禁断のKRELL _ JBL 、アルテック、マークレビンソン、FMアコーステックスが大好きなオーディオファイルが一番参考にできるブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2026/06/05/095751
岡山県 ヴィンテージ・オーディオで昔の伝説のスピーカーやアンプを買おう
https://a111111.hatenablog.com/entry/2026/06/05/085312
カリスマ音楽評論家 宇野功芳が50年間使っていた装置 _ ワーフェデール + Axiom80、マランツ7C + QuadⅡ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2026/06/05/082202
Y下 _ 私のオーディオ人生
https://a111111.hatenablog.com/entry/2026/06/05/065340
清貧の音楽ファンには音楽はわからない _ フランス人だけがヤマハから美しい音色が出せる理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/435.html
20世紀初めにはヴァイオリンも今とは比較にならない上品、甘美、哀切な音色で鳴っていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/652.html
19世紀のピアノの音色は今より美しかった、ピアノは大きな音が出せればいいという物じゃない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/683.html
19世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html
ニーチェが耽溺したワーグナー トリスタンとイゾルデの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/375.html
20世紀初めはこういう時代だった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/612.html
華麗なる芸術都市の光と闇 “魔の都”ウィーンに響く天才歌手グルベローヴァの美声 - 777ブログ
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ゲルマンの音とはワーグナーが広めた如何にも意味有り気で奥深く感じさせる演奏様式の事 - 777ブログ
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モーツァルトは文部省唱歌と同じ様に懐メロとして聴かれている - 777ブログ
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アメリカの音楽
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天才ピアニスト ヴァン・クライバーン(1934年7月12日 - 2013年2月27日)とは何だったのか? _ アメリカ人には音楽は理解できない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/430.html
アメリカの演奏家は何故みんな演奏技術だけ凄くて中身ゼロなのか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/437.html
アメリカ人には音楽は理解できない _ ジャズなんか音楽じゃない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/440.html
音楽は脳にどのような影響を及ぼすか _ ストレスを軽減させ、作業効率を高めるBGMの脳科学
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/934.html
聴覚は幼少期に体験した聴覚手掛かりから発達する
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/991.html
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ヤマハのピアノを弾いている音大の学生には音楽は絶対にわからない。
日本製のオーディオ機器を使っているオーディオ・ファイルには音は絶対にわからない。
世界のピアノ市場が激震!ヤマハの驚異的シェア50%突破…スタインウェイも認めた日本技術の秘密・・・
世界のテック通信 2025/06/14
かつて欧米で二流視された日本のヤマハピアノ。
なぜ今、欧州老舗を脅かす世界の頂点に?その秘密は、30年の研究と常識外の革新技術!プロも認める品質と価格のバランス、耐久性に加え、電子技術との融合で市場を席巻。さらに医療やAI分野まで挑む、単なる楽器メーカーではないヤマハの驚異的な未来とは?日本のものづくりが世界に放つサクセスストーリーに迫ります。
【海外の反応】ヤマハのピアノが世界で爆売れ!世界が驚愕したヤマハの技術とは・・・
輝く日本の技術【海外の反応】2025/06/10
ヤマハのピアノが今、世界中で爆売れしています。かつてピアノといえば、ヨーロッパの名門ブランドが市場を独占していました。そのため、「ヤマハのピアノなんて二流品だ」と欧米では長く見下されてきたのです。しかし、ヤマハは決して諦めませんでした。何十年にもわたる研究開発と徹底した品質改善の努力により、プロのピアニストや名門の音楽大学からも認められるほどに成長したのです。その結果、2025年現在、ヤマハのピアノは世界市場の35%以上という圧倒的なシェアを獲得しています。一体なぜ、ヤマハはこれほどまでに世界のピアノ市場を席巻できたのでしょうか?今回は世界が絶賛するヤマハピアノの革新技術と、その成功の秘密に迫ります。
【比較検証】スタインウェイとヤマハの決定的な違い20選
piano DIY と 保守点検 2024/06/20
スタインウェイとヤマハのピアノの違いについて解説しています。違いっと一言で言っても同じスタインウェイのピアノでも、ピアノによっても音色は全然違ったりします。「音色」という抽象的で曖昧な違いの解説ではなく、誰でもわかる、見ためでわかるスタインウェイとヤマハの構造の違いについて詳しく解説しています。
スタインウェイの仕組み、構造に興味のある人には参考になる動画となっております。
今回は一般家庭用のサイズのピアノ、スタインウェイ A-188とヤマハ C3で検証しています。
スタインウェイの金額のカンマの位置を間違えてます。正確には20,548,000円です。
日本のピアノメーカー「ヤマハとカワイの違い」
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16838474
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ヤマハ【7951】の株価チャート|日足・分足・週足・月足・年足|株探(かぶたん)
https://kabutan.jp/stock/chart?code=7951
7951の株価とチャート — TSE:7951 — TradingView
https://jp.tradingview.com/symbols/TSE-7951/
7951 - ヤマハ(株) 2023/12/08〜 - 株式掲示板 - Yahoo!ファイナンス
https://finance.yahoo.co.jp/cm/message/1007951/a5da5dea5o
ヤマハのレーティング - MSTG
https://mstgv.com/rating/7951
グループ会社 (海外) - 企業情報 - ヤマハ株式会社
https://www.yamaha.com/ja/about/locations/group-companies-worldwide/
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スタインウェイ ベーゼンドルファー ヤマハの違いが聴こえますか? - YouTube
グランドピアノ世界三大メーカーなど弾き比べ - YouTube
ベーゼンドルファーのピアノは何が違うのか ヤマハ傘下の世界3大ピアノメーカーの今
田中 泰 2018/07/22
「世界3大ピアノ・ブランド」という言葉がある。その内訳は、スタインウェイ(アメリカ/ドイツ)、ベヒシュタイン(ドイツ)、そしてベーゼンドルファー(オーストリア)の3ブランドを指すのが一般的だ。
そこにブリュートナー(ドイツ)を加えて「4大ピアノ・ブランド」という見方もあるようだが、これは少し無理があるように感じられる。
そもそもなにをもっての「3大ピアノ・ブランド」なのだろう。現在の販売シェアから言えば日本のヤマハやカワイが入っていてもおかしくないのだが、どうやら過去にどれだけすばらしいピアニストたちに愛された楽器であるかということが根拠となっての「3大ピアノ・ブランド」であるようだ。
リストが愛した名器の誕生
さて、ここで注目したいのがオーストリアの名器ベーゼンドルファーだ。“音楽の都ウィーン”で1828年に設立されたベーゼンドルファーは、ウィーンに集まる数多くの音楽家たちからの助言によって改良を重ね、「ウィンナートーン」と呼ばれる美しい音色を創り上げていく。その音楽家たちの筆頭に挙げられるのが、伝説のピアニストにして作曲家のフランツ・リストだった。
圧倒的な超絶技巧と華麗なショーマンシップによってヨーロッパ中を席巻していたリストは、ピアノに対する要求も多く、音色のすばらしさもさることながら、リストの激しい演奏に対応できた唯一のピアノということで、ベーゼンドルファーの名声は一気に高まった。
しかし、商業ベースとは無縁の丁寧な手作業によって作られるピアノの台数は極めて少なく、創業から190年という長い歴史の中で製造された総数はわずか5万台。現在も年間250台というペースで作られているというのだから驚かされる。その結果として経営状態は悪化。2007年にヤマハの子会社となることでそのブランドを保ち、現在に至っている。
そう、つまり「世界3大ピアノ・ブランド」の1つベーゼンドルファーは、現在日本のヤマハ傘下にあるのだ。これはなにやらクルマ業界のブランド吸収合併に似ているような気がする。
たとえてみれば、「トヨタ」が英国の老舗ブランド「ジャガー」を傘下に収めたようなものだ。ピアノ・ファンの間で当時大きな話題となった“ヤマハによるベーゼンドルファー買収”から10年。この出来事は、2つのピアノ・メーカーにとってどのような結果をもたらしたのだろう。
窮地のベーゼンドルファーを買収した意味
「1980年をピークとするピアノ生産は、その後の人口減少などに伴う売り上げ減が予想される中、ヤマハでは、お客様ニーズに応える高付加価値製品を提供し、ブランド力を強化していくことで、更なる拡販を目指しておりました。そんな折に、世界最古のピアノメーカーとも言われるベーゼンドルファー買収の話が持ち上がり、彼らと一緒にやっていくことがヤマハグループとしてのプレミアム領域のピアノを広げることにつながるのではないかと考えたことがきっかけでした」
こう語るのは、ヤマハ楽器事業本部部長の伊藤執行役員。調査のためにウィーンのベーゼンドルファーを視察した伊藤氏が目にしたものは、客からのオーダーとは関係なく材料の購入を行い、自らの考えに基づいた生産を行っていた結果、1年以上前の作りかけのピアノがゴロゴロしている工場の状況だったという。「これはだめだ」ということで、まずは効率化を提案し、経営難に陥っていたベーゼンドルファーを回復させることに専念する。
一方ベーゼンドルファー側はヤマハ傘下に収まることをどのように考えていたのだろう。ウィーンのベーゼンドルファーに長く勤めてきた調律師の井上雅士氏はこう語る。
「ヤマハの傘下に入ることが決まった際には社内に動揺がありましたね。私のイメージの中では、日本的な大量生産を押し付けられるのではないかという危惧です。ところがそれは大きな誤解だったのです。“あなたたちの文化を守って良いピアノを作ってください”というヤマハからのメッセージは、私たちベーゼンドルファーに勤務する全員の気持ちをポジティブなものに変えてくれました。正直、ヤマハ傘下に収まるまでの4年ほどは、先行きがまったく見えず、とても不安定な状態だったのです。これでは気持ちも落ち着かず、良い音のピアノを作る環境とは程遠い環境でした。それが改善されたことはとても良かったと感じています」
なるほど、ヤマハがベーゼンドルファーの技術面に一切口を出さなかったというのはとても新鮮な驚きだ。
素人考えとしては、ヤマハの革新的な技術とベーゼンドルファーの伝統が合わさったときに生まれるすばらしいピアノに期待してしまうのだが、現実はまったくそうではなく、技術者同士の交流すらもないという。
「彼らは1828年の創業以来積み重ねてきた伝統や技術をかたくなに守り続けています。暖かな音色や弦楽器との融和性など、ヤマハのピアノとはまったく違う音楽の場で活躍できるピアノを目指しています。それが彼らの持つ価値であり、彼ら自身もそれをさらに磨いていこうと願っています。そこにヤマハの意向を入れるつもりはまったくありません」
伊藤執行役員のこの言葉が心に残る。どうやら伝統を尊重するという意思こそが双方共通の考え方だったようだ。
ベーゼンドルファーの黒字化にヤマハが貢献
その結果として10年が経過した現在の状況はと言えば、ベーゼンドルファー自体の売上に特に大きな変化はないようだが、財務基盤が安定してきたことによって赤字続きの収益が大幅に改善され、現在は黒字化しているという。
一方のヤマハにとって、今回の買収は成功だったのだろうか?
「1980年のピーク時には全世界で100万台のアコースティックピアノが作られていました。それが30年あまり過ぎた現在はピーク時の半分弱に減少しています。その反面デジタルピアノの販売数が伸びていますので、合わせると全世界で年間200万台以上のピアノが生産されています。
ヤマハとしては、さまざまなニーズに即した製品を出していくことを目標に掲げていますので、結果的にはアコースティック楽器の中にベーゼンドルファーという個性的な商品を持てたことはとても有意義だと考えています。買収に要した費用以上にベーゼンドルファーから学んだことや発見できたことが、数字には現れない価値を大いにもたらしてくれたと認識しています」というのがヤマハ側の見解だ。
ベーゼンドルファーの魅力とはいったいどこにあるのだろう。何が「ベーゼンドルファー・マニア」とまで呼ばれる熱烈なファンやユーザーを生み出すのだろう。
"ベーゼンドルファー使い"として知られるピアニストの三輪郁氏はその魅力を「オーケストラに例えるとウィーン・フィルみたいな感じですね。倍音の響きがとても良くて、弾いていると鍵盤の上から下まで同じ方向でハーモニーを作り出せるのです。弦楽器のように、弾きようによって自分の生み出す音程が聞こえてくるし、色彩感も魅力です」と表現する。
なるほどこれは、バックハウスが愛し、オスカー・ピーターソンを魅了して、キース・ジャレットの名盤「ザ・ケルン・コンサート」にも使われた名器ベーゼンドルファーに、改めて注目してみたくなるコメントだ。
ディーラー整備への期待
そのベーゼンドルファーは、現在東京の中野坂上駅前にある「ベーゼンドルファー・ジャパン」において体験可能だ。展示されている美しいピアノの中でも装飾が施されたピアノの存在感はまさに息を呑むばかり。コンサートのためのピアノというよりも、富裕層が美しい家具をチョイスするようにして購入する姿が想像できそうな楽器の数々は、まさにウィーン伝統の美術工芸品さながらだ。
この高価で美しいピアノをどこで売るのかはヤマハにとっての大きな課題に思える。今回の買収は、トヨタがジャガーを購入するようなものだと例に出してみたが、仮にそうなったとしても、トヨタのショールームでジャガーを売ることはあり得ないことだろう。それはヤマハとベーゼンドルファーの関係においても同様で、ヤマハと同列にベーゼンドルファーの価値を伝えることは難しい。
目的を持ってショールームにやってくる顧客が購入者のほとんどだというのだから、まさにその対応が求められる。そう考えると、現在唯一の「ベーゼンドルファー・ジャパン」店舗をいかに拡大していくのかが今後の鍵に思えてくる。クルマの世界がそうであるように、ディーラーの整備こそがベーゼンドルファー飛躍のための次なる1手であると考えたい。
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Satie (1866-1925) - Gnossienne No.1 played on a Pleyel Pianino (upright piano, 85keys, 1858)
Satie (1866-1925) - Gnossienne No.3 played on a PLEYEL grand piano model 3bis (1905 - 85keys)
高崎、アトリエ ミストラル所有のプレイエル1905年製グランドピアノ(85鍵)で弾いたサティのグノシエンヌ第3番です。
古い良質の楽器は単なる物ではなく、周りの人々のさまざまな思いが込められた唯一無二の存在になっているような気がしてなりません。
この楽器でサティを弾いてみたとき、なにやらとても不思議な空間が自然にわき上がって来たような感覚に見舞われ、一もなく二もなく演奏会を開くことを決めてしまったのでした。
動画ではその雰囲気までは伝わろうはずがありませんが、昔の楽器の素敵な世界を少しでも楽しんでくださいませ。
2014.11.29. アトリエ ミストラルにて
http://atelier-mistral.jimdo.com/
古典鍵盤楽器奏者/筒井一貴 つれづれ草紙:
http://bergheil.air-nifty.com/blog/
2014年12月 1日 (月)
高崎「アトリエ ミストラル」のプレイエルピアノ
高崎の「アトリエ ミストラル」の1905年製プレイエル3bisで、来年2015年2月1日に行うオールサティ演奏会の1曲を弾いてみました。グノシエンヌ第3番です。
古い楽器(に限らず古いモノ)は単なるモノではなく、何か言いようのないナニかが込められている気にさせられるのが常ですが・・・
やはり、サティが生きていた時代のパリで生まれたピアノであるこの1905年製のプレイエル、魔物が棲んでおりますぞ。
現代人の生活は魔物だとか妖精だとかとはほぼ無縁になってしまいましたが、古い楽器と関わっていると意外と普通に出会えます(笑
http://bergheil.air-nifty.com/blog/2014/12/post-fec3.html
プレイエルのあるサロンコンサート会場-貸しスペース - サロンコンサート会場 ~アトリエミストラル~
アトリエ ミストラル は、旧かんら信用金庫の建物を利用したスペースとして、群馬県高崎市にオープンしました。
ショパンが愛したピアノとして有名な 1905年製プレイエル3bisピアノ 及び完全修復済みの1928年製西川オルガンを常設し、定員80人程度までのサロンコンサート会場としてご利用いただけます。
旧銀行という堅牢な造りのため、残響が長く、響きがよいと演奏家にもお客様にも大変好評をいただいております。
コンサート会場としてのご利用のほか、音楽教室の発表会、アンサンブルの練習、各種講座や教室、イベント会場としてもお使いいただけます。ご利用料金はこちら。
アトリエミストラルでは、コンサートの企画もしております。 詳しくはこちら。
〒370-0074 群馬県高崎市下小鳥町312-4
(代表 櫻井紀子)
TEL 090-8047-3757
http://atelier-mistral.jimdo.com/
常設ピアノ フランス 1905年製 プレイエル3bis のご紹介
アトリエミストラルでは、1905年製フランス プレイエル3bisピアノを常設しています。
ショパンが愛したピアノとしても有名なプレイエルピアノは、人間の声のような温かい音色と繊細でありながら豊かな響きで、全世界にコアなファンを持つピアノです。
プレイエル社(フランス)について
2007年に創業200周年をむかえたプレイエル社は、ハイドンの友人で作曲家のイグナッツ・プレイエルによって1807年に創業されました。
「ピアノとは演奏者の声としての楽器であり、そして芸術品であるべき」と主張したイグナッツ・プレイエルは、その生涯を楽器創りに捧げました。その後2代目を継承した彼の息子のカミーユ・プレイエルのもとで、飛躍的な事業の発展を遂げました。彼は当時の幾多の著名芸術家と親しく関わり、彼らの意見を元にさまざまなピアノの改良を行いました。
また彼は、パリの名高い演奏会場「サル・プレイエル」を開設し、彼の親しい友人であるショパンをはじめ、歴史的音楽家たちがこぞって演奏会を開き、使用したプレイエルを絶賛、プレイエル社発展とその絶頂期と黄金時代をもたらす大きな原動力となりました。
中でも、ショパンはプレイエル・ピアノを「完全無欠」といい、生涯プレイエル・ピアノを愛用しました。カミーユの後を継いでプレイエル社を支えたのは二人の名経営者オーギュスト・ウォルフとその後継者となったギュスターヴ・リオンでした。彼らの時代にプレイエル社は最盛期を迎えまます。プレイエル・ピアノは現在までに実に200年もの間、世界の偉大な芸術家たちを魅了し続けています。
プレイエル3bisについて
プレイエル社では、1870年に初めて MODEL No.3bis が登場し、1900年代に入って現在の一体型フレームによる総鉄骨方式に改められた他、内部メカニックもプレイエル社独自のダブルアクションが装備されます。
アトリエミストラルに常設されたプレイエル3bis は、No.3bis型の完成形となる 164cmのモデルとして1905年に登場しました。
このモデルは当時のプレイエルのグランドピアノの中でも、サイズと価格がお手頃で最も人気があって傑作の名望高いモデルで、グノーやマスネ、フォーレら世界的に著名な音楽家にも愛用されました。
その後、このモデルは紆余曲折を経て現在 MODEL P-170としてその伝統は見事に現代に生き続けています。
その特徴は、プレイエルの理想を体現したと言っても良いもので、“シンキングトーン”を体現した、極めてまろやかに長く鳴りつづける声のように歌う響き、明快で艶と甘美さを兼ね備えた音色が演奏者のイマジネーションをかきたたせる魅惑的なピアノと言えましょう。
アヴデーエワ、1837年パリ製エラールを弾く
久元 祐子・エラールによる『革命』
久元祐子・プレイエルとエラールによるショパン。
ベヒシュタインを愛用したアルトゥール・シュナーベル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1758.html
ベーゼンドルファーを弾くバックハウス
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/706.html
ベーゼンドルファーを弾くスヴャトスラフ・リヒテル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/774.html
ニューヨーク・スタインウェイを弾くウラディミール・ホロヴィッツ(1903年10月1日 – 1989年11月5日)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/705.html
ヴィルヘルム・ケンプは本当にベヒシュタインを弾いていたのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/707.html
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ベヒシュタインの音はスタインウェイやベーゼンドルファーより美しい
ブレハッチが学んだポーランドの学校には、スタインウェイは学校に1台か2台くらいだったとのことで、それも状態がいいとは言えないものもあったそうな。
キーシンが学んだ学校にもスタインウェイはなかった。
ソ連製かチェコ製のピアノがあった。
ロシアでスタインウェイが入ってきたのは、帝政ロシア末期で、音楽学校ではスタインウェイよりもブリュートナーやベヒシュタインなどのドイツピアノが多かったそうで、家庭でもベヒシュタインを好むピアニストが多かったんだそうです。
ソフロニツキーやゲンリヒ・ネイガウスなどもお家ではベヒシュタインだったんだそうな。
そんなこと聞いたら、急にベヒシュタインが弾きたくなった。
http://sora003.blog100.fc2.com/blog-entry-181.html
ソフロニツキー Bechstein を弾く- YouTube
http://www.youtube.com/results?search_query=Sofronitsky%20Bechstein&sm=12
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日本人に音楽やオーディオの音がわからない原因
耳トレ!-こちら難聴・耳鳴り外来です。 – 2011/10/3 中川雅文 (著)
https://amzn.asia/d/5dwvkFj
大学教授で現役のお医者さんが書いたこの本には「耳の健康」に対する情報が満載で実に”ため”になる本だった。
☆ 日本語は世界一「難聴者」にやさしい言語
どの国の言語にもそれぞれ固有の周波数帯というものがあり、母国の言語を繰り返し聞いて育つうちにその周波数帯以外の音を言語として聞き取る脳の感受性が失われていく。
そのため生後11歳くらいまでには母国語を聞いたり発音する能力に特化した脳が出来上がる。
日本語で頻繁に使われる周波数帯は125~1500ヘルツで、英語は200~12000ヘルツと随分と違う。日本語は世界の言語の中でもっとも低い周波数帯の言語で、英語は世界一高い周波数帯の言語である。
したがって、英語民族は高齢になると早い段階で高い音が聞き取りにくくなって不自由を感じるが、日本人はすぐには不自由を感じない。その点で日本語は世界一難聴者にやさしい言語である。
※ これは一人で二か国の言語を操るバイリンガルの「臨界期」が10歳前後と言われる所以でもある。また、英語圏の国で製作されたアンプやスピーカーなどのオーディオ製品には、高音域にデリカシーな響きをもったものが多いが、これで謎の一端が解けたような気がする。その一方で、とかく高音域に鈍感な日本人、ひいては日本のオーディオ製品の特徴も浮かび上がる。
☆ 聴力の限界とは
音の高い・低いを表す単位がヘルツなら、音の強さや大きさ(=音圧レベル)は「デシベル(dB)」であらわす。
人間が耳で聞き取ることのできる周波数の範囲は「20~2万ヘルツ(空気中の1秒間の振動が20回~2万回)」の間とされているが、イルカやコウモリなどは耳の形や構造が違うのでこの範囲外の超音波でさえ簡単に聞き取れる。
ただし人間の場合は20ヘルツ以下の音は聴覚ではなく体性感覚(皮膚感覚)で感じ取り、2万ヘルツ以上の音(モスキート音)は光や色として感じ取りその情報を脳に伝えている。
※ 人間の耳は一人ひとりその形も構造も微妙に違うし、音を認知する脳の中味だって生まれつき違う。したがって同じオーディオ装置の音を聴いたとしても各人によって受け止め方が千差万別というのが改めてよくわかる。
自分でいくら「いい音だ」と思ってみても、他人にとっては「それほどでもない」という日常茶飯事のように起こる悲劇(?)もこれで一応説明がつくが、音に光や色彩感覚があるように感じるのは超高音域のせいだったのだ!
☆ 音が脳に伝わるまでの流れ
耳から入った空気の振動は外耳道と呼ばれる耳の穴を通り、アナログ的に増幅されて鼓膜に伝わり、アブミ骨などの小さな骨に伝わってリンパ液のプールである蝸牛へ。そこで有毛細胞によって振動が電気信号に変換され、聴神経から脳に伝わる。これで耳の中の伝達経路はひとまず終了。
この電気信号が言語や感情と結びついた「意味のある音」として認識されるまでにはもう少し脳内での旅が続く。
電気信号が聴神経や脳幹を経て脳内に入ると、まず、大脳の中心部にある「視床」に送られる。ここは、脳内の情報伝達の玄関口となっている。視覚、聴覚、皮膚感覚などあらゆる感覚情報が必ず通る場所で、単純に音だけを聴いているつもりでも、様々な感覚情報とクロスオーバーしている。
また「視床」を通過すると音の伝達経路は「言語系ルート」と「感情系ルート」の二つに大きく分かれる。前者は最終的に「言語野」に到達するが、後者は大脳の一次聴覚野を通らず、いきなり「扁桃体」に直結していて「イヤな音」「うれしい音」というように音を直感的・情緒的に受け止める。
※ 音楽を聴くときにカーテンなどでスピーカーを隠してしまったり、あるいは目を瞑って聴いたりすると、機器の存在を意識しないでより一層音楽に集中できるのは経験上よく分かる。
さらに、直感的なイメージとしてオーディオマニアが音楽を聴くときには主として「感覚系ルート」がはたらき、それ以外の人たちが(音楽を)聴くときには主として「言語系ルート」が働いているように思うが果たしてどうだろうか・・・。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c85e3a32c3aca5331dd2fb7adaf73d2a
>日本語で頻繁に使われる周波数帯は125~1500ヘルツで、英語は200~12000ヘルツと随分と違う。
>日本語は世界の言語の中でもっとも低い周波数帯の言語で、英語は世界一高い周波数帯の言語である。
>英語圏の国で製作されたアンプやスピーカーなどのオーディオ製品には、高音域にデリカシーな響きをもったものが多い。
>その一方で、とかく高音域に鈍感な日本人、ひいては日本のオーディオ製品の特徴も浮かび上がる。
>人間の場合は20ヘルツ以下の音は聴覚ではなく体性感覚(皮膚感覚)で感じ取り、2万ヘルツ以上の音(モスキート音)は光や色として感じ取りその情報を脳に伝えている。
共感覚
共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、synesthesia, synæsthesia)は、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。
例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚。
音に色が見える共感覚
色聴と呼ばれ、日本にも専門の研究者が存在する。
共感覚者であると確証される現在の海外の人物
共感覚者であることを第三者が確証できるほどの極めて具体的な自らの共感覚の例を掲げた著作・芸術作品などの活動が確認できるほか、大学などの研究機関において被験者として検証実験を受けたり、研究者の著作・学術論文中にて引用・言及されており、共感覚者であると確証するに足る人物を挙げる。
エレーヌ・グリモー (ピアニスト)
アメリカ公共放送PBSとのインタビューで本人が語っている。
Helene Grimaud interviewed by Alexis Bloom for Quick Hits
いつもCは黒、Bは青、Fは赤、リストの曲は金色がかった色調に感じる。
また、11歳の時にバッハの平均律クラヴィーア曲集Fシャープメイジャー(嬰ヘ長調)のプレリュードを弾いている時に明るい暖かな赤とオレンジの間の色調を感じた。
数字にも色を感じる。2は黄色、4は赤、5は緑。
曲によってはいつも特殊な色の世界を感じる。時によって調性に影響される。
Cマイナー(ハ短調)は黒、Dマイナー(ニ短調)は青。
ベートーヴェンのテンペストソナタは黒、合唱幻想曲は黒、緑、赤、黄色のらせんを感じる。
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マイケル・トーキー(作曲家)
音階や母音などに色を感じ、その色を主題として題名に取り入れたバレエ音楽『グリーン』『エクスタティック・オレンジ』などを作曲した。インタビューの中で、ひとつの実験として始めたが、特定の趣を押し付け「観客が音楽を楽しめる幅を狭めてしまったのではないか」と心配もしたと述べている。
___
イツァーク・パールマン(ヴァイオリニスト)
パールマンは、G線でBフラットを弾くときは深緑色、E線でAを弾くときは赤を感じる。
____
フランツ・リスト(作曲家・ピアニスト・指揮者)
オーケストラを指揮したとき、「ここは紫に」など、音を色として表現した指示ばかり出し、団員たちが困惑したエピソードが有名[要出典]。
____
女性の高い声を「黄色い声」などと言うように、人類、あるいは特定の環境・文化において複数の種類の感覚を結びつける比喩的習慣が広く存在するが、共感覚はそのようなものと直接は関係しておらず、共感覚を持たない人には感じられない上述の数字に色を見るなどの感覚を、主観的な知覚現象 (クオリア) として生々しく感じている。
共感覚は五感のような基本的な感覚の種別に関してだけではなく、感情や単語や数などに関して起こることもある。 共感覚者の間での複合した知覚の関係に相関は認められていない。 例えば、ある人がある文字を青く感じたとしても、他の共感覚者が同様に感じる傾向があるとは限らない。
共感覚を手がかりに主観的な心の世界と客観的な脳との関係を深く探る手がかりとしようとする研究が継続的に行われている。
赤ちゃんにおいては視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚等の異なる種類の感覚が未分化な知覚を生み出しており、通常その後の成長による感覚の発達にともなう脳の結合の変化によってこうした共感覚は失われていくとされる。この場合、成人して共感覚を保持している人は発達の過程で何らかの理由で脳の異なる部位への結合が保たれ、これらの複合した知覚もそのまま保たれているとする説もある。
共感覚の中でも、音楽や音を聞いて色を感じる知覚は「色聴」といわれる。
絶対音感を持つ人の中には、色聴の人がいる割合が高い。
また、色聴は共感覚の中で一番発生率が高いと報告されている。
色を感じる音にも様々なものがあり、音程、和音、単語、または音楽自体が聴こえることもある。 似たような感覚として「音視」というものもある。これは色に形や音が聴こえるという色聴とは反対の感覚である。
かつては共感覚で感じる知覚というのは共感覚者によって異なるとされてきたが、最近の研究では、多くの被験者を対象にした実験の場合、知覚にいくつかの共通点が見られることが分かった。
例えば、聞こえた音に色が付いて聞こえるサウンド・カラー共感覚(sound-color synesthesia:色聴)保有者の集団実験では、高い音ほど明るい色に見えるという傾向が見られたという。
また黒字の文字を見ても別の色に見えることがあるというグラフィーム・カラー共感覚(grapheme-color synesthesia:書記素色覚)保有者の集団実験では、やはりある文字には似たような色を感じる傾向があるということがわかった。
ところが、ある傾向が見られることは確かだが、あらゆる種類の共感覚があり、いずれの共感覚にしても個人によって誘因や症状の度合いは異なることも分かっている。この多様性のせいで、個人のもつ共感覚を定義するのは容易なことではないし、彼ら自身、自分の持っている感覚に名前が付いていないことに気付いていないことが多い。
色の付いていない文字なのに色が付いて見える人がいる。これを共感覚という。また、音声に色がついて見える人や、円周率の数列に美しさを感じる人もいる。
神経学者のリチャード・E. シトーウィックは、共感覚の診断のために用いる基準を以下のように決定した。
1.共感覚者のイメージは空間的な広がりをもち、はっきりと限定されたロケーション(位置)を特定できることが多い。 [訳註]共感覚者は空間的なイメージの中で、自分の位置している場所がはっきりと分かる。
2.共感覚は無意識的に起こる。
3.共感覚の知覚表象は一貫性がある。
4.共感覚はきわめて印象的である。
5.共感覚は感情と関係がある。
シトーウィックは、空間の広がりを見据えた実験を提言したが、最近の多くの研究はこれを正しくないとしている。例えば、共感覚者の中には文字の色や、単語の味が「わかる」のであり、実際に視覚器や味覚器で感じているわけではないのである。
共感覚者の多くは子供のころに他人とは異なる隠れた感覚に気づく。
そして彼らは自然とその感覚を日常生活に適用させていく。
また、共感覚で人の名前を覚えたり、電話番号を覚えたりすることに使うこともあれば、暗算に利用することもできる。しかし同時に、絵画・映画などの視覚的な作品や音楽を創造する上での困難になることさえある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A
音に色や温度を感じる 「共感覚」が不思議すぎる! 2016.01.12
http://eye-media.jp/entertainment/%e5%85%b1%e6%84%9f%e8%a6%9a%e3%81%ae%e4%b8%8d%e6%80%9d%e8%ad%b0/
音に色を感じる――。
なんだか詩的な表現のように感じますが、本当に音を色として感じることのできる人々が、世の中には存在しているのです。
こうした特殊な知覚現象を『共感覚』と呼びますが、共感覚を持つ人々にとって、音は単なる音ではなく、また形は単なる形ではありません。今回は、人が持つ特殊な感受性『共感覚』の不思議をご紹介します。
脳による五感の錯綜が「共感覚」を引き起こす?
共感覚は、英語では『シナスタジア』と呼ばれています。シナスタジアとは“感性間知覚”の意味を持つ言葉で、脳に存在する複数の感覚器官が同時に音や形を知覚する現象のことを指しています。
例えば、本来なら脳の一次聴覚野だけで処理される音情報を、視覚野でも処理することで、音から色を感じるなどの感性間知覚が引き起こされます。このように、ある現象に対して、五感の異なる感覚が作用することで起こる主観的なクオリア(感覚質)が、共感覚の原因だといわれています。
これにより、共感覚を持つ人にとっては、数字が特定の色を持つ絵として感じられたり、音を聞けば音階によって色が感じられたりします。こうした共感覚にはさまざまのパターンがありますが、「形に味がついて感じられる」、「人の容姿が色として感じられる」などの例が報告されています。
著名人にも共感覚の持ち主はいる!
中でも発生率がもっとも高い共感覚は“色聴”と呼ばれていますが、この現象は、文字通り「音に色を感じる」というものです。色聴は絶対音感を持つ人に一定の割合で存在するといわれており、ピアニストのエレーヌ・グリモーなど、自ら共感覚者であることを表明している著名人も数多く存在しています。
そして、色聴と逆の知覚現象が“音視”という共感覚です。音視を持つ人にとっては、色が特定の音階として感じられるのだそうです。
実は、私たち全員がかつて共感覚者だった!?
とても不思議な共感覚ですが、実は私たちも、新生児の頃には共感覚を持っていたといわれています。
というのも、生後間もない赤ちゃんは脳の受容器官が未分化なため、複数の器官で感覚を同時に処理していると考えられているのです。
音を色で感じ、形を音で感じる。こうした知覚の不思議を、私たちが考えるよりもずっと多くの人が経験し、記憶しているのかもしれませんね。
http://eye-media.jp/entertainment/%e5%85%b1%e6%84%9f%e8%a6%9a%e3%81%ae%e4%b8%8d%e6%80%9d%e8%ad%b0/
>人間の場合は20ヘルツ以下の音は聴覚ではなく体性感覚(皮膚感覚)で感じ取り、2万ヘルツ以上の音(モスキート音)は光や色として感じ取りその情報を脳に伝えている。
音色は倍音成分の入り方で決まるので、音色というのは本当に色彩の色なのです
ブラームスは灰色、ドビュッシーは水中の光の色、モーツアルトは 1小節毎に音色が変わる
というのはイメージではなく本当にそういう色が付いているのですね
僕もプリアンプのマランツ Model 7 を使っていた時は音に緑色の色が付いていて不思議だったです:
マランツ Model 7 伝説の音の秘密 - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/08/134954
最高の音色を出すオーディオ装置 : スピーカー QUAD ESL63 + プリアンプ マランツ7C - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/08/135141
原音を遥かに上回る霊妙な音を奏でるスピーカーは、過去・現在を通して、真空管アンプで鳴らした QUAD ESL63 だけだが 、 何故 ESL63 は 音にオーラが無い ESL57 より専門家の評価が低いのか? - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/08/153313
野生のしらべ – 2004/5/11 エレーヌ グリモー (著)
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2007年06月28日 狼女=エレーヌ・グリモー
・性別: 女性。
・姓名: エレーヌ・グリモー Helene Grimaud。
・何人?: フランス人。
・何者?: クラシックのピアニスト。
・生年月日: 1969年11月7日生。
・備考: 美人ドキドキ
対称性の強迫
・子供の頃は奇行と奇癖の目立つ問題児。集団生活に馴染めず、いじめられっ子で友達もできなかった。
・幼少時からの対称性の強迫行為。勉強机の上で本の両側に同数の鉛筆が配され、本はノートから等距離に並べられなければならない。靴紐は両足とも同じようになるまで結んでは解いてを何時間も繰り返した(エレーヌ・グリモー『野生のしらべ』p.59)。
・コンサート・ピアニストになってからも強迫行為は暫く続いた。演奏旅行中に投宿したホテルの家具や備品を左右対称に並べ替えないと気が済まない。コンサート後は疲れているにもかかわらず、気を利かせたメイドが凝りに凝った強迫的ディスプレイを元に戻してしまったと確信して、恐れつつ電気も点けずに、ベッドルーム、バスルーム、洗面台と巡り、全てを並べ直して回った(同上。p.59-60)。
・しかし日本を演奏旅行中のある日、ホテルに帰り疲労の極致にあって猶、イルカのプリントされたセーターをその柄が上下左右対称になるよう物差し(!)を使って折り畳んでいた時に、発作的にセーターを窓から投げ捨て、以後強迫症状は止んだ(同上。p.60)。
・楽器の演奏やスポーツ等、完璧の追及が要求される営みには生得的な強迫的性格が必要、とエレーヌ・グリモーは主張する(同上。p.65)。
就眠の儀式
・眠る前にベッドの中で、教理問答で習った祈りを一定の規則で繰り返し声に出して唱える。そうして漸く眠りに就くことができた。言い間違えたり、発音やイントネーションが気に入らないと最初から唱え直し、満足するまで何時間でも続け、時には明け方に疲れ切って眠り込む、ということもあった(同上。p.51-52)。
・後、この儀式は音楽で役立つことになる。音楽学校の試験前夜、課題のシャルパンティエがどうにも退屈で憶える気が起こらず、諦めて床に就いたが、突然祈りの習慣が甦り、無意識的にスキャンされていたシャルパンティエの譜面を全て、かつて祈りを反復したようにリズムとアクセントに満足が行くまで飽くことなく繰り返してイメージ・トレーニングし、翌日試験ではその曲を完璧に弾きこなした(同上。p.52-53)。
自傷行為或いはエンドルフィン嗜癖(?)
・自傷行為が対称強迫の対象となる。6歳の時、母の故郷コルシカの海岸でかかとに傷を負い、麻酔無しで縫合の手術を受けたのだが、その最中に思わず笑みがこぼれるほどの至福感を体験する。たぶんエンドルフィン(*)が大量に分泌されたんだと思う。しかし心配する両親を尻目にめくるめく快感に浸っている自分に対して後ろめたさを感じてしまい、苦痛と涙を装ってことがこじれる。数分後に全ては忘却されたが、これを契機に全ての障害が始まった、とグリモー自身は記している(それが隠蔽記憶でなければね)(同上。p.40-44)。
(*)エンドルフィンについては ↓
「報酬系・ドーパミン・渇望:コルトレーン、ヘロインを断つ その16」
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10017910374.html
「練習による依存の適正な代替:コルトレーン、ヘロインを断つ その28」 参照。
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10025913975.html
・数年後、砂利道で偶然転んで膝に傷を負い、生を強く実感、エンドルフィン体験が甦る。自傷行為が勃発し、しまいには対称強迫と連動して右手に傷をつけると左手にも傷をつけないではいられなくなる。両手・両膝・両肘に絆創膏を貼った以前にも増して奇妙な子供とグリモーはなってしまう。(同上。p.57-59)。
[覚書: エンドルフィンは自傷行為が習慣化する理由の一つであるかもしれないが、事後的に(或いは発端として)生ずる自罰衝動はエンドルフィンでは説明できない? やはりエンドルフィンだけではタナトスを説明できない? そりゃそうか。]
・7歳の時、情操教育のため(まあ、問題児だったから)両親に音楽教室へ連れて行かれ、女性ピアノ教師が弾くシューマンを聴き、深く魅惑される。
自身の内奥から生ずる魔力、とグリモーは表現するが、それってやっぱエンドルフィンじゃないだろうか(音楽に感動するとエンドルフィンが出ます)。明らかに音楽はグリモーの性に合っていた。以後ピアノにのめり込み、自ら進んで練習する。両親はさらに偏った性格になるのではないかと心配するがもう遅い(*)。音楽という全く別種の刺激に触れて報酬系は新たに賦活され、グリモーを猛烈に駆り立てる。それかあらぬかパリ音楽院に入学した13歳の頃に自傷行為は自然に消えた(**)(強迫性プラス報酬系駆動、というのはコルトレーンの生涯を理解する上でもかなり参考になる)。
(*)この辺はグレン・グールドとちょっと似ている。手袋おやじも子供の頃はむちゃくちゃ練習大好きで、変人になることを危惧した両親から練習時間を日に4時間と制限されていた。そしてグールドもまたグリモー同様友達のできないいじめられっ子だった。しかし性格はちょっと(いやかなり)違う。グールドの場合は強迫じゃなくって分裂病質だとかアスペルガー症候群だとか言われたりしている。ミシェル・シュネデール『孤独のアリア』、宮澤淳一「グールドと精神医学」(KAWADE夢ムック文藝別冊『グレン・グールド』)参照。
(**)『野生のしらべ』p.64, p.59
・エンドルフィン仮説(ドーパミンでもいいけど)をさらに裏付けるのは、くたくたになるまで運動することを好んだ、というエピソード。延々と続く歩行や階段の駆け上り、バーベルや鉄アレイ、ランニング・マシーンを通じての肉体の酷使。この女、疲労を超越した快楽の味を占めているのが見え見えですぜ、ニセ医者の旦那(ちなみに歩行やジョギングといった反復運動はセロトニン神経を活性化する。セロトニンについては後で触れるかも)(同上。p.256-257)。
狼大好き
狼マニア。「狼女」たる由縁の症状。
アメリカ移住後、狼と運命的な出会いを経験、強く嵌り込む。
狼について大学で勉強し、果ては土地を買い込み放し飼いにして狼保護センターを設立するに至る。狼についての生物学的・博物学的な知識は『野生のしらべ』にも惜しみなく投入され、自伝的エピソードのカウンター・メロディを成す。気に入るととことん強迫的(いちず、とルビを振りたい)になるタイプみたいです。狼のために恋人も捨ててしまいました。
http://ameblo.jp/lm199781/entry-10038082588.html
エレーヌ・グリモー(1969年11月7日 - )ピアニスト
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14010941
美人は得 _ エレーヌ・グリモーがピアノを弾く姿を youtube で見よう
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14089026
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音楽学者でも音楽や音がわからない人間の方が多い
日本人が西洋音楽をやっても物真似しかできない理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/682.html
宇野功芳 V S礒山雅?
たまたまバッハ学者、礒山雅氏の『マタイ受難曲』(東京書籍)を読んでいたのである。あの傑作に含まれる1曲1曲についてあれこれ解説を加えた本だ。とはいえ、一般読者を想定して、語り口は平易。『マタイ』好きなら、持っていてよい1冊だ。特にバッハがキリスト教をどう自分のものにしていたかということが詳しく触れられているのが私には興味深い。
この本の最後のほうでは、約40種類の録音について著者の意見が記されている。これがなかなかおもしろい。
高く評価されているのは、たとえばレオンハルトやショルティ。この組み合わせには、えっと思う人もいるかもしれない。その反面、かねてより名演奏と誉れ高かったクレンペラー、カラヤン、そしてメンゲルベルクには冷たい。そして、古楽系でもコープマンには否定的。
氏の判断基準ははっきりしている。彼らが個性的な指揮者だとは認めたうえで、作品そのものの表現や力や性格を無視しているのがダメだと言うのだ。
クレンペラーについては、かつて若き日に愛聴したものと記したうえで、問題点が指摘されている。
メンゲルベルクに対してはことのほか厳しい。
「この演奏に感動して涙する若い聴き手がいると聞くのだが、そういう人はどうやって耳の抵抗を克服しているのか、知りたいものである」
「聴いていて途方に暮れる」
「うんざりする」
のだそう。もっとも、その理由はきちんと記されているし、もし自分が聴衆のひとりだったら、圧倒されるだろうとも記されているが、何だか大人の配慮というか、言い訳っぽい。
ちょうどこの本を読んでいたら、そのメンゲルベルクの新たな復刻(オーパス蔵)が送られてきた。開いてみると、解説書の中で宇野功芳氏が大絶賛している。
「われらの宝」
「バッハ時代のスタイルを金科玉条のものとし、この演奏に感動できない人の、なんと哀れなことか」。
礒山氏の意見とはあまりにも見事に正反対なので、笑ってしまった。
はいはい、礒山氏は哀れなわけね。
この場合、どちらの意見もそれなりに正しいというしかないだろう。メンゲルベルクならではの演奏様式が平気な人にとっては、一回限りの燃えるライヴの魅力が味わえようし(特に合唱の没入ぶりはすさまじい)、生理的に我慢できないという人には、論外な演奏だろう。ただし聴いているうちに慣れてきて、抵抗感が薄まる可能性は高い。音質のほうも聴いているうちに徐々に慣れてくる。手元にあるフィリップスのCDと比べたら、ノイズをカットしていない分、音質は明瞭。この演奏が好きなら、買い換えてもいいだろう。
とはいえ、初めてこの曲を聴くなら、まずはもっと新しい音で聴いたほうがいい。古楽ならレオンハルトの演奏がよいけれど、オランダ系古楽の常でドラマ性が薄く、残忍、残酷、血の匂い、要するに生々しさが足りない。古楽系は、最後まで聴いてもカタルシスがなく、。あの終曲があまりにもあっさりしてしまうのだ。
私が一番好きなのは、リヒターの最後の録音である。昔から褒められている最初の演奏より、いっそうドラマティックで濃厚である。
バッハと言えば、今年のラ・フォル・ジュルネはバッハ関係である。例によって小さなホールの公演はあっという間に完売になるのが困ったものだ。それに、せっかくコルボが「マタイ」をやるのに、とてもクラシック向けとは言えない巨大ホールが会場というのも困る。コルボ自身はPAを気にしないというが、聴くほうはそうではない。せっかくの催しだけれど、毎年あのホールだけは何とかならないかと思う。幸いコルボは、「ロ短調ミサ」のほうはまだしもまともなほうのホールで演奏してくれる。
ちなみに、礒山氏はコルボの「マタイ受難曲」は「厚化粧の美女」みたいと言っている。いいじゃん、厚化粧の美女。嫌いですか。
(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授)
http://www.hmv.co.jp/news/article/902250082/
音楽を語るのに、音楽以外のあれこれを持ち出して論議するのを嫌う人がいます。それでも、時にはそういう「あれこれ」にふれずにはおれない演奏というものがあります。 このメンゲルベルグ指揮のあまりにも有名な「マタイ受難曲」も、その、「ふれずにはおれない演奏」の一つです。
今の趨勢から見れば「論外」と切って捨てる人もいます。
まずもって、大編成のオーケストラと合唱団を使った演奏スタイルが許せないと言う人もいるでしょう。至るところに見られるカットも我慢できないと言う人もいるでしょう。解釈に関わる問題でも勘違いと間違いだらけだと憤慨する人もいるかもしれません。(例えば、フェルマータの処理をそのままフェルマータとして処理している、等々。今ではバッハのフェルマータは息継ぎの指示程度にしか受け止められていません。)
しかし、どのような批判をあびたとしても、やはりこの演奏は素晴らしく、20世紀の演奏史における一つの金字塔であることは確かです。
この演奏の数ヶ月後、ナチスドイツはポーランド国境になだれ込んで第2時世界大戦が始まりました。一年後には、中立国だから戦争とは無縁だとの幻想にしがみついていたオランダ自身もまた、ナチスに蹂躙される運命をむかえます。
メンゲルベルグによるこの演奏会は、その様な戦争前夜の緊張感と焦燥感のもとで行われたものでした。
特にオランダのおかれた立場は微妙なものでした。
侵略の意図を隠そうともしないナチスドイツの振る舞いを前にして、自らの悲劇的な行き末に大きな不安を感じつつも、日々の生活では中立的な立場ゆえに戦争とは無縁だという幻想にしがみついて暮らしていたのです。
悲劇というものは、それがおこってしまえば、道は二つしかありません。
踏みつぶされるか、抵抗するかであり、選択肢が明確になるがゆえにとらえどころのない焦燥感にさいなまれると言うことは少なくなります。しんどいのは、悲劇の手前です。
人間というものは、その悲劇的な未来が避け得ないものだと腹をくくりながらも、あれこれの要因をあげつらってはあるはずのない奇跡に望みを託します。この、「もしかしたら、悲劇を回避できるかもしれない」という思いが抑えようのない焦燥感を生み出し、人の心を病み疲れさせます。
この演奏会に足を運んだ人たちは、その様な「病みつかれた」人たちでした。そして、疑いもなく、自らを受難に向かうキリストに、もしくはそのキリストを裏切ったペテロになぞらえていたことでしょう。
冒頭の暗さと重さは尋常ではありません。そして、最後のフーガの合唱へとなだれ込んでいく部分の激烈な表現は一度聴けば絶対に忘れることのできないものです。
そして、マタイ受難曲、第47曲「憐れみたまえ、わが神よ」
独奏ヴァイオリンのメロディにのってアルトが
「憐れみたまえわが神よ、したたりおつるわが涙のゆえに!」
と歌い出すと、会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえてきます。
ポルタメントを多用してこの悲劇を濃厚に歌いあげるヴァイオリンの素晴らしさは、今の時代には決して聴くことので着ないものです。
まさに、この演奏は第2時世界大戦前という時代の証言者です。
ちなみに、この4年後、1943年にローゼンストックによる指揮でマタイ受難曲が東京で演奏されています。記録によると、その時も会場のあちこちからすすり泣きの声が聞こえたと言われています。
逆から見れば、バッハのマタイは時代を証言するだけの力を持っていると言うことです。
ノンフィクション作家として有名な柳田邦夫氏は、この演奏に関わって傾聴に値するいくつかのエッセイを書かれています。
ピリオド演奏を標榜する一部の人たちは、このメンゲルベルグの演奏を酷評し、それだけでは飽きたらず、この演奏を聞いて感動する多くの人々を冷笑しています。(例えば、国立音楽大学のバッハ研究者~と自分で思っている人;ちなみに柳田氏はこの人物を磯山雅と実名をあげていますが・・・))
柳田氏の一文は、このようなイデオロギーによって押し進められているピリオド演奏という潮流が、いかに音楽の本質から外れたものかを鋭くついています。
http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=19
「1,600万円のオーディオ装置」 2008.3.28
先日のブログにも書いたことだが、とある友人の紹介でオーディオ輸入業を仕事とされている方のご自宅を訪問させていただき、ご自慢の装置でいくつか音盤を聴かせていただいた。
何とスピーカーや高性能アンプ、CDプレーヤーなどで正味1,600万円ほどだという。地下1階の防音の効いた30畳ほどのリスニング・ルームにどっしりと鎮座している様は誠に神々しい。
あらゆるジャンルの音楽(J-Popから民族音楽風のもの、Jazz Vocal、クラシック音楽など)を耳にしたが、どうやらこのマシーンはオーケストラを聴くために調整してあるらしく、やはりクラシックのしかも管弦楽曲が抜群の音色で鳴っていた。レヴァイン指揮するサン=サーンスの「オルガン」交響曲第 2楽章冒頭やアバド&ルツェルン祝祭のマーラー「復活」冒頭、ドビュッシーの「海」第3楽章終結などなど、まるで目の前で実際に演奏されているかのごとくめくるめく錯覚をおこすほどの見事さであった。その彼曰く、
「世間の人は生演奏で聴くのが一番いいというじゃないですか。
確かに「実演」がベストです。でも、実演が必ずしも良い演奏とは限りません。先日などは3万円も払ってベルリン・フィルを聴きに行ったところ金管の何某がとちったものだからアンサンブルがガタガタになり、最低だったんですよ。
だから、名演を聴くならしっかり調整された最高のオーディオ装置で聴く方が良い場合が多いんです」と。
なるほど、確かにそう言われればそうかもしれない。ついでに彼が言っていたのは
「それまで名演だと思っていた演奏がこの装置で聴くと、特にオーケストラの良し悪しが手にとるようにわかるようになり、がっかりさせられることも多々ある」
ということ。ゲルギエフの「ハルサイ」などはその典型らしい。
へぇ、そうなんだと感心しながらもちょっと腑に落ちないなと感じる。
僕はSP復刻盤といわれる戦前録音された録音レンジの狭いCDを時折聴く。音質が悪いとはいえ感動させられてしまうのだから音の良し悪しを超越するエネルギーがあるのだろう。メンゲルベルクのチャイコフスキー「悲愴」やフルトヴェングラーのベートーヴェンなどはその際たるもので、今の時代に聴いてもその音楽の素晴らしさは最新録音盤を超える何かが確かにある。
「音」を聴きたいのではなく「音楽」を楽しみたいのである。音がいかに完璧に再生されるかに興味があるのではなく、心が震える感動体験がしたいのである。
確かにCD ラジカセじゃ限界があろう。でも、僕は今もっているオーディオ装置で充分だなと正直思ってしまった。そこそこ優秀な装置があれば音楽は「愉悦」を運んでくれる。そして何といっても、多少の瑕があろうと実演・生演奏のもつ波動が一番だ。
こう書くうちに以前柳田邦男氏が、「人生の1枚のレコード」と題するエッセーでメンゲルベルクの指揮するバッハの「マタイ受難曲」に言及し、その感動的な演奏に対する深い想いを書いておられることを思い出した。その中で「追記」された文章があり、それがとても印象的で、僕の今回の体験と何となく同じようなニュアンスを感じたので、その部分を抜粋させていただく。
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メンゲルベルク指揮のマタイ受難曲は、心を病んでいた私の次男・洋二郎も何度となく聴いていたレコードだった。1993年夏、自ら命を絶った洋二郎の遺体を病院から引き取って家に帰った時、偶然にもマタイ受難曲のアリア「主よ憐れみたまえ」がテレビから流れた。
「憐れみたまえ、わが神よ」をテーマ曲にしたアンドレイ・タルコフスキーの映画『サクリファイス』が、まさに終わろうとしていたのだった。私は、立ちすくんだ。それ以後、マタイ受難曲は、私にとって人生全体をゆさぶられるような重い曲となっている。
なお、音楽美学やドイツ音楽史の専門家で国立音楽大学教授の礒山雅氏は、詳細な作品研究の著書『マタイ受難曲』(東京書籍)のなかで、メンゲルベルク指揮のこの演奏を、バッハの基本からはずれていて、とくにテンポの伸び縮みがあまりにも恣意的だと、きびしく批判し、
「聴いていて途方に暮れ」
「うんざりする」
とまで書いている。批判は演奏に対してだけでなく、聴き手に対しても向けられ、
「この演奏に感動して涙する若い聴き手がいると聞くのだが、そういう人はどうやって耳の抵抗を克服しているのか、知りたいものである」
と冷笑している。どうやら楽譜を読みこなす力のない私や息子は、マタイ受難曲を聴くには失格らしいのだが、音楽とは人生の状況のなかでの魂の響き合いではないかと考えている私は、「それでもメンゲルベルク指揮のあの演奏は私の魂をゆさぶる」という感覚をいまも抱いている。
「かけがえのない日々」(柳田邦男著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/410124913X/250-8550177-4320268?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&linkCode=xm2&camp=247&creativeASIN=410124913X
より
http://classic.opus-3.net/column/16002008328/
『私達が一日一日を平穏に暮らしていられるのは、この広い空の下のどこかで名も知れぬ人間が密かに自己犠牲を捧げているからだ。』
タルコフスキー
タルコフスキー サクリファイス(1986年)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2026762
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2025583
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2025880
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2026086
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2026399
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2027422
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2029092
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2031292
柳田邦男 『犠牲サクリファイス わが息子・脳死の十一日』
https://amzn.asia/d/dOktD2Y
を読んだのは、もうずいぶん昔の話になりますが、自ら死を選んだ洋二郎さんの、その自死の試みから死に至るまでを看取った記録の中で、私が忘れられない文章があります。
生前、洋二郎さんは、「僕の村は戦場だった」で知られる、旧ソ連の映画監督タルコフスキーの作品「サクリファイス」に深く傾倒していらしたそうです。
深い精神性を探求し、後期から晩年にかけて、人類の救済をテーマとした作品を作り続けたタルコフスキーの遺作であるこの作品の冒頭と最後に流れるのが、バッハのマタイ受難曲の『憐れんでください、私の神よ』という美しいアルトのアリアです。
キリストに最も近かった弟子のひとりであり、キリストから愛された弟子であったペテロは、自らの死の恐怖ゆえに、捕らえられ、これから死に渡されるという主イエスを拒みました。
有名な「ペテロの否認」の場面です。
ペテロが裏切りを悔いて号泣したあとに響く美しいアリア『憐れんでください、私の神よ』はこのように歌われます。
憐れんでください、私の神よ、
私の涙ゆえに。
ご覧下さい、心も目も
御前に激しく泣いているのを。
憐れんでください、
憐れんでください!
洋二郎さんの遺体が自宅に迎えられた、まさにその時、一体なんという偶然だったのか、たまたまNHKで放送されていたのがタルコフスキーの「サクリファイス」でした。
そしてテレビから流れていた曲がこのアリアだったというのです。
私は立ちすくんだ。洋二郎は神に祈ったことはなかった。かたくななまでに祈らなかった。
私も目に見えない大きなもの、全てを超越したものとしての神の存在への畏怖の念を抱きつつも、全身全霊を投げ出して祈るという行為をしたことがなかった。
だが、このとき私は神が洋二郎に憐れみかけ給うてほしいと心底から祈る気持ちになった。
どういう神なのかと考えることもせずに。
アリアの旋律はいつまでもいつまでも私の胸に響き続けた。
柳田邦男 『犠牲サクリファイス わが息子・脳死の十一日』
ここに見る柳田氏の祈りには、だれの神でもない、全てを超越した、ただ大いなる存在への究極の祈りがあります。
バッハの音楽という深遠な祈りから流れ出した、存在としての神への想いだと思います。。
http://follia.at.webry.info/200704/article_4.html
マタイ受難曲はメンゲルベルクが毎年復活祭に演奏してきたもので、1939年の演奏がフィルムを使った録音で残されました。LPから復刻した音はとても67年前のものとは思えないものです。2枚に納めるためのカットはせずに3枚組としました。メンゲルベルク最高の遺産が味わえます。合わせてこれも貴重な41年録音の‘悲愴’(37年録音とは別)を組み合わせました。(オーパス蔵)
バッハ:マタイ受難曲(1939年4月2日ライブ PhilipsLPA00150-53)
カール・エルプ(福音史家)
ウィレム・ラヴェリ(イエス)
ジョー・ヴィンセント(ソプラノ)
イローナ・ドゥリゴ(アルト)
ルイス・ヴァン・トゥルダー(テノール)
ヘルマン・シャイ(バス)
ツァングルスト少年合唱団
アムステルダム・トーンクンスト合唱団
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ウィレム・メンゲルベルク(指)
Mengelberg - Bach : Matthew Passion (1939)
Willem Mengelberg cond. / Concertgebouw Orchestra of Amsterdam
Karl Erb, Tenor (Evangelist), Willem Ravelli, Bass (Jesus)
Jo Vincent - Soprano, Ilona Durigo - Alto
Louis van Tuler - Tenor, Herman Schey - Bass
Amsterdam Toonkunst Choir "Zanglust" Boys' Choir
Recorded 2nd Apr. 1939, Amsterdam - Live
transferred from the first issue of Japan Fhilips / LP- FL-5561/3
Mengelberg - Bach : Matthew Passion - Part 2 (1939-Live)-repost
Willem Mengelberg cond. / Concertgebouw Orchestra of Amsterdam
Karl Erb, Tenor (Evangelist), Willem Ravelli, Bass (Jesus)
Jo Vincent - Soprano, Ilona Durigo - Alto
Louis van Tuler - Tenor, Herman Schey - Bass
Amsterdam Toonkunst Choir "Zanglust" Boys' Choir
Recorded 2nd Apr. 1939, Amsterdam - Live
transferred from the first issue of Japan Fhilips / LP- FL-5561/3
Willem Mengelberg - Bach : from Matthäus Passion マタイ受難曲より(1936-Live)
Jo Vincent, soprano、Ilona Durigo, contralto
Karl Erb, tenor、Willem Ravelli, bass
Amsterdam Toonkunstkoor, Jongenskoor Zanglust
Willem Mengelberg cond,/ Amsterdam Concertgebouw Orch.
recorded 5 April, 1936 - Live
33 - Choral O Mensch, bewein dein Sünde groß (00:00)
50 - Rezitativ Erbarm es, Gott (08:33)
52 - Choral O Haupt voll Blut und Wunden (10:11)
58 - Choral Wenn ich einmal soll scheiden (13:00)
62 - Rezitativ Nun ist der Herr zur Ruh gebracht (16:00)
63 - Choral Wir setzen uns mit Tränen nieder
ウィレム・メンゲルベルク(1871年3月28日 - 1951年3月22日)指揮者
全録音への youtube リンク
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14010883
_________
宇野功芳
「こんばんは!とうとう最終回になりましたけど。今日はどんなお話しましょうかね?」
横原さん
「そうですね…。前回言いました、合唱での体験でバッハのマタイ受難曲がすごく印象深いという風に話しましたけれど。」
宇野功芳
「マタイは感動的だなぁ。」
横原さん
「長い音楽の歴史の中でも究極の作品という…。」
宇野功芳
「まったくその通りだなぁ。僕はバッハ嫌いなんだけどね。
バッハとかねブラームスとかね、Bのつくのは嫌いなの。
Bのつくので良いのはバッファローズとかね、ブルックナーとかね(笑)。
ハハハ!重くって暗いのは苦手なんですが、でもマタイはそんなもの飛び越えちゃってるよね!」
宇野功芳
「一生に一度は聴いて欲しいマタイ受難曲です。
しかし長い!!3時間はたっぷりかかる。実演だとカットすべきだと思います。
マタイ受難曲の中で、素晴らしいのはメンゲルベルクの1939年のライブ録音です。
メンゲルベルクはとてもロマンティストなので、バッハのスタイルを逸脱してロマン派の曲のようになっている。だから誉める人はスゴく誉めるし、貶す人はメチャクチャ貶します。僕はスゴく誉めます!
対抗はヘレヴェッヘ。とてもあっさりしている。
メンゲルベルクはまさに受難です。物語性がスゴい!」
バッハ マタイ受難曲第2部第62曲コラール「いつか私が世を去るとき」
ヘレヴェッヘ(指揮) コレギウム・ヴォカーレ
メンゲルベルク(指揮) コンセルトヘボウ管弦楽団
宇野功芳
「マタイ受難曲の中にはコラールが沢山あって、その中で有名なのが最後のコラールです。キリストが十字架に架けられて死んで、その時民衆が
「自分が死ぬときに、そばに居てください。」と歌う。
その時のメンゲルベルクの演奏が本当に弱いんです。遅いテンポで祈るように・・・。バッハのスタイルを超えていますね。
片やヘレヴェッヘは普通の演奏です。今、21世紀のクラシックファンは様々な音楽を知っている。バッハ時代が『こうだった』からと当時の演奏をされても感動しない。」
http://blog.fmosaka.net/kurakore/blog/night/
先日渋谷のHMVをうろうろしていたら、通常は5,000円~6,000円のメンゲルベルクの「マタイ」3枚組(1939年4月ライヴ)が1,050円(税込み)で出ていたので思わず目を疑ってしまった。しかも、余白にはチャイコフスキーの「悲愴」まで入っている。ついに購入!
これは昔からフィリップスから出ているものとは異なり、オーパス蔵のLP復刻盤である。本CDには宇野功芳の解説が付いていた。
--我々の宝、メンゲルベルクの「マタイ」がいよいよオーパス蔵のCDで聴けることになった。オーパス蔵の復刻盤は、とくに声楽パートの音の抜けが良くなった。久しぶりに「マタイ」全曲にじっくりと耳を傾けることが出来た至福のひとときに感謝したい。(宇野功芳)
このメンゲルベルクの「マタイ」第1曲の合唱「来なさい、娘たち、ともに嘆きましょう」には筆舌に尽くしがたい感動を覚える。今では聴くことができない、大変なアゴーギク、テンポ・ルバートが時代を超えて迫ってくる。ここにはアナクロニズムでは済まない、 真の感動がある。
http://blog.goo.ne.jp/katsura1125/e/be02ece9ea269402e8884b7fe0edb65a
【至宝】マタイ受難曲【孤高】
30 :名無しの笛の踊り:2009/12/26(土) 01:12:55 ID:HTT21VMr
メンゲルベルグに勝るのはないけどあれは別格だから比較してやるのは酷だよな
31 :名無しの笛の踊り:2009/12/26(土) 09:32:44 ID:NsakSB43
コーホーキター
32 :名無しの笛の踊り:2009/12/26(土) 11:38:51 ID:SpwrheL0
>>31
それは言わない約束...
33 :名無しの笛の踊り:2009/12/26(土) 12:07:57 ID:R0pHYM6a
いまだにメンゲルベルク聞いてる化石みたいな人がいるのか…
104 :名無しの笛の踊り:2010/02/26(金) 23:10:10 ID:ZQbqNsb1
メンゲルブルクのマタイがいいと思うんだけど、もう古すぎで人気はあまりないのかな?
105 :名無しの笛の踊り:2010/02/26(金) 23:25:27 ID:NMcArXh1
歴史上メンゲルブルクのマタイが人気あった時代なんてあるのか
106 :名無しの笛の踊り:2010/02/26(金) 23:27:21 ID:2ODLQTtp
>>104
人気というと微妙だけど、何度も再販されてる(Naxosなんかからも出てる)し、需要は意外とあるんじゃないの?
ランドフスカやヴァルヒャのモダンチェンバロ演奏みたいなもんだろう。
157 :名無しの笛の踊り:2010/03/27(土) 12:10:03 ID:PBoDjzzB
メンゲルベルクの演奏は、カッコいい第51曲が無いんだね。残念。
意外と音質が良いのは光学録音の所為かな?
255 :名無しの笛の踊り:2010/07/04(日) 07:16:46 ID:WxgCQUsO
メンゲルベルク指揮のライブ盤には、すすり泣く聴衆が聞こえる。
でも泣く、泣かないはさして問題にする事ではないと思う。
むしろクリスチャンなら、マタイを聴いて深く内省し己れの罪深さを悔い改め、新たな歩みをはじめるということでは。
その表れとして泣く人もいるだろうし、そうでない人もいて構わないと思うが。
256 :モーフィアス:2010/07/04(日) 13:48:50 ID:QGmDeOF9
メンゲルベルクのマタイ受難曲、ドイツの侵略前の異常な雰囲気の中で行われた歴史的名演でしょうね~
翌年オランダは侵略されメンゲルベルクはナチに協力させられる!
ユダヤ人は収容所に送られ、人々は正に受難の時代を迎える訳です~
咽び泣くようなバイオリンを聴いたら二度と忘れられない筈だ~
メンゲルベルクでの一番のお勧めは~チャイコフスキーの「悲愴」なんだが~
マーラーの交響曲4番もメンゲルベルク的 天上の世界を堪能できる演奏で~大い~好き~!
257 :名無しの笛の踊り:2010/07/04(日) 17:40:42 ID:WxgCQUsO
現在では、メンゲルベルクのようなロマンチックな情感あふれる演奏スタイルは受け入れられないと思う。しかし、当然のことながら演奏スタイルは時代と共に変化するものだ。
だから今のピリオド・スタイルもやがては古くさいと言われるようになるだろう。
それよりも現在は、小手先の技術にはたけているが、真に心打たれ、心の心底に響く演奏者がいない方が嘆かわしい。
258 :名無しの笛の踊り:2010/07/04(日) 17:44:31 ID:TREkPtmj
>>257
>>それよりも現在は、小手先の技術にはたけているが、真に心打たれ、心の心底に響く演奏者がいない方が嘆かわしい。
現在の演奏家をいったいどれだけ聴いてその台詞言ってるんだ?
261 :名無しの笛の踊り:2010/07/04(日) 19:39:24 ID:WxgCQUsO
>>258
ナマ、CD、DVDを含め数え切れないほど聞いてだ。
529 :名無しの笛の踊り:2011/04/10(日) 08:52:11.20 ID:H+IudkUT
イエス入滅の後、神殿の幕が裂け、地が唸る・・・
このあたりの凄みは
フルトヴェングラー/VPO
カラヤン/BPO
メンゲルベルク/ACO ですね。
古楽器では太刀打ち出来ません。
577 :名無しの笛の踊り:2011/05/20(金) 22:25:15.36 ID:+wRTeaKf
「どんな演奏を好きなろうと自由だが、こんな演奏(メンゲルベルクのマタイ)に『感動した』などど言う人の感性を疑う」
と磯山センセ―は酷評してるけど
すげー好きなんだよなメンゲルベルクのマタイ。
581 :名無しの笛の踊り:2011/05/21(土) 21:13:01.54 ID:MyqNfgHp
メンゲルベルク盤しか持ってないけど、音質良いな。
これだけでも聴き応えあるな
820 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 06:50:55.55 ID:cKfTewFX
メンゲルベルクのマタイは一度は聴いておくほうがいいですか。
聴衆のすすり泣く声が聞こえるという有名な売り文句の録音です。
磯山雅氏は「すすり泣くどころか、笑える」とこき下ろしていますが。
831 :名無しの笛の踊り:2012/04/01(日) 21:41:17.01 ID:0naC49N4
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| ここですすり泣いてて |
|_________|
∧∧ ||
( ゚д゚)||
/ づΦ
821 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 07:16:49.19 ID:NUZdPbgd
話の種に聴いておいても損はないよ。
磯山雅は音楽学者であって評論家じゃないから、一個人の意見として聞いておけばいいよ。
そしてどちらを笑うのかは、あなたが判断して下さい。
822 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 10:21:38.66 ID:bOAx3/Ux
一言多すぎるんだよなI教授は
823 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 15:28:41.48 ID:gu7NGkmZ
メンゲルベルクのは1曲目を数分聞けばこの後延々何が続くかは容易に想像できる
824 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 19:17:02.91 ID:ateoKotK
音楽学者だからって時代考証の専門家だからバカにできない
歴史ドラマとクラシック音楽って遠いようで近い
825 :名無しの笛の踊り:2012/03/30(金) 20:15:20.97 ID:aLr5i5L3
文学芸術系の学者・インテリってのは、
自分なりの人類史を持っていることが前提だからな
828 :名無しの笛の踊り:2012/04/01(日) 21:13:56.07 ID:4Xcb05hA
まあでも、マタイの演奏史を語る上で、ポルタメントを多用したメンゲルベルクの濃厚なロマンチック演奏は避けて通れないと思う
829 :名無しの笛の踊り:2012/04/01(日) 21:19:50.43 ID:Cqzr8xqE
あくまでも演奏史上の価値な
もっともリヒターの様式で受難曲を演奏する奇特な人も日本にいるようだよ
メンゲルベルクもそこまで復権するかな?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1261008362/
メンゲルベルクの…
投稿者:Frau 投稿日:2007年 4月26日(木)23時58分47秒
メンゲルベルクの「マタイ」のエヴァンゲリストはカール・エルプでしたっけ!?
実は私が初めて聴いた「マタイ」はメンゲルベルクのものでした。とにかくメンゲルベルクなら何でも買う(聴く)といった頃でして、宇野功芳氏が絶賛してるのを未だ知らない状態で聴きました。フィリップスの国内盤で宇野氏が絶賛してるのを読み、また実際に自分でも素晴らしい演奏と感動致しました。
「マタイ」はメンゲルベルクで充分との思いもあり、一般に名演とされるリヒターの旧盤なぞ購入したのはその後随分と年月が経ってからでした。
今でもメンゲルベルクの「マタイ」は好きなのですが、随分と後になって遅ればせながら聴いたリヒターの「マタイ」のヘフリガーの素晴らしさはカール・エルプに匹敵するとの思い、そしてこれが決定的なのですが、第二部のイエスが息を引き取った後にでてくる
Warlich,dieser ist Gottes Sohn gewessen
「まさにこの方は神の子であった…」
という部分の合唱の表現がメンゲルベルクよりもリヒターのものの方が好みで、それ以来メンゲルベルクには申し訳無いのですが、リヒターの旧盤が私にとってのベスト「マタイ」になってしまいました。
ついでに言えば、「マタイ」には幾つも聴き所があると思いますが、私がもっとも好きな場面(箇所)は前述の合唱の部分なのです。
正直に申せば初めてメンゲルベルクの「マタイ」を聴いたときに最初から感動した訳ではなく(やはり、カットしてるとはいえ長いですし)、有名なアルトやソプラノのアリアや度々挿入されるコラールの旋律以外は少々退屈な思いで聴いていた様な記憶があります。
ところが、前述の合唱のところで「この世にこんなにも綺麗な音楽(旋律)があるのか!!」との強い衝撃を受けました。本当に短い部分ですが、この合唱の演奏表現が今のところリヒター旧盤(と日本ライブ盤)が私の一番のお気に入りとなっております。
メンゲルベルクは今でも好きですが、「マタイ」の牙城が崩れた今では、メンゲルベルクの演奏で最も好きなのは第九(勿論、ベートーヴェンの)でしょうか…。此方は「第九はフルトヴェングラーとメンゲルベルク以外は不要」というくらい好きです。
http://6502.teacup.com/mengelberg/bbs/290
蘇る伝説の巨匠 ウィレム・メンゲルベルク
「彼のヴァイタリティ、オーケストラ養成についての知識、霊感あふれる情熱、それらは独自の高みに達していた。音楽の分野において、これほどの巨人は稀である」( レオポルド・ストコフスキー )
マグマの底から全人類の祈りが、絶望的な悲しみを超えて沸き上がって来るかのような、壮絶を極める曲冒頭の合唱の渦・・・・そして第四十七曲。エヴァンゲリストの悲痛な訴えに続き、静やかに奏されるヴァイオリン・ソロの、何と優しく、また哀しいことだろう。よく耳を澄ますと、聴衆の嗚咽すら聞こえて来る。音楽というのはこれ程までに、人の心に訴えかける力を持っていたのか!
伝説の指揮者・メンゲルベルクによる、一九三九年四月の棕櫚 (しゅろ ) の日曜日におこなわれた演奏会の実況録音のバッハ「マタイ受難曲」。私はこのレコードを学生時代に初めて耳にした時、ひざがガクガクと震え、わけもなく涙が溢れてきて仕方がなかった。そして、このバッハの音楽、それにこの指揮者の演奏が、これからの自分自身の人生に、決して欠かせないものになるだろうという、確信のようなものを抱いたのである。
早いものだ。あれからもう三十年になる。案の定、バッハの音楽は私の心の糧として今も大活躍してくれているし、一方、指揮者メンゲルベルクに対する愛着の念も、日増しに強まるばかりだ。
ヴィレム・メンゲルベルクは、一八七一年に生まれ、一九五一年に没したオランダの名指揮者である。彼は一八九五年、わずか二十四歳の若さで名門アムステルダム・コンツェルトゲボウ管弦楽団 (現・ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 )の第二代常任指揮者となり、一九四五年第二次世界大戦の終結と共に、ナチス・ドイツに協力したかどで、その地位を追われるまで、実に五十年の長きにわたって、このオーケストラを世界一流のアンサンブルに鍛え上げた。
彼と同世代の指揮者フルトヴェングラー、トスカニーニらが戦後も活躍し、急速に発達した録音技術によって、現在でもかなり明晰な音質でその芸術が堪能出来、現在でも多くのファンを持っているのに対し、メンゲルベルクは先に述べたたように、その活動時期が第二次世界大戦集結までのSPの全盛期に限られているため、残された録音の音質面でのハンディは覆うべくもない。
メンゲルベルクの名は戦後の一時期、我が国はおろか本国オランダでさえも、急速に忘れ去られていった。フルトヴェングラー、トスカニーニ亡きあとも、ワルター、クレンペラーら後期ロマン派スタイルの指揮者がステレオ期まで生き延びて活躍し、その後はカラヤン、バーンスタインといった時代の寵児ともいうべきスターたちの活躍が、クラッシック界の話題の中心となった。一方メンゲルベルクの録音はまったくの過去のものとして、まるで「なつかしのメロディ」のごとくに、時折思い出したように断片的に発売されるのみだったのである。
ところが一九八〇年代以降、レコードがCDに取って変わってから、状況は一変する。スターの時代は終わり、指揮者の名前だけではCDが売れない時代になったのだ。世界的にオーケストラの演奏技術や指揮者の棒振りのテクニックは高まった反面、強烈な個性を発散する指揮者は影をひそめ、またオーケストラのカラーもは世界的に均一化の傾向を見せるに至り、それに飽き足らない現代の多くのファンたちは、いきおい過去の巨匠たちの録音を求めるようになって来た。
また、レコード時代とは比べ物にならない位の低コストで制作できるCDというメディアが普及したことにより、従来はメジャーのレコード会社主流で、スタンダードなレパートリーしか流通し得なかったレコード市場に、個性的な企画を売り物とするマイナー・レーベルが数多く参入するようになった。そして最新のデジタル・リマスタリング技術により、古い録音でもノイズを軽減するなどして、比較的良好な音質で過去の巨匠たちの演奏を楽しめるようになって来たのである。
このような状況の変化により、メンゲルベルクの録音も見違えるような良い音質で続々と復刻され、これまでの単なる「なつメロ」としてではなく、現代人にとってまったく新鮮なスタイルの演奏として、抵抗なく受け入れられつつある。
一時期、時代に迎合することが得意な一部評論家たちから、メンゲルベルクの演奏が「十九世紀の遺物」「時代遅れのロマンティシズム」と決め付けられていたのが、いかに誤りであったかということが、多くのファンに認識される日も近いのではないだろうか。なぜならばたとえ時代は変遷しても、人間の「感動する心」は、いつまでも不変なのだから。
では次に、メンゲルベルクの芸術に具体的に触れてみることとしよう。
メンゲルベルクの使用したフル・スコアの写真を見ると、実に様々な書き込みがなされているのに、まず驚かされる。彼は演奏に先だって事前に徹底的にスコアを研究し、テンポ、強弱・バランス、アーティキレーション等すべてにわたって、念入りにスコアに書き込んだ。また必要と思われる場合は、オーケストレーションの改変も積極的に行なっている。そしてそれをオーケストラの各パートに伝達し、厳しいパート練習をへて、初めてオーケストラ全体の練習を行なった。オーケストラ練習の際でも、メンゲルベルクはその曲の解釈について、楽員たちに長々と講釈をするのが常だったという。
また、練習前のチューニング ( 音合わせ )も非常に厳しく、チューニングだけでリハーサルが終了してしまったというのも、有名なエピソードである。
メンゲルベルクのこうした演奏に対する姿勢から伺われるのは、その徹底した職人気質である。例えばフルトヴェングラーは、聴衆を前にした演奏会における「即興性」を重視した指揮者だった。そのため、指揮者・オーケストラ・聴衆の三者が一体化した時には、素晴しい名演となるが、反面出来不出来も多い。それに比してメンゲルベルクの場合はたとえ何百回演奏しても、その演奏レベルは常に全く同じであった。かといって「作り物」くささは微塵もなく、実際に聴いた人々の証言によると「たった今生まれて来たばかりのような、霊感に満ちた演奏だった」という。徹底的に事前の作業をやり尽くし、しかも本番の時に、そのことをすこしも聴衆に感じ取らせない。職人冥利につきるというのは、こうした演奏のことを言うのだろう。
こうした彼の演奏の特質は、名盤の誉れ高いチャイコフスキーの「悲愴交響曲」( 一九三七年十二月二十一日録音/テレフンケン原盤 )を聴くと一目瞭然だ。自由自在なテンポの変化、まるで一人で奏いているかのようなヴァイオリンの甘美な音色、録音年月を思わず忘れてしまいそうになる絶妙なバランスなど、一流レストランのシェフの味にも通ずる、まさに職人芸の極致である。
ところでメンゲルベルクの演奏を語る上で、よく取り上げられるのが弦楽器のポルタメント奏法 ( 音をずり上げ・下げする奏法 ) である。メンゲルベルクの演奏を「時代遅れ」呼ばわりする人々の多くが真っ先に問題にするのが、このポルタメント奏法であるが、実は今世紀半ば頃までは、この奏法は弦楽器奏者にとっては全く自然で、当り前のものだった。それが今世紀の中頃から、次第に新古典主義的・即物主義的音楽感が演奏スタイルの主流を占めるようになり、ポルタメント奏法は「時代おくれ」の烙印を押され、次第に姿を消して行くこととなる。
しかしながら、後期ロマン派の音楽を語る上で、このポルタメント奏法は決して無視することは出来ないのである。たとえば後期ロマン派の偉大なシンフォニスト、グスタフ・マーラー ( 1860~1911 ) の交響曲のフル・スコアには、このポルタメント奏法をわざわざ指定してあるところが何箇所もある。
メンゲルベルクによるマーラーの交響曲の録音は、第四番のライブ録音 (1939年11月9日 ) と、第五番の有名なアダージェット (1926年5月 ) のみであるが、特に後者など、むせび泣くようなポルタメントが、この音楽の本質を語るうえに、いかに欠かせないものであるか、ということを実感させる貴重な証拠である。
マーラー自身も、彼の交響曲の演奏では今日一般に最も評価の高い直弟子のワルターよりも、メンゲルベルクの演奏の方をより高く評価していたと伝えられている。そのことは、マーラーがのちに「第五」「第八」の二曲をメンゲルベルクに献呈したことからも充分に伺い知ることが出来るし、メンゲルベルクもそれに対して、マーラーの交響曲・全曲演奏シリーズという史上初の取り組みで答えた。
また、ノルウェーの生んだ大作曲家エドゥアルト・グリーク (1843~1907 ) は、メンゲルベルクが指揮するコンツェルトゲボウ管弦楽団の演奏を聴き、感動のあまり椅子の上に立ち上がり、その指揮ぶりを絶賛して、「諸君、我々はこのような芸術家の存在を誇りに思うべきである」と演説したと伝えられている。
メンゲルベルクはグリークの作品では「ペール・ギュント」の第一組曲 ( 1943年4月15日 ) と、「二つの悲しき旋律」( 1931年6月3日 ) の二つの録音を残しているが、特に後者では、甘くやるせないポルタメントにより、過ぎ去った春の日々と自らの青春の日々とを重ね合わせて涙するグリークの心が、切々と聴き手に伝わってくる、まことに素晴しい演奏である。近年この曲は、特に第一曲目の「胸の傷み」など、やたら深刻ぶった「北風」のような演奏が蔓延しているが、グリークが真に望んでいたのは、メンゲルベルクのように心の底から優しく暖めてくれる「太陽」のような演奏だったのだ。
今日、特にバロック音楽の世界ではオリジナル楽器で演奏される事が当り前のようになり、楽曲が作曲された当時の演奏スタイルについて、実に様々な研究がなされている。しかし反面、今まで取り上げてきたマーラーやグリークなど後期ロマン派時代の音楽については、それが今日でも広い人気を持ち数多く演奏されているにも拘わらず、ポルタメント奏法をはじめとする作曲当時の演奏スタイルが、現在まったくと言ってよいほど顧みられていないのは、私にはとても不思議な気がするし、また残念である。なぜならば、マーラーもグリークも彼等が生きていた頃のオーケストラの音~ 例えばメンゲルベルク指揮するコンツェルトゲボウ管弦楽団のような響き ~を念頭において作曲していたはずなのだから。
いまメンゲルベルクの録音が貴重なのは、これまで述べてきたように、「今日ナマの演奏会では絶対に聴くことのできない音と演奏スタイル」を持っているからに他ならない。現代のような音楽状況が、もしこれからも続くとすれば、メンゲルベルクの録音はますます存在価値を持って、その輝きを増すことだろう。
「人類の至宝」とも言うべきメンゲルベルクの貴重な録音の数々が、今後一枚でも多く復刻され、一人でも多くの方々に聴いていただけることを、私は心から願ってやまない。
http://www.medias.ne.jp/~pas/mengelberg.html
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オーディオの専門家には音がわからない人間の方が多い
音楽も音も全然わからなかった菅野沖彦先生が日本のオーディオ評論の第一人者になれた理由
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003367
菅野沖彦先生の様なレコーディング・エンジニアがオーディオ評論家になると見当外れの判断しかできない理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/685.html
日本のオーディオ製品が欧米のオーディオファイルから相手にされない理由
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14004429
高名なオーディオ評論家は信用してはいけない 1 _ 瀬川冬樹
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/312.html
どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/944.html
ステレオサウンド誌の高名なオーディオ評論家が日本の優れたオーディオ製品を潰した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/454.html
高名なオーディオ評論家は信用してはいけない 2 _ 長島達夫
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1053.html
高名なオーディオ評論家は信用してはいけない 3 _ 五味康祐
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1064.html
音がわからないオーディオマニアが良く引用する「オーディオの科学」の何処がおかしいか
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14004527
プロケーブル社長の言っていた事が本当だった _ プロケーブル社の焦点理論 - 777ブログ
https://a111111.hatenablog.com/entry/2025/05/08/211317
デマサイトの「オーディオの科学」には信者が多い
スピーカーケーブルによって音質が変わる?……オーディオの科学と迷信
スピーカーケーブルはアンプとスピーカーをつなぐ電線でありながら、1mあたり10万円を超える製品がある。電気に関わる技術者の私には、ごく普通のビニール線で間に合いそうに思えるのだが、高額なスピーカーケーブルを購入する人がいて、あちこちのサイトに 「ケーブルを替えたら明らかに音が良くなった」 などと感想を記している
ケーブルによって音が変わることはないと結論づける記事もあるはずだと思い、ネットを検索してみたところ、
「オーディオの科学」
http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/MyRoom/Audio.htm
なる面白いサイトがあった。
元京都大学工学部教授志賀正幸氏は、クラシック音楽の愛好家であって、バッハ音楽祭に参加するために、ドイツのライプツィヒまで出かけるような人だが(同氏のホームページに詳細な体験記が記されている)、そのホームページには、「オーディオの科学」なる興味深いページがある。
「オーディオの科学」には、オーディオに関する理論や技術に加えて、関連する様々な情報が盛り込まれている。その中にはスピーカーケーブルに関する記述があり、「物理的にはスピーカーケーブルで音が変わることはなく、カネをかけるのは無駄である」と記されている。
さらに検索してみたところ、「モンスターケーブル対針金ハンガー対決」なる記事(注1)が見つかった。アメリカで行われたブラインドテストの結果を報じたものである。
それによると、80万円もの高額ケーブルと、衣服をかけるための針金ハンガーで作った代用ケーブルを、交互に使ってブラインドテストをしたところ、音質の差がわからなかったという。針金ハンガーは鉄かステンレスで作られているから、スピーカーケーブルとして使った場合、通常のビニール線とは比較にならないほどに劣るはずだが、超高額ケーブルとの差がわからなかったとのこと。
どうやらやはり、高価なケーブルを使う必要はない、と結論づけても良さそうである。にもかかわらず、ケーブルによって音が変わるとする情報が広く行き渡っており、高額なケーブルが販売され続けている。
ネットの世界を覗いてみたら、スピーカーケーブルによって音が変わるかどうかを論じるサイトが幾つもあった。音が変わるとする人たちは、執拗なほどにそれを主張するのみならず、音は変わらないと主張する人を非難したり貶めたりする傾向がある。ブラインドテストによって確認すれば決着がつきそうなものだが、「音が変わる」と主張する人たちには、ブラインドテストにチャレンジしようという気はなさそうである。
高級ケーブルの販売業者が製品に対して自信があるのであれば、希望する者には試用品を貸し出すべきであろう。試用によって真に価値があるとわかれば、売れ行きが伸びる可能性があるゆえ、貸し出し方式は販売業者にとっても利点があるはずである。にもかかわらず貸し出しを渋るのであれば、その製品には価格に見合うだけの価値がないということであろう。もしかすると、ほとんどの業者は試用品の貸し出しを拒むかも知れないのだが。
運良く借りることができたなら、家族や友人たちに協力してもらい、ブラインドテスト方式で試聴すべきである。2015年11月21日の投稿記事「高級ブランド製品のブランド名を隠したとき……ある実験の興味ある結果」(注2)にも書いたが、音楽の友社主宰のブラインドテストにおいて、300万円のアンプが9800円のデジタルアンプより低く評価された事実がある。ブラインドテストでなかったならば、300万円のアンプは高い評価を受けたに違いない。
2016年12月31日に投稿した記事「評論家の言葉・・・・・・映画評とドラマ評そしてオーディオ機器の評価」は、次のような文章で終わっている。
「雑誌に掲載されるオーディオ機器の評論記事が、ブラインド試聴に基づいて行われるなら、記事に対する信頼度は高まり、ユーザーにとっては好ましいものとなる。そうであろうと、評論家やメーカーにとってはリスクを伴ううえに、費用と時間もかかるから、そのような方法が採用される見込みはなさそうである。結局のところは、オーディオにしろ映画にしろ、評論家の耳や感性を頼りにするのは程々にしたほうがよい、ということであろう。」
(注1) 「モンスターケーブル対針金ハンガー対決」
グーグルで検索すれば見ることができる。オーディオの世界における有名なできごとのひとつとされているようである。
(注2) 2015年11月21日の記事「高級ブランド製品のブランド名を隠したとき……ある実験の興味ある結果」の概要
著名バイオリニストのジョシュア・ベルがストリートミュージシャンに扮して演奏したところ、コンサートのプログラムと同じ曲目を演奏しても、通行人からは無視された。オーディオアンプのブラインドテストをしたところ、300万円の高級製品が1万円以下のアンプに負ける結果になった。
ジョシュア・ベルの実験はユーチューブで見ることができ、アンプに関するブラインドテストについては、その結果をネットで検索して見ることができる。
https://nagi-sumu.blog.so-net.ne.jp/2017-01-17
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私が今現在の音を聴くに至る為に、非常に参考にさせて頂いたWebサイトをいくつかご紹介させて頂きます。
『オーディオの科学』 元京都大学工学部教授 志賀正幸
http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/MyRoom/Audio.htm
こちらはとても科学的な考察がされており非常に勉強になるサイトなんですが、やはり、ご自身の知識に絶対的な自信をお持ちでいらっしゃる為、途中のちょっとした考えの欠落により、間違った結論に達していてもお気づきでないような記述も見られます。
又、ご自身自らトライ&エラーするような試みがあまり見られず、全てが他からの知識で成り立っているように見受けられ、それらの物もご自身の主張に沿う物だけを集められているようで、読んでいるとちょっとしんどい気分になってしまいます。
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『PRO CABLE』
https://procable.jp/
こちらは数年前、ネットを賑わせたサイトですね。オーディオ機材の販売店です。
何と申しましょうか、表現の仕方が煽情的で、かつ独善的。名前通り、プロ用が一番、それ以外は粗悪品という言い方がピュアオーディオファンの気持ちを逆なでにし、非常な怒りを買っておりますね。事象の解釈が独りよがりで、お客様の声も自身のサイトを絶賛する物だけを掲載していますので(当り前ではありますが)、読んでいて辛いものがあります。
ところが書かれている内容の7~8割は本当に当っていて、今まで全く気付かなかった事を色々教えてくれた、私にとっては出会えてホントに良かったという貴重なサイトであります。
目から鱗という話が満載ですので、一度は目を通して見る事をお勧めします。
http://masedoine-de.mond.jp/new1049.html
『PRO CABLE』で、「音の焦点」として語られている事
https://procable.jp/setting/28.html
https://procable.jp/setting/42.html
https://procable.jp/setting/90.html
で、今まで誰からも聴いた事がない事でした。
しかし、私はスピーカーの自作をし始めた段階で、ダンピングファクターと周波数特性の変化については知っており、上のグラフも当時から見ていた物ですので、『ナ~ルほど~』と、まさしく目から鱗状態で、さっそく試してみたのです。
よく言われる、「スピーカーケーブルは太い物をアンプと最短に繋ぐのが良い」という事が全くの間違いだという事をお分かり頂けるでしょうか。
これは真空管アンプ時代に、悪いダンピングファクターをさらに悪化させない為に言われていた事で、こんな言葉は過去の遺物でしかありません。
しかし、同じく④で紹介しました、科学的に考察しているサイト『オーディオの科学』でもこのように書かれているんですよねぇ~。
今のダンピングファクターの非常に大きいアンプに太いケーブルを短い距離でつないだ場合、過制動を起こし、躍動感のない、暗く沈んだつまらない音しか出てこないでしょう。
大多数のオーディオファンは、こういう場合、原因を機材に求めてしまいます。
アンプを変え、スピーカーを変え、そして、更に太く、有名で高額なスピーカーケーブルを購入するのでしょう。
全ては無知のなせる技。
オーディオ雑誌やオーディオ評論家の言う事、書く事を鵜呑みにしてはいけません。
彼らは無知なのか? あるいはお金の為に真実を語らないのか?
http://masedoine-de.mond.jp/new1051.html
「オーディオの科学」の元京都大学工学部教授 志賀正幸氏が大好きなブラインドテストでは音の差は全くわからない
⑦ブラインドテストの嘘
よくオーディオ雑誌には、アンプやスピーカー、スピーカーケーブルや色々なアクセサリーなどのブラインドテストなる比較試聴記事が掲載されていますが、それらの記事内容には全く信憑性がないという事に、⑥を読まれた方はお気付きのことと思います。
例えばアンプを変えた場合、アンプの出力インピーダンスはそれぞれ異なりますので、システムのインピーダンスが変わってしまい、ダンピングファクターの変化によりスピーカーの周波数特性が変化します。
アンプの音を正確に比較したいのであれば、スピーカーケーブルのインピーダンスとアンプの出力インピーダンスの和が、全ての組み合わせで同じになるようにしなければなりません。
そこまでした上でのテストでないと、結局はダンピングファクターの変化による音の変化を試聴している事になってしまいます。
これらはスピーカーやスピーカーケーブルのテストの場合も同じことが言え、つまりは最高の状態を比較試聴している訳ではなく、結果は全て出鱈目であるという事が出来ます。
問題は、このような事を知ってか知らずか、名の知れた雑誌がこんなテストを堂々と行い、高名な評論家と言われる人達が物の価値を決めているという事です。
これらにより、如何に多くの人達が間違った方向へ導かれ、多大な犠牲を払わされてきた事か。
いい加減ここら辺で、正しい知識が知れ渡り、全ての人が本当に楽しいオーディオライフが送れるような時代が来る事を心より望みます。
アンプやCDプレーヤー、ましてやスピーカーケーブル等にお金をつぎ込む事は愚の骨頂。
唯一お金をかける意味があるのはスピーカーでしょうか。それにしても、セッティングを完璧に行う事が絶対条件です。
こちらに『ステレオ』誌によるアンプのブラインドテストの記事が載っています。
これは④で紹介した『オーディオの科学』というサイトで紹介されていたのですが、一時かなり話題になったそうです。
それというのも、オーディオファンの間では超有名なア○○○○ーズの高級アンプが、全員から最下位と判定されてしまったという事で、ネットでも驚きと嘲笑の声があふれていました。
しかし、これなんかもインピーダンス調整は全くされてない訳で、高級アンプほど自身のダンピングファクターは高い事が多いですので、短く太いケーブルでつなぐと、暗く沈んだ音になる事は当たり前です。この時もこんな理由で最下位になってしまったことは容易に想像できます。
やはり問題は、こんなテストを平気で行ってしまう雑誌編集者と、何の知識も持ち合わせていない評論家という事になるでしょう。
更にこのテストでは、音の悪い物はデジタルアンプであるという勝手な思い込みに支配されている事が図らずも証明されてしまっていますから、評論家ってどんだけ無能なんだって気分になってしまいます。
又、このサイトの主宰者がこの記事にコメントしていますが、自分の主張の正しさを証明したいが為か、無理やり自分の都合の良い様に解釈していますね。
例えば、 「とりあえず、アンプによる聴感の差は、これ程の価格差があるにもかかわらず、ほとんど無い」
と書いていますが、全員の評価にそれほどばらつきがみられず、同じ物を最下位に選んでいるという事は、このテストではそれだけはっきりとした差があったという事じゃないんですか、それが真に正しい評価か否かは別にして。
ほんとはこのテストの本当の問題点に気づき、それに対しての正しい考察を行うべきで、それが出来ていないと、「科学」を標榜するこのサイトの価値を高めることには繋がらないでしょう。
http://masedoine-de.mond.jp/new1052.html
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2010年6月14日 「オーディオの科学」をちょっと読んでみました
http://avctnegy.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-45cc.html
”ケーブルを替えても音は変わらない”とおっしゃる方々が良く引用されている資料に、
「オーディオの科学」
http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/MyRoom/Audio.htm
と題されたURLがあります。この解析をされている方は、自己紹介から判断すると金属材料を専門にされていらっさる学者さんであるようです。
私は金属材料の専門家では有りませんので、”スピーカーケーブル”や”分布定数回路論”のケーブル関連の解説を読ませていただきました。
幾つかのデーターを基に解説をされていますが、ケーブル構造の記述が無いので、この理論展開が正しいのかを検証できません。
まず、音声帯域のケーブルは波長に対して充分短いので、分布定数回路論で解析するのは誤りです。
電気回路論の教科書では、ケーブル長と波長が一致する長さが目安とされています。
MJの本年度3月号に「ケーブルの減衰量と挿入損失」と題して、特性インピーダンスのミスマッチ問題を掲載していただきましたが、
1mの高周波同軸が1波長と成る周波数は約200MHzで、音声帯域とは大きくかけ離れています(Cat.5ケーブルの場合;添付資料の黒線)。
音声帯域のケーブルに対しては、ケーブルの等価回路は集中定数回路の4端子回路論を適用するのが正しい解析方法です。
PCオーディオ等で使用されるケーブルは、分布定数回路での解析が必要となりましょう。
この様にこのURLでは適応している解析方法が課題にしているケーブルに適しているかを判断する必要があります。一読したところでは間違えだらけです。
分布定数の項に、”R=0近似”と言うことを述べられていますが、ケーブルの導体は周波数が上がれば、表皮効果が発生するので、この領域では導体抵抗は両対数グラフで描くと、傾き1/2で上昇します。
一方、ケーブル理論では、高周波域ではR<<ωLと成る為に、Rを無視する事が出来ます。
ではR<<ωLと成る周波数はどの程度なのでしょうか?
皆さんがお使いのCat.5LANケーブルの特性を添付資料にしておきました。仮にωLがRの100倍以上で無視できるとしますと、約100MHzと成ります。
少なくとも1MHz以下の周波数で使用されるケーブルではRを無視する事は出来ないのです。
MJの本年度6月号に「表皮効果を正しく理解しよう」と題して、表皮効果の説明をさせていただきましたが、この項も”素線が細ければ良い”等の記述があり、正しく理解されていないようです。
以上のように「オーディオの科学」での誤ったケーブルに対する理論展開から、”ケーブルを替えても音は変わらない”と主張するには無理があります。
追加;添付資料の説明
「Cat5Cabletokusei」にはCat.5LANケーブル(導体外径は0.52mmで単線です)の各特性を周波数特性として示しています。
導体抵抗(茶色の線)は表皮効果の影響で約50kHzから抵抗が上がります。
50kHz以上では導体が円筒状になりますので、インダクタンスは小さくなり、グラフのωLでは傾きが1から、50kHz以上では1より小さくなります。
減衰量;α(赤い線)は導体抵抗とインダクタンスの値が等しくなる帯域で、変極点を持ちます。この帯域は導体に表皮効果が発現する帯域でもあります。この帯域を境にケーブルの特性には変化が出ますので、この変極点が可聴帯域に入らないようにするのが大切だとAVCTでは考えて、ケーブル設計をしています。
http://avctnegy.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-45cc.html