独身こそが人生の勝ち組 _ 結婚するより会話できるAI搭載ラブドールを買った方が良い

【結婚の闇】「結婚した人の66%は地獄だと判明...独身こそが人生の勝ち組!!刑務所の方が結婚生活よりはマシです…」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】

 

 

【10選】絶対に後悔する!結婚の残酷な真実 〜トリビアファイル
人間のトリビア 2023/03/24

 

 

78歳男性、老後はむしろ「孤独なほうが上手くいく」今のまま一人暮らしでよいと言える理由
人生の窓 2025/09/23


資産7000万円を持ちながら「ケチ」と言われた78歳の男性。
]家族との決裂を経て、彼が発見したのは孤独の真の価値でした。
誰にも気を遣わない自由、誰からも期待されない気楽さ。
従来の幸福論を覆す、一人の老人の深い洞察と人生哲学。
あなたの「幸せ」の定義が変わるかもしれません。

 

 

【日本の未来予測】AIが予測! ~未来は独身が最強な理由~
人間の家族と暮らすより AI家族と暮らす方が楽しい
AIが描くあの世界 2025/03/02

 

中国の非婚、男は結婚までに全財産をむしり取られるので結婚しない
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/07/06/082359

インターネット・AI・パソコン
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開封レビュー】超リアルでほぼ人間⁉超高級ラブドール TYPEグラビアを開封!【最高級ラブドール】【ラブドール初心者】
ツクモの部屋【ラブドール】2025/01/17

 

 

AI搭載ぺットロボット比較おすすめランキング10選【2025年最新版】
AIガジェット 2025年8月7日
https://miralab.co.jp/media/ai_pet_robot_ranking/

AIペットロボット at DuckDuckGo

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AI搭載ラブドール at DuckDuckGo
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AIラブドールのおすすめランキング9選!人工知能ラブドールを厳選 - Doll of love-最高品質のラブドールをあなたに-
https://doll-of-love.com/ranking-ai/

ラブドールと会話ができるAI機能「MetaBox」についての解説 | ラブドール・メゾン
https://dollmezon.com/metabox-ai-lovedoll/

DeepSeekとの連携で注目を集める、中国産AIラブドールの登場とその未来の可能性|吉川真人@中国テックトレンドニュース
https://note.com/zhenren63/n/n607af5a5715e

理想の男の姿とは _ 女性用ラブドールの世界http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/245.html
ウーマナイザー 12種吸引及び振動モード、欧米の女性たちを虜《とりこ》にするアダルト・トイ
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14040356
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/540.html

 

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梅毒にかかっても治療せず、日本中を這い回って拡散していた風俗嬢 _ 風俗に行くより電動大型オナホ を買った方が良い
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/09/23/174423

 

梅毒にかかっても治療せず、日本中を這い回って拡散していた風俗嬢
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/758.html

風俗店で乱暴なプレイを要求する中国人は日本人を道連れにしようとするHIV感染者だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14042150
 

まるで”老人ホーム”?平日昼間のソープランド事情

 

現在の日本は誰疑うことない「高齢化社会」です・・・。
この、高齢化の波は歓楽街、ソープ街にも波及していることをご存知でしょうか?
平日の昼間のソープランドの待合室は、「老人ホーム」の様相を呈しているのです。
ただし、一般社会とは違い、若者が減って高齢者が増えているのではありません。
ただただ、高齢者のお客が急増している現状がそこにあるのです。
これにはいくつかの理由が考えられます・・・。

 

●高齢者が若くなった
一つは高齢者自体が「若くなった」ことが、ソープランドに高齢者があふれる原因です。
肉体的な健康年齢も伸びていますし、本人の精神年齢、性欲なども昔とは比較にならないレベルなのでしょう。
「高齢化問題」と悪い側面ばかりが取り沙汰されていますが、お年寄りが元気なことは何より喜ばしいことです。

●高齢者に対する世間の価値観が変わった
日本人の平均寿命が伸びたことで、高齢者の性に関係する世間の価値観もずいぶんと変わっています。
たとえば、昭和60年代ころの日本の中流階級の典型的な家庭を描いた、「サザエさん」の父親波平の設定年齢は「54歳」です。
今の感覚から見るとかなり若いのですが、サザエさんでは立派なおじいちゃんなのです。
とうてい、「波平と性」、「波平とソープランド」は連想できませんが、それが40~50年前の世間の平均的な感覚です。
それに対して、あのモテ男「石田純一さん」は、波平の9つ上の63歳ですが、彼がまだまだセックスが現役でも誰も不思議に思いません。
こういった世間の価値観の変化も、高齢者がソープランドへ足を運ぶことへの抵抗感をなくす理由なのでしょう。

ソープランド側が客層として大事にしている
日本の不況は長く続きましたが、現在高齢者といわれる65歳位の年代の方は、「バブルの逃げ切り組」といわれ、貯蓄率が抜群に高いのです。
本来ならば暇な時間帯である「平日の昼間」に、週に何度も足を運んでくれる高齢者層は、ソープランドの経営者からすれば、ほんとうにありがたい存在ですし、大きなマーケティングの対象でもあるのです。
ですから、この客層を大事にし、そしてより多く足を運んでもらうために「シルバー割引」「シルバー特典」「シルバーイベント」などで盛り上げる動きが各店舗で行われています。

●高齢者のIT機器武装
先進国のIT・インターネットの普及はすでに頭打ち状態です。
しかし、まだまだ可能性があるのが「高齢者層へのIT機器の普及」です。
少し前までは、「パソコン」「スマホ」「タブレット」と聞くと条件反射のような拒否反応を示してした高齢者たちも、今ではその群れの中から抜け出して”IT機器武装”を果たした「NEO高齢者」の登場で状況が変わりつつあります。
今では「●●さんも使っているから、俺も使わないと遅れを取ってしまう」とばかりに、タブレットスマホが爆発的に売れているそうです。
そしてこうしたIT武装をした高齢者男性が必ずするのが、奥さんにこっそり隠れた「エロ・コンテンツ検索」です。
そして、ソープ店のオフィシャルページにネット上で遭遇し、豊富な資金源を後ろ盾に、ソープランドへと突撃するのです。

いくつかのムーブメントが重なったことで、現在のソープランド店の待合室の老人ホーム化が実現しています。
紳士でお金持ちの高齢者は、ソープ嬢にも大人気なようで、持ちつ持たれつの良い関係がつくられているようですね。

https://ogotoso-pu.com/column/soapland/2645/

 

梅毒の患者は地方で急拡大している …「累計10人未満」は青森、山梨、島根のみに
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14120914

中国人客急増で梅毒大流行 _ 性病地獄に堕ちていく日本の風俗嬢
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/251.html

中国人は日本人に復讐する為に日本女性とセックスしたがる _ 風俗嬢に「過去の過ちを体で償うと言え」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/111.html
 

 

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女の停年は35歳、それ以降は性欲が消えてセックスを嫌がる様になる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14044932

 

女性ホルモンのエストロゲンは皮膚の潤いを保つ働きを持っている。そのため、閉経後の肌のシワやたるみの原因の一つが女性ホルモンの減少だということは近年、知られるようになってきているが、実はこれは膣でも同じということが知られていない。

 エストロゲンが分泌されている間は膣の表面の粘膜上皮細胞はふっくらして膣壁に厚みがあるが、ホルモンの分泌が減ると膣壁が徐々に薄くなって膣自体が萎縮し、乾燥が進んでしまう。


膣の乾燥や萎縮による悩みは、医療の現場では「性交痛」という形でとらえられていた。性交時に痛みが出てしまい、女性が性生活を疎ましく感じてしまう悩みだ。


40~50代の女性で、デリケートゾーンに痛みを感じている人が多い。なかなか相談できない悩みだが、実は女性ホルモンが減ることによって起こる膣(ちつ)の萎縮が原因だ。近年はレーザーで簡単に治療できるようにもなってきた。


◇  ◇  ◇

 歩いたり走ったり、いすに座ったりするとき下着とこすれてひりひりする、サドルにまたがると痛いから、自転車に乗るのがおっくうになってきた……。あなたは、こんな経験をして悩んでいないだろうか。

 女性ホルモンに関する書籍を出したせいか、社内や友人などの同世代の女性から、婦人科系の相談を持ち掛けられることが増えてきた。そんな中で、更年期が気になりだした、もしくは閉経を迎えた40~50代の女性から「聞いてよかった」と反応が高いトピックの代表が「デリケートゾーンの痛み・違和感」に関することだ。

 50代管理職のAさんは、もともとシェーグレン症候群[注1]の傾向があり、目や口の乾燥が気になっていたのだが、最近は下着がこすれるだけでも痛くてたまらず、仕事にも集中できなくて困っているという。「こんな症状に対処法はあるの? そもそも、こんなトラブル、どこに相談にいったらいいの?」と聞いてきた。恥ずかしくてなかなか相談できなかったのだと打ち明けてくれた。

[注1]シェーグレン症候群は自己免疫による病気で目や口の乾燥などが症状となる。患者の大半は女性で、指定難病の一つ。

 40代後半のBさんは、最近、体調がすぐれないので更年期のことを知っておきたいと話を聞きに来た。閉経後の更年期症状の例として膣の乾燥があるという話をしたところ、「実は最近、自転車に乗るのがつらくて困っていたのよ。これはホルモンがなくなったせいだったのね。通勤に必要だから、乗らないわけにもいかないし、立ちこぎも恥ずかしいからできなくてね」と納得した表情になった。

■半数以上の女性に起こる不快感

 不快ではあるけれど病気というほどでなく、さらにデリケートな部位のトラブルでもあるだけに、恥ずかしくて気軽に周囲に相談することがためらわれる。さらに受診する先は皮膚科なのか、泌尿器科なのか、婦人科なのか、いったいどこに相談したらいいのかわからない。こんな理由から、悩みを抱えたまま、身動きが取れない女性が多いようだ。


こうした症状を引き起こす犯人は「女性ホルモン」。女性ホルモンのエストロゲンは皮膚の潤いを保つ働きを持っている。そのため、閉経後の肌のシワやたるみの原因の一つが女性ホルモンの減少だということは近年、知られるようになってきているが、実はこれは膣でも同じということが知られていない。

 エストロゲンが分泌されている間は膣の表面の粘膜上皮細胞はふっくらして膣壁に厚みがあるが、ホルモンの分泌が減ると膣壁が徐々に薄くなって膣自体が萎縮し、乾燥が進んでしまう。

 もう一つ、膣の中には腸や皮膚と同様に常在菌(有用菌)がすみ着いていて、その菌たちのおかげで私たちの体内に外から雑菌が入り込むのを防ぐ自浄作用が働いている。常在菌は膣の上皮細胞のグリコーゲンを食べて乳酸を産生し、それが膣内のPHを酸性に傾けて膣内を清潔に保ってくれている。菌と人体の共存共栄の仕組みだ。この仕組みが崩れることで、膣表面が炎症を起こしやすくなり、痛みやかゆみなどの違和感が出やすくなるという側面もある。

 AさんやBさんの症状は、薄くなり、乾燥が進んできた膣の表面が、下着や自転車のサドルで摩擦刺激などを受けて発生した痛み。こうした症状は、医学的には「萎縮性膣炎」と呼ばれ、実は卵巣からのエストロゲンの分泌が止まる閉経より前から、少しずつ進んでいる。そして閉経後4年もすると、半数以上の女性に症状が現れるという報告がある。


https://style.nikkei.com/article/DGXMZO28504920T20C18A3000000?channel=DF310320172276&page=2

閉経前後から膣の萎縮は始まる 更年期女性285人を対象にした米国の研究(データ:J Urogynecol; 12,107-110,2001)

 日本の最新研究では対象にした40代以降の女性1万人のうち、約45%の人が膣などのデリケートゾーンに何らかの症状があると答えている[注2]。しかし、欧米の更年期世代の女性を対象にした調査でも、自分の症状は膣萎縮が原因だということを理解していた人は4%にすぎなかった[注3]。

[注2]2017年日本女性医学会学術集会発表データ
[注3]Climacteric. 2012 Feb;15(1):36-44.

■大半の女性の「日常共通の悩み」に

 膣の乾燥や萎縮の症状は昔から今と変わらず多くの女性にあったはず。だが従来、そのことによる生活上の悩みは、医療の現場では「性交痛」という形でとらえられていた。性交時に痛みが出てしまい、女性が性生活を疎ましく感じてしまう悩みだ。

ただ欧米に比べ、熟年カップルの性生活自体が活発でない日本では、性交痛の悩みは特定の人の、きわめてプライベートなものというふうに捉えられがちで、社会の中でも日の当たりにくい話題であり、解決法についての議論も積極的ではなかった印象が強い。

社会に出てコンスタントに働く女性が増えた今は、状況が変わってきている。痛みやかゆみ、灼熱(しゃくねつ)感といった不快感を伴う膣萎縮は、そのこと自体が仕事のパフォーマンスを下げ、生活の質を下げる問題。プライベートな生活だけでなく、仕事にも大きな影響が及ぶ。多くの女性に共通の「日常的な困りごと」として認識される必要性が高まっている。

 こうした社会的な背景もあって、近年はこのトラブルにスポットを当てた実態調査の研究が行われたり、新しい治療法の研究も進んでいる。

 最新の治療法として注目したいのがレーザー治療だ。これは膣粘膜に、あるタイプのレーザーを照射することで細胞を活性化させ、膣の細胞の厚みや潤いを取り戻す。要は、デリケートゾーンの若返り治療というわけだ。

 治療に使われるのは、にきび治療などにも使われる炭酸ガスラクショナルレーザーというタイプのレーザー。中でも、モナリザタッチというマシンは、水分の多い膣粘膜専用に開発されたもの。その使用効果の研究結果を基に14年に米食品医薬品局(FDA、日本の厚生労働省に当たる公的機関)が承認した医療機器となったこともあり、日本でもこの1、2年で急速に導入する医療機関が増えてきている。


■15分のレーザー治療でデリケートゾーンが若返る

 モナリザタッチの場合、1度の施術でも膣の乾燥、灼熱感、かゆみや性交痛のほか、尿漏れなどの排尿障害でも効果が確認されている。尿漏れ改善のメカニズムに関しては、施術で膣壁の厚みが戻ることで、隣接する尿道を支えてくれるからだと考えられている。いずれの症状も3回の施術で施術前の半分以下にまで自覚的症状が抑えられ、84%の患者が結果に満足したとの結果だ。


https://style.nikkei.com/article/DGXMZO28504920T20C18A3000000?channel=DF310320172276&page=3


膣萎縮の症状を訴える50人の女性(平均年齢59.6歳)に炭酸ガスラクショナルレーザーの施術を12週間の間に3回行った後の効果を主観的スコア(VAS法)で評価(データ:Climateric;17,363-369,2014)

 膣にレーザーを当てるなんて! と驚く読者もいるかもしれないが、膣萎縮に対するほかの対処法は、女性ホルモンの市販薬の塗り薬や、膣に女性ホルモンの錠剤を入れる局所療法が代表的。いずれも、乳がん既往者などホルモン剤が「禁忌」とされる人は使えないし、ホルモン剤自体に抵抗があり、使いたがらない人もいる。

 その点、レーザーなら女性ホルモン治療ができない人にも使える。女性ホルモン剤では効果が期待しにくい尿漏れに対しても、レーザー治療なら改善が期待できる点も朗報だ。

 治療を受けた女性からは、日中の不快感も性生活の悩みも一度に解消し、以前に比べて気持ちが前向きになったという声を聞いた。

 レーザーによる膣萎縮の施術が受けられるのは、婦人科や皮膚科、女性泌尿器科など。保険診療ではないが、ネットをみると1回あたり3万~10万円程度で実施している医療機関が多いので、実施の有無とともに問い合わせてみるといい。ちなみに1回の施術時間は15分程度。3日間ほど性生活に制限があるが、痛みや合併症などはほとんどないという。

 年代によって女性ホルモンの分泌のアップダウンが激しい女性の体は、男性に比べて大きな変化にさらされている。しかし、更年期後の女性の活躍がこれまでの社会では少数だったため、多くの「不都合」は声として上がらず、知られないままに放置されてきた。

 一生女性が働き続けることが当たり前となった今、「パフォーマンスをあげ、生活の質を高める」といった視点は、個人のためにも、社会のためにもさらに重要になる。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO28504920T20C18A3000000?channel=DF310320172276


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女性の“甘い香り”35歳が「曲がり角」 加齢で減少…見た目の印象も変化
3/28(水) 11:23配信 産経新聞

女性のニオイ研究の成果から、ロート製薬が開発したボディウォッシュ
http://jp.rohto.com/deoco/body-cleans/


 女性には若いころに特有の甘い香りがあり、それは加齢とともに失われていくことがロート製薬の調査で分かった。その正体は桃やココナツなどの香りの構成成分であることも判明。その香りをかぐと、見た目の印象も変わるといい、同社は研究結果を製品開発に生かそうと試みている。(安田奈緒美)

 女性が1日着用した1枚の布を目隠ししてかいでみると…。当然、汗の臭い、酸っぱい臭いなどが鼻をつくはず。ところが「その中で甘くて良い香りが漂うのに驚きました」と話すのは、ロート製薬の男性研究員だ。

 女性の加齢に伴う体臭の変化について研究しようと、10~50代の女性50人に、入浴後から24時間着用してもらった布を回収し、評価したところ、そこはかと漂う甘い臭いに気づいたという。「甘い臭い」は10代、20代に比べて30代以降で減少し、その「曲がり角」は35歳にあることも分かった。一方で、アンモニア臭や硫黄臭といった、人が苦手に感じる臭いに関しては年代によって大きな差は見られなかったという。

 さらに研究グループは甘い臭いの成分の特定にも成功。ピーチのような香りの「ラクトンC10」と、ココナツのような香りの「ラクトンC11」という化合物が香りの元と突き止めた。男性研究員は「女性の臭いは男性とは違う独特なものがあると以前から思っていた」と話し、それがラクトンだと推察している。

 ロート製薬が女性の臭いに注目して調査したのは、平成28年に行ったアンケートがきっかけだ。300人の20~60代の女性に体臭に関する質問を行ったところ、「年齢とともに体臭が変わってきた気がする」「におっていないか不安」と回答した女性が全体の約8割もいたからだ。そこで、加齢に伴う体臭の変化について調査を実施。ラクトンC10、ラクトンC11について、昨秋、神戸市内で開かれた「日本味と匂学会」でも発表した。

 研究結果でもう一つ、分かったことがある。臭いと見た目の印象の関係だ。実験では「加齢臭」とも称される臭い成分の「ノネナール」と「せっけん香料」「ラクトンC10/ラクトンC11」をそれぞれ含む香料を3つ用意。研究員がそれぞれの香りをかぎながら女性の写真を見て、無香料で写真を見たときの印象と比べた。すると、ラクトンを嗅ぎながら写真を見た方が「女性らしさ」「若々しさ」「魅力度」がそれぞれ、15%、47%、74%も上がった。一方、ノネナールを嗅ぎながら写真を見ると、「女性らしさ」は無香料の時にくらべて40%減、「若々しさ」に至っては60%以上減となった。

 これらの研究結果を踏まえて同社広報の矢野絢子さんは「今後、女性の加齢臭に対する手法として、洗うことで落とすだけでなく、ラクトンの香りを加えてあげるというアプローチができる」と話す。すでにラクトンを含むボディウォッシュの販売を開始しており、「順次、ラインアップを増やしていけたら」としている。
http://jp.rohto.com/deoco/body-cleans/

 

40歳を過ぎた女性はセックスが嫌で嫌で堪らない

花子ばあちゃんの性欲? 2016-01-08 17:37:47 | 日記

これは残念なことに、だんなが死んでからだいぶ今まで、ゼロなのだ。
つまり、本能であるこの性欲がないのだ。

一発するよりも、一杯食事をするほうがたのしいのだ。
三大人間の欲も、私はふたつになった、つまりおばあちゃんであるのだ。

ほかの人はわからないけど、限りなくというかほとんどないのだ。
これは、いいことであり、独身の自分が楽なのだ。

男を求めなくても、おじいさんをわざわざ求めなくてもないのだからだ。
女は、枯れ枝になるのが、男よりも早いのか、定かでないが、母もそうだったのだ。

性欲のない母が、父が浮気をしているのを、認めていたのだ。
自分がそういう風になるのは、遺伝もあるのだ。

ほかのおばあちゃんもおなじではないかとおもうけど、ちがうかもしれないが。
もう、食べることはかかさないけど、色気はゼロになった。

こんな感じで、100歳までいきることができたら。
かれかれの、スカスカの人間になるのかもしれない、男に比べたらなんといいからだなのだ。

ある年齢になると、男を見てもぜんぜんときめかなくなり、どんな素敵な男でもおなじなのだ。
これが、老婆になったことなのかと最近かんじる。

色気よりも食い気とはよくいったものだ、おばあちゃんになると、本当にそうなる。
でも、男はいらないけど、お金はほしいものだ。

元気にいきていくために、うまいものはたべたいし、旅行も行きたい。
女として、まだしなくてはならないことは、性のこと意外に、たくさんあるのだ。

性欲はいらない。そして、これからもいらない人生なのだ。
ほかの人は、たぶんあるのかもしれない、特に近所のお年よりは色気のあるおばあちゃんがいるし。

こんな枯れ枝になった自分に感心する。
なんとも、情けないが、いくつまで生きてもよみがえることのない性欲よ、さようならです。
https://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/6f59dbae3bced9482a2eb9619869d0ab


女の性欲 2016-02-03 20:33:58 | 日記

わたしは、若いときで一番性欲があったときは、たぶん27歳ぐらいのときです。
そのときは、やりたくて、したくって、なんだか女の癖に、むらむらしていたのです。
おんなでも、性欲は強いときはあるのですよね。
そう、考えただけでも、ぬれるなんて事はありましたね、今はないけどね。

女の性欲は、40歳すぎると、割とおさまり、なくなるけど私はそれまでありました。
おかげでいろいろあそんだこともありましたし、いろいろなセックスも経験しました。
そんな女でも、いつかは、枯れてしまうのには、驚きました。
やらなくても、なんともなくなり、三大本能は二つになりました。

性欲はなくなると、今度は食欲になり、今では睡眠が一番たのしいときです。
たぶん、そばに男がいないし、男と接することがないので、ないのでしょうね。
性欲は、たぶん男性のほうが強いらしいので、まあおばちゃんになるとなくなるのですね。
いい男を見ても、何にも感じないおばちゃんになりました。少し残念ですね。

男の性欲は、たぶん死ぬまであるようですね。

おじいちゃんは、たとえ立たなくても、女を最後のときまでもとめるらしいです。
若い女を見ては、せんずりは死ぬまでするみたいですから。
たたなくても、出るのは不思議で、女だからほんとのところ、わからないですけどね。

性欲のない私は、楽しみがひとつなくなり最近は、つまらなくなりましたね。
気持ちよく感じることが、ひとつでも経るわけですから、よくないです。
恋をしたら、その男とやりたくなるものでしょ、でも恋もしないし、性欲がないもの。

おばあちゃんの性欲は、たぶんひとによるものでしょうね、あるひとはあるみたいだもの。

老人ホームで、まんずりしているおばあちゃんがたまにいるそうですから。
おばあちゃんでも、まんずりしているのは、性欲があるからでしょ。
淫乱とかいう女もいるから、女は死ぬまである人がいるのは、本当ですね。
しかし、ぬれなくなるので、ローションでもつけて、やるのかしらね。

そこまでして、やりたくないのが、女の年寄りですからね。
わたしも、性欲絶倫のおばあちゃんになる予定でしたが、予定よりなくなるのがはやかったね。
たぶん、男でいう、赤い玉がでちゃったわけですね。
そんなときが、クルなんて自分ながらびっくらぽんですけどね。

年をとると性欲よりも、いかに楽に楽しく生きるかを考えるので、気持ちのいい健康な体を求めるようになるから、男よりも、自分を可愛くなるから、したくなくなるのでしょうね。

女を卒業してから、長い人生をいかに、病気にならないで楽しむのかが、私の課題ですね。

病気はいやだし、検査とかもほんときらいだしね、それにならない方法を探してますね。

わたしは、若いときは、痩せの大食いでしたね、いくら食べても太らない体質でした。
しかしです、これはある年齢になると、肥満になりますし、食べられなくなるのは驚きでした。
たくさんはいらなくなるのです、食欲も昔よりはなくなりましたね。
若いときは、一杯食べても、満足いかない自分でしたけど、今は少しでおなかが満足です。

何でも、たくさんいらなくなるのが、年寄りです。
わかいときよりも、おおくはいらないものですね。
残念なことに、私は性欲がなくなったのです。
これは、自分としては、なさけないけど、これも女の道ですね。でも27歳ぐらいにもどりたいな。

一番、セックスが大好きで、きもちがよかったときだから。
いっぱいして、いっぱいしても、どんだけでも、できたからね。
男もたいへんだったけど、いい思い出ですね。
女の性欲なんて、なくなるものですね、おばあちゃんだからね、それでも生きてます。
https://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/ee72d528af88bf41bbb5ec22e274c767


私とセックス 2016-02-02 00:25:53 | 日記

記憶にあるには、結婚していたときはたくさん擦り切れるほどしたけど、今はないね。
それは、きもちいいとかんじていたからしたわけ、こすりすぎるほどしたから、あきた。

これは、回数も関係あるけど、やりすぎると女は飽きる。
たまらない女は飽きる、私の胸はでかいのは、セックスを若いときたくさんしたからね。

胸の大きな女は、セックスがすきってことにまちがいないわ。
でもね、今は、かれたからいえるけど、若いときに間違いなくしまくったら、あきる。

女は、あれはあきるんだね、今は枯れた自分のことを冷静になれる。
残ったのは、でかすぎる胸だけど、今はもうおなか一杯でセックスはいらないね。

ある年齢であんまりしたくなくなったし、たくさんやると飽きるから。
まあ、適当に男にはもてたときに、素敵な人ともたくさんしたよ、だから飽きる。

おんななんてね、男よりははやく、あきるし、かれてしまうものだね。
だけど、後悔なんてない、好きなときに、すきなだけしたからね。

人生は、長いから、セックスをいたさなくても、何にも性欲がなくても後40年は生きたいわけね。
だから、健康で人間らしく今度は、本音を書いていくのが幸せでこれも、気持ちがいい事。

若いときは、やるだけのことをして、いろいろしてしあわせだったからよしだ。
でも、満足した人生だけど、残りの人生を何を使用か迷っている今。

それでも、色きちばあちゃんになって、爺さんといたすのは私はあほらしくてできない。
なにせ生涯でやるセックスの数をすでに、こなしているものね。

うまく生きて、健康にばあちゃんになって、いい文章でも書けたらたのしそうだね。
そのためにも、こうしてパソコンをぱちぱちしている、あほやろう。

男なんて、みんな対して期待するほど、変わらないし、おなじともいえない。
好きな人と、セックス死まくるのが、楽しかったから、今は好きな人もいないし。

そういう恋愛にも疲れたから、なしの今も案外いいかも。
しかし、文章を人に読んでもらうのも、知恵が要るので刺激的でたのしい。

毎日が脳を刺激して、これも悩んでしまうけど、とても気持ちいいのだ。
わたしは、いつでも、気持ちのいいことが大好きなのだ。

今は、文章を書くことが快楽になっている、デモ下手だからエクスタシーまでいかない。
もっと、楽しく喜ばせる文がかけたら、私は昇天できるのだ。

最高に、気持ちのいい瞬間は、いい文章がかけたときだ。
いつか、最高のエクスタシーに浸りたいから、今はコツコツ文をかきつづける。

そのうちに、きっとセックスより、快感になる日が来るまで。
https://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/0b176bda2d868735ea8548e42033e7f5


私の家は良くデルヘルが来て居ます 週に三日は呼んで居ます
義父さんが好きで呼んでいるので気にはして無いのですが現役です
主人に聞いて見ましたが好きにさせとけ言われて居ます
確かに義父さんの家に住んで居ますからいずれ叔父さんがなくなれば主人の持ち物になります でも主人の精力も凄いですがお義父さんも凄いです 家計でしょうか

お母さんは亡くなって八年になります でも一度見たいのです 義父の肉棒です
ほとんどの女性が足腰が立たない位で帰っていくのです

主人のお父さんですが一代上げた会社です今は引退して主人に任せているのです
1941年昭和16年生まれで今年で73歳になりますがこの年まで女性を喜ばせる事が出来るのは興味あります 一度怪我で入院したとき下着の取替えでチラット見えたのですが
びっくりしました 長さ30センチくらいあったのです 目測ですまだまだ70歳は現役で居ます。
https://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/bf329f7595c0fb4b22255a27ef98f884


老人の性欲?!2016-02-01 18:29:06 | 日記

私は、この町に住んで本当に驚くことがありました。
おじいさんの性欲です、80歳ぐらいの爺さんが声をかけるんですね。
そのじいさんは、本気で気持ち悪い目で、体を嘗め回すように見たので、はきましたけどね。
プールでは、爺さんがおしりを、後ろから触るは、手を勝手に握るは、また、はきましたけど。

ほんとうに、爺さんでも性欲があるなんて、私は実際に触られたので、あるとおもいましたね。

醜い、顔で、歯も汚いそして、体がしみだらけで、気持ちが悪い人でも、あるんですよね。

80歳なんて、あるわけです、夏は体をなめまわすように、見る爺さんがそばに、いるんですわ。

その人は、70歳ぐらいのばあさんと、きっとやっていると思いますが、信じられない。

老人の性欲は、この町ではありえます、プールでよくしゃべっているのを聞いたら、爺さんは元気でやる気満々で、ナンパしてましたからね。

私は、40歳ぐらいで性欲もなくなり、普通のおばちゃんになりましたが、みんな爺さんはあるわけです性欲がね。

90歳でもたたなくても、触るのはたぶんやりそうで、おそろしいです、またはきそうですがね。

子供の頃は、知らなかった世界は、わたしはしりたくはないですね。
爺さんには、気をつけてほしいです、きたない体と、顔でいやらしい人がいるんですよ。

でも、死ぬまで性欲があるといいますが、私はありません。
そして、見苦しいことですので、あまりプールでも、爺さんともしゃべりませんでした。
まじめに、運動していたら、おばあちゃんも、エロ話をしてました。驚きです。

でも、老人になると、それしか楽しみがないので、いやらしくなるのもありでしょうね。
わたしは、ごめんですね。性欲絶倫の爺さんは、絶倫のばあさんとたぶんしているわけです。
健康ならあることでしょうが、どうも納得いきませんね。

あなたの近くの、爺さんもきっといろごゆい、人がたくさんいるでしょうね。
私は、そのたびにはきますが、それでも、いきていかなくてはなりませんね。
老人は、性欲はなくなるとおもいましたが、この町に来て考えはかわりました。
ジジイの、ストーカーもいるそうですから、性欲エロジジイは、たくさんいるのが現実です。
https://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/c8a0c0d4fc97c058f34506bf0fd287a7


定食よりも、たまに違うものが食べたくなる男 2016-01-10 18:01:27 | 日記

男は、種をばら撒きたがる本能があるので、浮気もするだろうし。
奥さんがいようが、恋人がいても、プロの女とは遊びといいきり、関係を持つのだ。
おじいさんになっても、性欲がある限り、プロの女と金で関係をもつ。
これは、男の宿命であり、病気でもある。

しかし、結婚しているからって安心できない、遊びなのか本気なのかよその女とねるのだ。
今回芸能人の夫が不倫をしていた、自分が結婚をしていたのを隠すのはお決まりで、好きにさせてから関係を継続する、甘い言葉をラインで送り続ける。

私は携帯電話がきらいなのだ、今は一人でいいのだけど、夫婦だったら、いつでもラインもできるし浮気メールもたくさんできるから、携帯電話の時代になってから、浮気は簡単になったのだ。
いつでも、夜中でも連絡できるし、既婚であろうが、相手がいないところでメール、ラインができる。

こんな時代に、浮気のない男なんて、いるはずもなく、一人の同じ女ではあきたらなく、いろいろつまみ食いをしているのだ、男根はいろいろな穴に、すいこまれているから、きたないものだ。
わたしは、もっと古い時代の人間だから、よかったこんなにも簡単に浮気できない時代で、携帯なんてない時代の人だから。

そして、今は夫も先に死んだために、そういう苦労はない、経済的に大変だが、浮気の苦労とか嫉妬はないからよいのかもしれない。そして、どんな男でも女の誘惑にまけるし、金があれば女はほしいらしい。隣のジジイなんて、見張りの女がいないと、デリヘルをよんで、あそんでいたし。

金持ちなら、どんな方法でも遊んでいそうでこわい。もちろんまじめな人もたくさんいるのだろうけど。おじいさんのデリヘル遊びをマジかに見ていて、信じられないと最近思う。
男の人は、何歳まで女とやるのだろうか、死ぬまでかもしれない、隣のジジイは見張りがいないとすぐに、女とやるようだし。最悪金があると、デリヘルをよんでいるのだ。

遊ぶ人は、死ぬまであきらめないもので、金があればやりたいものだろうし、素人がよければ、職場の女、近所の女すべて、遊びの対象となる。
そんなことを考えると、次は人間として生まれたくないと思う、誰かを苦しめることを一杯するのが、人間だし、最低のことも平気でできる。

男は一人の定食では、あきたらず、絶えずご馳走女を捜し求めるもので、死ぬまでだろうと最近かんじた。これは、本能であるから、人間の男は止められない運命と、割り切ることにした。
https://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/84c8b30e4b24cc19a328d6af935fe7e4


女子の賞味期限? 2016-02-11

はっきりいって、美しく結婚して子供が生める時期だから30歳の半ばまでが、女のおいしい期間ですね。その後は、糞婆となり、汚い女になるのです、現実だからね。
私も、汚い婆となり、現実本当に嫌気がしますね、自分の顔で、はきましたからね、100回ほどね。
それでも、生きるのは、女でなくなって、人間の汚物でも、腐るまで生きるのが義務だからね。

汚い女で、賞味期限切れは、どうやって生きるのか、できるだけ外に出ない、そして、臭い顔とかみせない、努力をすることです、汚いものはごみでも、いやでしょ。
きれいな35までの女は、女性として賞味期限のうちだからね。

私もだんなが、死んでほっとしている、今の醜い顔や、体をみせなくていいからね。
きたない、体や顔は、自分でもきもいので、いやです、鏡は割りたいぐらいきらいです。
吐き気をもよおすし、おばあちゃんがしあわせなんておもわないね。

汚い姿でも、こぎれいにしたら、もてるとは、そんなことはない、35過ぎの婆がいいなんてね。
もしそういう男が居たら、それは財産、現金狙いだから、だまされないことです。
ホストは、婆でも、札束とおもい、セックスするのですからね。金は男を立たすわけです。

金のアル糞婆は、まあ、金がなくなるまで男と同じで、もてますホストは大喜びですね。
そう、セックスの体位は、バックがすきだそうです、顔を見るとなえるそうですね。
おばさんと会うときは、薄暗い夜です、昼間は気もいのでまず、会いませんね。
ホストは、金さえあれば、90歳のまんkでも、はめるのですから、割り切ってます。

つまり、婆は、金なのです。
持てる秘訣は、心なんて、おおうそです、美しいきれいな女で若いことです。
それ以外では、金です、金で男を買えるのです。

でも例外がたまにあります、アル西〇部落では、女が居ないので、いざ李女がもててます。
これ、ほとんどホームレスくされ男ばかりの、部落ですので、穴さえあればもてます。
こんな臭い連中とするのは、いざりばった女です、あるkにいますね、本当ですからね。
顔はぶさいくでも、いざ李でも穴さえあればもてるのは、西〇ぶらくのあるところです。

普通は、若くてきれいな女性が賞味期限のある人々です。
それでは、私たちくされきった賞味期限切れの女は、どうするのか?
静かに、死ぬまでお隠れになって、生命を全うするのです。

それがいやなら、金をたくさん稼いで、ホストにちやほやされることしかありません。
お金が余生のすべてを左右するのです。
でもね、汚い爺さんなら、賞味期限切れを相手にするから心配しないでね。

本音で書いてしまって、ごめんね、これが現実だから。
汚い爺さんなら、女の、賞味期限切れでもたべるってことです。おえええええええええ。
https://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/6d79cf4a64d0037431b54ee707b712e8


老人ホーム恋愛事情 2015-12-03 16:25:29 | 日記

自分も還暦を過ぎた。人生ももう終盤、もはや浮いた話もあるまい。このまま顔を見飽きた女房と死ぬまで過ごすのか……。そんな陰鬱な想いを抱える読者諸氏に、是非とも知っていただきたい現実がある。貴方と同世代、またはそれ以上の男たちが、未だに青春を謳歌しているということを。

 80歳を超える母に会いに、老人ホームへ出向いたA氏(55)は、ロビーで衝撃的な光景に出くわした。
 
「男性が殴り合いの喧嘩をしていたんです。何事かと思ったら、65歳の女性を71歳と69歳の入居者が争っているという。“夜這い”や“トイレ内H”は日常茶飯事なんだとか。老いてますます盛んとはまさにこのこと」
 
 近頃の熟年世代は、「キャンパス内」ならぬ「ホーム内恋愛」を大いに楽しんでいる。妻に先立たれ6年前に入居したB氏(68)は、「いま人生で一番輝いている」と、体験談を語る。
 
「ホームといっても自立型マンションで、健康な入居者ばかり。ウチは70代以上が中心なので、僕は若手。60代の入居者はたいてい夫婦だから、単身者は珍しい。それだけでも目立つうえ、知識や趣味の幅が広いこともあって、いつの間にか入居女性の“憧れの存在”になっていました。バレンタインデーのチョコの数なんて、アイドル並みですよ(笑い)。地味な会社員時代からは想像できない、華やかな生活になりました」
 
 そのうち、B氏は1人の女性に恋心を抱くようになった。58歳と若く、女優の若尾文子に似た上品な佇まいの女性だ。
 
「仲間の目を盗み、『みんなに内緒で、僕の部屋へ遊びにいらっしゃいませんか』と、メモを渡したんです。ドキドキしたのなんの。
 
 なんといっても“ひとつ屋根の下”ですからね。最初は茶飲み話でしたが、3度目の密会で結ばれました。
 
 年齢的にお互い諦めていたけれど、彼女は十分に潤っていた。しかも、『いつそうなってもいいように』と、セクシーな勝負下着を着けていたそうです。いじらしいじゃないですか。黒いレースのブラを見た時には、僕も30代の頃の元気を取り戻していました」
 
 元板前のC氏(69)が続ける。
 
「新しい女性が入居すると、我先に貢物を持っていく。僕は魚をさばいて、舟盛りを貢ぎます(笑い)。ただ、口説いたはいいが、全体的に長続きしない。前に関係した女性が、他の入居者と……なんてこともよくある」
 
 施設によっては恋愛を禁止している場合もある。それでも情事は止まらない。…

隣の部屋に入居していた、八千草薫似、60代前半の女性と親しくなったD氏(68)。年の割に若々しく美しい姿に、「お互い独身だし、再婚も」などと、淡い期待を抱いていた。そんな折、ライバルが出現する。2部屋左の男性が彼女を気に入って付きまとい始めたのだ。朝の体操、午後の散歩、3度の食事。消灯後には部屋へ入り浸る始末だった。
 
「職員に通報しても、『話しているだけ』と、聞く耳を持たない。『邪魔をするな』と、つかみ合いになった。職員が最終的に、彼を別棟に移動させました。ところがその翌月、持病の肺炎が悪化して、あっけなく逝ってしまって。ひたすら女性を思う気持ちが“命の源”だったのですかね」
週刊ポスト2012年9月7日号

☆老人ホームでは、恋愛がたくさんあるのですね、私は入らないけどいろいろな問題がありそうですね。
https://blog.goo.ne.jp/kimutamako1212/e/4713a04a024a51b7cc2efb54b44f89f2

 

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結婚はもう時代遅れです!デメリットが多すぎます…【ホリエモン・切り抜き・堀江貴文
ホリエモンウォッチング 2023/06/22


 

ホリエモンの恋愛講座 “本物のお金持ち”と結婚するルール 著者 堀江貴文
https://amzn.asia/d/5kepbmo

 

玉の輿にのる方法は2つしかない――。
これまでの恋愛書の常識を打ち砕く、稼ぐ男の赤裸々すぎる本音。

序 章 お金持ちの男は、どんな恋愛をしているのか
第1章 お金持ちが選ぶ女のヒミツ
第2章 お金持ちとどうすれば出会えるの?
第3章 お金持ちはセックスで落とせ
第4章 お金持ちと結婚するということ
あなたが素敵な男性と出会えることを願って──おわりに

 


・お金持ちは美女が次々と押し寄せよりどりみどり、面倒ならいくらでもすぐ代わりがいる。

・基本的にお金持ちは結婚したくない。結婚にはメリットがないから。独身主義で充分。

・メイドもコックもいるし、高級なものを食べ慣れているので、料理の腕は不要。

・料理や家事上手を主張する女は何か見返り前提がほとんどなのでウザい。

・女は見かけがほぼ全て。金持ち男は可愛い女とセックスするのだけが目的。女友達はいらない。

・面倒な女、ウザい女は嫌われる。会話テク不要。聞き上手なだけでいい。

・とにかくセックステクを磨きセックスを楽しむのが重要。本書でもそれに最も章を割いている。

・女性も積極的にセックスを売りにして楽しむべし。それができないウザ女は不要。

・話が早い女以外はいらない。誘われたら2回目のデートでも寝ないと、その先はない。

・金持ちと出会うにはガールズバーで働くのが一番。2次会まで行く女が男と親しくなれる。

・結婚しても男は100%浮気する。許せる女でないと金持ちとの結婚は無理。どんな女も3年で男は飽きる。

・男は浮気するが女が浮気したらその瞬間切られる。結婚後は大勢の女友達と遊ぶべし。

・金持ち男はわがままで自己中心的で身勝手で面倒が大嫌いで人の話は聞かない。全て男に合わせろ。

・女性に取っては非常に理不尽で不公平な付き合い。それでも結婚したかったら全てをガマン。あなたにできますか?

・彼にとって一番ウザくない女になれば、他で問題が起こるたびあなたに帰ってきて結婚できるかも。

・男は弱っている時に側にいる女、付き合いが長い女と結婚する。しかし結婚したら家に帰らない。

・金持ち男は時間がない。都合は全て相手に合わせろ。呼ばれたらすぐ出て行け、ウザい話をするな、時間がもったいない。

・マッサージをうまくなれ。会う度にマッサージしてくれて上手な女はポイント高し。

・化粧テクを磨け。とにかく可愛くなれ。靴にも気を使え。俺と会うために気合を入れてるとわからせろ。

・男はちょっとでもウザと思ったらすぐ他に行く。ウザと思われなくても飽きられたら刺激のあるほうに行く。

・とにかく何よりもセックステクが重要。これに抵抗がある人は結婚はおろか、金持ちと付き合うところまで行くのも無理。

・時間を掛けて私を大事にしてくれるかをじっくり確かめたい・・などと思っている女は、付き合いの入り口にすらたどり着けない。 その瞬間切られる。

・「私のこと本当に好き?」などとウザい話をしてくる女も即却下。

・女が金だけで男を選ぶように、男は顔だけで女を選ぶ。

 

 


ホリエモン語録


「人の心は金で買えます。カネがあれば何でもできる。女は金にもれなくついてくる」

「世の中、金だ、愛情だって金で買える」

「世の中にカネで買えないものなんて、あるわけないじゃないですか」

「人間はお金を見ると豹変します。豹変する瞬間が面白いのです」

「サラリーマンは現代の奴隷階級、起業家は現代の貴族階級」

「女は25歳超えたら無価値で有害なだけの産業廃棄物」

「年寄りは合法的に社会的に抹殺するしかない」

「ずるい手でも法律に触れなければ勝ち」

「大衆の7割はバカで無能。世論には意味がない」

 

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女性の論理的思考力がゼロである理由


(女性にも直観的思考力というのは有るらしいけど、思考過程を文章化できないから、子宮で考えるという事になるのかな)

 

河合隼雄谷川俊太郎の 「魂にメスはいらないーユング心理学講義ー」 から

 


谷川 (性格の)類型の問題についてはいかがですか。たとえば古くから胆汁質とかいうような気質的な分け方がありますが。

河合 あれはもともとヒポクラテスが言いだした考え方ですけれども、要するに、人間というものを類型としてとらえるためのいろんな分類が昔からあるわけですね。

    ユングの場合は、非常に有名な「内向」と「外向」ということを言ったわけです。

    つまり、興味とか関心が外界へ向う人と内界へ向う人とある。 もちろん両方が備わっていないとだめなんだけれども、どちらかと言えば片方が優勢である場合に、内向性とか外向性と呼ぶことができるとユングは言いだしたんです。

    もともと西洋においては、どうしても外向の方が尊ばれるわけです。  外的に見えるものとして、どれだけお金をもうけたかとか、どれほど大きい家を建てたかとか、どれほど飛行機が速く飛んだとか、そういうことにみんなが浮き身をやつしているときに、内向ということもはっきり存在していて、外向と内向はどちらが価値が高いと断ずることはできないということをはっきり言った点で、非常に意味があると思うんです。

    もう一つ、ユングには「相補性」の考え方があるんです。

    外向的な人は、実は無意識に内向的なものによって補われている。その逆もある。  あるいは外向的な人は何となく内向的な人を、たとえば自分の結婚相手に選んでお互いに相補的な働きをしているとか、そういうことを考えたわけです。

 

そういう性格のタイプは、生まれつきある程度決まっているという考え方をユングはしている。


また、ユングには、「思考型」と「感情型」という性格分類もある。

たとえば、ある人が赤いセーターを着ているのを見たときに、

「どうして、この人は赤いのを着ているんだろう。赤が好きなのかな」

と考えるのは思考型。

「ああ、似合っているな」とか「ちょっと派手すぎやしないか」

と思うのが感情型だ。


それと同じことで、「直感型」と「感覚型」というのも相対立している。

感覚型の人が物そのものを見るのに対して、
直感型はその背後にあるものを見る。

数人で食事をしていてその食べ物、たとえばラーメンなら、

「麺にコシがあってうまい」とか「スープがあっさりしていて好み」

だとか言っているとき、

「このラーメン屋、フランチャイズで全国展開したらヒットするかも」

なんて、パッと話がよそに行くのが直感型である。だから、直感型は非常におもしろい思いつきなんかを言ってくれるけれど、道を訊いたりしたらむちゃくちゃ教える。感覚型の人は非常にきれいに分類して物そのものと向き合うのだけれど、ひらめきというものが少ない。

この分類もわりあいおもしろくて、恋人を選ぶときは反対のタイプが多い。相補性が働くので、感覚型の人だったら、直感型の人に恋したりする。ところが、相補性が働いているときは非常にうまくいくのだが、いったん相手がいやになったときは、とことんいやになる。

職業的には、直感型や思考型の人がルーティンな事務系の仕事に従事したら、自分の得意な分野を捨てて不得意な方に努力しなければならないわけで、「自分には向いていないのに」と不如意な思いに捉われるだろう。

人間として100%思考型、あるいは感情型などということはなく、思考型タイプにも感情型の特質がまざり合っているわけだが、自分のメイン・アクション(傾向として主な機能)を自覚していた方が、日常生活においては生きやすいだろう。

そして、自分と違うタイプの人を嫌いになることから、ずいぶん救われるのではないかと思う。自分にない能力をあの人は持っているのだということで、納得できるし、場合によっては協力関係も結べると考える。

http://leilanlele.exblog.jp/768329/

 

 

 


ユングの性格タイプ


思考型、感情型、感覚型、直観型のそれぞれを外向的、内向的に分けた8つのタイプ


① 外向的思考タイプ

客観的な事実を重要視して、それに基づいて筋道をたてて考えるタイプの人。自分の考えよりも客観的事実の方が大事で、感情表現が苦手。

男性に多い。女性ではごくわずか。

(中川隆 注 : 出世する男はすべてこのタイプ、色気無し)

 

 

 

② 内向的思考タイプ

自分自身の心の中に浮かび上がる考えを筋道立てて追うのが得意な人。新しい事実の発見よりも新しい考え方の発明の方が大事。感情面が未発達のことが多い。

男性に多い。

(中川隆 注 : 頭はいいけどみんなの嫌われ者)

 



③ 外向的感情タイプ

どこでどういう感情を使ったらよいかよく知っており、自分の感情をよくコントロールし、周囲の状況をよく理解して、他人と良い関係を保つことが得意な人。社交上手。しかし、哲学など理屈を考えるのは全く苦手。

女性に多い。

(中川隆 注 : 人当たりはいいが打算的)

 

 

④ 内向的感情タイプ

心の中に好き嫌いの判断を持っていて、自分の心の中に描いた心像に忠実であるが、それと関係ない人たちを全く無視してしまうので、自己中心的で、時に傲慢な印象を与える。感情面にすばらしい判断力を持っているが、その表現力が不十分で、周囲に誤解されやすいといえる。思考面が未発達のことが多い。

女性に多い。

(中川隆 注 : 冷たく見える女性はこのタイプ)

 

 


⑤ 外向的感覚タイプ

現実の人や物事に対して、具体的に身体的感覚で感じ取ることが得意な人。色や形によいセンスを持っている。しかし、直感的総合力には欠ける。

男性にも女性にもいる。

(中川隆 注 :詐欺師にはこの性格が多い。 自分では何もやらないで他人に押し付ける)

 

 


⑥ 内向的感覚タイプ

外からの刺激をじっくりと自分の感覚に吸収し、取り込むが、それを、すぐには表現しない、または、その人自身の主観的印象が主体となってしまうので、誤解を受けやすい。直観による将来的見通しが全く苦手で、概して方向音痴。

(中川隆 注 : シューベルトショパン等の繊細な芸術家はこのタイプ)

 

 

 


⑦ 外向的直観タイプ

直観は、直接無意識に根ざしている心機能で、周囲の人やものや将来の見通しなどにカンが働く。流行に敏感。感覚が未発達なので、周囲のものごとをじっくり捕らえることが出来ない。


どちらかというと女性に多くみられる。

(中川隆 注 : 頭がいいと思われている女性はすべてこのタイプ、論理的思考力はゼロだが学校の数学のテストでは何故か高得点を取る)

 

 


⑧ 内向的直観タイプ

カンがよく将来の見通しなどもよく見えるが、そのカンは外の社会には向けられず、もっぱら心の内に向かっている。弱点は感覚で、まわりの状況や事実をよく見ようとしない。

(中川隆 注 : 変人・奇人・訳わからない天才はみんなこのタイプ)

http://miztools.so.land.to/js-tools/diag/Jung.html

 

 

 

 

 ◎意識のタイプと社会への適応性について

 概して、男性では外向的思考型、女性では外向的感情型がもっとも現代社会に適応しやすいとのことです。

社会という個々の人間が集まってできている場所ですから、まぁ自分の外部の対象を意識しながら生きている外向型の人間が適応しやすいと言うのは当然と言えば当然のことかもしれません。

内向型というのは、つまり

自分の内の世界=心の中

を意識しながら生きてる人々のタイプのことですから、そりゃなかなか社会に適応するのは難しいでしょう。

ちなみに最も現代社会に不適応なタイプは、内向的直観型と内向的感覚型なんだとか。

2タイプとも芸術家や宗教家に多いタイプで、結局のところ「何言ってんのかわかってもらえない」んだそうで…。

がんばれ内向人!!君だけが持っているその素晴らしい内的世界を世間にぶちまけてやれ!きか~!(←ど、どうしたんだ?)

 

 

 ◎タイプ別の相性についての話


 外向的思考型と内向的感情型、外向的直観型(”人を見る目がある”ような人がこのタイプです。)と内向的感覚型などの、いわば正反対のタイプ同士は、無いものねだり的な感じで相性がいいらしいです。友人同士であればお互いのあり方を尊敬し合い、恋人同士であればかなり深い仲になるとか。

意識と無意識の相補性(=ユング心理学の基本中の基本!)ということを考えればよくわかることですね。内的な相補性が外界に”投影”されて、人間関係の中に現れるということなんですね。お互いに相手が、無意識の中にいる自分自身とは正反対の「もう一人の自分」に当たるわけです。しか~し!反対同士でも、ある程度互いの補償が進めばやはり似てきます。そしてやがて倦怠期がやってきます。あれだけ仲むつまじかったのにいきなり冷めまくり、というのはこういうメカニスモなんですねぇ。いやはや。

 なにも投影の対象は人とは限りません。物や事にも投影されます。例えば”車”だとか、その他の趣味とか仕事とか、ある物事に異常なまでに情熱を持っている場合、そこには心理的な投影機能が働いている可能性があります。

 ちなみに、外向的思考型と外向的思考型、のように、同タイプ同士も仲がいいらしいです。お互いに深く理解し合えますから。しかしいずれ飽きがきて、反対側のタイプに目を移すらしいです。また同タイプ同士は思いっきり仲悪くなるケースもあります。ほんのちょっとした違いが気に障り、やがて我慢できなくなってくるというような形です。そもそも”似ている”ということは勘違いを起こしやすいことです。”似ている”を人はしばしば”同じ”と取り違えてしまいがちですからね。いやぁ、人間ってのはムズかスィ~ですな、まったく。ズズズ…(←縁側でお茶をすすっている音)

 

 


 ◎「個性化」の話


 劣等機能(思考型なら感情機能、感覚型なら直観機能とか)を意識化していって、意識の中心である「自我」に取り込んでいく過程、このことをユングは「自己実現」とか「個性化」と呼んでいます。これを実現に向かって進めていくことが人の人生における目標なんだとユングは言うのです。

 「でも先生、4つの機能すべて使えるようになったら、逆に人それぞれの個性が無くならない?」

というバカな疑問を持つ人もいるでしょう。しかし、一つ、例えば”感覚”と言ったところで、人によって千差万別です。色を見る人もいれば形を見る人もいます。色の中でもさらに好みは細分化されていきます。4つの機能全てが意識化されても、やはり人それぞれの個性というものは保たれます。つまり感覚一辺倒の個性もやはりその人の個性ですが、4つの全ての個性が実現されれば、その人は正に「この世で唯一無二の個性」を持つことになるのです。

 わかりやすい例を挙げればこういうことです。人は皆、等しく目・鼻・口・耳を持っています(これはユング自身が著書の中で挙げている例です。)しかし一つ一つを他人と比べてみれば、微妙な、あるいは大きな差異があります。そのように普遍的(=みんな持っている)かつ個性的(=一人一人違う)なものが複数合わさってできている「顔」というものは、これは一人一人全く違います。一つ一つが全く個性的で無二のものです。こういうことなんです、わかっていただけました?

 ただし、自己実現・個性化というものは、あくまで目標であって、到達し完成できるものではないとユングは言っています。そこへ向かって進んでいく過程こそが「人生」なのだと、そういうことのようです。シブ。

 さらに重要な言葉について言っておきましょう。「自我」と「自己」はユング心理学においては別のものです。「自我」は”意識の中心”であり、「自己」は”意識と無意識をあわせた精神全体の中心”だということです。簡単に言えば自己の方が自我よりエライ、みたいな(?)。

 概して西洋人の精神構造は自我中心であり、逆に東洋人の精神構造は自我は無に等しく、直接に自己が中心になっていると言われています。


 まぁ、この類の性格分類みたいなものは(注:ユングのこの「タイプ論」は、あくまで人の心を見る際の「目安」としてのものです。)、あまり科学的でなくてインチキくさいものだと思われがちですが、ユングはつまり、次のように言いたかったのでしょう。以下の文章は、講談社現代新書ユングの性格分析』秋山さと子著、からの引用です。


”多くの人は、この価値観や性格の相違を、それ程大きなこととは思っていないかもしれない。しかし、人間関係のなかで起こる様々な問題は、最初は相手に良かれと思ってしたことから誤解が生じて、こじれてしまう場合が大部分で、その前にもし、人には共通なものも多いけれど、しかし、それぞれの個人によって、正反対の考え方や感じ方をする場合もあるということを知っていれば、余計な摩擦は省かれるし、自分ひとり悩むことも、ずっと少なくなるだろう。”

ってなことですな。うん、まさにそうやね。すれ違い的な誤解やね、問題なのは。うむ。だからこう、ものは幅広く考えましょうよ、ってことかねぇ。他者のあり方も認めようや、ってことですかね。難しいけどね。

http://homepage1.nifty.com/thenamongja/aruhi_hu/yungu/yungu_taipu_2_aisyou.htm

 

 

 

ユングは同じ心理学の研究にたずさわるにもかかわらずフロイトアドラーなどのように全く違った研究結果が出てきたりするのは、そもそもの人間の”タイプ”が原因であると考えたと言われています。

精神疾患などに関するキーワードとしてフロイトは”性に関する深層心理学”や”コンプレックス”に纏わる過去の記憶を深めてゆきましたし、アドラーは”権力”をキーワードに後々には社会心理学に大きな影響を及ぼしました。

フロイトが「なぜ○○だったのか?」という問いを中心に研究を進め、その結果『過去』の原因(トラウマなど)が心因性の疾患の原因だと発見し、

アドラーは患者に対して「なぜ○○をしたいのか?」かという未来に対する指向性が強かった為に次々に変容する社会心理学というものの元型を基礎付けるようになったとユングは考えました。

ユング自身は晩年までの研究の中では非常に宗教的であったり、芸術的であるとも言えるような象徴の研究に没頭しました。これらの研究の違いには、そもそもの人間の”タイプ”があるとユングは考えたのです。

 しかし、このユングの研究したタイプは、現在の血液型占いや星座占いと違って、心理分析を始めるときに必要な”基本的態度”として扱われています。つまり分析に必要な軸としてそのタイプを採用したということです。また、彼は夢の補償作用、心理的な補償作用というものに重点をおいた為にそのバランスをとる軸が”タイプ”といわれるものなのです。

 彼が提案した有名な概念は、外向的態度と内向的態度です。この概念は、いわゆる”明るい”と”暗い”という風に解釈されがちですが、厳密には、自分のこころに対して外向的であるのか内向的であるのか?ということです。

僕自身を自己分析してみると、僕は友達と遊ぶのが好きだし、仕事なんかで一人で長時間車を運転していたりすると退屈で仕方なく、「誰かに会いたいなぁ~。」なんて思うし、時折友人の家のそばを通りがかって「さぼっちゃおうかな…。」なんて思ったりしますが、僕自身は殆ど内向的なのです。つまり、”自分のこころ”というものに対して焦点をあてて行動の基本にしているということです。友達とよく遊ぶし飲むし(……!!)人と一緒にいるのがとても好きですが、これは内向的な傾向です。

ところが僕の恋人は無口で余計なことは一切言わないし、声もとても小さいのですが、一緒に仕事なんかをしてみるともの凄い気が利くんです。僕が考えていることを先読みしてスラスラと仕事をこなしてゆくんですね。彼女の見ているところは、自分のこころではなく外界(つまり僕)であって、その外界をよく見て、判断し、行動するわけです。これは彼女の無口にも関わらず外向的な態度なわけです。

外向的な人間だけが演劇の舞台で堂々と演じられるわけでもなく、また内向的な人間だけが部屋で一人じっとしていられるわけではないということです。非常に難しい分析なのですが、外向的・内向的という意味は、我々が思っている概念とは少しばかり違うのです。 つまり、

 

外向的態度→は、自分の外に対してこころの機能が働き、外部とのやりとりを中心に態度を決定してゆくのに対し、

内向的態度→は、自身のこころが感じていること・考えていること・要求していることを中心に態度を決定してゆく

 

ということです。 そしてさらに、外向的態度・内向的態度概念を基本にユングは、思考型・感情型・直感型・感覚型という4つの軸をつくります。これらの概念は図のようにお互いに対立し補償するという機能をもっていると考えられました。


 思考型という態度は、常に理論的で理性的であり、その手続きの厳密さにあります。可能な限り矛盾やデタラメを排除しつつ秩序を重んじるタイプです。

その反対の感情型は、世の中の事象や現実に対して喜び・悲しみなどの情動でもって判断し行動するタイプと言えます。

思考型と比較すると矛盾があっても自身の喜びとなるものを選び取るし、秩序が保たれていても悲しみがあるのであれば、それは自身の悲しみ以外の何者でもないと感じるわけです。


直感型はいわゆる閃きのタイプです。「そうだ!」と信じたものが全てであり自身の態度となって現れてきます。

その反対の感覚型は、いわゆる寡黙な職人です。理由はわからないけれど知覚を通して事象を理解できるわけです。感情表現もできないし、思考型のように言語表現もないのですが知覚を通して理解できます。

 自分の周囲の人々と接することでこれらのタイプは非常によく理解できると思います。

職場などでは”思考型”の人が割合多くいて、逆に職場という理性的な場では”感情型”のような人はなかなか仕事をうまく前に進めることができません。

しかし、アルバイトの女の子が完全に近い思考型で皆の机にお茶を配って歩きながら、フェミニズムについて語られたとしたら、これも非常に雰囲気がよくないわけです。

僕の個人的な体験ですが、僕自身はあまり堅い職業についているわけでも、特別かっこういいわけでもないんです。恋人ができて仲良くなったのですが、実は彼女という人はとても無口で、僕も普段は何を喋ってよいのかわからない…という感じなのですが、二人で美術館に出かけたり、芝生に寝ころんで昼寝をしたりしていました。口説いたわけでもないし、ただ何となく恋人という関係になったのですが、「どうして俺が恋人なわけ?」と質問してみると彼女は「直感」と答えたことがあります。僕としては女性が恋人を選ぶという際には非常に多くの情報を分析しているのかどうかはわからないけど、慎重な作業なんだと思っていたわけです。だいたい人生のパートナーを直感で選ぶ人っているんですね。結構おどろきました。

 これらは、何もその本人が○○型として収まるわけではなくて、これらの要素が少しずつ近寄ったり遠ざかったり、またはその比重が重かったり軽かったりしてバランスをとっているわけです。

つまり100%思考型であったとしたら、それはコンピューターということになるでしょうし、実際、猫なんかを見ていても100%感覚型になって見えません。我々はその4つの傾向を持ちながら生活し、時と場合によっても変化させて生きています。感情型の人だからといって、数学の厳密な計算ができないわけではないのです。きちんと理屈も秩序も理解できるのですが、基本的な態度として感情型ということです。

この概念をユングは夢の分析の中で得たといわれています。夢の分析の中では、例えば医者や弁護士などのように秩序と計算の中で仕事などをしている人は、夢の中では幽霊を見たりして怖い思いをしていたりしたわけです。お医者などという仕事は死人とのつき合いもあるし、幽霊なんて現実の世界では信じていないのですが、もし夢の中ででも幽霊を信じられないとしたら至極冷酷な人間ということになります。その為に夢にそのような逆の感情が表れて本人のこころの秩序を補償しているとユングは考えました。


 そして、先の外向的・内向的という考え方と4つのタイプを組み合わせて立体交差させると、例えば内向的直感型とか外向的感情型などのように8つのタイプが現れます。

つまり、外向的思考型・内向的思考型、外向的感情型・内向的感情型、外向的直感型・内向的直感型、外向的感覚型・内向的感覚型です。

 

 

 このタイプの考え方は、その側面に対して両価性を持っているという風に解釈することができます。内向・外向という考え方もそうですが、普段はお喋りで友達も多くいろんな折りに顔を出す社交的なタイプが、いざ舞台に立って歌を歌う段になると照れてしまうということもありますし、普段はおとなしい人物が非常に堂々とした挨拶を舞台でやってのけるということもあります。また、


思考←→感情、

感覚←→直感


という風に対する概念になっているのは、例えば思考型の人物が普段は理性的にデータを分析して客観的に仕事を処理しているような場合でも、その仕事が認められて出世し人事権などが与えられてしまうと、どうやって人選してよいのかさっぱりわからなくなる上に思考では人選ができないという状況も沢山でてくるわけです。そういう状況にさしかかった時に思考型の人物は、突如感情的になって自分の好きな人物だけを周囲に集めてしまう…ということもあります。そのようにしてこの”タイプ”は相反する概念が時に混乱し時に秩序立てられるという不思議な様相を呈していると観た方が理解しやすいものなのです。

 普段の生活の中で主に使われている心の機能をユングは、主機能(main function)、その対立機能を劣等機能(inferior function)といいました。劣等機能は普段の生活の中で充分に使われていない機能なので、非常に未分化であるということもあるし、時折その機能を本人が制御不能になるということがあるとユングは言っております。というのは、

感情型の優しい女性が、喧嘩の段になると無茶苦茶な屁理屈をこねてどうしようもなくなる場合は思考という未分化な機能に頼らざる得なくなり本人の意図を越えて突っ走ってしまうわけです。

また、手先の器用な素晴らしい技術をもった感覚型の職人さんが、不況で自分の手作りの作品が売れなくなり突如直感が閃いて無茶苦茶な事業に手を出してしまって大失敗したりする例です。

 またその相反する機能の中では、

思考型・感情型を合理機能、

感覚型・直感型を非合理機能

といいます。これは、思考や感情というのはそれなりの”理由”があって機能するのに対して、感覚と直感は、殆どそこに我々が目にすることのできる”理由”がないからです。

 この”タイプ”の概念で断っておかなくてはいけないことは、これらの名称に”劣等”とか”非合理的”とかいう冠が付けられていたとしてもそれらが否定的な意味をもつとは限らないということです。つまり、感覚型の人というのは、例えば合気道の師範なんかですと、その素晴らしい技を殆ど言語によってその”感覚”を説明することは不可能なのですが、それは長年の鍛錬の成果と彼自身の才能によるところでもありますし、逆に彼は何も具体的なことを教えてくれない厳しい師範ということにもなってしまうわけです。これらの名称のカテゴライズはただ単に分けているというだけです。

 これらのタイプという概念は夢分析から経験的に導き出されたものでもありました。ユング夢分析で重要な位置を占めている意味合いは夢の補償作用というものです。これは、我々が見る夢というものが、我々の現実の生活の上記の4要素(思考・感情・感覚・直感)を補うようにしてバランスをとっているという考え方です。例えば僕自身の分析によると、僕は思考型と感覚型に大きく偏っていて、もっとも劣等機能になっているものが感情です。普段の生活で僕は感覚的に生きているわけです。職業柄ということもありますが僕のように大工さんのような職人のような手でものを作る仕事であると、感覚が仕事の殆どを担ってしまっているわけです。その感覚的な仕事を仕事仲間に説明するには感覚を思考(つまり言語)に翻訳する必要があるし、また見たことも経験したこともない”もの”を作ってくれ!と注文された場合はある程度”思考”を通して論理付けて設計や予定図を考えなくてはいけないわけです。

 

思考=感覚というこの二つの主要素を通して一日中活動しているわけです。またこのような仕事が非常に楽しいわけです。

感情が使われる場面は、完成した時の充実感と時折仲のよい仕事仲間と出会ったり、また相性のあわない嫌いな仲間に会ったりした時だけで仕事を始めてしまうとすぐに忘れてしまうんです。その為に夢はある程度一人の人間のバランスを取るために補償する機能を持ちます。僕は夜になると恐ろしい悪夢を見て叫び声を出したり、奇妙奇天烈な夢をたくさん見て、愉快になったり悲しくなったりするのです。そうでもしないと非常に感情が薄れた人間になってしまう可能性が高く、世の中の事象に対して感情的・直感的な読みができなくなってしまうのです。


 僕自身が昼間太陽の光を浴びながら殆ど感覚的に仕事をしているので、最もはっきりとした意識の部分にその感覚があります。それらを補佐するように思考機能が意識の中にありますが、感情と直感は無意識の中に沈んでいることがわかります。直感は感覚と対極に位置するので無意識の深い部分にあって、意識化することができません。実際僕は直感的に物事を判断するような事態に陥ることは殆どないのです。しかし、現代のように数ある情報網の中で直感的に選び取らないことには結局は”何も選ぶことができない”という事態にもなります。思考的に数々の情報を整理して感情に照らし合わせて…云々とやっていると時間がかかって仕方がない…。僕自身はとにかくそういうことが非常に苦手でして、目の前にあるものを手で触ってみて(感覚)、それらを仲間に説明したり、あるいは設計したり(思考)することが殆どなのです。そのようなわけで、僕は”内向的感覚型”ということになりますが、図のようにそれらはある比率をもって対峙しているので何も思考能力が欠け落ちた感覚型ではないことがわかります。

 ユングは自分と異なるタイプを理解することが非常に困難であることを強調しています。つまり、僕の例でいうと”外向的感情型”もしくは”外向的直感型”の女性ということになります。確かにその通りで、目に映らないものを頼りに直感的・感情的に判断して、しかもそれらを根拠に外部と接触されるとわけがわからなくなります。コンプレックスという概念を考え合わせると腹が立って来るときすらあります。

 ユングのタイプの研究は、星占いのような性格分析ではなく、これらのタイプにおいて”劣等機能”を発展させてゆくことが個性化(individuation process)であるということなのです。

カウンセリングなどで相談に訪れる方々は主機能によってこれまで上手に生きてきたわけですが、ある環境の変化でもって主機能だけでは生きてゆくのが困難になった…と言えると思います。それゆえにその人間の全体を壊すことなく”個性化”の過程を踏んでゆくことが我々人間に与えられた試練であり人生であるというわけなのです。例えば、上記のように僕自身は職人であって、毎日ペンチ・ラチェット・ハンマー・ヤスリ・ノミやカンナ・釘・ボルト…そんなものを相手に仕事をしていて、どの場面にどの道具を使いどれだけの作業時間がかかるのかは、感覚的に解るものなんです。現場に行ってぱっとその風景を見て大体の予算と工期(作業にかかる日数)が解ります。もしこの仕事を辞めて営業職などに突然ついたとすれば、これまでに頼りにしていた主機能の”感覚”は殆ど役に立たなくなって、見ず知らずの人間と共に顔を会わせるには”感情”や”直感”といった僕の劣等機能がどうしても必要になってくるわけです。その時に僕は非常に苦しむことになるわけです。しかし、個性化ということに関しては僕はまだまだ未分化な人間であるということができます。

 またこれらの諸機能においては、社会の期待感というものとのズレが起きます。

バリバリの思考型の女性というのも世の中には存在するわけでして、それらの人物が女性としての期待、妻としての期待、母親としての期待にどうやって応えてゆくのかという場合にも非常に困難が生じると思います。

今現在はそれでも比較的男女差別などという問題が消滅しつつありますが、それでも尚、その時代特有の期待感というものがあると思います。それらの社会の要請とどうやってつきあってゆくのかというのもユングの個性化というプロセスと大きく関わってゆくことになると思います。

 http://www014.upp.so-net.ne.jp/tangsten/term/term/term3yagyou1.html

 

 

 

ユングは「思考」と「感情」を合理的機能(rational function)、「直観」と「感覚」を非合理的機能(irrational function)と呼んでいます。これは、「思考」「感情」が何らかの判断を下すのに対し、「直観」「感覚」はまず自分のうちに取り入れる機能だからです。

「思考」型の人は、それが何ものであるか考えたり、何に属するかと考えたりと、思考的なもので、分類・判断・規定します。目の前の「それ」に判断を下すのです。

「感情」型の人は、それが好きか嫌いか、快いか不快か等、感情的なもので、判断したり、分類したりします。

このように「思考」「感情」共に、ある事象に対し、ある種の方向付けをしたり分類したり、合理的に判断を下します。何らかの理論なり体系にそったものなのか、あるいは感情に従ったものなのかは別にして、ともかく判断しているんですね。分けています。

ただ、こういうのは逆に言えば、そこにあるものを、そのまま受け取るのが苦手だといえます。なまじ判断基準が明確なだけに、そこにあるものを「そのまま」受け取れないんですね。

思考型でいうと、いちいち意味を考えてしまったり、属性を考えてしまったり、

感情型でいうと、いちいち好き嫌いや感じのよさ悪さを考えてしまったり、

そこにあるものを「そのまま」受け取るのではなくて、受け取る際に分けてしまいます。「これは○○なもの」と判断を下している。つまり裏を返せば、「そのまま」「未加工に」受け取るのは苦手なのです。


そして、そこでこだわりを持ってしまうと、思考型は時に「どうして?」と思ってしまったり、感情型は時に「嫌いなのに」と思ってしまって、うまく受け取れないこともあるかもしれません。(←そのおかげで助かることもあるんですが)


一方、非合理的機能の方ですが、ここでいう「非合理」とは「合理的ではない」とか「論理に合わない」という意味ではなくて、いわば「合理的判断を必要としない」とか「論理にとらわれない」という意味だと思われます。実際、「直観」「感覚」型の人は、目の前の事象を、そのまま受け取るのが得意です。

「直観」型の人は、そこから可能性を受け取ります。そこに付随する発想やインスピレーションを受け取るんですね。ある意味、無形のものを感じ、受け取るのです。

「感覚」型の人は、とにかく、そのままの形状、色彩などを詳細に受け取ります。外的にしろ、内的にしろ、そこにあるものを、そのまま受け取ります。

このように、「直観」「感覚」型の人は、あれこれ考えたり、好き嫌いを判断する前に、ともかく、そこにあるものをそのまま受け取るのが得意なようです。但し、その分、その理由を導き出したり感情を表現することが不得意だったりするわけで、まあ、どちらがいいというものでもありません。あくまでそれぞれそういうタイプだということなんでしょう。


これらの合理的機能は互いに対立するペアをなします。「思考 対 感情」「直観 対 感覚」で、対立するペアを構成しています。それぞれは得意・不得意、成熟・未成熟のような関係にあり、一方の機能が勝っていると、対立する機能は不器用だったりします。

思考的傾向が強い人は感情が未分化・未発達であり、感情的傾向が強い人は思考が未分化・未発達です。

実際、思考型の人は、考えを深めるのが得意ですが、感情を表現するのが苦手だったりしますよね。逆に、感情型の人は、感情を表現するのが得意ですが、考えを深めるのが苦手だったりします。


これは非合理的機能の方にも言え、直観的傾向が強い人は感覚が未分化・未発達で、感覚的傾向が強い人は直観が未分化・未発達です。

直観型の人は、可能性を見出すのが得意ですが、そのものの形状・色彩などを覚えるのは苦手で、実際、可能性を追いかける人は目の前のことには無頓着だったりします。

また、感覚型の人は、そのものの形状・色彩を受け取るのが得意ですが、そこに潜む可能性を見出すことが苦手で、そのものは大いに味わうのだけれど、それをどう使うかには無頓着だったりします。

こういうことを考えると、それぞれ受け取るのを得意としながら、直観型は「その先」といったものを見る傾向にあり、感覚型は「今ここ」を見て楽しむ傾向があるのかもしれません。故に、直観型は先の可能性を見出し、感覚型はそこにある感覚を受け取るのです。

ところで、「未分化」という言葉が出てきましたが、それぞれの苦手なものはそれが無いわけではなく、分化されていない、つまり、うまいこと確立されていないだけなんですね。好んで使う機能はいつも使うだけあって洗練され確立されているわけですが、苦手な機能というのは普段から使われず、むしろ仕舞われているので、確立されていないのです。


そして、未分化な機能というのは思ってもないような強さをもっていたりするので不思議です。先の態度の話でもそうでしたが、無意識下に隠れているものというのは、時に大きなエネルギーをもって表(意識)に現れたりします。ただ、エネルギーは大きいものの、その使い方がスマートではなく、時には幼稚で、よろしくないことになってしまいがちです。未分化なだけに、トラブルを招くこともしばしば。力というのはそれそのものに善悪の判断を下すことはできませんが、その使い方によっていかようにもなるようですね。

 

「タイプの罠/~せずにはおれない」

このように、我々人間にはよく使う機能があって、それに頼って日々を生きていたりするのですが、それぞれの機能にはぞれのれの得意とする分野があるわけだし、逆に言えば、不得意な分野もあるということになります。つまり、それぞれ活躍できる場もあれば、そうでない場もあるということですね。

そして我々がひとつの機能のみを頼る限り、どうしても限界を迎えることになります。「それだけではどうしようもない」とか、「それだけでは切り抜けられない」とか、むしろ「それに頼るおかげで困ってしまう」という事態も起こりうるわけです。

自分の機能を頼るのはいいとして、でも、「そればかり」だとか「そうせずにはおれない」となると、ややこしいですよね。

例えば、思考。思考を得意とし、考えるのはいいですが、何かにつけ「考えずにはおれない」となると、ややこしいです。いちいち意味を考えたり、分類していては、しんどそうですね。例えば、あちらから何かが来るような場合、それが分類可能ならいいですが、うまく分類できないとか、また分類する必要がないようなものなら、さてどうなるでしょうか。

感情はどうでしょう。感情は感情でいいものですが、何かにつけ「好き嫌いに分けずにはおれない」となると、どうでしょうか。好き嫌いで分けるのは別に構わないと思いますが、時には「好き嫌いで分ける以上に大切なこと」もあったりするので、そういう時に好き嫌いで判断すると、困るかもしれません。

直観はどうでしょう。可能性を見出せるのはなかなかの武器ですが、何かにつけ「可能性を見出さないと気が済まない」「可能性を追いかけないと気が済まない」となると、困るかもしれません。可能性というのは先を見ることですから、足元の方に気をつけないと、とんでもないことになるかもしれません。

感覚はどうでしょう。目の前のものを細かくそのまま受け取るのも才能ですが、何かにつけ「詳細に受け取らずにはおれない」となると、しんどくなるかもしれません。何でもかんでも受け取ると、容量オーバーになるかもしれません。今やここから離れられず、先になかなか進めないかもしれませんね。


こういう風に、それぞれの機能も使い道があって、使うのに適した場もあるということ。逆に、使わないでいいような場で使っていると、いちいちしんどかったり、うまくいかなくなったりもする、ということになります。

ただ、こういうのは何も悲観的になるようなことばかりではなくて、こういうところにヒントが隠されているということです。そこに改善の余地があったりするんですね。

 

さて、大まかな説明をしたところで、次に、実際の各機能を見ていきたいと思います。

 

 

●思考型

「その固有の法則にしたがって、与えられた表象の内容に概念的なつながりをもたらす心理機能」とユングは言います。

その固有の法則とは、世の中にある法則や体系であったり、自分の持っている法則や体系だったり。「表象」(ひょうしょう)とは「心に思い浮かべられる外的対象の像」。

つまり、感覚機能や直観機能によって受け取ったもの(知覚したもの、記憶に起因するもの、直観として受け取ったものなど)を、その法則や体系にしたがって、分類したり、組み立てたり、意味を考えたりする機能です。

それが内部にあるも(心の中に生じたもの)であっても、外部にあるもの(目に見えるカタチとしてあるもの)であっても、それを法則や体系にしたがって、概念によって捉えて処理する。頭の中で考えて処理する。そこにある、性質、共通性、本質などに注目し、それを整理したり、把握したり、あるいは組み立てたりする。

もう少し一般的にいうと、「考えること」、「知識や経験などをもとに、それを結びつけたり、組み合わせたりして、あれこれ考えること」。感覚や直観から得たものを、「知識や経験により概念化し、判断したり、推理したりして、把握すること」。


主に外的な事実に依存して思考するのが、「外向的思考」型。内界に生じるイメージに依存するのが、「内向的思考」型であるといえます。(但し、両方を持ち合わせるのが普通で、どちらに力点がおかれているかによって、分けることができるように思います)

 

 

 

【外向的思考】

このタイプの人は、外的な基準を取り入れ、知的な考察に基づいて行動します。自分の思考体系というよりは、一般的な、あるいは、一般にも受け入れられるような、思考体系を好みます。同じ思考でも彼らは、共有できる基準を好むのです。したがって、自分で体系や法則を作るというよりは、既にあるものに従おうとします。

故に、このタイプの価値基準・判断基準は、良い悪いは別にして、一般的です。既に確立されているものを好む、といってもいいでしょうか。それらは広くみんなで共有するものだと考えているので、独り善がりな基準には固執しません。これが外向的思考タイプの強みでもあり、同時に弱みでもあります。

誰とでも共有できる思考体系を持つことで、社会で生きるということや公の場でものを言うことがスムーズに進みやすい。いちいち説明することもあまり必要なく、理解も得られやすいかもしれませんね。ただ、それも過ぎると独創性が失われるわけで、面白みにかけたり、硬い印象を与えるかもしれません。あるいは融通が利かなくなる、ということも出てくるでしょうか。

外向的思考タイプは外的基準という「枠」を大事にし、多くのものをそこにはめ込もうとします。これはこうで、それはそうでという風に、枠にはめ込み、図式どおりにきっちりとしたい。ただし、それも過ぎると、「例外を赦さぬ態度」で、相手や自分を苦しめてしまうかもしれません。一般的な基準から外れることを赦さないとか。

彼らはこれを自分の生活にも適用しようとするので、感情というものを抑圧しがちです。感情に従いフラフラするよりは、自分の生活というものをきっちりと枠に収めたいと考えます。「これだからこうなった」「それだからそうなった」「○○だから、こうすべき」と、自分の考える図式にしたがって、きっちり納得できるように収めたいのです。

しかし、前にも述べたように、奥に仕舞ってあるものというのは、特に意識的な働きが一面的であればあるほど、ひょっこり顔を出したりします。それもけっこうなエネルギーを持って。したがって、普段感情に流されずにいる外向的思考タイプが、急に感情的になることもあります。大爆発を起こして周囲を驚かせたり、あるいは情に流されて、普段では考えられないようなことをする場合もあるかもしれません。

硬い枠と、その補償作用としての感情の未分化な発現。これによって、このタイプは自分や周囲を驚かせたり、困らせるかもしれません。


社会的なことを考えると、外向的思考タイプは問題を解決したり、明確にしたり、必要なものと不必要なものを分けたりするのを得意とするようです。外的な基準を用いるだけあって、実際的なことは得意です(←経験則にそってますから)。また前述の通り、一般的な考えを用いるので、相手に伝えやすいし、受け入れられやすい傾向もあわせ持つでしょうか。こういう傾向がうまく働くと、社会で成功を収めるかもしれません。

この型の人が関心を寄せるのは外的事象であって、(内的な)理論とか観念ではありません。彼らは実際的な経験則を好み、それをどんな状況にも当てはめようとします。彼らは感情よりも思考を上におくので、冷たく、よそよそしく見えることもあります。(よく言えば、クールでしょうか)

外向的思考タイプが注目するのは、みんなが知っているそれ、つまり客観的な存在であり、また客観的な観念です。みんなが知るそれをみんなが知る観念で説明したり、判断したりします。これによりこのタイプは高い適応力を持つことになります。注目するものも、それに判断を下すものも、みなと共有しているものなので、コミュニケーションに困りません。彼らのやることは社会的には妥当で、実際的。ただし、それを個人に当てはめる際には、正しいけれどやりすぎ、ということにもなりかねないので注意が必要かもしれません(←前述の枠の話ですね)。

このタイプは高い知性をもつ反面、その知性が感情を抑えつける傾向を持ちます。それは獣ではないという意味では人間らしいと取れますが、人間も自然から生まれているとか、人間の中にも自然なものがあるという意味では、人間らしさに欠けるということになってしまいます。時に、このタイプは原理原則を取り、情を抑え込んでしまうのです。(まあ、その反作用で情に溺れることもあるわけですが…)


(その影)
内向的感情。

感情というのは勝手に湧いてくるもの、やって来るもので、思考のようにあれこれと組み立てるものではありません。意識を思考に使うこのタイプは、感情というものを意識するのが苦手です。というのは考えながら感情に従うのは困難だし、感情に従いながら考えるのは困難だから。本来、好き嫌いというのは考えて判断するのではなく、感情に従い判断するものでしょ?

まあ、思考タイプは考えることによって好き嫌いを判断することがありますが、それは思考的な判断であって、感情的な判断ではないわけですね。

一方の機能をONにしている限り、もう一方の機能はOFFになるのが常です。


じゃあ思考タイプには感情が無いのかというと、もちろんそんなことはないです。ただ、感情に従っていないとか、それを拒否しがちだとか、苦手だとか、慣れてないとか、そういうことでしょう。あるにはあるが、うまく活性化していないんですね。

で、うまく働いていないから、時に感情的な爆発を起こしたり、情緒に溺れたりすることもあります。常という意味では感情を意識するのが苦手であり、時々という意味では不器用な発現をしてしまいます。つまり未だ未分化で、うまく整備されていないんですね。感情というものが何らかの道を通ると仮定すると、感情タイプのそれが整備されていてスムーズなのに対し、思考タイプのそれは整備されておらず(そもそも使っていないので)、スムーズにはいかないのです。

あと、知識の共有には勝っている外向的思考ですが、感情の共有という意味では苦手で、同じ観念を共有しているという意識が強いためか、周りの人の感情という点では無頓着な傾向があります。また、価値基準や法則、社会道徳や規律というものに重きを置くため、人の感情というものが、自分という意味でも、相手という意味でも、軽んじられるきらいもあります。

そのためか、プライベートが軽視されることもあって、それよりは会社や組織、社会的な貢献の方が優先されることもあるでしょうか。

 

(補助機能としての感覚)
外向的思考+補助機能としての感覚。

このタイプは、感覚機能によって受け取った外的事実に注目し、それを思考によって処理します。つまり実際的な経験を重んじるわけです。実際の経験を元に、分類したり、説明したり、整理したりする。思考する材料にしても、思考に用いる基準にしても、外的な事実や経験を使うことを好む。

 

(補助機能としての直観)
外向的思考+補助機能としての直観。

このタイプは、直観機能によって受け取ったひらめきなどに注目し、それを思考によって処理します。したがって上のタイプとは違い、実際の経験というよりは、頭の中で理性に頼って考える。というのも、直観というのは「これからどうなるか」といったものを知覚する機能なので、経験云々の話にはなりにくい。


傾向:
みなで共有できるような外的基準に従う。
考えというのはみなに説明できて当たり前で、そういう面では不自由しない。
逆に、「自分だけ分かる」というものには興味がない。

外的基準を大事にするため、融通が利かないことがある。
図式や道理どおりに進まないことにストレスを感じる。

感情に無頓着で、日頃から抑圧しがち。
その補償作用としてコントロールできない感情に驚くこともある。

社会的な適応力が高い。
その反面、周りの人の感情に意識がいかなかったりする。


このタイプが窮地に陥るのは、外的基準にこだわるあまり、例外を赦せなくなった時。何が何でも枠に納めようとすると、そこからはみ出る部分が傷ついてしまうかもしれません。基準や枠も、過ぎると「囚われ」になってしまいます。

しかし、逆に言えば、それを緩めれば楽にもなれるわけで、そこにヒントが隠されているのかもしれません。

このタイプはこのタイプでいいものをたくさん持っているわけで、それに固執するあまり多くを見逃し生きるでもなし、それを棄ててしまうでもなし、ちょうどいいように折り合いをつけるのがいいんでしょうね。基本姿勢を持ちつつ、例外も認める。それでいいんではないでしょうか。
また、それに至るまでにいろいろ悩んだり、揺れるのも、そうそう悪くはないでしょう。(まあ、苦しいのは苦しいんですが…)


自分が信じる一般論的な枠、それと共に、枠の外にある(今は未知な)ものも認められると、豊かになっていくかもしれませんね。

 

 

【内向的思考】

このタイプの人も、知的考察によって行動します。但し、彼らは内的基準に従う傾向にあります。(自分の理論、自分の考え、とかですね)。彼らは概して外界の事象そのものにあまり興味を示さず、本質的には(外界の事象によってもたらされる)内的な理論や観念に関心があります。外界の事実よりは、内界の見解(=見方、考え方)に重きを置くのです。外向型が客観的なのに対し、内向型は主観的です。外向型は目の前の「そのもの」について語ろうとしますが、内向型は目の前のそれによって導き出された見解を語ろうとします。(いわば自分目線ですかね)。これが建設的に働けば、独創的になるし、否定的に働けば、独りよがりな考えや、理解不能の考えになってしまうかもしれません。

外向的思考タイプが「共有」という面に優れているのに対し、内向的思考タイプは共有が苦手か、そもそも興味がなかったりします。前者がうまく説明したり教えたりできるのに対し、後者はうまく説明できなかったり、そもそも教える気があまりなかったりする。「みんなが分かる」よりは「自分が分かる」ことのほうを優先してしまうのです。外向的思考タイプは「誰もが理解できる見解を」と主張するのに対し、内向的思考タイプは「それぞれが自らの見解を持つべきだ」と主張します。

この人にとって大事なのは、主観的な考えの無意識下にある根源的な象徴的イメージ、その発展と提示です。無意識下のイメージを読み取り、思考によって具現化することを好みます。(一般論よりも、自分のイメージや見識に重きを置くわけです)。外向的思考タイプが事実そのものを好んだり、新しい事実を発見しようとするのに対し、内向的思考タイプは各自の見解を好み、新しい見解を生み出そうとします。同じものに対しても、「こういう見方もできるのだ」みたいな。

このタイプは一人で自分の考えに没頭することを好むので、往々にして人付き合いよりも孤独を好み、そうやって知的に満足してしまうことによって、自分の考えが一般に受け入れられるかどうかには関心がない場合が多いようです。極端な例になると「自分だけが分かっていればいい」となって、人に対して発言することや人付き合いが希薄になったりします。こうして頭の中の世界は広いものの、外の世界は狭いものになりがちです。外向的思考タイプが「世の中をどうにかしよう」とするのに対し、このタイプは「自分をどうすべきか」と考えます。関わる方向が内側なんですね。

しかし、自我が「孤独を好むのだ」「自分が知っていればそれでいい」と思ったり、思い込もうとしても、無意識の方はそれをゆるさず、その無意識の補償作用によって苦しむ場合もあります。時に「何で分からないんだ」と激昂したり、ロマンチックな空想に溺れることになるかもしれません。外向型の外への関わり方はストレートですが、内向型の外への関わり方は未分化な面がある。

 

(その影)
外向的感情型。

外向的思考タイプでは内側の感情経路が整備されていないように、内向的思考タイプでは外に向かう感情経路が未整備です。前者は自分の感情に従うのが不得手で、後者は自分の感情を外に出すのが不得手。また、もともとが自分の見解に重きを置く性分なので、人と感情を共有しようとはあまりしない。

しかし、思考タイプに感情が無いのかというとそんなことはないわけで、感情自体はあるが道が整備されていないだけです。また、内向きの経路は比較的整備されているので、それが孤独を愛する性分とあいまって、感じやすさや傷つきやすさとして現れるかもしれません。

自分の感じは持つには持つのですが、それを外には出そうとはしない。それが内側をぐるぐる回るので、時に感情が爆発したり、時に空想にふけったりと、比較的身近だったり、内側だったりで、感情の発現――それも未分化な発現――があるかもしれません。このタイプは感情を外に出すのがスムーズには行きにくいのです。
したがって、好き、嫌い、あるいは、どちらでもない、という感情表現・感情発現がスムーズに行きません。他のタイプならすっと通るのが、スムーズには通らない。ギクシャクしてしまう。なもんで、そういう経験が蓄積されて、余計に人から離れようとすることもあるかもしれません。
また、外側に向かう感情、感情のやり取りという面では、感情移入についても、「自分に置き換える」(=主観で捉える)という意味では得意なのですが、「それをそのまま察する」(=客観的に捉える)という点では不得意かもしれません。

このように、内向的思考タイプは外に向かう感情(外向的感情)というものに対し、ある意味、目詰まりを起こしているので、そういうものに日々悩まされているかもしれません。故に、外に身を置けば置くほど疲れやすく、それが長く続くと衰弱してしまう。

こういうことからも、このタイプは人から遠ざかろうとするのです。


(補助機能としての感覚)
内向的思考+補助機能としての感覚。

このタイプは、外界にある事象によって生じた観念を感覚により受け取ります。その観念を思考によって処理し、何ものかを導き出すのです。彼らが問題にするのは外に見える外殻ではなく、その内側にある中心、イデアだったりします。

イデアとは「個々の事物をそのものたらしめている根拠である真の実在」。そのものを、そのものたらしめているもの。人間を人間たらしめているのは○○だ、みたいな。リンゴをリンゴたらしめているのは△△だ、みたいな。そういうものをこのタイプは抽出します。(上の○○や△△に当たるものは、人によって違うんでしょうけども)


(補助機能としての直観)
内向的思考+補助機能としての直観。

このタイプは、外界にある事象の中に可能性を見出し、それを直観機能によって受け取ります。その可能性を思考によって処理し、何かを導き出すんですね。彼らはより先を見つめるので、非現実に落ち込みやすいかもしれません。先の現実は今の現実ではないので、そういう難しさを持つことになります。先の現実は今は実現されておらず、よってそれは頭の中の世界にあるものなので、理解という点ではより難しくなるかもしれません。


傾向:
自分の理論、自分の考えを大切にし、それに従う。
事実よりは見解に重きを置く。(といっても事実を無視するわけではない)

考えを共有するのが苦手で、説明したり教えるのが億劫。
内的な充足を優先し、ひとりを好み、人付き合い避ける。

その反作用で、不理解さに悩んだり、人恋しさにより空想に耽ったりする。
感情を外に出すのが苦手。


このタイプが窮地に陥るのは、自分の見解に重きを置き過ぎて、人間関係や他人の見識を軽く見てしまう時。自分だけで満足してしまうと、他者との接点が失われてしまうかもしれません。

しかし、逆に言えば、そこに改善の余地があるわけで、よくなる可能性があるということになります。

自分の見解は自分の見解で大事にし、温め、そしてそれを表現したり、説明することが加わると、接点も出てきそうです。説明することで、「共有」という点も鍛えられますしね。

ここでも自分の持っているものを大切にしながら、それでいて今までにはなかったものを取り入れ、補完すればいいのです。


「自分の見識」(自分だけの見識)を外に表現する方法を得ることによって、「人と共有すること」を学んでいけるかもしれません。その過程で難しさや嫌な思いもするかもしれませんが、その先には得られるものがあるんでしょう。

 

 

●感情型

「与えられた内容について、これを受け入れるか斥けるか、一定の価値を付与する機能」とユングは言います。

思考のような知的判断ではなくて、好きか嫌いか、快いか不快か、満足か満足でないか、美しいか美しくないか、感じがいいとか悪いとか、などで判断します。感覚や直観から得たものを、上記のように、価値をつけたり、判断したりする。

思考型は考えて判断を下しますが、感情的な判断というのはそういうプロセスを伴ないません。それは、法則や基準に頼らない、主観的な価値付けです。
時に、自分の感情による分類、その傾向を見ることによって、「○○だから好き」「××だから嫌い」という風に理由付けをすることがありますが、それはあくまで結果から見えてくる傾向であって、いちいち考えて好き嫌いを判断しているのではないでしょう。それは感情による判断に、あとで理由をつけているにすぎない。感情というのはまるで自動反応のようなものであって、本来は理屈といった経路は通っていないように思います。よくよく考えると、感情的なものに理由なんてなかったりするでしょ。

 

 

【外向的感情】

このタイプには「感情というものは共有するものだ」という前提があります。感情というものは人と人との間を行き来するものであると考え、積極的に感情を表します。「楽しいわね」「これ好き」「これ嫌い」「いいと思わない?」など。
このため、外向的感情タイプはコミュニケーション能力が高いようです。感情を表現するのが得意だし、感情を受け取るのも苦にしません。また、価値基準や判断は一般的で、多くの人に受け容れられやすいようです。前述の通り、彼らにとっての感情は「共有するもの」であり、みんなで理解し合って当たり前のものなのです。逆に、個性が過ぎる感情や価値判断には奇異さを覚えるかもしれません。

このタイプは調和を得意とし、多くの人の中に入るのも苦にしません。すぐに打ち解けて、居場所を確保します。愛想がよくて、付き合いやすく、どんな場でも「適度に」生きられる。感情が共有して当たり前のもので周囲と一致するので、軋轢が生じたり、トラブルを起こすことも少なく、割合円滑に暮らすことができるようです。
(その反面、周囲と違う価値基準を持つ人には冷たいのかもしれませんが。←冷たいというか、理解できない?)

このような人は、初対面の人に対しても好印象を与えるので、生きるのが得意な人、という見方も出来るかもしれません。実際、このタイプの人が、人の間に入り、潤滑油としての仕事をすれば、物事が円滑に進むような気もします。

このタイプは(共有に価値を置くので)一人ぼっちでいることを嫌い、自己反省はあまりしない傾向があります。あれこれ考えるよりは、自分の感情を表明したり、それに賛同を得る方が気持ちがいいのかもしれません。また、友人や同僚に人気があり、親分や姐御肌(あねごはだ)の人として慕われているケースも多いようです。

ただ、あまりにも一般論的に振舞ってしまうと、「自分自身」というものを失ってしまう可能性もあります。共有も過ぎると、主体性や個性を失ってしまいます。また、人々と共有し得ないような意見を持つ人に対し、「どうしてそんなことを言うの?」と、冷たく当たってしまうこともあるかもしれません。

親しみがあり周囲の世界に適応するのが得意な外向的感情タイプですが、それは周りに合わせるのが得意ということでもあり、したがって、「自分とは何か?」といったアイデンティティの問題への関心は低いかもしれず、その宿題は残ったままになりがちかもしれません。そして、歳をとってから考えざるを得ないような状況になり、困ってしまうことも多いでしょうか。

 


(その影)
内向的思考型。

外向的感情タイプは、本人が思っているより信じ込みやすい傾向があります。彼らが好むのは「感情を共有すること」。そして、劣等機能(普段使われない機能)として思考がありますから、考えるのが苦手です。比較的、外部の考えや基準というのは取り入れようとしますが、自分の考え、自分の見解となると、あまり持ち合わせません。本人が持っているつもりでいても、それは非常に感情に彩られたものであったり、外部の考えをそのまま用いたものだったりします。つまり、「自分で吟味する」といったものに欠けるんですね。検証できない。

したがって、彼らの身近な外界として例えば迷信的な集団が存在したならば、それを共有し、信じ込むことになるかもしれません。非科学的なものでも、集団がそれを持つ限り、それは共有するものであり、しかもそれを吟味する見解を持たないので、容易に信じることになったりします。人付き合いという意味で有効な「共有」という機能が、時に、こういう風な事態も生んでしまうんですね。

「いちいち考えなくても適応できる」というメリットが、「深く考えることができない」というデメリットにもなってしまうのです。

中には、「いいえ、わたしは疑り深いんです」という外向的感情タイプもいらっしゃるかもしれませんが、それは考えて云々ではなく「○○は疑わしい」というものを共有してのことだったりします。(この場合は、「○○は疑わしい」ということを信じ込んでいるんですね。検証して疑っているのではありません)

しかし、抑圧されているものはいつか発現することになる、というのが人間の常です。このタイプだと、日々抑圧されている思考が急に、表に現れることになります。しかし、他のタイプ同様、いつも使われていない機能は未分化です。よって、その思考は幼児的な思考に留まります。考えているようで考えていないというか、考えきれない。そこまで慣れていないのです。開発されていない。考えきれないもんだから、「結局、そんなもんさ」と結論を急いでしまう。それは一見導き出されたようで、途中で放り出されたものだったりします。段階を踏んでいない。
この「結局、そんなもんさ」は、考えきれないと性質と、外部のものを取り入れ共有するという性質と相まって、強化されることがあります。何らかの「それ」について考えようとする場合、考えることに慣れていないので「結局、そんなもんさ」で片付けてしまいがちになったり、同時に、外部にある考えを共有しようとするので、「結局、そんなもんさ」になってしまうんですね。(それを証明するものとしては、思考タイプのように順を追って説明できなかったりします。何事も「ともかく、そうなのよ」で片付けてしまうんですね)


(補助機能としての感覚)
外向的感情+補助機能としての感覚。

このタイプは外界に(実際に)あるものを感覚によって受け取り、感情によって評価します。その美的観念は社会で共有するものであり、文化的背景に依存していたりします(その社会、その地域、その時代の美的観念に関係していたりします)。そして、美的観念といっても、それは何も芸術的なものに限らず、行動や態度も対象となります。例えば、(美しい)ボランティア活動とか。

 


(補助機能としての直観)
外向的感情+補助機能としての直観。

このタイプは外界にある可能性を読み取り、感情によって判断を下します。感覚を補助機能として持つタイプが実際的なものを問題とするのに対し、このタイプはむしろ実際には形の無いものを問題とします。何故なら、直観で受け取る可能性というものは「今」という意味では存在せず、「その先」にこそ具現化するものだからです。
彼らは彼らの理論によって先に進もう(時に、改革しよう)としますが、彼らの理論は感情によって判断されている。


傾向:
感情を共有するのが得意。
感情を積極的に表明し、また受け取るのも苦にしない。
よって、人の中にいるのを苦にしない。

価値基準・価値判断が一般的。(好き嫌いの判断が一般的で受け容れられやすく、共有しやすい)
逆に、個性的な感情を嫌う。

概ねどこでも適応し、調和する。
ただし、主体性や個性を失う危険もある。

考えるのが苦手で、信じやすい。
考えているつもりでも、感情に彩られた判断を下していたり、周囲の価値観を自分で吟味することなく使っていたりする。


このタイプが窮地に陥るのは、未分化な思考機能が働き、何ら思考的でない結論を導き出しながら、それを信じ込んでしまう時です。

ただ、ここに改善のポイントがあるわけで、よくなる可能性があります。

即ち、少しずつ段階を踏んで、考えることを学び、それにより自分の見解というものを身につけるのです。

もともと外界に適応するのが得意で、関係を築くのがうまい外向的感情タイプに、自分なりの見解が加われば、すごく豊かになれると思います。

 

 


【内向的感情型】

このタイプの人は非常に特殊な価値観を持っていて、大抵はそれを他人には見せません。外向的感情型のようにその感情は一般的ではなく、独自の感情体系を持っていたりします。このタイプにとって感情というのは、みんなで共有するものではなく、自分自身で持つものなのです。客観的要因ではなく、主体的要因に従っているんですね。

ユングいわく、「静かな水は深い」、この言葉を興味深く思います。

彼らはたいてい無口で、「何を考えているか分かりづらい」と思われがち、無感動で冷たいとさえ思われていたりします。しかし、それは外に見えるものとしてそうなだけで、中身までそうとは限りません。彼らも感情型なだけあって、その中にはあたたかい感情が通っているのです。それは外に対して表現されていないだけで、ユングの言う通り、深いものだったり、細やかさを持ったものだったりします。例えば、内面的には深い同情心を持ちながら、それを外には出さないので、周りの人間には分からない。しかし、長く付き合っているうちに、だんだんとそれを感じてくる。そういうこともあります。

外向的感情型の感情経路が外側に対して開かれているのに対し、内向的感情型の感情経路は内側に対して開かれています。つまり、前者が共有しようとするのに対し、後者は自分が感じるという点に特化することになる。適応という点に関しても、前者が積極的に関わることで適応するのに対し、後者では接点を限られたものにすることで適応しようとします。前者は客観性を頼りにするので共有しやすく、後者は主観というものを頼りにするので共有には難儀します。外向的感情タイプがみんなで盛り上がるような時でも、内向的感情タイプはひとり自分の感情に従います。

このタイプは、内的にはしっかりとした価値判断をもっており、皆が嫌っているような相手にでも、自身の価値観に従って、親切に接することができます。また、多くの人が無条件に認めているようなものを疑うこともでき、みなが美しいと言っていたり、世間的には美しいことになっているようなものに対しても、「そうかな?」とか「そんなことないのに」と、思えます。世間に呑み込まれるようなことは余りありません。
ただし、それは生き難さにもつながるようです。みながそう思っていることに対しても、そうは思えないので、しんどくなる。「共有意識」や「一体感」に欠けるので、エネルギーに欠けてしまうかもしれません。それに考えを表明したところであまり理解は得られないわけで、この辺からも、どうしても態度は淡白にならざるを得ないのかもしれません。そして、「いくら正しくてもその場にそぐわないこと」というのもあったりするので、その辺が周囲との溝を深くする場合もあります。(うかつに思ったことを口にすることで周囲との間にギャップが生じたりして、その経験が態度をより淡白なものにしてしまうかもしれません)

しっかりした自分の価値観を持つということは、一方で周囲の考えに囚われず正しいことが言えたり、一般論を超えた自己犠牲の精神を発揮できたりするのに対し、もう一方では孤独というものと付き合わねばならなくなります。そして時に、「わがまま」につながることもあります。自分の(自分だけの)感情による判断をごり押ししようとすると、どうしても周囲にはわがままだと捉えられてしまうかもしれません。(だからこそ、黙る癖がつく、とも取れますが)
こういう「周囲とは合わない」という経験が、どうしてもこのタイプの外面的な態度を大人しい、あるいは静かなものとしてしまうのかもしれませんね。

前述の通り、このタイプは周囲には囚われないので、個人的な献身を行なえたりします。ただし、それは一般にいう慈善家・慈善運動家といったものとは違い、「自ら善を行う人」なのであって、「社会的な要請によって善を行う人たち」といったものではありません。それはあくまで個人的な行いであって、社会的な運動ではないのです。

ただ、人間は考えや感情をまったく共有しないではおれないので、誰かに分かってほしい、誰かと共有したい、誰かに継承したいと考えてしまうものです。結果、それは身近な、そして無垢なる存在に託されることになります。即ち、自分の子供に、その内なる情熱が向けられるのです。そして、親にとっては喜ばしい仲間ができることになり、同時に、子供は生き難さを受け継ぐことになります。

このタイプの人は、人を感化しよう、影響を与えよう、といったところが微塵も感じられません。また、他人の真の感情にちゃんと応えようという努力は殆ど見られないようです。(人は人、私は私…そういうタイプでしょうか。そして、そうならざるを得ない、という面もあるように思います)

 

(その影)
外向的思考型。

内向的感情タイプが大事にするのは「自分が感じるもの」。それを自分がどう感じるか。したがって、一般にどう考えられているかとか、どう捉えられているかということには頓着がありません。つまり、外向的思考とは逆なんですね。外向的思考が一般的な尺度を大事にするのに対し、内向的感情では「自分の感じ方」を大事にします。一般にはこう分類されているとか、世間ではこうなっているとか、そういうのは関係無しに、自分の感情的な判断に頼ります。

このように、このタイプは普段から思考という機能をあまり使わない。本人は自分なりの考えをしっかり持っていると思っていたりしますが、それは思考によるものではなく、感情による判断だったりします。だから説明に窮するのです。思考による考えは段階を踏んでいるのである程度説明できますが、感情による判断は段階というものがありませんから説明できません。

しかし、眠っている機能というのは急に目覚めるもので、このタイプもやがて普段使われていない思考機能が意識の面に現れたりします。ただ、それは使われていないだけあって未分化、原始的な表れになってしまう。
外向的思考=一般的な尺度に慣れていないこのタイプは、時に、メディアを盲目的に信じてしまいます。それに熟練されていないので、それをそのまま使おうとする。人間というものが時に、普段接触がないものに魅せられるような、それに似たことが生じてしまうのです。

また、コミュニケーションという点では、もともと感情の共有という点に問題を抱える上に、劣等機能としての思考を持つので、「人が何を考えているか」というのがよく分からず、考えすぎてしまったり、悲観的になったり、物事を曲解してしまったりします。故に、衰弱してしまうこともあるでしょうか。
あるいは、個人に対しては批判的で、周囲に対し、(投影と曲解に基づいた)毒を吐くことになるかもしれません。それも思考を使いきれないので、道理のある批判ではなく、あら探し的な、そして投影に根ざした、批判をしてしまうようです。


(補助機能としての感覚)
内向的感情+補助機能としての感覚。

このタイプは、感覚機能で受け取った「感じ」のようなものを、感情機能によって処理します。外向的感情が外にある事実を受け取るのに対し、このタイプは内部に生じる感じを受け取ります。故に、自分本位で主観的なんですね。外部から独立しているので影響を受けません。ただし、感情型であるため、外目には冷たく見えても、内面はむしろ暖かい。他にない同情心や憐れみを持っていたりします。したがって、社会や世間といったものには影響されない、慈悲深い人にもなり得ます。あるいは、独特の暖かさを持った芸術家にもなり得る。

 

(補助機能としての直観)
内向的感情+補助機能としての直観。

このタイプは、直観機能によって受け取った可能性を、感情機能によって処理します。ただし、その可能性というのは外部に対してどうこういうものではなく、内部に対して開かれています。それは自分がどうなって行くかというような、自己発展の色合いを持ちます。目の前のものをどう使うかといったものではなく、自分をどうして行くかということの方に力点が置かれるのです。それは社会的にどう発展していくかというものではなく、人間がどう発展していくかという点に使われます。


傾向:
周囲と共有する感情判断ではなく、自分独特の感情判断を持つ。
外目には控えめで無感動のように見えることもあるが、内面に深い同情や、細やかな感情があったりする。

周囲や世間には囚われない。
その分、周囲との感情調和がとれず、孤独を経験することもある。

誰にも伝えられない深い情熱を子供に向け、結果、ひとり立ちできない子を育ててしまう場合もある。

世の中の感情の渦に呑み込まれることがあまりない。
世間はどうあれ、自らの感情的価値判断に従って、人を助けることもできる。
ただし、それも過ぎると、一般的には正しいかどうかということが、不問に処されてしまう。


このタイプが窮地に陥るのは、感情を表現する手段を失った時。あまりに感情を表現できないと、他人の目が気になったり、未分化な思考機能で考え込んでしまって、衰弱してしまうこともある。

しかし、ここに改善のヒントがあって、感情を表現する手段や、感情を共有できるような仲間、表現できるような場を持てるようになると、世界は広がるかもしれません。内なる深い感情を交流できるようになるかもしれません。
(感情というのは、共有したり交流したりする、ひとつの手段でもあります)

もともと自分なりの独創的な感情を持つこのタイプが、それを外界に対し表現する手段を持つようになると、より豊かで魅力的な人になれるように思います。
また、自分独特の(感情的)価値基準と共に、一般的な価値基準も少し考慮できるようになると、周囲との折り合いもついてくるのではないでしょうか。

 

 


●感覚型

「生理的刺激を知覚に仲介する機能」

物事をそのまま受け止める。外界から何らかの刺激を受け取り、それを正確に把握する。外界から、五感などを通して、視覚的なもの・音・匂い・温暖・味などを得ていく機能。

外界からの刺激そのものに重きを置く場合は「外向的感覚型」、それを受け取った内的感覚に重きを置く場合は「内向的感覚型」、と言えるでしょうか。
外向的感覚は分かりやすいですね。目の前にあるものの、形状や触り心地、音、におい、味などを、そのまま受け取ります。こういうものは客体要因であって、みんなで共有できます。一方、内向的感覚は分かり難いかもしれません。それは当人が「どう受け取るか」であって、必ずしも共有しやすいものではありません。その人の受け取る色、形、音、におい、味など、それは独特のものを持っていたりします。よく美術の授業などで、山を赤く描いたりする子がいたりするでしょ。それは、例えば一般には緑のものとして受け取る山を、その子は赤いものとして受け取っているわけです。

感覚機能が純粋に機能する場合、そこには思考的要素や感情的要素は介入しません。それは純粋に受け取る機能であって、それが何に属するとか、何を意味するとか、好きか嫌いかなどは関係ありません。それに加えて直観も介入しませんから、それは単に伝達するものです。何かを予見するといったものはありません。何ら加工されない、材料を受け取るだけです。(「単に」とか「だけ」とか書いていますが、それは別に軽んじているわけではなくて、むしろそこがいいところなんでしょう)
ただ、感覚タイプといえども、思考も感情もあるので、何も考えないわけでもないし、何の感情的判断を下さないわけでもありません。ただ、主たる機能が感覚なので、感覚というものに重きが置かれるわけです。「それを受け取る」という点に、主眼が置かれます。

外向的感覚だと、そこにあるもの(外的事実)を知覚することが優先されます。また、内向的感覚だと、そこにあるものよりはそれによって引き起こされる自分の感覚というものに重きを置かれます。前者は誰にでも知覚できる目の前の「それ」に主眼が置かれているので、共有しやすい。後者は目の前の「それ」よりは「それ」によって生じた自分の感覚に主眼が置かれるので、共有という意味では難しい。

 

 

 

【外向的感覚】

このタイプの人は客観的事実に関心があります。外から得られる感覚こそすべて――という感じでしょうか。本質的に、現実的で、実際的で、細部を好み、抽象や価値や意味についてはあまり考えないようです。彼らの目標は常に「感覚を持ち、できれば楽しむこと」です。外界から得る感覚を、ともかく楽しみます。

危険なスポーツなどで積極的にスリルを求め、「享楽家」の人が多く、将来のことはあまり気にしない傾向にあります。ですから、友達として付き合うには最高の相手かもしれません。食べたり、飲んだり、遊んだりと、ともかく今を楽しむのがモットー。しかし一方で、薄っぺらで「心無い」ように思われることがあります。「アリとキリギリス」のキリギリス・タイプでしょうか。

彼らもまた、生きるのが得意な人といえるかもしれません。感覚を共有できるので、意志の疎通に事欠きません。彼らが問題にするのは、目の前の事実。それは誰にとっても目の前の事実なので、それで不理解に悩むということはないでしょう。

外向的感覚タイプの関心は外的な事実にあるため、思考によって悩むとか、感情によって悩むということが、あまりありません。このタイプは目の前の状況に溶け込むので、思考云々、感情云々というのはあまり関係ないのです。したがって、場の主義主張が変われば、思考・感情に囚われず、すっと主義主張を変えることができます。何故なら、このタイプが大事にする「目の前の事実(=その場を支配する主義主張)」が既に変わっているのだから。
外向的感覚タイプが大事にするのは、「今日」であり、「今、ここ」、「目の前にあるもの」です。明日とか、昨日までとかは関係ありません。前後関係云々では無しに、今が大事なのです。逆に、明日のことで今日を汚すな、となってしまう。(明日の心配で今日の楽しさを台無しにするな、みたいな)

このような人は、事実を事実としてそのまま受け取り、経験値を上げていきます。ただ、そのままでは材料を集めているだけになるので、思考や感情という合理的機能の力を借りないと、その経験を分類したり判断したりすることができず、その機能を現実的に活かすことが難しいようです。
が、逆に、思考により分類する術を覚えれば、それをうまい具合に系統立てて整理できるわけで、学問的な仕事に活かせるかもしれません。また、感情によりそれを処理できれば、芸術的な才能に昇華できるかもしれません。

ただ、感覚のみに頼ると直観による可能性を見出せないわけで、事実のみに囚われることになり、それをどう活かすかに目がいかず、多くを失っている場合もあります。その場を楽しめても、先にうまくつながらなかったりします。「どう使うか」というのが、あまりない。


(その影)
内向的直観型。

外向的感覚タイプは、意識の多くを感覚機能に使っているので、直観という機能が無意識に眠っています。つまり、使われていない。
直観という機能は可能性を見出す機能、「その先」を予見する機能です。したがって、外向的感覚タイプは今を感じることに優れる反面、その先のことには無頓着だったりします。

普段使われず、故に洗練されることのない直観機能が現れるのは、意識が一面的になっている時や、疲弊している時。しかもそれは未分化なカタチで現れます。それも普段とは逆の方向である、内向の方向に発現される。
もともと先を予見するのが苦手で、またそれが内側に向くので、それは不吉な予感として生じたりします。これにより、本来は目の前の事実を楽しむ外向的感覚タイプが、否定的な予感や空想に囚われることにもなります。いつもは現実的なのに、急に非現実的なものに振り回されたりする。


(補助機能としての思考)
外向的感覚+補助機能としての思考。

このタイプはもともと目の前の事実を受け取るのを得意とするわけですが、それを補助機能としての思考で処理することになります。ただし、態度として外向を持つので、使われるのは一般的な基準。自分なりの見解ではなく、みなで共有できるような判断基準や価値基準ですね。したがって彼らは、誰にでも使えるように分類したり、整理したりするのが得意です。(誰にでもといっても、それを専門とする誰にでも、となるでしょうか)。独自の解釈を持たぬ代わりに、事実を今までの枠にはめ込み、分類するのを得意とします。新しいものに関しても、新しい見解を持つというよりは、新しい事実を今までの事実と比べて、検証します。

 


(補助機能としての感情)
外向的感覚+補助機能としての感情。

このタイプは受け取った目の前の事実を、補助機能である感情によって処理します。受け取った「それ」に感情による判断を下すんですね。例えばそれは美的判断につながり、芸術家やその歴史に詳しい専門家、評論家や愛好家を生むかもしれません。ただし、態度として外向を持つので、その方向性はその時代というものに左右されます。基準が外にあり、共有するものなので、その時代の流行(はやり)といったものに左右されやすい。


傾向:
客観的事実に関心のあるリアリスト。
目の前のものをそのまま受け取るのが得意。

感覚を楽しむため、享楽家になることもある。
感覚を共有するのが得意。

今日を楽しみ、明日や昨日は気にしない。
直観機能を使っていないので、可能性やその先を見出すのが苦手。

未分化な直観機能が活動しだすと、否定的な予感に苦しむこともある。


このタイプが窮地に陥るのは、感覚機能のみを頼り、今を楽しむことばかりに一生懸命になる時。そして、直観機能による「先につなげる」ことができない時です。
それではあまりに非生産的で、生きるという意味の半分は非常に豊かですが、半分は手つかずになる。楽しむという意味では大いに生きているのですが、社会で生活するという意味では危険を孕んでいます。社会生活にうまくつながっていかないこともあるかもしれません。

しかし、ここに改善の余地が見えるわけで、感覚で得た材料を思考や感情で処理できれば、それは立派な武器になるでしょう。また未分化な直観機能を少しずつ鍛えることができれば、今持っているものを、先につなげることもできるのではないでしょうか。

放っておいても外的な事実を感覚によって受け取るのが得意なのですから、その使い道さえ得られれば、いくらでも豊かになり得るのかもしれません。材料は既にあります。ようは使い方、使い道です。

 


【内向的感覚】

このタイプの人は、客観的刺激によって引き起こされた主観的感覚によって動かされます。外界から得た、光景、色、書物の一節、音、会話、匂い、味、手触り、などを鮮明に記憶している傾向が強いようです。ただしそれは、外界にある「それそのもの」を記憶しているのではなく、自分の中に生じた「それによって引き起こされた」感覚を強く記憶しているのです。
外的な事実そのものより、それを受け取った時に生じる内界の感覚に重きを置く。また、その感覚が一般とは違っていて、その人独特の受け取り方をしていたりする。同じ対象を見ながら、多くの人とは別の感覚を受け取っていたりします。

こういう意味でも、このタイプは共有というものに問題を抱え、外界との適応に悩むことになりがちかもしれません。彼らが社会で生きるとき、どうしても隷属的にならざるを得ません。多くの人がそう見えているものに従い、多くの人がそう感じているものに従わないと、共有も適応もできない。内向的感覚タイプは独特の見方をするので、他の人が見えているらしいものに従わないと、合わせられないのです。他のタイプが合わせなくても共有できるのに対し、このタイプは合わせようとしないと共有できない。しかも、それはいわば偽りの共有ですから、どうしても無理が出てしまう。もちろん、正直に見えている風景を伝えるという手もありますが、それでは奇異に見られてしまう。(受け入れられる土壌があれば別ですが)

外向的感覚が目の前の事実を問題とし、時に楽しみ、のめり込んだりするのに対し、このタイプが問題とするのは内部に起こった主体的な反応であって、よって、目の前にある事実にはあまり関心がありません。彼らは目の前にあるものよりも自分が受け取った印象に注目するので、外界との接点は薄いものとなります。

この独特の感じ方というのは、時に芸術の分野で理解されます。例えば、同じものを題材にしても、それぞれ描き出すものはまったく違っていたりします。しかもそれは考え出したものでもなければ、空想によって描いたものでもない。それはそれぞれの目、それぞれの感覚によって、実際に見たものだったりします(受け取る感覚が独特なだけで)。
「シュール」という言葉がありますが、彼らの見る風景はある意味、「(外的)現実を超越して」おり、「真の理解が不可能」なのかもしれません。少なくとも、理屈や理論に合わない。ただ、彼らには(内的)現実としてそう見えるのです。

内的な感覚が勝ちすぎる時、目の前のそれ(客体)は主体的色彩を帯びます。本来、客体があって主体的反応があるのですが、主体的反応が勝ちすぎるため、客体と主体が同化してしまう。目の前の山を内向的感覚タイプが「燃えさかる赤い山」と受け取った時、その強い印象は目の前の山(客体)を燃えさかる赤い山(主体的反応)にしてしまうのです。
しかし、万事が万事こうなるとは限らず、自分の印象を大事にしながら客体を軽く扱う(軽く扱うというよりは、あまり注目しない)場合もあるので、その時は客体と主体的な反応は分離され、後者のみが取り上げられることになります。目の前のものには関心は示さず、内部にある印象だけに関心が寄せられる。

また、このタイプは内的に見ていること、感じていることを的確に表現するのが苦手な傾向にあり、誰かに伝えたりするようなことは少ないようです。(あるいは、なかなか伝わらないことを経験的に知ってしまっている)。まあ、それもそのはずで、要するにお手本があまりないんですね。見えている風景が違うんだから、そこいらにあるものをまねするわけにもいかない。だって、彼らにとって「それ」は違うんだから。

しかし、このタイプの人が内的に見たり感じたりしている現象を伝える手段を得たとき、多くの人に感動を与えることになるかもしれません。それは多くの人にとって新鮮であり、また驚きであったりもする。しかも、それはウソでもなければ、人間が弄繰り(いじくり)回して捻出したものでもない。それは確かに、その人が見たものなのです。

このような人の内的現象は想像ではなく、内的な事実であり、現実です。彼らにはそう見え、そう感じられるのです(人には理解されにくいですが)。このタイプが洗練された表現方法を身につけた時、他のタイプも彼らが見た「それ」に気づかされるのでしょう。

 


(その影)
外向的直観型。

このタイプは意識の多くを内界に生じる感覚に向けています。逆に、意識を外界に向けることは少なく、しかも直観となると、なおのこと使いません。普段、感覚に力を割いているため、直観は眠ったままです。
直観とは可能性を見出す機能、「その先」を予見する機能です。この機能が殆ど使われていないので、活性化されておらず、成熟していません。したがって、この機能が働きだす時、その表れはどうしても未分化なものになります。

具体的にいうと、その予見は否定的なものにつながりやすく、不吉な予兆、否定的な態度や不信感などを、外部から読み取ることに使われてしまう。そんなマイナスの予見で、自らを追い詰めてしまいます。

また困ったことに、その直観の多くは間違っていたり根拠のないものだったりするんですが、稀に当たることがあるので、不吉な予感を信じるのを加速させてしまうこともあるようです。(例えば、百回の内の一回の的中を頼りに、多くの否定的な予見を信じ込んでしまうとか)。こうなると直観機能が建設的に働かないので、うまく先につなげるのが困難になります。


(補助機能としての思考)
内向的感覚+補助機能としての思考。

このタイプは、内界に持っている印象を、思考によって処理しようとします。しかし、思考よりは内向的感覚が勝っているので、思考はその従者や助けに留まります。つまり、内界に生じている印象を分類したり、その意味付けをするのに、思考が使われるのです。このタイプは仮に一般にある法則や基準を使うにしても、それを適応するのは一般的ではない個人の、そして独自の感覚なので、できあがった体系は独特なものとなるようです。


(補助機能としての感情)
内向的感覚+補助機能としての感情。

このタイプは、内界にある強い印象を、感情によって処理しようとします。そして、それは往々にして、独特の好みを生むことになる。実際的な機能や常識に囚われない(あるいは無視した)、奇抜なものを生むのを可能にします。それは好意的な見方をすれば「独創的」であり、そうでなければ「突飛」であったり、「非常識」だったりします。理解されれば天才になり得、そうでない時はこの上ない辛酸を舐めるかもしれません。


傾向:
目の前のものによって引き起こされた主観的感覚に注目する。
目の前の「そのもの」よりは、それによって生じる感覚・印象を受け取る。

みなが見ている風景を見ているというよりは、同じものを眺めながらも、別の感覚を受け取っていることが多い。
故に、共有が苦手で、外界に適応するのに困難を感じていたりする。

表現手段を持たぬことが多く、それも適応や共有を難しいものにする。
これらの理由から、世間から不可解に思われることもある。

普段直観機能を使うことがないので、直観が動き出す時、それは否定的な予見として現れやすい。


このタイプがピンチに陥るのは、内的な感覚のみに囚われ、それを表現する手段を持たない時です。内部にある独特の感覚にばかり依存するので、外界との接触が絶たれてしまいます。

しかし、ここに回復のヒントがあるわけで、その内界にある独自の感覚を、表現手段というものを通じて外界に具現化することができれば、共有の道も開かれようというものです。それは内界にある限り人目にはつかないし、共有もされませんが、外界で具現化できれば、共有もされるし、理解への道も開かれるかもしれません。

こういうのは(内向型の)どのタイプでもそうなんですが、それが内界にある限り、それは人目にはつかず、共有もされなければ理解もされません。しかし、何らかの表現手段を得て、人の目にも触れられるようになった時、そしてそれが洗練されてくると、共有も理解も得られるし、それ以上のものも得られる可能性だって出てきます。

 

 

 

●直観型

「これは事物そのものよりも、その背後にある可能性を知覚する機能である」

思考を働かせて推理するのではなく、インスピレーションなどを得て、直接的に結論に至る機能です。筋道を辿って云々というのではなく、結論がパッと出ます。いきなり答えに行き着く。こういうのは他のタイプにとって「?」なことですが、理屈を越えてそうなのです。

感覚というのは目の前の事実を受け取る機能ですが、直観というのはその奥にある可能性を受け取る機能です。無意識から可能性を得る機能。そのものの背後にある、無形の、その先につながる、見込みを受け取る機能。それゆえ説明できないことが多いが、爆発的な打開策を生み出すこともある。

理解を超えて結論を得るので、思考機能などが補助機能としてないと、その筋道を説明することができず、相手を納得させるのが困難な場合も多々あります。まあ、直観も感覚もあくまで受け取る機能、知覚する機能であって、判断や説明はしないし、そういうものは超越しているのですが。

感覚との違いをもう一つ挙げるとするならば、それは「見ているもの」や「見ている先」。感覚というものは(外的にしろ内的にしろ)「目の前のもの」「そこにあるもの」に注目しますが、直観というのは可能性に関わるだけあって、「もっと先」を見ようとします。
「それがどうなるか」「それをどうできるか」など、まだカタチのない未来に注目するのです。これが彼らの強味であり、弱味でもあって、先を見通す能力がありながら――あるいは、それ故に――足元に対しては弱い。今のことに関しては意外と抜けていたりします。

 

 


【外向的直観】

このタイプの人はたいてい自分の直観を用いて世間に関わろうとします。そこにある現実云々ではなく、その奥にある可能性を通して関わろうとする。「それをどうすることができるか?」「その背後に何があるのか?」「それは何につながるのか?」、そういうことを通して、外界に関わってゆきます。言葉をかえると、勘が鋭い。他のタイプが見逃すような「見込み」もひょいっと拾い上げます。
このタイプの人は、状況の中から可能性をすばやく見抜き、それが将来どう発展していくかを予測するのが得意です。「これは○○に使えるな」「これで○○ができるぞ」「これは○○につながるじゃないか」、こういう風に可能性を見出し、それによって外的現実に関わってゆこうとします。

彼らは新しい物好きで、逆に使い古されたものにはあまり興味がない(古いものに可能性を見出せば別ですが)。彼らが注目するのは可能性であり、実績ではないのです。このタイプが喜ぶのは、新しい可能性を発見した瞬間。そこに言葉にならないような喜びを感じます。ただし、後述のように判断はしない。ただただ、可能性を見出すのみ。

ただし、これだけだと「単に前に進む人」に留まってしまうかもしれません。前へ前へと進むんだけれど、成果が得られない。成果を得る前に、次の興味に進んでしまうのです。それと、可能性というのはあくまで受け取る材料なので、それを処理する機能が補助としてないとうまくいかない。即ち、思考か感情によって判断を下さないといけなくなります。進むべきかどうか、好ましいのかどうか、判断を持たないと、ただただ前に進むことになってしまう。
よって、可能性からそれ相応の成果を得るには、思考や感情といった合理的機能が必要になります。判断して決めることが必要なんですね。ただでさえ先を見ようとする機能ですから、そういうものがないと危なくて仕方ありません。

このタイプの人は改良する才能に恵まれ、逆に同じことを繰り返すことが苦手な傾向にあります。彼らは次から次へと、新しい友達、新しい趣味、新しいアイディア、にとびつきます。しかし別の可能性が見えてくると、それらをあっさり捨ててしまう困った傾向も。

よくも悪くも、直観というのは「先を見通す」機能なのです。

外向的直観タイプの興味は「今日」よりも「明日」にあります。この傾向が強まると、自分のこと、自分の身体のことさえ忘れてしまう。生理的欲求よりも「次のこと」に関心が強まるので、身体への配慮が疎かになったりします。この傾向は身近な人に対する態度としても表れることがあり、その人の存在を忘れて明日を見ているようなこともあるでしょうか。(まあ、性格なので悪気はないのですが…)


(その影)
内向的感覚型。

意識を外界にある可能性に対して使うこのタイプは、逆に、自分の内面に対する意識が薄く、しかも感覚には意識がいかない。何度か言ってきたように、意識というのはひとつのことに使うと逆のものには使えないので、この場合、感覚に関しては無意識です。したがって、このタイプは、自分の内面に関する感覚に意識が使われない。この傾向が顕著だと、疲れたとか、寒いとか、空腹だとか、それらに気づかないこともあります。自分の身体感覚に無自覚になるんですね。

ただ、そんな普段使われない機能がひとたび活性化されると、不細工な発現になります。それは普段から使われていないので、未整備で、うまく分化されていない。したがって、幼い発現になったり、こんがらがったようなものになる。

例えば、自身の感覚器官から送られてきたメッセージを誤って解釈し、心身症や心気症になったりもします。現実を過剰に受け取り、それに囚われ、悩む場合もあるようです。普段抑圧されている感覚が、脅迫症状のカタチをもって表れたりするんですね。

 


(補助機能としての思考)
外向的直観+補助機能としての思考。

このタイプは、受け取った外界の可能性を思考によって処理しようとします。ただし、第一にあるのは可能性のほうで、思考はあくまで補助。例えば、説明に使われる。それは経験によるものではなく、彼らなりの思考や論理に基づいている。何故なら、直観による可能性は経験によって導かれるものではないから。

(補助機能としての感情)
外向的直観+補助機能としての感情。

このタイプは、受け取った外界の可能性に感情によって判断を下します。例えば、その奥にある可能性に美しさを認め、尽力するとか。それによって、他のタイプなら思いつきもしないようなものを創始・創設するかもしれません。


傾向:
外界にある可能性を見出すのに長ける。
勘が鋭く、見込みを逃さない。

新しいものが好きで、古いものにあまり関心がない。
今日よりも明日。

先を見すぎるため、足元が危ない傾向。
「今」が疎かになってしまう。

意識を外界の可能性に対して使うので、内界の感覚に対しては無頓着。
自分の身体のケアなどが疎かになりがち。
身近な人を顧みないことも。

その補償作用で体内シグナルを過剰に受け取り、心気症になることもある。


このタイプが窮地に陥るのは、先の可能性に一生懸命になりすぎて、「今」が疎かになった時。いくら先によいものがあったとしても、今を生きられなければ先には行けません。あるいは、先に行けたとしても、大事なものを失ってしまうかもしれません。それが人であれ、健康であれ、ですね。

しかし、逆に、それに配慮できるようになれば、そうなるのを防げるということです。それを可能にするのが、思考や感情という補助機能でしょう。もちろん、「今ここ」というものに関しては感覚が一番有効なんですが、直観タイプが感覚を鍛えるのは、一番最後になります。それまでに思考や感情で判断を下すことを覚えた方がよさそうです。

先へ先へと急いでしまいがちな外向的直観タイプですが、考えることや感情に従うことを覚えると、ふっと立ち止まったり、向きなおすことも可能になってくるのではないでしょうか。そして、それでこそ、可能性をしっかり追えるというものです。

 

 


【内向的直観】

このタイプの人は、外界の可能性よりは、自分の中の可能性を見出そうとします。自分の中の「それがどうなるか」「どう発展していくか」に関心がある。(外的)現実を問題にする限り、それはカタチを持たず無意識ですが、このタイプはそれを受け取ることができる。まだカタチを持たない、内なる可能性を知覚できる。

しかし、それは外界との適応を困難にする面も有します。まず、このタイプの関心は内界に向いています。しかも、可能性であって、今ある現実ではない。したがって、今、外にある、みなで共有するような現実・出来事には無関心です。それよりは内的な可能性に注目し、追おうとするんですね。こうなると、みんなの中にいながら、みんなの見ているものは見ておらず、それよりは自身の中を見ていたりしますから、ズレが生じてしまいます。
しかし、そうはいってもこの社会で生きていかねばならない。そうなると、この事情を知らない人々は、彼らを不可解に思い、時に冷遇したりもするでしょうか。また、当人にしても、このズレに悩んでいたりして、できるだけ適応しようと努力し、みんなのしているような実際的なことをしようと無理を押して頑張り、結果、疲弊してしまうようなケースもあるかもしれません。

このタイプは、自身の心の中に生じたもの・生まれ出たものに関心があります。つまり、観念やイメージを、まるで現実のものであるかのように扱います。したがって内的なイメージが物質と同じ威厳を持つことになります。彼らにとって内界は現実世界と同等かそれ以上であり、まさに住むことができる世界なのです。

外向型の人たちが周囲に合わせられるのに対し、内向的直観タイプは、自身の内的な状況に合わせられます。自身の内界に生じている現実に合わせ、生きようとする。この(内的)現実は周囲と共有できないものだから、他の人は彼らを不可解に思い、時には夢みがちな人だと思ったりします。また当人は、その内的現実を表現する手段を持たないことが多い。こうして、両者の間にはどうしても溝ができてしまう。理解に至らない。

内界の可能性に目を向けることができる彼らは、よいか悪いかは別にして、現実問題を無視することができます。この傾向は予期せぬ傑作を生むかもしれないし、周囲との不調和に拍車をかけるかもしれません。いいとも悪いともいえず、ただ、そういう傾向を持つ。

このタイプが実りを残すには、自身の中にある可能性を具現化する必要があります。その表現手段を持たねばならない。それによって無意識的な内容はカタチを持つことになり、みなの知るところになります。内的なものは表現されることで人目に触れる。人目に触れなければ、評価のされようもない。逆に、人目に触れれば評価のされようもあるし、共有だってできる。理解に近づくかもしれません。

自身の内界に生きるこのタイプの人は、自分の考えを理路整然と分かりやすく説明するのが苦手です。意識の多くは可能性を知覚するために使われるので、説明にまで手が回らない。また、外界に関心がないので、それを説明によって共有しようともあまり思わない。結果、無意識の中にある可能性をただ追いかけるだけで、その可能性が持っている個人的な意味合いを往々に見落としてしまいがちです。

直観とは未来の可能性を受け取る機能。したがって、その能力が突出し過ぎていると、遠い未来の可能性を受け取ることになります。そうなると、当然、今の人には理解されません。それは遠い未来の可能性であって、今具現化されるものではないのです。よって、そのような人は生きている間は理解されることなく、後進の人によってのみ理解されることになるかもしれません。


(その影)
外向的感覚。

内向的直観タイプの意識は内界に向いていて、主に可能性を知覚することに使われます。したがって、外界にあるものを知覚するのが苦手。そこまで手が回りません。こうなると、一度(ひとたび)外向的感覚が働き出すと、慣れていないもんだから程度というものがちぐはぐになる。外界の感覚を受け取る経路が整備されていないので、過剰に受け取ってしまったり、衝動的な受け取り方をしてしまう。うまく(よい程度に)外界にあるものを知覚できない。ひどく強く受け取ってしまったり、殆ど知覚しなかったり。

(内向的直観が勝ちすぎると)このタイプは感覚が殆ど無意識的なので、常に外界の現実と接点を失う危険にさらされています。現実の細部に関して、ぼんやりしていて、空間感覚や時間感覚が乏しいので、よく約束を忘れたり、時間にルーズだったり、知らない土地でよく迷子になったりするかもしれません。現実との貧弱な関係と、内界との深い洞察があいまって、自分を「誤解された天才」と思い込むこともあるようです。
(中には約束や時間にはきっちりしている方もおられると思うのですが、他の現実感覚については難を持つかもしれません。うまく外に目がいかないとか)


(補助機能としての思考)
内向的直観+補助機能としての思考。

このタイプは内界に見出した可能性を、思考によって処理しようとします。しかし、主たる機能は直観であり、思考はあくまで補助なので、思考は直観によって受け取ったものを説明する道具だったりします。
例えば彼らは、無意識的内容を思考で説明することによって、哲学を語ったりします。

 


(補助機能としての感情)
内向的直観+補助機能としての感情。

このタイプは内界に見出した可能性を、感情に従って処理します。自身の中に生じる可能性に美しさを見出し、今までにない先進的な芸術を生んだり、新しい宗教運動に勤しんだりもするでしょうか。


傾向:
内界にある可能性を受け取ることができる。
無意識的な発展の可能性に注目する。

勘は働くが、それで何かしようというよりは、その勘が生んだ内的イメージを楽しむ方に興味がある。
外界の出来事にはあまり関心がない。

人に理解され難く、また自分から説明しようともあまりしない。
人から不可解に思われたり、不思議な人に思われたり。

外界にあるものを知覚するのが苦手。
現実との接点を失う危険性もある。


このタイプが危機に陥るのは、内向的直観が一面的に働き、外的現実の世界との接点が希薄になった時。またそれは、普段使わない外向的感覚がまずく働いた時に強化されるかもしれません。前者では目の前の外的現実をあまり知覚せず、後者では目の前の外的現実を過剰に受け取ってしまったりする。こうなると、社会で生きていくのがしんどくなります。

ただし、ここにヒントが隠されていて、感覚というものにゆっくり火を入れていく。保護された空間で、それに慣れてゆく。また、思考や感情を使って内にあるものを表現することを学び、それによって自分だけのものだったものを外に出し、共有できるようにする。接点を作る。そうすることによって、内的現実のみならず、外的現実においても生きてゆくことを学ぶのです。

もともと豊富な内的イメージを持つ、内向的直観タイプ。それを表現し、外の世界で具現化する方法を持てば、共有だってできるし、相互理解の道も開けるのではないでしょうか。



以上のように、タイプについて書いてきたのですが、「これだ」と思った方もいれば、「よく分からない」とか「どちらともいえる」とか「概ねそうだが、この部分は違う」とか、そういう風に思われた方も多いと思います。人間、思考だけとか感情だけとか、ひとつの機能だけを持つわけではないし、まったく内向だとかまったく外向だとか、そういうこともあまりないと思います。それぞれの態度や機能を併せ持ちながら、ある機能が突出していたり、逆にある機能が眠っていたり、そういうことでしょう。

そんなわけで、100% ○○的○○タイプである、ということもないんでしょうね。

そして、それぞれの傾向というのは、肯定的にも取れるし、否定的にも取れます。その両面を含んでおり、一面的には語れません。

そんなわけで、これらの片方に目をつむることなく、この二面性を認識し、自分にとって、周囲にとって、よりよい方向に変容できれば、豊かな人生を送れるのではないでしょうか?

「それを踏まえて、どうするか?」――それが大事ですかね。今困っているとしても、変容する可能性は残されているわけだし、問題点の近くに、意外といいヒントが隠されているかもしれません。

前にも書いたと思いますが、「悩む」ということは「悩むことができる」「悩むだけの可能性がある」→「今以上によくなる可能性がある」ということだと思いますから、ちゃんと希望はあると思います。たいへんしんどい仕事ですが。

 

 

3・意識と無意識の補償作用

上では二つの態度と四つの機能について解説してきたわけですが、前に述べたように、四つの機能の内、思考と感情、直観と感覚は、対立関係にあります。つまり、思考が優位に立っている人は感情が未分化であり、感情が優位に立っている人は思考が未分化です。この関係は直観と感覚にもいえ、直観が勝っている人は感覚はあまり働かず、感覚が勝っている人は直観はあまり働きません。普段、意識が一方に使われるとき、もう一方は意識されず、あまり使われないことになります。

この際、優位に立っているほう、いつも使われる機能を、「主機能」(main function)、普段あまり使われることのない機能を、「劣等機能」(inferior function)と呼びます。

劣等というとイメージが悪いのですが、普段使われていない機能というのは、使いこまれていない分、未発達で成熟していないんですね。各機能の解説で度々出てきましたが、発現の仕方が幼稚になったり、不器用になったりしてしまいます。ま、普段から使っていないものというのは、そんなもんです。しかも、持って生まれたものとは反対に位置することになりますから、なおさらですね。


さあ、この二つの態度と四つの機能ですが、その使われ方があまりに一面的であるような場合、無意識による補償作用が生じます。平易に言うと、ぶり返しみたいなものが生じるわけです。

補償作用とは、何かが一面的に働いている時など、その反対の要素が活性化することで全体のバランスを回復する作用です。(日本的にいうと、「やじろべえ」や「起き上がり小法師(おきあがりこぼし)」のイメージですかね)
相反する要素の間を揺れるというと、辛かったり、ややこしかったりするイメージがありますが、そういう働きがあるお陰で、我々はバランスが保たれるわけです。一方のみにばかり重きが置かれると、ひっくり返るでしょ。ある程度お年を召した人なら感じると思うのですが、同じことばかりするのは危険なわけです。一方が成熟されるという利点がある反面、もう一方は手つかずであるという難点も生じるんですね。一方は豊かですが、もう一方は足りないことになってしまいます。

無意識の補償作用というのはユング心理学の奥義の一つとも言える概念だと思います。これが人間の安定を助け、後の成長にも一役買うんですね。
ただ、反対の要素が活性化してくるというのはなかなか難儀なもので、上でも散々述べてきたように、その発現の仕方は不器用で、いろんな問題を誘発することが多いです。故にそれは、一見、安定を壊すような発現になりがちなのですが、それによって学べることもまた多く、そのおかげで一面さゆえの破滅も回避できるんですね。痛みはあるんですが、その痛みによって、成長できるという部分も、確かにあることになります。痛みを通してやがて気づかされる、という表現もできるでしょうか。嫌な思いもしながら、「ああ、こういうことも必要なんだな」と、やがて思えるわけです。それによって、足りなかった部分も、補完されてゆくんですね。

「心の均衡」というと、どうしても「今までのように安定した」というイメージになりがちですが、実はその「今まで」が均衡をだんだんと壊している場合もあって、というのは、今まで通り、同じ方向に進むことによってだんだんとバランスを失っている場合も、多々あるわけです。そして、そんな時は、むしろ方向転換するほうが「均衡を回復する」ことになるんですね。

無意識の作用というのは、不慣れであるものが多いし、時に病的でさえあったりしますが、その補償作用により、人間の均衡というのは回復されようとするのです。



下に、内向的思考型の人を図で表してみました。

 


この人は主機能が「思考」であり、「直観」が補助機能として備わっています。
この人の意識的態度は「思考」の傾向を顕著に表し、それを「直観」機能が補助します。この人は多くのものに対し思考によって判断を下すのですが、その材料を直観によって受け取ります。また、態度が内向のため、その材料は内側(内界)から受け取ることになります。

その次、第3の機能として、この人は「感覚」があります。この感覚は、思考や直観に比べて未分化です。まったく使わないわけではないですが、普段あまり使わない。

そして最後に、劣等機能として、「感情」を持ちます。この機能が普段一番使われない。故に、一番未分化です。


ひとつの経路として、人はまず主機能を頼りにし、補助機能の助けを借りて、やがて劣等機能と向き合い、それを発達させることになります。これがユング心理学における「個性化の過程」のひとつのかたちですね。そうやってまんべんなく補い、足りないものは足し、まるで円や球を形成するかのように、人格を発展させてゆくのです。
逆に言えば、最初は主機能のみが突出している、とげとげしい状態であり、故にバランスも悪いんですね。

人は主機能たる武器を持つのですが、その影の部分、未分化な劣等機能ゆえに悩むこともあります。いつも主機能を使うから、その分、劣等機能には疎か。劣等機能は使われないから未分化なままで、うまく働きません。これにより、人間は危機にも陥るのです。
しかし、逆に考えれば、劣等機能を上手に発展させることができれば、危機も乗り越えられるし、人間的にも成長できることになります。今まで気づかなかった「何か」と向き合うことで、打開策も見えてくるかもしれません。「今まで」を頼りにする限り先が見えなかった状態に、「これから」が見えてくることになります。

人間の生き方として、一つの機能のみにこだわり、それに注目し育て、それを頼りに生きてゆくという生き方があります。もちろん、これはこれで間違ってはいません。特に、人生の前半ではそうでしょう。しかし、述べてきたとおり、ひとつのことに意識を使うということは、別のものには意識を使わないということであり、ひとつのことに精一杯になるということは、別のものが疎かになるということです。したがって、当然、足りないものも出てくれば、不都合も出てくる。

更に、ここでいう「こだわる一つの機能」というのが、自分の主機能である場合もあれば、そうでない場合もあるでしょう。そこにある文化や社会背景、あるいは生育暦などにおいて、自分の主機能とは別のタイプを生きることを強いられている場合も、あるかもしれません。そういう時は、足りないものを足すというよりは、本来の自分(本来のタイプ)というものを回復せねばならない。

と、まあ、どちらにしても、今までの人生を考え直し、変容することが望まれることになります。そして、それを教えてくれるのがバランスの悪さであったり、無意識の補償作用であったりするわけですね。



上の図では、主機能たる思考の軸に若干の傾きがあります。これが仮に直角を向いていたなら、思考は俄然優位になりますね。頂点に位置することになる。しかし、その分、直観と感覚が水平を向いてしまいます。直観と感覚は思考する材料を受け取る機能なんですが、思考が優位に立ちすぎて、この機能はあまり働かないことになってしまう。そうすると、思考により判断をいちいち下しながら、それでいてその材料はお粗末なものになってしまいます。これはバランスが悪いですね。
また、劣等機能である感情にしても、上の図以上に働かないことになってしまうでしょうか。一番底辺になる。

あるいは、主機能が直観である人の場合を考えると、直観が頂点に立つとき、思考や感情という判断を司る機能が水平を向いてしまいます。これにより、多くの可能性を次から次へと獲得しながら、それを判断する機能が働かず、せっかく得た可能性を使いこなすことができないということになってしまう。これはさみしいですよね。

このような極端な例を見ても分かるように、主機能というのは、補助機能があってこそ、有効に働くことができるのです。いくら主機能といえども、それのみが突出しているだけでは、不毛なものになりがちです。それを補うものや支えというものは、どうしても必要なんですね。

あるいは、直観型の人であれば、せっかく可能性を得たとしても、思考や感情を補助機能として持たなければ、それを「カタチあるもの」にできません。
(材料は得るんだけれども、そこに留まってしまいがちです)

とはいえ、補助機能はともかく、人は劣等機能に対して価値を低く置きがちです。それは時に、偏見と言ってもいい程度のものになったりします。偏見とまではいかないまでも、その否定的な面ばかりに注目し、貶めようとしていたりするでしょう。

というのも、好きなものがあるということは嫌いなものがあるということ、得意なものがあるということは苦手なものがあるということだからです。相反するものが存在する限り、その一方を好きになればなるほど、もう一方は嫌うことになるでしょ。互いに相反する性質を持つということは、そういうことです。そして、思考と感情、直観と感覚は、それぞれ相反する性質を持っていたりするんですね。だから、片方を好きな人は、だいたいもう片方は苦手です。

例えば、思考を好む人は感情を軽んじたりしますよね。「そんなことまで感情で判断するな」と思ったりします。しかし、感情タイプには感情タイプの言い分もあって、「何でも、小難しく考えるんじゃないわよ」と、思っていたりします。
直観タイプにしたって、感覚タイプのことを「それを味わうばかりで、どう使うかは興味ないんだな」と思っているかもしれません。また、感覚タイプにしても、直観タイプのことを「使うことに熱心で、細かいところを味わったりしないんだからさ」と思っているかもしれません。

また、内向と外向にしても、外向型は内向型に対し、「どうして輪に入らんのかね」とか「オドオドして」とか「もっとハキハキしろよ」とか思ったり言ったりするかもしれないし、内向型にしても外向型を「何でも思ったことを口に出すんじゃないよ」とか「軽すぎる」とか「繊細さが足りない」とか思っているかもしれません。

これらは部分においてはその通りで、それでいて他の部分においてはその限りでないという、いわば、奇妙な矛盾を含んでいます。つまり、言いようによってどうにでもなる、とも取れます。価値観の差というのは、こういう傾向を孕んで(はらんで)ますよね。
しかし、ついでにいうと、この互いの批判は、ある状況によっては、非常に一理あったりするので、単に不毛でないところが、また奇妙な所以です。
それが単なる批判に留まる場合もあり、「気づき」を誘発することもあるという、簡単にはぶった切れない代物です。

それと、こういう事態――というのは、相反するタイプが互いに言いたいことを腹に持つこと――が生じるには訳があって、だいたい「ペア」というものは、相反する性質のものが構成する結果になりがちだからです。

また、この解釈もいろいろあって、「プラスとマイナスは引き合うものだ」という見方もできるし、「割れ鍋に綴じ蓋(われなべにとじぶた)」で収まりがいいとも取れるし、「人間は自分にないものに惹かれるものだ」という考え方もできます。
あるいは、人間の中に「成長因子」のようなものがあって、どんなカタチにせよ、「自分にないものを補う」方向に進むよう、ちょうどいいプログラミングがされているのかもしれません。前に述べたように、多様性というのは破滅を回避するひとつの非常に有効な方法です。人間にはそういう、互いが多様性を持ち、更にそれぞれがバラバラになるのではなく、一所に集まることによって、破滅を回避しようという試みが備わっているのかもしれませんね。
そして更に言えば、やがて来る日には、ひとりの人間の中に多様性を包含できるようになることが、その成長因子の悲願なのかもしれません。

ある見方をすれば、こうしてこの文章を書いている私だって、そして、この文章を読んでくださっているあなただって、それぞれの中にある、成長因子に導かれて、互いに奇特なことをしているのかもしれませんよ(笑

 

少し脱線すると、錬金術的な考えでは、男性と女性が融合し、雌雄同体になることが、完全なる人間に至る道――みたいな考えがあります。ユングはそれを、ひとりの人間の中で生じるものとして解釈したように思いますが、そういうのは外的な要因としても表れ、故に、相反するペアが往々にして生じるのかもしれませんね。

 


と、長々と書いてきましたが、これまで述べてきたように、自分の態度や機能を知ることは、

・自分の長所を伸ばす上でも(主機能を活かす上でも)、
・自分の短所を克服したり、受け容れたりする上でも(劣等機能を知り、それを鍛えたり、そこに価値を見出したりする上でも)、

有効であると思います。意識しない限り、それはおぼろげなのですが、意識することでカタチになることもあるでしょう。まあ、カタチにすることで負担に感じることも多々あるわけですが、それを負うだけの余裕ができた時は、それと向かい合うのもいいでしょう。そこにあるのは負担だけではないはずです。それに負担にしたって、それが程よいものであるなら、それは成長に欠かせない因子だったりしますからね。ま、ある意味、筋肉と同じですね。

 

それと、まだまだ成長過程で未分化な劣等機能を鍛えるのは、できれば、「保護された空間」といったような場所が理想ですね。

それはつまり、多少不器用だったり、多少失敗してもいい場所、それが赦される空間のことです。逆に、不器用だったり、失敗してしまったことを、いちいちなじられたり笑われたら、やる気をなくしますよね。もう劣等機能を鍛えるのは止めよう、ということになりかねません。

そういうわけで、心赦せる仲間たちとか、あるいは家族とか、信頼できる連れ合いがいるとか、そういうものがあって、尚且つ、多少の失敗が赦されるなら、そこでゆっくり鍛えるのが理想です。ただ、現実問題としては、むしろ逆である場合もあるので、だからこそ、カウンセリングルームのような、「保護された空間」に意味が出てくるのかもしれません。

劣等機能というのは未分化なだけに、暴走したり、爆発したりしがちですが、そういうものをゆっくり目覚めさせるのがいいのかもしれません。
それが無意識である限り、それはいつ発現してくるか分からず、まるで自動反応のようなことが生じてしまうのですが、それをある程度意識しながら、だんだんと我が事として受け容れることによって、それは我が身のひとつになってゆくのだと思います。そして、そこには広い意味で成長がある。

「生きる」という意味には、「人生を送る」という意味もあれば、「持っている機能や能力が発揮される」という意味もあります。(後者は「活きる」とも書きます)。

人間の第一段階としては、生まれ持った機能を発揮させるのが、生きるということなんでしょう。そして、人生の後半においては、今まで眠っていた機能を発揮させるのが、生きるということなのかもしれません。

生きるというのは、いろいろと興味深いです。http://starpalatina.sakura.ne.jp/kouza/02.html

 

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946 :吾輩は名無しである :2009/04/23(木) 00:05:49

アタシャ女だが、よくトルストイは女が描けるけど、ドストエフスキーはダメというのがいるが、それこそ、男の見方だよね。

ドストエフスキーのあのヒステリックで自虐的かつサディステックな女性群こそ、本物の女だぞ。もちろん誇張があるけど。

もてない男が描く理想像がトルストイの女たち。『戦争と平和』のナターシャにも、アンナ・カレーニナにもさっぱり感情移入できん。 私がトルストイですきなのは、いかに自分がブオトコで持てなかったかを綿綿と綴った『幼年時代』等の自伝的作品と、女は登場しない『イワン・イリッチの死』だけ。

小谷野敦はほんと、もてない男だな。 今度出した新書も、女がわからない男の見方という意味で面白いといえば面白い。

http://logsoku.com/thread/love6.2ch.net/book/1232204701/

 

 

 

社内恋愛は仕事のパフォーマンス低下? 

「恋をしている男性は正気ではない」心理学者が発表

 

女の子を確実に落とすタイミングは分かっていても、それ以前に男子諸君は注意すべき重要な点があるようです!海外発の最新研究結果によると、魅力的な女性と話している男子の脳は正気な状態で機能していないらしいのです。反対に女子の脳は「正気である」という結果が出たそうで、世の男性陣は憤慨しています。

>記事の詳細はこちら:Men lose their minds speaking to pretty women

この研究内容を発表したのはTelegraph.co.ukで、記事の内容によるとオランダにあるラドバウド大学の心理学者たちによる研究で、その学者の一人が実際に体験したことがきっかけになったのだとか。とある日、その男性は初対面の綺麗な女性に一目惚れし、「どこに住んでいるの?」と聞かれた時、自分の住所が思い出せなかったそうなのです!

この学者は女性に良い印象与えることで頭が一杯一杯になり、「認知資源を全て使い果たしてしまう」状況に陥ってしまったと自己分析。この症状は一般的にも言えるものかを調べるために、40名の学生を対象に研究を行ったところ、やはり男性は綺麗な女性と話していると脳内にある「認知資源」を最大限に使ってしまい頭の中が真っ白な状態になってしまうとのこと。魅力的と感じる女性と数分でも一緒にいるとその人をオトそうと一生懸命になりすぎて、咄嗟に単純なタスクを求められても実行できなくなってしまったそうなのです。

この結果を受け、研究者たちは社内恋愛している男性の仕事のパフォーマンスや共学校での男子生徒の成績などにも恋愛が影響しかねない、と言っています。

では女性はどうなのか?これが全く逆の結果になっていて、研究対象となった女子学生はイケメンを前にしてもその他タスクを難なくこなし、脳への影響はほとんどなかったそうなのです。性別よる差は、男性が「交配する機会を求める」本能にあるかもしれないとのこと。

研究者たちは、「魅力的な女性と接触した男性の認知機能は一時的に低下することが考えられる」としています。また、心理学者のジョージ・フィールドマン博士によると、この研究結果は「男性はどのようにして遺伝子を伝達していけばよいかを考えている…そのことを反映している」と言っています。

http://blog.livedoor.jp/jyoushiki43/archives/51209818.html

 


寄生婚に人生を賭ける女のメイクの技術は日進月歩で凄まじいものがあります。
オンナはみな、すっぴんの状態の素顔を見るまでは、女の本当の正体はわからないのです。

男達よ、メイクなどは女の顔面偽装の集大成である。男達よ、外見だけでコロっと騙されるなよ。


化粧詐欺被実例

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/af/a1e0ae45c3e36743a567b3b85b1c3c88.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/ea/2456c92d886f1c70474e4e75e5b83c9c.jpg
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 男をものにするには、精液を全部飲んでやることが一番です。

精液を飲んで喜ばない男は、今までにまったくいませんでしたね。チンポを舐めてやってる時に出た精液とか、膣外射精で私の腹の上や顔にかけた精液とか、マンコの中に出した精液とかまで、手ですくったりなんかして全部飲んでやるんです。

そうすると必ず、「飲まなくてもいいのに」「吐いてもいいのに」って男は言ってくるんですけど、そこで「あなたのを飲みたいの」って必ず飲み干します。男は「ありがとう」って、だいたい感動しますね。

そうやって私に引き付けさせて、同情心とかそういう気持ちにさせることができるんです。だから、付き合いが長くなるともう飲む必要もなくなるんで、あんまり飲んでやらないです。セックスを初めてやった時とか、やりだして間もない頃に飲むのが一番なんです。とにかく男は喜びますよ。精液は喉に直通で飲んでやるって感じです(笑)。

 永田なんかは、初めてセックスをした時に精液を全部飲んでやったら、メチャクチャ感動してましたよ。男を自分のものにするのに、私も色んなことをやってきましたけど、やっぱり精液を飲むのが一番でしたね(笑)。

http://bipblog.com/archives/887194.html
http://www.raifusutairu.com/pink/1149856061/1149856061_01.html

 

 

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 23:03:32 ID:54b8yn+4

あのなー、お前らすぐに中で出したがるけどな、婦人科で毎日毎日クセェ子宮をのぞかんならん俺の身にもなってくれよ。

まず膣壁だけどな、使い込んでるかどうか見りゃすぐわかんだよ。色合いじゃねぇ、全体的に空力がいい感じに滑らかになってんだよ。しかも表面をクリアコーティングしたようなテカリ。

んで子宮腔、これがひどい。経産婦でもねーのに歪に口開けてんの。しかもそこから腐敗臭を帯びた薄黄色の粘液が出てんの。大概ここで看護士は顔をゆがめます。

んで器具突っ込んで子宮の中をのぞくんだが、もはやそこは黄泉の国。脱衣婆あたりが石を積めと急かして来るかのような光景。

中で出された経験が殆ど無い子は子宮内が軽く充血したピンクなの。でも、ガンガン中出しキメられてると、内壁にゆるいゼリー状の黄色いぷるぷるした悪魔がこびりついてんの。これがもう本当に黄泉の国としか表現できない悪烈な臭気を漂わしていて、どんな可愛いねーちゃんでも嫌悪感しか沸かない。

で、だいたいそういうねーちゃんは着床不全とかで来院するんだが、旦那の精子もそんな過去の男汁にまみれたところで頑張れねーっつーの。まぁその黄色い悪魔を洗浄するんだが、患者に見せてやりたいんだけどな、本当のところは。

「あんたの狂ったモラルのせいで、俺はこんな臭い汁をお掃除させられてるんですよ?」とね。

知らしたら二度と来院しねーだろうから言わねーけどな。

一回に付きごく微量(3~10%くらい?)だが中で出された汁は子宮内洗浄するまで内壁に残る。それが子宮関係の病気や不妊に繋がる。つーか殆どがこれ。
子宮外筋腫の原因なんて腐った精子が原因で炎症を起こしてるとしか思えない。

長い年月中出しされても耐えられるように出来てねーんだよ、子宮は。
だから大事にしやがれ、腐れまんこでもさ。

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女性の3人に1人が「水虫」
http://logsoku.com/thread/tsushima.2ch.net/news/1246181288/



第一三共ヘルスケアが平成17年に約1万人の女性を対象に調査、3人に1人に感染経験がある事がわかった

女性の5人に1人が「膣カンジタ経験者」ゴールデンタイムにCMを流すほど深刻な状況である 
http://flady.jp/candida/candida03.htm


実に女性の5人に1人が「膣カンジタ」に悩ませれており、産婦人科の外来患者は30%が「膣カンジタ」の治療に訪れています

若い女に性器ヘルペスが増えている 女の6人に1人はヘルペス経験者です
10代から30代の若い女の人を中心に増えている性感染症(STD)の一種、性器ヘルペスは女の割合が圧倒的に多い

1度発症した女の場合には、月経が来る度に性器ヘルペスが再度発症に追い込まれる者がいる

  圧倒的に女に保菌者が多いこの病気

2001年の定点観測データでは若い女性の患者は、15~19歳で全体の11%、20~24歳では19%と大きな割合を占めています
クラミジアは最も多い性感染症、最近の報告でも18歳から19歳の女性の10人に1人がクラミジアに感染している

女の5人に1人の割合で急増しつつある(参考資料 → 産婦人科クラミジア感染症 http://www.kakogawa.or.jp/kakomed/memo52.html )

 

  女高生「クラミジア」激増…卒業時は入学時の6倍に激増 厚生労働省研究班(班長=熊本悦明・札幌医大名誉教授)の調査でわかった


加齢臭の酷いのは実は女達だったのだ。加齢臭の酷い女が増えている (男は50代でピークで右肩下がりだが「女は30代から常に右肩上がり」なのだ)

http://desktop2ch.net/single/1287665028/

 

 

 

【男は結婚してはいけない】婚活警報前編

 

1 女は金が欲しいだけ
 結婚は金とセックスの交換である。結婚に踏み切る動機として、これは動かない。
 実際不景気には女は婚活をしたがるし、風俗が発達すると婚姻率は下がる。
 女は他人への愛の感情がない。女が愛するのは高価なものと、自己の分身としての子供だけ。
 結婚後は男が一方的に金だけ取られる。子供の父親も判然としない。風俗で充分。

 

2 女は30過ぎると極度に無能化する
 生物学的現象なのだろう。だから慌てて婚活に走る。
 スーパーで採用された主婦のうちまともにレジ打ちができるのは一割にも満たないという。
 つまり、家事も期待できない。

 

3 女は見栄と嘘と欲でできている
 会話は常に腹の探り合い、見栄の張り合いであり、些細なことですぐにケンカを始める。
 もちろん少しでも都合の悪いことは必ず嘘をつく。売れ残りはそれだけ隠し事や嘘も多い。
 女は事実関係を正確に伝えることができず、必ず尾ひれを付けたり好悪の感情を持ち込む。

 

4 結婚制度は男に極端に不利にできている
 仕事に加え家事分担を要求される。夫が失業すると即離婚に至るのが普通。
 さらに年金分割により、夫の介護から逃げるのが容易になった。

 

5 女は仲間とつるんで人を陥れる
 陰湿で攻撃的であり、理由がなくても攻撃対象を作り出すので人間として信用できない。
 夫の悪口を言うことが主婦の挨拶であり、これをしないと他の主婦からバッシングをされる。
 子供を味方につけるため、夫への敵意を必ず植え付ける。


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彼氏がダイハツの軽自動車乗ってるので別れたいです・・・

manami1255さん


彼氏がダイハツの軽自動車乗ってるので別れたいです・・・

軽だと信号待ちで並ばれた時なんか恥ずかしいwww
下向いちゃうしwww

男にはせめて普通車乗って欲しい・・・
駅とかで迎えにこられたら・・・・もう最悪www

せめて普通にエスティマやハリヤーぐらいは乗って欲しい。
常識的に考えて欲しいだけなんです!

軽で迎えにこられた時の恥ずかしさとか分かる?

あのね?たとえば週末10~20人ぐらいでバーベキューとか行くでしょ?
それぞれ彼氏の車とかで来るわけじゃない?

みんな普通にランクルやマジェやセルシオやエルグラで来るわけでしょ?

軽でノコノコついてったら大恥かくでしょうがwww


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年収200万円の男性と結婚できますか?

 

女に向かって「年収200万円の男性と結婚できますか?」と質問すると、みるみる顔が曇るだろ?

普段さんざん偉そうに「結婚は愛情だ、運命だ」と叫んでおきながら、
結局は「打算」で決めている。

同じ質問を男性にしてみた場合どうだろうか。

「年収100万円の女性と結婚できますか?」
と質問しても平然とした顔で

「そもそも年収なんて気にしないですよ」と答える。
これが現代の日本における男女の結婚観の最大の差だよ。

 


★若い男性、年収少ないと結婚率低い 独立行政法人調べ★

若い男性の結婚率が、雇用の形態や収入の違いと強い結びつきがあることが、 独立行政法人労働政策研究・研修機構」の調査でわかった。


30~34歳 結婚率

100~149万円  29.6%
150~199万円  34.0%
200~249万円  40.8%
250~299万円  42.3%
300~399万円  52.9%
400~499万円  62.5%
500~599万円  71.0%
600~699万円  78.9%
700~799万円  76.6%
800~899万円  74.3%
900~999万円  65.1%
1000~1499万円   71.1%
1500 以上 万円    90.0%

http://blog.livedoor.jp/wkwknews/archives/6404784.html

 

 

301 :山師さん:2009/03/29(日) 19:00:54 ID:geh0A+Hj

結婚相談所ってさ、1割の男にほぼ全ての女が殺到するね

残りの9割は、デートに進むこともできずに書類選考で落とされるか、メールで断られるだけ

無視されることもあるから覚悟しておかないと、俺みたいに心が折れるよw

その後に知ったけどさ、結婚相談所にも“さくら”がいるってね
さくらを使わないと、9割の男はデートすらできない
退会させないためには、さくらを使って引き留める
早めに退会して正解だったわ。
それでも十万円以上は捨てたけど、損して学んだな


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35歳過ぎると結婚はほぼ不可能
 
できたのは「男性で3% 女性で2%」2011/12/30 17:00

 

「35歳過ぎて結婚できた男性はわずか3%」。

2010年の国勢調査でこんな衝撃的な結果が出た。ネット上では「身を持って感じている俺…」「昔ほど結婚生活にメリットがなくなっているんだから当然」など、さまざまな意見が飛び交っているが、なぜこうも「結婚できない(しない)大人」が増えてしまったのか。

 

■「みんな自分の相場が分かっていない」

2010年の国勢調査によると、2005年に35~39歳だった男性の未婚率は30.9%、5年後、40~44歳になったときの未婚率は27.9%で、未婚男性の9.7%しか結婚に至らなかった。5年間で「3%」でしかないということになる。

女性も同様で、05年に35~39歳だった人の5年後の結婚率は、未婚女性の10.8%、2%しかゴールインできなかった計算だ。40歳を超えると、状況はますます悪化する。男性は全体の0.4%、女性は0.5%で、45歳以上では、男女とも全体の0.1%しか配偶者を見つけられなかった。晩婚化というより、35歳を過ぎてからの結婚は、男女ともに不可能に近いことが分かる。

結婚コンサルタントの大橋清朗氏は、結婚氷河期に至った理由について「昔に比べて独りでいることに世間も寛容になったなど、時代の影響も大きい」としたうえで、最近の35歳以上の未婚男女には大きな特徴があると話す。

「35歳を過ぎて結婚していない方の多くは、20代に恋愛よりも趣味や仕事に没頭した方です。

いままで交際した経験が少ない分、自分が見えていない方が非常に多い。

男性なら、若くてかわいい女性を、女性なら、年収が高くてイケメンなど、自分よりスペックの高い方を求める傾向にあります。結局は『自分の相場が分かっていない』のです」

http://alfalfalfa.com/archives/5030362.html

 


婚活ババア

1970年 会社創立
1988年 恋愛市場に上場 初値600万円、最高値は800万円を記録。
1994年 突如暴落、株価は400万台に。以降も買いはなかなか入らず、出来高も細る。
1996年 株価は300万円前半に。婚活ババア、恋愛市場から婚活市場への指定替え。
1998年 ついに300万円の大台を切る。
2000年 株価200万円前半。値つかずの日が増える。
2004年 婚活市場、婚活ババアを監理銘柄に。出来高時価総額上場廃止基準に。
2005年 婚活ババアを整理銘柄に指定。
2006年 上場廃止
2008年 婚活ババア、民事再生法を申請。
2010年 倒産。

 

ですね。 600万とか800万とかついてた頃に利食いしてればよかったのに、1000万まで行くと思ってずるずると……

 

 

結婚相手の年齢|男性が女性に希望する年齢は?


男性の場合、中には若ければ比較的外見等はあまり気にしないと考える方もいますが、女性は男性とは違い、年上の男性に求める条件はハイレベルになります。

年齢差があればある程、男性に求めるものや期待するものが大きくなり「年上男性は、大人。尊敬できるもの。こうあるべき。こうして欲しい。こうでなければ。」など、当然ながら女性からの厳しいチェックに合います。

それを知っていても、どうしても年下女性と結婚をしたい場合、数年前までは日本の女性では無く、国際結婚という手段も一つにありました。

 

20歳年下の女性と結婚できる?

19歳・20歳の中国人女性が、40歳~45歳位迄の男性で年収も300万~400万程度でも結婚相手として可能だったのです。 それが、日本人男性の夢を叶えられる唯一の望みでしたが、最近では中国人女性の価値観も変化し、日本人女性と同様の希望条件となってきています。 「年収が低くても、20歳年下の女性と結婚できる」という、男性の夢も叶えることが難しくなりました。

ご自分の希望だけでなく、逆に女性が希望する男性の年齢を、お考えになったことはありますか?
男性は、この真実を知り、かなりの衝撃をうけるでしょう。

相当ご自分に自信がなければ、年下女性には間違っても声をかけられない現実を知らされます。これが男性が結婚できない一番の原因であることに気づいて下さい。


女性に対する間違った認識

女性は誰しも「年上男性に憧れている」何て思っていませんか?
年上好きな女性に対し、年上というだけで対象者の気分になっていませんか?
高学歴・高収入だから10歳以上の年下女性と結婚できると思っていませんか?
年齢より若く見られるから、年下女性と結婚できると思っていませんか?
子供が欲しいから、30代までの女性を希望と平気で言っていませんか?

テレビで見かける、芸能人・有名人・著名人の誰それが、10歳年下・20歳年下の女性と結婚したから、自分にも可能性があるなんて、本気で思っている男性がいるのも現実です。。。

あなたはどうですか?

 



男性が知るべき現実


30代前半の女性が、40代の男性を選ばない。

20代30代の女性、若ければ若いほど自分と年齢の近いお相手を希望している。

40歳前後の女性が、45歳以上を「おじさん」と見ている。

現在、最も多く婚活しているのがアラフォー世代の女性ですが、この世代の女性が同年齢もしくは年下の男性を希望している。


こうした現実を無視した婚活では、結婚相手を見つけることが難しいのです。

ただし、例外もあります。以下全てに該当している男性は、年の差を越えた結婚を可能にできるかもしれません

経済力
地位・名誉
行動力
包容力
ルックス
紳士的



女性が考える婚活対象相手の年齢
女性は年下男がお好き?

女性が男性に対して希望する年齢層は、男性が女性に希望する年齢層と大差ないのが、婚活市場での現実です。 現実志向の女性は、万が一年上で素敵な独身男性がいたとしても「何か問題があるのでは?どこか欠陥があるのでは?」と勘ぐってしまいます。

そこで、妄想力に長けている女性は考えます。年上で、素敵な結婚力のある男性は既婚者。とすれば、まだまだ結婚力・魅力ある結婚相手を探すとなると、向かう先は…と年齢を重ねれば重ねるほど、年下男性にシフトしていきます。

http://www.konkatsu-guide.jp/age.html

 


23 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/12/08(木) 22:40:26.65

社会が豊かになれば、女が腐敗堕落して、高額売春婦化し、低収入の男は結婚できない状態になる。 人口減少は、豊かな社会の副作用であり、贅沢病のようなものである。

日本が豊かになればなるほど、女性が優遇されればされるほど、人口減少はひどくなる一方だろう。あるレベル以上に経済発展した国は、すべて、人口減少が起きているから、人口減少は先進国のひとつのゴールのようなものであるとも言える。 豊かであるかぎり、人口は減り続けるわけであるから、日本が貧しくなるのを待つしかない。 豊かさのままで、人口減少を食い止めることができれば、一番いいのであるが、それは、大変難しいだろう。

女は、話してわかる相手ではない。いくら情理をつくして話しても、自分に損になることは受け付けない。 女は自分の置かれている環境が変わらなければ、ものごとを理解できない。

貧困に追い詰められて、はじめて女は、まじめに人の話を聞くようになる。

そういう生き物だから仕方ない。

 

 

231 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/04/04(土) 05:28:18

俺26歳既婚者だけど、昔、結婚していない30代、40代女ばかりの職場に居た事有るよ。

そんな中、男は俺一人、他は未婚の高齢独女のみ。 あの環境はヤバかった、、

皆、共通している事が、『顔に性格の悪さが滲み出てる』『良い歳して旅行ばかり行ったり、オールしたりする』『韓流スター好き』飲み会の時も、『子供はこうやって仕付けるべき』とか『夫婦の長続きする秘訣』とか結婚してないくせに説教して来た。

それ位ならマシだが、何故か、仕事を教えてくれなかったり、『あんたの嫁さん高卒?』とか、『あんたの嫁さんフリーターでしょ?』とか言われた。そりゃあんた達、結婚出来ないわ。

その会社辞めて、転職したよ。今は、バリバリ働いてる。

だって、その職場は30人以上、30、40代の女が居る中で見事なまでに全員が独女、、

全員が同じ感じの性格、、結婚もしていないのに、何故か偉そうに意見して来る。しまいにゃ、パワハラ、、自分の感情を仕事に持ち込むなよと言いたい、、
あんな所で、俺もよく八ヶ月も頑張れたわ。

辞める時に社長に、『本当にゴメン』って言われた。何故に謝るのよ?って思った。

絶対に、いい歳して結婚できない女には何らかの欠陥が有るよ。絶対に有るね!本当にそういう女は、性格がねじ曲がっているよ!

実はその職場、仕事の出来る既婚のおばさんも一人いたが、職場の環境の酷さに愛想尽かして、辞めた。

とにかく、いい年して結婚出来ない女性は、自分の性格を見直した方が良いと思う。

そういえば、俺へのパワハラが始まったのも、おばさん共から、俺の嫁が『高卒なの?』とか、『フリーター?』とか聞かれた時に、『俺と同い年で、短大卒の歯科衛生士で、資格持ちの専門職です。今はパートですが、かなり稼いでくれますよ』って言ってからだったね、、

嘘でも良いから、『中卒で、コンビニで働いてます』って言っておけばよかったかなと思います。

今俺は、ネットワークの資格を取って、男だらけの職場でバリバリ働いていますが、二度と高齢独女とは関わりたくないですね。

本当に地獄でしたよ。

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女性は秘密を守れない!我慢の限界は2日間、それを過ぎると話したくなる―英国調査
9月19日21時38分配信 Record China


18日、英国の研究機関が行った調査によると、女性が「人にしゃべってはいけない秘密」を黙っていられるのは最長で47時間15分。これを過ぎると誰かに話してしまうという。資料写真。

2009年9月18日、英国のある研究機関が18歳から65歳までの女性3000人を対象に行った調査の結果、女性が「他人にしゃべってはいけない秘密」を黙っていられる時間は約48時間であることがわかった。広州日報が伝えた。

調査対象の女性3000人のうち最も長く秘密を守った女性の記録は47時間15分。「女性に教えた秘密は約2日で世間に流布する」ということになる。回答者の約40%が「守らなければならない秘密だとわかっていても、誰かに話したいという衝動を抑えることができない」と認めており、回答者の過半数が「お酒を飲むとペラペラしゃべってしまう」と認めている。

【その他の写真】

対象者の女性は1週間のうち平均3つの話を他人に伝えている。その理由として「秘密を教えたいという欲求から」が30%、「他人に話すことでスッキリしたかったから」が約半数。話を伝えた女性の3分の2が「その後罪悪感を覚えた」としている。興味深いことに回答者の75%が「自分は秘密を守れる」と答え、83%が「自分は信頼に値する」と断言。また、「友人の秘密は無関係の第三者にならしゃべってもいい」と考えている女性が40%を超えていることも明らかになった。幸いなことに、回答者の27%が「秘密を聞いた翌日にはその内容をすっかり忘れている」と答えている。(翻訳・編集/本郷)

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妻から夫への暴力「逆DV」 実際の被害者はかなり多い?


妻から夫への暴力を指す「逆DV」が、クローズアップされてきている。全国での相談例は、せいぜいDV全体の1%に過ぎないが、相談しにくいことからなかなか表面化しないらしい。本当はかなり多いのか。

「凶器を突きつける」「首をしめる」

ネット上で検索すると、夫婦間の「逆DV」で悩むケースがいくつか見受けられる。

Q&Aサイト「お悩み掲示板」では、カッとして夫を叩く妊娠7か月の妻の悩みが綴られていた。この妻は、ケンカになると物を投げるほど凄まじいといい、夫がアザ、傷だらけになるというのだ。ところがだ。

「泣きたいのは旦那のほうなのに‥全く私をせめないんです」

暴力の翌日、傷だらけの夫を見て涙が止まらなくなるが、それでも自分を抑えられない。この妻は、元彼や親から暴力を受けたことがあり、友人から、そういう経験がある人は自分も暴力を振るいがちと警告されていたという。妊娠なのでイライラするのかと思いはするものの、病気なのかとも悩み、「旦那のことは本当に好きなんです。自分がわかりません(/_;)」。

こうした逆DVは、徐々にではあるが、増加傾向にある。

内閣府のまとめによると、2002年度に全国で146件、0.4%の相談だったのが、07年度には、442件、0.7%へとアップしている。内閣府独自の調査では、1、2度のケースも含めDVの被害を受けたと答えた男性は、男性全体で05年の17.4%から、08年には17.8%になった。

東京都では、さらに突っ込んで、逆DVの具体的ケースまで初めて調べた。都男女平等参画室によると、08年7~9月に各相談窓口に寄せられた男性からのDV相談は、自らの暴力のケースが6割だったのに対し、妻からの暴力のケースが4割も占めた。そのうち、身体的暴力が7割余あり、「殴る」が最も多く、「凶器を突きつける」「首をしめる」と事件になりかねない回答もあった。精神的暴力は9割余であり、最多が「怒鳴る」「脅す」で、「携帯電話のチェック」「外出制限」などとの回答も挙げられている。
DV全体の1%、実際はもっと多い?


逆DVのケースは、ほとんどの調査でせいぜいDV全体の1%に過ぎない。それ以外は、夫から妻への暴力だ。しかし、内閣府の08年の調査によると、「どこ(だれ)にも相談しなかった」は、女性が53.0%なのに対し、男性は77.2%もおり、実際の被害者の割合は、もっと多いようだ。

交際相手から暴力を受ける「デートDV」の場合は、横浜市や神戸市が高校生や大学生に行ったアンケートで、男性の3割もが女性から暴力を振るわれたと答えている。これは、J-CASTニュースで2008年5月7日に報じた。

なぜ、逆DVのケースが起こるのだろうか。

離婚カウンセラーの岡野あつこさんは、逆DVについて書いた情報サイト「オールアバウト」の記事で、相談は少なからずあるとしたうえで、そこで見られる2つのパターンを指摘する。

1つは、「妻自身にアルコール依存などの何らかの問題がある場合」だ。結婚などの環境変化でストレスがたまり、飲みすぎて自制できなくなり、暴力に走る。

その一例が、産経新聞が09年3月29日付記事で報じた刺殺事件だろう。自宅で夫(45)を包丁で刺して殺したとされた元ホステスの女(38)は、大阪地裁で25日にあった公判で、酒を飲んだらわけが分からなくなって犯行に及んだと証言した。犯行時は、夫の仕事が長続きしないことなどをとがめていた。この女は、同棲していたときも、寝室で寝ないことに腹を立てて夫を刺しており、服役後に暴力が激しくなって、夫の耳が変形したほどだったという。

岡野さんは、2つ目のパターンとして、「カップルの相性」を挙げる。

それは、おとなしく尻に敷かれる羊か下僕のような夫と、オオカミのように攻撃的で女王様のような妻のケースだ。今で言う「草食男子」と「肉食女子」に多少似たケースかもしれない。妻がご機嫌ななめなのに、口数の少ない夫が黙っていると、それが気に入らなくてさらにキレるというのだ。

最初に挙げた妊娠7か月の妻のケースは、もしかしたら、このカップルの相性だったのかもしれない。


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都、男性被害のDV相談 「妻から暴力」4割 2009年4月5日7時56分配信 産経新聞


 配偶者からの暴力「ドメスティック・バイオレンス」(DV)について、東京都が男性からの相談内容を分析したところ、4割が女性から「暴力を受けた」と回答していることが4日、分かった。「甲斐性なし」などの暴言を含む精神的暴力が9割以上、「殴る」などの身体的暴力が7割以上もあった。

 都が、昨年7~9月の3カ月間に相談窓口「配偶者暴力相談支援センター」、各保健所に寄せられた男性からの電話相談内容を分析した。

 相談件数は56件で、このうち22件(39・3%)が女性から「暴力を受けた」と回答。内訳をみると(複数回答)、身体的暴力は16件で、「殴る」が7件で最も多かった。次いで「ける」(5件)、「ものを投げつける」(5件)と続いた。ほかにも「凶器を突きつける」「首をしめる」などの回答もあった。

 精神的暴力は21件で、「怒鳴る」(12件)、「脅す」(12件)が多いほか、「外出制限」(3件)、「携帯電話のチェック」(2件)、「甲斐性なしと言う」(2件)などがあった。このほか「小遣いを渡さない」といった回答もみられた。

 東京都の出先機関東京ウィメンズプラザ」などによると、被害男性の相談内容の中には「『もっと働け、クズ』などと言葉による暴力を受けた」のほか、「殴られて肋骨(ろっこつ)を折った」「熱湯をかけられた」などの身体的暴力を訴えるケースも確認されているという。

http://asyura2.com/09/nihon29/msg/197.html

 

 

スッキリ!! 背筋も凍る夫への「静かな憎悪」 妻の復讐が始まる

まず、街を行く主婦などがインタビューに答えた夫イジメの方法の数々。料理でいえば「突き出し」といったところだが、ハナから陰湿な夫いじめの実態に仰天……

「糖尿病の夫のお茶に砂糖を毎日落とすとか、ドックフードを食べさせるとか、よく聞きますよ」

「毎日お弁当を作るときに、分らないように生ゴミを混ぜておきますよ。それでも足りないので、お弁当の全部の具にツバを吐いています」

「自分と子供の食器は一緒に洗うが、夫のものを洗う時はゴム手袋をはめ、スポンジも灰皿を洗うときに使うもので……」

憎しみ100%の実態が伝わってくる。が、極め付きは『衝撃告白 現役鬼嫁 私はこうして鬼になった』。

以下は、2歳年上のサラリーマンと結婚し、今年で20年目の主婦(52)が語った赤裸々な夫イジメ。

相思相愛で結婚したのだが、夫は大の酒好きで、毎日が午前さま。

給料やボーナスは飲み屋のツケに回り、生活費の半部ぐらいしか入れてくれない。

しかも家族と何かしようという感情が少なく、自分さえよければというタイプで、今は「心から嫌うようになった」というイジメの中身は……

夫には手づくりの料理をやめ、徐々に食欲を減退させるために、すべて出来合いの惣菜を与えているとか。案の定、夫は自分で好きな総菜を買ってきて食べるようになったという。

「倒れてしまえば、それはもうバンザーイ。自然消滅してもらえればどんなにいいか」

夫の洗濯物は、忌まわしいので手では触れず割り箸。洗濯したあとは暫く放置し、臭くしてから干す。さらに驚きは夫の歯ブラシ。排水口の掃除をしてちょっと水洗いして置くのだという。

最後に「揚げ物の油が熱くなってくると、夫にかけてしまいたいという怖い衝動にかられることがある」という。

テリーに「ずっとうなずいていましたね~」と指摘された江田けんじ衆院議員は「専業主婦は子育てとかでストレスがたまっているんですよ。一言『お疲れサン!』といえばこんなことないんですよ」。

生活アドバイザーの池内ひろ美さんは「彼女たちの夫への憎しみを消すのは難しい。夫が私を大事にしていないんだから私がいじめるのは当り前と、どんどん広がっていく。夫は妻を褒めることです。感謝することです」

感謝の一言、褒め言葉が必要なのは、夫婦お互いさま。一方通行ということはないのでは。

http://www.j-cast.com/tv/2008/06/25022390.html

 

 


ライオンが先週発表した調査はショッキングだった。全国の既婚女性約1000人にアンケート調査した結果、


円満家庭の妻が夫の洗濯物を分けて洗う率は「いつも」と「たまに」を合わせて17.5%。これに対して夫婦関係が悪化している女性では、この数字が46.5%に上る。夫を嫌うあまり、洗濯物も一緒にしたくないというわけだ。

「洗い分けなんてまだ優しいほう。女性は夫がイヤになったらとことん毛嫌いし、“同じ部屋の空気を吸うのもイヤ”となる。
そのあげく陰湿な夫いじめを始めるのです」

 こう語るのは男女問題に詳しい作家の亀山早苗氏。亀山氏に“鬼嫁”の実態を教えてもらった。

●40歳の主婦は夫の下着をぞうきんと一緒に洗濯。「夫は汚い」という気持ちから、わざと大量の粉末洗剤を入れて洗う。洗剤の過多で夫が「体がかゆい」と苦しんでいるのを見て喜んでいる。

●ある主婦は食後に自分と子供の食器は一緒のボウルで洗い、夫の食器はそのまま水洗い。それも別々のスポンジを使い分けている。

●30代後半の主婦。夫の唾液(だえき)がついた茶碗(ちゃわん)や箸は不潔だと思い、ビニールの手袋をはめて洗う。夫の弁当箱をぞうきんで拭き、盛り付けしたあと、ご飯にツバを吐く。

「ご飯を夫だと思い、汚いものだからこそツバを吐きかけているのです」(亀山氏)

●40代半ばの主婦は夫の弁当の中に台所の生ゴミを混ぜる。昼食時に「いまごろ生ゴミを食べてるんだろうな」と思ってニヤニヤ笑っている。


 いやはや、事実はホラー映画よりも恐ろしい。
「女の恨みの芽は30代後半に生まれ、40代半ばから実行に移すケースが多い。40代になって子育てが一段落し、“この男と結婚してよかったのか?”と後悔、いつしか憎悪を燃やすのです」(亀山氏)


 妻との関係が冷えている人は台所に“立ち入り検査”したほうがよさそう。

【2008年6月17日掲載】
http://logsoku.com/thread/news24.2ch.net/dqnplus/1214045865/

 


484 :山師さん:2009/04/19(日) 04:23:42 ID:PKjWOwh2

寝てるとこを濡れタオルで窒息死させて保険金をせしめるのは割りとポピュラー

保険会社に勤める知人の話では、その疑いのあるものが結構な数になるのだが臭わせるだけで訴えられるそうだ

 

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4投稿者:龍健  投稿日:2008年07月07日(月) 20時55分18秒

そんなに亭主が嫌いなら別れればいいんだが、生活力がないからそれはできない。

うっとうしいけど毎月金は入れてほしい、子供の面倒は見てほしいけど、夫の夜の相手はしたくない、

最初は好きで一緒になったんだろうが、夫の傲慢さや酒グセの悪さ、その他いろんなイヤな部分が見え始め、夫を毛嫌いする、もちろんSEXも拒否し始めてSEXレス夫婦の出来上がりだ。

お互い自立する自信がないから子供の為に離婚せずに仮面夫婦を続ける。

一般的にはこんなところかな、

俺に言わせてみると、専業主婦が子育てでストレスが溜まる、まぁわからんでもない

しかし、それを夫にやつあたりしたり、子供にあたるようでは主婦失格
だ、

自分に能力がないのを人のせいにして、口だけやかましくさえずりちらし、自ら行動や努力をしようとしないやっかいな女もこのごろ増えてきた。

そんな女にお疲れ様だと?

バカも休み休み言え!

夫をなめるんじゃない。

外で仕事をすることがどれだけ大変か、専業主婦にはわからないだろう。

もちろん子育ても子供が小さいうちは外の仕事よりも大変だろう、

しかしいずれ子供も大きくなり手がかからなくなるだろう。

男の仕事は何年たっても気の休まる時なんかない、常に成果との戦い
である。

夫婦はお互い様って言うなら、まず生活の糧を毎月持って帰る夫にありがとうだろう、

バカな女は一生独身でいればいいんだ。

世の女どもにこれだけは言っといてやろう、亭主を人前で立てること
のできない女に結婚する資格はない!

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☆【悲劇】59%の夫が結婚を後悔している 2012.01.10


どこから巻き戻せばいいのかわからない

30代の100人の既婚男性に「『この嫁と結婚するんじゃなかった』と思ったことがあるか?」というアンケートを実施したところ、59%の男性が「思う」と回答し、嫁への不満が噴出した。いったい何が問題なのか? その順位をみていこう。

1位 容姿の劣化
2位 SEXを拒否
3位 飯マズ
4位 共働きだと約束したのに働かない
5位 束縛
6位 上から目線
7位 浮気癖
8位 姑と不仲
9位 情緒不安定
10位 そのほか


まず筆頭は「容姿の劣化」だ。これはお互いさまなので致し方ないところだが、なかには猛者もいる。


教師の山本隆さん(仮名・39歳)はこう憤る。

「10年間で推定15kg以上太ったんです。結婚当初の面影はまるでなく、太ったことで外見を気にしなくなった。

風呂に入るのも面倒らしく、3日入らないことも。

汗っかきになって最近では、加齢臭まで……夜の寝床は別ですね」。


最後の一言には悲壮感が漂っていた。また定番の「飯マズ問題」でも怨嗟の声が。


建設業の篠田一樹さん(仮名・36歳)は言う。

「弁当に入っていたイカを食べた後に急に体調が悪くなって病院に駆け込みました。嫁を問いただすと

イカの賞味期限は2週間前に切れていた』って。

どうも夫婦間の悪化とともに、弁当づくりが雑になって、傷んだものも平気で入れていたみたいで……」。

これは、もはや戦争である。

ことほどさように、円満な夫婦というのは難しいものだが、せめて「明らかなハズレ」だけは引きたくないもの。

精神科医春日武彦氏は「ハズレ嫁」化しやすい女性の性向についてこう分析する。


「多いのは、結婚こそ人生のゴールであとは惰性で生きようとする『余生型』。

反対に結婚により自分の可能性が奪われたと被害者を気取る『逆恨み型』。

あるいは、夫は自分のパトロンだと思っている『踏み台型』、

相手を支配することに固執する『支配型』などに分けられますね」

これらのパータンにハマる徴候があれば要注意だ。  

http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3236970.html

 


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☆旦那には絶対言えない過去


395 : スポーツ選手(愛知県) :2010/07/18(日) 21:00:51.86 ID:0WGz+iQx

風俗なんて全国に腐るほどあるわけで、現役の風俗嬢なんて何万人レベルでいるんだろ

つまり元風俗嬢も含めたら経験者は日本全国に数十万人はいるんだろうから

男が気付いてないだけで自分の嫁が元風俗嬢だったなんてのは結構ありがちなんだろうな

 

 

409 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 13:23:36 ID:rGDqbm250

20代女性は 690 万人内、性風俗産業に従事している人数が30万人

つまり、23人に1人は元性風俗嬢。

ソープやピンサロ出身というわけ。

これにキャバクラなどを入れればさらに割合は増加する。

ちなみに、十分にお金を溜めた風俗嬢は一旦、アリバイ用のダミー会社に勤めたことにして一般の人と結婚するのが通例。

 


386 : 売れない役者(茨城県) :2010/07/18(日) 20:51:29.41 ID:wVFqLFXj

普通に結婚して子供生んでるよ。

たとえば去年1年間に結婚した女のうち、援助交際もしくは風俗経験者はおおよそ30%くらいだと推定される。

知らないのは旦那だけだよ。

 

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☆【心の】旦那には絶対言えない過去4【奥に】既婚女性板


7 名前:可愛い奥様 投稿日:2007/01/18(木) 03:03:54 ID:iE8GVdnP

援交10回、中絶2回、デリヘル、ソープ1年、整形2か所

 

12 名前:可愛い奥様 投稿日:2007/01/19(金) 22:43:01 ID:s7dkuHKN0

高校生の頃から喫煙。不倫経験あり。
旦那は私にとって7人目の彼氏。(旦那には3人目と嘘ついた)
酒に酔った勢いでワンナイトラブの経験あり。

 

25 名前:可愛い奥様 投稿日:2007/01/26(金) 04:08:25 ID:IfNo5kNWO

中絶4回、イメクラ一年、二重整形、大学中退、性病2回、同棲3回。

 

45 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2007/02/04(日) 14:24:40 ID:PBhJa6V+0

自分の預金が旦那の年収の7倍くらいあること。
学生のとき、ちょっとした事業起こして大成功w そのことも話してない。

 

47 名前:可愛い奥様 投稿日:2007/02/04(日) 17:16:59 ID:CaAW9Ko50

うーん。堕胎。母子手帳に記載しないといけないから…そこは糊で貼付けた。
義母にはバレているだろう。でも回数が…1回多いとは…永遠の秘密。


92 名前:可愛い奥様 投稿日:2007/02/09(金) 23:46:04 ID:QRXcETQYO

セクキャバでバイト経験あり。援交しまくり時代もあり。ヤッた数は100人くらい。
バツイチで今の旦那には元夫の浮気が原因で離婚したの。とか言ったけどほんとは逆。
好きな人できて夫捨ててのりかえた。浮気しまくりだった。
すごくいい夫だったのにすごく最低な事したって思う。

 

106 名前:可愛い奥様 投稿日:2007/02/18(日) 09:56:13 ID:wIf/65Md0

半年前、万引きして捕まった事。嘘泣きして逃がしてもらった(^^v

 

 

525 :可愛い奥様 :2006/12/20(水) 01:15:51 ID:j/LoY1bn

風俗嬢だった
300人くらいとやったかな
そのお金はホストに貢いでた

23になりオキニのホストも辞めてしまい足洗った
旦那に隠してるのは悪いとは思うけど言っても傷つくだけだしな。
旦那のHだけじゃ物足りない今日この頃。若い男と浮気したいょ。

 


602 :可愛い奥様 :2009/10/27(火) 03:34:37 ID:vmiuAZQ0O

吉原の某店で、数年NO.1ソープ嬢だったこと。
旦那は元客だったなんて絶対言えない。
見た目はいたって普通ですが、当時の貯金が数千万ある、本当は汚れた専業主婦です。

http://2chokaita.blog97.fc2.com/blog-entry-1764.html

 


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☆旦那には絶対言えない今やってる仕事

 

ソープお仕事掲示

 

13 名前: 名無しさん 2005/08/06(土) 21:54 ID:bp*poig:N1

旦那にヒミツで仕事してる人って昼間だけ?





16 名前: 名無しさん 2005/08/06(土) 22:52 ID:~5C*AYLdSB

うちは10歳と6才の息子がいます。旦那に内緒で昼間5時間だけデリして1年になるけど意外とばれないですよ(笑)

 


22 名前: 名無しさん 2005/08/09(火) 19:34 ID:g:jeS8jesO

うちは2歳の姫です。仕事は旦那には内緒です。子供は内緒で託児所に連れていってます。
そろそろ子供の口から託児所のことがバレそうなので…今後のこと悩み中。

 

25 名前: 名無しさん 2005/08/17(水) 12:11 ID:GCxX'-BSVe

みなさん保育所とか役所とか、仕事はアリバイ会社ですか?なにか不都合ありません?うちはパートしてることになってます。



26 名前: 名無しさん 2005/08/18(木) 15:36 ID:HmR261@=ip

保育園だったら書類がありますよね?源泉とか、色々… そういうのはどうしてます??アリバイ会社とかで通用します??



27 名前: 名無しさん 2005/08/18(木) 17:25 ID:2lCr!c7JSI

自営の友達のとこで書いてもらってるよ。

 



28 名前: 26 2005/08/18(木) 19:01 ID:CYJg,7cE!a

あ。その手がありましたね!



29 名前: 名無しさん 2005/08/18(木) 20:41 ID:5m=qwCxkE-

私の場合は昼間の職業で(w。
うーん・・・アリバイ会社だったら書いてくれるみたいだけどねえ?
源泉に関しては確定申告で無問題(源泉は適当に書いておく)




71 名前: なっち 2005/10/08(土) 23:59 ID:8:8GbtMEX~

業界一年半になる38才子持ちの主婦です。家計を助けるためと子供たちの将来のためにお金を貯めたくて働いてます。実は主人が私が働く事自体嫌な人なので内緒です。子供が帰宅する前に帰宅できるようなシフトで仕事してますが、同じような子持ちの主婦で業界頑張ってる方と情報交換したいです。

ちなみに店では33才人妻してます(笑)

デリ→箱→デリで店をかわってます。箱が一番稼げたかなぁー

 



72 名前: 名無しさん 2005/10/08(土) 23:59 ID:8:8GbtMEX~

私も主人に内緒でデリして1年になる35歳2児有りの主婦です。子供が学校に行ってる時間帯だけ働いてるけど昼間はヒマな事が多くて、最近普通のパートした方がいいかなと悩み中です・・・
ちなみに店では31歳人妻として出ています。

 

 

90 名前: 88 2005/11/09(水) 13:07 ID:os6(yaz'G,

うちは会社員の旦那が居ます。私は一応専業主婦で扶養に入ってる状態でしす。借金があり旦那には内緒で泡で働いております。今は子供が小さいので託児所に預けていますが料金も高いし、普通のパートならほとんどが保育園に通わせてますよね?まわりもみんな保育園に行かせています。身内バレ、先生、知人バレしないのなら保育園に通わせたいと思い…。

旦那には昔バイトしていた軽作業の仕事を復活するとは言えますが、まずお店が所得証明を作ってくれるか?ですよね。あと旦那の会社にも妻の勤務先がバレルんじゃないかと心配で。お店の住所は明らかに風俗街ですし。

 


96 名前: 名無しさん 2005/11/09(水) 15:10 ID:c4cA@_6pb.

北九で保育園に預けて働いてます。店にあるアリバイ会社にもよりますが、もろ船〇町の店もあれば、住所だけは他の町になってるところもあります。
あと、箱ヘルとかが多い京町周辺なんかも、風じゃない普通のお店が点在してるから大丈夫。

デリだったら風俗街ってイメージのない場所にあることが多いから、こちらも大丈夫。

あと、保母さんみたいな普通の堅気の女性は船頭町っていっても風俗なんてイメージを持ってないよ。

そういうイメージに結び付くひとは多分風経験者くらいじゃないかな? ばれても暗黙の了解とかあるらしいし…

 

 


97 名前: 名無しさん 2005/11/09(水) 15:28 ID:hpqyG@,0~w

やはりお店にアリバイ会社があるんですね。。うちは無いようなんです(T_T) 所得証明とかはお店で書いてもらえたのですか?



98 名前: ゆきだるま 2005/11/09(水) 17:52 ID:QwrTbV*vm;

ん?。なかなか情報入らないみたいですね。大多数はダミー会社あるものだと思ってました

でも今の店で無理ならば、お仕事総合版の(小倉の嬢)スレでアリバイの出来る店を探して移転も考えた方が良いかもです。私は福岡で人妻デリだし北九州の方は店舗状況解らないからな?でも状況打破の為には、動くのも有りかもよ??

 




99 名前: 96 2005/11/09(水) 23:05 ID:BAIT!oxI9'

所得証明みたいな公的書類はたぶんどこのお店でも無理だと思う。そのかわり非課税内での確定申告でどうにかなるんじゃないかな?親切なお店だったらやりかたとか教えてもらえると思うよ。

私が小倉で働いていたお店(三件)は全部普通にアリバイ工作してくれたから、アリバイ無しのお店があるなんて知りませんでした(+_+)

今のお店が働きやすいとか、離れがたい理由があったとしても、既婚で子供がいるのなら他のアリバイ会社があるお店に移った方が賢明かもよ?
バレたら夫婦関係に一生消えない傷が残るし、そうなれば子供が一番被害受けるから…

 

 

301 名前: 名無しさん 2006/09/28(木) 22:38 ID:v)lyLBCAl9

アリバイ困りますよね?

いつも旦那に「どうゆう仕事?」ときかれて、事務や雑用と言ってるけど「事務って何するの?」「なんのソフト使ってる?」とか具体的な内容をしつこく聞いてくるからほんと困ります? みんななんて言ってますか?

 

 

305 名前: みは 2006/09/29(金) 20:25 ID:4xLeyr-QD

301さん、わかるわかる!私は看護士してたんだけどやめて風してます。旦那はまだ看護士してるって思ってます。

こないだ通帳みせろって言われてあせりました。だってお給料入ってないし。毎月25日が給料日だったけど。いつまで嘘がばれないか毎日ヒヤヒヤしてます。夜受けが遅いので帰りも遅くなるしまたまた怪しみます。なんかいい方法ないかいつも考えてるけど。嘘を突き通すしかありません。家族のためにがんばってますがやっぱり風受け入れてくれる旦那は一握りだと思う。頑張りましょうねー!

 


322 名前: 名無しさん 2007/02/22(木) 11:45 ID:W!UZv94TvA

2歳の子どもと旦那がいます。旦那にバレないように早番週3日位ソープで働きたいと思っています。

子どもを保育園の一時預かりに預けようと思っているんですが、1時間800円+食費300円です。
仕事は早番で8時間(40分1万)です。保育園に預ける金額は10時間で8300円です。

今の時期はヒマのようですが、8時間働いても本当にお客さんが一人も付かないことってあるのでしょうか??
保育園代も掛かっていますし、あまり稼げない(もしくはマイナス)と思いますか??
(未経験なのでお客さんの入りが全く分かりません…。)

 



323 名前: 名無しさん 2007/02/22(木) 16:35 ID:(WAmJdLaml

↑週?託児所に預けるなら月契約の方が安いと思いますよ!
昼のソープは私は分からないけど。一時預かり高いょ?

 

 

399 名前: 名無しさん 2008/08/28(木) 19:50 ID:XYCnU7wC~T

子供連れで、近所のスーパーやコインランドリー、焼鳥屋、子供の入学式に保護者の席で、フリーのお客さんと鉢合わせ…。ひたすら無視しますが、こんな時どうしますか?



400 名前: 名無しさん 2008/08/29(金) 00:30 ID:nI1gvtd(b~

自分が客を意識すると、客が『やっぱり!』と思うから、『人違いかな?』と思うくらいひたすら自然にシカトする。指名で長く付き合ってる客じゃない限り、1?2度ついただけなら客も嬢のことうろ覚えだから、だいたいこれでごまかせました。http://www.gofukuoka.net/bbs_01/front/thread/168/

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☆女性はアレが嫌い


セックスレス:夫婦の4割が…「面倒」「出産後何となく」

 性交渉に無関心な「草食系」の若者が男女ともに増え、夫婦間でも4割がセックスレスになっている日本人の実態が、厚生労働省の研究班が12日公表した「男女の生活と意識に関する調査」で分かった。調査は昨年9月、全国の16~49歳の男女3000人を対象に、調査票を手渡す形で実施(回収率57.2%)。2年ごとに行い、今回で5回目。

 セックスに「関心がない」「嫌悪している」と答えた人の合計は、男性で前回(08年)より8ポイント増の18%。女性も11ポイント増の48%。特に16~19歳では男性が17.5%から36.1%へと2倍以上に急増し、女性も46.9%から58・5%に増えた。

 結婚していてもセックスレス(1カ月以上性交渉がない)という人の割合は、質問を始めた04年の31.9%から毎回増え、今回は40.8%と初めて4割を超えた。特に40歳以上では5割近くに上る。理由のトップは男性が「仕事で疲れている」(19.7%)で、女性は「面倒くさい」(26.9%)。男女合わせて最も多いのは「出産後何となく」(20.9%)だった。

 調査にあたった日本家族計画協会家族計画研究センターの北村邦夫所長は「日本全体がセックスレス社会になってきている。少子化とも密接に関係しており、男女間のコミュニケーション力を高めるための工夫や、労働時間の見直しなどが必要だ」と話す。【小川節子】


毎日新聞 2011年1月12日 

 

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8 : みらい君(東京都):2011/01/13(木) 01:33:16.61 ID:N7VOl6Ir0

・1人の女に対する性的な興味が続くのは長くて二年くらい

・性的な対象でなくなった女とずっと一緒にいるのは基本的にウザい


この2点が始めから分かっていれば男にとって結婚なんてありえないんだがなぜか結婚してから気付くバカが多い

 


12 : 虎々ちゃん(千葉県):2011/01/13(木) 01:35:09.94 ID:6FRwPYH/0

女は金のために結婚するからな

 


16 : ペコちゃん(東京都):2011/01/13(木) 01:39:46.12 ID:Ig4wgBp/0

そうなぁ。最初の2年くらい、特に3ヶ月目から半年目くらいまでは猿のようにやりまくったもんだが。
今は相手すらいねえよ


17 : チョキちゃん(チベット自治区):2011/01/13(木) 01:40:01.08 ID:EQeIveGS0

処女はマグロでつまんないし
嫁は2年で飽きるし
ヤリ時ってのは短いんだよ

http://unkar.org/r/news/1294849581

 


10 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2011/01/27(木) 13:29:01

ネットで20前後の美女のまんこ見すぎて
その辺の女みても石ころとしかおもえない
これは以前と比べて大きな違い

http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/eco/1294989465/l50

 

おそらくすぐに発売されるであろう3D対応のアダルトDVDは、ますます引きこもりを増やすだけではなく、実物の普通の女性よりもDVDで鑑賞する3D美女の方がいいと感じるオタク野郎どもをさらに増殖させるのである。

 3D映像のアダルトDVDは、その迫力というか、映像のリアルさに勝てる現実の女性はいない。若い男性はデーとしなくなって合コンにも行かなくなって、ただひたすら家で3Dテレビを観ることになってしまうのである。

 また、バーチャルな世界と現実の垣根がないような危険な連中にとって、バーチャルな部分がますます現実のように見えてしまうことでそれこそ現実とごっちゃになって、街中で刃物を振り回したりエアガンを撃ちまくったりする奴が出るかも知れないのだ。引きこもったオタク野郎の暴発が起きるのである。

 少子高齢化はますます加速している。若者にはアダルトDVDではなくて、生身の相手と恋愛をしてじゃんじゃん子供も作ってもらわないといけないのだ。ところが肝心の若者は現実の異性よりも画面から飛び出してきたバーチャルなアイドルを好むことになり、現実の恋愛には見向きもしなくなってしまうのである。

http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=41506&pg=20100620

 

風俗嬢の愛人ができたんだけど質問ある?

 

135 :名無しさん@ピンキー:2009/01/02(金) 17:57:00 ID:ZQGYdFMd

当たり前かもしれないけど、付き合うとお店のようなプレイはしてくれません。
普通過ぎてつまらないです

 

210:名無しさんといつまでも一緒:2006/08/26(土) 08:53:53 0

ヘルス嬢と付き合ってるけど客にするサービスは一切してくれない
軽くフェラして正常位でセックスする
こんな事もしてると思われたくないのかな ?

http://2chnull.info/r/furin/1143817315/1-1001

 

 

42 名前: 名無しさん@入浴中 投稿日: 02/04/09 18:28

ソープ嬢とプライベートでセクースしたくて、愛人として付合ったこと有るけど、俺の期待したプロのテクは無く、ただのマグロになってしもーた。

「お前、少しはサービスしろよ」って言ったら「それじゃ、お仕事じゃん」と言われた。

店ではスゲエ感じやすかったの、感度も悪くなってしまった。 あまり楽しいセクースじゃなかった。

 


48 名前: 名無しさん@入浴中 投稿日: 02/04/10 21:49<br>>42
>店ではスゲエ感じやすかったの、感度も悪くなってしまった。</br
 

演技してないだけだろ(ワラ

 

 


78 名前: 名無しさん@入浴中 投稿日: 02/05/19 15:09

ソープ嬢を愛人にするにはセックスではなくお金です。

本気では男を愛せないし、プライベートでするのは、うんざりなんです。

もうあそこを見るのもイヤ!

仕事でお金をもらってるからしてるのに、男ってバカね・・・
全部演技よ。
まれに付き合っても、それはハクっていうか、かざり。

本気じゃないわ。

 

 


80 名前: 名無しさん@入浴中 投稿日: 02/05/21 07:24

ソープ嬢を愛人にしたいのは、タダでやりたいからでしょう?

金だすのが、いやだからだろう?

金を出さなきゃプロのテクは味わえないよ!

私たちも生活かかってんだよ。テクは磨いてるし、素人にはマネできないね。

http://www2.bbspink.com/soap/kako/1015/10157/1015772393.html

 

 

 

427 :名無しさん@入浴中 :2009/04/07(火) 06:19:15 ID:ZrwWOLdp0 (1 回発言)

どういうわけか、いまの彼女と吉原で会い、意気投合して付き合うようになった

彼女だと思うと、仕事がお互い辛すぎるので、すぐに上がってもらった

生活費を出しているので、正確には彼女というより、愛人関係になると思う

上がったあと、最初のデートでラブホに行った

それまでも、客としてのエッチではなく、なるべく普通にエッチしてたつもりだったが

その日のエッチは、まったく違った、ちょっと驚いた

イクと思ってたのも、すべて彼女の仕事の演技だった

長年ソープに勤めていたので、フェラと風呂がトラウマになってしまっている

彼女の心のケアを考えながら、いまはエッチしている

いま5回に一回くらい、イクことがあるようだけど、そんな会話も演技もない

そのくらい、全てが違ってしまった

http://logsoku.com/thread/qiufen.bbspink.com/soap/1236764143/#173

 

 

 


700 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2009/05/26(火) 22:01:14 ID:fuDikAyB0]

① 風俗嬢のプライベートのセックスライフは充実するんだろうか?

② 経験やテクニックが豊富になるけど、プライベートでは封印するんだろうか?

③ どちらかというと風俗嬢はセックスが好きな子が多いでしょうか?

④ あるいは、逆にセックスに対して淡白な子が多いのでしょうか?

 


710 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2009/05/27(水) 01:38:49 ID:LTRrhJFK0]
>>700

① 客相手に、いちいち本気で感じる嬢なんていません。

 誰でも同じですが、仕事(客相手)じゃない日は、プライベートくらい充実したいのは男も女も当たり前でしょう。

  
② それ、長年の営業マンは家でも営業スマイル&トークするんですか?
 って言ってるのと同じじゃんwww


③ 客にテクを求めてる嬢はいません。

 もし、もしも、セックスが大好きだから風俗嬢になりました!
なんて女性が本当にいたとしても、 その感情は3日も持たないでしょう。

  実際、一日何人も相手にするかなりの体力勝負の仕事です。

  その上ヘタ糞が多くて、マンコや乳首も痛くなったりして、そんな事も言えなくなるでしょうねw 
現実はそんなもんです。

 

④ 客とのプレイでは、内心は淡白ですよ。
淡白に見せないようにしてるだけ。
  
 嬢がちゃんと時間内にプレイするのは、喘ぎながら、フェラしながらでも頭の中では時間配分をしっかり考えてるから。

 プレイ中、どんなに喘ぎまくっていても、客の基盤や天蓋の誘いを断る本心は、
禁止されてるから。・・・ではなく、ハッキリ言って嫌!!! だからです。  

店の外でも「店と同じような接客&エロエロサービス」してくれると思ってるんだったら大間違いだよ。

 

 

776 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2009/05/28(木) 04:15:14 ID:Wt5RYLN40]
>>700
プライベートは特に、仕事前と変わりません。
で、知る範囲では、セックスが好きでやっている人は皆無だと思います。

>>710さんも書いてますが、仮に本当に好きで興味があって来たとしても、色々な意味でもたないと思います。

人妻設定だとそういうキャラ作りも好まれるというか素で信じ込む人もいるようですが。

エロエロなプレイの時ほど、内心は淡白ですよ。どうエロくふるまうか真剣に考えてます。

http://yomi.mobi/read.cgi/qiufenbbspink/qiufenbbspink_club_1241703201

 

 

 

136 :名無しさん@ピンキー:2009/01/03(土) 04:23:48 ID:WUFiIxxw

現役嬢です。 客と付き合うのはほぼありえないです。

仮に付き合ったとしても店のようなプレイするなら金とります。それは直引きと言われますが。

風俗の基本は薄利多売です。今まで日当を5人から貰っていたところを1人にせねばなりません。それくらいの財力がないと付き合うには至りません。
申し訳ないけど、嬢はまず金ありき、なのです。

男は勝手な夢をみがちで困ります。

外で会いたい=安くすませたい、としか思えないです。その前に1日貸切予約でもしてくれたらこっちからプライベートで会いたいって言うわよ。
http://www.unkar.org/read/babiru.bbspink.com/kageki2/1226176600

 

 


931 :名無しさん@ピンキー :2009/02/07(土) 18:03:05 ID:a6vKuKLyO (6 回発言)

自分の相手はプライベートのエチではマグロw

しかし、接客では「そんなことまで」と思う事をサービスの一つとしてしている様なのだ。浮気の実況中継されているみたいで心が乱れる…

実際、何がこのコの「素」なのか、本心が何処にあるのか、疑念が膨らんでいく。

 

932 :名無しさん@ピンキー :2009/02/07(土) 18:18:03 ID:6Xsm+8uTO (5 回発言)
>>931
驚きました、まさに同じです。
自分とは淡白、 仕事でははげしいようです。
彼女は楽しみながら仕事してるんではと思うときがあります。

 


942 :名無しさん@ピンキー :2009/02/07(土) 21:45:29 ID:vj1fqqadO (4 回発言)
>>931-932
嬢がプライベートでマグロになるのは確率高いみたいです。
私もプライベートではマグロです!

というより、風俗を始めてからマグロになってしまいました。

仕事で これでもかという程サービスしてるので、プライベートでは精神的な安らぎを求めちゃうんです。

嬢の彼女があなたに対してマグロなら100%心を許してる証拠ですネ!

 

 


943 :名無しさん@ピンキー :2009/02/07(土) 21:52:26 ID:dv/Wka0W0 (1 回発言)
>>942
正直こ100%心を許してくれるよりもこれでもかという程サービスしてくれた方が嬉しいんだが・・・

 


946 :名無しさん@ピンキー :2009/02/07(土) 22:19:23 ID:vj1fqqadO (4 回発言)
>>943
これでもかっていう程サービスするのは仕事だから・・・

プライベートでもそこまで要求されたら、心身共に疲れちゃう…(´;ω;`)

彼女にそんな気持ちを持ったまま結婚したら、絶対後悔しますよ(泣)

 

947 :ホテヘル嬢 :2009/02/07(土) 22:32:49 ID:w3h5E/pcO (3 回発言)
>>942
同感です^^
私は主人がいますが、このお仕事をしてるからこそ主人の有り難みとゆうか安らぎってものを感じます。
普段はダメダメ主人ですが、抱かれている時に言葉には出来ない安らぎ、癒しがあります。

私もプライベートはマグロですね(笑)

 

374 :名無しさん@ピンキー[sage]:2010/07/15(木) 01:50:01 ID:UgBriheGO

今の嫁が元風俗嬢なんですが、結婚して嫁になると、それまであれだけ興味のあった嫁の身体も今では興味も薄れ、風俗にまた通うようなってしまいました。

やはり妻となり手に入れてしまうと冷めてしまうのでしょうか。。

嫁は谷では有名だった超爆乳嬢ですが、今は嫁より乳が小さくても現役嬢に惹かれてしまいます。



376 :名無しさん@ピンキー[sage]:2010/07/16(金) 00:31:28 ID:751/XdKQ0
>>347
なんか分かるなぁ・・・

店で会うとあんなに魅力的だったオキニがプラベで付き合うにつれて普通(かそれ以下)の女に見えてきて

とうとう自分の女になった頃にはさらに劣化

んでまた若い子や風俗に・・・
って甲斐性なしな男だよなorz

http://www.unkar.org/read/qiufen.bbspink.com/club/1269183578

 

527 :名無しさん@入浴中:2007/07/21(土) 18:30:02 ID:gJbXTsys0

長く付き合えばまったり感は増すが、受身優先
ソプ嬢ほんらいのテクは確実に使わなくなる


536 :名無しさん@入浴中:2007/07/23(月) 02:12:38 ID:rrC/0ua50

プライベートでは出来るだけセックスしたくないんだけど彼に言えません(泣

所詮、私はただのセックス目当でいまだけなのかな?って卑屈になってしまいます。
つくづく大変だなぁと実感しています。

 

 

539 :名無しさん@入浴中:2007/07/23(月) 20:12:09 ID:WXr8L8tBO

ホスラブROMってみろ。悲しいかな、職業病で彼氏ともしたくない嬢が殆どらしいぞ。

 

542 :名無しさん@入浴中:2007/07/23(月) 20:35:39 ID:aJyfHaeS0

男が近くに来るだけで吐き気する子までいるからね。
そういう子を支えるのは大変だ。

 


651 :名無しさん@入浴中:2007/08/20(月) 04:29:25 ID:3cTqgZdwO

嬢ですが、数年付き合った元客と結婚しました。

もしどちらかが耐えられなかった時のために離婚届けも記入しました。

今はまあ穏やかですが、いつかひどく争う事にもなりかねないですしね。

私も鬱からくるリスカ、引きこもり等よくあります。 情緒不安定で眠剤やら安定剤常用ですし、たまにお酒と一緒に大量に飲んで、イカレテるとしか思えない行動をします。
友達はほとんど無くしました。 それでも受け止めてくれたから、安心できて心も安定してきましたよ。

暴力暴言、徘徊、異常行動、介護するようなつもりでいたよ、と笑ってくれたから泣けてしまいました。

あんな箱の中だけど、軌跡の出会いだったと思ってます。

 


676 :名無しさん@入浴中:2007/08/31(金) 00:33:57 ID:6hQV9EB+0
>>651
どこも似たりよったりなんだ。
暴力暴言、徘徊、異常行動...
まっ、そうなるのがむしろマトモなんだけど。

http://www.unkar.org/read/qiufen.bbspink.com/soap/1177342261

 

94 名前:名無しさん@入浴中 [2007/01/07(日) 04:38:36 ID:fHi3MuewO]

ある時出勤したら急にめまいがして熱も出て、早引きしたかったけど、ラストまでびっしり予約が入っていて店が断ってくれず、とにかく頑張った。

ラストに、私を大好きだと言う常連様が来ました。

部屋に入った彼に「今にも倒れそうだから、お金要らないから、少し横にならせて」とお願いした。

しかし、次第に横たわる私の体に触れ、ついにセックスした。

私が一番信用していた常連の人が…、信じられなかった。

何とか帰宅した後、彼氏に来てもらい看病してもらった。

一週間、会社を休んで私のベッドの傍らで、何もせず…ただひたすら看病してくれた。

ケダモノの様な客と、大切な男性は、どんな事があろうと、心の中で一緒には出来ません。

 

95 名前:名無しさん@入浴中 [2007/01/07(日) 05:06:54 ID:ZcB4ts1pO]

(T^T)わかります。

お客さんはそれ程嫌な人いなくて皆優しいし、それぞれいいところあるんだから、時間内は恋人気分で割り切ってるつもりだけど…。

微熱が半年続いてます。常に37℃。
だるさもひどく、たまに一週間寝込みます。
体が勝手に拒否状態になるみたい……。

本来はH好きだと思うけど、お客様はお客様。
外では会いたくないし、彼とも生理休暇以外はしない。
極力仕事以外ではしたくなくなった。

 

118 名前:名無しさん@入浴中 [2007/01/10(水) 22:48:10 ID:4YLAndjB0]

ソープ嬢と付き合うのは、普通の精神力ではきついと思う。

もう5年前になるけど、約6年、月一で通った嬢と付き合うことになり、初めて家に泊まりにきたとき、店終わって迎えに行って、帰り道、仕事で嫌な事があったのか、ひどく当たられ、家に着いてからも機嫌悪くとてもセックる状態ではなかったので、何もせずにそのまま就寝。

朝、起きて飯は作ってくれたけど、鍵置いてさようなら、、でした。

淡い夢は抱かないほうがいい。普通の子探しましょう。

夢が壊れるようなことがボロボロ出てくるよ。
離婚、子持ち、子供ができない等。

 

119 名前:名無しさん@入浴中 mailto:sage [2007/01/10(水) 23:00:25 ID:Tif7DKCK0]
>>118
変な話だが、プライベートでHを期待しない方がいいと思うぞ。

俺の御気には、家に来て飯だけ食って帰ることがほとんど。 うちは定食屋かと。


120 名前:名無しさん@入浴中 mailto:sage [2007/01/10(水) 23:10:34 ID:PDA1uGYK0]

>夢が壊れるようなことがボロボロ出てくる

H優先で見る夢と嬢の安寧の夢とは相容れないものだ。

嬢に期待する客から見る夢と客に期待する嬢の夢とはやはり根本で違うのだろう。

嬢が常にHを満足させてくれるというのが夢で、常に報酬を伴うのが嬢の常識。

まず立場の違いを認識すべき。
客の時の立場でなく嬢を同格に置いて見ることだ。


122 名前:名無しさん@入浴中 [2007/01/11(木) 07:08:21 ID:BENPPCVF0]
>>118
確かにみんなの言う通りだね

自分も半年近くになるが、ホテトル女と付き合ってますが基本的にはあまりHはないよ。 
ちなみに自分は妻子ありだけど やっぱり付き合うなら普通の人がいいでしょ?

だって有名人にあたったことあるって聞いたら? ○○の××とか知ってる

名前が出てくるんだぜい? 
テレビを見てたら出てて、あーこいつに抱かれたんだって思っちゃうもん。

やっぱり次は普通の人にしようと思ってる今日この頃

 


654 名前:名無しさん@入浴中 [2007/02/12(月) 23:03:18 ID:Migl5Ox7O]

客と付き合う気になれないのはH
外でも店でのようなHが出来ると思ってるヤツが多い。
プラベのHは違うょ
店は仕事だから…けど、分からずリクエストしてきたらその場限り。

 

212 名前:現役ソプ嬢 [2007/01/21(日) 00:19:37 ID:JxE7LKrZ0]

この仕事をしてると彼氏がいても彼氏に対してS○Xを求めるのではなく
心⇔癒しを完全に求めるようになってる自分がいます。

この仕事(ソープ、ヘルス、デリ、ホテトルその他)をしてると・・・

体よりも心の方が壊れてしまいそうになります。

なので、彼氏とのS○Xで心を満たすよりも会話やコミュニケーションなどを次第に求めるようになりました。

それはくだらない事でも良いんです。

嬢が皆、そうとは限りませんが私は、仕事以外では少しでも本気笑いをしていたいんです。
作り笑いではなく、顔をくしゃくしゃにして。
お客さんには見せたことの無い笑顔を・・・

嬢と付き合ってる彼氏さん達すごい辛い思いなさってると思いますが嬢も大変なんです。
この仕事をしてる子と付き合うってほんっと大変かと思います。

だけど、ほんとに好きで愛してる彼女ならまず会話を重視してみてください。
笑っていられる環境にしてあげてください。

難しいと思いますが彼氏さんが辛そうな顔をしてるのが嬢をしてる彼女には辛いと思います。
笑っていられる環境を作りましょ。

http://yomi.mobi/read.cgi/idolbbspink/idolbbspink_soap_1165496823

 


200 :名無しさん@入浴中:2007/05/14(月) 13:05:17 ID:GoH02/td0

わかるなぁ~オレのオキニもプライベートでは全然Hしない、基本的にHは嫌いだそうだ

なんか矛盾してるがまあ金のために働いてるんだからしょうがないか

 

 

208 :名無しさん@入浴中[sage]:2007/05/15(火) 10:52:27 ID:4Zu6jXwAO
>>198
プライベートで会った時に癒しを求める気持はよくわかる。
強がっている部分を素直に認めてあげると時に泣き出したりする。
ひとしきり泣いた後、抱いてと求めてくることもある。

結局孤独な稼業であることは自分が一番分かっているから
プライベートでは客ではなく友達のように接して欲しいようだ。

 

 

210 :名無しさん@入浴中:2007/05/15(火) 17:01:36 ID:sFN6ELVDO

意外に鬱な子がNo.だったりしてるよ。
客の前じゃ我慢してたり良いサービスしたりする。
ぷっつんくる姫ほどあっちが良かったりするからね。

 


211 :名無しさん@入浴中:2007/05/15(火) 17:57:27 ID:5cUJkarC0
>>210
鬱っぽい子は、依存症も併発してたりする。
男やホストに貢ぐためや買い物その他への依存を続けるために頑張ってナンバー入りしてることもある。
中には、人間や買い物やギャンブルやアルコールだけじゃなくて薬(ry

 

 

212 :名無しさん@入浴中:2007/05/15(火) 18:27:46 ID:sFN6ELVDO

色んな好きな物の為にむちゃして体を酷使して精神も病んで‥
そう思うと気の毒だな。だからおきにも会った時に優しくしてあげたい。

 


213 :名無しさん@入浴中:2007/05/15(火) 19:09:48 ID:2GIIo5eE0

心が病んでても箱の中で接してる分には普通に見えるだろうね
大体、そういう子は責任感も強いし、仕事はきちんとこなす。

客に優しくされたり抱きしめられることで自分が必要とされてることに 安心感を覚えてたりする。
そうやって辛い仕事でもなんとか精神のバランス保ってるんだよ。

 

218 :名無しさん@ピンキー[sage]:2007/05/16(水) 23:55:07 ID:4M1zfZur0
>>213
当たってる。

ただ、仕事を離れると一気に爆発したり、パンクすることも...

「たまには外でも優しくして」..いえ、独り言です。

http://www.unkar.org/read/qiufen.bbspink.com/soap/1177342261

 

 


24 :名無しさん@入浴中:2006/07/07(金) 20:14:49 ID:mUSvGVYZO

プライベートのソプ嬢は鮪だよ。

http://www.unkar.org/read/qiufen.bbspink.com/soap/1150728809

 

風俗嬢 「劣化する女を一生面倒見る結婚より、私たちを時々買った方が得やん」

 

誰もが恋愛をしたいと思っているわけではない。だけど、どこかで恋愛と自分の関係について考えることはあるだろう。ある風俗嬢が、恋愛と自分の関係を以下のように激白していた。

もてない男性諸君、あるいは一般人と恋愛できない諸君、あなたたちがいるから私たち風俗嬢やAV嬢、その他の性を売る女たちは生きていけるのです。」

伝えているのは、ブログ記事、はてな匿名ダイアリー「誰でも恋愛できるようになったら困る」(参考リンク参照)。匿名での告白のため、信ぴょう性は高くないかもしれないが参考にしてみてはいかがだろうか。

告白者は、風俗嬢(自称)。記事の冒頭でこう告白している。

もてない男性がいるから私たち風俗嬢が稼げるのです。」

「他の女性がセックスしたがらない男性がいるから、この商売は成り立つのです。」

と、客と風俗嬢の関係を述べている。なぜ、わざわざ匿名でこのように記事にする必要があるのだろうか。続けてその理由をつづっている。

「今日日風俗業界も厳しいです。過当競争で客の奪い合いです。客をとれないと首ですから必死です。」

どうやら、不況の影響を受けていることを示唆している模様。その実態を以下のように述べている。


「素人女性どころか他の嬢も嫌がる男性がいたら稼げない嬢にとっては僥倖です。

誰かから拒否された客がいると言うことはその客が自分にまわってくるチャンスができた、稼ぐチャンスをひとつ増やせたと言うことですから。」

 

と冷静に風俗の市場について説明している。その通りなら誰もが恋愛を出来るようになってしまえば風俗に通う人が減ることになる。そして告白者は、結婚の費用対効果についてまで言及している。

 

「私たちを買うよりも、何倍も彼女を作って結婚する方が、高くつくのです。

分割払い取り換え自由のため経年劣化なし、一括払いクーリングオフは基本的になしで経年劣化が前提、ということを考えれば容易に理解できるでしょう。」

http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52376310.html

 

 

436 :名無しさん@ピンキー:2010/10/26(火) 15:35:59 ID:EnwyNd3uO

大体ねえ、客=金だからこそ、普通の恋愛市場じゃ戦えないような低スペックの男性でも、その事気にしなくても初対面からニコニコ、
会って十数分後には ちんこまんこ舐める展開を実現出来るですよ。

そこに真心まで求めるのはいくらなんでも厚かましい。
真心欲しければ、彼女なり奥さんなり捕まえろって話です。

 

 

438 :名無しさん@ピンキー:2010/10/26(火) 15:56:03 ID:EnwyNd3uO

恋愛市場婚活市場は男性のスペックに厳しい。

普通はちんこまんこな関係になるには、自分のスペック(容姿性格資金力コミュ力等々)を高める努力が必要な訳です。

それら一切をお金の力でワープ出来るのが風俗です。

低スペックの男性には大変な福音ですよこれ。

http://qiufen.bbspink.com/test/read.cgi/club/1287420731/

 


いろんな女の話を聞いて判ったんだけれど、ソープの客層は、半分近くは独身、離婚者も含めてね、

それで、とうてい女にもてそうもない、結婚ができそうもない男が六割、

よく女にもてそうで、素人だけでなく玄人の女も転ばせてやろうという心で来る男が一割、

女はそんなふうに客を観察しているんだ。

女心をくすぐり、プロの女が感心するようなスマートな遊び方をして、エッチが上手な男は、五十人に一人ぐらいだ、と僕の馴染みの女が言っていたよ。

http://www.geocities.jp/watariganinihai/novel/nyuumon_1.html

 

 

697 :名無しさん@入浴中:2007/09/03(月) 20:50:56 ID:ABi4aCTh0

ソープ嬢は、男を選べずにお金を貰ってHしてる。
素人は、男を選んでお金を貰わずにHしてる。

ソープ嬢は、何か理由があって仕方なくHして稼いでるか、ただのH好きで稼いでるか。

素人は、ただのヤリマンでHしまくってるか、好きな男だからHをしているか。

ソープ嬢の彼女に「お店で働いてたせいで過去300人とHしてました」と言われるか。

素人の彼女に「過去に300人とHしてました(ヤリマンでした)」と言われるか。

極端な話しちゃったけど、ソープ嬢も素人も変わらないよ。

彼女がソープ嬢であっても素人であっても、重要なのはその子の中身の問題。
そして、付き合う男側の性格や許容・器の問題。

あたしはソープ嬢とかではないけど、

「俺が稼ぐから、おまえはソープでもう働くな」

くらい言ってくれるような男じゃないと付き合う気にはなれないな。
そして、信頼もできないね。 かといって、男前発言したところで束縛しまくるような行動とられても困るけど。

 

 

699 :名無しさん@入浴中:2007/09/04(火) 00:01:18 ID:DVyCC2BG0

>素人は、男を選んでお金を貰わずにHしてる。

これは大概にして違うぞ。

素人とセックスする場合も、それなりに経費がかかる。
そこに愛があってもだ。

そして、その経費はソープ嬢とセックスするよりも高いことが多い。

 

700 :名無しさん@入浴中[sage]:2007/09/04(火) 00:09:08 ID:BjvWgFo40

ソプに通う方がだいぶ安上がりだろうな

 

702 :名無しさん@入浴中[sage]:2007/09/04(火) 00:25:41 ID:WJ88em1z0>>699

セックス無しでも金かかるぞ 。・゚・(ノД`)・゚・。

 

 

706 :名無しさん@入浴中:2007/09/04(火) 22:15:12 ID:+E9pMma+O>>699

極端な話、嫁さんの扶養も莫大な経費だ
どんな形であれ、女の維持には金がかかる

 

 

707 :名無しさん@入浴中[sage]:2007/09/04(火) 23:32:31 ID:JdSzpVkH0

ソープが高いと言ってる奴はまともに女と付き合ったこと無いんだろ

 

 

708 :697:2007/09/05(水) 00:09:34 ID:kmntFufP0

確かにみなさんの言うとおりだね。
素人であってもHするにはお金かかるかも。

というか、706さんの言うような「女の維持」には確実にかかる。
ただ、現金の受け渡しがソコにあるか無いかだわ。

 

709 :名無しさん@入浴中[sage]:2007/09/05(水) 00:13:23 ID:DNP6+MjN0
>>708
> ただ、現金の受け渡しがソコにあるか無いかだわ。

それがあるんだな
専業主婦であろうかなかろうが プレゼントも言葉はきれいだが
現実ソープのサービス料と大差なし

 

 

710 :名無しさん@入浴中:2007/09/05(水) 00:45:17 ID:kMD/dRYN0

現役の時の客-嬢の関係よりも、引退後の恋人関係の方が金が掛かる。
http://www.unkar.org/read/qiufen.bbspink.com/soap/1177342261#l639

 


396 :名無しさん@入浴中[sage]:2007/05/13(日) 10:27:52 ID:85pJS9X80

結婚は1億の損とか言うだろ、

これって二十歳に結婚してお互い仲良く80歳まで生きたとする。
で、結婚生活60年ずっと週1でエッチし続けたとしても一回当たりの単価は33000円位、

実際は仲良い夫婦でもせいぜい50歳代くらいが殆どだろ?

もっと言うと日本では30代後半にはレスになる家庭が多いそうなんで実質10~15年程だな。

つまり一回当たりの単価はゆうに10万を越える。

世間体とかを求めるのでなければ、ソープに通った方が遥かにいいよな!
いくつになっても若いコ抱けるし、好きなときにね。

http://www.unkar.org/read/qiufen.bbspink.com/soap/1150728809

 

本当にあったエロい話
http://pele.bbspink.com/test/read.cgi/eroaa/1230644319/

 

 ▲△▽▼
▲△▽▼

 

随感録 「女について」 A. ショーペンハウアー (著)

https://amzn.asia/d/cbS6oFe


女の姿態を一瞥すれば、すぐさま、わかることだが、女は、精神的にも肉体的にも、大きな仕事をするのには、 生まれつき、ふさわしくないのである。女は、人生の責任、いわば、負債を、行為によって償うのではなく、 受苦によって、つまり、分娩の苦しみとか、子供の世話とか、夫に対する服従 ー夫に対して、妻は、常に、 辛抱強い快活な伴侶でなければならないー

などによって、償うのである。極度に激しい苦悩とか歓喜とか力わざ などは女性には向いていない。むしろ、その生活は、男性のそれよりも、静かで、平穏に過ごされなければならない。 とはいえ、本質的に、より幸福だとか、また、より不幸だとか、いうわけではないのである。

わたしたちがごく幼い時分、わたしたちを育て、ものを教えこむのに、女が全く適役であるのは、女というものが、みずからも、子供っぽく愚かしくて、そのうえ、身近の物ごとだけを見ている、いわば、一生、大きな子供であり、要するに、子供と、真の人間である成年男子とのちょうど中間に位する段階に属するからである。まあ、一日じゅう、子供と一生になって遊んだり踊ったり歌ったりしている少女の様子をよく観てごらんなさい。そして、考えても見たまえ、一人前のれっきとした男が、その少女の代役をつとめることになったとしたら、どんなに好意を持って努力してみたところで、果たして、何が出来ることかを。

自然は少女に対して、たとえてみれば、芝居でいう場あたりをねらう考えで、何年かの間にかぎり、爾余の全歳月を犠牲にして、あふれんばかりの美と魅力と豊満さとを与え、特に、この何年かの間に、或る男の空想をしっかりととらえて、その女の一生の世話を、或る何らかの形で、誠実に引き受けるほど、夢中になるようにしむける。けだし、男性を動かして、このような段階まで立ち入らせるためには、単なる理性的熟慮だけでは、どうも充分に確実な保証となり得ないように思われるからであろう。

このように、自然は、女性に、ちょうど他のすべての彼の創造物に対して与えるのと同じく、その生存を確実ならしめるのに必要な武器と道具とを、それが必要とされる期間だけ、与えておくのだが、この場合にも、実に、自然は、みずからの常套手段たるつましいやり方に従って、事柄を処理するのである。すなわち、雌の蟻が、交接の後には、もはや余計なもの、というよりも、産卵経過にとっては危険なものですらある翅を失うごとく、婦人たちもまた、たいてい一、二回、産褥に就いた後には、その美しさを喪失するが、おそらく、両者は同一の根拠にもとづくものであろう。

だからこそ、若い娘たちは、自分たちの家事向きや職業上の仕事などを、心の中では、余計なことと思ったり、ひどいのになると、単なる戯れごとくらいにしか考えておらず、専心に、まじめに打ちこむ勤めとしては、

(1)恋、男子の愛情をかち得ること、

およびこれに関連する、たとえば

(2)化粧、ダンスなどがあるばかり

なのだ。 およそ、或る物ごとは、それが高尚完全なものであればあるほど、より遅く、より緩慢に成熟に達するのである。男性にあっては、その理性と精神力とが、二十八歳以前に成熟の域にいたることは、ほとんど見られないのに、女性は早くも十八歳で成熟してしまう。

とはいえ、女性の理性がすこぶる狭隘なることを免れないのも、そのせいである。従って、すべての女性は、一生涯子供の状態にとどまっており、見るところは常にただ最も手近なものに限られ、とかく現在に執着して事物の外観を問題にしたり、きわめて重要な事件よりもむしろ些細なことを好んだりするのだ。


理性とは、すなわち、これがあるために、人間が、動物のごとく単に現在のみ生きることなく、過去と未来とを展望し熟慮するようになり、それによって、やがては、人間の先見、心配、またしばしば煩悶をさえ生ずる、そういうものなのである。

これらのことがもたらす利益と不利とに、女性のあずかる程度は、その理性がより薄弱である結果として、男性に比べるとはるかに少なく、むしろ、女性は精神的近視である。すなわち、その直覚的悟性は近いところを鋭く見るけれども、その視野は狭く、そのなかには遠距離のものがはいってこない。従って、過去や未来の事柄と、すべて目の前に存在しない物ごととの作用は、女性に対し男性に対するよりも著しく弱く、こんなことから、確かに、女性において一層しばしば見受けられる ーそのうえ、往々にして狂気に近いー 濫費癖が起こってくるのだ。

女たちは、心の中で、金儲けは男たちの職分であり、自分たちの役目は、それを費うこと、出来ることなら亭主の存命中に、また、やむを得なければ夫の死後に、なるべく早く蕩尽しなければならぬものと考えている。亭主がかせいだ金を家計のために女房に手渡すことが、すでに、女たちのかような信念を強めさせるのだ。

これら全てのことは、なるほど、それだけでも、きわめて多くの不利益をもたらすけれども、一方、良いところもある。

由来、女性は男性に比べて、より多く現在に没頭するから、しのび得るかぎり、より楽しく現在を味わう、これが女性に特有の快活さを持たせるもととなる。実に、この快活さこそ、妻が、心労せる夫に休息を与え、必要ある場合には、これを慰藉するために適している所以である。

古代ゲルマン人たちの風習にならい、むずかしい事件に当たって、婦人にも相談するということは、一概に斥けるべきではない。というのは、婦人の物ごとを把握する方法が、男子のそれとは全く異なっており、ことに、女たちは目標への最も短い経路を好み、一般に、最も身近にあるものを眼中に置くので、男子が、とかく、そのようなものを、かえって、それが自分の鼻先にあるために見のがしてしまうといったような場合に、やはり、手近で簡単な見方を得るためには、婦人と相談することが役に立つからである。

そのうえ、女たちは、断然、男子よりも冷静であり、従って、物ごとについても、現実に存在する以上に、あまり多くを見ないという長所を有つ。ところが、男たちは、みずから激情に駆られると、ややもすれば、存在するものを拡大して見たり、さらに、想像的なものをつけ加えたりしがちになるのだ。

不幸な人を見た場合、女性は、男性に比べて、より多くの関心をもち、より多くの同情と人間愛とを示すけれども、反対に、正義とか忠実とか確守とかいう点では、男性に劣るということも、同一の源泉から演繹すべき事柄である。つまり、女たちの理性が薄弱である結果として、現実のもの、直観的なもの、直接に実在するものなどは、女たちのうえに一種の強い力を押し及ぼすけれども、その反対の、抽象的な思想とか、一定の格率とか、堅く決心したこととか、ないしは、一般に過去や未来、不在の人や遠方の人に対する顧慮などのはたらきは、おおむね、微々たるものにすぎないからである。

すなわち、女性は徳にいたる第一次的な、かつ主要なものをあってはいるが、これを展開させるのにきわめて必要な道具である、第二次的なものを欠いているのだ。この点で、女性は、肝臓を持ちながら胆嚢を備えていない生物に比べられるであろう。従って、女性の性格には、根本的欠陥として、「不正」ということが見出される。

この欠陥は、まず、上述したように、理性的な判断や熟慮の乏しさに伴って生ずるのだが、そのうえに、おな、女性が、より弱いものとして、自然から力の変わりに奸計に頼るように指示されているために、それは、いよいよ大きなものとなるのである。 だから女性の狡猾さは、本能的といってもよく、その嘘つきの傾向を全然なくしてしまうことは出来ない。けだし、自然は、獅子には爪と歯とを、象には長い牙を、猪には短い牙を、牛には角を、烏賊には水を濁らす墨汁を与えたように、女性に対しては、自己防衛のために、「いつわる力」を与えて、武装させたのだ。

つまり、自然は、男性に体力ならびに理性として与えた力のすべてに匹敵するものを、女性には、このような天賦の形で、授けたものである。それゆえ、女性は生まれつきいつわるものであり、従って、賢女だろうが毒婦であろうが、いつわることにかけては、同じように巧みなのだ。思うに、女性が、あらゆる機会をとらえて、これを行使するのは、上記の動物が攻撃を受けた場合にすぐさま自分の武器を使用するのと同様に、ごく自然なことであり、しかも、そのとき、女性は、或る程度まで、自分の権利を行使するのだと感じているに違いない。

というわけで、しんそこから誠実な、いつわりなき女は、おそらく、あり得まい、まさしく、それゆえに、女性は、他人のいつわりをやすやすと洞察する。それにつきまとう欠点とから、さらに、虚偽、不貞、裏切り・忘恩などということが生じてくる。法廷における偽証を、女は、男よりもはるかに度重ねて犯している。いったい、婦人の証言を認めるべきかどうかということがそもそも問題ではあるまいか。何の不自由もない貴婦人が、商店で万引きする実例は、いたるところでしばしば繰り返されているのである。

男性と男性の間には、おのずから、単に無関心があるに過ぎないけれども、女性と女性との間には、早くも生まれながらにして、敵意が存在する。だから、いわする商売敵の憎しみは、男たちでは、それぞれ彼らが属する同業組合にもとづくものに限られているが、女たちにあっては、その憎しみが全女性を包括している。これは、女性全体が、ただ一つの職業しか有っていないのによるのだ。女たちは、路で行きあった場合ですら、互いを分け隔てすることを、あたかも、グェルフ党とギベリン党との間柄にもひとしい。

なお、初対面の際、二人の女性は互いに、同じ場合に二人の男性が示すよりも、明らかに、より多くのわざとらしさや、いつわりの虚飾を表す。だから、二人の女性の間にかわされるお世辞は、男性の間のそれよりも、はるかに滑稽なものとなる。また、男性は、自分よりずっと目下の者に対してすら、常に、やはりある程度の遠慮と人情味とをもって話するけれども、高貴の婦人が、身分の低い(しかし、自分の召使ではない)女と話をするとき、一般に、いかにもいばった、そして、さげすむような態度をとるのは、はたで見ていても我慢がならないくらいである。

これは、けだし、女性においては、階級の相違が、総じて、男性におけるよりも著しく不安定であり、はるかにすみやかに変化したり消失したりすることさえあり得るのによるらしい。というのは、男たちの運命には幾百もの事項が関係を有つのに反して、女性にあっては、ただ一つのこと ーすなわちいかなる男に気に入られたかということー のみで、その運命が決まるからである。更に女性の仕事が一方的であるために、女性同士は、男たちの間柄よりも、はるかに接近しているから、せめて、地位による差別だけでも、はっきりさせようと試みることが、またその理由となるのであろう。

背の低い、肩幅の狭い、臀の大きな、足の短い種族を、美しいものと呼びうるのは、ただ、性欲のために呆けている男たちの知性だけである。すなわち、女性の美は全く、男性の性欲衝動のうちに包まれているのだ。

女性は、これを美しいものと呼ぶよりも、むしろ、非美学的なものと呼ぶほうが、ずっと正当だろう。音楽に対しても、詩作に対しても、さらに、造形美術に対しても、女たちは、事実上また本当に、感受性や理解を有ってはいない。もしも、そのようなもので女たちが感激したふりをするなら、それは女たちが他人に迎合するための単なる模倣に過ぎないのだ。このことは、女たちには或る事物について純な関心を有つ能力がないのによるのだが、わたしの考えるところでは、その根拠は、次のとおりである。

男性は、すべての場合に、物ごとを、直接にー或いは理解すること或いは克服することによってー支配しようと努める。
しかし、女性は、常にいたるところで、単に間接的にーすなわち男性を仲介者としてー支配するように定められている、ただし、妻は、ただ、夫だけを直接に支配することができるのだ。それゆえ、女性の天性のうちにあるのは、すべての事物を、ただ夫を得る手段とみなすことだけであり、従って、何かしら或る他の事物に対する女たちの関心は、常に、ただの仮装か単なる手管、すなわち、媚態やら模倣やらとなって現れるものに過ぎない。それで、ルソーも、すでに、言っている。

「婦人は、一般に、いかなる芸術をも愛してはおらず、また、理解してもいないし、そのうえ、何らの天才も有っていない」

と(『ダランベールへの書簡』第二十項)


こんなことは、ものの概観にとらわれない人ならだれしも、すでに気がついているであろう。演奏会、オペラ、劇場などで、女たちの注意を払う向きと具合とを観察するだけでも、わかる。たとえば、偉大な傑作の最も立派な場面の最中にも、女たちはおしゃべりをやめようとはしない、その子供らしい、無邪気さを見たら、よくわかるだろう。

問題は、個々の部分的な除外例によって、変更されはしない、全体について考えると、女たちは、最も徹底した、しかも最も度しがたい俗物であり、また、いつまでも俗物としてとどまる。だから、妻が夫の身分と称号とを共有するというきわめて不合理な社会機構において、妻は夫の卑しい名誉欲に不断の刺激を与える。

そのうえ、女たちがこのような特質をそなえているために、女たちの采配を振ったり音頭をとったりすることが、現代社会の腐敗を醸すのである。女たちの社会的地位に関しては、ナポレオン一世の「婦人に階級なし」という言葉を、よく考えてみるべきであり、その他の点について、シャンフォール

「女性は、われわれの弱点と痴愚とに関係するために造られてあるが、われわれの理性に関係するようには造られていない。女性と男性との間には、ただ、表面的な共感が存在するだけで、精神・霊魂・性格などについての教官は、ごくわずかばかりに過ぎない」

といっているのは、全く当たっている。  女たちは、いわゆる「セクス・セクイオール」〔価値の劣る性、アプレイウス『メタモルフォーセス』第七巻第八章〕で、どの点から見ても、男性の後ろに立つ第二級の性である。それゆえ、男性は女性の弱さをいたわってやらねばならぬ、とはいえ、女性に対して尊敬を払うのは、度はずれに滑稽なことであるし、そんなことをすると、女性みずからが男性を見くだすようになってしまう。

自然が人類を二つに分けたとき、これを真二つに等分したのではなかった。すべて両極に分かれているものにおいて、陽極と陰極との相違は、単に質的のみならず、同時に量的なものがある。-古代ギリシア・ローマの人々および東洋の諸民族は、まさしく、そのような女性観を有っていたから、従って、彼らは、女たちに適当する地位を、わたしたち現代のヨーロッパ人よりもはるかに正当に認識していたのである。これにひきかえ、わたしたちは、このキリスト教=ゲルマン的愚昧の最上の精華である古代フランス風の慇懃と、ばかげきった女人崇拝とを持っているのだ。

しかも、このことは、ただ、往々にして、ベナレス〔インドのヒンドゥ教の聖都〕における神聖な猿どもを想起させるほどに、女たちを横柄かつ無遠慮にするのに役立っているばかりである。それらの猿どもは、自分たちが神聖視され、かつ殺生禁断になっているのを知って、自分たちの欲することはすべてことごとくが許容されるものと考えているのだ-

西ヨーロッパ諸国の婦人、ことに、いわゆる「淑女」(「独」ダーメ「英」レディ)は、不当な地位を占めている。なぜなら、古代人から適切にも「セクス・セクイオール」と呼ばれた婦人は、どのみち、男性の畏敬と崇拝との対象たるに適していないし、男性よりも高く頭をもたげたり、男性と同等の権利を有つには、ふさわしくないからである。この不当な地位に置かれた結果は、てきめんに現れている。だから、ヨーロッパでも、人類の第二号たる夫人には、やはり、それ相応の地位を指定し、また、ただにアジア人全体から笑われるばかりでなく、ギリシア人やローマ人にも同じように笑っただろうと創造される「淑女」というあらずもがなのものにも、結果をつけることが、ぜひとも願わしいのである。

その結果、社交的・公民的ならびに政治的な関係において、具合のよくなることは、それこそ、はかり知れないほどであろう。そうなると、サリー族の法典は、余計な自明の理として、全く不必要なものになってしまうに違いない。ヨーロッパにおける真の「淑女」は、全く存在すべからざるものであるが、主婦および主婦になることを望む少女は存在せねばならぬ。従って、少女は横柄にならぬよう、そして、家事と服従とに向くように教育されなければならない。

ヨーロッパに、いわゆる「淑女」がいるからこそ、身分の低い女たちーすなわち助成の大多数を占めるものーが、東洋におけるよりも、はるかに不幸な目にあっているのだ、バイロン卿ですら言っているではないか(トーマス・ムーア編『書簡および日記』第二巻第三九九ページ)。

古代ギリシア人の間における婦人たちの状態を考えてみるとー全く的を得たものであった。騎士および封建時代の野蛮な遺風たる現今の状態はー人工的であり不自然でもある。女たちは家事に心を配らなければならないーそして、よい食物をとり、よい衣服をまとう必要はある。しかし、社交のうちにまじらなくともよかろう。なお、宗教については、充分に教育されなければならない。

-けれども詩や政治の書を読む必要はなくーただ、信心のことや料理に関する本を読んでおれば、よいのだ。音楽をしたり、絵を描い、ダンスをしたりー時には、少しばかり庭いじりや畑仕事などをやるのも、よかろう。わたしは、エピルス〔ギリシアの西部、アルバニアとの国境にまたがる地方〕において、女たちが道路の修繕をやり立派な成功を収めているのを見たことがある。それゆえ、枯れ草を作ったり乳を絞ったりするのと同様に、このような仕事を、女たちにやらせてはならぬという理由が、果たしてあるのであろうか?」と。

一夫一婦制が布かれている、わたしたちのヨーロッパ地区において、『結婚する』ということは、男性が自己の権利を半減し、かつ、自己の義務を倍化するという意味になる。考えてみると、法律が女性に男性と同等の権利を与えたときに、当然、法律は、また、女性に対して、男性の有っているような理性をも与えなければならなかったのであろう。ところで、法律が女性に対して承認する権利と名誉とが、女性の自然的な関係を、より多く超えて高められれば高められるほど、実際に、この特典にあずかるようになる女性の数は、それだけますます減っていく。

そして、法律は、これら少数者に、その度を超えて与えたのと同僚の自然的な権利を、それ以外のすべての女たちから奪いとるのだ。なぜなら、一夫一婦制の機構と、それに付随する婚姻法とが、何ら斟酌するところなく、一般的に、女生徒男性とを全く同等の価値あるものと認めてしまい、これにもとづいて、女性に賦与されたー反自然的な、しかも女だけに利益のあるー地位は、聡明にして注意深い男性をして、かように大きな犠牲を払って、しかも、かように不平等な契約を結ぶことを、はなはだしばしば躊躇逡巡せしめるからである。

それゆえ、一夫多妻制の諸民族にあってはすべての婦人が扶養されているのに、一夫一婦制の民族においては、結婚している婦人の数は、ほんのわずかばかりに限られ、扶養者を有たぬ婦人が、無数に、取り残されていて、その上流社会に属するものは、無用の老嬢として坐食しているが、下層社会にあるものは、不適当な重労働を課されるか、さもなければ、売春婦となるのだ。

これらの売春婦たちは、全く喜びもなく名誉もない生活を送っているとはいえ、このような状況のもとでは、男性を満足させるために必要にして欠くことのできないものであるし、それゆえにこそ、すでに夫をもっている、或いは夫をもつ希望を抱くことを赦されているー幸運に恵まれたー女性を、男性の誘惑に対して保護するという特殊な目的を有つ、一つの公認された階級として、現れてきたのである。ロンドンだけでもこの種の婦人は、八万人のお起きにのぼるという。

これらの婦人は、一夫一婦制の機構によって、最も恐ろしい不幸に落とされたものにほかならず、実際、これらの婦人こそ、一夫一婦制の祭壇に捧げられた人身御供でなくて何であろうか? このような極度に悪い境遇に陥らせられた女たちすべては、虚飾と尊大とをかねそなえたヨーロッパの「淑女」に対する避けがたい埋め合わせ勘定である。

だから、女性を全体として見るならば、一夫多妻制のほうが、実際には幸福をもたらすことになる。他の麺からいっても、夫は、その妻を慢性病にかかっているとか、いつまでも子を産まないとか、或いは、だんだんと彼の妻として老いぼれていく場合に、第二の妻を迎えてはならぬということは、理性的に看過するわけにはいかない。モルモン宗が、あのように多数の帰依者を獲得したのは、まさしく、反自然的な一夫一婦制の撤廃によるものらしい。


そのうえ、女に不自然な権利を与えたことは、ひいては、これに不自然な義務を負わせることとなって、この義務にそむくことが、反対に、女たちを不幸にしているのだ。たいていの男は、地位や財産に対する顧慮から、結婚をー何らかの輝かしい条件が附帯しない場合にはー不得策なことと思うであろう。そこで、男は、みずからの選択によって、女とやがて生まれる子供たちとの運命を確保するために、結婚以外の条件のもとで、女を得ようと望むようになる。

ところが、この条件は、男にとって、たとえ、そのように公正かつ理性的であり、また、事態に適合しているとしても、女としては、結婚によってのみ与えられる不相応な権利を放擲することになるし、やはり、結婚は市民的社会の基底をなすものであるのだから、この条件に同意するならば、その結果、或る程度まで自分の名誉を失い、悲しい日陰の生活を送らねばならぬことになる。というのも、所詮は、人間の天性が、他人の意志のうえに、それに対し全くふさわしからぬ価値を置くというならわしを有っているからである。しかるに、女が、そのような条件に同意しないときには、やむなく自分の気にいらない男と結婚するか、それとも、老嬢として味気ない一生を過ごすか、いずれかの危険にさらされる、何と言っても、女性の結婚適齢期は、はなはだしく短いのだから。

「妾をかかえることは、すべての教養ある民族にあって、また、ルーテル宗教改革にいたるまでは、あらゆる時代において、許されていた、というよりむしろ、ある程度まで法律的にさえ是認されていた制度で、いかなる不名誉も伴っていなかったのに、この制度が、このような段階から突き落とされたのは、ひとえに、ルーテルの宗教改革のためであり、しかも、この宗教改革は、この制度を撤廃することを踏み台として、むしろ、僧侶の妻帯を義証しようとする一つの手がかりに、目をつけて行なわれたのである。ことここにいたっては、カトリック側でも、もちろん、この点について、おくれをとるわけにはいかなかった」

 一夫多妻制の是非に関しては、議論する必要などは全くない、これは、いたるところに存在する事実として、考えるべきである。ただ、問題は、これをいかに調整するかというにとどまる。いったい、真の一夫一婦主義者は、どこにいるのか? 
わたしたちは、すべて、少なくとも或る期間において、たいていは、しかも、常に、一夫多妻の生活をしているのだ。
従って、男にはそれぞれ、多くの女が必要なのだから、多くの女を世話するのは、男の自由であり、むしろ、義務であるというのが、何よりも当然な話である。

そうなると、女も、従属的存在者として、その正当かつ自然的な立場に戻れるし、ヨーロッパ文明とキリスト教=ゲルマン的愚鈍の化け物であり滑稽にも尊敬と崇拝とを要求する「淑女」は、この世界から姿を消して、ただ、あたりまえの女たちがいることとなる。そのうえ、今、ヨーロッパに充満している不幸な女は、もはや、一人もいなくなる。-モルモン宗の連中は、正しいのだ。

ヒンドスタン(インド中央平原地方)では、あらゆる場合に、婦人の独立は認められていない。マヌ法典第五章一四八節に従って、婦人はだれでも、父か夫か兄弟または息子の監督を受けている。寡婦が亡夫の屍とともに自焚するのは、もちろん、厭うべきことではあるが、夫が子供たちのためにとみずから慰めながら、一年の間、休む暇なく働いて獲得した財産を、夫の死後、寡婦がその情夫たちとともに蕩尽するのも、やはり、忌むべきことではないか。「幸福な人々は、中庸を保つ」-

 始源的な母性愛は、動物におけると同様に、人間にあっても、純粋に本能的なものであり、従って、子供たちを肉体的に援助する必要がなくなるとともに、消失する。それから後は、始源的な母性愛に代わって、習慣と理性とにもとづく母の愛が現れなければならぬはずであるが、往々にして、ことに、母が父を愛していなかった場合には、それが現れてこない。父のその子供に対する愛は、母の愛とは種類の異なるもので、それよりもはるかに持久的であり、子供たちのうちに、自分に特有の最も深い自我を再認識することにもとづく、つまり、形而上学的な起源を有つ。-

男たちが、長い間の勤労と大いなる辛苦をかさねて、やっと築き上げた財産も、女どもの手に渡ると、その無知のために、またたく間に蕩尽されたり、また、それほどではなくとも、濫費されるのは、全く見るにたえないーしかも、ざらに見られるーことである。こんな事態は、女子の相続権を制限することによって、予防されなければならない。それには、女子に、寡婦と娘とを問わず、男系の後継者が皆無でないかぎり、不動産や資本を相続させることなく、原則として、ただ、一生涯の間、抵当権の上で保証される利子のみ相続させるのが、最良の制度というものであろうと、わたしには思われる。

そうなると、財産の取得者は、男子であって、女子ではなく、従って、女子には、財産を管理する資格が与えられないと同時に、これを制約なしに所有する権利も認められず、女子は、けっして、相続した財産そのもの、すなわち資本金・土地・建物などを、自由に処分してはならない、つまり、つねに、後見人を必要とする、従って、当然、寡婦は、いかなる場合にも、その子供たちの後見役となってはならないということにもなる。

女たちの虚栄心は、たとえ、それが男たちの虚栄心より大きくない場合でも、全く物質的な事物、すなわち、自分を美しく飾ることとか、ついでは、浮華・贅沢、壮麗といった面に熱中する悪癖があり、従って、女たちの最も好むところは、まさしく、社交ということである。この虚栄心は、特に、その理性の貧弱なためでもあるが、女たちを浪費に傾かせる。だから、古代人は、早くも

「女たちは、たいてい、生まれながらにして、むだづかいをする」

と言っている。(エス・ブルンク著『ギリシア詩の格言集』第百十五節)。

これに反して、男たちの虚栄心は、おおむね、非物質的な長所ーたとえば、悟性とか教育とか勇気などのようなことーに向けられる。ーアリストテレスは、この『政治学』第二巻第九節で、スパルタでは、女たちが遺産を相続したり持参金を携える権利を有ち、そのほかにも広範囲にわたって束縛されずにいたほど、女に対して、あまりにも多くの自由が許されていたので、そのことから、スパルタの男たちにとって、どれほど重大な不利益が発生し成長したか、また、そのことが、スパルタの没落に、どれほど深い関係を有っていたかということを、詳しく説明している。

-フランスにおいても、ルイ十三世以来、絶えず増大してきた婦人の勢力が、宮廷と政府とを徐々に腐敗せしめ、ひいては、第一革命を惹き起こし、その結果、かずかずの政変が続発したことについて、責を負うべきではあるまいか?いずれにしても、ヨーロッパに淑女というものが存在するということにつけて、その最も鮮明な証徴を現している女性の誤った地位は、社会状態の根本的な欠陥であり、この欠陥は、その中心から、すべての部分へと、その不利益な影響をおし及ぼすにちがいない。

 女が、その天性から従順であるように定められているということは、そのひとりびとりが、完全な独立という、女の天性にとって自然にそむくような地位におかれている場合に、間もなく、その地位を誘導し、かつ支配してもらえるような一人の男に結びつくということによって、はっきりと認められる。

何といっても、女には主人が必要なのである。その際、女が若ければ、主人は、すなわち、愛人であり、年老いているならば、それが懺悔聴聞僧ということになる。

http://blogs.yahoo.co.jp/mizuguchiaiko/2012092.html
http://blogs.yahoo.co.jp/mizuguchiaiko/2028786.html
http://blogs.yahoo.co.jp/mizuguchiaiko/2045959.html

 


われわれの選択と好みに影響する最も重要な要素は年齢である。大体においてこの年齢は生理が始まってから終わるまでの期間と考えてよい。しかし十八歳から二十八歳までの期間が最もよい。これに反してこの年齢以外の場合は、どんな女もわれわれには魅力的ではない。年老いた、つまり生理の終わった女はわれわれに嫌悪の情をもよおさせるだけである。美しくなくても若い女はつねになお魅力を有する。しかし美しくても若さがなければ魅力はない。この場合、われわれを無意識に導いている意図が生殖一般の可能性であることは明らかである。それゆえすべての個体は、生殖あるいは受胎可能な時期から遠ざかるに従って異性に対する魅力を失う。

 それゆえ女がひどく痩せている場合はわれわれにはっきりと拒絶反応を起こさせる。豊満な女の乳房が男たちに非常に魅力的であるのは、それが女の生殖機能と直接関係があり、新生児に豊満な栄養を約束するためである。しかしあまりにも肥満しすぎた女はわれわれに嫌悪感をもたらす。その理由はこのような体質は子宮の萎縮を、つまり不妊を意味するからである。このことは頭でわからなくても本能でわかる。最後に問題となるのが顔の美しさである。ここでもまた特に骨相が大切である。この点美しい鼻が主として注目され、短く上を向いた団子鼻ではすべてぶちこわしである。花が少々上向きか下向きかで生涯の幸福を決められ、涙をのんだ娘たちの数ははかりしれない。

 

若い、強壮な、美しい男性は、人類の繁殖のために力を尽くすように、自然から命ぜられているのである。こうして、種族は退化することを免れる。これは、自然の牢固たる意思であって、この意思の顕現が、すなわち、女性の情熱なのだ。この法則は、古いことでも、その力の強いことでも、他のあらゆる法則を凌駕する。それゆえ、みずからの権利と興味とを、この法則に逆らうものに置く人は、必ず、わざわいを受ける。その人が何を言おうと、また、何をなそうと、彼の権利と興味とは、最初の大切な機縁に際して、たちまち、容赦なく粉砕されるであろう。なぜなら、婦人のひそかな、言い表されない、というよりもむしろ自覚されていない、とはいえ、生まれつきの道徳は、

「わたしたちは、個体であるわたしたちのためにわずかばかり尽くしてくれることによって、種族に対する権利を獲得したように思い誤っている人たちを、裏切る権利を有っているのです。種族の組成は、従って、その幸福も、わたしたちから生まれる次の世代を媒介として、わたしたちの手の中に置かれてあるのです。わたしたちは、それを、良心的に管理していきましょう」

ということなのだから。しかし、女性は、その最高の原則を、けっして、抽象的に意識しているのではなく、単に具体的に意識しているばかりであり、だから、この原則に対して、機会の来たときに、みずから行動を採ることによって発表するほかには、何ら表現手段も有っていない。 しかも、この行動を採る際に、両親は、女性に対して、たいていの場合、わたしたちの想像するよりも、はるかに平静であることを許すのだ。これは、

思うに、女性は、 その心を全くうかがい知ることの出来ない奥底において、個体に対する自分の義務をそこないながらも、種族に対する義務が一層よく果たされていたということ、それに、種族の権利は個体の権利よりも無限に大きいことを、自覚しているからである。-このことについては、わたしの主著『意思と表象としての世界』第二巻第四十四節で、さらに詳しく説明しておいたから、参照されたい。

究極において、女性は、全く、ただ種族の繁殖のために存在するものであり、女性の天分は、このことにあってのみ、展開するのであるから、どっちみち、女性は、個体としてよりも、種族としてより多く生きているのだし、女性の心の中では、種族に関する出来事のほうが、個人的な事件よりも、はるかにまじめに考えられる。これが、女性の存在ならびに行為のすべてに、或る軽薄さと、一般に、男性の方針とは根底から異なる方針とを与えるのだ。そして、このような軽薄さと、また、方針の違いなどから、結婚生活においてしばしば見受けられる、否ほとんど普通のことになっている不和が発生するのである。

男はもともと恋愛において気が変わりやすい傾向があるが、女は一般に気が変わらない。男の愛は想いを遂げた瞬間からはっきりと減退する。そうすると彼には他の女であればほとんど誰でもが、すでに今わがものにしている女より、ずーっと魅力的に見える。彼は変化を切望するからである。これに対して、女の愛はその瞬間から高まる。これは自然が種族を維持し、できるだけ強力にこれを増加させる事をめざしていることの結果である。つまり男は彼にそれ相当の数の女があてがわれるならば、一年に百人以上の子供でもつくることができる。ところが女は、いかに多くの男と交わっても一年に一人の子供しか産む事が出来ない。それゆえ男はつねに他の女に目を移すのである。これに反して女はほとんどただ一人の男に執着する。というのは自然は女が本能的にごくふつうに、生まれてくるこの養育者となり、保護者となる男をつかんで離さぬようしむけるからである。したがって夫婦間の貞節は男には人為的であり、女にとっては自然である。 それゆえ女の姦通は、男性の姦通より遥かに許しがたい。http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/wom/1219762723/

 

 

性愛の形而上学 ショーペンハウアー 1788-1860
「意志と表象としての世界(全四巻)」の第四巻補足


文学は性愛で成り立っている、といってもいいが、哲学者は何故か、これを論じない。

「だから私にはおよそ先輩などというものは、利用する価値もなければ、反駁する価値もない。」

この問題を今までに最も多く論じた者はプラトンで(「饗宴」「パイドロス」など)あるが、それらは神話や寓話、洒落にとどまり、大部分は男色を扱っている。ルソーの「不平等起源論」もこのテーマを少し扱っているが間違いであり不十分である。

カントは「美と崇高の感情について」において論じているが表面的で、事実にうとく不正確である。スピノザの「エティカ」における定義は素朴でお笑いぐさに引用するだけの価値はある。たとえば、

「愛とは、外的な原因をともなっている一種の快感である」。

 


性愛の根底にあるもの

「女性は例外なく男性における心情、あるいは性格の特質に惹かれるということである。というのは、これらの特質は父親から遺伝するからである。女性を魅するのは、堅忍不抜の意志、決然と事を断行する勇気、それにまたおそらくは誠実さと親切なことであろう。

ところが知的な長所は、女性にたいし直接の、また本能的な影響力をもたない。それはつまり、知的な長所は父親から遺伝しないからである。相手の無知は女性の場合どうでもよいことである。卓越した精神力とか、あるいは天才となると、一種の変態としてむしろ不利な印象を与える。醜くて、愚かで、粗野な男が教養も才気もある好ましい男を押しのけて女性の愛をうるのは、そのためである。

事実また、精神的に異質の男女の間にしばしば恋愛結婚が成立することがある、例えば、彼の方は粗野で、腕っぷしが強く、頑迷なのに、彼女の方は多感で、思慮深く、教養もあり、情操が豊かだとか、あるいは彼の方は全く天才的な学者なのに、彼女の方は馬鹿だというような場合など。」


(第44章 性愛の形而上学

 

船荷のない船は不安定でまっすぐ進まない。

我々は、他の人たちと同じようになろうとして、自分自身の四分の三を喪失してしまう。

人間の本来の生きる場所は現在である。ひたすら過去に逃げこむのは自分の死のなかにずるずると落ちこみ、だんだん死んでゆくことだ

他人の不幸を目撃し、それにくらべて自分が幸福な状態にあることを間接的に認めることで得られる喜びは、実は積極的な悪意の源であることも確かだ

http://blogs.yahoo.co.jp/mizuguchiaiko/2011751.html

 

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田代スキー場は雪質も景観も抜群で初心者には日本で一番お薦めのスキー場。
かぐらスキー場はバックカントリーでは日本で一番人気が有るスキー場。


国道17号線の苗場の近くには、湯沢山の湯、貝掛温泉、赤湯温泉山口館、雪ささの湯、法師温泉猿ヶ京温泉、広河原温泉 旅館 峰、湯宿温泉、漣(さざなみ)温泉 のぞみの湯 、川古温泉等の温泉マニアが絶賛する名湯が沢山並んでいる。


かぐらスキー場や湯沢の料理店 がどれ位素晴らしいかは

雪日記
インドア夜型人間が、30代中盤で突然はまったスキーとスノーボード。 パウダーとコブに魅了され新潟県の越後湯沢にリゾートマンションを購入し移住してしまう。
http://golgo13zilch.jp/

 

を見れば良くわかります:

20-21シーズン ~まとめ~

毎年恒例数字で振り返るシーズンまとめです。

全滑走日数 201日。
20-21シーズンものんびりスタートして11月の滑走はたったの1日(笑)

連続滑走日数は162日。
軽井沢と月山を真面目に通えば200日くらいは狙えるのですが、
連続滑走にそこまで拘ると疲れちゃうので…。


恒例のスキー場ランキング。

1位 かぐらスキー場 70日。
2位 湯沢高原スキー場 40日。
3位 ガーラ湯沢スキー場 27日。
4位 神立スノーリゾート 21日。
5位 NASPAスキーガーデン 17日。
   乗鞍大雪渓 17日。
7位 月山スキー場 12日。
8位 秋葉山 5日。
   湯沢中里スノーリゾート 5日。
   湯沢パークスキー場 5日。
11位 石打丸山スキー場 4日。
12位 苗場スキー場 3日。
   岩原スキー場 3日。
14位 一本杉スキー場 2日。
15位 中里スノーウッドスキー場 1日。
   軽井沢プリンスホテルスキー場 1日。   
 
王者かぐら不動の1位は10年連続。
当然と言えば当然なのですが、
湯沢高原の健闘が…(笑)
実は4月前半までは湯沢高原独走だったのです。
営業期間の短さを考慮すると…、スゴイぞ湯沢高原(笑)

夜の部で言えば、
村のおやじ 97回(シーズン中のみカウント)
今シーズンも大変お世話になりました。

村のおやじを筆頭に、

cab9、スイングバー、Jupiter、ととや、味道楽、ラーショ、石どら、あじろう、想い出、雪国牛鍋、
スーケスト、森瀧、泰幸宴、ベルニナ、鼎、新大連、べにちょう、伊智路、釜蔵、ひびき、ピットーレ、
ゆた、小島家、さかえや、どさん子、ライズ、アルピナ、杏、暖々、魚民。

越後湯沢の素晴らしい飲食店の皆様、ありがとうございました。
http://golgo13zilch.jp/blog-category-18.html  

 



スキーに行こう _ 年取っても できるスポーツはスキーだけ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/773.html

苗場スキー場
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/775.html

かぐらスキー場 (かぐら・三俣・田代スキー場)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/779.html

 

湯沢町スキーリフト等共通乗車証

湯沢町スキーリフト等共通乗車証は、湯沢町内の全11のスキー場で利用できるシーズン券です。この乗車証は、スキーやスノーボードを楽しむための便利なアイテムで、以下のような特徴があります。

 

1. **発行対象者**:

- 湯沢町に住民登録をして1年以上経過している町民が対象です。

2. **料金**:

- 55歳以上の町民は27,000円、55歳未満の町民は47,000円で購入可能です。

3. **利用期間**:

- 通常、シーズンは12月1日から4月7日までで、特定のスキー場では4月8日以降の利用が制限されることがあります。

4. **特徴**:

- この乗車証を持っていると、湯沢町のどのスキー場でも何回でも滑ることができます。つまり、スキーやスノーボードを存分に楽しむことができるフリーパスです。

5. **申込方法**:

- 申込書類を添えて湯沢町公民館に申し込む必要があります。

湯沢町のスキーリフト等共通乗車証は、スキー愛好者にとって非常にお得な選択肢であり、町内のすべてのスキー場での滑走を可能にします。シーズン中に多くのスキー場を訪れる予定がある方には特におすすめです。

https://askai.glarity.app/ja/search/%E6%B9%AF%E6%B2%A2%E7%94%BA%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%95%E3%83%88%E7%AD%89%E5%85%B1%E9%80%9A%E4%B9%97%E8%BB%8A%E8%A8%BC%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84


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苗場リゾート衰退の真実【マンションが売れない!】スラム化寸前のマンション負動産から腐動産に『このタワマン3000万を10万円で売るしかない』 - YouTube動画
2022/01/04


今回は新潟県湯沢町苗場スキーリゾートに来ています。今から30年前日本は好景気でバブルに沸いた時期がありました。その時に建てられたマンション群が今は負の遺産になっています。
バブル崩壊後の景気低迷で客足が年々落ち込みレジャーの多様化とデフレ下で実質所得が低迷したことが背景にあります。今やスキー客は最盛期の8分の1(湯沢町HP目的別観光客数を参照)になっていて過疎化や少子高齢化の進展もあり、スキー場周辺の宿泊施設や飲食店の廃業なども続いておりスキー客の減少につながっている。
昨年末から年始にかけてはまとまった雪が降っているものの、近年問題となっている地球温暖化により雪不足が続き営業日数が確保できないスキー場も増えている理由もある。



【バブル遺産】10万円のタワマン?衰退する有名リゾート地に潜入
大人の教養TV 2023/09/08


0:00 オープニング
0:38 湯沢町の概要
2:26 田中角栄
5:04 越後湯沢駅
6:10 一本杉スキー場
11:24 ライオンズマンション越後湯沢
16:01 岩原スキー場
19:26 東京都湯沢町
21:08 ボウリング場跡
22:08 バブル崩壊
27:27 ヴィクトリアタワー湯沢
29:18 苗場スキー場
31:55 西武ヴィラ苗場
35:59 リゾマンの室内
39:39 湯沢町の移住支援
41:59 エンディング


湯沢町】リゾマンが抱える深い闇とは…?
大人の教養TV 2nd 2023/09/08


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ナオヒロのアーカイブ - YouTube
https://www.youtube.com/@naohiro-archive/videos

 

バブル遺産のリゾートマンションがすべて10万円!移住者が集まる激安物件だらけの街「苗場リゾート」とは?

2023/07/02

 

 

越後湯沢温泉 バブル遺産旅!衰退した有名リゾート地で移住者が集まる激安物件のタワーマンションとは?
2023/06/14

 

 

鳥取 皆生温泉 _ 激安リゾートマンション!10万円まで価格崩壊した物件が残る海と温泉の街とは?

2023/08/11



山中湖 激安リゾートマンション! 暴落した物件が中国資本に買われる街とは? - YouTube
2023/07/29


草津 バブル遺産の激安リゾートマンション!30万円まで大暴落した物件が残る日本一の温泉街とは?
2023/07/22


白浜 激安リゾートマンション!50万円まで大暴落した物件が残る海と温泉の街とは?
2023/07/15


伊東 激安リゾートマンション!30万円まで大暴落した物件が残る温泉都市とは?
2023/07/08



リゾートマンション・別荘・一戸建て・土地のご相談はエンゼル不動産
https://www.angel-f.com/
 
北海道で温泉のある田舎暮らしを!
http://www.daidou.net/
 

信州 _ 旬旅 / Japan Season Travel - YouTube
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14063952

最高すぎた長野移住 _ Outdoorbase_asobi - YouTube
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14053599

 

田舎に住むなら別荘地かリゾートマンションにしよう
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007836

一度は行ってみたい _ 高樹沙耶が経営している石垣島『キャンピングロッジ 虹の豆』
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14010284

沖縄病から覚めても…
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016447