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レインゴリト・グリエール Reinhold Glière(ウクライナ キエフ 1875年1月11日 - 1956年6月23日)
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レインゴリト・グリエールの交響曲の評価https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29
- 交響曲第1番変ホ長調 op.8(1899-1900年)
- 2.5点
- 交響曲第2番ハ短調 op.25(1907年)
- 3.3点
- 交響曲第3番ロ短調「イリヤー・ムーロメツ」 op.42(1911年~12年)
- 3.5点
Symphony No. 3 in B Minor, Op. 42 "Ilya Murometz"
https://www.youtube.com/watch?v=grqr_Igheuc
https://www.youtube.com/watch?v=NNJh5AG5Dc0
https://www.youtube.com/watch?v=S-lGkOBfe98
https://www.youtube.com/watch?v=NY0ufHM7PlY
Orchestra: The Philadelphia Orchestra
Conductor: Leopold Stokowski
Symphony No. 3 in B minor, Op. 42 "Ilya Murometz"
https://www.youtube.com/watch?v=hfncaVsQXa4
https://www.youtube.com/watch?v=XgBIOcc0SMo
https://www.youtube.com/watch?v=VwV2os_N6y4
https://www.youtube.com/watch?v=zcP-71qQTPE
Leopold Stokowski
Houston Symphony Orchestra
ネーメ・ヤルヴィ
Reinhold Glière - Symphony No.3 in B-minor, Op.42 "Ilya Muromets" (1911)
Orchestra: WDR Sinfonieorchester Köln
Conductor: Neeme Järvi
フェレンツ・フリッチャイ
GLIÈRE: ILYA MOUROMETZ (SYMPHONY 3) - FRICSAY
https://www.youtube.com/watch?v=2i0e7jnihCk
RIAS Symphony Orchestra, Berlin
Ferenc Fricsay, Conductor (1914 – 1963)
Symphony No. 3 In B Minor, Op. 42 "Ilja Muromez"
https://www.youtube.com/watch?v=uA8jWexVhwQ
https://www.youtube.com/watch?v=dnM83es3kGY
https://www.youtube.com/watch?v=6yGJobRAHOE
https://www.youtube.com/watch?v=oLeI_tFIdx4
RIAS-Symphonie-Orchester
Ferenc Fricsay
℗ 1956 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin
Reinhold Gliere - Symphony no. 3 "Ilya Muromets" op. 42 (Falletta)
Conductor: JoAnn Falletta
Orchestra: Buffalo Philharmonic Orchestra
交響曲第3番 (グリエール) - Wikipedia

交響曲第3番『イリヤー・ムーロメツ』ロ短調 作品42は、レインゴリト・グリエールの管弦楽作品。1909年に着手され、1911年に完成し、アレクサンドル・グラズノフに献呈された。1912年にモスクワでエミール・クーパーの指揮により初演されている。グリエールが全身全霊を傾けて完成させた記念碑的な大作である。
ロシアの管弦楽曲の長い伝統を拠り所としており、ロシアの標題交響曲としては、リムスキー=コルサコフの《アンタール》とチャイコフスキーの《マンフレッド交響曲》に次ぐ作品となっている。グリエールは、本作を以て交響曲及び後期ロマン主義から手を引き、ロシア革命後にはオリエンタリズムを取り入れた社会主義リアリズムに転じることとなる。
この交響曲は、10世紀のキエフ大公ウラジーミル1世に仕えたとされる伝説上の勇士イリヤー・ムーロメツの物語に基づいて構成されている。イリヤー・ムーロメツ伝説は、ロシアで人気のある物語であった。
楽器編成
4管編成で以下の大オーケストラが起用されている。
ピッコロ、フルート3、オーボエ3、コーラングレ1、クラリネット3、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット1、ホルン8、トランペット4、トロンボーン4、チューバ1、ティンパニ(一時的に2人)、トライアングル1、グロッケンシュピール1、小太鼓、大太鼓、ゴング、シンバル、鐘、チェレスタ、ハープ2、弦五部(16型)
楽曲構成・楽章
全曲を通した演奏の所要時間は平均80分前後(75分~85分)であり、4楽章制の交響曲としては、ブルックナーの《交響曲第8番 ハ短調》やマーラーの《交響曲第6番 イ短調》、フルトヴェングラーの《交響曲第2番 ホ短調》と並んで、最も長い部類に入る。
4つの楽章から成り、各楽章は以下のような標題のもとに構想されている(初版において、ロシア語とフランス語で書かれている)。両端楽章はリムスキー=コルサコフ、第2楽章はワーグナーと中期スクリャービン、第3楽章はグラズノフの影響が見出される。
第1楽章「さまよえる巡礼の一団。イリヤー・ムーロメツとスヴャトゴール」
アンダンテ・ソステヌート~アレグロ・リソルート Andante sostenuto - Allegro risoluto.
農民の息子で病弱だったイリヤは、30年のあいだ病床に臥していたが、30歳になったある時、二人の巡礼者が現れてイリヤをボガトゥイリ(勇士・豪傑)へと変え、戦士の中の戦士と言われた英雄スヴャトゴールの許へと送り出す。スヴャトゴールは、イリヤが探し当てると、すべての能力をイリヤに譲り渡して息を引き取る。イリヤの病弱を表すような長い序奏の後にテンポを上げ、最後はニ長調に転じて明るく終結する。約20分。
第2楽章「追い剥ぎソロヴェイ」
アンダンテ Andante.
ソロヴェイとは、ロシア語で「夜鳴きうぐいす」のこと。ソロヴェイというあだなの山賊は、薄暗い森影で口ずさみながら(または口笛を吹きながら)人を襲って金品を奪った挙句に、殺人を繰り返していた。戦士イリヤは、ソロヴェイの片目を射抜き、生け捕りにしてウラジーミル公の許に送り届ける。森影の中での鳥の鳴き声が模倣され、ソロヴェイが生け捕りにされるところでクライマックスとなったのち、静かに消えていく。約25分。
第3楽章「聖公ウラジーミルの宮廷にて」
アレグロ Allegro.
作品中で最も短い楽章(オリジナルは約7分、下記のストコフスキー版は約5分)。スケルツォ楽章に該当する。イリヤはウラジミール1世の居城(別名「太陽宮」)で開かれた豪華な宴席に参加する。しかし、捕まえていたソロヴェイが暴れたため、イリヤはソロヴェイの首を刎ねる。ソロヴェイの殺害のところで第2楽章が再現される。
第4楽章「イリヤー・ムーロメツの武勲。勇士たちが石と化す」
Allegro tumultuoso - Tranquillo - Maestoso solemne - Andante sostenuto.
イリヤは軍団を率いて、邪悪なバトゥイガ(Batygha)と異教の掠奪団を撃破する。イリヤはさらに戦い続けることを告げると、天から様々な軍団が降りてくる。天使たちとの戦いによってじわじわと敗色が濃くなるうち、イリヤは悔恨し、祈りを捧げると、従者たちと共に石へと姿を変えられる。クライマックスで既存3楽章の主題が複雑に組み合わされ、曲は静かに、悲劇的なうちに終結する。約30分。
版の問題
指揮者のレオポルド・ストコフスキーはこの作品を非常に評価し、スラヴ文化の集大成と見なしていた。それでも1930年に、この作品が聴衆に親しまれていないことに鑑みて、この作品をカットすることを許可してくれるように作曲者に頼んでいる。グリエール自身が本気でそのような選択をしたのかはともかくも、アメリカ合衆国の大指揮者に取り上げられる可能性に動かされたのは間違いなく、ストコフスキーの提案に同意することにしたのである。そこでストコフスキーは本作を、およそ45分の長さに切り詰めて、たびたびこの短縮版で録音を行なった(ちなみにユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の録音もストコフスキー版を用いている)。このような「裏切り」によって作品はあまり壮大ではなくなり、交響曲サイズの連作交響詩ないしは交響組曲といった観は免れなくなったものの、ストコフスキー版がそれ自体の魅力を醸し出しており、非常に効果的であるのは疑いの余地がない。
しかしながらこのような変更が必要であるとは他の指揮者からは認められておらず、ヘルマン・シェルヘン、ハロルド・ファーバーマン、ヨアフ・タルミ、ドナルド・ジョハノス、エドワード・ダウンズの録音は、全曲カットなしで、原曲の気宇壮大な雰囲気を伝える演奏となっている。このように現在では、一般の音楽愛好家にとってノーカットの原曲盤が入手しやすくなっている。
レインゴリト・グリエール Рейнгольд Глієр |
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レインゴリト・グリエール(Reinhold Moritzevich Glière、1875年1月11日 - 1956年6月23日)はロシア帝国(現:ウクライナ)出身の、ロシア帝国末期からソ連建国期に活躍した作曲家である。
キエフに生まれる。父親はドイツ人の楽器職人で、母親はピアノをよくしたポーランド人であった。生後まもなくプロテスタントの教会で受洗。洗礼された時の名前はラインホルト・エルネスト・グリエール(Рейнгольд Эрнeст Глиэр, ラテン文字はReinhold Ernest Glier)だった。ロシア人や正教徒の祖先はいないとされる。
モスクワ音楽院でセルゲイ・タネーエフ、アントン・アレンスキー、イッポリトフ=イワノフなどに作曲を師事。1901年よりしばらくベルリンに留学し、作曲の研究のかたわら、ベートーヴェンやマーラー作品の解釈で知られた指揮者オスカー・フリートに指揮法を師事。また、1902年〜1903年頃、師匠セルゲイ・タネーエフからの指示でまだ少年のプロコフィエフの許に赴いて作曲法の手ほどきをした。モスクワ音楽院で1920年から1941年まで教鞭を執り、プロコフィエフやハチャトゥリアン、リャトシンスキーらを育てた。
1938年から1948年まで、ソ連作曲家同盟組織委員会の議長をつとめた。モスクワにて他界。
グリエールはスクリャービンやラフマニノフと同世代であり、チャイコフスキーと国民楽派の両方から影響を受けている。初期作品の室内楽や2つの交響曲は、ドイツ後期ロマン派音楽、たとえばブラームスやワーグナーの影響が歴然としているが、それでもなお《交響曲第2番》では、強烈な民族的表現も明らかである。
帰国後に作曲され、ストコフスキーやオーマンディに愛された交響曲第3番《イリヤー・ムーロメツ》(1911年〜12年)は、グラズノフへの献呈作品であり、構想や音色の好みにおいてリムスキー=コルサコフを髣髴させる華麗で気宇壮大な標題交響曲である。第1楽章ではロシア正教の聖歌が転用されており、第2楽章では、スクリャービン中期の様式によって、「拡張された調性」と変化和音の多用がいちじるしい。第3楽章はボロディンやグラズノフの民族主義的な作風に従っている。
ロシア革命後のグリエールの作風は、国民楽派的な要素が影を潜めたかわりに、中国や中央アジアの民族音楽を自由に活用するなど、オリエンタリズムを強調する方向に傾いた(「ロシア水兵の踊り」が有名なバレエ音楽《赤いけしの花》(1927年)など)。しかしながらモダンなコスモポリタンな作風へとは進まずに、依然としてロマン派音楽の伝統の上で創作を続けた。晩年の作品《コロラトゥーラ・ソプラノのための協奏曲》や《ホルン協奏曲》、《ハープ協奏曲》は、初期のロマン派音楽の様式に戻っていて、いくぶん無国籍の観を免れない。それにもかかわらず、というよりもそのために、スターリン治下のソ連においては、社会主義リアリズムの模範的作曲家と見なされ続けた。キエフにあるキエフ高等音楽院の正式名称は、グリエールの功績を記念して「R・M・グリエール記念キエフ国立高等音楽院」となっている。
グリエールは、近年までしばしばベルギー系ないしはフランス系であると言われ続けた。このような混乱の元は、出版社によって誤ってラテン文字表記の姓にアクサン・テギュを付け「Gliér グリエ」とされたことに遡る。グリエールの本来の姓は、キリル文字で「Глієр」(ロシア語でグリエル、ウクライナ語でフリエル)であり、元はドイツ語の「Glier」(グリーアもしくはグリール)に由来するものだった。そのためグリエールが、語末の "r" を発音させるための措置として、アクサン・グラーヴを用いた "ère" に語尾を置き換えたところ、いかにもフランス語めいた姓になったため、結果的に父親はベルギー出身の楽器職人という風説が出回ることになったらしい。
主要作品
歌劇
- シャー・セネム op.69(1923-25年)
- レイリとメジヌン(1936年)
音楽劇
- ギュリサーラ(1936年)
バレエ音楽
- フリジーズ op.65(1912年)
- 道化師 op.68(1922年)
- 赤いけしの花 op.70(1926年-27年)
- クレオパトラ op.78(1925年)‐プーシキンの「エジプトの夜」を基とする
- 青銅の騎士 op.89(1948年-49年)‐プーシキンの「青銅の騎士 」を基とする
- タラス・ブーリバ op.92(1952年)‐ゴーゴリの「タラス・ブーリバ 」を基とする
交響曲
- 交響曲第1番変ホ長調 op.8(1899-1900年)
- 交響曲第2番ハ短調 op.25(1907年)
- 交響曲第3番ロ短調「イリヤー・ムーロメツ」 op.42(1911年〜12年)
管弦楽曲
- 交響詩「シレーヌ」 op.33(1908年)
- 交響的絵画「ザポロージュのコサック」 op.64(1921年)
- 交響詩「トリズナ」 op.66(1911-15年)
- ブリヤート-モンゴル自治共和国のための英雄行進曲 op.71(1936年)
- 十月革命20周年のための祝典序曲 op.72(1937年)
- 交響詩「ザポヴィト」 op.73(1938年)
- 序曲「フェルガナの休日」 op.75(1940年)
- 序曲「人民の友情」 op.79(1941年)
- スラヴの主題による序曲(1941年)
- 序曲「祖国の幸福のために」(1942年)
- 戦争序曲(1943年)
- 序曲「勝利」(1945年)
- コンサートワルツ op.90(1953年)
- 祝典序曲 op.97(1955年)
吹奏楽曲
- コミンテルンの祝典のために(1924年)
- 赤軍行進曲(1924年)
- 序曲「赤軍の25年」 op.84(1943年)
協奏曲
- ハープ協奏曲 op.74(1938年)
- コロラトゥーラ・ソプラノのための協奏曲 op.82(1943年)
- チェロ協奏曲 op.87(1946年)
- ホルン協奏曲 op.91(1950年)
- ヴァイオリン協奏曲 op.100(1956年。未完。ボリス・リャトシンスキーのオーケストレーションにより完成)
室内楽曲
- 八重奏曲ニ長調 op.5(1900年、ヴァイオリン4、ヴィオラ2、チェロ2)
- 弦楽六重奏曲第1番ハ短調 op.1(1898年)
- 弦楽六重奏曲第2番ロ短調 op.7(1904年)
- 弦楽四重奏曲第1番イ長調 op.2(1898年)
- 弦楽四重奏曲第2番ト長調 op.20(1905年)
- 弦楽四重奏曲第3番ニ短調 op.67(1927年)
- 弦楽四重奏曲第4番ヘ短調 op.83(1943年)
- ヴァイオリンとチェロのための8つの小品 op.39(1909年)
ピアノ曲
- 3つのマズルカ op.29(1906年)
- 25の前奏曲 op.30(1907年)
- 子どものための12の小品 op.31(1907年)
- 24の特徴的な小品 op.34(1908年)
- 8つの特徴的な小品 op.43(1909年)
- 2台ピアノのための24の小品 op.61(1911年)
ヴァイオリン曲
- ロマンス op.3(1902年)
- 12のやさしい小品 op.45(1909年)
チェロ曲
- バラード op.4(1902年)
- 12ページのアルバム op.51(1910年)
コントラバス曲
- 2つの小品 op.9(1902年)
- 2つの小品 op.32(1908年)
歌曲
- 6つの歌 op.12(1903年)
- 8つの歌 op.18(1904年)
- 11の歌 op.28(1906年)
- 6つの歌 op.36(1908年)
- 7つの歌 op.58(1912年)