー Hans Pfitzner |
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ハンス・エーリヒ・プフィッツナー(Hans Erich Pfitzner, 1869年5月5日 モスクワ – †1949年5月22日 ザルツブルク)は、ドイツの作曲家・指揮者。
略歴
生い立ち
ロシア帝国に生まれ、オーケストラ団員でヴァイオリン奏者の父親から早期の音楽教育を受ける。1872年に家族に連れられフランクフルト・アム・マインに移住する。早くも11歳で処女作を手懸けているが、現存する最初の作品は1884年に作曲した歌曲集である。1886年から1890年までフランクフルト・ホーホ音楽院において、作曲をイヴァン・クノルに、ピアノをジェームス・クヴァストに師事した。1892年から1893年までコブレンツ音楽院に学び、1894年にはマインツ市営劇場で無給の指揮者見習いを務めた。翌1895年にはマインツで、最初の2つの大作、オペラ《あわれなハインリヒ(Der arme Heinrich)》と、イプセンの戯曲のための付随音楽《ソールハウグの宴(Das Fest auf Solhaug)》とが初演された。1897年にベルリンのシュテルン音楽院に教師として赴任し、1898年に恩師クヴァストの娘ミミと結婚する。1903年にベルリン西部劇場の初代楽長に就任。同年には長男パウルも生まれた。
第一次世界大戦まで
1905年にグスタフ・マーラー配下のウィーン宮廷歌劇場において、2作目のオペラ《愛の園のバラ(Die Rose vom Liebesgarten)》が上演される。1906年には次男ペーターが、1908年には一女アグネスが生まれた。1908年に家族連れでシュトラースブルク(ストラスブール)に移り、シュトラースブルク・フィルハーモニー管弦楽団の交響楽演奏会と、シュトラースブルク市立音楽院を監督した。1910年にはシュトラースブルク歌劇場の音楽監督も引き受け、演出家としても活動した。1913年には首尾よく教授に任命されている。
《パレストリーナ》
1917年にミュンヘン摂政宮劇場においてブルーノ・ワルターの指揮により、今なおプフィッツナーの代表作として知られる、音楽的伝説《パレストリーナ》が初演された。波瀾万丈の戯曲の頂点において、芸術作品および芸術家の自律と社会的要請との緊張関係が、ルネサンス時代を舞台に繰り広げられる。
- パレストリーナは、対立する聖職者の一団を和解させるためにミサ曲を作曲しなければならなくなる。パレストリーナはそれを拒んだために、異端審問所による迫害を覚悟せざるを得ず、自殺も考える。孤立無援でいたところに、突然の霊感が閃き、パレストリーナはミサ曲の筆を執る。もはや注文のためでなく、自分自身のために。
トーマス・マンは、1917年10月に発表した短い随想『パレストリーナ(Palestrina)』の中でこのオペラの価値を認め、後に自著『非政治的人間の考察(Betrachtungen eines Unpolitischen)』の中でも敷衍して取り上げている。
好戦的な評論家
プフィッツナーは第一次世界大戦前後のモダニズムを徹底して嫌い、政治的にも文化的にも保守主義者を押し通そうとした。そのため、ブゾーニの新古典主義やヒンデミットの新即物主義、新ウィーン楽派の表現主義音楽や無調、シュレーカーのフランス印象主義音楽への接近を、いずれも破壊主義として忌憚なく攻撃し、ドイツ音楽の凋落と糾弾した。
1917年にプフィッツナーは、ブゾーニの『新音楽美学論(Entwurf einer neuen Ästhetik der Tonkunst)』に当てつけて、『未来主義者の危険(Futuristengefahr)』を公表する。音楽における進歩(ある作品が進歩的な手法であればそれだけますます高く評価されうるという意味での進歩)という抽象概念をプフィッツナーは撥ね付けた上で、ブゾーニへの傍注としてシェーンベルクやヒンデミットにも目配りしつつ、未来の音楽というものがどのように構成されるのかをめぐる思索と対峙する。
「 | 「ブゾーニは、西洋音楽への希望を未来に託し、現在と過去はよろめきがちな始まりとして、また準備段階として理解する。しかし、もしそうでなかったとしたらどうだろう? 今こそ我々が頂点を極めていることや、あるいは頂点を刻々と制しつつあるということを悟るなら?」 | 」 |
1920年には、『音楽的不能の新美学~腐敗の徴候?(Die neue Ästhetik der musikalischen Impotenz: Ein Verwesungssymptom?)』を上梓した。プフィッツナーは同書において、「新音楽(de:Neue Musik)」という概念を創り出したパウル・ベッカーを攻撃し、逆にショーペンハウアー以来想定されてきた「着想(ある作品の出発点や特性となる独創的な着想)の美学」という持論を開陳してみせた。本書でもそうだが、プフィッツナーの理論的な著作においては、自身の芸術活動に裏付けられた根本となる動機が、ほとんど例外なく、非合理的、排外主義的で反ユダヤ主義的な論争に塗り込められるのがわかる(「非ドイツ的(undeutsch)」とか「国際ユダヤ主義(internationales Judentum)」といった言い回しが向けられるのは相変わらずである)。
最後にして最大の著作となった『創作と演奏(Werk und Wiedergabe)』(1929年)においては、テクストと音楽から厳密に生ずるオペラの舞台演出について、実践的な提言をした。
戦間期
1918年に他の芸術家と共同で「ハンス・プフィッツナー・ドイツ音楽協会( Hans-Pfitzner-Verein für deutsche Tonkunst)」を創設する。
第一次世界大戦後にエルザス=ロートリンゲンがフランスに割譲されたことにより、プフィッツナー家は1919年にシュトラースブルクを去ってアマー湖付近のウンターショーンドルフに引っ越した。
1919年および1920年はミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務め、やはり1920年には、プロイセン芸術アカデミー作曲科のマスタークラスを主宰した。ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詩によるロマン主義的カンタータ《ドイツ魂について(Von deutscher Seele)》(1921年)に加えて、《ピアノ協奏曲 変ホ長調》(1922年)や《ヴァイオリン協奏曲 ロ短調》(1923年)、および《弦楽四重奏曲 嬰ハ短調》(1925年、《交響曲 嬰ハ短調》(1932年)の原曲)といった最も重要な器楽曲がこの時期に完成された。
いずれの作品も強烈な表現意欲によって、伝統的な和声法の極限までが追究されている。1926年にミミ夫人に先立たれてから作曲した合唱幻想曲《冥土(Das dunkle Reich)》(1930年)にも同じことは当てはまる(《冥土》はミケランジェロやゲーテ、コンラート・フェルディナント・マイヤーおよびリヒャルト・デーメルの詩による哀悼音楽である)。
晩節
1929年には還暦を記念して、大々的に公式の祝賀会が行われた。1930年に住所をミュンヘンに移し、翌1931年、最後のオペラ《こころ(Das Herz)》を作曲する。1934年にミュンヘン市立音楽院を退職して年金生活に入り、その際にプロイセン州首相ヘルマン・ゲーリングと意見交換をしている。
1936年に長男パウルに先立たれ、翌年には次男ペーターや長女アグネスと不和になる。1939年にマリ・シュトル(Mali Stoll)と再婚した。生誕70周年の祝賀行事は、10年前よりも精彩を欠いた。娘アグネスは1939年に自ら命を絶ち、次男ペーターは1944年にソ連にいた。1942年にプフィッツナーは、ニュルンベルク付近の爆撃によって、移動中に乗っていた寝台車が完全に破壊されたにもかかわらず、夫妻ともども難を逃れた。1943年には爆弾がミュンヘンの自宅を直撃したため、ウィーンのロダウン地区に引っ越しを余儀なくされた。1945年にガルミッシュ=パルテンキルヒェンに避難して難民収容所に入れられた後、ミュンヘン=ラーマースドルフの養老院に移っている。1948年には、ナチス党員追放の枠組みの中で、ミュンヘン非ナチ化審査機関により、「法律と関係ない」と格付けされた。1949年にザルツブルク訪問の折に2度目の脳卒中を起こして亡くなった。亡骸はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によってウィーン中央墓地の14C区に埋葬されている。
政治的立場と社会的言動

ハンス・プフィッツナーは、没後半世紀を過ぎた今日でも評価が定まっていない。同時代の影響に心を閉ざして後期ロマン派音楽様式で作曲したからではなく、人間嫌いの傾向や、とりわけ数々の政治的な表明のためである。プフィッツナーは愛国主義者であることを自認して、第三帝国が終焉してからもなお、「国際ユダヤ主義」こそが「人間のあらゆる問題の中で一番の重大事」であると言い、いずれ解決すべきであるとした。
ヴァイマル共和国を糾弾し、さらにユダヤ人が同国において各界の指導層に進出することを「国際主義」のレッテルのもとに非難したことが、ゆくゆくはヒトラーやナチスに利用される遠因となった。プフィッツナーがアドルフ・ヒトラーに解決させようと試みたのは、なかんずく「猛烈な図々しさ」だった。反対者はプフィッツナーのうちに国粋主義や反モダニズムを認め、ナチスの権力掌握へのプフィッツナーの加担を批判する。早くも1933年4月にプフィッツナーは、トーマス・マンが講演会や論文『リヒャルト・ワーグナーの苦悩と偉大さ(Leiden und Größe Richard Wagners)』の中で、ワーグナーのさまざまないかがわしいイメージには、国家主義者の大ブルジョワジーが刻印されていると論ずると、それに反対する「リヒャルト・ワーグナーの都ミュンヘンの抗議(„Protest der Richard-Wagner-Stadt München“)」の提唱者に名を連ねている。翌1934年には、ドイツ国大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクの死後に、大統領職と首相職の一元化をめぐる「国民投票」に対して、「文化人の声明」に署名した[1]。1944年5月には、第二次世界大戦中にもかかわらず、ヒトラーより5万ライヒスマルク以上の贈与金を受けていた[1]。同年8月には、「天才名簿(„Gottbegnadeten-Liste“)」に掲載されただけでなく、ヒトラーによって作成された特別リストにも最も重要な他の音楽家3人とともに「天賦の才あり」として掲載され、戦時債務を完全に免除されている。
批判者は、プフィッツナーが親しいポーランド総督ハンス・フランクへの表敬作品として1944年に作曲した《クラカウの歓迎(Krakauer Begrüßung)》作品54をとりわけ激しく非難する。この作品は、仰々しいファンファーレ主題が憂鬱なポロネーズと結合された器楽曲である。プフィッツナーはこの作品が出版を予定されたり企画されることのないように、総譜を出版社の所有物とし、《祝祭の挨拶(Feierliche Begrüßung)》と改称することによってナチスとの結び付きを引き剥がそうとした。フランクがクラクフでの初演の後で、最も上出来なのはイ短調の葬送行進曲の部分だと述べると、当時75歳のプフィッツナーはそれに答えて、ト短調の部分は、赤軍がポーランドで決起するところだと返した。それにもかかわらず、霊感崇拝者にしてポスト・ロマン主義者によるこの作品は、作曲面で最も優れた特質を示しており、しかもモダンな音楽語法の考え込まずにおけないような煩わしさとも、たぶん作曲者が考えた以上に深く関わり合っている。
1945年以降のプフィッツナーは、第三帝国における自分の立場を理想への努力であった(曰く、「古臭いヒロイズムを本気で守ろうとした(den alten Heroismus treu bewahren)」)として、些細なことに見せかけようと努めた(この点については、特に1946年7月11日付の、かつての門人フェリックス・ヴォルフェス宛ての私信[2] を参照)。戦後の1947年10月13日、プフィッツナーはナチスの活動に加担した一級戦犯として起訴された。しかし、ナチス党員ではなかったことなどが認められて無罪判決が下されたにもかかわらず、プフィッツナー自身は世間から顧みられることなく、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団からの援助を必要とするほど貧困に喘いでいた。
ベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者インゴ・メッツマッハーは、2007年の東西ドイツ統一記念日に、プフィッツナーのロマン主義的カンタータ《ドイツ魂について》をプログラムに載せたことにより、ユダヤ人中央協議会から非難を浴びた。同協議会副総裁のディーター・グラウマンは「指揮者のインゴ・メッツマッハーは、ハンス・プフィッツナーの《ドイツ魂について》をドイツ統一の日にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で上演したことによって、人騒がせな方法で国家社会主義への共感を復権させ、反ユダヤ主義者であることを白状した」との声明を発した。つまるところ《ドイツ魂について》の上演と再評価は、後日の突発的な出来事なしには済まないというわけである。しかし、アイヒェンドルフの詩によるこの作品は、内容的にナチズムとは一切関係をもたない。
逸話
- 1888年の《チェロ協奏曲イ短調》を初演してもらおうとしてマックス・ブルッフに総譜を送ったところ、切手が不足していたためブルッフが受け取りを拒否し、未開封のまま譜面が送り返されてきた。その後、プフィッツナーは自筆の総譜は失われたものと思い込み、「記憶に基づいて」同じ調性の《チェロ協奏曲》を晩年になって作曲した。結局1888年の協奏曲は、1975年になってウィーンの遺稿の中から再発見された。
- プフィッツナーは、ナチス系音楽企業での成功を求めて奮闘していた頃に、作曲家仲間であるゲオルク・フォラートゥーンとパウル・グレーナーについて冷やかしの戯れ歌を創った。 [3]
- プフィッツナーは、シェイクスピアの『夏の夜の夢』のために新たに劇付随音楽を作曲することを拒否した。メンデルスゾーンの作品を凌駕することなど誰にもできないから、という理由であった(依頼された楽曲は、結局1939年にカール・オルフが1917年の古い草稿に基づいて書き上げている)[3]。
- バルドゥール・フォン・シーラッハ(Baldur von Schirach)のヒトラー青年団出身の新進作曲家の作品を指してプフィッツナーは、„Eine Pimpfonie in Bal-dur“と呼んだ[4](「長調(ドゥア)の交響曲(シンフォニー)」ではなくて「バルドゥアのところの洟垂れ小僧の音楽(ピンプフォニー)」だ、という意味の駄洒落。また、Pimpfという単語には、ヒトラー少年団という意味もある)。
- 空襲の際にプフィッツナーの自宅に爆弾が命中した。炎上した家が崩れ落ちる時、思わずこう漏らしたという。「もう私が失うものは何もない、と人々は言うんだろう[3]。」
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プフィッツナーが指揮したベートーヴェン エロイカ交響曲の伝説の名盤
Symphony No. 3, conducted by Hans Pfitzner with the Berliner Philharmoniker Orchestra. Composed by Ludwig van Beethoven
Recording from 1929.
Hans Pfitzner / BPO - Beethoven : Symphony No.3 op.55 "Eroica" (1929) - 再復刻
Berlin Philharmonic Orch. recorded in 1929
transfer from Jpn POLYDOR 78s / 80020/1
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プフィッツナーが指揮したベートーヴェン 田園交響曲の伝説の名盤
Hans Pfitzner conducts Beethoven Symphony No. 6
Berlin State Opera Orchestra
1930, Berlin
Mechan. Copt. 1938 - Polydor 95378/83
matrices: 582 GO, 583 GO, 584 GO, 585 GO, 905 GS 8 D, 906 GS 8 D, 586 GO,587 GO, 588 GO, 589 GO, 590 GO
Hans Pfitzner - Beethoven : Symphony No.6 Op.68 (Pastoral) (1930) - 再復刻
Berlin State Opera Orch.
Hans Pfitzner (1869 - 1949), recorded in 1930
transfer from Jpn Polydor 78s -80040-42