ヴァイオリン・チェロの名曲を聴こう _ ショスタコーヴィチ『ヴァイオリン・ソナタ、ヴィオラ・ソナタ』

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ショスタコーヴィチ( Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906 - 1975)
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クラシック音楽の作曲家の主要作品とその評価
クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/

クラシック音楽の感想メモを書いています。
主要作曲家の主要な器楽曲全ての感想を書くことを目標にしています!

 

ショスタコーヴィチの『弦楽作品』の評価

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81

 

  • ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77(99) (1948年)
    • 3点
交響曲以上に暗くて分厚くずっしりと重たい感じのする曲。本格派だが、暗すぎて気分が乗らないと聞いていて滅入ってしまう。しかも一楽章と三楽章が両方そう。カデンツァ長すぎ。アップテンポの楽章も耳に心地よくない。

 

  • ヴァイオリン協奏曲第2番 嬰ハ短調 作品129 (1967年)
    • 2.0点
どの楽章も魅力や光るものが無いと思う。美しさや感動もなく、耳に痛いギシギシとしたヴァイオリンが続く。

 

  • チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 作品107 (1959年)
    • 3.0点
1楽章は同じ音型を繰り返すだけの行進曲で前奏曲のようなイメージ。二楽章は長くて叙情的でなかなか美しい音楽。三楽章は二楽章の続きでまるまる楽章全部がカデンツァ。四楽章はコンパクトな締めの楽章で悪くない。早い楽章は小品で、緩徐楽章がメインの曲。

 

  • チェロ協奏曲第2番 ト短調 作品126 (1966年)
    • 3.0点
アダージョで始まる。長大で内省的にせつなく歌い続けるのはチェロの魅力を生かしてる。二楽章は短く活動的で、三楽章は長大で中庸なスピードや内容だが、重くないサウンドで飽きずに楽しめる。最後が交響曲15番と似たような終わり方なのが面白い。

 

  • チェロ・ソナタ ニ短調 作品40 (1934年)
    • 2.5点
静かで叙情的な1楽章と3楽章が長大で曲の中心になっている。分かりやすい歌うような部分は多いが、すぐに皮肉な捻りが入り落ち着かない。暗いような明るいようなはっきりしない場面が続く。2楽章と4楽章は割とはっきりしており聞きやすい。全体に心への響きが弱い。

 

  • ヴァイオリン・ソナタ ト長調 作品134 (1968年)
    • 3.0点
1楽章は4度を主体にした虚無的な音楽がひたすら続きよく分からない。2楽章はかなり激しいピアノとヴァイオリンの絡み合いで、分かりやすさはある。3楽章は無調に近い響きでバルトーク的な狂気の世界の変奏曲。この曲はいろいろとやり過ぎで、力作ではあるが聴くのがしんどい。

 

  • ヴィオラ・ソナタ ハ長調 作品147 (1975年)
    • 4点
最後の作品。静謐さと絶望をたたえている。世界が凍っていくような不思議な感覚は胸に迫るものがある。催眠にかけられて深遠の暗闇に引き込まれるような不思議な感覚を覚える。そんな両端楽章にあって、2楽章のスケルツォも骸骨の踊りのようであり、刺激の点で効果的に機能している。3楽章の月光ソナタのオマージュ部分はあまりにも儚く美しく、最後はベートーヴェンを使ったという事実に想いを馳せると胸を打たれる。

 

  • ヴァイオリン・ソナタ(1945年に着手したが未完)
    • 4.5点
  • 3つのヴァイオリン二重奏曲
    • 2.5点
自分で演奏したら楽しそうなオーソドックスで分かりやすい小品。
 
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ショスタコーヴィチの最晩年を代表する作品には、ロッシーニ『ウィリアム・テル』序曲や、ワーグナーの楽劇『ワルキューレ』の運命の動機など他作曲家の作品の引用を大胆に行い(自作の交響曲第4番の引用もある)、自身の音楽的回想とした交響曲第15番(1972年)、すべての楽章をアダージョとし、ベートーヴェンピアノソナタ第14番『月光』からの引用もみられる弦楽四重奏曲第15番(1974年)、死の1か月前に完成し、ショスタコーヴィチの「白鳥の歌」とも呼ばれる、作曲者自身聴くことの出来なかった遺作ヴィオラソナタ(1975年)などがある。

 

1975年、ショスタコーヴィチは肺がんで世を去った。

 
 
ヴィオラソナタ (ショスタコーヴィチ) - Wikipedia

ヴィオラソナタ 作品147は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチの最後の作品。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の多くを初演した、ベートーヴェン弦楽四重奏団の第2代ヴィオラ奏者フョードル・ドルジーニンのために作曲された。

 

死の直前に作曲されたこともあり、特に暗い雰囲気を持つ曲である。のみならず、他の曲から音形を引用するなど、より謎めいた雰囲気も持っている。

 

作曲者の亡くなる4日前である1975年8月5日に最終校訂を完了した。ただし、全曲はそれより2か月ほど前に完成し、初演者のドルジーニンとミハイル・ムンチャンは初演に向けて練習を始めていた。作曲者はドルジーニンに「この作品は晴れ晴れとしたもので、第1楽章は短編小説。第2楽章はスケルツォ、第3楽章はベートーヴェン追悼のオマージュとなるが、あまり惑わされないようにしてくれ。」と前もって電話で内容と構成について話していた。

 

上述の通り、初演のリハーサル中にショスタコーヴィチが死去。その後のリハーサルでは作曲者と親交が深かったムラヴィンスキーゲンナジー・ロジェストヴェンスキーらが駆け付け、演奏に対しかなりの意見を述べていたようである。

 

初演は作曲者の没後約2か月を経て1975年10月1日レニングラードのグリンカ・ホールにて、フョードル・ドルジーニンのヴィオラ、ミハイル・ムンチャンのピアノにより行われた。ドルジーニンはその時の模様を以下のように述べている。「催眠術のような強い作用を聴衆に及ぼした。ホールで唯一の空席であるドミトリー・ドミトリエノヴィッチの席には花束が置かれ、そこから遠くない場所に、ムラヴィンスキーが、私の妻と並んで座っていた。…ムラヴィンスキーはまるで子供のように、止めどなく涙を流していたが、ソナタが終わりに近づくにつれて、文字どおり慟哭に身を震わせていた。…舞台の上と聴衆の心の中で生じたことは、音楽の範疇を超えていた。われわれが演奏を終えたとき、私は、ソナタの楽譜を頭上に高く掲げた。聴衆の喝采を残らずその作曲者に捧げるために。」

曲の構成

ハ長調で3つの楽章から構成される。演奏時間は約30分。

編成

ヴィオラピアノ

編曲

チェリストダニイル・シャフランがチェロ・ソナタに編曲しており、シャフラン本人のものを含めていくつかの録音がある。シャフランによるものは1977年の録音で、ショスタコーヴィチの没後数年内に編曲が行われたようである。

 
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ショスタコーヴィチ幻のヴァイオリン・ソナタを収録! リナス・ロス~戦時下の慰め

 

SACDHybrid盤。これは凄い。2012年に出版されたショスタコーヴィチの未完のヴァイオリン・ソナタがついに世界初録音されました。1945年、交響曲第7番「レニングラード」とほぼ同時期に作曲され、第1楽章の225小節が残されていますが、まだ主題提示部だけで、もし全体が完成していたら、「レニングラード」交響曲ばりの大曲になっていたといわれます。かつてシュニトケが補筆完成を依頼されたものの、あまりに特異な構成ゆえ断念したといわれます。ショスタコーヴィチ・ファンが聴きたくてたまらなかった作品でしたが、ついに日の目を見ました。内容的には「レニングラード」交響曲よりも交響曲第10番に近いどす黒い闇に満ち、興味津々です。


オーケストラ伴奏の2篇も注目。ハルトマンの作品は「反ファシズム」とも呼ばれ、絶望感が全篇に漂います。反面ヴァインベルクの小協奏曲は陽性でエネルギーに満ち、ハルトマンと対照的に人生肯定な内容となっています。さらに嬉しいのが「モルダヴィア狂詩曲」。これはヴァイオリンとオーケストラのための技巧的で鮮やかな民族色に彩られた作品で、さながらヴァインベルク版「ツィゴイネルワイゼン」。かつてオイストラフの独奏、作曲者自身のピアノ伴奏による古い録音がありましたが、最新録音は大歓迎です。


リナス・ロスは1977年ドイツのラーベンスブルク生まれ。2006年EMIよりCDデビュー。以後同世代のヴァイオリン奏者の中でも、歴史に埋もれた作曲家や珍品の演奏で注目を集めています。ヴァインベルクのヴァイオリン・ソナタ全集は特に重要で、これにより世界的に注目されました。ザハール・ブロンやアッカルドに師事し、2012年からはアウグスブルクの大学の「レオポルト・モーツァルト・センター」で教授を務めています。1703年製のストラヴディヴァリ「Dancla」を使用。
(キングインターナショナル)

 

リナス・ロス~戦時下の慰め

『戦時下の慰め』

 

【収録曲】
1.ハルトマン:葬送協奏曲 (1939)
2.ヴァインベルク:ヴァイオリン小協奏曲Op.42 (1948)
3.同:モルダヴィア狂詩曲Op.47の3 (1948)
4.ショスタコーヴィチ:未完のヴァイオリン・ソナタ (1945)
【演奏】
リナス・ロス(Vn)
ルーベン・ガザリヤン(指揮)
ヴュルテンベルク室内管弦楽団(1)(2)
ホセ・ガジャルド(Pf)(3)(4)
【録音】
2015年1月22~24日 オッフェナウ文化催事会館「ザリーネ」(ドイツ)

https://tower.jp/article/feature_item/2015/05/28/1101

 

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『ヴァイオリン・ソナタ ト長調 作品134 』
 
クレメール

Shostakovich - Violin Sonata op.134 (Kremer, Gavrilov)

Andrei Gavrilov
Gidon Kremer
Berlin Philharmonic hall during their European tour 1978.

 

 

Shostakovich Violin Sonata op.134 Gavrilov Kremer live in Berlin
https://www.youtube.com/watch?v=n68acB8Vg0k

Andrei Gavrilov
Gidon Kremer

 

 

Shostakovich - Sonata Op. 134 for Violin (Gidon Kremer & The Kremerata Baltica)
https://www.youtube.com/watch?v=i8aFICk1gc8

Live recording from Semperoper Dresden (Dresdner Musikfestspiele)
Gidon Kremer, violin and direction
Andrei Pushkarev, percussion
Kremerata Baltica

 

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オイストラフ、リヒテル

Shostakovich - Violin sonata - Oistrakh / Richter

Violin sonata op.134

David Oistrakh
Sviatoslav Richter
Live recording, Moscow, 3.V.1969

 

Dmitri Shostakovich - Violin Sonata [With score]

Sonata for Violin and Piano, op. 134, written in 1968

David Oistrakh (violin)
Sviatoslav Richter (piano)
Recorded in 1969

 

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オイストラフ、ショスタコーヴィチ

Shostakovich - Violin sonata - Oistrakh / Shostakovich

Violin sonata op.134

David Oistrakh
Dmitri Shostakovich
Live recording, Moscow (Shostakovich's flat), XII.1968

 

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カガン、リヒテル

Oleg Kagan & Sviatoslav Richter play Shostakovich Violin Sonata - video 1985

Oleg Kagan and Sviatoslav Richter playing Shostakovich's Violin Sonata, op. 134


Oleg Kagan
Sviatoslav Richter
live in Freiburg on 6 March 1985.

 
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『ヴィオラ・ソナタ ハ長調 作品147 』
 
バシュメット、リヒテル
Yuri Bashmet & Sviatoslav Richter – Shostakovich Viola Sonata – video 1985


Yuri Bashmet
Sviatoslav Richter
live in Moscow in 1985.



Dmitri Shostakovich - Viola Sonata [With score]


Yuri Bashmet (viola)
Sviatoslav Richter (piano)
Year of recording: 1985



Yuri Bashmet - Bach, Hindemith, Shostakovich - video 1987


Yuri Bashmet playing with and conducting an ensemble of Moscow soloists, live in 1987 at the House of the Unions, Moscow. Timing below:

00:00 - Bach Concerto for Two Violins, BWV 1043, with Leonid Sorokov
21:20 - Paul Hindemith - Trauermusik for Viola and String Orchestra
32:09 - Shostakovich Two Pieces for String Octet, op. 11
44:30 - Bach - Air from Orchestral Suite no. 3 in D, BWV 1068



Yuri Bashmet plays Shostakovich Viola Sonata, op. 147 - video 2006


Yuri Bashmet
Mikhail Muntyan
live in Moscow in 2006 (or before).


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今井信子
Shostakovich:Viola Sonata Op.147/Nobuko Imai & Emanuel Ax


Viola:Nobuko Imai
Piano:Emanuel Ax
1989.11.12 Tokyo
 
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ヴァイオリン・ソナタ(1945年に着手したが未完)

[Dmitri Shostakovich] Unfinished Violin Sonata (Score-Video)


Performers:
Linus Roth (Violin)
José Gallardo (Piano)



Dmitri Shostakovich Unfinished Sonata (1945) for Violin and Piano: Moderato con moto


Linus Roth
José Gallardo
℗ 2015 Challenge Classics
 
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Violin Sonata (Unfinished)
Shostakovich: Works Unveiled


Nicolas Stavy
Sueye Park
℗ 2023 BIS
 

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ショスタコーヴィチ再入門


井上道義さんとサンクトペテルブルク響のショスタコーヴィチの演奏会を聴いて以来、ショスタコーヴィチの音楽が頭から離れない。


私は昔、クラシック音楽を聴きはじめたすぐ後にショスタコーヴィチに夢中になったが、その後、ベートーヴェンブルックナーなどの、ドイツ・オーストリアクラシック音楽を聴くようになって、ショスタコーヴィチから離れてしまっていた。井上道義さんはショスタコーヴィチの魅力について「複雑なところ」とインタビュー記事で明快に答えていた。先日の演奏会後のスピーチでは、「昔は嫌だなあと思っていたが、なぜか夢中になった」とマイクを握りしめた。その後、全曲演奏会という破天荒なプロジェクトを成功させるまで至り、いまでは彼のプログラムの中心にある。


クラシック音楽を聴き始めたころ、私は、ショスタコーヴィチの作品に特有の独特で謎めいたメロディが好きだった。


そこで今夜のブログは、これからショスタコーヴィチを聴いてみたいという人のことも意識しながら、過去に夢中になった楽曲を紹介し、これから聴いてみたい曲を挙げることで、再びショスタコーヴィチに接近していく自分の記録としたい。

 

■弦楽四重奏曲

かなりディープである。音楽史的にはベートーヴェンの同ジャンルと並ぶ傑作とされている。はっきり言ってとっつき辛い。難解であるがテンションは異常に高い。私も挑戦したが、作品群の輪郭すらつかめていない。しかし無人島にひとつ持っていくなら、案外こういうCDなのかもしれない。これから末永く付き合っていきたい。

Shostakovich Emerson String Quartet - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Shostakovich+Emerson+String+Quartet

Borodin Shostakovich String Quartet - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Borodin++Shostakovich++String+Quartet

 

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宇野功芳

クラシック作曲家の三大ネクラは、ブラームス、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチではあるまいか。それでもチャイコフスキーの場合は、泣き節が大げさな上、メロディーが甘美なので深刻さが減じているが、救われないのはショスタコーヴィチだ。後期の弦楽四重奏曲を聴いてごらんなさい。もう、生きていくのがいやになる。

 

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2006.08.09
ショスタコ第7交響曲を語る——「涼宮ハルヒの憂鬱:射手座の日」上級編
http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2006/08/7_2344.html


脳内宇宙艦隊戦シーンに使われているショスタコービッチ「交響曲第7番」第1楽章に存在する宇宙的恐怖にして深淵のような因縁について以下つらつらと述べていこうというわけ。


 ショスタコーヴィチのマニアの間では有名な話であるし、色々突っ込みを入れたいところもあるだろう。そのあたりはコメント欄で指摘してもらえるとうれしい。


 「射手座の日」に使われた第7交響曲(1941〜1942)は通称「レニングラード」とも呼ばれる。作曲年代で分かるように、この曲は第二次世界大戦最大級の激戦地であったレニングラード、現在のサンクトペテルブルグと密接な関連を持っている。

 独ソ戦開始時、作曲者ショスタコーヴィチは、レニングラード音楽院で作曲を教えていた。第7交響曲はドイツ軍が迫るレニングラードで、1941年7月から作曲が始まった。ドイツ軍がレニングラードを完全に包囲する前に、ショスタコーヴィチは、当時モスクワの首都機能が移転していたクイビシェフに避難し、そこで全曲は完成した。作曲者によるスケッチのメモによると、最後の第4楽章が完成したのは1941年12月27日。

 レニングラードは1941年8月末からドイツ軍に完全に包囲されており、作曲が終了したこの時、冬将軍が到来した市内は、物資の不足によりまさに阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 作曲者は、この曲を「レニングラード市」に捧げた。

 初演は1942年3月5日、クイビシェフで行われた。ソ連政府は、世界的に有名な作曲家であるショスタコーヴィチが完成させたこの一見壮大な交響曲を戦意高揚に利用する。複製された楽譜は空輸によってレニングラードに運ばれ、1942年8月9日、包囲下のレニングラードにおいて、レニングラード放送管弦楽団により演奏された。

 オケのメンバーはほとんどが、徴兵され最前線で戦っていた。皆、演奏のために市内に戻ることが許され、1日だけ銃を楽器を持ち替えて、演奏に参加し、そしてまた戦場へと戻っていった。
 彼らのほとんどが、そのまま帰ってこなかった。

 ソ連政府の手により、楽譜はマイクロフィルム化され連合国各国へと渡った。アメリカでは、1942年7月19日、トスカニーニの指揮、NBC交響楽団によって初演が行われた。アメリカはその演奏を、全世界にラジオ中継した。戦意高揚と連合国各国の連帯の強化のために、この曲を利用したのである。

 

 と、いうような曲の来歴を頭に入れて、一度ハルヒの「射手座の日」に戻ろう。
 「射手座の日」で使用されるのは第1楽章。まず、コンピ研との戦闘開始にあたってハルヒが演説するシーンで、楽章冒頭の弦とファゴットのユニゾンによる雄大な印象の第一主題が使用される。

 この第1楽章は、非常に変則的なソナタ形式をしている。通常のソナタ形式では中間部は、2つの主題の展開部になる。ところがこの楽章では、展開部の代わりに、そこに全く別のメロディによる「ボレロまがい」が挟まっているのだ。

 この変ホ長調の主題は「戦争の主題」と呼ばれている。

 このメロディが14回ほど繰り返され、繰り返すたびに盛り上がり、最終的に暴力的なまでの音量ですべてを圧倒する。レニングラード市が戦争に巻き込まれる過程というわけだ。

 「射手座の日」では、この繰り返しの部分が使用される
「1600開戦」の部分では、弦楽器が並行和音でメロディを演奏する7回目と8回目の繰り返しが使われる。

 キョンの「どうにもならないんだ」からはオーケストラの全楽器が咆哮する12回目、続いてメロディが大きく変形されて短調で出現する13回目の部分が使われる。いきなり曲調が悲壮な雰囲気に変わる部分に、みくるの「みなさんどこにいっちゃったんですか〜」という悲鳴が重なるあたり、演出効果満点だ。

 

 と、まあここまでは、ショスタコーヴィチが生きていた頃の解釈である。

 ところでここで、メロディを覚えている人は、「戦争の主題」を口ずさんでみて欲しい。

 なんだか間抜けな気はしないだろうか。メロディだけ取り出すと、およそ戦争とは思えないぐらいのどかで間抜けで、しかもどこか茶番じみてもいる。これならば、ジョン・ウィリアムズが「スターウォーズ」で書いた戦闘の音楽のほうが、ずっと戦争と言うには似つかわしい。

 そういえば、このメロディ、かつてCMでシュワルツネッガーが、「ちちんぷいぷい」という歌詞を付けて歌っていたではないか。それぐらい、メロディとしては間抜けなのだ。

 この間抜けなメロディが「戦争の主題」とはどういうことなのだろうか。

 実は間抜けなのは主題だけではない。この「ボレロまがい」は、ボレロのように厳格にオーケストレーションだけを変化させるのではなく、繰り返しごとに異なる装飾的な対旋律を伴っている。早い話が「合いの手」が付いているわけ。その合いの手もまた、どこかサーカスじみた茶番っぽい雰囲気を持っているのである。

 はて?

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閑話休題

 1942年に全米にラジオ放送された、第7交響曲の演奏を、アメリカに亡命した一人のハンガリー人の作曲家が聴いていた。

 その名は、バルトーク・ベーラ。ハンガリー人は、「姓・名」の順番で書くので、バルトークが姓である。

 彼は母国ではハンガリー民謡の研究で名前を上げ、民謡と近代的作曲技法とを統合した独自の作風を確立した作曲家として尊敬されていた。
 ところが彼の音楽は、アメリカが受け入れるには晦渋に過ぎた。そしてまた彼の性格もまた、アメリカでうまく立ち回るには実直に過ぎた。ナチスから逃れたアメリカに渡ったものの、ハリウッドを手玉に取ったストラヴィンスキーや、カリフォルニアに作曲の教師の職を見つけたシェーンベルグのようにうまくやることができず、この時期彼は貧乏のどん底にいた。

 しかも彼は、亡命による環境の激変によってか体調を崩しており、あまつさえ精神的には作曲すらできなくなっていた。

 何人かの音楽関係者が、彼を援助しようとしたが、援助を受けるにはバルトークは誇りが高すぎた。難儀な人である。

 そのバルトークは、このショスタコーヴィチの第7交響曲を聴いて怒り狂った。「なんという不真面目な曲だ」と。このことは、彼の息子のピーターが記録している。

 さあ、バルトークはこの曲の何を「不真面目だ」と怒ったのだろうか?

 

 この時、指揮者のセルゲイ・クーセヴィツキーが、なんとかしてバルトークに生活費を渡そうとしていた。裕福な女性と結婚していた彼は、妻の財産を使ってクーセヴィツキー財団を設立し、様々な作曲家に新作を依頼し、自ら初演していた。

 誇り高いバルトークが生活費を受け取らないであろうことを知ったクーセヴィツキーは、代わってバルトークに「自分のためにオーケストラのための曲を書いて欲しい」と依頼した。それが、渡米以来萎えていたバルトークの創作意欲に火を付けた。

 かくしてバルトーク晩年の傑作、オーケストラの各楽器が縦横無尽に活躍する「管弦楽のための協奏曲」が生まれた。

 全5楽章からなる「管弦楽のための協奏曲」の第4楽章は「中断された間奏曲」という題名を持つ。ここで、ショスタコーヴィチの第7交響曲第1楽章の、あの「戦争の主題」後半が引用される。上から下へと音符が下がってくる部分だ。

 引用されたメロディの繰り返しが、木管楽器による人間の笑いを模擬したようなフレーズで3回中断される。「中断された間奏曲」という題名の由来だ。

 同時にバルトークのショスタコーヴィチに対する「不真面目だ!」という意思表示でもあるのだろう。

 

 では、ショスタコーヴィチは、何が不真面目だったのか。私の記憶ではこれを指摘したのは日本の作曲家、柴田南雄だった。

 実は、「戦争の主題」の後半には元ネタがあった。ウィーンのオペレッタ作曲家フランツ・レハールの代表作「メリー・ウィドウ」(1905)だ。

 「メリー・ウィドウ」は、「会議は踊れど進まず」で有名な1814年のウィーン会議を舞台にした恋のさやあての物語だ。ご存知、ナポレオン後のヨーロッパの勢力図を確定しようと各国が角突き合いをしたあげく、ナポレオンのエルバ島脱出でお流れになった会議である。

 ショスタコーヴィチが引用したのは、登場人物の一人、ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵が酒場に繰り出すところで歌う歌。そして、ショスタコーヴィチが引用したまさにその部分の歌詞は「彼女ら(松浦注:酒場の女達)は祖国を忘れさせてくれるのさ」というものだったのである!

 おいおい、これはどういうことか。レニングラード市に捧げられた交響曲の「戦争の主題」が、「女で祖国を忘れよう」というのは一体何なのだろうか。バルトークが不真面目と怒った理由も分かろうというものだ。

 皮肉なことに、ショスタコーヴィチが第7交響曲を書き、バルトークがそれに怒って「管弦楽のための協奏曲」を書いたその時期、老いたレハールはナチスの庇護を受けていた。しかもユダヤ人の妻と共に。
 ヒトラーが「メリー・ウィドウ」が大好きだったという理由からだった。それ故、戦争終結後、レハール自体は一切政治的な動きをしていなかったにもかかわらず「戦争協力者」と非難されることになる。

 

 ここで最大の問題は、なぜショスタコーヴィチは、本当に「メリー・ウィドウ」を引用したのか。そして、引用するとしたらその意図は何だったのかということだろう。

 実はショスタコーヴィチには、そのような引用を行う動機が十分にあった。彼は向かうところ敵なしの天才児としてスタートしたが、芸術をも統制しようとするソ連共産党によって1936年、プラウダ紙面で非難されたことがあった。

 スターリンが密告を奨励し、派手に粛正を繰り広げた時期、彼はこともあろうに共産党の機関紙の紙面で批判されたのだ。その恐怖はいかばかりだったろうか。彼は、彼の庇護者でもあった陸軍のトハチェフスキイ元帥に相談したのだが、翌1937年には、そのトハチェフスキイが、スターリンによって粛正されてしまうのである。

 プラウダによる批判以降、ショスタコーヴィチの音楽は変化した。生き延びるために「明るく健全で分かりやすい」という社会主義リアリズム方針に従った。
 彼の巨大な才能を持ってすれば、その路線ですら傑作を書くことが可能だった。そうして有名な第5交響曲が生み出された。
 彼は第二次世界大戦後、もう一度批判されるが、そのときはスターリンへのおべんちゃらに満ちたカンタータ「森の歌」を書いて生き延びた。歌詞はどうしようもないが、音楽は間違いなく傑作だった。

 その一方で、自由に作曲できない環境の中、彼は鬱屈し、屈折していった。彼は自分の音楽に謎めいた仕掛けをするようになる。奇妙に音楽の流れを断ち切るような音名象徴、それとは分からないような引用など。
 音楽は言葉と異なり、それ自身で確定した意味を持たない。いかようにでも解釈できる。有名なロッシーニの「ウィリアムテル」序曲は、アメリカ西部の騎兵隊の映像にもマッチするし、蒸気機関車の疾走にも、あるいは「スターウォーズ」のクライマックスで共和国軍を助けに駆けつけるハン・ソロとミレニアム・ファルコン号の映像にもぴったりだろう。
 その音楽の特質を生かし、ショスタコーヴィチは音楽の中に自分の真意をひそかに埋め込むようになっていった。

 

 そう、ショスタコーヴィチが「戦争の主題」に込めたのは、反祖国的なもの、即ちスターリンによる粛正ではなかったのか。そう考えるとすべてが符合する。どこかおちゃらけた旋律が、サーカスのような対旋律を伴ってどんどん威圧的になっていく過程は、まさにスターリンの治世そのものでないか。
 すなわち、ショスタコーヴィチは、ナチスと戦う祖国の英雄を称える交響曲を書くと見せかけて、実はスターリンに対してあかんべえをかませていたということになるのだ!

 

 ショスタコーヴィチの「音楽の暗号」は、彼の死後の1982年、西側で出版された衝撃的な「ショスタコーヴィチの証言」(ソロモン・ヴォルコフ編)で一躍表に飛び出た。回想録にはそれまで公式発言で形成されたいた西側のショスタコーヴィチ像とは全く異なる、彼があった。公式発言とは異なる、人間的に納得できるショスタコーヴィチがそこにいた。


 これで、めでたしめでたし。謎は解けたぜ、で終わればいいのだが…

 音楽の暗号は、数理的な暗号と異なり読み手がある意図を持っていなければ読み出せない。その意味では、ノストラダムスの予言とよく似ている。
 ということは、常に「それはショスタコーヴィチの真意か。深読みしすぎじゃないか」という問題がつきまとうことになる。戦争の主題が「メリー・ウィドウ」の引用って本当か?他人のそら似で、深読みしすぎじゃないか、というように。

 実際、現在では「証言」は「編者」ヴォルコフが、ショスタコーヴィチ周辺でプライベートに話されていたことや、ショスタコーヴィチが書いた文章を適当につなぎ合わせたものじゃないかという意見が優勢になっている。その証拠に、「証言」には、ショスタコーヴィチが死後に残した最大の爆弾が記載されていない。

 彼はスターリン時代に、スターリンをはじめとしたソ連政治を思い切り皮肉ったカンタータ「反形式主義的ラヨーク」を密かに書いていた。「証言」にはこの曲についての記述が一切ない。「反形式主義的ラヨーク」の存在を、本当に親しい人は皆知っていたが決して口には出さなかった。これが出てこないということは、「証言」は大して親しいわけでもないヴォルコフのでっちあげということだ、というわけである。

 

 だが、私には、そういった混乱すら、実はショスタコーヴィチが意図したものじゃないかという気がする。

 ヴォルコフが西側の出版社に持ち込んだタイプ原稿にはショスタコーヴィチ自身のサインがしてあったという。

 私は想像してしまう。ソ連からの亡命を企てた若きヴォルコフが、西側へのみやげとして、ショスタコーヴィチの回想録をでっちあげるべく取材を開始する。それに気が付いたショスタコーヴィチは、ヴォルコフを呼びつける。おびえるヴォルコフに対して、老いたショスタコーヴィチは何も言わずに、彼の原稿にサインをいれる、というような鬼気迫る光景を。


 さて、長々とした話はこれでおしまい。「涼宮ハルヒの憂鬱」から始まって、ずいぶんと遠いところまで来てしまった。

 まあ、「射手座の日」でなにげなく使われた、そして、かつてシュワルツネッガーがCMで「ちちんぷいぷい」と歌ったメロディには、これだけの因縁がまとわりついていて、暗い暗い深淵が口をぽっかりと開けているのだ、ということで。

 


 酸鼻を極めたレニングラード攻防戦の概要を知るには、このソールズベリーによるノンフィクションをお薦めする。長らく入手不可能だったが、最近再刊された。高いとかいわずに、買うべし。

 レニングラードの指導者だったジダーノフは、スターリンにとって目の上のタンコブ的存在だった。スターリンは、ジダーノフを消すために半ば意図的にレニングラードを見捨てたのである。その結果、市民は地獄を見ることになった。

 スターリンの意図に反し、ジダーノフは包囲戦を生き抜き、ナチス・ドイツを打ち破って、ソ連共産党における地位を固める。そして、戦後ジダーノフは、ショスタコーヴィチに対してさらなる個人攻撃を仕掛けることになるのだ。


 偽書だという説が優勢になっているものの、この「証言」が西側に出てきたときのショックは巨大だった。今後ともショスタコーヴィチの受容史を語るには欠かせない文献といえるのではないだろうか。

 最近はかなりショスタコーヴィチの研究も進んでいるようだが、私がフォローできていない。なにか良い本が出ているようならば、是非とも教えてほしい。

 

 ショスタコーヴィチ趣味の行き着く果て、ということで遺作の「ヴィオラソナタ」をリンクしておく。間違っても素人はこれを買ってはいけない。

 晩年に向かうにつれ、ショスタコーヴィチの音楽は鬱屈し、内省的で暗いものになっていった。その到達点が、死の直前に完成したこのヴィオラソナタだ。

 マーラーの後期交響曲を暗いと感じる人は多いだろうが、これはそれどころじゃない。おそらく、人類が手にした最も暗い、ブラックホールのような音楽である。

 にもかかわらず、この曲は、あたかもホーキング輻射のように光を放っている。恐ろしいまでに高貴で、気高く、そして真っ黒な絶望に彩られている。この曲と比べることができるのは、ゴヤが晩年に描いた一連の「黒の絵画」だけだろう。

 ショスタコ19歳のはつらつとした第1交響曲を考え合わせると、社会主義というのはいったい何だったんだろうかと考えざるを得ない。


Comments

ハルヒでかかってた曲はショスタコビッチだったんですね。ショスタコビッチについてはいろいろいわれていたのは知っていましたが改めて彼が生きていた1984年的世界に思いをはせてしまいました。

Posted by: winter_mute | 2006.08.10 06:10 PM

 

どうも、松浦さんには申し訳ないですが、ショスタコは、20世紀音楽全体から眺めたとき、大きく視界に入るような作曲家ではないです。この人の音楽、確かに面白い曲もいくつかありますが、音楽の発想が「24のプレリュードとフーガ」のように一見いろいろやってるように見えて、実は内容が貧しかったり、構成より技術に頼っていたり。
バルトークは、ひょっとしてそう言った音楽の本質的な部分から、まず許せなかったのではないか、と思っております。
「ちちんぷいぷい」藤家がアレンジしてたですね。あの子はあれで茶目っ気あるからなぁ(あの子、なんて言っちゃいけないですな)。

Posted by: 大澤徹訓 | 2006.08.11 10:41 PM

 

 ああ、やっぱり、大澤さんはきびしいなあ。

 あえて書かなかったのですが、「レニングラード」交響曲は、ショスタコーヴィチとしてはあまり良い曲ではないですね。「24のプレリュードとフーガ」もそうです。

 傑作とされる交響曲5番も、どこか「お前、全力を出していないだろ」という部分があります。難しいのはそれがショスタコーヴィチ自身の問題なのか、彼が巻き込まれた政治状況の問題なのか、なかなか判然としないところです。

 交響曲9番とか10番も、曲そのものだけではすべてを語り切っていない。当時のソビエトの状況を考えないと曲が完結しないというところがありますよね。

 逆に言うと異常な状況の中で、作曲家がどう生き延びたかという興味はありますね。音楽を楽しむという点では不純な興味ですけれど。

 私の体験を振り返るなら、まず、交響曲8番があります。指揮活動に乗り出したばかりのロストロポーヴィチが振った演奏を、高校の頃ラジオで聞いたのが始まりでした。
 深い深い1楽章と、続く2つのスケルツォの軽薄さ、そして陰鬱なアダージョと、ちょっと鬱から回復したかという印象の第5楽章、という奇妙さが深く心に残りました。

 それと弦楽四重奏曲、特に7番と12番です。7番ラストの破滅に向けて疾走するような感覚と、悪夢から覚めたという風情のコーダは、夢に見るほど魅せられました。

 そして最後の交響曲15番ですね。もう向こう側に行ってしまったとしか言いようのない曲です。その後に弦楽四重奏曲の15番があって、ヴィオラソナタがあって、このあたりはもう人類が書いた曲とは思えない部分があります。

 若い時に力任せで書いた曲も好きなんですけどね。交響曲2番のポリフォニーとか。あれは多分、教科書的にはやっちゃいけないことのオンパレードじゃないかと思うのですが。

 ああ、多分私は、ショスタコーヴィチの、音楽だけでは語りきれない、絶対音楽として捉えると不完全に見える部分が好きなのかも知れません。


Posted by: 松浦晋也 | 2006.08.12 12:20 AM

 

 訂正、弦楽四重奏曲は12番ではなく13番です。確かヴィオラのものすごく広い音程にアーチを描く旋律で始まる奴。
 途中で出てくる狭い音程をいったり来たりするフレーズが印象的な曲でした。

 12番は冒頭12音列が出たと思ったら、ドレドレレミレミという単純な全音階のフレーズで受けるという人を食ったやりかたで始まる曲でしたね。

 こんなことを書いていたら、あらためて交響曲と弦楽四重奏曲をひとつずつ聴き直したくなってきました(いやまあ、個人的記憶と色々結びついていたり)。

 それが愛かと問われれば、私はショスタコーヴィチの音楽を愛しているのでしょう。正当なる愛かと言われれば、多分違うのでしょうけれど。

Posted by: 松浦晋也 | 2006.08.12 10:46 PM

 

ときどきコメントさせていただいている、いしどう です。
えーと、オーケストラ・ダスビダーニャなる、ショスタキスト…じゃなくって(笑)ショスタコーヴィチの音楽が大好きなプレーヤが寄り集まって作ったアマオケでヴィオラを弾かせていただいたりしてます。
「レニングラード」交響曲(というより、単に「7番」といったほうがわたしにはしっくりくるんですが(^^;;)は3年ほど前に演奏しました(去年が1番で今年が8番。次は来年3月4日に池袋の芸術劇場で15番とバイオリン協奏曲第1番を演奏します。もしよろしければお越しください(^^))。とても楽しかったです。

『チチンプイプイ』ですが(笑)、あれはソビエト侵攻したナチスドイツ軍を表現しているもので、それをおちゃらかしているのですから、別段体制にたいしてあっかんべぇをしているわけでもないと考えています。また、「メリー・ウィドウ」が流行った時期のウィーンはナチスドイツ支配下にあったわけで、それも示しているんだということも聞きました。

いずれにしても、われわれにとってはソビエト連邦の存在はまだ近すぎます。どうしても、その社会体制とあわせてショスタコーヴィチの音楽を考えてしまいがちです。
ショスタコービィチの音楽が、20世紀を代表する音楽のひとつになるかどうかは、あと2~3世紀たって、ソ連の存在が本当に歴史になったときにわかるのかもしれません(まぁ、そのときにまだ人類が存在していて、西洋古典音楽という音楽ジャンルが残っていれば、の話ですが(笑))

…えーと、なんか素人がえらそうなことを書いてしまいました。すみません。


Posted by: いしどう | 2006.08.14 02:13 AM

 

 あ、15番やりますか。あれは凄い曲ですよねえ。彼岸に渡り切っちゃって、向こう側で石を積んで遊んでいるような印象です。

>別段体制にたいしてあっかんべぇをしているわけでもない

 そういう、あいまいさを残しているところがショスタコーヴィチの立ち位置を象徴しているんだろうと思っています。

 誰が聞いたって第5のフィナーレは空疎です。まして直前の第4ではピアニッシモの主和音引き延ばしをやっていますしね(こっちの演奏効果は素晴らしい)。しかも、同じことを15番のフィナーレでもやっています。

 となると、一体5番のラストに込められたものはなにか、と考えたくなってくる。多分、それこそがショスタコーヴィチが仕組んだことなんでしょう。

Posted by: 松浦晋也 | 2006.08.17 07:42 PM

 


ハルヒと同じスタッフが、違うアニメで今度はブルックナーを使ったことで、只今話題を呼んでおります。
是非この件についてもそのうち取り上げてみてください。どういうご感想をお持ちになるか、興味があります。
「かんなぎ」という作品の第11話ですが、ブルックナーの交響曲第7番の第一楽章の冒頭を使用しています。
かんなぎはヒロインが神を自称すると言う設定の作品です。
そのヒロインが自らの自己分析を行うシーンで神性を確認するかのように曲は使われいます。そして途中でノイズによって意図的にかき消されると言う演出を行っています。

Posted by: すみのやきとり | 2008.12.15 02:25 AM

http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2006/08/7_2344.html

 

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石川清隆コラム

Testimony -ショスタコーヴィチの証言-
https://kiyotaka-ishikawa-law.com/column/10.html


『ショスタコーヴィチの証言』(注1)

https://amzn.asia/d/4qBLbxQ


 という本があります。

刊行後、33年が経過しますが、スターリンやその取り巻き、その全体主義、プロコフィエフなどの音楽関係者、演出家のメイエルホリドなど様々な有名人に対する率直なコメントが書かれているばかりか、彼自身の曲についてそれまで聞いたこともないような面白い記述に溢れています。それはショスタコーヴィチの曲の解釈に多大な影響を与えただけでなく、その後のショスタコーヴィチ論の隠れたネタ本となってきました。

あまり程度がよいとは思えない"偽書論"については後日述べるとして・・。

本書にある、「ユダヤの民族音楽…それは非常に多様性を帯びていて、一見陽気だが実際は悲劇的なものである。それは殆ど常に泣き笑いにほかならない。ユダヤの民族音楽のこの特性は、音楽がいかにあるべきかという私の観念に近い。音楽には常に2つの層がなければならない。」という記述は、ショスタコーヴィチの曲の中で"勝利"だ"歓喜"だと言われていた楽章の中にある外声部,内声部の不可解な音の響きや基底部にあるリズムの意味を初めて説明していたものです(注2)。

例えば、ソ連体制下での"公式"な見解による「勝利の行進」とされていた有名な交響曲第5番の最終楽章について、「あそこにどんな歓喜があるのだ」「あれはボリスゴドノフの場面同様、強制された歓喜なのだ」と書かれています。

更に、公式には、「第7交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の宿命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる」と作曲者によって表明されたとされる「レニングラード」という通称を持つ交響曲第7番については、この「証言」では「私はダビデの詩篇に深い感銘を受けてあの曲を書き始めた」、「神は血のために報復し、犠牲者の号泣を忘れない、など」とあります。他にも引用したらきりがないほど面白い本です。

この本は、編者ヴォルコフが言うように、「ショスタコ-ヴィチと聴衆を隔てる最後の扉が彼の背後で閉められたら、誰が彼の音楽を聞こうとしただろうか。」(注3)という危惧感の元、「表向きの仮面が彼の顔にぴったり貼り付けられていた。それ故仮面の下から、用心深く、疑り深そうに彼の素顔が覗いた時、私は非常に驚いた」という、そのとおりの構成になっています。

ショスタコーヴィチは、音楽はそれ自体を聴いてその意味を感じるものであるが、ソビエト体制の下で、作品への批判を避けるため「公式」に表明したり、させられたり、勝手に代筆された言葉が、聴衆に彼の作品を理解してもらう為の妨げになっているということを強く感じて、こういう構成になったのでしょう。

その衝撃的な内容はショスタコーヴィチの時代背景や、彼の作品について、何度読んでも飽きない不思議な含蓄ある言葉に満ちたものです。一つの例としてダビデの詩篇との関係で語られた第7交響曲を挙げてみましょう。


交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」

この曲は、それまで第二次大戦中にナチスドイツがレニングラードを包囲したその最中に作曲され、その後ソ連は反撃に出てその包囲を解きソ連を勝利に導いた様子を曲にした"戦争交響曲"というような解釈がなされてきました。

実際にこの"公式見解"に沿った、第1主題提示 「この曲の主人公であるソヴェト国民の持つ勇気と自信」(「ボレロ的」展開)、「ファシスト侵略の醜鼻の印象を描き出す」「戦争の主題」 第1主題の短縮再現 「われわれの英雄たちのための(中略)この鎮魂曲をきいて我々は泣かない。こぶしを固めるのだ」…というような解説が、真顔で書かれていました(注4)。

『証言』では、「この曲は戦争の始まる前に構想されていた為、ヒトラーの攻撃に対する反応としてみるのは完全に不可能であり、冒頭の楽章で執拗に繰返される「侵略の主題」は実際の侵略とは全く関係がない」とし、「ヒトラーによって殺された人々に対して、私は果てしない心の痛みを覚えるが、スターリンの命令で非業の死を遂げた人々に対しては、それにも増して心の痛みを覚えずにはいられない。」

この交響曲などが、ナチスドイツとの攻防をテーマとする"戦争交響曲"と捉えられていることについて、「(戦後30年もたって彼らは)何故自分の頭で考えようとしないのだろうか…」「私の多くの交響曲は墓碑である」「(これは)第4番に始まり第7番第8番を含む私の全ての交響曲の主題であった…」と記されています。

戦争前には、スターリンは国内では人民の敵だとして粛清で多数の無辜の人々を殺していました。ヒトラーと独ソ不可侵条約を結び、他方では赤軍の機械化近代化を推し進めていたトゥハチェフスキー元帥(注5)を拷問にかけナチスのスパイだとして銃殺し、これに関係していたとして数百人の将校を処刑しています。他にも粛清で殺された人は多数いました。これらの人々に対しても捧げられた曲だというのです。

これでは、「あれは"戦争交響曲"だ」「侵略者の醜鼻を描きソビエト人民の勝利を輝かしく描いているのだ」などと、上から目線で言っていた人たちはナチスと戦ったのだから社会主義は正義だと思っていたのですから、「同類だ」と言われて立場がなくなりますね。

この曲に関し、初演当時からハンガリーの作曲家べラ・バルトークがショスタコーヴィチに対して「不真面目である」と怒りを表し、「管弦楽のための協奏曲」の中にショスタコーヴィチを皮肉っている部分があるという話がありました。

しかし、何にバルトークが怒っていたのかはよく分からないままでした。

これについては、「管弦楽のための協奏曲」の中だけでなく、ショスタコーヴィチの交響曲第一楽章にもまた、レハールの喜歌劇「メリー・ウィドウ」のパロディが含まれていたという事実から、バルトークの意図が分かります。

この第1楽章の「戦争の主題」とレハールの旋律との関係は、『証言』の編者のヴォルコフが、1979年の英語版『概説(未邦訳)』の注釈ではじめて説明しました。それによると「戦争の主題」の後半はウィーンのオペレッタ作曲家フランツ・レハールの有名な「メリー・ウィドウ」の引用であり、その部分の歌詞は「(キャバレー)マキシムへ行こう~」だったというのです。(注6)

続く歌詞は「そこの女達は祖国を忘れさせてくれるのさ・・」というものです。
指揮者ムラヴィンスキーは、この初演をラジオで聴いて、このマーチはナチスの侵略ではなく「作曲者が既に創作しておいた愚劣さや、甚だしい下品さの普遍的イメージだ」と思ったと追想していたそうです。(注7)

また、上から目線の人たちは、この曲の最終楽章(第4楽章)については、「(「人間の主題」)が全楽器の絶叫によって打ち立てられ、序奏の同音連打が勝利の宣言となる。」とか言っていました。終わりのコーダ部分が何かしら敵に鉄槌をくらわせているように聞こえるのでしょう。

そのように聞こえなくもありません。『証言』が述べているのはこの「敵」はナチスだけでなくスターリンの殺戮マシーンのような体制でもあるということでしょう。するとここでは「勝利」でなく「鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする」(注8)という「裁き」ないし、「報復」を表現しているのかもしれません。

あえてイメージで語るとすれば・・・、全楽器の絶叫によってそそりたつように打ち立てられるのは、「雷を伴った大きな雲の柱、火の柱」(注9)のようです。

旧約聖書では、「民のため敵に復讐する神は雲の柱の中にいます」、

詩篇では、「雷鳴は車の轟きのよう。・・稲妻は世界を照らし出し地は慄き、震えた。」(注10)

「(主は)、悪者の上に網を張る。火と硫黄。燃える風が彼らへの「裁き」(の杯への分け前)となろう」(注11)

という記述があります。

『証言』で「神は血の為に報復し、犠牲者の号泣を忘れない、などとある」と言及しているのは、言葉で解説するとしたらこのようなことかもしれません。そしてこの「人間性に対する敵」に鉄槌を下すのが、神ではなく、戦争や暴政の中で虐殺されていった人々の無念、かなしみ、慟哭の果ての激しい怒りなのでしょう。

なお、第4楽章の後半は、フレイシュマンのオペラ「ロスチャイルドのヴァイオリン」の終曲の旋律、展開が基調にあるように聴こえるのですが・・・(注12)。

「反形式主義的ラヨーク」(作品番号なし)の登場

『証言』の中で、ジダーノフ批判に触れて「私にはこの主題を描いた作品があり、全てはそこで語られている」と言う記述があります(注13)。

この本の出版後10年たった1989年には、これに符合する、誰も知らない謎の作品が「反形式主義的ラヨーク」として、初演されました。

これは、戦後のジダーノフ批判の時の、スターリンや取り巻きを茶化した声楽曲(世俗カンタータ)で、ヴォルコフの初版『概説』にもこの部分について触れた記述があり、『証言』本文の中でも、この作品の存在を示唆した辺りの記述内容と視点、取り上げ方は一致していました。作風はゴーゴリの原作に基づくオペラ「鼻」を思い出します。

ある偽書説論者は、このソビエト当局を揶揄した「ラヨーク」 が見つかった時に「なぜ『証言』にはラヨークの存在が書かれていないのだろう」 と得意満面に発言したそうです。その後『証言』の翻訳者が、『証言』中にラヨークの存在についての記述があることを指摘しましたが、前言を訂正することはなかったようです(きっとこの論者は邦訳も英語版も読んだことがなかったのでしょうね)。

未だにこの『証言』の内容の中には偽書であることを疑わせる「事実誤認」は確認されていないどころか、この『証言』の内容を裏付ける事実がどんどん出てきました。ソビエト崩壊後、埋葬された場所すらわからない演出家メイエルホリドが拷問され銃殺されたことは、判決文や、取り調べ過程の資料が出てきました(注14)。

まだまだ、おもしろい発見や埋もれている事実があるように思われます。
(つづく)

https://kiyotaka-ishikawa-law.com/column/10.html

 

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石川清隆コラム
俗物根性(Пошлость)と芸術に対する「冷笑」
https://kiyotaka-ishikawa-law.com/column/27.html

 

1.注解のほうが交響曲そのものよりも重要だと考えている人々 (注1)

最近話題の佐村河内という被爆2世で聴覚障害がある人物の作とされていた曲には、実はゴースト・ライターがいたという。

何曲か聞いたことがあるが「広島」と題された曲はマーラーの交響曲第2番第5楽章をベースにした習作的作品かと思っていた。「佐村河内の作品」群は、新垣という人の作品だという。音楽まがいの「音楽」というのは数あるが、これらの作品群は音楽的に優れたものと思う。なんでこのように作者をたがえて「お出まし」にならなければいけなかったのだろうか…。

世の中にはアイドル歌手やタレントが自伝や本を出すとき、ゴースト・ライターに書いてもらうことは良くあるといわれ、ゴースト・ライター「専門家」もいる。

今回のは、質的によいものであっても、被爆二世が作曲した「HIROSHIMA」とか「耳が聞こえないハンディを乗り越えて努力の末に作品を完成させた」、東日本大震災をテーマにした「レクイエム」とかいうふれこみで売ろうとしたのだろう。
音楽作品の内容、完成度でなく、何か話題性、逸話を造り上げて、良い物でも、まがい物でも「売らんかな」の音楽業界の商業主義的体質、話題性を『付加価値』とする芸術とその鑑賞者に対する「冷笑的」な傾向が見え隠れします。

作曲家ショスタコーヴィチが「生活の為なのだとそっと言われるところに、すべての悲劇が発生する。」として知人から聞いた面白い話を紹介している。

「それこそドストエフスキーの小説に出てくるような素晴らしい光景であった。二人の「共作者」が便所で落ち会う。一人は相手に金をつかませ、もう一人は相手に高潔さを主題としたいつもの歌を手渡す。そして陰謀を隠すために、便器に勢いよく水を流す。このように崇高で詩的な状況のもとでいわば国民の道徳水準の向上を訴える価値のある新しい作品が生まれるのである。」

それを咎めると「わたしの相棒はきちんとかなりの金を支払ってくれている。ほかの人たちからの注文も受けなければならないのだ。だがそのおかげで生きてゆけるのだから、彼に感謝している。だからきみを中傷好きな人だと吹聴してやる。」 (注2)

と言われたそうです。

 

2.「革命」という"勇ましい"副題(交響曲第5番)

このショスタコーヴィチの作品で有名な交響曲第5番 (注3) がありますが、これに「革命」とかいう副題をレコード会社が勝手につけて売り出していたのは我が国だけ。

この曲は、現在では、感情的な諸相がかなり複雑な内容を含んでいる曲であることは広く理解されていますが、初演当時「フィナーレでショスタコーヴィッチは新しい創造的手段を見つけ出し、音の壮大さ、雄大さを生み出している。満場が立ちあがる。満場は喜びと幸福感にとらわれる」 (注4) とか褒められて、社会主義リアリズムを代表する交響曲とされて世界中に喧伝されていました。

この曲の最終部分、速度指定はかなりゆったりとしているのですが、アメリカの指揮者バーンスタインは1959年、ソ連に演奏旅行に行った時、この交響曲第5番の演奏で第4楽章のコーダのテンポ(開始部も早い)を倍以上の4分音符=200ほどの超快速で演奏しました。するとかなり軽い諧謔的なおちょくった演奏になるのですが、当時のソ連共産党関係者は、よく分からずにこれを明るい"勝利の凱歌"のように感じてひどく喜んでいたそうです。またバーンスタインが1979年に来日した時の演奏も第4楽章のコーダのテンポも同じくらい速く (注4) 、この曲LPレコードに「革命」とかいう副題が勝手につけられたのはこの前後でしょうか。

当時、ショスタコーヴィチの曲のレコードを買う人の多くは、この曲の最後に「「勝利の行進」を聴くのだ」とか確信を持った人が多かったのかもしれません。このような人たちを満足させるために「革命」とかいう副題をレコードジャケットの帯に付けて売ろうとしたのだと思います。

まあ聞く方も、今ではどう聞いても軽薄で諧謔的な演奏に対し、「気迫溢れる、逞しく勇ましい「革命」を聴かせてくれた」とか「光り輝く圧倒的な勝利を告げるフィナーレまで熱く激しく聴かせてくれた」とか感激しちゃったり。 一部の音楽評論家などが、「うわっすべり的なから騒ぎ」とか書かないまでも速度指定の問題などを書くと、「これだけ演奏が燃えているのに、この批評からはこの凄い演奏に対する熱が感じられない!」とか非難される始末でした…。 (注5)

どうしてこのような「冷笑的態度」で「革命」とかいう副題 (注6) をつけて付加価値を付けられるのでしょうか。

亡命ロシア人の作家ウラジミール・ナボコフは「俗物は感動させること感動させられることを好み、その結果として欺瞞の世界、騙し合いの世界が彼によって彼の周囲に形成されるのである。」 (注7) という。

ショスタコーヴィチは革命後、困窮して「食うためならどんないまわしい行為でも、わたしはしてみせる」と書いたチニャコフという詩人を例に挙げ、「重要なのは食べることであり生きている間はできるだけ甘い生活を送りたいというのである。これは冷笑的な心理と呼ぶだけでは不十分で刑事犯の心理である。わたしの周囲には無数のチニャコフたちがいた。才能のある者もいればさほど才能のない者もいたが。しかし彼らは協力して仕事に励んでいた。彼らはわが国の芸術を冷笑的なものに変えようと努めその仕事を上首尾に成しとげたのであった。」 (注8) と述べています。
チニャコフは、街に立ち「詩人」と書いたボール箱を首から胸に吊るし、通行人から金を恵んでもらいその金で、高級レストランで飲食し、翌日はまた街角に立っていたという。

 

3.ゴーゴリ『外套』、冷笑的なまなざしでない「不条理」なもの

「貧しい下級官吏がなんとか外套を新調する。外套は生涯の夢になる。ところが、その外套を最初に着た夜に、暗い街区で外套を剥ぎとられて、悲嘆のあまりに死んでしまう。

夜な夜な街区をうろつく外套を着た幽霊が出る。そして幽霊が高慢ちきな上司の外套を剥ぎとってしまう…。」

この作品を、ゴーゴリが単に精神異常をきたして「冷笑して」いるとか、いや、「虐げられる弱者との主題を設定し、ゴーゴリが読者に「人道的な同情を求めている」と読むべきとかいろいろな議論があります。

ナボコフは「ロシアには気取った俗物根性を指す特殊な名詞ポーシュロスチというのがある。屑であることが誰の目にも明らかな対象を指すだけではなく、むしろ偽りの重要性、偽りの美、偽りの知恵、偽りの魅力を指す。何かにポーシュロスチというのは、美学的判断であるばかりか、道徳的弾劾でもある。真なるもの、善なるものは、決してポーシュロスチにはなり得ない。ポーシュロスチは文明の虚飾を前提とするからである。」という (注9) 。

ナボコフはこの主人公の下級役人は「不条理」な現実の精神を体現している「亡霊」だと指摘し、「何かがひどく間違っていて、すべての人間は軽度の狂人であり、自分たちの目には非常に重要と見える仕事に従事している一方、不条理なほど論理的な一つの力が人間たちを空しい仕事に縛り付けている――これがこの物語の本当の"メッセージ"である」 (注10) と結論付けている。

 このように『外套』の主題をとらえて、「身にそぐわない衣」といえば、ゴーゴリは、シェイクスピアの一節を読んでいたのかもしれませんね。王位を奪い暴君と化したマクベスに対し、シェイクスピアは貴族ケイスネスにこう語らしている。 「いまこそ彼はその王という称号がだぶだぶで身体(み)にそぐわくことを感じているのだ。あたかも巨人の衣を盗んだ侏儒(小人)のこそ泥のように…」 (注11)

 

4.ゴーゴリの『鼻』は?

では、『鼻』は…。

「正気の沙汰とは思えない奇妙きてれつな出来事、グロテスクな人物、爆発する哄笑、瑣末な細部への執拗なこだわりと幻想的ヴィジョンのごったまぜ」 (注12) という解釈もあるのはゴーゴリの『鼻』です。

ナブコフは小説『鼻』について多くを語りませんが、「ゴーゴリにとってのローマは北国に拒まれた良好な健康状態を暫のあいだは保っていられた場所だった。イタリアの花々(それについて彼は言った「墓の上におのずと咲き出る花々をわたしは尊敬する」)は 一個の「鼻」に変身したいという激しい欲望で彼を満たした。目や腕や足など他のものは一切要らない。ただ一個の巨大な鼻「ありとあらゆる春の香りを吸いこめるような二つの手桶ほどの大きさの鼻孔をもつ」鼻になりたい。イタリアにいた間ゴーゴリは特に鼻意識が強かった。」 (注13) という。しかしそれ以前にロシアでゴーゴリの書いた『鼻』の不条理は怖いほどです。


ショスタコーヴィチは言う。

「『鼻』は滑稽ではなく恐ろしい物語である。」「鼻のイメージにもなんら滑稽なものはない。鼻がなければその人は人間ではないが鼻のほうはその人がいなくとも人間になれるし、権力者にもなれる。これはけっして誇張ではなくて歴史の証明する真実である。もしもゴーゴリが今日まで生き続けていたならそれ以上のものを目撃したことだろう。今日では、このような鼻が幽霊のように徘徊していて、たとえばわが国の共和国で起こっていることもその意味ではまったく滑稽ではないのである。」 (注14) ショスタコーヴィチは、ゴーゴリのこの小説をヒントに弱冠20歳でオペラ『鼻』作品15を作曲しました。この作品は、このオペラの中で『鼻』が大衆に囲まれてボコボコにされるように批判され40年余、1974年までロシアでは上演されませんでした。

この作品への批判は、まさに"気取った下司"によるものです。
ナブコフはいう。

「俗物は順応主義者つまり自分の仲間に順応する人物であり、そのほかにもう一つの特徴をもつ。すなわち、ニセ理想主義者であり、ニセ慈善家であり、ニセ学者である。欺瞞は真の俗物の最も親しい友人なのだ。「美」「愛」「自然」「真実」といった偉大な言葉は気取った下司に用いられるときすべて仮面になり"囮おとり"になる。」 (注15)

どんな批判であったのか、は当時の批評家 (注16) の批評をそのまま引用したロシア・ソヴィエト音楽研究に従事した井上頼豊の『古典的名著』 (注17) があります。どんなことを言っているかというと…。

この研究者は、「彼は…歌劇『鼻』で形式主義的傾向の頂点に達した」と結論付け、「『鼻』の抽象的な奇抜さはソヴェトの音楽劇になんの足跡も残さなかった。同様の原理に基づいた他の諸作品も同時期にあらわれたが、ショスタコーヴィッチの歌劇のような自然主義の極端まではいっていなかった。」と評しています。"形式主義的傾向"か"自然主義の極端"とかどういう意味か未だに分かりません。書いているご本人もわかっていたのでしょうかね。

そして、「西欧音楽の革新の影響は…彼らは…知らず知らずのうちにロシア楽派の健康な基礎から次第に遠く迷い出て行った。」とプロレタリア音楽の理想を踏み外したんだそうですが、その理由として「新しい作品が現代音楽界を喜ばせたいという事実が、ショスタコーヴィッチの発展を形式主義の方向へ押しやったことは疑いない。」という。

そしてこの偉大な作品を「歌劇はエヌ・ゴーゴリの同名の名高い物語によっているが、そのユーモラスなリアリズムを失って小話の領分におちている。」とまで断言してしまうのです。

もう一つ面白いことは、井上頼豊はこの「ショスタコーヴィッチ」(1957年)でこの作品をこのように、ケチョンケチョンに批判しているのですが、この批評がこのオペラの録音を聴いたり、楽譜、台本を見て書かれた形跡が全くないのです。 楽譜がウイーンで出版されたのが1962年(戦前に海外での演奏の権利を譲渡していた)、ロジェストヴェンスキーがボリショイ劇場地下壕で筆耕本スコアを発見したのが1950年代終わり(ショスタコーヴィチの手元にはスコアは全くなかった)、1970年に演出家がボリショイ劇場で学生たちと試演したときは録音すらなかった…。井上頼豊センセは台本も楽譜も録音も聞かないで「形式主義!」とか書いていたようですね。

そしてその分析がまたブラックジョークのように面白いのです。

ア 台本について

「こんなきちがいじみた寄せ集めの台本が'作曲家に本当の劇的な基礎を与えないのは明らかであろう」と断じています。

「性格の異なった様々の作品を結びあわせることを原則とした台本の構成そのものにもあらわれていた。古典を"編集する"という破壊的な方法」で「台本の構成…そのものが形式主義的でテキストはゴーゴリのいろいろな物語から編集され 『鼻』の話の他に『昔気質の地主たち』『死せる魂』『狂人日記』『タラス・ブリーバ』および『結婚』の抜粋を含み、おまけにドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』からとったスメルシャコフの小歌まで入っている。古典文学のこのような扱い方は論外である。」そうです。

『オペラ鼻』のコワリョーフ(注;鼻のなくなる八等官)の下男の歌は、『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフ(注:カラマーゾフ家の使用人(コック)。私生児で無神論者)の歌「不屈の強さで、・・・私は愛に至った。神は彼女と私を祝福している」から引用したもので原作にはない下男イワンがバラライカを持って歌うシーンのことですね。これをゴーゴリの作品の中にあるドストエフスキー的要素の抽出・演繹で素晴らしいと思うか、つぎはぎと思うかですが…。

イ 音楽については

井上は、「『鼻』を書いているとき、作曲者が歌劇の設計をまるで忘れていたことは明らかである」とし、「彼の注意は、明らかに新しいポリフォニー効果の追求に奪われていたのである。急速な歌と踊りの形は、もっぱら"仮面" だけで仕上げられ、どれもが誇張されて馬鹿らしいものになっている。」

「これは第一にアリアの配列で証明できる。ふつうの意味での旋律の原則はここにはない」「レシタティーフは、時には縮まってふつうの会話になっている。その上ショスタコーヴィッチのレシタティーフは奇妙な、言葉を摸した誇張した抑揚で書かれている。」

「声楽の配置(したがってまた全歌劇の様式)は故意の不自然さと露骨なおどけとがめだっている。」…とか。

ダニール・ジトミルスキーは「不条理な効果は登場人物のまさにイントネーションで表現されている。しかしながら、それらはゴーゴリの実際の音声の原型を風刺的に解釈したものではありません。」「それらはゴーゴリの小説に存在した主要な風刺を排除している。」という。

「ゴーゴリの皮肉を構成するものは、まさに異様な状況とこれに対する普通の対応を並置していることです。小説の語彙は、日常生活で使用される語彙に極めて近い。オペラの語彙については、それがほぼ完全にパロディです。このパロディは特徴として、ゴーゴリが使用したかなり正確な本来の標準(の語彙の意味)とのすべての関係を失うほどラジカルである。不条理な効果は登場人物のまさにイントネーションで表現されている。しかし、それらはゴーゴリの実際の音声の原型を風刺的に解釈したものではありません。多くの場合、これらは作曲家自身によって発明された音楽的「知的障害」だったのではなく、彼の思考の中で、最良の方法で、登場人物の不条理を表現することを意図したものだ。」

「音楽を通じて愚かさ、不条理と下品を表現しようとして、彼はパロディ化した元となる主要な情報源との接続を失うことなく、彼はこれらの心理的な形象の音楽的に同等な表現を発見した…。」 (注18)

というが、こちらの方がゴーゴリの「小説」とオペラ「鼻」との関係を的確に分析しているように思います。

井上の評論は、まさにナブコフの言う「俗物性」そのものです。

「俗物根性は単にありふれた思想の寄せ集めというだけではなくていわゆるクリシェすなわち決り文句、色褪せたせた言葉による凡庸な表現を用いることも特徴の1つである。真の俗物はそのような瑣末な通念以外の何ものも所有しない」 (注19)

そして、「科学的社会主義的唯物論」と称する「疑似科学的全体主義的俗物論」から芸術とその鑑賞者を冷笑していたと思います。

https://kiyotaka-ishikawa-law.com/column/27.html