音楽を聴くなら女性ヴォーカルに限る _ キャスリーン・フェリア『ブラームス 4つの厳粛な歌』

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音楽を聴くなら女性ヴォーカルに限る _ キャスリーン・フェリアブラームス   4つの厳粛な歌』

 

ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』

Kathleen Ferrier; "Vier ernste Gesänge"; op. 121; Johannes Brahms


Kathleen Ferrier, contralto
John Newmark, piano
Rec.12-14 July, 1950

 


Brahms - Vier ernste Gesänge 1 - Kathleen Ferrier

 

Brahms, Vier ernste Gesänge 2 Kathleen Ferrier

 

Brahms, Vier ernste Gesänge 3 Kathleen Ferrier

 


Brahms, Vier ernste Gesänge 4 Kathleen Ferrier

 
 

ヨハネス・ブラームス   Johannes Brahms ( 1833 - 1897 ) ドイツ

「 4つの厳粛な歌 Op.121 」

獣にきたるがごとく人にもきたるものなれば (詩:聖書より)

獣にきたるがごとく人にもきたるものなれば
獣が死せるごとく、人も死すべきものなり
すべてのものは同じ息を持ち
人といえども獣にまさることなし
なぜなら一切は空虚なればなり

すべてのものはひとつの場所に向かう
みな塵より出でて
そして再び塵に帰る
誰が知ろう 人の魂が天へと昇り
そして獣の息が
地の底に下るか否かなど

ゆえに我は見たり、これに勝れるものなしと
人は己が仕事のもとにおきて幸いなることを
これぞ人の分限なり
なぜなら誰も人をかの地へと導き
人にその行く末を見せることあたわざれば


Denn es gehet dem Menschen wie dem Vieh

Denn es gehet dem Menschen wie dem Vieh;
wie dies stirbt,so stirbt er auch;
und haben alle einerlei Odem;
und der Mensch hat nichts mehr denn das Vieh:
denn es ist alles eitel.

Es f臧rt alles an einem Ort;
es ist alles von Staub gemacht,
und wird wieder zu Staub.
Wer wei゚,ob der Geist des Menschen
aufw舐ts fahre,
und der Odem des Viehes unterw舐ts unter
die Erde fahre?

Darum sahe ich,da゚ nichts bessers ist,
denn da゚ der Mensch fröhlich sei in seiner Arbeit,
denn das ist sein Teil.
Denn wer will ihn dahin bringen,
da゚ er sehe,was nach ihm geschehen wird?



我は振り返りそして見たり (詩:聖書より)

我は振り返りそして見たり
太陽のもとで不正に苦しむすべての者たちを
そして見よ、そこで涙を流す者たちの涙を
彼らは不正に苦しみ慰める者とていない
そして彼らに不正をなす者はあまりに強大なれば
誰も彼らを慰めることあたわざり

ゆえに我は死者を讃えん
もう既に死せる者たちを
生ける者よりも
いまだ生き続ける者たちよりも
然れどもなお未だ生まれざる者はそのいずれよりも幸いなり
かかる悪しきことを未だ見ざれば
この太陽のもとでなされる悪しきことを


Ich wandte mich und sahe an

Ich wandte mich und sahe an
Alle,die Unrecht leiden unter der Sonne;
Und siehe,da waren Tr舅en derer,
Die Unrecht litten und hatten keinen Tröster;
Und die ihnen Unrecht t舩en,waren zu m臘htig,
Da゚ sie keinen Tröster haben konnten.

Da lobte ich die Toten,
Die schon gestorben waren
Mehr als die Lebendigen,
Die noch das Leben hatten;
Und der noch nicht ist,ist besser,als alle beide,
Und des Bösen nicht inne wird,
Das unter der Sonne geschieht.


おお死よ、なんと汝は苦きことか (詩:聖書より)

おお死よ、なんと汝は苦きことか
汝のことを人が考えるときには
その人が善き日々を送り
悩みごとなく暮らし
万事がつつがなく
食べることにも困らぬときに
おお死よ、なんと汝は苦きことか

おお死よ、なんと汝は貧しき者には心地よきものか
か弱き者や年老いたる者には
あまたの悩みの中に投げ込まれ
もはや何もより良きものを望むことあたわず
期待することあたわざる者には
おお死よ、なんと汝は貧しき者には心地よきものか


O Tod,wie bitter bist du

O Tod,wie bitter bist du,
Wenn an dich gedenket ein Mensch,
Der gute Tage und genug hat
Und ohne Sorge lebet;
Und dem es wohl geht in allen Dingen
Und noch wohl essen mag!
O Tod,wie bitter bist du.

O Tod,wie wohl tust du dem Dürftigen,
Der da schwach und alt ist,
Der in allen Sorgen steckt,
Und nichts Bessers zu hoffen,
Noch zu erwarten hat!
O Tod,wie wohl tust du!


たとえわれが人間の、また天使の言葉で語ろうとも (詩:聖書より)

たとえわれが人間の、また天使の言葉で語ろうとも
そこに愛がなかりせば
それは鳴り響く銅鑼と
あるいは鳴り響く鈴と同じものなり
たとえわれが予言をなす力を持ち
あらゆる秘密を知り
あらゆる知識を持っていようとも
そしてまたあらゆる信仰心
山をも動かす信仰心を持っていようとも
そこに愛がなかりせば
われは無に等しき者

たとえわれが貧しき者へと我が持てる物をみな施そうとも
我が身を燃やさせようと
そこに愛がなかりせば
みなわれには無意味なことなり

われらは今 鏡を通して見る
謎めいた言葉もて
だが時来たれば顔と顔を見合わせる
今われが知るのは断片なれど
その時には知ることになる
われが今知られているのと同じ程に

永遠に残りしものは信仰、希望、愛
この三つなり
だが愛こそがこの中でもっとも尊きもの


Wenn ich mit Menschen und mit Engelszungen redete

Wenn ich mit Menschen und mit Engelszungen redete,
Und h舩te der Liebe nicht,
So w舐' ich ein tönend Erz,
Oder eine klingende Schelle.
Und wenn ich weissagen könnte,
Und wü゚te alle Geheimnisse
Und alle Erkenntnis,
Und h舩te allen Glauben,also
Da゚ ich Berge versetzte,
Und h舩te der Liebe nicht,
So w舐e ich nichts.

Und wenn ich alle meine Habe den Armen g臙e,
Und lie゚e meinen Leib brennen,
Und h舩te der Liebe nicht,
So w舐e mir's nichts nütze.

Wir sehen jetzt durch einen Spiegel
In einem dunkeln Worte;
Dann aber von Angesicht zu Angesichte.
Jetzt erkenne ich's stückweise,
Dann aber werd ich's erkennen,
Gleich wie ich erkennet bin.

Nun aber bleibet Glaube,Hoffnung,Liebe,
Diese drei;
Aber die Liebe ist die grö゚este unter ihnen.



 

ブラームス最晩年の作品として知られる「四つの厳粛な歌」は彼の死の前年1896年の作品。この頃彼は親しかった人を次々と亡くしておりましたので、これらの人々の追悼として書いたという説もあるようですが真相はよく分かりません。少なくともこの年5月のクララ・シューマンの追悼式のときにはブラームスによって歌われたようですが。
歌詞はすべてブラームスが座右の書としていたドイツ語口語訳の聖書より。第1曲と第2曲は旧約聖書、伝道者の書 (Ecclesiastes)よりそれぞれ第3章の最後の部分(19〜22節)とすぐ後の4章 1〜3節。いずれもまるで仏教の教えのようなしみじみとした諦観が印象的な詩です。第3曲も旧約聖書ですが、本編ではなくて外典の「シラクの書」の第41章より取られています。これは通常の聖書には含まれず、カソリックでのみ正典として認められているのだそうです。


第4曲のみは新約聖書より。コリント人への手紙第一の13章、冒頭の1〜3節と、それから真ん中を抜いて最後の12〜13節を取り上げています。前3つの曲とのテーマの違いもさることながら、ここでの音楽の陽気ささえ感じさせる軽快さには驚かされます。といっても決して破目を外しているというわけではないのですが、このロマンティックなメロディはまるでラブソングのようにも聴こえます。


そうとは言いながらも、ここで歌われている「愛」というのは日本人がよく混同して勘違いしがちな「性愛」ではないことに注意しなくてはならないでしょう。ドイツ語の原詩ではLiebeを使っていますが、私のたまたま見た英語対訳ではこれにLoveではなくCharityをあてていました。私の訳ではうまく言い表せておりませんが、この「チャリティ」といったニュアンスがこの歌の要です。


もっともこの言葉も日本では慈善募金程度の感覚に捻じ曲げられて いるような感もありますので、日本人にはこの言葉の適切なニュアンスを理解するのはやはり難しいのかも知れません。

 
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ブラームス『アルト・ラプソディ 作品53』
Brahms: Rhapsody for Alto, Chorus, and Orchestra, Op. 53


Kathleen Ferrier
London Philharmonic Choir
London Philharmonic Orchestra
Clemens Krauss
 
「アルト・ラプソディ」♪ Alto Rapsody 作品53
原詩 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(「冬のハルツ紀行」の一節から)
作曲 ヨハネス・ブラームス

Aber abseits wer ist's?
しかし、ひとり離れていくのは誰か?
Im Gebüsch verliert sich der Pfad.
茂みの中に、小道は見えなくなる。
Hinter ihm schlagen
彼の後ろで、木ずれの音がする、
Die Sträuche zusammen,
潅木の枝と枝とが(立てる音)。
Das Gras steht wieder auf,
(踏みしだかれた)草は立ちなおり、
Die Öde verschlingt ihn.
荒野が彼を呑み込んでしまう。

Ach, wer heilet die Schmerzen
ああ、誰がその苦痛を癒すだろう?
Des, dem Balsam zu Gift ward?
癒しの香油を毒薬に化してしまった者の(苦痛を)。
Der sich Menschenhaß
人としての憎しみを、
Aus der Fülle der Liebe trank?
溢れる愛から飲んでしまった者の(苦痛を)。
Erst verachtet, nun ein Verächter,
まず人が蔑み、今は人を蔑む者となり、
Zehrt er heimlich auf
彼はひそかに消耗する、
Seinen eigenen Wert
自分自身の価値を
In ungenugender Selbstsucht.
満たされることのないエゴイズムに。

Ist auf deinem Psalter,
あなたの竪琴が、
Vater der Liebe, ein Ton
愛の父なる神よ、ひとつの音が
Seinem Ohre vernehmlich,
彼の耳に聴こえるのならば、
So erquicke sein Herz!
彼の心を元気付けて下さい!
Öffne den umwölkten Blick
彼の曇った眼差しを開いてください、
Über die tausend Quellen
数限りない泉があることに、
Neben dem Durstenden
渇している者のすぐ隣に、
In der Wüste!
不毛の地でも!
 

『アルト・ラプソディ』( Alt-Rhapsodie作品53は、アルト独唱男声合唱および管弦楽のため、ヨハネス・ブラームス1869年に作曲した作品である。ゲーテの詩『冬のハルツ紀行』(ドイツ語Harzreise im Winter)に曲付けされており、本来の題名は『ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章』(ドイツ語Fragment aus «Harzreise im Winter»)であるが、アルト独唱に焦点が置かれていることからこのような通称があたかも正式名称であるかのように認知されている。

 

三部形式で構成されており、ハ短調による第1部と第2部は、独唱と管弦楽によって人間嫌いの放浪者の心の痛みが描き出される。第2部は実質的にはアリアである。ハ長調の第3部は合唱が加わり、旅人の心痛を取り去るように神へ祈願するのである。『アルト・ラプソディ』は『ドイツ・レクイエム』の1年後に作曲されており、第3部の声楽や合唱の書法に後者との類似点が見られる。

 

作曲当時ブラームスは、ロベルトおよびクララ・シューマン夫妻の三女ユーリエに、若き日のクララの面影を見出してほのかな思いを寄せていた。しかし内気なブラームスのいつもの癖で、なかなか気持ちを打ち明けられずにいるうちに、母クララはイタリアの貴族からの求婚を容れてユーリエを婚約させてしまう。そのことを打ち明けられたブラームスは「怒りをもって」本作を作曲したのだと友人に語ったという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%97%E3%82%BD%E3%83%87%E3%82%A3

 

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ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』

Kathleen Ferrier Brahms: Immer leiser wird mein Schlummer, Op.105, No.2




Kathleen Ferrier · Bruno Walter
Edinburgh recital 1949, pianist is Bruno Walter.

 

■Fünf Lieder 5つの歌曲 Op.105 (1886)


1 Wie Melodien zieht es メロディのように 詞:グロート
2 Immer leiser wird mein Schlummer わが眠りは一層浅くなり
3 Klage 嘆き 詞:ドイツ語の民謡
4 Auf dem Kirchhofe 教会の庭で 詞:リリエンクローン
5 Verrat 裏切り 詞:レムケ
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/COMP/Brahms.htm

 

Immer leiser wird mein Schlummer   Fünf Lieder Op.105-2   
わが眠りは一層浅くなり  
詩: Hermann von Lingg,1820-1905   
曲: ブラームス (Johannes Brahms,1833-1897) 


Immer leiser wird mein Schlummer,
Nur wie Schleier liegt mein Kummer
Zitternd über mir.
Oft im Traume hör ich dich
Rufen drauß vor meiner Tür,
Niemand wacht und öffnet dir,
Ich erwach und weine bitterlich.


Ja,ich werde sterben müssen,
Eine Andre wirst du küssen,
Wenn ich bleich und kalt.
Eh die Maienlüfte wehn,
Eh die Drossel singt im Wald:
Willst du mich noch einmal sehn,
Komm,o komme bald!


わが眠りは一層浅くなり
まるでヴェールのように、悲しみだけが
震えながら私を包む
時折 夢の中で私はあなたの声を聞く
私の戸口の前で呼んでいるのを
だが誰も目覚めず あなたを呼び入れない
私は目覚め 苦い涙を流すのだ


そうだ、私は死ぬのだろう
他の人にあなたはくちづけするのだ
もし私が青ざめ冷たくなってしまったならば
五月の風が吹く前に
ツグミが森で歌いだす前に
もしもあなたがもう一度私に会いたいと思ってくれるなら
来ておくれ、おお来ておくれ今すぐ!
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S2212.htm

 

ブラームス/まどろみはますます浅く ~ 《5つの歌曲 Op. 105》より
http://kimamalove.blog94.fc2.com/blog-entry-2211.html


ブラームスピアノ協奏曲第2番第3楽章の有名な冒頭主題はチェロが独奏する牧歌的な旋律。


ブラームス自身、この主題がとても気にいっていたのか、後に《5つの歌曲 Op.105》の第2曲「まどろみはますます浅く」の旋律に転用している。


詩は Hermann Van Lingg。


ピアノ協奏曲の第3楽章は変ロ長調
主題旋律は穏やかで安らぎに満ちているので、子守歌のようにまどろんでしまいそう。
それと正反対に、歌曲「まどろみはますます浅く」は嬰ハ短調で、まどろむどころか、歌詞は悲嘆にくれた痛切な思いを切々と綴っている。


同じ主題を別のフォーマットの曲に転用することは多いけれど、長調短調を入れ替えて曲想を180度変えるのは、珍しいかも。


この主題旋律は、長調でも短調でもとても美しい。
短調の歌曲は”Langsam und leise”(ゆっくりとそっと静かに)。静けさの奥深くで強く抑えた感情が滲みでてくるようで、ブラームス独特の陰翳が濃い。
調べてみると、第3楽章の中間部でクラリネットが弾いている旋律も、歌曲《Todessehnen/死へのあこがれ Op.86-6》へ転用されている。


もしかして、ピアノ協奏曲の方でも、表面上の穏やかさとは裏腹に抑制された哀感を篭めていたのだろうか?


《5つの歌曲》は "für eine tiefer Stimme" とあるので、アルトのレパートリーとして有名らしい。ソプラノ歌手もよく歌っている。(録音があるのは、フェリアー、シュトゥッツマン、ポップなど)


これはアルトではなく、ソプラノのマーガレット・プライスの歌。
Margaret Price: Immer leiser wird mein Schlummer by Johannes Brahms
(James Lockhart, piano)



こちらがピアノ協奏曲第2番第3楽章。
冒頭のチェロ独奏は、ウィーンフィルの首席チェロ奏者シャイヴァイン。
クラリネット独奏は7:00~。(注意して聴いていないと、歌曲《Todessehnen》で使われている旋律と同じだとわからないかも)


Brahms - 4_5 - Piano Concerto N 2 - 3° mov. - Andante - Pollini - Abbado.


*Comment


5つの歌曲


ホルンも好きだけど、チェロも好きなので、この部分もとても大好き!ですが、歌曲に転用されていたとは知りませんでした。クラリネット独奏のところなどは、指摘してもらわなければ、気付かないまますぎてしまいそうです。


歌曲もとてもブラームスらしい陰影のあるものですね。とっても好きだなあ。


これもアルトのための歌なんですね。ブラームスは自分のメロディーは、アルトが一番映えると自分で考えていたんでしょうか。
posted by Tea316 2012.08/09 08:36分

 


ブラームスとアルト歌手


Tea316様、おはようございます。


チェロ独奏はとっても素敵ですね!この曲では一番有名な旋律かも。
クラリネットの旋律は、メロディ自体が地味ですし、歌曲冒頭ではなく曲半ばで出てくるので、かなり注意して聴いていないとわからないかもしれません。


ブラームスの歌曲は聴けば聴くほど良いですね~。


ブラームスは学生時代から好きなのですが、歌曲はピアノ曲交響曲ほどにはしっかり聴いていなかったので、(年のせいか?)今になってその良さがよくわかるようになりました。


調べてみると、《5つの歌曲 Op. 105》は、当時ブラームスが恋していた24歳も年下のアルト歌手シュピースの声の素晴らしさに触発されて、書いた曲でした。
彼女には、歌曲のOp.96&Op.97も捧げられたそうです。ロマンティックな交響曲第3番もこの時期に書かれてます。


ブラームスの人生に深く関わりがあったアルト歌手やソプラノ歌手は数人いますから、彼女たちがブラームスの創作意欲を刺激したのではないかと思います。
それにブラームスは《アルト・ラプソディ》を書いていますから、アルトはもともと好きな声域なのでしょう。


ヴィオラを伴奏で使ったりソナタを書いたりしているのも、ヴァイオリンよりもやや低く地味目の音色を好んだのかもしれませんね。posted by yoshimi 2012.08/09 08:56分
http://kimamalove.blog94.fc2.com/blog-entry-2211.html


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Schubert, Schumann, Brahms : Lieder by Kathleen Ferrier & Bruno Walter


Contralto : Kathleen Ferrier
Piano : Bruno Walter
Live recording in 1949, Edinburgh Festival

 

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Kathleen Ferrier - YouTube

https://www.youtube.com/results?search_query=Kathleen+Ferrier&sp=CAI%253D

 

キャスリーン・フェリア - トピック - YouTube

https://www.youtube.com/channel/UCrDDZC_Br_PNK8IM1SntR3w

 

Kathleen Ferrier - Folk SONGS - Albuns - YouTube

https://www.youtube.com/playlist?list=PL6B0V2FKgTzLtrtUGeixBnQkpxYGqfTNa 

 

 

キャスリーン・フェリア - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%A2

 

キャスリーン・フェリア(Kathleen Ferrier、1912年4月22日 - 1953年10月8日)は、イギリスイングランドランカシャー州プレストン生まれのコントラルト歌手

生涯

フェリアは家庭が貧しかったため、14歳で学校を終えるとブラックバーンで電話交換手の職に就いた。1935年に銀行の管理者バート・ウィルスンと結婚し、カーライルに転居した。フェリアは正式な音楽教育を受けてはいなかったものの、歌とピアノが得意で、地元のコンクールで受賞経験もあった。夫がカーライルの音楽祭ではフェリアが入賞できないほうに賭けるといったため、彼女はコンクールに出て歌唱とピアノの両方で優勝した。フェリア自身はピアノのほうで合格すると思っていた。この一件によってフェリアの歌の才能が公衆の関心を呼び、彼女が音楽でキャリアを積むことを決意する重要な要因となったといえる。しかし結婚は成功とはいえず、12年後離婚に至った。

やがて当時有名な声楽教師であったバリトン歌手ロイ・ヘンダーソン英語版について学んだ。

ブリテンはフェリアの才能を認め、『ルクレティアの凌辱英語版』のルクレティア、ピーター・ピアーズとフェリアのために書いた『アブラハムとイサク』、『春の交響曲』(1949年)など、彼女のために多くのパートを作曲した。フェリアはワルターバルビローリマルコム・サージェントクレメンス・クラウスカラヤンベイヌムなど多くの著名な指揮者、そして特にブリテンの指揮のもとで歌った。また、フェリアはイソベル・ベイリーやピーター・ピアーズなどの著名な歌手と共演した。

フェリアの最後の出演は1953年コヴェント・ガーデンロイヤル・オペラ・ハウスで行われたグルックの『オルフェオとエウリディーチェ』でオルフェウスを歌ったものであった。1947年グラインドボーン音楽祭ですでにこの役を演じていたが、ロイヤル・オペラ・ハウスでの上演は英語で行われた。フェリアはこのとき2回の公演に出演しただけであった。

1953年10月8日、乳癌のため、ロンドン大学病院(University College Hospital)で41年の短い生涯を閉じた。

 

レコーディング

フェリアの演奏で特に有名な作品は次のようなものがある。

フェリアはこれらの作品のいくつか、例えば『マタイ受難曲』、バッハやヘンデルのアリア、グルックの『オルフェオ』などでは原語および当時の英国の習慣に従って英語で歌っている。

フェリアはその短い演奏家人生のうちで多くのレコードを残したが、いくつかの演奏は記録されなかった、あるいは記録が破壊されたものもある。たとえばエルガーの『ゲロンティアスの夢』やヘンデルの『メサイア』などはそうである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%A2

 

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因みに、ブラームスの歌曲の中でも、メロディーの切なさで一番有名なのは

 

ヨハネス・ブラームス 『雨の歌  余韻 Nachklang』

Brahms: Nachklang, op.59, No.4

 

です。 キャスリーン・フェリアも録音していたのですが、youtube から削除されています。

 

■Acht Lieder und Gesänge 8つの歌曲と歌 Op.59 (1871)
ヴァイオリンソナタ第1番で引用されたことで有名な「雨の歌op.59-3」を含む歌曲集.


第1曲 黄昏が天より降り Dämmerung senkte sich von oben
黄昏時の持つ独特な神秘性を歌う. 重い音楽だが途中で一筋の光が差す.


第2曲 湖上で Auf dem See
湖の上から見られる空, 山, 波といった景観を称える歌. 民謡調の平易な旋律が親しみやすい.


第3曲 雨の歌 Regenlied
153小節の大規模な作品. 雨の日に幼い頃の楽しかった思い出に耽る, という歌詞. しっとりとした旋律, 細やかなピアノの動きの醸し出す情感は筆舌に尽くしがたい.


第4曲 余韻 Nachklang
「雨の歌」と同じ旋律による歌. 第3曲を作曲した「余韻」で作られたとされる.


第5曲 アグネス Agnes
3拍子+2拍子+2拍子という変則的な拍子 (ピアノトリオ第3番第3楽章でも採用されている) の旋律による. この拍子のために, 失恋の悲しみがとめどもなく押し寄せてくることが強調される.


第6曲 ぐっすりとおやすみなさい Eine gute, gute Nacht
横で眠る恋人への恋情で寝付けない, という歌. 増四度の特徴的な響きが, 恋人の「おやすみ」という言葉で揺れ動く心を映し出している.


第7曲 ぼくの傷ついた心は求める Mein wundes Herz verlangt
やや意表を突く短い前奏の後, 伴奏なしで歌唱が始まる. 行き詰まっているのにどうすべきかわからない焦燥感で全編が統一されている.


第8曲 きみの青い瞳 Dein blaues Auge
愛する人の瞳を覗き込んだときに湧き上がる様々な感情が, しっとりとした響きのピアノで表現される.
http://jb098.blogspot.com/2016/02/8-op59.html

 

 

ヨハネス・ブラームス 『雨の歌  余韻 Nachklang』


Brahms: Nachklang, op.59, No.4
Mischa Maisky - Song of the Cello




Mischa Maisky · Pavel Gililov
℗ 1990 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin

 

男の声は聴きたくないんだけど、しょうがないかな: 



Dietrich Fischer-Dieskau--Baritone
Jörg Demus--Piano
1958


____


Brahms: Lieder und Gesänge op.59 - 4. Nachklang




Dietrich Fischer-Dieskau
Daniel Barenboim
℗ 1983 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin


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Regenlied op. 59 Nr. 3 (Live)


Brahms: Regenlied, Op.59, No.3 · Dietrich Fischer-Dieskau · Jörg Demus


℗ 1958 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin


__


Brahms: Lieder und Gesänge op.59 - 3. Regenlied


Dietrich Fischer-Dieskau · Daniel Barenboim
℗ 1983 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin

 

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Regenlied 「余韻」  Acht Lieder und Gesänge Op.59-4  
作品59-4_「雨の歌」遺作24(1870年作曲)
詩: グロート (Klaus Groth,1819-1899) 
曲: ブラームス (Johannes Brahms,1833-1897) 


Regentropfen aus den Bäumen
Fallen in das grüne Gras,
Tränen meiner trüben Augen
Machen mir die Wange naß.


Wenn die Sonne wieder scheinet,
Wird der Rasen doppelt grün:
Doppelt wird auf meinen Wangen
Mir die heiße Träne glühn.


木々より落ちる雨は
青草の上に落ち
わが悲しき目より流れた涙は
頬をぬらす


再び太陽が輝けば、
草はさらに倍に青くなり
わが頬のあつい涙は
さらに倍に燃える

 


「余韻」作品59-4
この歌曲は、「雨の歌」の補足のようなものとして知られていますが、ブラームスは最初、この曲を出版するつもりはなかったようです。
詩の内容は、「雨の歌」と違って、とても悲しい歌です。
それに、「雨の歌」とほとんど同じメロディーをつけた理由は、よくわからないですね。「雨の歌」より前に作曲されたのでしょうか。
この曲は「雨の歌」と対で録音されており、「雨の歌」で上げた歌手の録音が上げられます。


「雨」遺作23(1870年作曲、詩;クラウス・グロート)
この曲は、1870年ごろに作曲されたということになっていますが、この時期、ブラームスクララ・シューマンの娘のユーリエに失恋して,苦しんでおり(「アルトラプソディー」が書かれた)、この歌曲もそうした心境を映していると言いたくなる様な悲しい歌曲です。勿論この曲は、ブラームスの生前には、出版されなかったわけですが。
「余韻」と違って、半音階の進行が多く、とても魅力的な歌曲だと思います。
意外と録音の種類が少なく、私が聴いたのは、
1. エディット・マティス(Pf ヴァイス)
2. ジェシー・ノーマン(Pf バレンボイム
どちらも素晴らしいですが、私はエディット・マティスをとります。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S119.htm

 

 

雨の歌~ブラームス名曲集 - YouTube

https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_lkfOPkrXNNioVS4-vn-PGtOimUbCzcUuo

 

Brahms: Songs Without Words: Lerchengesang,

Mischa Maisky

Pavel Gililov

 ℗ 1997 Deutsche Grammophon GmbH, Berlin

 

 

 ヴァイオリンソナタ 第1番第3楽章のテーマが有名な「雨の歌」

Adolf Busch- Sonata n°1 Brahms (3rd mvt)


Brahms violin sonata n°1 in G major for violin and piano.
Adolf Busch (violin), Rudolf Serkin (piano).
Live recording on 13 October 1936; London

 

 

 ブラームスの音楽の詳細は

 

ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html

 

ブラームス最晩年のクラリネット曲に秘められたメッセージとは
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/434.html  

 

世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html